5 2 昭和 5 2 . 5 第2 2号 ダクタイル鋳鉄管 1 1 1 1 1川川 1 1 随 筆 1 川 1 川 川 1 川 1 川 1 1 川 1 川 川 1 川 川 1 川 l 川 l 川 川 1 川 川 1 川 川 1 川 1 川 1 川 1 川 1 川 川 1 川 川 1 川 1 川 1 川 川 1 川 1 川 川 l 川 1 川 川 1 川 1 川 川 1 川 1 川 1 川 川 1 川 川 l 川 1 川 川 1 川 1 川 川 1 川 川 1 川 川 1 川 1 川 l 川 川 1 山 川 1 川 1 川 川 川 │ 1 川 川 君主ょうの あす 石巻市水道部長 保 原 亮 わが石巻市の上水道の水源は北上川に求め 一安く、水量にも心配せずに無限に飲めるの 1 2万 市 民 に 清 浄 で 豊 富 な 生 活 用 水 を 供 給 し て もこうした先人の苦労があったからであり、 いる。 いつでも飲めるこの喜び、本当にありがたい こ の 北 上 川 は 、 元 和 9年 か ら 寛 永 3年 に か ことである。 けて北上川下流付け替え工事として伊達政宗 石巻市民は、この偉業を果たした川村孫兵 の命を受けた普請奉行川村孫兵衛重音翁が自 衛重吾翁を偲び、永遠に市民が忘れることな らばく大な借財を背負って藩財政の窮乏を補 くその偉業を讃えるため、重吉神社を建立し い、人夫と寝食をともにし、苦楽をともにし 市巴っており、毎年 8月 上 2の 両 日 北 上 川 の 改 ながら完成させたという大事業である。 1聞きまつ 修による石巻港の開港を記念して勺 1 石 巻 市 が 、 河 口 港 を も っ て 昨 年 が 350周 年 り"を盛大に行い川村翁に感謝し、石巻市の J 1 1村 翁 を は じ め こ の 大 事 業 を 完 成 さ 発展が北上川とともに歩んできたことを祝う を迎え、 せた先人の労苦を偲び、これに感謝するため の各種の行事が盛大に挙行されたのである。 のである。 近年各地で水不足が深刻となり、水源確保 今から思えばこの大きな川が、当時どのよ に多額の費用を投じ水道料金の大幅値上げな うな技術や道具を使用して完成させたのであ どが実施されている例を聞くたびに、わが石 ろうか、現代では想像のできない多くの苦労 巻 市 だ け は 水 源 確 保 の 苦 労 が な く 周 辺 2町 に があったろうと思われるのである。まさに大 分水する余裕を持っており、 1 2万 市 民 の 水 は 勢の労力が使役したのであろう。本当に川村 長期に亘り安定的に確保されていることは、 翁の偉業は私たちにとって頭の下がる思いで 水は生活に欠くことのできない一番大切なも ある。 のであるだけに、伺よりも幸わせであること この時、この大事業が行われていなかった ら、石巻市の発展の姿が果して今日のような を誇りと思っている。 この豊富な水源北上川により、わが町の水 ものであっただろうか。とりわけ上水道の水 3 道 は 昭 和 8年 に 創 設 さ れ 、 当 初 1日 6, 640m 源はどこに求めていたのだろうか。いまこそ 250m3 の 給 水 能 力 を 有 し 、 実 際 の 給 水 量 は 2, 水需要の増大で水資源の確保が国家的にも重 であったが、その後水需要は次第に増加し、 要施策となり、ダムの建設、果ては広域水道 2 6年 度 に は 第 1次 拡 張 事 業 に 着 手 し 、 以 来 に取組んでいるが、当時はこのようなこと 今 日 ま で 5次 に わ た る 拡 張 事 業 を 実 施 し 、 もなく、国が考える水の問題といえば農業水 そ の 間 1年たりと拡張工事を休んでいない。 利が中心で、あったようである。 水需要は産業の発達と生活水準の向上、さら 私たち現代に生きる市民は、この偉大な事 業を完成させた川村翁を忘れることはできな い。なんの不自由もなく飲んでいる水が県内 には核家族化の進行によって急激な伸びを示 したのである。 特 に 第 5次 拡 張 事 業 は 、 48年 度 か ら 6 ヵ 随筆 1 川 川 川 川 H 川 川 H 川 川 1 川 川 1 川 川 1 川 H 川 山 H 川 山 H 山 1 1 1 川 川 1 川 1 川 川 1 川 川 H 川 川 川 H 川 川 H 川 川 川 川 l 日 川 川 1 1 1 1 1 州1 川 川 1 川 川 川 H 川 川 1 1 川 1 川 1 川 川 H 川 州 1 川 1 川 川 川 H 川 1 1 1 酬 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1川 酬 川 川 川 年 計 画 に よ り 総 額5 7億 3 . 0 0 0万 円 を 投 じ 7万 5 3 川 酬 l 川川川 H 川 川 1 口 削 川 州 1 川 1 川 川 H 川 川 1 1 1 川 H 川 川 1 1 川 1 川 川 1 川 1 1 川 川 1 川 川 州 H 川 1 1 川 1 川 H 川 1 川 川 1 川 川 l 日 川 1 川 川 1 川 川 川 川 1 川 川 1 1 1 川 川 1 川 1 H 山 附 川 1 1 川 1 川 H 川 川 1 1 1 川 川 1 1川 H 川 川 川 川 川 H 川 川 1 1 1 川 1 l “ 川 1 川 川 H 川 1 Essαylllllllllllllll いつも料金改定の際に出ることは、公共料 1, 000mの施設能力にしようとするものであり、 金としての水道料をあげるのはけしからん、 石巻市にとっては大きな事業である。 市民にだけその不足を転嫁するのは納得でき 3 ところが最近の水需要は全国的な傾向とは ないと、もっともらしい理くつを並べ反対す いえ経済の低成長への移行とともに鈍化しは る、そのような人は果してその財源をどこに じめ、計画水量と実績との差は次第に広がり 求めよというのだろうか、彼らは異口同音に 0 0カ イ リ 問 題 は 水 産 つつあり、これに加えて 2 いうことは国の援助、一般会計が負担せよと 都市石巻市にとっては重大であり、水道経営 いうのである。国の金も一般会計の金もそれ におよぼす影響も大きく、今後における水需 はみんな住民の負担であることを忘れてはな 要の予測さえも困難となっており、収益が鈍 らないのである。 化するなどこれからの経営はむつかしい情勢 水道料金をと水代ミと思い、と公共料金ミと となってきている。反面費用は、動力費・薬 考えているところに大きな問題があるのでは 品費などを中心に著しい増加が見られ、水道 なかろうかと思う。水道料金は、もちろん安 財政は相次ぐ拡張事業費に充てた企業債の償 いにこしたことはないことは私も同感である。 還金も加わり、非常にきびしいものとなって いる。 しかし水道料とは、清浄な水を安定的に供 給するための施設に対する施設利用料であり、 しかし、市民の中にはと水ミはと空気ミと その受益者が負担することは電気・ガス、さ 同じく人間が生きるためには欠くことのでき らには国鉄やパスなど交通機関と同じであり、 ないものであるから、国が責任を持つべきで 水道事業は公共事業にあらずして公益事業で あるとか、空気と同様とタダミで飲ませるべ あることを強調したい。 きだと考えている人がいる。 国の責任という考えについては一応理解で きるにしても、空気と同じようにとタダミと したがって、そのおかれている都市の実態 や水利条件によって施設の内容も規模も異な ることもまた当然である。 いう考えについては遺憾ながら賛成できない 水道料はなにと比較して高いというのだろう のである。そのような人は空気は本当にとタ か、どの物価に比較しでも決して高くないは タミと考えているのだろうか、よく考えてほ ずである。原水そのものはたタダとでも、取 しい。空気だって大気汚染など、その防止対 水施設や安心して飲める水にする施設には大 策に国も公共団体も企業も多額の費用を欠け きな費用のかかることを理解してほしいので ていることを・ヘ空気料としては取っていな ある。 いが、これらの費用は税金で賄われたり、企 上水道が普及してなに不自由なくふんだん 業の生産コストに含められ間接的とはいえ空 に使い、水に恵まれているところに住む人こ 気を吸うためにもわれわれ国民が金を払うの である。 11か ら 汲 む こ と も で き る し 、 地 水 は 自 分 で) 下水を利用することもできるが、それはごく 限られたものであり、これとて果してそのま ま飲めるというのは少ないであろう、安心し て飲むためにはやはり浄水しなければならな い、消毒も必要である、そのためには多くの 費用がかかるのである。 5 4 昭和 5 2 . 5 第2 2号 ダクタイル鋳鉄管 川1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 随 筆 l 川 川 1 川 川 1 川 1 川 川 1 l 川 川 1 川 1 川 川 1 川 1 川 1 川 川 1 川 川 1 川 川 1 川 1 川 1 川 1 川 川 1 川 川 1 川 1 川 1 川 川 1 川 l 川 川 1 川 川 1 川 1 川 川 1 川 川 1 川 川 1 川 1 川 1 川 川 1 川 1 川 川 1 山 川 1 川 l 川 1 川 川 1 川 1 川 1 川 1 川 川 1 川 1 川 川 1 1川 そ水のありがたさがうすく、水道料は高いと てはならないのである。 いう。反面上水道の未給水区域や水の出の悪 とにかく長期にわたり安定的にと水とを供 いところに住む人は水道料の値上げにあまり 給するためには、安くも高くもない、また自 文句をいわない、高くともよいから水を豊富 分の負担すべきものは他人に迷惑をかけない にほしいという、恵まれている人は水に恵ま という、ごくあたり前の受益者負担の原則に れていない人の心情をもっと理解してほしい したがって適正料金を市民が負担することこ と思うのである。 そが市民が求めている他に誇り得る安定した 350年 前 に こ の 母 な る ) 1ド 北 上 川 と を 開 さ く した川村翁、そしてその下にあって多くの労 力とばく大な費用を投じられていたからこそ 現代に生きるわれわれが安心して文化的な生 活がなに不自由なく営まれていることを忘れ 昭 和 18年 の 幕 、 陸 軍 予 備 士 官 学 校 を 卒 業 し 水道事業となる条件と思うのである。 そして、 きょうの水あすも 安心して豊富に 飲むために に入りがたく、それからの毎日はじん麻疹と て、ただちに南方派遣軍へ転属を命ぜられ、 の戦いで、あった。なにを食べても発疹し、しま 中スマトラの油田地帯で軍務に服していた頃 いには水を飲んでも出る始末であった。よう のことである。 やく半年目にカルシウム注射液を見つけ、じ 1 1が 流 れ 、 と ジ ャ ン グ ル の 中 に は 無 数 の 小) ん麻疹とお別れすることができた。 ころどころに小沼があって、まさに川魚の宝 0年 目 に 突 知 復員後市に奉職し、それから1 庫という感じがあった。私たちは休日のたび としてお別れしたはずのじん麻疹に再会する にエピや小魚などの川魚を取るのが楽しみで、 ことになった。それは、ある寒い日の午後の バケツ一杯の獲物を隊に持ち帰り、煮え立っ 会議の席においてであった。突然クチピルの ている榔子油の大鍋でから揚げにし、これを 内側がしびれたようになってふくれてきた。 肴に地酒を酌み交す宵のひとときはとても無 気にしてこすると固くなる、消えてはまた現 柳を慰められたものである。 われる。自をこすると自のふちがはれて開け ところがある夜、ノドの渇きを覚え目ざめ ておれなくなる。我慢できなくなって、薬屋 たところ、内股に大小の発疹が出てとてもか さんに走り即効薬を手に入れる。それからは ゆく寝ボケ眼でひっかくうちに発疹の境界線 いつも携帯して症状が現われると飲用する、 がみるみる拡がってくっつきあい、赤くはれ 飲むと消える。忙しい毎日だったので、医師 あがってしまった。じん麻疹らしい。消えて に相談することもなく、売薬で、小康を保って はつぎつぎに新しい発疹が出てきて朝まで いたが、段々と症状がひどくなってゆき、つ 眠れなかった。現地ではこの種の治療薬は手 いには皮フのやわらかいところばかりを臼が
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