第 110 回中国セミナー

日中産学官交流機構
第 110 回中国セミナー
日
時: 2016 年 3 月 24 日
講
師: 加藤 青延氏(NHK 解説委員)
テーマ: 「習近平政権のメディア規制」
2012 年秋から翌春にかけて習近平氏が総書記・国家主席に就任後、厳しくなった中国
の報道規制についてご報告したい。
2012 年秋から翌春にかけて習近平氏が総書記・国家主席に就任後、厳しくなった中国の報道規制につ
いてご報告したい。
1. 2016年直近の動き
今年 2 月半ば、習近平主席が中国の代表的な3メディア(人民日報、新華社、中国中央 TV)を視察、その後、
人民大会堂で開催した座談会で「メディアは自分の姓を『党』と名乗るべきであり、党の代弁者として党の望
むことのみ報道せよ」とメディアが党に服従するよう求める講話を行った。これに対してジャーナリストたちは
みな強く反発していると中国から戻った関係者から聞いた。実際、その翌日、南方都市報深圳版は「メデイ
アが姓を『党』と名乗れば、その魂は海に帰る」とも読める見出しを掲載。共産党員で不動産王と言われ、
3700 万人のフォロワーを持つブロガーの任志強氏は、「すべてのメディアにはそれぞれの姓があり、突然、
党だと言われても困る。メディアが人民の利益を代表しなくなったら、人民は見捨てられる」とブログに書き込
み、報道規制を痛烈に批判したが、彼のブログは閉鎖させられた。自ら反対の声をあげなくても、面従腹背
の気持ちを内に秘めた記者は相当数いるものと推測される。習政権の報道規制強化には二つの動機がある
と言われる。①党、経済、軍に続くメディアの完全掌握。習近平に対する権力集中の一環との見方。②既存
メディアを党の代弁者とすることで、ネットで広がる『反権力』的な言論に対抗する意図。インターネットは、党
が、都市・農村の経済格差解消や宣伝ツールとして普及を拡大しきたが、その思惑に反して反政府情報の
温床となりつつあることへの危機感を反映したものとの見方。
2016 年 1 月人民日報は、ミニチャットの「取り締まり工程」を公表。毎日、210 万のブログ、ミニチャットを削
除し、悪質なものはサイトの閉鎖や指導監督、さらには犯罪として処理していると報じた。今年の全人代で習
近平主席は李克強首相の施政方針演説に拍手をせず、演説を終えた後も労いの握手さえしなかった。その
映像が全国に中継される全人代のひな壇の上で、指導者同士が不仲であることを示す行動をとることは極
めて異例で、最高指導部内の亀裂や来年の党大会に向けた権力闘争を予感させるものと内外の注目を集
めた。中国の人々もこうした異常事態をミニチャットに次々に書き込み発信したが、当局によってたちどころ
に削除され、ミニチャットの取り締まり工程が確実に威力を発揮していることを示す結果となった。
2.
中国報道機関の位置づけと過去の規制の大まかな流れ
中国共産党は昔から報道機関を「党の喉と舌」と呼び、その宣伝機関と位置づけてきたが、時代の流れの中
で、規制が緩和される「放」(百花斉放)の状態と規制が強化される「収」の状態の間で振れてきた。毛沢東
時代はメディアの数もさほど多くなく、全てが党管理の新聞で開放されていなかったがそれでも、「放」と「収」
は存在した。鄧小平時代、改革開放政策の下で、当初メディア規制は少し緩和された。実際、1978 年直後
から、NHK は CCTV と、シルクロード・シリーズを合作。胡耀邦元総書記の下では、更に「放」に向かい、
NHK は CCTV との合作で「大地の子」を制作した。胡耀邦氏の失脚でいったん「収」に向かったが、趙紫陽
元総書記が権力を握るとメディアにはかなり寛容な姿勢を示した。しかし 1989 年の天安門事件で趙紫陽氏
が失脚し、後を引き継いだ江沢民政権は一気に言論統制に転じた。だが、1990 年代半ばになると、中国は
香港の返還や、WTO 加盟を強く意識して、報道規制を若干緩和し、広告収入によって経営する報道機関
の商業化を進めた。その結果、大衆ジャーナリズムの代表ともいえる「都市報」が登場。胡錦濤政権下の
2005 年には都市報の発行部数が 40%を超え、広告収入も 75%を占めた。2005~8 年は中国の新聞の黄金
時代で、北京オリンピック・上海万博があり、共産党批判以外は比較的自由・開放的な雰囲気で、メディアは
売るために「他社との違い」を売りにするようになった。新聞スタンドは 2008 年がピークで、中国全土で 4 万
か所にまで増えた。だが、そのころからデジタル携帯電話が急速に普及し、庶民が情報を知る手段として、
紙の新聞から携帯電話やインターネットを利用する方向に一気に転換していった。目を外に転じると、2010
年~2012 年には、インターネットによる SNS 革命、アラブの春が起こり、それが飛び火する形で 2011 年には
北京でもジャスミン革命の動きが発生。インターネットで庶民が自由に反政府的な情報を交換できるようにな
ったのだ。
習近平政権は、まさにそのようなメディア環境が急速に変化する中で誕生した政権で、当初から政府に都合
の悪い情報を隠すための言論統制を考えざるを得なかった。2013 年 3 月、国家主席就任と同時に、まず政
府の省庁統合を行い、新聞、ラジオ・映画・テレビを国家新聞出版ラジオテレビ総局によって一括管理する
体制を形成した。そして、同局は、外国のメディアやニュース、海外の TV 番組を事前認可制に規制。さらに、
メディアのミニブログ開設は、監督組織下に置き、特定の人に情報を管理、責任を持たせた。2013 年 4 月 22
日、中共中央弁公室9号文件で、西側の憲政民主の喧伝、普遍的価値の喧伝、市民社会の喧伝などイデ
オロギーの「7大危険」の警戒と根絶を呼びかけた。習近平主席はその実行を迫り、同年 6 月、「マルクス主
義ニュース観の研修」で、党の望む方向に世論を導くシステムを整えるため、中国全土の報道関係者、記者
30 万人に研修を実施、試験に合格しなければ記者証を更新しないと通達。同年 8 月 18 日、「伝統メディアと
新興メディアを融合発展させることに関する指導意見」で、情報発信の一括管理、党による宣伝と情報統制
の徹底、紙からネット媒体への転換を促すことを採択した。スマホの普及で新聞スタンドは 2014 年には 3 万
カ所に減少。新聞関係者は他の媒体への鞍替え、放送関係者はネットとの融合を模索し始めた。人民日報
は TV スタジオを整え、動画配信を強化。国際放送局も多言語ネット配信を強化。2015 年 7 月 1 日、「国家
安全法」が全人代常務委員会で可決・施行、ネット管理の強化方針が明文化された。そして、「ネット安全法」
草案でネット規制と監視の詳細を公布。だが、「上に政策あれば、下に対策あり」の中国では、新しいメディ
アとその規制はイタチごっこで、規制に強く反発し政府を批判する情報が、今もあちらこちらで噴出している
のが実情だ。