The Extension Course of the Beatles Part 4 Instructor : Toshinobu Fukuya (Ube National College of Technology) The 2nd Session : The Beatles and Postmodernism 5/24 2008 1 1. ポストモダニズムとは何か 「われわれはポストモダンな世界に住んでいる」と言うことは、いまや決まり文句となってい る。日常生活の出来事について「これはポストモダンだ」という言葉が使われるのを聞いたこ とがない人はいないだろう。それにもかかわらず、「ポストモダン」という言葉が実際何を意味 し、何を含意するかをいささかなりとも確信を持って言える人がほとんどいないのは驚きであ る。われわれは、それについて知ったかぶりをしているだけかも知れない。 Victor E.. Taylor は Encyclopedia of Postmodernism, Taylor & Francis, Inc., 2003 において、 「一般的に、ポストモダニズムとは、過去数世紀にわたって西洋を形成してきた普遍的文化の 確かな基盤の多くを否定することだ」と言っている。すなわち、モダンからポストモダンへ移行 することは、従来の文化が支持し追い求めてきたもの、さらには権威的イデオロギーと従来 の政治体制に懐疑を抱くことである。 また、Madan Sarup は An Introductory Guide of Post-Structualism and Postmodernism, Penguin, 2005 において、「普遍主義的文化を擁護しようとする試みであるモダニズムは、地方 主義を偏狭主義だとして、ナショナリズムを盲目的愛国主義だとして、ポピュラー音楽を芸術 ではなく娯楽だとして、民族音楽を『ゲットー文化』だとして、しばしば攻撃してきた」と述べて いる。それを避けるポストモダンな道は、全ての文化を相対的に受け入れようとする多文化主 義(multiculturalism)から始められるべきであろう。加えて、ポストモダニズムは、消費行為も 文化を創りだすものであり、受動的なものではなく能動的行為だとすることで、大量消費を基 盤とする商業文化をも積極的に認めようとする。かくして、消費という言語は、ある意志を反 映する文化だと脱構築された(deconstructed)のである。 2. ポピュラー・カルチャーとポストモダニズム ポストモダニズムが影響を与えた領域は、哲学、政治、ライフスタイル、建築、美術、映画、 音楽など多岐にわたるが、ポピュラー・カルチャーこそが最も容易に影響が認められる領域で あろう。 現在ポストモダニズムとして理解されているものの始まりが見られるのは、1950年代から 1960年代の初めにかけてである。アメリカ文化批評家スーザン・ソンタグは、その著書『反 解釈』(Against Interpretation, 1966)において、「新しい感性のもたらした重要な結果の一つ は、『高級』文化と『低級』文化の区別が次第に意味を失っていくように見えることである」と言 った。ポストモダンな「新しい感性」は、モダニズムの文化的エリート主義を拒絶したと言える。 モダニズムが公式の文化として美術館に受け入れられるのを容易にしたのは、間違いなく階 2 級社会のエリート主義に訴えかけたからである。モダニズムが正典(cannon)となったことへ のポストモダンな「新しい感性」からの回答は、大衆間のポピュラー・カルチャーの再評価であ った。それは、アンドレアス・ヒュイッセンが『大分水界の後で』(After the Great Divide, 1986) で「大分水界、すなわち高級芸術と大衆文化を無条件に区分することを主張する言説」と呼 ぶものへの拒絶の合図であった。ポップ・アートの理論家ローレンス・アロウェイは、『文化理 論・ポピュラー・カルチャー入門』(An Introduction to Cultural Theory and Popular Culture, 1997)のなかで、以下のように説明している。 大分水界を超えて接触した領域は大量生産の都市文化、つまり、映画、広告、ポピュ ラー音楽であった。われわれは、商業文化に対する嫌悪を持たず、それらを受け入 れ、詳しく論じ、熱狂的に消費した。われわれの議論の一つの帰結は、ポップ・カルチ ャーを娯楽の領域から救い出し、芸術にふさわしい真剣さで取り扱うことであった。 3. 対抗文化とポストモダニズム 1960年代の若者たちの対抗文化(counterculture)は、既存の政治体制とその根底にあ る価値観を否定する意識革命であった。彼らは、産業主義がもたらした高度経済成長の代償 として失った人間性と自然の回復を主張した。ルポ・ライターの Sol Stern は、Scanlan 誌上 で、「1960年代、対抗文化のメッカであるサンフランシスコで起こっていた意識改革は、政治 や文化の既成体制を覆すものであるだけでなく、新しい意識による新しい価値の創造行為で あった」と語っている。対抗文化は、当時芽生えつつあったポストモダ二ズムという概念が、実 社会に産み落とした最初の具体的文化行為であった。 対抗文化がポストモダンの落とし子であることを象徴するかのごとく、対抗文化の精神の伝 達媒体は、権威主義に支えられた高級芸術ではなく大衆音楽であった。社会学者の Charles A. Reich は The Greening of America, Bantam Books, 1970 において、対抗文化が支持したロ ック・ミュージックを評して、「人間の感情に関わる高度な知識、理解、洞察そして真実の伝承 を可能にした新しい表現形式であり、ジャーナリスト、社会学者、小説家などが表現し得た文 章より、信じられないくらい多くの文化的諸相を切り取った」と述べ、さらに「ロック・ミュージッ クは、極めて深いレベルで社会を批判し、同時に、新しい世代の憧憬と熱望を表現することが できた」と、最大限の評価を与えた。加えて、Reich は、「新しい世代は、自己発見の過程で、 自分たちも黒人同様に抑圧されていることを自覚し、黒人の魂を吐露した黒人音楽に共鳴す る白人の魂を見つけ出したのであり、黒人音楽である R&B にルーツを有するロックを自分た ちのコミュニケーションの第一手段に採用したのであった」とした。 ロックは、白人中産階層が下位の黒人労働者階層の音楽に自らをアイデンティファイしよう とした地位下降現象(Class Degradation)を体現していた。ロックは、従来の社会階層秩序を 覆えそうとしたという意味において、まさにポストモダン的存在であった。 Charles A. Reich 3 4. ビートルズとポストモダニズム 4-1 初期のビートルズとモダニズム 初期のビートルズはモダニズムとポストモダニズムを内包していた。ビートルズが伝統主義 や普遍主義に組みしたことなど一度も無かったと思い込んでいる人がいたとしたら、それは間 違いである。ビートルズはデビュー当時、マネージャーのブライアン・エプスタインのコントロー ル下にあり、音楽界の伝統主義に適合して人気を得ようとしたのはまぎれもない事実である。 ハンブルグでの修行時代のビートルズは、リーゼントと革ジャンがトレード・マークの不良っ ぽさが売りで、なおかつドイツ実存主義(existentialism)の影響をうけた、どちらかと言えばポ ストモダンな存在であった。しかしデビューに際し、ブライアンの支持により、マッシュルーム・ カット、ビートルズ・スーツ、ネクタイ、ビートルズ・ブーツなどをコーディネイトした、斬新さと伝 統をみごとなまでに融合したスタイルを余儀なくされた。加えて、演奏が一曲終わるごとに丁 寧にお辞儀を励行した。それらは、西洋の伝統的な価値観から離れすぎないためのポピュリ ズム的行為であった。それゆえに、彼らの自由奔放な発言や行動は社会的にある程度黙認 された。彼らの言動に、世の親たちは、やんちゃな息子を苦笑いしながら見守るかのように接 した。親たちは、ビートルズの音楽が理解できなくとも、自分たちの娘、息子たちがビートルズ に熱をあげるのには寛大たり得たのである。ビートルズのモダニズム的マナーは、世界のア イドルに駆け上がるための商業戦略であったと言える。 ビートルズは、斬新なコード進行やメロディーラインで注目を集めたが、基本的にはロックン ロールの伝統の下にあった。その歌詞は、歌っているビートルズにファンが容易に同化できる ラブ・ソングが大半を占めた。ビートルズが ”I” を主語にして歌うとき、世の男の子は自分の 姿をダブらせ、 “you” と歌われるとき、世の女の子は自分に向かって歌われていると感じる ことができた。ビートルズとファンとの間には、ライブであれ、レコードであれ、既存の恋愛観 のなかで了解し合えるモダニズム的空間が漂っていた。さらに、ブライアンは、政治的内容を 歌詞に持ち込むことを禁じていた。それは、ポピュラー音楽にはシリアスな内容はそぐわない というモダニズム的自己規制であった。 しかし、ブライアンのモダニズムにビートルズが従ったからこそ、ビートルズは世界のビート ルズになれたのである。このサクセス・ストーリーは、正当に評価されるべきである。 イヴ・サンローランの スーツを着たビートルズ Brian Epstein 4-2 初期のビートルズのポストモダニズム ファッションと音楽そのものにおいては、モダニズム的要素を残していたビートルズではあ るが、バンドの成り立ちと形態においてはポストモダンそのものであった。ビートルズの生ま 4 れたリバプールは、音楽ビジネスが成立するような街ではなかった。ロンドンから見れば文化 不毛の地であり、奴隷貿易の暗い歴史をもち、労働者階級が多く住む工業地帯であり、アイ ルランドとの関わりの深いイングランド北限の辺境の地であった。 ブライアン・エプスタインにしても、レコード店の経営者であることでかろうじて音楽ビジネス に連なっていた存在でしかなかった。ビートルズのメンバーと言えば、音楽の好きでテディー ボーイ気取りのチンピラであった。この両者が世界の音楽ビジネスの頂点を目指し、みごとに それを実現したことは、地域的ハンデキャップを乗り越えたという意味で、また既存の音楽業 界の体制に楔を打ち込んだという意味で、まさにポストモダン的快挙であった。 リバプールのウォターフロントとキャバーン・クラブ 4-3 後期のビートルズとポストモダニズム 1965年、ボブ・ディランは、ニューポート・フォーク・フェスティバルにおいて、ロックンロー ル・バンドを従えて登場した。ロックンロールは黒人と白人労働者階層が支持し、フォークは 大学生を中心にした白人中産階層が支持するという社階階層構図が成立していたなかで、 ディランの行為は、社会的タブーであった。しかしディランは、当時の音楽と社会階層の関係 を一度破壊し脱構築(deconstruction)したかったのである。ディランはブーイングを受け、エレ キをアコースティック・ギターに持ち替えてステージを続行せざるを得なかった。しかし、このデ ィランのポスト構造主義(Post-Structualism )的行為によって、フォークの知性とロックンロー ルの野性が結びつき、ロックという新しい音楽が生まれたのである。前述のごとく、ロックはそ の後対抗文化の唯一無二の表現形式となっていく。そしてディランは、対抗文化の新しい意 識の代弁者と認識されるようになる。 ディランがロックンロールのパワーに打ちのめされたのは、ビートルズのライブを見た瞬間 であった。それ以降、彼は自分の歌に110ボルトの電流を流し始めた。そして彼は、ビートル ズに面会したとき、ジョンに、「きみたちの歌にメッセージが加われば、よりパワフルになる」と アドバイスしている。ディランを尊敬していたジョンは、ショックを受け、歌詞について深く考え るようになる。その後のアルバム『リボルバー』は、明らかに詞の内容が深遠化し前衛的にな った。ビートルズはロックンロール・バンドからロック・バンドに進化していったのである。彼ら は、ボブ・ディランによって、真のポストモダニズムを与えられたと言える。 Bob Dylan 5 4-4 ポストモダンの金字塔、『サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』 モダニズムが生み出したポップ・ミュージックをアートの域へと橋渡しをしたのは、アルバム 『リボルバー』のなかの一曲、「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」である。この曲において、プロデ ューサーのジョージ・マーティンは、多重録音の技術を思う存分駆使している。現在のようなコ ンピューターによる音のコラージュ作成に道をつけてくれたのがこの曲だと言っても過言では ない。そして、その次のアルバム、『サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』 こそ、ポップスを芸術の域に完全に押し上げたアルバムである。『サージャント・ペパーズ』は、 ロックの金字塔であると同時に、ポストモダンの金字塔である。 1967年、サマー・オブ・ラブ ・・・愛の夏。ヒッピーたちが愛と平和に没頭し、革命を予感し、 理想を語っていたとき、『サージャント・ペパーズ』は世に出た。それは、これまでのアルバム のように、すでに発売されたシングル曲を集めたものではなかった。それぞれの曲はアルバ ム全体のなかでそれぞれの意味を持ち、どれが欠けてもアルバムは成立しないと言えそうな 内容であった。『サージャント・ペパーズ』は、トータル・アルバムという概念を音楽界に創造し たのである。そこには、人がトリップし、楽しむことのできる40分間の空想の世界があった。ペ パーズランドは、困っている人がいれば友人が手を貸し、交通係りの警官がお茶に立ち寄り、 カイト氏がすべての人たちに素晴らしい時間を約束してくれる、そんな場所であった。 『サージャント・ペパーズ』が登場するまで、アルバム・カヴァーは、ほとんど例外なく、退屈 なものであった。ビートルズは、アルバム・カヴァーにもメッセージを込めた。イングランド北部 の公園に実際にあるような大きな花時計の後ろにビートルズ(=サージャント・ペパーズ・ロン リー・ハーツ・クラブ・バンド)が立ち、その後ろで架空の観客がバンドを取り囲むという構図が 考案された。その観衆のなかには、ヒットラー、ポー、キリスト、マリリン、さらにはマダム・タッ ソーから借りてきたビートルズの蝋人形が含まれていた。また、裏カヴァーには、歌詞が刷り 込まれていた。当時としては画期的な試みであった。 サージャント・ペッパーズのアルバム・カヴァー 『サージャント・ペパーズ』に世界中でただ一人困惑したのは、ブライアン・エプスタインであ ったかも知れない。録音に莫大な時間を費やした『サージャント・ペパーズ』のアーティスティッ クなサウンドは、ヒット曲を狙うことを拒絶していた。加えて、ライブでの再生は不可能であっ た。それらは、ショウ・ビジネス的には自殺行為を意味した。ビートルズに商業主義を押し付け てきたブライアンは、自分の産み落とした息子たちが繰り広げるポストモダンな芸術世界を目 のあたりにして、もはや自分は必要とされていないと感じたに違いない。実際、その頃のビー トルズを支配していたのはジョージ・マーティンであり、ブライアンではなかった。直後のブライ アンの死は、モダンとポストモダンの狭間のブラックホールへの落下であったかも知れない。 6 She's Leaving Home Wednesday morning at five o'clock as the day begins Silently closing her bedroom door Leaving the note that she hoped would say more She goes downstairs to the kitchen Clutching her handkerchief Quietly turning the backdoor key Stepping outside she is free She (We gave her most of our lives) Is leaving (Sacrificed most of our lives) Home (We gave her everything money could buy She's leaving home after living alone For so many years. Bye, Bye. Father snores as his wife gets into her dressing gown Pick up the letter that's lying there Standing alone at the top of the stairs She breaks down and cries to her husband Daddy our baby's gone Why should she treat us so thoughtlessly How could she do this to me She (We never thought for ourselves) Is leaving (Never a thought for ourselves) Home (We struggled hard all our lives to get by) She's leaving home after living alone For so many years. Bye, bye. Friday morning at nine o'clock she is far away Waiting to keep the appointment she made Meeting a man from motor trade She (What did we do that was wrong) Is leaving (Fun is the one thing that money can't buy) Something inside that always denied For so many years. Bye, bye. She's leaving home bye bye. ・娘が書き置きを残して家を出るシーンで始まっている。両親はすべてを娘のために捧げてき たと思っているが、娘のほうは窮屈感を抱いて暮らしていた。娘が残した手紙を見て泣き崩 れる光景が写実的に描かれている。 ・親と子供の間のジェネレーション・ギャップがテーマであり、1960年代の対抗文化の若者た ちは、安定した中産階層の生活に満足できず、自分とは何かを見出そうとしていた。また、 娘がビートルズ、親がブライアンのメタファーとしてこのテクストを脱構築することも可能であ ろう。従来のモダニズムに対するポストモダニズムを象徴し得る内容を備えた歌である。 ・家を出た娘が待つのが自動車セールスマンの男であることで、二人の将来が決して華やか なものにはならないことが仄かに伝わってくる。非常にリアリスティックな叙述である。 7
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