TAMカンファレンス楊氏日本語

「老鼠愛大米」が
ネット音楽にもたらした飛躍
中国飛楽唱片の歌手、楊臣剛
みなさん、こんにちは!
私は中国飛楽唱片公司所属の歌手、楊臣剛です。ネッ
ト音楽「老鼠愛大米(ネズミは米を愛する)」は私が作
曲、作詞して、最初に歌いました。今日のテーマは
「『老鼠愛大米』がネット音楽にもたらした飛躍」です。
「ネット音楽成功の背景」、「『老鼠愛大米』の人気と私
の道のり」、「ネット音楽がレコード会社にもたらした利
益」、「ネット音楽の無限のビジネスチャンス」の4項目
に分けてお話します 。
一、中国ネット音楽での成功の背景
この1年、「老鼠愛大米」は中国で最も流行したネット
音楽となりました。中国の4大ポータルサイトの1つ
TOM.COMによれば、この曲のリングバックトーンのダ
ウンロード回数は1ヶ月600万件、2000万元の売上げ
を記録したそうです。これはアルバム70万枚の売上
額に相当します。1年前、ネット音楽に突然このような
奇跡が起こるとは、誰にも信じられませんでした。
ネット音楽は新たな時代の産物です。ネット音楽やネッ
ト歌手の人気に火がつくスピードには、目を見張るも
のがあります。ネット音楽は従来の音楽市場を直撃し、
音楽の普及とレコード会社の利益の面で、大きな変化
をもたらしました。その発展が後戻りすることはありま
せん。それは従来のメディアと音楽を動かし、歴史の
潮流となったのです。
ネット音楽とは、インターネットを通じて広く伝えられる
音楽のことです。主にネットユーザーのオリジナル、カ
バー、改作の3種類に分けられます。中国でネットが
浸透するにつれ、広範囲に流行するネット音楽が作
られるようになりました。ネット音楽の伝達速度が、ラ
ジオやテレビなどのメディアを越えることもあります。
「老鼠愛大米」などのネット音楽の流行は、主にインター
ネットの再生プレイヤーやMP3プレイヤーのおかげで
す。すぐに検索、ダウンロードができ、メールで友人に
伝えることも可能です。特に無料でダウンロードでき
るMP3データは、音楽ファンにとって大変うれしいもの
です。また、私のようにもともと無名だったアーティス
トが、自分の曲を音楽ファンに届けることもできます。
一方、レコード会社では新曲の製作に投資しなけれ
ばなりません。そしてラジオのヒットチャートによって
曲を広め、ようやく聞き手に新人歌手の魅力を届ける
ことができます。これと比べると、ネット音楽ははるか
に簡単で経済的、敷居の低いものです。
ネットでは普及が速く、よい曲はたちまち広まります。
他のおよそどのような方法も、これにはかないません。
私や飛楽唱片所属の香香などのネット歌手が、一夜
にして名を成したのは、ネットのスピードによるもので
す。それはレコード会社が売り出す歌手が、一夜に成
功するのとは異なります。従来のレコード会社は相当
の投資をしますが、ネット歌手はほとんど切り立ってい
ます。「老鼠愛大米」の成功と私の経験から、ネット歌
手の成功はクリック率によって生まれると言えるでしょ
う。
こうしてネット音楽は、中国のポピュラー音楽界を一新し
ました。
飛楽唱片の歌手、香香がかつて制作した曲はカバー曲
で、マイクは15元で買ったものでした。その他の設備は
100元ですみました。ネット音楽の大半は、レコーディン
グルームで正式に録音されたものではありません。質
の上では、大掛かりな設備で制作されたものとの間に
差があります。しかし初期の粗雑なものから、後のプロ
の曲を真似た編曲まで、2004年に流行した「老鼠愛大
米」などのように、なかなか成熟したものも生まれていま
す。さらに大衆化したネット音楽はプロの曲に学ぶだけ
でなく、自らの音楽スタイルを追い求めます。ネット音楽
が人々の気持ちを反映し、音楽の本質に立ち返って、
たくさんのファンを魅了したことは否定できません。
二、「老鼠愛大米」の人気と
私の道のり
「老鼠愛大米」の人気は、「私はあなたを愛する、ネズミ
が米を愛するように」というしゃれた歌詞によるものです。
「老鼠愛大米」がごく短期間のうちに人気が出た理由は、
この歌のアイデアにあります。私は愛情をからかうよう
に表現しました。歌詞中の楽観的なライフスタイルは、
現代の若者による伝統音楽への挑戦を表しています。
私は武漢の出身で、現地では少し名前が売れていまし
た。かつて湖北文芸ラジオの「万人音楽秀」の決勝戦で、
最優秀作曲賞を受賞したことがあります。また以前、海
外旅行会社の遊覧船のピアニストや、「歓楽総動員」な
どのテレビ番組のバック・ミュージックも担当しました。
学校では経理を専攻し、熱心な文学ファンでもありまし
た。当時、私はBeyondが大好きで、彼らの歌を聞くと興
奮して、血が沸きました。
「老鼠愛大米(鼠は米を愛する)」というのは、友達が最
初に言った言葉です。
「老鼠愛大米」のこの歌を初めて書いたのは、2000年の
ことでした。ある晩、私はふいに、友人が「あなたを愛す
る、鼠が米を愛するように」というフレーズを口にするの
を聞きました。家に帰っても、私の頭のなかは「鼠」と「米」
と「愛する」でいっぱいで、しばらく眠れませんでした。そ
れでこのフレーズからリフレイン部分を書き出し、前奏、
間奏と続けて、さらにラストを加えて、その日の夜のうち
に「這様愛ニィ(こんなふうにあなたを愛する)」を書き上
げたのです。
当時、私は香港と台湾の音楽の影響をかなり受けて
いました。ですから、これは香港と台湾の創作手法を
真似て作ったものです。
実は「老鼠愛大米」というタイトルは、私がつけたもの
ではありません。私はずっと「這様愛ニィ」と呼んでい
て、サンプルも作りました。他の地方でDJをしていた
王志がこの曲をクラブ音楽風にアレンジしてディスコ
で流し、それから全国のディスコで流されるようになり
ました。さらにその後、ネットで伝わり始め、みながダ
ウンロードするようになったのです。
いつの間にか、タイトルは「這様愛ニィ」から「老鼠愛
大米」に変わっていました。けれどそれはとてもいいタ
イトルだと思い、私もそう呼ぶことにしたのです。
実際、「老鼠愛大米」と呼ばれるようになってから、人
気が出始めました。多くの人にとって、このタイトルは
新鮮だったのでしょう。
飛楽唱片が注目したのは、「老鼠愛大米」のクリック
率でした。レコード会社は、クリック率がCDの販売枚
数に相当すると考えています。このため多くのネット
歌手が、ネットで名前を知られるようになれば、レコー
ド会社と契約でき、ネット外でもファンを満足させられ
ると期待を抱いています。こうして、レコード会社がネッ
トで名を成した歌手を発掘し契約するという現象が生
じました。飛楽唱片も、私や香香などの人気ネット歌
手と契約をしました。香香は「老鼠愛大米」女性版な
ど数十曲のネット音楽をカバーして有名になりました。
ネット歌手にとって、自らの才能を発揮できる可能性
がさらに広がりました。彼らが自分で作った曲のサン
プルは、設備などの問題から質や量が安定しません
が、レコード会社がアルバムを制作すれば、ファンは
最高の品質のものを聞くことができます。
流行したネット音楽の主な特徴は、大衆向けの軽いリ
ズム、情感の豊かさ、誠実さ、人から人へ伝わりやす
いメロディ、一度聞いただけで口ずさめる曲です。「老
鼠愛大米」はこの典型的な例で、「あなたを愛する、
鼠が米を愛するように」のリフレイン部分は若者の耳
には新鮮で自然で、かつ以前にも聞いたことがあるよ
うな感じがします。
「老鼠愛大米」のようなネット音楽は、大衆との距離が
さらに近く、無視できない力を持ちます。ネットの開放
性から、歌手の特色や個性が遺憾なく発揮されます。
私が飛楽唱片に所属したあと、「老鼠愛大米」はさら
に飛躍しました。
2004年11月15日、中国最大のサーチエンジン「百度」
が発表した統計資料によれば、最も話題となった検
索キーワードは「アラファト」と「老鼠愛大米」でした。
また、過去数日間の話題の人物ランクング首位は「ア
ラファト」で、「老鼠愛大米」は当時、最も流行したネッ
ト音楽となりました。この曲はダウンロード件数でも人
気が高く、その勢いは刀郎や周傑倫(ジェイ・ジョウ)
の新曲に勝るほどでした。このことから、インターネッ
トは流行歌を伝える最前線として、新たなスターを生
み出すようになったといえます。従来のメディアに対
するネットの影響は、ますます拡大しています。
2004年12月2日、「飛楽唱片開業式典および10名の歌
手の契約式」が北京で開催されました。この式場で、
飛楽唱片の鐘雄兵総裁は「本日の式典は、我々が
5000万元を投じ、中国レコード業界の旗艦となること
を表明したものです」と語りました。
飛楽唱片は私や刀郎、潘暁峰、陳少華、陳星、香香、
陳旭、正午陽光、黒客組合など10の歌手やグループ
と契約しました。さらにその他の多くの優秀なアーティ
ストたちとも契約をしています。これは中国のポピュラー
音楽界では、きわめてまれなことです。飛楽唱片にとっ
て初となるこの大きな試みは、同社が中国レコード業
界の旗艦となりうる実力を持っていることを示しました。
飛楽唱片はさらなる発展へ、歩みを進めています。広
東の歌謡界を盛り立て、中国のポピュラー音楽事業
の発展を促し、中国レコード業界の旗艦となるべく前
進しています。
飛楽唱片は先陣を切りました。以前のネット歌手は、
ほとんど場合、ネットと契約をしたようなものでした。し
かし飛楽唱片はネット歌手の発展性を見定め、私や
ネットアイドルの香香とすばやく契約を交わしました。
これはまた、飛楽唱片の決心と実力を表しています。
飛楽唱片の鐘雄兵総裁は、かつて飛楽唱片は、ただ
音楽・映像製品を発行するだけの会社だったといいま
す。彼らはレコード会社から、曲を発行するための版
権を買わなければなりませんでした。そこには問題が
ありました。つまりレコード会社が提供するものと市場
ニーズは対応しておらず、市場で流行している音楽を、
タイミングよく提供することができなかったのです。レ
コード会社と音楽・映像制作会社の協力体制が、市
場ニーズからかけ離れていたといえます。これでは生
産しても在庫が大量に余ることになります。そこで同
社は自らレコード会社を作り、歌手を育て、CDを制作、
発売するという一連の産業チェーンを形成することに
しました。このため5000万元を投じて北京に会社を設
立し、同地の地の利を生かしてレコード業界に進出し
たのです。
2004年12月、飛楽唱片は私の最初のアルバム「楊臣
剛 老鼠愛大米」を発売し、私は自らの力で、中国ポ
ピュラー音楽界に進出することを宣言しました。
「楊臣剛 老鼠愛大米」のすべての曲の編集、制作は
自分でやりました。メインとなる「老鼠愛大米」につい
ては新たに編曲を行い、すてきなジャケットデザイン
でパッケージし、個性的な1枚のアルバムを、現代ポ
ピュラー音楽市場に送り出しました。
「楊臣剛 老鼠愛大米」は、2004年大陸で最も売れた
アルバムの1つとなりました。
2005年1月初め、「老鼠愛大米」は中国最大のサーチ
エンジン「百度」の「2004年MP3音楽」のグランプリに
選ばれ、「2004年中国ネットキーワード10」の1つとな
りました。
「百度」の2004年の年間検索ヒット数は250億件です。
ここから選ばれたネットキーワード上位10件に、「老
鼠愛大米」がランク入りしたのです。このランキングは
8000万人のネットユーザーが、年間を通じて行った無
記名投票のキーワードリストから、2004年の関心事を
示したものです。ネットユーザーが一定以上の関心を
寄せたもので、一般の人々の意見が反映されていま
す。
さらにその他の「百度」の「2004年人気検索10」のうち、
「MP3音楽10」の第1位は「老鼠愛大米」でした。また、
飛楽唱片所属の香香がカバーに参加した「江南」は
第2位となりました。なお、同年の「百度」のMP3検索
数は延べ1920万4200人です。
ネット音楽の制作はもともと粗雑で、音楽ファンにはすぐわ
かります。ではなぜこれほど多くの人々が、こうした作品を
好んだのでしょうか。私は3つの原因があると思います。第
1に、中国のネットファンが、この種のメロディが単純で口
ずさみやすい大衆的な曲を好んだこと。つまり刀郎の音楽
と同じことです。第2に、音楽ファンがネット上で推薦しあい、
1が10、10が100になる勢いでたちまち流行したこと。第3
に、2004年は中国語歌謡界があまり活発ではなく、ネット
音楽をはるかに越える影響力を持った作品が現れなかっ
たこと。周傑倫の「七里香」、林俊傑の「江南」はポピュラー
音楽界では人気がありましたが、ネットでの検索率では
「老鼠愛大米」に及びませんでした。
2004年12月中旬、アメリカのビジネスマン、ミカエルが「老
鼠愛大米」を気に入り、すぐに飛楽唱片から英語版の版権
を買い、香香が歌う「老鼠愛大米」の英語版を売り出すこ
とになりました。
「老鼠愛大米」の広東語版は激しい争奪戦の末、ユニ
バーサル・ミュージック(UMG)所属の許志安(アンディ・
ホイ)に決まりました。私と香香は2005年1月中旬、
UMGと契約し、同社は我々の海外での版権代理人とな
りました。私と香香にとってこれは、国際的歌手としての
第1歩です。また、「老鼠愛大米」は国際的ラブソングへ
の第1歩を踏み出しました。
最近、飛楽唱片所属の陳旭は「老鼠愛大米」の韓国語
版を出しました。同年、中国の音楽ファンに「韓流」をも
たらした安七弦(アンチリョン)は、8月30日、北京でのコ
ンサートで「老鼠愛大米」の中国語版を歌いました。香
港の陳慧嫻(プリシラ・チャン)が、中国各地でコンサー
トを開催した際にも、この歌を歌っています。現在、「老
鼠愛大米」は台湾、マレーシア、タイでも人気のネット音
楽となっています。
「老鼠愛大米」の流行はまだ終わっていません。2004
年末、中国初のネット音楽映画「老鼠愛大米」が、北
京で撮影を開始しました。
これは中国の音楽界にも映画界にも前例のない新た
な試みです。飛楽唱片はこの映画の撮影に、巨額を
投じました。私とネットアイドルの香香、陳旭などが出
演しています。「老鼠愛大米」、「当我再愛ニィ的時候
(私がまたあなたを愛するとき)」、「丁香花(ライラッ
ク)」、「両只胡蝶(2匹の蝶)」など、全国的に流行した
曲が、全編にわたって使われています。
2005年1月初め、私の長編小説「老鼠愛大米」の発
売記念式が、北京で開催されました。これはネット時
代の若者が繰り広げるすったもんだのラブストーリー
です。
学生時代、私はずっと文学ファンでした。ここ数年は
1000曲近い歌を作り、「老鼠愛大米」の小説のためにた
くさんのネタを暖めていました。私は自分と身近な友達
の経験をもとに、出演やPRの多忙な時間の合間を利用
して、小説を完成し、夢を果たしました。
私の最大の願いは、2005年に撮影した「老鼠愛大米」
のドラマが、歌、映画、テレビに刺激を与えるアーティス
ト的存在となることです。長編小説「老鼠愛大米」の複
雑なストーリーは映画・テレビ界の有識者を魅了し、中
央テレビなどの各テレビ局がドラマ化に意欲を示しまし
た。しかし最も早かったのが杭州の映画・映像会社でし
た。私は台湾ドラマ「薫衣草(ラベンダー)」の許紹洋(ア
ンブロウズ・シュー)と陳怡蓉(タミー・チェン)とともに、
「老鼠愛大米」30話の連続ドラマに出演しました。
「東北人都是活雷鋒(東北人はみな雷鋒)」から「老鼠愛
大米」まで、ネット音楽はほぼ一夜にして、中国ポピュラー
音楽界の経営モデルを覆しました。
2005年1月5日、中国大手ポータルサイト「捜狐」の2004
年度の選抜が始まり、私の「老鼠愛大米」は伝唱金曲
賞を獲得しました。これは私がレコード会社と契約して
から初めてもらったグランプリです。その後、私は「老鼠
愛大米」で多くの音楽の賞をもらい、それは大きな励み
になりました。
2005年の旧暦の大晦日、私は「老鼠愛大米」で中央テ
レビの「2005年春節聯歓晩会(中国の紅白歌合戦)」に
出演し、大スターたちと一緒にカウントダウンをしました。
番組の進行に影響を与えないよう、私は1月以降、出演
を8回断り、他の出演者よりもさらに多くの代価を払いま
した。
10年前、毛寧や高林生などの広東の歌手が中央テレビ局
の「春節聯歓晩会」に出演しました。けれどその後の10年、
広東の歌手の名が挙がることはありませんでした。私の出
演は広東歌手の10年ぶりの出演となりました。ある評論家
は、「楊臣剛は2004年11月に飛楽唱片公司と契約しわず
か3ヶ月で「春節聯歓晩会」に出演した。これは広東歌謡
界の奇跡であるだけでなく、中国ポピュラー音楽界の神話
だ」と語りました。
2005年4月16日、中国の軽音楽学会、中国音楽家協会、
流行音楽学会が共同で開催した第2回「学会賞」のノミネー
トが、北京で発表されました。国内の著名なレコード会社
の責任者や徐沛東、谷建芬、李宗盛のなどプロデューサー
が出席し、約360名の審査委員が投票によって、「学会賞」
42賞を選抜しました。その結果、専門性の高いこの学会賞
でも、ネット音楽を全滅させることはできませんでした。最
初に発表された「最優秀企画賞」では、飛楽唱片の「老鼠
愛大米」のアルバムがノミネートされました。これは業界関
係者に重視される「専門賞」です。
今回の「学会賞」では初めて、企画賞を設けました。長年、
見落とされてきたレコード業界の重要な仕事が認められた
のです。「老鼠愛大米」は驚異的な販売枚数を記録し、そ
の人気ぶりはネットからレコード業界へと続きました。アル
バムを制作した飛楽唱片の突出したパッケージと企画が
市場で勝利を得たのです。「老鼠愛大米」は高く評価され
たアルバム企画の典型です。
2005年5月、ジャッキー・チェンが児童慈善キャンペーンを
行い、私と香香は招待されて参加しました。このキャンペー
ンは参加予定だったコンサートと重なってしまい、コンサー
トのキャンセル料は20万元になりました。しかし私や香香
にとっては、慈善活動に参加するほうが重要でした。そこ
で私たちはコンサートを断り、慈善事業への参加を決めま
した。うれしいことに、この選択は社会の人々に認められ
ました。
この1年間の活動を振り返ると万感の想いです。
「老鼠愛大米」は「2002年第一場雪(2002年最初の雪)」と同
じように、メディアの宣伝には頼らず、自然に人気が出たもの
です。この歌を好きな人が検索、ダウンロードし、転送して、し
だいに多くの人が知るようになりました。すべては聞き手の自
発的な行動によるものです。
「老鼠愛大米」の人気から、私はポピュラー音楽界の本道を
歩むことになりました。私のようなネット歌手は、音楽界に入
ると、レコード会社を頼りに、自らの音楽の影響力を伸ばすこ
とができます。ネット歌手の最大の問題はまさに、資金がなく、
アルバムもないことです。こうしたものがあれば、私たちは必
ず、多くの流行歌手を超えることができます。私はずっと孤軍
奮闘してきました。自分で歌詞を書き、歌い録音し、ドラムを
打ち、ギターも弾き、なんでも自分でやりました。もしもレコー
ド会社に頼れれば、こんな面倒なことはしなくてすみます。もっ
と創作に時間をあてることができ、音楽レベルも上がるでしょ
う。レコード会社のサポートは切実に必要です。飛楽唱片が
「老鼠愛大米」に注目したのは、先にまず多くのファンを持っ
たからで、その後、アルバムの発行となったのです。
ネット歌手はポピュラー音楽界に入るとレコード市場と衝
突するか、私のように中国のオリジナル音楽界に新たな要
素をもたらします。レコード会社にとって頭痛の種は、新人
の発掘に勝るものはありません。通常、レコード会社の社
長とファンの間には、好みの上で開きがあり、しばしば判
断を誤ります。
「老鼠愛大米」は初め粗雑なつくりのまま、完成品として出
すことは考えたことがありませんでした。一種の半完成品
に、こんな風に火がついたのです
ネットで流行する多くの曲は「感情」が勝算のポイントです。
人は音楽を聴くとき、音楽家や批評家の編曲、制作、録音
に感動するのではありません。必要なのはただ、自分の心
を代弁する音楽なのです。「老鼠愛大米」は当初、ただの
サンプル曲にすぎませんでしたが、たちまち人気が出まし
た。これがそのことを十分に説明しています。
「老鼠愛大米」は真摯な感情に溢れていると思います。
大衆化したメロディは、多くの人々に受け入れられま
す。歌詞も洒落ていて、「老鼠愛大米(鼠は米を愛す
る)」には芝居じみた感情が込められています。少し
俗っぽいですが、ロマンチックです。
「老鼠愛大米」などのネット音楽の人気は、ファンがど
うにかできるものではありません。草根のネット歌手
が、我先に争ってネットに登場しますが、粗製乱造で
無骨です。ころころ変わる声とよだれの出るメロディに
よって、一度は人々に歓迎される懐古主義の風潮を
生み出します。音楽ファンに必要なのはエンターテイ
メントですが、ネット音楽の一人コンサートはまだ続き
ます。
三、ネット音楽が
レコード会社にもたらした利益
この1年の間に、ネット音楽がどうしてこれほど盛んに
なったかといえば、それは情感があって、心がこもっ
ており、分かりやすくユーモアで、口ずさみやすく、簡
潔で優美であることと切り離せません。こうした特徴
は歌い手と聞き手の距離を縮めます。聞き手はいつ
のまにか感動し、その曲を気に入って、ネットでのヒッ
ト率が上がります。こうして楊臣剛や香香は急速に人
気が高まり、夢追い族に「歌手のネット入りは万金に
値する」と信じさせ、エンターテイメント界に入る近道
だと思わせたのです。
「東北人都是活雷鋒」から「老鼠愛大米」まで、ネット
音楽はほぼ一夜にして、中国ポピュラー音楽界の経
営モデルを覆しました。
かつて、レコード会社は伝統的音楽市場でわずかな
うまみを得てきました。李白の「蜀道は天に上るよりも
難し(困難極まる)」のように、飛楽唱片は多くの試み
を行いましたが、曲の普及と歌手の人気に火をつけ
ることは、骨が折れるものでした。
しかし2004年後半以降、飛楽唱片は他に先駆け、私
や香香、陳旭、陽一などのネット歌手と契約しました。
飛楽唱片の知名度と利益には、天変地異のごとぎ変
化が起きました。最近はまた、潜在力を持つネット歌
手、邵雨涵と張振宇と契約しました。現在、飛楽唱片
は非常に強みを持っているといえるでしょう。
ネット音楽はレコード会社に、曲の伝達と利益の面で
新たな変化をもたらしました。
まず第1に、ネット音楽は伝達手段に新たな変化をも
たらしました。
従来の伝達手段では、1曲の音楽を消費者に届ける
ために、曲のマスターテープを作り、CDを作り、輸送
から販売まで行い、非常に面倒でした。時間もコスト
もかかります。しかしインターネット技術の進歩に伴い、
ネットでクリックさえすれば、最新の情報と曲を得るこ
とができるようになりました。
また、ネット音楽への興味から、ポピュラー音楽の高
まりが生じました。この現象は中国において、ますま
す影響力を持っています。これは技術の大きな進歩
の結果です。従来のテープとCDでは、レコード会社は
周囲を取り囲む90%の海賊版と対峙しなくてはなりま
せんでした。現在、SP(サービスプロバイダ)のリング
バックトーンサービスでは、海賊版はなく、伝達手段
も便利で広範囲にわたります。こうした技術の進歩は、
全く新たな変化といえるでしょう。
1つの例を挙げましょう。2005年2月のピーク時、「老
鼠愛大米」のリングバックトーンのダウンロード回数
は500万件を突破しました。つまりもしも、500万台の
携帯電話でリングバックトーン音楽に「老鼠愛大米」
を設定し、毎日20回の電話を受けたとすれば、1日あ
たり1億人の人に「老鼠愛大米」を伝えることになりま
す。これはアルバム60万枚の効果に相当します。携
帯付加価値業務の特徴は、リングバックトーン利用者
がそれぞれ音楽の発信者となり、連鎖効果を起こす
ことです。電話をかけた人はリングバックトーンを聞い
て影響を受けます。1曲のネット音楽を、一夜のうちに
全国で流行らせることもできるのです。こうした伝達
手段から、ネット音楽がたちまち流行するという現象
が生まれました。
一晩のうちに、うちにみなが「老鼠愛大米」を歌うよう
になるのです。この伝達速度の速さと広さは、以前の
メディアでは根本的に成し得ません。2003年、中国で
最も影響のあった曲は、基本的には香港や台湾のも
のでした。しかし2004年、ネット音楽の勃興により、中
国で最も影響のあった10曲のうち半分は、ネット音楽
が市場をリードしたものでした。
第2に、ハイテクは消費モデルに変化をもたらしました。
かつて、消費者が「レコードを買う」というのは「アルバ
ムを買う」ことでした。通常、10曲1組で売られていま
す。従来のアルバムでは、特に大陸の歌手の歌は1
曲だけ聞きたいのに、アルバム1枚を買って帰らなく
てはなりません。しかし、リングバックトーンのダウン
ロードでは、消費者は1曲単位で買うことができ、たと
えばあの歌手がいいから買おうとか、あれはよくない
からやめようというふうに、購入形式がさらに集中し
ました。曲数は限りなく多く、消費者の選択の幅も広
がります。
飛楽唱片はこうしたネットユーザーをおおいに利用し
ました。ネットを通じて曲を聞いてもらい、ユーザーは
いつのまにか飛楽唱片の歌手の歌を知るようになり
ます。こうして歌手の知名度を高め、レコード会社は
アルバム以外からの利益、たとえば広告やイメージ
キャラクター、リングバックトーンなどから収益を得ま
す。つまり、飛楽唱片は先に副産業から収入を得て、
その後、本業の経営を始めました。
また、今後の3Gを含め、携帯電話では直接MDVをダ
ウンロードすることができ、曲を聞くことができます。こ
うしてネット音楽は、消費モデルにも変化をもたらしま
した。
第3に、ネット音楽はレコード会社、ネット会社、通信会社の利
潤の成長ポイントに革命的変化をもたらしました。
技術革命の進歩によって、レコード会社の経営構想は転換
せざるをえませんでした。TOM.comの4‐6月における携帯付
加価値サービスは、営業収入が21.6%増加し、4070万ドルとな
りました。TOM.comと新浪(SINA)の携帯付加価値サービス
の収益は、同サイトのユーザー収益を上回りました。ネット音
楽とSP(サービスプロバイダ)の急速な発展から、携帯付加
価値サービスは収入が増加し、大きな市場が生まれました。
リングバックトーンは海賊版のない市場で、闇業者に煩わさ
れることもありません。それはレコード会社の新たな成長ポイ
ントとなります。かつてレコード会社の収益は、単にレコード
の売上げに頼っていました。現在は、携帯付加価値サービス
がもたらす大きな利益が見込めます。この新たな変化は、ネッ
ト音楽の技術の進歩から生まれました。従来の歌手とネット
歌手の曲は、ここに差があります。
「庶民歌手」はポータルサイトの寵児となりました。草
の根文化的ネット音楽は、ポータルサイトに予想を超
える大きな収入をもたらしたといわれています。「老鼠
愛大米」のリングバックトーンは月間ダウンロード件
数600万件を記録し、アルバム70万枚の販売枚数に
相当する1200万元の収入を生みました。
携帯付加価値業務はインターネットに巨大な利益をも
たらすと同時に、通信会社には利益の成長ポイントを
もたらしました。1年前、飛楽唱片の携帯付加価値業
務はゼロでした。現在その利益は会社の営業利益の
50‐60%を占めます。ネット音楽により、携帯付加価値
サービスが会社の財政収益の半分を担うという極め
て大きな変化が生じました。これはレコード業界にとっ
て、大きな支えとなります。
四、ネット音楽の
無限のビジネスチャンス
ネット音楽は我々に、曲の伝達と収益の面で、新たな
変化をもたらしました。同時にレコード業界には大き
な助けとなりました。ネット音楽産業は急速に発展し、
注目の成長産業となりました。ネット音楽のビジネス
チャンスは無限です。
90年代、どの家でもカラオケを歌っていた光景は、人々
の記憶に新しいものです。私は、ネット音楽の勢いは、
21世紀のカラオケとなるのではないかと考えています。
つまり老若男女、プロ、アマチュアを問わず、1台のコ
ンピュータ、1本のマイク、簡単なツールがあって、イ
ンターネットにつながりさえすれば、「歌いたいから歌
う」ことが可能となるのです。
かつて音楽を作るためには音楽家、ブローカー、レコー
ド会社によって認められる必要がありました。今はた
だ創作し、人々が認めれば、それで人気が出ます。
ネット音楽は、音楽にかかわる者に、変革をもたらし
ました。ネット時代、誰もが「大家」になれるのです。
ネット音楽は時代が生んだ国民的娯楽です。聞いて
楽しむことも、参加して楽しむこともできます。かつて
の国民的娯楽はカラオケでした。さらにその前は合唱
で、21世紀はネット音楽が国民的娯楽となるのです。
ネット歌手の成果は、十分に証明できます。ネット歌
手には大いに活動の余地がありました。
かつて広州は、中国ポピュラー音楽の発祥地で、流
行歌手の養成地でした。90年代の初め、広東の海鮮
とポピュラー音楽は広東産の2大日用雑貨でした。周
氷倩、毛寧、楊鈺瑩、李春波、陳明などの名前は広
東の歌謡界で脚光を浴びていました。その結果、北
京の有名な音楽家、蘇越は「広州はポピュラー音楽
の延安(中国の革命聖地)だ」と感嘆しました。しかし
彼らが業界から去ってゆくと、広東歌謡界は次第に暗
澹としたものとなりました。けれど今再び、広州はネッ
ト歌手の発祥地となり、その「揺りかご」と「養成地」で
あるといえます。
飛楽唱片の成功から、広東のいくつかレコード会社
が、「丁香花」の唐磊、「別説我的眼泪ニィ無所謂(僕
の涙などどうでもいいと言わないで)」の東来東往、
「ニィ到底愛誰(あなたはいったい誰を愛する)」の劉
嘉亮などの広東のネット歌手と契約を結びました。ネッ
ト歌手と契約をしている全国のレコード会社や音楽・
映像会社50社のうち、90%は広東にあります。これは
投資が小さく、効果の速い事業です。ネット歌手の曲
は口ずさみやすく、多くの人々を魅了し、音楽界の新
鋭部隊となります。
なぜ、広東にネット歌手が集中しているのでしょうか?
1つは、いまでも広東にはポピュラー音楽発生地とし
ての基盤があり、優秀なプロデューサー、レコーディ
ングルームがそろっているからです。もう1つの理由
は、広東で発行される音楽・映像製品が、全国をほぼ
独占していることです。正規版CDの80%が、広東か
ら発行されています。さらに広東人の市場感覚は鋭く、
それが同省を文化地域とする環境や雰囲気を作り出
しています。こうして広東で、ネット歌手の潮流が生ま
れました。中には、曲の上で、香港や台湾の歌手を
打ち負かす歌手もいます。広東歌謡界は第2の飛躍
を推進し、その未来は明るいです。
多くのネット歌手が広東のレコード会社と契約し、全
国に進出しています。これは広東音楽界の功績です。
それではネット歌手によって、広東は90年代のように
火がついたといえるでしょうか。
広東省流行音楽学会(広東省ポピュラー音楽学会)
の陳小奇会長は、「ネット歌手の流行は音楽の本質
への回帰だ」といいます。音楽は人を動かし、大衆的、
庶民的でなければなりません。ネットは新たな空間を
開拓し、自由な創作、表現、選択を可能にします。広
東の音楽家はネットに参入すべきです。広東ポピュラー
音楽は大衆路線を保ち、庶民的でカラオケ風です。ネッ
ト音楽の飛躍は、広東のポピュラー音楽界が長年堅
持してきたものが正しかったこと証明しています。
飛楽唱片では、所属しているネット歌手のPRを、CD、
本、写真集、映画やドラマの撮影、イメージキャラクター
などさまざまな方法で進めています。私たちの名称は
ネット歌手です。最も公平盛大なネットユーザーの支
持を受けています。また仕事上は正規の歌手です。
今後さらに飛躍し、長く活動を続けてゆくでしょう。
もちろん、「老鼠愛大米」は私のかつての作品の1段
階にすぎません。私の音楽への追及はここにとどまり
ません。その他の作品のレベルも「老鼠愛大米」を越
えることができるだろうと確信しています。
私の話は以上です。もしも発言に不適切な部分があ
りましたら、ご指摘をお願いいたします。
ご清聴、
ありがとうございました。