第 集 浜 松 市 市 松 浜 浜 松 市 民 文 芸 浜松市民文芸 58 58 浜 松 市 民 第 58 文 集 (相生垣瓜人俳画) 浜 松 市 芸 浜松市民文芸 58 集 小 選 説 者 竹 腰 幸 夫 柳 本 宗 春 論 たかはたけいこ 中西美沙子 那 須 田 稔 評 筆 児童文学 随 九鬼あきゑ 村 木 道 彦 埋 田 昇 二 鶴 田 育 久 詩 定型俳句 今 田 久 帆 歌 自由律俳句 短 柳 川 ☆ 表紙絵 平成 誠 年度浜松市芸術祭「第 回市展」にて 60 そう か もんつぼ 通りにはさせて貰えません。 窯は一二二〇℃の高温、なかなかこちらの思い 景に色調の変化をつけて見ました。 文様で、周りをへらで掻き落とし、赤褐色の背 庭 の 草 花( ア イ リ ス と コ リ ウ ス ) を 単 純 化 し た 題「掻き落とし草花文壷」 か 芸術祭大賞受賞作品 立 川 24 2 部 説 門 受 「浜松市民文芸」第 小 論 児 童 文 学 評 筆 歌 随 詩 短 集 者 市民文芸賞受賞者 賞 部 門 受 賞 山 本 房 子 大 澄 滋 世 定 型 俳 句 西山俊太郎 松 本 重 延 小 杉 康 雄 生 田 基 行 藤 田 節 子 石 橋 朝 子 梅 原 栄 子 弘 深 中 谷 節 三 虎 實 津 生 﨑 美 雪 石 大 田 勝 子 徹 新谷三江子 鈴木由紀子 黒 石 橋 朝 子 牧 沢 純 江 生 田 基 行 鈴 木 柯 葉 自由律俳句 中津川久子 松野タダエ 水川亜輝羅 木 俣 史 朗 鈴木千代見 小笠原靖子 柳 戸 塚 忠 道 川 塩入しず子 太 田 雪 代 石原新一郎 内 藤 雅 子 石 田 珠 柳 光 子 柳 者 3 58 浜松市民文芸 58 集 目 説 市民文芸賞 小 次 背負はれて名月 小杉 康雄 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・ 震える 西山俊太郎 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 御弓始末 生田 基行 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 入 選 気弱な犬 伊藤 昭一 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ いつか二人で対岸へ 白井 聖郎 ・・・・・・ ・・・・・・・ 二人の男 松永 真一 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 揺れる家 水野 昭 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 竹腰 幸夫 ・・・・ 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 柳本 宗春 ・・・・ 選 選 児童文学 市民文芸賞 さるぼぼの魔法 生﨑 美雪 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・ 入 選 とび助親子の恩返し 江川 俊夫 ・・・・・・ ・・・・・・・ 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 那須田 稔 ・・・・ 選 評 論 筆 市民文芸賞 映画における 「鈍い意味」 についての考察 虎 徹 ・・・・・・ ・ はり (後篇) 中谷 節三 ・・・・・・ 鍼の如く ・・・・・・・・・・・ 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中西美沙子 ・・・・ 選 随 市民文芸賞 母と自分そしてワイフ 石黒 實 ・・・・・・ ・・・・・ 新谷三江子 ・・・・・・ 老いも亦たのし ・・・・・・・・・・・ つきすぎた米 石橋 朝子 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・ 入 選 雪国と青空 吉岡 良子 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ バラのプレゼント サルルン カムイ ・ ・・・・・・・・・ 入 選(特別賞) 学徒動員下の空襲に耐えて 角 昭 ・・・・・・ ・替 最後の一兵 野田 正次 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ 戦死した兄とぼたもち 西尾 わさ ・・・・・・ ・・・・・ 私の青春記 内藤 雅子 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ たかはたけいこ ・・ 選 152 140 133 160 157 154 163 162 172 170 168 167 165 44 27 10 117 116 99 87 70 60 118 132 127 4 詩 評 ・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・ かみさんのお盆 大庭 拓郎 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・ 蛇 小笠原靖子 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 公園 北野 幸子 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 法要 桑原 みよ ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 傘 すずきとしやす ・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 髙柳 龍夫 ・・・・・・ 遊離する ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 幸せのカタチ 竹内としみ ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・ 悲憤 辻上 隆明 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中村 弘枝 ・・・・・・ 舵を取る ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2枚のCD 浜 美乃里 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ 浜 名 水 月 ・・・・・・ カモメと桜 ・・・・・・・・・・・・・・・ 馬渕よし子 ・・・・・・ 絆 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ り り 人 ・・・・・・ 雨 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 埋田 昇二 ・・・・ 市民文芸賞 夜より暗い 鈴木 柯葉 ・・・・・・・・・・・・・・・ 松 残された時間の流れの中で ・ 野タダエ 透き抜ける 水川亜輝羅 ・・・・・・・・・・・・・・・ 選 入 選 短 歌 市民文芸賞 小笠原靖子 石原新一郎 塩入しず子 内藤 雅子 柳 光子 入 選 知久とみゑ 幸田健太郎 仲村 正男 江川 冬子 伊藤 米子 藤田 節子 伊藤 友治 福田美津子 河合 和子 内山 文久 相津 祐子 冨永さか江 高橋 紘一 松野タダエ 石渡 諭 村木 幸子 髙橋 幸 木下芙美子 森上 壽子 渥美 進 坂東 茂子 赤堀 進 平井 要子 佐々木たみ子 大庭 拓郎 宮澤 秀子 中村 弘枝 鳥井美代子 浜崎美智子 幸田 松江 戸田田鶴子 北野 幸子 宮本 惠司 山口 久代 大石みつ江 恩田 恭子 太田 静子 新田えいみ 松江佐千子 ちばつゆこ 鈴木 郁子 内山 智康 平野 旭 山田 文好 能勢 明代 岩城 悦子 柴田千賀子 柴田 修 内田 乙郎 岡本 久榮 前田 徳勇 河合 秀雄 吉野 正子 井浪マリヱ 鈴木 壽子 水川あきら 高橋 正栄 5 176 175 174 193 191 190 189 188 187 186 184 183 182 181 180 178 178 浜松市民文芸 58 集 選 野沢 久子 太田あき子 あ ひ る 中村 淳子 飯田 裕子 川島百合子 すずきとしやす 内田 安子 水嶋 洋子 浜 美乃里 金取ミチ子 近藤 茂樹 柿澤 妙子 脇本 淳子 寺田 陽子 前田 道夫 石川 晋 渥美 久子 藤田 淑子 竹内オリエ 角替 昭 太田 初恵 中山 和 井口 真紀 北島 はな 安藤 圭子 白井 忠宏 畔柳 晴康 鈴木美代子 飯尾八重子 川上 とよ 鈴木 利定 伊藤 美代 増田 しま 森 安次 杉山 勝治 半田 恒子 荻 恵子 松浦ふみ子 平野 早苗 岡部 政治 長浜フミ子 新谷三江子 和久田俊文 織田 惠子 森脇 幸子 平尾 美枝 鴇夛 健 倉見 藤子 今駒 隆次 岡本 蓉子 髙山 紀惠 江間 治子 宮地 政子 手塚 みよ 石川 きく 松永 真一 鈴木 芳子 袴田 成子 寒風澤 毅 清水 孜郎 鶴見 佳子 飛 天 女 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 村木 道彦 ・・・・ 211 定型俳句 市民文芸賞 山本 房子 深津 弘 藤田 節子 牧沢 純江 入 選 大村千鶴子 山本 房子 渡辺きぬ代 飯尾八重子 浦岡ユキ子 太田沙知子 岡本 久栄 織田紀江子 北野 幸子 近藤 晴子 清水 孜郎 鈴木 章子 鈴木美代子 髙柳とき子 戸田 幸良 中野はつゑ 西尾 わさ 大澄 梅原 大田 梅原 栄子 澤木 幸子 伴 周子 岩城 悦子 大田 勝子 岡部 章子 刑部 末松 川瀬 慶子 倉見 藤子 柴田 弘子 白井 宜子 鈴木 智子 平 幸子 坪井いち子 中津川久子 中村 勢津 野末 法子 松本 重延 石橋 朝子 鈴木由紀子 滋世 栄子 勝子 大澄 滋世 深津 弘 鈴木 千寿 石橋 朝子 大倉 照二 大庭よりえ 小川 惠子 小野 一子 切畠 正子 柴田 修 清水よ志江 鈴木 利江 鈴木由紀子 田中ハツエ 冨永さか江 中原 まさ 野嶋 蔦子 6 能勢 明代 野又 惠子 林田 昭子 藤本 幸子 松江佐千子 松本 賢蔵 松本 美津 宮澤 秀子 八木 若代 吉野 民子 あ ひ る 伊熊 保子 石岡 義久 伊藤しずゑ 伊藤 斉 岩崎 芳子 太田 静子 小楠惠津子 勝又 容子 加茂 桂一 川上 とよ 河村あさゑ 畔柳 晴康 齊 あい子 佐藤 政晴 野田 俊枝 長谷川絹代 平野 道子 堀口 英子 松原美千代 松本 重延 松本 緑 村井 みよ 山口 久江 和久田りつ子 安間 あい 池田千鶴子 石塚 茂雄 伊藤 倭夫 井浪マリヱ 岩﨑 良一 岡本美智子 影山 ふみ 加藤 新惠 加茂 隆司 川島 泰子 北村 友秀 小杉はつ江 斉藤 てる 佐野 朋旦 野中芙美子 浜 美乃里 藤田 節子 牧沢 純江 松本憲資郎 松本 尚子 水野 惠女 森 明子 山﨑 暁子 赤堀 進 飯田 裕子 池田 保彦 伊藤あつ子 伊藤 久子 今駒 隆次 右﨑 容子 岡本 蓉子 勝田 洋子 金取ミチ子 川合 泰子 川瀬 雅女 金原はるゑ 駒田 一草 佐久間優子 佐原智洲子 塩入しず子 白井 忠宏 新村ふみ子 鈴木 和子 鈴木 信一 関 和子 髙林みつ子 竹内オリエ 田中 安夫 鶴見 佳子 徳田 五男 内藤 雅子 長浜フミ子 錦織 祥山 野田 正次 浜名水月 古槗 千代 松永 真一 水谷 まさ 森下 昌彦 谷野 重夫 山﨑 勝 山本晏規子 横原光草子 和田 有彦 柴田 ふさ 不 知 火 新村八千代 鈴木 憲 鈴木 秀子 髙橋 順子 髙林 佑治 竹下 勝子 辻村 榮市 手塚 みよ 戸田田鶴子 中嶋 せつ 中村 寿夫 二橋 記久 橋本まさや 平野 旭 星宮伸みつ 松野タダエ 宮本 惠司 森島美千子 山口 英男 山下 恵 山本 兵子 和久田孝山 渥美 進 柴田ミドリ 新村あや子 新村 幸 鈴木 節子 鈴木 浩子 高橋ひさ子 髙山 紀惠 田中美保子 黒葛原千惠子 寺田 久子 豊田由美子 永田 惠子 中山 志げ 野沢 久子 浜名湖人 藤田 淑子 前田 徳勇 水川 放鮎 森 三歩 八木 裕子 山口百合子 山田 知明 横田 照 和久田志津 あべこうき 7 浜松市民文芸 58 集 選 生田 基行 鈴木まり子 外山喜代子 藤本ち江子 池谷 俊枝 岩本多津子 小楠 純代 倉見 藤子 中津川久子 伊藤千代子 竹内オリエ 中谷 則子 松野タダエ 石田 珠柳 太田 静子 香 代 子 佐藤 悦子 木俣 史朗 安東 延 池野 春子 池谷 靜子 伊藤 あい 大久保栄子 大城 まき 太田しげり 河合 秀雄 河野 政男 斉藤三重子 佐久間満雄 澤木 葵 高橋 紘一 髙栁二三男 鴇夛 健 鳥井美代子 永田 キク 名倉みつゑ 野末 初江 原田かつゑ 晴 詩 飛 天 女 水野 健一 宮地 政子 宮本 みつ 森 ちゑ子 山田美代子 山中 伸夫 横井万智子 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 九鬼あきゑ ・・・・ 自由律俳句 市民文芸賞 生田 基行 入 選 木俣とき子 草野 章次 戸田田鶴子 長浜フミ子 渥美 久子 伊藤 重雄 大庭 拓郎 木俣 史朗 246 川 浅井 為永 中村 山﨑 戸塚 常義 義郎 雅俊 靖子 忠道 木村 民江 中田 俊次 長谷川絹代 米田 隆 太田 雪代 柴田 修 周東 利信 白井 忠宏 鈴木 章子 髙鳥 謙三 髙橋あい子 鶴 市 鴇夛 健 戸田 幸良 中津川久子 中村 淳子 中村 弘枝 浜名湖人 松永 真一 宮司 もと 渡辺 憲三 飯田 裕子 岩城 悦子 内山 あき 岡部 真央 川上 とよ 河村かずみ 畔柳 晴康 佐々木たみ子 鈴木あい子 鈴木 好 手塚 全代 寺沢 純 冨永さか江 内藤 雅子 中島ひろみ 錦織 祥山 原川 泰弘 廣島 幸江 松枝 志賀 宮地 政子 山内久美子 山崎みち子 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鶴田 育久 ・・・・ 選 柳 市民文芸賞 鈴木千代見 石田 珠柳 入 選 山口 英男 鈴木千代見 中村 禎次 馬渕よし子 256 8 ・・・・・・・・・・・・・ 伊熊 靖子 石田 珠柳 伊藤 信吾 内山 敏子 太田 初恵 河島いずみ 畔柳 晴康 斉藤三重子 鈴木 均 髙柳 龍夫 竹山惠一郎 戸塚 忠道 平野 旭 松野タダエ 水野 友博 宮澤 秀子 山田とく子 赤堀 進 飯田 裕子 岩城 悦子 太田 雪代 岡本 蓉子 小野 和 金取ミチ子 久保 静子 倉見 藤子 小島 保行 柴田 修 柴田 良治 白井 忠宏 鈴木 覚 高橋 紘一 髙橋 博 髙山 功 竹内オリエ 辻村 榮市 手塚 美誉 戸田田鶴子 戸田 幸良 冨永さか江 豊田由美子 内藤 雅子 永井 真澄 仲川 昌一 中津川久子 中村 弘枝 野末 法子 浜 美乃里 浜名湖人 堀内まさ江 前田 徳勇 松永 真一 道 子 宮地 政子 夢 耺 森上かつ子 山下 宏 和久田俊文 選 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今田 久帆 ・・・・ 集作品募集要項 265 「浜松市民文芸」第 六〇三 作品点数 掲載順については、市民文芸賞受賞作品は選考順、入選作 作品掲載については、清書原稿のままを原則としました。 作品点数 集の作品応募状況 門 部 門 品は選考順または五十音順としました。 第 部 歌 一、 一四二 短 定型俳句 三〇一 一七 四 三九五 説 児童文学 柳 自由律俳句 川 三 二、 五三〇 三四 計 筆 随 評 三一 論 小 58 詩 9 266 59 浜松市民文芸 58 集 小 説 [市民文芸賞] 背負はれて名月 小 杉 康 雄 から渡り来る川風が、計らずも一掃してくれているようだっ 匂いや湿気が辺り一面に漂っていた。そんな厭な空気を対岸 洩れ出しているのか、老朽化した建物が放つ独特の混濁した 眼 の 高 さ よ り 更 に 上 に、 隅 田 川 の 堤 が 横 に 長 く 延 び て い 一 る。その堤の向こうには、満々と水を湛えた水面が白昼の陽 た。 私は俳句雑誌の同人であり、友人でもある富田を訪ねてこ に反射して、キラキラ光っている。風の道筋だろうか、所々 に白波が立って、こちら側へ向かって不規則なうねりと移動 堤を渡る風は心地好く、植栽された柳の枝葉を軽やかなリ 川 風 に 誘 わ れ る よ う に 南 進 か ら の 道 筋 を 採 っ た の だ っ た。 途 浅草寺の広い境内を通り抜けるには、白昼の日射しが辛く、 だ。余裕があったので言問橋経由でも構わないと思ったが、 ことゝい こ本所向島へ、対岸の浅草から吾妻橋を渡って歩いて来たの ズムで揺らしてゆく。当時、隅田川東岸は墨堤と呼ばれ、そ 中、火照った身体に滲み出た汗が、爽風を受けると背筋から を繰り返している。 の堤や北十間川が合流する地域は、零細な町工場、木賃宿や スーと引いてゆくのが実感でき、袴の裾が脛にまとわり付く 大正四年、端午の節句を迎えた日のことである。私が富田 のも、さほど気にはならなかった。 棟割り長屋などが軒を連ねるように、密集して建てられてい 東京市本所区向島辺りは、隅田川と荒川に挟まれた典型的 た。 家に着いた頃には、遅い昼飯時であった。焼き魚と塩漬した はじめ り長屋もあった。長屋の生活廃水を集めて流す土管が割れて な三角デルタ地帯である。その一角に、富田一が暮らす棟割 10 て嫌がっていたものの、内心気に入っているようにも感じら ちゃぶだい 瓜 の 切 れ 端 だ け が 卓 袱 台 に 並 ぶ、 質 素 な 昼 餉 の 風 景 が 視 え れた。 が詫びるような表情を造りながら諭すように語りかけた。 こねているようだった。そんな利助に向かって、姉のまき子 た。利助はウーウーと言葉にならない呻き声を発して駄々を の住まう地名が由来であった。 言うのは、富田一が創った俳句結社の名称である。小梅は彼 た。以前頼んでおいた看板を届けて呉れたのだ。小梅吟社と た。滑らかな板の表面には、小梅吟社と太筆で墨書されてい ほどの杉材の表面にカンナを入れた板を、頭上に高々と掲げ 米造は脇に抱えた風呂敷包みを解くと、長さ一尺、幅六寸 た。富田には利助という弟がいた。彼は生まれつき口の利け 「りー坊、ごめんね。ちまきを用意するほど余裕が無いのよ。 「最初に小梅稲荷の権禰宜様にお願いしたんですが、にべな ない聾唖者であった。食卓を前に弟の利助が機嫌を損ねてい 今度、高崎の富子姉さんから為替が届いたら、真っ先に浅草 く断られたので仕方なく家主さんに揮毫して貰いました。気 ご ん ね ぎ 寺門前の常盤屋で、りー坊の好きな蓬の柏餅を買ってあげる 「いっちゃん、例のやつ、持ってきたでぇ。あれ、声風さん かって近づいて来るのが聴こえた。 った。軒下の溝板を騒がしく鳴らす下駄の音が、こちらに向 来ず、箸を投げ付けて脚をバタつかせていた。そんな折であ そ れ で よ ご ざ ん す。 も っ と も 声 風 さ ん さ え 異 論 が な け れ ば うな判読不明の、絵文字になってしまうのが落ちですから、 出てもいやしませんよ。小難しい字はミミズがのたくったよ なんたって、 私や米造さんは未就学児で、尋常小学校なんざ、 「どう贔屓目に見たって、私より格段上手に書けてますよ。 で、どう致します。いっちゃん」 に入らなければ削って書き直しても良いとおっしゃいますの も寄って下さったのか」と、四軒長屋の入り口の富田家へ、 しいのだが、近所の者や家族ですらも、いっちゃんと呼び慣 を立てていたのである。彼の戸籍名は、はじめと読むのが正 富田一は、小梅町の裏長屋で駄菓子屋を営み、細々と生計 ひいき 勢いよく飛び込んで来たのは、土手米造であった。米造は江 ……」と答えたのは、店主である富田であった。 しかし、米造は私と同じ俳句仲間でもあり、富田を師と仰ぐ る。私よりも二つ歳下の、まだ職人見習いの分際であった。 戸友禅の型紙彫りの町工場に、住み込みで働く丁稚の身であ 聾唖者の利助には、姉のまき子の言葉を理解することが出 からね、それまで辛抱してね……」 詩 彼の弟子でもあった。 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 わしていた。その為、はじめでは無くいちが本名だと私は随 随 分後まで思い込んでいた。当然、富田の結社に集う俳句仲間 論 米造の波王と言う俳号は、富田と私の二人が考えて、謂わ 評 ば面白半分に名付けたものであった。米造は年季奉公が明け 児童文学 も、彼のことをいっちゃんと疑いも無く呼んでいた。 説 ぬ身に、波王とは尊大過ぎて、自分には不吊り合いだと言っ 小 11 浜松市民文芸 58 集 ……」 ても抗えないと言うのも随分滑稽な姿に映りましょうな とも中味は変えられない。仕方の無いことですが、解ってい 材一枚の看板で、世間の見る眼が異なります。外観を繕ろう ひとかどの俳句の宗匠もどきが出来上がりましたな。木っ端 いうのは、酷いものだ。そんな彼が勤め先をクビになって、 つくばって動くのが精々なんだ。そんな身体で工場勤めって 幼児に小児麻痺を患ったせいで、脚萎えの躄なんだぜ。這い 「君、想像を尽くし給え。 彼の肢体はスリコギ棒同然なんだ。 が経営する町工場へ丁稚奉公に出した時季があったようだ。 石鼎によれば、極貧の富田家では口減らしの為、一を親戚 背負はれて名月拝す垣の外 吟波 た。 「いや、そうばかりとは言い切れませんよ。いっちゃんの句 自宅へ背負われて帰る路すがらに詠った句なんだ。凄いと想 「声風さん、この看板を軒先に括り付けて下さいな。これで、 会へ参加したくても、居所が解りませんでしたもの。私も、 わないかね、この句は……。吟波某氏は、自分の境遇など微 はじめ 初めて尋ねた時はあちこち探し廻り、苦労したのでやっと目 歳 に な っ た ば か り の 青 年 で あ る。 彼 の 句 に 初 め て 接 し た の いっちゃんと皆から親しまれ、気さくで明朗な男は、十八 口から飛沫を飛ばしながら、早口で喋る光景を想い起こして いに読み手に伝わっているではないか」と石鼎が興奮して、 れでいて作者の抱える哀しみや無常の心は、十分過ぎるくら 塵も感じさせないで、写生句に徹しているところが好い。そ いざり 印が置けた気持ちですよ」 は、前年暮れに発売のホトトギス誌十二月号に掲載された、 炬燵あけて猫寝たり女房干魚裂く いた。 吟波 高浜虚子が選んだ句であった。 「新井声風さん、今日は何の御用で寄りなさったかね。まさ 年の、投稿句に興味を引かれた。その頃、俳誌ホトトギスの 私は自分と同じ年恰好の、吟波という俳号を名乗る富田青 窓の日や洋書の上の福寿草 し売りは致しませんがね。と言うものの、米造さんに面白い 買って下されば、お客様なんですから。だからと言って、押 すよ。私の処は駄菓子を商っております。ラムネを一本でも 「米造さん、用事が無くったって寄って下さって結構なんで ……」と米造が冷やかしの問いを私に投げてきた。 か、 看 板 を 眺 め に 来 た な ん て こ と じ ゃ 無 い と 察 し ま す が 同じく今年の一月号にも虚子選で、次の一句が掲載されて 発行所で、虚子の編集補助の仕事に従事していると言う、原 話でも聴かせてあげて下さいな。声風さんはこう見えても慶 いた。 石鼎に出会ったことも興味を募る一因に挙げられる。かつて 應義塾大学理財科の学生さんなんですからねぇ」と話題を私 吟波 石鼎は私に富田の句を見せてくれたことがあった。丁寧に折 せきてい り畳んだ懐紙に雑然と書かれた句は、次のような一句であっ 12 いに白けて仕舞い観衆も飽きて、最終艇の到着前にぞろりと ます。帝大や外語大の如く幾艇身も離されてしまっては、大 場合各艇が大名行列のように縦に長くなって、面白味に欠け りませんですね。大学間の力が拮抗してないと、レガッタの せん。勿論、大学選手権はあるんですが、今ひとつ盛り上が まして、慶早レガッタは第二回大会以降ずっと開かれていま 通達で開催禁止になってしまったんです。そんな経緯が有り 続出したことで、それ以降の全ての慶早戦のみが、警視庁の された野球大会の対抗戦で、観衆があまりの熱狂でけが人が ていってしまったんです。それが翌年、三田の運動場で開催 よ。第一回の慶早レガッタでは、早稲田が優勝カップを獲っ 慶應端艇部が早稲田の漕艇部を僅差で退けて勝ったんです 科大、明治、法政大学などが参加していてね、我らが母校の 物して来ての帰りに立ち寄ったんですよ。東京帝大や東京商 「私はそこの隅田川で開かれたレガッタの大学対抗戦を、見 に向けてきた。 んね。そうそう、受け皿に真四角で真っ白な砂糖が二個添え るんですよ。但し、味はただ苦いだけで旨味は特に感じませ の布地で濾してから客に出してくれるんです。手が凝ってい から熱湯を注ぐ手順なんですが、器に淹れる前にフランネル 「珈琲は乾燥生豆を煎ったものを、細かく挽いて粉状にして んでしょうかねぇ」 です。絞り汁ってのは、なんかの汁を炊き出したってことな 思ってるんですかねぇ。ところで珈琲とやらの味はどうなん すか。当代の学生さんは、何でも縮めればハイカラになると 「銀座で伯刺西爾珈琲を飲むことを縮めて銀ブラと言うんで ませんな、私としては……」 な匂いが、鼻にツンときましてね。特に銀ブラはお勧めでき ことが無い、譬えれば皮付きの筍を炭火で丸焦げにしたよう な白磁の器に少量の褐色の絞り汁。香りは淡く今まで嗅いだ のを初めて注文してみましたが、あれはいけませんよ。小さ むことを意味する学生言葉なんです。先日、私も珈琲なるも かいに出来たカフェーバウリスタの店で、伯刺西爾珈琲を嗜 銀ブラというものです。これは銀座六丁目の交詢社ビルの向 ル 帰ってしまうくらいでしてね……」 て出てきます。それは実に美味い。珈琲を一口、二口飲み干 川 ジ 「 そ れ で、 つ ま ら な く っ て こ ち ら に 遊 び に 来 た っ て 訳 で す ブ ラ か。あっしら職工風情にとって野球もレガッタなどという艇 自由律俳句 柳 してその角砂糖を前歯で少々かじるってのが、正しい作法の 定型俳句 ようですよ。皆そうしていましたので、今度ご賞味あれ。た 歌 の速さ比べなんざ、どこが好いのかさっぱり解せませんです 短 な。もっと、喰いもんなんぞの下世話な話題を聴かせてはく 詩 だ注意しなければならないことは、阿片のように中毒になっ 筆 て、毎日飲まずにはいられなくなるようなので、最も単なる 随 れませんかね……」 論 「それでは米造さんの嗜好に合わせまして、三田の義塾舎内 や 評 噂ですがね……」 は 説 児童文学 での流行り言葉を紹介しましょう。今大流行しているのが、 小 13 浜松市民文芸 58 集 しに銀ブラでもやりましょうや、いっちゃん。あっ、いっち と勿体ない気持ちでまだ未使用です。なにせ、京橋の春陽堂 う。先月の月謝を原稿用箋で受け取りましたが、恐れ多いの ていない人もいるんでしょうから、払える時でよござんしょ 「皆さん、できる限りで結構ですよ。まだ師走の給金を貰っ ゃんは行けなかったっけその脚では……御免なさい」と米造 謹製で、漱石先生が遣っている十九字詰めの山房用箋の体裁 「好い事を教えて下さった。月末に休みが貰えたら、一度試 と一が共に屈託も無く笑い合う声が、五月の川風に乗って裏 に我が拙句を、書き留める気になんぞ起こりませんよ」と一 です。上に橋口五葉画伯の龍の絵付き装丁で、そんな用箋上 長屋の狭い路地を縫うように吹き流されていった。 吟波 なものなんでしょうか。重篤だとの噂を学校で聴きましたが 「漱石山房の話題に触れましたが、漱石先生のお加減は如何 が月謝の払いを猶予する旨の内容を皆に向かって喋り始め 二 み合っていた。一に俳句の手解きを請う小梅吟社の門下生達 ……」と声を上げたのは、まだ両国中学へ通う疎石であった。 ゆく年やわれにも一人女弟子 である。彼らは殆んどが二十歳未満の歳恰好で、土曜が半ド 確かに私もその噂を耳にしていた。朝日新聞紙上での漱石 た。 ンの恩恵に授からない、向島界隈の町工場で独楽鼠のように の『道草』が、好評を得て連載を終えたのは九月末であった。 土曜の夜、富田の商う駄菓子屋の店内は、近所の若衆で混 働く若者達である。弟子の多くは互いに俳号で呼び交わして 子規門の漱石は俳号を愚陀仏と称していた。当然、ホトトギ 病む人の炬燵離れて雪見かな 愚陀仏 いた。米造の波王を筆頭に緑泉、如石、仁王丸、両国中学に 通夜僧の経の絶間やきりぎりす 同 通う医者の息子の疎石、そして一仏などである。その他にも、 「門人の皆さん、今年最後の句会に当たりますから、月謝を この頃の句を思い遣れば、漱石はリュウマチや胃潰瘍そし スを通じて虚子とは旧知の間柄であり、ホトトギスを愛読す お支払い下さい。これが集まらないといっちゃんの年越しが て極度の神経衰弱を患って、静養のため湯河原の天野屋旅館 る疎石は、漱石先生の病状が気懸かりであったに違いない。 できません。それから、現金以外での支払いはご勘弁ですか に、長の逗留をしているとのことであった。 紡績工場に住み込み女工で働く伽羅女などもいた。冒頭の句 らね。以前、帝釈天の草餅で払った人がおりましたが、大晦 「皆さん、ホトトギス第十八巻十二号は既に廻し読みが終了 はその頃富田一が詠んだ句である。 日 ま で 持 ち 堪 え ら れ ま せ ん で し た か ら。 今 回 は 是 が 非 で も していますが、その中程に原石鼎先生が、俳句入門欄を担当 きんす 番頭役の米造であった。 金子でお願いします」と支払い催促の声を掛けるのは、財務 14 生のこ登壇を仰ぎますので静粛に……」 してるのはご存知のことでありましょう。只今から原石鼎先 俳 句 は 季 題 と い う も の に 重 き を 置 い て い ま す。 俳 句 は 僅 か 「門人諸君、 俳句は花鳥諷詠の文学と呼ばれています。また、 ス十二号は大正四年最後の発売号になります。この地で購読 「ホトトギスの編集を手伝っております石鼎です。ホトトギ を余儀なくされていたのだった。 者の弟利助、その姉のまき子は棟割長屋の隣家へ、一時退避 の二人に眼を凝らしていた。この時ばかりは、一の母や聾唖 つけ腰を降ろし、石川伽羅女などは背伸びをしながら奥座敷 やんでのことであろう。門人の多くは入り口辺りに隙間を見 らしの吹く季節に火鉢が二つしか誂えられなかったことを悔 に一が箱車に正座して、心配顔を見せていた。恐らく、木枯 た。その中央には急ごしらえの林檎箱の机が置いてあり、隣 袈 裟 で、 駄 菓 子 店 の 奥 に は 四 畳 半 の 座 敷 が 在 る の み で あ っ ら、時々顔を出すようになっていたのだ。ご登壇などとは大 高く評価していて、小梅吟社の看板が軒先に掲げられた頃か 尻が不明であった。石鼎はホトトギスに投句する富田の句を 石鼎を紹介する緑泉の擦れ声が、拍手に掻き消されて言葉 を詠ったならば、描写になると思うのであります。俳句は瞬 れよりも冬枯れの野に出くわした時、咄嗟にその光景の印象 れて、それを叙するというのは多くは説明的になります。そ は難しいのです。この句のように枯尾花のある風景を頭に入 「拙句を持ち出しては敵いませんな。実際説明と描写の区別 働く熟練職工の仁王丸であった。 回答お願いします」と話しに切り込むのは、軍靴製造工場で ります。中七語は説明でしょうか、描写なのでしょうか。ご 「石鼎先生の句に、切株に虚空さまよふ枯尾花というのがあ を詠うことです。これは最悪です」 は、気取りや目撃していないものを、恰も現認したように嘘 要です。形を具えて描くことを第一の信条とします。悪いの て、描いたことにはなりません。俳句には具象なるものが必 ま し た。 説 明 句 と は 情 景 を 単 純 に 解 き 明 か し た こ と で あ っ ると言えます。先程、説明句と描写句の違いについて問われ 十七文字の短詩であり、常に季題に拠る制約された文学であ 柳 時に得た観照を描くという心掛けが大事で、この句は自然諷 川 されているのは吟波さんを除いて波王さんと疎石君、それに 自由律俳句 声風さんだけなんですよね。後の人は廻し読みで済ませてい こ じ 定型俳句 詠の好例だと我が意を強くしました」 歌 「子規居士俳句問答に、名月や裏門からも人の来るというの 短 るんですか。それでは句の上達は望めませんと思いますが、 詩 まあ、好いでしょう……」と笑いを取りながら話し出したの 筆 がありまして、他に悪い処とてなけれど、句中の『も』の一 随 字は確かに理屈を含み、この一字のため全句を殺したりと子 論 は、ホトトギス誌の投稿句欄の選者を務めている原石鼎であ 評 った。彼は、小梅吟社の例会へ無償で句作指導に来ていたの 児童文学 規先生は答えています。 『も』の用法をご教示願いますか」 説 だった。 小 15 浜松市民文芸 58 集 幼い頃に今の紡績工場主に金で買われて来たとの噂もあった く伽羅女の生まれは、福島県相馬郡飯豊村の貧農の出身で、 子規翁の判定は正解なのであります」石鼎の回答に大きく頷 理屈を含んでいるから、この句の『も』は殊更悪いのです。 って来るといった、多少理路に走った句であります。つまり 入って来ますが、足元の案内が好い事に、裏門からも人が入 「名月やの句は、月灯りで足元が明るい。当然人は表門より いでしょう。最後にゆき届いた省略が、結果として素晴らし ことが大事なのです。や、かなの併用は慎まなければならな 角、重季は尤もいけません。そして、一箇所に切れを入れる 上五、中七、下五が基本で必ず季語が入ります。無季は兎も 「句作において大切な約束事は、まず定型詩だという認識。 と挙手をしての質問は、入門間もない良太であった。 は捉えましたが、石鼎先生は如何にご解釈致しましょうや」 葉に託すという、そこはかと無く余韻を感じさせる句だと私 いて、夫々の想いを触発し一瞬の黙考の後、新たな希望を若 句がございます。この句は読み手の心の奥底に汽笛が鳴り響 が、真意を確認するような野暮は誰もしなかった。彼女は両 と甲高い声を上げて問うたのは、石川伽羅女であった。 国中学に通う疎石と同年齢の十六歳の誕生日を迎えたばかり い余韻を産むのだと考えます。先程採り上げた句で言えば、 言うのです。普段の句作では言葉の分量をわきまえ、省略を 汽笛の残響は余韻の意味するところではありません。解釈の 巧みにする。そして、奇を衒ず平易明晰が好いでしょう。ま であった。同じ門弟で有りながら、その生活環境は歴然の差 口減らしのため棄てられた児は、余程の事がない限り小学 た、軽みを織り込むことなども、気が利いているかも知れま があった。伽羅女の挙げた子規居士俳句問答集は、貸本屋で 校などへ通えるはずも無く、読み書きは子供たちが遊ぶ軍人 せ ん ね。 軽 み は 滑 稽 の こ と で は 有 り ま せ ん か ら 心 し て 下 さ 大いなる誤りです」 歌留多や神社のおみくじを見て覚えるしか無いのだ。伽羅女 い。良太君ワハハッ……」と一も指導に加担し熟論が交わさ 「余韻というものは、句に直に表れているものではありませ の脂の切れた指の節々が、しもやけで痛々しいほど赤く腫れ れていく。隅田川の夜風が吹き荒ぶ大晦日を目前にした裏長 借りて仕事の合間に素読したものに違いない。裕福な開業医 ていた。銭湯などで温まって暢気に過ごす時間帯なのに、彼 屋の、小梅吟社の句会に集う若者達の熱い討論が繰り広げら の息子である疎石の本棚には、子規全集などの本が堆く積ま 女は俳句をものにしようと、少ない給金から月謝を払ってま れる中、夜は瞬く間に更けていった。 ん。句を味わっているうちにだんだん拡がって来る味わいを でここに来て、門限を気に懸けながらも先導者に教えを乞う れていて、好きな時に掌に取って読むことができるのだ。 ているのだ。 「ハイッ、汽車音の若葉に籠る夕べかな、なるいっちゃんの 16 み彌は、平井の荒川堤防下に移転した目黄不動尊への参詣を 富田家は五人家族で棟割長屋の入り口に暮らしていた。母 た。一は夕餉の後、母の寝酒を枕元に用意するのが慣わしで で 歩 い て や ろ う と、 心 に 刻 み 付 け て い る か の よ う で も あ っ 島の長屋から往復三里の道のりである。み彌は息子一の分ま やりたい、という些細なものであった。当の不動尊までは向 ところである。母の口癖は、大儲けして皆に着物を新調して 欠かさない信心深い女であった。妹のまき子、口の利けない あった。み彌は何も言わず合掌してから、清酒が注がれた茶 三 弟の利助、末妹静子の五人暮らしの貧乏世帯であった。一の 碗を手に、チビリチビリ呑んでから床に就くのであった。そ ぎ 長兄である金太郎は家業の鰻屋を継いでいた。隅田川東岸の め この地では鰻、蕎麦、鮨屋の類がそこら八方に小店を構え、 冬の夜やいさゝか足らぬ米の銭 吟波 の時分の心情を詠ったのが前掲の句である。 うまやばし や 労働者相手の小商いをして生計を立てていた。金太郎も同様 兄金太郎の店では鰻重の並を四十銭で出していた。金太郎か 四十六銭、麦酒大瓶一本二十二銭が世間の相場であった。長 一の駄菓子商いは子供が相手で、甘納豆が入った袋物が売 大正五年は欧州での第一次大戦が激化する中、独逸軍のツ らの仕送りも無く、富田家の家計はいつも火の車であった。 道路普請の土方相手に蒲焼や酒を供していた。厩橋の対岸は ェッペリン飛行船団が、巴里上空に飛来して空爆に及んだ、 何かと面倒を見て呉れる小梅吟社の門人である亀井一仏さん れ筋であった。しかし、売れて二銭五厘の商売である。この というニュースが国民新聞の号外で報じられていた。この頃 が、母のチンチロリンの相手になって、連敗してくれて一円 時 期 の 物 価 は 三 等 米 が 一 升 五 十 銭、 清 酒 二 級 の 一 升 瓶 が の社会の雰囲気は、俄かの特需景気で沸いてはいたが蔵前の を置いていってくれるのだ。無邪気な母親は、勝った、勝っ 蔵前で漆喰で塗られた土蔵群の黒い影が、何とも異様な光景 旦那衆が厩橋を越えて、墨東にまで足を踏み入れ宴席を張る たと喜んでいるが、一仏さんが加減して一円程度の負けに持 意を素直に受け止めていた。 ことはなかった。庶民にとって景気の上向きは喜ばしいこと 吟波 に違いないのだが、それに伴う物価の上昇は、日々の暮らし 十五夜や母の薬の酒一合 っていってくれているのだった。一は有り難く一仏さんの厚 を川面に映していた。 こだな に厩橋に続く春日通りに面した処に、大和屋の看板を掲げ、 詩 を省みれば堪えるものがあった。 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 富田家の困窮はさほど珍しいことではなかった。戸主が居 随 な い 家 庭 で は、 こ の 程 度 の 貧 し さ は 当 た り 前 の こ と で あ っ 論 母み彌は雨降りの日を除いて、目黄不動尊への参詣を欠か 評 すことはなかった。物日に縁日が立つと、男衆に交じって花 児童文学 た。金太郎の開いた鰻屋は春日通りに面していて、立地の良 説 札賭博に興じる事も度々であった。勝敗はやや負けといった 小 17 浜松市民文芸 58 集 ばわりで罵倒されても、耐えることが出来たが、身売りした て手を合わせることしか出来なかった。一や利助も不具者呼 は、真実であるが故にみ彌は身体を竦め、北の方角に向かっ 反 論 も 出 来 よ う が、 娘 を 苦 界 へ 売 り 飛 ば し た と 言 う 噂 話 に どの陰口には、猟師や三味線屋の三毛猫殺しはどうなんだと を吹聴する輩がいて、客足は遠のいていった。殺生の祟りな 銭が欲しくて上州高崎の娼館へ売り飛ばした等の心無い陰口 肢萎えの躄が生まれ、弟は唖のようだ。おまけに姉二人は、 ないのだ。いつの間にか、殺生の祟りに捕り憑かれた血筋、 よそ者であり喰い物屋を商う者にとって、歓迎できる話では 町内で育って町内の氏子として神輿を担いでない者は、所詮 と言うのも、向島小梅町から同じく中之郷へ移って来ても、 ないけど、まんまの足しにやってみなさるかね。木箱は月に 職は、一箱百体入りで全部仕上げても七円の工賃にしかなら ちと呼んで業界用語のようなもんでさあ。このへち削りの内 「いっちゃん、お雛様の両脇の微妙にはみ出した部分を、へ 無い状態に加工する、単純な作業であった。 た部分を小刀とヤスリで削ぎ落とし、指の腹で撫でて段差が に鋳型を合わせた時にできるはみ出しがあり、そのはみ出し のだった。固まったおが屑で出来た雛人形の原型は、両側面 し込んで型取り、乾燥させてから木箱に入れて運ばれて来る 原型は桐のおが屑を膠で捏ね、粘土状にしたものを鋳型に流 に卸す、人形の原型の仕上げ工程の内職であった。雛人形の してくれることになった。埼玉の行田近在の雛人形製造業者 そんな折、波王こと土手米造が内職の仕事を見つけ、世話 冷酷だと感じた。 金で遊んで暮らしている、と世間から疑われている事実を知 三、四箱程度届けてくれる約束だから、くれぐれも丁寧にや さに恵まれていた。しかし、客の入りは極端に少なかった。 った時には、立ち直れない程の無念と、何もしてやれない自 っておくんなさいよ。でないと人形の金襴緞子の織り糸が引 鰻ともならである身や五月雨 っ掛かって、すぐに手抜きがばれるそうですからね」といっ 吟波 らの罪悪感に苛まれるのだった。 て、内職仕事を置いていってくれたのだった。 る。小梅吟社の月謝もそれ程宛てにはできなかった。一は店 所 詮 子 供 相 手 の 商 売 で あ る。 月 の 収 入 は 微 々 た る も の で あ 捻りおこしやたんきり飴、ベーゴマなどを並べていても、 声高に誰かを恨むでなく、かと言って陰湿さを滲ませるこ 富田の秀句である。彼の暮らし振りを知る者として、皐月の となく、今の自分の置かれた身の内を、嘆息を込めて詠った 雨に掛かるのは自身の涙か、読み手の彼の境涯への同情や愛 の奥の四畳半に座り、店番と雛人形のへち削りの内職を、日 吟波 惜の表れなのであろうか。一にとって、句作は唯一の生き甲 春風や障子の桟の人形屑埃り ち 没まで手を休めることなく必死に働いた。 へ 斐であり飯の種でもあった。それより他に生きる術はなかっ た。それを遊び呆けていると非難する世間の眼は、余りにも 18 リっとして、まるで歌舞伎の二代目左團次のようじゃないか ち 膝っ子の人形屑にぬくもる雪催ひ 同 ぇ。きっと好い人がいつか嫁いで来てくれますよ。あたしは へ この二句はこの頃の作である。店じまいの後、台所の裏の うが、棟割長屋に内風呂など望める筈もなく、かといって銭 けられないのだ。本来なら銭湯に通って温まって来るのだろ 浸けて膝から下を擦らないと、痺れと鈍痛でいつまでも寝付 肢体を温め、感覚を呼び覚ます必要があった。温かいお湯に れが癒されるのも嬉しいが、何より冷えて棒のようになった 小さな庭に盥を置いて行水を浴びるのが愉しみであった。疲 れ る の は、 こ の 世 に 唯 の 一 人 だ け だ よ。 嬉 し い 限 り だ ね ぇ 持ちますよ。この私が左團次似だなんて、お世辞を言ってく からで、まき子が剃って呉れれば、そのまま二ヶ月くらいは だね。それは散切り頭のせいかぇ。頭は散髪に行く銭がない 「おすずちゃん。市川左團次と見比べてくれるとは大層豪気 信じてるから……」 った。 迎えることができたのではないか、と想いを巡らすすずの感 美男役者の左團次に良く似ていた。五体満足ならきっと嫁も 実際、一の切れ流の涼しげな眼と鉤鼻は、当代一と名高い ……」 「いっちゃん、背中流してあげましょか」と声を掛けてくれ 縫箔の仕事は能衣装や相撲の行司装束などの凝った柄模様を しい娘であった。すずの家は縫箔の仕事を生業としていた。 が始まりと聞いているが、今は天秤棒の両端に材料を入れた ことである。かんかち団子の発祥は、両国の回向院での縁日 ある。かんかち団子とは米粉を丸め串刺しにした団子売りの 棟割長屋の三軒目の住人は、かんかち団子売りの老夫婦で 想は偽りがないものであった。 施す際に、金銀の摺り箔だけだと豪華さに欠ける為、撚らな 引き出し付きの小箱を担いで、路地を売り歩く子供、婦人相 柳 手の露天商売である。売り歩く時の呼び声が、小さな臼の端 川 い金、銀糸を摺り箔の上に刺繍を加え、華麗さを増したり光 自由律俳句 の屈折による微妙な輝きの効果を出す職人技なのである。縫 定型俳句 を杵のバチで叩く音色が、カンカチと聞こえたのが名前の由 歌 来である。団子のタレはみたらし、黄な粉、小倉、うぐいす 短 箔職もひと昔前までは小袖や前垂れの加工注文が多くあって ぬいはく 子と同い歳で富田家の用事に、いつも手を貸してくれる心優 たのは、同じ長屋の隣に暮らすすずであった。すずは妹まき ジロ観察されるのは、一にとって屈辱以外の何ものでもなか 湯通いの銭もなかった。それよりも衆目に萎びた肢体をジロ 詩 暮らしが成り立っていたが、今となっては特殊な注文依頼し 筆 餡が選択できた。天候や物日など具合が良いと、結構な日銭 随 になった為、おこぼれ頂戴の外郎売りやわらび餅屋などの出 論 かなく、一家の生活も長屋暮らしに堕ちてしまったのだ。 評 「手拭で前を隠してよ。いっちゃんの背中は真綿のようだね 児童文学 没で、昔ほどの儲けが得られ無くなっていた。 説 ぇ。お天道様に浴びてないからよ。器量だって細面で眉はキ 小 19 浜松市民文芸 58 集 沁みるとてき面に味が落ちるので、茹でてから竹を裂いて砧 いた。特に竹串作りは念入りに行った。若竹の脂分が団子に 傾向俳誌である『海紅』の、両方を購読しているとは到底思 通用しない話なのだ。ホトトギスの読者が、碧梧桐主宰の新 スでの吟波であり、ホトトギス誌を購買している読者にしか 明らかな事実だと思っていた。しかし、吟波は所詮ホトトギ も、ずっと以前から吟波を名乗っていることは、皆も承知で でしごいて串にした。毎夜二百五十本の串を準備するため、 かんかち団子の老夫婦は、翌日の仕込みを夜なべでやって 夜更けまで砧を打つ音が、隣の縫箔屋を越えて外れの富田家 われない。季を排し俳句を短詩と呼ぶ海紅派を、守旧派のホ いは遠く離れているのである。 トトギス読者が認める筈がないのである。両誌の購読者の思 の枕元までいつまでも響いていた。 この年十一月の俳誌ホトトギスに、一の句が四句掲載され た。四句同時掲載は一ひとりであった。応募俳句の季題は砧 吟波 たのだ。石鼎は「ハイ、承知しました」と批判めいた事など っていたので本人を前にして、むげに断ることができなかっ 更をあっさりと承諾した。石鼎にはこれまで随分と世話にな 一は虚子の言い分に納得した訳ではなかったが、俳号の変 同 行燈の一間へだてゝ砧哉 母と居て恨みなき身の砧哉 で、選者は原石鼎であったので私には充分納得がいった。 以上が掲載句の内のふたつである。 を一切言わず、即答する一の態度に驚きを覚えた。 し反目していたのだった。その煽りを受けて、虚子は一の俳 を重んずる守旧派の虚子は、互いの俳誌で非難応酬を繰り返 る。自由律俳句を提唱する碧梧桐に対して、伝統的五七五調 東碧梧桐傘下の俳人に、吟波を名乗る者がいると言うのであ りに名が通った吟波であった。しかし、他人からの指摘で河 変わっていた。高浜虚子配下の俳誌ホトトギスでは、それな 大正十年冬、この頃、既に富田一の俳号は吟波から木歩に を知りまして、これだと想いましたよ。私の萎えた脚に義足 元して社会復帰を促す、義肢製作の弘済会事業ができたこと 露戦争の負傷者十五万人余の為に、失くした身体の一部を復 「ハイ、木歩に決めました。近頃読んだ新聞記事に、先の日 えで……」 「それは好都合でしたな。で、俳号の方は幾つか候補をお考 うと考えていましたので、丁度好い機会だと思いまして」 私の周りから総てが消え去った今、ここらで心機一転を図ろ 「私もいつまでも吟波のままで好いとは思ってないのです。 「で、次の俳号は考えているのかね」 号に文句を付けてきた。石鼎を通してホトトギスへの掲載を が装着できればと、 叶わぬ夢を描きましたんですよ。だから、 もっぽ 拒む考えを伝えてきた。有り体に謂えば圧力を掛けてきたの 四 だった。一は自分の方が碧梧桐の門人である新井吟波氏より 20 私の俳号は木の代用脚で歩むことを意味した、木歩に決めま 鱇の肝を食してみたいなどと無茶な想像をする訳なんです。 ど消え入りそうな弱い声で、義肢があれば、図書館を一度見 一の恥ずかしそうに話す終わりの言葉は、聞き取れないほ 最も義肢が手に入ればの話ですけれどね……」 てみたいと言う、彼の素朴な願いに私は胸を詰まらせた。 虚子が吟波の俳号を嫌っているとの噂を耳にした私は、一 した。虚子翁にお伝え願います」 に俳号を替える必要が無いことを進言したのだったが、その 波は句作のみならず俳論もこなす若手作家として、全国へそ 一が十七歳の秋のことであった。初掲載から七年が経ち、吟 この句は紛れもなく虚子によって選ばれた入選句であり、 水道の工事の溝や桐一葉 は、隣の縫箔屋の娘すずに誘われて、玉の井の新松葉という 富 田 家 で 出 し た た め、 そ の 後 幾 日 も 経 た ず に 一 の 妹 ま き 子 浅瀬に、波王の遺体が上がった。身寄りの無い波王の葬式は が、流れに呑み込まれたと言うのだ。三日後に小松島辺りの の証言から、利助が深みに嵌まって彼を助けようとした波王 弟利助と隅田川に水遊びに行って溺死した。目撃した子供達 遡れば大正六年の夏に小梅吟社の門人である波王は、一の の名を馳せていたのだった。 少年吟波 「声風さん、私が立って歩むことができたなら、亀戸から総 料亭へ、半玉として楼上したのだった。すずもまき子も家計 利助が逝った翌月、半玉の身で奉公に出たまき子の初の宿 を 助 け る た め の 身 売 り で あ っ た。 そ の 後 幾 日 も 経 た な い 間 下がりが許可されて、一の棟割長屋に戻って来た。久し振り 武線に乗って万世橋駅まで行きたいと想うのです。万世橋駅 線に乗り換えて音羽町の講談社へ行って、徳富蘇峰社主のご の一家の食卓には、蓮根と糸蒟蒻の煮物や茄子のそぼろ和え は東京駅と同じ赤煉瓦の、辰野金吾設計技師による建築だと 招待を受けることだって出来るんです。毎度、お断りの電報 を盛った皿が並び、母み彌は一合の酒を傍らに置いて上機嫌 に、弟利助が溺れた時に呑んだ水から、肺気腫を患い鮮血を を打ち返すのは大儀ですからね。帰りに駿河台に出来たばか であった。しかし、まき子は馴れない仕事のせいか、いたく 吐きながら死んでいった。まだ十八歳の若さであった。 りの文化学院へ立ち寄って、与謝野晶子教授の公開授業を聴 言うじゃないですか。あの駅には運搬用の昇降機が設置され 講してみたいと思います。私は学校という処を知りませんの 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 居眠りもせよせよ妹の夜寒顔 木歩 やつれていた。食事もそこそこに、床に就くまき子を見遣り 評 柳 ながら、一は句をしたためた。 児童文学 川 で、晶子女史の歌論などの講義を拝聴したいのです。また、 ていて、高台の停車場へ出られるんですよ。さすれば、中央 トギス誌の初掲載は大正三年であった。 時は黙って考え事をしている様子であった。少年吟波でホト 詩 学校の図書館なるものも一度で良いから見学したいのです。 説 そして、帰路は坂を下って神田須田町のいせ源で、有名な鮟 小 21 浜松市民文芸 58 集 た忌み嫌う家系に、どんな嫁が飛び込んで来るというのだ。 一は自分の将来を暗澹たる気持ちで、諦めるしか他は無いと 「この子にも苦労させてしまった。新橋、神楽坂あたりの芸 者やったら、酌で済むところなんだろうけど、玉の井辺りの しない。どうしたら好いのかしら。いっちゃん……」 いけど、湯を沸かす薪が絶えてるよ。間が悪いったらありゃ 「目覚めたら、盥に湯を張ってこの子の身体を拭いてやりた と言って、一は唇を噛み締めた。 の子にやってあげられる事は、何ひとつ無いんだよ」 苦界から逃れる唯一の光なんだ。おっかさん、おい等達がこ 上、この先は金持ちの旦那に惹かれて妾宅に囲われるのが、 「身売りしたからには、どんなに畜生扱いをされても承知の 彌に対して、いつに無くぞんざいな物言いで嗜めた。 と心配顔でみ彌がまき子の寝顔を覗き込んでいた。一は母み しまうよ。早よう早ように……」 てくださいな。さもないとこの娘は、利助に呼ばれて逝って 「おっかさん。一仏さんに分けて貰った薬湯を飲ませて上げ 慟哭した。 き子の血の気が引き、透き通るような頬に掌をかざし、一は で帰されたのだ。利助の四十九日の回向を前に、病臥するま つされ、胸を病んで倒れ、回復の見込みがおぼつか無いこと たまき子が、再び長屋へ戻ってきた。妓楼の客から結核をう その当時の雰囲気を詠った句である。その後、激痩せをし 泣きたさをふと歌ひけり秋の暮 同 人に秘めて木の足焚きね暮るゝ秋 同 拘杞茂る中よ木歩の残り居る 木歩 こ この時に悟ったのだ。 「おっかさん、裏庭に出て垣根の下を見てごらん。くこの根 く 料亭ではそうも言っとられんだろうね……」 元の草むらに木を削って義足を造ろうと買ってきた木材があ 「いっちゃん、いいのかえ。この薪は肢の形に削ってあるよ。 「おっかさん。もう施しようもない。せめて御詠歌を枕元で 弱々しく、薬湯は口角から滴り落ちるばかりであった。 も う と し た 一 で あ る が、 ま き 子 に は 嚥 下 す る 咽 喉 の 筋 力 も 薬湯を入れた茶碗をまき子の口元に当て、少しずつ流し込 本当に燃やしてかまやぁしないのかい」 るから、それを燃やして湯を沸かしておくれでないかぇ」 と母み彌が訝って聞いてきた。 母み彌と一の念仏が薄暗い四畳半の座敷に、み彌が振る鈴 唱えて下さいな。おっかさんの唱詠で、この子の苦しみを少 の音と伴に重く哀しげに、そしていつまでも止むことなく響 しでも楽にして上げてくれませんか。南無阿弥陀仏……」 だ。女は幸福になることを信じて嫁いで来るのだろう。この いていた。 一にはもう不要の木材であった。たとえ仮の脚でもあれば、 ような困窮している家庭に、こんな甲斐性のない男の元に、 嫁の来てがあるとの淡い夢は、とうの昔に棄て去っていたの しかも不具者の世話をするために、殺生の祟りに獲り憑かれ 22 体調を崩していたが句作の方は精力的に行なっていた。しか く遊びに出かけた。一人暮らしの一は食事も満足に摂れず、 長町の凸版印刷へ就職した。会社勤めの傍ら、一の処へはよ 死期近しと夕な愁ひぬ鳳仙花 し、 木 歩 作 の 俳 句 は 雑 誌 に 数 多 く 掲 載 さ れ る こ と は あ っ た 木歩 庭に鳳仙花の紅い花が咲き乱れている。植えた覚えが無い が、生活の方は相変わらず一般水準を下まわる困窮振りであ かそけくも咽喉鳴る妹よ鳳仙花 ので、昨年弾けた種子が手入れを施さない庭で花咲いたのだ 木歩 ろう。一はまき子が鳳仙花の花で、爪を紅く染めて遊んでい 実るとの言い伝えがあるからだ。そのまき子も二ヶ月程の病 れ、初雪の降る日まで爪を染めた色が残っていると、初恋が 川春草の俳諧雑誌、楠部南崖の初蝉などから俳句以外にも随 た。幸い木歩句集は評判になり、浅井意外主宰の山鳩や長谷 宰 す る 俳 誌 曲 水 に、 木 歩 句 集 を 掲 載 し て 呉 れ る よ う 懇 願 し 私は一の生活を支援するために、知り合いの渡辺水巴が主 った。 臥であっけなく、波王の元へ逝ってしまったのだ。今から三 筆や俳論などの原稿依頼が、次々と舞い込むようになって、 新進の俳人としての名声が、全国に知れ渡るようになってい 詠句が、若い女性特有の感性に溢れ、特に野花に託す優しい させ、北十間側に逆流したため、一などが暮らす川沿いの長 が北東に進路を定め、関東を直撃した。豪雨が隅田川を氾濫 その年の夏は猛暑であった。鵠沼海岸に上陸した大型台風 った。 心情を詠う句に、好感を抱いていたのだった。しかし、彼女 屋一帯は、床下浸水の被害にあった。この時の濁流で、一は 業医院に運ぶことも出来ず、半身を震わせながら四畳半の座 母み彌もこの年の秋の訪れと共に脳梗塞で倒れ、近所の開 引いた後に伝染病予防の理由で、保健所の吏員が散布した石 大切に使っていた躄用の箱車を流出させてしまった。泥水が 失くし、厠へ用足しに行くにも、廊下を這いつくばって移動 車を探し出すことは遂にできなかった。それ以降の一は肢を 灰が、厠や板塀のあちこちにまだ固まって残っていたが、躄 いざり の句は二度と句会で読み上げられることは無かった。 看取る者が居ない部屋で逝ってしまった。一は彼女の身辺雑 小梅吟社の門人である石川伽羅女も、貧しさの中で病に倒れ 不幸は次から次へとやってくる。昨年には紡績工場で働く 年前の夏の盛りのことであった。 の指を開いて見せていた光景を。鳳仙花は別名爪紅とも言わ つまべに たのを想い出していた。まき子が想いを寄せる波王に、両手 詩 敷で、一の手を握り締めたまま死んでいった。 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 す る し か 手 段 が な か っ た。 ま し て 野 菜 な ど の 日 用 品 の 購 入 五 評 大正十二年春、私は慶應義塾大学を卒業した。八年の在籍 児童文学 は、御用聞きと往来の物売りに頼るしか当てがなくなった。 説 であった。そして、東京市議を務める父の薦めで、下谷区二 小 23 浜松市民文芸 58 集 富田家の炊事場のかまどは、まだ充分に使用できる状態で あったが、鍋釜を持って立ち上がることが出来ない一には、 の辺もまもなく類焼の恐れがあるんで、あっしらはこれっき て、すぐさま引き返して行ってしまった。棟割長屋は幸にも ち団子屋の夫婦は荷物を束ねて向島百花園へ逃れると言っ 一は大地震という言葉を聞いて、声が出なかった。かんか りで……」 事の支度は、七輪コンロに鉄鍋を載せて、土間で煮炊きをす かまどを遣うことが出来なかった。母が亡くなってからの炊 るようになっていた。 兎に角、一は大地震から逃れ、僅かな擦過傷だけで運良く 倒壊の被害を免れた。瓦では無く板葺きの屋根で軽かったせ こうして生き延びている。鳳仙花の咲く裏庭の草叢の中で、 いなのかも知れない。四軒に区切った壁が建物を支えたのか 一尺程宙に浮いたのだった。大きな縦揺れが一を土間に叩き ひとり息をしている事が不思議でならなかった。表通りの遠 大正十二年、九月一日の正午間近かに、一は普段のように、 付けた。一は一屯爆弾が近所で爆発したのだと直感した。し くでサイレンの音がけたたましく鳴り響いている。頭上には も知れない。 かし、 その後も縦揺れは続き、七輪も土間の端まで転がって、 正午を過ぎたばかりの日輪が、砂塵の漂う中で眩しい光を放 七輪コンロの豆炭に火をつけて、火吹き竹で大きく息を吹き 赤く火の付いた豆炭が四方に飛び散った。豆炭は畳んで置い っている。一は瞼を閉じた。光が遮られた暗闇に、懐かしい 込んでいる最中であった。突然ドドーンと地鳴りがして床が た晒し木綿の上や、倒壊した障子戸に載っかり炎を着火して 顔が次々に浮かんで、また弾けるように消えていった。皆の つけて来てくれた。一の両腕を抱え込むようにして、裏庭の た。暫らくして、長屋のかんかち団子屋の夫婦が助けに駆け った俳句を無意識の内に呟いていた。 った人々を想い浮かべていたのだ。そして、彼はその頃に作 顔が一を見詰め微笑んでいる。一は自分の周りから、消え去 ほふく たが、続く横揺れで土間を何度も転げ廻っているだけであっ いった。一は肘を使って匍匐前進のようにして逃げようとし 垣根に背をもたれさせ、ゴザを敷いて坐らせてくれた。 弾薬保管廠で、爆弾でも破裂させたんですかねぇ。こんなは 「団子屋のおじさん、恩にきますよ。この騒動は陸軍の本所 身売りして、結核に罹患し喀血しながら死んでいったまき 夢に見れば死もなつかしや冬木風 同 穂架かげに唖ん坊と二人遊びけり 同 面影の囚はれ人に似て寒し 木歩 おし た迷惑な大騒ぎを起して、けしからんと思いませんか」 子、聾唖者で生涯言葉を持たず、 川で溺れた後の養生が悪く、 とら 「いっちゃん、何を寝呆けた事を言ってるんでさぁ。これは 呆気なく死んでしまった弟利助、脳梗塞で逝った酒好きの母 さ 大地震に決まってまさぁね。あちこちで建物が潰れていて、 ほ ほら、向こうに見える瓦斯タンクも火を噴いているから、こ 24 「声風さん、助けに来て下さいましたか。有り難い。何なら、 あ、急いで私の背中に背負われて下さいな。早く……」 台へ避難しましょう。火の手がすぐそこまで迫っている。さ 「いっちゃん、やっと見つけましたよ。ここは危ないから高 かしい顔が闇に浮かんで消えていった。 女など。そして、銀ブラをしたいと言っていた波王など、懐 み彌、誰にも看取られずに死んでいった紡績女工の俳人伽羅 祈ります」 から、心配ご無用。さあ、行って下さいな。神仏のご加護を よ。なに、生の樹木まで燃え尽きることなど考えられません ておくれ。後で声風さんが私を見つけ易いように、後生です び込みなさい。それから、私をこの大柳の幹に兵児帯で縛っ 「声風さん、おいらは泳げないんです。私に構わず大川へ飛 よう……」 う岸まで泳ぎ着くしか手は無いと思う。いっちゃん、決断し 私は一の着物の兵児帯を解いて、背中に彼を括り付けた。 いに固く手を握り合い、私は大川に飛び込んだ。川の中程ま を土手の上に聳える柳の大樹の幹に括りつけ、詫びながら互 ない女子供や老人達が、悲痛な表情で立ち尽くしていた。一 男衆が次々に隅田川に飛び込んでゆく。墨堤の上には泳げ 墨堤の柳の樹の根元まで運んで下さいな。あそこなら高台で 吾妻橋を渡って浅草寺の境内に逃れれば助かると安易に思っ 安心できますから、難儀でしょうがお願いしますよ」 た。 一は脚萎えの体躯で有りながら、上半身は骨太であった。 およそ半刻を過ぎた頃に、トラス橋の鉄橋が見えてきた。 で泳いだところで後ろを振り返ると、一が両手を伸ばし、私 厩橋であった。川の流れに抗しながら、咄嗟に橋脚にしがみ に向かって左右に振り続けている様子が眼に入った。 家財道具を満載にした大八車を避けながら、吾妻橋を目差し 体重は十四貫とのことで、私は腰を折り曲げて駆けた。自分 た。吾妻橋畔の大日本麦酒会社の工場群が全壊して、猛炎を 付いて、消防団員の救助で一命を助けられた。私は岸に這い 上がり、憩むことなく隅田川の西岸を、北の吾妻橋方面に向 柳 かって走り出した。対岸の大柳の樹を目差して一目散に駆け 川 やっとの思いで、私たち二人は隅田川の土手の上まで登る 自由律俳句 ことができた。その時、眼にしたのは一の住む棟割長屋が、 定型俳句 た。暫らくして、墨堤側の大柳が隅田川の波間に見えてきた。 歌 その瞬間、熱風が炎とともに大柳を呑み込んだ。大樹の根元 短 燃えている光景であった。背後からは麦酒工場からの黒煙と 噴いていて吾妻橋に近づくことが出来なかった。 とほぼ同じ体重を背負って、よろけながら逃げ惑う人々や、 詩 炎が迫ってきていた。私は三方から火の手が迫っていること 筆 に坐っている白い絣を着た人影らしきものが目撃された。白 随 い人影は一瞬立ち上がったかのようにも窺えた。そして、辺 論 を悟った。火の粉が降り注いで熱風が吹き寄せてきた。墨堤 評 下の民家が燃え始め、火勢が増してきた。 児童文学 り一面が炎の海と化していった。 説 「いっちゃん、もう駄目だ。この期は大川に身を投げて、向 小 25 浜松市民文芸 58 集 ことだろう。粗末な墓石の傍らに、金木犀が小さな花を咲か いる。一も家族の元に帰ることができて、団欒を喜んでいる 富田家の墓には、利助、まき子、そして最愛の母が眠って なく、神奈川や千葉、埼玉などで九万一千人の人命を奪い、 関東地方を襲った九月一日のこの大地震は東京市ばかりで 全壊や焼失家屋は四十六万五千戸に及んだ。東京市は震災直 せ、周囲にふくよかな香りが漂っていた。頭上には抜けるよ (終) うな蒼い澄んだ空が、 何も無かったかのように広がっていた。 (南区) 後から三日間に及ぶ延焼で、市の半分強の町並みが焦土と化 貧しさと身体的な障害を持ち、震災で焼死した俳人富田木 した。 歩は、その後境涯の人と呼ばれ、彼の特異な才能を惜しむ声 が、全国から寄せられた。しかし、所詮彼の不遇な生涯への 憐憫であり、青春俳句への賛辞であることが多く、木歩の俳 句の本質からは、遠く隔たった解釈のものが多かった。 木歩の亡骸は、小松川の最勝寺に葬むられた。彼の戒名は、 震外木歩信士という簡単なものであった。その時、富田一は 二十六歳の短い生涯を、荒れ狂う業火の中で終わったのであ そ の 夜、 私 は 焼 け 残 っ た 浅 草 の 飲 食 街 で 泥 鰌 鍋 を 前 に し った。 小梅吟社での一との出会いや、若い門人達に囲まれて、笑 て、ひとりで冷や酒をあおっていた。 いながらの何気ない会話を想い出しながら、一人声をあげて 泣き続けた。私と同じ年に生まれながら、彼は一度も銀座の 街 角 に 立 つ 事 も 無 け れ ば、 鉄 道 に 乗 る 事 す ら も 叶 わ な か っ た。図書館を観たいと言う、小さな夢も果たせなかった。し かし、木歩の俳句は歳の割には成熟した潔よさを秘め、慎ま しいばかりの身辺雑詠は、若く精気に満ち溢れているものば かりであった。 26 小 説 [市民文芸賞] 震える かおり 花織は「マンモス交番」の前を急ぎ足で通り過ぎようとし た。 〝早くマンションに帰らなければ〟 深夜勤の日は、その文句を呪文のように唱えて病院から帰 西山俊太郎 交番」の前を、今きた方とは逆向きに通り過ぎなければなら ない。 花織は「マンモス交番」の入口を横目でちらっと見やった。 玄関前で両手を後ろに組んだお巡りさんが仁王立ちしてい 高い分、おじさんは見下された格好になっている。お巡りさ りさんに向けて何事か一生懸命話し込んでいる。玄関が一段 た。おじさんが一人、お巡りさんと向かい合っていた。お巡 看護師になり、上京してから七年が経つ。その間ずっと三 ってくる。 交代勤務を続けている。日勤・深夜勤務。昼間の勤務を終え んの表情は交番内の灯を背にしていたのでやや影になってい 説 だった。 分後にはナースステーションにいなくてはな 児童文学 評 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 分厚い黒いコートは暑苦しく見えた。もっとも、おじさんた 九月に入り、朝晩涼しくなってきたとはいえ、おじさんの びていた。 いコートを着ていた。髪は白髪の混じった縮れ毛が肩まで伸 花織に背を向けたおじさんの背中は大きかった。黒い分厚 た。 なみだばし だった。地下鉄 たあと、夜中から再び勤務が始まる。日勤後、束の間の休息 詩 を求めて一心不乱に家路をめざす。 花織が勤務を終え、病院を出たのは 三時間二十 のコンビニのレジ前の掛け時計は に乗り、南千住駅で降り、マンションに向かった。「 泪橋」 20 : 10 21 : 05 らない。少なくとも二時間四十分後には再びこの「マンモス 小 3 27 五 浜松市民文芸 58 集 3 ちは年中同じ服を着こんでいるので、八月の最も暑い時期に 「ようは場所。おるところにおるし、おらんところにはおら 見上げていなかった。顔の位置はまっすぐだった。 一人喋るおじさんは、一段高いところにいるお巡りさんを ん」 「まあ、なんでも釣れるだらぁ」 おじさんの右側には大きめのスーツケースが縦に置かれて 見るよりは幾分ましだった。 いた。両手を肩付近まで上げ、身振りを交えながら話してい そんな会話が、花織の背中越しに聞こえた。花織はそのま おじさんは一人で会話を完結させた。 た。 「空から出ただ。大物を釣ってこいって。釣らんと地球が攻 振り返った。 「おねえちゃん」と突然、 呼びかけられ花織はドキリとした。 ま通り過ぎようとした。 撃されっから、いそいどるんじゃ」 〝やっぱり宇宙との交信か〟 聞こえてきた会話から花織はすぐにおじさんに対するイメ ージが浮かんだ。 こちらを向いたお巡りさんの顔は、ニコニコとしていた。 おじさんは花織に背中を向けたままだった。 「宇宙との交信」は、統合失調症特有の症状らしい。この 七年間、路上で何人もこの宇宙からの司令を受けているおじ 3 「すいません」と、お巡りさんは言いながら、おじさんの肩 3 さんを見かけた。実際、花織も二、三回声を掛けられたこと をポンポンとたたいていた。 が見える位置に体を向けていた。どう見てもこちらを見てい はないのだが、その割合は高かった。宇宙からの交信はいつ るふうではなかった。 おじさんは花織とお巡りさんの間でどちらから見ても側面 があった。おじさんたちの皆がこの統合失調症というわけで ものことだけれど、宇宙人から「釣り」の指令が出ているの てきた。 た右拳を小刻みに震わせていた。やや慎重に右手を持ち上げ おじさんは左手を腹付近に固定したまま、前方に差し出し 「きたっ」短く言葉を発した。 すぐに両腕をおろした。二〜三秒の間があった。 た。そして、そのまま素早く剣道の「面」を打つようにまっ 花織の視線に構わずおじさんは両手を大きく振りかぶっ を聞いたのは初めてだった。 「餌は何にするだ」 お巡りさんは、どんな餌が良いのか分からないのか、聞く ことに徹しているのか、うんうんとうなずくだけだった。 「イソメかイシゴカイか。針はどうする? 大物だから、や お巡りさんは釣りをやったことがないのか、無言だった。 っぱり、大きいのを使うだ」 28 「ずいぶん震えていたけれど、何が釣れたの?」 を 持 ち、 右 手 に 釣 り 糸? お巡りさんが初めておじさんにたずねた。 「大物だら」 お じ さ ん は 左 手 に 竿? ーで、体が冷えてしまった。 花織はパジャマに着替え、寝床に潜った。置時計を手元に だ っ た。 コ ン ビ ニ で 時 計 を 見 て 右手と左手の人差し指を広げて二十〜三十センチの間隔を うのをやめた。病棟の医師にこっそり処方してもらった睡眠 るかが勝負だ。睡眠剤を飲もうか迷ったが、やはり今日は使 応満足した。家にいられるのは、残り二時間。どれだけ眠れ から二十五分でここまでたどり着いた。花織はそのことに一 寄せ時間を確認した。 作った。どうやらその大きさの魚が釣れたらしい。そこでよ 剤は、自分で調整して半量にしている。睡眠剤を飲むとまる を持 うやくおじさんは花織の方に向いた。満面の笑顔だった。釣 で暗示にかかったようにすっと眠りに入り込むことができ ち、目の前に魚がぶら下がっているような仕草をした。 り上げた魚がどんな魚なのか、もちろん花織には見えなかっ た。しかし、その分深く眠り込んでしまう。だから、使うの は眠れる時間が三時間以上ある時と決めていた。 薄い掛け布団をかぶり、えびのように丸くなった。左右に 寝返りを打った。 机の上にコンビニで買ってきたミニカツ丼弁当を広げた。コ っと食事にきのこ類を増やしてもらえるように頼めないかし 「テレビでがんにはきのこがいいって聞いたのだけれど、も た。 昼間の勤務のことが思い浮かんだ。患者への説明に詰まっ ンビニでいつも買うスープ類は時間の節約のため省いた。卵 ワーの蛇口をひねって、浴室を蒸気で満たした。手早く泡立 「……、テレビのことはあてになりません。今は病院の治療 がんの民間療法については患者から度々質問を受けた。 ら……」 てた石鹸で体を洗った。髪は洗わなかった。十秒ほど体にシ 児童文学 評 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 ど、真偽はわからない。中には自分が知らないだけで最近で 膨大にある民間療法の情報。きっと本当のこともあるけれ に集中しましょう」 胃を休めるまもなく浴室に向かった。衣服を脱ぐ前にシャ でとじられたカツとご飯を胃の中に一気にかき込んだ。 花織は家の中に入ると、急いで手を洗い、うがいをした。 る余裕はなかった。 は何故か少しだけうずいた。その時、花織にその理由を考え 釣り上げられた見えない魚とおじさんを見ながら花織の心 た。 詩 ャワーを浴びていたが、時間がもったいないと思い、蛇口を 止めた。脱衣場にでた。タオルを取ろうと棚に手を伸ばした 説 瞬間、ブルっと震えた。カラスの行水並みのスピードシャワ 小 29 21 : 30 浜松市民文芸 58 集 ないはず。大したことじゃない、と自分に言い聞かせたけれ た。きのこを食べる食べないで状況が大きく変わるわけでは わ け が な い。 も っ と も ら し い 理 屈 を つ け て 自 分 を 納 得 さ せ 護師が信じなかったら、患者さんが信じて治療に専念できる 病院の看護師、病院の治療を信じることが看護師の役目。看 「いいかげんにしてください。あなたのせいで病棟をやめた バコを吸っているカワセを見下ろして花織は言った。 いた。腹が立った勢いのままにカワセのところに行った。タ と、地下の喫煙所でタバコを吸っていることを花織は知って た土台になっていたのかもしれない。カワセは仕事が終わる と一緒に働いていて、カワセの言動の何かが花織を爆発させ 同じ勤務だったこともあったかもしれない。あの日、カワセ も、その時は無性に腹が立った。たまたまその日、カワセと ど、患者さんにとっては藁をもつかむような情報かもしれな は当たり前の情報で常識もあるのだろう。それでも、自分は かった。簡単に否定しても良かったのか。もっと話を聞いた 人が何人もいる」 同期の子たちとも仲良くやっていた。何の問題もないと思っ 結局Kは他の病棟に異動になった。改善されたことは何も無 は花織になったらしかった。それが二ヶ月前のことだった。 んでくるようになった。どうやらカワセの新たなターゲット それからカワセはネチネチと花織のアラを探しては突っ込 て、そのまま去っていった。 カ ワ セ は 吸 っ て い た タ バ コ を 吸 殻 入 れ に 叩 き つ け た。 そ し 「いきなり何のこと! それが年上の人間に言う言葉なの」 カワセはキッと花織を数秒睨んだ。 ほうがよかったのではないか。わからないことは簡単に否定 するべきではなかったのでは。詰まるところ日頃の自分の勉 強不足の言い訳をしているだけなのでは。神経が高ぶってく る。眠れない。 目をつぶる。新人のKのことが思い浮かんできた。四月に ていた。ある日の日勤後、ナースステーションの片隅で師長 入職してきてから明るくやっていた。無難に何でもこなし、 とKが面談をしていた。花織は一人中央のテーブルで退院サ かった。花織自身にストレスが溜まる要因が増えただけにな 看護学校時代の同窓会の案内状が来ていた。花織は看護学 った。出口のない思考が巡っていく。 校を出ると、上京した。理由はただ家を出たかっただけだっ マリーを書いていた。「辞めたい」と「カワセ」の名前が何 りで有名だった。カワセは花織よりも七つ歳が上だった。カ 回か聞こえた。花織はすぐにピンときた。カワセは同僚いび ワセは病棟のぬし的な存在の一人だった。花織はカワセの大 た。家を出るのに適当な距離だった東京の病院を選んだ。 三年は時々連絡を取っていたが、今ではすっかり連絡が途絶 看護学校では二、三人仲の良い友人がいた。卒業から二〜 人げない態度に頭にきた。カワセのいびりで同僚が二人辞め 花 織 は 特 に K の こ と を 思 っ た わ け で は な か っ た。 け れ ど ていた。 30 いう気力が湧いてこない。返信用のハガキに何と書いて断ろ えていた。休みを取って、新幹線に乗り、同窓会に行こうと 体がとても動きそうにない。もう五分だけと思って、目覚ま う? 先 ほ ど 眠 り に 入 っ た ば か り の は ず。 ど れ だ け 眠 れ た の だ ろ を指していた。 っている。中から「ジージージー」という音が聞こえている。 けの方に目をやった。二十センチ四方の蒼い手提げ鞄が掛か ていたことだけは直感的に感じた。枕元のスタンド型の鞄掛 頭はボォーとして整理ができなかったが、出勤時間を過ぎ 〝やってしまった〟 0 凝らして目覚まし時計の時計板を見た。長針と短針の位置が 花織は目覚まし時計の音でないことに気づき始めた。目を ても音が鳴り止まなかった。何回か繰り返した。 時計に手をかけ、アラーム解除ボタン押した。二度三度押し 再び「ジージージー〜ン」と鳴り出した。花織は目覚まし 気持ち悪いほど眠い。頭と内臓がモヤモヤしている。 うか。案内状の幹事役の同級生の顔から次々と学生時代の思 し時計を握ったまま花織は目を閉じた。 やめよう明日考えよう。ダメだ、眠れない。 い出が蘇ってくる。もう誰ともつながっていない。断るしか ない? 目を開けるごとに何度も時計を引き寄せて残り時間を確認 した。 時計をおいて、もう一度〝何も考えない〟からスタートす 。布団に潜ってから一時間十分も経っていた。時間 るが、徐々に脳の中に記憶が侵入してくる。 が刻一刻と減っていくごとに焦った。少しでも眠らなければ もたない。〝眠らなければ〟が強迫観念のように迫ってくる。 心身の疲れがどこかで交わったのか、やっとうつらうつら 目を閉じ、〝何も考えない〟を繰り返した。 としてきた。 がバクバクしているのを感じる。まるで胸の皮が薄皮一枚に 花織はゆっくりと右手をついて体を起こそうとした。心臓 鞄の中で携帯電話が震えていた。病院からの電話だ。 なったようだ。こんな中途半端な時間に無理矢理起こされて 「ジリジリジリ〜ン」 花織は反射的に右手を目覚まし時計の方に伸ばした。時計 もついていっていない。 の上部にあるアラーム解除ボタンを勢いよくたたいた。音が らしいこ 心臓が悲鳴をあげていた。頭は起きかけているが、体も心臓 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 片手を付きながら、枕元にある電気スタンドボタンを押し 評 た。足元を確認しながら、膝を付いた。頭がクラクラする。 児童文学 とがわかった。今の状況について頭が整理しようとする。カ 説 ーテンのしまった窓から灯は入らず真っ暗だ。そうか、深夜 には焦点が合わない。目を凝らす。ようやく いったん鳴り止んだ。時計の針を確認しようとするが、すぐ 詩 : 40 血液が頭の方まで上っていかない。それでもかばん掛けに必 23 : 30 勤だった。確かいまから出勤だった。頭の中が整理できない。 小 31 22 : 40 浜松市民文芸 58 集 死に手を伸ばそうとした。手がしびれていて、自分の手では 鞄の中から携帯を取り出そうとした。携帯はもう震えてい ないような感覚だった。 三丸病院」とあった。 なかった。携帯を開いた。 「着信履歴一件 ああ、 それと帽子を持っていこう。帽子があれば、帰宅時、 顔色を隠せる。花織はハンチング型のつばのやや長いのを持 っていくことに決めた。 何かお腹に入れようかどうか迷った。勤務途中、何もお腹 に取れないと血糖値がだんだん下がっていくのを感じるの ちに花織は切り出した。 「はい、三丸病院、Aフロア……」相手が言い終わらないう う。扉を開けた。肌寒かった。 ず、菓子パンを手提げ鞄に入れた。気持ち早足で玄関に向か コンビニで一つ買ってきていた。時間がないので、とりあえ しくて休憩が取れないときもあった。菓子パンを「泪橋」の だ。休憩時間にパンを一個かきこめるか。けれども、いそが 「すいません。新村です。今起きました。すぐに行きます」 そのまま返信ボタンを押した。 相手の応答も待たず、電源を切った。 た。雲がかかっているわけでもないのに東京の空は靄がかか っていた。空を見上げると薄い夜空の中に一つ二つ星が見え 昼間の九月は残暑が厳しかったが、真夜中は秋の気配が漂 ノロノロとパジャマから薄手のシャツに着替える。ジーパ って見えた。花織は扉を閉めかけた。ふと、トイレに行って そのまま十字ボタンを操作し、もう一件電話をかけた。 ンにはきかえ、薄いカーディガンを羽織った。気持ちは一応 洗面台の鏡の前。花織は化粧をしようか迷った。元々普段 焦っていったが、動きは緩慢だった。 玄関脇にあるトイレに入り、便座に座った。 〝チョロチョ おこうと思った。 ロ〟と少ししか出なかった。それでも仕事に入ればいつ行け から化粧というほどのことはしなかった。ファンデーション を塗って、眉を引き、リップを塗って三分といった具合だ。 るかわからない。行けるときに行っておくのがベストだ。 快 な 思 い を さ せ る。 二 本 あ る う ち の 薄 い リ ッ プ を 手 に と っ ろう。せめて、リップだけ。唇の色が悪いと患者さんにも不 ないでは勤務後、朝の光に当たった自分を見て愕然とするだ た。 台とまっていた。電話をかけてから数分しか経っていなかっ 左側に入った。スーパーマーケットの前に既にタクシーが一 さんはいなくなっていた。そのまま交番を通り過ぎ、路地を 手に「マンモス交番」の灯りが煌々とついていた。もうおじ マンションの一階に下りた。玄関を左手に出ると、すぐ左 遅刻したのに少しでも化粧をしているのを同僚に気が付かれ た。唇にあて、一回、二回と往復させた。ほとんど唇と同じ れば、良くは思われないだろう。だからといって全く何もし 自然の色だ。これならまぁいいかと自分に言い聞かせた。 32 た。後部座席に滑り込んだ。「電話した新村です。三丸病院 窓 ガ ラ ス 越 し に 運 転 席 を の ぞ き 込 む と、 後 部 座 席 が 開 い きない。口の中にべと付きうまく飲み込めない。それでも口 ない振りをした。もっちりとしていた。うまく噛むことがで 運転手がミラー越しにちらちらと様子を伺っている。気づか かった。三丸病院に就職が決まって、秋葉原に近く、電車で 谷」の標識は出ていない。花織のマンションは南千住駅に近 年も続けられるわけがない。 二十九歳。もう来年には三十に手が届く。こんなことが何十 苦しく、重い。寿命が縮まることを繰り返しているようだ。 何でこんなに焦って眠り、トイレに行き、 食べるのだろう。 を動かす。水分が欲しい。 まで」 とだけ言った。運転席についているデジタル時計は0 さんや だった。後はだまって窓ガラス越しの景色を見つめた。 通える物件を探した。東京に来て右も左もわからなかった。 先輩たちが言っていたことが、シンプルに分かるようにな 看護師になって三年目までは夜勤の後が楽しみだった。深 ってきた。 からマンションから一番近い交差点が「泪橋」であることに 名にはなかった。近くに橋らしきもなかった。しばらくして 「山谷」 「泪橋」の地名が出てきた。マンションの住所の地 とにはすぐに気がついた。そのことを職場で先輩に言うと、 この街に来て、フラフラしているおじさんと交番が多いこ なのだろう。 花織にとってのバブルの時期も二〜三年だった。 なバブルが長く続くわけがない。いや続かないから、バブル 人生のバブルみたいなものだったんじゃないかと思う。そん 出かけた。昔の言葉だから、意味は良くわからないけれど、 まで騒いだ。次の日も朝からきっちり起きて、原宿や渋谷に 友達とランチに行き、夜は合コンに二次会にカラオケ。夜中 夜勤が終わるのが翌日の午前。そこからぶっ続けで遊んだ。 気がついた。「泪橋」には橋が実際にあるわけではなかった。 る。体の悲鳴がよく聞こえるようになった。夜勤後の休みは 今 は 夜 勤 を 乗 り 切 る の が 精 一 杯 だ。 体 が 不 調 を 訴 え て い 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 頭がすっきりせず、体が重い。やっと頭と体が重なってきた 論 と感じるようになったら、もう次の出勤時間になっている。 評 タクシーの後ろ座席でガサゴソと音を立てた。鞄の中から 児童文学 菓子パンを取り出した。「デンマークチーズ風味蒸しパン」 説 その繰り返しだった。休みはあるはずなのに、休みを取った んやりわかるようになった。 この交差点付近が「山谷」の象徴的な場所だということがぼ 知った。 ばれる全国的にも有名な日雇い労働者の町ということは後で 内装の写真と間取りだけで決めた。この地区が「山谷」と呼 た。実際この場所に来て物件を確かめることもしなかった。 〝夜勤はしんどい〟 詩 家 賃 と 交 通 の 便 だ け で 決 め る し か な か っ た。 な ぜ か 安 か っ タクシーが山谷界隈を通り抜けていく。どこを探しても「山 : やけに長いネーミングだ。袋を破り、ちぎって食べ始める。 小 33 47 浜松市民文芸 58 集 感覚がなくなった。仕事をするための休みになった。 この職業は使い捨てだと思うようになった。誰かがやらな ければならないのは確か。誰かができるところまで、擦り切 れるまでやって、できなくなったら、若い人にバトンタッチ。 そうやって、これまでつないできたのだろう。 いつになったらゆっくり食べ、すっきり眠れ、行きたい時 花織は無理やり喉をごくつかせる動作を、繰り返し、蒸し にトイレに行けるのだろう。 パンを胃の中に流し込んだ。 刻した時。気持ちは焦っているのだが、 体は起きたばかりで、 まだ家の中に置き去りにされている感じがした。まるで外か ら自分の姿を見ている感覚だった。 花織は電気の消えた更衣室の灯りをつけた。ロッカーに鍵 を差し込み、戸を開けようとするがあかなかった。ギシギシ というだけだった。 〝こんなところで時間を取られている暇はない、早くいかね ば〟と、力任せに引っ張った。 「グワァ〜ン」という音とと ズム。たかが少し歩を早めたからといって、ナースステーシ コツコツコツと自分の足音が響く。幾分いつもよりも早いリ ナースステーションに向かう廊下を急ぎ足で歩く。暗い。 もに戸は開いた。 何でこんな蒸しパンを買ってしまったのか。二度と「デン 〝あーあ、水が欲しい〟 マーク……」はやめようと思った。病院についたら、自販機 けた。 を緩めた。花織は腹を上下させ呼吸を整えることに意識を向 ョンに到着する時間は三秒も変わらないだろう。諦めて速度 タクシーが止まった。病院の正面玄関のロータリー前だっ でコーヒーを買おうと花織は思った。 た。タクシーチケットを運転手に渡した。夜勤時の出勤はタ だ っ た。 四十五分の遅刻だった。深夜勤の同僚に謝った。花織がいな ナ ー ス ス テ ー シ ョ ン に 入 る と、 時 刻 は 1 い間、残っていてくれた準夜勤の同僚にも謝った。 運転手がちらっとこちらを見る。無言で車から降りた。な クシーチケットが病院から支給される。 るべく深夜はタクシーの運転手といえども、顔の知らない人 を 尖 ら せ る。 頭 で は 周 囲 に 常 に 気 を 配 り 警 戒 し て い る の だ い。病院の中に入れば少しホッとするが、薄暗い廊下は神経 いつもより仕事の抜けや病室からナースステーションに忘れ 対応も引き受けた。遅れた分、必死で動こうとした。けれど、 た。ナースコールがなれば、同僚を抑えてとり、入院患者の いつもの深夜勤よりもエンジンの回転数をあげようとし 花織は遅れを取り戻したかった。 が、何かあったときに体は反応するのか。特に今日のよう遅 夜の通勤路はストレスだ。昼間のように無防備には歩けな 正面玄関手前の職員用の通用口から建物の中に入った。 間には関わらないようにしている。左右を見た。人影はない。 : 15 34 で続いた。スローモーションで動く自分のことを見つめてい 取り返せなかった。頭と体が乖離しているような感覚は朝ま 物を取りに戻ることが多かった。出遅れはいつまでたっても こっとだけ頭を下げて、さっさとその場を去った。 をそのまま出すわけにもいかなかった。 「すいません」とちょ て何も関係ない〟と心の中で毒づいた。けれども、その言葉 狙っているカワセ。そんなくだらない粗探しにエネルギーを 呪縛から逃れたと安心したのも束の間だった。花織の空きを 仕事が終わり、師長に「遅刻」を報告。やっと「遅刻」の 夜が明け始めた。病棟の突き当りにある廊下の窓から朝日 注いでいるカワセの存在に花織の疲労は倍増した。 るような自分がいた。 を拝んだ。花織にとっての日課的な行動だった。けれども、 トイレに行きたくなった。おしっこが溜まっているのにやっ と言われただけだった。花織はホッとした。ホッとしたら、 翌朝、 出勤してきた看護師長にはサラっと「気を付けてね」 ノロノロと着替えを済まし、ロッカーを閉めようとした。 た。渾身の力を込めて扉を引っ張った。扉はこじ開けられた。 した。そのまま座り込んでしまいたかったが、椅子がなかっ とした。 「あかない」ことを思い出した。大きく息を吹き出 を 叩 き つ け た。 〝バン〟という大きな音が更衣室に響いた。 立て付けの悪いロッカーは今度は閉めようとしてもきっちり 花織以外更衣室には誰もいないと思っていた。反対側から何 閉まらなかった。花織は最後の力を振り絞り、思いっきり扉 更衣室に向かいかけた。廊下の途中で呼び止められた。病 た。申し送りが終わり、更衣室の隣にあるトイレに行こうと 室からカワセが顔を出していた。〝しまった〟と直感的に感 事かとのぞき込む誰かの気配を感じた。花織は俯いたまま気 が つ か な い ふ り を し た。 閉 ま ら な い 扉 が 前 後 に 揺 ら い で い 柳 た。花織はロッカーの扉をしめる忍耐力も、総務課に修理の 川 二ヶ月前以来、花織は必ず勤務表をチェックしていた。少 自由律俳句 しでもカワセとかぶる勤務の場合はできるだけ顔を合わせな 定型俳句 連絡をする気力もなかった。ぶらついている扉をそのままに 歌 して更衣室を出た。肩を落とし、俯き加減で病院の裏口に向 短 いように気を付けていた。遅刻のことでカワセの勤務のこと じた。 思った。 と気づいたという感覚だった。勤務中はやっぱりいけなかっ 更衣室に辿りついた。花織はロッカーを無造作に開けよう いつものように〝あと少し〟とは思えなかった。 詩 をすっかり忘れていた。 筆 かった。疲労と空腹と虚しさがごちゃ混ぜになっていた。更 随 衣室のロッカーにあたるぐらい、なんてことはない。患者さ 論 「遅刻したんだって。気をつけなよ。たるんでるんじゃない。 評 中堅だからってでかい顔するんじゃないわよ」 児童文学 んに向かなければそれでいいと自分を慰めた。 説 〝あんたに言われる筋合いはない。だいたい遅刻と中堅なん 小 35 浜松市民文芸 58 集 だった。陽の光が眩しかった。時間と共に気温が上がり、残 った。どかりと腰を下ろし、空を仰いだ。抜けるような青空 広がっていた。広場を囲むように設置されているベンチに座 る同僚も週何回かはそば屋と決めていますよ。昼時は混んで 「昼はそばでカロリーを落としているんです。肥満傾向のあ た。 何年か前、糖尿病で検査入院した患者さんと話してからだっ た。花織には敷居が高かった。その敷居が低くなったのは、 暑のじりじりとした熱を感じた。空はどこまでもつながって いるけれど、回転が速いからすぐ食べられます。糖尿なんて 病院の裏口の重い扉を開いた。病院の裏手には芝生広場が いるようだった。どこから来てどこへ行くのだろう。世界の 思った。今は軽く食べて、一〜二時間後に本格的に昼ご飯を い。今ガッツリ食べてしまえば、もう一食は食べられないと お腹がすいていた。午前十一時だった。昼までには若干早 った。 太陽を拝んで少しリラックス出来たと自分でも感じた。 の心が少し和らいだ。「グゥー」いいタイミングでお腹がな ると、そんな曖昧さでよいのだと思うようになった。その患 だから説得力がない。人生は矛盾だらけ。それでも年を重ね している看護師が夜勤に追われる不規則な生活をしているの ているだけだった。生活の矛盾なんか加味していない。指導 考えていると思わされる。花織は教科書通りのことを指導し 話をしているとき、私なんかよりもずっと健康についてよく 実直で、折り目正しい年配の患者さんだった。患者さんと 早食いが一番良くないのに何か矛盾していますよ」 食べようか。きっとそんな食べ方って普通はしないだろう? 者さんと話してから、そば屋を通り過ぎるたび暖簾の奥をち 所詮こんな狭い世界での疲労や虚しさはちっぽけだ。花織 裏側までもつながっているのだ。空は平等だと思った。 花織の頭にそばが浮かんだ。そば屋に行くことに決めた。 十一時をちょっと過ぎた時間だった。店内はほぼ一杯だっ らちらと見るようになった。ある日のオフタイム、店内に誰 た。花織はスーツ姿の隙間を見つけ、すっと滑り込んだ。 「か もいないのを見計らって入った。それ以来、ちょこちょこ暖 秋葉原駅に向かうまでの道沿いにずらっと飲食店が並んで けそば一つ」と言いながら、券売機で買ったチケットをカウ ベンチから立ち上がると、トイレに行きたかったことを思い いる。その中にそば屋が何軒かあった。働き始めたばかりの ンターに差し出した。女の声がしたからか、両隣のスーツ姿 出した。 〝更衣室横のトイレに行こうとしていたんだっけ〟 頃、花織は何でこんなにそば屋が並んでいるか分からなかっ がちらっとこちらを見た。花織は気にしなかった。スーツ姿 簾をくぐるようになった。 た。 「立ち食い蕎麦」と書かれた暖簾。暖簾の奥を見るとス 芝生を横切り、再び病院の裏口に向かった。 ーツ姿の男性の後ろ姿が立ち並ぶ。女性はほとんどいなかっ 36 のサラリーマンの中、やはり他に女性はいなかった。 かったなぁ〟揚げたての「ごぼ天」を見ながら花織は羨まし 健康ブームに絡んでいるのかも。〝やっぱり、揚げ物も欲し という声が続いた。「ごぼ天」が流行っているのだろうか。 ん揚げていた。花織の注文の後、客から「ごぼ天ちょうだい」 んでいた。これから来るだろうお客さんのためにじゃんじゃ つかの止まっている靴が視界に入った。人の流れに潮だまり 周りのザワザワとする声が聞こえた。薄目を開けると、いく ちをついていた。花織は顔をしかめているだろうと思った。 と回っていた。花織はお尻に鈍い痛みを感じた。花織は尻も は必然だった。花織が〝あっ〟と思った時には、体はくるり 突進スピード+花織の分析力の遅延=花織の転倒という結果 織は左右どちらによければいいのか迷った。小太りの前への 一人の小太りのスーツ姿が花織の目の前に迫ってきた。花 よろよろになりながらも何とか人波を避けていた。 く思った。〝いやいや、もう一食、食べるからここはかけそ のようなスペースができていた。 カウンターの向こう側に揚げたての天ぷら類がずらっと並 ばで〟と自分に言い聞かせた。そばをゆっくりゆっくりと噛 れて血が滲んでいた。膝も痛い。ジーパンの裾を上げると膝 花織は「大丈夫です、大丈夫です」大きな声で必死に右手 頭が血で滲んでいた。蒼い手提げ鞄からポケットティッシュ を振りながらアピールした。花織はそのまま座り込んでいた 昭和通りに出た。すでにビジネスマンで一杯だった。スー を取り出した。傷を抑えて血が止まるのを待った。ジワジワ み渡った。花織が食べ終わる頃には周りの客は全て入れ替わ ツ姿の人、人、人だった。たまに女性もまじっていたが、ほ っていた。セルフサービスのお冷をゆっくり飲み、店を出た。 とんどがスーツ姿のおじさんだった。すでに十二時をまわり と滲んでくる。そのうち止まるだろうと、目を閉じてうつむ かった。手が痛い。右の手のひらを返してみると、皮膚が擦 ランチタイムだった。とてもまっすぐ歩ける状態ではなかっ ティッシュを外し、血が止まっているのを確認した。花織 いていると、眠気が襲ってきた。 定型俳句 自由律俳句 川 柳 は片目をぎゅっとつぶりながら、目の前にあった石の土台に 歌 つかまって起き上がろうとした。土台の先にある竿のような 短 波が押し寄せているので、大きく避けることができない。体 ようとするが、体がついていかなかった。右にも左にも人の た。秋葉原駅に向かって歩いていった。前からくる人を避け 店の前には人の列ができていた。 み砕いては飲み込んだ。つゆも半分ほど飲んだ。体の中に染 詩 を斜めに入れながら避けようとするが、ワンテンポ遅れてよ 筆 ものを伝って体を起こそうとすると、頭の上にひらりとした 随 感触を感じた。顔をゆったりとなでるような感触。赤い布切 論 ろける。そばで少しは血糖値が上がったが、今ひとつ体に力 評 が入らず、ふわふわしていた。お腹が満たされ、お冷をグイ 児童文学 れはのぼり旗だった。 説 グイ飲んでホッとしたのか、またトイレに行きたくなった。 小 37 浜松市民文芸 58 集 こんな都会の真ん中のどこで釣りなんかできるのだろう。痛 り」と書かれていた。花織が転んだのは釣具店の前だった。 〝こんな濁った川には魚はいないのだ〟 にいる? 花織はごった返している人波を改めて見つめた。 人の人間は川の流れを形づくっている水の分子か。魚はどこ 花織はふと思った。さすれば魚はどこにいるのか。一人一 〝そうか、この人波は川なんだ〟 みよりも疑問の方が頭の中を占めた。毎日のように通る道な ようやくしっかりたちあがり、のぼり旗を見てみると、 「つ のに、こんな所に釣具店があることに花織は気がつかなかっ 花織は濁った川の中に再び身を投じた。地下鉄秋葉原駅構 ャン〟。目の前で扉が閉まった。花織はつま先に重心をかけ 内はさらに人でごったがえしていた。蒼い手提げ鞄の中から て 止 ま ろ う と し た。 体 に 力 が は い ら ず 勢 い よ く 扉 に ぶ つ か た。 花 織 の 通 勤 時 間 帯 は ビ ジ ネ ス マ ン の よ う に 一 定 で は な 東京に来たての頃は、この人込みの多さにキョロキョロし り、無理矢理押す格好になった。 「ブー」というブザーの音 財 布 を 出 す。 財 布 を 改 札 口 の ス イ カ の 読 み 取 り 口 に か ざ し ながら歩いていた。東京は店、店、店、人、人、人だった。 が鳴り響いた。客が改札口の強行突破を試みたと思った駅員 い。朝、昼、夕方、夜、真夜中、時には早朝とバラバラだっ 目を向ける先が多すぎた。一ヶ月もすると、自然と脳が刺激 が駆け寄ってきた。 た。それでも七年間通っている。それなのにこんな釣具屋が を避けるようになった。目は開き、うつむいているわけでも た。そのまま体を進め改札を通り抜けようとすると、 〝ガチ ないのに情報が入ってこなくなった。七年経ち、店も幾つか 〝そんなにいそいで走ってこなくても……、無賃乗車じゃな あることに気がつかなかった。 変わったようだが、周囲の人や店に対しては心を閉ざしたま う。何故今まで気がつかなかったのだろう。釣具屋の中をの すと、すんなり改札口は読み取った。財布の中に入ったまま し出されたスイカを駅員は受け取った。駅員がスイカをかざ 花織は財布からスイカを抜き取り、駅員に差し出した。差 ついていない自分と恥ずかしさで花織は天井を仰いだ。 い!〟 ぞくと店主らしき人と客らしき人が親しげに話していた。い のスイカがうまく読み取れなかっただけか。駅員と花織は無 きっとこの釣具屋は七年以上前からここにあったのだろ まだった。 ったいここからどこへ何を釣りに行くのだろう。昨日、交番 差し出すと、駅員はやはり無言でスイカを手渡しさっさと行 で釣りをしていたおじさんのことを花織はちらっと思い出し ってしまった。流れの止まった改札を避けるように両隣の改 言で向かい合った。自分は何も悪くない、花織が無言で手を 既にぶつかった小太りもいなければ、流れの中にできた一 た。 瞬の波紋もなくなっていた。 流れはすっかり元に戻っていた。 38 札口がさかんに開いたり閉じたりしていた。止まっていた改 札口は、川の流れに投じられた一塊の石のようだと花織は思 った。 花織は流れに乗れず、地下鉄線路内にむけ階段をとぼとぼ 昨日から「釣り」に出会ったのは何度目だろう。 〝また「釣り」?〟 五十センチほど竿先が出ている釣り鞄を肩からかけていた 全くリンクしなかった。どこに水辺があるの? 何で? 釣竿と地下鉄の構内が全く不似合いだった。東京と釣りが のは、少年だった。 こに行く? 少年の横には、 男性が立っていた。父親らしい。 歩いて降りていった。目の前に地下鉄が到着しており、乗降 客 が 出 入 り し た。 花 織 は 車 内 に 入 り 込 む こ と が で き な か っ ど た。自動扉があっという間に閉じ、電車はいってしまった。 つばの広い帽子をかぶっていた。少年と釣りに行くようだっ た。今日は確か水曜日。曜日には左右されない職業なのか、 夜勤労働者なのか、自営業か……。 〝こういう竿なんて言うのだったっけ?〟 それともあの時の花織の父と同じように無職なのか。 「ハゼ釣りにはのべで十分」そう父が言っていた。 少年が持っていた竿はリールのついていないものだった。 頭の中にイメージされていたわけではなかった。このまま電 がしっかり立っているのかどうか実感がなかった。もう一食 車に乗ってアパートに向かい何を食べるのだろう。ぼんやり 「ハゼ釣りなら花織にもできる」嬉しそうに言っていた父の 〝「のべ竿」か。そうかハゼだ。ハゼ釣りに行くのだ〟 今日は最悪な日〟 花織が父とハゼ釣りをしたのは、小学二年生の時だった。 顔を思い出した。 川 柳 花織が小さい頃、父は仕事が忙しかった。日本と外国を行っ 自由律俳句 頭もぼんやりしているはずなのに即座にそんな分析だけはし 定型俳句 たり来たりしていた。家を留守にしていることが多かった。 歌 たまに帰ってきては、ドバイだ、ミャンマーだ、タイだ、シ 短 ていた。花織は振り返って、上着を引っ掛けているその手を かに取りつかれているのか。きっと体がすきだらけなのだ。 疲れた日に追い打ちをかけているのか、疲れているから何 〝ちかん? していた時だった。何かがお尻にふれ、上着が引っ張られた。 食べようと思っていたけれど、具体的に何か食べたいものが 線路を見ていると、そのまま吸い込まれそうになった。自分 花織は床に出入り口のマークのある場所の先頭に並んだ。 一瞬閑散としたホーム。 詩 ぎゅっと握ってやろうと思った。花織は勢いよく体を反転さ 筆 ンガポールだとお土産を自慢げに花織に手渡した。外国のお 随 土産は花織にとって現実味のないものばかりだった。どうし 論 せた。相手の腕があるだろう空間に思い切り自分の腕をふっ 評 た。手応えはなく、空を切った。勢い余ってとった前傾姿勢 児童文学 て父はこんなお土産を自慢げに持って帰ってくるのか、花織 説 の目と鼻の先には「竿」があった。 小 39 浜松市民文芸 58 集 三歳の弟も「僕も僕も」と行きたがったけれど、弟は結局、 そうして、 ある日曜日、 花織は父からハゼ釣りに誘われた。 母と留守番になった。花織は父と二人ででかけた。車で三十 は理解できなかった。父はたまにやってくる人。遠い存在だ った。小学二年生まで父の存在はブツブツと途切れたものだ 「すごいブルブル!」 ブルブルと震える感触が腕に伝わった。 花織が竿を少し引くと糸がピンと張った。すると、すぐに 「花織、少し竿を引いて」 父に餌をつけてもらい、川に糸を垂らした。 た。ずらっと釣竿が並んでいた。 分も走ると川についた。秋の日の河川敷は人でいっぱいだっ った。 そんな父が突然身近になった。花織が小学校から帰ってく ると毎日父がいるようになった。父は無職になっていた。ど うしてそうなってしまったのか父は話してくれなかった。花 織もそのことを聞く言葉を持ち合わせていなかった。しばら から帰れば、家に父がいた嬉しさとこのまま父が働かなかっ くすると一戸建ての家からアパートに引っ越した。毎日学校 たら、 うちにはお金がなくなってしまうという不安があった。 花織は父に言われた通りにそろそろと竿をあげると、針の 花織は興奮気味に父に言った。 先に菱形の一端を長くしたような魚がついていた。ハゼだっ 「よし、花織、竿をゆっくりあげて」 父は魂が抜けたようになっていた。自慢げにお土産を手渡す 子どもながらに家がピンチなのだということは、強く感じ 父はどこかへいってしまった。家にいる父は以前よりも一回 ていた。花織の心は緊張感で満たされていた。無職になった り小さくなった気がした。それでも母は明るかった。三歳の せて晩御飯の食卓に魚の天ぷらが並ぶ日が続いた。美味しそ 父が学校から帰っても留守にすることが続いた。それに合わ どうしていいかわからない花織一人が焦っていた。そんな 「どうだ、ジャムシをつけてみるか?」父はニョロニョロと 「今日は入れ喰いだに」父は嬉しそうに言った。 間もなく夢中になって釣った。 を付け直した。花織よりも父の方が忙しかった。花織は休む 掛けを投げ入れては引き上げた。父がハゼを針から外し、餌 糸を垂らせば、ブルブルと食いついてくるハゼ。花織は仕 た。 うに天ぷらを頬張る父。 弟も無邪気だった。 「父さんが釣ってきたハゼだ。どうだ、うまいら?」 「そうか、じゃあ、大人になったら外すだに」と父は笑って 「やってー!」 したそれを花織の目の前に差し出した。 をしていた。食卓にハゼが並ぶのに比例して父は元気になっ そう言う父はあのお土産を渡してくれたような自慢げな顔 ていった。 40 いた。 は息抜きもした。秋の河川敷には所々にコスモスが咲いてい た。父は場所を変えるため花織の手を引いて歩いた。コスモ スの前で立ち止まると、花を一輪摘み取った。 小さなクーラーボックスがハゼでいっぱいになった。釣っ ても釣っても飽きることはなかった。もう帰ろうかと父が促 花織は「花」しかわからなかった。後半の言葉の意味が分 「花簪な」と言って、花織の頭に飾った。 からなかった。頭の中で「カンザシ」はカタカナ読みの横文 「ハナカンザシ?」 の甘露煮を母さんにつくってもらうか」父はやっぱりあのお しても、 「あと一匹あと一匹」と釣れなくなるまで粘った。 土産を買ってきたような自慢げな顔をしていた。その時、初 字に変換されていた。 花織の手元に鏡はなかったけれど、父のその一言で浮き立 「似合うなぁ」 コスモスの花簪は嬉しかったけれど、恥ずかしかった。同 つような気持ちになった。 一度感じたブルブルはずっと手の中に残っていた。だから、 げ捨ててしまおうかと思った。それは父にちょっと申し訳な 滑り込んだ。花箸を頭から外した。そのまま草むらの中に投 父に「トイレにいってくる」と嘘をついて、草むらの中に じぐらいの男の子にでも見られたら、笑われると思った。 花織は父に「ブルブル行くけぇ?」と誘われれば、ワクワク た。父は花織の顔を時々覗き込んでは「どうだ。花織ブルブ 生きとした表情の父の側にくっついていられるのが嬉しかっ た。川の流れに乗った花弁は、空中よりも緩やかに回転しな り と 浮 い た。 花 弁 は く る く る と 回 転 し な が ら 川 面 に 落 下 し た。ふっと風が吹いてきて、花弁が風にからめ取られ、ふわ 花を手に取り花弁を眺めた。一枚ちぎって目の前にかざし いと思った。 ルはきたか」と様子を尋ねてくれた。父は時々じっと花織を 児童文学 評 論 随 筆 歌 なこともあった。 短 定型俳句 自由律俳句 川 柳 残りの花弁を一枚ずつちぎって川の流れに乗っけた。そん がら遠ざかっていった。 花織はいつでも父の横に座って糸を垂らした。花織は生き してついていった。 てことはなかった。釣れない日の記憶は薄れていくけれど、 めて行った時のように入れては釣れる、入れては釣れるなん その年、花織は父と何回もハゼ釣りに行った。けれども初 た。 その後も何度か父は「ブルブル行くけぇ?」と花織を誘っ めて花織は自慢げな父の表情が理解できたような気がした。 「今日は大漁。とても食べられん。冷凍して、お正月にハゼ 詩 見つめていることがあった。何か話したそうにも見えた。長 い沈黙の後、出てくる言葉は「場所を変えようか」だった。 説 釣れないときはちょこちょこと場所も変えた。釣れない時 小 41 浜松市民文芸 58 集 「父さん? いるわよ。ちょっと待ってて」実家に電話して 「お父さんー」母の父を呼ぶ声が受話器越しに間こえた。 ものことのように父を呼びに行った。 父を呼び出すことなんてめったになかったけれど、母はいつ 時、 私に聞いて欲しかったのかも。仕事をしていた時のこと、 「おおー、花織、どうした?」 本 当 は 父 さ ん、 あ の 辞めたこと、これからのこと。ずっと釣り糸を垂らしていれ 「お父さん久しぶりにブルブルいかない?」 父 さ ん 何 か 話 し た か っ た の か な? ば小学校二年生の娘に語る言葉が浮かんでくると考えていた 「ブルブル?」父はちょっと考えてから、 「ハゼ釣りか。道具あったかな?」 のでは。私も父さんが何かを語ってくれるのを待っていたの 小学校二年生の花織に分からなくても語ってくれればよか かも。 「あたり! 父さんすごい」 「あー、そうそうもう大人になったんだから、餌付けと自分 「今から? それはまた急なことだ」 「今から帰るから」 る。語らなければ、永遠に分からない。想像するだけだ。そ その時わからなくても、いつかふっと分かる時がきっとく った。外国のお土産を持ってきた時のように。 ういう意味では、仕事を辞めてからの父は少し臆病になって で釣ったハゼは、自分で外すだに」 「えー!」 〝そうか。約束だった。ジャムシを針につけるのが。もう大 父の臆病と花織の不安。そのバランスをとっていたのは釣 いたのかもしれなかった。 り糸だった。ハゼ釣りが父と花織の心の溝を埋めてくれてい 人になったし、仕方ないか〟 したが、父に認められたような気がした。 花織はまるで目の前にジャムシがいるかのようにドキドキ たのかもしれない。花織はあの頃の父に手の届く年齢になっ た。今なら父にあの時のことを聞けるかもしれない。釣り糸 に頼らなくても話す言葉をお互い見つけることができるので た東京という街にもたくさんの「ブルブル」経験者が潜んで はないだろうか。 花織は地下鉄待ちの列から離れた。後方に下がった。手提 いるのだ。一度あの「ブルブル」を経験した人は何かのきっ 皆あの「ブルブル」が忘れられないのだ。こんな荒涼とし げ鞄から携帯を取り出した。自宅の番号を押した。すぐに母 かけでふと思い出すのだ。 都会のど真ん中に釣具屋があるのも、少年が地下鉄で竿を が出た。 「父さんは?」 42 肩にかけているのも、おじさんが夜中の交番で釣り談義をし 花織は地下鉄待ちの列を見渡した。スーツ姿の背中が並ん ているのも皆「ブルブル」にうずいているのだ。 でいた。周りを見渡せばこの人もあの人もうずいているんじゃ ないか。そう考えると、花織は可笑しくなってきた。 きっと季節を感じにくいこの街でも体が直感的に感じてい るのだろう。ハゼ釣りの季節ですよと。 フフフっと腹の底から笑いが湧いてきた。気がついたら、 通りすがりの人たちが花織の方をチラチラと見ていた。どう やら本当に声を出して笑っていたらしい。花織は体が少し軽 花織は思った。ブルブルと震えを感じることは緊張と楽し くなった気がした。 みの証だ。 もう一食食べるイメージがわいてきた。新幹線の中でガッ ツリ駅弁を食べる自分を想像した。 説 児童文学 評 論 随 筆 (北区) 花織は意気揚々と東京駅へ行くためJRの連絡口に脚を向 けた。 小 詩 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 43 浜松市民文芸 58 集 [市民文芸賞] った。井沢源次郎は藩校克明館の西にある弓道場に向かって 八月四日の八つの下刻は、秋というのにまだ汗ばむ暑さだ 多恵のものいいはたまにきつくなるときがある。それは一面 い。妻の多恵は容貌は母に似て、 やはり美人の誉れが高いが、 な く 静 か な ひ と で、 源 次 郎 は 里 江 の 小 言 を 聞 い た こ と が な いわれた美貌をこの齢になった今も残している。口数は多く 御弓始末 いた。颯爽と歩く源次郎の目もとは優しげで涼やかである。 では正論なのである。そんなとき源次郎は深刻な顔をせず、 生 田 基 行 城では勘定方に属し律義に勤めをはたしているものの、堅物 なかったのだが、どうもあの兄と差し向かいで一杯というの 源次郎は、先日杉田の家の近くまで行きながら、顔を出さ 源次郎はおおらかでもある。 うむうむもっともであるな、などと相手を刺激せずにおく。 という程でもなく、酒は好きなほうである。 一年半ほど前に井沢家に婿にはいった源次郎は禄高五十 する庄吉という下男がいる。本来なら下女の一人もおきたい 石、家には義母の里江と妻多恵がおり他に屋敷の中のことを のだがいまの暮らしむきではそれを許さない。そのため家の がやっかいだの、と思っている。 杉田というのは源次郎の実家で、禄百五十石、父与左衛門 ことはほとんど多恵が忙しそうに当たっている。義母の里江 はすでに隠居して兄の総一郎が徒目付組頭の役についてい は内職に縫物をしており、また筆も達者でときには代書もし ている。井沢家の当主だった半左衛門は半年前に亡くなり、 の美佐は義弟源次郎に不自由させまいとこっそり小遣いを渡 る。総一郎には妻の美佐と子が男子、女子の二人がいる。そ 義母の里江は四十の半ばであるが、若い時には浜松小町と 源次郎がそのあとを襲って今は井沢家の当主である。 44 はずもなく養子に入った。 喰いから抜け出せる、渡りに舟に近い気持ちで不満のあろう の兄が苦手で、井沢家との話があった時には、これで冷や飯 厳であり、しかつめ顔で口数も少ない。源次郎にとってはこ してくれたこともあった。だが兄は源次郎と違って役目柄謹 だろう、やつも早く身をかためることだの」 得手のあいつは向かないかも知れんが、そうも言っておれん 「そうか、左京の親父殿は勘定方の組頭だったな、算術が不 になっているようで少し元気がないかの」 「うむ、あとから来るようだが、どうも家のことと勤めが気 れる小高い丘の上に建てられ遠州灘を望むことができる。こ におよそ八町ばかりの所にあり、弦友舎という。西山と呼ば 源次郎は汗をかきながら坂を登った。弓道場は藩校から西 の説明なども理屈っぽい。だがこんな男が指導者にはむいて 苦笑しながら頷いた。清三郎は算術が得手で、矢の走り具合 などとまだ一人身の清三郎が訳知り顔で言った。源次郎は 左京は 左京と立ち話をしたためいつもより時刻が遅くなった。 微かに鳴き始めている。今日は久しぶりに会った小柄な村田 る。だがその下には少しばかり秋の気配があるのか、蟋蟀が 足を急がせる道の両脇にはまだ夏草が元気に生い茂ってい 爽快感がある。的中率はおよそ九割かたである。後ろで見て あと矢四本組を六回にかけて射た。弓手に少し汗をかいたが をひいた形に気品がある。四本の内三本を的中させた。その 快音を響かせ的を射た。源次郎が弓を引く姿は、何よりも顎 手で弓を引き絞る。一瞬の静寂を裂いて矢が走る。びしっと が道場は南向きで、的のある安土は十分に明るい。弓手と馬 源次郎は一礼して的に向かう。日が傾きを大きくしている いるのかもしれないな、と源次郎は思うことがある。 「野暮用を済ませて後から行く」 いた清三郎が 「源次郎、腕をあげたな、矢の走りと角度がいい」 川 柳 と言った。 自由律俳句 を張る。すでに道場の中では鈴林清三郎のほかに、門弟十名 定型俳句 「うむ、まあまあかな、この弓手の握りを少し工夫している 歌 のだが」 短 ほどが稽古に汗を流している。左京も清三郎も源次郎と同じ 稽古着に着替えて師範の梅木清左衛門に挨拶を済ませ弓弦 ゆづる と言ったが、さてどうであろうかのと源次郎は思っている。 弟は克明館の北側に附属する経宜館に通うのである。 こ浜松藩ではおもに下級藩士の子弟が通う道場で、上士の子 詩 く勘定方に勤めており、二人とも齢は源次郎と同じ二十一で 筆 源次郎は清三郎に弓の握り方を見せて説明した。清三郎は聞 随 きながら、なるほどこうしてやや押さえを云々と、自ら解説 論 禄はともに四十石である。 評 「源次郎、左京はどうしたな」 児童文学 した。やはり理屈っぽい。 説 細身だが角ばった顔の清三郎が背中から問いかけてきた。 小 45 浜松市民文芸 58 集 「うむ、そのうち左京も来るであろう」 雅之介が誘った。 と源次郎は財布の中身を考えながら返事をした。六人が揃え 先に稽古を切り上げた田辺雅之介が矢取りをかってでてい た。 大 柄 な 雅 之 介 は 作 事 方 の 組 頭 見 習 い を し て い る。 今 は を廻って茶屋のならぶ路地を右に曲がるとその奥にひさごが 六 十 石 だ が、 や が て は 八 十 石 取 り と な る 身 で あ る。 齢 は ある。ひさごではすでに軒行燈に灯が入っており、五人が着 ば、きまって肴町にある料理屋「ひさご」に行く。今日、稽 この年、嘉永三年までに諸外国の船が日本の近海に出没し くと、左京が暖簾をくぐってはいるところだった。 古に来なかった左京は先に一杯やっているかもしれないなと 世情は穏やかではなかった。ここ浜松藩では幕府より、藩主 「いらっしやいまし」 二 十 二 歳 で ほ か に 吉 川 半 七 郎、 松 本 伸 兵 衛 な ど も 同 年 で あ 井上河内守正直に遠州灘と浜名湖の入り口となる、今切の防 ひさごの主人利兵衛が、高いがよく響く声で言った。 る。半七郎、伸兵衛の禄はともに五十石でやはり下級藩士に 備を下命されていた。井上河内守正直は十二年後には幕府老 「あら皆様お揃いで、いらっしゃいませ」 源次郎は思っている。弦友舎から道を東にとった後、城の南 中に任ぜられている。その今切は隣藩吉田藩との共同防備で 目鼻立ちのととのった女房のおみつも明るい声で続けた。こ 属する。 あった。また遠州灘に面した米津海岸にも砲台を築き藩士が の夫婦はともに四十前で、 娘が二人いる。姉がまきで十七歳、 人で一杯やっている。店の中は光があってかなり明るい。ま 交代で見張りをした。今切口には東西に燈台を新しく建て、 だ酔っぱらった濁声は聞こえずわりと静かである。まきが案 夜間は篝火を切らさぬよう守衛しその際、番士は刀や槍だけ 秋の陽が夕暮れを告げる頃、的に向かっていた者たちは稽 内して、六人は奥の座敷に通された。 妹はすずで十六歳、二人とも評判の器量よしで店を手伝って 古を切り上げ汗を拭いた。門弟たちは、五十を過ぎて老境に 「こちらでございます、先にお酒になさいますか」 でなく鉄砲と弓矢の常備もしていた。鉄砲隊はおもに足軽が はいろうとしている師範の梅木清左衛門に挨拶を終えた。清 と微笑みながらまきが言った。 いる。樽の腰掛に町人風の男達三人が、畳敷きには武家が四 左衛門の髪には白いものが目立ちはじめ、やや腰が曲がって 任にあたり弓矢隊は藩士であった。 いる。だが弓を引く時には別人のように腰がのびる。その姿 「うむ、おまきさん、今日は暑かったので冷やでたのむ」 「ここは井戸水でよく冷やしたのがあるらしいの」 源次郎が言うと を見ると門弟たちは敬意を新たにする。 五人は弦友舎をあとにした。 「どうだ、ちと一杯やっていかんか」 46 「いやな、今日源次郎と話した後、経宜館の河内どのが克明 半七郎が問い返した。 「ほう、なんだ、それはいつ決まったのだ」 左京が唐突に口にした。 か?」 「おい、この九月の中頃に藩の競射会があるのを存じておる る。まきが出ていくと 古 い 店 だ が 手 入 れ が 行 き 届 い て お り、 行 燈 の 光 に も 力 が あ 「はいございます、お持ちいたしましょう」 と左京も続けて言った。左京は酒にめっぽう強い。 「では、前祝いといくか」 背も高く貫禄のある伸兵衛が皆の顔を見ながら言った。 友舎のなかから選ばれたいものよな」 「そうだ、経宜館の者たちも手強いが、ぜがひでもわれら弦 になる訳だの、うかとしてはおれぬ」 「まてまて、それで勝てれば、藩をあげての代表ということ 源次郎は 一同から笑いが洩れた。 「おい、半七郎、おぬしに言われたくはないな」 と 作事方の、目がいつも笑っているように見える半七郎が言う した対抗試合とする。勝った者たちの組三名が、翌春に江戸 とれたという黒鯛の刺身を肴にして銚子をあけ、都合二分一 範が考えておられるだろう、などと話ははずんだ。浜名湖で あとは飲みながら、もう一組の人選をどうするか、まあ師 左京の一言で皆が盃を掲げた。 の富岡八幡宮の東にある三十三間堂で、各地から選り抜かれ 朱を払ってひさごを出ると、西の空には四日目の細く黄色い 藩内で、弦友舎と経宜館の一組三名ずつの組を、各三組出 館に来られてな……」 た者たちと試合をする。二十年ほど前の天保の初期に行われ 月が輝いている。夜気は涼しくなってきており、頬に心地よ 源次郎は城の東にある富士見橋を渡り屋敷に戻ると庄吉 い。 定型俳句 自由律俳句 川 柳 が、お帰りなさいまし、と言いながら、盥に水を張って上り 歌 框に持ってきた。足を拭いて上がると多恵に手伝わせ浴衣に 短 「それではごゆっくりどうぞ、そうそ、今日は黒鯛を刺身に 満たして した銚子を持ってきた。上品な手つきでそれぞれの盃に酒を 廊下を来る音がして、今度は妹のすずが水桶に入れて冷や ていた競射会の復活であるという。 詩 してさしあげるそうです」 筆 替えた。縁先に出てみると、萩の花の下あたりに蟋蟀や鈴虫 随 がやかましく鳴き、秋の夜色を醸している。 論 と言ってすずが出ていったあと、 評 「ふむ、それでは雅之介、女を追っかけている場合ではない 児童文学 「源次郎さま、お茶ですよ」 説 な」 小 47 浜松市民文芸 58 集 出す。酔いを醒ますにはちょうどよい。 くはない。経宜館では堀川小十郎、村中進之介、久根新八郎 ある。一組三名となると清三郎、左京とになるのか、まあ悪 め若手に指導もしており、清三郎、左京と弦友舎の三羽烏で はないが、弓はかなりの腕前である。弦友舎では師範代を勤 「うむ、ありがたい、母上はもうおやすみになられたかな」 あたりが最強であろう。不足のない相手だと思う。 源次郎が酒を飲んで帰ったときには、多恵は必ず渋いお茶を 「はい、四半刻ほどまえに」 いときく」 「まだどうなるかはわからぬぞ、経宜館の者たちも相当手強 多恵はすでに源次郎が江戸に行くと決めているようだ。 ことにござりますね」 「源次郎さまが江戸に行くことになれば、井沢の家も名誉な 源次郎は競射会のあらましを説明した。 とになってな、稽古にますます身をいれねばならん」 「ところで、この九月に弦友舎と経宜館とで競射会をするこ 「そういうことだの、われらも熱が入ってきた、お主には師 「そうか、すると今度の競射会をよろしくという挨拶かの」 「おう、経宜館の河内どのにお会いなされておるようだの」 と聞くと 「師匠は今日は外出されておるのか?」 松本伸兵衛に 今日は梅木清左衛門の姿が見えない。目の前で射ち終わった には掛け声を発して射つ者もいるが流儀に反して見苦しい。 弟たちは試合があることを念頭に、稽古に余念がない。なか かった。十日前に師範梅木清左衛門の講話があったので、門 源次郎は勘定方の仕事を終えていつものように弦友舎に向 五つの下刻になっている。行燈を消して横になった。 ふと顔をあげると、月が西の空に沈みかけて、刻はすでに そう言ったあと 「この夏の暑さがこたえたようですの」 「そうか、大事ないようにせんとな」 「藩の代表ともなればご加増がございますでしょうか?」 匠も期待されておられるぞ」 湯呑を置いて源次郎は 「いや、そのような話は聞いておらぬの、ま、そうなれば結 しわ 構なことであるが」 「なに、皆と合力なくば果たすこともできぬぞ」 少し細かいところがある。源次郎はそう言いながらも、やは ほかに清三郎が三十本、左京が二十八本であった。この稽古 源次郎はその日三十二本を打ち、二十九本を的中させた。 源次郎はやれやれと思った。多恵は金に吝いほどではないが にはおよそ一刻ほどの時間がかかる。四本で一組の矢を八回 それぞれが射るのである。その間、矢取りもあり他の者も無 り加増があればいいのだがとも思った。多恵は勝手をかたづ さて、競射会かと思う。源次郎は剣のほうはたいしたこと けるため静かに奥へ去った。 48 論稽古中なので、交代で射位に立たなければならない。 二年ほど前に、同じ三名でおのおの百本を射続けたことが 理なのだ。他家へ婿養子にでも入れば別だが、左京は村田家 の腕がぱんぱんに張ったものだった。七十本を超えると、疲 などと思いをめぐらせながら家の門をくぐった。東の空には 的よりまだ小さいものを使って試してみたらどうであろう、 ことだ。その集中力を磨くためにどうするか、今の十二寸の それよりも今は試合のことだ。的に向かって心を集中する の嫡嗣子でほかには妹の千代どのがいるだけである。 れから気力体力が相当落ちるものだということも知った。最 満月に近い月が輝いて、庭は明るく白く見えた。 あった。その時は九つの中刻から七つの下刻までかかり、両 後には腹も減る。的中率はおおむね七割ほどであったから、 時世に弓三昧でいいのかという気持ちと、一方では弓で名を を喰い荒らされ、また不平等な条約を結ばされている。この 今から十年ほど前に清国では世に言う阿片戦争が英吉利と 同が正座するなか清左衛門は あげ世に出てみたいという思いとが交錯する。時にはまた、 のあいだにあった。日本に比べて数倍もの大きな清国が領土 「 先 ほ ど 経 宜 館 の 河 内 ど の と 談 合 し て ま い っ た が、 こ の 組の者はいかほどの腕なのか、 源次郎は見分したいと思った。 二十八日に矢合わせをいたすこととあいなった、本試合は九 ささか不安がある。紅毛人といわれる人種がこの日本に確実 源次郎はこの国の形はこれでいいのか、国のありようにもい 矢合わせはいわば練習試合で、相手方の度量がどの程度で 八月二十八日大安、昼過ぎの八つ刻、弦友舎の者たちは経 に忍び寄ってくる、 と東海道を往来する者たちが噂している。 宜館に向かった。秋の気配はいよいよ濃くなり、空は高くど あるか知るよい機会でもある。八月二十八日も九月十五日も がら、清三郎と左京に声をかけ帰り支度を始めた。秋の日は 両門一同が道場内に揃うと、互いに深く一礼し、先に河内 根新八郎が威儀を正して着座している。 の一同を迎えた。妙斎の横には堀川小十郎、村中進之助、久 経宜館では師範の河内妙斎と門弟が道場内に居並び弦友舎 こまでも青く、遠くに掃いたような雲が浮かんでいた。 ともに大安で日がらも良い。源次郎は弓矢と道具を片付けな 月十五日である、それまで心して精進せよ」 そこへ師範の梅木清左衛門が腰をかがめながら戻った。一 今ではかなり腕を上げたとみてよい。それにしても経宜館の 詩 暮れるのが早く、夕闇が足下からかすかに湧いて来るようだ った。 富士見橋の東で二人と別れてから、源次郎は同組となる左 京のことを考えていた。やつは勘定方の仕事に向いていない 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 妙斎が の か も し れ ん。 だ が こ の 世 の 中 は 自 分 の 思 う よ う に は な ら 評 ん。流されたくはないが、慣れるしかない。勘定方でなく、 児童文学 「本日はご足労をおかけいたしました、来月の本試合の参考 説 自分のしたいことを望むなど、われら下級藩士にあっては無 小 49 浜松市民文芸 58 集 音が響く。あとを追って小十郎も放つ。 こちらも快音が響く。 経宜館の堀川小十郎も弓を絞る音がする。清三郎が放つ。快 郎である。清三郎が一本目を引き始める。源次郎の後ろでは 続いて梅木清左衛門が挨拶をした。 になれば、これよろしかろうと存じまする」 「本日は、お招きをいただき恐縮に存じまする、矢合わせで 中。源次郎の一本目、的中。久根新八郎の一本目、的の左下 左京の一本目、僅かに上へ外した。村中進之助の一本目、的 互いに一礼してそれぞれの所定の位置に座わった。今日の へ僅かに外す。このあと源次郎と進之助が一本ずつ外し、三 はござりますが何とぞ宜しくお願いをいたします」 矢 合 わ せ は、 各 三 組 が 対 戦 し 的 中 総 本 数 に よ り 勝 敗 を 決 す 組目は十中の同数であった。 ればほぼ音でわかるが、看的役が注意しなければならないの もに射ち始める。看的役は互いに相手方の的を見る。的中す 的に向かって右、経宜館の三人が左である。はじめの声とと 一組目の三人ずつ六人が射位の前に立つ。弦友舎の三人が と自信ありげに言った。 それまでにわれら、も少し腕を磨いておきましょうぞ」 「弦友舎の方々、来月の本試合を楽しみにしておりますぞ、 るとき、堀川小十郎が た。双方の師範が挨拶を終え帰り仕度をはじめようとしてい 二十八中であった。今日の矢合わせは経宜館の勝ちと決まっ 射ち終わって、弦友舎側が二十七中、経宜館側が一本多く る。すなわち一人四射とし一組十二本、合計三十六本で的中 は、的枠に当たった場合で、矢が的枠の中に入っているかど 数を競うものである。 うかである。的枠に当たっても矢が的の内であれば的中とな 「堀川どのの申されるよう、弦友舎一同も稽古に励み、来月 出ると空には西に傾きかけた秋の日が、城の外壁を黄色に染 源次郎は相手が上級藩士でも負けない気がした。経宜館を 源次郎はそう返事をした。 お会いするを楽しみにしてござります」 る。 一組目が終わって弦友舎が八中、経宜館が九中であった。 二組目が始まる前に矢取りが入る。二組目も一礼して射ち 組である。この三名は体躯も大柄でがっちりしている。対す 始める。弦友舎側は田辺雅之介、吉川半七郎、松本伸兵衛の る経宜館側も合わせたように大きな男達であった。ぎりぎり めはじめた。 と角顔の清三郎が言った。 「今日はちと残念であったな」 ひさごの暖簾を潜った。 源次郎、左京たち下級藩士六人はまた財布と相談しながら と弓が張り弦が軋む。放たれた矢が鋭い角度で走る。的中す ると快い音が響く。射ち終わってこの組は九中ずつの同数で あった。 三組目、源次郎の組である。一礼して射位に立つ。「前」 が清三郎、「中」が左京、そして後ろである「落ち」に源次 50 「おう、それは面白い、早速やってみようではないか」 らいに小さくしてみようかと思っているのだ」 「以前から考えていたことだが、いまの十二寸の的を半分く 半七郎が問いかけてきた。 「源次郎、どのような工夫がよいかの?」 夫してみる必要があるかの」 「うむ、堀川どのたちもなかなか手強い、もう少し稽古を工 伸兵衛が言うと、源次郎は いらん」 「なに、まだ試合までは十日以上もあるではないか、心配は ってみたが結果は同じであった。 のだから、そこに集中すれば同じことだ。その後も何本か射 ではない。弓手の上にある矢の先は、常に図星を狙っている えるのだ。射った瞬間、中るのがわかった。そうか、大きさ 見える。だがあれだけ小さいと思っていた的が存外大きくみ めればいいと判断し矢を番えた。引き絞った弓の向うに的が ち上になる。それを見て源次郎はほんの少し下目に狙いを定 左京も挑む。惜しくも上に外した。的が小さいぶん矢が気持 「よし、つぎは俺だ」 と快音を響かせ的中した。まわりから歓声があがる。 し狙い定める。びゅっと矢羽の音を残して矢が走る。びしっ かってみると殆んど外れないほどに中る。 小的に慣れて、よく中るようになった。試しに普通の的に向 次の日から小的での稽古に熱を入れ、源次郎もほかの者も つが 半七郎はこの考えに乗り気で 「よし、あした的枠に使えそうなものを探してみるか」 次の日、半七郎たちは的枠に使えそうな薄い木片を持って 半七郎たち三名は作事方なのでそういったことはたやすい。 悩んでいたようだがふっきれたようだった。それでいい、今 が腹を決めて勘定方を続けると明言するのを聞いた。かなり 左京も小的に相当中るようになった。源次郎は昨日、左京 干してから きて、器用に小さな的を六張り拵え紙を張った。暫く天日に 「おい、こんなものでどうかな」 くばくかの芒の穂も揺れている。弦友舎のまわりが深い秋色 道場の周りでは秋の乾いた風が気持ちよく流れていき、い は試合に気を集中することだ。 に包まれていくようだった。 この七年前、幕府老中水野忠邦が罷免されそのあとに阿部 とう集中しないといかんな」 「うむ、立派なものではないか、これだけ小さくなるとそう 雅之介が言った。 詩 源次郎が言って、小さな的を安土に置いてみた。大きさは五 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 正弘が就いたが、日本の国内外ともに多事多難であった。ま 寸に満たない的であり、なるほど小さい。清三郎が 評 「試し射ちをしてもいいかな」 児童文学 た嘉永四年には、亜米利加から土佐の漁民、万次郎が琉球へ 説 と言いながら早くも弓を引きはじめた。ぎりぎりと弦を鳴ら 小 51 浜松市民文芸 58 集 に救助された。その後亜米利加で十年ほど暮らし日本に戻る ち、仲間とともに颱風で鳥島まで流され、亜米利加の捕鯨船 「うむ、今朝の爽やかな空と同じようだの、よしやるか、そ 清三郎が言った。 「源次郎、調子はどうだな」 道することになった。 源次郎は富士見橋を渡り終わった西側で左京、清三郎と同 ことができたが、その際の国内での取り調べはかなり厳しい 戻ってきた。万次郎は天保十二年、土佐の沖合で漁をするう もののようであった。 「今日は存分にやろうぞ、必ずや江戸にまいろう、わしは江 「そうだ、その調子だ、俺も今日はやるぞ」 んな感じだ」 高い声でないている。刈り取りを終わった田の畔には稲がは 九月十五日の朝五つ過ぎ、晩秋の青く澄明な空に百舌が甲 ざに架けられている。 戸にはまだ行ったことがないのでな」 と左京が言うと清三郎が 源次郎たち弦友舎の者は再び経宜館に向かう。今日はいよ いよ競射会である。先日の矢合わせとは違い、浜松藩の弓術 「わしは二年前に家老に呼ばれて江戸に行ったが、町の大き さかんに作られるようになったという小松菜のおひたし、香 に行きたいものだな、土産には何がよかろう」 「そうか、ならば一度は見てみたいものだ、ぜがひでも江戸 どの比ではないな、どこかからか湧いてくるようだの」 さ、店などの多さ、とにかく人の多いことといったら浜松な のものを喰った。浅蜊は舞坂で採れたものを棒手振りが売り 「おいおい、わしも江戸には行ったことはないが、土産話は 源次郎は朝飯に浅蜊の味噌汁と焼いた鯖、江戸東部の村で 代表を決するのである。 に来、それを求めたものである。その味噌汁はだしが効いて ちと気が早すぎるのではないのか左京」 「江戸の女子はどうかのう、源次郎のところの多恵どののよ 千代田城のすぐ近くであった。 3 おり旨かった。贅沢な朝飯だった。屋敷を出る前に義母の里 「や、これはありがたい、雑作をおかけしました」 うにきれいなひとが多かろうかの」 3 江が、栗を炊き込んだ握り飯を手渡し、 と源次郎も清三郎も笑った。 多恵が背中にまわって、背負っている弓矢の間の腰にくくり と左京が言うと このころの浜松藩の江戸上屋敷は日本橋浜町にあり、江戸 「源次郎どの、勝ち栗ですよ」 つけた。馬手に嵌める「懸」は肩に下げている。多恵と庄吉 「そうだ、とにかく天下の江戸であるから、女子もそのよう と言った。 が門まで見送った。二人から御武運を、と言われ源次郎は、 かけ 必ずや勝ってまいる、と答えた。 52 に見えるかも知れんな」 伸兵衛も豪快に的中する。快音が続き、たまにかちっと外す 京が中、清三郎が落ちである。源次郎が引っぱり、清三郎が 六人が一礼して、同時に射位に立つ。今日は源次郎が前、左 に漂う。経宜館は予想通り堀川、村中、久根の三人である。 第三組、源次郎たちの組である。張りつめた空気が道場内 り、経宜館の三人が胸を張ったように退出した。 音がある。終わって雅之介の組が十中、経宜館が十一中であ 他愛ない話をしながら三人は経宜館に向かった。源次郎た 清三郎が言った。 ちのすぐ後に半七郎たちも到着し、六人は弓を掲げて今日の 経宜館に着くと先日と同じように互いの挨拶があり、今日 健闘を誓った。 の試合の取り決めを説明された。一組三名、矢数は一人四本 源次郎、一本目から快音。左京、清三郎もそれに続く。経 締める目論見である。 矢の走り具合はその日の調子を表わす。その説明は口で表現 宜館も的中連続。両組とも一本目から順調に的中。なかなか しにくく体で覚えた感覚である。いつしか道場内は水をうっ 総見役として、陽にやけて色の黒い郡奉行の鳥居忠三郎が床 の色が浮かんできた。源次郎も少し汗ばんでいる。一方の経 たように静寂が支配している。矢が放たれる弓音、矢羽の空 外さない。気づくと、道場のまわりには三十人ほどが試合を 宜館の村中進之助はいつものように顔色は黒い。堀川小十郎 気を切る音、的中の快音。だが十一本目のとき、左京と進之 見つめている。いま源次郎は矢の走りがよいと感じている。 は端正な顔立ちで落ち着いている。久根新八郎は目つきが鋭 清三郎は普段と変わらず落ち着いている。左京は顔に緊張 くなっている。源次郎は準備する前、左京と清三郎に声をか 助が僅かに外した。立ち位置は両名とも中である。おーとた め息が洩れた。あとの清三郎、新八郎はともにしっかり締め て的中させた。第三組は両組十一中の同数となる。 定型俳句 自由律俳句 川 柳 両三組が前段を射ち終わって、少し早いがここで昼の休憩 歌 にはいった。午の刻にはまだ四半刻ほどある。経宜館の門弟 短 じめる。的中の快音、僅かに外してかちっと的枠を打つ音。 き六人が射位の前に立つ。一礼して射位に進み、矢を番えは 最初の組が始まろうとしている。おのおのが所定の座につ け道場の外で晩秋の空気を大きく吸った。 几にかけ、看的役は御蔵衆兵具番の四名が安土に向かった。 中数を争う。一組の的中数が最も多い組を藩代表と決する。 を二回、前段と後段に分け計八本。一組の合計二十四本で的 詩 第一組は弦友舎、経宜館ともに十二射九中の同数だった。第 筆 たちが湯茶の用意をするあいだ、他の者は張り出された看的 随 表を見て、どの組が勝つのかを論じている。長机に湯茶の用 論 二組が始まる。前の組と同じように六人が立つ。経宜館の組 評 は先日の組と同じ顔ぶれである。弦友舎は雅之介、半七郎、 児童文学 意ができると茶を啜りながらそれぞれが弁当を使った。総見 説 伸兵衛である。雅之介、一本目的中。半七郎、それに続く。 小 53 浜松市民文芸 58 集 であった。 どちらの組も射ち終わってやや肩を落としている。 経宜館側八本的中で都合十七中、弦友舎側九本の都合十八中 経宜館、左が弦友舎である。最初の組が後段を射ち終わって 飯を喰った。三人が前段の結果について話し合っていた。 役の鳥居忠三郎と師範の梅木清左衛門、河内妙斎は別室で昼 「二十四射のうち、二十中以上で決着がつけば、内容もよろ ましょう」 しょう、となれば二十一ないし二十二中ほどのもので決まり 「鳥居どのの申されるよう、的中率は十が九ほどでございま 妙斎が答えた。 「さよう、 そのくらいの的中数がほしいものでございますな」 忠三郎が言った。 て来た。的の傷みがはげしいとみて、六つの的を取り替える 前にすすもうとしたとき、看的役の兵具番の一人が急ぎ寄っ 負が決するか。道場の中は静まり返っている。六人が射位の 二十中で終わった。あとは源次郎の組と堀川小十郎の組で勝 し、九本的中で都合二十中、雅之介の組は十本的中で同じく 雅之介は四本皆中。対する経宜館側は十二射のうち三本を外 のあと半七郎がおしくも四本目を的枠に当てながら外した。 る。伸兵衛がどすっと豪快な音を残して一本目を外した。そ 第二組の後段が始まる。雅之介、半七郎ともに快音を続け と梅木清左衛門も答えている。 しいかの、なにせ藩の代表であるからの」 「ところで、かようなご時世であるが、来春の江戸は大丈夫 よう進言してきた。 鳥居忠三郎が的を見つめたあと野太い声で でござろうか、なにぶん世情騒がしいようでござるが」 河内妙斎が心配顔でいった。 と言って床几を立った。 待ちくだされ」 「しばらく、的替えをいたすあいだ、暫時休憩といたす、お た「蛮社の獄」と呼ばれる事件に連座して高野長英が永牢と そのころ江戸では、十三年前のモリソン号事件を契機とし なり、この十月には自害している。幕府の異国船打払令によ 道場内にざわめきがたち、六人はもとの座に戻った。源次 ら的の位置を確かめるのにやや手間取っている。忠三郎が射 郎たちは手拭いを出し、念入りに弓手と、革で巻いた弓の握 位から見ると、一番左の的が外にずれているので直すよう指 る対外政策が世に問われているのだ。ここ浜松の地にはその およそ半刻ほどで強面の鳥居忠三郎が再び床几につき、後 示を出した。的の位置は等間隔でなくてはならないため、慎 程度の情報は入ってくるが、その先のことは藩としてどうす 段の試合が始まった。先ほどと同じように梅木清左衛門と河 重に作業を続けている。準備が整ったとみて忠三郎が りを拭いた。終始無言であった。看的役が少し離れた場所か 内妙斎が忠三郎の後ろに座った。道場内にまた緊張した空気 るのか源次郎たちにはわからない。 が張りつめる。立ち位置は前段とは逆に、的に向かって右が 54 「お待たせいたした、これより再開いたす」 次は左京である。引く、放つ、的中の快音。続く新八郎、的 いる。咳払いの一つもない。道場から見える空はどこまでも 組各三本。誰が外すのか、この六名にまわりの目が集中して 九本を射ったところで両組ともに九中している。残るは両 中。 郎が弓を引き始める。射形が美しい。一本目、快音。源次郎 再び六人が一礼し、揃って射位に立つ。経宜館の堀川小十 と告げた。 もそれに続く快音。進之助、左京、新八郎、清三郎も快音の 青く広がっていて、鳶が鳴いているが源次郎の耳には聞こえ やあって放つ。快音が響く。そのまえの小十郎も四本的中で ていない。少し風が出てきたか。源次郎が四本目を射ち始め 終わっている。だが次の進之助が的枠に当てながら外した。 連続である。矢の放たれる弓弦の音、矢羽の唸り、的に突き 小十郎の次の源次郎の二本目の時だった。射った瞬間、弓 どこからか、ふうっと溜息が洩れた。続いて左京だ。これも 刺さる乾いた音。両組、外さない。源次郎は弓手にじわりと 弦がばちっと大きな音をたてて切れた。ぐらっと弓手が揺ら 見事に的中。久根新八郎も眼光鋭く射放ち的中。これであと る。的は以前にもまして大きく見える。充分に引き絞る。や ぐ。が、矢は的に刺さっている。すかさず忠三郎が 五人が射ち終わって、弓の先が床につくようにして、膝を 「待たれよ、弓弦を替えるように」 ついた跪坐の姿勢をとっている。普段は冷静な清三郎だが、 は清三郎にかかっている。的中すれば勝ちである。 源次郎は切れた弦を拾い、射位から戻って腰に下げた弦巻 緊張感からか矢が、引く途中でふわりと弓手の親指からはず き ざ から新しい弦を出し弓に張った。その間五人は、弓を降ろし れた。やむなくそのまま引き、馬手と顎で修正した。矢を落 としたのではない。引き絞った形はいつもの清三郎のそれで 柳 ある。清三郎は充分とみて放つ。矢が十五間半の先にある的 川 「失礼つかまつった」 自由律俳句 と小さく言って一礼し射位に戻った。 定型俳句 に 吸 い 込 ま れ る よ う に 唸 っ て 走 る。 か ち っ と 音 が し て 刺 さ 歌 る。看的役が覗きこんだ。的枠の外だ。まわりからおーとひ 短 忠三郎が と 源次郎は た執り弓の姿勢で源次郎を待っており、終始無言である。 と指示を出した。 汗を感じる。堀川小十郎も袴でさかんに汗を拭っている。 詩 「しからば、続行いたす」 筆 そかなため息が漏れる。清三郎は両の手をぐっと握りしめ顔 随 がかすかにゆがんだ。これで第三組は前段と同じく、またも 論 と言ったあと、村中進之助が矢を番えた。ぎりぎりと弓が張 評 られ狙い定める。いったん緊張が緩んだかと思ったが、進之 児童文学 十一中でともに都合二十二中となった。 説 助の矢は唸りを残して的に吸い込まれていく。角度も良い。 小 55 浜松市民文芸 58 集 しゃづ 鳥居忠三郎が る。 したところで試合は終わる。それぞれにかなりの重圧がかか 二名の同射で、六人の内の誰かが外すまで続けることで、外 「うむ、しっかり使ってくれ、たのむぞ」 す」 「おお、これは見事な矢だ、雅之介わるいな、では拝借いた そう言って真新しい四本の矢を差し出した。 「清三郎、新しい矢がある、これを使ってみないか」 雅之介が 左京が笑って言った。 「これより、安土の手入れのため、暫時休憩とし、のちに射 半七郎も こうなると射詰めである。射詰めとは、両組一人立ちとし、 詰めといたす」 間たちのためにも絶対に外せないと気を引きしめた。 源次郎はこの様子を見ながら、下級藩士ではあるがこの仲 と続けた。 「これで勝てれば俺たちも江戸に行ける」 と宣告した。 鳥居忠三郎、梅木清左衛門、河内妙斎は別室で休憩するこ ととなったので、源次郎、堀川小十郎たちも一服するようお 茶を所望した。経宜館の若手が用意した湯茶を飲んだ。吉川 半七郎、田辺雅之介、松本伸兵衛も集まり、 「四本目を外したのはまことに残念だった、あの矢はじつは と源次郎が言うと も外れなんだ」 「うむ、弓弦が切れたときはこれまでかと思ったが、幸いに と大柄な伸兵衛が言った。 の三羽烏だ」 しい。 各自一本射で続けるためなかなか肩の力を抜くこともむつか 先ほどの後段と同じく、前が経宜館、後ろが弦友舎となる。 そう」 の勝負とあいなる、左様心得られよ、それでは始めるといた 両名同時に外したときはそのまま続行する、いわば、一対一 並ばれよ、的は各組一つとし、どちらかが外すまで続ける、 「ではただいまより、射詰めを始める、両組三名は縦一列に やがて鳥居忠三郎が 借り物なのだ、俺のは先日、的枠に変に当たって、鏃を傷め 「おい、なかなか見応えのある内容だったぞ、さすが弦友舎 てしまったのだ」 の家老大沢玄五郎が床几に腰を下ろしていた。 三郎のななめうしろに、城の用事を片づけて来たらしい丸顔 一礼をおえて源次郎が顔をあげると、いつのまにか鳥居忠 「まあいいさ、つぎの射詰めをがんばろうぞ、箱根を越えた 清三郎が悔しそうに言った。 気がするのだ」 56 着いて堂々とし、白い足袋があざやかである。源次郎も遅れ 吸をはかるようにして、両者が動作を始める。小十郎は落ち 六名が一列に並び、小十郎と源次郎が先ず射位に立つ。呼 た。 互いに両道場の健闘を称え、今後ますます精進せよと督励し 対する形で座り、河内妙斎と梅木清左衛門の挨拶があった。 唸りをあげた二本の矢は快音を発して的中する。源次郎、小 まいと弓を引き絞り、見事な射形をみせる。両者同時に放つ。 賛の言葉があり、これで来春はいよいよ江戸だな、と喜びが 源次郎たちは弦友舎に戻った。師範の梅木清左衛門より称 半七郎が破顔して みちみち 六人はまた財布と相談しながらひさごに行くことにした。 沸いてきた。 三郎と新八郎の番である。清三郎、落ち着いている。新八郎 かに揺れた。新八郎の矢が一瞬早く離れた。かちっと的枠に 絞った新八郎、清三郎、安定している。新八郎の馬手がわず 新八郎が弓手をさかんに拭く。汗をかいているようだ。引き 者的中。左京、進之助、的中。清三郎、新八郎の番である。 い、と確信する。小十郎に遅れず放つ。矢羽の音を残して両 射形が素晴らしい。源次郎は両眼で的を見つめつつ、外れな に迷ってしまってな」 「おう、わしは一年半ほど前に参った、茶屋が多くて入るの と源次郎が言うと へ行ったことがあるのは清三郎の他に誰かの?」 「行くのはおそらく六名だろう、楽しみだ、ところで、江戸 と言った。 の者も必要だろうからの」 「来春は俺たちも江戸へ行くぞ、一組は三名だろうが、控え 当たった音がする。続く清三郎の矢は見事に的中した。おお 江戸の三十三間堂は三代将軍家光の時代に浅草に建てら に江戸への想いに酔いしれていた。 その夜ひさごでは祝勝会となって酒が旨く、六人は皆すで と伸兵衛が嬉しそうに言った。 二順目に入る。小十郎、源次郎、射位に立つ。この両者は の目付きが鋭い。ほぼ同時に放たれた矢が的中。 ある。左京はやや緊張しているが、この二人も的中する。清 十郎は射位をさがって組の後ろに並ぶ。次は進之助と左京で 詩 ーっとどよめきが立つ。新八郎の矢は的枠に当たって外れ、 鏃が割れていた。 すかさず鳥居忠三郎が立ちあがって 「それまで、本日の試合は弦友舎第三組の勝ちときまった、 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 れ、後年火災にあったがまもなく富岡八幡宮の東に再建され 随 た。この時代には弓術の隆盛と八幡宮の参詣者などで大いに 論 これまでといたす」 評 弓 矢 を 持 っ た 六 人 は、 上 座 に 向 か っ て 膝 を つ い た 形 の 跪 坐 児童文学 賑わっていた。京都東山の三十三間堂を模しており、弓術の 説 で、深く一礼した。そのあと道場内の者は道具を片づけ、相 小 57 浜松市民文芸 58 集 う申して来ておるでのう、わしにはよくはわからぬがな」 「そうか、覚えておらぬかの、うしろの方で見ていた者がそ のことまでは覚えておりませぬ」 三十三間堂はこの五年後の安政二年の大地震により半ば倒壊 大会が江戸と京都で盛んにおこなわれていた。しかし江戸の してしまっている。 浮かれている。それにしてはちと早くないかな、と源次郎は よばれた。左京などは、支度金の話でもあるのかの、などと 知なされ、勝ちは経宜館とすることとあいなったが、どうで 奉行の酒井帯刀どのの三名で談合いたしたが、鳥居どのも承 「昨夜から郡奉行の鳥居どの、鳥居どのは存じておるの、町 なかから三つの袱紗に包んだものを三人の前に押し出し と家老大沢玄五郎は言いながら、後ろの手文庫を引きよせ、 不審に思った。三の丸の書院に着くと、 翌日の夕七つ過ぎ、家老の大沢玄五郎に源次郎たち三人が 「こちらでござります」 「だが、 昨晩、わしのところにある者から知らせが入ってな、 そこで丸顔の大沢家老は言葉をいったん切り を楽しみにしておろう」 そなたたちのはたらきはなかなか見事であった、来春のこと 「いや、お待たせした、わしが大沢玄五郎でござる、昨日の 左京と清三郎が目をあわせたのがわかったが、源次郎にはそ 殿よりのご芳志ありがたく頂戴つかまつります」 辞退いたし、まことにおそれおおいことながらわれら三名、 ござった由、申し訳ござりませぬ、このうえは昨日の勝ちを 「おそれながら、ご家老の申されるとおりわれらに不注意が ややあって源次郎が両手をつきながら が開かれ三人の目の前には一人二十五両の切餅が置かれた。 話しぶりは穏やかだが、うむをいわさぬ強さがある。袱紗 と言った。 の、おさめてくれぬか」 あ ろ う、 す ま ぬ が こ れ は 殿 よ り 下 さ れ た 切 餅 と い う こ と で 茶菓が出て四半刻ほど待たされた後、家老付きの武士が、 と中間に奥の間に案内された。 失礼つかまつる、と言いながら障子を開けた。三人が平伏す 昨日の射詰めの最後、清三郎と申したかな、射位の立ち位置 ると がやや前にずれておったそうな、覚えておらぬかの」 う言うほかなかった。 三人が平伏する中、丸顔の大沢玄五郎は目を細めて 大沢玄五郎はそう言うと清三郎の顔を詰問するように目を据 「うむ、では左様なことでよろしいかの、ご苦労であった」 えた。これは異なことをと、清三郎は顔をあげて 「は、しかとは……」 と言って部屋を出ていった。 書院を退出した三人は、西の空に暮れゆく秋の日をふり返 とやや紅潮し 「なにぶん、的に向かって集中しておりますゆえ、立ち位置 58 った。日の上にかかっていた雲が切れて、今日も何事もなか ったように恒と変わらない天守に帯になった光がかかってい る。目を足下に落とすと、植え込まれている城内の草木も、 すでに晩秋の色を深めている。源次郎はしばし佇んで城下の 景色を眺めながら、われら下級藩士にとっての世のありよう はこうなのかと思った。そう思うと頬を撫でる風がいっそう ひんやりと感じられた。屋敷に帰れば多恵が気を落とすであ ろ う な、 ど の よ う に 話 し た ら よ い の か 言 葉 が 浮 か ば な か っ た。だがそう思いつつ源次郎は、左京の言うように、今おれ 児童文学 評 論 随 筆 (東区) たちは箱根を越えて、その雲の先にあこがれの江戸を見た気 説 がした。嘉永三年の秋の終わりであった。 小 詩 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 59 浜松市民文芸 58 集 選] 人、 ことはなく、日がな一日広間の片隅にいて、テレビを見ると 記事は、イラク派遣を経験した自衛隊員のうち、陸自 もなく眺めている。 空自6人の計 人が、2005年度から 年度の間に自殺し 19 ていることが防衛省の取材で分かった。 とあり、さらに防衛省は ︱ 個別の原因には答えられないが、借金や家族関係の場合 次郎が三河園へ入所して三年余りになる。股関節骨折で二 どもであった頃の次郎も、やがては陸軍の幼年学校か海軍の めに戦うことを望み、そこに疑いを持つことはなかった。子 戦争は終った。 しかし、国民学校を卒業して旧制中学校に入学した年に、 ヵ 月 程 総 合 病 院 に 入 院 し た 後、 リ ハ ビ リ の た め の 施 設 を 経 たこともない。ふたりの家族や知人も殆んど見舞いに訪れた りはいずれも極端に寡黙な老人で、今までまともに話し合っ 志願兵になることを考えていた。 的に軍国主義教育を叩き込まれていたから、いずれは国のた 戦前に生まれ、戦中に子ども時代を送った者の多くは徹底 次郎は今年八十歳になった。 忘れてはいない。 ている。祐一の死に、茫然自失の状態にあった敦子を次郎は 子の病は祐一の死と無関係ではあり得ないと次郎は今も考え 祐一の死を知らされて間もなく妻の敦子が亡くなった。敦 反芻するような思いでいる自分に暗然とした。 一であることを、既に六年余り経った今、まるで遠い記憶を 自殺した二十五人のなかのひとりは、次郎のひとり息子祐 ともあった。 もあり、派遣との因果関係は分らない ︱ 11 [入 気弱な犬 伊 藤 昭 一 次郎は広間のテーブルの上に拡げられたままの新聞の片隅 に、こんな記事があるのに気づいた。 人自殺 イラク派遣の自衛隊員 7年間に 25 て、ここ三河園の二階の三人部屋に入っている。同室のふた 用になっている。 アー、一階はデイケアサービスやデイサービスの人たちの専 では行けない。二階はショートステイを含めた療養型のフロ 養護老人ホームになっていて、職員でなければエレベーター ここは老人福祉施設「三河園」である。三階、四階は特別 25 60 もはや戦 戦後の混乱については、既に多くの人が語っているし、戦 衛隊を選んだのも近くに飛行場があって、戦時中はそこがひ たのは、いわば職業のひとつとしての選択であった。航空自 生きていかねばならなかった。言ってみれば自衛隊を志願し 後ではない︱と言われていたではないか。人はこんなにも忘 いと言っていい。そう、昭和三十年代の後半に も知れない。戦後、荒廃した飛行機の格納庫や、その中に放 とつの戦場でもあったことが次郎を自衛隊に向かわせたのか ︱ 後六十余年を経た今このことを話しても耳を傾ける人はいな れっぽいものか、と次郎は呆れるような思いを抱いた記憶が 置されたままの飛行機の残骸が、いつの間にか粉々になって いたし、滑走路の向うには枯野が広がっているか、うららか 敗戦間際にこんな記憶がある。 な春の日には陽炎がゆらめく景色が鮮明であった。 になったであろう戦地に向かう船が襲われて沈没し、あっけ に撃 昭和二十年七月一日の午後のことであった。次郎の家から りにあった国会議員や県会議員の選挙事務所で雑用をこなし いってもバラック建ての土建屋か鋳物工場、何故かその頃頻 余裕はなかった。十八歳の少年はいくつかの小さな工場、と もあった。母子家庭の子どもとなった次郎は大学に進学する 来なかった。切れ切れの血にまみれた肢体が硝煙のなかにあ 追い払われてその無惨な様子は、遠くからしか見ることは出 ともに駆けつけた時、既にそこにいたいかめしい姿の憲兵に 発令された直後のことであったが、田畑にいた農家の人々と 墜された日本の飛行機が炎上するのを目撃した。警戒警報が ほんの数キロほどしか離れていない谷間の竹薮に、B て報酬を得ていた。おとなの世界を覗いた気がした。饗応や 児童文学 評 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 航空自衛隊員としての教育やその生活も、こうした景色の た。 ったことも。あと一ヶ月余りで戦争が終ろうとする時であっ 墜されたのは飛龍という当時の日本では最新鋭の爆撃機であ 乗員十三名が残らず死亡した事を、後になって聞いた。撃 った。 どはわからない。戦場に向かう船もなかった筈だ、という噂 なく戦死した。そこは東シナ海であったというが、真偽のほ 終戦の直前に召集された次郎の父は、おそらくそれが最期 昭和二十六年に高校を卒業した。 戦後、学制がかわり旧制中学校は新制高校となり、次郎は ある。 詩 収賄を目の当たりにした。高校生の制服を着た次郎に酒を飲 ませ、百円の札束をこともなげに手渡して、使いを頼まれる そんなことが長く続くわけはなかった。二十歳になって次 ことも珍しくはなかった。 国のために戦う、という戦中の教育のいわば残像が全く消 郎は自衛隊に入った。 説 えていたわけではなかった。いや、そんなことを考える前に 小 61 29 浜松市民文芸 58 集 なかにあったことは、次郎にとっては、少なくとも遠い故郷 ︱ パイロットっていうのはな、皆が憧れるのだが、なかな しかし、当時の世の中の人の自衛隊員を見る目は厳しかっ がファイトのある犬がいるだろ、そんな犬のようなファイト いついたら絶対に離さないブルドッグとか……俺は知らない 番大事なのはな、ドッグファイトって言って、それこそ喰ら かなれないそうだ。パイロットに限らず自衛隊員にとって一 た。たまに外出許可が出て街に出掛けるときも、決して制服 をもつ隊員より少しは身近な思いはあった。 ではなく私服に着替えなければならなかった。人々のいわれ を俺たち持たなきゃいけないんだ 税金ドロボー ス に は 次 郎 の 名 は な か っ た。 青 木 の 意 気 揚 々 と し た 表 情 か が今後進むべき専門分野が発表されたが、パイロットのコー た。そんな青木の言葉通り、訓練期間が終って、正式に隊員 周りの同僚も青木のこんな言葉を感心するように聞いてい ︱ のない誹謗は、かつての横柄な軍人や兵士の記憶が人々にあ 軍隊はいらんぞ ったからに違いない。 走っているだけの自衛隊 ら、彼がパイロットのコースの一員になったことが知れた。 もはや合法的に民主主義の根幹である選挙で不正を是正 することは不可能である。それを断ち切るには革命かクーデ ︱ 暗殺を企てたというのである。彼らは政治の現状を それは、ある会社社長が自衛隊の幹部に働きかけて首相の った。 その頃「三無事件」という自衛隊員がかかわった事件があ いった。結婚して三年あまりして長男の祐一が生まれた。 紹介する人があって見合いをし決めた。農家の娘で、敦子と 一戸建ての家に住んで、そこから部隊に通うようになった。 次郎は昭和三十年代の末に結婚し、官舎を出て郊外の古い 上官の判断であることから、不平をもらす者はなかった。 かに整備専門に配属された同期生もいたが、すべて指導した 次郎はレーダー部門のグループに属することになった。ほ タバコならしんせい などのヤジや非難を浴びているのを何度か見かけたものであ ︱ ︱ ︱ ︱ る。 自衛隊に入隊した次郎も、最初は少年の頃に抱いた憧れは あった。それはパイロットになることであった。 ひそかにパイロットを目指していた次郎の夢は、入隊後間 もなく破られた。 二十数名単位の集団のいくつかが起居を共にして学習や訓 練の指導を受けていた。全国各地から集められた隊員だが、 青木という男だけは次郎と同郷で同じグループにいた。彼は 俺はパイロットになるのが夢なんだ 次郎にも同僚にも気軽に話しかけ、屈託のない男であった。 ︱ 次郎が一度も口に出来なかったことを、彼は広言していた し、更にこんなことも言っているのを聞いた。 62 ︱ 民の納得のいく解決が図られなければ、残る方法は武力しか 民主主義が正しく機能せず、しかも話し合いや裁判で国 ターしかない ︱ ︱ た。言ってみれば制服組とシビリアン・コントロールの離反 がなくなったことなのか、若しくは、表に出なくなっただけ のことなのか次郎には分らない。 自衛隊員の階級は、二士から始まって一士、士長、三曹、 二曹、一曹、曹長、准尉、三尉、二尉、一尉、三佐、二佐、 ない。それは歴史の教えるところである というような主張であった。クーデターと言えば、昭和十一 そう言えばパイロットとなった青木は階級も次郎よりも早 一佐、将補そして将と上っていく制度は、かつての軍隊と同 く昇進して、次郎が退官するとき青木は三尉であった。防衛 じである。 れるが、 結局、それは失敗に終ったことは次郎も知っている。 大学を卒業したキャリアでない青木がここまで昇進したの 年の二・二六事件は言うまでもなく日本では最初のクーデタ 「三無事件」のことはかなり後になって次郎は聞いたが、格 は、彼が言っていたドッグ・ファイトの持ち主であったろう 矢研究会」の存在が、二年後の昭和四十年に参議院予算委員 経済、言論統制の非常立法などを検討したと言われる、「三 部に押し入って総監を監禁し、自衛隊の決起を促したが成功 夫が、「楯の会」同志の会員らと東京の陸上自衛隊東部総監 四十五年に起きた、いわゆる三島事件がある。作家三島由紀 隊 員 で あ っ た 頃 の 次 郎 に と っ て 忘 れ ら れ な い の に、 昭 和 と次郎は考えている。 会で、いわゆる制服組の独走として強い批判を受けた事件が 次郎は思う。 を 目 に 見 え な い か た ち で 変 え、 縛 っ て い く も の で あ る ら し は、昔の軍隊には及ばないにしても、その中にいる者の意識 がそう思わせたのかも知れない。専門家も言っていたが、ク 覚えている。三島の計画がいかにも杜撰なものであったこと おぞましさとともに奇妙な滑稽さを感じたことを次郎は今も 室に、切り落とされた三島の首が転がる様子を想像すると、 腹を切った三島の死骸の生臭い血の匂いが立ち込めた総監 い。しかも、そんな秘密性は社会の出来事や世の中の動きと ーデターを起こすのには最低一個師団、約九千人の参加がな 児童文学 評 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 ければ、首相官邸や国会、政党本部などの政権中枢の占拠は かに対する無関心さとは、どうやら背中あわせのものである 自衛隊という世間から半ば隔絶された集団のもつ秘密性 しなかった事件である。 あった。 統合幕僚会議で朝鮮有事を想定した図上演習を極秘に行い、 また、あれは確か昭和三十八年であったろうか、防衛庁の 別な思いはなかった。 ーであり、近衛歩兵連隊の千四百人の兵士が参加したといわ 詩 らしいと次郎は考えるのである。 説 こうした事件は次郎が自衛隊にいた間は全く聞かれなかっ 小 63 浜松市民文芸 58 集 不可能であるというではないか。その上、その後の首相や政 それへの回帰とか郷愁を言っているのではなく、主人公が置 かれている重苦しい閉塞感や孤独感を言っているのではない またこの事件が起こった時、息子の祐一はまだ十代の少年 か、と次郎は思った。 であったから、祐一の将来に重ねて考えるようなことはあり 権首脳部の逮捕・監禁、放送局やマスコミの占拠、高速道路 どの制圧という一連のクーデターのシナリオが想定されなけ や空港など、主な交通機関の統制、そして反対勢力やデモな ればならないのに、三島の計画の中にはそれがあったであろ 得なかった。 祐一の自殺はこれからずっと後のことであった。 レーダーとひと口に言っても、それは警戒レーダーと管制 前後いて、専らレーダーひと筋で過した。 た。次郎は御殿場と岩国、そして北海道にそれぞれ七・八年 れ、 例 外 は あ っ て も ご く 短 い 期 間 で 転 属 す る の が 普 通 だ っ 青木を含め同期の隊員の多くは全国各地の自衛隊に配属さ うか。 青木のいうドックファイトをもつ自衛隊員は世間が想像す るほど多くはないのだと、次郎は思う。 陸上自衛隊東部総監部に乱入した三島たちが、総監を監禁 レーダーがあり、それぞれは異なった役割があった。管制レ し、自衛隊の決起を促したが成功しなかったのは当然である と次郎は思う。総監の拒絶にあった三島は、二階のべランダ えず警戒をするのが役目であり、もしも日本の領空を侵犯す から隊員たちに決起を促す演説をするのだが、マイクもなし る国籍不明の機がレーダーにキャッチされれば、直ちに主権 ーダーは、離着陸する航空機を管制するのが役目であるのに あの事件から既に長い時間が経っている。 が発動され、警告を発する。もしも警告を無視して日本の領 対して、警戒レーダーは日本の領土の先端の基地にあって絶 次郎は思う。 空を去らなければ、戦闘機が飛び立って、そのまま戦闘状態 にどれだけの隊員が決起するのかの見通しがあったのだろう 自決した三島の最後の作品を次郎は読んだことがある。「豊 に入るのであるが、今までこうしたケースは、ない。 か。 饒の海」と言う小説であった。この小説の最後のところに、 ︱ お父さんと同じように…… あった。 る、と言い出した時、次郎は驚いたが、予感のようなものは 息 子 の 祐 一 が 大 学 を 卒 業 し て、 次 郎 の よ う に 自 衛 隊 に 入 こんな一節があったことを覚えている。 おそらく三島自身であろう既に四十歳代での男が言ってい る。 ……壁の向うには青春の物音はつぶさに聞える。しかし、 輝かしく明るい未来しか想像しなかった青春への述懐と、 壁には通路はないのだ…… 64 と言われると反対することも出来なかった。 妻の敦子も強くは反対しなかった。 昭和が終るころ次郎は自衛隊を退官した。 急行の止まらないローカル線の小さな駅の駅前に居酒屋 「止まり木」はある。カウンター席に十人も座ればいっぱい になり、テーブル席が二つあるだけの小さな店である。 自衛隊を辞めた次郎は、個人でやっている電気店へ週四日 勤めるようになった。自衛隊でレーダーを仕事にしてきただ けに、その技術は街の電気屋が扱う機器の扱いには支障はな かった。そう言えば自衛隊で運転免許はもとより、防災や大 型トラックなどの特殊な免許を得た者もあることを、偶然立 ち寄ったその居酒屋で、自衛隊入隊の同期であった太田に会 って聞いた。 太田の故郷は仙台だが、雪のないこの地に永住することを まあ、俺やお前とは奴は違うよ。と言って太田は小さく笑 ているみたいだ。 った。 息子の祐一は今は岩国にいるが、便りは忘れたころにしか 帰省しても友人を訪ねたり高校時代の同窓会に出席したり 届かない。 ときに彼女はいるのか して、次郎や母親ともゆっくり話す機会は稀であった。 ︱ まあ と答えるだけであったが、どうやら高校時代の女友だちと文 と、次郎が聞くと ︱ あの居酒屋で太田を交えて祐一と三人で飲んだこともほん 通してる、ことは話した。 イラク戦争が始まって、やがて日本も国連平和維持活動、 の数回だけだったが、あった。 いわゆるPKOがさまざな論議の末に編成されることになっ た。不戦の誓いである憲法九条がある以上、祐一がこれに参 児童文学 評 論 随 筆 歌 いてあった。 短 定型俳句 自由律俳句 川 柳 祐一からの最後の手紙となった外国郵便にこんなことが書 う情報であったことも、 どこか安心しているところはあった。 直接戦場に赴くのではなく、あくまで後方支援に徹するとい 加することなど夢想だにしなかった次郎であった。PKOは 青木のことは、次郎と太田の共通の話題であった。 そう言えば、あの青木はどうしてる 詩 ああ、あの青木な、ドッグファイトのパイロットの青木 決めたとも言った。 ︱ ︱ な あやつも自衛隊を辞めてからも、それこそドッグファイ トで、会社を興して防衛庁に売り込んだりして大きく儲けた ︱ 説 っていう噂を聞いたよ。中国や台湾にもしょっちゅう出掛け 小 65 浜松市民文芸 58 集 イラクに派遣された僕たちは、PKOの一員として参加 の背後には、日本という祖国があるという意識を持つべきだ を回って、村や警察署や学校などを訪ねて、食糧事情や衛生、 ラ ク 派 遣 の こ と も あ っ て、 な か な か 帰 省 で き ま せ ん で し た したが、僕は一年ほど前からある女性と暮らしています。イ さて、実はお父さんやお母さんにはお話してありませんで し、僕のまわりの隊員はそう考えている筈です。 教育のニーズを尋ね、それに基づいて行動しています。PK が、帰国したら正式に結婚式を挙げたいと思っています。彼 しましたが、直接イラク国内に入ることはなく、周辺の国々 ︱ Oは国連から派遣されているわけですから、迷彩服の右肩に 女は慶子と言って、介護福祉士をしています。 歴不問の「外人部隊」があったりしますからね。また、自衛 るばかりであった。唯一の光明といえば、祐一と暮らしてい と、これからどうやって生きていったらいいか、途方に暮れ し、家事も手をつけることのなく消沈してしまった妻の敦子 祐一を喪ってからというもの、すべてのことに意欲をなく が出来なかった。 ないのではないか、と次郎は暗澹たる思いから抜け出すこと ると考えられるが、手紙の内容からも自殺する気配なぞ全く 祐一が自殺したのは、この手紙のあと数ヶ月後のことであ いと思っています ︱ れました。このことを含めて帰国後に報告し、お許しを得た 一週間ほど前の彼女からの手紙で、妊娠したことを知らさ 水色の国連ワッペン、左肩に日の丸をつけています。運転す る車には国連のマークであるUNの文字があることは、日本 暑いところですから決して快適な暮しとは言えませんが、 のテレビなんかでも見ているでしよう。 これも任務ですから命ぜられた仕事を精いっぱいやっていま す。安心して下さい。 最近知ったことですが、僕たちのほかにPKOへの個人単 位の派遣もあって、何と女性の自衛官もいることを知りまし 隊を退官した男が、この外人部隊に入って、内戦状態にある たという女性の存在であった。しかも彼女は妊娠していると たし、会ったこともあります。フランス陸軍では、国籍・経 と言って辞 ︱ いうが、祐一の死を知らされて大きな動揺と混乱に襲われて 実戦で活躍したい 隊 で あ る 空 挺 団 を、 いるに違いない。祐一の父ではあっても、会ったこともない ︱ 国に派遣されて戦いに加わったり、陸上自衛隊のエリート部 フランスという国は、彼らにとっては、あくまで雇用主で 思うが、茫然自失の妻を独りにして置くことも出来ない。 在を求めて祐一の所属する基地に赴き、手懸りを得たいとは 次郎に心を開いてくれるであろうか。次郎としても彼女の所 め、フランスの落下傘連隊に入った者もいると聞きました。 あり、その行為は契約にもとづくものだと言います。 僕にはこうした考えはどうしても理解できないことだし、 あってはならない事じゃないかと思っています。僕たち隊員 66 な す 術 も な く い た ず ら に 月 日 は 経 っ て い き、 そ の 年 の 暮 れ、猛威をふるったインフルエンザに罹った敦子は、肺炎を 併発してあっけなく息を引き取った。 次郎のひとり暮しが始まった。 どんなに厳しい環境にあっても、人は意外に強靭なもので ある。次郎の意識のなかに、もうこれ以上の不幸はないだろ う、いくら何でも、これ以下の状態はなかろう、というよう な開き直りの思いがあった。居酒屋「止まり木」にも行くよ うになった、ママの節ちゃんも、 あら暫くね と屈託がない。太田さんも時々はお見えになるわ。次郎さん ︱ どうしてるかなあ、なんて言ってたわ。 歳月が過ぎて行った。 年末の寒い朝、ゴミの収集所にいつもより多くのゴミを提 げて行く途中、次郎は何かに躓いて転倒し、骨折した。股関 担当の医師はこともなげに呟きながら、次郎の骨折した脚 老人はよくやるんだ 節骨折であった。救急車で運ばれた。 ︱ ちょうど今日から年末年始の六日間は病院が休みになる を括りつけてから ︱ 説 児童文学 評 論 随 筆 ので、このまま我慢して下さいよ。手術は年明けの四日にな 小 詩 ︱ る 入院患者の多くは年末年始は自宅へ帰る人が多くて、病院 内は静まりかえった雰囲気にあることがベッドに繰りつけら 今年は暖かい正月だよ 年があけて二日に、 太田と節ちゃんが見舞いにきてくれた。 れていても分る。 ︱ お手紙がたまっていたから持ってきました と、節ちゃんが持ってきてくれた封書やハガキ、ダイレクト と、太田。 ︱ メールの束のなかに差出人の名が、慶子、とあるのを見つけ て、一瞬、次郎は体じゅうが温かくなるような嬉しさを感じ た。 しあわせの便り、というものがあるとすれば、これこそが それだと確信した。 二ヵ月入院したあと、リハビリ専門の施設へほぼ一ヶ月、 そして、ここ三河園に入所したのである。 次郎と同室の寡黙な老人のひとりが、夜更けてから部屋を 抜け出し、遠く離れた独り部屋の女性、と言っても彼とほぼ 同年齢のおばあちゃんのベッドで寝ていたことがヘルパーに ふたりとも裸なのよ、しっかり抱き合って寝てるのよ 発見された。 ︱ 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 声を顰めながら囁きあうヘルパーたち、それは困惑とも驚 短 67 浜松市民文芸 58 集 あのおばあちゃん、いつも身だしなみが良かったわね、 い、 それは彼女たちの心なしか紅潮した顔色が物語っている。 ヶ月かかったことだろう。その間、何度も読み返した慶子か ギブスも取れて院内を杖もなく歩けるようになるまで、何 きとも違う、呆れる、軽蔑するとも違う、そう、羨望でもな ︱ こうしてお手紙を差し上げることに私はたいへん躊躇し ま し た。 祐 一 さ ん と 暮 す よ う に な っ た 経 緯 も 詳 し く お 話 し ︱ ある。 らの手紙は、次郎はベッドサイドの抽斗の中にしまい込んで おばあちゃん、シゲさんを拒否しなかったのね シゲさんは次郎の同室の老人である。 発見したヘルパーが決め付けるように言ってその場を立ち ︱ ︱ ともかく、上司に報告しとくね 決して素顔は見せない。必ず紅をさしてね ︱ て、お許しも得なければいけなかったのですが、何となくそ かすかな消毒の匂いを漂わせているばかりであった。次郎と その後、院内は何事もなかったかのように乾いた空気が、 ありませんもの。まずお父様に私たちの結婚を認めていただ す。まさか祐一さんが自殺するなんてことは想像することも せたのですが、今となってみると、それが良かったと思いま 派遣される直前に済ませました。私が妊娠したことがそうさ の機会を失ってしまいました。婚姻届は祐一さんがイラクへ 同室の老人、シゲさんにも何のお咎めもなかったらしい。彼 くことが先だったと、祐一さんも私も考えていましたから。 去った。 は全く表情も変えず、今まで通りの寡黙な老人の顔をしてい 高温多湿な気候に悩まされていたようです。 ど、さまざまな仕事をしていたようです。そんな仕事よりも に 携 わ っ た り、 田 舎 の 水 道 工 事 や 破 壊 さ れ た 住 宅 の 建 設 な イラクに派遣されてから暫くは手紙もきました。道路工事 た。次郎がそれとなくあのヘルパーに聞くと、 ︱ 園長さんはね、知らなかったことにしておきましょうっ ておっしゃいました ︱ ここの園長は女性で、こうした福祉に関する経験や造詣が 深く著書もあった。次郎は背が高く、光るような白髪の園長 を出産しました。祐一さんにはすぐにお知らせしました。と 祐一さんがイラクへ派遣されてから五ヶ月後に私は女の子 次郎はそんな姿に何となく「愛」と言う言葉を重ねて考え ても喜んでくれました。愛、という名前にしよう、という手 に感心した。 た。この小さな事件も園長の愛ではなかろうか、と。この寡 紙を頂きましたので、すぐそのようにしました。 あの人は、わが子の名前を知ってから、逝ったのです。 黙な老人の長い人生のなかでの、ほんの小さな出来心から生 まれた遊びのひとつに過ぎないのだ、と。 68 理解できなかったことに尽きます。所属の部隊へ何度も電話 さんが何故自殺なんかしたのか、そのことがどうしても納得 お父様になかなかお手紙が書けなかったのは、まず、祐一 て、どんな小さなことでもお聞かせ頂きたいのです。 ら っ し ゃ る か も 知 れ ま せ ん が、 自 衛 隊 当 時 の 彼 の 事 に つ い されています。もうかなり以前のことで、ご記憶も薄れてい とが解らず、部隊を訪ねてもみました。何しろ遠い国の後方 したり、手紙を書いたりしましたが、一向にはっきりしたこ くというようなことにはならないと思いますので、ご安心下 いいえ、もし裁判になったとしても、あなたに証言して頂 ていませんが、祐一さんと同じようにイラクに派遣された方 ありませんでした。私の気持ちの整理は、まだ完全には出来 のか、お聞きしても恐らくお答えにはならないでしょうから ると言うことは聞きましたがね。青木にどんな容疑があった です。噂話なんかでは、中国や台湾にも商売の手を広げてい 尽きます。彼は「ドッグファイトの男」です。それがすべて お話の向きはよく解かりました。彼のことは、ひと言で 次郎は暫く考えてから言った。 さい。 経過は本当に解らなかったのではないでしょうか。 私の弁解に聞えるかも知れませんが、何をどうすればいい が帰国してお話して下さいましたが、その方もおっしゃって 伺いません。彼がドッグファイトの持ち主であるならば、私 と、次郎は答えると突然彼の脳裏に、もうじき会えるであろ は、まあさしずめ「気弱な犬」でしょうかな…… う、次郎の孫娘の愛の姿が浮んだ。喜びが次郎をつつみ込ん 児童文学 評 論 随 筆 歌 ないでいた。 短 定型俳句 自由律俳句 川 柳 (西区) で、検事の話す言葉は霧散してしまっていることにも気づか その土地の人々の暮しや誤爆による死者を見て、絶望感に襲 ︱ 戦場ではないと言いながら、慣れない異国の風土や気候、 いました。 か解からなくて、まるで右往左往していたのですね。申し訳 ︱ 支援とは言いながら、戦場と変わらない所ですから、詳しい 詩 われたのではないか、そう考えるしかないのでは、と。 園長から呼ばれて、次郎は園長室のソファーにかけてある 男と対面していた。 男は四十歳前後で、穏やかな表情を浮かべながら切り出し た。 私は検察庁の検事で伊藤と言います。今日お伺いしたの は、あなたが自衛隊員であったころの同僚で、青木という男 ︱ 説 をご存じと思いますが、彼が今ある事件の容疑者として拘留 小 69 浜松市民文芸 58 集 [入 選] いつか二人で対岸へ 白 井 聖 郎 風が低い笛のような音をたてながら、行き交う学生たちの 髪やマフラーを靡かせていた。 で聞いた。 「そういえば見てねえ」 「メールを送っても朝から返事がないのよ」 啓太郎は大して気にする様子でもなく、周囲を見まわして 「今日は授業がないんじゃねえの?」 いた。 「電話はしたのか?」 「うん。鳴るけど、出ない」 京香の心配をよそに会話をする啓太郎に、かすかな嫌悪感 「それよりお前、経済史のレポートは書いたか?」 を抱いた。それでも、雅志と一番仲がいいのは啓太郎だった ので、相談せざるを得ない。 五コマ目の授業のない京香は、構内にある図書館へ向かお うとした。陽は落ちかけて、あたりは薄暗くなってきている。 「よく飲んでいるのに?」 「俺も、神谷のことはいまいちわからねえんだよ」 身分証明カードを入れて図書館へ入ったところで、京香は 「前田」 どちらかが告白したということでもなく、十月の中頃から自 雅志と京香は、たぶん付き合っていることになるのだろう。 陽は落ち、構内にある外灯が啓太郎の顔を照らしている。 ませた啓太郎が入口に立っていた。 静けさを裂く大きな声で呼びとめられた。振り返ると息を弾 「これ返す。ありがとな」 「語ったり、馬鹿な話をしたり。あいつの気性が激しいのは 然と二人でいることが多くなっていた。 貸していた国際関係論の教科書だった。 「うん」 お前も知ってるだろ?」 服用している。 太郎なら知っているのかもしれないが、雅志は精神安定剤を 付き合ってから、余計にそういう一面が分かってきた。啓 「うん」 静かな図書館内でも声のトーンを下げずに平然と会話をし てくる啓太郎のことが、 京香は出会ったころから苦手だった。 「お前、今日は元気ねえな」 京香は入ったばかりの図書館を出て、啓太郎のそばで小声 「うん。ねえ、神谷君を見た?」 70 「だから、気にしなくていいんじゃねえのか? またひょっ そう言いながら、啓太郎は携帯電話を開いていた。 こりそこらのベンチで煙草を吸ってるだろ」 「出ねえな、あいつ。昨日は普通だったのか?」 「様子はわからないけど、見かけたわよ。大岩君たちと盛り そう言うと、啓太郎は京香に背を向けて歩き始めた。 「じゃあな、風邪ひくなよ」 「ありがとう、小林君も」 啓太郎が何か独り言を言いながら去って行った。京香はも 想像を超える寒さだった。寒いというよりも、肌が痛い。 う一度雅志に電話をかけてみたが、やはり繋がらなかった。 学部は同じでも一緒に受ける授業も少ないので、会えない 上がっていた気がする」 飛行機から降りると、雅志は全身を震わせながら猫のよう に体を丸めた。隣で歩く楓も歯を鳴らしている。急いでダウ 内だというのに、尋常ではない冷気だった。 る毛皮のコートではなく登山用品店で買ったダウンだ。空港 ンを着た。長期滞在をする予定ではないので、十数万円もす 今回は異様なほどに不安になった。 午前中に名古屋から新潟へ飛行機で移動をし、そして大韓 航空でウラジオストクまで行き、さらに四時間かけてシベリ ア の ヤ ク ー ツ ク ま で 飛 ん で き た。 着 い た の は 夜 の 十 時 だ っ た。荷物が出てくるのに一時間近く待っていた。 店もほとんどしまっていた。薬をたくさん持っていたので荷 出航する便もないためか、空港には人はそれほどいなく、 物検査で引っかかったが、常備薬だと言って、滞在予定の朝 ロシア語以外にも英語で表記してある空港内の道案内を頼 してもらった。 昼晩に分けてある分や、市販の薬の箱を見せてどうにか納得 かもしれんしな」 「そうだった。じゃあ、来週だな。来週になれば神谷もいる になっていた。 土日に控えたセンター試験の準備のために、金曜日は休校 「明日は大学がお休みよ」 ようぜ。今日はあいつバイトだしよ」 「明日大岩に、神谷に変わったところがなかったか聞いてみ 今までにも連絡のとれない日はたまにあったが、それでも にいないこともある。 日もよくあることだった。就職活動まっただ中なので、大学 詩 「うん」 京香は、もっと雅志のことを聞きたい気持ちと、早く啓太 郎と別れたい気持ちの板挟みになっていた。 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 りに、雅志たちはバス乗り場まで向かった。周囲の誰もが毛 「まぁ、そんなに心配するなよ。急用が入って、携帯を忘れ 評 たって可能性もあるし」 児童文学 皮のコートを全身にまとい、露出している部分は目元だけだ 説 「そうよね」 小 71 浜松市民文芸 58 集 った。掲示板には、屋外の気温がマイナス四十度だと表示し てある。この時期の最低気温の平均並みだ。 「寒いな」 あえて言うことでもないのに、雅志は思わず口に出してし まった。楓は頷いている。 ーゼ広場でバスを降りた。 ルーブルは、リーマンショック前までは一ルーブル四円く らいだったのだが、今では二・七円まで円高になっている。 人影はまばらだった。広場の向い側にあるパールスという ホテルに入った。ホテル内はかなり暖められていて薄着でも 十分だった。右側にバーが見えた。チェックインを済ませて 楓はバッグを無造作に広げた。雅志も楓も、バッグを一つ 四階にある部屋へ入った。 四番線の乗り合いバスに乗りこみ、最後列の席に座った。 持っているだけで、スーツケースは持っていなかった。荷物 「私、疲れた。シャワーを浴びて、先に寝ていいですか?」 楓が首を軽く横に振った。二人とも窓の外を見ながらぽつ が多くなる分、動きにくくなるからだ。最低限の物だけを持 「愛知万博には行った?」 りぽつりと会話をした。雅志は楓に尋ねたことを後悔した。 ち、必要があれば買えばいいと思っている。 「ううん、行ってないです」 愛知万博が開かれたのは七年前で、当時小学六年生の楓は、 空港内で買った「BOND」と書いてある煙草を、雅志は 「楓がシャワーを浴びた後、俺はちょっと酒を飲んでくる」 両親の離婚などがきっかけで家庭が荒れている頃のはずだ。 愛知万博でロシアが提供したマンモスは、このヤクーツク コーラよりもビールの方が安いことに驚いたが、雅志はウ へ行った。 楓がバスルームから出てきたので、雅志は一階にあるバー タバコは日本よりも半値以下で手に入る。 クローゼットに吊るしたダウンのポケットから取り出した。 からのものだった。もっとも、雅志もこの地に来ることを決 めて初めて知ったことだ。 市街地へは三十分で着いた。その間、同乗していたロシア 人らしい夫婦が声をかけてきて、言葉が通じないにもかかわ らず二人は気にする様子もなく雅志たちに話していた。夫人 の身ぶりから、寒いからしっかり着込みなさいといったよう なく土らしい。その分、水気を含むととてつもない悪路にな いた。観光へ来たこと、数日したらシベリア鉄道に乗ってモ たのか」と英語で聞かれた。「韓国から」と、雅志はうそぶ が、分からないというジェスチャーをすると、 「どこから来 バーテンダーに、おそらくロシア語で声をかけられたのだ ィスキーを頼んだ。 る。雪はあまり降らないらしいが、それでも五十センチは積 道路が凍結しないように、郊外の道路はアスファルトでは な内容もあったように思えた。 もっているように見えた。八ルーブルを払い、オルジョニキ 72 スクワへ向かうことも言った。無論、それも適当に言ったこ 「おやすみ」 雅志は目を閉じた。ラコリーニャのことは言わなかった。 「おやすみなさい」 バーテンダーは、ヨーロッパよりもアジア人に近い顔のつ とだ。 エアコンの音だけが聞こえる。一日前というより、早朝に に行くところは決めていない。カナダや北欧、日本の東北地 はまだ名古屋にいた事が信じられない気持ちだった。楓と出 方なども候補に挙がっていたが、最終的に、シベリアのどこ くりをしている。周囲を見ても、アジア系の顔がいくつか見 二杯飲んだあとに、ラコリーニャと名乗る若い女が隣の席 か、ということになった。シベリアがいいと言ったのは楓だ られた。ウラジオストクの空港ではヨーロッパ系の顔が断然 に座ってきた。胸元の開いた赤いドレスを着ている。狎れ狎 った。楓の曽祖父が太平洋戦争後にシベリア抑留兵としてソ かけることになり、半年前の七月から予定を立てていた。と れしい接し方だった。雅志の部屋で二人で飲みたがっている 連軍に連行され、命を落としているらしい。当然楓は曽祖父 いっても、一週間ほど時間をとるだけで、ヤクーツクで特別 ようだった。娼婦だ。そう思った。雅志は楓と来ていること 多かったので、このヤクーツクに住む人々がアジア的な顔立 を言い、断った。ラコリーニャは寂しそうに笑っていた。 となくシベリアという土地が気になっていたようだ。 に会ったことはなく、写真すら見た事がないそうだが、なん 「眠れないのか?」 今にも途切れそうな楓のか細い声が聞こえた。雅志は首だ 「神谷さん?」 け右に動かして、隣のベッドにいる楓を見た。楓は天井を見 「ここ、日本じゃないんですよね」 つめたままだ。 テレビもない部屋は、ベッドが二つと机と椅子がそれぞれ 「何を考えている?」 楓はベッドの上で天井の一点だけを見ている。 「はい」 部屋に戻り、シャワーを浴びた。楓がまだ起きていた。 ちなのかもしれない。モンゴル人の瞳を青くした感じだ。 詩 「いろいろです」 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 何か言葉をかけようとしたが、思いつかなかった。雅志も、 を向けた。 楓が、雅志の目を見て、微笑んだ。そしてまた、天井に目 「ああ、 あっという間だな。実感はなくても、ロシアにいる」 随 「不思議。朝はまだ名古屋にいたのに」 論 一つあるだけだった。 児童文学 評 「明日、バスで出かけて、少し歩いて探してみような」 「はい」 説 「俺は、寝るぞ?」 「はい」 小 73 浜松市民文芸 58 集 天井を見た。ロシアに着いてから、楓が初めて笑顔を見せた 瞬間だった気がする。一年前の夏に出会ってから、月に一度 くらいしか会っていなかったが、楓の笑顔を見ることはあま 京香は地下鉄に乗り二駅で降りて、アパートに着いた。風 朝の五時に目が覚めてしまった。携帯電話を見たが、雅志 呂から出た後、ベッドに突っ伏した。 た。京香のゼミでは、日経新聞の購読が義務付けられている。 からの連絡はなかった。京香は目をこすりながら新聞を開い 楓が身動ぎしていた。寝返りをうったのだろう。 りなかった。 近頃はTPP関連の記事が毎日載っている。社会面にはタイ 大学の講義は休みだったが、京香は図書館へ行った。土曜 ガーマスク現象という記事もある。 楓がいなかったら、ラコリーニャの誘いを受けたのだろう か。瞳の青い異国の女を抱くということに、興味がないとは 家庭教師のアルバイトが終わった後に、京香は地下鉄に乗 どらない。 しまいたかったが、雅志のことが気になって思うようにはか イトもあるので、今日中に週明けの提出のレポートは書いて 言い切れない。そんなことを考えながら、雅志は眼を閉じた。 って雅志のアパートへ寄ってみたが、明かりはついていなか 日は友人と遊ぶ予定で、日曜日は雅志と会う予定だ。アルバ った。電話も相変わらず出ずに、メールの返信もなかった。 昼に啓太郎から電話がかかってきた。すがるような気持ち で電話をとった。 携帯電話を持ち忘れて、どこかへ出かけてしまったのかも しれない。そう思いたかったが、それはそれでどこへ行った 「 大 岩 と 話 が と れ て な、 今 日 は 軽 音 部 の 連 中 と 集 ま る ら し 啓太郎の声はいつもより興奮気味で、少しだけ煩わしく感 い。お前も行ってこいよ。何か聞けるかもしれないぜ」 かが気になってしまう。 二日前の火曜日に大学で雅志と一緒に昼食をとったときに は、今日出かけるとは言っていなかった。土曜日の夜に泊っ じられた。 みたいだぜ」 「それがな、大岩の連れが雅志のことを少しだけ知っている 「でも、私は軽音部と関係ないし」 オリオン座が南の空から少しだけ西へ傾いたところで輝いて 京香は歩いて地下鉄の駅へと向かった。白い息の先には、 たときも、いつもと変わった様子はなかった。 いた。 そいつの兄貴らしいんだよ。大学以外での神谷の話が少しは 「よくわからんけど、神谷がバイトしているバーの店員が、 「え?」 込むらしい。年に数回しか積もらない雪も、降るのかもしれ シベリアにある寒気が南下するためか、週末はかなり冷え ない。 74 聞けるかもよ」 いほどの寒さだった。暗い時には気付かなかったが、吐いた 息がそのまま凍ってしまう。肌が出ている目元は、痛みを感 じることなく、固まっているという感覚だけだった。車が何 啓太郎が興奮している理由が分かった気がした。京香も少 なからず気持ちが昂ってきている。 バスターミナルへ行くために、ホテルが建っているレーニ 台も走っている。 ン大通りを南へ歩いた。人口三十万人に満たない町だが、中 心部はそれなりに賑わっているようだった。霞がかっていて 地面に杭が打たれ、建物はその杭の上に建てられている。 遠くまでは見えない。 地表の上にそのまま家を建てると、暖房の熱で永久凍土が溶 けて、建物が傾いてしまうためだ。車の標識も日本とは違っ ていて、よくわからない。逆三角形で枠だけ赤く、中は白い 標識があった。白いひし形の中に黄色のひし形が書かれてい テルで済ませた。ロシア特有の、黒くて酸味のあるパンを二 ころで西へ曲がり、奥へと進んだ。一泊千ルーブルの宿を通 レストランやショップが並んでいる。二十分ほど歩いたと る標識もある。 切れと、味のないシリアルを口に入れた。楓は紅茶を飲んだ 行先も何もわからないまま、 最初に来たバスに乗り込んだ。 り過ぎてすぐのところにバスターミナルはあった。 「眠れなかったのか?」 短 歌 定型俳句 自由律俳句 楓の目がいくらか疲れているように見えた。 「適当すぎるよな。こんな調子で見つかるといいけどな」 筆 柳 ブルだった。外に出るころには明るくなってきていた。 随 川 「はい」 荷物をまとめてチェックアウトをした。二人で約五千ルー だけだった。 見てみると、二日後の天気が悪そうに受け取れた。朝食はホ 朝の九時になっても外は暗かった。ロビーにあるテレビを 啓太郎に感謝の言葉を言って電話を切った。 京香は泣きたくなるようなほどの不安に包まれていたが、 いはずだ。 マスも正月も、雅志と過ごした。付き合っていると言ってい 十一月の京香の誕生日に、雅志はピアスをくれた。クリス ところはなかった、って」 「来い、って。それと、水曜日に会ったときは特に変わった 「大岩君はなんて言っているの?」 詩 「明後日は天気が悪そうだから、できれば今日のうちに見つ けよう」 論 「少しだけ寝ました」 評 といっても、具体的な行き先は決めていなかった。 「はい」 児童文学 「眠剤は?」 説 ホテル内の暖かさとは打って変わって、外はやはり恐ろし 小 75 浜松市民文芸 58 集 「我慢しました」 楓がバスの外を見た。睡眠薬を飲むことを我慢したことは 雅志には理解できた。持ってきた分量をすぐに減らすわけに バスを利用する人は少なかった。おそらく、西方へと向か はいかなかった。 っているはずだ。 きた。 「ここにします」 「わかった、そうしよう」 店が数軒並んでいたので、そちらの方へ向かって歩いて行 った。小さな食堂のようなレストランに入った。店内の暖か メニューを見ても何もわからなかったので、適当に頼んで さはやはり落ち着く。ダウンと服を脱いだ。 リ、それに生のきゅうりとリンゴが角切りにされていてマヨ いる。サラダもあった。茹でたジャガイモとニンジンとセロ み た。 サ ー モ ン の ク リ ー ム コ ロ ッ ケ の よ う な も の が 出 て き 町の東側には大きなレナ川が流れている。河はヤクーツク レナ川はシベリアの物流の一翼を担っているらしい。河の ネーズのようなものがかかっている。材料だけ見ればポテト のはるか南西にあるバイカル湖から東へと下って来て、ヤク 遊覧も大小様々な観光があり、河を下って北極圏へ行くとい サラダに似ている。他には何種類かのパンがついてきた。隣 た。豆をペーストしたようなクリームに魚の身が粗く入って うクルーズもあるそうだ。冬は凍結した河を車で移動すると の席では昼から男三人がウオッカを飲んで楽しそうにしてい ーツク一帯を巻きつくように北へと進路を変えている。 いう。レナ川をいくらか北上した対岸にも小さな町があり、 一時間ほど走った。牛乳を散りまいたような濃い氷霧のた 冬でなければ向こう岸にでも行ってみたかった。 店の女が無愛想に声をかけてきたが、やはり意味はわから た。雅志たちはコーラを頼んだ。 ない。そうするとしばらくしてから小さな世界地図を持って めに、十メートル先はおぼろげにしか見えない。だだっ広い 雪景色が広がっているのだと勝手に想像していた。見える限 「コニチハー、アリガトゴザイマス」 きた。雅志は、韓国ではなく日本を指した。 百 ル ー ブ ル を 払 い バ ス か ら 降 り た。 地 名 は よ く わ か ら な りでは建物も少なくなってきている。 と女が言ってきた。先ほどと違って表情がとても明るくな っていた。 い。時刻は昼の一時を超えている。風がないので、寒さはい くらかマシだった。マシといっても、日本では体験したこと 「ニホン、スキ。スシ、アニメ、ムラカミハルキ、スキ」 にロシア語で話してきて大笑いをしていた。何か歌っている 雅志は感嘆の声をあげた。それから女はまくし立てるよう のない寒さだ。 楓がつぶやいた。はっきりと伝わるようにもう一度言って 「ここがいい」 76 ような仕草もしているが何をしているのかはわからない。 大岩がそれぞれの紹介をしてくれた。全員が軽音部らしい が、五人でバンドを組んでいるというわけではないようだ。 「うん」 「神谷からはまだ連絡はない?」 「そうか心配だな。俺たちは帰るからよ、前田は佐上から話 「驚いたな」 楓も意表を突かれたのか、眼を丸くしていた。 そう言うと佐上という女だけを残して、大岩たちは全員が を聞いてみな」 帰り支度を始めた。 評 随 筆 だった。 歌 定型俳句 自由律俳句 川 京香はドリンクバーでミルクティーを作った。 短 柳 京香は思い出せなかった。いまは雅志のことで頭がいっぱい 貝原のことはどこかで見たことがあるような気がしたが、 人が店から出ていった。 いう女が、大岩に声をかけていた。大岩は頷いて、男たち三 もう一人の、伏し目がちで物憂げそうな表情をした貝原と 「私は別の席で一人でゆっくりしていく」 そう言うと大岩は席を離れて行った。 って近づいてやる」 ることを期待してるからな。喧嘩の一つでもしていたら、笑 「気にするな。来週、神谷と前田が何事もなく飯を食ってい 「ありがとう、大岩君」 佐上はカプチーノを飲んでいる。 知らないし」 「二人だけの方がいいだろ。それに、俺以外は神谷のことを 雅志がそう言うと、楓は少しだけ口元を緩ませて頷いた。 「ちょっと店の人と仲良くなっちゃった気がするから、明日 いい、案外陽気なのだろうか。 たが、空港のバスで話しかけてきた夫婦といいこの店の女と ロシア人に対しては、何となく陰気なイメージを抱いてい 「はい」 詩 は隣の店で飲もうか」 気のせいかもしれないが、ロシアに来てからは、楓の表情が 日本にいるときに比べてかなり穏やかになっている。 五百ルーブルほど払い、店を出た。店の女がパンを四つく れた。 帰 り の バ ス を 三 十 分 ほ ど 待 っ て い た。 二 時 く ら い だ ろ う か。霧のためにはっきりとは見えないが、日本では考えられ ないほど陽が低かった。あと二時間もすれば沈みそうだ。 しばらくの間、二人は無言のままバスを待っていた。午前 よりは、霧が薄くなってきていた。 ファミリーレストランに入ると、先に来ていた大岩が手招 児童文学 論 大岩の他に四人いた。一人の男は知っていたが、もう一人 きをしてくれた。 説 の男と女の二人は知らなかった。 小 77 浜松市民文芸 58 集 「夏もだったんですか? 付き合い始めたのが秋だから、夏 らしい」 の夏と冬の休みは、週に六回とか、猛烈にアルバイトをした 「私の兄が勤めている店のバイトなんだって。この大学でそ 「雅志を、知っているのですか?」 この店でバイトをしている人は神谷君しかいないらしい」 のことは知らなかった」 「理由は聞いたことある?」 同じキャンパス内にいるが、学部の違う佐上とは面識がな かった。 「ないです」 京香は即座に言った。佐上がカプチーノを口に入れた。 「雅志に変わったところはありませんでしたか?」 「夏休みは毎日でもアルバイトに入れてほしいって言われた 佐上は頭を右の指先でかきながら、 京香から目をそらした。 「悪いけど、詳しくはわからないわ。私が神谷君をほとんど 兄が、理由を聞いたんだって。人数を揃えるための他のメン た。たった二日間連絡が取れないだけなのに、不安な気持ち く冬も同じ理由」 「海外に遊びに出かけるためだって言っていたそう。おそら 「それで?」 バーとの兼ね合いもあるし」 に取り憑かれて、自分でも浮足立っているのがわかる。 「知らなかった」 京香はそれでも、何でもいいから雅志のことが聞きたかっ 知らないせいもあるけど」 「前田さんのことも私はよくわからないから、だから、二人 京香は、雅志に対してかすかな不満を覚えた。雅志から海 を探るような言い方はしないようにする。聞いたことだけを 話すわね」 みたい。就職活動とレポートが重なっているみたいだけど」 「ちなみに、今週から来週は一度もシフトが組まれていない 外旅行の話を一度も聞いたことはない。 したくない。 「私も一応はそんなようなことは聞いていました」 京香にとってもそれはありがたかった。いまは余計な話は 「神谷君は、二年生のときの夏からバイトをするようになっ え、ゼミも違い受ける授業もかなり違っていたのだ。 実際のところは正直わからなかった。同じ経済学部とはい たみたい」 佐上とは同学年だったが、京香は丁寧語で話していた。雅 「はい、それは知っています」 外 を ぼ ん や り と 見 て い る 貝 原 が い た。 や は り 見 覚 え が あ る た。京香も席を立った。ふと周りに目をやると、角の席には 話 に 一 区 切 り つ い た の か、 佐 上 は ド リ ン ク を 取 り に 行 っ のだ。 志の誕生日は七月なので、二十歳になってからすぐに始めた 「普段は週に三回程度しかシフトに組まれていないけど、こ 78 が、思い出しそうで思い出せなかった。 し、神谷君が話すこともないみたい。でもやっぱり付き合っ から。その子のことはほとんど話さなかったらしいし」 「前田さんのことはよくのろけるように話しているみたいだ 「どうしてですか?」 てはいなかったと思う」 席に着くと佐上が口を開いた。 「それと」 それはありそうなことだと思った。現に、京香も一度だけ 「夏に一度だけ、神谷君の知り合いが来たらしい」 「 お 金 を 貯 め た が っ て い る こ と と、 そ の 女 の 子 の こ と だ け 密の付き合いなのだと直感した。 沸き起こってきた不安や嫉妬は、渦巻いたままだった。秘 違いの場所に来たのだと思ったのだった。 が、兄には印象的みたい。あとは大学生活の日常のことや野 行ったことがある。カクテル一杯で二千円もしたので、お門 「女の子で、たぶん、私たちと変わらないくらいの年齢だっ 球やサッカーの話で盛り上がるくらいだって」 でもなく、淡々と時間が過ぎていったみたい。偶然店に寄っ 「知り合いのはずなのに、特に楽しそうに会話をするわけ に 隠 す の は わ か る と し て も、 そ れ で も 怒 り は こ み あ げ て き のかもしれない。京香と付き合う前の約束だったとして京香 つなげれば、彼女でもない女と海外旅行に行くということな その二つの話だけでは正直何も確証はないが、強引に話を たような感じではなく、明らかに神谷君の所へ来ていた感じ 児童文学 評 論 随 筆 自由律俳句 バーテンダーに酒を注文した。 定型俳句 川 た。前日のホテルの斜め向かいにあるホテルだ。 歌 「いよいよだな」 短 柳 に泊まることにした。今日くらいという思いが二人にはあっ ロシアの二日目は、初日よりも少しグレードの高いホテル た。 いたが、雅志とその女のことが脳裏にへばりついたままだっ 貝原がコーヒーを入れているのを、京香は目の端で捉えて た。しかし、ただの嫉妬からの、不安な憶測でしかない。 うだ。 佐上のつま先が京香のすねにあたった。脚を組みかえたよ たみたい」 詩 だったそう」 「当時の彼女かしら?」 京香はそう思ったが、そんな話は聞いたことがなかった。 それでも、彼女がいなかった理由にはならない。 「わからない。だけど、女の子の、会いたくなった、ってい う言葉と、神谷君の、明日会えるのに、って言葉をたまたま 兄が聞きとれたみたい」 少しだけ、掌が湿っぽくなっているのを感じた。京香は少 し冷めてきたミルクティーを飲んだ。 説 「その女の子のことはそれだけ。それ以来店には来ていない 小 79 浜松市民文芸 58 集 「うん」 楓が首をかしげた。 「楽しみ?」 雅志は思わず声をあげて笑った。 「わからない。明後日まで暇だな、って思っているだけです」 両親の離婚、再婚、蒸発などが続き、楓は同居する親が二 人とも血のつながりのないという状態になっていた。父と再 婚相手の継母と一緒に暮らしていたが、父が失踪した。その 一年後に、継母の再婚相手が現れ継母は身ごもった。楓には 家庭での居場所がなくなっていた。 「二日後、ですからね」 らか、カウントダウンが始まったからか」 「俺は、ちょっと気持ちが昂っている。ロシアに来ているか 「神谷さんは?」 を多用していた雅志にとって、なんとなく同じ雰囲気を感じ たのが出会いだった。自傷行為はしていないが、精神安定剤 が気になって、電車を降りるときに思わず声をかけてしまっ 傷行為の跡が二の腕のあたりまで見えてしまったのだ。それ て、楓は日除け用アームカバーで腕を隠していたのだが、自 見かけたのだった。座席に座る雅志の目の前に楓は立ってい 雅志が大学二年の夏に、たまたま地下鉄の電車の中で楓を 「明後日、雪でバスが走らないかもしれないから、明日行っ 「確かに暇だ。覚悟していたけど、行くところもないしね」 て、飲めばいいと思っているけど。飲んで寝て、いつの間に 取ってしまったのかもしれない。 月に一度二人は会って、大した会話をすることもなく一緒 か、雪」 「いいですね。そうしましょう」 だった。そして蝉が鳴き始めた夏のとある日に、 「私と一緒 に精神安定剤を飲んでぼんやりとしていた。それが、楽しみ に死んでくれませんか?」と小さな声で誘われたのだった。 ロシアに来てから、楓の表情はやはり日本にいるときより も和らいでいた。 りと思い出していた。 目の前のグラスを眺めながら、雅志はそんなことをぼんや それもいいな、と雅志は答えていた。 「まぁ、こんな寒い中をバスが走るのも笑えるけどな」 氷点下五十度を下回ると、車は動かなくなるらしい。 「神谷さん」 楓はいつもと変わらない様子だった。 ちょっとしたイベントがあるかのような感覚で、楓との心 酒が来た。 二人とも名前すらわからない酒を注文していた。 「素面で元気なうちに一回だけ言っておきたかった」 「どうした?」 楓の声で、雅志は現実に戻された。 雪の中で死にたい。 中の段取りが決まった。 それが、楓の希望だった。 80 出されたグラスを見ていた楓が、おもむろに背筋を伸ばし 雅志も思わず姿勢を正した。 て、体を雅志の方へと向き直した。 楓が、深呼吸をした。 「神谷さん、こんな私に、ありがとう」 しばらく見つめあった後、照れたのか楓が目をそらした。 の中で丸まっていた。明日会う友人からメールが来た。正直 会う元気はなかったが、会わないわけにもいかない。バレン タイン用のチョコレートの材料を下見しに行く約束だった。 電気もテレビも音楽も消してあるので、部屋は静まり返っ ている。 佐上との会話を思い出してみた。知らない女。海外旅行。 そうだった。いつもよりはるかに饒舌に喋っていた。言葉は その日は数杯飲んだだけだったが、楓はかなり気分が良さ かもしれない。何かの犯罪に巻き込まれたのかもしれない。 はどこで、何をしているのだろう。交通事故に遭っているの それ以上にかきむしられるような不安に襲われてくる。雅志 ばいくらでも悪くは考えられる。怒りと嫉妬はある。しかし、 その二つしか話はなかった。それだけだった。悪く想像すれ わからないが、バーテンダーや他の客とも、身ぶり手ぶりで 良いことは何一つ浮かばなかった。 雅志も少し照れくさかった。 盛り上がっていた。日本人は概ね好意的に思われているよう まどろんでいるうちに、朝を迎えていた。 八千ルーブルを払いチェックアウトを済ませた。昨夜の酒 代はすでに払ってある。 は落ち着いているようだ。視線がさまよっているというわけ 楓は朝から調子が悪そうだった。薬を何錠か飲んで、少し 外はやはり凍えそうだった。顔が一瞬でひきつった。 初めてのキスだった。同じベッドに入ることを、楓は拒まな 児童文学 評 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 何の前触れもなく気が沈むこともある。朝起きたら調子が悪 葉であったり、情景であったり、思い出したことであったり、 まく言葉では表せなかった。それは雅志も同じだ。何かの言 何のきっかけで調子が悪くなるのかといっても、それはう かった。両腕の自傷行為は何度も見たことがあったが、裸に 精を放った後、楓は雅志に微笑んできた。 ではないが、前日と違って目がどこか冷めている。 部屋に戻り、どちらからともなく、口づけをした。楓との、 楓も弾けるような笑顔を見せていた。 った。 たどたどしい日本語で日本の歌謡曲を歌う人までいた。 サッカーの話で盛り上がり、日本のアニメの話で盛り上が 周囲からは心中をする二人には見えないだろう。 だ。 詩 なると、 幾重にも重なっている赤い線が異常に生々しかった。 しかし、その笑顔には涙が流れていた。 説 夜の十一時ごろにレポートを書き終わった後、京香は布団 小 81 浜松市民文芸 58 集 くてすぐに精神安定剤を飲むことだってある。 昨日と同じ路線のバスに乗り、同じ場所で降りた。二人と 三十分ほど歩いた。飲む店は決まっているので、飲んだ後 も、バスの中では最後まで無言だった。外は、昨日よりは霞 の、死ぬ場所を探した。楓が指をさした。松のような木々が んでいなかった。 た。今日飲む分だけの金が入った財布と薬以外の物を捨てれ 続いている場所に、人の背丈よりも少し高い塀が、木々に面 雅志はロシアに来てからは、今のところ調子が良かった。 ば、もう、後戻りはできなくなる。前日までの浮ついた気持 して並行して立っていた。霧のためにどれくらい続いている ホテルの東側にある細い道に入り、ゴミ捨て場の前に立っ ちはなく、雅志は少し緊張していた。荷物を持っている左手 五十メートルほどまで来たところで、二人は塀にもたれて のかはわからなかった。 座り込んだ。 林立する木を見たが、 その向こう側は見えない。 が震えているのは、寒さのせいだけではないと自分でよくわ 楓はあっさりと荷物を投げ捨てた。公園でハトに餌をやる かっていた。 かのような、何のためらいもない気まぐれのように感じられ 両膝を腕で抱えるように座ろうとしたが、かなり着込んで いるために指先が触れるだけだった。楓も膝を伸ばして座っ た。自ら命を捨てることの覚悟や決意といった重いものは、 楓の中ではとうに乗り越えた煩悶なのかもしれない。 びていて、木の幹にまで達していた。 ていた。まだ午後三時だというのに、塀の影はかなり長く伸 た。こんなものか。雅志はそう思った。格好をつけようとは 楓 の 視 線 を 感 じ た 瞬 間 に、 雅 志 も 慌 て て 荷 物 を 投 げ 捨 て 思っていなかったが、死へと向かう一線を踏み越えるときの 雅志は聞いてみた。 「いま、何を考えている?」 「時間まで暇だなって思っていました。神谷さんは?」 動作が、何かの弾みで反射的に行われてしまったことに、満 たされない空虚な想いを抱いてしまった。 「寒いですね」 林の方から音が聞こえた。動物でもいるのかもしれない。 「影が長いなって」 「早いけど、店に行こうか」 雅志の動揺を見透かしたかのように、楓は呟いた。雅志は 「私は、後悔も未練もない」 日本にいる京香のことをふと思い出し、未練というより罪悪 雅志は、昨夜のことを思い出していた。バーでの楓の楽し っていたので歩きにくいことはなかった。 二人はまた塀伝いを歩き始めた。雪は積もっているが、凍 感が少しだけもたげてきた。それを振り切るように、楓を見 た。 「行こうか」 「はい」 82 えば心中を決めた夏よりも前に、例えば出会ってすぐに。そ もっと早くにそれを見るべきだったのだ。例えば日本で、例 そうな表情。あれが、本来の楓なのだろうと思った。雅志は もしていなかった。 るに違いなかった。それに対抗できる答えはないが、必要と とについて、たぶん、京香や友人たちは正論を持って反対す 死ぬことへのためらいは、もうなかった。自ら命を絶つこ 楓も雅志も、それだけのために、今ここにいた。 逃げるように、消えたい。 う す れ ば、 楓 は 死 の う と す る 気 持 ち が 揺 ら い だ の で は な い 生きていくことに対する、漠然とした恐怖や救いようのな か。そんなことを考えていた。ベッドで抱いた後の、震えな がらの泣き笑いも、楓の中にもまだ葛藤があったのではない 哀しむであろう家族は、すでにいなかった。夢というものが ただひたすら、波に漂う流木のように、二人は死へと歩んで ていく。凛然と立ち向かう勇気も必死に試みる抵抗もなく、 の起伏は螺旋のように渦巻きそして、大きな闇に吸い込まれ 朝と夜が繰り返すように、春と冬が繰り返すように、感情 い侘しさといったものが、日常的にまとわりついている。 ないせいもあるだろう。時計の針の音のように、毎日が単調 ことは特に語り合ってはいないので、実際の楓の想いはわか 少なくとも、雅志はそう思っていた。楓とは深い思想的な きた。 らなかったが、 似たようなものだろうと勝手に解釈していた。 評 論 随 る。 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 楓は表情を変えずに流れ作業のように薬を取りだしてい 「もう少し生きたかった気もする」 わず言葉をつぶやいてしまった。 雅志は薬を取りだした。呂律がうまく回らなかったが、思 気分だった。予報よりも早く雪が降ってきたようだ。 なっていた。酔いが回ってきていて、そしてそれは悪くない 時計を見ると八時を過ぎていた。店はいつの間にか満席に 男にウオッカとつまみを注文した。空は雲が多くなり、陽も が八つほどの小さな店だった。スキンヘッドをした無愛想な 三時過ぎに、スチャースチエという店に入った。テーブル に続いているだけだった。 大学を入学する前に、交通事故で両親と弟を亡くしている。 ただ、 雅志自身も、生きることにそれほど執着はなかった。 かと思えてならない。 詩 傾き始めているため、少しずつ薄暗くなってきた。夜中には 雪が降り始めるようだ。 二人とも、最後の食事は前日に済ませたつもりでいる。こ の日はただ、死ぬために飲んでいる。酒を飲んで酔い、日本 から持ってきた精神安定剤や睡眠薬をまとめて飲み、けだる い状態で眠るだけだった。 楓は淡々と酒を飲んでいた。少なくともそう見えた。二人 児童文学 筆 の会話も、特別なものでもなかった。小さい頃の話や、店に 説 ある置物の話や、好きな色の話をしていた。 小 83 浜松市民文芸 58 集 そう思いました。後悔も未練もないはずだけど、少しだけ、 えることも面倒になってきた。少しずつ、まぶたも重たくな だ。気持ちが昂ることはなく、ただ、だるくなっていた。考 た何種類もの精神安定剤を、用法や用量を無視して飲んだの 動こうという意思はなくなっていた。自分と楓の持ってい 名残惜しく思えちゃった」 ってきた。 「私もです。もう少し生きてみたかった。昨日の夜、ふと、 「でも、いまさら、だな」 った。いや、言葉すら、浮かんでこなかった。 雅志は返事をしようとしたが、もう言葉を発する力はなか 「こうやって、死にたかった」 いた。 楓が、水滴を絞り出すようにぽつりぽつりと言葉を紡いで 「初めて、ようやく、私の夢が、叶う」 手袋をはめたまま、楓と手をつないだ。 「はい」 そう言いながら、二人は動きを止めることもなく持ってい る薬を飲み始めた。何十錠もあるので一息では飲めずに、何 回も口に入れた。最後に酒を飲みほして支払いを済ませた。 店を出て歩き始めたが、かなり酔っていて二人とも真っ直 ぐには歩けていなかった。雅志は塀にもたれながら歩いてい た。 「神谷さん、そんな足取りで、決めた場所まで行けますか?」 明日は京香とデートをする約束だった。そんなことをふと 思い出したが、感情すら湧き上がってこなかった。 光でも闇でもない。 楓の口元が笑っていた。 「三途の川では溺れそうだ」 「私は一人でも行きますからね。神谷さんも、寄り道せずに 穏やかな眠りに包まれていった。 時だった。 友人との買い物の後に食事をして、帰ってきたのが夜の九 来てくださいよ」 「わかってる」 あと少しだけ歩いて、眠るだけだ。暗闇の中はっきりとは 見えないが、降っているというよりも襲ってくるといった雪 電 が 切 れ た に 違 い な か っ た。 受 話 器 の 向 こ う 側 か ら 聞 こ え 雅志に電話をしても、呼び出し音すら鳴らなくなった。充 足がもつれて、崩れ落ちるように倒れた。全身がだるい。 る、電源が入っていないという機械の音声が、京香の心に冷 だった。 二人ともダウンを脱いだ。寒さや痛さはもう感じない。昼に たく響いた。 明日は大雪になるらしい。 座った場所までは行きつけなかったが、二人で寄り添いなが ら塀にもたれた。 84 雅志が事件に巻き込まれているのなら。事故に遭ってしま ったのなら。どこかに遊びに行っているのなら。どちらにし ろ、不安ばかりだった。何人かの友人から、京香を励ました り慰めるようなメールや電話が来たが、ありがたくもあり煩 死ねないかもしれない。 全力で走った後のように、自分の鼓動が強く早く響き始め た。呼吸も浅かった。 雅志は一度だけ大きく息をついた。息の凍る音が聞こえる ることはなかった。眠り始めてからどれくらい時間が経った 横たわった楓の姿勢を真っすぐに直したが、眠りから覚め ようだった。 啓太郎からメールが届き、週明けに大家に頼んで、雅志の わしくもあった。ただ、雅志のことが気になった。 アパートへ入ってみようということになった。粗暴さが文面 筆 返して。 楓の頬を触ってみた。 歌 定型俳句 自由律俳句 ふいに、楓の声が聞こえたような気がした。 短 川 柳 りのシベリアの地で叶えられそうだった。そう思いながら、 た。それでも、雪の中で死にたいという楓の願いは、望み通 これでよかったのだろうかと、迷いがないわけではなかっ た。望み通り、楓はこのまま息を引きとるに違いない。 う。それでも、雅志には楓を起こそうという気持ちはなかっ 雅志はぽつりと呟いた。楓はまだ眠っているだけなのだろ 「楓」 浅ましく、惨めだった。 しまった。 雅志は寒さに耐えられず、脱ぎ捨ててあったガウンを着て にして、楓の親指と人差し指の間に入れてみた。 振り絞って立ちあがり、林から小枝を折り十字架のような形 雅志は楓の手袋をはずして、腹の上で両手を組んだ。力を のかはわからなかった。 詩 にも表れていたが、啓太郎も雅志のことをかなり心配してい いくら考えたところで、京香にはどうしようもないことだ るようだった。 雅志の無事だけを祈るしかなかった。 った。 怒りや不安や嫉妬など、さまざまな不快な感情を抱いて、 ひたすら、祈るしかなかった。 何かが倒れる音で、雅志はふと目が開いてしまった。 雅志にもたれていた楓が、体勢を崩して地面に横たわって いた。二人の上には雪がいくらか積もっている。楓は微笑ん でいるようだったが、頬には白い線が入っている。涙が凍っ 評 随 恍惚としている中、雅志は、全身の血が抜けていくような たのかもしれない。 児童文学 論 なぜだ。なぜ、目が覚めてしまった。 感覚に襲われ、狼狽してしまった。 説 それは恐怖に近い動揺だった。 小 85 浜松市民文芸 58 集 そうだ。目覚めてしまった雅志に対して、返してではなく り残された焦燥感の方が強い。 て、引き返してと楓は言っているのだ。そう思い込むことに 返して。 しかし、楓は静かに眠ったままだった。雅志はもう立ち上 闇を裂くように、一筋の淡い光が一度だけ頭上を走った。 ーツクでは北極星が頭上近くに見えるらしい。 楓の隣に横たわり、天を見た。雪と雲で見えないが、ヤク した。 がる気にはならずに、脚を伸ばしたまま塀にもたれている。 何を返せばいいのだろう。雅志は答えるはずのない楓に問 い返した。目の前にいる楓も、目を閉じて浮かぶ楓も、答え はしなかった。 車のライトのような明かりに見えたが、気のせいかもしれな 返して。 楓の声が、脳裏に何度もこだまして響いていた。 かった。こんなところに灯台があるとも思えない。 志はゆっくりと目を閉じた。 (中区) まだ、楓に追いつけるかもしれない。そう思いながら、雅 泣いているかのように風の音が響く。 吸をしているのかはよくわからなかった。 楓の顔に、雪がつもり始めているのがかすかに見えた。呼 何を返せというのだろう。朦朧としたまま、雅志は必死に 答えを探していた。 本 当 は、 雅 志 に 生 き る た め の 救 い を 求 め て い た の だ ろ う か。楓は、寄り添って死ねる相手ではなくて、依存しながら しかし、雅志は楓に対して、頑張って生きようといった類 生きていける相手を求めていたのだろうか。 の言葉をかけるつもりなどなかった。そんな言葉は、誰でも 言える。誰にでも言えるそんな言葉を、楓が雅志に求めては いないことも、わかっていた。 もう少し生きてみたかったという言葉は、楓の本心だった のだろう。しかしそれでも、最期に言った言葉も、偽りのな 返して。 い言葉のはずだった。 何を。命。未来。夢。尊厳。楓から奪った物は何だったの それでも楓を起こそうという気持ちにはならなかった。取 だろう。 86 [入 選] 二人の男 松 永 真 一 雄吉がその場所へ行くのは大体、月一回であり彼自身のう 「何か運動みたいなことやっていますか?」 「運動と言えるかどうかわかりませんが、最近、庭の草むし りをしています」 等々である。一時間半以上待って面談は二、三分で終る。い つもの薬を処方して貰う。 最近では患者の人数が増えたせいか早目に受付を済ませて おかねばならぬ。待合室はあらゆる人間的感情を置き忘れた かの如く虚ろな眼をした別の患者さん達ですぐに一杯になっ 吉はその理由がどうしてなのか今迄理解できなかったが最近 ある。うつ治療薬はそれ以上望んでも処方してくれない。雄 午後、書店だけの時は午前。その日は書店だけであった。彼 った映画が上映されていれば時間を割いた。映画を見た時は うになっていた。同時に映画館も併設されていたので気に入 型ショッピングモール内の書店に立寄るのが雄吉の習慣のよ 約二時間病院で過し、午前十時頃に車で五分程で行ける大 た。人びとは貝のように心を秘匿していた。 になって過剰に飲むと何かしら精神状態がおかしくなるから つ病治療で通院後と決まっていた。正確には四週間に一回で ではないかと薄々感じ取っていた。彼の通院歴はもう五年近 最初、勝男に出会ったのは三年程前であるが親しく話をす はショッピングモールを後にして目的地へと車を走らせた。 るようになったのは一年半前からである。どちらかと言えば 人見知りしない雄吉ではあったがそれなりの訳があった。 既にその場所で五十年以上の住人である勝男は雄吉に対し 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 て、毎月一回必ずやって来るやけに真面目な男といった印象 「睡眠は取れていますか?」 断しているのだろう。 分患者との会話面談の中で精神科医は専門的知見を通して診 心の病であるから通常は医師と患者との面談が主体で、多 に通院するのが億劫にさえ感じる此頃であった。 くになる。病院まで約三十分。高齢のせいなのか二十八日毎 詩 「はい」 筆 を持っていた。自分の兄弟でさえ年数回しか来ないのに雄吉 随 がこうして判を押したようにやって来る事に対して奇異な感 論 「食事の方はどうですか?」 評 「最近、運動不足のせいかおなかがすかなくて以前より食は 児童文学 じを持ち、物好きな人だなと思う位にしか見ていなかった。 説 細くなっています」 小 87 浜松市民文芸 58 集 く いるのだろうか。冬から春にかけての暖かい風に感じるのだ 手段もない桜がどんな風にして季節を感じ咲く時期を決めて ろうか。それとも暖かい太陽に照らされて季節を感じるのだ な人が来るが……とは言っても収容人数 も多く来訪者の顔を覚えるのは至難の業で、たとえ来たとし ここにはいろ てもほとんど目を逸らすように立去るのが通例なので覚える 植物が生きて花や実をつけるのは太陽の日照時間によって ろうか。何も喋らない桜は彼の疑問に答えてくれそうになか 季節を知るという事は後に図書館で知ることとなった。季節 った。 勝男の行動範囲は限られており、その中で彼は出来るだけ の色はまさに淡彩に染められていた。 ことは出来なかった。ましてや赤の他人と話をする機会はよ 精一杯動き回る日常を過している。彼は人徳もあってここ内 ほど相手が近付いてきた時に限られていた。 部の百人程の仲間の親睦会の長をつとめていた。だから他の の延長上にいたのだ。訪問者があればそれとなく気をつけて 「うん」 「もう春も終りだね」 勝男に声をかける。 何時ものように雄吉は車椅子の高さにあわせて膝を曲げて 見ている。しかし、訪れる人は勝男の方を見ようとしていな 仲間の様子などを見て回るのは習慣になっているし、責任感 い。既に身体の一部となっている車椅子の上で勝男は生きる 話の糸口を探り出しかねて二人の男の間にしばしの沈黙が 流れた。雄吉は何かを思い出したかのように唐突に ことを全く否定していない。それは運命だと勝男自身が納得 「廊下に展示されていた俳句の短冊は勝男さんが書いた 「うん。そうだよ」 の?」 するまでにかなりの年月を要したが今は自分なりに与えられ 玄関先の陽当りの良い所にいると、月一回 た状況や境遇に逆うことはしない。 く 勝男がたま 程度とは言っても律義な男と目に映ったその男がやって来 つも俳句の短冊が飾ってあるのを見るともなしに見てきたこ と月並みな誉め言葉を口にした。雄吉はその建物の廊下にい 「そうなんだ。あなたが書いたんだ。すごいですね」 一年半前、桜が散り始める四月の事であった。玄関口の広 とを思い出したが、俳句や短歌などとは無縁だったからその た。 と降り落ちてい く 勝男自身さまざまなペンネームを持っている。短冊の左下 書いた作品が展示されているものとばかり思っていた。 良さも意味などもその時には知る由もなかった。他の誰かが 場に面した道の両側には十本以上の桜が植えられており、満 開を過ぎた花びらが風もないのにハラ た。 雄吉はそんな風景を見ながらぼんやりと考えていた。花は どうして決まった時期に咲くのだろうか。目も持たず、移動 88 「全部あなたが作ったんですか?」 驚いて、 隅に書かれた名前から別人を予想していた雄吉は少なからず る。死んではならん!」 親父さんも亡くしていたんだよな。俺が親父代りに怒ってや 「いいか! 親がそんな気持でどうするんだ! たしか君は て怒り出したのを見て雄吉は内心驚いた。 けに勝男の言葉は身にこたえた。心の中では少し位同情して 自分の心が人生の中でこれほど落ち込んだことがなかっただ 雄吉は赤の他人からこれほど叱責された経験がなかった。 小刻みに動かしながら……。 人目もはばからず大声で勝男は叫んだ。車椅子をカタ く と聞いた。勝男の顔が一瞬ゆるんで少し得意気味にうなずい た。身体が不自由にも拘らずこうした作品を書き続けている 意欲を支えているものは何であろうと雄吉は思った。人はさ 暖 か な 春 陽 気 の 中、 車 椅 子 に 乗 っ た 人 が 三 三 五 五 出 て 来 くれて「君も大変だったね」と言ってくれるのを期待してい まざまな苛酷な人生を歩くのが常態であるにはしても……。 た。音も無く花びらが一つの心を空に捧げ、二つの心を地に に降りかかった不幸や不運が他の誰よりも一番酷いものだと 理解して欲しいと願っていた。多くの人びとは自分の身の上 たのかも知れない。絶望的な気持になっている自分の状態を 自己紹介を兼ねたような軽い気持で話はじめた。 思いがちである。 今迄の生活において世間は誉めるか、無視されるか、軽蔑さ けてくれる他人がいることと無関係ではないようだ。雄吉の 吉は次第に心が落着いて来ていた。それは面と向って叱りつ 妙なものでこうして他人から真剣な叱責を受けたことで雄 いた。 ただじっと怒り狂ったような勝男の言葉を真正面から浴びて 勝男の真剣な怒りにさすがの雄吉も返す言葉はなかった。 「いや。本当にまいったよ。妻が病気で死んだと思ったら、 勝男はそれを聞いた途端、血相を変えて 知れない。 落ち込んだ表情で喋った。同情を得ようとしていたのかも かったんだ。俺はもう死にたい心境なんだ」 「何で親の俺が気付かなかったのか。悔やまれてしかたがな 畳みかけるように続けて ね。流石の俺も本当にまいった」 今度は長男がマンションの三階から飛び降り自殺を図って しかし、雄吉はまだその時には気付いていなかった。彼は 捧げて舞落ちた。こんな日にうたは生まれるのだろう。 詩 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 れるか、黙って去るかといった人びとがほとんどであったか 筆 らである。たまに自分の悲哀や苦しみに共感してくれる人は 随 何を言ってるんだ! 死んではならん! 論 「死にたいだと! 評 絶対死んではならん!」 児童文学 居てもそれはその場限りでずっと伴走など出来ないと知って 説 と怒鳴った。いつも微笑を浮かべていた勝男が顔を真赤にし 小 89 浜松市民文芸 58 集 であろうし、目の前の男は放っておけば実行しかねない雰囲 ら自らを罰して命を絶つことは本人がやろうと思えば出来る それで人生に絶望する程人生は甘くないはずだ。絶望したか 立たれ、息子の不幸が重なって「死にたい」と言っているが 勝男は目の前の雄吉を甘いと思っていた。この男は妻に先 底骨にまでズシンと響いた。 叱られても心は爽やかであった。 更生施設、身体障害者授産施設などがあり、その他知的障害 いた。施設は大きく分けて身体障害者医療施設と身体障害者 開かれていて沢山の施設や附属建物が広大な敷地に点在して て、ちょっとした山道へと続いた先にある。そこだけが急に い山の上にあり施設が近くなると杉や松がうっそうと繁っ ングセンターから約十五分はかかる。高台というよりは小高 勝男がいる身体障害者施設はH市の郊外にあり、ショッピ いたからに他ならない。それ故にこそ勝男の怒りの言葉は尾 気を漂わせている。この男は叱ってやらねばならぬと腹の底 害、肢体不自由(上肢障害、下肢障害、体幹障害)、聴覚・ 一口に障害と言ってもその内容はさまざまである。聴覚障 者更生施設、グループホームなども併設されていた。 平衡機能障害、音声言語障害、内部機能障害(心臓、腎臓、 絶望とか地獄はそんな生易しいものではないと勝男は憤怒 から思った。 に駆られていた。カーッと頭に血が登ってつい大声で怒鳴っ 五十以上の区分に分けられる。人一人が負う障害は勿論一つ で障害区分が分けられているものもある。それらを含めると そしてそれらの障害の程度に応じて一級から六級に至るま 呼吸器、ぼうこう直腸、小腸、免疾)。 「………」 だけに限らない。いくつもの障害が複雑に重なり、絡み合っ 死んではな た。 「お前の親父の代わりに言っておく。いいな! 「分ったか!」 らん!」 と念を押した。彼の剣幕に圧倒され、自分の痛い所を突かれ ている場合も多い。 障害者に対応する理念は雄吉が考えているものよりもはる て雄吉は 「はい。分りました」 抜こうとする必死の意欲を持って、自分なりの精一杯の努力 かに高い。ちょっと見れば生きる屍のようだとも思える重症 を注いで生活している事を知れば普通の人と同じ道をたどる 心身障害のこの子がただ無為に生きているのではなく、生き 桜の花びらがフロントガラスの上に落ちていた。雄吉はふ ようにさせて、どんな重い障害を持っても誰とも取換えるこ と素直に詫び「死にたい」なんて恥しいことを言った自分を と誰が詠んだのか知らないが、「桜散る残る桜も散る桜」と 反省し、自分の車の方へ歩き出した。 いう句を思い出しながら車に乗った。 90 とも出来ない個性的な自己実現を図れるようにすべきであ た。しかし彼は律儀なほど四週間に一回の訪問ペースを崩そ 扱える仕様の車椅子が出来たお陰でこうして動き回ることが 「気がついた時にベッドの中にいた。たまたま丁度僕にも取 勝男はかつて雄吉にこう打ち明けている。 うとはしなかった。 うした理念にもとづいて、①利用者に対して、その自立と社 ほとんどの施設がそうであるように勝男がいる施設でもこ る。 会活動への参加を促進する観点から治療及び養護を適切に行 の中で地域や家庭との結びつきを重視した運営を行ない市町 ってゆき、食べさせてやらねば生きてゆく事すら覚束なかっ 介護スタッフの人びとがスプーンや箸などを使って口元へ持 つまり両足が全く機能していない。又、食事はすべて施設の 勝男の住み処はもう五十年以上ベッドと車椅子であった。 できるようになったのさ」と短く説明した。 村、他事業者等の保健医療サービスまたは福祉サービス事業 た。つまり両手が不自由なのである。障害の範疇から見れば 彼は重度障害者であった。 雄吉は勝男の短かい告白を聞いた時、彼は俺に会う前まで 心的苦痛や不快感を与えるものを避けたいとの思いがあるこ 身施設を訪れても早々に帰ってしまうのは矢張り自分に対し しんだりする能力が欠けていることを薄々感じている。彼自 雄吉は自分を含めてこうした事態に対して悲しんだり、苦 手掛りがあるかも知れないと雄吉は考えて彼の作品の数々を た。彼が作った俳句の中にひょっとして彼の穏やかな表情の 彼の顔は生き生きとして色つやも良く笑顔さえ浮かべてい か? 手足が無いというハンディは人を変えてしまうのではない のだろうかと想像して慄然とするものを覚えた。人間として どんな生活をしてきて、どんな精神的悩みを持ち続けて来た とに気付いていた。冷たい男だと内心で罵った。そして日常 見せてもらった。その作品は優に百首以上あった。雄吉はそ 児童文学 評 論 随 筆 ○秋袷着てゐし母を偲びけり 定型俳句 自由律俳句 の中から自分が気入った句を五句だけ選んだ。 歌 ○一息にコップ一杯寒の水 短 川 柳 という恐怖感に似ている。でも、現実に目の前にいる 生活に追われ、本当は毎日来たくても来れないんだと自己弁 スを与えるからである。 上のトラブルを抱え込んでいるから来訪者に或る種のストレ 族は別として、施設を訪れる人は少ない。身体障害者は外観 普通何らかの事情で身内の者が障害者となってしまった家 者との連携を行なう、このような施設の運営方針がある。 場に立って支援を提供すること③できる限り居宅に近い環境 なうこと②利用者の意思及び人格を尊重し、常にその者の立 詩 明していた。 雄吉が施設を訪れる毎に感じる違和感は彼自身の心性の表 われとも言える。近年特に有料老人ホームなどの盛況を見る 説 につけ、やさしさの向こう側に冷たさが宿っているのを感じ 小 91 浜松市民文芸 58 集 ○冷奴晩酌の父思い出す でいる。 親はこうも言うであろう。 「勝男、だけどなあ過ぎた年月を取り返すことができると思 ○どくだみに囲まれてをり石仏 ○入院の友の容態春寒し 「できなかったら……そうしたらどうしてくれる?」 うか?」彼は言い返す。 なものかも知れないが、こうしてまともな俳句を詠む意欲が 「………」 いずれの俳句も素養のない雄吉には所詮、猫に小判のよう 何処から生まれて来ているのだろうかとも思った。自分がこ ゃ!」 「 黙 っ て い て は 分 ら ん! 「できんですむのか?」 「どうにもできん」 どうしてくれるんじ のような環境に落ち込んだら自暴自棄になって周りの人達の 詰められて発狂したかも知れないと思う時、あらためて彼の お い! 迷惑になるようなことをしたかも知れないし、精神的に追い 強靭な精神力に驚かざるを得ない。そして障害者や不運、不 ……!」人の子は誰も親を選べない。最初から希望という望 「 何 で 生 ん だ ん だ よ! 「だのになあ。過ぎた年月を取り返すことが出来ないことは っていたかも知れない。もし彼が反抗したその時 彼の心の中には人並みな幸せとか自由とかをその時点では持 かかる。彼は絶望の真只中にあって踠き苦しみ抜いていた。 このような人間同士、親子関係の中で心の葛藤の渦が襲い んだよ!」 「どうしたらいいのか? それを考えてくれって言っている 「すまなかったらどうしたら気がすむんだ」 勝男にとって生きるとはどんな意味があったのだろう。先 遇な人々に対して掛ける言葉すら知らない雄吉であった。 天的障害を抱え込んでしまったが故に彼はこう抵抗したかも みすら持てない彼は両親を恨み、自分の人生を恨んだ。両親 お前がわかっている。だからこそ残念なんだなあ。いくら何 知れない。 はそんな我が子を見て、ただ一言「ごめんな」と言いつつひ 殺してくれればよかったのに たすら泪を流したであろう。勝男は せめてわめかず 人間という一つの小さな魂のかたまりが絶望の中を這いず れない。それによって勝男の心はなごんだであろう。 こんな会話が交わされていたら……否、交わされたかも知 にはいられない。まったくそうなんだなあ」 く を言ってもはじまらないと思えば残念で 俺の手足をよ! 俺の人生を返し 「ごめんで済むのか。どうしてくれるんじゃ!」と反抗し 「手足を治してくれよ! てくれよ!」 まるで駄々っ子の如く大声をあげて怒り狂った日もあった と思う。このような光景は実はどこの家庭でも潜在的に孕ん 92 り回っていた。 雄吉が施設を訪問する目的は竜也に会うためである。たま 先に玄関先で勝男に会うことがあっても必ず竜也の所へ ような行為に走った理由を問う前に、雄吉は既に起きてしま ったことに心を対応せねばならなかった。彼にとっては青天 の霹靂であり、信じ難い程の衝撃であった。まだ三十才過ぎ のの、何故という疑問やどれ程絶望に襲われたのか知らなか き方を選択したのだと思うようになった。理屈ではわかるも しばらくしてから雄吉は竜也が自死を試みてそのような生 たばかりの前途有望な青年であった。 げのマンション三階から飛び降りて頭を強打した。幸い一命 った。当然、雄吉は事前に彼の表情や態度でうす は行く。竜也は雄吉の息子である。七年前、他県の会社借上 く は取り止めたものの意識不明となり現在に至っている。身体 かしいと気付いていたにも拘らず、それを阻止出来ず惨事を 何かお 障害者施設の入所は四年程前であり、体重も健康時より半分 招いた事に対して強い自責の念に駆られていた。 すら知らずにいる。 こんな状況の中で雄吉は知らず く と き 内省的傾向を強めてい 無言である事。沈黙している事に対し、雄吉は対処の方法 はいつもベストの選択をするとは限らない。 でも出来た。現在はあまりにも選択肢が多過ぎる。そして人 は限られていた。もう生きるためなら何んでもしたし、何ん かつて、何々をせざるを得ないという状況の中では選択肢 く 程落ちてしまっている。無言のまま横たわっている痩せ細っ 朝だよ! もう起きて!」 もういい加減に目を覚ませよ!」 それが叶わない。 に実体がない。沈黙は時間と同様に何かをしてくれる訳でも た。竜也の沈黙、目の前の沈黙。この沈黙は時間と同じよう き 気管切開手術を受けて、何時発作的に出るかわからない痰に 定型俳句 自由律俳句 川 柳 ない。沈黙している実体があるのに何も出来ないがせめて声 歌 掛けを続けていていいのだろうかと言った迷いが生まれてい 短 竜也は頭部損傷と共に中枢神経も損傷しているので名前を と 脅えた日々を雄吉は時々思い出す。 てくれるとの思いは今でも強いがなか 事故直後から七年間一言も喋らない。必ず何時かは目覚め した。 く 何度も声をかける。時には耳元でハーモニカをふいたりも 「竜也! 「会社へ行かないと遅刻だよ」 「おーい! た息子に声をかける。 詩 呼んでも反応はなく、何の意思表示もしないから想像以上に 筆 た。この繰返しの中で雄吉は奇妙なことを始めた。彼が沈黙 随 しているのなら声ではなくて言葉、文字に書いて彼の枕元へ 論 重度障害者と言っても差し支えない。排便も勿論コントロー 評 ル出来ないから、かつて雄吉は時々体位変換の際に竜也の下 児童文学 置いてゆく事。これである。雄吉はそう思ってここ一年半以 説 半身に鼻を当てて匂いをたよりに看護してきた。竜也がその 小 93 浜松市民文芸 58 集 上、時に応じて自分の心境なり、思いを半紙一枚に書き綴っ て彼の枕元へ貼りつけるようにした。当然の事乍ら施設で竜 く た時の勝男の顔は気色も良く、溌剌としていて眼が生き っていかほどの効果があるか推しはかることは無意味かも知 のために生きているのだとか言った自己喪失や自己嫌悪にか から這い上がってきた人である。健常者ですら時々自分は何 出てこない。彼は彼なりに人として極限の状態に落ちてそこ 彼の胸内をおもんばかると雄吉にはとっさの慰めの言葉が としていたのに……。 れないが少なくとも雄吉は少しずつ自分の心の有り様が変わ られてしまう時だってある。しかも健常者の場合は生活上の 也の看護にあたっている人びとの目にも曝される。竜也にと りつつあるのを実感するようになっていた。時間や沈黙が何 ストレスなどは少しばかりの気晴しによって解消できるの き もしてくれないのならこちらから働きかければよいのではな と いかと思うようになった。 てしまったよ。俺は今迄世間に対して何一つ……何一つ恩返 腑甲斐無い。それにずっと親睦会の役をやっていてもう疲れ 「最近勝手に便が洩れてしまい皆に迷惑をかけ通しになって る口調で雄吉に言った。 という男性を推しはかることは可能であった。希望も自由も 彼の前向きに生きている姿を見た以上、人間的側面から勝男 なる想像の域を越えていないものだと雄吉は考えているが、 あって結局それが幸いであったと思われる。こんな推測は単 し、絶望もした事であろう。ただ彼には自分を省みる時間が い間苦悩の中で自分の居場所がないことを知って彼は失望 だ。勝男は手足が不自由な為にその気晴しすら出来ない。長 しをすることが出来なかった。世話をかけどうしたままでい 過日、施設を訪れた時に珍しく廊下で勝男が弱音とも思え いのだろうか」 求めずそのことに絶望した時、彼は再びよみ返ったのだ。つ まり世の中の価値あるものを全て投げ出し、絶望にさえ絶望 雄吉は彼の心中を察するに余りある思いに駆られた。彼は 更に のものとして受け入れて、自分が居る場所で自分が出来るこ した時に勝男という身体不自由な男性はその不自由さを自分 負い目を抱いた者が持つような自嘲的な言葉を吐く勝男の 「こんな話は兄弟にも言えやしない」と言った。 の原因が、その心の葛藤を経て来た者のみが体現するという とを精一杯行なって来たのである。雄吉は彼の性格の明るさ 勝男は既に七十才台後半を迎えていた。 瞳は赤く潤んでいた。 事にこの施設へ来て気付かされた。 「何言ってるんですか。あなたはこうして施設の皆をまとめ 雄吉は 勝男はたしかに衰えつつあった。長い間の車椅子生活を続 ける中で彼なりに頑張ってきた。しかし高齢になり不安も以 前にも増してふえてきたと思われる。雄吉が二年程前に会っ 94 て立派にやっているではありませんか。それに俳句などもや うじて体力的には保っているものの肺炎など起こせばいつ何 似て面長で高い鼻をしている。施設の懸命なリハビリでかろ た勝男の言葉を思い出した。彼は俺の事を信用してくれてい すので……その点は充分御理解下さい」と言われていた。つ 体の抵抗力も弱って来ていますし、免疫力も衰えて来ていま 施設附属の医療スタッフの医師から雄吉は「お子さんは身 時命が絶えるかもわからない。 充分恩返しをして っているし、もう充分だと思いますよ! いると私は思いますよ」と言った。 る。同じ仲間の一員として見てくれている。赤の他人に愚痴 この時雄吉は「こんな話は兄弟にも言えやしない」と言っ の一つも言う勝男が同じ人間としてとてもいとしいと感じ思 当主治医からも「奥さんはもう手遅れです。脊髄にまで悪性 妻がガンに犯されて入院した時にも、そこの総合病院の担 まり覚悟をしておいて下さいとの意味であった。 だし、特別なことではないから心配することなんかちっとも 肉腫が喰込んでいて放射線や抗ガン剤の投与をしてもむずか た。その日はお昼少し前であった。竜也は同じ状態と思われ 勝男とのこんな遣り取りの後で雄吉は竜也の元へ向かっ ますから告知するかどうかをお父さんが決めて下さい」と言 すれば半年です。奥さんには腸閉塞程度のことで言っておき た。当時、周囲からも病名は言わない方が良いとの圧倒的な は最初告知に関しては急なことでもありためらいを覚えてい ガン告知の問題は親族を含め何度か話し合いをした。雄吉 われた。もう死の宣告を受けたのと同じであった。 栄養補給としての経腸栄養法はその投与量と投与速度が大 考えが多いために、彼は告知をどうするかで悩み決めかねて だった。 いた。しかし、最終的には雄吉の一存で告知に踏み切ったの 切でそれを誤ると患者は下痢などを起こすということを彼は ーブを取り付けられている所であった。 る障害者二人と共に車椅子に乗っていて、丁度胃ろうのチュ しいのです。全く方法はありません。良く持って一年、悪く ないよ」 「便が勝手に洩れるだって。それは年をとれば当り前のこと わず目頭が熱くなるのを覚えた。 詩 知っていた。 車椅子に横たわる息子に掛けられた薄い毛布の間から曲が っ て 硬 直 し た 手 と 足 が 少 し 見 え た。 雄 吉 に と っ て は 見 慣 れ 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 雄吉に降りかかった二度目の覚悟は、妻と違って意識不明 随 の息子である。本人の意思を確認する事は出来ない。人は人 論 た、変り果てた息子の姿態ではあったが矢張り息子は息子な 評 のである。足と腕は長いには長いが筋肉は削げ落ち、終末期 児童文学 生のさまざまな局面で覚悟を迫られるが、その時になって初 説 を迎えた老人のように骨と皮ばかりである。顔立ちは父親に 小 95 浜松市民文芸 58 集 あった。福祉サービスを最大限利用しても夜間はどうしても てがどうでもいいとさえ考えるようになった。何をするにも めてその相手の存在に気づかされてゆく。 意欲は湧かずただひたすら眠りたいとの気持だけが先行し始 自分で行なわねばならぬ日々が重なって、疲労が蓄積しすべ 他県から雄吉の住む地元病院への転院が始まりであった。 める。時節は冬だった。 下 痢、 発 熱、 濃 厚 な 痰 当時、病院の入院システムは社会的入院、つまり病気が治っ ︱ 再入院した際に雄吉は医療相談室が発行した紹介状を手 竜也の容態が少し悪くなって 当医師から「お子さんの治療を今までして来たがもうこれ以 院生活ができるものと考えていたがその考えは甘かった。担 た。雄吉は脳障害という重度の傷を負った息子ならずっと入 い。二、三ヶ月したら再び病院から追い出されるのではない あ っ た。 で も 彼 に つ き ま と う 不 安 は 決 し て 消 え た 訳 で は な 分、多少の不便さとかガソリン代など雄吉にとっては論外で 院は入院を受け入れてくれた。自宅から病院まで片道約四十 ままでは共倒れになると思った。事情を話すと幸いな事に病 にして当時市外にあった総合病院へ入院の依頼をした。この ︱ ても何らかの事情で退院しない人が多くベッドは常に満床と なっている為に一定の治療が終って容態が安定すれば退院し なければならなかった。その期間は大体二、三ヶ月が目安と 上の治療はむずかしい」との話を受けて退院の準備をしなけ かとの不安が……。そして彼自身がその時既にある病気にか なっている。息子を受け入れてくれた病院も例外ではなかっ アドバイスしても く らって雄吉は病院以外の施設を探し回る。行政にも頼ってみ ればならない。医療相談室の人にいろ かっていた事は知る由もなかった。こんな状況の中で彼は周 き た。施設入所は順番待ちである事。息子のように気管切開さ た。皆は「時間の経過がすべてを解決してくれる」と言って 囲の人びとは信じられないことを悟る。ここで時間が飛び出 と れて常時看護が必要とされる人を収容してくれる施設は市内 た悲哀はその行き場を失なう。その時、雄吉は悲しみを受け 親や兄弟ですら窺い知れぬ心の闇がある。身に振りかかっ いるがそんなものではないという事を……。 と き のどこにもない事。行政側からはせめて年齢的にある程度達 していれば特別老人養護施設に入所できるが息子さんのよう 入れるだけの能力が不足していて、うつ病と診断されて入院 に 若 い 人 は 入 所 で き な い 事。 雄 吉 は そ の 時 に 絶 望 的 に な っ た。医療から見放され、福祉からも見放されたということを はじめた。竜也が世話になっている病院へ行って雄吉は 雄吉が一ヶ月間入院している間に事態は意外な展開をみせ を余儀なくされた。 実感した。 この国の看護は老人であることを主体にしている。 在宅看護に踏み切った雄吉を待っていたのは精神的、肉体 的苦痛であった。彼の意地があったにせよ二十四時間の看護 という現実に彼の全精力、全体力を注ぎ込んでしても限界が 96 「 病 院 で は 二、三 ヶ 月 で 退 院 し な け れ ば な ら な い の で し ょ 生きている間に絶望を味わい絶望の中から立ち上がった勝 弁護に過ぎないと考え始める。 にこそ彼等は運命を受け入れて自己の居場所を自分の中に見 男。あらゆる選択肢を考えながら自死を選んだ竜也。それ故 い出したのではないか。 担当主治医は う」と問うた。 「あなたが完全になおっていないのにどうして看護するなん 竜也の意識不明の病状が好転を見せないままに過ぎてゆく 日々の中で二人の男の生き様を雄吉は今日も凝視続けてい 共に最悪の事態を迎えかねない時期だったので心から感謝し あらゆる知性や理性を働かせて資本の下僕となりつつある。 奔する。資本が自己増殖を運命とする中では人びとはありと 資本主義という貨幣経済の中で人びとは競って財貨を求め狂 雄吉は息子の竜也から学ばねばならないと思った。現代の た。 な話し合いが行なわれたも ようとしている。有能な会社員というのはどれだけ会社の発 入れる事に関して内部でいろ 展、利益に貢献したかによって測られている。彼は会社から お金の為、会社の為、個人的、物質的な豊かさを追い求め続 こうして息子竜也の施設での生活が始まった。 けてきた。人間的価値判断の基礎を財貨の多寡によって決め 雄吉は思う。同じ障害者でも勝男と竜也は年齢もその人生 期待されていただろうし、雄吉自身も息子の将来に期待して のと推察される。万一、何かトラブルが生じた時の責任問題 経験も全く違う。竜也は大学までいって学生生活を満喫し、 いた。超多忙な生活にほうり出されていた。 二人共、その人生をまっとうしているのではないか。若い なものはないと知りつつ、両極端の人生を雄吉は実感し、果 子の生活を余儀なくされた。生き方や人生の比較ほど無意味 喘いでいた彼はやっと安らぎの中にある。死に近い空漠たる はその世間から解放された。必死の流転の生をさ迷い続け、 さと笑顔を振りまいていただけなのだ。そして今、やっと彼 しかし竜也の心は疲れ果てていたのだ。世間が強いた陽気 た。人生を謳歌した。他方、勝男は気が付けばベッドと車椅 紆余曲折はしたが青春の喜びや充実した生き方を味わってき が主たる議題であったかも知れない。 く た。勿論、施設側としても雄吉の息子のような障害者を受け も頭を下げてお願いしますと頼んでいた。このままでは親子 んお預りしてもいいですよ」との申し出があって雄吉は何度 総合病院の近くの施設から「お父さんさえよければ息子さ 捨てる神あれば救う神あり て言えるのですか」主治医は怒って言った。 詩 してどちらが幸せであったろうかと思いをめぐらせていた。 児童文学 評 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 舞台で彼は自由に踊っているだろう。そっとしてやりたいと 説 とか障害の重さに重点を置くのは単に自己解釈であり、自己 小 97 浜松市民文芸 58 集 雄吉は時々思う。まさに生にも堪え、死にも堪えている一人 雄吉も最近ではすっかり施設になじんで来ていたから彼特 の男、竜也に親が何を言えようか。 る避けて来た目線がふと明るくなるのを感じたし、偏見的な 今、無言で横たわる竜也を前にして雄吉は「沈黙は悲しい 自分の気持がなおっている事も感じた。 もあるが……雄吉の心を豊かにたがやし始めている。まるで 竜也がこうして生きている事は……時に絶叫したくなる時 事だけど不幸ではない。不幸なのは沈黙の無言の意味を知ろ 「最近はどうですか?」と聞く。ふっくらとした顔立ちで彼 身体が石になり、心が石にでもなったような我が子に何をし うとしない心である」との思いかられている。 女はいつも暖かく雄吉を迎えてくれる。決まり文句ではない たらよいのだろうかずっと考え続けて来た。竜也の枕元に彼 有の微笑を浮かべながら、何時ものように施設の看護ステー が は今月の作品を貼った。 ションに立寄って看護師に 「先日、ちょっとお熱が出て、痰も濃くなりましたけど、そ も知っている。年一回行なわれる家族会には障害者を持つ保 千年杉の苗を植えても 真赤なバラを敷きつめても 芝生の上に 雄吉 護者や身内の人びとなどが集まる。所定の手続きの後で午後 芝生は 花にもなれず 「芝生」 の後は落着いて安定していますよ」 竜也は施設へ入所して以来こうした身体の多少の不調の波 とやや長い安定した状態とを繰返している。彼を取巻く施設 から障害者とその家族の為にアトラクションがある。ボラン のソーシャルワークやケアワーカーさん達は皆、雄吉のこと ティアによるマジックショーやその他演芸などである。最後 僕は ろう。ハーモニカの小さなメロディに誘われて最初は小さな 虚空を睨みつけている 踏まれる毎に先鋭な葉先を突き出し 芝は といつもの呪文を唱える 「もう目覚めてもいい頃だよ!」 木にもなれぬ に障害者によるカラオケ大会も行なわれる。二年程前に雄吉 は最後の飛び入りで出場し、演歌を一曲歌い、次にハーモニ カで「ふるさと」の曲を吹いた。他にも会場には保護者も多 声が徐々に大きくなって、会場全体が盛り上った事を覚えて 勢いたが飛び入りしたのは恐らく雄吉がはじめてだったであ いる雄吉であった。彼はこの時から、それまで障害者に対す 98 その芝生の上で 児童文学 評 論 随 彼の目ん玉は張りついて動こうとしない。 説 こうして雄吉は施設を後にした。 小 (西区) 筆 詩 [入 選] 揺れる家 水 野 昭 おれの家は湯気の中でいつもゆらりゆらりと揺れているん だ。ほんとうの話だ。 少し離れた所から家を眺めるとそんな感じかな。でもそれ は地中から噴きだしている湯気のためにあたかも陽炎を通し て見るのと同じ現象なんだ。でも見た目ばかりでなく家の中 に座っていれば細かく微妙に揺れているのを体感する。東側 の 四 畳 半 の 板 の 間 が 特 に ひ ど い。 こ こ に は ソ フ ァ ー が あ っ て、そばにはテレビが置いてある。テレビの画面はとてもは っきりとしている。むかしは映像がくらくら揺れたり(家の せいではなく電波のせいだ)斜めになって突然上下運動した りで目を悪くしてしまう状態だった。母が言うのにはまだ白 黒のテレビのころは我慢できた。カラーテレビになったらも うだめ。なにもかもが虹色に縁取られて、シャボン玉の中に 入ることができれば世の中がこんなふうに見えるだろうな、 ということだった。二十年くらい前に、小高い場所に共同ア 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 ンテナができ解消されたけどな。これは余分な話だった。お 短 99 浜松市民文芸 58 集 て思うようになってきた。それは都会にはない安らぎと人情 という気持ちがあればここは天国に等しいのだと最近になっ そこまでの余裕がない。でも贅沢を望まなければいいのさ、 っているときの感じになる。修理しなければいけないのだが を動かないように止めたとしても、一年もすればずり落ちて の屋根に瓦を乗せることができない。どれほど漆喰で瓦と瓦 が地震でもないのにいつも細かな振動をしている。だから家 奥深くの岩盤の隙間から吹き上げる水蒸気の圧力で、村全体 て話は。でもな、これはおれの家ばかりではないのだ。地底 ところでどうだ、おもしろいだろう? 家が揺れる、なん り抵抗があったのは確かだ。半年ほどは帰ることばかりを考 味に満ちた村の人たちとの触れあい、身をまかせるしかない しまう。どこかの家ではセメント製の瓦を乗せて、釘を打ち れの家でテレビを見るときに、長椅子に腰を降ろすとよくわ 自然界の畏怖、季節の変化がかもしだす美しさ、とにかくす 針金で一枚一枚を固定して、これならどうだとばかりに自慢 え て い た よ う だ。 と こ ろ が い つ の ま に か 心 変 わ り を し て い べての物がおれの力や思考の範囲を広げてくれる。真夜中に をしていた。瓦でも本瓦よりも薄い製品で、屋根にかかる重 た。まだ元気な鎌倉の両親の面倒を、将来はこっちで見ても トイレへ行こうと起きたとき、窓から見えた星の数に魅入ら 量も軽減され、家のためにもいいのだと言っていた。しかし かる。自分のからだがマッサージ用の椅子に横たわっている れて風邪をひきそうになったこともある。天の川がはっきり 結果として失敗だった。空気中のガスとか水蒸気の成分が酸 感覚になるからだ。特にこの部屋は湿気で土台の一部がやら とわかる。ほかの星も多すぎて、北斗七星やオリオン座なん 素と結びつき腐食性のものとなって、そのうちに針金をぼろ いいかしら、なんて言いだすようになったんだ。カミサンに かわからないほどだ。日中には空の青さに心打たれる。青を ぼろにしてしまい、三、四年で瓦がずれ雨漏りがしてきたの も村のよさがわかってきたようだ。 通りこして黒く感じるからだ。ここは人間のためのほんとう だ。だから以前からどの家でも瓦ではなく赤や緑色のペンキ れているせいもあって、じっと椅子に座っているだけならい のやすらぎに満ちた土地で、からだの中心からおれは洗濯さ いが、立ち上がって歩くと部屋全体がゆらめいて、小舟に乗 れている。大げさかもしれないがそんな思いで毎日を過ごし を塗ったトタン屋根になっている。 れだ。鎌倉と言っても実家の周辺は畑や森のある景色で、そ ってしまったが……。当時はどこでも黒いコールタールを塗 これはむかしの話。今では旅館はない。民宿が二軒だけにな 決められているからだ。村には温泉宿が七軒、民宿が四軒、 ペンキで赤とか緑に塗るのは実を言うとこれは村の条例で ている。おいそこで笑うな、おれだってたまにはいいことを こだけを眺めていれば田舎っぽい土地なのだが、カミサンの 言うだろう。カミサンを紹介しよう。カミサンは鎌倉の生ま 思考はあくまで都会の人間だった。こちらに来ることにかな 100 色になっている。 ら我が家の屋根は赤い色、といってもかなり変色してレンガ って村も寂れてしまった。条例はそのまま残っている。だか 時の村長が屋根の色を限定したんだ。今では観光ブームが去 だった。観光のため、見た目をよくしようということで、当 できるものか、という田舎の人のものごと控えめな考えから る家ばかりだった。赤い色、緑色だなんてそんな派手なこと ふんふんそれでそれから、なんて初めて聞くように興味を持 ったことだったなあ、なんて気がついても、相手の年寄りは いるうちに、そういえばこの前お茶をよばれながら話題にな ちいち考えないで、そのままストレートに口に出す。話して いうかべた話題を、以前にこの人には話をしたかどうか、い ときにも、ついくどい会話になってしまうみたいだ。頭に思 ことを話題にしている。だから若い年齢層の人を相手にした に行くとかえって寝ることができないのだ。学生時代のおれ 活が、あたりまえなんだ。だから村から離れて、静かな土地 はない。おれたちにとって音と振動がセットされた中での生 ているみたいだ。なにごとも慣れてしまえばどうということ いたりすると、りりりりっと秋の夜の、小さな虫が鳴き続け たりうなったりしている。食器ケースの中で茶碗が重なって 室内にある調度品は地鳴りに共鳴していつも泣いたり歌っ 話をする。話し始めて中途半端では気持ちが消化不良のまま 四歳も離れるとこうなるのか、それでもおれはかまわずに なたの話を聞いているとストレスが溜まるわね、とほざく。 の? もいいかと思っている。だがカミサンの場合、またその話な 気がつくとまったく別物となっていることがある。ま、これ となれば、こちらとしてもついおもしろおかしく脚色して、 すっかり忘れてしまっているのだ。同じ話が二度目、三度目 って身を乗りだしてくるんだ。たぶんおれから聞いたことを むかし、むかしのことだ。村の背後にある海抜千八百メー だからな。 これで三度目よ、などとおれをひやかす。そして、あ の下宿屋は住宅ばかりの奥まったところだった。だからしば それはラジオの音量をぐっと絞った状態で 川 柳 トルの漢人山が噴火したことがある。江戸時代だ。噴火は一 自由律俳句 が。とにかく耳元で小さな音がもにゃもにゃの状態で聞こえ 定型俳句 度だけだったが、村人の三分の一近くが噴きだした毒ガスで 歌 死んだ。噴火口には長い年月をかけ雨水が溜まって池となっ 短 ていれば安眠できるという体質になってしまっているんだよ 寝るんだ。もちろん朝までの深夜放送のある番組を選んでだ うしたと思う? らくは熟睡できなかったなあ。でもある方法で解消した。ど 詩 な。あ、もしかしたらこの話はむかししゃべっていたかな? 筆 た。その後になって、火の神の怒りを鎮めるためということ 随 で、池の脇に神社が作られた。神社と言っても一抱えほどの 論 最 近 は 同 じ こ と を 二 度、 三 度 と 話 す よ う に な っ て し ま っ 評 た。こいつは環境のせいなんだ。おれの周りは老人が多いの 児童文学 岩をいくつか集めて台座を作り、その上に犬小屋ほどの大き 説 で、相手もそうだがこちらとしてもくり返しくり返し、同じ 小 101 浜松市民文芸 58 集 る。この人たちが長老格なのさ。そして六十代後半が二人な りもないことだけれどな、それは。村人の中から氏子総代の ので、結局は必要なときに村から遠くへ車に乗って出かける さの石の祠が鎮座しているだけだ。材料はほとんど山の中の 県道から村に入ってすぐの所に岩淵神社がある。これが下 のはどうしてもこのおれの役目ということになるんだな。べ 役として選ばれた七人のうち八十を超している人が四人い 社で、山頂のものは奥の院になっている。下社には十人ほど 石を利用している。 が入れる拝殿や石の鳥居がある。拝殿のそばの石碑にむかし つにいやじゃあない。その程度のことで人様の役に立つなら ところで孝男くん、今までに家というか足もと全体が振動 これはまたこれでいいだろう、とおれは思っている。彼らか するという経験、したことはないだろう? 最初は気持ちが の災害で亡くなった村人の名前が刻んである。家族全員が死 神主がいないのだ。まったくの無人なのだ。普通の神社にあ 落ちつかないかもしれない。これは慣れればいい。慣れるし らいつも、若いあんたがいなけりゃあ神社の行事が成り立た るような、寄り合い場所としての社務所もない。行事を行う かないけれどな。もともと人間は揺れていると心地よく感じ んでしまった、とか親が死んで子供だけ残された家もあるよ ときは声をかけあって拝殿に集合する。今風に言えば、イベ るものだ。だから赤ん坊を寝かせつけるのにゆりかごがいい うだ。その噴火があったのが宝永という年代の十月の二十六 ントなどの実行委員的な仕事なのだ。おれとしては氏子総代 ことは証明ずみだろう。大人だってそうじゃないか。自動車 ないよ、ほんとうに感謝する……なんて言われて悪い気はし の役はあまり乗り気ではなかった。でも若造のおれを村の長 とか列車に乗っていると、かならず眠たくなってしまう。し ない。おふくろも村の会合などで、あんたんとこの息子さん 老たちは一人前の男として受けいれてくれたと思えば、それ かし村人はいつも寝ているわけではないんだ。あはは……冗 日だ。この日を村の祭事の日としている。おれはしばらく前 もまあいいかなと今では思っている。しかしな、ひねくれた 談だ。当たり前だろうが。振動と言っても細かい振動だから から神社の氏子総代となっているので、今年も秋になったら 考えで解釈すると、年齢の若いおれは使い走りに適している 車酔いの感覚にはならない。かといって我が家のあるあたり には世話になりっぱなしで、なんて言われている。これは間 ということだ。いつも仕事の関係で、おれは車に乗って近辺 では低周波というほどのものでもない。知っていると思うが 接的な親孝行かな。 を走り回っているからだ。このことは村中の人間が知ってい 低周波……、あれはからだに悪い。村の入口付近には漢人川 山の東にある小笠原村へ行き、神主と巫女さんを連れてきて ることだ。神社の祭事に欠かせない物があれば、おれが松本 祭事をしなければいけない。そう、わが村の神社には普段は とか諏訪や駒ヶ根あたりにまで買い物の使いとして行く。む 102 る。このときばかりは落下する水の圧力で、地鳴りとは別の 台 風 な ど の 大 雨 で 水 量 が 多 く な る と、 水 門 の ゲ ー ト を 開 け の水門がある。下社の鳥居のすぐ下あたりだ。梅雨の季節や 大きいのだ、と考えればいい。 だと確信している。怒るな、怒るな。言いかえれば肝っ玉が う。……つまり敏感か鈍感か。おれはたぶん孝男くんは鈍感 ときに一匹は上流に、もう一匹は下流に逃げて生き別れにな があった。ここには大きな二匹のヤマメがいて水門の工事の た。それまでは水門の近くに乙女が縁と呼ばれる深いよどみ わ か っ た こ と だ。 水 門 が で き た の は 昭 和 の 始 め の こ ろ だ っ ったり不眠になったりする。この不思議な現象の原因は最近 の橋場地区に住んでいる人たちは頭痛がしたり食欲がなくな 談師というあだ名がつくくらいだった。先輩も卒業したら話 た。でも話がうまいので、ほぼ全員が信じてしまう。若手講 にする男なので、私はいつも話半分という気持ちで聞いてい るという話を聞かされていた。大げさなことを日ごろから口 ったんだ、と私は感心してしまった。学生時代から家が揺れ いつのまにかこんなにも平気で文字を並べたりするようにな 来た。学生時代には原稿用紙一枚が限度だと言っていたが、 先輩から遊びにおいでよ、と長い文章を書き連ねた手紙が 震動が起きる。低周波が発生するんだ。そのために水門近く ってしまったそうだ。そのために魚の恨みつらみがこの村に 先輩の父親が亡くなったのは大学の三年のときだった。病 降りかかってきているのだ、と伝説的に言われていた。それ 気がちの母親とおばあさんのめんどうを見なければいけない 術を生かして営業の仕事につき、成績ではトップクラスのセ 結果、水門から落ちる水の振動で、低周波が発生しているの からと、村へ帰っていった。先輩が実家に帰って五年が経っ ールスマンとして活躍したい、などと言っていた。 だとわかった。原因がわかってからは三つ並んだ水門のゲー た。その先輩からの手紙である。 を名古屋にある大学の先生、小出先生と言ったかな、この先 トの、それぞれの高さを調節したり、水の落下する部分の形 定型俳句 自由律俳句 川 柳 最近、仕事が忙しくなり人手が必要となってきたのだ。孝 歌 男くんはスーパーでのパート勤めだと聞いていたが今でもそ 短 などの緊急時には水門を開ける必要性があるので、水量が減 いる。それでもやはり敏感な人はだめだな。台風や集中豪雨 状を変えたりして低周波の出方が最低になるように放水して 生と生徒たちが泊まり込みでいろいろと調べてくれた。その 詩 って流れが穏やかになるまで、その人たちは我慢しているの 筆 うかな。よければおれの仕事を手伝ってほしいんだ。それも 随 なるべく長期間、こちらでずっと暮らす覚悟で来てもいいだ 論 だ。 お れ は 鈍 感 な の か 今 ま で に そ ん な こ と 感 じ は し な か っ 評 た。水門から家までの距離にもよるけれどな。孝男くんも村 児童文学 ろう。ちいさな村だが農協とか役場、小中学校、診療所もあ 説 に滞在していろいろと体感すればどんなものかわかるだろ 小 103 浜松市民文芸 58 集 いから、孝男くんのような若者なら村でも歓迎してくれる。 る。つまり若い娘のいる職場がある。村の住人は高齢者が多 の消毒だ。とりわけ夏の終わりから初冬までの出荷時期が忙 園が多いのでその剪定、肥料を木の根に施すことや季節ごと 庭木の手入れや草むしりから畑仕事だ。リンゴやナシの果樹 いが、三、四年に一度くらい大雪に見舞われる。このときは 孝男くんは二男だと記憶している。岐阜の実家にはお兄さん 村中の人間を動員してやる。変わり種では最近葬儀の手配が しい。足腰の弱った老人の家での仕事が主だ。ほかには病院 おれの祖母は二年前に死んだ。だから今おれの家ではおれ あったな。そうだ、こんなこともあった。一人暮らしとなっ への送り迎えからトタン屋根の張り替えやらペンキ塗り、飼 とカミサンと母親との三人住まいだ。子供が今年の末に生ま ていたばあさんを、奈良に住んでいる娘夫婦の家にまで車で と美人の姉さんがいたよな。ということは、こちらで結婚し れる予定だ。我が家は孝男くんも知ってのとおり旅館だった 送っていったことだ。小さいころから知っているばあさんな て暮らすことだってできるということだ。住むための家なら ので、空き部屋がいくつもある。しばらくのあいだ、一番い ので、向こうについてからは、なんだか自分の家族と別れる っている犬の散歩まで。犬を飼っている家が多いのだ。一軒 い部屋を使っていい。谷川に面した角部屋で、そこから見え ような気分にさせられてしまった。ばあさんはおれの手を取 ずつ、一匹ずつやっていたらからだがいくつあってもたらな る春の新緑や秋の紅葉はすばらしいぜ。谷の向こうには村の って泣いていたよ。もう生きているあいだに顔を見ることは 都会のことを思えばただ同然で手に入る。おれには妹がいる 象徴でもある漢人山も見える。おれはこちらに戻ってから便 ないだろうからな。おれとさよならをすれば、二度と帰るこ い。だから一度に数匹の犬を連れて散歩することもある。難 利屋をやっている。今も言ったように年寄りの多い村だから とのない故郷とのつながりがなくなるのだ。おれもつられて が今は結婚して北海道に住んでいる。なぜこうも孝男くんの いろいろなことの依頼があるんだ。初めのうちは軽い気持ち 泣いてしまった。そのほかにもありとあらゆる依頼が来る。 ことが気になるのか。考えたら孝男くんは、男の兄弟のない で近所の頼まれごとを手伝っていた。おれのやっていること とにかくからだが資本の仕事だ。これからのことも考えて値 しい仕事でないからこれはカミサンも手伝う。屋根の雪下ろ が近隣の村にも伝わって、あちこちからの頼まれごとが多く 段表を作ってある。自分で考えて自分で適当に値段をつけた しをすることもある。それほどひどく雪が積もる土地ではな なってきた。それなりに結構忙しいんだ。それだけ老人が多 のだが、いまのところ喜んでくれても悪く言われたことはな おれにとって弟に近い存在になっている。学生時代から唯一 いと言うことだ。どんなことでも依頼があれば決して断らな おれの波長に合う人間だったからだ。 い。むりしてなんでもやる。簡単なこととしては、たとえば 104 酌もあるからな(笑)。 り、ビールか地酒の飲み放題だよ。料理がうまい美人妻のお かわりといってはなんだが、夜になれば我が家の温泉につか ミサンに力仕事を頼むわけにいかない。給料は少ないがその のだ。一人では難しい仕事もぼちぼち入ってくるからだ。カ といっても二歳の差だけれど、こんなおれの助手を頼みたい いから、 妥当な線をいっているのだと思っている。若い君に、 理由だ、と聞かされている。正式に営業しているのでないか 長期に泊まるならここのほうが落ちつくからというのがその があるけれど、わざわざ先輩の家を訪ねてくるのだそうだ。 た東の隣村には公営の大きくてきれいで、設備の整った温泉 らと、強引にやって来る人が年に数人いるそうだ。山を越え からとにかく温泉につかって泊めてもらえさえすればいいか ようだ。ときおりそのことは知っていても、食事は自炊する とができる。こんなところかな。ほかに遊んで金を使うとこ オケをやりたければ近所にある民宿の「みやぢ」で楽しむこ 村に飲み屋はない。でも酒屋はあるから心配するな。カラ パートで、独り身でなおかつ一人暮らしだ。私は躊躇するこ えばほとんど残らない。好きな酒も我慢している。浜松のア い状態だ。パートで稼いでも、アパート代や食事の代金を払 残して行くそうだ。先輩の言うとおり、どうせ私は失業に近 ら、なにか名目をつけて客は金を置いていく、というよりも するからとアパートの大家さんに伝えた。もしかしたら解約 ろはないので、しっかりと貯めることができるはずだ。村に になるかもしれないがそのことは話さなかった。新聞も配達 郵便局があるので、通帳も持参したほうがいい。山の中の自 いつもそうだが先輩らしいユーモアの溢れる手紙だ。しか 所に連絡して止めてもらうことにした。私は必要なものを大 となく手紙をもらった二日後には、よろしくお願いしますと もB5サイズの用紙にパソコンで打った長々とした文章だっ きなバッグふたつに詰めると、アパートを出た。隣に住んで 返事を出した。私はしばらく信州の先輩の所へ行き、留守に た。あの不器用で機械音痴で文章は苦手の先輩が、必要に迫 いる大家さんの庭では桜の花が満開だった。 然相手の楽しみなら一年を通じてある。長期に滞在するなら られてなのか、パソコンをこなしていることを私に見せつけ 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 の中心へはコミュニティバスの巡回路線がある。本数が少な 電車とバスを乗り継いで私は先輩のいる村に向かった。村 るためなのか、その両方だろうな。 その知識を少しずつ指導してあげるからな。 詩 先輩の村は旧火山の漢人山のふもとにある。おかげと言う 筆 いので、普通のローカルバスの和多久保行きに乗り村の入り 随 口で降りて、そこから歩くことを先輩は教えてくれた。コミ 論 か集落のほとんどの家に温泉が引かれているそうだ。先輩の 評 家もほんのひとむかし前までは旅館業を営んでいた。父親が 児童文学 ュニティバスは主に老人たちが隣町までの買い物とか総合病 説 元気なときにすでに客も減り、十五年くらい前には廃業した 小 105 浜松市民文芸 58 集 から指を指して「このまま、まっすぐ行ってください」と道 顔を背けたのがなんとなくおかしかった。運転手は横の小窓 を教えてくれた。バス停前のY字路の左側に橋がかかってい 院に通うときに使っていて一日に五本だけなのだ。 和多久保行きのバスに乗ってから、私は運転手に「湯ノ谷」 二軒の民宿を案内する看板が立っていた。教えられたその の村へはどう行くのかと訪ねた。正式な村の名は岩沢だが近 先の谷川は、切り立った崖の奥へと続いている。谷間ぜんた た。そこを渡って川に沿って歩けば自然と村の中へと入って 「谷口というバス停で降りてから川沿いに歩けば十分ほどで いが気のせいか、いや、気のせいではなくうっすらとモヤが 行けますから、と歩き始めた私の背後からつけ加えた。 村の入口にある神社へ行けますよ。あそこに見えている漢人 たなびいているので、景色がぼやけて見えている。ふり返る 辺の人たちは湯ノ谷と呼んでいるそうだ。運転手は私の大き 川の上流になります。役場のある村の中心にはまたそこから とバスはカーブの先の山陰へと消えていくところだった。 な荷物を一瞥してから 十五分くらいです」 ぶしほどの石が道の真ん中に転がっている。自動車が通るに る水は小さなつららを作っている。舗装はしてあるが握りこ あちこちにある岩の裂け目から、ちょろちょろと流れおち と言って、すぐそばの堤防を指さした。大小の岩が転がって いる河原には春だというのに少しだが雪が残っている。川の は 邪 魔 に な る 大 き さ だ。 砕 け て 山 の 斜 面 か ら 落 ち て き た 石 水に濁りがなく深みは青く見える。 「お客さんは温泉にでも逗留されるんですか? むかしはい くつかの旅館があったけれど、今は民宿があるだけですね。 は、ガラスの破片のようにどこもかもが尖っている。タイヤ がらそのたびに足で蹴って、谷川に落とした。なんだか村の でもあそこはなかなかいい湯が出ると聞いています。アルカ ためにボランティアのひとつとして参加している気分になっ に引っかければあっけなくゴムが裂けてしまうだろう。私は 谷口で私はバスを降りた。バスの中に五、六人の客が残っ てしまった。しばらくここで過ごす覚悟で来ているので、こ トランクをその場に置いて、石を谷川に蹴りおとした。石は た。ふり返ると乗客は興味津々という顔で私のほうを見てい のくらいのことをしてもいいと思った。もしかしたら老人の リ度が高くて湯治のお客さんがひと月とかふた月ものあい た。彼らはみんな地元の人たちと思われる。肩からはひとか 多いと言う村で、先輩はこんなこともしているのかもしれな だ、のんびりと過ごすこともあるようですね」 かえもあるショールダーバッグ、手にはキャスター付きの大 いと私は想像した。 ひとつだけでなくあちらこちらに転がっている。私は歩きな 型バッグの私は、外国から旅行にやって来たように見えてい と運転手は気さくに話しかけてきた。 るのかもしれない。私の視線に気がついて、彼らはあわてて 106 石蹴りをしながらしばらく歩くと、谷が開けて岩の多い山 見える。もしかしたらあれが漢人山かもしれない。その下の が水田は見当たらない。高い場所には岩がむき出しの山肌が つぶやいた。手紙にも書いてあったように、所々に畑はある いが、この景色はまるでスイスのようじゃあないか、と私は はひと息つきながらしばらく眺めていた。写真でしか知らな や緑色をした屋根が点在している。統一された美しさに、私 園がある。背景に冬枯れの雑木林があちこちにかたまり、赤 を掘ればそのまま温泉となってしまいそうだった。この村で た。冷たくなっていた私の指先に流れは心地よく、大きく穴 のに、山の中では気温にずいぶん差があるものだと思ってい ている。私のいたアパートのそばでは桜が咲いていたという した。思った以上に暖かい。手袋がほしいほどに空気は冷え が漂っている。私は用心しながら指先をそっと流れの中に浸 水路の縁に立った。おやっと思った。水面にうっすらと湯気 くなった。私は道の真ん中に荷物をおいたまま一段下がった 透きとおった水、というものは魅力がある。手で触れてみた 畑の横にある水路からきれいな水が音を立て流れていた。 だと思った。 ほうにはスギかヒノキの森があるので林業を生業とする人た は湯気というものが空気や水と同じで、生活の一部になって を背景に、台地の広がった景観が目の前に現れた。畑や果樹 ちもいるのだろうが、それにしても人の姿のない静かすぎる いるのかもしれない。目前の光景のひとつひとつに驚愕して から噴きだしている。少し離れた畑の真ん中からも音を立て 光景を見たことがある。ほとんど同じようなぐあいに、地中 と思った。道の右側にスギの大木がなぜか五本、行儀よく並 ムのようなものが見えた。あれが先輩の言う問題の水門だな が足もとから聞こえる。覗くと下のほうに水をせき止めたダ 大きくカーブして深い谷川を見下ろすところに出た。水音 いるのは外から来た私くらいなものだろう。 湯気が空へと昇っている。その付近だけ草が生えていない。 柳 び、灰色に朽ちかけた鳥居が立っている。鳥居の高いところ 川 道路に沿った石垣の脇や、民家の玄関のすぐ横からも、だ。 自由律俳句 これには驚いた。むかしは湯治客がいたというが、農作業を 定型俳句 に腐って転がりおちそうな板が掲げられ「岩淵神社」と墨で 歌 書いてある。先輩から聞いていなければ読むことができない 短 終えた後の保養なので、ほとんどが地元の人たちで、遠方か 朝、町の中で、クリーニング屋から水蒸気が吹き出している 道 ば た の 道 祖 神 の 後 ろ か ら 湯 気 が 噴 き だ し て い た。 冬 の ほどの村だった。 詩 らの観光の客は少なかったようだ。時代が変わり湯治という 筆 ほどに文字がかすれている。正月につけかえたらしいしめ縄 随 がぶら下がっている。神社の役員が作った物なのか荒々しく 論 習慣がなくなってきているのかもしれない。私は鼻をひくひ 評 くさせて空気の匂いを嗅いでみたが、硫黄の匂いとか異臭に 児童文学 無造作によりあわせたものだった。このあたりでは稲作はや 説 近いものは感じなかった。地熱で温められた純粋な水分なの 小 107 浜松市民文芸 58 集 っているようすがないので、材料の稲わらは近隣の村から取 道路沿いの石垣の上にどっしりと構えた古い家が数軒並ん モヤがかかっている。道を進み周辺の村の景色が見渡せる場 でいる。雨戸は開けられているがカーテンが閉じられ、人の 所に出た。石垣のある三叉路に矢印形の標識があり、役場や いる気配がない。小さいがなんでもここでそろってしまうよ 七、八段の階段がある。階段を上がったその奥に、雑木に 小中学校、診療所とか保育園を示す文字が読めた。少し歩い り寄せているのだろう。それとも村のどこかに神社専用の田 囲まれた広場があり拝殿の屋根が見える。急ぐこともないの て右のほうを見ると斜面の上にそれらしい建物がひと塊にな んぼがあるのかもしれない。しめ縄用の稲わらは、秋の刈り で、私は階段の下にカバンをおいたまま境内に入った。石段 り、うずくまっている。さしずめ田舎の官庁街なのだろう。 うな雑貨店があった。並んで酒屋があった。坂道をなおも進 は不揃いで、素人が手作業で作った感じだった。広場は木の その景色が突然横から流れてきたガスか霧のような物でかき んだ。あたりを見まわしても、どこにも人の姿はない。坂を 根があちこちから勝手に伸びてきているので、うっかりする 消されてしまった。一メートル先が見えない。きょろきょろ 入れが終わってからのものではだめだと、どこかで聞いたこ と足を引っかけてしまう。参道は踏み固められて平らに見え していたら進む方角までもわからなくなる。しばらく立ち止 とがある。まだ稲が青々としている時期に刈りとって、保存 るが、足を乗せると落ち葉が積み重なっていて、ふんわりと 上がり川がはるか下のほうになった。谷底付近はうっすらと 私の体重を受けとめる。風が吹くと、頭上でたくさんの人が まっているとガスは消え、ふたたび明るくもとの状態に戻っ しておくらしい。 ささやきあっているような音が聞こえる。木々に囲まれた薄 た。 て、手を合わせた。なにを願ったらいいのか思いうかばなか 理 由 が な ん と な く わ か っ て く る。 私 は 拝 殿 の 前 で 目 を 閉 じ 界からの音に包まれて、人が神を信じ、その力に恐れを抱く 商店街の無駄吠えに近い音楽、そんなものが微塵もない自然 もが神秘的に思えてくる。都会で耳にする車のエンジン音や だと思ったその家のガラス戸の中に、老人の浅黒い顔があっ きだした。私の背後で犬はまだ鳴いている。ふり返ると無人 相手として求めている。私はよしよしと声だけかけてまた歩 ス犬のようだ。吠えているが威嚇ではなく尾を振って、遊び 下ろし、さかんに吠える。ラブラドールとテリアとのミック ずって、私のいる石垣のすぐ上までやって来た。犬は私を見 で私の気配に犬が鳴きだした。犬は長い鎖をずるずると引き 積み上げられた石垣を眺めながら歩いていると、一軒の家 暗い境内にいるせいか、また水蒸気の吹き出すような地盤の った。ただ手を合わせることですべてが神に通じて、私を理 上に立っているのだという心理的な要素のせいか、なにもか 解してくれる。そんな気持ちになった。 108 無表情な顔は変化することなく私を凝視していた。 に外を覗いたのだろう。私は老人に対して頭を下げた。だが た。飼い犬があまりにもひどく吠えるので、様子を見るため けることが難しい。もう一度押そうかどうしようか考えて躊 っているような気もするが、下からの水音が大きくて聞き分 してみた。チャイムが鳴っているのかどうか反応がない。鳴 っている。文字の消えかかった大きな看板が立っている。こ 路脇に数台の車を停めるスペースがあり軽自動車が一台止ま た。石垣のある家の前を通って坂道をぐいぐいと上がる。道 雑木林を抜け、小さな寺の脇を通るとふたたび川の横に出 私は駐車場の縁に立って崖下のほうを覗いた。あいかわらず ば、気の短いせっかちな奴という印象を与えることになる。 いのかもしれない。追い打ちをかけるように鳴らしたりすれ 躇した。聞こえていれば家人は用事があってすぐに手放せな チャイムのボタンは故障なのか、それとも奥さんがいつも 湯気なのか霧なのか、白いもやもやしたものが湧き上がって いると聞いていたが、もしかして今日はふたりともに留守か いる。水音を聞いていても、川が浅いのか深みがあるのかも いる。むかしのジャバラ式カメラを思わせる長い建物が、玄 もしれない。手紙に住所は書いてあっても電話番号がなかっ れがむかしは旅館だった先輩の家だ、と私は判断した。木造 関から斜面に沿って崖下のもやの中へと続いている。その下 た。連絡なしで来ても家にはだれか家族がいるはずだと言う わからない。 に母屋があるのだろうが白くぼんやりとしてわからない。不 の家は湯気の中にぼんやりと浮かんでいる。大正末期の家だ 思議な構造になっている。下のほうからの水音が、とぎれる ことでやって来た。携帯電話のない私はどこかで公衆電話を 「はあい、お待たせしました。今行きまーす」 山の中では見当たらない。 見つけて、と言う手もあるがそれは無理だ。そんなものこの た。そばでよく見れば思った以上に頑丈な造りだった。柱や 柳 と、遠くで女の声がする。続けてとんとんと軽い足取りで階 川 窓枠など都会の家に比べて太くがっしりとしている。鍵がか 自由律俳句 かっていないが黙って開けて入るのは失礼になると思えた。 定型俳句 段を駆け上がってくる音がする。玄関の引き戸が開く。息を 歌 弾ませ女の人が玄関の板の間に立っていた。満面の笑顔が美 短 顔だけ中に突っこんで、こんにちはと言ったがいつまでたっ 玄関の引き戸に触れると、軋みながらも開けることができ ことなく私のからだにまつわりつく。 というが変な構えだと思った。玄関だけが崖っぷちに建って 詩 ても返事がない。私は半分開けた戸を閉めて、さてどうした 筆 しかった。心の底からのもので、儀礼的ではないのだとわか 随 って私は安心した。この女の人が先輩の奥さんなのだ。しば 論 ものかと考えた。あたりを見まわすと右側の柱に押しボタン 評 があった。木の板に墨で「御用の方はお呼びください」とあ 児童文学 らく世話になる人として、どんな人柄なのか気になるのは当 説 る。これだ、これだと思った。私はボタンを押して耳をすま 小 109 浜松市民文芸 58 集 たり前なのだ。彼女の背後に下の方へと続く階段が白くぼん いね。スリッパが滑りやすいですから」言ってから彼女は急 てた。下り階段は両側にガラス窓があって、木製の手すりが 勾配の階段を下りはじめた。彼女の足もとを見るとスリッパ ついている。手すりを止めている金属は真鍮だが黒光りがし ではなくて青い色の室内履きだった。がっちりとした厚いケ 先輩と四歳の年齢差があるというが、着ているものも真っ ている。階段を先に下りはじめた奥さんが、くるりとふり返 やりと渦巻いて見えた。奥さんは走ったせいか肩で大きく息 赤なセーターにブルージーンズ、髪はひっつめで、頭の後ろ り私を見上げて笑った。束ねた髪がふわっと動いた。 をしていた。 に赤い色の紐で縛ってあり女学生といっても通用する人だっ 「主人からはしばらく滞在していただけると聞いています。 ヤキ板の階段は、年を経て灰色になり木目が黒く浮かびあが た。 うっすらと化粧をしている。ほんのりといい匂いがする。 今日はとにかくゆっくりとすごしてくださいね」 っている。私の体重にあちこちで小さく悲鳴のような音を立 鎌倉で育った美人の奥さんと先輩のなれそめには大いに興味 「はい、お言葉に甘えてそのつもりでやって来ました」と返 「お待たせしてしまって。夕食の準備をしていて、その途中 を持たされる。彼女は階段を駆け上ってきたためか、手を胸 ですぐに手が離せなかったものですから」 元においてハアハアと息をしている。そんな自分が恥ずかし 事をしたとたん奥さんの姿が足もとからぼやけていく。たち れ い な 笑 顔 が そ の ま ま ぼ ん や り と 空 中 に 浮 か ん で い る。 あ まちのうちに彼女の胸のあたりから下が消えた。薄桃色のき っ、と言って私は足を止めた。 いのか、それとも私を待たせたことへの謝罪なのか「……ご 「清水さん、ですね? 「ごめんなさい。驚いたでしょうね」 めんなさいね」と言った。彼女の吐く息が白く見えた。 あたしは真理子と言います。今日くらいにはお見えになるだ いろいろと主人から聞いています。 ろうなって、今朝も主人と話していましたから」 先輩が、なんだかとても羨ましいと私は思えてしまった。 りまじって暖かさと冷たさが同時に感じられる。真夏に冷蔵 えて行く。地中から噴きだしている蒸気と川霧の冷たさが入 んの顔までもがたちまち消えてしまった。私の膝から下も消 赤いセーターが見えなくなり、いたずらっぽく笑った奥さ 「遠いところをお疲れでしょう。上がってひと休みしてくだ 庫の扉を開けて、その前に立っているような妙な感覚を覚え こんな魅力的な笑顔の人から「主人」などと呼ばれている さい。主人は仕事で出かけています。村の中の仕事で、もう た。 「清水さん、 危ないからそのまま動かないでいてくださいね」 一時間もすれば帰ってきますから。そしたらすぐに食事にし 私が靴を脱ぐと「さあこちらへ、足元に気をつけてくださ ましょうね。母は願永寺のお念仏の集まりで今はいません」 110 真っ白い湯気の奥で階段のきしむ音とスーッとなにかが擦 れて次にカタン、カタンと物の当たる軽い音がした。白いモ んだ。まるで異次元の世界に入りこんだみたいだ。 たいです。一週間くらい前に雨がかなり降ったんです。そう まう日もあるわ。今日はいつもよりも吹き出す勢いが強いみ なって、風向きにもよるけれど家がぜんぶ湯気で包まれてし から水蒸気が出ているの。特に寒い季節には間欠泉みたいに 窓を開けたままにしてあったんです。すぐそこの岩の割れ目 「お客さんが来られるということで、今朝はお掃除をして、 閉めていた。 見える。奥さんは渡り廊下のような階段の、左右にある窓を だ全体がもやもやとした中で動いているのがぼんやりとだが 髪を縛っている赤い紐が見え、次に顔が現れた。そしてから 指さした。ね、ほら、などと明るい声で言われると、奥さん 「ね、ほら、あすこからなの」と、奥さんが窓ガラスの先を 先輩の鼻の下を長くした顔が想像できた。 きれいだ。おれのカミサンは美人だからな、と言うときの、 られていたかもしれない。おでこから鼻へかけてのラインが ならこのゴム紐を引っぱって、ぱちんと鳴らしたい衝動にか した髪が赤いゴム紐でひとつに束ねてある。もしも私が子供 と思った。彼女の頭が私のすぐ下にある。つやのある黒々と いつのまにか気することもなく、聞こえていないのと同じだ の音が消えた。水の音は途切れることなく耳に届くが、私は は奥さんのいる段のひとつ上で立ち止まった。階段のきしみ って私を手招きした。白くて長い指が軽く上下に動いた。私 奥さんは私の少し下のほうで足を止めた。彼女は窓辺に寄 「ここに立ってみてください」 するとしばらくして岩の隙間から地中深くに入りこんだ水が とは今日が初対面だが、以前にもどこかで会ったことがある ヤがゆっくり揺らめいて、薄れていく湯気の中から奥さんの 熱 せ ら れ て、 こ ん ど は 水 蒸 気 に な っ て 噴 き だ し て く る ん で し親しみを持って、気さくに話しかけてくれるのだ。 窓の外、 す。午後のこの時間帯には時々川の上からのモヤも流れてく すぐ目前にある崖の、岩と岩のあいだから勢いよく水蒸気が ように思えてしまう。奥さんは先輩からいろいろと私のこと そう言ってくすりと笑った。奥さんのほんわかとした暖か 吹きだしている。近くの木の葉が薄茶色になって小枝の先か について聞かされていたのだろう。それでなんとなく私に対 み の あ る 対 応 を 見 て い る と、 先 輩 は い い 人 を 見 つ け た ん だ るので、まるでロンドンの霧の夜みたいになってしまうんで な、と私はなんとなく嬉しくなってしまった。家が湯気の中 児童文学 評 論 随 筆 さした。 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 奥さんは私にぴたりと寄り添うようにして別のところを指 ら時々水滴が落ちる。 す。あ、まだロンドンに行ったことはないですけど」 詩 に浮かんでいる、と先輩から話には聞いていたが、いつも冗 談ばかり並べて大げさなことを言うので、今までずっとほら 説 話だと思っていた。しかし驚いた。なにもかもがほんとうな 小 111 浜松市民文芸 58 集 と暖まってお休みください。長旅で疲れたでしょうから。春 掛け流しで、いつでも入ることができます。今夜はゆっくり にいいかな、ですけど。でも我が家のお風呂は温泉ですから。 家ねって思いました。階段の多い家なので最近はダイエット 崖を登っているみたい。あたしも初めて来たときは変てこな 議な間取りになっているのね。遠くから見るとカタツムリが の。崖にしがみついたような不便な家でごめんなさい。不思 ょう。玄関からあんなに離れた下のほうに居間や座敷がある しょう。今ちょうど風でモヤが飛ばされて景色がわかるでし 「それからね、ずうっと下のほうに赤い屋根が見えているで だった顔は青白くなって血の気を失っていた。 いるんですけど、つい……」と言う奥さんのさっきまで桃色 最近は主人からお腹の赤ちゃんのために走るなって言われて 段を急に駆け上ったものだから立ちくらみがしてしまって。 「あ……ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。下から階 れた。 くて一秒だったかもしれない。すぐに奥さんの腕は私から離 んの数秒、もしかしたら二秒とか三秒、あるいはもっと少な 面というのにいきなりこんな状態になり訳がわからない。ほ 高鳴らせた。私はそのまま動かないでじっとしていた。初対 小刻みに窓枠が振動して音がしている。 えてしまった。都会ではありえない体験が私を興奮させる。 はい、もう大丈夫よ、と自分に言いきかせるように呟いた。 て頭を傾けていた。大丈夫ですか、と言う私の問いかけに、 てしばらくじっとしていた。空いている左の手で額を押さえ もう一度奥さんは謝ると、右手で階段の手すりにつかまっ 「ほんとうにごめんなさいね」 「我が家のお風呂は下にある居間からもっと階段を下ったそ それから私に背を向けゆっくりと歩きだした。 話を聞き、見ているあいだにもたちまち目の前の景色が消 といっても夜はとても冷えますから」 の先です。崖の中腹からお湯が湧きだしているのを、はるか 洞窟を掘って湯溜まりを作り、お風呂場にしました。四人も らも開けたままらしい。下のほうにある窓の外から流れこむ 階段はまだ続いている。階段の途中にも窓があって、そち むかしに主人の曾祖父が見つけました。崖の下に自分の手で 入ればいっぱいの小さなお風呂です。そばを半分凍った川が 「ぜんぶ閉めなければいけないわね。さっきよりひどくなっ 湯気が巻き上がって、この先どこまで階段があるのか見当も てきたみたい。こんなにひどいのは久しぶりです。夏になれ つかない。 奥さんのからだがゆらりとして私に寄りかかった。彼女の ばこんなことないんですけど」と、奥さんは独り言をつぶや 流れていて以前はそれを売り物にした温泉宿だったんですけ 柔らかな肩が触れて腕が私の腰のあたりに巻きついてきた。 どね」 薄もやに包まれた中で、私は驚き、どうしたものかと心臓を 112 りとつかんでいる。踏み外すことがあっても両手でしがみつ えない。奥さんの気配も消えたままだ。私は手すりをしっか ているのだろうがモヤは引かない。目の前のものがなにも見 がいないと確信してから次の一歩となる。奥さんは窓を閉め って一歩を出す。片足に全身の体重が乗って、これならまち まう。心の隅にわずかに残っている不安な気持ちを振りはら なにも抵抗がなかったらそのまま奈落の底に引きこまれてし 先で確認しながら歩むことにした。そっと踏みだした足に、 況を飲みこむことができたので、私は階段の一段一段を、足 とまた窓を閉めている音が聞こえた。見えないと言っても状 さいね」と奥さんの声がとても遠くでする。カタン、カタン 「危ないので清水さん、動かないでそのまま待っていてくだ めた赤い紐がたちまち白い湯気の中へと消えていく。 あれ、 いていれば大丈夫だ。両手のひらには冷えきった木製の手す のかと思ってしまう。揺らぎながら、赤いセーターと髪をと いる。奥さんのからだは中空に浮いて、階段を踏んでいない 気のせいなのか、奥さんのからだがふわりふわりと揺らいで きながら歩きだす。まだ気分が悪いのかそれともモヤとか蒸 ているだけで玄関口がわからない。奥さんは窓を閉めていた から湧きあがる勢いのすごさなのか、見あげても明るくなっ くり足を動かす。入口付近の窓は閉められたというのに、下 ず手すりにつかまりながら階段を上がる。一段、二段とゆっ 大声でもう一度呼びかけた。やはり返事がない。私はかまわ た。耳をすますと、川の水音がするだけで返事がない。私は と私は霧なのか蒸気かよくわからない白濁した中へ声をかけ 「奥さん、忘れ物をしたので玄関へちょっと戻りますから」 ければいけない。 関してなぜか記憶が抜けている。とにかく階段を引き返さな これはまちがいない。しかし先輩の家に着いてからの荷物に に、ガタンとひっくり返った。その後、砂を払って肩にした。 ター付きのカバンの上にショールダーバッグを乗せたとたん 前で石段の下に置いたことをはっきりと覚えている。キャス バンはどうしたのか。村の中で歩いているとき、岩淵神社の かするとそれは肩掛けのカバンだったか。とすると大きいカ 替えた。そのときに足もとに下ろしたような気もする。もし れている。靴を脱いで、下駄箱にしまって、スリッパに履き やモヤに包まれた不思議な体験に、すっかり前後のことを忘 りのざらつきを感じる。……両手でつかんでいる? 定型俳句 自由律俳句 川 柳 のに、よけいにひどくなっている感じがする。私はふたたび 歌 一段、また一段と階段を戻る。私は不安になってきた。それ どうしたことか私はカバンをどこかに忘れてきた 短 荷物は? 詩 ようだ。それも二つともにだ。玄関のベルを鳴らすときに、 筆 は私の感覚では玄関からこれほど歩いているはずがないから 随 だ。せいぜい五、六段まで下った、と頭にも、からだにも記 論 足元に置いたままかもしれない。奥さんから中に入るように 評 促されたときはどうだったか。玄関ではなくて外の駐車場に 児童文学 憶が残っている。私はおかしいなあ、と思いつつ、なおも階 説 置いたような気もする。初めてである先輩の奥さんの美しさ 小 113 浜松市民文芸 58 集 ていた。遊んでいた子供たちがいつのまにかいなくなってい いる。頭の中はまるで眠りから覚めたあとのけだるさが残っ 間というものが空白のままで意識の中からぽっかりと抜けて ろなのだ。四時半を過ぎているということは、二時間近い時 という感覚が残っている。つまり自分の中での時刻は二時こ は屋外プールで三十分、室内プールに移動してからも三十分 た。確かめるとロビーの時計も同じ時刻を示していた。私に しい、もしかしたら故障して止まっているのだ、と私は思っ と目をやった。すでに四時半を回っていた。あの時計はおか いでいたつもりはなかった。高い場所にある大きな時計にふ ら、顔に外からの風を感じていた。それほどの長い時間、泳 起 こ す 小 波 に 身 を ゆ だ ね て、 泳 ぐ で も な く ゆ ら ゆ ら し な が てきたので室内プールへ移動した。首まで水に浸かって人が た。しばらくしてから陽射しが強すぎて、頭がふらふらとし る。 初 め の う ち は 屋 外 の プ ー ル で 泳 い だ り 日 光 浴 を し て い プールは屋外用と雨天の競技にも使える室内プールとがあ た。水に入ったのは午後の一時を過ぎてからの時間だった。 去年の夏に、昼食をすませてから市営プールへ泳ぎに行っ じているのだ。そう考えれば俗に言うぼんやりしていたもの じるのは人間の勝手な判断や心理状態においてのずれから生 せで一定の早さに定められている。時間が長いとか短いと感 うとらえたらいいのか。時計の針が動くのは歯車の組み合わ こで暮らすにはこの意識が大切なのだ。でも時間のずれはど 村全体が静まっていると同じ感覚で受けとめている。長くこ 水音が耳から消えてしまったのだ。水音がしていても私には の楽しい会話やモヤに包まれた不思議な光景に心を躍らせ、 に注意が向くと聞こえていないに等しくなる。私は奥さんと が私にはいつのまにか気にならなくなっていた。ほかのこと たように静けさと同じで、絶え間なく聞こえているせせらぎ 役目と同じで私の耳にうるさく響いていた。先輩が言ってい 沿って筒状になった階段は、下からの音を集めてメガホンの 関を入ったときから霧の中で水の流れる音がしていた。崖に 音が大きくて、私の声が聞こえていないのかもしれない。玄 の届かない位置にいるのだ。それとも奥さんのいる場所は水 妙な形とか間取りの家だと言っていた。私たちはたがいの声 さんは階段の途中から横に曲がったのだ。崖にへばりついた の声が聞こえないのも私の呼びかけへの返事がないのも、奥 すでに一番下までたどり着いていたのかもしれない。奥さん もしかしたら私は崖に作られた長い階段を意識しないまま、 た。でも私はずっとプールに入っていたのは確かなのだ。水 だから、ですませることになる。私は時々ひとつのことに夢 段をもと来たほうへと戻る。 の中で寝ていたなどあり得ないことだ。家に帰ってからも、 中になると周りが見えなくなる。そのたぐいなので心配する ことではない。そのことよりも、私にとっては大切な荷物だ。 消えてしまった二時間ものあいだ、自分はどうしていたのか 今の私の状況は夏のプールでの出来事に感覚が似ている。 いくら考えてもわからなかった。 114 それを見つけなければいけない。大きな荷の中に日常生活で の着替えのほかにカメラとかパソコンも詰めこんである。印 鑑 や 通 帳 も。 春 と は 言 え ど も 夜 は 冬 と 同 じ な の だ と 教 え ら れ、厚手のセーターも数枚、突っこんである。カバンをどこ かに忘れたとしても、ほとんど人のいない村で盗まれる心配 私 は 歩 く。 階 段 を 一 段 ず つ モ ヤ の 中 を 用 心 し な が ら 上 が はないだろうが、しばらくここで暮らす私の全財産である。 る。段差が大きくて少し息切れがする。慣れている奥さんは ここを駆けあがった。私にはとてもできないことだとわかっ た。 踏み込むときによいしょ、という声が自然に出てしまう。 片足をかけると踏み板は軋む。慌てたりすると危ない。踏み 外せばどこまで落ちていくかわからない。このまま上に向か 児童文学 評 論 随 筆 (中区) って歩いていれば、玄関へはそのうちにたどり着けるだろう 説 と、私は一歩、また一歩と階段の板を踏む。 小 詩 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 115 浜松市民文芸 58 集 小説選評 竹 腰 幸 夫 『いつか二人で対岸へ』 雪の中で「逃げるように、消えたい」と厳 冬 の ロ シ ア へ 向 か っ た 若 い 二 人、 恋 人 同 士 と い う わ け で は な い。 彼 女 の そ の 心 中 願 望 に 男 は 応 え た の だ。 日 本 で は 急 に い な く な っ て し ま っ た 恋 人 を 心 配 し、 大 学 構 内、 友 達 の あ い だ を 尋 ね ま わ る 女。 日 ロ の 境 界 を 冬 の 寒 波 が 覆 っ て 若 者 た ち の 不 安 を 包 み 込 む。 着 想 も 文 の 道 場 と 下 級 武 士 の 稽 古 場 は そ れ ぞ れ 異 な る。 と こ ろ が 江 戸 富 岡 八 『御弓始末』 浜松藩士の弓の競演物語。時は幕末、上士の弓道錬磨 章も巧みな秀作。 な 歴 史 小 説 が 少 な く な り、 現 代 小 説 が ほ と ん ど を し め た。 し か も、 幡宮東に復興された三十三間堂に全国選り抜かれたもののふの競射 本 年 の 応 募 作 は 十 七 編。 従 来 多 か っ た こ の 地 方 に 材 を と っ た 重 厚 以 下 に 見 る よ う に そ の 内 容 が か な り 充 実 し て、 読 み ご た え の あ る 作 会 が 開 か れ る こ と に な り、 両 者 の ど ち ら か が 選 抜 さ れ る こ と と な っ 品が増えた。楽しく選考させていただいた。 派 遣 前、 妊 娠 し た 女 性 を 入 籍、 誕 生 し た 娘 に 現 地 か ら 喜 ん で 名 前 を 元自衛官の主人公の息子である。彼の自殺の理由は明らかではない。 た。 厳 し い 競 り 合 い の 末 後 者 が 勝 利 を 収 め る が、 結 果 と し て は 前 者 休まることのない病院勤務の緊迫感あふれる日常を描いてみご つ け て き た、 そ の 直 後 の 自 殺 で あ っ た。 重 い 使 命 観 を 抱 き、 責 務 を が選抜され下級武士は悔しい涙を呑む。面白く読める作品。 と。 さ ら に 通 勤 の 電 車 や 駅 の 雑 踏 に 汚 れ た 川 を 感 じ、 そ こ に 釣 り 糸 遂 行 す る 日 々 の 中 で ど の よ う な 孤 独 の 時 間 が 彼 ら を 襲 う の か。 親 子 『震える』 七年前に上京し看護師となった主人公。山谷近くの大病 を 垂 れ よ う と す る 都 会 の 人 々 の 心 に 気 づ き、 糸 の 震 え を 通 し て 浮 か 二代の人生を通して問う。 『 気 弱 な 犬 』 P K O に よ り イ ラ ク に 派 遣 さ れ た 自 衛 官 の う ち、 び 上 が る 幼 い 日 の 自 分。 そ の 流 れ は 巧 み で 引 き 寄 せ ら れ た。 い い 作 『二人の男』 七年前飛び降り自殺を図って意識不明になった息子、 院 に 勤 め 昼 夜 三 交 替 の 激 務 に 身 も 心 も 疲 れ る 日 々。 ふ と し た き っ か 品に出会えた。 そ の 介 護 施 設 を 月 に 一 度 訪 れ る 父 親 は、 自 身 も 鬱 病 を 患 っ て い る。 二 十 五 人 が こ の 七 年 間 に 自 殺 し た の だ と い う。 そ の う ち の 一 人 が、 『 背 負 は れ て 名 月 』 俳 人 富 田 木 歩( 吟 波 )( 1 8 9 7 〜 1 9 2 3 東 そ こ で 出 会 っ た 車 椅 子 の 老 人 と の 交 情 を 描 く。 日 本 の 医 療 制 度 の 問 け か ら 幼 い 日 に 父 に 教 え ら れ た ハ ゼ 釣 り の 感 触 を 思 い 出 す。 暫 ら く 京 市 本 所 区 生 ) の 半 生 記。 大 正 三 年 か ら 同 十 二 年 九 月 一 日、 関 東 大 ぶりの父の声に自分を取り戻す。 震 災 の 猛 火 に 閉 じ た 二 十 七 歳 の 生 涯 を 辿 る。 そ の 苦 難 の 日 々 に 超 然 題点をあぶりだす。 駄 菓 子 屋 を 営 む 吟 波 の も と に 集 う。 一 方 生 活 は 厳 し く、 妹 や 隣 の 娘 らぬ一工夫をぜひお願いしたい。 識 し て ほ し か っ た。 ど ん ど ん 作 品 を 試 み て ほ し い の だ が、 独 善 に な が で き た が、 小 説 が 読 者 と 共 に 作 り 上 げ る 世 界 で あ る こ と を 少 し 意 そ の 他、 若 い 方 々 の 作 品 の 中 に 魅 力 的 な 発 想 や 文 章 力 を 見 る こ と と し て 青 春 の 写 生 句 を 生 き た 異 才 を 活 写。 隅 田 川 の ほ と り、 職 人 た も や が て 苦 界 に 身 を 沈 め る。 詠 ま れ た 名 句 の 奥 に 潜 む 哀 し い 物 語 を ち の 住 ま い は 棟 割 り 長 屋。 そ れ ぞ れ の 生 業 の 中 句 を 志 す 若 者 た ち が 紡ぐ。 116 小説選評 柳 本 宗 春 小 説 と し て の 構 成 に お い て、 傑 出 し た も の と そ う で な い も の の 差 が、 例 年 よ り も 大 き か っ た と い う 気 が し ま す。 書 き た い こ と の 焦 点 を は っ き り と さ せ、 内 容 を 絞 り 込 ん で い く 過 程 に 時 間 を か け て ほ し い と 思 い ま す。 そ れ で は、 応 募 作 に つ い て、 そ れ ぞ れ 一 言 ず つ 感 想 を申し上げます。 「旧ソ連の有人月着陸船ルナー 号の乗組員イワノフに捧げる鎮魂 歌」 興味深い題材。イワノフの視点で描く小説とした方が伝わる。 「遠州の空っ風と海の男たち」 話題の転換が多い。会話をもっと生き生きと描いてほしい。 「さだめ」 自伝的文体でドラマ性に欠ける。内容を詰め込みすぎか。 「震える」 アイディアから内容への結びつきが強引な感もあるが、面白い。 「釣 り」のイメージを前半から出していくと良い。 「二人の男」 状況が分かるまで長くかかる。明快な構成を心がけてほしい。 「背負はれて名月」 よく調べ、ドラマとしての再構成が上手い。「私」という語り手を 説 児童文学 評 論 随 筆 通して描いたのが成功している。 「朱雀通の小さな理髪店」 作者の語彙の豊富さを感じるが、構成がちぐはぐである。 小 詩 「御弓始末」 簡 潔 な 描 写 だ が 登 場 人 物 の 人 間 性 も 良 く 表 れ て お り、 思 わ ず 弓 勝 負の行方に引き込まれていく。秀作である。 「兄弟」 登場人物への感情移入を誘う力が弱い。登場人物の語りに任せず、 場面の状況をしっかりと描写する必要がある。 「追憶」 爽やかな読後感を覚える。もっと山の風景を描くと更に良い。 「揺れる家」 発 想、 世 界 観 は 非 常 に 興 味 深 い が、 五 十 枚 で は や や 消 化 不 良 の 感 がある。 「京丸の里へご案内仕る」 『桃花原記』を思わせるファンタジーと歴史の結びつきが面白い。 「いつか二人で対岸へ」 不 思 議 な 小 説 で あ る。 登 場 人 物 が 死 を 求 め る 切 迫 感 が あ ま り 感 じ られないのは、意図的なものか。評価が難しい。 「鳩子の旅立ち」 八 枚 の 超 短 編。 長 女 の 話 や 鳩 子 の 様 子 な ど、 も っ と 丁 寧 に 書 き 込 んでおくと、感動が増すと思う。 「気弱な犬」 話があちこちして、散漫な印象になってしまった。 「月色の世界」 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 壮 大 な 世 界 設 定 だ が、 こ の 枚 数 で は 説 明 不 足 に な っ て し ま う。 は しょらずにきちんと書いて読者を引き込んでほしい。 「約束の仲間達〜神の子〜」 長 編 フ ァ ン タ ジ ー の 第 一 章 と い う 感 じ で、 世 界 設 定 の 説 明 に 終 始 してしまっているのが残念。 短 117 15 浜松市民文芸 58 集 児童文学 [市民文芸賞] さるぼぼの魔法 つめたい風が、窓ガラスをゆらしました。 雪子は、こたつのなかで、小さなてのひらをこすり合わせ 「すごい風」 ました。寝る時間になっても雪子はなかなかあたたかなこた 生 﨑 美 雪 雪子の住んでいる街は、あたたかくて、冬でもめったに雪 が降りません。 「ねえ、お母さん。こんなあたたかい街に生まれたのに、ど 雪子のひざのうえでは、子犬のショコラが眠っています。 舞っているのを見て、お父さんがこう言ったの。 『今日生ま に雪が降ったのよ。病院の窓から、真っ白い雪がちらちらと 「それはね、雪ちゃんが生まれた日、何十年ぶりかでこの街 雪子は、お母さんを見ました。 うして私の名前は雪子なの?」 足が短くて、こげ茶色の毛も短いミニチュアダックスのショ れてきた赤ちゃんは、雪のおくりものだね』って。それでね、 つからでられません。 コラは、とても寒がりなのです。 した。 くの街へ出張に行っているお父さんに、早く会いたくなりま 雪子は、うれしくなりました。そうして、一ケ月前から遠 「雪のおくりもの……。なんだかすてき」 ふたりで相談して、赤ちゃんの名前を『雪子』にしたのよ」 「明日は、雪が降るかもしれないわねえ」 お母さんが言いました。 ほんとに降るの?」 「ええ。こんなに冷えるんですもの。きっと、降るわよ」 雪子は目を輝かせて、お母さんを見ました。 「雪? 「雪、見たいなあ」 118 「まだ、もうすこしさきよ。お父さんの出張先の街では、大 た。 から、急に何かを思いだしたように、ぱちっと目をあけまし 雪 の つ も っ た 飛 騨 高 山 の 街 の 景 色 が う か ん で き ま し た。 そ れ そっと目をとじると、雪子のこころのなかには、真っ白い 雪が降っていて大変なんですって」 (そういえば……。あのとき、お士産屋さんで買ってもらっ 「お母さん、お父さんはいつ帰ってくるの?」 「雪で困っている人たちもいるのね。でも、やっぱり雪が見 旅 行 か ら 帰 っ て か ら し ば ら く は 大 事 に 持 っ て い た け れ ど、 た、さるぼぼのお人形、今どこにあるのかしら) は、いっしょにおふとんにもぐりこみました。けれど、おふ は ふ か ふ か の お ふ と ん が し い て あ り ま す。 雪 子 と シ ョ コ ラ 雪子はショコラをだいて2階の部屋に行きました。部屋に 「明日、さがしてみよう」 ど赤ちゃんくらいの大きさのお人形でした。 な か ら だ に 黒 い 前 掛 け と ち ゃ ん ち ゃ ん こ を 着 て い て、 ち ょ う 買ってもらったさるぼぼは、真っ赤な顔に黒い頭巾、真っ赤 で、飛騨地方で昔から大事にされてきたお守りです。雪子が さるぼぼというのはおさるの赤ん坊のかたちをしたお人形 そのうちにどこかへおきっぱなしにしたままでした。 とんにはいっても、雪子はなかなか眠れません。真っ暗な部 雪子は思わず、ふとんから身を乗り出しました。ぼんやり すます眠れなくなってしまいました。 計の音が、カチカチカチと、やけに耳にひびいて、雪子はま しても、あのさるぼぼ人形に急に会いたくなったのです。時 雪子のむねがざわざわとします。どういうわけだか、どう とした灯りのなかに、合掌造りの古い民家と、囲炉裏のある そうつぶやきながら、もう一度目をつむります。時計の音 「さるぼぼ、さるぼぼ、さるぼぼ」 がだんだん小さくなって、雪子はいつのまにか深い眠りにつ 部屋が浮かび上がったのです。それは、壁にかけてある藍染 阜県にある街で、雪子が小学校一年生の冬休みに、お父さん 随 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 柱 時 計 が、 「 ぼ ー ん、 ぼ ー ん、 ぼ ー ん、 ぼ ー ん、 ぼ ー ん、 どれくらいたったのでしょうか。 とお母さんに連れて行ってもらった思い出の場所です。雪子 めののれんに描かれた飛騨高山の景色でした。飛騨高山は岐 「あっ」 屋に豆電球の灯り。 「はあい、お母さん。おやすみなさい」 「さあさあ、もう寝る時間よ。雪は明日のお楽しみ」 ーん」となきました。 雪子が子犬のショコラのせなかをなでると、ショコラは「く たいな。ねえ、ショコラ」 詩 きました。 論 筆 の住んでいる浜松から、新幹線に乗って行きました。その街 児童文学 評 で、雪子は生まれて初めて本物の雪を見ました。 説 「きれいだったなあ」 小 119 浜松市民文芸 58 集 ぼーん」と、六回鳴りました。 雪子は、そっと目をあけました。 「もう、朝?」 雪子は、そっと目をあけました。 舞い飛ぶ雪のなかから、真っ赤な顔に黒い頭巾、真っ赤な 「おいら、ここだよ」 からだに黒い前掛けをつけたさるぼぼが、両手をひろげてと びだしてきました。 雪子は、ふとんからでると、カーテンをあけました。する とどうでしょう。窓の外では、白い雪が舞い飛んでいるでは 「あっ、さるぼぼさん!」 君、ゆうべ、おいらのこと思いだしてくれただ 「さるぼぼさん。あなた、どこにいたの?」 ろう」 「驚いた? 雪子は大きく目を見開いて、さるぼぼを見つめました。 ありませんか。庭の地面にも、松の木にも、竹垣にも、千両 の葉っぱや赤い実にも、真っ白い雪がたくさんつもっていま す。 やっぱり、お母さんが言った通りだわ」 雪子は、わくわくしました。 「雪が降ってる! さんにかじりついて外を見つめて、うれしそうにしっぽをふ ふとんの中にいたショコラは、ぴょーんととびはね、窓の たよ。雪ちゃんが見つけだしてくれるの、おいらずっと待っ ちゃ箱のなかは、暗くて、きゅうくつで、早く外にでたかっ が、ぼくをそこにしまっておいてくれたんだ。でもね、おも 「 押 し 入 れ の お も ち ゃ 箱 の な か だ よ。 雪 ち ゃ ん の お 母 さ ん りました。 てたんだよ」 「ショコラ、見て!」 「きれいね」 ーっとつよい風がふいて、窓がひとりでに開きました。それ っているんだものね。おいらのことなんか、すっかり忘れち 「いいんだ。だって雪ちゃんは、子犬のショコラをかわいが い」 「まあ、そうだったの。長いあいだほっておいてごめんなさ と同時に、白い雪が、風といっしょに部屋のなかにふきこん 雪子とショコラがならんで窓の外をながめていると、ぴゅ できました。 さるぼぼの男の子は、つまらなそうに言いました。 ゃったんだ」 雪子はおどろいて、思わず目をつむりました。すると、ど 「きゃっ、つめたい」 ます。 らもらった子犬でした。ふたりは、飛騨の里で旅館をしてい ショコラは、飛騨の里に住んでいるおじさんとおばさんか 「雪ちゃん、雪ちゃん」 こからか、こんな声が聞こえてきました。 「だれ?」 120 「でも、おいらのこと思いだしてくれてうれしいよ」 さるぼぼは、ひょいっととびあがって、くるりとまわって みせました。 「ねえ、雪ちゃん、今から、おいらといっしょに飛騨高山へ 行かないかい」 飛騨高山へ?」 と飛び発ちました。空の上に舞いあがって、ふわふわと飛ん 雪子は、そっと下を見ました。広がっていたのは、真っ白 でいきます。 さるぼぼが、得意そうに言いました。 い雪の街です。 した。 雪子は、信じられないというように、目をぱちくりさせま 「あっというまだろ。ここは、もう、飛騨高山だよ」 「わたし、魔法にかけられたみたいだわ」 雪子は、目をまるくしました。 「え? 「でも、どうやって?」 「そうとも、これがおいらの魔法さ」 雪の船は、白い雪の街へと、ふわりふわりと降りていきま さるぼぼの魔法は素敵です。 「雪ちゃんがほんとに行きたいって、 お願いすればいいのさ」 ショコラも一緒に行けるといいんだけど」 した。 「ひゅるひゅる」と音をたてて、雪子とショコラを取り囲み えました。すると、舞い飛んでいた小さな白い雪の子たちが、 下じゃなかったかしら」 「あらたいへん。私、さっき起きたばかりで、パジャマと靴 ショコラをだいて、雪の船から、雪の道へそっと降りました。 さるぼぼが、ぴょんっと雪の上にとび降りました。雪子も 「さあ、ついたよ」 ま し た。 「 さ る ぼ ぼ、 さ る ぼ ぼ、 さ る ぼ ぼ 」 雪 の 子 達 は、 さ 「はははは、よく見てごらん」 児童文学 評 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 のコートを着ていました。赤いロングスカートで、足には、 雪子は、しらないあいだに、紺色のあたたかいフード付き 「まあ、いつのまに着たのかしら、この服」 の姿を見てびっくりしました。 さるぼぼが、雪子をゆびさして笑いました。雪子は、自分 るぼぼの魔法にかかった、真っ白い雪の船になりました。さ ら、 「 さ る ぼ ぼ、 さ る ぼ ぼ、 さ る ぼ ぼ 」 と、 じ ゅ も ん を と な さ る ぼ ぼ は、 手 を ひ ょ い ひ ょ い と 空 に む か っ て ふ り な が 「おいらにまかせて」 「行きたいわ。私、飛騨高山にもう一度行ってみたい。でも、 詩 るぼぼは、その雪の船にとびのって、雪子に両手をさしだし ました。 「さあ、この雪の船にのって」 雪子は、ショコラをだくと、さるぼぼの手につかまって、 雪の船にのりました。 説 雪子とショコラとさるぼぼをのせた雪の船が、窓から外へ 小 121 浜松市民文芸 58 集 タイツと黒い革のロングブーツをはいています。 の目と、ニンジンの鼻。頭に銀色のアルミのバケツをかぶっ た大きな雪だるまです。まるいからだからは、2本の木の枝 がのびていて、赤い手袋をはめています。 それは、雪子がまだ小さかった一年生の旅行のために、お 母さんが、飛騨高山は寒いからと言って、デパートで買って 「この雪だるま、なんだか見覚えがあるわ」 「これも、おいらの魔法さ」 雪子がびっくりしていると、 さるぼぼがにやりと笑いました。 るまだよ」 小さかった頃、お父さんとお母さんといっしょに作った雪だ 「雪ちゃん、ぼくのこと、おぼえてる? 雪ちゃんが、まだ 急に雪だるまが話しはじめました。 が、雪だるまのまわりをぐるぐると走りまわります。 雪子は、雪だるまのすぐそばまで近づきました。ショコラ くれた洋服と靴です。不思議なことに、ぴったりでした。 「そっか。これも、さるぼぼさんの魔法なのね」 さるぼぼは得意そうに雪子を見て、 目をぱちぱちさせました。 さるぼぼがすたすたと歩きだしました。雪子は、ショコラ 「さあ、いくぜ」 道の両脇には、古い民家が立ち並んでいます。どの家の屋 をだいたまま、さるぼぼの後ろからついていきました。 根にも白い雪がつもっています。雪子が歩くと、地面の雪が、 さくさくと心地よい音をたてました。雪子は、街を見まわし そのとき、通りのむこうから、こげ茶色のコートを着た背 の高い男の人が歩いてきました。紺色の渦巻き模様のついた 大きな紙の傘をさしています。 道のはじっこの長い水路に、うっかり足をすべらせて落ち ました。 てしまったこと。お土産屋さんの大きな看板で、頭をぶつけ 「あっ」 「お父さん? でも、今よりも若いわ」 その背の高い男の人は、 お父さんにそっくりだったのです。 雪子は、目をまるくしました。 てしまったこと。雪道に手袋を落として、あわててひろった こと。旅館で食べたほうばみそ。旅行のときの思い出がつぎ つぎによみがえってきます。 「なんだか、子供の頃にもどったみたいだわ」 「そうさ、あの男の人は、雪ちゃんのお父さんだぜ。今から 十五年前だよ」 雪子が不思議な気持ちでたちどまっていると、さるぼぼが 雪子のせなかをぽんとたたきました。 「私の生まれる少し前……」 来るから」 「そうだよ。見ててごらん。もうじきあっちから、女の人が 「もうすこし歩こう」 さるぼぼのあとについて白い雪の道を歩いていくと、十字 路にでました。十字路のまんなかに何かが見えます。黒い炭 122 雪子は、雪の降っている向こうの通りを見ました。 雪の上を、赤いコートを着て、白いストールを頭にまいた 若い女の人が歩いてきました。 「あっ、お母さん。でもやっぱり、今よりもずっと若いわ」 「あの女の人は、雪ちゃんの若い頃のお母さんだよ」 さるぼぼは、雪だるまの後ろから、雪のつもった通りにで 「おいらにまかせておいてくれよ」 ました。 雪子は、少し心配になりました。 「ほんとに大丈夫かしら……」 雪子とショコラは、雪だるまの後ろから、さるぼぼをじつ と見つめています。 さるぼぼが、にっこりと笑いました。 「雪ちゃん、ちょっとここから、二人のようすを見ていよう な看板の上にのっかりました。雪子が一年生の時にこの街に さるぼぼは、ふわりとうきあがると、お土産屋さんの大き 「さるぼぼ、さるぼぼ、さるぼぼ」 雪子も、ショコラをだきかかえると、雪だるまの後ろにかく やってきて、頭をぶつけたあの看板です。さるぼぼは、両手 た街の景色をながめながら歩いています。ふたりは、道の十 「おや、 さるぼぼだ。 どうしてこんなところにいるのかな?」 若いお父さんがふっと頭をあげて、 さるぼぼを見つけました。 と両足をひろげたまんま、じっと動かずにいます。 字路までくると、かるく頭をさげてあいさつして、そのまま 児童文学 評 論 随 筆 歌 定型俳句 お母さんに気が付きました。 短 自由律俳句 川 柳 お母さんは、さるぼぼを見上げます。その時、お父さんが 「まあ、さるぼぼ人形だわ。こんなところにいたかしら」 さんの看板に、さるぼぼがたっています。 と、お父さんのいるお店の前まで走って来ました。お土産屋 さっき別の方向へ歩いていったお母さんが、向きを変える 「あら大変。どこかで傘を借りようかしら」 雪がたくさん降ってきました。 ぼぼを見上げています。 お父さんは、お店のそばまでくると、看板の上にいるさる 若いお父さんと若いお母さんは、黙ったまま、雪のつもっ れました。 さるぼぼは、そう言うと、雪だるまの後ろにかくれました。 よ」 詩 通り過ぎてしまいました。 雪子は、 ちょっと心配になりました。 「お父さんとお母さん、このまま別々のほうへいってしまう のかしら」 「もしそうだとしたら、雪ちゃん、君は、生まれてこないか もしれないね」 雪 子 が そ う 言 っ て い る あ い だ に も、 お 父 さ ん と お 母 さ ん 「そんな。そんなのいやだわ」 は、どんどん離れていってしまいます。 「どうしよう」 説 さるぼぼが、こしに手をあてて、むねをはりました。 小 123 浜松市民文芸 58 集 と思って……」 いるんです。雪が強くなったので、お店で傘を借りて帰ろう 「いいえ、このさきにある、飛騨の里というところに住んで んですか?」 「さっき、お会いしましたね。あなたは、ここに住んでいる 「そうかもしれないわね。もう少しここにいて、置き忘れた 「じゃあ、誰かここに置き忘れたのかなあ」 「違うと思うわ。だって、今まではここにいなかったもの」 ゃないのかい?」 「風のいたずらかな? このさるぼぼは、お土産屋さんのじ 「きみ、面白いこと言うね」 なかにおきざりにしていたら、寒くてかわいそうよ」 人がこなかったら、旅館に連れて帰りましょう。こんな雪の と、 お父さんが、ちょっとおどろいたようにこう言いました。 お母さんは、はずかしそうに小さな声で答えました。する 「僕、 今、 その飛騨の里にある旅館に泊まっているんですよ」 「だって、そう思うんです」 お母さんは、ぽっと頬を桃色にそめました。 「きみって、優しいんだね」 さるぼぼは、どきどきしてきました。このままでは、雪ち 「まあ、偶然。私の家は、旅館なんです」 「 『白雪』です」 「旅館の名前は?」 「僕の泊まっている旅館だ!」 よくなったふたりのために、じっとしていなくっちゃ。でも、 ゃんのところにもどれなくなってしまいます。 (せっかく仲 だかおかしくなって、笑ってしまいました。 雪ちゃんを、ちゃんとほんとの時間のほんとの家につれてか お父さんとお母さんは驚いてしまいました。そして、なん 「そうだ。ぼくの傘にいっしょにはいっていきませんか?」 しまいました。 えらなくちゃならない。どうしよう)さるぼぼは、こまって お父さんのさしかけた傘に、お母さんがはいりました。 「そうね。せっかくだからお願いします」 さるぼぼが思わず声をあげました。 なきました。 まで走ってくると、さるぼぼにむかって「わんわんわん」と した。雪の道をいっしょうけんめいにお土産屋さんのところ そのとき、雪だるまの後ろから、ショコラがとびでてきま 「あなた、今、何か言いましたか?」 「やった」 「いや、ぼく、何も言わないよ」 うやって帰ればいいのかわからないんだよ」 が、ちゃんと家に連れて帰るから。でも、ほんというと、ど 「さるぼぼさん。雪ちゃんのことは、ぼくにまかせて。ぼく ました。 さるぼぼは、看板の上でしまったと、くるりと後ろをむき 「きゃっ、さるぼぼが動いたわ」 124 「そうか。よし、わかった。雪ちゃんの街に帰るじゅもんの 言葉を教えてあげるよ。『さるぼぼ、さるぼぼ、さるぼぼ』 ショコラが、空にむかってさけびます。 あ、暗くなる前に家に帰るよ」 「そのじゅもんを言えばいいんだね。さるぼぼさん、ぼくを 飛んできました。雪子とショコラは、雪の船にのりました。 響きわたりました。来た時とおなじ、白い雪の船が、空から 飛騨高山の空に、さるぼぼから教えてもらったじゅもんが 「さるぼぼ、さるぼぼ、さるぼぼ」 雪ちゃんといっしょに、ぼくの生まれた街につれてきてくれ 雪の船は、ふわりとうかびあがって、空を飛んでいきます。 だよ」 てありがとう。いつかまた、さるぼぼさんに会えるといいな 雪子が振り返ると、真っ白い雪のつもった飛騨の里の家々 に灯りがともりました。 「雪ちゃん、また会おうね」 遠くから、さるぼぼの声がきこえてきます。 「まあ、さるぼぼさん。かならず、また会いましよう」 雪子は、だんだん遠くなっていく雪の街を、いつまでも見 つめます。 回なりました。 「ぼーんぼーんぼーん、ぼーんぼーんぼーん」柱時計が、六 母さんにそっと渡しました。 児童文学 評 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 「そうだ、さるぼぼさん。もしかしたら、家にもどってきて 雪子は、壁にかかった飛騨高山ののれんを見ました。 るぼぼさんの素敵な魔法にかかって、旅をしてきたのよね」 「ねえ、ショコラ。今までのこと夢なんかじゃないよね。さ 方を見ています。 雪子は、ふとんから顔をだしました。ショコラが、雪子の 一階からお母さんが雪子をよんでいます。 「雪子、朝ごはんのしたくができたわよ」 お父さんは、看板の上から、さるぼぼ人形をおろすと、お れて帰ろう」 よし、ぼくらの出会ったしるしに、このさるぼぼを旅館に連 「少し待ってみたけど、誰もこのさるぼぼ取りにこないね。 いる雪だるまのところへもどっていきました。 ショコラは、短い足で雪の道をかけて、雪ちゃんの待って 「ショコラがそう願ってくれるのなら、 きっとまた会えるよ」 と、ショコラが言いました。 あ」 詩 「ありがとう。可愛いさるぼぼちゃん」 お母さんは、うれしそうに笑いました。それから、若いお 父さんと若いお母さんは、一つの傘にいっしょにはいって、 せっかく会えたのに。 雪だるまの後ろで、雪子がショコラをだきあげました。 雪の降る道を歩き出しました。 「ショコラ、さるぼぼさんはどこ? もう、会えないの?」 説 「ううん。会いたいと願えば、きっとまた会えるってさ。さ 小 125 浜松市民文芸 58 集 いるかもしれないわ」 雪子は、押し入れを開けて、おもちゃ箱の中を見てみまし た。けれど、いくら探しても、さるぼぼ人形は見つかりませ んでした。 (さるぼぼさん、やっぱり、飛騨高山のどこかにいるのね) 雪子は、急にさみしくなって、ショコラをだきしめました。 それから毎日、雪子は、 「さるぼぼ、さるぼぼ、さるぼぼ」 ショコラが、雪子のほっぺをぺろぺろとなめてくれました。 じゃないかしら」 「そうかい。それじゃあ、雪子も雪を見たんだね。はい、お 土産だよ」 お父さんが大きな白い袋をあけました。 「あっ」 雪子は、おどろいて目をまるくしました。白い袋のなかか らでてきたのは、赤いさるぼぼのお人形だったのです。 「お父さん、このさるぼぼ人形どうしたの?」 「出張の最後の日に、飛騨の里の「白雪」という旅館に泊ま てきたんだよ」 形が飾ってあってね。旅館のおじさんにお願いして、もらっ ったんだよ。そうしたら、部屋の床の間に、このさるぼぼ人 「ただいま。母さん、雪子」 何日かして、出張先からお父さんが帰って来ました。 と、 じゅもんの言葉を言っては、窓の外を見つめていました。 「お帰りなさい、お父さん。雪、たくさん降ってたの?」 っています。 ゅっと抱きしめました。ショコラもうれしそうにしっぽをふ 雪子は、お父さんからさるぼぼのお人形をうけとると、ぎ 「ありがとう、お父さん」 お母さんがうれしそうに言いました。 かったわ」 「まあ、なつかしい。あの時のさるぼぼさんなのね。会いた お父さんの出張していたところって、飛騨高山だ 「ああ。飛騨高山は真っ白な雪の街だったよ」 「えっ? ったの?」 お父さんとお母さんがにっこり笑いました。 「そうだよ。父さんと母さんの思い出の場所さ」 雪子は、さるぼぼに飛騨高山まで連れていってもらって、 雪 の 街 の 景 色 を 見 て 来 た こ と を 言 い た く な り ま し た。 け れ 雪子のところに、またもどってきたさるぼぼは、にやっと 笑って、ささやきます。 ど、それは、さるぼぼとショコラとの秘密にしておくことに (中区) しました。さるぼぼの魔法がとけて、なくなってしまわない ずっとずっと、雪ちゃんのそばにいるからね」 「今までのことは、雪ちゃんと僕との秘密だよ。 これからは、 この街でも、雪、降ったのよ。ねえ、お母さん」 ように。 「ほんと? 「そうね。こんなに降ったのは、雪ちゃんが生まれた年以来 126 選] えんしゅうなだ 江 川 俊 夫 とび助親子の恩返し [入 (一) 原で一休みしていくことにしました。この草原は狭いけど季 節ごとにタンポポやレンゲ、山百合などの花が咲き、ツクシ つ いただき てんじょうあな こ やヨモギなども摘める静かで楽しい場所です。見上げると大 って、そこから今日も青空が覗いていました。 のぞ きな杉の木の頂にぽっかりと丸い天井穴のような木の間があ すみ そう言って俊が腰を上げかけた時です。 「千代ちゃ、くたぶれたな。そろそろ家さ帰るけ」 おくびょう 「俊ちゃ、あれ何んずらか」 わんぱく ると何か白っぽいものが草の上に落ちています。俊は腕白な と日頃から臆病な千代が草原の片隅を指さしました。俊が見 ひとばん 天竜川が太平洋に注ぐ遠州灘は、波風の荒い所です。その ぼうずやま おい ほど元気な男の子です。 ゆらい が出来たりしました。そこで子供たちはそれぞれに坊主山だ かこう 「何だいな。俺ら見てくる」 こうわん とか港湾だとか名前を付けて一日の遊び場所にしていまし いています。 は がちょっと動きました。裏返すと小さな足が隠れるように付 す。今度は両手で持ち上げてみると白くのびた首らしいもの 俊が指で突ついてみるとぐんにゃりしてまだ温といので ぬく そう言って俊が近づいてよく見ると白茶けた固まりの表面 に何か鳥のうぶ毛みたいなものが生えています。 とし なん せんが正太森という小さな緑の森がありました。その森は真 つねばあ き 「千代ちゃ、来てみな。何かのヒナみたいだよ」 よ 評 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 相変らず臆病な千代は尻込みして覗くだけです。 しりご 「やだ、俊ちゃ、こわいよ」 そう言って俊が渡そうとすると、 「千代ちゃ、これ何かのヒナだら。ほれ、触ってみな、まだ いっしょ 温といよ」 児童文学 柳 は西側にあって権爺さと住み、丁度向かい合わせに住んでい ごんじい 千代の家はこの森の東側にあってお常婆さと住み、俊の家 ち ていたのです。 そして、ここは遊び疲れた子供たちの憩いの場所にもなっ み、中心が小さな草原になっていました。 くさはら 中 に 大 き な 杉 の 木 が あ っ て、 回 り を い ろ い ろ な 木 が 取 り 囲 しょうたもり た。そんな天竜川の河口のはずれに、名前の由来は分かりま かた ため海岸には一晩のうちに大きな砂山や池のような水溜まり 詩 ました。だから、千代と俊はもう生まれながらの兄妹のよう おさななじ な幼馴染みと言っていいでしょう。遊ぶ時はいつも一緒でし た。 説 今日も二人は坊主山や港湾で遊んでの帰り道、いつもの草 小 127 浜松市民文芸 58 集 「何もしないよ。千代ちゃ、見てみな。全然動かんじゃん。 「権爺さ、これ何のヒナだいね」 た。 手に取った権爺さはしばらく見て、 それに首も足もあるよ」 にら そう言われて千代が恐る恐る手にした途端、 くちばし ら見ると、こりゃ間違いなくトンビの子だ。 まだ生きてるで。 「そうだな。ゴロスケ(ふくろう)に似てるがハソ(嘴)か あわ 「キャーッ。俊ちゃ、今、眼が開いて私を睨んだにいー」 まぶた せしました。 めくば そう言いながら俊は一緒に居る千代にも同意するよう目配 たいと思うけんど権爺さどうしたらいいかいね」 「うーん、これがトンビの子け。でも俺らこいつ助けてやり 聞かれて俊は、 お前ら一体これをどうする気だ」 と悲鳴をあげました。慌てて俊が見ると、今まで気がつかな かった首の先の小さな目蓋がぱっちり開いて、それに口ばし らしいものもあって、何か言ったようです。 「千代ちゃ、大丈夫だよ。これは何かのヒナに間違いないよ」 ゆんべ 落着いた俊の言葉に千代も安心したのか、 ひのき 「そうね、これは何かのヒナだいね。昨夜の風でどっかから 落ちてきたずらね」 はだか 「権爺さ、私も俊ちゃと同じ。この子を助けてやりたい。だ と追いかけるように言いました。 すると権爺さは笑顔を見せて、 って裸ンボでかわいそうじゃん」 かか あらためて二人が周囲を見回すと、一本の大きな桧の枝に 上から落ちてきたらしい鳥の巣が所どころに引っ懸っていま あ」 きよう あきばこ な。ま、トンビは悪い鳥ではねえ。わしも手んだってやらざ 「そうか二人ともこいつを助けてやりたいんか。しょんない した。 「あれあれ。あの木から落っこちてきたずら」 そう言って二人はあちこち散らばった巣を拾い集めました。 「なかなか大きな巣じゃん。 何の巣か権爺さに聞いてみっぺ」 えさざら だ い と、中に水呑み、餌皿を入れ、出し入れ用の網戸まで付いた と何事も器用な権爺さは小屋からみかんの空箱を取り出す の どうやら何かの鳥の巣から落ちたヒナに間違いないと思っ 立派な巣箱を作って、 かた た二人は、その白茶けた固まりと拾い集めた巣を持って森か 「出来たぞ、 これがとび助の家だで、二人で面倒みてやんな」 めんどう と光る眼が二人の後姿を睨んでいたのを俊も千代も少しも気 ら出て行きました。この時、大きな桧の天辺で鋭くらんらん と渡してくれました。二人はいきなり「とび助」と名付けら てっぺん がつきませんでした。 丸 裸 姿 が忘れられず、呼び名の上に「裸ンボ」とつけて呼 まるはだかすがた れたのがちょっと不満でしたが、俊は気にせず千代は最初の 鳥 の ヒ ナ ら し い の を 持 ち 帰 っ た俊 は す ぐ権 爺 さ に 見 せ ま し (二) 128 なっとく したえだ ひと ひざもと へび を見て一安心、いつものように気軽く声をかけようとしてギ ョッとしました。千代の膝元に蛇らしいものが見えたからで ぶことで納得したようでした。 こうしてとび助の入った巣箱は今度は手の届く桧の下枝に す。そいつは俊が近づくと気配を感じたのか一瞬、鎌首をも もん かまくび 取り付けられたのです。そして約束どおり俊と千代は毎日、 がびっくり仰天してどうなるか分ったものではありません。 ぎょうてん 出したらまむしがどう動くか、いや、それよりも臆病な千代 おくびょう そう気がついた俊は思わず息を呑みました。ここで大声を (まむしだ) 模様があります。 たげて振り向きました。三角型の頭をして身体に紋みたいな とび助も最初は戸惑っていましたが、一口突つき二口食べ な ているうちにすっかり馴れて元気に育ち始め、やがて二人を 親のように思い始めたのか、二人が行くと喜んで巣箱の中で はねたりして、みるみる大きくなっていきました。 (これは大変なことになる、何とか早く知らせないと千代が やわ いつの間にか優しく和らいだ眼に変わっていったのを二人は 危ない、どうしよう) かなしば はおと 俊は全身が金縛りにあったようにその場に立ちすくみまし ら黒い影が礫のように飛び込んできて、俊の前でばっと大き た。その時です。突然シャーッと風を切る羽音と共に真上か た それから数ヶ月が経って、すべての陽気が暖かくなった春 つめ く羽を広げました。 ち ゃ か っしょく 所へ好物の小魚を持っていってやりました。とび助も今は全 こずえ (トンビだ)と思うまもなく、その鳥は鋭い両足の爪で千代の つか 身茶褐色の羽毛に包まれて眼も口ばしも鋭くなって、いかに すきま 前に居たまむしをむんずとばかり引っ掴むと、再びサーッと 梢 こうぶつ もトンビの子だと分るようになっていました。今日も待ちか す。その時、俊の眼につかまったまむしが全身をくねくねさせ の 先 の 丸 く 小 さ な隙 間 を 抜 け て 大 空 高 く 舞 い 上 っ て い っ た の で て連れ去られていった姿がいつまでも焼きつきました。 俊はほっとして初めて心の中で声を出しました。 危なかったなあ) (千代ちゃ こ こ ろよ く る の を 待 つ こ と に し た の で す。 回 り は レ ン ゲ の 花 盛 り で びより その様子を見ながら千代はポカポカ日和の草原に座って俊の ねた千代が好物の小魚を持ってきてくれたので大喜びです。 つぶて 先のことです。その日、千代は俊より先にひとりでとび助の (三) 少しも気づきませんでした。 やさ その様子をいつも桧の天辺から見ていたあの鋭く光る眼が の 水や餌をとび助の所へ運んでやりました。 詩 す。快いそよ風も吹いてきて、千代はついうとうと居眠りを 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 「俊ちゃ、遅かったね。今、何か大きな風の音がしたけど何 始めてしまいました。この時、俊は権爺さから頼まれた葉書 評 をポストに入れに行って遅くなったのですが、何か不安な気 児童文学 かいね」 説 がして急いでやってきました。そして草原に座っている千代 小 129 浜松市民文芸 58 集 さ いっとき と答えました。権爺さは一時困った顔をしましたがやがてゆ っくりと、 ねむけ 眠気から覚めた千代は何も知らず俊を見て微笑みました。 「二人共ようく聞いてくれや。折角育てたとび助を今になっ いっさい (今、まむしをさらっていったトンビはひょっとしたらとび 俊は今見たこと一切を千代に話そうとしましたが、 せんぞ て手放すのはつらいかも知れん。だけんど古里や親というも こわ 助の親かも知れない) きずな ら孫子の代まで続く絆というもんずら。生き物はみんな同じ まごこ んは誰でも恋しく忘れられんもんじゃ。それがご先祖さまか だで。トンビにはトンビの生き方があるだで明日はみんなで そんな気がしたのと千代をここでは怖がらせないほうがい い、帰ってからみんなに話そうと思い止まったのです。 あふ 俊は聞いているうちに急に淋しさがこみ上げてきて涙が止 さみ と、諭すように二人に言いました。 さと とび助の幸せを祈って見送ってやらざあ」 (四) その夜、権爺さはじめ常婆さなどみんなが集まったところ しわざ で、俊は今日の出来事を身振り手振りで話しました。すると 権爺さは、 ました。そして二人はとうとう悲しさで胸が一ぱいになり抱 まりませんでした。見ると千代も両眼から涙を溢れさせてい いっちょうまえ き いねえだら。もうとび助も一丁前になったようだし、そろそ き合って泣いてしまいました。 「そうだな、俊の言うとおりそれはとび助の親の仕業にちが あいづち ろ親のもとへ返してやる時がきたのかも知んねえなあ」 とび助の巣箱を取り外しに行きました。千代はこの日特別に はず 翌日になると俊と千代は権爺さ常婆さにも来てもらって、 「俊ちゃ、千代が助かったのは権爺さの言うとおり、きっと 作った餌を持っていき、とび助に腹一ぱい食べさせてやりま と言いました。それにすぐ相槌を打つように常婆さも、 とび助の親のお蔭だら。森のどっかできっととび助の親が待 した。とび助もいつもと違う様子に気づいたのか網戸を取り なかなか ってるはずだで、やっぱ返してやったらどうずらか」 除いたのに中中出てこようとしません。俊が思い切ったよう くちょう と言いました。今度は権爺さがいつもとちがった厳しい口調 か に追い出しますと、とび助は一旦外に飛び出すと再び巣箱の いったん で思い切ったように、 てピーッと一声鋭い声を出しました。するとサーッと一羽の 上に戻って、今度はカッカッと爪を掻き鳴らすと空に向かっ トンビが降りてきて、すぐ前の木の枝に止まってとび助を見 ひとこえ 「俊も千代ちゃも明日はとび助を返してやらざあ。それがと でとび助を放してやらざあ」 いったトンビだとすぐに分りました。 ました。俊にはそれが昨日、千代の前からまむしをさらって もど び助にとっても幸せというもんずら。いいな、明日はみんな と言ったのです。俊と千代は思わず顔を見合わせて、 きのう 「そんなこと出来ん」 130 (やっぱ、あれがとび助の親だったのか。とび助よ、幸せに ロと赤い火まで見えます。 いたのか、あたり一面に白煙が立ちこめ、下の方にはチロチ 急いで行ってみますと森の片隅に積んであった枯草に火がつ かれくさ なんなよ) かたすみ と心の中で思いました。とび助も親トンビのことはとっくに 「千代ちゃ大変だ。枯草が燃え出している。すぐ消防団長に そう言うと俊は、赤い炎を出し始めた枯草を夢中になって ほのお はくえん 気がついていたのでしょう。ぱッと巣箱を蹴ると親トンビの 知らせて」 はず スニーカーで踏み消しました。千代は走って近くの団長宅に あれから何年経ったことでしょうか。俊も千代も来春はい ることになりました。原因は通りすがりのツーリングの一人 災の早期発見ということで、消防団からあらためて表彰され んなく消し止めることが出来たのです。この二人の行動は火 この事を知らせましたので、駆けつけた団員たちによってな よ い よ 高 校 進 学 の 季 節 を 迎 え ま し た。 千 代 は 私 立 の 女 子 高 が不注意に投げ捨てた煙草の吸殻らしいとのことでした。し た へ、俊は県立高へと別れなければなりません。二人は残り少 かし、それよりも何よりも俊と千代にとっては、あの裸ンボ 児童文学 評 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 (中区) ているということが分って嬉しくてたまりませんでした。 すいがら なくなった中学校通学を惜しむように今日も肩を並べて帰宅 のとび助がこの近くのどこかに立派に成長して幸せに暮らし わきみち かた する途中でした。その二人の前方から突然一羽の鳥が飛んで (五) 二羽は揃って大空高く飛び立っていきました。 そろ が輝やき始めました。権爺さが巣箱を取り外したのを見ると け 所へ飛んでいって並びました。やがて正太森一面に朝の太陽 詩 くるのが見えました。人通りの少ない森の脇道のことです。 二人の頭上を飛び越えたのはトンビでした。そのトンビは すぐくるりと反転すると、今度は後方から追い越し、またく るりと反転して二人の上を飛び越えます。 突然気づいたように千代が呼びました。 「あ、あれ、裸ンボのとび助じゃん」 俊もすぐ思い出して叫びました。その声に応じるように前 「そうだ、あいつ、とび助だ」 方に行ったとび助はまたまたくるりと反転すると、今度は地 けむ 面すれすれに飛んできて羽を振りました。その時二人は前方 説 の道路一面に白い煙りが漂っているのに気がついたのです。 小 131 浜松市民文芸 58 集 入選 命と暮らしを奪い取っていった未曾有のできごとであった。 一昨年、東北地方を襲った東日本大震災は、おびただしい は別々の高校に進学することになる。そんな別れの悲しみを 迎えにやってくる。そして、俊と千代は、中学を卒業、二人 をつけてかわいがって育てる。やがて、親トンビがとび助を なをたすけた。俊と千代は、そのトンビに「とび助」と名前 児童文 学 選 評 「とび助親子の恩返し」 人びとは、あらためて生きることの尊さ、いのちの絆の大切 抱いていたある日、俊と千代に森のそばで枯れ草がもえてい 稔 さを、たしかめあったこの一年だったと思う。今回の児童文 るのをしらせてくれたのが、大きくなったとび助だった。二 那須田 学の応募数は、例年にくらべて少なかったが、こうした状況 幼い日、俊と千代は、天竜川河口にある森で、トンビのひ を反映した作品に出合えて、 選者として非常にうれしかった。 市民文芸賞 ばめられていて、風景にとけこんでいる。ぬくもりのある作 成長を描く感動作。はなしことばに方言が、あたたかくちり とび助との出会い、別れ、再会をとおして、俊と千代の心の 人は、消防団に急報、ぶじに火を消しとめることができた。 中学生の雪子は、あたたかい地方に生まれたのに、 「雪子」 遊びにでかけた幼い日、買ってもらったお守りのさるの人形 命名理由」だと聞かされ、雪のふるまち、飛騨高山に両親と に変えてもらうが、その苦しい暮らしに耐えかねて、もとの くらす魚が、神さまにたのんで、あこがれの空をとぶトンビ 入選には、届かなかったが「深海魚の底坊主」は、深海で 品。 「さるぼぼの魔法」 と名前がつけられたことに疑問を感じていた。ある日、母親 の「さるぼぼ」のことを思い出す。すると、その「さるぼぼ」 海の底にもどしてもらうユーモラスな物語。 から、 「あなたが生まれたとき、めずらしく雪がふったのが があらわれ、魔法で、懐かしい飛騨高山に、雪子を連れて行 父母が、どのようにして雪の飛騨高山で出会ったのかが、タ がころんだ」 のうたと、 幼い女の子のふれあいがほほえましい。 「ダルマさんのこと」 は、おばあさんがうたう「だるまさん く。そして、「さるぼぼ」の魔法で、まだ、結婚まえの若き イムスリップの風景の中でえがきだされていく。全編に、愛 のシンフォニーが静かにながれている。傑作である。 132 評 論 [市民文芸賞] 映画における「鈍い意味」についての考察 する評論の中で研究されている「第三の意味」鈍いレベルの この評論は、フランスの哲学者ロラン・バルトの映画に関 まり、映画はわずか一世紀の間で急速にその確固たる地位を ら れ る 娯 楽 と し て の 面 を 持 つ こ と に も あ る と 思 っ て い る。 つ が他の芸術と異なる点は芸術性と同時に広く大衆に受け入れ 徹 記号の解読を通し、テクストも構造を紐解いていくことをね 確立した特異的な芸術と言っても過言ではない。 虎 らう。 映画の持つ様々な研究分野の中で「映画記号学」という分野 から映画全体に至るまで関係する非常に重要な分野であると 柳 考える。映画記号に関してはクリスチャン・メッツを始め様々 川 評論に先立って、私がなぜこのテーマに興味を持ったのか 自由律俳句 について簡単に記述しておく。私は、もともと芸術、娯楽と 定型俳句 な時代や異なった国の研究者、芸術家によって多くの研究が 歌 為されているが、未だにその全貌が明らかにされたことはな 短 しての映画に興味があり「映画」という芸術について詳しく に注目した。映画記号は、全ての映画に関わり、一ショット では、なぜ映画は特異な芸術になりえたのだろうか。私は ○はじめに 詩 追求したいと思っていた。歴史的事実として、映画がわずか 筆 い。このことは、映画がそれほど魅力的でミステリアスな芸 随 術だということを示しているとともに、映画記号の持つ特異 論 一世紀あまりで芸術の仲間入りを果たした。他の芸術が長い 評 性が関係しているのではないかと感じている。(映画記号の 児童文学 年月をかけてその美しさや芸術性を成熟させていったにも関 説 わらず、映画はそれをあっさりとやってのけた。更に、映画 小 133 浜松市民文芸 58 集 特異性については後の章で記述する)以上が、私が映画記号 自然な明晰さをずっと以前から与えられているように、見え とは「全く自然に精神に現れる」もの、ということであり、 タ言語である。鈍い意味とは、受け手の理解がどうしても上 鈍い意味のレベルである。鈍い意味とは、バルトが作ったメ 三つ目のコードこそがバルトのこの評論の中心的なもの、 を縛り付け、そこからの逸脱を許さない。 onymy) 〉を背景にもつ。つまり、このコードは強固に我々 ファー(metaphor) 〉 と 換 喩〈 メ ト ニ ミ ー( m e t ることのできるもののことである。このコードは隠喩〈メタ に興味を持った理由であり、この疑問の出発点である。 1.鈍い意味についての考察 まず、バルトの「ロラン・バルトの映画論集」に集録され 何枚かのフォトグラムについての研究ノート」をベースに映 手く吸収することのできない追加分として「余分」に生じて エイゼンシュテインの映画からとった 画の持つ特殊な記号、映画というテクストについての考察を ている「第三の意味 試みていく。 ニフィアン(signifiant)〉のレベルである。鈍 しまうもので、頑固であると同時にとらえどころのない、す い意味は文化、知識、情報の外側に広がっており、それは分 べすべしていながら逃げてしまう意味という理由からつけら 二つ目には、象徴のコードである。これは、先ほどのもの 析的にみれば取るに足らぬものである。なぜなら、それは、 バルトいわく、映画には三つの意味コードが存在する。 と比べると、より大きな範囲を問題としており記号学的な交 言語の活動の無限性へと開かれており、分析的な理性に照ら 一つには、情報伝達コードがある。これは、単にストーリ 換としての画面構成へと導いてゆくことが指摘されうると せば偏狭なものとみえるからであるためだ。何気なく鈍い意 れた。鈍い意味はコミュニケーションや意味作用〈シニフィ き、そこに現れてくる象徴である。象徴的なレベルの記号は 味をみれば、それはただの言葉の遊びであり、滑稽であり、 エ(signifi)〉のレベルではなく、意味形成性〈シ 先ほどの記号よりもずっと念入りに練り上げられた記号であ 無益な消費である。精神的、美的カテゴリーとは関係なく、 ーを構成するコードであり、我々はこのコードになんの疑問 り、メッセージの科学よりも象徴(精神分析、経済、作劇法) も持つことはないであろう。 の科学へと開かれた記号である。象徴的なレベルの特徴は、 それはそれらの外側に存在する。 変装のなかでとらえられると、この感情の動きはけっしてべ そして、この鈍い意味は、ある〈感情の動き〉をもたらす。 作者から発し、メッセージの受け手(観客)を「迎えにやっ てくるもの」を意味する。このことから、バルトはこの記号 を「自然な意味」と呼んでいる。神学にあって「自然な意味」 134 たつくものではなくなる。それは誰もが好むもの、誰もが守 に単純な構造を持っていても脱コード化を意図した実験映画 ったら、そこにはメッセージと意味作用とが残り、循環し、 ついての一般的な知識が求められるだろう。その意味で映画 あるし、日本の時代劇を観賞する際には、日本の社会や歴史 客が身につけていた映画作品外のコードを知っておく必要が 例えば、初期映画を鑑賞するにあたり我々はその当時の観 い映画は存在しえない。 えないこともない)でない限り、何らかのコードに依拠しな (ここにおいても脱コードというコードが存在していると言 つまり、鈍い意味が指し示すものはストーリーの中には存 りたいものをただ「指し示す」感情の動きなのである。 在しない。バルト風に言うならば、鈍い意味はラングのなか 通過する。この記号がなくても我々はストーリーを把握する には外示的コードの存在は不可欠である。更に、そこから映 にはない。もし、鈍い意味を映画のなかから取り除いてしま ことができ、それについて語ることができる。では、パロー なく消えていく。この記号はなんであるのか。それについて は作者の意図とは関係のない場所に現れ、記憶に残ることも 実際の物語とは全く関係のないところに存在している。これ ている。先ほどから記述しているように、この鈍い意味は、 必要なコードは第三のコード、つまり鈍い意味であるといっ バルトはこの三種類のコードのうちもっとも映画にとって 記号は対立しているのではなく、弁証的な関係におかれ、コ コン的な記号と区別した。そして、映画記号とはこの二つの ー・ロトマンは前者をコンヴェンショナルな記号、後者をイ 機 づ け ら れ て い る と み な さ れ る。 ロ シ ア の 記 号 学 者 ユ ー リ 語に対し、類同性が認められる絵画が、その両者の関係に動 たその関係性にも二種類あり、両者の関係が恣意的である言 ニフィエ〉の二項の関係があることは周知の通りである。ま 記号は意味するもの〈シニフィアン〉と意味されるもの〈シ 児童文学 評 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 ー ド の 種 類 に つ い て 述 べ て い る。 パ ン ザ ー ニ の 広 告 を 観 た ロラン・バルトは評論「イメージの修辞学」において、コ うことができる。 な性質と視覚芸術としての性質を兼ね備えたものだからとい ね備えている記号なのである。これには、映画が言語活動的 ンヴェンショナルな記号とイコン的な記号の性質を同時に兼 より深い考察をするために、映画の構造、それを構築する映 画の共示的コードが誕生するのである。 ルのなかにあるのであろうか。バルトいわく、それも違う。 詩 画記号について考えてみることにする。 2.映画の構造、映画記号一般について 映画は、社会的、歴史的に規定された約束事、コードが絡 み合うことによって意味を形成しその存在意義を主張する構 説 造になっていることを前提とした芸術になっている。どんな 小 135 浜松市民文芸 58 集 時、言語的メッセージを除くと明示的意味〈デノタシオン〉 ているもの(パスタの入った袋、缶、パルメザンチーズの袋、 残ることになる。パンザーニの広告を観てそこに写し出され っている。作家は映画のおのおのの箇所においては、基本と 大連辞関係〈グランドサンタグマティック〉によって成り立 映画のレシは連辞〈サンタグム〉がどこまでも続いていく 読はより難解なものになるのである。 トマト、たまねぎ、ピーマン、マッシュルーム、といったも なる限られた数の配列から選ぶしか方法はなく、それらを結 と暗示的意味〈コノタシオン〉に関わるメッセージがそこに のが半分開いている網袋からはみ出ており、赤の背景の上に 合させていく段階において、範列関係を構成していく。 この広告の写真がイタリア性を意味していると知覚すること て〈コードなきメッセージ〉と言うことができる。しかし、 れは、何らかのコードの助けを必要とせず、写真的映像とし より、より制限された連辞関係がそこに誕生し、再び範列を るのである。さらに言うならば、その範列を決定することに いて、連辞関係の圧がかかり、範列を決定していくことにな るつもりになっても、映画の物語内容を繋げていく作業にお ていることになる。それも、作者はそれを無作為に選んでい つまりは、映画のひとつひとつの記号は外示的に決定され 黄色と緑の色調を見せている写真)を見て、その全体像を理 は、コノタシオンの問題であり、イタリア料理では、トマト 制限することになるのである。 解することは、デノタシオンの水準に関わるものである。こ が頻繁に使われることや、パスタ伝統料理であることなどの は物語内容〈レシ〉である。映画のような叙述的作品のコー ィアンがこのディエジェースであるとした場合、シニフィエ ース〉に埋め込まれていることにある。映画におけるシニフ べた通り様々なコードが入り混じった物語世界〈ディエジェ のである。 存のコードの助けを借りて、映画記号は誕生することになる は、社会、文化、歴史、時代に裏付けられたものとして、既 で映画記号がすでに決定してしまうということである。それ ここでひとつの問題が発生することになる。それは、ここ 映画記号の読解が他の記号読解と異なる点は、先ほども述 教養が、メッセージを受け取る側に必要とされるのである。 ドを読解する場合は、物語の解体をすることが必然的に求め だしてしまう記号ができることとなる。映画においては、圧 占めているので、映画(叙述的作品)の明示的意味からはみ 芸術はリュミエール兄弟のシネマトグラフ発明時から発達し だろうか。もちろんそのようなことはない。それならばこの では、映画の記号は全て外示的要因によって形成されるの られる。ところが、ディエジェースはレシよりも広い範囲を 倒的にシニフィアンの優位が保たれているため、コードの解 136 ていないことになってしまう。それは言い過ぎだとしても、 初期映画(メリエスやグリフィスの作品)には、既に映画技 法は誕生しており、当時と文化や価値観が異なる現代社会に 生きる東洋人がその映画を見ても内容を掴むことができる。 3.鈍い意味 鈍い意味は、断片的にその姿を表出する記号であるという らのものではあるがバルトはこの方法(つまり、動画ではな これは、バルトにおけるエイゼンシュテインの映画の考察か 鈍い意味はフォトジェニックにそれ自体を表す。あくまで 仮説をたててみよう。 映画芸術が発展していたとしたら、その後に世に出てくる純 もし、このときに使われていたコードからぶれることなく、 粋映画や絶対映画の類いは存在することがなかったであろ く静止画にすること)で、鈍い意味をとりだすことに成功し 共示を表現することに成功している。映画における連辞関係 とした上でそのコードを否定することにより、作家は各々の コードへの付け足しとも言える。先のコードの存在をありき フォトジェニーであった。つまり、動く写真が映画であり、 である。デリュックが構想したときは、映画と写真の一致が たいわば「映画的なるもの」を映画の本質や特質とするもの ックが提唱した概念で、映画特有の映像美や美的効果といっ フォトジェニーとは、フランスの映画批評家ルイ・デリュ ている。 はひとつの映画単体のものではなく、映画史のなかでもその 写真的な映像美をもつ映画こそがフォトジェニックな映画で とであり、鈍い意味のレベルでは、おそらく初期映画にして しかし、これはあくまで映画技法や映画内用においてのこ の記号を汲みとることができる。その記号は、その写真が撮 であるかを知覚できなくても、我々はその写真から何かしら 我々が写真を見たとき、そこに写されている対象物がなん 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 隠された背景を見ることはできないであろうし、例えそれら 影された、時代、社会、文化とは関係なしに我々の前に表出 も現代映画にしても、変わりはないはずである。 あった。 関係が成り立っている。 起こったか。既存のコードの破壊である。もしくは、既存の このような、独特の雰囲気を持つ映画が誕生した際に何が う。 詩 され、当然、作者の意図とは関係のないものに違いない。お 筆 とりあえず、ここまで映画の持つ性質についてと、映画記 随 号の特異性、外示的意味と共示的意味についてを記述してき 論 そらく我々はこれらを明示的に理解するだろう。そこに我々 評 は隠喩的、換喩的意味を求めるだろう。しかし、その写真に 児童文学 た。これまでの見解を踏まえた上で、バルトの鈍い意味を考 説 えていこう。 小 137 浜松市民文芸 58 集 れない。なぜならば、その記号はもちろん写真から発せられ 在しているのでなく、漂っていると言った方が正しいかもし 我々を困らせる記号が存在しているだろう。この記号は、存 を部分的に理解することができたとしても、そこには未だに ることは、限りなく困難なのである。鈍い意味はそうされる 遠ざかる。その快楽にも似た感情を我々は言語化して表現す かく我々のもとに訪れ、それの記号を理解する前に我々から のであるか。この感情は、それを強制することもなく、柔ら これは、なぜなのか。我々の多くはそこに同じ感情を抱く が研究対象として挙げているエイゼンシュテインに一連の映 ている作品が多い。ソニマージュとは、son(音)とim ール映画では「ソニマージュ」という技法を使って撮影され 私はゴダールの映画を見てこれと同じことを感じた。ゴダ 結論 とを拒絶する。 ことを拒む。この記号は、すべすべとして我々に掴まれるこ るがそこには既に存在しないものだからである。 なるほど写真の場合であれば、この理解の仕方で納得でき る点もある。しかし、このような記号がなぜ建設的に構成さ れた映画に存在してしまうかである。映画とは時間を伴う芸 画は、モンタージュ効果によって観客にある思考をぶつける age(映像)をくっつけることで、映画の原理を表したも 術であるため、無駄なものはここに映らない。特に、バルト ことを意図している。そのために、映画全体にわたり緻密に だ け が 映 画 に お け る 唯 一 の 現 実 だ と 考 え た の で あ る。 そ し 計算された映像が写され、その撮影方法や編集技法まで計算 て、この関係は音や映像を結合させてメッセージの伝達とい ので、ゴダールの造語である。ゴダールは、音や映像には、 例えば、エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」を通 う目標に隷属させるのではなく、それらを雑多なままで投げ しつくされているのである。意味もないものそれは全くない しての主題は「革命」である。そのために、映像は隠喩的、 出し、互いに自己主張をさせあうことで、互いをニュートラ それ自体に内在的な関係があるわけではなく、それらの関係 換喩的に計算され、一般的な教養を持つ人間であれば、画面 ルな位置に置いたまま送り出すことを目的とした。 はずである。 からその主題を必ず感じ取ってしまう。しかし、バルトが指 しようとしたのではないか。もちろん彼は、あくまでその方 ゴダールはソニマージュにより、鈍い意味を意図的に表現 摘しているように、そこには意味は存在しない。言ってしま えば、宙ぶらりんに浮いている記号が存在してしまうのであ る。 138 ようとはしなかった。なぜならば、作者が意味を持たせた時 法を提示し、それを使っただけで、鈍い意味に意味を持たせ 片的にその姿を表出する記号である」という仮説は、ある程 成することに成功している。先ほど立てた「鈍い意味は、断 ゴダールも小津も映画の時間、空間を使い、鈍い意味を生 を本質ゆえそこに存在する(浮かび上がる)ことができる記 鈍い意味は、意味を追い求め、ストーリテラーとしての我々 能であるということが挙げられるだろう。 のみを単体で取り出しても我々にその記号を伝えることが可 度正しい。しかし、更に付け加えるならば、この記号はそれ 点で、閉じられた意味になってしまうからである。 ソニマージュは音と映像の「間」に存在する。いや、そこ におさまるといっても良い。あくまで、整えられたものでな ろうか。自然な意味(象徴レベル)が配列されている狭間に、 号なのである。 く、無機質に羅列される。鈍い意味もこれと同じではないだ この意味は存在することを許される。あくまで過分なものと 論 随 筆 定型俳句 自由律俳句 川 柳 〈完〉 評 歌 (南区) 児童文学 短 しかし、この記号があることにより、テクストは、作者か してそれは、存在する。 詩 ら解き放たれ開かれたものになるのである。そして、テクス トが我々に接近し、我々もテクストを身近に感じる。鈍い意 味こそテクストの独自性、優位性を保障し、テクストをテク ストとしている。 補足として、小津映画を紹介しておく。小津は完壁主義者 の監督であった。彼は、役者を背景同様に徹底的に管理し統 制することで、独自の手法を確立した。そのため、例えば俳 優同士が何気なく海を見ながら座るシーンでも、そこには曲 線美が演出され我々は心地良い感情を受け取る。オブジェと しての人間。そこに写される俳優は、それまでのシーンに写 説 されていた老人ではなく、 ひとつの様式美を生み出している。 小 139 浜松市民文芸 58 集 [市民文芸賞] はり 節が三回目の久保博士の診断を受けるため、九州へ出発し のに不満があった。後述するが茂吉に頼まれた『赤光』の批 気に入らなかった。茂吉の『赤光』の特色と見られているも た。茂吉や赤彦が、西洋の近代美術などを有難っているのが 中 谷 節 三 たのは翌大正二年三月十日であった。途中相不変道草を食っ 評は重荷になって結局実現しなかった。 鍼の如く(後篇) て福岡に着いたのは十九日であった。翌二十日、九大病院に たかし 博士の診療を受けた。所が診断の結果は「全治している」と 現病歴。昨年患者は喉頭結核として治療を受けた。しかし、 とその妹にあった。翌日、福岡を出発下関、宮島、門司で大 たからである。博士は京都の学会へ出席のため留守で、夫人 に行った。節として更に再び福岡へ来るとは思っていなかっ 四月三日、宿の支払を済ませ、久保博士の家へ別れの挨拶 今日迄増悪した事はないし、声がかすれたこともない。現在、 阪高船の瀬戸内海航路「くれなゐ丸」の一等船客となって神 いうものであった。 顔面やゝ蒼白、しかし栄養良好。嚥下の際に側頭部に異常感 戸まで行き、京都の常宿亀利に夜十時半に着いた。四月九日 病気が重いという知らせであった。それでも、出雲大社まで 覚があるという。この場所は咽頭側索の下部特にその左側に 出かけ帰還に着いたのは四月二十二日で、父は娘(節の妹) であった。郷里からの手紙が博多から回送されてきて、父の この診断結果は、節を狂喜させ再び堰を切ったように古社 相当する。喀痰検査でも結核菌は認められないというのであ 寺めぐりの旅が始った。節は日本の古美術を尊敬して、それ の嫁ぎ先の奥田医院で療養していた。 る。 の持つ「気品」や「冴え」を短歌に生かすことに苦労してい 140 注⑯ 七月三十日、左千夫が急逝した。八月二日葬儀が行われた た結果、今度は旧知の神田錦町の橋田内科病院へ入院した。 た。左千夫の葬儀のあと、節は夏かぜをひいた。九月になっ 麓はその頃、歌を離れて圣心女子学院の習字の教師をしてい った。節の神経質な性格が多分に影響している。しかし、医 いるという。節のホッとした気分が、熱も六度台にまで下が く、左肺に気管支炎の形跡があるが、それも今は消えかけて る気心の知れた病院であった。診断の結果は喉は余り心配な 橋田病院は、節も弟の順次郎もチブスで入院したことのあ 三月十四日であった。 ても風邪の病状は消えなかった。四月末に帰郷してから、し が、子規直門の弟子は麓と節の二人のみになってしまった。 ばらく遠ざかっていた農事に没頭していた。夏頃から身体の した久保博士を上野の精養軒に訪ねた。節の病状を聞いた博 橋田病院に入院中の四月五日、節は学会に出席のため上京 師によって診断の結果が違うのは如何なる訳であろう。 思われ、十二月になると連日三十八度以上の高熱になやまさ 年の暮の十二月二十三日に上京すると、神田金沢町の金沢 婚約者の黒田てる子が見舞いに訪れた夜、一晩中ねむれずそ 結核で寿命一年か一年半と宣告された時、同じく十二月の暮 てよくねむれなかった。二年前の明治四十四年十一月、喉頭 その晩、節はまた九州へ行くことになった気持ちが興奮し 士と、五月になったら又九大病院を訪ねる約束をした。 医院長・神尾医学士の診断を受けた。喉に米粒の半分位の潰 の時の心境が「病中雜詠」其ノ一及び其ノ二になった如く、 【A】 (後述) 瘍が発見され、二十七日と三十日の二回の手術で患部を除去 評 論 随 筆 はり ○白埴の瓶こそよけれ霧ながら (「アララギ」大正三年六月号) り 「鍼の如く」其一冒頭作 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 周平の『白き瓶』(小説長塚節)の題名はこの歌から取っ にある井戸の冷たい秋の朝霧の情景を詠んだものである。 節一代の傑作と言われるようになったこの歌は、自宅の庭 朝はつめたき水くみにけ した。節はそのまま入院して体力の回復を待ったが、三十七 児童文学 しらはに注⑰かめ この日の夜も、気持が歌に向って一首できた。 多くなってしまった。 れた。そのうえ咳もはげしくなり、午後は寝てすごすことが 身は不安を感じた。寒くなるにつれ少しづゝ悪化するように 不調は、風邪ばかりでなく喉頭結核の再発ではないかと節自 詩 度台の微熱がつゞき、血痰が出たり、肋骨も痛んだ。神尾医 学士は肺結核の病状であることを知ったが、節には知らせず 只湘南あたりの海岸への転地療養を勧めた。節は身の振り方 に迷っていたが、母の具合が悪いというので、大正三年一月 二十三日退院帰郷した。父も母も入院し、家には祖母と節の みで、その節も病人であった。三月一日には又三十八度六分 の高熱となった。母が半月程して退院して来たので、待ち兼 説 ねたように節は再び上京し、金沢医院の神尾医学士と相談し 小 141 浜松市民文芸 58 集 たものである。 注⑱ ども かわや ○小夜ふけて厠に立てばものうげに蛙は遠し水足りぬらむ 其二の最後の歌は 茂吉は之について、大正三年から四年にかけて長塚氏は「鍼 の如く」という大作を二百三十二首発表した。大正三年は赤 たもと 暑きころになればいつとてもやせゆくが常ながら、ことし ひとえ 彦君も既に上京され、長塚氏は橋田病院に入院中のことであ は ま し て 胸 の あ た り 骨 あ ら は な れ ば、 単 衣 の 袂 か ぜ に ふ く おとろ る。百穂(平福)、赤彦、千樫(古泉)、憲吉、茂吉等は代る らみてけふは身の衰へをおぼゆ(以下略) 教員生活を打ち切り大正三年四月上京、「アララギ」の編集、 た。麓はそこで、島木赤彦に初めて会った。赤彦は長野県の な 手 紙 に、 麓 は あ わ て て 橋 田 病 院 の 節 を 見 舞 い に か け つ け 神田の病院で具合が悪く熱を出しているという節の神経質 理に追われていた。 教師を、自宅では書道塾を開き、経営に失敗した出版社の整 三十七年より十年以上歌を離れていて、圣心女子学院で書道 しているのに、麓からは返事が無かった。その頃、麓は明治 金沢病院や橋田病院に入院するたびに節は麓へハガキを出 ざらむ ○単衣きてこころほがらになりにけり 夏は必ず我れ死な ひとえ 代る長塚氏を訪問したのである。(中略)ある日、長塚氏は ふと歌の話をして「今のアララギの諸君の歌とはだいぶ違う が僕の今の歌に対する考えは先づこういうものかも知れな い」と言って前記の「白埴の歌」を示されたのであった。こ の二百余首の大作は長塚氏一代の傑作となった。(中略)こ の「鍼の如く」は長塚氏の完成期にあった綜合作ということ ができる。(後略) こっしょう 節は五月二十九日、赤彦に付添われて橋田病院を退院し、 翌日雨の降る国生村へ帰った。 「鍼の如く」其二として発表される(「アララギ」大正三年 病院の一室にこもりける程は心に悩むことおほくいでき 七月号)次の歌は、このときの作である。 て自らもまなこの窪めるを覚ゆるまでに成りたれば、いま 会計を担当するようになった。三十八才、麓より一年先輩で すべ あった。 けり ○さわらびはかむろ松よりたけたかく 庭の築山春たけに 節の麓への最後のハガキは 五月 や 三十日といふに雨いたく降りてわびしかりけれどもおして が は只よそに紛らさむことを求むる外にせん術もなく 帰郷す た ら ち ね ○垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすかしといねつたるたれ 142 かういう歌はもう作らないんですか、先頃お話しの歌ぜひ 送って下さい。手紙でも葉書でも、もっとざっくばらんに書 いて下さい。通り一遍では物足りなくていけません。と。 麓が憲吉に声をかけられ、 「アララギ」に復帰するのは、節 三十八度五分という高熱が出た。 機械技術者で鹿児島へ出張中の弟順次郎が見舞いに寄っ た。それに安心したか、敏感な節は熱も七度台まで下がり、 七月二日、 「アララギ」七月号が届き、「鍼の如く」其二を 下痢も止んだ。 読み返し、六月号巻頭の其一を誉めた佐藤春夫の茂吉宛のハ の亡くなった(大正四年二月)あとの大正五年七月であった。 橋田病院に入院中に約束した久保博士の診断を受けるた ガキも載っていた。 「私などの常に望んでしかも到底駄目だ うた め、死出の旅路になるとも思わず、最後の九州へ西下したの と断念していた境地を立派に韻律化されたのは轉た三誦の心 それに励まされて「アララギ」八月号に載せる「鍼の如く」 注⑲ は大正三年六月七日であった。節としては珍しく身体をかば になった」と賞讃した。 と認められた。「慢性喉頭炎」だった。入院させたかったが、 の日と、翌日の診断で結核菌が、去年の全快とは裏腹に陽性 れたので、その日の午後には診療を受けることが出来た。そ 俳人であった。夫人は大学病院の博士にすぐ連絡を取ってく し、節一代の念願、青島行の希望は忠告を守ることが出来な 安静を守る」という考えは内科の武谷教授にはあった。しか 核には手の施し様がなかった。それでも「動いてはいけない。 する考え方が当時、関連あるものと考えず目に見えない肺結 の希望を久保博士に伝えて了承を得た。喉頭と肺の結核に対 七月二十五日には三回目の手術を受け、青島への転地療養 其三の歌稿を微熱のつゞくベットの上で三十五首作った。 満床だったのでしばらく通院することになった。その間に、 十九日、青島へ着いた。 然し青島海岸で節を待っていたのは、 朝、宮崎県に向って博多を発った。七度九分の熱があったが 節 は 退 院 の 手 続 き を 取 り、 身 辺 を 整 理 し て 八 月 十 六 日 の かった。 博士の「慢性喉頭炎」は「喉頭結核及び右側肺結核」と変更 診察も受けた。十六日、十八日の二日に亘ったが結果は久保 中村憲吉の友人・宮崎助手の好意により、内科の武谷教授の 士夫人を自宅に訪ねた。夫人は明星派、ホトトギス派の歌人、 の如く」其一が載った「アララギ」六月号を持って、久保博 かけず博多に着いたのは六月十日の朝であった。その足で「鍼 う為、静岡・神戸・下関にそれぞれ一泊したが、何処へも出 詩 された。右肺上部の呼吸音は全く微弱であった。 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 台風と旅館の結核患者に対する冷い仕打ちであった。青島を 随 去 る 九 月 十 五 日 ま で の 二 十 八 日 間、 三 度 台 風 に 見 舞 わ れ て 論 六月二十日入院した。二人部屋を一人部屋に模様替えし、 評 官費入院の措置を取った。熱は三十七度を割ることはなかっ 児童文学 二十二日間は雨で、晴れたの僅か六日間であった。その上、 説 た。 二 十 九 日、 久 保 博 士 の 手 術 を 受 け た。 そ の 後、 下 痢 と 小 143 浜松市民文芸 58 集 宿を追われて転々とし落着く閑もなく、青島での転地療養は つまりし純心の心から話したるものに候、それも大兄に小生 「小生が(おひろ)の事、大兄に話し致したるは、せっぱ 候。然るに大兄は他の人にべらべら御話いたされし由小生は の微少な歌を理解して頂き批評して頂きたかったに過ぎず 実に意外に存じ申候。そうして実に心苦しく存じ候」と抗議 九月二十二日、福岡へ戻ったが熱が三十八度台に上ってい た。翌日、病院へ行くと会う人ごとにやせたねと言われた。 失敗に帰し、反って身体への負担が増して病状が悪化した。 久保博士の診察は熱が出る恐れがあるので手術はしばらく見 「おひろ」は今では「おくに」のあとに茂吉付きの女中に なった「おこと」であるということが定説になっている。 (藤 の手紙を出した。茂吉の憮然とした様子がよくわかる。 喉の焼灼手術を受けた。しかし、期待に反し依然として八度 「おこと」は浅草千束町二丁目の写真屋の娘、 「福田こと」 岡武雄) 合わされた。その日も三十八度二分の熱が出ていた。節は喉 台の高熱が出て喉も痛かった。医師は知っていたが、節には を焼けば熱は下がるものと思っていた。十月二十三日やっと 知らせなかった。主原因である肺結核は急速に進んでいた。 まゝ終局に持ち込んでしまうが、(後出版)では章を十一と 八分という高熱を発したのは十二月十五日だった」とその とを喜ぶ。芸術のための芸術ではなくて、作者はもう芸術と 泣いた趣が明瞭である。大正二年度において此大作を得たこ 無情のものから、可憐な少女のしみじみとした情愛のために 節は『赤光』書入れの中で、「作者の恋が、真に○○○の であった。 改め、茂吉から頼まれた『赤光』の批評をまとめようとする いうものの範圍を越えて闊歩しようとしている。其処に恐し 周平の『白き瓶』(初出版)では、この後「節が三十八度 節の事情が描かれている。『赤光』の批評を左千夫亡き後は、 ひろ」四十四首の事実関係を話せと言った。茂吉は何として はちょっとでいいからと茂吉を呼んで、『赤光』の中の「お 長塚節に批評を得ぬ限りは、他からいくら立派な批評を貰っ しかし、茂吉は根岸短歌会の正統を継ぐ実力者歌人である 評は出来そうもないのであきらめてくれ」と手紙を出した。 金沢病院を退院した節は、三月八日に茂吉宛に「赤光の批 いる」と書いている。 惘然たらざるを得ない程、露骨に然かも極めて細心に歌って ぼうぜん い 力 を 埋 藏 し て い る。 そ れ と 同 時 に 一 読 し た 際 に は、 読 者 【 A 】 前述)、東京神田の金 子規直問の節以外にあり得ないと、茂吉は考えていた。 ― 節はその頃(大正二年十二月末 も節に『赤光』の評を書いてもらいたくて「おひろ」という ても『赤光』の批評は完成しないと思っていた。 沢医院に入院していた。年が改まった大正三年一月二日、節 女性との事実関係を不本意ながら話した。しかし、節はこれ 注⑳ を他人に洩らしてしまった。 144 再発熱で三月十四日、上京して橋田病院に入院するが、こ 夜はゆっくりねむれるだろうと思った。 ため、足もとがふらついたが、歌が出来たことに満足し、今 るその歌稿を出しにいった。病的な神経興奮が残した疲れの はり が、 『赤光』の批評の事を思うと負債を背負っているように こで節一代の傑作「鍼の如く」其一が発表されて賞讃される 日だった。悪感がして熱は三十八度八分まで上がった。節は 節がもっとも恐れていた高熱に襲われたのは、十二月十五 非 常 に 苦 痛 で、 病 身 の 節 を 悩 ま せ る 最 大 の も の と な っ て い た。節が亡くなったとき、『赤光』批評は、歌の一首毎に万 入 院 を 望 ん だ が、 空 き ベ ッ ド が 無 く て す ぐ 入 院 で き な か っ さかき る診察をした。久保博士の方は「喉頭後壁以前よりひどく腫 せる措置を取った。翌日から久保博士と武谷教授が替るがわ 病院では一月四日の夕刻、隔離病棟南六号室に緊急入院さ 一月二日の夜には三十九度一分にもなった。 収まった熱も再び三十八度台に上がって年を越した大正四年 空くのを待つことにした。しかし不眠の病状は収まらず一旦 た。しばらく旅館から、熱も下がったので通院し、ベッドの 年筆で心覚えを書きつけただけの未完の形で、福岡の旅館の は 青島) 脹す。左披裂部潰瘍あり」という病状悪化の状況であった。 節の病状は一方的に悪化し、二月八日午前五時昏睡状態にな り、かけつけた父深次郎、弟順次郎、久保博士、主治医、医 局 員 の 見 守 る な か で 午 前 十 時 永 眠 し た。 享 年 三 十 七 才 だ っ 福岡に戻る) た。子規三十六才没とほぼ同年であった。 児童文学 評 論 随 筆 核症」(両肺とも上部は空洞であった) 」 定型俳句 自由律俳句 川 柳 宛ハガキ 大 正 四 年 二 月 九 日、 牛 込 区 わ せ だ 南 町 七 番 地 歌 り、赤坂区青山南町百八十一番地 斉藤茂吉 短 漱石 よ 節の最後のカルテは「喉頭結核 合併症 両側播種性肺結 ○鶏頭は冷たき秋の日にはえていよいよ赤く冴えにけるかも 二十二日 病 院 の 門 を 入 り て 懐 し き は、 只 鶏 頭 の 茂 の み な り( 九 月 らむ ○横しぶく雨のしげきに戸を立てて今宵は虫はきこえざる つ(九月八日 陰晴定めなき季節のならはい雨をりをりはげしく障子を打 ○朝がほは蔓もて偃へれおもはぬに榊の枝に赤き花一つ つる 大正三年八月十四日より始まる。 「鍼の如く」其五は、九大病院を青島行のために退院した 室の机の上に置かれていた。 詩 十一月十一日、北から時雨の空かきくもりて騒がしきに さにわ ○はらはらと松葉吹きこぼす狭庭には皆白菊の花咲きにけり まとまった歌は結局七十首に達し、送るべき歌稿の整理が すべて終ったのは十二月七日の深夜だった。翌日、また寒く 説 なった。節は九大病院正門前の郵便局まで「アララギ」へ送 小 145 浜松市民文芸 58 集 も致しませんのを世話したように思っていられるのでしょう す。惜しいことを致しました。私は生前別に同君のために何 は昨日久保猪之吉氏から電報で知らせて來てくれたところで 長塚節氏死去のご報せにあづかりありがとう存じます。実 清く堅く痩せていた。(茂吉) すっきりとした冷徹さともいえる。節の歌は精細に用心深く があった。節の印象は、気品の高さということに要約しうる。 時の編集委員(茂吉・赤彦)の故人に対する並々ならぬ思い 百六十八頁の大冊を僅か四ケ月ばかりで仕上げたことは、当 や か、どうも気の毒でなりません。 父と弟に守られた節の遺骨は、二月十一日東京着、弟順次 赤彦 大正五年二月八日 長塚節一周忌歌会が茂吉宅で開かれた。 わらじ 郎の養家である小石川の小布施家で通夜が行われ、翌十二日 いづも ○足曳の山の白雲草鞋はきて一人行きし人は帰らず 節忌 注㉑ こ ぞ 茂吉 茂吉 茂吉 長 塚 節 三 回 忌 歌 会 を 開 く。 会 け ふ こよい のど し ○しらぬい築紫を恋ひて行きしかど浜風さむく咽に沁みけむ 君はや ○心づまの写真を秘めてきさらぎのあかつきかたに死にし らむか ○おもかげに立ちくる君も今日今夜おぼろなるかや時ゆく ふけて会はてつ。 者、百穗、赤彦、千樫、文明、迢空、重、今衛、茂吉等。夜 大正六年二月八日 もほゆ ○君が息たえて築紫に焼かれしと聞きけむ去年のこよひお な ○つくづくと憂にこもる人あらむこのきさらぎの白梅のは けむ ○しらぬひの築紫のはまの夜さむく命かなしとしはふきに 赤彦 ○白雲の出雲の寺の鐘ひとつ恋ひて行きけむ露の山路を あしびき 主家のある国生村へ無言で帰った。 大正四年一月発行の「アララギ」新年号に節が前年十二月 あられ ひねもす北風吹きやまず 草稿(絶筆) 八日に送った「鍼の如く」其五が遺作となって発表された。 (前述) 「鍼の如く」其六 かぞ ○明るけど障子は楮の紙うすみ透りて寒し霰ふる日は 大正三年十二月二十三日 かぞ (二十四日作)︲楮(こうぞ) 大正四年三月一日発行の「アララギ」三月号は、巻頭に「大 正四年二月八日長塚節氏逝く。謹みて哀悼の意を表す。」と アララギ同人の弔詞を掲げ、編集発行人の島木赤彦は「編集 所便」に「長塚さんは逝かれました。三十七才の短生涯に妻 子も無くして逝かれました。人間の世の中に清涼感の如く住 「 ア ラ ラ ギ 」 の 長 塚 節 追 悼 号 は 大 正 四 年 六 月 に 出 た。 んで孤り長く逝かれました」と書いた。 146 ちちはは 波書店刊) 黒田てる子 ○赤き火に焼けのこりたる君の骨はるばる帰る父母の国に ㉑ ︲ ○息ありてのこれる我等けふつどひ君がかなしきいのち偲 きりぎりす はたおり ㉒ 節の婚約者(破談) ギー・チョンと鳴く。こほろぎの古名。 ︲ 松虫(チンチロリン)、くつわ ぎす、機織ともいう。機織はギーチョン・ギーチョンと動く 虫(ガチャガチャ)、鈴虫(リン・リン・リン)馬おい(ス からである。秋の虫の声 イッチョン)こほろぎ(コロコロコロ) はり ︲ 其四 注㉒ ︲ 大正三年六月号 筆 九月 短 歌 其二) 定型俳句 一生を孤独と寂しさに堪えた人であった。 がこと (病中雜詠 ○いまにして人はすべなしつゆ草のゆうさく花をもとむる た。 子の節に寄する愛情は最後まで、節の心を暖めその支えとなっ 節は病気のため、黒田てる子との結婚は断念したが、てる (補) たら、何が残ったであろう。歌と旅は節の宿命としか言いよ 歌と旅が節の命を奪ったが、節からその歌と旅を取り去っ べり 茂吉『あらたま』 詩 うがなかった。 節の身体のなかを、故郷の国生村の野道を行くのは、 『土』 の(勘次)か、娘の(お次)か、それとも(黒田てる子)で あろうか。幻の如く現れては消えていった。 「アララギ」所載の大作「鍼の如く」の題名は、大正三年 し ろがね 七月二十四日、九大病院に入院中に詠んだ ○白銀の鍼打つごとききりぎりす幾夜はへなば涼しかるら む「鍼の如く」其四 前篇よりの通し番号 P きめの細い粘土、かわら、陶器の原料 ︲ 随 自由律俳句 川 ( 「日本詩人全集5」新潮社(昭和 43 年)より) から取りたものと思われる。 ︲ はに 浜松詩歌事始(中篇)市民文芸 埴 はり 首 三唱、三度声をあげてとなえる。 大正四年一月号。全 三誦の心 ︲ 「鍼の如くし其一 ︲ ⑲ 論 柳 (中区) [完] 秀岳義文居士 (注) ⑯ 182 ⑱ 「アララギ」二十五周年記念号(昭和八年一月号) ⑰ 55 作家)著『青年茂吉』P (岩 評 147 号。其五 児童文学 ︲ 北杜夫(茂吉次男 説 ⑳ 小 94 明治 44 年(32 才) 節 長塚 232 浜松市民文芸 58 集 12 4/3 生 年令 (付)年譜(病歴を主として) 考 治 明 子規の「歌よみに与える書」 を読む こっしょう 備 子規上京 (上根岸) 17才 19 ①神田錦町の「橋田病院」 に入院 歴 茨城県結城郡岡田村国生に生れる 入学 履 常総市石毛町国生) たかし 長塚 節 なが つか (現 県立水戸中学校 20 子規庵を訪問、即席歌10首、入門す 子規庵歌会に出席、左千夫、麓を知る 子規 卒す (36才) 明治 月/日 14 同校 31 21 9/21、葬儀、田端の大龍寺に埋葬 茂吉、左千夫へ入門 神経衰弱のため退学 17 32 3/ 4/ 23 『馬酔木』創刊 (左千夫の編集を助ける) 漱石に注目される 4/ 年 16 26 29 33 9/19 24 写生文「佐渡ヶ島」 を 『ホトトギス』 に発表 『ホトトギス』創刊 (松山) 35 6/ 28 30 36 11/ 腸チブス? 40 148 小 41 10/ 31 29 「土」 を東京朝日新聞に連載 (151回) 『アララギ』創刊に参加 (漱石の推せん) による 茂吉『アララギ』編集担当 喉頭結核の疑い (黒田てる子) と婚約 (年末病身のため解消) この年より、節の斗病始まる 6 ~ 11 4/ ②中島耳鼻咽喉科 (下妻町) 受診 き 転地療養を勧められる ご ④人形町の木村医院 (麓の紹介) お ③小此木医師 (弟順次郎の紹介) 11/21 ⑤根岸養生院・岡田和一郎博士の診察 (弟順次郎の紹介) 秋 11/30 入院・手術 1年~1年半の壽命 病中雜詠 其一 (「アララギ」 45年2月号) 12/5 退院。漱石を朝日新聞社に訪問 九大病院・耳鼻咽喉科教授、久保猪之吉博士への紹介状を依頼する 明 定型俳句 自由律俳句 川 柳 病中雜詠 其二 (「アララギ」 45年4月号) 2/20 上京、漱石の自宅 (早稲田南町) を訪ね、久保博士への紹介状を貰う ⑥東京を発つ。京都大学病院にて手術 (予定外) 3/17 3/19 歌 しばらく様子を見る 短 ⑦福岡着、九大病院① (久保博士) 詩 4/22 筆 電気焼灼、病状進展なし 随 ⑧九大病院②通院治療 論 5/8 ~ 7/26 児童文学 評 33 32 43 44 45 説 149 治 浜松市民文芸 58 集 年 9/26 月/日 33 年令 3/14 備 考 (前篇終り) 歴 半年ぶりに帰郷 (後篇始め) 履 東京発 (3/19) 福岡着 全治している 帰郷、夏かぜを引く (12月) 38度熱 「肺結核」 との診断 (7/30) 左千夫急逝 (8/2) 葬儀 ⑨九大病院③久保博士診察 ⑩神田「金沢医院」神尾医学士 3/20 12/23 茂吉に病院で 『赤光』 の「おひろ」の事実関係を聞く 大 」其三 (35首) 喉頭結核、右肺結核 4/ 末 1/2 「金沢医院」退院、帰郷 【A】 1/23 ⑪神田「橋田病院」へ入院 はり 38度台の発熱 3/14 上京中の久保博士に会い、又九州へ行くことにする 「鍼の如く」其一 (「アララギ」大3年 6月号) 「橋田病院」 を赤彦に伴われ退院帰郷 〃 赤彦「アララギ」の編集会計を担当 5/29 ⑫九大病院④結核陽性 「 」其四 35 4/ 34 1 2 3 6/ 入院 (6/29) 久保博士の手術 〃 「 〃 」其二 (「アララギ」大3年7月号) 6/20 「 はり 「白銀の鍼打つごとききりぎりす………」 しろがね 7/24 150 正 大 正 昭和 3 7/25 三回目の手術 (8/14) 一時退院 9/22 通院治療 福岡へ帰る。 38度台発熱 随 筆 詩 短 歌 定型俳句 〃 〃 川 柳 」其五、 「アララギ」へ送る 自由律俳句 茂吉宅 (法名) 秀岳義文居士 昏睡状態 病状悪化 「 宮崎県青島へ行く。22日間雨 (台風) 、宿を転々とし、病状悪化 12/7 高熱 (39度1分) 35 1/2 ⑬九大病院へ緊急入院⑤ 8/19~ 9/15 1/4 午前10時永眠 生家の国生村へ無言で帰る 36 2/12 「アララギ」 6月号 2/8 6/1 一周忌法要歌会 4 2/8 長塚節追悼号 5 論 『長塚節全集』全6巻 春陽堂刊 赤彦、茂吉、百穗、麓、等編集 〃 三回忌 評 2/8 2 児童文学 6 15 説 ― 小 151 浜松市民文芸 58 集 憬も感じさせられました。 映画をこよなく愛してやまない蓮實重彦氏に小津安二郎論 性 や 特 性、 イ マ ジ ネ ー シ ョ ン を 定 着 さ せ る 営 み が あ っ て こ る論が、結論の終わりにありましたが、筆者の持っている感 評 論 選 評 がありますが、彼ならではの文体があります。その文体と小 今回の評論部門を読んで、論をなす方たちの多様性を感じ そ、より鮮明な論をもたらすことでしょう。 中西美沙子 ました。映像への関心、和歌と歌人への傾倒、原発問題。そ 津の映像との親和が、読む者に刺激を与えます。小津に対す れらを読みながら、表現することの可能性をあらたにしまし た。若い方と思われる投稿にも希望を感じました。 鍼の如く (後篇) ます。ロラン・バルトのテキストから刺激を受けるのは、閉 映像の中にある記号を読み解くのは、一つの快楽でもあり 感します。長塚節が短歌を通して表現しようとしたことの 「痛 を理解することや、歌の力というものが劣化しているのを痛 好感を持ちました。時代の趨勢とは恐ろしいもので、「短歌」 丁寧に長塚節を読み解き、平易に表現しておられるところに 映画における「鈍い意味」についての考察 じようとする言葉の意味から逃れようとする世界が、そこに 筆者は前年度の評論部門で賞を受けた方と思われますが、 あるからです。 のようなものがあるのです。筆者のバルト論はバルトの論の 色気があります。とどまることを意図的に逃れる「揺らめき」 があまり感じられません。バルトの文章には、記号に纏わる 表れているのですが、その文体(言葉)に、残念ながら強さ の分析はスリリングなものです。その気持ちがとても素直に これからも日本の詩歌に触れる文章を書かれることを願っ 現された方が、より長塚節が見えてくるのでは、 と思えます。 ます。「死」と「歌」の激烈な関係を、彼の短歌を通して表 れました。長塚節の短歌には、徹底した自己への視線があり 彼の揺れる心情と筆者の長塚に対する思いが重なり、心惹か 「結核という病」と 「歌を詠うこと」の挟間に生きた長塚節。 るようでなりません。 み」や「喜び」を感受する世界が、現代では希薄になってい 中にまだ閉じられたままです。それは筆者がバルトの言葉に 筆者の論を読んで思ったことがあります。「第三の意味」 追いつかないからだと考えます。しかしバルトの難解なテキ ストに対する意欲は大したものです。また、映画への強い憧 152 ております。 サラバ原発 個人的な見解として、私も脱原発の世界が誕生することを 論文の書き方には、客観的な方法だけではなく、センチメ 願っております。 ントな方法もあってよいと考えますが、その場合は抑制の利 いたものでなくてはならないでしょう。多くの論は正確な資 料を使ってなされます。筆者の文章を読みますと、「怒り」 「嘘」 「愚かさ」などの表現が多く見られます。それは筆者 の「原子力発電」に対する思いが強く反映しているからです が、哲学者アランが「怒りもまた戦争なのだから」と言った ように、何が一番重要かを冷静につかむ必要があると考えま す。強い怒りの感情は、ある意味で上質なものです。 児童文学 評 論 随 筆 しかし 「伝えること」とは少し隔たりがあると思えるのです。 説 「サラバ原発」が現実になるよう願っております。 小 詩 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 153 浜松市民文芸 58 集 随 筆 [市民文芸賞] 母と自分そしてワイフ れる。 さかのぼ それは四十五年も昔に遡る。中学を卒 業し、名古屋の工場に就職し、 その暮れ、 初めて郷里を訪ねた時「お前少しも身長 が伸びていないな」母が心配そうに俺の 顔を見た。 「うん。しょうがないよ。でも俺、定時 制高校で一生懸命勉強してるから」そう 言って母には自分の心の内を見せまいと したが、母はやはり俺の辛さを分かって いるようだった。 それこそ小学校から「チ 實 ビチビ」 とはやされ現在で言う 「イジメ」 黒 であったかと落胆した。現場見学のさい 石 に「塗装処理した製品をこの棚に移すの 日ばかりの正月の帰省を終えて、工場に 再就職の面談を受けて俺は控え室でそ 戻る日の朝、バス停迄の山道を下りなが の返事を待っていた。三人しか採用しな ぶらぶらと公園を散歩しながらベンチ ら、 母はこんなことを言って俺に詫びた。 の対象であったのだから。母は我が子が に腰を下ろしたまま立ち上がる気力も失 「お前を小さく産んで悪かったな、きっ 人並みの体格を持たない事できっと苦労 すると人材派遣の担当員がやって来た。 せた。人並みの体格を持たない俺は、こ ですが、お宅の身長ですと少しキツイで 「お待たせしました。実はですね、色々 れまでに何度この悔しさに唇を噛んだこ と苦労してると思うが許しておくれ」 すね」と既に前置きの言葉を入れてきた 検討したんですが、今回はやはりお宅様 と か。 成 人 に し て 小 学 四、五 年 の 身 長 し い枠に自分を含め四人が応募した。一人 には少々キツイ仕事ではないかと思いま か伸びずに終わってしまった。その事は の工場に一人行かせることへの心配もあ は不採用になるのだが、それはやはり自 して御遠慮していただこうと思います」 ったのだろう。子供の頃は苛められても を背負って行くと案じていたようだ。四 物腰の柔らかい言い方ではあるが、俺に 俺の人生に辛い事として何かに付けても 母に抱き付けば慰めて上げれた。親元を のだから覚悟はしていた。 はやはり辛い言葉であった。昨夜は何分 かかわってきた。そして決まってこんな 分になるだろうと思っていた。しばらく の一かの期待を賭けて履歴書を書き上げ 打ちひしがれた時は母の言葉が思い出さ 母はまだ十五の俺を目の届かぬ名古屋 今日の就職面談に望んだが、やはり駄目 154 「お父さん、仕事の方はどうだった? した。 夕風は冷え込む。惑う思いのままに帰宅 けが俺の心に残った。十一月にもなると その母ももう他界したがその時の涙だ ずけば母は別れをとぼけて笑う」 ○「 『 元 気 で な ……』 掛 け る 言 葉 に う な ○「背が低くお前に悪いと詫びる母堪え れている。 との出来ない日記にその日のことが書か 歳過ぎにして今尚忘れられぬ。捨てるこ 杯溜めて言ったのだが、その言葉が六十 か、別れを前にして母は俺の前で涙を一 辛くても耐えているのだろうと思ったの 離れればそれも出来ぬ。この子はじっと す。 今 後 は 延 命 治 療 と い う 形 に な り ま っ て 再 発 し 医 師 は「 レ ベ ル 五 の 段 階 で 患い四年前に手術をしている。今年にな うになっていた。だがその多喜子は癌を は 自 分 の 弱 さ を何 時 か ら か さ ら け 出 す よ いと努めて平静を装ったのに、多喜子に のが違うと思った。母には心配を掛けま の時、母と女房とでは自分の中にあるも は我が子を叱る様に俺を励ます。俺はそ 夫の俺より背も高く顔も大きい多喜子 食らいついて行かなくてどうするの?」 いんだから、何べんも受けてみて必死に 様な顔をしないで。何べん落ちたって良 らどんな事があっても女房に心配させる ないじやないの? あんたは男なんだか た顔をしていたんじゃ私は安心して死ね 「何を言ってるのよ。そんなしょぼくれ えそうにないよ」力ない返事で応えた。 女は「強い女だな」と思う反面、そんな い顔をする訳でもなくさらりと応える彼 この家しかないの。此処で死ぬの」寂し も居ないし帰る家も無い。私の居る所は 津軽海峡を渡って来たんだから。もう親 もう私は此処には戻らないんだと思って わなくていいのよ。田舎を出て来る時、 行って来るかい?」と聞いた時「気を使 移した時「元気なうちに、一度北海道に 俺の弱さだと悔やんだ。癌がリンパに転 うなしょぼくれた顔を彼女に見せたのは って行くよ」とは言ってみたが今日のよ 「大丈夫だよ。一人でもちゃんと俺はや んなことを俺に言った。 と生きて行けるかその方が心配だよ」そ なくなってからのあんたが一人でちゃん の寿命。私は自分が死ぬ事よりも私が居 から、早い遅いはあってもそれがその人 に 多 喜 子 は「 人 間 は 誰 も い つ か 死 ぬ の だ こら 採用してもらえた?」家内の多喜子は床 す」と本人に告げ、彼女は既に迫る死を る涙心に溢れる」 から起き上がりながら俺に聞いてきた。 強さにしがみつかなければ十五で故郷を 離れて生きて行くことは出来なかったと 柳 俺はそんな多喜子に一喝され少しはへ つ 「駄目だったよ。一人はみ出しで俺は採 自分の中で受け入れている。 い 用されなかった」 「そう、残念ね。又、他を探して当たっ 川 い う 共 通 し た 思 い だ っ た。「 明 日 ハ ロ ー 自由律俳句 ワークにも行ってみるよ」横になってい 定型俳句 こんでいた気持ちにも精気が蘇った。多 元気出し 歌 喜子は死に直面しながら決して弱々しい て み た ら?」「 ど う し た の? 論 短 なさいよ」 評 詩 る多喜子に俺は自分自身に言うつもりで 児童文学 筆 言葉は口にしない。三日ほど前の夕食時 説 随 「俺、背が低いから一人前に認めてもら 小 155 浜松市民文芸 58 集 ぐ行って来るよ」そう言って回覧を届け に 廻 し て く れ る 」「 あ っ、 い い よ。 今 直 「あっ、お父さん回覧板が来てるから次 俺は笑ってみせた。 子 の 声 で あ っ た。「 う ん、 頼 む 」 元 気 に 仕事を見ておくよ」安心したような多喜 置いてあるから、お父さんがやれそうな 「うん、私もロックタウンに就職雑誌が 声を掛けた。 で済まない」 うとしてるのに、恥ずかしい程に弱い俺 い。多喜子、済まない。君は強く生きよ の頃のままだ。心も身体も大人になれな っとも強くなれない。母さん、俺は子供 は何が出来るんだ? んだ? って何と弱いんだ? 問 に 俺 は ま た 打 ち ひ し が れ て い る。「 俺 先、 た っ た の 三、四 歳 の 子 供 の 素 朴 な 質 俺 (中区) 直ぐ落ち込んでち 俺 の 心 に あ る も の は 何 だ? 俺はどんな人間な に行った。 マンシヨンのドアのベルを鳴らすと三 歳程の女の子が出て来た。「ママ居る?」 と聞くと「居るよ」と可愛い舌足らずな 声で応える。そこへ母親が出て来た。す 子供?」と聞くの るとその子は母親に駆け寄ると「ママ、 この人って、大人? だ。俺は驚いて立ちすくんだ。母親はす ぐさま「これ、そんなことを言うもんじ ゃありません。どうもすみません。失礼 な事を言ってしまって」と母親は気まず そうに頭を低くして俺に謝るのだが、俺 家を出る時まではもう一度元気を出し は顔から血の気が失せるようだった。 て職探しをしてみようと思っていた矢 156 夕餉の温い食物を進ぜるなど、日に何回 のである。毎朝香を焚き献茶の一刻と、 思い出の花がもう早々と咲き出している 歳の生涯を閉じた主人の枕頭台を飾った 明菊で、二十八年前、冬至の日の朝七十 の気配でいっぱいだ。中でも驚くのが秋 トギス、藤袴などの花ざかりで、もう秋 た十月。狭庭ながら植込みの中は、ホト いてきて、日の入りもめっきり早くなっ あの猛暑がまるで嘘のように日々秋め え な い ご み 」 の 収 集 は 来 週 と 知 り、 千 葉 大袋に詰めて五つ六つ。この地区の「燃 時間の許す限り、台所、物置の不用品を りした口調で告げた。そして帰葉までの は家事の助っ人にくるから」と、しんみ ね 」 と 嘆 き、「 こ れ か ら は 最 低 月 に 一 回 こんなになるまで放っておいてごめん と 見 え、「 浜 松 へ は 暫 く 来 て い な く て、 した生身の母の現実にショックを受けた もこんなに老いているのだと九十歳を越 杖を使う様は仕方ないとしても、あゝ母 に老人そのもので、数年前からの腰痛で 必要な数が洗面所に屯している現状は正 し、収納は乱雑だし、大小のタオルは不 らくは何だ、食器はしっかり洗ってない り安心していたのに、家事のこのていた には必ず上京している元気な母にすっか し、姉娘の年に数度のシャンソン発表会 ある。日頃次女の住む千葉には度々宿泊 きりして気持が良い。 納力もみごとである。床も新建材ですっ ステムキッチンは機能的にも優秀で、収 百歳まで生きて頂戴」と言う。新しいシ た台所で、又意欲を燃やしてもう十年、 美で私たちのプレゼントよ。綺麗になっ らしくしっかり生きてきたことへのご褒 ら な い の に と 固 辞 す れ ば「 今 ま で 母 さ ん た。この年であと何年生きられるかわか と、床の張り替えのことなど相談してい 台所のシステムキッチンを更新するこ 月には昔から馴染の大工さんを呼んで、 と棄てるごみを作って帰って行った。五 みたいで我慢できなかったろう。せっせ の、全く不用なごみの中で暮らしている で使い切って捨てた時代の主婦である母 よと大号令。勿体ない勿体ないと最後ま ごみと分けて大袋を作り、せっせと捨て 叱ったりと。でも燃えるごみと燃えない れることになった。来る度にあきれたり で月一度は浜松の私の身辺整理をしてく [市民文芸賞] か思い出すことはあっても秋明菊に寄せ で棄てるからと車に積んで出発した。夜 新谷三江子 老いも亦たのし る想いには特別なものがある。 の闇の中、車の尾燈が坂道を登りきるま 論 随 筆 詩 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 リ バ テ ィ の エ プ ロ ン と か、 本 藍 の ラ ン チ あい も潤いのあるようにと、しゃれた模様の そして又、娘たちは母の生活が少しで もったい ことしの正月、次女夫婦が車でやって で見送って、ありがとうを何回も心につ 評 のう 来て二泊した時のこと、台所へ入った娘 ぶやいた。 児童文学 その後、東京の姉と話し合って、二人 が、小鍋の殆どが焦げついているのを見 説 て、母の衰えを痛切に感じたと言うので 小 157 浜松市民文芸 58 集 三月十五日が誕生日の私は、九十歳を こそこのよろこびに会えたのだと思うと よらぬ優しさに触れる度に、老いたれば てくれるとか気を使ってくれる。思いも 掃除棒が折れていたとか言って買ってき 洗いの洗剤が切れていたとか、トイレの ョン・マットなど贈ってくれるし、食器 展であった。家族、友人の協力のおかげ 勢に出会えたし、思わぬ盛会で満足の個 らと来客も多く、昔からの友人知人の大 社も高く評価してくれ、新聞で知ったか れは浜松では初めての催しで、地方新聞 る異色の土器、土偶の展示も行った。こ い、次女の婿の縄文土器作家の作品であ 娘の絵や書をおつきあいに出品してもら な い。( よ う し 頑 張 る ぞ ー) 見 違 え る よ ことは腦細胞を健全にしておかねばなら 返しに百歳まで呆けないで生きるという ど お り で あ る。 娘 た ち の 期 待 に 応 え て 恩 お説教。全く『老いては子に従え』の諺 抜 き し て 効 率 よ く し な く て は …… と 又 々 も買えば手に入るご時世だから家事も手 も、古い梅干漬の大瓶もポイポイ。何で うに整頓された新厨房に立って決意を新 使 っ て い る し、 歯 は 中 年 の 頃 か ら の 義 えからか。耳は遠くてとうから補聴器を 自転車に乗るのをやめてからの筋力の衰 ルに立てかけて描いた立姿勢が原因か? 五〇号や四〇号の大きいパネルをイーゼ の 原 因 は、 夢 中 で 絵 を 描 い て い た 頃、 り続けて一年間。やれやれ、さあこれか てくださった方々へ四百部近い部数を贈 短歌の歌友、絵のお仲間と、半生を支え 師時代の同僚、調停委員時代のお仲間、 小学校、女学校、師範学校の同級生、教 えりみすれば』を出版した。親戚は勿論、 ケッチ画を編集し、生きた証しの画集『か た作品を主に、若い頃の版画の賀状、ス 六 月 に は紫 陽 花 の た く さ ん 咲 い て い る ゃぶで台所完成を祝っての酒宴だった。 〟 や〝 手 長 海 老 〟〝 金 目 鯛 〟 の し ゃ ぶ し は 市 内 の 老 舗 で の 和 食 膳。 〝どうまん蟹 内のレストランでのフランス料理。今月 ライブのあとのイタリア料理。洒落た市 店へ案内してくれる。遠い都田までのド う為、一夜の宴を計画し、思わぬ素敵な たにした。正に『老いも亦たのし』であ 歯、目は右だけ白内障の手術ずみと、首 ら長期間怠慢にしてきた家事へ取組もう 所へと願う妹らの願いでガーデンパーク 八十八歳、米寿の年には長年描いてき であったことは勿論である。 『老いも亦たのし』 と切に思うのである。 六ヶ月も越した今。二年ぐらい前からの から上は全て欠陥品の老女である。それ と覚悟した矢先の腰痛の悪化で、病院通 腰痛、膝痛で杖をついて歩く現状。腰痛 でも内臓が丈夫なことと、夜はよく熟睡 いが日課になってしまった。こんな時の 庭園の花ざかりを楽しんだ。足の弱い私 運河を皆して船で遡行、終点のモネの あ じ さ い 同居している息子は、妹らへの労を犒 る。 できることで大きな病気をしたこともな へ。 か。どんどん捨てられても文句は言えな おとろ く、元気で計画どおりの半生を過ごすこ 娘たちの応援がどんなに有難かったこと 八十歳の傘寿記念には『家族展』と称 い。 パ ン や ク ッ キ ー 菓 子 作 り の 道 具 類 さん とができた。 し、私の日本画を中心に、息子、二人の 158 は再び船で、三人が談笑しながら歩いて いる様子を船上から望み、思わず涙ぐん でしまった。子ども達がこうして仲よく 交流している風景を見るのはとても嬉し い。こんな良い子たちを私に遺してくれ て有難うと主人に感謝の報告を忘れなか った。 浜松へ来る度に「お兄さん今度はどこ へ連れて行ってくれるでしょうね」と家 族揃っての宴という楽しみも加わって、 家の片づけに精を出してくれる娘たち。 こうして仲よく繁く交流できて私の老後 児童文学 評 論 (中区) はたいへんしあわせで、感謝の日々を送 説 っている。 小 随 筆 詩 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 159 浜松市民文芸 58 集 [市民文芸賞] つきすぎた米 み台に続く。踏み台は高く、子供では二、 「牛の餌にしかならん のおじいさんがいた。 やっと我に返ると、そこに我が家の現実 しい涙をさそう。七平には判るはずもな 縛られた柿の木の温みがなぜかまた新 」 三段足場を上らなければその台には届か のだ。その頃の私は体重の全てを使って ︱ ない。足踏み式のきねを踏んで米をつく きねに乗った。精米である。この役回り された子供であつた。泣いていたのを、 石 橋 朝 子 で、もう慣れっこになっていた。だから 通 り が か っ た 祖 父 が み つ け、 駐 在 所 に 連 うすることも出来ないのだ。腰にぶら下 平が二度ほどのぞきに来たが、彼にはど たまま、まだ帰らないらしい。作男の七 ていた。縛った祖父は役場の会合に行っ う。おしおきとして裏の柿の木に縛られ ために、台を降りて臼の中をのぞくこと のだ。精米中の米を、ときどき確認する ゆき、感動した私は自分を見失っていた れがいつの間にか本の中にのめり込んで 単調な作業をこなすつもりであった。そ 『フランダースの犬』を読みながらこの 冊置けるだけのスペースがある。 上 の 詳 し い こ と は 知 る 由 も な い が、 訊 い の子供になり、七平と呼ばれた。それ以 歳 ら し い 男 の 子 は、 そ の 日 か ら 祖 父 の 家 を 見 て く れ な い か。 知 恵 遅 れ の、 五、六 て、引き取り手がないのでこちらで面倒 し く、 十 日 程 過 ぎ た 頃 お 巡 り さ ん が 来 親の名前も住んでいた場所も解らないら 七平もその昔、磐田の町で置き去りに 今日も本でも読みながらと簡単に思って れて行ったが、何を聞いても「あっちー」 い。 前髪や襟足を吹き抜ける風もわびし いたのだ。踏み台の上部には幅広い手摺 はほとんどが私のお勤めみたいなもの い。田舎の夕べは蛙の合唱と共に、暑さ りみたいなものが付いており丁度本が一 げた煮しめたような手拭で、汗や涙を拭 私はもう何時間こうしているのだろ も薄れてもはや肌寒いほどであった。 いてくれたのが精いっぱいの思いやりで て み よ う と 思 っ た こ と も な か っ た。 た だ て従順であった。 た だ 祖 父 を 神 様 み た い に 敬 い 慕 い、 そ し なことは念頭にすらない。肘付きに両腕 も、つき上がる予定の時計を見るのも忘 を預けて泣いていた。パトラッシュを思 り、私の面倒を見ることが母を喜ばすこ れ去ってしまい、それどころかもうそん 軒下に大きな臼と、きねがあった。臼 とだと思っていたらしい。父は私の記憶 あったろう。 もきねも木材で臼の底には丸い石がはめ い、ネロを哀れみ、おじいさんが痛まし に 亡 い ほ ど の 早 世 で あ っ た。 未 亡 人 で 病 三十代で逝った私の母を敬愛してお 込まれており、そこに玄米を入れてきね く、止めどなく涙があふれる。 やがて音がして飛んできたゲンコツに で打つのである。きねには長く一抱えほ どの太い柄が伸びていて、でんとした踏 160 してまで、手助けしたと聞いている。私 弱であった母の用事を何でも作るように き疲れたのだろうか。 しい。七平のおむすびで満腹になり、泣 の 得 意 な 台 詞 が「 奥 さ ぁ に 似 て る だ に く逝ってしまったのだ。それからの七平 て、私の味方になってくれたことを忘れ いたことを。だからこそ生涯母に代わっ 平のこと、彼は私の母を彼なりに愛して 成人してから、祖父が話してくれた七 はまだ就学前であったが、母はあっけ無 ……」その一言が私への唯一の慰めだと 児童文学 評 論 筆 詩 短 ぬ大型犬の「パリ」を飼った。 随 歌 (東区) やがて私は七平と、パトラッシュなら てはいない。 信じてやまない七平だった。 星が瞬くようになると、私のお腹がな った。空腹を我慢する私に、七平は大き なおむすびを作って来た。それはまんま るで、しょっぱかった。 「泣かんでええだにー奥さぁに一番似て るだに」 両手が使えない私の口に、七平の押し つけて来るおむすびにむせながら、私は 誰にも分からないであろう涙を流してい こんな木に縛られたって、私はずっと た。 ずっと仕合せなのだと思った。住む家も 食べる物も無く、その上寒さに凍えて、 パトラッシュと昇天したネロ。心の中で ネロ、ネロと呼びかけながら、私は縛ら 説 れ立ったままでいつか眠ってしまったら 小 定型俳句 自由律俳句 川 柳 161 浜松市民文芸 58 集 [入 選] よ」 いる。 岡県にかなわないのよ。雪のためにどう と、よく分かります。新潟県はいつも静 「注意して学校の全国大会をみている 相当なので巻き寿司のように輪切りにし 鮭を骨ごと巻いて煮込んだもの。太さも と醤油をたらして食べるのだ。昆布巻は を使う。これは豆のおひたしで、ちょっ おせちには黒豆でなく、質のよい大豆 してもスポーツは練習不足になるし、音 て出される。 すると教師である母も返してきた。 楽もこもりがちで、コーラスなど、歌声 雪国と青空 そのものの明るさに違いが出てきます」 吉 岡 良 子 故郷新潟の冬は厳しい。新潟市は海岸 し か し 正 月 が や っ て く る 頃、 今 度 は やカマボコを動けなくなるまで食べる。 酒を飲みに飲み、子どもたちはきんとん これらはどれもうまかった。大人は銘 沿いの都市なので豪雪に見舞われること なるほどスゴイ、と浜松に住みついた 少々がっかりしてしまった。どうやら大 従って元旦は全員二日酔状態のため朝 わたしとしては誇らしい気にもなる。 は少ないが、十一月の声をきくと空は一 ったりで、暗い天候が春まで続くのだ。 ご飯は無し。昼近くなって鮭と大根のお 面曇天に変る。みぞれが降ったり雪が舞 道を行く大人も子どもも、しっかりとブ 晦日の大イベントが無いらしいのであ 雑 煮 を 頂 き、 初 め て お め で と う と 交 し 大宴会をやるのである。親戚を招いたり 新 潟 で は 大 晦 日 の 晩 を 年 夜 と 呼 ん で、 だろうか。 限りの料理を全部作ってみたのではない た。今思うと、母はあの晩は知っている 思った。 お年玉までもらって、この世の楽園かと ーツを履いて丸々着ぶくれている。 る。紅白歌合戦をみて、年越そばを食べ わたしは十九歳のとき浜松へ来て、毎 雲ひとつない青空が広がっているのだ。 もする。おせち料理や海の幸を、なんと としや て……だけなのだ。 木枯しが吹くようになると皆寒い寒いと この一晩のうちにありったけ提供してし 日の好天にまず驚いた。秋が過ぎるのに 言 っ た が、 わ た し は そ う は 感 じ な か っ たブリ、コリコリのイカ。根菜をたっぷ たてのカニ。お刺身は甘エビ、脂ののっ ふだんは食卓にのぼらないようなゆで 丁の傷は深くて出血を押えるだけで精い さばき始めてすぐのことだった。出刃包 大きなブリを下げて帰って来たのだが、 年 夜 の 夕 方 で あ る。 六 千 円 も し た と い う 切って倒れたことがある。ここぞという わたしたちが中・高生の頃、母が手を た。近所を歩くのもサンダル履きなので まうのだ。 書いて母に送った。 り 使 っ た野 っ ぺ い 汁 に は イ ク ラ が 浮 い て これは大発見だと、こと細かく手紙に ある。 「日本海側で当り前と思っていても、太 の 平洋側へ来るとこんなにも違いがある 162 っぱい。母は早々に布団へもぐり込んで 大掃除をしていたわたしたち姉妹はあ った。信濃川のほとりで晩年を迎えたい ずつ故郷から足が遠のいていくようにな 暮 ら し や す さ に 慣 れ 親 し む う ち、 少 し けでも「うつ」が飛んでいく。 わてて料理方へ回るが、何をどうすれば と言っていたわたしなのに、この頃は三 しまった。 よいのか分らない。あの途方もないご馳 方ケ原もいいなあと、心は移ってくる。 がえって、わたしの心はぐんと日本海側 ち着かない。あの飲めや歌えの宴がよみ ただ年に一度、大晦日の晩になると落 走は、すべて母に依存していたものと身 結局わが故郷は、大晦日に象徴される へ引っ張られるのである。 に染みたものである。 ように食べ物と飲み物は素晴しいけれ (南区) ど、寒さの厳しさで帳消しになってしま 毎朝目が覚めると、枕元の寒暖計はい うようだ。 [入 選] カムイ バラの プレゼント サルルン 年の瀬も押し迫り、北風が落ち葉を巻 いて足元をすくっていく。 私は四十五才、一万三千人が働く大手 ー ト の 三 階 で、 妻 と 七 才 の 長 女、 そ れ に 自動車メーカーの本社に勤めている。東 生まれたばかりの男の子の四人で暮らし つも五度を指していた。洗濯物はすべて 灯油代はかさむし、雪が積れば交通は 児童文学 評 論 定型俳句 自由律俳句 川 柳 物の寸劇の仕上げに懸命だ。ビルの屋上 昼休み、若手の男性グループは、出し でいた。 会、職場は朝から飛び交う会話も華やい 今 夜 は、 私 が 所 属 す る 総 務 部 の 忘 年 すべてパンク状態である。外出するにも 歌 ている。 短 部屋干しで、当然のようにシーツや下着 詩 京郊外、武蔵野の面影が残る静かなアパ 筆 がストーブの上に吊るされている。 随 オーバー、ダウンコート、マフラー、手 袋、ブーツと重装備だ。ひとくちに言え 冬でも布団が干せる浜松は、何と恵ま ば何かと金がかかる、のである。 れているのだろう。みかんが実って輝く ようになる頃が、この地の冬の始まりな 説 のだ。ぬけるような青空は、見上げるだ 小 163 浜松市民文芸 58 集 ように。 ……。この一年の何もかもを吹きとばす イケメンとのデュエット、「二人の大阪」 越え」 、どこの課にいるのかも知らない り の「 み だ れ 髪 」、 石 川 さ ゆ り の「 天 城 が登壇すると一層盛り上った。美空ひば は笑いと拍手につつまれた。女子社員達 当代の首相に扮する社員の熱演に、会場 った。若手グループは政治批判の寸劇、 った。にわか作りの舞台で出し物が始ま 渋谷のホテルの大広間で忘年会は始ま 調整に夢中だ。 戦するベテラン女性社員達が「ノド」の では、今流行のサウンドやカラオケに挑 ジャンケンを続けた。その結果「ベスト ガブガブ飲んで「勝ちの法則」に徹し、 私は酔いがまわらないように、冷い水を ミカンをゲットしたことがあるからだ。 て私はこの法則で十キロ入り段ボールの 「勝ちの法則」だ。と、いうのも、かつ か「アイコ」で残れるというのが私流の こで「チョキ」チョキを出せば「カチ」 あろう……」というのが私の推論だ。そ い が、「 次 は 同 じ『 グ ー』 は 出 さ な い で 理なのか、とっさの反応なのかは判らな グー、ジャンケンポイ!」で始まる。心 れは、ほとんどのジャンケンが「最初は 私はジャンケンには自信があった。そ っ た ト ン ネ ル が あ っ た。 幹 事 長 の 声 が ス の出口には、色とりどりのバラの花で飾 の バ ラ 」 の メ ロ デ ィ が 流 れ て 来 た。 会 場 もの……。大広間の扉が開くと「百万本 の、肩を組むもの、足元のおぼつかない らかな声と共に、声を張り上げて歌うも さん、どうぞ良いお年を!」幹事長の高 「今夜はこれにてお開きとしまーす。皆 だ。 かな……。土産を待つ家族の顔が浮かん 加すると聞いていたから、ざっと六万円 いた。今夜の忘年会には、百二十人位参 たカゴには、ずっしりとコインが入って 「チョキ!」で勝った。私に運ばれて来 会 』 で す!」「 五 百 円 玉、 又 は 百 円 玉、 楽 し み! 『 ワ ン コ イ ン、 ジ ャ ン ケ ン 大 と っ て 言 っ た。「 皆 さ ん、 本 日 最 後 の お 頃合いと見たのか、幹事長がマイクを 「最初はグー!」「チョキ、、チョキ、チ た。私は淡々と「勝ちの法則」を貫いた。 は美空ひばりを歌った和服姿の女性だっ に並んで下さい」男二人、女六人、一人 幹 事 長 が 大 声 で 言 っ た。「 八 人 は 壇 上 をくぐった。 私はスキップして最後にバラのトンネル の 歌 声 に 乗 っ て 三 々 五 々 散 っ て い っ た。 抜いてお持ち帰り下さい!」加藤登紀子 ピ ー カ ー か ら 響 く。 「 皆 さ ん、 一 本 ず つ 8」まで進出した。 五個を握って、隣りの人とジャンケンし めでとう! ジャンケンで獲得したコイ 私に握手を求めて来た。と、その時「お 出 口 で 社 員 達 を 見 送 っ て い た 社 長 が、 ョキ! 壇上に残った三人で「最初はグー!」 でいいんだよ」 て下さい。負けた人は相手にコインをあ げて下さい。最後に勝ち残った人が全部 もらえます」会場はざわついた。 164 ンを全て寄付して頂きます」又も幹事長 の声。 「え?……」「そのお金でバラの花 を買ったんです。でも残りのバラは全て 貴方のものです。どうぞ!」と両手を大 げさに広げてトンネルを指さした。 私は少しだけ間をおいた後、最も大き [入 選](特別賞) 学徒動員下の 空襲に耐えて 明 朝 五 時 半 ま で の 勤 務 だ。 仕 事 は ま さ に ハ ン マ ー 振 り で、 働 け ど 働 け ど 食 糧 難 で 腹は減るのみであった。 硫黄島玉砕、東京大空襲と日本の国土 とグ が日に日に焦土化していく気配がする。 二十年四月に動員先の元住吉がB ラマンの猛攻撃を受けた。ハンマーを振 防空壕へ入れ」と怒鳴る声、バリ、バリ、 し く 鳴 り 終 る と 同 時 に「 敵 機 が 来 た ぞ ! っていると、空襲警報のサイレンが重苦 太平洋戦争が激しくなり、軍隊への動 昭 員が増加される中で、学徒の労働力が注 角 替 抜 き と っ た。「 今 年 は ケ ー キ を や め て、 バリッと工場の屋根に弾丸が打ち込ま く、最も鮮やかな赤いバラの花、三本を これを家族へのお土産にしよう」ギュッ れ、金属音が不気味に響く。外に出て上 た。 動 員 先 は 川 崎 市 の 大 同 製 鋼 で あ っ 昭和十九年八月一日に学舎に別れを告げ 我々静岡師範予科三年生七十八名も、 一人の犠牲者も無かったのは奇跡的だっ う に、 機 銃 掃 射 を 浴 び せ る 姿 が 見 え た 。 臓が高鳴る。敵兵が機上から乗り出すよ 跳 び は ね 地 面 が 鳴 っ た。 一 瞬 ド キ ッ と 心 ツ、シュツと、五メートル間隔程に土が 空を見上げると、入道雲の中をグラマン た。配属は平バネ切断組であり、鉄板を た。一日の作業が終え、まずい雑炊に不 が旋回している。機首をこちらに向ける 切断、掘さく、爐に投入、千度近く熱し、 により全国の学徒に四月半ば頃から学舎 取り出しハンマーで伸ばし、バネ状に仕 筆 詩 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 ジ オ が 大 本 営 発 表 を 伝 え た。 「川崎方面 小使さんの部屋で一服していると、ラ 満を抱え寮に着く。 随 ていることだ。夜勤もあり夕方七時から 戦車、飛行機などのバネ生産に動員され 組んでいく作業だ。要は主として列車、 に決別して、続々と軍需工場などへ動員 目された。政府は昭和十九年「緊急学徒 論 (南区) 評 や壕に飛び込む。間一髪、シュツ、シュ 勤労動員方策要綱」を決定し、その指示 あなたに 児童文学 させた。 と握ると、トゲがチクリ。 私の背中をそっと押すように流れて来 た。 あなたに あげる……〟 〝百万本のバーラの花を あなたに 説 ほんわかとした、心地よい師走だ。 小 165 29 浜松市民文芸 58 集 の編隊が北上してくる。 もどり退避の身支度をする。南の空を見 に敵機来襲厳重注意」と告げる。部屋に 置転換が五月に決定された。二百九十三 へ提出する。文部省との協議で待望の配 い。不満がつのり全員で決意書を学校側 支えられ、長い長い一夜が明けた。 分との戦いとなる。学友同士の励ましに き 声、 の ど は 乾 け ど 水 は 無 し。 ま さ に 自 ると夕闇にB こずる。次々と来襲する敵機の轟音が耳 コップですくおうとするが、火が付き手 壕 へ 転 が り 込 む。「 放 り 出 せ 」 の 声 で ス ュツ」と焼夷弾が火だるまとなって防空 ー、ザザー」という音と共に「シュツシ が一挙に昼間になった。上空から「キイ ち燃え上がった。見る間に今までの暗闇 落ちる。続いて近くの民家へ焼夷弾が落 防空壕へと殺到する。中は暗闇、友人の 化す。家を焼かれ逃げ場を失った市民が 昼のように明るく火の粉は舞い修羅場と 次 々 と 投 下 さ れ る 焼 夷 弾 の 破 裂 に、 外 は 抱き抱え、運動場の防空壕へ走り込む。 時計、毛布、リュックと手当たり次第に すでに上空に飛来、跳ね起きるや、着衣、 半、寝ついて間もなく空襲警報、米機は を味わったのも束の間、六月十九日の夜 一時、本校の寄宿舎に戻り、学生気分 た 後、 親 戚 の 稲 川 町 の 叔 父 の 家 に 立 ち 寄 た。 目を奪われたり、地獄絵図そのものだっ 体を見たり、お堀で水死体のしかばねに に向った。行く道々で重なり合った焼死 学生は市役所の消火を手伝う指令で直ち 手 を 取 り 合 っ て 無 事 を 喜 び 合 う。 師 範 の が、なんと全員無事を確認した。互いに る。 宿 舎 に 何 人 在 籍 し て い た か 不 明 だ 方に避難していた友が集結して点呼す 道から噴き出す水に救われ生き返る。四 敵機が去り外に出ると、我が校舎は焼 に重くのしかかり、身のちぢまる思いだ 話す声で誰がいるか見当はつく。校歌や る。一家は焼け跡にたヽずみ後始末をし け 落 ち 無 残 な 姿 と 化 し、 呆 然 と 佇 む 。 の った。防空壕も危険と思い、近くのコン 軍歌を歌い気勢をあげていたが、息苦し ていたが、私が無事だったことを何より 日 間 の 動 員 生 活 は 汗 と 油 に ま み れ、 空 襲 クリートの橋の下へもぐり込む。家を焼 くなるにつれ沈黙状態になる。時折り破 喜び手を握り合った。幸いにお米は地下 の恐ろしさを乗り越え、苦痛の連続であ か れ た 家 族 か、 二、三 人 の 親 子 が 川 の 中 裂した焼夷弾が転がり込む。靴で蹴ると に埋めて置いたので、むすびが作ってあ 「それ来た」と、一斉に防空壕へかけ込 を歩き難を逃れる姿が痛々しかった。長 燃え移りなかなか消えない。スコップで る。「 食 べ て 行 け 」 と い わ れ、 空 き っ 腹 む。と同時に「グワン、グワン」という 時間我慢し、敵機も去り、眠れぬ一夜も 外へ放り出す。外を見やると、幼児が直 で九死に一生を得た思いがした。 どを潤すために食堂へと走る。壊れた水 明け、焼失をまぬがれた寮に帰った。 撃を受け、前のめりの焼死体となってい った。 大同製鋼へ学徒動員で来た慶應生は解 る。近くの防空壕からは老人らしいうめ 死体を運ぶ仕事を終え、帰郷を許され 除 と な り、 や が て 中 央 大 生 が 配 属 さ れ け た。 と こ ろ が 本 校 の 配 属 換 え の 話 は 無 音「ドーン、ドーン」と爆弾が田んぼに 29 166 帰途につこうとして静岡駅に行くが、 空襲により列車は不通、止むなく用宗ま で多くの人の中に混じり、焼けた毛布を 背負い力なく歩いた。満員列車にゆられ 夕方わが家に到着。家族は私の無事な姿 に信じられないような喜びようだった。 [入 選](特別賞) 最後の一兵 昭和十四年(1939)花の二十歳に 野 田 正 次 て旧国民三大義務の一つ徴兵検査を受ける 一旦帰郷し次の指示を待つ。再び動員先 が 決 ま り、 蒲 原 の 工 場 へ と 駆 り 出 さ れ て ガ島に進駐するも其の後同島 中国東北に留守隊を残し本部隊が援 軍として 剰え後日旧 あまつさ にても部隊の殆どが周知の如く戦死又飢 悲惨な事態に遭遇し え死にする まんしゅう 満州 に 於 て ソ 連 軍 の 不 法 進 入 に て 多 く の 沖縄玉砕寸前次 戦友が連行され不慮の死を遂る事に成る 時恰も戦局益々悪化し は米軍本土上陸に備えて九州鹿児島に まんしゅう 月に遠州一円の同期の者百余名と共に 原 る。川崎工場のような重労働ではなかっ ほうだい 隊入営四ヶ月間の日夜猛特訓にて主戦場の 此の非常時に運良く内地に 幸か不幸か甲種合格し 明けて十五年一 魂で一日一日を耐えた。この地でも敵機 中国へ出征して 以後各所に於て交戦せし 裕なり 再び踏む事が出来たのも誠に奇跡にて天 微傷の 帰還命令に きかん 其の中ばに原爆投下にて終戦を迎えた より転属して此の任に当る 自分等古兵三名が満州国境 の来襲は連日のようにあり、近くの高射 も此の時点で早や姉弟を想い父母の名を呼 服して命を授り母国で銃を捨て たが、暑さと空腹にはこたえた。負けじ 構築作業始まるが実戦工作の 砲陣地から敵機を撃つが当ったのを見た 身なれど無事に懐しい古里浜松の地を 経験者少く 砲台陣地 ことがない。日本軍の弱体を目の当たり 神せし戦友も多々有り ああ無情 びて可惜青春の身を散華し 靖国の杜へ入 あたら にして心細さを覚えた。日本の上空は制 其の後前年旧満州(現中国東北部)に まんしゅう 圧され、都市は焼かれ、米軍が日本上陸 への懸念すらある。 一触即発前にて一旦は治ま 減少 定型俳句 又生存者も一人又一人と 自由律俳句 川 柳 昨年を以て靖国神 楽しみの戦友 然も高齢の爲に杖を頼りの歩行も み まか 復員後加齢等にて 病、老、事故、 以来七十余年の長い間数少く残された 友も て旧ソ連軍(現ロシア軍)との間に紛争 の事件あり 死にて身罷る 学徒動員が解除されるのを一日千秋の 思いに浸るのみであった。戦局が断末魔 るが再度ソ連軍に不穏な動きあり 歌 特に南方ガ 短 困難にて次々と逝去され 詩 器共に不足し友軍に利非ず 筆 会も参集不可となり 随 ダルカナル島方面は特に苦戦との情報に 兵力武 我が 部隊が急遽国境警備の爲中国より移動す 論 此の時期既に各戦場に於て になった八月十五日「玉音放送」が発せ 評 (北区) られ、日本の敗戦。戦争終結を告げられ 児童文学 る 説 たのである。 小 167 浜松市民文芸 58 集 社に戦没者及び軍馬の永代供養と隊名入 止する 又昨年まで健在で居られた唯一 りの 大 灯を 献燈 し本意 なら ずも会 を終 人の元上官の方が百二歳のご高齢にて鬼 籍に入られて終に最後の一兵と成った 一本の煙草も分けて吸い生死を 自分も九十半ばにて何時まで在命とは 限らず 共にせし泉下の友に会う時の土産話に 東北大災害東京スカイツリーの話をして 遣る心算である 兵たりし昭和は遠き終戦忌 あとがき 私が此れまで平均以上の長寿を全うして [入 選](特別賞) 戦死した兄と ぼたもち たが、入隊から一年後に「家族との面会 を 許 可 す る 」 と の 通 知 が 軍 か ら 届 い た。 私は飛び上がって喜び、父にぜひ一緒に 面 会 当 日、 母 は 朝 早 く か ら 腕 に よ り を 連れて行ってほしいとねだった。 かけ、兄の大好物であるぼたもちを作っ た。 父 は ぼ た も ち の 入 っ た 重 箱 を 風 呂 敷 に包み、小学三年生の私を連れて浜松駅 インドネシア領ニューギニア島で見つか 兵 の も の と 見 ら れ る 十 六 体 分 の 遺 骨 が、 た風を感じながら朝刊を開くと「旧日本 平成二十四年八月二十三日、夏の乾い びっくりした。兄だった。きっと私たち 私達の後ろで「はい」と大きな声がして 父 は 係 の 人 に 兄 の 名 前 を 伝 え た。 す る と 兵 隊 さ ん が 家 族 の 来 る の を 待 っ て い た。 り換え、連体前下車。門に入ると大勢の から汽車に乗り、豊橋駅で私鉄電車に乗 った」という記事が載っていた。現地の が門から入って来るのを見ていたのだと 西 尾 わ さ 村 で は「 日 本 兵 の 遺 体 を 数 千 体 埋 葬 し 思う。 私はその記事を感慨深く読み、ニュー を し た の か、 私 と ど ん な 話 を し た の か 記 包みごと渡した。その時、兄がどんな顔 父は、ぼたもちの入った重箱を風呂敷 た」と伝えられていることも判明したと ギニアで戦死した兄のことを思い出し いう。 最 后 ま で 残 れ た の も偏 に 亡 き 戦 友 が 自 ら ひとえ の余った命を与えて呉れた賜と其の霊に 兄は昭和十二年に豊橋の連体へ二十歳 れ、兄は浜松の実家へ帰って来た。お風 面 会 か ら 二 年 後、 一 泊 の 外 泊 が 許 さ 後姿だけ覚えている。 て戦友と兵舎の中へ入って行った。その 憶にない。兄は風呂敷包みを抱きかかえ 兄 は、 末 っ 子 の 私 と よ く 遊 ん で く れ た。 戦歌 いくさうた 深く感謝して酷寒酷暑の苦しい徒歩行軍 の時に全員でお互に励まし歌った で入隊した。兄がいなくなって寂しかっ た。私はこの兄が大好きだった。 友を慰める事は残された私の終生の務め 〝戦友〟を日毎全曲暗唱して地下に眠る (中区) と心致し居ります 168 った。 「もうすぐ船に乗って外地へ行く」と言 呂へ入り、夕食を家族全員で食べた後、 なかったのではないかと思うし、兄から てくれた。しかしその手紙は兄には届か を書き、私たち姉妹三人に読んで聞かせ く、埋葬場所には家屋が建築されたケー し た 」 と 聞 か さ れ た と い う。 墓 標 な ど な した父親から「日本兵の遺体数体を埋葬 「そろそろ出発の時間です」という班長 勝手の奥で別れを惜しんでいた。庭から アで戦死したとの公報が届いた。先に出 その年の十二月二十日、兄がニューギニ してくれた祖母が六十五歳で亡くなり、 昭和十七年九月十六日、母の代わりを が、ジャングルの行軍に一ヶ月以上かか レ村へ約一万五千人が大移動を始めた 糧不足に陥り、陸軍前線司令部からイド いる。また生き残った兵たちも深刻な食 五万三千人の日本兵が戦死したとされて 戦 争 末 期、 ニ ュ ー ギ ニ ア 島 西 部 で スも少なくないとのことだ。 さんの声がした。その時かすかに嗚咽が 征した近所の三人も戦死していた。 なかった。 の軍事郵便も一度も送られて来ることは 翌朝、家の前には大勢の人が見送りの 聞こえた。外地へ行けば生きて日本に帰 ために集まっていた。父と兄と祖母はお れないことを、兄も父もわかっていたの ったのか。小学生の私は病床の母のそば だと思う。あの嗚咽は兄だったのか父だ その白木の箱を何度となく開けては寂し あり、遺髪と遺爪が載せてあった。父は ってから三年。白木の箱には白い綿花が 兄二十五歳。入隊から二年、外地へ行 不明だが母や祖母が作ってくれたぼたも か、ジャングルで飢えて亡くなったのか 兄は戦死した五万三千人の中にいたの り、マラリヤや飢えで約九割が死亡した に座っていた。母は涙ひとつ流すことな ちのことをきっと思い出したに違いな にか自分の手で作ってあげたかったこと い。母は兄の好きなぼたもちを、どんな なるのならと覚悟していたのかもしれな ルトが置かれていたとの証言などから、 こと。遺骨の側に鉄製のヘルメットやベ いた形態は、現地の風習と異なっていた 新聞記事に戻る。その遺骨が埋葬されて 最初に書いた「日本兵の遺骨発見」の 態 に 追 い 込 ま れ た こ と は わ か る が、 何 の る。日本が戦争をしなければならない状 の 時 の 写 真 を 見 た。 「若い」の一言であ 新 聞 記 事 を 読 み 終 わ っ て、 兄 の 二 十 歳 い。 という。 く、目をつむっていた。 そうに見入っていた。その後ろ姿は子供 近所でも長男が三人先に出征してい 心にも悲しかった。 か。しかし病床の母はお勝手に立つこと た。母は大切な一人息子がお国のために すらかなわず、祖母が作って持たせた。 評 論 筆 詩 短 歌 (五十四歳)は、戦時中に日本軍に協力 随 定型俳句 自由律俳句 川 柳 祖母に代わり、今度は妹の私が腕により 兄 が も し 生 き て い れ ば 九 十 三 歳。 母 や ための戦争だったのか。 児童文学 現地の村を束ねるアブラハム議長 旧日本兵の可能性が大きいという。 兄が出征して三か月後に母が亡くなっ た。四十五歳の若さだった。それを知ら 説 せるため父は戦地にいる兄に長文の手紙 小 169 浜松市民文芸 58 集 をかけてぼたもちを作ってあげたかっ た。あの実家の縁側に並んで座り、ゆっ くりお話をしてみたい。もし生きていれ ば……。平和な日本の田園風景を眺めな がら、そんなことを思った。 (西区) [入 選](特別賞) 私の青春記 内 藤 雅 子 た の は、 「 光 学 部、 調 整 工 場 」 で し た。 作業内容は、十五倍の大きな望遠鏡の最 後の仕上げをする、ちり一つ、物音一つ 立ててもいけない工場でした。機銃部と か火工部等は油まみれになる仕事と知 り、一同ホッとし、一生懸命頑張ろうと 飛行隊に務めていましたので、少しでも が、兄が海軍兵学校を卒業して、茂原の は近くの中島飛行機にと言われました 場に勤務する事になりました。学校から 割り振られ女子挺身隊として、各軍需工 の決まっている人以外は、全員学校から 時中で進学する人、身体の弱い人、結婚 い事なのです。自然に身につきました。 のです。拍手したい所ですがとんでもな わ せ て、「 よ か っ た ね 」 と 目 で 合 図 す る の末、やっと合格、ここで一同顔を見合 合わせがあるのです。仲々きびしい検査 と、又やり直し、全部通ると最後に照準 に振動を加えて中のプリズムがずれる 水 中 に つ け 泡 が 出 る と 返 品 や り 直 し、 次 に防水のゴムを張り、検査に出すと先ず レンズ、プリズムの研磨、本体との間 誓い合いました。 海軍のお役に立ちたいと、西部地方の方 大分慣れた頃、昭和二十年に入ってか 私は昭和十九年三月女学校を卒業、戦 の多かった豊川の海軍工廠を志願し、十 心の知れた同級生達ですので、若いと言 ず、一同一抹の不安を抱きながらも、気 どんな仕事が待っているのか分から 士山の中腹に立てられました。最後の照 早 速 照 準 の 的 は 勿 論 言 う ま で も な く、 富 め出発、美しい富士山の麓の町でした。 活を続ける由、あわただしく荷物をまと した。富士の製紙工場の一隅を借りて生 ら だ と 思 い ま す が、 疎 開 す る 事 に な り ま 有余名の同級生と一週間後には着任して う事もあり、ワイワイおしゃべりしてい いました。 るうちに、豊川に着きました。告げられ 170 た。単純な仕事のくり返しの中の、楽し 知れたら叱られる様な調整もしていまし 動かして天文台の人の動きなど、上司に 準合わせの調整をしながら、上下左右に が、「 こ の 戦 争 は 勝 ち ま す か 」 と お 伺 い リさんと言う遊びをした事がありました ました。何の娯楽も無い中、唯一コック ッと力が抜けその場に呆然と立ちつくし 日、重大な放送が流れました。一同ガク の編隊で爆音を立てて、富士山で左右に ると噂で聞きましたが、たしかに何機か 受け止め、対処していこうと決心しまし か今も分かりませんが、現実をしっかり ふっと思い出しました。占いなのか遊び てきました。信じられませんでしたが、 を た て た 所、「 負 け る 」 と の 返 事 が 返 っ い思い出の一こまでもありました。 は富士山を目差して来 分かれて行くのをこの目で見ました。大 と言ってもB 昭和製紙工場が一番標的になり、その余 た。 で姫鏡台を求める話になり、朱塗りの花 を、寝食を共にした仲間の証として、皆 す ぐ さ ま 浜 松 へ 戻 る 事 に な り、 生 死 波を受け恐ろしい思いもしました。富士 いましたが、地面を掘るとすぐに水が出 山からのきれいな湧水が工場内を流れて て く る の で、 防 空 壕 は あ り ま せ ん で し け、帰りの荷物の中に大事に納めてきま 柄の絵の書かれた女の子らしい品を見つ し か し 私 達 は 疎 開 し た お 陰 で、 五 月 た。山麓目がけて逃げました。 十九日の豊川大空襲に遭わずに、全員無 三十六分間の短時間に、三千六百五十六 変化を見守ってくれています。曾孫も鏡 ンスの上で、二十歳から八十五歳の私の の一つに加えて持参し、お風呂場の中タ 昭和二十二年十一月、私の嫁入り道具 した。 発もの爆弾が投下され、二千五百人以上 事 で し た。 調 べ た 所 に よ り ま す と、 の尊い命が奪われたそうです。今は唯私 短 歌 (東区) の中から私に笑顔を返してくれ、至福の 論 詩 日々を送っています。 評 筆 達の身がわりとなり犠牲になられた方々 児童文学 随 のご冥服を、心からお祈りいたします。 説 そして誰しも忘れられない八月十五 小 定型俳句 自由律俳句 川 柳 171 29 浜松市民文芸 58 集 人と同じ自分、人から差別される自分、ゆれ動く自分を筆 者は書きつづる。その素直な感性があるからこそ、筆者は今 九十歳を迎えた筆者の日常がつづられている。成人した子 随 筆 選 評 まで生きてこられたし、これから生きていける。 供たちの母への思い、生活の援助、外出……。 こんな風に 「老いも亦たのし」 応募作を一読して、「潮目が変わった」と思った。どの作 老いを迎えられたら、どれだけ幸せだろうとも思う。一方で たかはたけいこ 品も力強いのである。心を言葉に書き換えることを楽しんで 違いに驚いたり、感動したりする様がよく描かれている。浜 新潟で生まれ育った筆者が浜松で暮らし始め、気候風土の 「雪国と青空」 入選 らだ。 は、登場人物の配置のうまさと筆者の視点がぶれていないか 読了すると一篇の小説を読み終えたような感覚に陥るの るような錯覚さえ覚えさせる。 自の世界へと引っ張っていき、まるでその場に居合わせてい 幼少期の思い出を素直に書き込まれた作品は、読み手を独 「つきすぎた米」 に、どれだけの努力を重ねているだろうと。 読者としては想像する。筆者がこの幸せな日々を過ごすため いることがわかる作品群ばかりだった。 選考には例年以上、時間がかかった。さらに今年の応募作 品のなかには、第二次世界大戦の体験記が寄せられていた。 どの作品を選ぶか。四編を何度も読み返したけれど、作品 の 出 来 不 出 来 以 前 の 筆 者 の 息 遣 い や、 今 こ れ を 書 き 残 し た い、書き残すべきだ、そんな気持ちが伝わってきた。 「浜松市民文芸」は後世に残る浜松市民の生活史でもある。 戦争体験者である作者の体験を残すのも、また本書の使命で はないかと考え、今回は特別賞として四編の戦争記を設けさ せていただいた。 市民文芸賞 「母と自分そしてワイフ」 筆者は身体が小さい。それは障害であって障害ではない。 仕事もし、結婚もしている。けれど、人並み以上に自分が小 さい事実は変わらない。 172 松の地で暮らし、いつしか故郷で晩年を迎える気持ちも薄ま っていく。大晦日の夜、筆者は新潟での年越しがたまらなく 懐かしくなる。それでこそ「人」なのだ。 「バラのプレゼント」 大手会社の賑やかな忘年会風景が丹念に書き込まれた作品 徴兵された筆者が戦地へ駆り出される。文章の流れは朗々 「最後の一兵」 たる詩歌のようだ。年月は余分な感情を剥ぎ、事実だけが浮 かび上がる。 幼な子が確かに見た戦争。出征する兄を隣近所の人が「万 「戦死した兄とぼたもち」 歳」で見送る狂気。そして帰ることがなかった兄。戦争の悲 で、その光景が読み進むうちに鮮明になってくる。忘年会は 惨さは過去のものにしてはいけない。 会はお開きになり、会場の外にはバラのトンネルがあり出 論 随 筆 きた。 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 そして戦争は悪だったと言い切れる時代まで筆者は生きて いる。おかしいと思うことをおかしいと感じないように。 挺身隊として過ごした戦争末期。筆者は権力の下で生きて 「私の青春期」 現金を賭けたジャンケン大会に移り、筆者は独自の必勝法を 詩 駆使してみごと勝ち残る。 席者は「百万本のバラ」のメロディのもと、一本ずつバラを 持ち帰るようになっている。大金を手にした筆者が最後に大 喜びでバラを手に帰ろうとすると、出口で勝ち取った賞金を バラ代金に寄付するように言われる。そして筆者は家族数の この作品は大人のための大人が描いたメルヘンだ。 分だけのバラの花を持ち帰る。 入選(特別賞) 戦争末期に学生だった筆者が学徒動員により、どんな役割 「学徒動員下の空襲に耐えて」 児童文学 評 を担ったか、浜松の街がどのような空襲を受けたのか、克明 説 に記された一品。 小 173 浜松市民文芸 58 集 詩 [市民文芸賞] 夜より暗い 鈴 木 柯 葉 あなたへ 歩んでほしい そして たまに 流そう はらはらと 涙を 空を見あげて 慈しんできた日々 まなざしで育んだ命 そこにあると信じた世界 すべてが かたちを変えただけだから わたしが 夜より暗い朝をむかえた あなたのかなしみを あなたの一部であるように 声もなく それが あたたかな果実となる やがて あなたの一部となって それも 手放さないでほしい ぬくもりをもたぬ石であっても 心臓をえぐる白骨であっても また わたしたちは そうして きりきりと 懐疑の海に迷う あなたの 朝が はじまる あした 新しい自分をはじめる 一艘の小舟であっても 灼熱の太陽に照らされた砂浜を 重い足をひきずりながら (中区) 174 [市民文芸賞] 松野タダエ 残された時間の 流れの中で 刻一刻が ― 命の出口に向って 急流の水のように のこりの あの日 ― 悪性です…… 突然の告知 ― 評 論 やっと支えた 夕ぐれの雑踏の中に沈めた 風の語らいも 空気のぬくもりも 肌に慣れ親しんできた 母屋の庭に ― 沈み切った 重たい身と心を置いた ひ と 無性に温かく浮ぶ 迎えに来たよ さあ行こう 夕べのあの亡夫の夢が ― 私の涙を 見すかしているのだろうか もしかしたら この松の枝に のづら あなた それとも 野面の石燈籠の上に た この空気のぬくもりも 亡夫の魂か ひ と 明日は入院 再びここに佇てるだろうか 念入りに心の壁に写した あの亡夫の匂いも とけ込んだこの風景を 私は てんじく ― 地獄か ご家族は ここで ドアの向うは ― 短 おだやかに私を包む 歌 定型俳句 自由律俳句 まるで 魔法にかけられたように 何のためらいもなく 手術台に上った 神聖な気配が 医師も 看護師も 神様のように見える 見たこともない 偶像の別世界 眼に映ったのは天竺? ドアが開いた 間違いだ 詩 瞬間 は そんな 筆 いや 随 告知を撥ねのけようとすることで 児童文学 混濁していた 命の終りの文字が 血の気の引いてゆく心を 頭の中は 破裂しそうなほど そして 説 告知に怯えた身を 小 川 柳 175 浜松市民文芸 58 集 いくつかの山を越えた 草原を渡る風のような時間が あの日から 今 きれいな足跡を残そうと 粉粉に裂く こなごな 不安と孤独が波濤のように押し寄せ まわりの情景を素直に受けとめ乍ら流れてる 時には 残された時間を でも [市民文芸賞] 透き抜ける 水川亜輝羅 部屋の入口を「するり」と通り抜ける何かを見た感覚がある 時間の流れに 見たとは云えない 過ぎてゆく 若い だいじに 体調不良が因だと云う 吊り足場から転落したことがあ 幻覚か 時分に鋲打ちの検査をして ある人に話をしたら いとおしく過ぎてゆく (東区) 一刻一刻が すぎてゆく 一刻一刻が 明日があることを信じて る 幸いに助かったが三ヶ月入院した わかるのである 抜けたものを見た感じがした その後遺症とは思えない それ以前にも からである 満員電車が走り出した中から バーチャルな映像 ドラマそのものの感覚 作業服であったか背広かゞ 街中でもビルの壁を出入りした何かを見た 感知した後で 現実の現象を否定する意識がその事象を打ち消してしまう 駅の階段でも脇を抜ける風圧を感じる 前方を見ると透き通ったゼリー状の気体らしきものが かな りの速度で移動している 176 人との間ばかりでなく ざっとう 人そのものを透き抜けて行くのであ 映像は全て創造したものである SFは その非現実 現実の自分を確認しなければならない ほ ん の 瞬 間 の 事 象 で あ り ゼ リ ー 状 の も の は雑 閙 の 中 に 溶 けて見えない る この事象に対して 想像の中から人々は様々なものを産出して来た 的なものから現実に生じたものもある 異次元なものに関しては想像だけでは入り込めない 動画 仮定に過ぎない 3D 壁のような固体を有体物が透き抜けることは出来ない だが 夢の中での空中遊泳やら 空想の世界では観念が出来たと思わせる 異次元の世界に入り込めたとして 願望を得た 自分が観念の無体物であったら存在が無いものとなる 幽体 であろうか 評 随 筆 過去に失 宝石泥棒が難なく店内 肉体を離脱した自分の観念が遊離したとすれば いとする欲望に近づけるであろうか さまよ に侵入しても触れることも持出すことも出来ない 無体物の観念は単に空間を呻吟ふことになる 空想は単なる一時的な現実逃避であろうか リューマチの痛みを覚える 些細な雑用の中に喜寿を過ぎた老体を置きながら 児童文学 論 った一部の記憶はそのまゝに一生を送ることになる 説 パソコンや携帯電話に馴染めず 小 詩 賀状は手描きを続けている 透き抜ける感覚はあってもその当体にはなれまい 歌 定型俳句 自由律俳句 川 自分の存 柳 (南区) 在を失うまでは何らかの体験をする機会があるやも知れない 短 177 浜松市民文芸 58 集 [入 選] かみさんのお盆 大 庭 拓 郎 送り火なんぞ嫌だが、たっぷり焚いた。 かみさんは草花に変身して見守っている。 今度も、狼煙のようになった。 ふと振り返ると、おじぎ草が咲いていた。 きっと、長旅で疲れたに違いない。 「おかえり」と触ると、眠ってしまった。 今度のお盆は家族だけなので ゆっくりお休み! やっと生まれた 十姉妹の卵を 蛇 [入 選] かみさんが淋しがらないように 庭に花園を作った。 挿し木で殖やしたスベリヒユが 溢れて虹のようになった。 思い切り濃い煙の迎え火を焚いた。 行灯を添えて好物を供えた。 迎え火の日は、混ぜご飯とブドウ。 翌日は、雑炊とミカン。 送り火の日は、海苔巻とリンゴ。 小学校の理科の教科書に ヘビの絵があった (南区) ヘビ 小笠原靖子 「玲瓏歌」と「独り旅」と 見たくないので 二頁を糊で貼った そして、お箱を熱唱した。 「熱きこころに」の三曲だ。 全部飲み込んだ 小林旭の歌と自作の追悼歌。 178 ふだんおとなしい 男の子が さの飾りは ダイヤモンドの鱗 二重に巻いて 頭と尾で交叉している 私を追う 目は赤い ルビー ヘビを巻き付けて 論 随 筆 はい 写真 と旅行帰りの孫 こわくない こわくない 神様よ 私の震える手は 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 (中区) 裏返しのまま 写真をテーブルに置くのに 精一杯だった 神様 別布の「白蛇神社」でヘビ 首に巻いたよ ただいま そんなに縁起のいいもの なのか ヘビは 頭は翡翠だろうか 中指のリングに巻きついたダイアモンド 棒切れに 詩 さんすうの宿題をやってくれるかとすごんで 古希でも いらない どんな祝い事でも 還暦でも ハンドバックは ワニのバッグのざらついた面が 腕に触 爬虫類の 一つだけ 追っぱら 開いたドアーから とび出した 今年は 天地の結合への 四・五年前はよく見かけ 降りる駅でもないのに 混み合った電車で り もらった 街中の我が家の庭でも って かたつむりを見たのも 再生させ 人類の繁栄 二大崇拝の象徴です」 「古代生命文明について」の講演会に行った 「太陽とヘビは であると 生命の誕生と死を 祈り 三本足のヤタガラスがいるから登りつづけ であると 脱皮し 子孫繁栄の 神 太陽は 評 指ほどの太 ヘビは 契りはかたく 原型であると 交尾は十余時間に及び 社の注連縄の ブランド「ブルガリ」の写真 児童文学 ヘビの首飾り 雑誌の一面に 説 モデルの首から胸へのやわ肌に 小 179 !! 浜松市民文芸 58 集 [入 選] 嫁菜と並んで咲いている いつの間にか取り返すことの出来なくなった体力 自然の成り行きだから仕方ないよね 娘は二人の子供の母親になり おばあちゃん一緒にやろうよ 私にもこんな時があった 娘と孫はバトミントンを始めた 公園に来た 娘と孫に誘われて 風に運ばれて 親子の響き渡った声が バトミントンに興ずる 時の間 幸せのような 愛しいような 淋しいような 園 と言う孫に 私の頭上を 公 人生の半ばに立つ 見ているだけで楽しいからと 通り過ぎて行った 北 野 幸 子 ベンチに腰を下した 懐かしいような 年寄りはやたら孫には 情緒的になるというが こんな時は娘や孫といえども 少し離れた所で見ているのがいい ふと目を転ずれば 季節はずれの山つつじか 秋日を掴んで少し濃い目に (東区) 180 [入 選] 要 静かな香は深く 凛と佇む姿には 姉の面影が映って見えた 見つめる想い出の記憶の中に歩みは続いた 姉は畑仕事の忙しい母に代わり 家事の一切を手際よく熟し 病気の時はずっと側に居て 身の回りに気遣い失敗も庇ってくれた 気だるい体を摩って呉れた 法 桑 原 み よ 沢山の黒い靴が並べられた玄関の片隅に 決して人ごとにはしない 少し微笑んでいた 遺影の姉はお気に入りの紫の着物をはおり 読経の声が響き渡る 今日の法要に相応しく 家族は姉の思いをしっかりと受け継ぎ 思いやりと真の強さを育んだ 日々の暮らしに姉の真情は 優しさと責任感の強い姉でした 小首を傾げるいつもの癖 明るく穏やかな時の流れを醸し出していた あやしているかのようにも見えた 定型俳句 自由律俳句 是からの日々を見守る様に揺れていた 歌 お寺の木々の梢は重なり合い 短 私はいつしか お墓に立ち上る煙は 時折むずがるひ孫を お香のかおりが舞い 今日は姉の十三回忌の法要 しなやかな手の温もりは忘れない 詩 小さな靴が色とりどりに肩を並べていた 筆 ふっと心が和んだ 随 こみあげる沢山の温情の涙をすくい上げ 論 初夏の陽射しを両手で受け止め 評 爽やかな風を透き通していた 児童文学 ありがとう 説 クチナシの花はふっくらと花開き 小 川 柳 181 浜松市民文芸 58 集 立ち止まり どこかで僕は季節を その夏と冬よ 季節を 傘のなかに包まれていた 傘は開き うつむいたとき お幸せにお過ごし下さいと (東区) 呼吸をとめるようにして 選] 青空高く舞い上げた [入 傘をひらいたとき 失ってしまった 僕の背中はじりじりと焼かれ 夏でもないのに 失くしてしまった季節を どこかで拾うことができるのか いまどこに落ちてしまったのか しているのか 傘 その見えないものたちよ 夏はどこを照らして暑くし 冬でもないのに 傘のなかに取り戻すことが 冬はどこに雪を降らせて寒く 僕の目は何も映すことなく凍っている すずき としやす その夏と冬よ できないのか 背を濡らすこともなく お前は僕を守り 傘よ どこかで僕は季節を 傘をひらいたとき 失ってしまった 濡れないようにと 182 目を視界不良の暗がりに僕を 立たせることもなく ずぶ濡れにおのれを通して 僕を傘の下に 置いてくれた [入 選] 里山を歩いていたら 遊離する 浮き出ている木の根にうっかりつまずいた 気づくだろう 見えないものたちに 行ってしまう 気持だけが一足先に そのとき 筆 急加速 右旋回 左反転 思うままに動かせた 運転席のドアを開け 自分の体格を知らず 急停止 定型俳句 自由律俳句 足の先を入れたり手の指を入れたり 頭をグリグリ押し付けても なぜか乗り込めない 歌 意思に従う私の肉体に対し 短 川 柳 髙 柳 龍 夫 傘の下に立つだろう 自分の体力を知らず ひとりはひとりの傘を持ち 傘をひらきながら 歳のまま ひとりはひとりの季節を失い (浜北区) 詩 気持は今も 随 傘の大きさとそのなかにあった 論 おもちゃの赤い自動車 評 うつむいて空は歩いていることに 児童文学 この手でつかんでしまえば 説 気づくだろう 小 183 25 浜松市民文芸 58 集 理解できない理不尽に 遊離した存在の赤い自動車 つかんでいるのに私とは 生命の意味と目的地 ふしぎな不思議な好奇心 あちらこちらに思いを馳せる 自分の肉体を知らず この確かな肉体から永遠に 未知の事実のひとかけらでも 泣いてしまった ぬるぬるの波打つ底をつるつる 遊離するまでに 選] いきおいよく前後左右に バタバタバタ (西区) 竹内としみ 幸せのカタチ [入 すべり続けて加速するばかりでぐるぐる 目の回る白い地獄が突然変わって トゲトゲに囲まれ凍りつく黒いカチカチ 高熱の肉体にうなされた眠りの中で まるで夢のような怖い夢を確かに 見た たとえ 素材がわからぬ人形であれ 権威の象徴を描いた布きれであれ 概念を共有すると信じた言葉や記号であれ 思いの心が触れさえすれば 変身した姿で仮想世界に浮いている 大脳からも抜け出して 精神は肉体と別れてひとときだけ ゆらゆらゆら 優雅にダンスをするように 遊離する 変化を続ける星ぼしのかなたにも 184 どこにも向かってなんかない 何が楽しいの 何をそんなに急いでいるの にこにこしながら 愛しいとさえ思えるどろを落とし あなたを洗う きゅっきゅっとほつれが出るまで そんな絆をあなたは眺めてきた 日々家族を愛し、日々家族を守る あなたを優しげな朝の陽射しにさらす 特別なことなんかない だらりと垂れた首元 だからあなたは 色褪せた体 手首のほつれ いつもスエットの腕をぶんぶん振る ほんの一瞬、垣間見た光景 なのにどうしてそんなに明るいの 目の前に飛び込む青信号 残像に変わる一瞬の光景 幸せはこんなところにある 柳 (中区) 信号待ちできまぐれに眺めた庭先 川 人知れず笑みを浮かべ、私は優しくアクセルを踏む 変わらぬ日常の小さなカゴから ひょいと飛び出した 定型俳句 あなたのご主人は 歌 ひとつの幸せのカタチ 短 自由律俳句 そこにあなたはいた 細い紐にくくられて なのにどうして笑ってるの 詩 飛んでいかないように 筆 暖かな陽射しに包まれ、優しい風と戯れる 随 逃げていかないように 論 きっといたずら好きな元気な男の子 そして、毎日毎日 あなたを綺麗に変身させるのは 児童文学 評 きっと優しい目をしたお母さん 説 ごしごしと色褪せるまで 小 185 浜松市民文芸 58 集 [入 選] 悲 憤 外 族の誰の見送りもなしに集団就職で上京 他人とのつき合い が上手くいかないので 職場に定着できずに転々とする 内部に絶望と人間不信猜疑心 そ 自己否 国渡航を試みて失敗 鑑別所に入れられ そこでも殴り続け られる その過程で 定の思い 憎しみと反社会的心情を 育み蓄えてしまう の間に自殺未遂も繰り返す そして 盗みに入った先で拳銃 死は一弾をもって足る 自裁に向かう弾丸が 自棄と憎悪と 辻 上 隆 明 人を殺める者は後を断たない を手に入れる いつの世にも 語るこ 真摯に なって他者に向かった 無差別に四人を殺めた 百時間の告白 実に二七八日をかけて 彼の告白を 遺族の遣る瀬なさを想うとき 痛憤の情が募 私の想いは 殺めた者に向かう 死者の無念さ ると同時に 聴いてくれた人がいる 母に送り姉に送り 償いとして遺族に送り続けた 成長を促し 優れた小説を上梓するようになった 印税を 獄中で彼は変わった 猛烈に学び その学びは飛躍的に彼の 自己を客観視した 暗鬱だった表情が 温和な優しい 彼は語った 記憶にある幼少時代からの悲惨な生を とで 殺めた者は 殺める者とし この世に生を受けたのか 相に変わっていった と思う て 誰も 殺める者がいなければ 否 一九九九年 絞首刑に処せられた 無差別に四人を殺害 連続射殺魔と 翌年逮捕 一九六八年 この世には無垢な赤子として誕生している 一人の殺人者を想う 永山則夫 して恐れられ 彼を想うとき 親鸞の言葉が甦る 人 ︿わが心のよくて殺さぬにはあらず﹀ 百時間の告白」を観た 悪人を生み出す「善人」社会 その社会構造の「善人」の側 (中区) 母に捨てられ︵後に送られて一 寛容の心が芽生えてくる 恵まれた自分を省みるとき 人は他人を責めることはない 「永山則夫 父が家を出 ﹀が撃つ にいて 無為に馴れてしまっている私を 永山則夫の︿悪人 登校しても無気力だったという 家 兄に殴られ 妹を殴って過ご 八人きょうだいの四男として生まれ 甲斐性なしの父 仕事に追われて子を構う時す 酷い生涯だった 極寒の地に 幼くして ら奪われていた母の下 る 学校には欠席多く 緒になる︶食うものも食えず す 186 [入 選] 舵を取る 次々発展し 自転車にモーターを付ける時代になり 早速主人は使った 車はそれほど普及せず 商いも安定して次は自動車へと主人は 免許を取得した 私は第二種バイクの免許をとった オートバイの荷台に箱を付けて 中 村 弘 枝 小学校五年生の頃 品物を袋ごと入れるだけ 小供用のが慾しくようやく買ってもらった 手を伸ばして持ち 坂でもぐんぐん上る やっぱり便利 すぅーと動く 楽だけど一寸怖い さあ 出発アクセルを踏めば ハンドルにベルと風ぐるまを付け ハンドルを持つ手に力が入り汗ばむ オートバイに乗れてこそ仕事もつづけた 主人が早く亡くなった後も商売を続けた 郊外の一本道は風を切って走る気持よさ 酒やしょう油もびん詰となる 免許更新も何回もした 前が重くなりふらつく力を入れて持つ 永年乗って無事で過ごしてきた 七十歳で更新の葉書を息子が見て 歌 定型俳句 もうやめてゆっくりしたらと 短 自由律俳句 少し位の雨でも傘をさして じんき ち 自転車のハンドルに掛けて配達 一升びんが二本入る勘吉に入れて 味噌と砂糖その他の配給制度も終わり 戦後商家へ嫁ぎ自転車は何かと役立つ 三角乗りをした 大人の自転車のハンドルへ 詩 荷が重いと後輪が揺れる 筆 リンリン鳴らし走り回り一寸得意だった 随 これを機会に店の仕事もやめ 今ならだめ 論 片手で運転をした 評 子供を乗せる腰かけを取り付けて 児童文学 更新をやめ無事故で返還をした 説 時には乗せて配達をしてきた 小 川 柳 187 浜松市民文芸 58 集 肩の荷も下りたが淋しい気にもなった 五十年間働いて無罪放免に 車だけでなく店と家族の舵を取ってきた このやりかたでよかったか 精一杯頑張ってきたから [入 選] 二枚のCD 美乃里 この地に住んで三十余年、借家住まいの一人暮らし無我夢中 浜 で生きてきた。 自分に○を付ける 子供の自転車に乗ったことが始まり 気がつけばこの数年は気ままに呑ん気な生活をしている。友 にはかなわなかったこと。手作り展へ出品、フリーマーケッ 達と歌手のコンサートへ行ったりお花見に行ったり現役時代 自然に身についてきたと (中区) 年を経て膝と腰が痛く 今シルバーカーの世話になっている トへ参加したり友達っていいなあ。 裕次郎やひばり他数枚のCDやカセットをたまに聴く。何げ なく聴くにはどれも良い歌だけれども、私にとってこういう 時はこの歌が一番というのが二枚ある。 何となく元気がない時は、 スマップの「世界に一つだけの花」 を聴く。 「人と比べなくても自分を信じていればいいさ」と 思うと自分で自分がいとおしくなる。 かぎ針を動かしながら何かリズミカルになっているそんな時 は舟木一夫の「高校三年生」等を聴く。ああ、こんな青春時 代私にもあったなあと甘酸っぱい感慨にひたる。 戦時中に青春を生きた人達にはこんな時代はなかったんだと 188 思うと切ない。そして今の私達はなんて幸せなんだろうと思 冬の海に 何処に魚がいるか 欄干 その眼で 北風は止むことがない 湖面を探る 空腹の胃袋が 眼光輝く 朽ちた看板が北風で泣いている いをかみしめる。かぎ針編みが一層はかどる。 近い将来ケア施設入居を決めている。 白波は 北風は行き交う船をのみ込まんとして 若者の巧み 人生最終章の始まりです。五回程施設へ足を運び風景に親し んでいる。 お前の死んだ姿を見ない 想像するに 北風に乗って 遠州灘の向う つのか うらやましい 年上の老人が言った 歌 定型俳句 今日が一番若い日をした 短 自由律俳句 川 柳 太平洋の彼方で その命を断 何物にも甘えないお前が好きだ うらやましい 男は五十路を越えても独り立ちできない お前はいつから独り立ちしたのか 時を忘れたゆりかご ユリカモメ 風という枝にカモメは 巧みに乗り どんな生活が待っているか楽しみです。その時は楽しかった 浜 名 水 月 (中区) に乗るウインドサーフィンを追いかける 選] カモメと桜 [入 思い出と共に二枚のCDは忘れずに持って行こうと思う。 詩 夜桜の咲く道を上る 筆 お前はいつから独り立ちしたのか 随 ある夜の寄り合いの会場で 研ナオ子の歌が聞こえる 評 浜名湖を渡る 児童文学 論 ある日から空を飛んでいる 歌謡曲 説 遠州の空っ風が 小 189 浜松市民文芸 58 集 顔なんだと なるほど 誰も明日があるか 自分でもわからない 春は別れの時期である 椿の花が 春は一つ年を取る時期である 林道に 美しく流れている あたかも人の首のようで 乱れるように散っていた 美しい 赤い血が 春は誕生の時期である [入 選] 絆 「生きている?」 「生きてるよ」 腰痛で臥している妹と 馬渕よし子 朝夕の日課となった電話の遣り取りで 独り居の妹の安否を確認する 古希を過ぎた私達は同い年 春は世代の変わる時期である でも私達はここで倒れてはいけない 痛い処までついに似て来てしまった あそこが痛い 此処が痛い 西行法師の遺言のように 山桜が 花びらが 林道の あたかも 歳をとれば取るほどに 施設に入所して六年目になる母へ ふたりの顔を見比べて一度も 母は待ち焦がれているらしい 顔を出す 週一度 風に舞っている 薄桃色の 乱れるように散っていた (西区) 再び新たに新緑の春を迎え 秋には山が燃える 野山の花の美しさをあらためて知る 春には山笑う また 辛い冬がやってくる 190 名前を間違えた事は無い 野良仕事に明け暮れて不格好だった母の手は 今 しなやかになっている 私達六人の子供を育ててくれた手を擦り乍ら 「ありがとう」 母はにっこり笑う 「長生きして良かったね」 [入 選] 雨 り 滴が窓に白い筋を描いて落ちてゆく 信号機だけは無表情に時を刻み 迷うようにテールランプが点滅する 刺すようにヘッドライトが流れ 「お父さん 滲んだ青黄赤に 私達も笑顔を返す 淋しいと思うけれど 女の顔が浮かんでは消える 雨は苦い 今にも消えそうな場末の灯り ペーブメントをたたいて弾け飛ぶ雨 素足に下駄の女が駆け込む 九十九歳を目前にしている母から 短 歌 定型俳句 り 自由律俳句 雨は切ない ネイルのハートが濡れて光る 今 評 筆 長生きの遺伝子を貰い受け 三年前に九十七歳で逝った父と 妹と墓前で父に語りかける もう少しの間 (中区) 詩 お母さんをこちらに置いてね」 随 蛇の目傘を持つ左手 青春真っ只中とばかりに 児童文学 論 有り難いこの贈り物へ感謝して 只今 明日へ向かって 説 赤い靴が思い切りジャンプする 小 川 人 柳 191 浜松市民文芸 58 集 水溜りは夜がいい 希望と諦めのネオン 寄り添う二つの影 微笑む女の顔 華やいだざわめきまでをも映す ポツリ……波がゆらゆら広がって 女の顔が歪んで消えた 雨は儚い (南区) 192 詩 選 評 埋 田 昇 二 第三位 「透き抜ける」 める作者の清冽な強い心に涙を禁じえません。 物体の中をすり抜ける何かを見たという不思議な感覚を書 く。バーチャルな映像を見たという幻覚か、想像の中から、 人々は非現実を見る。ピカソや岡本太郎などの前衛画家が確 入選作では、施設に入所して六年目になる九十九歳になる 文をつくる時は、詩の主題や技法の前にまず何を書こうと 母さんを週に一回は会いに訪れるという「絆」、亡くなった かに視たに違いない感覚を言葉に置き換えたのでしょう。こ しまうことが多いのです。今回の応募作品では特に入賞・入 妻のお盆の日に迎い火、送り火を焚くという「かみさんのお れも詩のひとつの試みとして受賞作としました。 選した作品はその点でしっかりと言葉が的確に書かれていま 盆」、同じく姉の十三回忌を姉への思い出とともに語る「法 するのか筆者が書こうとする対象を正確にとらえることが大 す。その上で、「詩」となるためには、対象とすることへの 要」、娘と孫に誘われて公園に来て、バトミントンに興ずる を寄せる「蛇」、永山則夫というひとりの殺人者が獄中で学 思いを寄せる「傘」、蛇にまつわる様々な風景や物語に思い 心に残る。他に、傘を開く度に雨や雪など過ぎ去った季節に 姿を見つめる「公園」など家族との交流を語る温かい風景も 新しい「発見」と手あかのつかない新鮮な言葉が求められる 市民文芸賞 第一位 「夜より暗い」 最初の一行「夜より暗い朝をむかえた 柳 びつつ変わっていくという「悲憤」、戦後商家に嫁ぎ、自転 川 くも日常世界を越えた異次元の世界に入り込んでいきます。 筆 自由律俳句 車からオートバイに乗り換えて、商売に励んだ生涯を送った 随 定型俳句 いう「舵を取る」などが印象に残った。 論 歌 ぬくもりをもたぬ石であっても」にはじ 評 短 続いて「声もなく あなたへ」で、早 のです。 切です。この当たり前のことが、使い古された言葉で流して 詩 まる四行の比喩が素晴らしい。後半は再生への願いですが言 第二位 「残された時間の流れの中で」 葉が流れているのが惜しい。 癌の告知を受けた作者の不安と孤独の体験を淡々と記す。 児童文学 きれいな足跡を残そう」と思いをこ 手術は成功したのでしょうか。いくつかの山を越えながら残 説 された「時間の流れに 小 193 浜松市民文芸 58 集 短 歌 中区 中区 塩入しず子 石原新一郎 小 笠 原 靖子 [市民文芸賞] 中区 内 藤 雅 子 部屋内に春の光のうすく差し開かず閉じずの雛の口もと 水脈の先に餓死の部下置き還り得て九十路兜太いのちの句論 東区 み を こはもて ★ 真剣に演らねば喜劇は成り立たぬ強面四朗真顔で語る (★伊東四朗のこと) や 野仏は眼を閉ぢて微笑めり木々のささやき草のつぶやき 青空に四国の形の雲ありて長き無沙汰の友に便りす 柳 光 子 中区 撮りくれし人のまなざし透かし絵のごと浮かびくる古き写真に グランドの寒気と匂いを食卓に放ち息子がどさりと座る 194 [入 選] 筆 詩 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 中区 江 川 冬 子 荒ぶれし若さも萎えて頽齢の凪ぎたる日々に 夫の背優し 随 中区 知久とみゑ 大声で天に向かって羅漢さん言いたきことは 何事ぞもし 論 西区 伊 藤 米 子 しゅうとめを素直に母と呼べるいま窓辺に寄 りて髪を梳きやる 評 中区 幸田健太郎 背競べしていた夏の雲たちが横に広がりみん な友だち 児童文学 中区 仲 村 正 男 うから曳く柩とどまれ土手下は母が手植ゑの 稲穂首垂る 説 南区 藤 田 節 子 朝食の用意全てを仕終へゐて役目果せし如く 倒れり 初めてのマニキュアペディキュアアイシャド ウほんのりさして黄泉へ旅立つ 小 195 浜松市民文芸 58 集 福田美津子 西区 伊 藤 友 治 内々に約せしことの反故となり何はともあれ 行く雲を見る 北区 相 津 祐 子 青冴える樒を切れば足元にはたりと落ちる冬 のかまきり 中区 譜面手に「じゃあな」と出かける夫の背を「じゃ あな」と言って見送ってやる 中区 高 橋 紘 一 やることをしっかりやった選手には達成感の 顔が物言う 中区 冨永さか江 心決め雛人形を供養する我の昭和の又ひとつ 消ゆ 鶏頭の花に昭和を重ね見る旱に耐えて慎まし く咲く 西区 河 合 和 子 「しらす船が入りました」と流れくる潮の匂 いのこの町が好き 中区 内 山 文 久 ひんむ 取り憑かれている幻想地球の皮を引剥くこと 燃ゆる果肉を味わうこと 196 諭 東区 松野タダエ 病室の窓に遊びし白雲のねことくじらと我も 戯る 中区 木下芙美子 三万年永久凍土に埋もれゐしリスの餌からな でしこの咲く 随 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 中区 坂 東 茂 子 からぎぬ 浦安の舞納めゐる少女らの唐衣しろし秋風し ろし 進 北区 森 上 壽 子 ラジオからゆるーりヨガが流れくる言われる ままに深呼吸する 論 幸 中区 石 渡 再生のロボットのごと横たわり人皆静か透析 を受く 評 詩 西区 渥 美 みなも 七滝のもくもく流る永劫に水面に映る山百合 二つ 児童文学 筆 東区 村 木 幸 子 薬用に摘みしタンポポ陽に干せば茎をもたげ て綿毛飛ばせり 説 中区 髙 橋 突然に地面をたたく通り雨すだれ透かして土 の匂いす 小 197 浜松市民文芸 58 集 北区 平 井 要 子 笑い声ひらりふわりと舞い降りて辺り一面桜 色なり 南区 赤 堀 母手術同意書まえに眼鏡拭く窓しめやかに秋 の雨降る 中区 中 村 弘 枝 はふはふと転がして食む七草粥嫁の作れるう す味旨し 東区 宮 澤 秀 子 何 も 彼 も ボ タ ン ひ と つ で 足 る る 日 日「 湯 ば り します」と電子音鳴る 進 中区 佐々木たみ子 殺したきも殺されたきも無からむに人の創り しイデアが魅入る 中区 鳥井美代子 一声をあげて横切る明けがらす曙光一瞬力わ き来る 向う岸手を振り歩むわが影と二人づれなり今 朝も励みて 南区 大 庭 拓 郎 朝夕に妻と話して暮らしおり真白きご飯仏器 に光る 食卓の空いた席にもご飯盛る酔い潰れるとか みさんが来る 198 中区 浜崎美智子 夜半に聴くショパンのピアノコンチェルト打 ち寄せる波のごとく迫りくる 浜北区 幸 田 松 江 日に幾度痴呆の媼たずねくる幼子さとす母を 演じつ 中区 戸田田鶴子 ね 紅葉の正倉院展紫檀琵琶天平の音のたえなる しらべ 説 児童文学 評 論 随 筆 東区 北 野 幸 子 七日目の蟬か芙蓉の花陰に羽根を揃へて仰向 けに果つ 小 詩 中区 宮 本 惠 司 小学生の吹きゐるソプラノリコーダーわれも 操る太き指にて 音階に慣れしと思へど音孔を押さふる指の迷 ふ時あり 北区 山 口 久 代 ひとよ ほ ど い て は 編 み ま た ほ ど く 毛 糸 玉 わ れ の一 世 もかく過ぎて来し 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 北区 大石みつ江 つま とき その夫の介護七年せし友は今も同じ刻目覚む と語る 短 199 浜松市民文芸 58 集 中区 新田えいみ ひろびろと浮遊物なき佐鳴湖は朝を眠る深き ねむりに 南区 太 田 静 子 おごのり 寒天を食めば故郷思い出づ海髪干しし浜辺の 景を 天竜区 恩 田 恭 子 芋の葉の露だまころころ光浴び転がり落つる 七月の朝 中区 平 野 光る肌走り去り行く少年の向う先には青き海 あり 南区 内 山 智 康 高千穂の五瀬川面に凄ましく音たてて落つ真 名井大滝 中区 鈴 木 郁 子 買物弱者の我も一人か豆腐屋も魚屋も来て助 けられつつ 天竜区 ちばつゆこ パソコンを操るつもりが操られ我に返れば午 前二時半 旭 中区 松江佐千子 汐だまり残る汀の月明り差し来る潮の匂いた だよう 200 川 修 柳 西区 柴 田 会う事ももう無いだろう幾度か眼鏡拭いてる 退荘者囲む 筆 自由律俳句 北区 山 田 文 好 ひま リタイアし時は確かに吾のものそのひま使う 思案が楽し 随 定型俳句 中区 内 田 乙 郎 腕を振り跳ねたつもりか老いたちのラジオ体 操各々健げ 論 歌 東区 能 勢 明 代 雫する枝付き枇杷を無造作にバケツに入れて 叔母の待ちをり 評 短 浜北区 岩 城 悦 子 こ 独 り 居 の 我 の 洗 濯 物 干 し て 畳 ん で 帰 る息 子 の かな 愛しかり 児童文学 詩 東区 岡 本 久 榮 機上より基隆の港窓にみえ故郷への一歩胸熱 くなる 早朝の忠烈祠に聞く台湾国歌思わず合わすこ の旋律に 説 西区 柴田千賀子 いのち こ 震災の年に宿りし生命ゆえ思いは千々に娘と 初詣 小 201 浜松市民文芸 58 集 西区 河 合 秀 雄 介護にて出会いし笑顔忘られず互に励み励ま されつつ 浜北区 前 田 徳 勇 四階のわが病室の外までも海原のごと朝霞満 つ 東区 鈴 木 壽 子 昭和十七年わが誕生を寿ぐ葉書検閲の朱印の 褪せしが残る 東区 高 橋 正 栄 いにしえの家並み残す妻籠宿異国の人の言葉 まじりて 南区 水川あきら 飼育箱のそばを通ればすぐに鳴く鈴虫の餌を 替える楽しさ 枯藪の中に朱色のからす瓜祭り提灯揃えし如 く 中区 吉 野 正 子 梅漬に一昨年のメモ記しあり癌など思いもよ らざりし日の 南区 井浪マリヱ 終戦の暑き夏の日死期迫る妹見てる小五の私 202 北区 野 沢 久 子 秋耕の終えし畑に男一人夕陽の中に石を拾え り 浜北区 川島百合子 亡き夫の想い出の服子の着たる後姿にまぶた が滲む 東区 飯 田 裕 子 めぐ 「ただいま」の幼の声に家中の風回り出しイ ンコまで鳴く 随 筆 る 詩 南区 太田あき子 花びらはつけまつ毛のごとくるり巻き朝日を 受けて咲く彼岸花 論 短 歌 定型俳句 浜北区 自由律俳句 川 柳 すずきとしやす 逝くだろうひとりのわれは娶らずに君ひとり として血をつなぐことなく 評 北区 あ ひ 母よりも二か月早くこの世去り親不孝なり優 おっと しき夫 児童文学 中区 内 田 安 子 十三周忌終えたる今も亡夫の椅子ありし日の まま窓辺にありて 説 南区 中 村 淳 子 寒き日に切り干し大根作りいて父の雪かき思 い出しおり 小 203 浜松市民文芸 58 集 西区 近 藤 茂 樹 定年後「電話相談」に取りくみて十人十色の 人生に会う 中区 金取ミチ子 憧れた世界遺産の旅行けずテレビの画像にく ぎづけになる 中区 浜 美 乃 里 いさかひし後姿の姉小さき言はねばよかった まなこ閉じをり 西区 水 嶋 洋 子 耐えがたき猛暑の今日も恙無く雨戸繰る身に 新月やさし 中区 前 田 道 夫 すいすいと早足駈足するけれど何かが足らぬ 老いの肉体 東区 寺 田 陽 子 サ ー モ ン salmon‐pinkのブラウス試着せし あ こ 吾娘に若き自分の姿重なる 西区 脇 本 淳 子 と し 母の年齢においつきたれど母恋しあれも話し てこれも聞きたし 南区 柿 澤 妙 子 空青く韮の花毬今さかり夕映え充ちて垂直に 立つ 204 晋 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 昭 柳 和 北区 角 替 「要注意つばめの糞が落ちます」と今年も気 づかう家具屋の店主 詩 中区 石 川 ここかしこ闇夜に炎立ち上り日本列島如何な るらむ 筆 天竜区 太 田 初 恵 〝笑点〟に笑ひ興ずれば膝の子も弾けて笑ふ 夕時茶の間 随 東区 渥 美 久 子 久しぶり雲一つなく空晴れて園児等の声四方 にひろがる 論 中区 中 山 湖にボートの二人子と孫の何を語らふ安らけ く見ゆ 評 中区 藤 田 淑 子 石鹸の泡プクプクと面白く曾孫は今日も手洗 い長し 児童文学 中区 井 口 真 紀 床にふせ病みし日々にてしみじみと生かされ ている皆のおかげで 説 浜北区 竹内オリエ 神無月虫の声です我が母よわたしが母で娘も 母に 小 205 浜松市民文芸 58 集 東区 北 島 は な 流るる雲眺めつ胸に迫りくる幾年帰らぬふる 里の家 バースデイ感謝の心で聴いているやさしいコ ーラス九十二の朝 中区 安 藤 圭 子 スーパーの出口で思わず「暑いねえ」見知ら ぬ人と言葉交わせり 南区 白 井 忠 宏 妻植えしケージの上の鬼灯の色付く時を楽し みに待つ 中区 畔 柳 晴 康 肉体の技と力の限界で国の威信も掛けて競う か 南区 鈴木美代子 蒼天に喚声ひびけりスルーパスここしかない と言はんばかりに 中区 飯尾八重子 人生の歩みの中のひとこまにお下げの私アル バムのなか 中区 川 上 と よ 椋鳥のねぐら追われて何処へ行く街路樹剪ら れ夕暮静か 206 中区 鈴 木 利 定 佐鳴湖の水面に映すさくら花春のうららにう ららの歌が 北区 半 田 恒 子 夫々に受けたる傷は異なれどリハビリ受くる 吾も仲間ぞ 南区 杉 山 勝 治 我もまたかくありたきと思うなり散りても残 るぼたん花の香 論 随 筆 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 中区 松浦ふみ子 お義母さんのかくし味だと言ひながら娘は酢 を効かすポテトサラダに 子 北区 伊 藤 美 代 ああ無念五十と一の生涯よ運命はむごく捥ぎ 取り去りぬ 評 次 中区 荻 恵 白百合がたった一本風に揺れ信号待ちの道の 辺に咲く 児童文学 詩 東区 増 田 し ま いつの日か涙の乾く日もあらん朝の庭に供華 た ね の種子まく 説 東区 森 安 有難や今年も書けた年賀状八十七歳墨を濃く して 小 207 浜松市民文芸 58 集 中区 新谷三江子 懸命に九十年を生きたると子ら贈りてくれぬ システムキッチン 東区 長浜フミ子 朝の庭ポタポタ落ちた酔芙蓉赤いふくらみ色 香漂う 西区 岡 部 政 治 金魚にもどぜうにもなれぬ人生を子ふたり育 てよしと心す 浜北区 平 野 早 苗 病負い心も病んで身にしみる人の情けと家族 の絆 東区 平 尾 美 枝 自転車に舅が架けし干し柿のしわの深まる文 化の日 東区 森 脇 幸 子 予定表を拾い読みつつ教科書を入れる子も親 も新一年生 中区 織 田 惠 子 みたり 古稀過ぎて三人も孫を授かりぬ後期高齢返上 致す 中区 和久田俊文 cancerに臓腑捧げしこの秋の泣く泣く 虫の声ぞ染入る 208 健 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 中区 髙 山 紀 惠 う め もぎたての青梅ほんのり香りけり竹ざるに広 げ漬け時を待つ 詩 中区 鴇 夛 「笑点」を二カ月ぶりに観る母の喜ぶ顔に録 画機設置す 筆 中区 江 間 治 子 川中に朝日うけつつ鯉のぼり洗う人ありその 手せわしく 随 中区 倉 見 藤 子 少年の立志式は粛然と眸輝き未来を見つむ 論 中区 宮 地 政 子 母の種残してくれた朝顔が咲かしてくれる夏 の想い出 評 中区 今 駒 隆 次 外国産松茸全く香りなし食してみればそれな りの味 児童文学 中区 手 塚 み よ 鳴き声を真似たる孫の感性を誉めし日はるか 三光鳥なけり 説 中区 岡 本 蓉 子 台風のすぎたる空に一五夜の輝き見つけしば したたずむ 小 209 浜松市民文芸 58 集 西区 松 永 真 一 泣いたとて変り果てたる我が心十三回忌に別 れを告げる 浜北区 石 川 き く ありがとうさぎの宮からきじの里よい環境で 余生送れり 北区 鶴 見 佳 子 天竜の美林の木目使いたる三十年後も香り豊 かに 北区 清 水 孜 郎 あ 電柵を学習したのか猪め吾のただの紐避けゆ きてあり 東区 寒 風 澤 お祝いのお囃子受けて両親が舞い上がりいる 凧揚げ会場 毅 南区 鈴 木 芳 子 卒寿なる襷を肩に百歳のゴール目指して今日 も明日も 中区 飛 天 こ ぞ 去年の秋野良から家の猫となり日なたぼっこ で夢うつつ 女 南区 袴 田 成 子 兄を真似声高らかにお辞儀する三兄弟の末っ 子五歳 210 短 歌 選 評 説 児童文学 評 村 木 道 彦 論 随 筆 結晶度の高い作品が本年度はことに多かったように思われ 言い換えの効 る。 「そうだよ。ここはこれしかない!」 かない動かしようのない表現に遭遇したときが、選をする仕 事の喜びである。 市民文芸賞は次の五名の方。 小笠原靖子 ・ 部屋内に春の光のうすく差し開かず閉じずの雛の口もと あ 「開かず閉じずの」が秀逸。この的確な表現は言い得て妙。 よく他者の思いつく表現ではあるまい。詩の神は些事に宿る ものである。余情深き絶品となった。 石原新一郎 ・ 野仏は眼を閉ぢて微笑めり木々のささやき草のつぶやき や こはもて ・ 真剣に演らねば喜劇は成り立たぬ強面四朗真顔で語る 一首目は「木々のささやき草のつぶやき」とともに、「野仏」 を見ている作者の微笑が、おのずから私たちに伝わってくる ではないか。 二首目、コメディアン伊東四朗の面目躍如。「真顔で語る」 がいい味を出している。 この方の作風は感性が知性に裏打ちされていてしかも男性 的であるところにその魅力があるといえるだろう。 塩入しず子 み を ・ 水脈の先に餓死の部下置き還り得て九十路兜太いのちの句論 小 詩 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 俳人・金子兜太の、生命の根源を見据えて妥協も容赦もない 句論は、苛烈な戦場体験によって裏打ちされているのである。 内藤雅子 ・ 青空に四国の形の雲ありて長き無沙汰の友に便りす 深刻で重たい作品とは趣を異にして、ゆったりとおおらか な雰囲気がこの作者の持ち味。 柳 光子 ・ 撮りくれし人のまなざし透かし絵のごと浮かびくる古き写真に ・ グランドの寒気と匂いを食卓に放ち息子がどさりと座る 一首目、被写体よりもそれを撮ってくれた人の、その時の 眼差しが偲ばれるというのがミソ。撮ってくれた人との深い かかわりが感じられる。 二首目、描写の適格さは愛情の表れ。とくに「どさりと座 る」が部活で絞られてきたことを、如実に伝える。ここはや はり「これしかない」言い方なのである。 最後に、佳作の中から印象の深かったものを挙げる。 知久とみゑ ・ 大声で天に向かって羅漢さん言いたきことは何事ぞもし 幸田健太郎 ・ 背競べしていた夏の雲たちが横に広がりみんな友だち 仲村正男 ・ うから曳く柩とどまれ土手下は母が手植ゑの稲穂首垂る 江川冬子 ・ 荒ぶれし若さも萎えて頽齢の凪ぎたる日々に夫の背優し 伊藤米子 ・ しゅうとめを素直に母と呼べるいま窓辺に寄りて髪を梳きや る 短 211 浜松市民文芸 58 集 定型俳句 蟬百匹大樹は母のごとくかな 早立ちの遠つ淡海の神渡し 初百舌とただそれのみの日記かな 南区 浜北区 北区 西区 梅 原 栄 子 深 津 松 本 重 延 大 澄 滋 世 山 本 房 子 [市民文芸賞] 秋暑し翔べぬ駝鳥の面構 中区 弘 投げ入れのコスモス風の形して 212 東区 石 橋 朝 子 柳 盲縞着て鴨発つ風を見てゐたり 川 藤 田 節 子 自由律俳句 南区 定型俳句 木枯へ笛吹きケトル応へけり 歌 大 田 勝 子 短 南区 詩 ペンキ塗る秋の日射しを転がして 筆 鈴木由紀子 随 中区 論 草の実や賽銭箱の鍵二つ 評 牧 沢 純 江 児童文学 北区 説 草引いて一山明るくしたりけり 小 213 浜松市民文芸 58 集 選] 終章の楽とも思ふつくつくし [入 森ひとつ貸し切つてをり蟬しぐれ 風出でて主役となれる名残萩 中区 新涼や古きミシンに油さす 遠州の夕日集めてななかまど 大村千鶴子 秋扇閉ぢる音して会果てる 赤心やサムライといふ秋の薔薇 中区 保護色のいも虫と目の合ひにけり 鼈甲の母の小櫛や草の花 大きはさみかざし呼ばふや恋の蟹 蕉翁の杖とぞ枯野駈けたるか 西区 鰡跳ねて円周率を大きくす 海へ向く安針像や晩夏光 大 澄 滋 世 星落ちて水面きらめく鵙日和 落蟬の終の一声発しけり 北区 七色を放てる楓もみぢかな 梅 原 栄 子 山 本 房 子 214 津 弘 南区 はらからにとり残されて盆の月 深 湖ひとつ漁港はふたつ夾竹桃 待ちかねて待ちかねて又水を打つ 南区 日盛を揺るがしてゐる逆転打 祭髪きりりと束ね太鼓打つ 東区 黒板は寂しき色へ夏休み 澤 木 幸 子 歌 定型俳句 渡辺きぬ代 川 柳 鈴 木 千 寿 自由律俳句 遠き日の父母と行きたる花野かな 短 感性を研ぎ屋に頼む四月馬鹿 筆 調教の鞭のしなやか鳥渡る 随 総領の優柔不断山笑う 中区 大鷲の檻の中より空を恋ふ 詩 片しぐれ弾かぬピアノへ調律師 論 抽子売りの框にポンと煙管かな 評 方程式解く少年や雲の峰 児童文学 草紅葉杣人たちの輪つぱ飯 説 名水の味まろやかに秋に入る 小 215 浜松市民文芸 58 集 中区 包丁の刃文のうねり青嵐 蜘蛛の囲に日の矢かかりて浄土なる 謎解きの答へ見つけし烏瓜 爽籟や列車は走る古戦場 中区 伴 周 子 飯尾八重子 東区 一合の米研ぐ明日は多佳子の忌 口笛の明るき湯舟初時雨 藤の実の飛んでをんどり鳴かせけり 浜北区 花篝話したきこと有りにけり 春風を連れて揃ひのヘルメット まぐわひしまゝ逝く玉虫の輝けり 頬黒き雀の多し今朝の冬 半夏生一輪さして便り待つ 帳尻の合わぬ家計簿四月尽 立冬のひと日極上なる日差 中区 一人居の朝餉の膳や蜆汁 新米を炊けば山河の光かな 石 橋 朝 子 岩 城 悦 子 浦岡ユキ子 216 中区 大 倉 照 二 中区 白寿なる生ける証しに雛飾る おどけたる面輪の古りし三河雛 湖の入江入江に後の月 思ひ出の風紋深き冬砂丘 鯊釣の一間おきに竿垂らし 北区 指太き父の一声春田打 魚籠の中鯊四五匹の跳ねてをり 南区 落葉して梢に光溢れゐし 縫初めや朱の巾着の糸を抜く 東区 秋の日の引佐細江のみをつくし 筆 樽底に程よくうねり大根漬く 西区 啓蟄やかすかに聞ゆピアノソロ 随 太田沙知子 我が影を水に折り曲げ雛流す 大 田 勝 子 詩 海原や天動説の初日の出 論 短 歌 定型俳句 大庭よりえ 岡 部 章 子 川 柳 岡 本 久 栄 自由律俳句 連凧の雲まで伸びて秋深し 評 目を見張る花弁の黄色茄子の花 児童文学 冬空にシリウスの青追つてみる 説 鵯の声絶叫なるもひとしきり 小 217 浜松市民文芸 58 集 中区 小 川 惠 子 東区 幼な抱く形にかかえる春キャベツ 実千両束ねる数や明日は市 遠い日に封印したる夏帽子 何となし画集眺むる文化の日 夏草や鎌に向きあり母の言 西区 枯れ山にキラリ風車の二基三基 刑 部 末 松 かぎろへる海抜0メートルの街 西区 貯水塔呑み込んでゐる雲の峰 時半の花時計 春風や 十二月八日の朝の目玉焼き 東区 渡船場を縄張にして赤とんぼ 手品師もピエロも真顔花の寺 冷酒つぎ明りにかざす江戸切子 朝顔の一輪挿しや小半日 織田紀江子 大銀杏天を突きゐる寺領かな アメ横に第九轟く大晦日 中区 背泳ぎし飛行機雲を追ひにけり 懐かしや三河万歳鼓の音 12 小 野 一 子 川 瀬 慶 子 北 野 幸 子 218 東区 切 畠 正 子 西区 散る桜帽子にのせて帰りきぬ 竹製の団扇の風の柔らかさ 青年に席譲られて花の窓 種蒔けば大地に命溢れけり ものの芽のひと雨ごとにふふみけり 西区 豊の秋百寿に蹤きて伊勢詣 歩行器の試歩の一歩や萩の花 中区 椋鳥の群の反転空動く 短 歌 定型俳句 柴 田 修 柴 田 弘 子 川 柳 清 水 孜 郎 自由律俳句 ファミリーの竿光り見ゆ秋の湖 北区 清秋の空に槌音ひびきけり 筆 秋ともし養生訓を返し読む 東区 馬鈴薯の花駆け上る地平線 随 近 藤 晴 子 お祭りの提灯のようからす瓜 倉 見 藤 子 詩 天高しお守り疲れも至福かな 論 足跡の水に暴れて蝌蚪会議 評 水郷や真菰の花に触れもして 児童文学 百歳を今更と生く木犀花 説 棟上げの弾む槌音春隣 小 219 浜松市民文芸 58 集 西区 清水よ志江 中区 読みさしの文庫のしをり初霰 スニーカーに模様現はる草じらみ 花筏川の流れの細かりし 遠山の白き嶺々冬桜 色刻々スーパー林道黄葉散る 雛の間にはじける笑ひ女系かな 西区 恙なく質素を旨に日向ぼこ 白 井 宜 子 枯野来てよりくつきりと見ゆるもの どこまでも泳ぎてみたき夏の海 中区 ページ繰る音安らけし一葉忌 コスモスを抱へ少女の夢をみる 中区 起重機を空に残して鰯雲 鈴 木 章 子 風佇ちてペンに秋冷集まれり 北区 黙通す露座仏の眼の秋思かな 信玄の塚まもりいる蝉しぐれ 見得切つて村歌舞伎の子秋ともし わが生れし八月悼むことあまた あ 竹のの秋長城風の道のあり 鈴 木 利 江 鈴 木 智 子 鈴木美代子 220 中区 穂絮飛ぶ湖の真中の境界線 鈴木由紀子 西区 甚平の紐着け替へる鯨尺 身の丈の生き方でいい蕗のとう 南区 七輪ややつとの出番秋刀魚焼く 子 大樽のもろみの匂ひ桐一葉 幸 精霊の惑ふ瓦礫の盆の路 実直は家風でもあり花菖蒲 西区 花婿は一つ年下望の月 短 歌 定型俳句 田中ハツエ 坪井いち子 川 柳 戸 田 幸 良 自由律俳句 何処からも秋の声する街のかど 中区 秋夜長泪のあとのお風呂かな 筆 光飛ぶ天衣無縫の雪螢 西区 新若布磯の香りを運びけり 随 髙柳とき子 牡蠣飯や潮の薫りを椀に盛る 平 詩 鉄棒の子のくるりとす小鳥来る 論 往く雲と戻る雲あり春立つ日 評 漢の背火の粉舞ひ散る手筒かな 児童文学 足音が突然に来る十二月 説 麦飯が昔話となりにけり 小 221 浜松市民文芸 58 集 中区 冨永さか江 中区 早春や展望台の赤い椅子 生くるとは機織る如し花は葉に 松の枝あしらいて見る秋の月 未だしの夕べ立ちたる蝉時雨 秋扇をりに風入れ話しの輪 天高し旧街道の松並木 西区 紫陽花の藍の濃き日や梅雨の入り 中津川久子 クレーン伸ぶがぶりと一気雲の峰 きょうは今日あすは明日の日日草 南区 よろずやの閉じる日間近遠花火 茜雲とどまりてをり合歓の花 西区 切れ味のよき裁ち鋏冴返る 震災の町に供花ある寒さかな 中野はつゑ しかと手に内定通知はつしぐれ 中区 終戦忌軍事郵便色褪せぬ 子を叱る手紙したため遠花火 冬帽子残る記憶のありにけり 蓮の実や十万億土指して飛ぶ 中 原 ま さ 中 村 勢 津 西 尾 わ さ 222 西区 野 嶋 蔦 子 裏返る大鬼蓮の針の列 西区 競り出でる十月桜の立て役者 椿落つ生あるままの静寂かな 少年の声大人びし立夏かな 綾取りを子等と楽しむ冬麗 西区 花筏夛くの讃辞のせてゆく 初秋や小諸馬子唄ラジオから 北区 まいまいの銀の小路は誰がため 土の香をめでて茹で上ぐ衣被 中区 原節子小津安二郎秋日和 能 勢 明 代 筆 新米の詰り1袋佛前に 東区 新涼の川の辺りに投函す 随 短 歌 定型俳句 野 田 俊 枝 野中芙美子 川 柳 野 又 惠 子 自由律俳句 声高めはしゃぐシニアや天高し 野 末 法 子 詩 遠雷やあつけらかんと母逝けり 論 たむろして鳴き声太き寒鴉 評 秋澄みて目の神水源まで辿る 児童文学 縄文のすまひ涼しや土匂ふ 説 行く秋の香木展にひとりかな 小 223 浜松市民文芸 58 集 しり かす 中区 青梅の臀恥じらいて色微か 長谷川絹代 東区 花卯木空しきものに言葉あり 短日や意外に長き三分間 そら 空蝉の宙を見つめて壊れけり ぎょうが 少年に大志は未だ雲の峰 南区 ジョバンニの緑の切符冬銀河 美 乃 里 仰臥して仔犬の眠る薄暑かな 浜 清明や呼吸整へ鐘を打つ 落蝉の空つぽとなる軽さかな 中区 陽炎や畑返す日の畑に礼 いろ 椿の実掌にして遠き生地かな 夕東風におされて帰るランドセル 頭髪を二つに分けて入学す 中区 先駆けの彩となりけりななかまど 林 田 昭 子 手をつなぎ遊んだかの日花筏 中区 還らざる特攻兵や冬の海 初つばめ友と出会ひし橋の上 忌を修し遺品の並ぶ夏座敷 平 野 道 子 藤 田 節 子 藤 本 幸 子 224 中区 堀 口 英 子 北区 秋暑しオスプレイ音闇と化す 海の青空のあをさや冬桜 おだやかに齢重ねし冬帽子 山襞の折り目正しき寒の明け 西区 喚声のあがる頂上花野かな 北区 一輌車ひとり占めして春立つ日 ビートルズと鳴く鳥探す秋のどか 中区 百年の風琴奏づうららけし 鯉幟山懐の一軒家 短 歌 定型俳句 松原美千代 松本憲資郎 川 柳 松 本 賢 蔵 自由律俳句 秋長閑かかくだて網の干してあり 筆 我が心消しゆくごとく雪降れり 中区 初凪や干綱すべて鮮らしき 随 松江佐千子 フラッシュのボルトのポーズ見て秋ぞ 牧 沢 純 江 詩 せせらぎが自慢の店や鮎料理 論 鈴虫の生れてすぐの速さかな 評 秋めくや僧の草履の一揃え 児童文学 冬めくや誰か呼んでる風の音 説 ひねもすを雪降る庭と対いけり 小 225 浜松市民文芸 58 集 浜北区 松 本 重 延 中区 祝膳夫ありてこそ女正月 誇り持て大志を抱け葱坊主 真青なる天の色もて牽牛花 鍬の柄に確と手応へ甘藷掘る 見ず聞かず冬眠したき日もありぬ 扁額の文字のうすれや実南天 中区 点滴の長き時間や小鳥来る 松 本 尚 子 ランドセル背負つては下ろし春愉し 弓なりに続く軌道や曼珠沙華 東区 母さーんと呼ぶ声聞こゆ秋あかね 霧の村千年を経し杉巨木 初蝶や己がひかりを追ひ求め 東区 母に似し我が人生や荒布炊く 松 本 美 津 春蟬のひと声森を明るうす 西区 秋祭法被姿の幼き児 寝そびれて虫の音を聴きわけてをり 更衣学生服の二本線 秋空に藍染を干す手も藍に 松 本 緑 水 野 惠 女 宮 澤 秀 子 226 中区 新樹光きりりと巫女の緋の袴 村 井 み よ 川下り後に先にと花筏 西区 西区 一心に金魚を掬ふ眼かな 子 梅雨晴のナースの釦真白なり 明 日だまりのような彩なる菜飯かな 南区 白日傘遠くの山と海の青 春愁の机上に溜る薄ぼこり 中区 名月や研ぎすまされし神秘かな 白鬚の棺の父に菊と酒 短 歌 定型俳句 山 口 久 江 山 﨑 暁 子 川 柳 吉 野 民 子 自由律俳句 パレットに押し出す緑夏兆す 筆 風に舞ふ蓑虫の宇宙斜めにす 西区 髪の毛の先端までも淑気かな 随 八 木 若 代 寒稽古夢を抱きし凛凛しさよ 森 詩 秋気満つ水に林に木の椅子に 論 遠つ淡海一の宮なる花の雲 評 春怒濤胸の深くに海のあり 児童文学 桟音は昔ながらや春障子 説 蚯蚓鳴く遅い夕餉のひとり膳 小 227 浜松市民文芸 58 集 西区 あらたまの年身綺麗に迎へけり 若き日の思ひ切切桜貝 南区 風光る湖面の一舟動かざる こ 耳飾り小さく揺らす娘の踊り 風の無き早苗に朝の富士の影 北区 愛猫におはようと声かける春 北区 季節過ぎ今だゴーヤのつるはのび 鬼やんまついと産卵潦 道いつぱい子らのアートや小六月 ひ 堀 る 進 和久田りつ子 赤 あ 安 間 あ い 東区 砦めく大根稲架の古戦場 駐在所を手こずらせてる火取虫 中区 柿熟るを待ちたる如く鳥来る バス走る頭垂れたる陸稲道 中区 吾子になき月日を生きて墓洗ふ つはぶきや父が形見の和綴本 中区 九十三歳夢を一途に朴の花 牧牛の尻を並べて鰯雲 飯 田 裕 子 伊 熊 保 子 池田千鶴子 池 田 保 彦 228 東区 名月やそつと会釈の見知らぬ子 西区 児童文学 評 論 ブラームス聴きて長き夜はじまりぬ いかり 三陸の錆びし碇や冬に入る 指先のほのかな香りわらび餅 北区 ほた ころもかけしいたけ榾木春をまつ ふきの葉のほろにがき味里の母 西区 俯きて産毛優しき蕨かな 説 賑やかにはらから集ひ盆供養 小 石 岡 義 久 石 塚 茂 雄 伊藤あつ子 筆 伊藤しずゑ 随 詩 東区 終戦日老ひし語り部訥々と 門毎に並ぶ送り火漁の街 南区 父親は遊ばせ上手しやぼん玉 落葉掃く自在にしなふ竹箒 中区 点と消ゆその沈みゆく雁の空 定型俳句 伊 藤 倭 夫 藤 斉 伊 藤 久 子 伊 川 柳 井浪マリヱ 自由律俳句 小盛りして母に炊きたる栗の飯 南区 飛び石を渡り水辺の蒲の穂に 歌 今風の装い見せて案山子立つ 短 229 浜松市民文芸 58 集 中区 しらす干し嫗がひとり蝿を追ふ 風鈴やひねもす風の通り道 今 駒 隆 次 岩 崎 芳 子 散策の折返し点吾亦紅 南区 折鶴は祈りの使い原爆忌 西区 フリージア匂える部屋に帰り来し 西区 穂芒を胸で分け行く小径かな 盆踊り友と出逢いて輪の中に 蟬しぐれ今の命をひびかせて 中区 風鈴や色なき風にさそわれし 岩 﨑 良 一 母と子の湖畔のランチ草紅葉 西区 新涼やほんの少しの片付けす ながらへて紫陽花の庭荒れにけり 中区 秋澄むや風吹き抜くる天守閣 右 﨑 容 子 滔滔と筑紫次郎や稲の秋 転んではまた歩み出す毛糸帽 中区 秋色の流れ出したる梓川 太 田 静 子 岡本美智子 岡 本 蓉 子 小楠惠津子 230 中区 枯れ菊の根もとに礼の土を置く 柿落葉見事な模様にじませぬ 中区 食卓に太き二本の葱坊主 はは 甘塩の大根菜飯姑の味 中区 大の字で昼寝のできぬ昭和の娘 流しゆく笛とたいこの盆供養 西区 夏旺ん凡庸に生き逃げもせず 説 児童文学 評 傘寿の歯林檎を噛みし確かさよ 小 論 影 山 ふ み 勝 田 洋 子 勝 又 容 子 筆 加 藤 新 惠 随 詩 中区 落ち葉舞う五百羅漢に手を合わせ みどり児の泣く庭先の沈丁花 北区 松手入れ鋏の音もかろやかに 定型俳句 金取ミチ子 加 茂 桂 一 加 茂 隆 司 川 柳 川 合 泰 子 自由律俳句 赤い羽根つけて背筋をのばしけり 中区 艶やかに我が世の春の女正月 中区 日暮れて月中天にあり風荒ぶ うみ 観覧車湖さん爛と初夏の風 歌 菊日和紅さし祝う一〇八歳 短 231 浜松市民文芸 58 集 中区 嵐去り星またたいて十六夜 濱人の句碑読み返す秋の潮 川 上 と よ 川 島 泰 子 中区 枝垂るるは花の重みかしだれ梅 小さき手の小さき祈りの初詣 南区 夕立や一陣の風従へ来 中区 冴え返る夜空に響く靴の音 天髙く群れ飛びいるや赤蜻蛉 花曇そぞろ歩きし銀閣寺 中区 唐辛子瞬発力の辛さかな 川 瀬 雅 女 酌み交わす屋台の隅のレモンかな 西区 七夕や瓦礫の山にランドセル 覚めやらぬ五輪の熱気天高し 東区 赤とんぼ私をどこまでつれてくの 河村あさゑ 風道に座して色なき風の中 庭石にやつと見付けたかたつむり 東区 十六夜の外に出て一人思ふ事 北 村 友 秀 金原はるゑ 畔 柳 晴 康 小杉はつ江 232 北区 夢あまた吸はせ欠けたる初鏡 逃水やひた走りゆく己が影 南区 門火焚く風に仏の下駄の音 無言にて煮かえす大根味深く 中区 一つ家に女三代新茶汲む 手をひかれ螢の闇を歩きけり 中区 児童文学 評 三味稽古路地の卯の花腐しかな 説 濱人の句碑に明るき秋夕焼 小 論 駒 田 一 草 齊■あい子 斉 藤 て る 筆 佐久間優子 随 詩 西区 中区 蔓引けば踊り出したる葛の花 文机に心鎮めて星月夜 花曇り青春の駅様変り 白き皿旬の林檎のタルトとか 南区 青春は酩酊のごと水中花 定型俳句 佐 藤 政 晴 佐 野 朋 旦 佐原智洲子 川 柳 塩入しず子 自由律俳句 風花や「つう」の舞台のフィナーレに 中区 嗅覚の無き母なりき金木犀 歌 戴きし角膜に見る秋なべて 短 233 浜松市民文芸 58 集 北区 松茸や足助の里と祖父想う 赤とんぼ歌つてかけつこ一年生 柴 田 ふ さ 柴田ミドリ 西区 ひろがれる水輪の芯の落椿 渓谷に男滝女滝のひびき合ふ 西区 身にまとふ少し派手めの更衣 西区 仰向ける蟹ゼンマイの切れしごと 西区 御無沙汰を一筆にこめ蕎麦の花 下校する子等にぎはひて日脚伸ぶ 西区 朝顔を数へて今日のはじまりぬ 白 井 忠 宏 火 胸の上にミモザも添へし別れかな 南区 金木犀帰りの子らの歌聞こゆ 残暑をば弾き飛ばすかホームラン 知 幾山河越えて古巣に初燕 不 笹の露光りを包みこぼれ落つ 一粒の米の尊き終戦日 中区 空蝉の古刹の軒に吹かれをり 新村あや子 新村ふみ子 幸 新村八千代 新 村 234 台風一過街角の金次郎 中区 身の丈の生活に慣れ稲の花 中区 百舌鳴けば茂れる木々は黙まもる が 蛾には蛾の我がある筈や夜に舞う 東区 菊薫る合掌村の旗日かな 刈草の雨に匂へる湖畔かな 北区 赤まんま矢張り雑草群れて咲き 説 児童文学 評 みすずかる信濃路紅の蕎麦の花 小 論 木 憲 鈴 木 和 子 鈴 鈴 木 節 子 筆 鈴 木 信 一 随 詩 南区 蓮の実を鳴らせてゐたる二人かな 新蕎麦の箸に手応へありにけり 東区 叱られて一年生のとぼけ顔 小鳥来るスイス土産のチョコレート 北区 山腹に蕎麦の花咲くしんとして 定型俳句 鈴 木 秀 子 和 子 鈴 木 浩 子 関 川 柳 髙 橋 順 子 自由律俳句 鬼やんまつかず離れず子らを追ひ 西区 這ひそめし児の頬の色春の色 歌 十薬の花思ひ出す人のあり 短 235 浜松市民文芸 58 集 西区 老松のこぞりて立てり若緑 くちなしの花の香りの隣家かな 東区 高橋ひさ子 髙林みつ子 鰯雲幼の見上ぐ飛行船 浜北区 草の花目尻気にせし六十路かな 竹内オリエ 中区 竹 下 勝 子 ひとがた 人形の映ゆる夏越の薄明かり (松尾神社) 田 中 安 夫 田中美保子 背伸びして我が物顔のタンポポ黄 山笑ふ水買ふ時代来たりけり ボス猿の尻真つ赤つか冬ざるる 東区 湯上りの色なき風の立ちにけり 髙 林 佑 治 母の日に大きなふくろ二つ三つ 南区 町かどに献血の声聖五月 蛙鳴く初めて会ったあの時も 西区 金色に雲変はりたる初日の出 髙 山 紀 惠 舞い上がれ念じて凧糸風を待つ 秋晴や鉄塔にゐる塗装工 中区 寒肥に応えゆずらめ花盛る 236 北区 秋の夜B面レコードにときめきし 南区 赤とんぼ風向き知るや同じ向き 古都王都廃墟慰む冬菫 降るほどに天空を飾る冬の星 北区 ゆつくりと木々芽吹きいる里の雨 味噌蔵は旧家の構へ桐の花 中区 百歳の君とたはぶる八重椿 説 児童文学 評 地下を出る車のライト暮早し 小 論 辻 村 榮 市 黒葛原千惠子 鶴 見 佳 子 筆 手 塚 み よ 随 詩 中区 読み初めやつつがある目をいたはりて 爽やかや「市中山居」のかたほとり 西区 七十年ぶりの浜辺や桜貝 野遊の子等を見ぬ世となりにけり 中区 訪う声に灯す門灯冬来たる 苔むした階段のぼり曼珠沙華 北区 定型俳句 寺 田 久 子 徳 田 五 男 戸田田鶴子 川 柳 豊田由美子 自由律俳句 ちちろ鳴き深き眠りへ誘なへり 歌 涼風の話に集ふ木陰かな 短 237 浜松市民文芸 58 集 東区 耳なりに同化している蟬しぐれ 雨止んだデンデン虫も動き出し 内 藤 雅 子 中 嶋 せ つ 北区 大鷹も鳴声添えて花の宴 磯気狂う百間滝の壺覗く 南区 草生ふる城の石垣花筵 西区 ガラス瓶メダカと遊ぶ八十路かな あふ 夏祭化粧姿の笛太鼓 アカシアの寮歌に残る愁ひかな 中区 巣つばめの溢れむほどに育ちをり 永 田 惠 子 二羽のハト追うに追えない大豆畑 中区 蝉時雨辰の刻過ぎピタと止む ほおづきをハイと渡され悩む子等 中区 囀を聞き分けつ行く山路かな 長浜フミ子 鰯雲セールスマンは伊達男 断層の幾重あらわや崖椿 東区 いなご跳ぶ草むら踏めば又いなご 中 村 寿 夫 中 山 志 げ 錦 織 祥 山 二 橋 記 久 238 北区 漁火のぽつりぽつりと伊豆の秋 鵙高音舳先ふれ合ふ舟だまり 中区 博多帯しごく音よき更衣 面を打つ音凛凛と寒稽古 浜北区 背後よりふとどき至極つばくらめ 西区 金蚉の腰をゆらして飛びゆけり め 胃癌奴と叫べど無音や春深し 説 児童文学 評 病窓に今朝も見つけし花木槿 小 論 野 沢 久 子 野 田 正 次 橋本まさや 筆 浜 名 湖 人 随 詩 西区 黄金色棚田かすめる鬼ヤンマ アスパラの長き茎伸び伊那の畑 中区 雪起し鴛鴦時に相いれず 天高し五重の塔の先までも 中区 定型俳句 野 旭 浜 名 水 月 平 藤 田 淑 子 川 柳 古 𣘺 千 代 自由律俳句 カットした西瓜を買いし三十度 秋の蚊や老いた体を一撃し 西区 さゞ波や揺り籠の如浮寝鴨 歌 春霞老眼鏡のくもりかな 短 239 浜松市民文芸 58 集 中区 無縁坂越え地蔵坂つづれさせ 弥次郎兵衛小春の指に止まりたる 星宮伸みつ 前 田 徳 勇 南区 新刊に栞代りの赤い羽根 菊花展歩けば動く香りかな 中区 賜りし齢米寿や桜咲く 浜北区 遠山も青みがかりて笑うなり フルートを吹きゐる窓に目白鳴く 梅が香にふとフルートの聞こえけり 中区 立話木蔭に時を忘れけり 松 永 真 一 取っておきの南瓜を食べぬ三の午 西区 実一つ吊されており柿の秋 湖に葉音もなしの秋団扇 中区 水着の子粋な帽子がなじみをり 松野タダエ 良薬はここにも在りて梅匂う 秋深しハーモニカふく里の駅 東区 風光るトンネルの出口見える位置 水 川 放 鮎 水 谷 ま さ 三 歩 宮 本 惠 司 森 240 西区 軍手にも男女別なし草刈デー 仔犬にも人にもありし夜長かな 浜北区 文化の日卒寿の母の健やかに 茶の花へ歩き始めの一歩かな 南区 七変化あのひと言は本音かも 廃車みな草に覆はれ昼ちちろ 西区 天高し富士の姿の凛として 説 児童文学 評 論 燃えつきし恋のシグナルホタルかな 小 森 下 昌 彦 森島美千子 八 木 裕 子 筆 谷 野 重 夫 随 詩 北区 一輪車漕ぐ少年や風光る 空蝉の眼なお生き宙覗く 中区 木の實食べ何のお話母子鳥 蟻親子歩む姿にルールあり 西区 秋祭屋号で呼び合ふ馴染なり 野良猫の大きな包伸小春かな 西区 村祭法被姿のお稚児さん 歌 定型俳句 蚊帳の中蛍飛ばしたその昔 短 山 口 英 男 﨑 勝 山口百合子 山 恵 柳 下 川 山 自由律俳句 241 浜松市民文芸 58 集 中区 君が香の白きハンカチ今何処 家絶えて田毎に響く蛙かな 山 田 知 明 山本晏規子 西区 父の日や子等の花束届きけり 釣人の日がな一日秋惜む 西区 新米を手に取る人の息はずむ 西区 店先の笊にころころ衣被 西区 中区 秋の空世界は一つ五輪かな 村祭法被姿の若い衆 初荷だよトラック荷台山積みに 山 本 兵 子 照 天高し大道芸は神の業 西区 握りしめ木の実の一つ温きかな パレットの色の曼荼羅柿紅葉 田 此の歳で今も楽しむ更衣 横 火は猛り追儺の闇を照らしけり 蓑虫の吾が意得たりと雨の中 中区 小春日や蜂の迷へるガラス窓 横原光草子 和久田孝山 和久田志津 和 田 有 彦 242 西区 麦踏みておやじの顔が眼にうかぶ 南区 散歩する影に残った黒い夏 中区 寂しさと添寝の夜や初盆会 西区 中区 己が卋と寄せて飛び交う赤トンボ つま 東区 児童文学 評 留守番の夫の手料理おじやかな 説 神無月石段登る八十路かな 小 論 渥 美 東 進 延 あべこうき 安 池 野 春 子 池 谷 靜 子 筆 伊 藤 あ い 随 詩 浜北区 袴着のおぼつかない子七五三 中区 門前の金木犀の香り満つ 東区 子燕が巣立ち安堵の空高し 西区 トキ巣立つ親子の絆佐渡の空 西区 中区 老人の回りに咲いてる彼岸花 歌 定型俳句 大久保栄子 大 城 ま き 太田しげり 河 合 秀 雄 河 野 政 男 川 柳 斉藤三重子 自由律俳句 秋風をゆつくり分けてシニアカー 短 243 浜松市民文芸 58 集 西区 更衣今は呼び名もクールビズ 天竜区 大輪の花が夜空に咲いている 中区 赤とんぼ頭くりくり何おもう 南区 すすき活けビルの谷間の十三夜 中区 百合の園ばつたり出逢いの会話かな 中区 生けられて何げなくあり野辺の花 木 葵 佐久間満雄 澤 高 橋 紘 一 夛 健 髙栁二三男 鴇 鳥井美代子 北区 名倉みつゑ 永 田 キ ク 北区 遠花火山にかくれし音のこし 山の幸茸の香り夕げ膳 野 末 初 江 晴 飛 天 女 詩 原田かつゑ 北区 鬼灯市いなせな娘誰を呼ぶ 東区 里帰り車降りればせみしぐれ 西区 ひとしれず二度咲き満つる花桔梗 中区 産まれたよメールが届く星月夜 244 南区 かぶと虫戦う姿勇ましい 中区 児童文学 評 論 梅雨近く田んぼアイガモはなたれし 中区 階に先師の句碑や月の寺 東区 青空にきれいに咲きし彼岸花 中区 中区 秋深し黄金の波刈りつくす 説 走り行く夏を惜しむか蟬しぐれ 小 水 野 健 一 宮 地 政 子 ち ゑ 子 宮 本 み つ 森 山田美代子 筆 山 中 伸 夫 随 詩 歌 南区 定型俳句 鈴ならし願いを込める初詣 短 川 柳 横井万智子 自由律俳句 245 浜松市民文芸 58 集 定型俳 句 選 評 九鬼あきゑ 本年度の応募者は二三五名。応募作品は質的に充実したもの が多く、予選通過作品二十句を絞り込むのに苦労した。最終的 山本 房子 に は、 次 の 十 名 の 方 の 十 句 を 第 五 十 八 集 の 市 民 文 芸 賞 に 推 薦 す ることにした。 俳 句 は 単 純・ 平 明、 そ し て 余 韻 の あ る 奥 深 い 作 品 が い い。 ・初百舌とただそれのみの日記かな 十七文宇と短いことが逆に武器にもなると言うことを、この句 大澄 滋世 は 物 語 っ て い る。 「 初 百 舌 」 と だ け 書 か れ た あ る 日 の 日 記 帳。 あとは読者に想像して頂ければいいのだ。 ・早立ちの遠つ淡海の神渡し 「 神 渡 し 」 は、 出 雲 大 社 へ 旅 立 た れ る 神 々 を 送 る 陰 暦 十 月 に 吹く西風を言う。神様のお発ちの日には硬貨や赤飯が神棚に供 えられていた思い出が甦ってきた。おおらかで、スケールの大 松本 重延 きな一句である。作者の安らかな気持ちも伝わって来る。 ・蟬百匹大樹は母のごとくかな 日常の暮らしの中で詩を発見しているところがいい。生活感 時速六十キロくらいで疾走できるのに残念無念。しかし、その 面魂は健在なり。駝鳥の孤高と寂しさに共感する作者。 ・投げ入れのコスモス風の形して 梅原 栄子 大壺に無造作に投げ入れられたコスモス。風がくるたびに揺 れ 動 い て い る。 「 風 の 形 」 な ど 見 え る は ず が な い。 し か し、 そ う感じさえすれば見えくる筈だ。写生を越えた心眼の一句。 ・盲縞着て鴨発つ風を見てゐたり 石橋 朝子 「 盲 縞 」 は 経 糸・ 緯 糸 と も 婚 糸 で 織 っ た 綿 布 で あ る。 こ ん な 着 物 を 着 こ な す 人 は 余 程 の 着 物 通 の 人。「 鴨 発 つ 風 を 見 て ゐ た り」で詩になった。滋味溢れる作品。 ・木枯へ笛吹きケトル応へけり 藤田 節子 大田 勝子 覚 溢 れ る 一 句。 そ の 切 り 口 に 独 得 な 冴 え が あ る。「 笛 吹 ケ ト ル 応へけり」は、まさに至言。更なる精進を。 鈴木由紀子 確 か な 写 生 眼 が 光 る。 「 秋 の 日 射 し を 転 が し て 」 は 面 白 い。 ・ペンキ塗る秋の日射しを転がして その凝視の姿勢あって成った一句といえよう。 俳句は「ものを通して表現する」ことも大切である。この即 ・草の実や賽銭箱の鍵二つ 物具象やよし。賽銭箱と二つの鍵が鮮やかに見える。 牧沢 純江 ・草引いて一山明かるくしたりけり 大 き な 大 き な 木 に 蟬 が わ ん さ と 集 ま り、 ひ た す ら 啼 い て い 「 草 引 く 」 は 作 物 な ど の 除 草 の こ と で、 草 刈 り で は な い。 そ 品が多くこれからが楽しみである。「舌頭千転」。ご健吟を! 最後に一言。本年度の作品を顧みると、なかなか個性的な作 れ故、 「一山明るく」の大仰な表現が生きた。 る。その大樹に対面した時、作者はすべての命の根源である母 弘 なるものへの憧憬を深めたのではないか。母の優しさ、母の強 さ、全てを包み込んでくれる懐の深さも。 深津 動物園の駝鳥だろうか。本来ならば、アフリカのサバンナを ・秋暑し翔べぬ駝鳥の面構 246 自由律俳句 [市民文芸賞] 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 生 田 基 行 短 東区 詩 白い三日月に巻いてみたオレンジのスカーフ 筆 中津川久子 随 南区 論 薔薇園は私を貴婦人にしてくれますの 評 木 俣 史 朗 児童文学 浜北区 説 ビルが一せい陽を返す街が朝の途惑い 小 247 浜松市民文芸 58 集 [入 選] 浜北区 こおろぎ無心遠い夜空駈けめぐる稲妻 窓が切りとった空漂う鰯雲 明日がないのか茜群れて舞うコスモス 無花果の曖昧な甘さに道が分かれる 東区 窓辺の飲みかけたグラスに月のしずく 天をイルミネーションにして月が眠る 月下に北風が走る枯れ野を広がせて 木俣とき子 生 田 基 行 中区 心の中にあって秋はそんな人想う 道行く人も一枚羽織り柿色づく 病む人にも木犀の香り届ける秋の日 伊藤千代子 中区 草 野 章 次 風のゆらぎ音のゆらぎが心をやさしくしてくれる 気の向くまま風の吹くままひとり暮らしの儘三昧 荼毘に付される友人を遠江で思う立冬間近 中区 鈴木まり子 じっとしている冬の金魚じっと見ている児 いつか又逢うと指切りした友と鰯雲 蓮枯れている池に一番星あがる 248 浜北区 中区 線路傍にことし限りか彼岸花 中 谷 則 子 みかんの葉蔭にそっとあお虫かくれんぼ 竹内オリエ 熟れた大きな夕陽山の端に漂う 天高くハミングして娘の帰宅 そろそろ晩秋心の鍵を開けようか 道を濡らす雨の匂いして寄り添う肩 スイカ食べて昼寝をする小さな幸 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 藤本ち江子 長浜フミ子 中区 戸田田鶴子 老いの朝寒の水しばらく含み飲むくすり 無人駅のホーム待つ人が居て三日月 中区 東区 落葉踏みしめて今日の休日たしかめる 外山喜代子 コトン音がしてハガキ一枚 詩 金木犀家の中まで季節をつげ 浜北区 筆 十三夜の月に誘われはにかむ庭芒 随 行くに梅の匂う万歩計つけている 論 曼珠沙華の径辿れば母に逢えそうな 評 遠く住む孫のこと古い時計の時報 児童文学 冬満月に雲一筋兎は餅つき休みます 説 いとこ会杉の割箸が匂う 小 249 浜松市民文芸 58 集 池 谷 俊 枝 渥 美 久 子 東区 松野タダエ 細長きひと夜生きよ生きよと虫の応援歌 秋の日暮れ残りし時間あれもこれも ほど 雨の口やっと解けて秋が顔を出した 東区 葉を間引く籠はさやさや朝の風 コスモスの風にちらちら下校の子 浜北区 満月にひとすじの雲が今宵中秋 故郷に帰る家もなし独りの身 湖西市 朝露が蓮の葉っぱで遊ぶ寺の池 石 田 珠 柳 伊 藤 重 雄 熟れた柿手をのばしたくなる江ノ電の旅 中区 木洩れ日に瀧の色が変って秋の風 屋根打つ雨音が明日旅への音符となる 天竜区 岩本多津子 バルーンで草原を浮遊現実なるか我に問ふ 満天の星空今宵は我がものマサイマラ 南区 太 田 静 子 良き事がありそな予感するっと剥ける茹で卵 七輪で秋刀魚を焼いた昭和を懐かしむ 250 南区 ルーペで「鬱」の虫歯見付けたり 夕間暮れ太りゆく青柿の落ちる音 中区 大 庭 拓 郎 小 楠 純 代 中区 山頭火歩みし小径とろろ薯 いろ 彩選ぶ手帳に己が心知る 中区 台風一過見あげれば月おすまし 東区 消灯過ぎに聞こえるスリッパの音 くも一つまだ寒風にさからっている 西区 西の友終の栖決めたと北国から便り 子 障子まっ赤に染まる夕餉の仕度 代 木 俣 史 朗 香 詩 嫗も小学生になりメダカ追う 中区 十三夜母の姿の遠く小さくなる 徒然ですかまきり肩で遊んでる 浜北区 論 随 筆 短 歌 定型俳句 倉 見 藤 子 田 修 佐 藤 悦 子 柴 川 柳 周 東 利 信 自由律俳句 悲しみの出口に小さな千草 とき 評 しみじみ刻を座す志野茶碗の温もり 児童文学 思いはまっすぐ浄土に咲きたい彼岸花 説 風へ雨へ音へ耐えれば月は魔の光 小 251 浜松市民文芸 58 集 南区 鶴 柄杓を持つ手が止まった父母の墓が冷たく 夛 市 健 中津川久子 戸 田 幸 良 鴇 南区 白 井 忠 宏 玄関のガラスに影を来客と知らせる小犬の目 恋かしら白い封筒にわかに火照る 待つことの秘密たたんで水中花 南区 空港の別れ窓いっぱいの蒼い空 歳時記の冬の巻閉じ独り作句す 中区 豆腐屋ラッパ夏の暑さに伸びきってる 来年もこの桜観るぞ指鳴らす 中区 オットットーみみずが這ってつまづいた 髙橋あい子 髙 鳥 謙 三 鈴 木 章 子 金環蝕太陽に背を向けて紙に写してみる 北区 三日月の舟ゆくオリオンしたがえて 花吹雪屋根に黒猫ねそべって 中区 文化の日蟷螂の斧に力なく 草を引く命あるもの般若心経 東区 薫風に風にのる児のはずむ声 夏至すぎて暮れかねている夕あかり 252 南区 柿若葉羽を休めるつがいの鳩 今年も実をつけている舅の柿の木 中区 中 村 淳 子 中 村 弘 枝 随 筆 中区 青空にポーが聞える桜のトンネル 中区 返事は封書にすべきかと迷う秋の夜長 一切放下落椿の自然美 宮 司 も と 飯 田 裕 子 渡 辺 憲 三 東区 岩 城 悦 子 寒菊の曲がりくねって自我を見る 北区 天竜区 定型俳句 川 柳 岡 部 真 央 自由律俳句 曼珠沙華母の夢見るひと日かな 歌 君のため叫んだ声は届かない 短 内 山 あ き 浜北区 さびしさつのる今年の宛名書き 評 松 永 真 一 莢に触れそら豆ころり産み落す 児童文学 浜 名 湖 人 詩 抱きたる幼子満月とにらめっこ 論 鶏頭を活けてひと間のほのぬくし 西区 病室のカーテン固く締めて秋の夜 本堂に津軽三味線を聞く十三夜 西区 手に余る十三回忌の夏の雲 説 行く末は沈黙ばかりの女郎花 小 253 浜松市民文芸 58 集 中区 里山の笹百合下むき誰を待つ 中区 もの狂いする日となって桜の散り急ぐ 中区 秋の風浜の風紋乱れしを清書する 中区 川 上 と よ 河村かずみ 畔 柳 晴 康 佐々木たみ子 沢 純 中区 道筋に極め咲きたり鶏頭の花 東区 冨永さか江 中島ひろみ 内 藤 雅 子 西区 先人の植えし河津桜境内で満開 帰り道光の帯の車かな 錦 織 祥 山 宮 地 政 子 松 枝 志 賀 廣 島 幸 江 原 川 泰 弘 中区 病院の窓より花火と流れ星一瞬の㐂び 中区 虫喰いの姑の遣類今温かき 西区 ペリペリ剥くみかんの皮独りの灯の下 中区 北区 ボートすいすい桜並木は雨の中 好 若者の身を投げし辺り今夜も星一つ 木 賀状書く机の上の青いみかん 寺 手 塚 全 代 鈴 西区 鈴木あい子 ワイングラスに語りかけるイブという夜 中区 恋人よと歌流れくる独り居の窓 東区 ふっと思い出すことも亡夫に似る仕種 中区 工場のミシンの音も忙しくなる師走 254 中区 山内久美子 踊りつかれた灯を連れてクリスマスの帰り 説 児童文学 評 論 随 筆 南区 山崎みち子 ワイングラスに語りかける二人の思い出 小 詩 短 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 255 浜松市民文芸 58 集 自由 律 俳 句 選 評 鶴 田 育 久 い つ も 申 し 上 げ て い る の で す が、 自 由 律 俳 句 は か た ち (五七五)約束事(季語)には捉われない俳句です。しかし如 何に自由であるからと云っても俳句という韻文である以上、基 本的には俳句のかたちを踏んでおります。それを内在律と云う の で す が( こ こ で は 説 明 は 省 き ま す ) 、ともあれ折角の自由律 ですから、字数に縛られることなく、思ったことを思う存分に 表現して下さい。 例年によって予選句として二〇句採りました。 夕間暮れ太りゆく青柿の落ちる音 ○里山の笹百合下むき誰を待つ 道を濡らす雨の匂いして寄り添う肩 そろそろ晩秋心の鍵を開けようか ○屋根打つ雨音が明日旅への音符となる ○薔薇園は私を貴婦人にしてくれますの 恋かしら白い封筒にわかに火照る ○三日月の舟ゆくオリオンしたがえて 青空にポーが聞える桜のトンネル ○窓が切りとった空漂う鰯雲 ○ビルが一せい陽を返す街が朝の途惑い ○白い三日月に巻いてみたオレンジのスカーフ 天をイルミネーションにして月が眠る ○今年も実をつけている舅の柿の木 老いの朝寒の水しばらく含み飲むくすり 曼珠沙華の径辿れば母に逢えそうな ○道行く人も一枚羽織り柿色づく 遠く住む孫のこと古い時計の時報 ○十三夜母の姿の遠く小さくなる 豆腐屋ラッパ夏の暑さに伸びきっている 丸印は二次予選句です。 白い三日月に巻いてみたオレンジのスカーフ 三目月にスカーフを巻くという着眼点が秀逸。それもオレン ジ色のスカーフです。白い三日月との色の対比の妙と、巻いて みたという悪戯っぽい所作が面白いのです。 薔薇園は私を貴婦人にしてくれますの 俳句の俳は、おどけの意味ですから、その点から云えば、こ の句も前作同様に俳句の原点というべき諧謔の趣きを踏まえて います。この句のポイントは〈くれますの〉の、 のにあります。 この句は、この一語に尽きます。殺し文句と云うべきものでし ょうか。自由律俳句ならではの表現です。 ビルが一せい陽を返す街が朝の途惑い この句は、前二作と違って、外連もなく自由律俳句の正調と も云うべき作品です。朝の途惑いによって、句に広がりが出て 来ました。都会の朝をやさしく捉えました。秀作です。 以上三作を市民文芸賞に推しました。 〈屋根打つ・・〉旅への音符で、旅へ出る楽しみの気持が倍 加しました。 〈里山の笹・・〉下むく笹百合によって、哀憐の想いが出ま した。 〈三日月の・・〉オリオンしたがえて。景が大きく目に浮か ぶようです。 〈窓が切り・・〉窓が切りとったとは、俳句らしい厳しい見 方です。 〈今年も・・〉舅の柿の木に情愛の深さがくみ取れます。 〈道行く・・〉一枚羽織りと柿の色づきの相乗効果マッチし て佳作。 〈十三夜・・〉母の姿遠く、それを十三夜としたところが巧 みです。 256 川 柳 [市民文芸賞] 川 柳 鈴木千代見 自由律俳句 南区 定型俳句 歯ブラシの五本並んでふたりきり 歌 戸 塚 忠 道 短 中区 詩 尻餅で終えたジャンプの砂の味 筆 太 田 雪 代 随 南区 論 日だまりへ笑い袋がはち切れる 評 石 田 珠 柳 児童文学 湖西市 説 うなぎやの団扇の風もやせる夏 小 257 浜松市民文芸 58 集 北区 山 口 英 男 南区 紙風船やさしい息で膨らませ さよならの後姿にある微熱 しあわせをでっかく包む母の海 生かされて生きて仏の手を探る まん丸い月の何処にも媚がない 引く事を知って呼吸が楽になる ちちははの在りし日偲ぶ道祖神 西区 青春のかすり傷負うレモンの実 浅 井 常 義 潤いを継ぎ足し老を遠ざける 一呼吸すればどうにかなる話 中区 衣装脱ぎピエロが戻す消した顔 写し絵の輪郭線が薄くなる 倦怠期そっと仕舞った小引き出し 平和ボケ自然の猛威鐘鳴らす 南区 まな板をたたいて惚けを追い払う たかが一字されど一字で味を変え 木 村 民 江 思いやる気持だけはと丸く住む 完熟をお先きご免と味見され 東区 永眠の旅へ美談がお供する 鈴木千代見 為 永 義 郎 中 田 俊 次 258 中区 中 村 禎 次 中区 方言で生きて来たから気取れない 曇り空一気に晴らす母の笑み おはようと朝顔にまで声をかけ 華やかな舞台の裏でしぼむ花 逆境に堪えて渡った虹の橋 夢は夢はじけて終わるしゃぼん玉 月あかり愛でるひとり身秋の宵 西区 小春日の陽射しと風に誘われる 中区 天空を綿菓子に乗り夢飛行 長谷川絹代 短 歌 定型俳句 馬渕よし子 川 田 柳 隆 山 﨑 靖 子 米 自由律俳句 古里に唱歌の川が流れてる 筆 今ならばわかること多々母の言 い 随 苦労した話はしない里の母 中区 大自然飲み込む様な空の青 東区 誘惑に負けてしまった血糖値 中 村 雅 俊 詩 今年こそ花の微笑に逢いにゆく 論 いつか要るいつか使うと物をため 評 見送りの目が離れない老いた母 説 児童文学 三面鏡あなたに見せるこちら側 小 259 浜松市民文芸 58 集 中区 老いの身のヘルパー頼る過疎の風 秋届く母のレシピの走り書き 伊 熊 靖 子 石 田 珠 柳 天竜区 蜘蛛の巣の洗礼受ける秋の庭 猪に全部掘られた里の秋 東区 疲労感夜の空気に息こぼす 湖西市 路地裏で見つけた夢に色が付く 老春も夢と欲との靴を履く 散ってまで花の筏で身を飾る 中区 幸せは声に出したら寄ってくる 伊 藤 信 吾 つまずいた石に零した言い逃れ 南区 孫の靴手の平に乗り愛らしい 名画前押され押されて通り過ぎ 中区 老人の自立を煽る本数多 内 山 敏 子 皮算用パートの金も当てにされ 感動が薄れて老いは加速する 東区 寝たきりを慰めてゆく雲の旅 太 田 初 恵 河島いずみ 畔 柳 晴 康 斉藤三重子 260 西区 怒れても一呼吸置く処世術 勘繰りが過ぎて好意も仇となり 西区 鈴 木 均 髙 柳 龍 夫 随 筆 中区 原発や欲に群がる金の蠅 雪重く人の声なき核の村 東区 東区 口喧嘩過去の失言妻が勝つ 短 歌 定型俳句 平 野 旭 松野タダエ 水 野 友 博 川 柳 宮 澤 秀 子 自由律俳句 期待などしていないから忘れてる 西区 終活を秋の日暮れが追い立てる 戸 塚 忠 道 竹山惠一郎 気持ちだけ先に行ってる老いの足 中区 辻褄が合うと抱いてる夢が消え 封印の過去引きずらぬ今朝の靴 東区 夕映えを心にとどめ明日の糧 詩 豪邸でなくてよかった大掃除 論 闊歩する若い背中が頼もしい 評 目の前に二日がかりの探し物 児童文学 舌の先言葉ころがし思案する 説 育んだ五感で手話の綾を織る 小 261 浜松市民文芸 58 集 西区 写メールのこぼれる笑顔病癒え 初恋へ受験勉強上の空 南区 まなこ 大木になる夢くれた眼あり 東区 八つ当り鍋釜磨きピッカピカ 浜北区 住む人のこころのままに薔薇咲けり 南区 立つ位置を譲らぬ老いの日向ぼこ 中区 冬瓜のあんかけ好きな孫笑顔 東区 背をのばすえくぼ作って紅をひく 堀 進 山田とく子 赤 飯 田 裕 子 岩 城 悦 子 太 田 雪 代 野 和 岡 本 蓉 子 小 中区 永らえて自分史綴り今至福 南区 あかね色の空に願うは今日の無事 中区 方言が垣をはずして近くなる 中区 恋でしょう白蝶となり明日へ舞う 西区 東区 泣くように仕立てられてる八月忌 さと 歳だよと五感が諭す我が体 南区 他人のこと批判しながら同じ所作 浜北区 得意気な知ったか振りが気にさわる 金取ミチ子 久 保 静 子 倉 見 藤 子 田 修 小 島 保 行 柴 柴 田 良 治 木 覚 白 井 忠 宏 鈴 262 中区 論 三コーナー曲がれどゴール又のびる 中区 母の記に抱かれて涙甘くなる 中区 電柱の影に一列バスを待つ 浜北区 夕立に洗われながら下校する 北区 香水のほのかに残り嘘がばれ 中区 甘辛を減らし旨味の蒸かし芋 中区 中区 児童文学 評 流れ星祈る間もなく消えていく 説 もう一人違う自分の一人旅 小 髙 山 橋 功 博 高 橋 紘 一 髙 竹内オリエ 辻 村 榮 市 手 塚 美 誉 戸田田鶴子 筆 戸 田 幸 良 随 詩 中区 リハビリへ園児の如く送り出し 北区 親の恩佛になりてやっと知り 東区 どうしたの地球の軸がずれてきた 南区 おばあちゃん玄孫対面うれし顔 中区 老人力ますます力つけてくる 南区 定型俳句 冨永さか江 豊田由美子 内 藤 雅 子 永 井 真 澄 仲 川 昌 一 中津川久子 中 村 弘 枝 川 柳 野 末 法 子 自由律俳句 スポットライト黒子にだって夢はある 中区 北区 売ってから毎日見てる株式欄 歌 衣更亡き母しのぶ几帳面 短 263 浜松市民文芸 58 集 中区 言いかけて呑みこむ言葉聞かぬふり 浜 美 乃 里 浜 名 湖 人 北区 メール便とどいて嬉し秋野菜 中区 改革に捨てた昔がまた見える 西区 小一時間書店に遊ぶ病後の身 子 耺 中区 年越しの夢を残せば不燃物 夢 宮 地 政 子 道 松 永 真 一 前 田 徳 勇 東区 堀内まさ江 ハロウィーン笑ったかぼちゃ灯がともる 浜北区 今年また賀状の相手一人減り 西区 苦もないが孫の数だけ楽もなし 西区 生活苦ぼやきながらも新車買い 中区 兄妹の絆を杖に明日の風 中区 おだてられみこしかついで医者通い 下 宏 森上かつ子 山 和久田俊文 264 川柳 選 評 説 児童文学 評 今 田 久 帆 論 随 筆 今 年 は 昨 年 よ り 応 募 者 が 六 名 増 え、 八 三 名、 三 九 五 句 の 中 か ら、 私 の 心 を 捉 え た 二 〇 句 を 予 選 句 と し て 候 補 に 挙 げ、 熟 考 し た上で、そのうちの四句を市民文芸賞とさせていただきました。 年 齢 層 も 十 代 か ら 九 十 歳 ま で と 幅 広 く、 多 く の 人 々 の 興 味 を 引 い て い る よ う で す。 五 七 五 の リ ズ ム に 乗 せ て 自 分 の 思 い を 込 め て い け ば、 川 柳 に な る の で 気 軽 に 作 れ る 魅 力 が あ り ま す。 季 語 の 必 要 も な く、 口 語 で 作 れ る の も 魅 力 で す。 川 柳 は 自 分 の 思 い を 五 七 五 の 十 七 音 字 に 削 っ て い き、 省 略 す る こ と で 言 外 の 広 い 世 界 を 作 り 出 し て い き ま す。 た だ、 あ ま り に も 省 略 し 過 ぎ る と、 自 分 の 思 い が 相 手 に 伝 わ ら ず、 独 り よ が り の 句 に な っ て し ま い ま す の で、 配 慮 が 必 要 に な り ま す。 そ ん な 時 は 自 分 の 作 品 を ノ ー ト に 寝 か せ て 熟 成 さ せ、 数 日 後 に も う 一 度 読 み 直 し 推 敲 し て み る と、 句 が 落 ち 着 い て き ま す。 ま た、 五 七 五 の リ ズ ム を 崩 し て し ま う と、 句 が 重 く な り、 リ ズ ム が 生 ま れ ま せ ん の で、 上 の 句 に 持 っ て い っ た り し て 工 夫 し て み ま し ょ う。 短 詩 文 芸 は 声 に 出 し て 読 む こ と に よ り、 そ の 魅 力 が 生 ま れ て き ま す の で、 自分の作品を読んで、魅力を引き出してみて下さい。 予選句 引く事を知って呼吸が楽になる 見送りの目が離れない老いた母 寝たきりを慰めてゆく雲の旅 三面鏡あなたに見せるこちら側 感動が薄れて老いは加速する 小 詩 歌 定型俳句 自由律俳句 川 柳 生かされて生きて仏の手を探る 逆境に堪えて渡った虹の橋 たかが一字されど一字で味を変え 方言で生きて来たから気取れない 写し絵の輪郭線が薄くなる 秋届く母のレシピの走り書き 期待などしていないから忘れてる 夢は夢はじけて終るしゃぼん玉 華やかな舞台の裏でしぼむ花 気持ちだけ先に行ってる老いの足 終活を秋の日暮れが追い立てる 市民文芸賞 歯ブラシの五本並んでふたりきり 五 人 家 族 の う ち の 三 人 の 子 ど も 達 は す で に 巣 立 っ て し ま い、 再 び 夫 婦 二 人 の 生 活 に 戻 っ て き た が、 子 ど も 達 が 帰 っ て き た 時 に は い つ で も 歓 迎 で き る よ う に と、 五 本 の 歯 ブ ラ シ が 並 ん で 待 っている。 尻餅で終えたジャンプの砂の味 会 心 の ジ ャ ン プ で 新 記 録 か と 思 っ た が、 大 事 な 所 で 尻 餅 を つ い て し ま い、 記 録 更 新 が で き な か っ た ば か り か、 入 賞 も で き ず に、砂を噛む思いの苦しい大会になってしまった。 日だまりへ笑い袋がはち切れる 寒 い 冬 に 風 避 け の あ る 日 だ ま り に 人 々 が 寄 っ て く る と、 次 第 に話が弾み出し、笑いがあふれていく。 うなぎやの団扇の風もやせる夏 今 年 の う な ぎ は 稚 魚 が 取 れ ず あ っ と い う 間 に 値 が 高 騰 し、 う なぎやでも値上げで対応した所が多く庶民から遠退いていった。 短 265 浜松市芸術祭 ﹃浜松市民文芸﹄ 第 集作品募集要項 市民の文芸活動の向上と普及を図るため、創作された文芸作品 (未発表) を募集して、 「浜松市民文芸」 第 集を編集・発行します。 行 旨 発 趣 二 集 枚数等(一人) 部 首以内 枚以内 (一編) 句以内 自由律俳句 門 枚数等(一人) 編 門 児童文学 行以内(一編) 枚以内(一編) 枚以内(一編) 短歌 随筆 三 部 小説(戯曲を含む) 詩(漢詩を除く) 評論 句以内 句以内 原稿用紙はB4判四〇〇字詰め、縦書き) を使用してください。 定型俳句 川柳 ※ ワープロ・パソコン原稿 (二〇字×二〇行・縦書き)A4判でも結構です。 選者の氏名は、平成二十五年七月配布(予定)の「浜松市民文芸」第 集の作品募集要項に記載します。 平成二十五年九月一日(日)から十一月二十日(水)まで。 (必着) ※ 枚以内(一編) 四 選 7 30 5 50 25 50 5 5 59 五 六 募集期間 者 七 5 浜松市内に在住・在勤・在学されている人(ただし、中学生以下は除く) 応募資格 募集部門及び応募原稿 一 59 浜松市 公益財団法人浜松市文化振興財団 浜松文芸館 59 266 彰 表 応募上の注意 発 表 ① 応募作品は、本人の創作で未発表のものに限ります。他のコンクール及び同人誌・結社等へ投稿した 作品は応募できません。 応募原稿の書き方については、募集要項の「応募原稿の書き方」をご覧ください。 浜松文芸館ホームページからも印刷できます。 応募時に、選考結果通知のための返信用の定形封筒に自分の住所・氏名を書き、 作品に添えて出してください。 円切手を貼って、 ② 部門ごとに、規定の応募票(コピー可)を必ず添付してください。応募票付き募集要項は、浜松文芸館、 浜松市文化振興財団、市役所6階文化政策課、市内の公民館・図書館等の公共施設で入手できます。 ③ ④ 作品掲載にあたって、清書原稿を活字にします。文字遣い・句読点・ルビ・符号など表記に関わる ことについては、 「浜松市民文芸」として一部統一させていただくことがあります。 市民文芸賞及び入選の作品は、平成二十六年三月発行予定の第 集に掲載いたします。 選考結果は、応募時に提出された返信用封筒で平成二十六年二月初旬までにお知らせします。 ⑨ 応募原稿は、返却いたしません。 (必要な方は事前にコピーをおとり願います) ⑧ 右記の規定や注意に反する作品・判読しにくい作品は、失格になることがあります。 ⑦ ⑥ 応募原稿は必ず清書したものを提出してください。 ⑤ 難読の語、特殊な語、地名・人名などの固有名詞、歴史的な事柄などにはふりがなを付けてください。 80 購入される場合は、一部五〇〇円です。 〒四三二ー八〇一四 浜松市中区鹿谷町一一ー二 ☎〇五三ー四七一ー五二一一 市民文芸賞及び入選の方には、 「浜松市民文芸」第 集を一部贈呈いたします。 市民文芸賞の方には、平成二十六年三月の表彰式で賞状と記念品を贈ります。 59 八 九 十 十一そ の 他 〈提出及びお問い合わせ先〉 浜 松 文 芸 館 267 59 部 題名 キリトリ線 年齢 歳 男 ・ 女 門 話 番 号 枚 原稿枚数(ページ数) (平成 25 年 11 月 20 日現在) 電 (市外在住の方は必ず記入を)勤務先または通学先 称 受付番号 所在地 名 小説・児童文学・評論・随筆・詩を投稿される方は記入してください 題名は、原稿用紙1枚目の右欄外にも、同じように記入してください 「浜松市民文芸」第59 集応募票(短歌・定型俳句の場合は、部門欄の《旧かな・新かな》のいずれかに◎を) 小 説・児 童 文 学・評 論・随 筆・詩・ ・ 短 歌・定 型 俳 句《 旧 か な・新 か な 》 自 由 律 俳 句・川 柳 〒 受付月日 ( 部 門 に1 箇 所○ を お 付 けください ) 名 ふりがな 氏 ふりがな 発表名 所 ペンネーム 住 文芸館使用欄 平成 25 年 浜松文芸館の催事と講座 (内容等については一部変更されることがありますので、浜松文芸館にご確認ください) ●講 座 講座名 現代詩入門講座 文学講座 〈春〉 講師 開催時 受講料円 埋 田 昇 二 4/13,27,5/11,25,6/8(全5回) 10:00 〜 12:00 2500 4/21,5/19,6/16,7/21 ( 全 4 回) たかはたけいこ 2000 ① 13:00 〜 14:30 ② 15:00 〜 16:30 今 田 久 帆 4/28,5/26,6/23,7/28,8/25 (全 5 回) 9:30 〜 11:30 2500 3000 松 平 和 久 5/8,15,22,29,6/5,12(全 6 回) 9:30 〜 11:30 宮沢賢治童話を楽しむ講座 声であらわす文学作品 俳句入門講座(前期) 夏休み絵本づくり講座 村上節子 堤腰和余 九鬼あきゑ 井口恭子 うら打ち入門講座 近 藤 敏 夫 ① 8/3,4 文章教室 Ⅰ 川柳入門講座 (テキスト代788別途) 5/10,17,24(全 3 回) 10:00 〜 12:00 6/6,7/4,8/1,9/5,10/3,11/7(全 6 回)13:30 〜 15:30 6/15,22,29,7/6,13 (全5回) 9:30 〜 11:30 7/27 13:30 〜 16:00 ② 8/31,9/1 1500 3000 2500 500 各 1000 13:00 〜 16:00 (材料費込) 10 歳 か ら の 少 年 10:00 〜 11:30 500 少女俳句入門講座 九鬼あきゑ 8/6,8,9(全 3 回) 夏休み額縁を作ろう講座 書繒堂㈱他 8/7 13:00 〜 16:00 500 8/18,9/15,10/20,11/17 ( 全 4 回) 文章教室 Ⅱ 2000 たかはたけいこ ① 13:00 〜 14:30 ② 15:00 〜 16:30 大 人 の た め の 絵 井 口 恭 子 9/3,10,10/1,29,11/12,26 3000 (全 6 回) 10:00 〜 12:00 材料費別途 本づくり講座 3000 文学講座 〈秋〉 松 平 和 久 9/6,13,20,27,10/4,11(全 6 回) 9:30 〜 11:30 (テキスト代788別途) 文学と歴史講座 折 金 紀 男 9/8,15,22,29,10/6(全 5 回) 9:30 〜 11:30 2500 短歌入門講座 野 島 光 世 9/11,18,25,10/2,9(全 5 回) 10:00 〜 12:00 2500 俳句入門講座(後期) 鈴 木 裕 之 10/12,19,26,11/2,9(全 5 回) 9:30 〜 11:30 2500 自由律俳句入門講座 鶴 田 育 久 10/16,23,30(全 3 回) 9:30 〜 11:30 1500 切り絵教室 上 嶋 裕 志 11/16,23,30,12/7,14(全 5 回) 13:30 〜 15:30 2500 ① 11/14 事前講義 10:00 〜 11:30 セットで 文学散歩 和久田雅之 4000 ② 11/21 実地めぐり 9:00 〜 16:30 文章教室 ●収蔵展 Ⅲ たかはたけいこ 12/15,1/19,2/16,3/16 (全 4 回)① 13:00 〜 14:30 ② 15:00 〜 16:30 2000 企画展 収蔵展「浜松とかかわり深い文人たちⅠ」同時開催:災害と文学 3 月 9 日㈯~ 5 月 19 日㈰ 企画展「小説家 渥美饒児の三島由紀夫コレクション」 6 月 1 日㈯~ 9 月 1 日㈰ 収蔵展「浜松とかかわり深い文人たちⅡ」 9 月 14 日㈯〜 11 月 24 日㈰ 企画展「熊谷光夫のアートワーク~著作と版画~」 12 月 7 日㈯~ 3 月 2 日㈰ ●講演会 「自分史を書こう」 ●文芸館朗読会 「平岩弓枝を読む」 たかはたけいこ 6 月 30 日㈰ 13:30 ~ 15:30 300 円 堤 腰 和 余 10 月 27 日㈰ 14:00 〜 15:00 500 円 編 集 後 記 三 寒 四 温 を 繰 り 返 す こ の 時 季、 今 年 も 多 く の 方 々 の 熱 意 に支えられ、「浜松市民文芸」第五十八集が発刊の運びに至 りましたことをまずもってお礼申し上げます。 第五十八集に投稿いただいた作品総数は、二、五三〇点、 投 稿 者 数 は 延 べ 五 九 七 人 で し た。 全 体 的 に は、 投 稿 者 数・ 作 品 数 と も に 昨 年 を 若 干 下 回 る 数 字 で し た が、 長 年 投 稿 を 続けて下さっている方も数多く見られ、うれしく思います。 ま た、 前 々 号 か ら イ ン タ ー ネ ッ ト で 要 項 や 応 募 票 を 取 り 出 せ る よ う に し た り し て、 幅 広 い 年 齢 層 か ら の 応 募 拡 大 を 工 夫 し て 参 り ま し た が、 若 い 年 齢 層 を 中 心 に、 徐 々 に 活 用 が 図 ら れ て き て い る よ う に 感 じ ま す。 更 に、 今 年 度 は 二 俣 高 校 文 芸 部 の 皆 さ ん が こ ぞ っ て 投 稿 し て く れ た こ と も、 今 後 の 浜 松 文 芸 に と っ て 明 る い 展 望 が 予 感 さ れ、 心 強 く 感 じ ま した。 さ て、 一 昨 年 の 大 き な 天 災 地 変 を 経 た か ら で し ょ う か、 今 年 度 号 の 特 徴 は、 作 中 の 人 物 も し く は 直 接 的 に 筆 者 自 身 の 生 き 方 を 綴 る 作 業 を 通 し て、 生 命 へ の 畏 敬 に 繋 が る 作 品 が 多 か っ た よ う に 思 い ま す。 殊 に、 随 筆 部 門 に 四 点 も の 戦 争 体 験 記 が 寄 せ ら れ た こ と は 特 筆 に 値 し ま す。 文 章 を 通 し て、 戦 争 災 害 を 風 化 さ せ ま い と す る 筆 者 の 強 い 思 い が 伝 わ ってきました。「浜松市民文芸には市民の生活史を後世に伝 え る 使 命 が あ る 」 と い う 選 者 の 先 生 の 言 葉 に、 改 め て 本 誌 が担う責任の重さを痛感しました。 そもそも文学活動とは、自分なりの表現方法を以て、今自 分 が 生 き て い る 証 を そ の 時 々 に 文 字 に 刻 み つ け、 そ れ を 後 世 に 残 す 営 み だ と 考 え ま す。 そ し て ま た 文 学 に は、 そ れ ら を風化させずに残し続ける力があると信じています。 今 後 と も こ の「 浜 松 市 民 文 芸 」 が、 市 民 の 皆 様 の、 生 き ている証を刻み続ける場として活用されることを願ってお ります。 第 集 最後に、「浜松市民文芸」の発行にあたりまして、投稿者・ 選 者・ 関 係 機 関 の 皆 様 方 の 御 理 解、 御 協 力 に 厚 く お 礼 申 し 上げます。 浜松文芸館 館長 増渕邦夫 浜 松 市 民 文 芸 印 刷 杉森印刷株式会社 平成二十五年三月九日 発 行 発 行 浜松市 編 集 (公財)浜松市文化振興財団 浜 松 文 芸 館 〒四三二ー八〇一四 浜松市中区鹿谷町一一ー二 ☎〇五三ー四七一ー五二一一 58
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