国語力を身に付けるための指導の工夫に関する研究

国語力を身に付けるための指導の工夫に関する研究
研究の概要・目的
本研究は,学校における教育活動の基盤となる国語力向上のため,主に「話すこと・聞くこと」の
言語活動によるコミュニケーション行為の意義について考察し,これらにかかわる本県の児童生徒,
教員の意識及び実態を調査し,指導計画,学習の手だてを提案する試みである。本研究は,国語力向
上のための言語活動が,道徳教育,体育・健康に関する指導と同様に,学校の教育活動全体を通じて
取り入れられ,さらに充実させていくための一つのきっかけとなることを目的としている。
キーワード
国語力,コミュニケーション能力,伝え合う力,話す力,聞く力,話すこと・聞くこと,言語活動,
対話能力,相互行為能力,実践的・体験的,生活の工夫,発表,学習指導要領,文化審議会答申
1
主題設定の理由
平成 10 年,改訂された小学校学習指導要領では,「第1章
総則」の第5の2−(1)において,
学校生活全体を通して,言語に対する関心や理解を深め,言語環境を整え,児童の言語活動が適正に行われるよ
うにすること。
とされている。中学校の「総則」第6の2,及び高校の「総則」第6款の5の(1)には ,「児童」
を「生徒」と置き換えて,同様の記述がある。さらに同「解説」では,
児童の言語能力の育成については国語科において(略)計画的に指導することとしている。しかし,言語能力を
向上させ,言語に対する意識や関心を高め理解を深めることは,単に国語科における指導だけでなく,学校生活全
体において配慮することが大切である。
児童がどういう目的のために言語活動をするのかという意識をもち,その目的にかなった言語活動ができるよう
にすることが大切である。(小学校)
と述べ,
生徒の言語能力の育成については,国語科において(略)計画的に指導することとしている。しかし,言語の教
育は,単に国語科における指導だけでなく,学校教育のあらゆる場面や学校生活全体を通して行われる必要がある。
国語科の指導においてはもとより,その他の教科等においても,生徒による発表,討議,ノート記述,レポート
作成などの言語活動を活発かつ適正に行わせ,豊かな言語能力を養っていくよう配慮していくことが大切である。
(中学校)
としている。
このことを受け,学校現場の研究でも ,「伝え合う力 」「コミュニケーション能力」の向上を研究
主題として,国語科を中核とする教科学習,特別活動など,学校の教育活動全般にわたって実践研究
に取り組むケースが増えている。さらには,平成16年2月の文化審議会答申「これからの時代に求め
られる国語力について 」,また,同年3月に策定された「やまなしの教育基本計画」においても,思
考力・判断力・表現力を含めた「確かな学力」と伝え合う力の基盤である「国語力向上」の必要性が
強く求められている。これらは,教育活動に携わる教員自身,家庭や学校における日常の児童生徒の
言語生活の実態から,喫緊の課題として実感されているテーマでもある。
2
研究の方法と内容
(1)理論的研究方法で,すべての教科学習における基礎・基本の定着にかかわる国語力,また,
コミュニケーション行為にかかわる話しことば教育の理論を整理する。
-1-
(2)調査研究方法で,本県の児童生徒・教員のコミュニケーション活動に関する意識・実態を調
査し,課題探求のための基礎的資料をまとめる。
(3)中学校技術・家庭科での「伝え合う力」育ての指導モデル,及び,小学校における「話す力」
「読む力」
「書く力」とのシナジー(相乗効果)を意識した「聞く力」育ての手だてを提案する。
3
研究の基本的な考え方
(1)国語力とは−「これからの時代に求められる国語力について」(文化審議会)及び
「確かな学力と伝え合う力を育てる国語力の向上」(やまなしの教育基本計画)について
平成16年2月3日・文化審議会総会答申「これからの時代に求められる国語力について」のⅠの第
2の2「国語力を構成する能力等」では,国語力について,次のように説明している。
(1)国語力のとらえ方について
① 考える力,感じる力,想像する力,表す力から成る,言語を中心とした情報を処理・操作する領域
② 考える力や,表す力などを支え,その基盤となる「国語の知識」や「教養・価値観・感性等」の領域
また,「聞く力」「話す力」「読む力」「書く力」について,Ⅰの第3−2「『 聞く力・話す力・読む力
・書く力』の具体的な目標」として,補助資料1の諸点を挙げ,
〈参考〉のような「構造(モデル図)」
を掲げている。
さらに,Ⅱの第1の2「学校における国語教育」では,次のように指摘している。
(1)基本的な考え方
ア 国語教育を中核に据えた学校教育を
イ 「聞く」「話す」「読む」「書く」を組み合わせた指導を
(略)
(3)国語科と他教科との関係
ア 国語科以外の教科でも国語力の育成を
他教科でもレポートを書いたり,調べたことを発表したりする。
学校教育の全体を通じて,言語環境を整え,あいさつや敬意表現など「生活に密着した言葉」を身に付け
-2-
イ
させる。
「他教科との連携」と「教員の国語力向上」
一方,山梨県教育委員会の「やまなしの教育基本計画」の第2章の2「子どもたちの現状」には,
○
学習習慣の欠如,「国語力」の不足
学習が受身で,自ら調べ判断し,自分なりの考えを表現する力が不足しています。また,努力や訓練を嫌う傾向
が強く,学ぶ習慣も十分に身に付いているとは言えません。さらに,本県の高校入試や基礎学力到達度調査の結果
分析からは,各教科とも,語彙,思考力,表現力等の「国語力」の不足が指摘されています。
と述べられ,「第4章計画の目指す基本的方向」の「3重点施策」では,
②
確かな学力と伝え合う力を育てる国語力の向上
子どもの「読む,書く,話す,聞く」活動の増進と,主体的な学習活動を支える読書活動や国語教育の充実を図
るとともに,思考力・判断力・表現力を含めた「確かな学力」と伝え合う力の基盤である国語力の向上に努めます
としている。
これらをふまえ,具体的な指導のなかで「国語力向上」を図るために,本研究では,
「国語力」を,
「話す力・聞く力」「読む力」「書く力」の諸能力のバランスがとれた相互行為能力であるととらえ,
それらの基盤としての「聞く力」を育成することで「国語力」は向上するだろういう仮説を立てた。
(2)音声言語教育の現状−個々の児童生徒を活動させ,話を広げ,深めさせているか−
「研究の結果と考察」の1,2に見るとおり,新しい学習指導要領の主旨が徹底され,さらには「国
語力向上」が提唱されるに従い,音声言語を取り入れた学習はかなり意識されていることが分かる。
校内研究の研究主題にも「コミュニケーション能力の育成 」「伝え合う力 」「かかわり」をキーワー
ドとするものが飛躍的に増えている。
しかしながら,音声言語の学習機会については,学級全体でいかなる頻度で学習したかという「数
・量」的な観点よりも,個々の児童生徒がどう活動したかの「質」を観るべきである。「数・量」に
ついて見ても,学習機会は増えているものの,この時間のなかで個々の児童生徒の活動時間や活動回
数が増加しているかとなると疑問である。さらには,児童生徒の実態を見るとき,現在の音声言語活
動の形式が有効であるかについては,検討が必要であると考える。
具体的に言えば,スピーチ,発表などの独話形式の場合は言うまでもなく,ディベートや話し合い
等の対話形式の活動においても,いわゆる「出し合い 」「伝え−受けとめる」域を超え ,「話し手か
ら聞き手への話の届き方」
(林四郎氏)を意味する「話線」の交差は十分に確保されているだろうか。
つまり,甲の話が乙に届き,これが反応刺激となって乙から甲へ話が戻される,これこそ「話線の交
差」であり「交流話線」である。林氏は,この繰り返しが「対話の典型」であり,「すべての話し合
いの基本形式」だとしている。活発に話し合っているように見えながら,実際はモノローグの応酬と
なっていることが多くないか。学校現場では,明示的な効果も確認できぬまま,ひたすら学習のなか
に「活動」を織り込もうと四苦八苦してはいないだろうか。
言語活動を取り入れた学習過程は,大勢の前ではっきり正確に自分の考えを述べるという,伝統的
な「モノローグ型話しことば教育」を主流としてきた。そこでは,話し合いによって意見を調整した
り問題解決したりする対話能力を意識的に育てるべき「ダイアローグ型話しことば教育」はなおざり
にされてきたといえるのではないか。昨今多くの教室で試みられているディベートにしても,トレー
ニングが不十分だから,形式的なダイアローグにとどまり,交差することのないモノローグの応酬に
終わっている現状もある。戦後教育のなかで盛んに提唱された「話し合い教育」や「会議の仕方」の
学習も,今や,すっかり低調である。これは,教育現場における「コミュニケーション」のとらえ方
が,「モノローグ型話しことば教育」にとどまっているからだとも考えられる。
(3)コミュニケーション観の転換の必要性−一方通行から双方向へ,さらには相互作用へ−
コミュニケーションは長い間「通信」のシノニムとして「送り手」側の持っている「意味(情報)」
-3-
を「受け手」に伝えることとされてきた。ここでは「意味」は「送り手」のなかであらかじめ明確に
なっており,言語を媒介にして,それが「受け手」のアタマのなかに正確に復元されることがよきコ
ミュニケーションとされた。……線状モデル
図1
従来の国語教育の「表現・理解」の二分法は,この考え方を
反映しており,ここではコミュニケーションは「伝達」の意味
図1:線状モデル
であり,コミュニケーション能力は「表現力」と同一視されて
送り手
受け手
きた。よき話し手を育てる言語活動と,メモを取ったり,評価
用紙を手に集中して聞くよき聞き手を育てる指導がこれに当た
る 。「豊かな表現力をもった子どもの育成」とか「発信する国
意味
語力」という研究主題にはその名残が見られる。
次いで,コミュニケーションを,受け手の反応(フィードバック)を取り入れた双方向モデルとと
らえ,コミュニケーションは「意味」の伝達ではなく,送り手と受け手が交互に役割を交代しながら
行う「意味の交換」であるとする考えがなされた。つまり,交互に「発信−受信」を繰り返すサイク
ルである。これは,しばしば「ことばのキャッチボール」にたとえられる。
これを従来の国語教育の「表現・理解」の二分法の語彙に
従って説明すれば ,「表現力」育てのための「理解力」育 図2:双方向モデル
てとなっていたのである。
送り手
受け手
けれども,このとらえ方は ,「双方向」と言いながら,
共時的ではなく,常に一方通行の往復である。もともと「共
意味
時」を前提としていない手紙やメールなどの文字言語によ
るやりとりならしらず,
「その場・その時」という「共時」
受け手
送り手
が条件となる音声言語によるコミュニケーションの本質を
言い表してはいない。
スピーチ後の一問一答等はこのパターンだが,現在 ,「伝え合う力を育てる 」「コミュニケーショ
ン能力を育てる」等を研究主題とする実践研究の大方は,まだこの考え方から抜け出ていないと言え
るだろう。……双方向モデル図2
線状モデルも双方向モデルも ,「意味」
は「送り手」や「受け手」から独立して,
図3:相互作用モデル
あらかじめ客体的に存在すると考える点が
参加者
共通している。コミュニケーションをこの
(意図)
参加者
意
ように考えている限り,言語活動における
味
よき「聞き手」育てとよき「話し手」育て
生
は,常に別個に行われることになる。ひい
成
ては,教授−学習活動も「知識理解」の伝
(解釈)
達の域から出ることはできないし,最大多
の
(解釈)
(意図)
場
数の児童生徒が,学力の基礎・基本を身に
付けることも達成できないのではないか。
コミュニケーションは「意味」の伝達や交換ではなく,その参加者が相互作用のなかで「意味」を
創り出していく過程である 。「送り手」と「受け手」の役割は順ぐりに交代するのではなく ,「送り
手」は同時に「受け手」であると認識すべきなのである。だから ,「送り手 」「受け手」の呼称より
-4-
「参加者」という表現が,よりふさわしい。
現在,伝えられるのは言語によって記号化された「メッセージ」であり,それが,今,参加者同士
の「意図」と「解釈」とが重なって,両者の間に新たに「意味」が形成されることが,最もコミュニ
ケーション行為の現実に即していると考えられるようになっている。……相互作用モデル図3
この考えに立つとき,参加者の人間関係や,どのような場面で,どのようにやりとりがあったかと
いうコンテクストのなかで,初めて「意味」は決まってくる。
また,コミュニケーションの参加者は ,「話し手」対「聞き手」といった,能動的役割VS受動的役
割にとどまるのではなく,参加者全てが,意味を生成する能動的な主体だと見なすことができる。つ
まり ,「聞くこと」の領域においても,「話(スピーチ・弁論等々)」は自己完結したものではなく,
「聞き手」との対話を通して成立することになる。
次の例1は,小学校低学年で,スピーチの学習にこのモデルを適用したケースである。すなわち,
話し手Sと聞き手Lが,共同でひとつのスピーチを仕上げていく実践である。
(例1)「私の宝物」についての小学校1年生のスピーチ
1S :私の宝物はお絵描き教室でつくったものです。お絵描き教室でつくったものは,いろいろあったんだけど,ただ絵の具
を塗って,クレヨンを使うだけなんですけど,時々は,あのー,木を切って使うときもあります。質問ありますか。
2L1:その,つくった作品は,どういう風な作品になりましたか。
3S :クリスマスのオルゴールは,えーと,ちょっとね,にじませてから使ったので,ちょっと,とてもきれいなんですけど,光を
当てないとならないのでー,そうだな光があるところでしか鳴りません。もう一人いますか。 L2 ちゃん。
4L2:どうして宝物なんですかー。
5S :あのつくった作品が,とてもきれいにできて私はうれしかったから宝物にしました。ほかにいますか。 L3 ちゃん。
6L3:どんな色のオルゴールですかー。
7S :んとね,緑と赤とピンクを使った,とてもクリスマスっぽい色のオルゴールです。
8L3:ありがとう。
9S :終わります。(お茶の水音声言語学習会(1999)による実践)
ここには参加者の話題の交流(協働)によって理解が深まるきっかけがある。Sは初めに話題を提
供し,その後の展開はL1〜3に委ねられている。Sばかりでなく,全てのLすなわち参加者全員が,
スピーチが充実できるかどうかの責任を負っている。
従来の話しことば教育では ,「話し手」が上手に話すことを求め ,「聞き手」はいかに要領よく受
け取るかについて評価してきたのではなかったか。相互作用的なコミュニケーションでは,一人の「話
し手」が上手に話すことより,協働で「意味」の構築が求められるので,参加者全員の協力的な態度
や,分からないことを問い続ける姿勢が大事にされる。また,今,話している児童生徒も,同時に参
加者の話すことを,率直かつ慎重に聞くことが求められる。これは,従来のような感想や評価の交流
から質疑に移る「話し合い」とは一線を画している。
「話すこと」の指導では,正確に,筋道を立てて,適切な声量で「誤解をされないように」話すこ
とをねらいとしてきた。しかし,コミュニケーションには必然的に参加者の「意図」と「解釈」が加
わる以上,誤った理解,受け止めは避けられない。むしろ ,「誤解される」ことを前提とすべきであ
る。佐伯胖氏が言う「『 誤解をさせない』話がすぐれた話ではない 。『誤解をさせて,訂正していく
話』がすぐれた話だ 」『
( わかりかたの根源』小学館1984)とは,このことを指している。このとら
え方は,音声言語活動を参加者全員のダイナミックな共同作業とみなす観点をもたらした。
さらに,国語科教育の「読むこと」の領域においても ,「作品(教材・本 )」は自己完結したもの
ではなく ,「読み手(学習者 )」との対話を通して成立すると理解することができる。このような考
-5-
え方のなかでこそ,学習は「正解至上主義」から脱却できるだろうし,児童生徒に軸を置いた学習過
程が構築できるだろう。このことは後ろでも再び触れたい。
(4)仲間内の「共話」から他者との「対話」へ
コミュニケーションという相互作用の当事者についても考えておかなければならない。相手を,単
に「知っている・分かり合っている相手」ではなく ,「知らないところもある・分かり合っていない
かもしれない他者」ととらえる視点が必要になってきているのではないか。このことの重要性を早く
指摘したのは高木まさき氏の『「他者」を発見する国語の授業 』(大修館書店2001)である。高木氏
は,コミュニケーションの当事者を「相手」としてではなく「他者」として認識することは,ことば
の使用をより自覚的な行為へと高める効果をもたらすと言った。発話者とは別な主体の在り方と経験
を持ち,それゆえに異なる視点を備えた「他者」と「対話」することは,新たな意味や価値を創造す
る働きがある。
コミュニケーションについて語る,あるいは実際にコミュニケートしようとする時,われわれは相
手が教員であれ,児童生徒であれ,自分が同じコード(言語規則)を共有していることを前提として
いる。すなわち,自分のことばが相手に通じる,相手の言っていることが自分には分かっていると思
っている。
けれども,たとえば ,「 ちょっと考えさせてください。」ということばは,どんなメッセージとし
て発せられ,また,受け止められる可能性があるだろうか。「考えるための時間をほしい。」「要求に
は応えられない。」どちらの意味として伝わるかは,相手の「解釈」のフィルターにかけられた後,
「意味」が構築されるのであり ,「解釈」はコンテクストや経験から帰納的になされることを考えれ
ば,送り手の意図通りに伝わる保証はどこにもない。また,受け手としても逆のことが言える。
日常的に「児童生徒にことばが通じているのかと思うことがある」という危惧を表明する教員はい
る。けれども,逆に「児童生徒のことばを自分は受け止められているのだろうか」と問い返す教員は
少ない。外国籍あるいは障害のある児童生徒と日頃対応している一部の教員を除いては。
コードは参加者の相互作用を経て作り上げられていく。しかも,相互作用といっても二つのタイプ
を考えておかねばならない。水谷信子氏は,知っている者同士,分かり合っている者同士の共通理解
を前提とした話し合いを「共話」と呼び,知らない者,分かり合えるかどうか不確かな者同士の,共
通理解を前提としない話し合いを「対話」と呼ぶ(「『 共話』から『対話』へ」『日本語学』4巻12号
1993)。柄谷行人氏は,前者を「隣り合わせの関係」と言い,そうした「自分と同じ規則を共有する
者との対話を,対話とは呼ばないことにする 。」と提案する。また ,「共通の規則をもたない他者と
のコミュニケーション」を「向かい合わせの関係」と呼び,それこそが21世紀のコミュニケーション
の目指すべき「基礎的事態」だとしている(『探求Ⅰ』講談社学術文庫1992)。
(5)伝達能力育てから相互行為能力育てへ
コミュニケーションを以上のようにとらえたとき,その「能力」のとらえ方も違ってくる。
線状モデルや双方向モデルの考え方に立てば,コミュニケーション能力は伝達の能力や発信力,表
現力としてとらえることができる。しかも,それらは個のなかで自己完結したものとして育ち,いつ
でもどこでも発揮される客観的な能力としてとらえられる。
けれども,相互作用モデルによれば,コミュニケーション能力は,個のなかで自己完結する能力で
はなく,ひととの関係性のなかで発揮される相互行為能力であり,いつでもどこでも発揮されるわけ
ではなく,状況依存的な能力としてとらえられる。
-6-
両者はそのまま音声言語指導の違いとなって現れる。村松賢一氏のまとめ(「 モノローグ型話しこ
とば教育観からの脱却が必要 」『月刊国語教育研究』313号1998)を私なりに補完したのが 表1 であ
る。
(表1)能力観の違いによる指導の違い
能力観
伝達能力
相互行為能力
自立的表現行為
(話し手のなかの考えの表出)
人前できちんと話す力・論理の組
み立て力(表現力)
話すこと
スピーチ,発表
話し手の話したいこと
相互的共同作業(相互作用による
認識深め,問題解決)
会話というシステムを目的に応じ
適切に運用する力(対話能力)
聞くこと
対話,討論
聞き手の知りたいこと,
場に合ったこと
双方向
聞きやすい声
話しかけ→立ち止まり,確かめ
不可欠として容認
話しことばのリズム,間,イント
ネーションを重視
統合的に指導
「訊く(質問)」力を重視
聞き手にどう理解されたか
指導
1
「話す」ことのとらえ方
2
目標
3
4
5
重点
活動
何を話すか
6
7
コミュニケーションの方向
話し方
8
冗長性の評価
「えーと」「ネ」「ヨ」
9
「聞く」指導とのかかわり
10
評価の観点
一方通行
表現→大きな声で,滑らかに
(例)弁論,朗読
無駄として否定
切り離して指導
聞き取り力を重視
どう話したか=「話し方」
それでは,コミュニケーション能力を相互行為能力とみなすとき,何が達成されたときコミュニケ
ーションが成功したといえるのだろうか。これまで教育・学習面でコミュニケーション論が語られる
とき,相互作用の結果としての結論における「合意 」,あるいは相互理解の深まりを当然のことと考
えてきた。半ば常識ともされてきたこの結論自体どうなのだろうか。
合意形成や相互理解が困難であることはいうまでもないが,違いを違いとして認めながら,新たな
共生関係を築く努力は放棄すべきではない。岡田敬司氏は討論的授業の可能性について,こう述べて
いる。
異なる文脈の発言が飛び交う討論が全体として何らかの知的産物を生み出すためには,それらの異なった文脈群
が互いに関連づけられる大文脈(メタコンテクスト)が必要である。そうした大文脈がそれぞれの発言者,聴者に
形成されてくることが,討論授業のゴールである(『コミュニケーションと人間形成』ミネルヴァ書房1998)。
岡田氏の「大文脈」は ,「なぜ,この討論をしなければならないのか」という問題意識あるいは設
定された課題のことと理解していいだろう。氏は討論というものを,この「大文脈」についての合致
を得ることを通して共同の課題探求者になる過程ととらえる。
学習の場で,従来の合意形成を結論として期待することについては,注意深くありたい。なぜなら,
「いいでーす」と全員に声をそろえさせる形式的な「一致」
「合意」は,他者の異質性を抑圧したり,
少数意見の排除につながりかねないからである。21世紀のコミュニケーション能力育てが目指すとこ
ろは,異質性を認めた上で新たな共同性(共生)の途を探ることだろう。
「コミュニケーション能力」とは,
「他者」を発見することを通した「自己認識」と「自己変容」のプロセスであり,異質性のうちに共同性を作り
上げる(伊藤守「情報化の論理と現代社会」福村出版『情報社会とコミュニケーション』1995所収)
ことであり,
他者との間で,ことばを介して情報や,意見,気持ちを分かち合いつつ,理解を共有し,自分の気持ちもわかる
ようになる能力。(福岡)
である。
「話すこと・聞くこと」の学習は,相互行為型コミュニケーション観を基盤にすることなのであり,
-7-
それを実現させる力を,より一般的で具体的な「対話能力」として目標立てすべきではないか。
(6)対話能力の発達段階
対話能力には,次のような水準があると考えられる。
0:意見を言う……きちんと話す(言い合い)……モノローグのレベル
↓
1:情報の伝え合い……わかりやすく伝え,的確に理解する(言い合い・聞き合い)
……ダイアローグ(対話)の始まり
↓
2:意見を主張し合う……話を論理的に組み立て,批判的に聞く(聞き合い,論じ合い)
↓
3:対立意見の止揚……それぞれの意見を生かす高次の意見を作り出す
これらは,相手への働きかけにおける難易度を示していると同時に,1は0を,2は0,1を,3
は0,1,2を前提としている。すなわち,主張し合うには,情報をきちんと伝え合う力が必要であ
り,大文脈形成の話し合いは,説明したり,論じたりする力が身に付いていることが必要なのである。
き
つまり,聞き合う力が単なる「言い合い」ではない「論じ合い」を可能にし,
「訊き合い,論じ合う」
力をふまえて,初めて形式的な「一致」ではなく,高められた「合意」に到達することができるとい
うことである。このことをふまえて,村松賢一氏は,表2のような対話能力の発達段階と系統的学習
モデルを提案している。
(表2)対話能力の発達段階と系統的学習モデル
発達段階
小学校低学年
同 中学年
同 高学年
中学校 前半
同
後半
対話能力
親和的対話能力
受容的対話能力
対論的対話能力
メタ対話能力
協働的対話能力
目
標
楽しく自由な対話経験を通して,ことばをつむぎ合う喜びを実感させる
訊ね合いを通して体験や考えを共有する喜びを味わわせる
討論によって視野が広がり,見方が深まる満足感を経験させる
対話過程を対象化し,目的に照らしてコントロールする
問題解決を図ったり,高次の意見を発展させたりする
(7)「話すこと・聞くこと」の学習は「書くこと」,「読むこと」の学習に密接する
三宮真智子氏の紹介するヴィゴツキーによれば,
「すべての高次心理的機能は,もともと社会的(外
的)起源を持ち,その後,個人的(内的)なものへと移行するという。すなわち,最初は他者を説得
するために行われていた『他者との対話』が,しだいに,『自己との対話』となっていく」「
( 思考に
おけるメタ認知と注意」市川伸一編『認知心理学4思考』東京大学出版会所収1996)。
このように考えれば ,「話すこと・聞くこと」の学習で身に付けた対話能力は,「書くこと」「読む
こと」の学習にも転移するはずである。すなわち ,「読む」活動を「仮想的他者(相手)とのインタ
ーラクション 」,「話す・聞く」活動を「音声言語による直接的なインターラクション」ととらえ,
国語学習の本質を,「インターラクション=相互作用=対話」としているのは山下俊幸氏である(「国
語科学習への状況論的アプローチ−表現活動の学習状況化について」『国語科教育』41集1994)。
「読む」行為がテクストや作者との対話に他ならないことは,学習者(読者)の主体的読みを提唱
する多くの「読者論」や「読書行為論」でもすでに明らかにされている(関口安義『国語教育と読者
論』明治図書 1986),深川明子「読者論から見た文学教材の構造と機能」
(『日本文学』№397・1986),
田近洵一『読み手を育てる−読者論から読書行為論へ−」明治図書1993ほか)。また,学習の手だて
として,次のような,大村はま氏の読書の際の「手びきプリント」という名の「あいづち」リスト(『教
えるということの復権』2003ちくま新書)もある(補助資料2)。
これらで明らかにされているのは,読書をする時に発揮される個の内部の相互作用(自己内対話)
は,「他者」との社会的相互作用が内部化したものだという認識である。つまり,作品の「読み」を
めぐって,自分のなかの異なる意見や視点を持つ「他者」と対話を重ねることによって葛藤が生まれ,
「思考の構造化」=広がりと深まりをもたらし,「読む力」の基盤となるのである。
-8-
また ,「書く」行為が仮想的他者との対話から継起することは,西村肇氏の次のような指摘を待つ
までもなく,自明である。
パラグラフの中では,いま書いているセンテンスに対し,たえず未知の読者の反応を想定し,それに応えるよう
に論を進める 。『分からない』という顔を感じたら『たとえば』と具体例を入れる。『なぜ』という質問を感じたら
『それは』と理由の説明に入る 。『でも』と反論がありそうなら『それはそうであるが』と相手を肯定した上で論
を進める。「
( 『論理的な』表現と『ロジカルな』表現」『
( 日本語学』26巻3号)
(8)心豊かな積極的な聞き手を育てるために
① 聞き手こそ話し合いの主人公−子どもの役に立つ話し合いになっているのだろうか?
現在,小・中・高いずれの校種においても,学習では話し合いの機会が多く取り入れられている。
とりわけ国語科「読み」の指導では欠かせない活動場面となっている。活発に発言があり,児童生徒
の話し方も明確であったり,自分の考えのもとになる論拠もしっかりしていることも多い。授業とし
ては成功と受け取られる様態である。
この過程で,ある児童生徒の発言に,別の児童生徒が異なった印象や考えを述べる。あるいは補足
する発言をする。この段階でワークシートやカードに「書く」活動を先行させる教員も多い。教員は
児童生徒の発言を板書して行く。教員によっては,話し合いが一段落した時にワークシートやカード
に書かせる場合もある。
一見活発なこの話し合い活動は,果たして個々の児童生徒のためになっているのだろうか。A,B,
C,D……の児童生徒の発言はあるものの,彼ら相互の対話はほとんど行われていない。これは話し
合いと言いながら,意見や考え,印象の「出し合い 」「言い合い」でしかないのではないか。さらに
は,A,B,C,D……以外の,話していない児童生徒の,話し合いにおける役割は何なのだろうか。
つまり,話し合いが児童生徒の役に立つかわりに,教員が授業をスムーズに進めるための「出し合い」
になっているだけではないか。
こういう「出し合い」を続けていけば,発言する児童生徒は日を追って減るだろうし,教員が板書
して話し合いを打ち切るのを待つ習慣がついてしまうだろう。
こう考えてくると,話し合いという活動を学習過程のなかに設定する場合,教員は次の点を考えて
おく必要があるのではないか。
ア
イ
ウ
エ
オ
ここ(学習過程)で,児童生徒が,話し合う必要があるのか。
発言から何を受けとめ,どうするのか,発言をしない多くの「参加者」に自覚されているか。
発言の要点・よい点の板書やメモを,参加者はどう受けとめ,いかに処理するのか。
発言者は,話す相手を自覚しているか。教員相手か? 教室内の不特定多数か。
また,発言者は,何のために話したのか,話した後どうするのか意識しているか。
つまり,話し合いは参加者である児童生徒にとって必要のある話し合いでなければならないし,話
し合いの主人公は「聞き手」だということを,教員は意識していなければならない。ということは,
どのような「聞き手」育て,どのような聞き方の指導をしなければならないかが,留意点である。
② 話し合いは言い合いでなく,聞き合い・たずね合い→聞き手の主人公化
教室で発言しない児童生徒に理由を話させると,
○みんなの前で言うのは目立つ。
○間違ったら恥ずかしい。
○答がすぐ浮かんでこない。
○誰か発言すると思うから。
などが挙がってくる。
これを打開するために,効率重視の一問一答式を悪しき典型とする,授業におけるいわゆる「正解
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至上主義」を克服しなければならないだろう。大事なのは,授業で正答を出し続けることではなく,
どこに視点を置いて,どう考え,どうまとめたらよいのかの指導である。大村はま氏が,すべての授
業に,異なる「手だて」を要するというのはこの点を言っているのである。そのためには次の学習の
基本をおさえることが必要である。
ア
イ
ウ
エ
オ
めあて(児童生徒自らの課題)をしっかりつかませる。
めあてに向かって学習する手だて(方法・コツ)を分からせ,時間を与える。
児童生徒の考えを十分に尊重しながら,教員や仲間に確かめ,訊ねることをはっきりさせる。
ウの内容を確かめ,訊ねさせる−(聞き合い・訊ね合い)
ウ,エをふまえ,さらによい自分の考えを作り直させる。
3(3)で既に引いた佐伯胖氏の「『 誤解をさせて,訂正させていく話』がすぐれた話」を,授業に
関して再度想起しておいてもいいだろう。
このなかで特に大事なのはウ,エ,オにおけるゆとりである。個々の児童生徒が自分の考えに気が
つき,それをよくしたり,どうことばにすればいいのか,あるいは不審に思っているのはどこなのか
……こういう「間」を大切にし,一人一人の取組を尊重してやることである。参加者や教員に訊ねた
い,確かめたい。こういう思いを大切にしなければ,話し合いは一部の参加者のただの「出し合い」
「言い合い」に終わってしまう。このような学習の基本のなかで,初めて,聞いている者が話し合い
の主人公になれる。
③ たくましい聞き手を育てる
聞き手が主人公になるために大事なことの第二は ,「たくましい聞き手」を育てることだろう。ひ
とから考えや情報を得て自分の考えを深めたい,広げたいという意味での「たくましさ」が必要なの
である。つまり,集会で校長先生の話を聞いて「ああ,そうか 」「いい話を聞いた 」(聞く)の段階
で終わるか ,「では自分はどうしようか」と主体的に自分のものにしていく段階である。この過程に
は,聞いて自分なりに造っていく,次のような「間」が必要である。
話を思い返す間
不審・疑問などを確かめる間
自分のものとしてまとめる間
「たくましい聞き手」を育てるために必要な練習には,どんなものがあるか。
次の左群のことばは,この「間」に用いてほしい,児童生徒の「反応を促すことば」である。これ
らをあらかじめカードなり掲示なりで示しておいてもよい。前掲の大村はま氏の読書の「手引きプリ
ント」の「聞くこと」版である。もう一つ,あらかじめ示しておくのが有効なのは,右群の「受けて
返すことば」である。少なくとも1週間に一度程度は,これらを示しながら,(受け止め→考え→返
す)対話の力をつける練習がほしい。
《反応する心の働きを育てる》
「初めて聞いたな」(経験と符合させる)
「なるほどそうか」(心を打たれたこと)
「何回か繰り返しているな」(重要なこと)
「これは自分にとって大事だな」
(求めていることへの応用)
「だから,自分はこう思う(こうしたい)」
(反応・変容)
《受けて返すことばを育てる》
・「そうなんだ」
……受けとめる(うなずき・あいづち)のことば
・「ほんとうなの?」……たしかめることば
・「どういうこと? 説明して」
……たずねることば・促し,転換することば
・「ちがうこともあると思う」
……付け加えることば
(執 筆 者
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福 岡
哲 司)