アメワカ観察「髄懇」記

昭和 5
1
.1
0 第2
1号
ダクタイル鋳鉄管
7
4
1
1
1
1
川
1
川
川
1
川
1
川
1
川
川
H
川
川
1
1
川
1
川
1
1
1
川
1随
筆
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1~ 1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
I
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
水道企業の能率的な経営を図るためにも、そ
りよい水道事業が発展するのではないかと思
の経費は水道企業の経営に伴う収入をもって
っている。
充てていかなけれ'ばならない。そのためには
ちなみに思うことは、まず水を大切に使い、
水道企業は自らのまかないでやっていくこと
きれいに排水するという意識が市民に定着す
であり、かかった経費については市民に供給
ることが必要で、あるために、従来からいわれ
した反対給付である水道料金によってまかな
てきた「水は豊富で低廉な資源から、今では
うことである。一方、企業の負担とされてい
水は高価で、貴重な資源へ J と 変 化 し て い る と
るものについては経営の合理化、料金の適正
いっても過言ではないかと思っている。
化の措置によって水道企業として前進し、よ
アメワカ観察「髄懇」記
(株)三水コンサルタント代表取締役
武島繁雄
以 前 、 ヨ ー ロ ッ パ を 2回 ば か り 視 察 し た 私
したのである口
にとって、今回のアメリカ訪問では予想、と違
アメリカ既訪組の諸氏からは、いろいろとア
ってJ1タトだと思う妻女多くのイ本車食をした。 もっ
メリカ訪問中の注意事項は山ほど聞いてはいた
とも、訪問先はシアトル、ポートランド、サ
が、私自身の体験からすると、それらはすべ
ンフランシスコ、ロスアンゼルスの主として
て的はずれであり、虚構の忠告としか受けと
西海岸の主要都市のみであったけれど
れなかった。
o
ア メ リ カ の C H2M 、フやラウンコールドとい
う一流の上下水道主体のコンサルタントとデ
イスカッションを続けながら、あるいは施設
見学を続けながらの旅であった。
南 タ ホ 湖 の 3次 処 理 、 ウ ィ ロ ー レ ー ク 処 遅
冒頭に、今回の視察での失敗を私は挙げざ
るを f
尋ない。
年 の 第 l回 訪
それは、カメラである。 1968
欧 の 時 は 、 他 か ら 8 ミリを借りて行ったが、
ズームのないまことに簡単なものであっただけ
場のバイオグロ法、酸素ばっ気、ハイピリオ
に、素人の私には失敗はなかった。その後、
ン知里場のような大型規模の問題点、シアト
1970年 の 第 2回 目 の 訪 欧 の 時 は 、 ち ょ っ と 欲
ル市内の Catad Systemに よ る 流 量 、 ポ ン プ
を 起 し て ズ ー ム っ き の 8ミ リ を わ ざ わ ざ 購 入
ゲートなどのコンピューター制御システムな
して持って行ったが、そこは素人の悲しさ、
どが主要な視察のポイントであった口
いざ映写の時には、随所にピンボケだらけで
現在でも持ち続けている外人コンプレック
大恥をかいた経験がある。
ス 、 特 に ア メ リ カ は 第 2次 大 戦 に お け る 戦 勝
さてこのたびの訪米、 8ミリはいささか自信
国であり、しかも私にとってははじめてであ
が な い の で 普 通 の カ メ ラ 1本 に し ぼ っ た 着 想
り、何か圧迫されそうな気分での視察であっ
まではよかった。いろいろ施設を写すので自分
たが、あにはからんや、改めてアメリカとい
のカメラは広角レンズがないが、ここはひと
う園、アメリカ人の持っている偉大さに当面
つ会社の広角付きを使用して、施設の詳細を
随筆
75
1
川
1
川
川
1
川
1
川
1
川
川
1
川
i
川
l
川
l
i
川
1
川
1
川
川
1
川
1
川
川
1
川
川
1
川
1
1
川
川
山
1
肌
I
川
1
山
川
川
!
l
日
I
山
川
1
川
川
川
1
1
川
川
1
川
1
川
川
1
川
1
川
1
川
川
1
川
1
川
川
1
川
川
1
川
川
1
川
1
川
1
川
川
1
川
1
仰
1
川
1
川
1
川
川
1
川
1
州
1
川
川
1
川
1
川
1
川
川
1
川
川
1
川
1
川
1
川
川
1
川
川
1
川
川
州
1
川
1
川
1
川
1
1
川
川
1
川
1
川
1
川
1
川
1
川
川
1
川
川
1
川
1
川
1
川
1
川
川
1
川
附
l
日
1
川
川
1
川
1
川
川
山
1
川
l
川
1
川
川
1
川
川
1
川
1
川
川
1
川
山
川
l
川
山
1
山
川
I
i
川
山
川
i
I
川
1
川
川
1
川
山
1
川
1
川
川
1
川
1
川
1
川
1
川
1
川
川
1
川
1
川
l
川
1
川
1
川
l
“
川
川
1
川
1
川
川
1
川
1
川
川
1
川
1
川
1
川
1
川
1
川
川
1
川
1
川
1
川
川
1
川
川
1
川
1
川
川
1
山
1
川
川
1
川
1
川
川
1
川
1
川
1
川
川
1
川
川
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
川
1
川
1
川
川
l
川
1
川
山
1
川
川
1
1
川
川
1
川
1
川
1
川
1
川
1
川
1
川
1
1
川
川
1
川
川
1
川
1
1
川
川
1
1
川
1
川
川
1
川
1
1
川
川
1
川
川
1
川
1
川
川
1
1
Ess
抑α
YI
川
1
川
川
1
川
1
川
川
1
川
1
川
川
1
山
山
1
川
川
1
川
1
川
川
1
川
川
1
川
l
1
記念しようと考えたのがそもそもの誤りであ
間はきちんと厳守し、かえって私たちの方が
ったのか、出発前にいろいろレクチュヤを受けな
ややもすると遅れがちで、そのたびに恥のかき
がら、結果的にはオートの固定がズレている
通しであった。それと、勤勉である口
のに気がつかず、大半が露出不足であわれな
結果を再び招いたのである。
2度 あ る こ と は 3度 と よ く い わ れ る が 、 こ
第三は、日本のようにブープーと車の響笛
を聞かないことである。これは本当に不思議
であり、「なぜ、か」と質問すると、決って「そ
とカメラに関しては、私は絶対についていな
の必要がない」というだけである口アメリカ
しミロ
駐在の日本人の説明によると、各人が子供の
今度も、他の方がそれぞれ大切なものは写し
頃からきちんとした交通道徳を身につけてい
していたので助かったが、何か今ではカメラ恐
るので、その必要がないんピゃないかという。
怖症となって、昨日なんか家で家族の者を写
まったくうらやましい限りである。
すにも、自分でカメラは手にかけないまで進
行しているのである。外国にはそうざらに行
そして、私たちの旅行を本当に心配して、
かならず
γ楽 し か っ た か 」 と 聞 い か け る と と
けるものではない。自分の不甲斐なさが今で
もに、別れる時もまた、「快適なアメリカ旅行
も腹立たしくなってくるのである。
を祈っている」という挨拶が送られる。この
今回は、ケチケチ旅行ではなかったが、ほ
点は、日本人が外国人を大切にすることの点と
とんどが車をレンタしての旅を続けた。それ
共通しているかも知れないが、旅の疲れを癒
と、職業上の欲とでもいおうか、施設見学に
してくれるすがすがしい清涼剤の一服だった。
は先方様が迷惑がるぐらい時間をかけ質問を
出発前に誰もが注意してくれたことは、ア
浴せた。南タホ湖見学は、独立記念祭の休日
メリカのピフテキは大味で日本が一番うまい
にもかかわらず押しかけた。
ぜということであった。しかし、少くとも私
みるもの、聞くものひとつとして無駄のな
の食べた限りでは決してそんなことはなかっ
いよう気を配ったが、カメラは前述の通りだ
た。柔らかく、適度な量で、、それからという
が、それでもノートの活用は役にたった。気
ものはピフテキはどこの屈でも胸をヲ長って i
主
のついたーコマず、つ例記してみたいと思う。
文し続けたが、今でももう一度ぜひ食べたい
そのひとつは、日本商品のアメリカ進出で
ある。セイコ一、ニコン、キャノン、ソニー
とまで思っている。
こんな一面も体験して驚いた。ポートラン
はもちろんのこと、車でもトヨ夕、ニッサン、
ド 市 内 に あ る プ ッ シ ュ ガ ー デ ン で の CHzM社
ホンダなど多く自につく。インターナショナ
へのサンキューパーティーの時である口すき
ルを買いたいとデパートの時計売り場に飛び
焼きパーティーがいいということで注文する
こんでみても、なんと目につくのはセイコー
と、大きな鍋の中にあらかりめ野菜が山盛り
ずらり。この調子だと、今に日本商品はアメ
その上に真赤な肉がこれまた山盛りにのって
リカ市場を制圧するんピゃないかと思うくら
いる。もちろん昧つけもである。そこで、い
いで、ある口
きなり炊くのだから、日本人の感覚としては
次は、アメリカ国民の時間厳守である。今
野菜と肉のごた煮である。そこで、なぜ日本
が今まで私は、日本人こそと時は金なりとと
のすき焼きのように、先に肉をいためて味つ
いう格言をかかげで、世界一時間を厳守する
け、それから徐々に野菜を入れないのかと聞
国民だと思っていた。ところが今回の訪問で
いてみると、「いや先に肉をいためると煙りが
は、アメリカ人の時間厳守にはまったく頭の
出るので、これは大気汚染だ。だから煙りが
下り通しであった。どの会合でも、約束の時
出ないようにこんな方法で料理するのさ」と
7
6
昭和 5
1
.1
0 第2
1号
ダクタイル鋳鉄管
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1随
筆
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
いうことである。案外、繊細な神経も持って
はプリエアレーションと一次知立里の複合のみ
いる。
であるが、ここで驚いたことは、処理水の放
さて、本来の施設見学での随想、であるが、
流渠の上に番線を張っている。これは鴎が水
まず感心したことは、南タホ湖の場合でも三
面におりるのを防止するためだそうで、まさ
次処理を行っているので、放流水は湖に放出
に鴎公害といったところ。ここで目立ったこ
しているのかと思っていたとごろ、周辺一切
とは、外観にすばらしく気を使っていること
の汚水は史民里後全部ポンプで他に流している
である。もちろん、処理施設は建物の中に包
ということである。このスケールの大きさに
含されているが、ただ日本と異るところは防
は驚いた口日本の場合では、立地からみて、
臭対策の考えは全然施していなく、周辺は外
このような構想は無理なところが多いと思う
観と調和よくオープンシステムを採っており、
けれど、処理水の再利用のところで農業利水
いわば処理場らしからぬ調和のみといったと
工業用水に利用するならば、別の専用水系を
ころである。消化槽でも、専門家がみるとす
設けること、これはあながち夢のまた夢では
ぐわかるが、一般の人では何だろうと首をか
なかろうと私は考える。
しげるほどデザインに細工が加えられている口
ウイローレーク定証里場におけるバイオグロ
日本人は、常に他人のことを気にする性格
法といって、消化槽汚染をタンク車(特製)に
が強いといわれている。同時に、常に他人と
積みこんで、周辺の農地に撒布する方法、こ
自分とを比較して自己満足することも特徴で
れもアメリカならではの特殊性からうなづけ
ある。一例を挙げると、自分の家を造ろうと
R
克設のイ也人のマイホームをくまなく
るが、ただ考えたいことは、下水汚泥の大地
すると、
還元、そのひとつには農地還元も考えられる
みて廻る。そして、結局どうするかといえば
が、積極的に経済的工法を検討して、一方、
イ也人のよいところを口及4
又するのはよいとして
受け入れる側としても理解し協力してくれる
も、周囲の住家とまったくそぐわない、悪く
体制づくりは今後ぜひ必要でないかと思う。
いえば、環境破壊の己のみを主体としたまっ
アメリカにおけるコンサルタントの信頼度
たく形の変った形の色の家を造って自己満足
は非常に高い。例えば、ひとつのプラントの
している。その証拠に、新設団地に行って見
設計が発注されたとする。この設計には、長
給え。どの家ひとつとってみても、すべて色
期間のテストプラントによるスタデイが必要
や形が変っている。まったく道楽建築の集合
であるとすると、それはかならずコンサルタ
といっても過言でなく、他人を気にする余り
ントに要求される。もちろん、テストプラン
もの笑いの住宅地を自分たちが造っている。ピ
トのイニシアル、ランニングの費用一切含め
ル街だってその通り。どうして、せめて
2階
てである。したがって、コンサルタント側と
の高さぐらい揃えられないのか。外観の装飾
しても、社員については必要なライセンス耳又
だって統ーできないのか。
得と合せて、非常に高度なテクニシャンが要
この点、アメリカ視察の中では、あれほど
求されるのである。これは、残念ながら日本
個人主義だといわれているアメリカ人の都市
の現状とは非常にかけはなれた感じがする。
計闘とか、住宅地、ハイウェイ、下水道施設
だからこそ、今後は諸外国のコンサルタン
などみていると、どこか日本と違ったほほえ
トと大いに持てる技術を交流し、ハイクラス
ましいような調和が随所にみられて本当に気
の頭悩の集団とならなければ生きのびる道は
f
寺カfよかった。
ないと思う。
シアトルのウエストポイント処理場、ここ
しかし、大国アメリカにしても、各自治体
ともに、不景気による金づまりの危機はひし
7
7
随筆
“
1
日
川
1
川
川
1
川
川
1
川
川
1
川
川
H
川
1
口
川
1
川
川
H
川
H
1
1
1
川
川
1
川
川
川
川
H
川
1
1
川
1
川
川
川
H
川
川
1
1
1
川
川
1
1
川
1
川
川
1
川
川
"
川
i
日
川
川
1
川
1
川
1
川
川
川
川
川
1
川
1
川
1
1
川
川
H
川
H
川
川
1
1
1
川
川
1
川
1
川
川
1
川
川
川
川
H
川
川
1
川
川
山
H
川1
川
川
i
日
川
川
1
川
1
川
1
川
川
1
川
川
H
川
川
H
川
1
u
川
1
1
川
1
川
川
1
川
川
川
川
川
川
川
1
川
川
川
川
1
1
川
1
1
川
川
1
川
1
川
川
1
川
川
1
川
川
川
川
川
川
川
1
川
1
川
1
1
川
川
1
川
1
川
1
川
川
1
川
1
川
川
川
川
l
!
I
I
I
I111川 1
1
1
1川
川1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1川 '"川
1
1
1
1川 1
1
1
1
1
1
"
'
"
1
1
Ess
αy1
1
1
1
1
1
1
1
"
"
1
1
ひしと私たちにも感ぜられた。そして異口同
たアメリカの国民性を側面的に私なりに肌に
音に経済的な施設、経済的なメンテナンスと
感じたことと、「調和の中の施設 Jを実践して
の単支いといっている。
いる姿を目の当りに見ることができて、何か
この僅かな 2週 間 ば か り の ア メ リ カ 視 察 で
はあったが、もちろん技術I
的にも孝支えられる
しら私自身大きく成長したような錯覚を持っ
たのは、単なる私なりの誇張であろうか。
ことが多くあった。その他に、予想しなかっ
購と議
高松市水道局長
岡本開三
争安定供給争
国 か ら 集 ま っ て き た 30人 の 同 窓 生 は 、 ヤ ア ヤ
酒を飲むことも、ゴルフをすることも若い
ァといいながら集合場所に集まったが、はじ
者に交ってやっているが、別段体力的にどう
めは誰か分らない者もいて戸惑いながらも、
ということもなく、毎日楽しく過ごしている
話 を す る う ち に 30年 の タ イ ム ト ン ネ ル を 通 り
今日この頃である。
童顔であった昔の顔になるから不思議で、ある口
楽しく過ごしているという意のひとつには、
別々のところに住み、それぞれの道を歩ん
思 い 起 し で も ゾ ッ と す る 昭 和 48年の渇水も、
で 30年 、 役 人 あ り 、 会 社 員 あ り 、 自 家 営 業 あ
翌 昭 和 49年 度 か ら は 吉 野 川 総 合 開 発 計 画 の 香
り、中には土木とまったく畑違いの商売をし
川用水が完成し、香川県水道局からの受水が
ている者ありて¥それぞれの社会て¥それぞ
円満に行われ、創設以来5
5年 の 歴 史 の 中 で は
れの生活を営んでいる者の集りであるが、学
じめて「水」は大丈夫といった状態になった
生生活という共通の話題の中で、戦争中およ
からである。
び戦後の学生生活のあれこれに話の花を咲か
「事実は小説より・・・・・・・・・」という言葉がある
せた。
が、今では経済的理由によりもう少し水が売
まず、戦中・戦後のこととて話は食べもの
れないものかと考えているようなわけで、水
に集中し、「いも J rか ぼ ち ゃ J の 泥 棒 の 話 か
道にとって安定した水が供給できる喜びを、
ら寮の炊事場へ忍びこんだ話に至るまで、す
この 20年 間 高 松 に い て 拡 張 に つ ぐ 拡 張 に 従 事
き腹にかきこんだ雑炊の話、闇市での銀めし
して味わい、かみしめているのである口
のうまかった話、 P
sJl華、メッチェン、恩師の
同窓会争
いいこと悪いこと等々、過去の思い出話は尽
卒業して 30年 に な る と い う こ と で 、 博 多 で
同窓会を開くので出席しろという案内状をも
らい、ちょうど公務で上京していたので、帰
途博多まで足を延ばし同窓会に出席した。
いつも会っている者、
5、 6年 前 に 会 っ た
者 、 卒 業 以 来 30年 は ピ め て 会 っ た 者 な ど 、 全
きることを知らず夜が更けていった・・・・・・。
嫁入り、螺とりそして孫争
自分の息子に嫁をもらうとか、娘を嫁に出
すとか、結果として必然的に起ってくるであ
ろう孫のことなど遠い他人のこととばかり思
っていた。