Ⅴ 論文 - 京都生命倫理研究会

Ⅴ 論文
出生前診断と優生学
石村久美子(大阪府立大学博士後期課程)
はじめに
優生学とは、過去のものであろうか。
「安楽死」の名のもとに障害者を葬り去ったナチス
の人種理論にあるのは、優生学や遺伝学である。1 ナチスに対する嫌悪感は、すべての人々
に共有されているのであろうか。
近年、次のような議論がある。
「重要な進展を効率よく達成するためには、個々の社会的・
政治的動きが偶発的に積み重なったり、国際的政治機構が特別に動いたり、教育改革に期
待してもはじまらない。むしろ、人間の知的能力、実際的能力を遺伝子レベルで向上させ
ることに期待すべきである。」 2
高度な科学の力を利用して、遺伝子操作によって効率よ
く、人間の進化を押し進める議論が浮上している。劣悪なものを排除し、優秀なものに、
人間を改良する行為は優生学ではないのだろうか。優秀や劣等とは、いずれの価値観に基
づいて、だれが規定する権利を持ち得るのだろうか。国家による強制的な優生学から現代
の「自発的」な優生学を支えている自己決定について検討してみたい。
1、優生学の歴史と自己決定
優生学(eugenics)という語は、ギリシャ語で「生まれつき高貴、生まれつき優秀」と
いう意味の語源を もち 、優生学運動の父 とさ れるフランシス・ ゴル トンによって、1883
年に造語されている。
優生学は科学として二つの手法、すなわち排除型(消極的)優生学と選抜的(積極的)
優生学を有している。排除型優生学とは、不適格者、つまり歴史的に「劣等」とされた精
神異常者、精神遅滞者、犯罪者などが増加することを防ごうとする。選抜型優生学は、何
らかの優れた素質に恵まれた「優等」者の増加を促進しようとする。 3
1
2
虫明満編『人のいのちと法
生命倫理の周辺』(法律文化社、1997 年)37 頁参照。
A・キンブレル『ヒューマン ボディ ショップ』
(化学同人、1995 年)373 頁。なお原著は、 Andrew
Kimbrell , THE HUMAN BODY SHOP ,1993 である。
3
キンブレル・前掲注(2)373∼374 頁参照。
優生学は、英米の両国に大きく影響を与え、20 世紀初頭には世界を席巻する革命運動と
なり、広がっていったといわれている。
まず 1896 年に、アメリカのコネチカット州は婚姻法を制定し、不適格者の婚姻を禁止
し、
劣った資質の個人が子孫を残すことを防御した。その後、1914 年までに約 30 州があとに
続いている。
1905 年にイギリスは、外国人法を制定し、生活能力のない者の入国拒否を行い、1921
年、アメリカの移民制限の緊急時限立法により、人種差別・経済的負担の増加や、移民が
新しい権力基盤をつくることへの危惧から移民排斥のために、優生学が利用された。 4
1907 年、世界初の断種法がアメリカ、インディアナ州で制定され、30 年までに 28 の州
が成立させている。その後、1958 年までに 30 州において、同法によって、約 6 万 1000
人の「不適格者」とされたアメリカ人に対し、強制的な不妊手術が行われた。「不適格者」
とは、犯罪者、精神病者、精神遅滞者、アルコール中毒、ろうあ者、社会的不適者などが
含まれていた。
州法に基づく、強制不妊手術に対する批判としては、宗教団体が「不適格者」の結婚・
出産の権利に州政府が介入することを反対し、モラル上の議論が展開されるようになった。
しかしながら、一般の市民は全体として、この強制的断種を強く支持しており、断種が
実行されるようになってから、生活保護を受ける人間がほとんどいなくなったといわれて
いる。
その頃、1927 年に連邦最高裁は、一人の精神障害者とされる女性の不妊手術をめぐる判
決を下した。Buck 対 Bell 判決は、州の施設に入所している精神障害者に対して、非自発
的な不妊手術を認めるという法令を最高裁は支持した。個人の権利の絶大なる擁護者でも
ある Holmes 裁判官は、以下のような意見書を公表した。
「我々はかつてよりも更に、公共
的福祉が彼らの生存のために、最良の市民として要求するであろうと見ている。
・・もし世
界をよくするのであれば、子孫が罪を犯し、堕落することや、愚かさのために、餓死する
ことをただ待つのではなく、明白に不適当である人々の人種が続くことから、社会は予防
することが可能である。」 5 精神障害者に子どもを産ませないことは、社会の安寧であり、
州の財政からも救済的処置であり、個人の権利は社会全体のために制限されて当然である
と断じている。判決後、ヴァージニア州立てんかん・精神薄弱施設では、10 年間に約 1,000
人が断種されている。Holmes 裁判官が三世代にわたる精神薄弱は十分であると述べた、
キャリー・バックが断種される前に産んだ娘は、小学校2年のとき、消化器疾患で死亡し
4
ダニエル・J・ケヴルズ『優生学の名のもとに』(朝日新聞社、1993 年)169∼176 頁参照。なお原
著は、Daniel J・Kevles , IN THE NAME OF EUGENICS ,1985 である。
5
Lori B.Andrews, Prenatal Screening and the Culture of Motherhood , HASTINGS LAW
JOURNAL Vol.47 ,1996, at 991。
ているが学校の教師たちは、非常に利発な女の子だったと語っている。 6
その後、1928 年にスイス、翌年、デンマーク、1934 年にスウェーデン、他にも、フイ
ンランド、ノルウェー、カナダの2州において、この判決の5年以内に断種法が制定され
た。スイスは、保健局の許可のみで、本人同意の原則はなく、デンマークは当初、本人の
同意を必要としていたが、5年後には公益上、必要であると認められた場合には、本人の
同意は不要となり、本人、家族の意思に反しても強制することを合法化した。スウェーデ
ンは当初、対象者を特定の精神病、精神薄弱者、その他の精神的無能力者に限定し、対象
者が自己決定能力を期待できない人々だからという理由で、保健局の審査ないし、医師の
鑑定に基づき、本人同意は不要とした。しかし、断種が十分な効果をあげていないとし、
同意能力を有する人々にも対象を拡大するために、本人同意の原則が明記された。従って、
その同意は、施設や刑務所の待遇改善や退所の条件として、半ば強制的なものや、経済的
困窮者への中絶、婚姻の許可、福祉サービスを受給するための交換条件として提示された
り、また、精神薄弱者への同意はインフォームド・コンセントがなされたのか、更に未成
年者や同意能力のない者には、例外として、本人同意は不要と明記されたりしたものであ
った。7 国家あるいは、権力を有する者が同意を得ようとすれば、本人の意思に反しても同
意を得ることは容易い。スウェーデン政府はこれらの同意が、強制や不確実な同意であっ
たことを認め、1999 年より補償を開始している。
判決の6年後、1933 年、ヒトラーが断種法を制定した。ヒトラーは最大の文明国、アメ
リカを手本にしたといわれている。同法に基づく不妊手術の件数は推定で 36 万∼40 万と
いわれており、約八割は知的障害、精神障害者で占められている。同法第2条には「不妊
手術の申請は手術を受ける本人がおこなうものとする」と規定しており、本人の自己決定
原則を定めている。しかし、同時に同条に、法的に有効な自己決定(能力)が期待できな
い者については、法定代理人や施設の長が代理申請できると記されており、自己決定を重
視しつつも、一方では、自己決定能力のないとされる者へ対しては、一人前の市民ではな
く、従って「低価値者」であり、侵害されるような意思や権利がない、よって国家が委任
をされたものとして、権限をもつという倫理が導き出されている。
1939 年、ドイツ軍がポーランドへ侵攻した日、不妊手術中止の政令と伴に、安楽死計画
がこの日付で出され、産ませない暴力から、生命を抹殺する行為へと変貌している。その
犠牲者の数は、少なくとも7万∼20 万に達するといわれている。その安楽死計画でさえ、
自己決定原則は謳われている。ナチスが安楽死を合法化するために、ドイツ帝国法務省刑
法委員会が準備していた法律の第1条には「不治の病にあり、本人自身または他人に対し
て重大な負担をおわせている者、もしくは死に至ることが確実な病にある者は、当人の明
確な要請にもとづき、かつ特別の権限を与えられた医師の同意を得たうえで、医師による
6
7
ダニエル・前掲注(4)196 頁参照。
市野川容孝「社会的なものの概念と生命」(『思想』908、岩波書店、2000 年)50∼55 頁参照。
致死扶助(=安楽死)を得ることができる」と記されている。断種法と同様に、個人の自
己決定は尊重する、しかし、それが期待できない「低価値者」の人々はそれ故に、生きる
に値しない存在であるという帰結がなされている。 8
この安楽死は、人種差別のナショナリズムではなく、社会の負担となる者を疎ましく思
う心理と伴に、アーリア人としての美しい肢体、優秀な能力に相応しくないという完全な
ものへの嗜好、そして、ドイツ国民として誇り高き死を与えるという慈悲殺だったといわ
れている。ニュルンベルグ裁判において、安楽死計画の重要な役割を実行したブラックは、
判事の「ユダヤ系ドイツ人はどうしてこの計画から排除されたのですか」という問いに対
して、
「それは、おそらく政府がこの博愛的行為をユダヤ人に対しては認めたくなかったか
らでしょう」9 と答えている。あの頃、金髪碧眼の美しく、優秀なアーリア人が理想とされ
た。その単一の価値観故の、最も恐ろしい帰結である。
また、ナチス政府は用意周到に、自己決定に基づく安楽死をテーマにした「私は告発す
る」という映画を 41 年に製作し、既に行われていた安楽死計画の必要性を広く、国民に
訴えた。多発生硬化症に罹患したハナという女性の「耳も聞こえず、話もできず、白痴に
なった私をあなたには見せたくない」という嘆願(自己決定)に基づき、安楽死を実行し
た医師である夫が殺人罪として、起訴された法廷で、逆に、安楽死を認めない法制度を告
発するという内容である。10 不治の病にかかったものは生き続ける資格がないことと、健
康な自分は自分であるが、障害者になれば、もはや自分ではなくなる、故に意識の明確な
うちに自己決定によって、尊厳ある死を選択するというメッセージである。尊厳ある生と
はなにか、障害者となれば、もはや生きるに値しない故に死を選択する行為を美化し、国
家の障害者への大量殺戮を正当化しようとしている。
ナチスによるホロコーストが明らかになるにつれ、優生学は汚辱にまみれ、第二次大戦
後、優生学は急速に、警戒心を呼び起こす用語となった。アメリカ優生協会は、1947 年の
議事録の中で、
「積極的に優生学を宣伝すべきでない」とするまでになり、ゴルトン研究所
の最も重要な刊行物の名称を『優生学紀要』から『人類遺伝紀要』に変更している。しか
し、様々な科学者が様々な形で、優生学を決して手放し、あきらめたわけではなかった。
医学的治療のために遺伝学を利用したり、人口集団の生物的特性の質を高めたり、遺伝病
相談施設開設などに努力した。 11
8
市 野川容孝「ナ チズムを問い なおす」(『ヒューマ ンライ ツ』 121、部落解放研究所 、 1998 年) 22∼
24 頁参照。
9
10
市野川容孝「現代医療とナチズム」講演会資料(2000 年 11 月 25 日)4 頁。
市野川容孝「『自己決定』と人権」(生命操作を考える市民の会編『生と死の先端医療 いのちが破壊
される時代』解放出版社、1998 年)175 頁参照。
11
ダニエル・前掲注(4)431∼433 頁参照。
2、新しい優生学
再び、優生学が盛り返してきたのは、1960 年代のことであった。
高名な科学者たちが、優生学を人類の生存と繁栄の重要な解決法として、見直しはじめ
た。1959 年、ダウン症 12 の原因となる染色体異常の発見をはじめ、鎌状赤血球貧血症、13 サ
ラセミア 14 など単一遺伝子異常による原因遺伝子が次々と解明された。
「遺伝子工学」という新語は、1965 年につくられ、生殖や遺伝の過程でのミクロの操作
を意味するようになり、69 年、ジンシャイマーは「遺伝の生化学の知識と進化の仕組みに
関するわれわれの理解の、劇的ともいえる進歩に基づく新しい優生学が生まれつつある」15
と述べている。新しい優生学は、政治的背景や民族差別に根ざしたものではなく、病気や
異常の原因遺伝子を解明する科学に基づいたものであり、不妊手術や安楽死などではなく、
遺伝子診断、胚操作、遺伝子治療といった高度な技術を駆使する。新しい優生学は個人の
レベルで達成可能な形として現れた。
1911 年、第一回、社会科学者会議において発表された、優生学による解決策について、
最終的な処置としては、淘汰の過程を変異と遺伝の操作によって、生殖細胞の段階に移行
させることであるというプレッツの夢はもはや、夢ではなく、ほんの少し手を伸ばせば届
く位置に我々は立っている。 16
1972 年に、イギリス、アメリカの州や自治体において、新生児に対するフェニルケトン
12
ダウン症候群とは、21 番目の染色体が3本ある状態で、21 トリソミーともいわれる。精神発達遅滞
や内蔵奇形をともなうこともあるが、その程度はさまざまであり、芸術分野などで活躍している人も
多い。日本では千人に一人の発症頻度といわれている。妊婦の年齢が高くなれば頻度が高くなる傾向
にある。医師の認識も様々で、2年前に関東地区の大学病院でダウン症 児を出産した、母親は大学内
の図書館にあった 20 年ほど前の本にダウン症児の寿命が 10 歳ほどというのは本当かと聞いたら、そ
の医師は本にそう書いてあるならそうでしょうと言った
という。その母親は自分で必死に調べ、新
幹線に乗り、専門医の診察を受けている。
13
鎌 状赤 血球貧 血とは 、キャ リアで あるど ちらかの 親か ら受け 継いだ 1個の変 異遺 伝子に よる
遺伝
性血液障害である。アメリカの黒人に多く 500 人に1人の割で遺伝しているといわれている。ヘモグ
ロビンが凝集し、赤血球が鎌の形に歪んでしまい、臓器に障害を起こす。アメリカでは強制的なスク
リーニングテストにより、様々な差別を引き起こした。
14
サ ラセ ミアと は、地 中海貧 血とも いわれ 、両親が キャ リアの 場合、 常染色体 の劣 性遺伝 による 。地
中海沿岸地方の人に患者が多い。赤血球蛋白であるヘモグロビンの一部の欠損による血液障害である。
15
16
ダニエル・前掲注(4)432 頁参照。
市野川容孝・前掲注(9)2 頁参照。
尿症 17 のスクリーニング 18 が開始された。当時は、精度が不十分で診断が誤ったがため、
必要な子どもが見過ごされて、食事制限を受けずに知的障害を予防できなかったり、不必
要な子どもに食事制限がされたり、悲惨な結果をもたらした。しかし、この検査の費用は
1人当たり1ドルもかからず、発見が遅れて、患児を施設に入れてケアするのに1人当た
り、1,300 万ドルと見積もられ、この明白な費用便益効果は出生後診断の範囲を拡大する
に至った。 19
遺伝子スクリーニングは成人や新生児にも、多くの州で義務付けられるようになり、強
制的なスクリーニングはプライバシーを守る権利について、憲法上の問題を引き起こした。
例えば、ペンシルバニア州では、新生児は強制的にデュシャンヌ型筋ジストロフィー 20 の
検査を受けさせられる。例え、早期に発見したとしても、疾患による臨床的な経過を変え
ることができないにも関わらず、母親がキャリア(保因者) 21 であることを特定し、次回
への出産に備えて、情報を提供するためである。 22
ラムジーは道徳的にスクリーニングが正当化されるには、検査を受けた人を含めたすべ
ての人間に脅威を与える伝染病で、治療法が存在する場合のみであるとする。胎児や新生
児における非伝染病のスクリーニングの代行同意は、目的が治療で、検査が無害の場合に
限ってのみ正当化されると警告している。 23 治療法がなくとも、早期の診断は両親に心構
えを用意させるともいわれているが、往々に不安と混乱と悲嘆を生じさせることになり、
スクリーニング化への導入は、慎重な配慮と議論が必要であり、
「社会・倫理・生命科学協
会」の研究グループの報告書は、遺伝疾患を予防するための強制的スクリーニングには、
現時点では、何等の公衆保健上の正当化事由はないと論じ、あくまでも自発的な希望に基
づく場合にのみ、正当化している。しかしながら、根強い反論があり、利用しえて開発さ
れている治療方法を実行するとともに、不治のものについては、系統的な中絶によって、
17
フ ェニ ルケト ン尿症 とは、 アミノ 酸の一 種である フェ ニルア ラニン の代謝異 常に よるも ので、 知能
の発育障害を伴う。出生直後に発見し、フェニルアラニンを含まない食事により、予防できる。
18
ス クリ ーニン グとは 、集団 検査に よる篩 い分けの こと である 。新生 児スクリ ーニ ング、 遺伝病 、発
症前などさまざまな種類のスクリーニングがある。あくまでもコスト評価し、事前の検査を普及させ
た方がメリットがあると評価された場合のみ検査の対象となる。
19
20
ダニエル・前掲注(4)437 頁参照。
デュシャンヌ型筋ジストロフィーとは、X 連鎖劣性遺伝病の一種であり、小児期に発病し、筋力低
下、下肢から上肢にかけて障害が進行する。
21
キ ャリ アとは 、病因 遺伝子 、つま り変異 遺伝子が 一つ あって も、そ の対立遺 伝子 が正常 に機能 して
おり、本人には疾病は通常、現れない。両親がともにキャリアの場合、生まれる子の 1/4 が患者とな
り、1/2 はキャリアとなり、残りの 1/4 は全くの健康者となる。
22
23
Andrews,supra note 5 ,at 972。
保木本一郎『遺伝子操作と法』(日本評論社、1994 年)210,226 頁参照。
もたらされる社会の利益を重視すべきであるとの意見もある。
出生前診断は、1966 年に世界で初めて、羊水細胞の染色体分析が実施され、この羊水検
査の開始と伴に広がった。
最初は、子どもの Rh 因子の病気 24 の有無を調べるのに使われ、伴性劣性遺伝病 25 の出
生前診断に使われていたが、やがて、胎児の性別判定に用いられるようになった。70 年代
半ばになると、100 の染色体異常が羊水検査で見つかるようになり、23 の先天性代謝異常
も診断可能となった。しかし、早期に異常が判明しても、治療できるものは、ほんの 15%
しかないといわれており、病気があると判明した両親には二つの選択しかない。胎児を中
絶するか、病気の子どもと共に生きるかのどちらかである。
1992 年 3 月、ロンドンのハマースミス病院で生まれたクロイは、体外受精技術と最新
の遺伝子診断技術によって、胚の段階で、嚢胞性線維症 26 の有無を検査し、その後、正常
な胚だけを母親の子宮へ移植されて誕生した初の赤ちゃんである。
その後、欧米では、嚢胞性線維症、テイ・ザックス病、 27 鎌状赤血球貧血症などに臨床
応用されている。他にも、伴性劣性遺伝病など多くの疾患が対象とみなされている。この
方法は受精卵の着床前診断と呼ばれ、受精卵(胚)から1∼2個の割球を採取し、特定の
疾患を発症する可能性のない胚のみを子宮に戻し、健常な児を誕生させようとする。97 年
現在、14 ヶ国 36 施設にて実施され、既に 166 人が誕生している。 28
この検査の推進者は、この方法は選択的中絶と異なり、倫理的・社会的問題がないとし
ているが、安全性の問題や母体への心身の負担が大きいこと、遺伝子レベルでの、いのち
の選別や対象疾患の拡大、遺伝子操作へつながることへの危惧から、多くの反対がある。
日本においては 1998 年、日本産科婦人科学会が着床前診断を条件付きで認めている。
2000 年 2 月、鹿児島大が申請した、デュシャンヌ型筋ジストロフィーについての着床前
24
母親の Rh 式血液型が陰性で、胎児が陽性の場合、母親に抗体がつくられ、それが胎児に移行して、
胎児や新生児に溶血が起こるために、羊水中のビリルビン濃度を調べる。
25
性染色体上に原因遺伝子がある遺伝病。原因遺伝子はX染色体上にあり、大部分が劣性遺伝なので、
男性に病気が現れやすく、女性は保因者になっても発病はしない。
26
アメリカで生まれる子どもたちの 2,500 人に1人が影響を受ける重大な遺伝子疾患である。肺、膵
臓、汗線に影響を及ぼす。肺を清潔な状態にして、感染予防が重要になる。両親からの劣性遺伝子に
よって起こる。
27
テイ・ザックス病とは、出生時には正常にみえるが、生後 6 ヶ月より症状が現れ、中枢神経系の進
行性破壊を起こし、悪化し 3∼5 歳で死に至るといわれる。ある種の代謝性老廃物を処分するために体
細胞が必要とする酵素が欠けているために起こる。ユダヤ系アメリカ人の約 25 人に1人がキャリアと
いわれている。
28
永田行博他「受精卵の着床前診断」
(『周産期医学』28-8、特集「出生前診断の最前線」東京医学社、
1998 年)1009∼1011 頁参照。
診断を産科婦人科学会は却下した。その理由は「原因遺伝子を直接、調べるべきで、性別
で診断する今回の方法は認められない」として不承認とした。いのちの選別につながるだ
けに実施対象を安易に拡大しないように歯止めをかけている。 29
これらの技術がさらに改良されると、遺伝子の人為操作はどこまで可能だろうか。
既に、アメリカでは、遺伝子検査は医療の実践の中へ迅速に入ってきており、実質的に
は一夜にして、標準的な医療ケアの一部となってきている。 30
初めは病気を判明させるための性別判断が、そのうちに、両親が希望する性別の胎児の
みを出産する現象を引き起こしている。アメリカで行われた調査によると、遺伝学者のう
ち、性別選択を目的とした出生前診断を是とする人の割合は、1973 年には1%であったが、
1988 年には 20%近くに上昇している。国際的に性別選択を目的とした中絶を最も行って
いる国はインドである。この国は老齢年金に該当するものがなく、男児が生まれると家族
に報償金がでる仕組みとなっており、更に娘の場合、結婚する際に持参金を用意しなけれ
ばならず、社会的にも経済的にも男児の誕生が好まれる。従って、女児の胎児は中絶され
やすい。政府の調査によれば、ボンベイ地域の 1978 年から 1982 年にかけて、中絶された
8,000 件のうち、女児の胎児が 7,999 件を占めていた。このように両親にとって「望まし
くない」遺伝素因をもつ胎児は、胚の段階あるいは中絶によって除去されていく事態が予
想される。法学者のキンブレルは、実際の重篤な疾患とは何ら関係しない各種の「悪い」
遺伝子を排除する方向へ向かうことになるであろうと忠告している。胚や胎児の遺伝子診
断を疾患以外の目的である、形質の選別に利用することは、人間の優生学的操作であり、
新しい危険な領域に連結することになる。 31
より健康な赤ちゃんを望むのはいけないことだろうかと科学者は問う。
ポール・ラムゼイは「親であることの自由は、子ども自身にも重荷を背負わせるような重
大な障害をもつ子どもを産む権利ではない」と述べている。ジンマーマンをはじめ、胚細
胞の遺伝子操作による生殖細胞系療法を支持する人々は、治療という職務の倫理義務を拡
大して、これから母親になる人の健康への責任を含めるようにすべきだと主張している。
親が子宮内で遺伝的欠陥を修正しないことは、犯罪であり、怠ることは親としての義務違
反であると。親は遺伝的責任を子どもや社会に対して負わされ、自然にまかせた出産は、
社会から不道徳だと責められるようになるかも知れない。人間の「完璧」化へ向かって、
個人レベルで、そして国家レベルで踏みだそうとしている。既に、1992 年のハリス社世論
調査によると、アメリカ人の 43%が、赤ちゃんの肉体的特徴を改善するために、遺伝子治
療を使うことに賛成している。 32
29
30
31
32
毎日新聞
2000 年 2 月 26 日付朝刊参照。
Andrews,supra note 5 ,at 1006。
キンブレル・前掲注(2)180∼188 頁参照。
ジェレミー・リフキン『バイテク・センチュリー』(集英社、1999 年)185∼198 頁参照。なお原著
人間が技術を選択して利用しなければ、技術が人間の欲望を増大させ、技術が人間をコ
ントロールする。技術の利用とともに人権意識の後退化に歯止めはあるのだろうか。
何が完璧で、何が異常で、何が悪いかという観念は、既成の文化的枠組みの反映にしか
過ぎず、偏見や差別の現れである場合が多い。法学者J・アナスは「正常の定義自体はい
くらでも変わりうる。子ども自身が幸せになりうるかということよりもむしろ、親がその
子どもと一緒にいて、幸せでいられるかということが関心の的になっていることが問題な
のだ」と危惧している。 33
「異常」や「欠陥」の定義が遺伝学の知識によって、社会的偏見を正当化するかも知れ
ない。科学の進歩によって、万人が平等であるという大原則は、もろくも崩されるのであ
ろうか。妊娠・出産や中絶はもともと個人的なことである。しかし、高度な医療技術によ
って、社会の負担が増加すると思われる人々を予防し、効果をあげるために、子どもをつ
くることに公的な規制を課すことを要求するようになるかも知れない。個人や家族の幸福
や権利よりも、社会全体のために、益々管理されていく未来へ進んで行くのだろうか。
「来るべき時代は、単に親の子どもであることはできない。そうではなく、人民の子ど
も、国家の子どもでもあるのだ。
・・社会化が着手されるのであれば、その対象として、経
済において最も重要な財である人間の生命が忘れられてはならない」34 こう述べているの
は、1918 年、ワイマール共和国成立直後、産婦人科医で社会衛生学者のヒルシュである。
この思想は、現代においても、
「公共性」および個人の幸福という名目によって十分に正当
化されている。
3、WHO の予防と選択的中絶
出生前診断技術は急速に飛躍を遂げつつある。母体血による胎児の DNA 診断法 35 が近
い将来、実用化されようとしている。アメリカでは NIH(国立保健研究所)の統括の下に、
ハイリスク妊婦を対象に調査研究が進められており、日本でも金沢医大などで研究が進め
られている。この方法は、確率で示される母体血清マーカー検査とは違い、信頼性の高い
ものといわれており、実用化し現実のものとなれば広く臨床応用されて、本人の informed
decision があれば、希望するすべての妊婦が対象となり得るといわれている。 36
は、Jeremy Rifkin , THE BIOTECH CENTURY , 1998 である。
33
34
キンブレル・前掲注(2)191 頁。
市野川・前掲注(7)44∼45 頁。
35
胎児の DNA 診断、詳しくは,http://www.kanazawa-med.ac.jp 参照。
36
高林晴夫「母体血中の胎児由来細胞による DNA 診断」
(『周産期医学』28-8、東京医学社、 1998 年)
1027∼1031 頁参照。
出生前診断は確実に手を広げようとしている。着床前遺伝子診断により、受精卵の段階
で「欠陥」を見つけだし、確実に排除しようとし、更に診断技術を安全に、簡便に、信頼
性を高め、対象を拡大しようとしている。その結果、何が行われるのか。それは異常のあ
る受精卵は廃棄され、胎児は抹殺されていくことである。
これは出生前診断、DNA 診断という科学、高度医療技術を駆使した優生学ではないの
かという議論に対し、個人の自己決定に基づくものであり、強制ではないから優生学では
ないという主張がなされている。しかし、それは、社会に不適合な生命の誕生を防止する
という、目的を達成するために、個人が自らの生殖に関して、科学の力を利用して、どの
ようにしてもよいという言葉の代わりに「自己決定」を用いたに過ぎないと思われる。
WHO は「遺伝医学は、個人あるいは家族の生活の質の向上を目的としている。今日の
遺伝医学の精神は、当事者の生殖に関する目標にとって、最適な決断を当事者自身が下す
ことを援助するということである。これが、今日の遺伝医学と過去の優生学の決定的な違
いである」 37 と記載している。つまり、WHO は最終的な決断を、本人が決定するという
ところにのみ優生学でないとの根拠を見いだしている。自己決定の結果、優生学が引き起
こされても、偶発的な結果であり、個々人の集積に過ぎないと放置するのであろうか。自
らが是とする検査によって、引き起こされた結果について、何の責任も配慮もしないとい
うこ と は、 公共 的 保健 政策 に 多大 な影 響 力を もち 、 公平 、平 等 、正 義原 則 を主 軸に おく
WHO の姿勢として問題であろう。
また、検査を受けるかどうか、その結果によって中絶するか否かの一連が、自由で自発
的な選択が様々な要因で阻害されており、その結果、大半の妊婦が中絶を選択している(せ
ざるを得ない)状況で、誰にとって、最適な判断を下すというのだろうか。
WHO は「障害者は社会的負担である」との基本的姿勢をとっており、出生前診断を遺
伝医学の予防策と位置づけ、社会的費用の最適性、効率性から評価している。1990 年から
91 年にヨーロッパにおいて、行われた出生前診断のスクリーニングについて「住民ベース
のスクリーニングを通した遺伝性疾患の大規模な予防策のよい例である」38 と示している。
このような WHO のいう生活の質の向上を目的として、最適な決断とはいかなるものであ
ろうか。おのずと一つの方向性が期待されていると考えられる。
「すべての人々に可能な限り高いレベルの健康をもたらすこと」39 を目標に掲げる WHO
は、その実現のために、個人の自己決定による優生学の効果を期待し、その恩恵を被る人々
を選択し、健康に対して一つの価値判断を示したといえるのである。井上氏は「リベラリ
ズムのいう公共的価値としての正義なるものは価値判断ではなく、自ら発展させ、自己の
37
38
39
鈴森薫「出生前診断と生命倫理」(『出生前診断と胎児治療』メジカルビュー社、1999 年)13 頁。
玉井真理子訳『ヨーローッパ地域遺伝サービス』(WHO,1991 年)2 頁。
WHO (http://www.who.or.jp.homej/objective.html,2000/11/2)
生のための資源・環境の公平な配分と整備に関わる諸価値」 40 だと述べている。
例えば、出生前診断の発祥の地、イギリスでは現在、どのようなことが起こっているの
であろうか。母体血清マーカー検査は 1978 年には、スコットランド全域に普及し、やが
てイギリス全土に広がり、ほとんどの妊婦が公費負担にて、検査を受けている。その結果、
1960 年には年間 500 人だった二分脊椎症 41 と無脳児 42 の出生数は、1996 年には2人に
まで激減している。43 遺伝学の目的の一つである「疾患につながる遺伝子の保因者の人口
を減らすこと」44 は確実に達成している。そして、もう一つの目的である、福祉コストの
削減についても、ダウン症の胎児を一人発見するのにかかる費用は3万8千ポンド、その
胎児を中絶すれば、検査にかかる公的費用は、一人のダウン症者を生涯支える費用と比べ、
1/3 であるという、論文が発表されている。 45
イギリス、リーズ大学のカックルは、
「社会全体として、障害のある子どもの出産をでき
る限り削減するために、限られた財政や技術で、我々は最善の努力をしています。私たち
がスクリーニングを実施しても、受ける人がいなければ中止するでしょう。スクリーニン
グでダウン症候群や二分脊椎が発見されても、女性たちが中絶しないというなら、やはり
中止です。選択そのものを主眼として実施しているのではありません」46 と断言している。
あくまでも目的があり、その目的を達成するためには、女性に中絶をしてもらわねばその
目的は完遂し得ないのだから、結果により、産むか産まないは女性の選択であるという自
己決定は、言い訳逃れの建前としての機能しか期待されていないようである。
WHO は「個人・カップルの選択が結果として疾患の発生率を下げることになるのは『優
生学』ではない」 47
と示しており、個々人の選択の集積が、現に生きている障害者や遺
伝病をもつ人々が、同じ病気をもつ子どもの出生数の低下により、医療サービスが受けづ
らくなってきている。イギリスでは、以前は二分脊椎症の治療法は確立されたもの(患者
が多かったので)だったが、今となっては、手術を受けるにあたらないとみなされている。
二分脊椎症の子どもをもつ母親は「なぜ産んだのか」という周りの視線が怖いという。今
や、二分脊椎症の子どもは、生まれてきてはならなかった生命として、見つめられるのだ
40
41
井上達夫『他者への自由』(創文社、1999 年)105 頁。
二 分脊 椎症と は、脊 柱の欠 陥で、 神経管 閉鎖不全 症の 中では 一番多 い疾患で ある 。閉鎖 不全の 場所
によって知的発達遅延や他の障害の有無が異なる。正確な原因は不明である。
42
無 脳症 とは、 神経管 閉鎖不 全症の 一つで 、妊娠初 期に 神経管 がその 最上部で 融合 できず 、脳の 発達
に障害を及ぼす。大半は流産になり、半数は死産、生きて産まれても数日で死亡する。
43
44
45
46
47
生命操作(http://www.nhk.or.jp/forum/life/case2/c-011.html,2000/7/19)参照。
根村直美「WHO の<健康>の定義」(『現代思想』28-10、青土社、2000 年)160 頁。
生命操作(http://www.nhk.or.jp/forum/life/case2/c-011.html,2000/7/19)参照。
市野川容孝「神なき世界と確率」(『現代思想』28-1、青土社、2000 年)140 頁。
根村・前掲注(44)164 頁。
ろうか。このような状況は現存する障害や遺伝病のある人々や家族にとって最大の屈辱で
あろう。たまたま障害や遺伝病をもって生まれてきただけという人々へ、存在を否定する
という最大の基本的人権を侵害し、その結果、福祉国家、社会国家として、恩恵を享受す
る側の人々はどのように償うことができるのであろう。彼らが消滅する一世代まてばよい
とでもいうような基本的人権の侵害を許容しながらの「福祉国家」への歩みは、人権の後
退化ではないのかと考える。それとも不確実でよく判らない未来への遺伝子プールへの改
善と経済的合理主義が優位を占める社会に生きることを我々はいつの間にか選択をしてし
まったのだろうか。
4、向かわされた自己決定と法的規制
結局、出生前診断の予防とは選択的中絶による、異常のある胎児の抹殺と、現存する障
害者や遺伝病のある人々への実質的な医療サービスの低下という脅威を与え、治療の対象
にもならない、生存するに値しない人々であるという基本的人権の侵害や、人々の間に優
生思想を強固なものに定着させている。それらの対価として、疾患につながる遺伝子の保
因者の人口を減らすことや次世代への予防が促進され、福祉コストが大幅に削減されると
いわれている。
自己決定は、最終的には個人〃の判断ではあるが、社会のなかに、科学の顔をした優生
思想を取り込み、循環し始めたシステムのなかから、個人が抜け出すことは容易ではない。
目の前には、その不利益がまざまざと提示されている。かつて、
「不良な子孫の出生を防止
する」するために国家が強制的に行ってきた不妊手術よりも、確実に強固に、遺伝学や科
学技術の力を武器に目的を達成させようとしている。事実上の優生学を「女性の自己決定
権」という回路を通して、個人の自由だからと称しながらも、社会や国家の期待する選択
肢へ向かわされる装置であり、砂糖菓子でくるまれた刃のようなものである。
「女性の自己決定権」に置き換えられた、事実上の優生学は、異常のある胎児や障害者
へのしわ寄せと、出生前診断による生殖の医療介入を受け、女性の心身の負担が増え、選
択的中絶へと誘う道しか見えない中で、女性自身が最終決断と責任を担わされている。そ
の結果、
「社会全体の利益」の向上といわれる恩恵は、その他の大勢の人が享受する。更に
社会の負担となるリスクを少なくするために、優生学は今後、増大する可能性がある。新
たないのちを産み出す女性へ期待する自己決定権を発動させるため、用意周到に女性一人
ひとりの個人としての選択の余地を益々、閉ざし子どもの品質管理を強いるようになるか
も知れない。優生学は強かに、科学の力を背景に個人の幸福や健康へのバージョンアップ
の顔をして、居座ってしまう可能性もある。確かな一つの方向性への価値観のみを提示し
て。我々が公共的利益として確認してきた、平等や生命・個人の尊重、弱者への権利擁護
や配慮、寛容や共生の意識といった共通認識は、優生学や功利主義の現実的な費用便益効
果にいとも簡単に呑み込まれ、全権委任してしまうほど、脆弱な基盤だったのであろうか、
それとも個人の優生選択の誘惑は抗しがたい大きいものであるといえるのかも知れない。
しかし、条件付きの生命や条件付きの子どもの未来には、何が待っているのか、我々は
責任ある答えを考えなければならない。優生学の装置は益々、バリエーションを増やし、
消極的優生学から、積極的優生学へと手を伸ばし、用意周到に女性一人ひとりの個人に、
デザイナー・チャイルド 48 のカタログを提供するかも知れない。自己決定権を個人の嗜好、
自由と規定すれば、制約するものは何もないであろう。しかし、本来の生殖に関する自由
や自己決定権は、産む/産まないを意思に反して、国家によって管理されてきたことへの決
別であり、決して優生学を支えるための、向かわされた自己決定や、何をしてもよいとい
う自己決定ではなかったはずである。個人を社会の犠牲者にするような自己決定は自己決
定ではなく、意図さえされていなかったと思われる。個人の何をしてもよいという、対内
的自由拡大への、自己決定権は公共的利益から制約しうる。公共的利益とは、多数者の利
益ではなく、全体の利益でもない。優生思想を正当化した社会全体の利益でもない。自己
決定権を個人の「自由」を重視し、それに基礎づけるのではなく、
「平等」に基礎づけるよ
うに考えなければ、我々は未来世代に対して真の責任を負うことはできないと考える。ど
のような社会を残せるのか、未来への影響を慎重に考慮する義務がある。斎藤氏は「生殖
の自由は、さまざまな人と共生する『私たち』の自由でなければならない」と述べている。
49
自己決定権が万能でないことは、クローン技術の人間への適応は、世界的に禁止の方向
に向かいつつあることからもいえる。しかしながら、クローン人間の誕生は、法的規制の
ない国において、日夜、研究が進められており、その実現も時間の問題とさえいわれてい
る。日本においても、国内で禁止されている代理母による出産のため、海外に渡る夫婦も
いる。このように一国や数カ国だけの禁止だけではなく、世界的に統合した法的規制を設
けなければ、規制のない国や緩い国に行くだけであって意味がないものになろう。また一
般に、代理母や卵の提供者は、その報酬にひかれての経済的弱者が多く、自分の身体と精
神が被るリスクについての認識が不十分だといわれている。富める者が貧しい人々への搾
取や人権侵害にならないよう健全な社会へ向かうためにも世界の協調が必要である。この
ようなことにこそ、WHO の本領が発揮されるべきだと期待される。
日本では、生殖技術の応用に関しては、個別学会の自主規制によるガイドラインに委ね
られ、法的規制のないままに運用されている。2000 年 12 月 26 日、厚生科学審議会の「生
殖補助医療技術に関する専門委員会」は、近親者や第三者からの精子、卵子、胚の提供を
条件付きで認める最終報告をだした。これを受けて法務省などと協議に入り、法制度など
48
49
両親が好ましい遺伝子を自由に組み込んで出産する未来の子ども
斎藤有紀子「選択的中絶と法」(日本法哲学会編『法哲学年報』、1996 年)155 頁。
の条件整備を行う予定である。50 委員会の基本的な考え方は、生まれてくる子の福祉を優
先し、優生思想や商業主義を排除したものであるが、それだけでは不十分であろう。もっ
ぱら治療の対象となる女性への精神的・肉体的健康への配慮と社会的有害性・影響につい
ても同様に重視しなければならないと考える。子どもをもつということは、妊娠すればよ
いのではなく、誕生してからの人生が家族関係をどのようなものにするか、家族からの精
子、卵子、胚の提供によって出産した子どもの成長とともに人の心理は、どのように変化
を遂げるのか否か、まだ見ぬ答えをだすために、当事者や関係者の意見を傾聴し、専門家
のみならず、広く国民の意見を聞くことが必要であろう。個人の自由や自己決定権を最大
限、尊重するアメリカ型ではなく、既に立法化されているドイツ、オーストリア、スイス
のように、生まれてくる「子どもの幸福」を最大限、考慮し、またその幸福の保障に必要
な「家族」という社会的枠組みを可能な限り安定させることを基本的姿勢にする慎重さは
学ぶべきことが多いと考える。
しかしながら、自己決定権の公的規制だけで世界的に統合した見解をつくることは困難
である。アメリカのように徹底した個人主義と自由主義が基本原理にある国においては、
例え、代理母やクローン禁止法が成立したとしても、憲法に基礎づけられた個人の「子ど
もをもつ自由」を最大限、尊重し、国家は個人のこの権利の行使を原則として妨げること
はできないとされており、国家の禁止法と個人の生殖の自由のどちらが優位になるかは微
妙な問題であると思われる。法の枠組みに「倫理」を入れる可能性を見出さなければ、我々
は科学技術の進歩が人の倫理観を意のままに統治することや、生殖の自由を個人の自己決
定権として総てを委ねることへの危機感や恐怖感から抜け出すことはより困難であろう。
ハートは法と道徳は違うとしているが、ドゥオーキンは法の原理(プリンシプル)という
概念は直接的には道徳の概念から派生してくるものであると述べている。51 現存する人間
の自己利益や欲望を優先させることは、私たちの自由や平等をもたらしはしないであろう
し、まだ生存しない未来の子どもの福利とは何かを個々人で答えを出せるほど簡単ではな
いであろうと思われる。自己の目的の手段化に他者を利用しない、道具化は許されないと
いう他者への尊重と個人の尊重において、さらに人権とはなにかを精鋭化させ、新たな原
理を構築させなければならない。
おわりに
自己決定は阻害される要因が、複雑に絡み合って、自分の意思さえも見失ってしまうよ
50
51
朝日新聞 2000 年 12 月 27 日付朝刊参照。
遠藤比呂通「ドゥオーキン哲学を読むために」(『ライフズ・ドミニオン』信山社、1998 年)404∼
405 頁参照。
うな状況で重大な決断をしなければならないことが多い。追いつめられたなかで、無理に
答えを出し後悔せずに済むように、他者への尊重と配慮をし、社会全体が改善すべきこと
に対して、状況を改善し、不利益のない現実的な選択肢を増やすことが自律を促進し、自
らの生をより豊かなものにしていく契機になると思われる。生命への価値序列という留保
を許さない、根元的な平等と、開かれた共同体の一員として、切断された個人ではなく、
双方向性の個人主義の一員として自らの生を自分らしく、生きていくための一つの切り札
として自己決定の可能性を活かすためにも、自己決定のもろさと危険性を十分に認識する
必要性がある。そして、社会全体のためという「公共性」と個々人の内なる優生思想を誘
発させる自己決定の自由のあり方と共生について真剣に考えていかねばならないと考える。
環境主義とリベラリズム
谷本光男(龍谷大学文学部)
自然環境をめぐる社会哲学的問題
環境問題を考えるとき、常に心に引っかかっていた問題がある。それは「環境主義とリ
ベラリズムは両立可能なのか」という問題である。リベラリズムにシンパシーを抱いてい
る私にとってはどうしても気になる問題であるから、ここで少し考えてみたい。
「少し」と
言ったのは、実はこの問題は私が専攻する「倫理学」では十分に答えられないものであっ
て、政治理論・公共政策・法律・経済システムのあいだの複雑な関係を視野を入れた「社
会哲学」の枠内でしか十分に扱いえない問題だからである(とはいえ、
「社会哲学」はどの
ようなものであるべきかに関して、私に明確な意見があるわけではない。ただ、社会の中
で起こっている多くの問題、例えば医療をめぐる問題、自然環境をめぐる問題、多文化主
義をめぐる問題、ナショナリズムをめぐる問題などを総合的に扱うことを可能にする「社
会哲学」がどうしても必要であると思っている)。したがって、ここでは何が問題なのかを
明らかにすることしかできない。しかも、本稿は「論文」といえるようなものではなく、
今後の研究のための「覚え書き」にすぎないものである。
宇沢弘文は『地球温暖化を考える』
(岩波新書)の中で、自分が環境問題、とりわけ地球
温暖化の問題に関心をもっているのはリベラリズムを守るためである、と述べている。曰
く「地球温暖化に象徴される 20 世紀の文明はやがて、リベラリズムの立場を貫くことが
できないような状況を作り出し、将来の世代が、人間の尊厳を保ち、市民的自由を守り続
けることが不可能になる危険をもつように思われるからです。」(p.183)宇沢が「リベラ
リズム」で意味しているのは、
「人間の尊厳を保ち、市民的自由を守るということを基本と
してものごとを考え、行動する」思想であり、
「決して政治権力、経済的富、宗教的権威に
屈することなく、一人一人が、人間的尊厳を失うことなく、それぞれがもっている先天的、
後天的な資質を充分に生かし、夢と希望とが実現できるような社会を作り出そうという」
(p.180)思想である。しかし、宇沢が言うように「自然環境を守ること」と「市民的自
由を守ること」とは果たして両立するのだろうか。例えば、宇沢は炭素税の導入を提案し
ているが、これは明らかにわれわれの経済活動の自由に介入するものである。自由主義者
の中には、例えばリバタリアンのように、おそらく強く反対する者がいるように思われる。
一方、大澤真幸は、「<自由な社会>のために」(『<不気味なもの>の政治学』新書館、
所収)という論文で、
「 地球の自然環境の保持という理念は、自由という理念と同じ程度に、
われわれの社会構想にとって手放しえない方針である」(p.160)と認めたうえで、この二
つの理念のあいだには解消しがたい矛盾が懐胎されている、と述べている。大澤は環境問
題を二つの段階に区別している。1960 年代から 70 年代にかけての環境問題は、二つのテ
キストによって代表される。それは、1964 年に出版されたレイチェル・カーソンの『沈黙
の春』と、1972 年に出版されたローマ・クラブの報告書『成長の限界』である。前者は、
もっぱら農薬による公害を問題にし、後者は、地球の地下資源の絶対量に限界があり、そ
れはごく近い未来に枯渇してしまうという警告を行っている。大澤によれば、環境問題が
このような段階にある場合には、
「環境を守ること」と「自由主義」とは対立するものでは
ないという。大澤が考える「自由主義のマキシムな定義」は、社会における諸個人の自由
な行為を規制する唯一の原理は「危害原則」であるとするミルの思想である。大澤の言い
方では「他者に危害を与えない限りにおいて何をしてもよい、という範囲が、諸個人に対
して明確に規定されていることである。」
(p.161)このように自由主義を理解するなら、
『沈
黙の春』のメッセージは自由主義と十分に両立しうる。過剰な農薬は、虫や鳥だけでなく、
何よりも人間に危害を加えることだからである。
「 自分の所得や所有物に限界があったとし
ても、何らかの所得や所有物が手元に残っている以上は、自由主義は否定されない。ロー
マ・クラブの警告が自由主義にとって驚異ではないのも、これと同じ理由による。」
(p.162)
しかし、今日の環境問題は以上のような段階から明確にシフトしている。例えば、
「地球
環境問題」と言われる、オゾン層の破壊や地球の温暖化は、従来の環境問題とは性格を異
にしている。環境問題の焦点が地球規模の環境問題に移行した場合には、
「そこから導かれ
る思想的・実践的含意は、明確に自由主義と対立することになる。」(p.162)なぜなら、
自然環境にダメージを与えない行為は、それゆえ、自然環境の下に生きる他者に危害を与
えない行為は、原理的にはまったく存在せず、自由主義が成り立つための「他者に危害を
加えない行為の範囲」が確定されえなくなってしまうからである。例えば、二酸化炭素の
排出のことを考えてみよう。
「人間の任意の活動が―ただ端的に生きるということが―、直
接的・間接的に大量の二酸化炭素の排出をもたらしており、環境に回復不可能な害を与え
ることになるのである。」(p.162)
言うまでもなく、環境問題が明らかにしたのは、
「われわれがその内部で生きている空間
の容量が有限である」(p.163)ということである。地下資源が無限であれば、資源が枯渇
することはない。また、われわれが二酸化炭素を排出しても、空間が無限であれば、二酸
化炭素は拡散し、地球の温暖化につながることはない。近代思想は、よく言われるように、
人間の生きる空間が無限の広がりをもつことを暗黙の前提にしていた。環境問題を契機に、
この空間の無限性への暗黙の仮定から空間の有限性への自覚へと転換してきたことは、自
由の理念にとって大きな意味をもつ。
「無限空間の内にある限りにおいては、他者に危害を
加えない行為の範囲を、必ず定義することができる。だが、有限の空間の内で行使された
行為は、何らかの程度において、必ず同じ空間に内属する他者に危害をもたらすことにな
り、したがって、他者に危害を及ぼす行為/及ぼさない行為の分割は、原理的には不可能
だからである。」(p.163)
大澤は、このように述べ、環境問題への自覚、またその自覚に立脚する環境倫理は、自
由主義の土台そのものを堀り崩すものであって、
「環境倫理」と「自由主義」とは両立不可
能であると主張している。そして、次のように問うている。
「自由主義も環境の保護もとも
に放棄しえない至上の理念であるとするならば、われわれは、これをどう調停させるべき
なのか。」(p.167)
大澤は、
「環境倫理」と「自由主義」とのあいだの矛盾について、もう一点指摘している。
それは、自由主義が「平等な自由」という理念を通時的・共時的に普遍化した結果、自由
主義を否定するような帰結が生じうる、という点である。
「環境倫理」の一つの特徴は、権
利を享受する主体の範囲に、現在の世代だけではなく未来の世代をも含めた点にある。こ
れは、「自由の通時的な普遍化」として理解できる。「環境倫理」のもう一つの特徴は、権
利の主体を、人間以外の動物や自然物へと拡張しようとする志向性をもっている点にある。
これは、「自由の共時的な普遍化」と特徴づけることができる。かくして、「平等な自由」
という理念のもつ潜在的な可能性を徹底して追及した結果、個人が自由に行為できる領域
が存在しなくなってしまうのである。
しかし、大澤が言うように「環境倫理」と「リベラリズム」とは本当に対立する思想な
のだろうか。この問題をどのように考えたらよいのか。
恐怖のリベラリズム
最近、興味深いリベラリズム論を読んだ。ジュディス・シュクラーの「恐怖のリベラリ
ズム」という論文である(Judith Shklar,The Liberalism of Fear, in Nancy L.Rosenblum
(ed.),Liberalism and the Moral Life,Harvard University Press,1991,pp.21-38.以下、引
用の頁数は本書からのものである。なお、大川正彦による邦訳もある。『現代思想』6、
2001 年)。
論文のタイトルの「恐怖のリベラリズム」とは、内容的には「恐怖の回避を目指すリベ
ラリズム」という意味である。リベラリズムは政治的な教義であって、その目標はただ一
つ「個人的自由(personal freedom)を発揮するために必要不可欠な政治的条件を確保す
ること」(p.21)である。シュクラーによれば、「どの成人も公平に(恐怖を植え付けられ
ることもなく、えこひいきされることもなく)扱われ、他の成人のもつ同じ自由と両立可
能なかぎり、できるだけ多くの局面で自己の生を自ら事実上決定できなければならない」
(p.21)という信念こそが、リベラリズムが本来もっていた意味であり、またリベラリズ
ムが唯一擁護することのできる意味であるという。確かにここに述べられている「自律」
とか「自己決定」の思想は、多くの自由主義者が主張するものである。しかし、シュクラ
ーがとりわけ強調するのは、政府が個人の「自律」や「自己決定」を妨げてきた、また現
在でも妨げている、恐怖や残酷さである。シュクラーはリベラリズムの基礎を、西欧にお
ける宗教戦争の中から登場した寛容の擁護者たちの信念の中に求めている。
「 リベラリズム
のもっとも深い基礎と認められてしかるべき場所は、当初から、もっとも早く寛容を擁護
した者たちが抱いた確信のうちにある。すなわち、身の毛もよだつ恐怖の中から生まれて
きた確信、残酷さこそが絶対的悪、神や人類への攻撃であるという確信である。こうした
伝統からこそ、政治的な意味での恐怖のリベラリズムの主張は生じてきたのであり、私た
ちの時代のテロリズムのただ中にあって、重要性をもち続けているのである。」(p.23)
シュクラーは、
「恐怖のリベラリズム」を「自然権のリベラリズム(liberalism of natural
rights)」や「人格的発展のリベラリズム(liberalism of personal development)」から区
別している。「自然権のリベラリズム」とは、「前もって確立された理念的な規範秩序に―
自然の秩序であれ神の秩序であれ―不断に従うことを気遣う」
( p.26)リベラリズムであり、
これはロックのリベラリズムを指している。他方、「人格的発展のリベラリズム」は、「自
由は社会の進歩にとってばかりではなく、個人の進歩にとっても必要不可欠である」とす
るリベラリズムであり、これはミルのリベラリズムを指している。このうち前者に対して
は、次のように述べられている。
「自然権のリベラリズムが思い描く正しい社会とは、誰も
が自らや他人のために立ち上がることができ、かつそうした意欲をもち、政治的に逞しき
市民たちからなるものである。」
(pp.26-27)これに対して、
「恐怖のリベラリズム」は、人
間を「苦痛を感じる存在」(sentient beings)と捉え、人間性に潜む暴力への傾向や残酷
さを直視し、それらが生み出す恐怖から自由になるために「政治と権力の潜在的濫用者を
制約する」(p.31)制度機構を構想するものである。要するに、「恐怖のリベラリズム」は
モンテスキューに由来する「制限政府」(limited government)を求めるものであって、
シュクラーの言い方では「恐怖と残酷さの回避を基礎にして政治秩序を打ち建てること」
(p.32)を目指すものである。
このようなリベラリズム論が私にとって興味深いのは、個人の自由を擁護することの基
礎に「恐怖や残酷さの回避」がおかれている点である。今日では「リベラリズム」を定義
することはきわめてむずかしくなっている。
「リベラリズム」の名の下に、実に多くの異な
る議論が展開されている。イギリスの政治思想史家ジョン・グレイ(『自由主義』昭和堂、
pp.4-5)が指摘するように、すべての種類のリベラリズムには、
(1)集団に対する個人の
道徳的優位(個人主義)、(2)人間のあいだの道徳的価値の平等性(平等主義)、(3)人
類の道徳的一体性(普遍主義)、(4)社会制度・政治制度の修正可能性・改善可能性(改
革主義)、といった四つの特徴があるとしても、実際に行われているリベラリズムをめぐる
議論を見るなら、シュクラーが言うように「リベラリズムという言葉は、その意味の同一
性を完全に失ったように思える」
(p.21)のである。歴史の中で展開されてきたリベラリズ
ムにもっともうまく適合するのは、
「恐怖のリベラリズム」であるという主張には説得力が
ある。また、現代でも「ありとあらゆる場所で、人種差別、ゼノフォービア(外国人に対
する嫌悪や憎悪)、政府による組織だった蛮行が行き渡っている」(p.38)という事実にわ
れわれが目を向けるとき、リベラリズムの思想のもつ意義がよく理解できるように思われ
る。
しかし、シュクラーの論文を読みながら、私の念頭にあったのは、以上述べた点とは少
しちがっている。それはこういう問いである。このようなリベラリズムは環境問題に対し
てどのように対応するのか。シュクラーが支持するリベラルな国家は環境問題にどのよう
に対処するのか。自由主義者は環境主義者が提案する環境政策を支持するのか。このよう
な問いをもって論文を読んでみると、シュクラーが環境問題をまったく念頭に置いていな
いことがわかる。しかも、この論文が執筆されたころ、すでに『沈黙の春』も『成長の限
界』も出版されているのである。また、論文の執筆と同じころ、地球学者ジェームズ・ハ
ンセンがアメリカの議会で地球温暖化の脅威を指摘しているのである。個人の自由を守る
ことに深くコミットする思想家が環境問題に関心をまったくもっていない(ように見える)
のはどうしてなのだろうか。
シュクラーによれば、リベラリズムは、他人の自由に対する干渉の禁止を別にすれば、
人がどのように生を送るべきか、あるいはどのような個人的選択をなさねばならないかに
ついて、積極的に語るべきものは何ももっていないという。これは、中立性テーゼ、つま
り「善き生の構想」に対する国家の中立性の主張である。そのうえで、次のように述べて
い る 。「 恐 怖 の リ ベ ラ リ ズ ム が 拒 絶 し な け れ ば な ら な い の は 、 個 人 の 一 身 に か か わ る
(personal)領域と公的なもの(public)の領域とのあいだの違いをまったく認識しない
政治的教義だけである。」(p.24)もちろん、この両者の境界線は、歴史的に見れば、永遠
不変の、変更不可能なものではない。しかし、自由主義者は常にその境界線をどこかに設
定しなければならない。リベラリズムにとって重要なことは、
「この境界線がどこに引かれ
るかではなく、むしろそれが引かれるべきであり、状況がどのようなものであっても無視
されたり忘れられたりしてはならないということだ。」
(p.24)
「この境界線から、どのよう
な公共政策においても、この区分は考慮されなくてはならず、公共政策はもっとも厳しい
現下の基準を満たすような仕方で意識的に支持されなくてはならない、ということが要請
されるのである。」(p.24)
この文章を読めば、先に述べた大澤真幸の指摘が思い浮かぶ。環境主義者たちは、シュ
クラーが守ろうとしている「私的領域」と「公的領域」の区分を認めないように思えるの
である。自然環境を中心に考えるなら、われわれのいかなる行為も何らかの仕方で自然環
境に影響を及ぼしうるのである。例えば、誰もいないところでの喫煙も、自然環境に影響
を及ぼしうるのである。したがって、自然環境を守るためには、原理的にはわれわれのす
べての行為が規制の対象となるであろう。そうであれば、シュクラーのリベラリズムは成
立しないことになる。さらにまた、先の中立性テーゼからわかるように、シュクラーは「共
通善(common good)の政治」を認めない。
「リベラリズムはまさに教育者―国家(educative
state)に反対するために起こってきたのである。」
(p.33)ところが、環境主義者は自然と
人間との望ましい関係に基づいてある特定の環境政策を提案し、その実現を企てようとし
ているのである。これは、シュクラーが認めないある特定の「善き生の構想」に基づく政
治であって、「共通善の政治」と言えるであろう。
このように見てくると、
「リベラリズム」と「環境主義」とはまったく両立しないように
思える。むしろ、思想的に鋭く対立しているように思える。しかし、これは本当にそうな
のだろうか。
リバタリアニズムの環境問題へのアプローチ
現代のいかなる思想も環境問題への対処を考慮に入れる必要がある。環境問題に配慮し
ない思想は、
「現代思想」としてどこかまちがっている。言うまでもなく、環境問題はわれ
われ人類が二一世紀において直面することになるもっとも大きな問題だからである。リベ
ラリズムという政治思想も、だから当然環境問題を視野に入れる必要がある。では、どの
ように考えるべきなのか。
ここで取り上げるのは、リバタリアニズムの見解である。森村進の『自由はどこまで可
能か』
(講談社現代新書)を考えてみよう。リバタリアニズムは、
「自由至上主義」とか「自
由尊重主義」と訳されることもあるが、最近では「リバタリアニズム」とカタカナで表記
されることが多い。これは、ジョン・ロールズの「平等主義的リベラリズム」に対して(「平
等主義的リベラリズム」としてはロナルド・ドゥオーキンのほうが徹底しているが)、「首
尾一貫して個人の自由を尊重する立場」
(p.17)である。むろん、リバタリアニズムも一枚
岩ではない。その内部にいくつかの立場の違いを抱えている。森村によれば、リバタリア
ニズムは大きく二つの論点から分類できるという(pp.21-22)。第一は、
「いかなる国家(政
府)までを正当とみなすか」であり、第二は、
「諸個人の自由の尊重を正当化する根拠は何
か」である。第一の論点から、次のように分類することができる。①いかなる国家であれ、
国家の廃止を主張する立場。これは、「アナルコ・キャピタリズム」(無政府資本主義)と
か「市場アナーキズム」と呼ばれる立場である。②国家の役割を国防・裁判・治安などに
限定する「最小国家論」である。③それ以外のある程度の福祉・サービス活動を行う国家
を考える「古典的自由主義」である。次に、第二の論点からは、次のように分類できる。
(Ⅰ)
「自己所有権」に訴える「自然権論」。
「自己所有権」とは「各人は自分自身の所有者
である」ということ。より詳しくいえば「各人は自分自身の人身と能力の道徳的に正当な
所有者である。それゆえ、各人は他の人々を侵害しない限りで、その能力を自分の好きな
ように用いる(道徳的な)自由がある」(pp.34-35)というものである。(Ⅱ)自由を尊重
する社会のほうが全体の福祉を最大にするという「帰結主義」。(Ⅲ)理性的な人間であれ
ば、リバタリアンな社会の原理に合意するはずだとする「契約論」。森村自身は、このうち
の③(Ⅰ)の立場であり、「自然権論的古典的自由主義者」である、と述べている。
以上のようなリバタリアニズムに対して、環境問題との関係ではどのようなことが言え
るだろうか。以上の立場のうち、①の「国家の廃止を主張する立場」と②の「最小国家論」
は、環境問題の解決に積極的な関心を示すことはないであろう。前者はそもそも国家その
ものを否定しているから、国家の環境政策を考えることすら不可能である。後者の「最小
国家論」も、国家による資源の配分を認めないから、環境政策を国家の役割のうちに含め
ないであろう。それゆえ、環境問題の観点から見るかぎり、この二つの立場はまったく説
得力がなく、われわれが受け入れることのできないものである。その点で、森村が③の立
場を取ることには共感がもてる。では、
「自然権論的古典的自由主義者」は環境問題にどの
ように対処するのか。
基本的には、自由市場が環境問題を解決する、というものである。第一に、自由市場経
済の基礎にある私有財産制度を徹底化することである。森村によれば、環境問題の多くは
私的所有権の侵害である。例えば、公害などの大気や水の汚染は、その空気や水の利用者
の人身や財産に対する侵害である。ところが、汚染者たちは他人の人身と財産に損害を与
えているにもかかわらず、その責任を問われない。それゆえ、
「最善の公害対策は、私的所
有権、とくに不動産所有権の厳格な執行―侵害行為に対する事前的な差し止めと、事後的
な損害賠償―である。」
(p.198)そして、その際に重要なことは、
「無過失責任主義」と「自
己責任の原則」
(自分が作り出した汚染は、社会全体ではなく、自分が責任を負うことを要
求するもの)を適用すべきである、と森村はいう。
資源が無主物として扱われる場合、その資源は濫用されやすい。所有者は自分の資源を
長期的に効率的に利用しようとする動機をもっているが、無主の資源の利用者は、自分の
行為がもたらす目の前の利益しか気にしないものである(p.199)。その結果、(森村は述
べていないが)ギャレット・ハーディンがいう「共有地の悲劇」が起こることになる。ハ
ーディンが提案したように、共有地を分割して私有化することからもわかるように、
「環境
汚染をもたらすのは私有財産制度ではなく、むしろその不徹底なのである」(p.199)とい
うことになる。
第二に、日本で環境への意識が高まったのは、日本人が経済的に豊かなになったからで
ある。経済的に余裕のない国に住む人々は、生きることに精一杯で自然環境に構っていら
れない。それゆえ「自由市場経済は人々を一層豊かにすることによって、より良い環境を
享受できるようにする」(p.200)のである。
第三に、市場では資源が効率的に配分され、新しい技術の開発も進むから、
「同じだけの
財を生み出すために必要な資源の量は減少する」(p.200)のである。
最後に、森村が強く主張するのは、政府こそが環境破壊の最大の元凶である、という点
である。政府は、景気の回復の名の下に公共事業を押し進め、自然環境を取り返しのつか
ないほど破壊している。森村は「その大部分は経済的に採算がとれないものだから、自由
市場では決して実行に移されなかっただろう」(pp.200-201)と述べている。
以上のような意見に対しては、もちろん、多くの議論が可能であろう。経済学者のあい
だにも「市場経済」への批判がある。
「市場の失敗」という言葉は、最近、よく耳にするも
のである。先日、読んだ『環境政策研究のフロンティア』
(これは、環境社会学会、環境法
政策学会、環境経済・政策学会、環境科学会が主催の合同シンポジウムの記録である。当
然のことかもしれないが、環境倫理学者の出席はゼロであったようである)には、市場に
対する懐疑的意見がいくつか述べられている。しかし、それに対する批判も述べられてい
る。例えば、市場メカニズムがうまく機能した例として「石油危機のもとでの省エネの促
進」が挙げられている。すなわち、石油危機のとき、原油価格が高騰し、それに対応する
省エネが先進国では圧倒的に進んだ、というものである(『環境政策研究のフロンティア』
東洋経済新報社、pp.58-59)。きっとこれ以外にも多くの例を挙げることができるであろう。
そうであれば、環境保護に関して市場の役割を全面的に否定することはまちがっているよ
うに思われる。おそらく、次のようなことがせいぜい言えることではなかろうか。
「環境主
義者にとって正しい問いとは、市場をいかにして放棄するかではない。市場はどのような
種類の環境財を提供することができ、また提供することができないかという問いである。」
(高津融男「環境保全とリベラリズム」『同志社法学』50 巻1号、p.183)残念なことに、
この問いに答えるだけの知識を、私は持ち合わせていない。
ところで、森村は自由市場による環境問題の解決を述べているだけではない。リバタリ
アンとしてそれ以上のことも主張している。一つは、
「将来世代への配慮義務」であり、も
う一つは、「動物保護論」である。前者は、「リバタリアンも将来の世代への何からの配慮
義務を認めるべきである」(p.202)というものである。リバタリアンの中には、これを認
めない者がいることも指摘している。すなわち、リバタリアニズムが尊重する権利は、現
在の権利者およびその生成過程にある者だけであり、漠然とした「将来の世代」には権利
を認めることはできず、それゆえ配慮する義務もない、という意見である。しかし、森村
によれば、この答えはかえってリバタリアニズムの説得力を減殺してしまう、という。そ
こで、
「現在の隣人だけでなく、将来の世代の生存や健康を損なうような環境汚染も禁止さ
れてしかるべきである」(p.203)と述べている。そして、「将来の世代への配慮義務」の
根拠は、次の点におかれている。すなわち「自らの財産の所有権が他人の人身と財産を侵
害する自由を含まないように、現在の世代の権利は将来の世代の人身を侵害する自由を含
まない。」(p.202)これは「他人」を未来にまで拡大したものである。しかし、このよう
に「他人」を拡大したとき、リバタリアニズムの眼目である「個人の自由を徹底して擁護
する思想」に反することになるのではあるまいか。個人の自由の領域として果たして何が
残っているのだろうか。
これは、第二の「動物保護論」についても言えるだろう。森村はピーター・シンガーな
どの「動物解放論」にシンパシーを示している。人間と同様に、動物も快苦を感じる能力
がある。他人に理由のない苦痛を与えることが不正であるように、動物に無用な苦痛を与
えることも不正である。このような、いわば功利主義的な理由から「動物保護論」は擁護
できるという。それに関連して、ディープ・エコロジーのような、種や生態系の保存を主
張するエコロジー思想に対しては、次のような批判を加えている。
「生態系至上主義の全体
論(ホーリズム)は、個々の人々の幸不幸ではなく「人類」とか「民族」といった、抽象
的な集団の栄枯盛衰だけに関心をもつ全体主義のエコロジー上のヴァージョン、それも生
態 系 の 変 化 よ り も 安 定 を 求 め る 保 守 主 義 的 ヴ ァ ー ジ ョ ン に す ぎ な い よ う に 思 わ れ る 。」
(p.206)リバタリアニズムは、「動物解放論」とはその個人主義的側面(正確には、個体
主義的側面)で親和的であるが、ホーリズムとは発想がそもそも異なるから、このような
意見が出てくるのも理解できるものである。
結局のところ、
「リバタリアニズムが説得力をもつためには、将来の世代の人々に対して
も、感覚をもつ動物に対しても、十分な理由なしに害を加えることを差し控えるべき義務
を認めるべきだろう」(p.207)ということになる。この意見に対して、われわれはどのよ
うに考えたらよいのか。まず第一に、
「動物解放論」へのコミットメントは、森村の「自然
権論」と整合的であるか、という疑問がすぐ出てくるであろう。この点で、シンガーのほ
うが首尾一貫しているように思える。シンガーは『実践の倫理』(昭和堂)第 10 章におい
て、環境倫理について述べているが、シンガーによれば、環境倫理の基礎は「遠い未来の
世代を含めたすべての感覚をもつ生き物の利益への配慮」
(p.340)であるという。しかし、
このような批判に対しては「帰結主義は自然権論でも契約論でも無視できるものではない」
(p.25)と答えられるかもしれない。もっと重要なことは、森村の環境問題についての意
見では、リバタリアニズムそのものが成立しなくなるのではないか、という疑問である。
森村は「自己所有権の内容を具体化しやすい現実の諸個人と違って、これらの存在(将来
の世代および快苦を感じる動物)が人々の行動にいかなる制約を課するのかは特定しにく
いが、それはやむをえないことである」(p.207)と述べているが、私には将来の世代や動
物の利益を配慮するなら、「人々の行動に対する制約」は莫大なものであるように思える。
将来の世代に配慮しながら、なおかつ感覚をもつ動物に配慮しながら、われわれが行動す
るとき、尊重されるべきものとしての個人の自由はどういうことになるのだろうか。もち
ろん、「政府による規制や統制」(p.207)を否定しているから、個人の自由は守られてい
ると言えるかもしれない。けれども、もしそうなら、単にそのように言ってみるだけで、
自然環境の保護にはつながらないように思われる。
リバタリアニズムはとりわけ環境問題に関して、どのような政策と結びつくのだろうか。
それがよくわからない。しかし、これはリバタリアニズムだけの問題ではない。一体、環
境主義はどのように政策と結びつくのだろうか。これを考えないことには、環境主義とリ
ベラリズムとの関係は見えてこない。そこで次に、環境主義が支持すると思われる一つの
法律を取り上げて考えてみよう。
テリコ・ダム事件
詳しくは、畠山武道の『アメリカの環境保護法』
(北海道大学図書刊行会)に譲りたいが、
「テリコ・ダム事件」の概略を述べると以下の通りである。
リトルテネシー川流域は、アメリカの中で考古学的にもっとも重要な地域として古くか
ら知られていた。
「流れは清冽でオゾンに富み、栄養が豊かで魚が溢れ、流域は信じがたい
ほどに肥沃で、表土は 20 フィートにも達した。古くからチェロキー・インディアンが居
住し、もっとも神聖な場所と神の隠れ家であるチョウタがそこにあった。」(p.342)この
ような場所にTVΑがダム建設を計画した。
「この計画によれば、計画建設用地は3万8千
エーカーで、そのうちリトルテネシー川を含む1万6千エーカーの地域が水没し、ダムサ
イトから 33 マイルまで航行可能な貯水池ができあがり、残りの土地に、レクリエーショ
ン施設、大規模工業用地、それにティンバーレイクと呼ばれる工業都市(想定人口五万人)
の造成などを行うことになっていた。」(p.343)もちろん、ダム予定地の渓谷に住む人た
ちや清流を愛する釣り人、カヌーイスト、それにこの地を聖地とあがめるインディアンた
ちは反対運動に立ち上がった。さらに環境保護団体「環境防衛基金」が加わり、計画の中
止を求めて仮処分的差止訴訟を起こした。しかし、結果的には、住民の完敗に終わった。
「裁判所は、仮処分的差止命令を解除して工事の再開を認め、74 年 2 月、控訴裁判所もこ
の判決を支持した。」(pp.344-345)
ところが、事態はある「発見」を契機に急展開した。その発見とは、水没予定地の中心
コィティースプリングでの矢魚の発見である。この矢魚は一般に「スネール・ダーター」
と呼ばれている。ちょうどそのころ、従来からあった二つの法律を改正・統合して新たに
「絶滅の危機にある種の法」(Endangered Species Act of 1973)が制定された。そこで、
焦点は、スネール・ダーターが、この法律によって「絶滅の危機にある種」に指定される
かどうか、また、その生息地であるテリコ・ダム建設予定地が「絶滅の危機にある生息地」
に地域指定されるかどうかに移った。ダム建設推進派、あるいは反対派のさまざまな動き
があったが、1977 年、控訴裁判所は、工事を差し止める旨の判決を下した。そのころのマ
スコミには、「小魚か、ダムか」という記事が頻繁に登場した。
1978 年、最高裁判所は、六対三で控訴裁判所の判決を支持し、テリコ・ダムの水門閉鎖
の停止を命じた。この判決は、
「これまでの環境訴訟に前例をみないほどの圧倒的な環境保
護主義者・保全論者の勝利であった」と言われている(p.347)。
ここで、最高裁判所判決について詳しく述べる必要はないと思うが、一カ所だけ引用し
ておこう。
「テリコ・ダムについては、回復不可能な何百万ドルの損失による大衆の負担が
スネール・ダータの損失を大幅に上回っているということもできよう。しかし、絶滅の危
機にある種の法、合衆国憲法三条のいずれも、連邦裁判所にこのような巧みな功利主義的
計算をする権限を与えていない。逆に、法律の明快な言語は、
(その立法史によっても支持
されるが)連邦議会が絶滅の危機にある種の価値を「計算できない」ものとみなしていた
ことを、明白に示している。」(p.349)ここには、判決の基礎にある基本的な考え方が明
確に述べられている。
テリコ・ダム建設差し止めの根拠となったのは、1973 年の「絶滅の危機にある種の法」
である。この法律についての詳しい説明も畠山の書物に委ねたいが、畠山によれば、「(こ
の)法は、一定の種の保存が人間活動に無条件に優先し、そのために人間の活動にも制限
が加えられるべきことを初めて認めたのであり、従来の人間中心の自然観や権利の観念を
根本的に修正したともいえる」(pp.357-358)ものであり、また「絶滅の危機にある種の
法は、生態系保存の重要性を強調し、種の絶滅の防止がそれ以外のいかなる経済的価値に
もまさることを正面から認めた法律であり、その点で、従来の人間中心の自然観を否定し、
新たな自然観・倫理観のうえに築かれた新しい時代の自然保護法であるといえる」
(p.377)
ものである。
このような法律を自由主義者は支持するのであろうか。また、この法律と同類の法律や
国家の環境政策はリベラリズムと両立できるのだろうか。これを考えるためには、政治理
論と法律と社会政策とのあいだの複雑な関係を考えてみなければならない。
リベラリズムと公共政策
それを考えるために、ここで取り上げるには、マーク・サゴフの「環境主義者は自由主
義 者 で あ り う る か 」( Mark Sagoff,Can Environmentalists be Liberals? in Robert
Elliot(ed.), Environmental Ethics,Oxford University Press,1995,pp.165-187.)という論
文である。以下、この論文を参考にしながら考えてみよう。
サゴフが「環境主義」
(environmentalism)で念頭においているのは、
「アルド・レオポ
ルドの思想を継承する一つの運動としての環境主義」(p.166)である。レオポルドは「自
然保護とは、人間と土地(land)のあいだに調和が保たれた状態のことである」(p.166)
と述べている(この場合、「土地」とは「自然」と同義である)。レオポルドは、自然の共
同体(natural communities―生物種や生態系)のうちには、われわれに愛や感嘆を惹き
起こすような秩序や統合があり、そのために、われわれは単にわれわれ自身の福祉を増大
させるためではなく、自然そのもの(生物種や生態系)のために保護するよう努めるべき
だ、と考えた。サゴフは、レオポルドに代表される「環境主義」をギフォード・ピンショ
ーに代表される「自然保全主義」(conservationism)から区別している。「ピンショーの
伝統をひく人たちは、内的な価値をもつことのできる唯一のもの―目的それ自体と考えら
れうる唯一のもの―は、人間の福祉である、と主張している。この見解は、レオポルドや
彼の後継者たちの見解とはちがっている。彼らは、畏敬や愛や尊重の対象としての自然は
それ自身道徳的価値をもち、それゆえ、自然が単に人間にもたらす「満足」や「利益」の
た め で は な く 、 自 然 そ の も の の た め に 保 護 さ れ る べ き だ 、 と 主 張 し て い る の で あ る 。」
(p.167)そして、環境主義者は、自然そのものが有する文化的、歴史的、美的、宗教的
価値の重要性を主張するが、それだけでなく、これらの価値が立法の中に具体化されるこ
とを求めて運動を展開している。
「環境主義者たちは、もし彼らが多数派でないならば、あ
る種の道徳的な圧力団体(moral lobby)を作るように思われる。われわれが自然環境とど
のようにかかわるべきかに関して、環境主義者たちが倫理的理念と、おそらく宗教的理念
も具体化している法律を支持しているかぎり、そうである。」(p.169)
他方、サゴフが「自由主義」で念頭においているのは、「中立性リベラリズム」であり、
要するに、国家が中立であることの重要性を強調する思想である。サゴフは次のように述
べ て い る 。「 自 由 主 義 と は 、 善 に つ い て の 多 く の 対 立 す る 、 ま た 共 約 不 可 能 な 構 想
(conceptions)は、自由で自律的で合理的な行為と十分に両立しうる、と考えている政治
理論である。それゆえ、自由主義者は、政治的・社会的制度は、自由で平等な諸個人に自
らの生活を設計したり、自分が設計した生活を送るための(他人の同様の機会と両立する)
広範な機会を与えるように作られるべきだと主張するのである。」(p.169)これは、言い
換えれば、国家の任務は、ある特定の「善き生の構想」を推奨したり禁止したりすること
ではなく、諸個人が自らの「善き生の構想」を追求できるよう中立的な枠組みを提供する
ことだ、という思想である。
そこで、サゴフは問題を次のように提起している。
「もし環境保護の圧力団体が支持して
いる法律や政策が、倫理的、美的、宗教的理念に対して中立的ではなく、人間と自然との
ふさわしい関係についての一つの道徳的見解(a moral conception)を表しているとすれ
ば、環境主義者は自由主義者でありうるのか。」(p.169)
このように問題を立てるなら、当然、環境主義者は自由主義者ではありえないように思
える。逆にいえば、自由主義者は環境主義者が押し進める政策を支持することができない
ように思える。もちろん、環境主義者が「自然は人間の福祉のためではなく、自然そのも
ののために保護されるべきだ」と主張し、もっぱら議論のための議論を行うのであれば、
自由主義者たちはそのような議論の自由を認めるであろう。また、環境主義者が説得や啓
蒙に努めるだけであるなら、それは自由であるとみなすであろう。さらに、ある環境主義
者が自らの「環境倫理」に基づいて自然の奥深くに入り、他人に干渉することなく生活し
ようとするなら、それに異議を唱えることはないであろう。そういうことは、すべて「個
人の自由」に属することだからである。だから、純粋に理論のレベルで考えるなら、環境
主義とリベラリズムとは対立するものではない。また、こういうことも言える。リベラリ
ズムの伝統こそが、環境主義の誕生と開花に貢献してきたのである。これは、ロデリック・
F・ナッシュが『自然の権利』
(ちくま学芸文庫)の中で指摘している通りである。自由主
義者が反対するのは、ある一定の価値観ないし「善き生の構想」を政治権力によって強制
的に実現しようとする場合である。自由主義者から見ると、環境主義者たちがおこなって
いるのは、まさにそういう強制であって、これはまったく容認することができないもので
ある。
では、サゴフもそのように結論するのだろうか。そうではない。彼は、環境主義とリベ
ラリズムは矛盾し合うものではなく、環境主義者は自由主義者でありうる、というのであ
る。それはどういう意味なのだろうか。
すでに述べたように、環境主義とは、自然そのものに価値を認め、自然のために自然を
保護しようとする思想であり、非個人的な価値を追求し、しかもその価値を政治を通して
実現しようとする思想である。一方、自由主義とは、個人主義的な価値にコミットし、さ
まざまな「善き生の構想」に対する国家の中立性を主張する思想である。とすれば、環境
主義者が自由主義者であることはありえないだろう。逆にいえば、自由主義者が環境主義
者の政策を支持することはありえないだろう。しかしそれなのに、サゴフは両者は両立可
能であるという。どうしてそのように言えるのだろうか。
もちろん、リベラリズムを捉え直すことによってである。第一に、リベラリズムを個人
主義的な価値に基づく政治理論として理解する必要はない。共通善の追求によって社会の
統合を図る思想として、リベラリズムを理解することもできるのである。アメリカでは「リ
ベラル」という言葉は、ニュー・ディール以前の政治的議論の中には用いられなかったも
のである。フランクリン・ローズベルトが大統領になったとき、自らの政治をリベラルだ
と呼んだのであり、それ以来、ニュー・ディールの考え方や政策を評するために「リベラ
ル」という言葉が用いられるようになったのである。そして、ニュー・ディール政策にと
ってもっとも重要であったのは、単に進歩的な経済政策ではなく、新しい「国家の理念」
(national idea)であった。サゴフはベアー(Samuel Beer)の言葉を引用している。
「その国家の理念は、単にアメリカの連邦主義の考え方というだけでなく、公共政策の
原理でもあった。それは、公共政策の原理として、普通「国家建設」(nation-building)
と呼ばれるもののドクトリンである。その「国家の理念」が命じるものは、全体としての
国家の力を、社会の改善や個人の徳を促進させるためにだけでなく、国家をより連帯のあ
るものに、より団結のあるものに、ますます多様になりながらも、人々をより一層依存し
合うものにするために、要するに、国家を国家以上のものするために用いることである(to
make the nation more of a nation)。」(p.185)
国家は「共通の善」によって国民を統合するという新しい「国家の理念」は、政党とし
ては民主党の掲げる理念であった。民主党にとって自然環境の保護は重要な国の政策であ
る。それはカーター大統領の最終演説のうちに見ることができる。
「今日では、多くの国民
がわれわれの問題に対処する政府の能力について懐疑的になっている。そのために、国民
はどんなことが起ころうとも、個人的な見解や私的な利益を守ろうとして、ある一定の問
題にのみ関わる団体(single-issue groups)や特殊な利益を追求する組織(special interest
organizations)に引きつけられている。これがアメリカの政治生活を混乱させている要因
である。これはわれわれの目的を歪めるものである。なぜなら、国家の利益は、国民の個々
の利益、あるいは特殊な利益の単なる総和では必ずしもないからである。われわれはみん
な共にアメリカ人であって、共通の善こそがわれわれの共通の関心であり、われわれ個人
の責任であるということを忘れてはならない。」(p.186)
カーター大統領が「共通の善」ないし「共通の関心」に関わる問題として挙げているの
は、「核の脅威、地球の資源の管理、人間の基本的権利の至高性」(p.186)である。こう
して、民主党が支持するリベラリズムにとっては、自然環境の保護は重要な意味をもつこ
とになる。
要するに、サゴフは、リベラリズムを「個人主義的リベラリズム」と捉えるのではなく、
「共通善の政治」をリベラリズムに取り込もうとする、いわゆる「卓越主義的リベラリズ
ム」として理解しようとしているのである。
サゴフが「リベラリズム」を考え直す際に注目している第二のものは、政治理論と社会
政策との関係である。政治理論としてのリベラリズムは社会政策の基礎を提供するものと
考えられることが多い。もしこのように考えられるなら、リベラリズムから具体的な政策
として環境保護は出てこないことになる。なぜなら、リベラリズムが支持する政策は、富
を最大化する政策か、公正や権利や人格の平等を実現する政策であって、自然そのものの
ために自然を保護する政策ではないからである。サゴフによれば、政治理論としてのリベ
ラリズムは社会政策の基礎を提供するものではない。もしリベラルな政治理論における一
定の原理(功利主義的な原理、あるいは権利や平等という原理)に基づいて具体的な政策
が出てくるのであれば、リベラリズムは民主主義と両立できなくなる。
「リベラルな政治理
論は、自分が直面する道徳的問題に答えを与えてくれる、何らかの一般的な規則や原理を
採用するために、前もって民主主義にコミットすることはできない。もし政治理論にこう
いうことができるとしたら、政治理論は独裁的なものになり、民主主義と一致しないもの
になるであろう。」(p.181)また、現代の代表的な自由主義者であるロールズも、リベラ
リズムをそのように理解していない。ロールズが取り組んだ問題は、道徳的信念へのコミ
ットメントにおいて異なっているようにみえる個人や集団が、それにもかかわらず、共に
平和に生活することができ、かつ社会的協同の利益を保証することができるような、そう
いう社会制度を作るという問題である(p.182)。すなわち、ロールズの正義論が意図して
いるのは、個々の政策を導き出すことではなく、社会制度・政治制度の基本構造を明らか
にすることである。重要なことは、社会制度の基本構造と社会政策とを区別することであ
る。そして、リベラルな政治理論が関わるのは前者なのである。では、社会政策は何に基
づいているのか。それは、ある特定の「善き生の構想」である。サゴフはリベラリズムに
関して、二つの問いを区別している。すなわち、
(1)リベラリズムは社会制度や政治制度
の基本構造をどのように規定するのか。
(2)リベラリズムは社会政策の中で、どのような
ある特定の「善き生の構想」を擁護するのか。このうちの後者は、リベラリズムの政治哲
学に関する問題というよりは、むしろ政治的プログラム(政策)に関する問題である。自
由主義者は自分の政策を自分の政治哲学から導き出すことはできない。というのも、もし
それができるとすれば、彼らの政治哲学は善についての多くの相容れない、また共約不可
能な構想に対して中立的であり続けることができないからである。しかし、他方で、その
政策は、それがなぜ「リベラルである」と呼ばれるべきかをわれわれが理解できるように、
その哲学と密接な関係があるものでなければならない(p.182)。サゴフはこのように述べ
ているが、しかしリベラリズムの政治理論と政治的プログラム(政策)との関係について
は、詳しく述べているわけではない。サゴフは「環境主義の道徳的原理とリベラリズムの
政治的プログラムとの関係を(私にできるかぎり)説明するために、その政治的プログラ
ムの特性を述べる」に留めるという。
サゴフによれば、リベラリズムは二つの区別に基づいている。第一に、
「国家と市民社会」
の区別である。この区別は、要するに「公」と「私」の区別であり、サゴフの言い方では
「社会一般にかかわる(public concern)」領域と「個人の良心に任される」領域との区別
である。リベラリズムにとって重要なことは、国家が後者の領域に属する個人的な選択や
信念に介入しないことである。個人の道徳や個人の良心が問題である場合には、国家は厳
密に中立であるよう努めなければならない。国家の決定は、可能な限り、ある特定の「善
き生の構想」から独立になされなければならない。しかし、サゴフによれば、これはリベ
ラリズムと環境主義との関係について何も述べていないという。なぜなら、
「環境に関する
諸々の決定は概して、家の中で起こることではなく、戸外で起こることに関係する」
(p.183)ものだからである。言い換えれば、「個人の家庭(private home)の性格や質で
は な く 、 公 共 と い う 家事 ( public household) の 性 格 や 質 に か か わる も の な の で あ る 。」
(p.183)一般に環境政策は「会社や自治体の出資や廃棄物をどのように処理するのがよ
いのかを規制するものである。」(p.183)それは、個人的な事柄、例えば恋人や友人をど
のように扱うべきかとか、私はいかなる宗教的信念にコミットするか、などを規制するよ
うなものではない。こういうわけで「環境政策の内容がリベラリズムに本質的な中立性と
関連することはめったにないのである。」(p.183)
サゴフはこのように述べ、環境主義者が自由主義者であることを妨げるものではない、
と主張している。さらに、サゴフは「この区別(国家と市民社会の区別)は、自由主義者
がある特定の倫理的、文化的、美的な信念に基づく環境政策でさえも是認することを妨げ
るものである必要はない」ともいう。もちろん、これらの信念は、例えば友人の選択や宗
教や性的関係に関して、すべての人が有する自らの個人的な決定を下す権利を侵害しては
ならない。そして、サゴフは述べている。
「私には、こうした個人的な選択や信念を制限す
るような、環境保護に関するどのような法律(any environmental statute)も思い浮かべ
ることができないのである。」(p.184)
リベラリズムが依拠する第二の区別は、すでに述べたように、
「制度の基本構造と社会政
策」の区別である。政治理論としてのリベラリズムは、ただ前者にのみかかわるものであ
る。先に述べたように、これはロールズが取り組んだ問題である。サゴフは、リベラルな
政治理論が適用されるのは「社会政策のレベルにおいてではなく、社会の基本構造のレベ
ルにおいてなのである」(p.184)と述べている。
しかし、このことは、自由主義者がよい社会に関する見解をもっていないとか、社会政
策はどうあるべきかに関してまったく特定の見解をもっていない、ということを意味する
わけではない、とサゴフはいう。彼が主張しているのは、リベラルな社会政策はリベラル
な政治理論から出てくるものではない、ということである。むしろ「自由主義者はさまざ
まな理由から、人々が自分の価値観を発展させることができ、また自分の能力や想像力を
働かすことができるような、生き生きとした、多様な、快適な環境を提供する社会政策を
支持するのである。」(p.184)もちろん、それはどのような環境なのかを自由主義者に語
るような理論はまったくない。
「自由主義者は、政策のレベルでは、中立性や平等に関する
包括的見解に依拠しているのではなく、美的判断、道徳的直観、人間的な思いやり、誠実
さ、知性、良識に依拠しているのである。」(p.184)
しかし、にもかかわらず、社会政策のレベルで「リベラルである」と言われるのはどう
してなのか。サゴフによれば、社会政策のレベルでリベラリズムを特徴づけるものは、よ
い社会に関する特定の見解の欠如ではなく、よい社会に関する多様な見解に対して開かれ
ていること(openness)なのである。すなわち、さまざまな見解に対して心を開き、個々
の問題に対して進んで検討を加え、また個々の問題に対するそれぞれの見解のメリットを
一つひとつ判断しようとすることなのである。この「競合する見解への寛容」(p.184)な
態度こそが、社会政策のレベルにおけるリベラリズムを特徴づけるものである。サゴフが
ここで言おうとしているのは、リベラリズムとは、一般に理解されているように、ある「包
括的見解」(comprehensive view―例えば、効率や富の最大化を社会的規制の基準とする
見解や、政治的決定を権利や正義や人格の平等の概念に基づける見解など)から政策を導
き出す理論ではなく(もしそうであれば、人間の福祉のためではなく、自然環境そのもの
の保護を目標とする「環境主義」と、人間中心主義的な富の最大化や権利の実現を目指す
「リベラリズム」とは両立しえなくなる)、個々の問題に対するさまざまな見解に対して開
かれているという態度、言い換えれば、寛容であるという態度だ、ということである。
多少誤解があるかもしれないが、以上がサゴフのおおよその見解である。この見解につ
いて、われわれはどのように考えたらよいのだろうか。まず、政治理論と政策との関係を
考えてみよう。サゴフによれば、自由主義者が政策を考えるとき、一定の原理を前提にし
て考えるのではない、一定の原理を個々の状況に当てはめて政策を導き出すのではない、
という。しかし、藤原保信は『自由主義の再検討』
(岩波新書)の中で、功利主義の原理「最
大多数の最大幸福」について、これは「政府の政策を判断する基準である」(p.78)とか、
「政府の立法の目的である」(p.78)と述べている。また、ロールズの「平等な自由原理」
「格差原理」「公正な機会均等原理」からなる正義の原理については、「それによって制度
や政策や、時には行為が判断されるべき基準」(p.163)である、と述べている。これが意
味しているのは、リベラリズムは政策の基礎を提供する理論である、というものであろう。
もちろん、だからといって、サゴフの意見はまちがっているとはいえない。自由主義者が
民主主義を擁護する以上、政治理論から政策がストレートに出てくると考えることには無
理があるからである。しかし、それなら、とくに環境問題に関しては、民主主義の問題点
を考える必要があるように思われる。果たして民主主義のやり方によって環境問題が解決
できるのか、このように問うこともできよう。ところが、サゴフの議論の中には民主主義
への問いが欠けている。
次に、リベラリズムは必ずしも個人的な価値に基づく政治理論ではない、そのように考
える必要はないというサゴフの見解について考えてみよう。確かに、非個人主義的リベラ
リズムを主張する哲学者もいる。例えば、ラズのような、いわばコミュニタリアニズムを
取り入れたリベラリズムもある。しかし、サゴフはそのような理論を本論文において十分
展開しているわけではない。それゆえ、サゴフが擁護しようとするリベラリズムがどうい
うものなのか、今ひとつはっきりしないのである。そのことはまた、国家の中立性につい
てもいえるであろう。言うまでもなく、環境を守るために個人のできることはたくさんあ
る。ゴミの分別に協力する、ゴミを減らすよう努める、電気をムダに使わない、なるべく
車に乗らないようにするなど、個人が「エコロジカル・ライフ」を送ることは可能である。
しかし、そのような個人の努力は長続きしないし、個人の環境を守る活動には限界がある。
環境を守るとは、何よりも法律によって人間の活動を規制することである。そして、法律
を定めるのは国家の仕事である。そこで、環境問題の解決は、国家の在り方の問題にぶつ
かることになる。どのような国家であれば、環境保護が推進できるのか。自由主義者が支
持するリベラルな国家は環境政策を推進しうるのか。あるいは中立的な国家で環境が守れ
るのか。このような問いに対して、サゴフは本当のところ、どのように考えているのだろ
うか。サゴフは論文の最後に次のように述べている。
「もしわれわれがリベラリズムを一種
の個人主義と考えるならば、リベラリズムは社会的統合(social integration)を図る思想、
それゆえに環境主義や民主主義と明確に区別されるだけでなく、対立するものと考えられ
ることになる。しかし、リベラリズムを社会についての粒状の見方[社会を粒子の寄せ集
まりとみなす見方]、あるいは人格についてのアトミックな見方を主張するものだと考える
必要はない。つまり、多元主義を個人主義に押し込める必要はないのである。むしろ、多
元主義と統合との、また個人性(individuality)と共同性(community)とのバランスを
取ることによって、リベラリズムは民主主義と両立することができるのである。もしそれ
らのどちらかがわれわれにとって価値をもつべきであるならば、われわれはそれらの両方
を取らなければならないのである。」(pp.186-187)
以上、あまりまとまりもなく述べてきたが、このように見てくると、環境主義とリベラ
リズムとの両立可能性ないし不可能性の問題は、きわめて複雑であって、解決の困難な問
題であることがよくわかる。とくに必要なのは、リベラリズムを捉え直すことであろう。
おそらく具体的には、次のような問題を考えてみなければならないであろう。
(1)自由市場によって環境問題は解決できるのか。
(2)民主主義の手続きによって環境問題は解決できのか。
(3)リベラリズムの中立的な国家で環境が守れるのか。
これらは、明らかに「倫理学」の範囲を越えている問いである。経済システムの問題、
社会的な意思決定システムの問題、国家の在り方の問題など、すべてむずかしい問題であ
る。そして、これらの問題を一つひとつきちんと考えることなしには、環境主義とリベラ
リズムとの両立可能性ないし不可能性の問題に答えることはできないように思われる。私
の手に負えるかどうかはともかく、今後の研究課題としたい。(2001/10/10)
科学技術と責任の倫理
丸山徳次(龍谷大学文学部)
1.「責任」概念の曖昧さとその危険性
2.「責任」概念の多義性
(1)日本語の「責任」:古代官僚制モデル
(2)ハートによる「責任」の分類
(3)responsibility のルーツ:法廷モデル
(4)民事責任(不法行為責任)と産業化社会の進展
3.「責任」の類型と技術倫理
4.「責任」の構造
5.ハンス・ヨナスの責任原理
6.「責任」概念の形成と変遷:科学技術文明の進展と「責任」概念の転換
(1)「責任」の古典的モデル
(2)「責任」の名詞形の登場
(3)配慮責任の重要性
(4)作為と不作為の問題
(5)パラダイムとしての政治的責任
(6)あらゆる責任論の中心問題:帰責の基準の明確化
7.もうひとつの局面
1.「責任」概念の曖昧さとその危険性
以 下 に お い て 私 は 、「 科 学 技 術 」 と い う こ と で 基 本 的 に は technology な い し は
technoscience を理解している (1) 。科学技術に関する議論においは、戦後の「科学者の社会
的責任」をめぐるいくつかの議論を始め、近年の工学倫理(engineering ethics)にいたるま
で、
「責任」について論及されることが極めて多い。なぜこれほどまでに「責任」概念が重
要視されるのか、ということが問題のひとつである。次に、科学技術をめぐって「責任」
に論及することで、いったいどのような実質的成果をもたらしてくれるのか、過大な期待
はつつしまなければならないのではないか、というのがもうひとつの問題である。とりわ
け、
「責任」概念が曖昧なままで多用されるとき、いくつかの危険性が発生する。次のよう
な例を、まず、あげておきたい。
環境庁国立水俣病総合研究センターは、2000 年 2 月、「社会科学的研究会」報告書『水
俣病の悲劇を繰り返さないために』を出版した (2) 。A4 版 138 頁の本文中には、「責任」お
よびその熟語(「法的責任」や「責任者」など)が全部で 71 回登場(第 5 章「考察と教訓」
に集中)する。次のように、典型的な文を分類することができるだろう。
(a)「有害物質を扱う企業は、その物質に関して生産に関わる有用な情報だけでなく、有害
性に関する情報も収集しておく責任がある。」(p.68)
(b)「行政は、健康調査を行うかどうか、行うのであればどの程度の規模で行うかなどにつ
いて、自らの責任において決断すべきである。」(p.83)
(c)「化学工場は、安全性の考え方に基づき、排水の安全性を自ら証明できない場合は、結
果に対する責任を問われる。」(p.89)
(d)「政治家、行政官、研究者は、それぞれの権限と責任を自覚すべきである。」(p.97)
(e)「人命・健康の優先及び公害を起こさない経済発展方策の提示こそ日本の責任」(p.117)
まず、責任の主体(責任の担い手)に関して言えば、(d)が法律学でいう自然人であるの
に対して、その他は法人である。次に、責任の内容(何についてのどのような責任か)に
ついて言えば、(c) が民法のいわゆる不法行為責任について語っているのに対して、(a)、
(d) は役割に基づいた義務や責務とその堅持・自覚の必要性について述べているにすぎな
い。したがって、必ずしも「責任」という言葉で語らなくてもよいだろう。(b) は役割に
基づく義務や責務に自発的・自主的に応じるという意味での「責任」について述べている。
本報告書の場合、余りにも頻繁に、多義的な「責任」が語られているために、意味のイ
ンフレーションを起こしてしまっていて、「責任」がほとんど無意味化してしまっている。
このような場合、必ずしも「責任」という表現でなくてもよい文脈では、可能な限り別の
言葉に置き換えることによって、
「責任」の意味を確保する必要があるだろう。しかし、そ
のための明確な基準をわれわれが有していないことも、また確かである。
本報告書には、次のような倒錯した「責任」概念の使用例も見られる。
「人命に関わる緊急事態には原因確定を待ってはいられない。問題解決に責任ある立場の
人は、原因についてかなりの確からしさ(probability)を確認したら、それへの対応に伴う
補償の問題を抜きにして、その時々で考えられる対応を速やかにかつ広く積極的に決断実
行することが必要となる。行政官も政治家も、それによるリスクを負う責任を有している。」
(p.75)〔下線は筆者による強調〕
「それによるリスクを負う責任」とはいったい何を言っているのか。蓋然性のある状況
であるから、もし間違っていたら、その間違いについて責任を負わなければならない、と
いう主張のように解釈できる。もしそうだとしたら、私はこれを、官僚主義的・法律至上
主義的な「責任」観念の表明だと言わざるをえない。むしろこの文脈でまずもって主張す
べきは、
「行政官も政治家も、人命を尊重すること(安全性確保)について社会(市民・国
民)に対して責任がある」、ということではないだろうか。後に論じるように、「責任」概
念は関係概念であり、どのような指示関係があるのかを明確化しなければ、上のような倒
錯した責任観念の表明に転落する危険性がある。
もうひとつ別の著作を例としてあげておきたい。齋藤了文・坂下浩司編『はじめての工
学倫理』
(昭和堂、2001 年)においても、
「責任」概念の未整理なままの多用がもたらす危
険性がしばしば見て取れる。本書では、全部で 30 の事例が取り上げられていて、その多
くが訴訟事件ともなった出来事であるが、法律的責任と道徳的責任との明確な区別がない
まま「責任」が語られており、いったい何をもって工学「倫理」と解すればよいのか、判
然としない場合が多い。
「責任」概念についての十分な検討を前提にしないまま「責任」を
問題にすることによって、議論を非常に問題的な仕方で歪めている典型例は、次の文章で
ある。
「ボパール事故では、もはや責任の所在を特定の個人に求めることは不可能である。むし
ろ問題は、被害者である工場周辺の住民を含め、企業およびインド政府の側において安全
に対する関心が全般的に欠如していることにある。」(p.24)〔下線は筆者による強調〕
1984 年インド・ボパールの化学工場(ユニオン・カーバイド社)で起こった事故を事例
とした上の文章の著者は、大事故への拡大を避けがたい「複数の要因が以前から存在して
いた」こと、「しかも、それらはいずれも企業側のコスト削減努力の一環として行われた、
メンテナンスの縮小化に関係していた」ことを指摘し、その上さらに、被害者の多くが工
場周辺のスラム街に集中していたことを述べている(p.22)にもかかわらず、
「責任の所在を
特定の個人に求めることが不可能」だと言いつつ、まるで被害者の側(スラム街の地域住
民)にも責任の一端があるかのような発言をしている。
ボパール事件につていは、哲学者ジョン・ラッドの著名な分析があり、私は上に引用し
た文章を読んだとき、直ちに次のようなラッドの文を想起した。
「道徳的責任の概念をボパールのような事例に適用することができるためには、われわれ
は 責 任 (Verantwortung) と 、 罪 〔 債 務 的 責 任 〕 (Schuld) も し く は 非 難 可 能 性
(Tadelswürdigkeit)との結合を切り離さなければならない。・・・・ボパール事件にあっては、
特に管理者と政府の側に、工場周辺住民の安全に対する関心が全般的に欠如しているのを
確認することができる (3) 。」
法律的責任の追及ということが問題になる限り、個々人の個々の振る舞いに決定的な非
難可能性が認めがたい場合、もはや誰も責任がないことになってしまう。チャールズ・ペ
ロウの言うノーマル・アクシデント (4) 、すなわち今日の通常化してしまっている巨大事故
に一般的に見られることだが、事故は小さな不注意が多数重なり合った結果であって、個々
の不注意が必ずしも決定的な非難の(法律的責任追及の)対象にならない場合が多い。そ
うだとすると、法律的な責任追及とは別に、道徳的責任を何らかの形で確保しておきたい、
と考えるのは当然であろう。ラッドの議論は、こういう主旨で展開されている。だから、
工場管理者と政府の側に「工場周辺住民の安全に対する関心」が欠如していることは、管
理者個々人と政府の当該責任者個々人の「道徳的責任」の欠如を意味しているのであって、
その責任とは、地域住民の安全についての責任である。
ラッドは、罪〔罪責任・債務的責任〕(Schuld) ─後に述べるように日本の法律用語と
しての「責任」は通常ドイツ言の Schuld の訳語である─とはっきり区別して、
「道徳的
不十分さ」(moralische Unzulänglichkeit)ということを言う。「道徳的不十分さは・・・・わ
れわれの社会のいたる所に見いだせるものである。つまり、他者の安全性に対する関心、
他者の福祉〔安寧さ・幸福〕に対する関心が、例えば自己の物質的向上のような別の利害
関心 に 対し て第 二 次的 な位 置 を占 めて い るよ うな 所 では いた る 所で 見い だ せる もの であ
る。・・・・それがわれわれの諸制度の内に反映し、そして諸制度によって促進される。・・・・
こうした諸制度の基底にあるものこそ、<功利主義的個人主義>と呼ばれる支配的なイデ
オロギーである (5) 。」
2.「責任」概念の多義性
1では、
「責任」概念の曖昧さがもたらす危険性について論じた。責任の関係性を明確に
する必要があることを指摘し、また、法律的責任とそれとは異なった責任(例えば道徳的
責任)とをはっきり区別する必要があることも指摘した。
2では、「責任」概念の曖昧さがそれに由来するところの、「責任」概念の多義性につい
て、日本語の場合と、西洋語の場合について見ておきたい。
(1)日本語の「責任」:古代官僚制モデル
『日本国語大辞典』(小学館)は、「責任」について、次のように述べている。
「①責めを負ってなさなければならない任務。引き受けてしなければならない義務。②事
を担任してその結果の責めを負うこと。特に、悪い結果をまねいたとき、その損失などの
責めを負うこと。③法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をし
た者に負わされる法律的な制裁。民事責任と刑事責任に分けられる。④債務が弁済されな
い場合のために一定の財産が担保となっていること。債務に対する語として用いられる。」
後にハートの議論を吟味するが、ハートの分類に従えば、上の①は役割責任であり、②、
③、④はいずれも一種の負担責任であると考えられる。しかし、もともと日本語の「責任」
のルーツは、私なりの表現で言えば、<古代官僚制モデル>にあるのであって、法廷での
弁明・答弁という契機をもたない。
足立忠夫によれば、語源的に見て日本語の「責任」のルーツは、荘子『天道編第十三』
中の文「帝王聖人・・・無為なれば則ち事に任ずる者に責あり」にある。「任事者」とは、帝
王が統治を行うために必要な書記的事務を担任する者、役人・官吏である。そうした官吏
に、帝王が一定の要求をもって事務を委任し、官吏がその要求に応えてその事務を遂行す
ることが「責あり」ということである。足立は、責任の問題が、統治権の所持者たる帝王
と個人としての任事者とのあいだに発生するばかりか、帝王と任事者の集団としての階統
制的事務組織とのあいだにおいても発生することを指摘して、
「責任」が、元来、行政学的
文脈で語られたと主張している (6) 。ここから足立は、責任の観念に四つの局面のあること
を分析しているが、この議論はさらに西尾勝によって、次のように整理されている (7) 。す
なわち、①任務責任、②服従責任、③答弁責任、④受裁責任、の四つの局面である。本人
から代理人への事務の委任によって任務責任が発生し、職務遂行にあたって準拠すべき行
為準則を定めてそれを委任者が受任者に伝達することによって発生するのが服従責任であ
る。委任者は、職務遂行状況について報告を求め、質問し、受任者の行為を点検し、評価
しようとするが、これに対して受任者は己の行為とその結果について当の行為準則に照ら
して弁明し、釈明する。それが答弁責任であり、accountability としての責任だと言って
よいだろう。答弁の内容によっては、受任者に対して解任ないし懲戒免職といった制裁が
なされることになるが、この制裁を甘受する責任が受裁責任である。
しかし、西尾も指摘しているように、本人と代理人という関係の単純なモデルによって
は、元来、官僚制組織における責任の重層性は十分に説明しきれないのであって、とりわ
け、近代民主制下での官僚制組織については、そのモデルでは決定的に不十分である。君
主→官僚制組織の階統制から、国民→政党→議会→内閣→官僚制組織の階統制へと延びひ
ろがることによって、責任の重層性・複雑性は、深刻なまでに増大したのである。また、
近代民主制下にあっては、統治の観念が政治と行政とに分化し、政治機関が国民に対して
負う「政治責任」と、行政機関が政治機関に対して負う「行政責任」とが分化したこと、
さらに、国民が一義的な一般意志を確認しがたい無定型な存在であるとともに、政党が分
化し、三権が分立したことによって、責任の系統が多元化したことも、西尾の指摘する通
りである。
「責任」を考える上で行政学の視点が極めて重要なのは、そもそも日本語の「責任」が
古代官僚制モデルに由来するとともに、いまなおその含意を引きずっていることによるが、
さらにまた、一般に、今日における「責任」の最も困難かつ重大な問題は組織と個人との
関係にあり、行政学の視点は、広く会社組織などにも見られる官僚制組織一般に適用可能
なものだからである。個人が自我を捨て、所属組織と完全に同化し、いわゆる「組織人」
になりきってしまえば、直接的に所属する組織の行為準則が、自己の信念体系のすべてと
なりはててしまう。そうなれば、客観的・他律的な責任および行為準則と、自発的・自律
的な責任との乖離は一切起こらず、結局は「責任」を問題とすることが無意味と化してし
まう。それゆえ西尾勝は、次のように付言するのである。
「ニュールンベルク裁判は、上司の命令に対する服従を免責事由とは認めず、命令の実行
者に対しても個人責任を問うた。服従責任より任務責任を上位におき、任務責任より人類
普遍の倫理を上位において、個々の成員の自律的責任まで問わなければ、官僚制組織の暴
走を有効に抑制できないような事態が現に生じている、ということである (8) 。」
(2) ハートによる「責任」の分類
英語圏での責任概念についての議論でよく論及されるのが、H.L.A.ハートによる議論で
ある。ハートは、責任(responsibility)の概念を次の四つに分類している (9) 。
(a) 役割責任(Role-Responsibility)
(b) 原因責任(Causal-Responsibility)
(c) 負担責任(Liability-Responsibility)
(d) 能力責任(Capacity-Responsibility)
(a)の役割責任は、社会の制度的な組織における職務や地位に付随する責任から、子ども
の養育についての両親の責任といった自然的な役割に至るまで、かなり曖昧なものではあ
る。しかし、通常、
「責任ある人」
・
「責任感のある人」といった表現も、一定の役割責任を
指示することによってのみ、有意味になる。また、役割責任は、一定の社会的組織に固有
の義務(duties)を果たす責任であったり、その義務を果たすのに必要なことをする責任の
ことであるが、特殊の場面での単純かつ短期的な義務は、責任と呼ばれることはない、と
いうハートの指摘は興味深い。ハートの例によれば、兵士が上官から四列縦隊になれ、と
命令されたとき、兵士はそうする義務はあるが、それを兵士の責任とは言わない。他方、
ある兵士が司令部に伝言を伝えるよう命じられた場合、兵士はそうすることについて責任
があるし、それが彼の責任である、と言われる。つまり、役割責任を基礎づけている義務
というのは、「長い期間を通して配慮と注意を要求する<責任の領域>を定義するような、
比較的複雑な、あるいは広範な種類の諸義務 (10) 」であろう、と言うのである。時間の経過
のなかで、不測の事態が侵入してきても、さまざまな自発的自主的工夫をこらして、諸々
の義務を貫徹しなければならない。そうした義務の一貫性や義務遂行の自発性・自主性・
創意工夫といったものが、責任(役割責任)に要求されるものであろう。これに対して、
いわば反射的・即時的な義務の遂行は、「責任」とは呼ばれないのである。
(b)の原因責任は、英語で行為や事物を主語として<be responsible for outcomes>という
表現によって表すことのできるものであって、日本語で言う「∼のせい(所為)」という表
現と同等のものになるだろう。ただし、英語では、人や人の行為(作為・不作為)ばかり
か、事物・状態・出来事が一定の結果を引き起こしたことを言い表すことができる。また、
不運な結果のみならず、幸運な結果についても同じ表現ができるようであるから、その場
合には、日本語ではむしろ「∼のおかげ(お蔭)」ということになろう。また、この表現が
現在形で用いられる場合には、単に原因責任の意味だけではなくて、(c)の負担責任の意味
にもなりうるし、過去形で用いられる場合、生存していない人物を主語として言われとき
には、やはり負担責任の意味を表しうることは、日本語についても同様であろう。しかし、
ハートは英語表現の場合、非難や賞賛といった道徳的価値やその他の価値に関してまった
く価値中立的な陳述だと言うが (11) 、日本語の場合、「∼のせい」を「責任」という言葉で
置き換えることが可能であっても、
「∼のおかげ」を「責任」に置き換えることはできない。
つまり、日本語の「責任」はいつでも非難性を含意しているように思われる。また、
「∼の
せい」は、事物・状態・出来事を主語としても可能であるが、
「責任」はやはり人間ないし
人間の集団や組織を主語としてのみ陳述可能である。このことにも関連して、純粋に価値
中立的な原因責任という意味は、日本語の「責任」にはないであろう。
(c)の Liability-Responsibility をひとまず「負担責任」と訳しておく。基本的には、「刑
罰に服さねばならない〔刑罰を負わねばならない〕」(be liable to punishment for .....)とい
う 表 現 を と る 刑 事 責 任 と 、「 賠 償 の 責 め を 負 わ ね ば な ら な い 」 (be liable to make
compensation) と い う 表 現 を と る 民 事 責 任 、 と い う 二 つ の 法 律 的 負 担 責 任 (legal
liability-responsibility)があり、これとは別に、道徳的負担責任がある。この場合に道徳
的責任が一種の負担責任だと言うのは、「道徳的に責任がある」(be morally responsible)
ということが、自己の行為もしくは他者の行為の有害な結果について当の人物が「道徳的
に非難に値する」(be morally blameworthy)、あるいは「償いをする道徳的義務がある」
(be morally obliged to make amends)ということ、つまり、道徳的(道義的)な非難や償
いを負担しなければならない、ということだからである。ただし、役割責任にも法律的・
道徳的の二つの区別があるが、ハートによれば、負担責任の場合、法律的負担責任は道徳
的負担責任よりも外延上ずっと広い。
この文脈で問題になるのが、liability と responsibility との差異である。名詞形に抽象
化された表現としては、両者は互換性があるが、しかし、刑罰や賠償の負担を「負わねば
ならない」(be liable)ということと、ある行為や危害について「責任がある」(be responsible)
ということとは、それぞれ別の問題に関わっている。刑罰あるいは賠償を負担しなければ
ならないかどうか、つまり法律的に負担責任がある(legally liable)かどうかという問いは、
例えば刑事責任(刑罰の負担責任)の場合、どのような心理的要素がそれに伴っていたに
せよ、問題となっているなされた行為のその種類が、およそ法律によって処罰可能なもの
だったかどうかという一般的な問いである。これに対して、法律的に責任がある(legally
responsible)かどうかという問いは、特定範囲の条件(主として心理的条件)のいずれか
が満たされているかどうか、というもっと狭く限定された問題に関わっている。この特殊
な特定範囲の条件に関わる責任への問いを表すものを、ハートは「責任の基準」(criteria of
responsibility)として、次の三つをあげている (12) 。
(i)精神的・心理学的条件
(ii)行為と危害との結びつきの因果的形式あるいは他の諸形式
(iii)他者の行為について負担責任を負う人間関係
ハートの議論は、英米法の伝統に根差したものであることを考慮しておく必要があるが、
しかし基本的には、大陸法の伝統につらなる日本の法律に関しても同様のことは言えると
思われるので、ここでは適宜、日本の法律用語・法律学用語を適用して整理しておきたい。
(i)の精神的・心理学的条件というのは、一般にドイツ法で「責任原理」(Schuldprinzip)
と呼ばれるものに関わっている。つまり、刑事上の責任主義(「責任なければ刑罰なし」)
および民事上の過失責任主義(「過失なければ不法なし」)に関わっている。それは、第一
に「責任能力」、第二に「故意」または「過失」という条件のことである。責任能力に関し
て言えば、
「刑事未成年」、
「心神喪失者」は責任能力のない者とされ、
「心神耗弱者」は「限
定責任能力者」と見なされる。これはハートの言う(d) の能力責任の問題である。
第二
の「故意」または「過失」という条件は、たとえ責任能力があるとしても、当人の行為に
「故意」または「過失」が認められない場合には、その行為について行為者に対する非難
可能性が成立しない、と考えられる。刑法上は「過失」責任は例外的なものと考えられて
おり、さらに例えば「不可抗力の事故」
(と判断された出来事)は、行為者の無過失が認め
られることによって、行為者に非難を帰することができないと考えられ、刑罰の対象とは
ならない。刑法においては、この「非難可能性」こそが「責任」
(有責性)であり、犯罪の
①構成要件該当性、②違法性、さらに③有責性(責任)の三つの条件がすべて揃うことに
よって、当該犯罪が刑罰の対象になることを規定するが、その最終的条件をなすのが責任
である。民法の場合にも、内容はやや異なるが、やはり「責任能力」という条件があり、
さらに、
「故意または過失」があるということを基本原則(過失責任主義)とする。ところ
が、刑法と異なって、民法にあってはさらに「無過失責任」を賠償責任の対象とすること
がある。
(ii)の「行為と危害との結びつきの因果的形式あるいは他の諸形式」というのは、ある人
の行為と何らかの有害な結果とを結びつける形式が、法律に従ってその人に刑罰や賠償を
負担させるのに十分なものであるかどうか、という問題に関わっている。これはとりわけ
民法の不法行為責任の場合に頻繁に出てくる問題である。例えば、遠隔地にある危険な建
造物が被害をもたらしたとき、その建造物の所有者に「責任」があるかないか(損害賠償
責任を負わせるかどうか)、という問題が発生する。
(iii)の「他者の行為について負担責任を負う人間関係」というのは、英米法でいう「代
位責任」(vicarious liability)の問題に関わっており、日本の民法では例えば「使用者責任」
の問題に関わっている。使用者が被用者の違法行為について賠償しなければならない、と
いうケースは多々ある。つまり、刑法上はやはり例外的なものと見なされているが、刑罰
を受ける、あるいは賠償するという負担責任を取らせる場合、それが当の行為の実行者と
の一定の関係のなかで、実行者自身とは別の人に取らせる場合が出てくるわけである。行
為者とは別の人物がその行為者との一定の関係に応じて、行為者の行為について「責任」
があるかないか、という問題が、responsibility の問題だというわけである。
しかし、(i)から(iii)までは、考えて見れば随分とタイプの異なったものであるが、それ
らが、刑罰や賠償を負わせることに関する一般的な問いとは区別される、responsibility
のより限定された範囲の問題を形づくる「責任の基準」として一括できるのは、何故であ
るか。ハートは、心身分離のデカルト主義が前提になっていることを示唆している (13) 。つ
まり、責任負担と償い(刑罰・賠償)の条件については、外面的な行為類型と、内面的な
心や意志との二つの領域に問題が関わっている。代位責任の問題なども考慮して言えば、
「内面的な意志」と言うよりは、
「意志の主体」と言ったほうがよいだろう。つまり、外面
的な行為(結果として生じた出来事)や危害が、負担責任にとって要求されるどのような
一般的類型・種類に当たるのか、という問題と、ある人に償い(刑罰・賠償)を負わせる
ためには、その「意志の主体」がそうした外面的行為や危害とどのように密接に結合され
るべきか、という問題とは別であって、後者の問題に関わっているのが「責任の基準」で
ある。
さて、道徳的負担責任は、道徳的(道義的)な非難や償いを負う、という意味でやはり
負担責任であり、法律的負担責任とまったく同等の「責任の基準」が妥当する。それでは
いったい、法律的責任と道徳的責任との違いはどこにあるのか。
ハートによれば、legal な責任と moral な責任との違いは、二つの「責任」の意味が異
なるということよりも、むしろ法律的な規則・原理の内容と道徳的な規則・原理の内容と
が異なっているという、両者のあいだの実体的な差異に基づいている (14) 。それ故、「責任
の基準」としては、道徳的な責任の場合にも、法律的な責任の場合とまったく同じ上の三
つの基準が妥当しながら、法律的責任と道徳的責任とのあいだで、個々の基準における細
かな相違が存在する。例えば、法律的な責任の場合には、厳格責任(無過失責任)や代位
責任が存在するのに対して、ハートの考えでは、それらは道徳的責任にはなりえない。個
人が行うことを避けることができなかったことについて、あるいは、個人がコントロール
出来なかった他人によってなされたことについて、われわれはその個人を道徳的に非難に
値すると考えることは、道徳性の観念からして無理がある、という言うのである。
そもそもハートは、法律的責任(legal responsibility)と道徳的非難可能性(moral blameworthiness)とをはっきり区別している。(ついでながら言えば、刑法における「非難可能
性」は、近年の日本での解釈に従っても、必ずしも「道義的非難可能性」ではなくて、
「法
律的非難可能性」を意味するものと見られている。)「厳格責任」(strict responsibility ま
たは strict liability)や「代位責任」(vicarious responsility または vicarious liability)とい
う表現は、明らかに、道徳的に非難に値する、ということと無関係である、と言う。さら
には、精神の障害のある人や極めて若年の人が法律的に責任があったと判断された場合に
も、そうした人が道徳的に非難に値するかどうかを議論することが可能だし、実際ひんぱ
んに議論するのだ、とハートは言う。
「法律的責任と道徳的非難可能性との合致は、賞賛に
値する理想かもしれないが、必然的な真理であるわけでもないし、ましてや既定の事実で
もない (15) 」、というわけである。したがって、法律的責任が道徳的責任より外延上ずっと
広い、というハートの主張は、法律的責任が成立しても道徳的責任が成立しないケースが
多々あるのに対して、その逆はありえない、という見方に基づくものであることがわかる。
しかしながら、実際には、法律的責任の追及が不可能であっても「道義的責任」は残る、
というケースも多々あるし、また、とりわけ民法の不法行為責任に該当する出来事を広く
考えるとき、過失責任や、さらには無過失責任が、単に法律的な賠償責任の追及とその負
担に終始してよいのか、というより根本的な問題に直面するのであって、ハートのように
法律的責任と道徳的責任とを外延の広狭によって区別することは、余りにも法律至上主義
に偏した考え方である、と言うこともできるだろう。
(d) の能力責任は、先の「責任能力」という責任基準に関わっている。その実質は、理
解力・推理力・行動制御力という心理的な能力である。法律の場合には、こうした能力の
一般的な所有が、そのまま法律的制裁についての負担義務(liability)の条件をなすわけでは
ない。しかし、そうした能力の一般的な所有が、法律の有効性・効果性のひとつの条件で
あることは確かである。つまり、能力責任を構成している理解の能力や行動を制御する能
力を身につけている人々が十分に存在しているということによって、法システムは初めて
有効なものとして機能しうるのである。道徳の場合にも、こうした能力は道徳の有効性の
条件だと言える。しかしながら、道徳の場合、こうした能力が欠如している場合にも非難
に値する、とは決して考えられないのである。
(3)responsibility のルーツ:法廷モデル
上に見たように、ハートは「責任」に四つの意味の分類をおこなった。ハートはさらに、
それら四つの「責任」の意味に統一性を与えているのが何かを問い、いくらか語源学に頼
ってギリシア語(apokrinesthai)、ラテン語(respondere)に言及しつつ、それが「応答する
こと」(answering)にある、と主張している (16) 。しかも、単に質問に答える、という意味
ではなくて、告発や請求に応酬したり反駁したりするという意味で「応えること」である。
この意味での「応えること」という観念と直接結びついているのは、勿論、
「負担責任」で
ある。すなわち、告発に対して反駁するのに失敗した者は、自分のしたことについて刑罰
の責めを負うか、非難の責めを負わなければならない。実際、法律その他の使用法におい
て 、 <responsible for ・ ・ ・ > と い う 表 現 を 使 う べ き 場 合 、 か つ て は 普 通 に <answerable
for ・・・>と言われたのである。
したがってハートによれば、
「負担責任」こそが responsibility の第一次的な意味である
が、他の三つの意味は、そうした「応えること」と間接的に関わっている。危害を引き起
こすこと、そして、法律や道徳の要求に従う正常な諸能力を有していることは、
「負担責任」
の基準のなかで最も中心的なものである。そこで、responsible という語は、その基準を
満たしている結果のために使用されるばかりか、その基準を満たすもの(危害を引き起こ
した人物、正常な諸能力を有する人物)についても用いられる。さらには、そうした諸能
力の所有(「能力責任」)を意味するために拡張されるし、「原因責任」の意味にまで及ぶ。
第一次的な「負担責任」の意味から直接導き出すことが最も困難なのは、
「役割責任」であ
る。つまり、ハートの考え方によれば、
「役割責任」が「負担責任」とつながるのは、役割
義務の遂行に失敗したとき、あるいは怠慢があったとき、処罰されたり、非難されたりと
いうことになる、という点においてのみであって、偶然的なつながりにすぎない、という
ことであろう。
ハートの言う「負担責任」は、法律的な場合と、道徳的な場合との二つに分かれるもの
であって、必ずしも一義的に法律的責任ではない。しかし、告発や非難(請求)に対して
応酬する・反駁するという意味での「応えること」の意味からして、
「責任」の第一次性・
中心性が「負担責任」にあると言っているのであるから、
「負担責任」を中心とする「責任」
は、法廷モデルもしくは法律モデルの「責任」だと見てよいであろう。
しかし、そもそも告発や非難の成立根拠は何か。共同体が一定の掟(法律と道徳との分
化以前の共同体秩序を「掟」としておく)によって秩序づけられている場合に、掟を破っ
たと見なされる行為があって初めて、その行為者を告発することができる。そして、告発
は掟を体現する、中立的な第三者の審級に対してのみなされ得る。その行為者は告発に応
えなければならない、つまり弁明しなければならない。弁明が認められれば、それで終わ
るが、そうでなければ、賠償が負わされたり、罰が科される。したがって、共同体とその
秩序たる掟および第三者の審級を前提として初めて「責任」は成立可能であると考えるな
らば、
「責任」の観念は法廷モデルもしくは法律モデルに従っていることになる。西洋の「責
任」の観念がここに淵源することは確かだろう。
ただし、後に論じるように、ハートにとって第一次的である「負担責任」から最も遠い
「役割責任」こそ、今日、極めて重要なものとして前面に出てきている責任概念である。
この意味でも、ハートの責任論が法律至上主義的なものであることに、注意する必要があ
る。
(4)民事責任(不法行為責任)と産業化社会の進展
ハートの「負担責任」の議論に関わって、既にいくらか日本の法律での刑事責任および
民事責任ついて言及したが、後の議論にとっても重要な意味をなす民事責任について、い
ま少し論じておきたい。法律学者にとってまったく常識に属する事柄も、哲学者にとって
は必ずしも自明ではないし、考える上での重要な契機となるものを多々含んでいるからで
ある。
そもそも民事責任とは、他人の権利あるいは利益を違法に侵害した者が私法上負う責任
のことであり、普通には、不法行為責任を指す(広義には、債務不履行責任をも含めて私
法上の損害賠償責任一般を指す)。日本の民法は、総則・物権・債権・親族・相続の5編か
らなり、「不法行為」についての規定は第三編「債権」に含まれる。
不法行為とは、不法に他人の権利または利益を侵害し、これによって損害を与えた場合
の利益侵害行為のことである、とされるが、民法のなかの不法行為に関する法律の体系は
「不法行為法」と呼ばれ、不法行為法の根本をなす法律は、次の民法第 709 条である。す
なわち、
「故意又は過失に因りて他人の権利を侵害した者は之に因りて生じたる損害を賠償する責
に任ず」。
この法文中に典型的な仕方であらわれている「責に任ず」という表現こそ、日本語の法
律用語に読みとれる「責任」という概念である。そして、この文が言っているように、民
法は、不法行為を、①故意または過失に基づく人(自然人・法人)の行為によって生じる
ものとし(過失責任主義、同時に過失の立証責任は原告被害者にあるとする)、②その結果
発生する責任は行為者(加害者)本人が自ら負う(自己責任原則)、ということを原則とし
ている。しかし、加害者の故意または過失による行為を原因として、加害者自らが賠償責
任を負う原則的な場合である「一般的不法行為」に対して、成立要件を異とする「特殊的
不法行為」の規程が多数存在する。
一般的不法行為の成立要件は、①加害者に故意または過失があること、②権利侵害(違
法性)があること、③加害行為と損害との間に因果関係があること、④責任能力があるこ
と、以上である。これに対して、特殊的不法行為の成立要件は、それぞれ特殊に異なって
いるが、要は過失の立証責任が原告被害者にあるとする過失責任主義をとる一般的不法行
為に対して、過失の立証責任が転換された「中間的責任」となるか、あるいは「無過失責
任」となる。過失の立証責任の「転換」とは、立証責任が被害者から加害者へと移る、つ
まり、加害者が自己の側の無過失を立証しない限り責任を免れない、とするものである。
これは、過失責任主義と無過失責任主義(故意・過失がなくても損害賠償責任を負うこと)
との中間にあるから、
「中間的責任」と呼ばれもするのである。例えば、責任無能力者の監
督者の責任(714 条)、使用者の責任(715 条)、動物の占有者・保管者の責任(718 条)などは、
中間的責任であり、工作物・竹木の所有者・占有者の責任(717 条)の場合、占有者に関し
ては中間的責任だが、所有者については無過失責任であり、さらに複数連帯して賠償責任
を負う共同不法行為(719 条)の規程もある。
以上の特殊的不法行為は、すべて民法そのもののなかに規定されているが、これ以外に
も種々の特別法による不法行為の規定が多数存在する。鉱業法、大気汚染防止法、水質汚
濁防止法、といった現在は形を変えている特別法から、自動車損害賠償保障法、原子力事
業者に関する法律や近年制定された製造物責任法まで、種々変貌をとげながら増大してい
る。
これら不法行為法の発展は、大筋において、過失責任主義から無過失責任主義への進展
をあらわしているが、これは、近代以後の社会における科学技術の発達および産業化の進
展と密接に関わっている。つまり、新しい危険の発生は、過失責任主義への批判と反省を
生み、さらには、活動の自由に対する限界づけという面から不法行為制度を基礎づけよう
とすることに対して、大きな転換を要求するようになってきたと言えるだろう。そして、
この転換をあらわすものこそ、無過失責任の考え方である。つまり、故意または過失の有
無にかかわらず、他人に与えた損害に対しては賠償責任を認めよう、という考え方である。
この無過失責任論を基礎づける考え方としては、いくつかあるが、その主なものは「報
償責任主義」と「危険責任主義」である。例えば、使用者責任は、被用者の活動によって
利益を得ている使用者が、無過失を立証しない限り責任を負う、という無過失責任主義を
とっているが、この場合のように、利益活動の過程で他人に損害を与えた者は、その利益
から賠償しなければならない、という考え方が「報償責任主義」である。これに対して、
危険な施設や危険な企業活動など、社会に対して危険を生み出している者は、そこから生
じた損害という結果については、いつでも賠償しなければならない、というのが「危険責
任主義」の考え方である。例えば、他人に危険を及ぼす恐れのある工作物の設置・保存に
瑕疵があったとき重大な責任を課す、というのが民法の工作物責任であるから、ここには
危険責任の原理が含まれている。
そもそも不法行為法は、社会のなかで何らかの被害・損害が発生したならば、誰かがそ
れを補償すべきである、あるいは、被害者は救済されるべきである、という発想によって
つくられてきた、と言ってよいだろう。だから、補償ないし救済が達成されればそれでよ
いとする実用主義に立てば、その「誰か」は自然人である必要は必ずしもないし、場合に
よっては、過失の確定を待つ必要もないことになる。しかも金銭賠償の原則がある以上、
賠償責任を果たす別のシステムとして保険制度が爆発的に発達してきた。しかし、被害者
はいつでも生身の人間である。例えば、いったい本当のところ誰に責任があるのかが判然
としないまま、そして、生身の人間の言葉による謝罪のないまま、金銭による賠償だけが
前面に出てくる事態は、いうところの「救済」の限界として、また、
「責任の空洞化」とし
て、問題にしなければならないだろう (17) 。
3.「責任」の類型と技術倫理
ハートがほとんど議論していなかった重要な事柄として、責任の構造という問題がある。
つまり、「責任」はあくまでも<関係概念>であって、関係を形づくっている構造がある。
したがって、「責任」はその構造に即して諸々の類型に区分することができるだろう。
ここでは、具体的に技術倫理を「責任倫理」として探究しているギュンター・ローポー
ルの議論を検討したい (18) 。彼は、責任倫理をあくまでも「帰結主義」の倫理として理解し、
まず、責任の諸類型を「責任の類型の形態論的マトリクス」として次のように図式的に提
示している。
(1)
(2)
(3)
(A)誰が
個人
組織体
社会
(B)何を〔が〕
行為
生産物
無作為
(C)何について
帰結(予見可能)
帰結(予見不可能) 遠隔帰結・後続帰結
(D)何故に
道徳的規則
社会的価値
国家的法律
(E)何に対して
良心
他者の判断
法廷
(F)いつ
予め:prospektiv
目下の所
後から:retrospektiv
(G)どのようして
能動的
潜勢的
受動的
責任は 7 項の関係をなしているが、それは 7 つの問いに関わっている。すなわち、「責
任がある」というとき、(A)誰が(Wer)責任があるのか、(B)何が(Was)責任の対象になるの
か、(C)何について(Wofür)責任があるのか、(D)何故に(Weswegen)責任があるのか、(E)何
に対して(Wovor)責任があるのか、(F)いつ(Wann)責任があるのか、(G)どのようして(Wie)
責任があるのか、という 7 つの問いが立てられ、それぞれ上記のような(1)から(3)までの
答えが可能である。例えば、個人(A1)が責任があり、しかも、彼の行為(B1)が予見可能だ
った帰結(C1)を引き起こしたことについて、法律(D3)に違反した故に、法廷(E3)に対して、
事後的に(F3)、責任を負わされる(G3)、ということになれば、その責任は例えば刑事責任
という「負担責任」(ドイツ語では通常 Haftung)である。
このような多数の組合せのすべてが有意味であるわけではない。しかし、どこかに焦点
を当てて「責任」の類型を考察することによって、さまざまな可能性を考えることが可能
となる。例えば、個人主義的な倫理を乗り越えて、企業のような組織体や国家の形態に編
成された社会全体を責任の主体として考察する場合、いくつかの重要な責任の類型が明ら
かになる。ローポールは、例えば、組織体のような集合的な責任の担い手にとっても、責
任の審廷として「良心」を想定することは不可能ではない、と考えている。つまり、
「良心」
を組織内部のひとつの機能的な反省の機関として捉えて、予見される可能な諸帰結を、規
範的な基準と調和しうるかどうかに関して吟味する反省の機関として捉えるならば、例え
ば、企業内の環境保護委員会が、当該企業の団体責任の一部をあらわすことになるだろう、
というわけである。
技術倫理を求める場合、それを責任倫理として考えようとする議論は多々あるが、ロー
ポールが批判するのは、科学技術をめぐっての責任倫理の支配的な基本モデルが、余りに
個人主義的である点である。その基本モデルに従うならば、個々人は、自己の技術的行為
の考えられるすべての帰結を予め吟味し、その帰結によって「安全性、健康、豊かさ、公
共の福祉が危険にさらされる (19) 」ことがないという場合にのみ、計画された行為を実施す
べきである。しかし、現実には無数の出来事が証明しているように、そのよう危険にさら
されることは何度でも繰り返されてきた。それゆえ結局、技術の現場には無責任な人々し
かいないかのような想定がなされたり、職業倫理は立てられるのは簡単だが守られるのは
困難だ、と現実主義的に達観されたりする。これに対してローポールは、まず個人の責任
を阻害する一連の困難を分析し、そうした困難を克服し、補填しうる新しい制度的な可能
性を探求しようとするのである。そうした新しい制度のひとつは、ドイツで実際に実施さ
れてもいるテクノロジー・アセスメントの制度であるが、それについては別の機会に論じ
たい (20) 。
ローポールが見ている、個人の責任を阻害する一連の困難とは、第一に技術的行為の特
殊性、第二に帰結の分析・予測の複雑性(困難性)、第三に現代社会における規範の不安定
性である。ここでは本稿との連関で極めて重要である第一の点について触れておきたい。
そもそも、技術倫理を考える場合、その倫理の関わる行為がどのような行為であるかが
吟味されなければならない。現代の科学技術をめぐっての倫理問題において日々われわれ
が経験することのひとつは、個人に責任を帰したり、個人の責任が働いたりすること自体
が、現代技術の状況下では極めて困難であったり、原理的に不可能だったりしている、と
いうことである。その理由の一端も、実は技術的行為の特殊性そのものにある、と考えら
れる。
そこでローポールは、まず、技術(Technik)を定義することによって、技術に関わった行
為(「技術的行為」)の特殊性ついて、次のように論じている (18) 。
技術とは、
(a)利用されることに方向づけられた人工的な対象的形成物(人工物または
事物システム)の集合であり、
(b)事物システムがそれによって成立する人間的行為およ
び手はずの集合であり、
(c)事物システムがそれによって用いられる人間的行為の集合で
ある。そして、
(b)、
(c)の規定に従うすべての行為は、技術的行為(technisches Handeln)
の概念に含められる。私は、(b)の集合の技術的行為を、「制作行為」と一般的に呼び、
(c)の集合の技術的行為を、
「使用行為」と呼ぶことにする。したがって、技術的行為は、
制作行為と使用行為の両方を含むと言えるだろう。
私はとりあえず、
(a)、
(b)、
(c)の集合に含まれるものを、次のように具体的概念と
して列挙することができると考える。
(a)道具、機器、器機、器具、機械、装置、容器、製品、製造物など
(b)発明、企画、設計、製作、製造、生産など、以上の意味を込めてデザイン
(c)利用、使用、運用、運転、操作、管理、運営など
さて、ローポールによれば、現代の技術的行為には次のような特殊性がある。通常、複
数の技術者たちが一つのチームで働いているのであって、例えば個人が気づく問題点も、
他のメンバーを納得させることができなければ、何の影響も与えることができない。その
点で、技術的行為は第一に、協働的行為(kooperatives Handeln)である。しかも、そうし
た技術者たちは、通常、企業組織のために働いているのであり、企業にとっては人間の健
康やエコロジカルな均衡が第一義的な目的になるわけではなくて、経済的な成果が目的で
ある。したがって技術的行為は第二に、組織(企業体)の行為(korporatives Handeln)と
いう側面をもっているし、産業上の団体組織が交換経済・営利経済上の目標を追求してい
る以上、技術的行為は第三に、経済的行為(ökonomisches Handeln)という意味を含んでい
る。また、ある製品の欠陥事故などの場合に、製造側と使用者とのあいで責任のなすりあ
い が 問 題 化 し た り す る よ う に 、 一 般 に 技 術 的 行 為 は 第 四 に 、 媒 介 的 行 為 (intermediares
Handeln)である。つまり、ある製品の製造は、同時に一定の使用行為のポテンシャル(潜
在的可能性)を生み出し、媒介しているのであって、当の製品が危害を与えるような使用
を必然的に強制しているわけではないが、やはり可能にしていると考えられるからこそ、
責任の所在をめぐる問題が制作者と使用者とのあいだで生じるのである。さらに第五に、
技術的行為はたいていは集合的行為(kollektives Handeln)でもある。つまり、技術システ
ムの生産や使用について決定を下すのは、相互に独立した複数の自立的行為者たちであっ
て、そこから結果する行為の累積的帰結は、個々の行為者の意図やすべての行為者の意図
と矛盾することがありうる。例えばこの私が、エコロジカルな意識に目覚めて、自家用自
動車の運転を断念してみても─実際、私は運転免許証を持っているが、自家用車を所有
していない─、多数の自動車の存在と交通システムのなかで成立している集合的行為と
しての自動車の使用行為には、まったく何の影響も与えはしない。また、ある企業が原理
的に欠陥のある製品の開発を断念したとしても、競争相手の別の企業が問題の製品を市場
に出すことを計算に入れておかなくてはならない。
市場経済のグローバル化を念頭に置くとき、技術倫理の問題が世界経済の問題にまで発
展する可能性を見越しておかなければならなくなる。JCO 東海事業所の臨界事故(1999
年 9 月 30 日)が、仕事の効率化を追求するあまり、裏マニュアルすらも無視した手抜き
作業にもとづくものであったことが伝えられているが、そうした仕事の効率化が、私企業
にとっては、円高状況下での国際競争のなかで勝ち抜くための至上命令であった。勿論、
ローポールも付言しているように、「企業文化」(日本的に言えば「会社社会」の体質)を
改革し、労働法を整備・改善することなどによって、個人のモラルが働く余地を拡大して
いくことも必要である。しかし、技術的行為が、その協働的・組織的・媒介的・集合的な
性格によって、とりわけ経済的・社会的行為でもある以上、技術倫理として、個人の責任
に期待を寄せることは、極めて困難なことであろう。それゆえ先に触れたテクノロジー・
アセスメントの制度にヒントを得るなど、社会構造に対する批判および制度変革に向かう
必要がある。そうした制度論的視点を失えば、技術倫理・工学倫理は、とりわけ PL 法制
定以後の状況下、現場の技術労働者に倫理教育を施すことで訴訟に有利になろうとする企
業側の道具になりはてるだろう。
4.「責任」の構造
ローポールの「責任」の類型の形態論的分類は、責任の多様な関係を概観させてくれは
するものの、そうした類型化をそもそも可能にしている「責任」の構造がわかりにくい難
点がある。その点、ゲオルク・ピヒトの責任概念についての古典的な議論 (21) は、「責任」
の肝心な構造を明らかにしてくれている。
ピヒトは、「責任」(Verantwortung)の概念の内には、二重の指示があると言う。まず
第一は「∼について〔関して〕(für)」の指示関係である。すなわち、人は或る事物につい
て、あるいは他の人について責任がある。第二は「∼に対して(vor)」の指示関係である。
すなわち、人は、責任を根拠づける任務〔使命・委任〕を与える審級〔決定機関〕に対し
て責任がある (22) 。そして、この二重の指示関係は、本質的に限定不可能性を含んでいる。
責任の概念が他の法的概念や道徳的概念と区別されるのは、責任の概念には、この二重の
指示がまずもって示しているようなはっきりと画定された関係を超過してゆく、独自の余
剰分がいつでも含まれている、ということによる。例えば行政機関において、下級職員が
上司に対して負うている「服従責任」・「答弁責任」が「責任」であるのは、そこには上司
に対する下級職員の法的関係を超え出てゆく一つの倫理的な根拠づけが与えてられている
からであるし、上司はより高次の秩序の代表者として現れ、そのより高次の秩序は法的な
義務を超えて、原理的に限定不可能なもっと高次の義務を要求するものである。同じこと
は、或る事柄についての責任・他の人々についての責任の場合に関しても言える。この場
合にも、責任の概念は、責任を要求してくるものを絶えず超過してゆき、単に法的な注意
義務ではなくて、倫理的に根拠づけられている注意義務へと絶えずつながっていく。その
意味で、責任の本質には、責任の限定不可能性が含まれており、責任は、こうい意味での
二重の指示によって構成される。
しかし、
「∼について」の指示には、もうひとつ別の意味がある。つまり、人はただ事物
や他の人々について責任があるばかりではなくて、
「自分の行為」について責任がある。自
分自身が過去にしたことや、しなかったことについて、責任がある。いま行う決定や、い
ま避ける決定について、責任がある。過去や現在の行為(作為・不作為)の未来への帰結
について責任がある。この意味で、責任はいつでも時間を指示する、と言うこともできる。
ピヒトは、責任の次元とは時間である、と言う (23) 。「責任」について語ることができる
のは、様々な行為の余地が存在する場合だけであって、そうした余地が行為に与えられて
いるのは、一切の行為が未来に関係づけられている、すなわち、可能性の領域に関係づけ
られているからである。行為するということは、可能なことの領域において一つの方向を
選ぶということである。責任がある、ということが確定するのは、行為においてであって、
可能なことの領域においてのみである。必然的なことや不可能なことについて、人は責任
を問題にしはしない。過去の行為についての責任であっても、別様の可能性があったれば
こそ、責任が問われるのである。
しかし、
「他人や事物について」という指示と、
「自分の行為について」という指示とは、
どのように関係しているのか。実際には、人は特定の他人や事物との関連で起こる「出来
事」の一切に責任があるのであって、自分が為したことについてだけ責任があるわけでは
ない。つまり、「他人や事物についての」責任は、「出来事」についての責任を指示してい
る。例えば、列車の脱線事故が起こったとき、それについていったい誰が責任があるのか、
と問われる。事故は特定の行為の帰結であるよりも、為されるべき行為がなされなかった
怠慢の帰結である。出来事についての責任を問う問いは、出来事から出発する。何が起こ
ったのか、出来事の全体は何であるのか、どのようにして起こったのか、なぜ起こったの
か、といった一連の問いを通して、出来事そのものが、出来事に直接関与しているわけで
はない責任ある者を指示する。彼が責任を免れようとして、道徳的または法律的責任を負
うことを拒絶したとしても、出来事は彼を指示している。ピヒトは、
「責任とは道徳的意識
の事柄ではないのであり、責任は出来事の構造のなかに前もって示されている (24) 」、と言
うのである。
「自分の行為について」という指示は、結局、自分の怠慢や不作為が、特定の
他人や事物との関連で引き起こすであろう一切の「出来事」についての責任を指示してい
る。だから出来事そのものが、逆に、その「自分」を指示しているのである。
しかし、その「自分」とは何か。ある出来事について、責任者は誰かと問うとき、われ
われは、その場合に権限のある者は誰か、と問うている。すなわち、出来事がそこで起こ
ったその領域において権限のある者は誰か、と問うているのである。人が権限があるのは、
一定の課題の圏域についてである。そして、課題はそのつど、権限のある個人や集団が、
その権限によって果たさなければならないことを、予め示している。課題の内容は、課題
を措定する主体の意志によって規定されるのではなくて、そのつど権限のある者が解決し
なければならない事柄自身の構造によって規定される。ピヒトは、
「主体が自分に課題を設
定するのではなくて、課題が主体を構成する (25) 」、と言う。だから、歴史の変遷とともに
課題は変化する。一定の歴史状況にあっては、課題が認識されなかったり、誰も権限を引
き受けようとしなかったために、その解決のための主体がまったく構成されなかった、と
いうことも多々ある。歴史における危機や没落や破局とは、そういうものであろう。まさ
に課題が示されていたのに、それを解決する主体が構成されなかったのである。それゆえ、
出来事そのものが逆に指示してくる「自分」とは、課題によって構成される主体のことで
あって、それが個人主体である必然性はない。しかも課題はたいていは複数であり、課題
が複数であることは、その解決のために、それぞれ異なった構成と構造をもった集合的主
体および個人主体がそれに応じて複数存在することを強要してくる。
責任について語ることができるというとき、前提になっていることは、われわれの歴史
的世界が、権限の領域を画定してくる一定の構造をもっている、ということである。この
前提こそが、およそあらゆる社会的・政治的秩序の根底をなしている。国家、団体、組織、
企業体、さらには家族も、権限の領域として構成されているし、それらがさらに諸々の権
限の領域に分節化される。分業の基礎をなしているのは、こうした権限の領域の分配であ
る。国家と社会と経済は、権限の領域を分配することを根拠として成立している。そして、
権限の領域とは、責任の領域の別名にすぎないのだから、
「社会と経済と国家が存在するの
は、つまりは、およそ歴史が存在するのは、ただ責任が存在する場合だけである (26) 」、と
いうことになろう。ピヒトはさらに次のように述べている。
「人間は、自分のそのつどの領域において、自分が解決しなければならない、いつも変
化する課題の前に自分が立たされるのを見る、そういう存在者であるからこそ、責任を有
する。未知の課題の前にいつも新たに自分が立たされているのを見る、ということが人間
の本質に含まれているので、類としての人間は歴史をもっているし、あらゆる個人はその
歴史の内に立っている。したがって責任の概念は、一個の歴史的概念である (27) 。」
「われわれは、それについてわれわれが権限がある、そういう課題を果たすことについて
だけ責任があるわけではない。われわれは、それについてはまだ誰も権限がない、そうい
う新たな課題を認識することについても、責任がある (28) 。」
責任の概念の内に含まれている「について」と「に対して」の指示が指示しているその
先を追跡していくとき、
「人類史全体の普遍的地平」にまで行き着き、結局は、出来事とし
ての「歴史についての責任・歴史に対する責任」にまで到達する、と考えるピヒトの考察
が、何を考えているかは明瞭である。
「歴史についての責任とは、歴史全体がこれから先もずっと歴史でありつづけることが
でき る 、と いう こ とを 配慮 す るこ とが 人 間に 課さ れ てい る、 と いう こと を 意味 して いる
(29) 。
」
「人間の責任は、人間的力の行使の可能性とちょうど同じだけ及んでいる。人類の科学
と技術の発達によって、普遍的な力の手段が提供されているのだから、人類は、責任の概
念に含まれている普遍性から、もはや逃れることはできない (30) 。」
5.ハンス・ヨナスの責任原理
ピヒトは、近代の主観性の哲学に胚胎されている自己責任の発想、すなわち、自己につ
いての自己の良心に対する責任、という考え方を批判して、責任の概念がいつでも自己の
外部を二重の仕方で指示している指示関係によって構成されていることを指摘していた。
そして、法律的責任・道徳的責任のいずれをも可能にしている歴史的責任について論じて
いた。科学技術という巨大な力の所有は、人類に、責任の絶対的な普遍性を要求している。
ピヒトのあと、ハンス・ヨナスが責任原理について考察を向ける前提も、人類がみずか
らを破壊する可能性のある巨大な科学技術の力である (31) 。先にも引用したピヒトの言葉、
「歴史についての責任とは、歴史全体がこれから先もずっと歴史でありつづけることがで
きる、ということを配慮することが人間に課されている、ということを意味している」、と
いう言葉は、そのままヨナスの定言命法に結びついている。すなわち、ヨナスは、
『責任原
理』において、人類の存続そのものを絶対的な命法とし、カントの定言命法との比較によ
って次のような定言命法を提起している。
「汝の行為のもたらす諸結果が、地球上で真に人
間の名に値する生命が永続することと調和するように行為せよ (32) 。」
しかし、ここで特に注目したいのは、ヨナスによる「責任」の区別である。すなわち、
ヨナスによれば、責任はまずもって「なされた行為の因果的帰責(kausale Zurechnung)と
しての責任」と、「なされるべきことについての責任(Verantwortung für Zu-Tuendes)」
とに区別される (33) 。
引き起こされた損害は埋め合わされなければならない。仮に行為者に悪意がなくとも、
仮に損害が予見できず、意図されていなかったとしても、補償されなければならない。し
かし補償がなされるためには、行為者の行為と帰結とが因果的に深く結びついており、当
の行為者に一義的に原因が帰せられなければならない。ヨナスによれば、こうした自ら行
った行為の帰結についての責任は、もともと法的な意味をもつだけで、道徳的な意味をも
たなかった。
このような法的な賠償という考え方と早くから結びついていたのが、処罰・刑罰という
考え方である。処罰・刑罰は、道徳的な意味をもち、原因となる行為を道徳的に罪がある
行為として認定する。犯罪の場合、罰せられるのは行為の帰結ではなく行為自体であり、
行為の仕方に応じて罪の償い方も量られる。この場合、罪を犯した者の責任に対して要求
される償いは、他者が被った損害や不正の弁償ではなくて、破られた道徳的秩序を回復す
るためのものである。
法律的責任と道徳的責任とのこのような違いは、民法と刑法との違いに反映している。
民法と刑法とが分化し、別々の発展を遂げるうちに、最初は混ざり合っていた賠償と刑罰
という二つの概念が切断されていった。しかし両者には共通性がある。両者とも、「責任」
は為された行為に関係づけれるし、外部から責任が負わせられることによって、責任が現
実的になる。この場合、行為者が責任を内面的に引き受けて、罪の感情とか、後悔の気持
ちとか、償いたいという気持ちといった感情が起こるとしても、そうした感情は、客観的
に責任をとらなければならないことと同様に、過去志向的(retrospektiv)である。行為の始
まりにそうした感情を予め感じたとしても、行為の動機としては役に立たず、せいぜいの
ところ、許容できるか、それとも避けるべきか、という動機の選別に役立つだけである。
結局は、積極的にしなければしないほど、負うべき責任も少なくなると思う、ずる賢さが
涵養されるばかりである。つまり、このような責任は、
「 みずから目的を立てることがなく、
人間のあいだで起こる因果的な一切の行為に対するまったく形式的な負荷、すなわち、因
果的行為については釈明が要求されうる、という形式的な負荷である。それゆえ、そのよ
うな責任は、道徳の予備条件であるが、それ自身はまだ道徳ではない (34) 」、と言わなけれ
ばならない。
なされた行為の因果的帰責としての責任とは、結局、行為の結果に対して事後的に清算
(償い)を果たす責任のことであるが、ヨナスはさらに、これとは「まったく別の責任概
念」である、
「なされるべきことについての責任」について論じている。前者を<過去志向
の責任>と呼ぶならば、これは<未来志向の責任>と呼びうる。すなわち、第一次的には、
私の行為とその結果についての責任ではなくて、私の行為を要求してくる「もの」につい
ての責任である。その「もの」は、私の外部にあるが、私の力の影響範囲内にあり、私の
力に依存していたり、私の力によって脅かされたりしている。そういう「もの」としてヨ
ナスがまずもって考えているのは、子どもの存在である。
子についての親の責任を、ヨナスは、「あらゆる責任の超時代的原型 (35) 」と見なす。責
任の概念は当為の概念を含意しているが、自然主義的誤謬批判という現代哲学の一つの常
識を一気に打ち破るような、
「存在の内なる当為の告知」がある。それは、乳飲み子の「世
話をせよ」との呼び声である。たとえ、そのような呼び声がかき消されたり、黙殺された
りすることが多々起こるとしても、その呼び声が発する他者にとっての当為の自明性と直
接性は消えることがない、とヨナスは考える。存在とは存在しつづることであり、生命と
は生きつづけんとすることであるが、乳飲み子とは、生命維持というあらゆる生物が有す
る無条件の自己目的に応える能力を欠如している「もの」であり、その意味で、絶えず非
存在にさらされた「存在と非存在との中間」である。だから、乳飲み子の存在の維持は、
他から因果的に補うほかない。それゆえ、乳飲み子に内在する「存在すべし」は、他者に
とっては、その「存在すべし」に応答する「行為すべし」となる。
このような議論はつまらないものにも見えるが、しかし、高等哺乳類としての人間の新
生児の特異性(非常な無能力さ)を想起すれば、数百万年にわたる人類の存続が、絶えず
目の前の乳飲み子の存在要求に応答してきた結果だった、といっても過言ではないだろう。
ヨナス自身、
「最も根源的で最も重い意味での責任は、存在の創始者であることから帰結す
る」と述べ、
「存在創始に参画するのは、そのつど存在している人類家族(Menschenfamilie)
そのものである」と言う (36) 。存在の創始者とは、勿論、親のことであるが、実際に親であ
る者だけが存在の創始に参画しているわけではなくて、自分自身がすでに存在しているか
らには、生殖の秩序を承認しているのだし、自らに生きることを許している者はすべて、
生殖の秩序に従うことに同意しているとも言える。それゆえ死すべき存在である人間のこ
の責任には、「人類の存続についての責任」も含まれていることになる。
しかし、いま問題にしている人類史を貫いている「責任の原型」としてのこの責任は、
抽象的な責任ではなくて、目の前の「この」子についての責任である。この子への応答で
ある「行為すべし」は絶え間なく連続し、絶えず新たに更新されなければならない。だか
ら、
「責任」は永遠なるものから眺められることを許さず、絶えず時間のなかで捉えられな
ければならないし、この「責任」は乳飲み子から出発して、他の責任の地平へと広がって
ゆく。それゆえ、
「責任の原型」は同時に「責任の萌芽」である、とヨナスは言うのである
(37) 。
(子についての責任は、やがて遠い未来世代についての責任やあらゆる生命・自然に
ついての責任にまで広がるだろう。)
子についての親の責任とは、個の存在の呼びかけに応えることとしての責任、応答とし
ての責任である。それが存在の要求への応答である以上、その責任は未来についての責任
である。ここには、まず、力の絶対的な非対称性が前提になっている。そしてこの応答に
は、感情の要素と内発性が含まれている。ヨナスは、「なされるべきことについての責任」
として、子についての親の責任のような自然的責任の他に、契約上の責任と政治的責任を
例としてあげている。とりわけ政治家の責任こそは、親の責任と共通する本質を有するも
のとして重大である。
親の責任は、基本的には子の成長によって、つまりその子自身が責任の主体になること
によって、終わる。政治的責任には、そのような自然的な終了はない。しかし、他者の「単
なる存在」から「最善の存在」までの全体に関して、連続的に、未来へと関わって配慮す
る責任であるという点で、政治家の責任は親の責任に共通している。親の責任は自らが生
み出したものについての責任であるが、政治家の責任は、むしろ自らを生み出し、育んで
きたものに対する責任である。しかし、それ故にこそ、親に愛の感情が伴うように、政治
家には愛に類似した連帯感という感情的要素が伴う。政治的責任は、究極的には、人類共
同体の存続についての責任である。
結局、ヨナスにとって、
「責任とは、義務(Pflicht)として認知された、他者の存在に対す
る<配慮(Sorge)>であり、その配慮は、他者の存在の傷つきやすさが脅かされることによ
って<心配(Besorgnis)>となるものである (38) 」。科学技術がもたらすさまざまな結果の内
に、われわれはさまざまな心配・不安・恐れを感じる。
「私心のない恐れのなかで、害悪が
見えると同時に、害悪から救出されるべき善が見えてくるし、災いが見えると同時に、幻
想的に誇張されることのない平安が見えてくる。それゆえ、恐れること自身が、歴史的責
任の倫理の予備的な最初の義務になるだろう。
・・・恐れは、希望(つまり予防の希望)と
結びつくことで初めて義務でありうる (39) 」。こうしてヨナスの言う未来倫理のための原理
が、
「責任」原理であることがわかるが、この「責任」は、<親子モデル>に基づく、他者
への応答としての責任であり、むしろ他者への配慮義務、危険の予防義務という性格の強
いものである。
6.「責任」概念の形成と変遷:科学技術文明の進展と「責任」概念の転換
これまでの議論の主張点にほぼ共通して見られることは、近代以後の科学技術の発展に
伴って「責任」の概念に注意が向けられるようになっていること、しかも、過去志向の責
任ではなくて、未来志向の責任が重視されるようになってきていること、それと同時に、
法律的責任だけではなくて、それ以外の道徳的責任や政治的責任が重要視されつつある、
ということである。
まさにこれらの諸点について歴史的に回顧しつつ論じているのは、クルト・バイアーツ
の議論である (40) 。「責任」概念の可能性の射程を吟味するためにも、バイアーツの議論に
即して「責任」概念の歴史を整理しておきたい。
(1)「責任」の古典的モデル
責任の問題の古典的形態は、帰責(imputatio, Zurechnung)の問題である。この場合、帰
責されるところの行為の主体が個人であることが大前提であるが、その上で、ここには三
つの要素が前提にされている。すなわち、①因果性、②意図性、③規範・価値の体系であ
る。行為主体に意図があるということは、帰結の予知があること、行為ないし意志の自由
がある、ということである。そして、責任負担を指定するものとして規範・価値の体系が
安定した仕方で前提となっている。
(2)「責任」の名詞形の登場
ところが、そもそも「責任」の名詞形(responsibility, responsabilité, Verantwortung,
Verantwortlichkeit)が西欧において出現してくるのは、19 世紀後半であって、それ以前で
はない。
「責任」が名詞形として抽象化され、対象化されたということは、それに対応する
一定の人間行為が、構造的に変化したということであろう。近代社会・産業社会の進展、
とりわけ分業および科学技術の発達に注目しなければならない。
バイアーツは例として、19 世紀前半に頻発したボイラー爆発事故に言及している。アメ
リカ合衆国では、1816 年から 1848 年までのあいだに、蒸気船ボイラー爆発事故が 233 件
発生し、合計 2563 名の死者、2097 名の負傷者を記録している。1850 年には、死亡 277
名、1854 年になると実に死亡 407 名に達している。事故数・死亡者数が急激に増加した、
ということがただ重要なのではなくて、むしろ、事故についての情報が拡大し、その交換・
収集・整理が発達したこと、つまりは、メディアや科学(社会科学)や政府行政の活動が
発達したことに注視すべきである。近代テクノロジーは、まずもって産業技術として発達
してきたが、同時に、自己観察の道具として、情報技術としても発達してきたのである。
このことと密接に連関しているのが、リスクの予防に対する国家的課題についての論議
の成立と発達である。1830 年、フランスではボイラー法が制定され、1852 年、アメリカ
でも類似の法律が制定された。こうして、予防の問題とは別に、災厄をどう評価し、法律
的に規則化するかという問題が発生するわけである。ところがここで、近代的テクノロジ
ーの経験を通して、
「 責任」の古典的モデルを揺るがすいくつかの困難に直面したのである。
第一に、因果的な帰責の問題性。近代的な事故災害は、多くの場合、多数の出来事や行
為の「不幸な」連鎖・相乗効果に由来する。個人の機能不全であるよりも、システムの機
能不全が問題である。そのことは、技術的行為においては、行為主体と行為の帰結との間
に、諸々の媒介項(道具、機械、技術システム)が介入しており、そうした媒介項がかな
りの程度自立化してくる、ということと関わってもいる。そこで、新たな帰責問題が登場
してくる。すなわち、人間行為の因果的帰責としてもはや一義的には解釈できないような
危害は、果たして帰責されうるのか、如何にして帰責されうるのか。システムの機能不全
だとするなら、いったい誰に、あるいは何に、帰責すべきか。
第二に、過失と無過失の問題。
「 帰責」はそれ自身のために追求される自己目的ではない。
処罰や補償のためにこそ、「責任者」は見つけ出されるのである。損害賠償義務の原理が、
もともと過失責任原理および違法性ということにあったのに対して、1838 年、プロシアに
おいて無過失の危険責任(Gefährdungshaftung)に基づく法律が成立したように、次第に無
過失責任の考え方が発達していった。これは、責任の古典的モデルからの転換を意味する。
つまり、行為の帰結が意図されたものだったかどうはもはや重要ではない。それが無過失
責任の発想であるから、これは「結果責任」という、責任の古代的実践の復活と解するこ
ともできる。ただし、危険責任の考え方によれば、責任者(負担責任者)は、危険の源を
世界にもたらしているということであって、事故そのものが彼の行為によって引き起こさ
れたということではない。
(3)配慮責任の重要性
近代化に伴う技術化と分業化は、有機的な協同の欠陥がもたらす危害の帰責問題の緊要
性をもたらした。さらに分業の複雑化は、個々人の役割・課題・権限の配分の明確化を必
要とするし、個々人の能力を規制するとともに、全体の経過を責任をもって制御する審級
の創出を必要とする。したがって、起こった危害について誰に責任があるのかという古典
的な問いと並んで、一定の課題を規律正しく処理することについて誰が責任あるのか、と
いう問いが出現する。つまり、否定的な帰結についての責任の問題と並んで、肯定的な状
態についての責任という問題が登場するのである。
この配慮責任こそ、先に論じたハンス・ヨナスの「責任のまったく別の概念」だと言う
ことができる。ヨナスの言葉を直接引けば、
「これはやってしまったことについての後から
の負担〔清算〕(die ex-post-facto Rechnung für das Getane)に関わっているのではなくて、
なされねばならぬことの規定〔決定〕(Determinierung des Zu-Tuenden)に関わっている。
それに応じて私は、第一次的には私の行動とその諸帰結についてではなくて、私の行為に
対して要求をつきつけてくる<もの>について、自分が責任があると感じるのだ (41) 」。こ
の場合、
「要求」は予め明確に定式化されえない。それ故に、伝統的な「義務」の概念でう
まく表現できないものであって、そのことが、
「責任」概念の適用を必要視させている (42) 。
そしてまた、機能的に分化した社会である近代社会にあっては、固定的な規範体系・義務
のカタログに取って代わって、行為の個人的な自己制御の要求やメカニズムが多面的に登
場してくることによって、「責任」が重要視されるようになってきたとも言える。
さらに配慮責任においては、責任の時間方向の転換が起こっている。配慮責任とは、未
来志向的(prospektiv)な責任であり、先行的配慮〔先制的予防 (43) 〕(Vorsorge)としての責
任である。ここには勿論、近代産業社会が複雑性と不透明性の増大をもたらし、伝統的・
慣習的な行動制御の手段が機能不全をきたしている現実がある。
(4)作為と不作為の問題
古典的な意味での、つまり、過去志向的な意味での「責任」にあっては、人が責任を負
わせられるのは、通常、その人の行為の結果についてであった。ところが今や、
「責任」が
望ましい状態を保持したり、つくり出したりすべきことを含意するならば、責任が問題に
なる条件としては、行為しないこと、つまり不作為で十分であることになる。勿論、ある
問題事象を、行為(作為)の結果として記述するか、あるいは不作為の結果として記述す
るかは、パースペクティヴの問題である。汚水が川や海にたれ流され、環境が汚染される
のは、さまざまな行為者たちの行為の結果である。しかし同時に、そうした結果が存在す
るのは、まさに一定の行為者たちがしかるべき行為をしないで、起こるがままに放置した
からである。例えば、当該企業が浄化装置を設置しなかったから、政府が何らの厳しい規
制も法律の制定もしなかったから、である。したがって、結果は、ある者たちの行為から
起こっていると同時に、他の者たちの不作為から起こっている。
「責任」の古典的モデルからの転換と並行して、行為と行為しないこと(不作為)との
差異を原理的に解消してしまう倫理学が登場してくるのは、偶然ではない。すなわち、帰
結主義にとっては、一定の出来事が行為の結果なのか、不作為の結果なのかは、原理的に
どうでもいいことである。しかし、そうした発想の出現は、不作為が作為とまったく同じ
だけの広範な結果をもたらしているような、社会的背景条件に起因している。
「不作為」が
「作為」と同権的に見られる、ということは、次のことを明らかにしている。すなわち、
「作為(行為)」
・
「帰責」
・
「責任」といった概念は、自然的な実体に関わっているわけでは
なくて、すべて社会的構成である、ということだ。というのも、明らかに不作為は、
「存在
論的に」何かが対応しているようなものではなくて、諸々の結果から「再構成」される他
ないからである (44) 。
(5)パラダイムとしての政治的責任
「責任」概念に関して、19 世紀、古典的な法律的責任(法廷に対する責任というパラダ
イム)と並んで、次第に政治的責任(politische Verantwortung)がもう一つのパラダイムと
して登場してくる。アメリカ革命やフランス革命の結果が示しているように、伝統的社会
から近代的社会への転換は、デモクラシーの観念が政治的思考において徹底化され、政治
生活において次第に実現されていく過程であった。そしてデモクラシー理論にとって重要
なのが、「責任ある政府〔統治〕」の観念である。政治的権力およびその担い手たちを如何
にして制御するか、という問題に答えなければならないのが、
「責任ある政府」という観念
である。
バイアーツに従えば、責任の現代的な概念は、責任の政治的コンセプトを倫理の内に外
挿することによって成立したものであって、
「責任」の現代的理解に決定的な仕方で形を与
えているのは、宗教的責任や法的責任の観念ではなくて、むしろ政治的責任の観念である
(45) 。
このことを証示するものとして、マックス・ウェーバーによる「心情倫理
(Gesinnungsethik)」と「責任倫理(Verantwortungsethik)」との区別をあげることができ
る。まさにこの区別によって、「責任」は道徳哲学のカテゴリーにまで昇格したのである。
「・・・われわれが銘記しなければならないのは、倫理的に方向づけられたすべての行為は、
根本的に異なった二つの調停しがたく対立した準則の下にたちうるということ、すなわち
<心情倫理的>に方向づけられている場合と、<責任倫理的>に方向づけられている場合
があるということである。心情倫理は無責任で、責任倫理は心情を欠くという意味ではな
い。・・・しかし人が心情倫理の準則の下で行為する─宗教的に言えば<キリスト者は正し
きをおこない、結果を神に委ねる>─か、それとも、人は(予見しうる)結果の責任を
負うべきだ(daß man für die (voraussehbaren) Folgen seines Handelns aufzukommen
hat)とする責任倫理の準則に従って行為するかは、底知れぬほど深い対立である。・・・・サ
ンディカリストは、純粋な心情から発した行為の結果が悪ければ、その責任は行為者では
なく、世間の方に、他人の愚かさや─こういう人間を創った神の意志の方にあると考え
る。責任倫理家はこれに反して、人間の平均的な欠陥のあれこれを計算に入れる。つまり
彼には、フィヒテがいみじくも語ったように、人間の善性と完全性を前提にしてかかる権
利はなく、自分の行為の結果が前もって予見できた以上、その責任を他人に転嫁すること
はできないと考える。これこれの結果はたしかに自分の行為の責任だと、責任倫理家なら
言うであろう (46) 。」
ウェーバーの発言は「責任ある政府」の観念の伝統に根差している。しかしさらにウェ
ーバーは、基底にある人間行為の釈明義務(Rechenschaftspflichtigkeit)を、政治的領域を
超え出て一般化している。心情倫理と責任倫理との区別は、ウェーバー自身の歴史的社会
的状況から掴み取られたものではあっても、同時に普遍的な重要性をもつものと考えられ
ている。また、政治の課題としての市民の福利と国民の利益とが具体的にどの点にあるの
か、その目標を達成するための手段は何であるか、ということについては必ずしも明確で
はなく、無規定である。この無規定性こそが、それゆえ広範な裁量権のもとで、創意工夫
をもって自発的に課題を遂行しなければならないということが、
( 行政官の責任とは区別さ
れる)政治的責任の重要な特徴をなしている。
「責任ある政府」の観念は、公的引責のための理解しやすいモデルを提供したものでも
ある。すなわち、個人間の直接的な関わり合いという近接領域を超え出ゆき、様々な媒介
項が介在する行為、つまり絶えず間接性と匿名性によって特徴づけられる行為類型にあっ
ては、内面的引責の審級としての個人の良心に代わって、引責が公的プロセスとして解釈
されなければならなくなる。ちょうど統治者が統治される者の制御と判断に立ち向かわね
ばならないように、理想的には、すべての行為者は社会に対して自己の行為の帰結につい
て申し開きすべきである(責任をもつべきである)。法の前での平等ということも、すべて
の人が自己の行為の帰結について釈明義務を負うという、その普遍性をあらわしている。
(6)あらゆる責任論の中心問題:帰責の基準の明確化
すでにヨナスにおいて見たように、過去志向的で因果的な行為責任と、未来志向的な配
慮責任とは、
「責任」概念のそれぞれ異なったものである。しかし、そもそも責任の意味と
目的は、
(道徳的)主体と(道徳的)客体とのあいだに関係を打ち立てる、という点にある。
そうした関係が打ち立てられるのは、いつでも、客体がある主体に帰責される場合である。
行為責任の場合には、過去志向的に結果が帰責され、配慮責任の場合には、未来志向的に
課題が帰責される。
責任を一定の主体に帰せしめることは、必ず価値づけを前提している。行為の結果につ
いての責任の場合には、通例、否定的な価値づけがなされており、配慮責任の場合には、
肯定的な価値づけがなされている。しかし、こうした価値づけと責任を帰することとは、
別の事柄である。すなわち、一定の行為の結果が悪いことと見なされるかどうか、という
問題は、その結果が誰に帰責されるべきか、という問題とは別である。配慮責任の場合も
同様であって、どのような状態が肯定的なこととして評価され、それゆえに保持されるべ
きか、あるいは生み出されるべきか、という問題は、それに対応する課題を誰が引き受け
なければならないのか、ということとは別の問題である。したがって、このような価値づ
けが何に由来するのか、どのような内容を有するのか、如何なる目標をもつのかといった
ことに応じて、道徳的責任、法律的責任、職務責任(役割責任)など様々な種類の責任が
生じている、と言うことができるだろう。しかしここでバイアーツが強調するのは、責任
概念が価値を構成するのではなくて、ただ「運搬する」にすぎない、ということである。
つまり、責任概念そのものは「価値中立的」であり、それゆえ「責任のどんな理論も、道
徳理論に対して寄生的である」し、
「責任の理論は、それ自身が基礎づけることのできない
道徳的価値づけによって生きている」、と言うのである (47) 。
これと基本的に同様のことを、ヴォルフガング・ヴィーラントも主張している (48) 。すな
わち、ヴィーラントによれば、功利主義の一変種としての責任倫理は、功利主義と同様、
正義・人間の尊厳・人権といった無条件の倫理規範を基礎づけることができない。「責任」
概念は、如何なる行為をも最終妥当的に規範づけることができないし、内容をもった指導
的目標を予め与えることができない。むしろ、そのような指導的目標を追求し、達成する
ことを最適化するのを行為者に可能にする何かを与えてくれるだけである。その意味で責
任倫理とは「第二線の倫理(Ethik der zweiten Linie)」である。ただしヴィーラントは、
こうした責任倫理が現代において活況を呈していることに理解を示してはいる。しかし結
局ヴィーラントは、科学技術の高度の発達と関わりながら複雑化し、徹底的に機能分化し
ている現代社会のなかで、
「賢慮(Klugheit)」の徳(すなわちプロネーシス)と「実践的判
断力」が極めて重要になっている、とうことを責任倫理のパトスが告げているのだ、とい
うことを確認するにすぎない。
責任倫理が結局は一種の徳倫理でしかありえないのかどうかは別にして、むしろここで
は、あらゆる責任論の中心問題、すなわち帰責の問題にもう一度立ち返っておきたい。そ
もそも、ある特定の主体への帰責が可能であるということ、それと同時に他のすべての人
の免責が可能であるということ、恐らくその場合にのみ、
「責任」は「動機のための跳躍点」
を与えることができるだろう。責任の概念は、責任ある者とそうでない者との差異をもた
らす。それゆえ、誰がどのような条件のもとで何について責任があるのか(そして誰が責
任がないのか)、ということについての基準を用意し、それを基礎づけることが、あらゆる
責任論の中心問題となるのである。ハートが「責任の基準」として論じていたものも同じ
問題であり、古典的な責任論は帰責の基準を明確にする工夫を種々こらしてきたのである。
古典的モデルの基準に従えば、行為の結果についての責任は、因果的な原因者性・予見
可能性・回避可能性が前提条件になっている。ところが、これこそ非常に大きな問題点で
あるが、配慮責任については、それと同等の簡明で一般的に承認されているモデルが存在
しない。しかしこの場合にも、少なくとも因果関係は必要であろう。因果的な影響を与え
ることがまったくできないような状態を保持したり、生み出したりすることについては、
誰も責任を負えない。その上さらに、規範的に意味のある主体と客体との関係づけが必要
である。この意味で、子についての親の責任には、確かに固有の義務づけを認めることが
できる。この義務づけは、一定の根拠をもっているし、限定可能な領域および一定の主体
に向けられている。しかし、もし「人間」や「人類」が責任の主体として呼び出されたな
らば、責任ある者の差異化が消滅してしまい、すべての人が責任があることで、誰も責任
がないことになってしまうだろう。バイアーツは、この意味での「主体の消去」がハンス・
ヨナスの議論に起こっていることを指摘し、それは責任のディスクールを完全に恣意的な
ものにしてしまう、と批判するのである (49) 。
(また、責任を徹頭徹尾「社会的構成」と考えるバイアーツは、責任を「存在論化」し
ているとしてピヒトおよびヨナスを批判している。
「存在論化」批判については別個に考察
してみなければならないし、とりわけピヒトについては慎重な検討が必要だと思う。)
7.もうひとつの局面
以上の議論を通して、
「責任」概念のモデルとして、四つのモデルを区別するこができる
と思う。すなわち、①行政官モデル、②法廷モデル、③親子モデル、④政治家モデル、の
四つである。ただし、もともと私の関心のひとつは、日本語の「責任」の意味をできるだ
け明確化し、
「責任」という言葉をさまざまな社会生活・日常生活においてもっと有意義な
ものとして使えるようにしたい、ということにあった。それゆえ、そうした四つのモデル
に即して改めて日本語の「責任」の可能な使用法について検討しなければならないだろう。
その際は、
「責任」の関係性を、少なくとも「∼について」と「∼に対して」の二つの指示
関係においてそのつど明確にしなければならない。
そうした具体的作業を別の機会として、ここでは、日本語の「責任」を考える場合に考
慮しなければならない、残されたもうひとつ別の面について触れておきたい。それは、エ
リザベス・ウォールガストの次の発言に関わっている。すなわち、「・・・自由なる行為と責
任の帰属とを二つながらに強調する人格(person)の概念は、この二つの側面がぼやけたり
混乱させられたりする場合には、毀れやすくなる。日本のコンテクストにおいては、個人
は中心的役割を果たさないし、決定を下すにあって十分な力を発揮しない。同時に、個人
は十分な責任のペナルティーからは保護されている。個人が人格としての明確さについて
曖昧化されてもいるならば、これは驚くことではないだろう (50) 」。
これは、日本的集団主義や会社社会に対する紋切り型の批判だと、見ることができるだ
ろう。しかし、集団主義が「日本的」であるか否かは、どうでもよいことである。肝心な
点は、
「責任」概念を再構築しようと思うとき、現実の社会の構造を(それゆえ日本の社会
の構造を)吟味しておくことが必要だし (51) 、恐らくは社会の構造と制度の変革が必要であ
る、ということだ。
そもそもウォールガストは、人格を徹底的に「自律性」に基づいて把握し、個的人格の
みを道徳的責任の主体として捉えている。そして、専門家、代表者、組織体といったもの
を、
「役割」の観念から捉えることの危険性、つまり「道具」的なものとして単に機能主義
的に捉えることの危険性を、強く主張している。
「 われわれに共通な道具性のメタファーが、
どんなに人格を非人間化する無感覚な見方を鼓舞しているのか、どんなに人間を十分道徳
的に捉える見方を阻止する影響を与えているか、ということにわれわれはもっと気づかな
くてはならない (52) 」、というわけである。
しかし勿論、単に精神主義的に個人の責任意識にすべてを賭けているわけではない。個
人の責任意識が十分な仕方で働くように、制度的な変革を遂げなければならない。つまり、
「われわれが道徳的責任(moral responsibility)に意味を保持しておきたいのであれば、自
律(autonomy)の働く範囲が、様々な組織の複雑性の中に吸収され、拡散され、喪失されて
しまうことから、防御する必要がある (53) 」のであって、したがって、「わたしたちが個人
の道徳の重要性に専心し、道徳的自律性を尊重することが、制度を変革しようとする強い
動機を生み出すし、どのように変革すべきかを示唆する (54) 」のである。
ただ、ウォールガストが考えている道徳的責任が、どのような意味での責任なのか、判
然としない。これまでの私の議論において重要となったひとつの区別は、過去志向的な行
為責任と未来志向的な配慮責任との区別だった。ウォールガストが考えようとしている責
任は、組織体のなかでの個人の責任や専門職を担う個人の責任である。したがって、こう
した責任は、基本的には、未来志向的な配慮責任であろう。
S.K.ホワイトは『政治理論とポスト・モダニズム』のなかで、
「<行為への責任>感覚(a
sense of "responsibility to act")」と「<他者への責任>感覚(a sense of "responsibility to
otherness")」との区別が、それぞれ言語の「<行為-調整的>機能("action-coordinating"
function)」と「<世界-開示的>機能("world-disclosing" function)」とに関わっているこ
とを論じ、これらの区別を理解することが、
「モダニティとポスト・モダニティをめぐる論
争において何が問題なのかを知るための鍵」でると述べている (55) 。行為への責任感覚と行
為を調整する媒体としての言語という理解こそは、
「 倫理と政治に関する西欧近代の思考様
式の深層構造をつくり上げている主要な構成要素」であって、これに対してさまざまな方
面から反撥が起こっているのが現代である。例えばフェミニズムのなかに、他者への「配
慮(care)」の意義を強く主張するものがある。
「配慮を強調することは、根本的な点で近代
的な感受能力の再編成を求めていることになる。すなわち他者への責任という別の引力圏
─有限性という事実に最終的には根差している我々の存在を引きつけている─に、そ
れにふさわしい承認を与えるという点での再編成の要求なのである (56) 。」
今日、政治学や法学においても、行為責任の問題とは別に他者への配慮責任の問題が重
大な意味を帯びている。
「責任」概念の再構築にあっては、こうした大きな動向に目を向け
ておく必要もあるだろう (57) 。
註
(1)私は近代科学・現代科学の本質性格を、科学の技術化と技術の科学化との相互性、および、基礎理論
とその技術的応用という二元論的理解の破綻に見る。この意味で私はなお科学の「目的内在化」論に
従っている。科学の「目的内在化」論については、次を参照。ベーメ/ファン=デン=デーレ/クロー
ン「科学の目的内在化」(丸山徳次訳・解説)、『現代思想』1985 年 7 月号所収、および拙稿「科学の
相対化と方向づけ」、『龍谷大学論集』第 424 号(1984 年 5 月)所収。
(2)本報告書はその後、次のように出版社から出版されたが、ここではオリジナルの冊子に基づいてペー
ジ数を示す。橋本道夫編『水俣病の悲劇を繰り返さないために−水俣病の経験から学ぶもの』
( 中央法規、
2000 年 9 月)。
(3)John Ladd, Bhopal: Moralische Verantwortung, normale Katastrophen und Bürgertugend ,
Hans Lenk/Matthias Maring(Hrsg.), Wirtschaft und Ethik , Stuttgart 1992, S.295
in:
さらにボパー
ル 事 件 に つ い て の ラ ッ ド の 議 論 を 論 じ た も の と し て 、 次 を 参 照 。 Hans Lenk, Bhopal:
Unverantwortbarkeit und Verantwortungslosigkeit: Eine Fallstudie , in: Lenk, Einfühlung in die angewandte Ethik ,
Stuttgart/Berlin 1997, S.67ff.
(4)Charles Perrow, Normal Accident , Basic Book, 1984.
(5)Ladd, op. cit ., S.298.
(6)足立忠夫「責任論と行政学」、辻清明他編『行政学講座』第1巻(東大出版会、1976)所収。
(7)西尾勝「政府機関の行政責任」、岩波講座『基本法学5:責任』(岩波書店、1984)所収。
(8)西尾勝、同上、207 頁。
(9)H.L.A.Hart, Punishment and Responsibility , Oxford 1968.
(10) Ibid ,. p.213.
(11) Ibid ., p.215.
(12) Ibid ., p.217-222.
(13) Ibid ., p.221.
(14) Ibid ., p.225f.
(15) Ibid ., p.223.
(16) Ibid ., p.265.
(17)不 法行為 法の現在 におけ る種々の 問題(道 徳的含意 )につい ては、棚 瀬孝雄編 『現代の 不法行為 法
−法の理念と生活世界』(有斐閣、1994)を参照のこと。「救済」の限界という問題には、水俣病事件
に関して拙稿「<暴力>行為と構造的暴力」
(現象学・解釈学研編『理性と暴力』世界書院、1997 年、
所収)で触れている。
なお、不法行為法については主として次を参照した。森島昭夫『不法行為法講義』
(有斐閣、1994)、
遠藤・川井他編集『民法(7)』第 4 版(有斐閣、1997)。
(18) Günter Ropohl, Technikethik , in: A.Pieper/U.Thurnherr(Hrsg.), Angewandte Ethik , München
1998, S.264ff.
(19)アメリカの National Society of Professional Engineers の「技術者のための倫理綱領」にこう言わ
れ て い る 。 次 の 文 献 に 収 録 さ れ て い る ド イ ツ 語 訳 に こ こ で は 従 っ た 。 Hans Lenk/Gunter Ropohl
(Hrsg.), Technik und Ethik , 2., revidierte und erweiterte Auflage, Stuttgart 1993, S.322ff.
(20)テ ク ノ ロジー ・ア セルメ ント につ いて は次 の文 献を 参照 のこ と。 Christoph Hubig, Technik- und
Wissenschaftsethik , 2.Aufl., Berlin 1995; Günter Ropohl, Ethik und Technikbewertung, Frankfurt
a. M. 1996; R. von Westphalen(Hrsg.), Technikfolgenabschätsung , 3.Aufl., München/Wien 1997.
(21)Georg Picht, Der Begriff der Verantwortung , in: G. Picht, Wahrheit Vernunft Verantwortung ,
Stuttgart 1969, S.318ff.
(22)責 任概念 のこの二 重の指 示関係に ついては 、アルフ レート・ シュッツ も英語表 現に即し て論じて い
る。つまり、
「について〔関して〕責任がある(being responsible for )」と「に対して責任がある(being
responsible to )」という区別があることを論じている。シュッツはさらに、この区別は、一人称によ
る用法と三人称(ないし二人称)の用法との区別に関連づけるとき、極めて重大な意味を帯びてくる、
と述べている。Cf. Alfred Schutz, Some Equivocations in the Notion of Responsibility , in: Collected
Papers II , The Hague 1964, pp.274.
なお、責任に関する「について」と「に対して」との区別は、哲学史的には、マックス・シェーラ
ーに淵源するとも言えるが、ただし、この区別は元来ドイツ語表現においてごく普通のことであり、
むしろ二つの区別を「二重の指示」として有機的に関連づけて考察したのは、やはりピヒトの功績で
ある。Cf. Max Scheler , Gesammelte Werke , Bd.2, besonders S.479, S.522.
(23)Picht, op.cit ., S.324.
(24) Ibid ., S.325.
(25) Ibid ., S337.
(26) Ibid ., S.336.
(27) Ibid ., S.340.
(28) Ibid ., S.340f.
(29) Ibid ., S.332.
(30) Ibid ., S.334.
(31)技 術 が な ぜ 倫 理 の 対 象 に な る の か に つ い て の ヨ ナ ス の 議 論 に つ い て は 、 次 を 参 照 の こ と 。 Hans
Jonas, Warum die Technik ein Gegenstand für die Ethik ist: Fünf Gründe , in: Hans Lenk/Günter
Ropohl(Hrsg.), op.cit ., S.81ff.
丸山徳次「技術と倫理(1)」、『龍谷大学論集』第 455 号(2000 年 1 月)
所収。本稿は全体としてこの拙稿「技術と倫理(1)」の続編として書いたものである。
(32)Hans Jonas, Das Prinzip Verantwortung , Frankfurt a.M. 1979, S.36.
引用に当たっては、加藤尚
武 監訳 『責 任と いう 原理 』( 東信 堂、 2000)を 参照 した が、 以下 にお いて も部分的 に改 変し た場 合が
ある。特に責任に関する「について」と「に対して」の区別は、邦訳に従うわけにはいかなかった。
(33) Ibid ., S.172ff.
(34) Ibid ., S.174.
(35) Ibid ., S.234.
(36) Ibid ., S.241.
(37) Ibid ., S.242.
(38) Ibid ., S.391.
(39) Ibid ., S.392.
(40)Kurt Bayertz, Eine kurze Geschichte der Herkunft der Verantwortung , in: K.Bayertz(Hrsg.),
Verantwortugn - Prinzip oder Problem? , Darmstadt 1995.
(41)Jonas, op.cit ., S.174f.
(42)シュヴァルトレンダーによれば、
「永遠に同一のコスモスとしての客観的世界、神の創造物としての
客観的世界、あるいは存在や諸価値の客観的世界といったものが、即自的に存在する超時間的な義務
の根拠として、人間の意志に対峙している」ということが、義務の概念の前提になっている。これに
対して、
「人間同士の相互性・世界の開放性・人間の一切の関係(秩序、制度、等々)の歴史性」が根
本の契機となる近代世界においては、伝統的な義務概念に代わって責任の概念が前面に出てくる。
Cf. Johanes Schwartländer, Verantwortung, in: Krings,H./H.M.Baumgartner/Ch.Wild(Hrsg.),
Handbuch philosophischer Grundbegriffe , München 1974, S.1577ff.
(43)「 先制的 予防」と いう訳 語につい ては、次 を参照。 北畠能房 「水俣病 事件から 学ぶ先制 的予防原 理
の意義」、有福孝岳編著『環境としての自然・社会・文化』(京都大学学術出版会、1997)所収。
(44)Bayertz, op.cit ., S.46.
(45) Ibid ., S.40.
(46)Max Weber, Politik als Beruf (1919), in : Gesammelte Politische Schriften , Tübingen 1988, S.551f.
脇圭平訳『職業としての政治』(岩波文庫)、p.89f.
(47)Bayertz, op.cit ., S.65.
(48)Wolfgang Wieland, Verantwortung - Prinzip der Ethik? , Heidelberg 1999.
(49)Bayertz, op.cit ., S.67.
(50)Elizabeth Wolgast, Ethics of an Artificial Person: Lost Responsibility in Profession and
Organizations , California 1992, p.144.
(51)社会心理学の立場からの、この面での興味深い議論については次を参照。岡本浩一『無責 任 の構 造:
モラル・ハザードへの知的戦略』(PHP 新書、2001)。
(52)Wolgast, op.cit ., p.146.
(53) Ibid ., p.147f.
(54) Ibid ., p.158
(55)Stephen K. White, Political Theory and Postmodernism , New York 1991, p.X.
有賀・向山訳『政
治理論とポスト・モダニズム』(昭和堂、1996)、p.ii.
(56) Ibid ., p.102.
邦訳、p.131f.
(57)さ らに残 されてい る大き な問題と しては、 集団責任 ・団体責 任(法人 責任、組 織体責任 )そのも の
を倫理的・道徳的な含意をもったものとして捉えることができるのかどうか、できるなら如何にして
か 、 と い う 問 題 が あ る 。 こ れ に つ い て の 最 も 基 本 的 な 文 献 は 次 の も の で あ る 。 Larry May/Stacey
Hoffman(ed.), Collective Responsibility , Rowman & Littlefield Publishers, 1991.
遺伝子をめぐる言説の社会的文脈
─遺伝子医療の倫理問題の検討に向けて─
霜田求(大阪大学大学院医学系研究科助教授)
はじめに
「遺伝子」(あるいは「ゲノム」「DNA」)をめぐる諸問題ついて一般社会向けに発信さ
れる言説が近年急激に増加している。本稿は、これらの言説を社会的文脈という視角から
整理した上で、その意味を解読することを目的とする。それは同時に、遺伝子に関わる医
療の倫理問題を検討するための準備作業でもある。
これらの言説群は、きわめて大まかに言えば「人間の知能や行動は主に遺伝子によって
影響を受けている」説と「遺伝子決定論や遺伝子還元主義はでたらめだ」説との対立構図
を形づくっている。しかしながら、文字通りの「遺伝子(生物学的)決定論」を唱える論
者はほとんどいないことから見て、この対立構図では問題の焦点を見誤ることになりかね
ない。そこで対立軸と論点の再整理が必要となる。ここでは、遺伝子の「影響」について
の評価を軸に二つの方向に分け、
「遺伝子を中心とする生物学的組成が中心的・主導的な役
割を果たす」という説(=遺伝子中心主義)と、
「遺伝子だけでなく社会文化的な環境や個
人の自由意思を含む様々な要因が関わっている」とする説(=遺伝子中心主義批判)との
対立構図を設定する。
以下では、それぞれの主張のポイントを整理して検討を加えた上で、それをポストゲノ
ム時代における人間理解や社会認識を問う手がかりとし、さらに遺伝子医療の倫理問題と
関連づけてみたい。
1
遺伝子中心主義
一方で、遺伝子に関わる疾患の原因やその治療法の開発が進められ、生命のメカニズム
が解明されていく中で、人間存在にとって遺伝子の占める位置・役割がますます強調され
る。これが生物学や心理学などによる遺伝研究の様々な成果と結びつくことにより、遺伝
子の人間論的、社会文化論的な意義が前面に押し出されてくるようになる。
さて、人間の表現型(phenotype)すなわち形態、性格、能力、行動といった形質(trait)
の具体的特徴には、
①身体的特徴:皮膚・髪・眼の色や形態、身長、運動能力、がん体質、肥満体質など、
②精神的機能および能力:知能、精神疾患、学芸の才能など、
③性格・性向・行動:性的志向、外向性、攻撃性、犯罪性向、アルコール依存性など、
が挙げられる。
これら表現型に対する遺伝子型(genotype)すなわち染色体上の位置における遺伝子の
内容構成の「影響」をどのように理解するか、あるいは表現型の違いをどのように評価す
るか(とくに①と②③とを連続したものと見るか、質的に異なると見るか)という問題が
浮かび上がってくる。
1)「遺伝子中心主義」(遺伝子主導論)とは
「特定の遺伝子によって個々の表現型が決定されている」
(例:
「体重の遺伝子」
「高知能
の遺伝子」「同性愛の遺伝子」などが存在する)のではなく、「遺伝子発現プロセスにおけ
る環境要因との相互作用や遺伝子相互の関係、あるいは個人の自由意思にも一定の役割を
認めた上で、そこでの遺伝子の中心的・主導的働きを強調する」という見解を、ここで「遺
伝子中心主義」と呼ぶことにする。
これに含まれる主な立場には、
①進化生物学(動物行動学、社会生物学、行動生態学)
:R.ドーキンス、E.O.ウィルソン、
②進化心理学:R・ライト、長谷川寿一/眞里子、進化論的倫理学:内井惣七、
③行動遺伝学:R・プロミン、安藤寿康、
がある。ただし、これらの文献でも主要な部分を占めている、
「進化」
(evolution)や継時
的な「遺伝」
(heredity, inheritance)については、問題の焦点を絞るためにあえて論じる
ことはしない。個々の表現型が遺伝子の突然変異および自然選択(適応)によって進化し
たというネオ・ダーウィニズム説や、親から子への「遺伝」に関わる論点ついては取り上
げず、人間個体(個人)における形質生成因子としての「遺伝子」(gene)とその表現型
の「意味」、集団内での差異(個人差)への遺伝子の「影響」に関わる問題に焦点を定めて
論点を整理する。以下に挙げる論点は主に③の行動遺伝学によって提示されているもので
あり、必ずしもそのすべてについて他の諸分野の論者の見解が一致しているわけではない
が、論点を際立たせるためにあえてこのような手法をとることにした。
2)遺伝子中心主義の主張の要点
(ア)人間の表現型は「〇〇の遺伝子によって決定されている」わけではないが、
「関連す
る遺伝子型によって方向づけられている」と言うことはできる。例えば「IQ を決定する遺
伝子」は存在しないが、知能を形作る形質(情報処理能力、計算能力など)を発現させる
さいに主導的役割を果たす遺伝子型は想定可能だ。生後すぐ別々に育てられた一卵性双生
児における IQ や行動パタンの調査で高い類似性を示すデータが得られていることは、表
現型への遺伝子の影響を「直接示す証拠」と見なしうる(異なる環境要因に関わりなく同
一の遺伝子型プログラムが発現している)。
(イ)遺伝子型に含まれる遺伝情報は、固有のプログラムに従いながら、個人の内的およ
び外的環境要因と相互作用しつつ一定の可変範囲の中で発現する。
「 遺伝子によってプログ
ラムされている」といってもそれは「変更不可能な宿命だ」ということを意味するわけで
はない(「遺伝差別」の多くはこの偏見に由来する)。比喩的に言えば、楽譜が遺伝子型、
演奏家と楽器が環境、演奏が表現型(あるいは〈設計図―建築作業者・資材―建物〉、〈レ
シピ―料理人・食材―料理〉といった比喩も可能)ということになり、同じ遺伝子型から
でも多様な表現型が生成することはありうる。
(ウ)人間の性向や行動など複雑な遺伝子発現メカニズムは、環境要因との相互作用以外
に個人の自由意思によっても変容可能であるが、主導的役割はあくまで遺伝子型が担う。
「遺伝子決定論」か「環境決定論」ないし「自由意思論」か、という二者択一は誤りだ。
感情や欲望などの「心の働き」も、脳神経細胞や生化学的な作用(ホルモン分泌など)を
作り出す遺伝子によって主に規定されていると見なしうる。
(エ)表現型における個人差は、遺伝子型による統計的かつ量的な影響として数値化可能
である。個人の遺伝子型がその性格や行動といった表現型をどのように生成させるかとい
う発生メカニズムはほとんど未解明であるものの、集団内での表現型の個人差が統計的に
数値化可能という意味では、遺伝子型の差異が表現型の差異を「規定する」と言ってもよ
い。ある集団内での遺伝子型の表現型に対する影響の比率、言い換えると表現型の全分散
に占める遺伝分散の割合(=遺伝要因の寄与率)を「遺伝率(heritability)」として表す
ことができる(ただしこれは、個体内部での表現型への遺伝子型の影響の比率ではない)。
例えば、顕著な遺伝的規定性を示す表現型である身体的形質(身長、体重)の遺伝率は 60%
∼80%、IQ や外向性は約 50%と推定される。
(オ)知能や性的志向、攻撃性の個人差に遺伝子発現メカニズムがどのくらい影響を及ぼ
しているかという「科学的にニュートラルな問題」を、すぐに差別や優生学と結びつける
イデオロギー的批判は誤りだ。たしかに、過去においてしばしば見られた遺伝学を優生政
策と結びつける事例(ナチス・ドイツ、20 世紀初めのアメリカなど)や、遺伝の影響を人
種レヴェルに適用する発想(A・ジェンセン「IQ と学業成績をどこまで引き上げることが
できるか」(1969)、ヘルンスタイン/マレイ『ベル・カーヴ』(1994)など)は不適切だが、
それは中立的な科学理論の「悪用」「誤用」にすぎない。
(カ)遺伝子型の個人差が解明されることにより、抽象的・形式的な平等主義(=「悪平
等主義」)の無効が宣告され、個々人の遺伝子情報の効率的運用や、遺伝子型の「多様性」
に応じた個々人の処遇、さらには適切な社会資源の配分が可能となる。例を挙げると、個
人の医療情報のカード管理、病気のなりやすさや薬剤の効きやすさ(効きにくさ)を踏ま
えたオーダーメイド医療、教育における「適切なクラス編成」や就職における「適性に合
った進路選択」などである。
2
遺伝子中心主義への批判
1)批判者たちの主張の要点
以上に見たような見解に対して、生物学、科学論、メディア論、市民運動など多方面か
らいろいろなレヴェルで批判が浴びせられてきた。次にその主な論点をまとめておこう。
(ア)遺伝子型および表現型それぞれの実体化
環境要因および相互作用による可変性を認めているとはいえ、遺伝子型はそれ自体とし
て完結した「意味」を持つものとして、特定の表現型に至る発現プログラムを内蔵する「設
計図」と見なす誤りが認められる。言い換えると、遺伝子からタンパク質合成に至る生体
内環境での相互作用が非加算的・偶発的・自己変容的であること、内分泌系・免疫系・神
経系において細胞・組織・器官が自己組織的なネットワーキング機能を有することが十分
に考慮されていない。IQ や攻撃性、性的志向、神経症といった表現型を、調査する側の限
られた情報や意図によりバイアスがかかった統計的データを数値化した人工物(artifact)
として実体化する錯誤に陥っている。これらの表現型はむしろ、当人の振る舞いや他の人
との関わり、そして社会的文化的な関係性といった文脈においてそのつど「意味」を充填
される「社会的構築物」であって、
「その個人差への遺伝子型の影響の割合」を数値化でき
るような「実体」ではない。
(イ)還元主義とアトミズム
人間の性格・性向・行動を、個々の反応・対応・動作から成るものと見なし(例:
「社交
性」を形づくる「寛大さ」「明朗さ」「気前のよさ」)、それぞれの要素を発現させる遺伝子
型へと還元可能と考える点に問題がある。とくにガン、精神疾患、犯罪行動といった表現
型の「原因」を個人の生物学的組織および機能に還元し、個人の「自己責任」を強調する
ことで、外的環境要因の疫学的知見や社会文化的要因(とくに有毒化学物質)を軽視する
傾向が強い。
「原因」となる(あるいは「影響」関係がある)遺伝子を特定し、それに操作
を加えて「治療」や「予防」が可能になるという発想は、
「社会防衛的処置」や「犯罪者の
厳罰化」といった方向での「問題解決」へとつながる可能性を内包する。
(ウ)生物学的「行動」「集団」と人間の「行為」「社会」との質的差異の軽視
外部の視点から観察可能な対象として、それ自身で完結した「意味」を付与されうる生
物学的な「行動」
「集団」に対し、その「意味」が自己反省的な解釈作業および正当化(根
拠づけ)と切り離すことのできない人間の「行為」
「社会」は、連続したものと見なすこと
はできない(質的に異なるものである)。ハチやアリの「互恵的利他行動」、サルの「支配
システム」
「ヒエラルキー」は、その〈利己性/利他性〉や〈権力/服従〉の「意味」を問
う反省的視点と正当化要求(およびその批判と変容可能性)とを欠いている点で、人間固
有の政治的・倫理的水準を持たない。
(エ)社会工学的な「制御」(コントロール)および「設計」(デザイン)の発想
知能や行動への遺伝的影響を強調する「研究」が歴史的にどのように機能してきたかに
ついて、その政治的・経済的・社会的・道徳的な連関を探ろうという姿勢に欠ける。
「望ま
しくない質」
(犯罪者、精神病者、売春婦、貧困者など)の断種や出産制限、
「劣等な人種」
の抹殺や移民制限、
「好ましい質」
(高 IQ、北方系白人種、貴族血統など)の出産奨励とい
った旧来の優生学的施策との結びつきを真剣に考慮しない。マイノリティの地位向上や福
祉政策の廃止・縮減や優勝劣敗の自由競争の推進といった新自由主義的政策を正当化し、
雇用・保険・教育での差別的処遇に口実を与えるという「政治的機能」に対しても、表層
的理解にとどまることが少なくない。科学の「中立性」への批判的視座を欠いていること
により、科学の社会における文脈性(社会的な力学と科学との内的連関)が看過されてし
まう。
(オ)新しい優生学を支える理論的根拠
精神的機能や行動への遺伝子型の主導的役割を強調することは、個人の「資質」の遺伝
子レヴェルでの操作可能性へと道を拓く。操作可能な対象の「質」の選別が、個人の「自
由な選択」と人々のニーズに応じるバイオ関連ビジネスを駆動力として行われるとき、新
しい優生学の問題が浮上してくる。とくに出生時での生殖細胞系列への遺伝子操作(消極
的介入:「悪い遺伝子」の除去、積極的介入:「よい遺伝子」の導入)やクローン人間作製
へ向かう力を後押しする可能性も否定できない。
2)コメント
ここで取り上げた論点は何れも無視しえないものであると思われる。とくに人間の精神
的な働きや行為、社会を固有の文脈と力学に定位して捉える必要があるという論点は、遺
伝子中心主義的見解の根本的限界を浮き彫りにしているのではないだろうか。ここで提示
された批判的視角は、遺伝子と医療の関係を考察する上でも重要な示唆を与えるものと言
ってよいであろう。
3
遺伝子医療の倫理問題と社会的文脈
1)遺伝子医療に関わる倫理的問い
遺伝子に関わる医療(研究および臨床応用)もそれ自体一つの医療行為である以上、他
の、とくに先端医療行為の中で論じられる倫理問題と同様のことが指摘できる。例を挙げ
ると、
*被験者ないし患者の権利(自己決定権、プライバシー権など)の尊重・保護、
*リスクを含めた十分なインフォームド・コンセントを行うこと、
*独立した審査機関による妥当性のチェック、
*「人間の尊厳」が侵害されないことの保障、
*適正かつ公正な医療資源の配分という観点からの評価、
などである。
他方、遺伝子に関わる医療ということで特別に考慮すべき倫理問題がある。それはおそ
らく、遺伝子が生物学的メカニズムにおいて際だって重要な機能を果たしていること、そ
して遺伝子という「情報」が、生命活動のみならず人間の社会・文化にとっても無視しえ
ない規定要因と見なしうるということと切り離すことができない。三つの位相に整理して
みよう。
(ア)情報の管理と制御…遺伝子診断の結果を当人(および血縁者)にどのように伝える
(または伝えない)のか、個人の遺伝子情報に基づく教育・雇用・保険加入における差別
をいかにして規制するか。
(イ)情報による選別と選択…受精卵・胚、胎児、新生児への遺伝子スクリーニングによ
る生命の選別の是非、遺伝病保因者のカップルが着床前ないし出生前診断によって産むか
産まないかの選択をすることの是非。
(ウ)情報そのものの修正ないし変更…正常遺伝子の導入や付加あるいは欠損遺伝子との
交換(=遺伝子治療)、能力増強や機能強化を目的とする遺伝子の「改良(enhancement)」
について、それぞれの妥当性と許容条件。
以下では、現在のところまだ実施されてはいないものの、医療者・生命科学研究者の中
に実施を求める強い声があり、将来的に大きな倫理問題として立ち現れてくることが予想
される、生殖細胞系列(germ line)への遺伝子操作(治療ないし改良)に関わる問題─
(ウ)の一部─を検討する。というのは、先に(1、2)論じた遺伝子をめぐる様々な
言説が投げかける問題点が、この場面でより一層尖鋭に浮かび上がってくると思われるか
らである。そこで問われるのは、例えば、
「単一遺伝子病(ADA 欠損症、ハンチントン病など)を発症させる遺伝子型に、体外受精
した胚の段階で操作を加えて発症を防ぐ治療は容認できるか」、
「知能に関わると推定される遺伝子型に、体外受精した胚の段階で操作を加えて知能を高
くする改良は容認できるか」、
といった操作的介入の是非である。
こうした問いに向き合うとき、同時にまた次の問いに応答することも避けることはでき
ない。それは、
「他者への明白な危害が認められない場合は、個人の自由な選択が尊重され
ねばならない」というリベラル個人主義の原則を受け入れる限り、この二つの問いに対し
て「容認すべきではない(禁止すべきだ)」という理論的根拠を提示するのは困難ではない
か、あるいは、
「治療目的」という消極的介入を容認するとしたら「改良」という積極的介
入も認めざるをえない(両者を区別する「論理的根拠」はない)のではないか、という問
いである。
2)二つの応答
これらの問いに対しては、他の多くの医療・生命倫理問題と同様、通常次に挙げる二つ
の見解が主な対立構図を形づくる。
(ア)当事者の選択の自由(自己決定)を重んじる立場
*医療は人々のニーズに応えて技術的に可能な選択肢を提供するだけで、あくまで決定す
るのは当事者であり、安全性が確認され十分なインフォームド・コンセントの上であれば、
その決定を尊重すべきだ。
*リベラル個人主義の原則を尊重する社会では、安全性が十分確認されていない技術であ
っても、リスクを承知で(結果については自己責任に委ねられる)それを選択することが
容認されねばならない。
*「生命の操作は自然に反する」、「多数者の道徳感情に反する」、「人間の尊厳への侵害」
といった先端技術に対してしばしば提示される反対理由は、そもそも「自然」「道徳感情」
「尊厳」といった概念が不明確である(恣意的に内容が埋め込まれる)ので認めがたい。
むしろ理性的主体としての個人の自律性を「人格の尊厳」の核心と考える立場としては、
そうした技術の利用を禁止することが選択権の侵害であり「尊厳の侵害」であるとも言い
うる。
(イ)生命ないし共同体の価値を重んじる立場
*「生命の始まり」である生殖細胞系列への操作は、それ自体が「生命の尊重」という共
同体の道徳的基盤を掘り崩しかねないので、禁止すべきだ。
*安全性が確認された段階で苦しむ患者への「治療」として行われるのであれば容認可能
だが、欲望やビジネスに後押しされた積極的「改良」は生命の質を選別することであり、
したがって「生命の尊厳」への侵害であるがゆえに決して容認できない。
*「改良」はまた、人間の欲望の際限なき拡張を促し、生命の手段化・モノ化・商品化を
さらに推し進めることにつながる。
もちろん遺伝子に関わる医療の問題に対する判断や評価がこの二つの見解に尽くされる
わけではないが、推進/条件つき容認ないし規制/禁止といった方向を決めるさいにとく
に有力な「論拠」となることは否定できない。しかしここではこれら二つの見解について
これ以上立ち入って検討するのではなく、異なった角度からのアプローチを提示してみた
い。その作業は、同時に先に見た遺伝子をめぐる言説の社会的文化的な側面を医療の問題
と関連づけることでもある。
3)問題の文脈に定位するアプローチ
さて、このアプローチの基本スタンスは次のようにまとめることができる。まず、個人
の選択の自由や幸福追求権を基軸とするリベラル個人主義の論理による正当化も、社会の
道徳的基盤や生命の尊厳の侵害といった根拠を掲げるコミュニタリアン的価値実体主義の
論理による否定も、そのまま「妥当する/しない」という判定を下すことはしない。そし
て、これら二つ以外の立場も含めて、それぞれの主張の中で提示されている諸論点を〈問
題〉の文脈として再構成し、そこに定位しながら、人はどのように他者に関わっているの
か、さらにはいかにして公共的な意見形成および意思決定を進めていくのかを問う。言い
換えると、人と人との〈関係性〉において働く様々な〈力〉を分節化しつつ、それぞれが
どのように位置づけられるのかを主題化する、というものである。以下では、その中で検
討する必要のある論点をいくつか挙げておく。
(ア)〈他者への関わり方〉という文脈
①個人の自由な選択(自発性)の位置づけ…選択がそれだけで完結するものではなく、医
療バイオ関連ビジネス、「優良/劣等」という人間の「質」についての社会的な価値評価、
同じ選択に向かわせる社会的圧力といったものと不可分であること(これらの「外圧」に
よって「選択させられている」可能性)を見据えることが求められている。
「個人の自由な
選択」がそれ自体としてただちに決定の根拠とはなりえないし、逆に「共同体の道徳的基
盤」や「生命価値原理」も同様であり、両者ともに社会的媒介連関の一成分として捉え返
すことが必要なのではないだろうか。
②他者および社会の「制御」
「設計」への欲望による〈関係性〉の変質可能性…遺伝子の主
導的役割を強調することが、人間存在の不確定性を極小化し、他者を操作可能な対象へと
加工したりその異質性を排除するという発想へとつながりかねないが、これといかに向き
合うのかが問われている。生きていく上で否応なく関わらざるをえない他者が「自分の思
い通りであってほしい」という欲望は、
〈関係性〉そのものを貧困化することになるのでは
ないか。
③「かけがえなき応答可能性」としての「尊厳」…実質的な価値の起源(神ないし自然)
によって根拠づけられる「生命の尊厳」や、何らかの属性(自己意識、判断能力・対応能
力)の担い手である「人格の尊厳」の何れとも異なる、
「人間の尊厳」概念の可能性を探る。
他の存在によって当の者として眼差され、働きかけられ、それに対して「応答しうる」と
いうこと、そして決して他の存在によっては代替されえないその応答の仕方、そしてそこ
に成り立つ特別な〈関係性〉に、その存在が固有の位置を占めるに値するという「尊厳」
を認めることができるのではないか。生命への操作的介入が「人間の尊厳への侵害」とな
りうるのは、そのことによって多様な「応答可能性」が「制御」や「設計」への欲望によ
って一元化・平板化されてしまう可能性が否定できないからである。
(イ)〈人間相互の関わり合い〉という文脈
①社会的公正の確保…遺伝情報に基づく差別(教育、雇用、保険加入)の可能性、既存の
権力関係(経済力、情報量、医療資源アクセス機会など)をより強化する機能、南北間で
の医療資源配分の巨大な不公正を前提にしかつそれを増大させる可能性などを注視しなけ
ればならないであろう。あるいは「遺伝子改良」に向けた研究開発や実用化への公的関与
(補助金投入や保険適用)の是非についても、それが社会的不公正を拡大させるという理
由で法的に規制または禁止する可能性を踏まえて検討することが要請される。
②生まれてくる子の福祉と安全性…遺伝子操作によって生まれてきた子が、親による期待
や世間の眼あるいは「告知」の仕方によってそのアイデンティティ形成に与えられる影響
をどのように受け止めるのか(少なくとも何らかの社会的サポート態勢が必要であろう)、
また子自身やその子孫に及ぶかもしれない未知のリスクをどのように評価するか(治療目
的や死の回避といった緊急性のない人体実験として法的に規制する可能性も考慮される)、
が問われる。
③障害を持つ人たちとの共生…遺伝子操作による〈障害〉の除去に対して、それが障害者
への人々の差別意識の助長や障害者福祉の縮減と結びつく可能性があるという問題。とり
わけ障害を持って生きる人たちから提示されるそのような危惧や不安を社会はどのように
受け止めるのかは、きわめて重要な課題であると言ってよい。
④容認可能か規制(または禁止)すべきなのか、あるいは条件つきで許容するのか、公的
な関 与 をど こま で 認め るの か 、に つい て の意 見形 成 と決 定へ の プロ セス … たん なる 専門
家・有識者の「審議会」や「諮問会議」とは異なるレヴェルで、法共同体を構成する成員
相互の関係性=共生の枠組みをつくりあげていくことが求められている。
4)まとめにかえて
以上で挙げたような問題を形づくる文脈を見据えながら、
「選択の自由」であれ「人間の
尊厳」であれそれ自体として「決定の論理的根拠」となりうるものはない(「治療」と「改
良」の区別についても)ということを踏まえつつ、
「制御」や「設計」の対象として他者を
眼差すのではないような〈関係性〉を構想すること、それを様々なレヴェルで討議する枠
組みを創出していくことがさしあたり必要なのではないか。
<文献>
1)遺伝子中心主義関連
・安藤寿康『遺伝と教育─人間行動遺伝学的アプローチ』風間書房 1999
・同上『心はどのように遺伝するか─双生児が語る新しい遺伝観』講談社ブルーバック
ス 2000
・井上薫『遺伝子からのメッセージ』丸善ライブラリー 1997
・ウィルソン、E.O.『社会生物学』新思索社 1999[原著 1975]
・同上『人間の本性について』ちくま学芸文庫 1997[原著 1978]
・同上『ナチュラリスト』上・下
法政大学出版局 1996[原著 1994]
・内井惣七『進化論と倫理』世界思想社 1996
・金子隆一『ゲノム解読がもたらす未来』洋泉社 2001
・シルヴァー、L.M.『複製されるヒト』翔泳社 1998[原著 1997]
・佐倉統『遺伝子 VS ミーム─教育・環境・民族対立』廣済堂出版 2001
・ドーキンス、R.『利己的な遺伝子』紀伊國屋書店 1991[原著 1976]
・同上『延長された表現型』紀伊國屋書店 1987[原著 1982]
・長谷川寿一/長谷川眞里子『進化と人間行動』東京大学出版会 2000
・プロミン、R.『遺伝と環境─人間行動遺伝学入門』培風館 1994[原著 1990]
・別冊宝島 real『遺伝子商売』宝島社 2001
・ライト、R.『モラル・アニマル』(上・下)講談社 1995[原著 1994]
・ワトソン、J.D.『DNA への情熱─遺伝子、ゲノム、そして社会』Newton Press 2000
2)遺伝子中心主義批判関連
・アップルヤード、B.『優生学の復活?─遺伝子中心主義の行方』毎日新聞社 1999[原
著 1998]
・池田清彦+金森修『遺伝子改造社会
あなたはどうする』洋泉社 2001
・金森修「遺伝子改造の論理と倫理」、『現代思想』2000/9
・グールド、S.T.『 人間の測りまちがい─差別の科学史』河出書房新社 1998[原著 1996]
・斎藤貴男『機会不平等』文藝春秋 2000
・ネルキン、D./リンディー、M.S.『DNA 伝説─文化のイコンとしての遺伝子』紀伊國
屋書店 1997[原著 1995]
・ハッバード、R./ウォールド、E.『遺伝子万能神話をぶっとばせ』東京書籍 2000[原著
1997]
・ホー、M.-W.『遺伝子 を操作する─ばら色の約束が悪夢に変わるとき』三交社 2000
[原著 1998]
・ホーガン、J.『続科学の終焉─未知なる心』徳間書店 2000[原著 1999]
・真木悠介『自我の起源─愛とエゴイズムの動物社会学』岩波書店 2001
・港千尋「遺伝子と権力」、『現代思想』1998/9
・リフキン、J.『バイテク・センチュリー─遺伝子が人類、そして世界を改造する』集
英社 1999[原著 1998]
・レウォンティン、R.『遺伝子という神話』大月書店 1998[原著 1991]
3)遺伝子関連全般
・ウィンガーソン、L.『ゲノムの波紋』化学同人 2000[原著 1998]
・最新科学論シリーズ『遺伝子の世紀
21 世紀“最大の科学”の予感』学習研究社 1999
・霜田求「生命操作の倫理問題─社会的文脈に定位する視角から」、文部省科研費研究成
果報告書『コミュニケーション理論を軸とした実践哲学の可能性についての研究』
2001
・多田富雄/中村桂子/養老孟司『「私」はなぜ存在するか』哲学書房 1994
・寺園慎一『人体改造』NHK 出版 2001
・バーリー、J.(編)
『遺伝子革命と人権─クローン技術とどうつきあっていくか』DHC
2001[原著 1999]
・広井良典『遺伝子の技術、遺伝子の思想─医療の変容と高齢化社会』中公新書 1996
「公民」教育としての「社会科」教育
─戦後「社会科教育」論争史を通して─*
安彦一恵(滋賀大学教育学部)
* 本稿は、科研研究費による「21 世紀日本の重要諸課題の総合的把握を目指す社会哲学的研究会」分科
会Dの第1回研究会(2001.08.01.於:キャンパスプラザ京都)で口頭報告し、それに一部修正・補完を加
えつつ文章化して同HPで公開したものに、若干の補完・字句修正を施したものである。
はじめに
[01] 本稿は、加茂直樹編『社会哲学を学ぶひとのために』世界思想社(2001)所収の拙稿「国
家─「公共性」あるいは「公(ということ)」をめぐって─」
(以下、
「前稿」と略記す
る)のいわば応用編として、戦後日本の社会科教育論争史の展開と関連づけながら、
「公民」
教育の在り方を批判的に検討するものである。
[02] 「前稿」で我々は、「国家」という課題テーマに即して、
「国家」を、それを担う人間
について問題とした。
「国家」もまた一つの集団であるわけだが、集団の構成員がいかなる
ものであるときそれは「国家」となるのかと問い、構成員はまず、単なる自己目的追求的
人間、それを「私民」と呼ぶとして、そうした「私民」に対して集団全体の存続をも一つ
の目的とする「公民」でなければならないとした上で、その「公民」として必要な要件を
問うた。その際我々は、
(言葉の厳密な意味での全体主義の反対としての)個人主義に立脚
して、人がよく生きるということを第一義として設定し、その目的を満たすために必要な
集団として国家が存在するという立場から議論した。したがって、人が生きるということ
よりも国家の存続そのものを上位に置く立場とは始めから相容れない。
[03] そして我々は、人々がそれぞれ自分のよき生を追求するとして、それが単独でなく協
同においてよりよく実現できるということ、および、その過程で生じる人々の間の利害対
立を解決する必要が在ることを確認しつつ、そして、前者からいわば「市民社会」の、後
者から「国家」の必然性が帰結すると論じつつ、その「国家」の構成員としての人間の性
格=「公」性について、
「現代における「公」とは、いわば審議を尽くし、そこで出てきた
結論には従うという性格のことなのである」と結論した。これは、或る意味でありふれた
結論であり、言われるところの「議会制民主主義*」を説いたことになる。
* 「民主主義」は論者によって規定の異なる幅の広い言葉であるが、我々は本稿では「リベラリズム」
の線で(限定して)この言葉を用いる。ただし、引用文中のものはこの限りでない。
[04] しかしながら我々は同時に、現在、あるいは19世紀以降、この端的な要件を越えた
ものが「公民」性として求められているという事態に対して、それは現在においてはむし
ろ「公共性」を破壊している、ということをもオリジナルな主張として展開した。現在さ
まざまのかたちで(「私」に対して)「公」の復権が叫ばれ、そこに「公民」であることに
おける「誇り」といったことが説かれたりしているが、それはむしろ、人のいわゆる経済
的利己利害とは別種ではあるがやはり一種の自己利害として*、公共空間(つまり国家)に
おいて─自分の「理想」等に従って、多くはそこでの自らの在り方をいわば顕示するこ
とを求めつつ「国家」の在り方あるいは人々の在り方を特定化しようとするというかたち
で─その自己利害を追求するものであってやはり(経済的自己利害(直接的)追求と同
様に)「公共性」に対して否定的に機能するということを述べた。
* 以下でも問題対象として取り上げることになる『新しい公民教科書[市販本]』で(複数の執筆者間の
分担については記されていないが、ここは間違いなく西部のものであろうが)西部邁は「公的なものへ
の欲望」ということを語っている。この言い回しで言うなら、
「公的なものへの欲望」も「欲望」として
いわゆる欲望と同じく私的なものなのである。本稿執筆中にたまたま『Voice』2001 年 8 月号を手にし
たが、そこで西部は「公共事業こそ国民活力の支柱」という論稿において、取りようによっては「前稿」
への反論であると理解できるかたちで(若干整理的に敷衍するが)次のように述べている(232-4)。自分
が言う「公的欲望」は[財政論の]R・A・マスグレイヴが言う「社会的欲望」とは別物である。後者
であるなら、マスグレイヴが言うとおり「私的要望の ...... 特殊ケース」にすぎない。「個人主義」に立脚
する限り「欲望」は結局すべて「私的欲望」であることになるが、自分はそうした前提を置いていない。
そうした前提を取り外して見るなら、人には「私人」の側面と「公人」の側面との二側面があり、
「公的
欲望」とは前者を否定するかたちで存在する一定の「価値」
「規範」に応じようという、その「価値意識」
「規範感覚」を有した後者から出てくる「欲望」である。そして、この「価値」
「規範」は自分が属する
「集団」の「伝統」として存在するのであって、そういうものとしてその「集団」内においては各人に
おいて基本的に同じである。人はいわば(「教育」を通した)「社会化」によってそうした集団的価値の
意識を内在化させているのであり、この事実の故にマスグレイヴも結局、別に「価値欲望」というもの
を設定せざるを得なくなっている。あえてマスグレイヴの分類法に合わせるなら、自分が言う「公的欲
望」は、彼の「社会的欲望」ではなくこの「価値欲望」に当たるものである。
こう西部は説くわけであるが、我々からするなら、この「価値欲望」がまさしく「私的」なのである。
これは理解しがたいことであるかもしれないが、実はニーチェ−永井均の道徳(批判)論は、このこと
、、、、
を言ったものでもある。彼らによると、道徳(という価値欲望)とは、いわゆる 私的欲望を充足させる
ことの出来ない人間(「弱者」)がその(まさしく私的な)ルサンティマンにおいて抱くものである。我々
は、必ずしもルサンティマンというメカニズムを一般化しなくてもいいが、それでも、
「公」への「欲望」
は、それが「社会化」等いかなる経緯から出てくるものであっても各人の「欲望」から出てくるものと
、、、、
して「私的」である、と考える。それに対して我々が想定する「公」とは、何であれ 個人から発する「欲
、、
望」に対してはそれを否定するもの(したがって「自分のうちにある」(234)のではない もの)=規則(「ル
ール」)に対して、<私的欲望を断念してそれに従おう>という意識のことである。そういう順法意識は
極論するなら<いやだけど従おう>という意識のことである。そしてその<従おう>という意識は端的
に(およそ「欲望」ではない)<理性>から出てくるのである。ここを西部は、いわば<喜んで従おう
>という意識として「公」 を考えつつ、結局は私的な ものの或る部分を─それが「集団」的「伝統」
を背景にするということだ けで、それ以外のものから 区別して特権化して─「公」としているにすぎ
ないのである。更に言うなら、この「特権化」が実は選択的・仮構的であって、そこに強く私性が作用
しているのであるが、ここではこの点はこれ以上問題としないことにする。
[05] こういうかたちで説かれる「公」性は、我々の主張する「(議会制)民主主義」の「公」
性とは明らかに別のものである。今日日本でも「民主主義」を表立って否定する言説はほ
とんど見られないのではあるが、我々の見るところでは、本当に「民主主義」を説いてい
るものは実は意外と少ない。本当のところは非-民主主義的である者が多数派なのである。
、、、、
(この意味では、民主主義の実現─「防衛」ではない─ということが今日なお 課題と
して存在していると言っていい。)それは、いわゆる「保守」にだけでなく「革新」の陣営
にも存在している。これに対して我々は「リベラル派」として自己規定しているわけだが、
この「リベラル」の理念が未徹底なのである。もちろん、このリベラルそのものの問題性
を問い、そのブルジョア性云々を指摘することも可能ではあろうが、今はその点は捨象し
て、戦後西欧世界の基本理念を「リベラル」として確定するとして、そういうリベラル・
デモクラシーとの隔たりが日本において余りにも大きいということを問題としている。社
会学者の宮台真司の言い方(「自己決定─自由と尊厳」『〈性の自己決定〉原論』)で言う
と、戦後西欧世界の基本型が「連合国」型であるとして、日本は─旧ソ連もそうであっ
たが─(旧西ドイツが例えばハーバマスが言うように戦後必死に「西欧」化しようとし
てきたのとは異なって)現在なお「枢軸国」型なのである。
[06] 本稿は、このことを戦後日本の「社会科」公民教育論の展開に即して具体的に確認す
ることにもなる。
一
「公民」教育としての「歴史科」教育
[11] 現在、高等学校では「社会科」は「地歴科」と「公民科」という二つの教科に分割さ
れているが、これで言うと「公民」教育はなにも「公民科」だけでなされているのではな
く、高校旧「社会科」、あるいは小・中学校「社会科」全体でなされている(た)ものであ
り、この「社会科」を構成するとも言いうる各個別教科の教育として戦前においても同様
であったというのが事実である。そしてこれは、日本においてだけのことでなく、世界の
各国においても同じである。
[12] このように見た場合、特に問題となるのは「歴史(科)」である。
(個別)教科として
言うなら、この「歴史」においてこそ「公民」教育がなされてきたとも言いうる。そこに
は、19世紀に始まった近代歴史学の学科としての固有性格も大きく働いている。
(研究会
の案内で「歴史論関係の拙稿をも前提とする」と付記して頂いたのはこのためである。)
[13] 戦後の「社会科」を構成する個別教科は戦前においても存在しており、戦前の構成も
「歴史」「地理」「修身」「公民」というかたちであった。「修身」は名称としては特殊なも
のであるが英語訳すれば"moral"であり、諸外国においても「歴史」「地理」「道徳」(ある
いは「宗教」*)「公民」というのが基本構成であった。
* 欧米での科目「宗教」は近年─別に「倫理」(「道徳」)が実施されていない場合は─「倫理」に置
き代わる傾向も在る。ドイツについては天野正治他『ドイツの教育』164 等参照。
[14] この四教科のうち最初(19世紀)は「歴史」「地理」が中心であった。その理由と
して、(社会的)世界を対象とするとして、形式的にそれを空間的に見れば「地理」、時間
的に見れば「歴史」と言うことができる、ということが在る。確かにその通りであり、こ
れに自然(的世界)を加えた場合、地理+歴史+理科という教科構成が可能である。この
考え方はドイツにおける Sachkunde という教科群構成にも見て取れる。しかしながら、
─以下、もっぱら「歴史」を問題とするとして─「歴史」が中心に置かれていた理由
は、これだけではない。そもそも、上の考え方では、Sachkunde という言い方がそうであ
るように専ら事実の教示だけが目指されるに留まるのであるが、
「教育」とはそうした事実
教示に留まるものではなかった。それを「知育」と呼ぶなら同時に「徳育」をも目指すも
のであった。そして、
「歴史」が中心に置かれてきたことの第二の理由として、この「徳育」
として「歴史」が重視されたということが在る。
[15] しかし、この「徳育」としての「歴史」にも二つのものが区別できる。一つは「人文
主義的」な教養理念に基づくものである。
「歴史」の知を通して人間形成を図ろうとするの
であるが、この場合、理想的人間の時代である古典時代が専ら知の対象となる。また、こ
の場合の「歴史」は─今日のものとは異なって─「文学」や(思想史としての)
「哲学」
と未分化のものだったと言えよう。(この人文主義的教育理念は、「古典語」教育を重視す
るドイツのギムナジウム教育にも引き継がれていると言いうる。)もう一つは、19世紀に
おいて成立してくる近代国家=「国民国家」に定位して、その「国民」形成を目的とする
ものである。この場合、主対象となるのは自国の歴史であり、かつ政治(的展開)に焦点
が合わせられることによって、
「文学」
「哲学」から相対的に分化することになる。我々は、
近代的な「歴史」教育の始点をここに置くのが妥当だと考える。この始点における教科「歴
史」は、19世紀において国民国家形成と密接に関連して学科として成立してくる「歴史
学」と強い内的関係を有している。
[16] 今日で言えば「社会科」に当たるものが「歴史科」として始まったのは、この「国民
国家」の成立と密接に関連しているのである。そもそも「公教育」というものが「国民国
家」と内的な関連をもっているのであるが、それが特に「歴史」教育において顕著なので
ある。それは、
「国民国家」の構成員=「国民」というものが何よりも、
「歴史」を共有し、
かつ自己のアイデンティティの核心においてそうであるものとして観念されていたからで
ある。したがってまた、その「歴史」の内容は、これに適合的に強く「通史」的なかたち
を、かつ「正史」として採るものであった。
「通史」という言葉はよく用いられるが、ここ
で我々なりに─単なる形式的規定を越えて─定義するなら、世界を(「歴史」として)
1.時間的に、2.連続的に、3.いわば一個の統体(「個性」)として把握しようとするもので
あり(したがって、
(その世界の)対象(部分(例えば日本史の場合:
「日本」))は準-擬人
化的に一個の主体として措定される)、したがって、4.叙述形式としてストーリー性(「物
語」)が重視される、そしてその際(実際上)、認識する者の心理において、5.その歴史と
一体 化 的で ある ( した がっ て 、そ の者 の アイ デン テ ィテ ィの 構 成要 素を 成 すこ とに なる
、、、
─「公民」教育としての「歴史」教育は、
「正史」教育として、この機制を共通の 歴史と
の一体化の創出として実現することによって共通のアイデンティティ形成を図るものであ
る─)、といった諸特徴を合わせもつ「歴史」のことである。
[17] ここで言う「歴史」、したがってまた「歴史」教育は、典型的に19世紀的なもので
ある。これについて例えば史学史家の成田龍一は次のように述べている。「「歴史」とは、
国民国家を創り出し、支えていくうえで非常に重要な装置だった。たとえば、学校教育の
領域で、歴史は、大学だけでなく初等・中等教育においても、国民国家というものの起源
と成立過程を子どもたちに教えこんでいくものとして機能していた。」(『〈歴史〉はいかに
語られるか』11) これに補完して言うなら、そしてこうしたものとしての「歴史」は、
その叙述の特徴として「通史」、しかも(唯一正しいものとしての)
「正史」、かつ国家ない
しは国民を「主語」とした「〇〇国(民族)の歴史」という叙述法を採るのである。
[18] 他方、教科「道徳」(「宗教」)も存在していたが、それは(西欧においてはキリスト
教(道徳)を内容とするものとして)一種普遍的なものであった。したがって、これに「国
民」形成を委ねるわけにはいかなかった。ただし、普遍主義的ではあっても、そこになに
がしか国民形成的要素が存在しなかったわけでなく、
「歴史科」に次いでいわば第二位的に
は「国民」形成の機能を果たすものでもあった。
二
社会科の成立
[21] (「宗教」=「道徳」とも区別された、狭義での)教科「公民」もマイナーなものと
してはすでに19世紀において行われていた。日本でも先行形態としてはすでに明治末期
に始められている。これは、まさしく近代社会に定位して、その近代社会に生きていくこ
とを可能にすべく、その政治制度や経済の仕組みを教示するものであった。いわば近代と
いう新時代に適応して子供の「社会化(socialization)」を実現すべく、社会の脱伝統化に応
じて必然的に設定されてきたものでもある。伝統社会においては社会化は社会そのものに
おいていわば自然になされており、特別「教育」として行う必要のないものであった。そ
れが、脱伝統化に従って意識的・組織的に社会化を行う必要が生じてきたのであり、
「公民」
科はその要請を満たすべく始まったのである。
(同じことは、或る程度「理科」についても
言うことができる。)
[22] ドイツ語には Bürger と区別された Staatsbürger という言葉があり、日本語で訳し
分ける場合、通例、前者を「市民」、後者を「公民」と訳出するが、上に言う「公民科」は
この後者の「公民」の育成を狙ったものではない。むしろ、それとの区別における「市民」
の育成の方との関連が強い。しかし、例えばドイツでは Staatsbürgerliche Erziehung と
いうものが19世紀末からあり、長坂端牛によるなら、ここに今日の「公民科」の起源の
一つが在る。これは、目的としては19世紀的な「歴史科」と同様に強く「国民」形成を
目的としたものであった。長坂はこう述べている。
「日本語で公民科ないし公民教育という
訳を与える外国の事例 ...... のうち、いわば両極的なコントラストをなす二つの典型的なも
のをあげてみたい。その一つは、1889年5月1日にカイゼル・ウィルヘルムⅡ世によ
って発せられた勅令に現われている、国家公民教育(Staatsbürgerliche Erziehung)の思想
である。その主要部分を訳せば、
「久しい以前から私は社会主義や共産主義の思想に対抗す
るための役割を学校にもたせたいと考えてきた。まず第一に、学校は神への畏敬と祖国へ
の愛を涵養することによって、国家並びに社会的な諸状況の健全な理解の基礎をつくらな
ければならない。学校では近世、最近世の歴史を、従来以上に教授内容として重視し、青
少年に、歴代のプロイセン国王が、フリードリッヒ大王の社会改革や、農奴の解放などを
通じて、労働者たちの生活条件を一段一段と高めるのに、どのように努力してきたかにつ
いて知らなくてはならない・・・・・・」」(『教育学全集8』161f.)
[23] こうした主旨での「公民科」理念は他の国にも在った。日本の場合でも、戦時体制化
の進展に伴ってこのかたちでの「公民科」への変化が見られるが、しかしその日本でも、
狭義での教科「公民」は当初ではむしろ(上の意味での)
「市民」育成を主眼としたもので
あった。
[24] 他方、
「道徳」科=「宗教」科も、トータルな国民教育理念のもとでこの意味での「公
民科」的側面をももっていた。そしてそれは、狭義の「公民科」や、あるいは「歴史科」
が事実教示を基礎に置いたものであるのに対して、いわば「徳育」特化的にもっぱら道徳
的心性の育成を目指したものであった。そこには、同時に国民道徳的心性の育成も課題と
して設定されていた。日本の「修身」の場合典型的にそうである。ただ、その場合でも、
特に低学年ではいわば国民性教育から相対的に独立に「しつけ」教育的な側面をもつもの
でもあった。
[25] 先に引用した部分に引き続いて長坂はこう述べている。「これと対照されるのは、米
国における公民科(市民科と訳したほうがあるいは適切であるかもしれない)Civics であ
る。これは1910年代の半ばごろから教科として現われてきたものであり、重点の置き
方によって、さまざまに異なるものがあるが、その中で最も広く行われたのは、Community
Civics である。これは ......単に地方的地域社会の一員をつくるためのものでなく、一般に
共同社会の一員としてのあり方を学ばせるためのものである。/ ...... 「社会科委員会」の
1915年の報告書(社会科 Social studies という名称がはじめて公に用いられるように
なったのはこの委員会からである)では、Community Civics とは「公衆の健康、生命財
産の保護その他社会共同の福祉 common welfare の諸要素 ......を確保するために、人々が
現にいかに協力しているか、また協力すべきかを学ぶためのものである」と説明されてい
る。」長坂は、上のものを「上からの公民教育」と呼びつつ、それと区別してこれを「下か
らの公民教育」と呼んでいる。
[26] 我々は、日本においても当初導入されたものは、どちらかと言えばこの二番目の系統
のものであったと先に述べたが、しかしながら、それが、近代社会の(新)事態に定位し
、、、
ていわばそれに技術的 に適応するためのものであったのに対して、このアメリカ民主主義
、、、
のものは、そうした近代社会を道徳的 に支える資質の育成をも狙って道徳教育の側面を有
しているという特徴をもっている。そして、時期的に見ても言えることであるがこの理念
は同時に「社会科(Social Studies)」の理念でもある。すなわち「社会科」とは勝義にはこ
のアメリカ民主主義の意味における「公民科」のことであったのである。戦後日本に新た
に「社会科」が導入されたわけだが、それが同時に「歴史」
「地理」
「修身」
「公民」の総体
に代わるものであったのも、後者が全体として「公民」教育であったことからみて容易に
理解できるところである。戦前からの変化は、その「公民」教育が「上から」のものから
「下から」のものへ変わるという変化であったのである。*
* 本章等、戦前日本の教科構成については特に水原克敏『近代日本カリキュラム政策史研究』を参照。
三 「社会科」公民教育
[31] しかしながら、当の20世紀初頭のアメリカに即しても、いわば狭義の「公民科」の
他に「歴史科」も─かつ「公民」教育の側面を含みつつ─存在していた。それが次第
に両者(等)を包括するものとして「社会科」へと再編されていったわけであるが、この
ことは単に諸教科が「社会科」へと統合されたというだけではない。旧来の「歴史科」が
「国民」(という「公民」)形成を目的としていたのに対して、「社会科」はいわば「市民」
形成を目的とするものとして、その意味では「革新的」に導入されたのである。
[32] これは、「社会科」が国家レヴェルでなく地域コミュニティ・レベルに定位したもの
であるということではない。定位のレヴェルとしてはどちらも「国家」というレヴェルで
あると言っていい。その違いは、同様に「国家」の構成員の育成を目指すとして、その国
家構成員の性格の相違である。「はじめに」における「枢軸国型」「連合国型」という言い
方で言うなら、
「歴史科」が(その「公民」教育において)目的としていたのは「枢軸国型」
公民であり、「社会科」が目的としていたのは「連合国型」公民なのである。
[33] 「社会科」に統合されてその一(部分)領域となる「歴史」は、この目指される公民
の性格の変化に応じて、それ自身内容的にも変化することになる。その特徴の第一は、対
象とされる時代が近・現代を中心としたものに変わるということであり(例えばドイツの
アビトゥーア試験「歴史」は範囲が近・現代史に限定されている(例えば藤沢法瑛「ドイ
ツの歴史教育と歴史教科書」『あたらしい歴史教育5』60 参照))、第二は、現実の社会の
民主主義の制度に合わせて政治史的な、しかしあくまで民主主義の形成過程に焦点が合わ
せられたものになるということである(したがって、名称として「歴史」の代わりに「政
治」と呼ばれる場合も在る)。そして第三に、通史的歴史認識に代わって、「単元」という
枠組みにおいて問題史的歴史学習が前面に出てくることになる。
[34] そうであるとして再度言うが、「社会科」における「公民」も言うとすれば(同様)
「国民」なのであって、国家の枠を越えた「世界市民」、あるいは逆に国家内部の一地域市
民のことではない。その特質は、あくまで(同じ)
「国民」の、その国民であることの性格
の規定に在るのである。それは、
(個人よりも国家という全体を第一義とする)全体主義的
国民に対する、
( 個人を第一義にし、国家をその個人のよりよき生活のための手段と考える)
個人主義的国民に在るのである。すなわち「民主主義」的国民のことである。*
* 因みに「国民国家」という場合の「国民」は(ここで言う)
「全体主義的国民」を意味し、それは一定
の「国家(state)」の構成員を「国民」と呼ぶ場合とは意味を異にする。
「ネーション・ステイト」の"nation"
に当たるものである。これを後者の「国民」
(例えば「村の民」=「村民」との区別における「国家の民」)
と区別するために「民族」と訳される場合も在るが、それは、
「民族」という枠が先行して存在し、近代
国家 は─「民族国家」として─この「民 族」の枠にお いて形成さ れたという誤っ た認識に導 きや す
、
い。我々が言う「国民」("nation")は、─本節を例外として─あくまで人(集団の構成員)の質 の
観点からのものである。
(したがってまた、"state"の構成員でなくても「国民」と呼ぶことが可能である
場合も在る。)
[35] 戦後「社会科」は、まさしくこの民主主義的公民育成を基本理念とするものとして構
想された。敗戦直後期の「社会科」構想が纏め上げられたものと言いうる 1951 年の「文
部省学習指導要領・社会科編」においても、このことは明瞭である。例えば「社会科編Ⅰ」
の「中等社会科の目標」では次のように説かれている。
「戦後の日本の教育において、最も
たいせつなことの一つは民主的社会における正しい人間関係を理解させ、有能な民主的社
会人として必要な態度・能力・技能等を身につけさせることでなければならない。」
(『社会
科教育史資料2』336f.)
四
敗戦直後期における「革新派」による「社会科」への批判
[41] 戦後日本におけるこうした「社会科」の導入は、教育理念の急激な転換であった。大
正期において「社会科」的公民教育への一定の試みが在ったとしても、戦時期においては
全面的に「枢軸国型」公民教育であって(その究極が 1941 年の「国民科」設定である)、
その伝統を断絶するかたちで戦後「社会科」的公民教育が始まったのである。もちろん、
それまでの公民教育は戦時期日本に固有の、あるいは広く明治以降の日本に固有の「皇民」
教育というものであったが、戦後の転換は、理念としては、単なる「皇民教育」からの転
換に留まるものでなく、さらに徹底して「枢軸国型」公民教育からの転換であったのであ
る。
[42] したがって、或る意味で当然に広くこれに対する反感が在った。戦前型の教育に郷愁
をもつ「保守」派においては当然そうであったが、アメリカ占領下では「保守」派からの
批判は前面に出にくかった。しかしながら、これは特殊(戦後)日本的特徴であるのだが、
「革新」派からも「社会科」への─したがって「社会科」公民教育への─批判がなさ
れた。そしてそれは、
「社会科」を批判して「歴史科」を─したがって「歴史科」的公民
教育を─主張するというかたちを採るものであった。それは実は、公民教育の転換が単
なる「皇民教育」からの転換としてしか理解されておらず、
「枢軸国型」公民教育から「連
合国型」公民教育への転換としては必ずしも理解されていなかったということを意味する。
(この点は同じく敗戦から出発した旧・西ドイツと大きく異なるところである。)そして、
このことが現在に至るまで戦後日本の「公民」教育(あるいは広く「社会科教育」)に影を
投げかけることになるのであるが、その論証が以下の主要課題(の一つ)となる。
[43] 革新派による「社会−科」批判の出発点にあたるものとして最もよく指摘されるのは
「歴史教育者協議会」の高橋磌一の 1948 年の論稿「社会科の壁を破るもの」であろう。
そこにおいて次のように説かれている。「社会科は「社会改良科」であるといわれるとき、
わたしたちに魅力があるのだ。/しかし、わたしたちはこの魅力に酔っていてよいのだろ
うか。 ...... /社会科が、目標として強く押し出しているのは周知のように「相互依存」の
関係である。 ...... 社会科が社会改良科としていわれているかげには、一定の秩序と結び合
わ さ れ た 進 歩 が 並 べ ら れ ...... て / そ こ で ま ず 歩 き 出 す 人 形 は 秩 序 で あ っ て 進 歩 で は な
い ....../おそらく「相互依存」の名のもとにいわれる社会改良は実は改良までも行きえず、
そこで「改良」とか「進歩」とかいわれるものは、たかだかその周囲の条件にたいする妥
協、順応、ないし合理化の線を越ええないであろう。/ ...... 社会科が正しく「社会改良」
の教科として効果的に行わるべき民主的な現実の環境がわれわれといかに遠いところのも
のであるかを結論せざるをえないのであって、松島栄一君のいう通り「社会科教育におい
ては、そういう社会を来たすべき能力をもった青少年を教育することを目的としながら、
そのような社会を前提としたプランである、という理想と現実の循環矛盾に陥っていると
痛感しないではいられない」のである。それは現実を直視しない社会科の悲喜劇である。」
(『著作集5』156ff.)すなわち、言うまでもなく「社会科」はアメリカ民主主義の理念を
体現したものであり、高橋によるならそれは民主主義の存在を前提とするのであるが、日
本にはこの前提条件が不在であり、したがって、その条件下ではそのまま「社会科」を導
入することは不適切である。なるほど「社会科」でも「改良」が語られているが、それは
いわばあくまで体制内での改革であって、
(「社会科」実施の前提である)
「民主主義」体制
を実現していくとしてもそれは日本では体制変革=「革命」を要するのであるにも拘らず、
この「革命」を語ることが「社会科」では不可能なのである。
[44] しかしながら、では何故「社会科ではなく歴史科」ということになるのか。高橋は引
き続き次のように説く。
「 いまの社会科には壁があるのだ。社会科の壁を破るものはなにか。
これを出発点に戻って考えることである。 ...... それは現在の社会科の腐れ縁のような枠を
はずして、生徒児童の不均等な、不十分な、また根本的にもちえないかもしれぬ生活経験
の領域を乗り越えて、現実の段階を過去よりの発展として捉え、
「社会改良」を現実の革命
的克服として未来への発展的展望を与えること、すなわち科学的な歴史把握、いわば歴史
的なものの見方をコース・オブ・スタディー自身が筋金を入れることであり、同時にこれ
を運用する教師自身が現実の民主革命のなかにあって主体的に行動することによって歴史
的発展を実践を通じて学びとることこれである。」(162) すなわち、「革命」実現のために
は、その主体が必要であるが、その主体形成は、
「歴史」が発展するということの教示を通
して自らも歴史発展に向けて「行動する」者の育成としてなされる、というのである。*
* 欧米教育界では「歴史学」はむしろ右派に属し、そこから「社会科」へはそれが左派的な「教育学」
の教育理念によるものであり、そしてそれは「社会学」が「元凶」となっていると批判されていて(例
え ば 望田 研吾 『現 代イ ギリス の 中等 教育 改革 の研 究』242 参 照 )、 むし ろ「 社会学 」 が左 派に 位置 する
のであるが、日本では左派から「歴史学」を擁護して「社会学」に対して「右派」だという批判がなさ
れている。(例えば馬場四郎は「元来、社会学はアメリカン・サイエンスだといわれるぐらいですから、
ヴァージニア・プランの作成を指導した ...... がソーシアル・スタディ(社会研究)すなわち社会科であ
るという見地から、社会科の中に社会学の研究方法をとりこんでしまったと見られます。 ...... こうした
機能主義的な考え方で社会科の単元を見出してゆく原理を考えた為、その後多くの批判を蒙つたわけで
す。一番強く反対したのは歴史学者や歴史教育家だったんです。」(和歌森/馬場編『歴史教育の確立と
前進』100)と述べている。)これは或る意味で日本の特殊性であって(つまり、欧米では左派である「社
会学」の更に「左」に日本・歴史学が(単に)位置するということではなく)、この特殊性の説明には次
章で見る「通史」志向ということの理解が不可欠の前提になる。
[45]
高橋は同時に、
「社会科」教育の方法(そのもの)を問題として次のように説く。
「社
会科で取り上げられている歴史的教材は大きく二つに分類される。一は、現実の生徒の生
活経験に結びつけて考えられるものである。
[ここでは教材は]いわばよこの線に置き並べ
られていて、これを歴史的に発展的には捉えようがない。それは社会科が生徒の生活経験
の上に立って問題を出発させることからくる宿命である。歴史教材の他の一つの取り上げ
方は、現実の生活から出発し、その根源を倒叙的にさかのぼろうとする試みで、燈の歴史、
交通の歴史といったような、いわばたての線である。 ...... /しかしこうした歴史教材はし
ょせん歴史知識の羅列であって、進歩のカケラは発見できても、それはその進歩を導いた
社会的な発展からは切りはなされていて、 ...... 「話の泉」的な物しり博士しか生み出さな
い。 ...... 歴史の遺物ばかりである。現在のわれわれの社会がいかに矛盾に満ちていようと
も、それはその前の、さらにその前の、もっと矛盾の多い時代を克服し、さらに克服して
発展してきた社会なのであるということを総合的に理解することによって、現在の矛盾も
またわれわれの努力によって克服することができるのだという見通しとその確信、そして
それを主体的に克服して新しい社会を建設しようとする実践的な熱情は、バラバラな知識
の集積では出てくるはずがない。/ ...... これを打開するためにはまず社会科自身が歴史的
博物館を出て、一貫した科学的体系を筋金にした科学的な歴史把握、歴史的なものの見方
のできる教材として再出発することである。/ ...... 社会科がかくて真に「社会改良科」と
して生命力のある内容をもちえたとき、それは歴史をふくんで統一された教科として「完
成に達する」かもしれない。だがしかしその時は社会科がその実質を歴史科に譲るときな
のである。」(163f.) すなわち、
「社会科」理念の一つに在る生活単元学習という方法に、生
徒の生活経験に依拠するだけのそうした「浅薄な経験主義」
(遠藤豊吉(歴教協))
「這い回
る学習」(広岡亮三(日本生活教育連盟))では歴史発展の総合的認識は獲得されないと批
判しつつ、認識の獲得のために「科学的体系」を生徒にも「系統的」に教示する必要が在
るとするのである。そして、そのためには「社会科」では限界(「壁」)が在るのであって、
その限界を越えるべく「歴史科」が(再)設置されなければならないというのである。こ
の主張点は、
「社会科」理念を支持する側─後に「社会科の初志をつらぬく会」を結成す
ることになる(1958 年)─から「注入主義」であるという反批判があり、そこにやがて
問題解決学習 vs.系統学習論争という戦線を形成していくことになる。*
* この点を含めて戦後日本の社会科教育論争については特に谷川彰英『戦後社会科教育論争に学ぶ』を
参照した。
五
批判において何が「歴史」として主張されたのか
[51] このように「社会科」批判には反論も在ったのであるが、それは換言するなら、いわ
ば「歴史科学」に「教育科学」を対置するというかたちであって、教示される「科学」の
在り方そのものに関するものでは必ずしもなかった。しかし実は、ここにこそ本当の核心
が在ったのであって、そしてまさしくそれゆえに「社会科ではなく歴史科」と主張された
のである。変革主体形成には知識が必要であり、かつ、それは一定の科学的知見に基づか
なければならないとしても、それは直ちに「社会科」ではなくて「歴史科」教育が必要と
なるということには本来ならない。例えば「社会科」を構成する経済学に即して端的には
マルクス経済学から「搾取」という概念を学ばせるなら、変革主体形成は十分可能である
はずである。にもかかわらず「歴史科」でなければならなかったのである。
[52] では、何故にか。それは、彼らが変革主体をなお19世紀型人間、換言するなら「枢
軸国型」公民として考えていたからである。この変革主体は、世界の展開(「歴史」)にい
わば「信」を置き、その「信」に基づいて(「信」の内容を自らのアイデンティティの核心
として)行動意欲をもつという主体である。高橋の上([45])の発言では例えば「見通し
とその確信」と述べられているが、歴史の発展といういわば「命題」に対するその在り方
(現象学のタームで言うなら「信憑様態」)は「知」というよりは「信」である。そもそも
19世紀型「歴史」意識とは、
「世界」の展開過程を「歴史」としてそれに「信」をもつと
いう意識である(拙稿「ヒストリーを越えて」等参照)。高橋はさらに論稿「小学校におけ
る歴史教育」(『著作集5』)で、「歴史教育 ...... は、まさに現代にいきるものとしてもたね
ばならぬ歴史的自覚をめざめさせ」(208)なければならない、という一見戦前の京都学派歴
史哲学(のうちの西田幾多郎系統というよりはむしろ田辺元系統)のような言い廻しで始
めつつ、それを、
「戦争中の神がかりの「歴史教育」にもまたこの言葉があてはまるかもし
れない」(209)、したがってその点は注意しなければいけないとしつつも、こう敷衍してい
る。「わたしたちはなんのために歴史を学ぶのか ...... 。「まさに現代にしかあるべき歴史的
自覚」をよびさますとは、言葉をかえていえば、わたしたちはどこから来たのか。わたし
たちはどこにいるのか。そしてわたしたちはどこへ行くのかそれを学ぶのだということが
できる。」(208f.)と説いている。端的に「信」の事柄だと言表されているわけではないが、
これは(「知」の)「科学」(精神)とはほど遠い在り方である。*
* これは、例えば田中陽兒「歴史学と「世界史」教育」
『岩波講座
世界歴史30』の上原専禄論におい
ては、「ロマンチズムの歴史学」「ユートピア的」(565)という表現によっても確認されている。
こうした「歴史的自覚」 の強調は、厳密には─一般的に19世紀以降の「歴 史」意識の表現である
ことに加えて─さらに特殊1930年代以降的な(あるいはもう少し広く20世紀的な)「危機意識」
の表明としても理解するべ きであろう(歴史論関連拙 稿参照。また、鷲田清一「 危機と批判─二十世
紀の文明批評とその時間意識」
『批評の現在』をも参照)。戦前・戦中期には京都学派歴史哲学の「歴史」
言説─これには 三木清の歴史 哲学も含ま れる─に代表 されるいわ ば「危機の言説 」が戦後も しば ら
く─もちろん危 機意識を伴っ て─続いていたとも理解 できる。戦 後期の梅本克巳 などによる いわ ゆ
る「主体性論争」にもこの意識が読み取れる。しかし、相対的安定への変化の後もなおこうした言説が
なされる場合、それはいわば宙に浮いたものとして受け取られてもくる。
「革新派」言説が次第に影響力
を失っていったことの原因の一端がここに在ると言えよう。これに対して「保守派」の「歴史」強調の
場合は、後に見るように「 人文主義的」な「文化」の 強調─『新しい歴史教科書』におけるように強
調しすぎると人文主義の精 神から逸れてしまい、それ はそれで浮いたものになる のだが─を行うこと
ができる。これが「革新派」からはできないという構造になっている。
因みに、本稿修正作業中に読んだ上村忠男「歴史が書きかえられるとき」
(上村他編『歴史が書きかえ
「歴史」をめぐる近年の日本の諸言説の、現時点では最も行き届いた纏め
られとき』所収)─これは、
、、
の一つではある─の欠如部分は、歴史意識 (我々の 言う意味での、いわば歴史 との距離感とでも言い
うる側面から見た意識としての歴史意識)の考察である。上村は、ベンヤミンや、上の三木清に依拠し
て「歴史研究」の在るべき姿を説いているが、彼等がそれぞれ強烈な危機意識を抱いていたということ
、、
を 捨象し て、 クロー チェの有 名な言 への 言及が なされて いるが (11)歴史 研究 一般 の 問題と して 議論し て
しまっている。そこでのメイン・ターゲットである野家啓一に対する批判は概ねその通りだと考えるが、
野家の「歴史意識」、そしてそれが歴史論へと反映されているのだが、その点を解明する議論が欠如して
いる。これが欠如しているから、論述の表面的論理だけを追って、野家と坂本多加雄との相違性の不在
を言う(cf.39)ことにもなると考えられる。
また、
「歴史」と「倫理」との関係をめぐる考察もなされているが、これを踏まえて言うなら、上村の、
、、、
もう一人のメイン・ターゲットであるハーバーマスへの批判は、彼の「西側」志向が一つの現実的 選択
であったということが無視されている。
「西側」的理念─それは、本稿が立脚するリベラリズムの理念
と重なるのであるが─といえども決して無欠のもの でないということは明らか であり、ハーバーマス
もそれは十分承知の上である(だから、例えば『理論と関心』の彼の理論的主張との齟齬が出てくるこ
とにもなる(cf.11))。ハーバーマスの選択は、極論するなら、我々(宮台)のタームで言って「連合国」
、、、、、
、、、、、、、、
型と「枢軸国」型とのどちらがよりましか の選択であって、絶対的によきもの の選択ではなかった。こ
このところを村上は実は、
(我々の言い方で言って)絶対的善の追求がなされていないと批判することに
なっている訳であるが、それは、(後期・)高橋哲哉との相違が語られているが(46)、むしろ高橋的であ
る。
ここは論が錯綜しているのだが、上村は、上野千鶴子の「対抗的な語り」の主張に、
「対抗言説のほう
も また、同 様の[抑 圧の]事 態を引き 起こさな いという 保証はど こにもな い」 (47)とし て留保 を付け 、
そこで(初期・)高橋の「歴史の原-暴力」論に賛意を表しつつ、それを踏まえた「歴史研究」の課題を
確 認して筆 を(一旦 )擱いて いる (51)。 これは、 我々の タームで 言うなら 絶対に悪 に陥らぬ ように絶 え
ず自戒するということである。しかしそれは、─高橋の場合、野家・上野批判としてそれを「「正しさ」
へのコミット」論へと展開 するのだが、この後期・高 橋への展開が矛盾的でない のであるなら─いわ
ば絶対的善の上位「平面」 (cf.44)には立って いること になる。しかし上村は他方 では、後期・高橋のよ
うに「脱構築不可能な「正しさ」の審級を設定することには ...... 断固として異を唱えたい」と断言し、
そして、上野の主張の線で、ただしそれに限定を加えて「さまざまな物語り行為が相互に和解しがたく
抗争 しあう「デ ィフェラ ン」 ...... の 成りゆ きにゆだねる道 を選びたい とおもう 。」と も語ってい る (46)。
これは、確実な絶対善は不在であるゆえそもそも選択しないということである。この二つは矛盾的であ
る。それは必ずしも理論的矛盾ではないが、いわばトーンとして相互に相容れないものである。換言す
るなら我々は、そうしたものを明らかにするために(我々の意味での)
「歴史意識」の究明が要ると述べ
ているのであり、それが欠如しているから、こうした矛盾的事態を結果することにもなるのである。
[53] このような(いわばノエシスの)
「信」
(という様態)のいわばノエマとして、
「歴史」
は「通史」としてこそ適合的である。彼ら革新派の歴史観念は19世紀的な「通史」のそ
れなのである。もちろん、語られるものの中身としては19世紀的な国家政治史を中核と
するものではなくなっている。言われるとこころの「社会構成(体)史」というものにな
っている。しかしそれでも、その叙述方法が「通史」であるということには変わりがない。
そして、まさにそれゆえに、「社会科ではなく歴史科」ということになるのである。
[54] 保守派の「歴史」観もいうまでもなく「通史」的である。歴史教育の現場(小学校)
においても例えば(革新派の)金沢嘉市が「歴史科」を主張していたが、したがって、こ
れに保守派の人から支持の表明がなされるということも生じていた。そのことについて金
沢自身「回顧」として次のように語っている。
「「先生、日本の歴史を教えて下さい。」とい
う子どもの声にうながされて ...... 。/ ......これは彼等の血のなかに流れている民族意識が、
いま一つの抵抗を試みようとしているかのように、私には感ずることができた。/ ......歴
史の学習がだんだんと進むにつれて、子どもたちの眼がいきいきとかがやくようになって
きたとき、馬鹿正直の私は、つい人をつかまえては、歴史教育の必要を説いたものであっ
た。/やがて1951年の夏、そのことを知った日教組の教育新聞が、私の不完全な実践
記録を少し誇張した表現で発表してしまったことがあった。 ...... /このことが新聞の記事
として発表されると、私は何人かの人々から賛成や激励の手紙を受取ったのであるが、な
かには/「あなたの意見に大賛成である。皇国の歴史を子どもに教えて忠君愛国の精神を
植えつけなくてはならない。」/というような同志(?)もあらわれて、面くらってしまっ
た。」(「歴史教育の回顧」『地理教育』14 号 25f.)
[55] これは、単なる一エピソードとして理解することも可能ではあろうが、ここはむしろ
構造的なものを読み取るべきである。しかしそれは、
「革新派」も─例えば「愛国」とい
うことも語られていたのであるが─なおナショナリズム的なものを残していて、その点
で「保守派」と共通である、といったことではない。そうではなくて、逆に「保守派」と
「革新派」とはやはり正面から対立する主張をもちつつ、しかし、その対立のいわば平面
が同一であるというふうに解すべきである。そして、その共通の平面として通史的歴史観
(というより、歴史感覚)が、そして「枢軸国」型人間観が存在するのである。
(我々が言
、、、、
う「連合国」型人間観は、この「平面」そのもの に対立するものである。因みに言うが、
「歴史の展開」とは─それが「枢軸国」型から「連合国」型への展開であるとして─、
或る「平面」上での優勢者の交替ではなく、対立の「平面」そのものの別のものへの転換
というかたちを取るものである。そう見るのが(真に)
「弁証法」的ということでもあろう。)
[56] こうした歴史観は、旧・ソ連における教科「歴史」においても確認することができる。
例えば 1980 年版のロシア共和国教育省認可の「低学年用教授項目」では次のように記さ
れている。
「歴史は人類社会の発展の統一的・合法則的な過程を明らかにする役割を担って
いる」。/「歴史の教科は ......社会発展の歴史の合法則性を科学的に理解させ、資本主義の
崩壊と共産主義の勝利の必然性を確信させ、歴史の真の創造者、物的・精神的価値の創造
者としての人民大衆の役割 ...... を解明させるに役立つものでなければならない」(『教科書
からみた教育課程の国際比較1
総論編』103)。また、ソ連の小学校「歴史」教育の特徴
について坂上順夫は次のように纏めている。
「歴史教育は、時間数の配分を見てもその重要
視されていることが理解される。歴史教育では ...... 歴史の弁証法的発展を明らかにするこ
とに重点が置かれている。歴史の流れの中で、共産主義社会が歴史的必然性として存在し
ていることを理解させ、共産主義社会の建設に積極的に取り組む意欲を持たせることが目
的とされている」(同上 218)。
[57] このソ連の「歴史教育」は、以上の引用箇所を見る限りでは、決して一国主義的でな
い。この点で敗戦直後期における「革新派」の「日本(民族)」の強調* は異なっている。
しかしこれは、敗戦直後期におけるアメリカ占領という特殊事態、そしてそれ以降も「革
新派」は日本がアメリカの支配下に在るという認識を持ち続けていて、その事実認識に規
定されたものでもあろう。その事実認識の変更によって、
「革新派」において「日本」の強
調という点は次第に弱くなっていく。教科としての「日本史」に対しても批判的意識をも
ち始めていく。
「世界」という視野において「歴史」を認識することが主張されていくこと
にもなるのであるが、しかしながら、その場合でも問題性として、なお通史的「歴史」感
覚が強く見られる。
(その点では─もはや「共産主義社会の歴史的必然性」といったこと
は語られないとしても─なお、旧ソ連の「歴史」教育とタイプとして同じであると言い
うる。これに対してソ連崩壊後のロシアにおいてはこの点の修正(=西欧化)が顕著であ
る。なお、注目されるべきであるが、ソ連においても(1917年)革命後しばらくはア
メリカ型の「社会科」の試みが在った(『社会科教育史資料集4』67 参照)。したがって、
「ソ連」といってもスターリン型社会主義のソ連と言わなければならないかもしれない。)
* これは「社会科」を「無国籍」
(宮原誠一)として批判する批判(「社会科の功罪」
『社会科教育史資料
集4』274)と相関的である。
六
保守派の「社会科」批判
[61] 敗戦直後期では「革新派」からの「社会科」批判が目立ったのであるが、この「社会
科」批判は現在ではもっぱら「保守派」の主張点となっている。50年代以降、教育の「反
動化」の中で、
「保守派」からの「社会科」批判が前面化してくる─これに応じて「革新
派」は逆に「社会科」擁護派へと転回する*─。その中で 1986 年以降、今日の「自由主
義史観」派の原型とも言いうるような議論(1986 年の『新編日本史』刊行で具体化する)
も出てくる。村尾次郎は例えば次のように説いている。
「われわれが歴史の教科書を作ると
きにまずぶつかるのは「社会科の壁」である。現行制度が歴史までも社会科に抱へ込んで
ゐることは、歴史学の専門家としては、私は強く反対であり、一日もはやく社会科の桎梏
から歴史を解放しなくてはならないと望んでゐる歴史家は私だけではない。歴史は人文の
学であって、人を重んじ、人の精神生活に触れることにこそ最高の意義がある。それなの
に、社会科はこれとは別の面に眼を外させ、人格を捨象して非人格的な集団現象に関心を
向けてゐる。この点が私どもにとっての問題なのである。/社会科の此の性格は、マルキ
ストには誂へ向きである。歴史を社会科学と規定し、人格よりも階級を、精神生活よりも
階級間の矛盾対立を重んずる学派にとって、社会科は住み心地良い教科である。......勿論、
敗戦直後にアメリカから輸入されたソシアル・スタディー(社会科)はこれとは違ひ、啓
蒙主義的な進歩史観を土台にした生活環境改善のための教科(プラグマティズム)であつ
たが、どん底に落ちた日本ではそれをマルクス主義的に解釈して歴史を教へる傾向を強く
押し出す結果になつたのである。」
* ただ、その転回が表面的に政治的な転回であって(連合国型)公民教育としての「社会科」教育理念
を必ずしも理解した上でのものでないというところに問題が在るのである。極論するなら、
「科学(注入)
主義」を自己批判して「経験主義」の方へ近づいただけである。ここから言うなら、
「経験主義」を支え
た民主主義理念への理解が素通りされている。
[62] ここでは政治的に革新派(マルクス主義)およびリベラル派(プラグマティズム)へ
の批判が前面に出ているが、
「通史」的歴史観は─教科書そのものの構成からも明らかな
ように─自明の前提となっている。このことは例えば、保守派の「社会科」批判論を集
めたものと言える─但し一部例外は在る─『現代のエスプリ』251 号 所収の粕谷一希
の文章では明確に説かれている。こう述べられている。
「原理的に考えても歴史は人間存在
の時間論であり、社会は人間存在の空間論である。社会を歴史に包含してしまうこと自体、
ナンセンスなのである。/ ...... 社会科学を志向するにつれて歴史はつまらなくなり、人間
の姿が消え、美しい歴史叙述は少なくなっていった。歴史文学が過度に読まれるのは、歴
史学の怠慢のせいもある。」(216)*
* このような「通史」教育 復権の主張は欧米でも80 年代の新保守主義─ただし厳密にはこれは、イ
ギリスに関する場合用いられる「ニュー・ライト」という言い方の方が適切であり、その新右派に(新)
保守主義と新自由主義(市場主義)との二つの傾向が在り、そして、この「通史」主張はこのうちの前
者 から (の み) なされ たもの であ る( 望田、 前掲 書 238f.参 照 )─のもと で見ら れる もの である 。 ア
メリカでは例えば「合衆国史教育独立論」という主張のかたちで現われている(例えば田中英朗「アメ
リカ歴史教育史研究序説」『社会科研究』35 号 参照)。
[63] これは村尾・粕谷の発言においても見られる所であり、例の『新しい歴史教科書[市
販本]』においても明瞭なのだが、「保守派」の「歴史」主張は場合によっては「歴史」の
、、
人文(科)学性の主張を伴う。これは(或る種19世紀以前 的な)人文主義の理念を前提
としたものでもありえ、論者によってはそれが前面に出てもいるのであるが、しかし多く
は、そうした人文主義理念を貫徹していない。
(あるいは、公教育ということで、やむをえ
ず人文主義を抑えている。)人文主義は本来、いわば教養主義として非-実践的なスタンス
を採り、したがって同時に─人間(自己)形成ということは目指しても─「国民」形
成(あるいはさらに「公民」形成)といったことを志向しないものなのだが、多くはこの
志向を保持している。
『新しい歴史教科書』では明らかにそうであり、その兄弟本とも言え
る『新しい公民教科書』では、まさしく「国民」形成のための「歴史」という理念に貫か
れている。たとえばこう述べられている。
「世論がマスメディアの一面的報道だけを信じる
ならば、民主主義はたんに衆愚政治に転落する。したがって、世論が健全であるための必
要な条件は何かについて考えなければならない。/国民の精神の健全さを保障するもっと
も重要な要素は良識である。ここで良識というのは、その国の歴史の中で形づくられ、そ
して国民によっておおよそ共有されている常識のことをさす。つまり、自由主義を健全な
ものにするのが、歴史的秩序であったのと同じように、民主主義を健全なものにするのは
歴史的良識なのである。」(210f.) 端的には、
「公民」を「公的なものへの欲望」をもつ者と
規定しつつこう説かれている。
「こうした公的なものへの欲望は、自分のかかわる国の歴史
のあり方と無縁ではない。また、その欲望が、自国の歴史的な国柄を確認したいという動
機に根ざしているなら、国民一人ひとりの欲望の間には、同じ国民である以上は、何らか
の共通点があるということになる。」(208)
七
「歴史(学)」規定の明確化の必要
[71] 「保守派」は、全体として「歴史学」を「人文科学」として規定する。これを「革新
派」は批判するわけであるが、歴史学は19世紀的な古典形態においては本来「人文科学」
なのであり、「歴史学」=「社会科学」という規定は特殊日本(革新派)的なものである。
確かに、近年(対象として「社会」を重視するというのではなく、社会科学的手法を導入
するという意味での)
「社会史」が典型的には戦後(西)ドイツで登場して来ている。しか
し日本の革新派的歴史規定は、これとは無関係である。ドイツの「社会史」の構想(ヴェ
ーラーやコッカ等)は、本来の歴史学を人文科学的なものとして了解し、その上で─(そ
の通史的ヴァージョンに焦点を合わせて)それを「歴史主義」だと批判しつつ─社会学
や経済学など「社会科学」の手法を導入した「新たな」歴史学を「社会史」として提唱し
ている─ドイツでは、
「政治的陶冶としての歴史教育」として教育においても明確にこの
、
「社会史」に定位した「[社会科]歴史教育」の再 構築が試みられている。例えば服部一秀
「「社会史」に基づく歴史教育理論」『社会科研究』37 号 参照─のに対して、日本の革
、、
新派は歴史学は本来 「社会科学」であると規定している。これは、彼らの依拠するマルク
ス主義が戦前「社会科学」という名称の下に弾圧され、
「社会科学的」=左派的という用語
法が在ったためでもあろうが、ドイツの「社会史」理念から見るなら、当のマルクス主義
歴史学はなお古典的に「歴史主義」的であるとされている(イッガース,G.G.『ヨーロッパ
歴史学の新潮流』349 参照)。ここから見ても日本の革新派の歴史学規定は非常に特異な
、、、、
ものであり、欧米では人文科学とされているものをそのまま 「社会科学」と呼んでいるに
すぎない。*
* これは学問としての「歴史学」への反省がなされていないということと相関的である。
「歴史学」が自
らを問うものである「史学史」について、日本におけるその欠如が何人かの歴史研究者自身によっても
指摘されている。あるいは更に一般的に、学問全体を問う科学論が、欧米では「科学(の=についての)
哲学」というかたちで制度的にも確保されているのに対して、日本では(当の)
「哲学」界が─ややも
するなら思想史的研究に特 化的であって─「科学論」に冷淡であるということ も作用しているであろ
う。
[72] 欧米においては、こうした「歴史学の社会科学化」を批判して、逆に「社会科学」か
らは遠くむしろ「文学」に近いものとして「歴史学」を再構想しようという傾向も見られ
る。この傾向のなかでは、19世紀的な歴史学からも距離を取りつつ、そこでは語られて
いた「歴史における真理」というものを放棄しようとする─「文学」においてはそもそ
も「真理」という概念は存在しない─。その場合、歴史記述は各歴史家の個性を強く刻
印した一つの「作品」となる。これに対して「社会史」的理念では「真理」が重要概念と
なるが、それは社会科学、あるいは科学一般と同じかたちでの「真理」であり、
「仮説」の
「検証」をもって「真理」であるとするものである。しかるに、19世紀「通史」的な歴
史記述についてはこうした意味での「検証」はそもそも不可能なのである─例えばポパ
ーは、彼の場合は「反証」がいわば真理可能性の基準となるのであるが、(19世紀的な)
マルクス主義史観について、それはそもそも(真偽以前的に)
「反証不可能」であって疑似
科学であると批判している─。
[73] これに対して戦後日本の歴史学は19世紀「通史」的「歴史」をそのまま「(社会)
科学」だとして、─戦前の歴史をフィクション(神話)を含むものとして「虚偽」だと
批判しつつ、その対極として─「真理」性を強く主張するのである。(これには、「ユー
トピア社会主義」に対して自らを「科学的社会主義」と規定するマルクス主義も勿論反映
している。)しかし他方、社会科学あるいは科学一般と同じものとして「真理」を語ること
はさすがに無理であるとも気づかれ、そこに(道徳的な)
「正しさ」の観点をももち込んで、
極論すれば「正しいがゆえに真である」といった主張がなされる場合も在る。これは戦後
においては遠山茂樹の「プロレタリートの立場」論において明確であり、それはすでに戦
前の羽仁五郎、さらにはルカーチにも遡ることができるのであるが、最近の「革新派」の
ものとしては次の浜林正夫(浜林/佐々木編『歴史学入門』)の考え方が標準的であろう。
「社会科学には価値判断あるいは階級性が付随する。」(236) しかし、「こういう価値判断
あるいは階級性はけっして科学性と矛盾するものではない。なぜなら、それはけっして個
人的主観的なものではなく、それ自体が客観的な根拠をもつものだからである。この客観
性は、具体的にはある歴史家の研究の成果が社会的な共感を呼び起こすということのうち
にしめされる。」(236) すなわち、いわば間主観性をもって真理性の基準であるとするので
あるが、その「共感」が「共通の課題意識」(から来る「階級性」)に依存させられている
ところから見て、それは、いわば単純な間主観性、つまり、理論的仮説そのものへの賛成
ではなく、それが価値的に含意するものへの賛成という(真偽ではなく)正・不正の事柄
の次元での間主観性である。
(因みに、この間主観性という意味での「客観性」と、実在性
という意味での「客観性」とがタームとしてだけでなく、概念としても混同されるという
初歩的ミスが犯されている。)
[74] しかしこれは、価値と事実との分離という近代科学の─例えばM・ウェーバーが定
式化した─理念に反するものであり、印象としては道徳主義的な歴史記述として受け取
られることにもなる。ここに「自由主義史観」が付け込んでくる余地が在るのだが、例え
ば『新しい歴史教科書』は端的に、
「歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不
正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。」「歴史を固定的に、動かな
いもののように考えるのをやめよう。歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場
にすることもやめよう。」と説いている(7)。
[75] この「自由主義史観」的歴史規定では、各歴史記述は相対的なものであることを認め
ることになる。その主旨でそもそも「自由主義」史観であるとも宣言されている。実際、
「個人によっても、時代によっても、歴史は動き、一定ではない。」「歴史を自由な、とら
われのない目で眺め、数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめるようにしよう。」と
語られている。これはこの限りでは間違いのないところであるが、しかし彼らは、
(一種し
か用いられない)「教科書」としての記述において、いわば遂行的(performativ)に自己矛
盾を犯している。
「自由主義」史観であるなら、
「教科書」としてはまさしく「歴史」
(記述)
には原理的に複数のものが在るということの認識、そしてその複数の「歴史」を尊重し合
うという心性の獲得が最大の目標であるはずであるにもかかわらず、その教科書は単一の
歴史観で貫かれている。相対的なのは「時代」あるいは「国によって」なのであって、一
つの「時代」
「国」においては─一応「個人によって」と述べられてはいるが─単一の
いわば定番(「正史」)が在って、これが今まで欠けているとして自らはこれを提示してい
るのだ、という印象を強く受ける。しかし他方、これは彼らの志向において必然である。
彼らは(あるいは、革新派同様彼らも)
「歴史」に即して一定の「公民」、かつ、明確に「枢
軸国型」国民の形成を狙っているからである。であるからまた、彼らは別途「公民教科書」
も刊行しているのであるが、そこではこの狙いが明示的である。これに対して「歴史教科
書」ではいわば implicit に「公民」教育が目論まれている。*
* 例えば、小堀桂一郎「「心の教育」わたしの意見」
『正論』1998 年 12 月号 では「心の教育として、徳
育として行はれる教育の教材は民族の精神の歴史であることが必要にして且つ十分な要件である。」とい
うふうに明示化されている。
[76] この19世紀型「公民」教育の点では、
「保守派」
「革新派」は共通である。その土俵
、、、、
、、、、
の上で、いかなる 「公民」であるのか、そしてそのためのいかなる 「歴史観」なのかが争
われているのである。我々はこの論争(あるいはむしろ紛争)はそのままでは永遠に決着
がつかない─あるいは、相手側を消滅させることによってのみ決着のつく─ものであ
ると考える。そしてそれは、主張される「歴史」がそもそも「信」の事柄であって、「信」
の相違は議論によっては解消しない、あるいは更に(利害的)妥協というかたちでも解消
しないからである。このことは国家間の歴史観の相違を乗り越えて「共通の」歴史観を構
築しようという試みに対しても言わなければならない。相違する「信」はそもそも共通の
「信」へと修正することは不可能なのである。あるいは、何らかの「共通の」ものが実現
されるとき、それはもはや「信」ではなくなってしまう。したがって、
「共通のもの」を目
指すときは、共通の「歴史観」ではなく、言うとすれば共通の「事実認識」を目指すので
なければならない。
(もちろん、この「事実」を「歴史」と換言することも語法上誤りでな
いが、それは「歴史観」という場合の「歴史」とは意味がかなり異なってくる。「歴史観」
という場合はいわば過剰にコノテーションが入ってくるのだが、この過剰用法を避けるた
めには、例えば「歴史の(に対する)裏切り」「歴史の冒涜」といったかたちで本来「人」
あるいは「神」に適用される述語を用いるのをやめるようにする─ちなみに「〇〇が抱
いている歴史観の冒瀆」は可である─ことが一つの手掛りになるであろう。)そのために
は「歴史観」への欲望を禁欲しなければならないであろう。例えば16・7世紀における
カトリックとプロテスタンティズムとの紛争のことを考えてみてほしい。(「宗教戦争」と
いう)
「信仰」の対立は結局、言うまでもなく「共通の信仰」の確立をもって終結したので
はなくて、異なったものを(そのまま)認めるという「寛容」でもって解決されたのであ
るが、それは「信仰」を─政治原理から外して─私的なものとすることであった。
「歴
史」の問題で言うとこれは、
「歴史」が旧来の19世紀的歴史つまり通史ではなくなるとい
うことである。現在問題となっている「新しい教科書を作る会」教科書で言うなら、なぜ
、、 、
「公民教科書」の方が問題とされる程度が低いのかというと、それがそもそも「歴史 」の
教科書ではない、その意味で「歴史観」の「信」に抵触するところが少ないからだと言う
ことができる。*
* この歴史観対立の問題で山崎正和は、
「そのため[歴史が政治から解放されるため]の具体的な一歩と
して、国家は初中等学校における歴史教育を廃止すべきだ、ということを重ねて繰り返しておきたい。」
と述べているが(「歴史の真実と政治の正義─歴史の見直しをめぐって」『アステイオン』52 号)、そ
の真意は我々の言う「通史」としての「歴史」から脱却すべきであるということであろう。ただし、
「歴
史観」対立がなくなるとしても「事実」に関する評価の対立がなくなるわけではない。そしてそこに倫
理的に見て妥当な評価とそうでない評価の弁別という論点も成立しうる。しかしそれは、それとして明
確に画定的に措定して、
「歴史観」の一部に組み込むことなしにそれ自身としてテーマ化されるべきであ
ろう。
この山 崎もそ うなの だが、 本稿原 報告と 同じ研 究会で の谷本 光男報 告「寛 容と差 異 (Toleration and
Difference) 」はまさしく「寛容」を説いたものである。この点から言うなら、その「寛容」の精神は「通
史」志向(の精神)とは本来相容れない、ということでもあるのである。
(しかしながら、
「相容れない」
ということは反「寛容」ということなのだが、
「通史」志向のそうした「反・寛容」の立場に対しても「寛
容」は寛容であるべきなのか、というところに本当の問題が在るということは認められなければならな
い。この難問にはすでにいくつかの定式化がなされているが、現在なお決定的な回答は不在である。本
稿筆者としても考察を加えなければならないところであるが、ここでは課題外にせざるを得ない。)
[77] この「通史」の土俵上での保・革対立は、端的には「日本史学」の場合であって、
「西
洋史学」や「東洋史学」の場合は事態はかなり異なっている。そこでは事の必然から諸外
国の研究から独立であることはできず、欧米的な歴史研究の在り方が影響を与えている。
もはや単純な通史的歴史観をもつわけにはいかなくなっているところも在る。そこでは、
「社会科学的歴史学」の志向や、あるいはフランス・アナール派のような、19世紀的歴
史学とはそもそも時間感覚を異にする研究や、あるいは逆に「物語」として自己限定しよ
うという研究態度も大きな部分を占めている。特に第三のものの場合、
(或る種19世紀以
前的な)
「人文学」としての自己規定も見られる。*(「日本史」の場合も、欧米(特にアメ
リカ)の日本近・現代史の研究はかなり進んでいて、日本においてもここからの影響が見
られる。しかしそれは多く、制度としては「歴史」学界の外部においてである(コンテク
ストは少しく異なるが、成田龍一『歴史学のスタイル』13 をも参照)。例えば「法学部」
における「日本史研究」もこうした意味でインターナショナルなのであるが、そこに同じ
ものを対象としても日本史・近代史と政治学・日本近代史とでは異なってくるということ
も生じ、それは双方において認識されてもいる。)
* 例えば福井憲彦は「歴史の記述が ...... 歴史社会学のような一般理論化への志向が強いものであるか、
あるいはフランスの歴史家のアラン・コルバンが出したような、ある種、歴史文学的な世界に非常に近
接したモノグラフィーであるのか、それは、それぞれの研究者が求めている歴史学の違いによるとしか
言いようはない。」
(『西洋史学
2000』52)と述べているが、西洋史学の場合は、─「世界史」教
育理念の場合は別として─研究者レヴェルではもはや19世紀的な通史的歴 史は場所を占めていない
と言うこともできる。
[78] 現在の日本歴史学界は(歴史教育学界も)、或る意味で戦前と同じ布置を示している。
一つは革新派的な通史的歴史観、一つは保守派的な通史的歴史観である。そして、研究者
数の点ではこれが最も多いと思われるが、(日本-)伝統的な文書(古文書)実証主義であ
る。彼らは、多く近代以前を研究対象としている。ここから、いわば学界政治的に、日本
では現在なお近代以前の歴史が大きな比重を占めていて─これには、そもそも「歴史」
に関する特殊日本的なイメージが関わっているのかもしれない。例えば佐藤正幸は日本の
「歴史教育」の特異性を言う論稿(「多文化社会における歴史教育」
『歴史学研究』683 号)
で次のように述べている。
「多くの日本人が「歴史」といわれて思い浮べるのは、江戸時代
であり、せいぜい明治・大正までが限度であろう。 ......これに対して、欧米では、「歴史」
という時、多くの人が思い浮べるのは、現代史であり、過去1世紀の歴史である。ここか
らして、すでに大きなギャップが存在するのだ。」─、これが対象時代的に、本質的に近・
現代史限定的な「社会科歴史」に対して「歴史科歴史」を志向させる原因ともなっている。
この近代史以前の重視は保守派通史の歴史観とはむしろ適合的である。国家・民族の強調
には対象とする時代が過去に遡れば遡るほど好都合であるからである。革新派との関係に
おいてはこれは論理的には中立的であるはずであるが、彼らにも近代以前史の重視を容認
するところが在る。それは、歴史の発展法則をより一般的な法則として提示するためには
対象とする時代が長ければ長いほど好都合であるというところが在るからである。*(川北
稔/鈴木正幸編『シンポジウム
歴史学と現在』80 頁では、
「マルクス主義というのは、......
共産主義を原始共産制の「否定の否定」として語る、歴史主義的傾向をもった学であると
私は思っています。したがって、 ...... 日本史がマルクス主義の影響を強く受けてきたとい
うことと、日本史がどうしても前近代史に偏重する傾向をもってきたということとは、無
関係ではないのではないかと私は思っています。」と語られている。)ここから、近代以前
に重心を置いた日本独特の教科「日本史B」(「世界史B」も)が出てくることになるので
ある。それが「社会科」(の一部としての「歴史」)理念から外れた教科「歴史」構成を結
果することになり、そしてそれが「歴史科」独立を動機づけるものともなっているのであ
る。
* しかしその場合、彼らもまた志向する現実の社会の問題理解・変革にとっては、これは本来不適合で
ある。そこに、例えば有名な「安井実践」というのが在って、そこでは古代ローマの「スパルタクスの
反乱」に即して階級闘争の学習が目指されているが、それを現在の諸問題と関連づけようとして無理が
生じ、支配者 vs.被支配者の対立という─それ自身は別に間違いではないが─非常に抽象的な図式が
生徒に了解されるだけであるという事態も生じている。これは「日本史」で「百姓一揆」などを対象と
する場合でもそうだが、そこに同時に「公民教育」
「道徳教育」が持ち込まれるとき、極論して「世の中
には悪い人がいて多くの善い人をいじめている」といった悪代官的史観とでも言えるものが形成される
だけである。
(これは、倫理的判断だけでなく、政治的論点に関するものも含めて広く規範的判断一般に
ついて、その成熟した判断能力の形成を妨げるものともなっている。)
文書実証主義的研究は、個別事実の確定には大きな力を発揮するが、それがそれに自己限定されるな
らばいいのであるが、いわば「通史」に取り込まれることによってそこに詳細「年代史」というものが
出来上がっている。これが何よりも「客観性」を重視する入学試験と適合し、そこに「暗記物」として
の「歴史」という事態が出現している。受験科目「社会」における特に「日本史B」の比重の高さも在
って、受験生には過大な、かつ(暗記力を問うという以外には)非-生産的ともいえる負担を強いること
にもなっている。
高校について言うが、
「歴史」が「社会科」の一部を構成するものであるのならば、それは思い切って
近・現代史に限定することが生産的であろう。現行の制度の下で言うなら「世界史A」
「日本史A」の方
を学習の基本とすべきであろう。かつ、
「現代社会」を(必修科目として)基礎に置き、それとの有機的
な関連づけを設定すべきであろう。
近代以前史に関しては、初歩的な歴史研究の在り方の教示等も含めて、かつ19世紀通史的発想への
拘りを止め(むしろ)人文主義的な観点を前面化して、いわば知の喜びの場としての「歴史」というも
のに再構成すべきであろう。
(現在の日本における歴史観紛争は先進国としては異常であり、この異常な
事態を解消するためにも通史性を弱める、あるいは通史をまさしく相対的な歴史観の事柄として提示す
るようにすべきであろう。上([76]注)で言及した山崎も引き続き、
「もし国家が歴史について教えると
すれば、それは歴史の精神であり歴史認識の面白さであり、認識された事実ではなく認識そのものの方
法のほかにはあるまい。具体的には歴史記述の古典的名作を教室で読ませ、同時に後世それがどのよう
に批判されたかを生徒に教えることであろう。」と述べている(28)。)こういうものとしては「歴史」は、
むしろ積極的に「社会科」から切り離して「歴史科」として実施すべきかもしれない。こうした「歴史」
の場合「文化史」が前面に出る「歴史」となるとも考えられるが、この点を踏まえつつ例えば伊東亮三
が「社会科」から独立した「文化科」を提唱している(「社会科と文化科」『社会科研究』41 号)。ある
いはさらに、
「古文」
(さらには「美術」
「倫理」の一部)などと一つにして「古典科」を置き、その一部
に位置づけるべきかもしれない。
因みに、「西洋古代史」の場合、自らの研究を(総合的な)「古典学」として自己了解しているケース
も見られる。この「古典学」という枠組みは強く人文主義的学問観の下に在ると言えるが、
「日本」に関
してはその枠組みが欠如している。それは「日本」研究者が自らの営みを何分かは社会的なもの(ない
しは実践的なもの)としても了解しているからでもあろうが、それは、人文主義としては未成熟である
ことを示しているとも言いうる。人文主義は(高級な)知的営みでもあり、その意味でそうした「歴史」
は純粋教養とも言えるものとしていわば「遊び」の側面をもっており、
「日本」研究者はまだそうした非
-効用性に耐えられないのかもしれない。
こうした人文主義的教科「歴史」が現行のものとしてはいわゆる「歴史B科目」に当たると見ること
は到底できない。「歴史B科目」は人文性を説く「保守派」の理解でも、
(なお)強く─例えば「国民」
形成のためという、あるい は広く世界を知って日本の 地位を適切に確保するため という─効用性をも
たされている。人文主義的「歴史」はアメリカでも右派から唱えられており、それと左派的な「社会科
歴史」理念とが対抗軸をなしている(例えば岸本実「アメリカの歴史教科書と歴史教育」
『あたらしい歴
史教育』92 参照)が、その場合でも効用性(政治性)が付加されている(であるから「右派」が/とし
て主張する/されることにもなっているのである)。強く実践性を志向する「革新派」の場合は当然、
「歴
史科目」を(大衆性をもった)効用科目として設定することになる。しかるに、そ の「 効用 性 」が 保 守・
革新いずれの側においても具体的には政治性で埋められ、それがひいては「歴史観」紛争を生み出して
もいるのである。
そもそも、この「効用性」と上の「喜び」とは相容れないものであるが、人文主義的理念としての「歴
史学」の特質は後者の「喜び」に在る。例えば西洋史研究者の草光俊雄は、19世紀に特徴的な「歴史
主義」─厳密には、ここでは人文主義的理念がロマ ン主義的なそれとなってい る。因みに、近年のポ
ストモダニズムは、(草光の言うこの)「歴史主義」の或る側面は受け継ぎつつもそのロマン主義性を払
拭したものとも言いうる─の源泉をウォルター・スコットに置きつつ、そのスコットの功績として「細
部への関心」を挙げている(「マコーリーはスコットの歴史学へ与えた功績は細部への関心であると言う。
それまで歴史家たちは歴史の細部、すなわち人々の身なりや食事、住居のディテイルなどにほとんど関
心を払ってこなかった。そこへスコットがいわゆる風俗などへの関心を歴史家に注ぎ込んだのだ、とい
うことである。」『歴史と社会』73)が、この「細部への関心」とは、まさしく「知的喜び」を求める精
神である(この両者の関係については、例えばR・バルトの論述「どうして歴史や小説や伝記の中に時
代や人物の《日常生活》が表象されているのを見て、快楽を覚えるのだろう ...... 。なぜこまやかな細部
に対する好奇心があるのだろう。 ...... 要するに ...... 凡 庸さの舞台 ...... に悦楽を見出すような《小ヒステ
リー患者》
(前述の読者たち)がいるのではなかろうか。/だから、
《きょうの天気》
(過去の天気)の記
述くらい、瑣末で、無意味な記述を想像することはできないが、しかし、先日アミエルを読んでいた時 ......
刊行者があの『日記』から日常的な細部、ジュネーヴ湖畔の天候を削除して、無味乾燥な倫理的考察だ
けを残した方がいいと考えているのを見て、いらいらした。」『テクストの快楽』101f.を参照。但し、こ
れはポストモダン的なものであって、スコット的なものと直ちに同じではないであろうが、スコットに
、、
おいても「細部」と「喜び」とには関係が在る)。しかし、これはさらに、「知的喜び」一般 と同義では
ない。後者には「知的好奇心[探究心]」といったものも含まれるが、それが一定の「問い」を前提とし、
その問いへの答えを追究するものであるとして、それとは異なって「細部への関心」は、一種美的なも
のとして、その知(の状態 )を享受するといったこと ─「知的好奇心」の場合はその「問い」におい
てその答えを求めて対象の「本質」に向かうのに対して、
「細部への関心」はこの享受性においてまさし
く「 細部」に向 かうのである─を含む。そ ういうものと してそれ─これを或る側 面から言い 表し た
言葉として「尚古趣味」が在る。また、ニーチェが「歴史主義」として批判した在り方もほぼこれに当
たる─は本来、社会的関心といった実践的なものか らは遠いものである。しか るに教科「歴史」にお
いて、これが「効用性」志向の実践性と結合することによって、その実践性の対象を同時に知的な喜び
の対象とするという一種倒錯的な構成性が産出されている。
(例えば「カルチャー・センター」において
「歴史学」系の講座が多数開講されているが、それはこの「喜び」という点から説明可能である。これ
との関連で、
「学校」教育における「教科」が或る種そうしたカルチャー・センター的なものとなってい
ると言うことも可能である。)
事実としては、この効用性のゆえに「歴史B科目」はとりわけ「受験科目」としていわば(それぞれ)
名分をもって主要科目として存在しているのでもあるが、そこにはあるいは逆に、学界の論理とも言え
るものが働いているのかもしれない。純粋教養では大衆性を持てない(したがって主要受験科目として
、、、、、、
の名分に欠けることになる)として、その理由から 効用性が付加されているのかもしれない。そう見る
場合、
「歴史観」紛争という不毛な事態は(実は政治的対立などではなく)この学界の論理の帰結である
とも言いうる。そうであるなら、それは不幸なことである。この点では、学界の論理で「教科」内容や
入試科目を設定するのではなく、学問の内的論理や(中等)
「教育」の論理こそが重視されなければなら
ない、と言われるべきであろう。
八
高校「社会科」公民教育の再構築を
[81] 「歴史」は保守派の理念だけでなく革新派の理念においても「公民」教育として、か
つ自己完結的なものとして機能しているのだが、これはむしろ問題である。19世紀国民
国家的国家観を採る場合はそうした「公民」教育となるのであるが、これはもう機能不全
に陥っている。もはや民主主義が(単に制度としてではなく、その理念において)常識と
なっている世界の─たとえそれが先進諸国に限られているとしても─現状では、本来
その理念を体現している「社会科」は、その「公民」教育を、現行の高校科目構成で言え
ば「公民科」を中心とするものに委ねるべきであろう。現行の科目構成を前提にして言う
なら、「現代社会」(を再度(4単位)必修として、それ)を核として「地歴」科目はその
、
「現代社会」理解への補助の位置において─「歴史観 」を禁欲して─近・現代に関す
る事実の教示に自己限定すべきであろう。(因みに、「総合的な学習の時間」について教育
現場で困惑が広がっているとも報告されているが、
「現代社会」2単位への縮小化の現状の
下では、これを端的に「現代社会」を(時間的に)補完する時間枠として用いるのが最も
生産的であろう。)
[82] 現在、
「道徳」、および「公民科」の一科目として教科「倫理」が存在する。これも「公
民」教育において重要なのであるが、しかし、これらの「社会科」公民教育としての課題
は今まであまり明確でなかった。この位置づけも再検討しなければならない。我々はいわ
ば Sollen について語ることを禁欲して専ら Sein に関わるべきであると「(社会科)歴史」
については説いたのであり、そうである以上、Sollen の事柄について、本来 Sollen に関
わる「道徳」「倫理」が前面に出てくるからでもある。
[83] 「道徳」は「修身」の後継科目に当たるものである。そして、「修身」においては、
、、、、、、
その課題は「心性」の育成、言うところの 「徳育」として、事実認識(「知育」)とは切り
離されて設定されていたと言っていいであろう。ここには、どう行動すべきかのその「内
容」はいわば外(たとえば政府)から示される、あるいは世間的に自明のことであって、
育成されるべきなのはそれに(素直に)従う心性の形成だけである、という道徳教育観が
在ったとも言いうる。しかし、戦後導入された「道徳教育」においては、この教育観を否
定し、むしろ、生徒の将来の現実生活において道徳的見地からしても妥当なかたちで自ら
、、
判断・行動することのできる能力の育成が課題として設定された。そこではあくまで自ら
道徳的に行動することを可能にするいわば形式的能力とも言えるものの育成が目指された
のである*。
(「文部省指導要領」においても各所で「自主的に判断し行動する能力を養うこ
と」が説かれている。)そして、具体的行動については、それを個別に(徳目を列挙するか
たちで)指示するのではなく、いわばそこにおいて具体的行動が行われる現実(社会)に
ついて、或る意味で純粋に事実認識を与え、その事実認識に即して将来自らの判断で行動
することを可能にする能力を育成する、ということ─いわば「知育」と一体となった「徳
育」─が図られたのである。
* 教育科学のタームでいうなら、これは「形式的陶冶」論である。そしてこれは、
「善」について政治は
中立的であるべきであるというリベラリズム国家観の基本原則と相即的である。
このように言うならば、
「モラルの育成がなされない」と反論されるかもしれないが、それは実は逆で
ある。「モラル」を─「徳」の事柄として─そのものとして説いても決してモラル(心)を育成しな
、、
い。人間の活動は「道徳」活動だけではない。というか「道徳」は、それ自身一つの個別活動領域 なの
ではなく、端的には経済活動を含めて様々な活動に対して、それに統制的に関わるものとして本来いわ
ばメタ的なものである。であるがゆえに、道徳は世界認識と、かつ自らが現に生きる世界の認識と一つ
、、
にして─自分の世界とは遠い 世界と一つにされる場合は問題である。ここに「(歴史科)歴史」におい
て道徳教育(「 公民教育」)がなされることの問題性の一因が在る─教示されなければならないのであ
る。現行の「道徳」授業の問題性の基底は、このことの無理解の上で、
「道徳」を個別活動性として考え
ているところに在る。そこに形成されるのは、建て前だけのモラル観、あるいは特定の時だけ(免罪符
的に)道徳的であるという、いわば─「日曜画家」という言い方に合わせて言うなら─「日曜道徳」
の形成である。
[84] したがって、別個教科としての「修身」は当然廃止されることになった。しかもこれ
、、
は、かつての「修身」の中 身 が問題であったからでなく、そもそも自己完結的な徳性教育
というものが否定されたからである。しかしながら、この「社会科」
(道徳)教育、換言す
るなら民主主義的公民教育の理念は戦後容易には理解されず、やがて「道徳の授業」が導
入されてきても、もちろん中身は戦前のものとは大きく異なるが、
「社会科」とは独立な授
業として設定されることになる。したがってまた、これには「社会科」教育理念に基づく
反対意見も表明され、そこに「特設道徳」論争とも呼べる事態も生じて来ることになった。
[85] 現行の高等学校教科「公民」にはその一科目として「倫理」が設定されている。この
位置づけも「社会科」公民教育の理念に沿ったものでは必ずしもない。一面では、「道徳」
と同じ徳性育成科目として設定されているとさえ言いうる。なるほど、過去の(「先哲」)
倫理思想の学習*(という知的内容のもの)も課題として設定されているが、それは「思想
、
史 」としてむしろ歴史学的なものとして設定されている。
(しかも、各思想家によって提示
された「哲学(思想)」(そのもの)の学習となっている。当の「思想家」はその時々の現
実社会の問題とのいわば格闘において philosophiren したのでもあるが、その面への言及
は弱い。)ただしその場合、現行「歴史」の通史的理念、したがって「枢軸国型」公民育成
の狙いはむしろ低く、言うとすれば人文主義的教養の理念の方が読み取れるものとなって
いる。あるいは、
「青年期における自己形成」云々が語られるときは、いわば即実用的なも
のとしても考えられていると言いうる。
* ここには勝義での倫理思想とは別の哲学思想も学習課題として設定されているが、その部分の位置づ
けも必ずしも妥当とは言えない。欧米では「哲学」が─「倫理(学)」とも別個に─設定されている
ところも在るが、これは「社会科」の一科目というよりは、いわば全教科の基礎をなすものとして、論
理的ないしは批判的思考力の育成、および科学論ないしは「知の理論」(「国際バカロレア」の科目構成
の場合)として各個別科学的知見の総合や、それへの批判的反省能力の育成を狙うものとして設定され
ている(『国際バカロレアの研究』111 参照)。日本では、初等・中等教育におけるこの「哲学」の位置
づけに関する議論が決定的に不足しているのであるが、その他、欧米での教科「哲学」について言及し
た文献を二、三挙げておく。柏倉康夫『エリートのつくり方』
[フランス]、嶋崎隆『ウィーン発の哲学』、
橋迫和幸「イギリス中等学校における「哲学」科目の導入」『国立教育研究所研究集録』17 号。
日本においてはこうしたものとしての「哲学(的思索)」の教育─(思想家別の)個別哲学思想に関
する知識の教育ではない─が欠如しているのであるが、ここに、語られてい る「日本人の論理的思考
の弱さ」の原因の一端、しかも決定的な一端が在るであろう。
[86] 「公民」教育は現代社会の現実的諸問題に即して、それを「正しく」解決できる能力
の育成として展開されるべきである。その意味で、やはり「社会科」の中で行われるべき
、、
である。しかし他方、それぞれの現実問題の事実的教示に即して、その事実に関して単に
、、、、、、、
価値判断的にも 考察するというだけでは不十分であろう。かつて「特設道徳」が導入され
るとき、学問領域として「倫理学」という個別学科が存在するので─ちょうど例えば「地
理学」に対応させて教科「地理」が別個に設置されているように─それに合わせて「特
設」でも構わないという見解が出され、それに対して「社会科」公民教育理念に反してい
るという反論がなされたのだが、この両見解はそれぞれ問題をもっている。特に後者の反
対論に対して言うなら、そこでは、規範的なものの(科)学も存在しているということが
無視されている、と言いうる。
(科)学と言えば事実(科)学だけであって、規範的なもの
はいわば「知」ではなく「意志」とか「感情」の事柄であるという、この点では戦前の「修
身」理念と共通と言えなくもない理解が前提になっている。しかるに、規範的なものに関
する学も存在するのであって、これは倫理学としてだけでなく、経済学や法学にもその一
部分として存在している。欧米に比べて日本では、この規範(科)学ということに対する
理解が弱く、これは(なお)
「社会科」公民教育理念が不徹底であることを意味してもいる。
すなわち、欧米の「社会科」では、規範的な事態(例えば意見対立−その解決)に関する
─かつ、例えば「他人を尊重する態度の育成を」といった情緒的なものではなく、ある
いは「多数決だが、少数意見の尊重も」といったお題目的なものでもなく、まさしく(科)
学的な─学習もなされており、例えば「社会科」を"decision-making citizen"育成の教
科であると規定する場合(例えば小原友行「小学校社会科における市民的資質育成の理論
と授業構成」
『高知大学教育学部研究報告』第1部 35 号 参照)などは、─一見我々(日
本人)の「倫理(学)」のイメージから遠いように見えるが─まさしく「倫理学」的考察
を核とした「社会科」となっているとさえ言いうる。あるいは、例えば草原和博(「近年の
社会科教育学研究が示唆するもの」
『 社会科教育論叢』43 号)は、
「 市民性という視点から」、
「民主主義と子どもの関係」に関して「合意主義」と「批判主義」との二つの立場に大別
しうるとしているが(108f.)、ここでそれぞれ、あるいは相互に問題とされている論点─た
だし、もちろん具体的な授業展開ではなく、そこで原理とされているものに関するものだ
が─はまさしく現代倫理学のテーマそのものである。(であるから、「社会科教育学」に
おいても例えばハーバマスの合意理論ないしは討議倫理学が研究の対象となっているので
ある。一例として:津留一郎「コミュニケーション的行為論による「理解」と「説明」の
結合」『社会科研究』50 号。)現行の「社会科」「公民科」がトータルとしてこうした規範
(学)的考察に欠けている限り、その欠を個別教科「倫理」が埋めざるを得ないであろう。
*
* この「欠を埋めるものとしての教科「倫理」」が制度的には設定されているのであるが、─ここには
哲学系大学教官の高校教育 あるいは大学入試への相対 的無関心も在って─生徒に実質的に学習が保証
されていないというのが現状である。ここから、
「現代」について(も)諸「教科」で事実認識は与えら
れているとして(も)、そこで意識された諸問題に対して(「倫理学」以前的な)安易な、あるいは建て
前だけの規範判断がなされることにもなる。
また、教科「政治・経済」の不完全な履修によって、政治的・経済的判断もまた同様なものとしてな
されている、ということも付言しなければならないであろう。たまたま手にした『論座』9 月号に伊豆
山健夫「学習指導要領で入試を縛るな」、丹羽健夫「怒れ、受験生! 〇〇〇〇 」の2論稿が現行「歴史」
に関説している。我々の観点から受け取るなら、後者では「詳細年代史」的「歴史」から来る入試問題
の問題性が指摘されている。そして前者では「歴史教科書(中学)」について例示的に「現代社会の特徴」
の記述「『科学の世紀』といわれる二十世紀は、電子工学の発展が、コンピューターを生み出し、ロボッ
トを登場させた。ロボットは人間の労働をかたがわりし、職場から人間を追い出しかねなくなった。
[次
に:]遺伝子工学の進歩は ...... 」の不適切さが指摘されている。氏はここでは「理科」の立場からこう
した(「歴史」的)「近代技術」評価の一面性を突いて、同時に「問題を理解するだけの基礎力もない無
垢な頭脳に、このような文明批判を叩き込めばどうなるのか。 ...... 初等・中等教育がこのようであるか
ら、子どもたちの理科離れが起こるのではないか。」と批判を加えているが、ここは社会科学の立場から
現代世界認識そのものとしてもその認識の一面性を指摘すべきであろう。しかし、
(現代世界をも一つの
「流れ」として記述する)
「通史」という叙述スタイル(ストーリー性をつける)を採る限り、この一面
性は不可避でもある。(「こういうことが言えるが、しかしまたこういうことも言える(。では次にどの
ように考えていったらいいのか)。」というのではそもそも「流れ」の叙述とはならない。)十分な認識を
保証するためには、記述スタイルとして─時代理解的にではなく問題定位的に─例えば「近代技術」
というテーマを設定し、それの社会(政治・経済)との関連をも問いつつ、さまざまな問題点から、そ
れぞれ複数の見解を示し、それらを相互に付き合わせつつ検討するというのでなければならないであろ
う。そしてそれは、現行の科目で言うなら(「現代社会」、あるいは「倫理」の一部ででも可能なのだが)
「政治・経済」において可能であるのだが、その履修が(受験科目の制約との関係で)実質上保証され
ていないのである。
この<「詳細年代史」的「歴史」から来る入試問題の問題性>については、より根底的に上記の「細
部への関心」と関連付けて論じられなければならないであろう。丹羽氏だけでなく、「歴史」(等)の
<暗記物の問題性>は以前から広く指摘されている。例えば「徳川の第〇〇代将軍の名を記せ」といっ
た類の、徳川政権の本質の理解とはおよそ無関係な─その意味で或る種「細部」的な─知識を問う
問題が出題されている。(丹羽氏は或る大学の「二○○○年度外国語・法学部の十体の仏像について「ど
れが一番背が高いか低いか」などを問う問題があった」と報告しているが、これなどは端的に「細部」
を問う設問であろう。)こういった問題は確かに─正答が一義的に明瞭であるという意味で─「客
観性」を有している。そして、入学試験は何よりも「客観性」が求められるとしてこうした出題がなさ
れているのも確かであろうが、しかしながら、そこには(多く無意識に)出題者の「細部への関心」も
規定要因となっていると思われる。安易に「客観性」を求める出題を<悪>とするとして、その<悪>
は「細部への関心」といういわば(それ自身は)<善>である(とも言いうる)ものから(も)結果し
ているのである。これは一般的にも言いうるところであるが、<悪>の除去は本当には何らかの<善>
を切り捨てることによって初めて可能になる。大学入試レヴェルでは、「細部への関心」という<善>
はむしろ意識的に切り捨てられるべきであろう。
[87] しかし、これはいわば次善の策であって、規範的考察は事実的な諸問題に即してなさ
れるのが望ましく、現行の「現代社会」はこの点では─「やりにくい教科である」とい
う意見が多いのではあるが*─これに適合的な教科である。しかし、その場合であっても、
(同時に相対的に独立した「政治・経済」や、あるいは「(社会科)歴史」も必要であるの
であるが、それと同様に)規範考察的部分を相対的に独立に、あるいはより体系的に学習
するものとして教科「倫理」はなお必要である。先にも述べたことだが、教科「倫理」が
いわば実践科目として了解されている現状では、この主張は理解され難いかもしれないが、
「倫理学」とは、
「正しいこと」を実践するのが「倫理」だとして、その「正しさ」を(学
的に)究明していく学問である。そして現状では、この「正しさ」の─その自明視、そ
、
の実はお題目化の下で─究明が決定的に不足しているのである。(現在なお、「倫理学 」
を実践学科として理解する傾向が強いが、それは例えば「法学」を「順法精神」とでもい
ったものの育成を図る学科と見るのと同様の誤りである。)しかし他方、そのためには「倫
理」の内容構成が再構築されなければならないと考えられる。この点は近年、かつての教
科「倫理(・社会)」の構成に比べて、いわば「倫理学の応用倫理学的転回」とも言えるも
のに対応するような構成修正がなされている。
(『平成11年版学習指導要領』では「倫理」
の内容の二つ在る「大項目」の一つとして「現代と倫理」が設定され、
「現代に生きる倫理
的な課題について思索を深めさせ、自己の生き方の確立を促すとともに、よりよい国家・
社会を形成し、国際社会に主体的に貢献しようとする人間としての在り方生き方について
自覚を深めさせる。」という説明が付されている。そして、その三つ在る「中項目」の一つ
として「現代の諸課題と倫理」が設定され、
「生命、環境、家族・地域社会、情報社会、世
界の様々な文化の理解、人類の福祉のそれぞれにおける倫理的課題を、自己の課題とつな
げて追究させ、現代に生きる人間としての在り方生き方について自覚を深めさせる。」とい
う説明がなされている。)これは基本的に好ましい修正であるが、しかしこれは他方、それ
はそれとして逆に、例えば「環境倫理」「生命倫理」「〇〇倫理」というふうに自己完結的
な単元が単に並置されて、そこでその都度「倫理学」的考察も加えるということに留まっ
てしまうならば問題である。問題解決にはどのような倫理原則を適用すべきなのかと更に
問うていくのでなければ本当には問題解決に繋がらないのであるが、そのためには倫理原
理そのものを問う倫理学的学習がさらに求められてくる。
* これは、
「現代社会」に対応する(個別)学問領域が制度的には不在であるということが大きな原因で
ある。近年「現代社会学部」という学部が設立されつつあるが、そこでの任務の一つとしてこの「現代
社会」担当教員の養成ということも設定すべきであろう。あるいは、
(政治学、経済学、社会学等の社会
諸科学の知見を吸収しつつ)既存の「哲学」ないし「倫理学」を手掛りに、その一部に「社会哲学」
─これは本研究 会のテーマで もあるのだ が─という下 位領域を設 定し、そこで( 既存各学問 に対 し
てはそれらに対して)
「総合的に」現代社会を、その問題性に即して考察していくことも有効な対応手段
であろう。
因みにその場合、これは「応用倫理学」の単なる言い換えと考えられるかもしれないが、「応用倫理
学」という呼び方は実は望ましくない。これでは、既存の倫理原理をそのまま諸問題に「応用」すると
いうかたちになり、これは思想史的研究スタイルで個別思想を研究してきた者がその知見を(次に)現
実問題に適用してみる、ということで心理的には採りやすい途ではあるのだが、問題的である。厳密に
換言しなければならないが、倫理原理を適用すると言っても、(たまたま自分が専門の対象としている
思想家のその原理の適用を考えるというのではなく)問題に即していかなる原理の適用が妥当であるの
かという方向で考えていく─その方向で同時に思想研究をも進める─のでなければならない。現実
(就職)問題として「哲学」系大学(院)生は、思想研究に加えて「応用〇〇」をも研究しなければな
らないという大勢にあるが、哲学教育カリキュラムにおいても─(思想研究の)「基礎」を了えてか
ら、ということではなく─「現代社会の諸問題」の考察とでもいった授業(あるいは、それを不可避
的に含むことになる「応用倫理学」関係授業)の方を先に(あるいは同時並行的に)置くべきであろう。
(ただし、純人文学的に「思想史」として「哲学」を規定する場合は話は別である。)
しかしながらそれにしても、これは大学教員という現場からの<嘆き>としてよく聴くところである
が、高校までで、いわば「事実」教授の際に、
(当人は真剣であるだが、残念ながら規範諸科学には不案
内であって、あるいは規範的なものはおよそ「学」の事柄ではなく、例えばもっぱら「良心」の事柄で
、、、
あるという了解のもとに)安易に、かつ過剰に倫理的なものが実質上 教授されてきていて、その結果と
して形成されてきた学生の 倫理観─上に「悪代官史観」と述べたが、多くはそ うしたレヴェルのもの
である─をまず批判しなければならない、というと ころが在る。そのために、 学問的な倫理研究とし
て「思想史」教授を行いたくなるのかもしれない、とは言いうる。
おわりに
[91] では教科「倫理」あるいは「現代社会」についてどういう教科構成が求められるのか。
これは、直接「社会科教育」を研究テーマとしてはいない本稿筆者としても、その専攻(倫
理学)からして無視していいという事柄ではない。しかしながら、従来、倫理学界は組織
的には(公民)教育に関して冷淡であった。個別に教育に関して語られる場合は結構在る
が、その場合も多くは、社会科教育のいわば現場から独立に、その意味で素人的な発言に
留まってきたとも言いうる。
(そして、たとえば教科「倫理」を問うのではなく、
「いじめ」
「不登校」等のいわば教育現場の「倫理」的問題を問うこと─これ自身は問題ないので
あるが─をもって「教育」にも(十全に)関わっているとするところがなくもなかった。)
この点、自戒をも篭めつつ、理想的な教科プランの検討についてはこれからの課題として
確認するに留めて、本稿はここで一旦擱筆としたい。
* なお、参照文献に関する精確な情報については、上記研究会口頭報告の資料として「研究会」HPで
公開したもの(のヴァージョン・アップ版)を見て頂きたい。
2002.01.07(version 1.2)
いまなぜ教育が問題なのか?─教育〈問題〉の構造─
寿卓三(愛媛大学教育学部)
〈教育〉をめぐる多様な議論が様々な立場から展開されている。いま、なぜ〈教育〉が
関心事となるのだろうか。この小論は、教育が問題とされる淵源を明らかにし、哲学、倫
理学がこの教育問題の構造解明において果たすべき役割を析出することを目指す。その際、
まず、教育が問題となる背景を一般的次元と倫理学的次元とに分けて整理する(Ⅰ)。次に、
これらの多様な議論において根元的には問われている事柄を明らかにし、教育問題の基本
構造を析出する(Ⅱ)。さらに、現在進行中の「教育改革」が、現実にはどのような成果を
もたらしているかを明らかにする(Ⅲ)。最後に、〈教育〉改革に際し、哲学、倫理学が果
たすべき役割を考察する(Ⅳ)。
Ⅰ
〈教育〉が問題となる背景
1 〈教育〉への関心の高まりの一般的背景
〈教育〉をめぐる議論は多種多様である。ここでは、教育への関心が高まる一般的背景
を、「結果の平等」社会への危機感、「グローバル・パラドックス」、そして、「ゆとり」教
育がもたらす学力低下という3点に大別して明らかにしておこう。
1−1
教育改革の背景─「結果の平等」社会への危機感─
「結果の平等」から「機会の平等」への方向転換を掲げる現在の教育改革論議のキーワ
ードは、
「ゆとり」及び「個性化・自由化・国際化」である。それは、次の2つの文章に端
的に示されている。
「今次教育改革において最も重要なことは、これまで我が国の教育の根深い病弊であ
る画一性、硬直性、閉鎖性、非国際性を打破して、個人の尊厳、個性の尊重、自由・
自律、自己責任の原則、すなわち個性重視の原則を確立することである。」(臨教審第
一次答申、1985 年)
「残念ながら、日本の社会には個人が先駆性を発揮するのをよしとしないきらいがあ
る。日本人の持つ絶対的とも言える平等感とも深く関わるが、「結果の平等」ばかりを
問い、縦割り組織、横並び意識の中で、“出る杭”は打たれ続けてきた。「結果の平等」
を求めすぎた挙句、「機会の不平等」を生んできた。」(「21世紀日本の構想」懇談会
報告書、2000 年)
ところで、画一性から個性化への教育のこの大きな方向転換が、それほどの抵抗もなく
スムーズに受け容れられたのはなぜであろうか。その根拠として、3つの理由を挙げるこ
とができよう。1つは、臨教審を設置した当時の中曽根政権下において、国民は教育サー
ビスを受ける消費者となり、それまでの「文部省 vs 日教組+国民」という対立構造が、
「文
部省+日教組 vs 国民=「教育の消費者」」という対立構造へと転換されたことである 1 。2
1
参考文献
今田高俊:『社会階層と政治』、東大出版会、1989 年
「ポストモダン時代 の社 会階層」、今田高俊編『日本の階層システム5 社会階層のポストモダン』所収、東大
出版会、2000 年
『意味の文明学序説 その先の近代』、東大出版会、2001 年
大内裕和:「教育 における戦 前・戦時・戦後─阿部重孝 の思想と行動─」、山之内靖他 編『総力戦と現代化』所収 、
柏書房、2000 年
「象徴資本としての「個性」」、『現代思想』、2001 年 2 月号所収
大野 晋、上野健爾:『学力があぶない』、岩波新書、2001 年
大庭 健:「所有という問い」、『所有のエチカ』所収、ナカニシヤ出版、2000 年
尾高邦男:『日本的経営 その神話と現実』、中公新書、1984 年
越智 貢:「「情報モラル」の教 育─倫理学的視点から─」、『情報倫理学─電子ネットワーク社会のエチカ─』所収、
ナカニシヤ出版、2000 年
「モラルと学校と倫理学」、日本倫理学会第52回大会報告集所載、2001 年
苅谷剛彦:『「学歴社会」という神話 戦後教育を読み解く』、NHK 人間講座、2001 年
黒崎 勲:『現代日本の教育と能力主義 共通教育から新しい多様化へ』、岩波書店、1995 年
近 藤 博 之 :「「知 的 階 層 制 」の神 話 」、近 藤 博 之 編 『日 本 の階 層 システム3 戦 後 日 本 の教 育 社 会 』所 収 、東 大 出
版会、2000 年
齋藤純一:『公共性』、岩波書店、2000 年
佐藤俊樹:『不平等社会日本
さよなら総中流』、中公新書、2000 年
佐和隆光:『市場主義の終焉─日本経済をどうするのか─』、岩波新書、2000 年
塩野谷祐一:『価値理念の構造』、東洋経済新報社、1984 年
戸瀬信之、西村和雄:『大学生の学力を診断する』、岩波新書、2001 年
藤田英典:『教育改革─共生時代の学校づくり─』、岩波新書、1997 年
Freie, John F., Democratizing the Classroom:The Individual Learning Contract , in “ Education for Citizenship
Ideas and Innovations in Political Learning” edited by Grant Reeher and Joseph Cammarano, Rowman
& Littlefield Publishers, 1997
Knowles, Malcolm S. Using Learning Contracts Practical Approaches to Individualizing and Structuring
Learning 、Jossey-Bass Publishers, 1986
Nussbaum, Martha C., Cultivating Humanity: A classical defense of reform in Liberal Education , Harvard
University Press,1997
つ目の要因として、1980年代以降の「新しい個人主義」思想の台頭が挙げられる。山
崎正和の『柔らかい個人主義』
(1984年)によれば、1960年代までの近代化を主導
した生産原理は、目的志向的で硬直的な個人主義をもたらしたのに対し、1970年代以
降の消費原理の台頭は、より柔軟で多元的な「新しい個人主義」を生み出した。消費の優
位、文化サーヴィスの興隆を重視するこの議論は、
「近代化の行き詰まり」を突破する可能
性を提示するものであり、
「解放感」とともに広く受け入れられていく。柔らかい個人主義
は、
「同時代の「近代的(=固定的・一元的)主体の解体」や「価値の分散化・多元化」を
尊ぶポストモダンの思想とも共振しつつ、一つの時代思潮となっていった」2 のである。最
後に第3の理由として、教育政策・改革論議が、経済界(財界人・経済学者)の論理に主
導されたことが挙げられる。1973年のオイルショック以来、世界的に従業員の職場士
気が低下し、企業活動の停滞に悩んでいるなか、ひとり日本だけが躍進を続けるのに対し、
諸外国の経営者は、
「よろしく、この日本企業の成功の秘密を学ぶべき」という「日本的経
営の神話」が世界的な広がりをみせた。このような状況に対し、尾高邦男は、
「こうした日
本的経営の賛美論や擁護論が優勢となることによって、それの欠陥の指摘は拒否され、ま
たそれの欠陥の修正補強の企ては放棄されることになり、この結果日本的経営から生ずる
デメリットはますます蔓延し、結局は日本的経営自体がスクラップ化することになるだろ
う」 3 と懸念している。江崎玲於奈『アメリカと日本』(1980 年)は、両国間における「創
造性の土壌」の有無多少の原因を、両国の社会環境の差(競争心をむき出しにして争う社
会⇔人の和、異端者や「出るクイ」は排斥され、低能力者や「落ちこぼれ」には過保護の
手が差しのべられる社会)に見る。これに対し、尾高は、第二次大戦後の学校教育が、
「教
育民主化のたてまえから、英才教育を廃し、すべての生徒に画一的、総花的な訓練を施し
て、平均的な「優等生」をつくることだけをめざしてきた」こと、そして、
「日本的経営の
方針を採用している日本の大企業の人事労務慣行」が、計画的に創造性の育成を妨害して
きたことがより大きな危険性を見ている 4 。画一的な学校教育制度や大企業の労務慣行の欠
Taylor , Charles , The Ethics of Authenticity 、Harverd University Press, 1991
1
大内 2001、89 頁。
同上、91頁。
3
尾高、25 頁。
4
同上、141 頁。尾高は、第二次世界大戦前後において教育が大きく変容したことを前提としているが、
この種の議論は、次の指摘から明らかなよう、相当慎重でなければならない。
「ここまで戦時体制期における教育財政と中等教育の改革をみてきたが、そのどちらにおいても阿部重
孝の構想が実現していったことがわかる。これらはいずれもヨーロッパの教育制度の階級制・不平等性
を突破することを目指した点で、ヨーロッパ近代の「乗り越え」を志向したものといえる。しかしそれ
は近代の価値を否定するという意味での近代の超克ではない。それは国民すべてに中等教育を開放し、
教育機会の均等を目指した点で、ヨーロッパ以上の近代の徹底であったのである。中央集権的メカニズ
ムを通して教育の平等を促進するという阿部の観点は、分権的な教育制度であるアメリカのケース以上
に教育における権利の平等を意図したものであった。阿部は戦時体制期における改革を通して、こうし
た教育における権利の平等を目指したのである。この欧米近代以上の近代の徹底を目指した戦時期教育
改革は、社会における階級制を打破し、教育を通した広範な国民の階層移動を可能とした点で、近代の
大衆化を安定的に組織化したシステム社会の幕開けを意味していた。社会的流動性の増大を民主化の指
標とみる戦後社会の文脈からいえば、戦時体制期はそれがいかに国家主導で行われたにせよ教育におけ
2
陥を修正補強し、創造性の土壌を育成することが、日本的経営をスクラップ化しない不可
欠の要件だということになる 5 。
1−2
グローバル・パラドックス
経済活動がグローバルな時代に突入することは、われわれの意識が直ちに〈国民〉とい
う神話から自由になることを意味するわけではない。むしろ、グローバルな時代だからこ
そ、ナショナリズムが強調される可能性も高まる。こうして、伝統や保守をめぐる奇妙な
ねじれ現象が生ずることになる。元来、自由な市場競争を大義名分とする市場主義と、伝
統や秩序の保守を大義名分とする保守主義とは両立不可能である。というのも、市場の論
理は、伝統的秩序を浸食して、地域社会だけでなく国民国家をも解体していく力を持つか
らである。それゆえ、佐和隆光が指摘するように、
「市場主義と狭義の保守主義は両立しが
たいのである。実際、
「真性」保守主義者を自認する西部邁は、まさしく市場経済が伝統と
秩序を破壊するという意味で、規制緩和・撤廃への強硬な反対論を展開し、同じ保守陣営
に属するはずの市場主義者と一線を画する。一見、奇妙なことに、反市場主義という点で、
リベラルな内橋克人と真性保守主義者の西部邁は意見をおなじくする。内橋氏は市場経済
が弱者をふみにじるという意味で、また西部氏は市場経済が伝統と秩序を破壊するという
意味で、ともに市場主義に反旗をひるがえす」6 という事態が生ずるのである。このような、
経済のグローバル化がむしろナショナリズムの高揚をもたらすという現象は、近現代史の
解釈をめぐって顕在化し、歴史教育の大きな争点となっている。戦前の「排外感情や優越
感としてのナショナリズム」に立った「われわれの物語」や、戦後の「自らを批判し反省
すること自体を『国民』の立場とする」ような「われわれの物語」に対する、第三の「わ
れわれの物語」として、
「粗暴な感情としてのナショナリズムを飼い慣らし、同時に日本と
いう『国民』の立場を将来に向けて積極的に方向づけるような『われわれの物語』」を構想
することが、今日の歴史教育の課題だとする主張が教育現場からもあがっている 7 。
1−3
「ゆとり」教育がもたらす学力低下
る「民主化」の進展であった。
(中略)戦時体制期に準備されたこのかっこ付き「民主化」は、戦後のシ
ステム社会に引き継がれ、本格的に展開されることとなった。この戦前から戦時期にかけて準備された
単線型の平等な教育制度は、戦後の日本の教育や社会の発展の基本条件を形成した。この改革は戦後の
憲法や教育基本法などの社会民主改革と接続することで、その枠組みを完成させた。」(大内 2000、
231-232 頁)
5
1970 年代半ば以降の怠学・不登校、逸脱・非行、学力低下という「教育病理」的問題が、1980 年代
後半には経済再建戦略の推進という視点からイギリスでも問題になっている。
「調査によれば、50 万人以上の子どもたちが、少なくとも週1回は、正当な理由なしに授業をさぼっ
ている。少なくとも 20 万人は、毎日、学校を抜け出している。この数字は驚くべきものだが、その
結果はもっと長期的な心配の種になるものである。こういう怠学状態にあった労働力では世界経済の
競争にとても立ち向かうことはできない。」(イギリスの日刊紙『ガーディアン』1990.10.16 から:藤
田、155 頁)
6
佐和、41 頁。
7
斉藤武夫:「『われわれの物語』をどう構想するか─『近現代史』をとらえ直す視点─」、
『「近現代史」
の授業改革1』所載、明治図書、1995 年。
戸瀬信之、西村和雄は、「個性化」、「多様化」、「国際化」、「ゆとり教育」、さらにはそれ
らを包括する「新学力観」といった美しい言葉で表現される現在の教育改革によって学力
崩壊が引き起こされたと指摘する 8 。そして、高校教育における教科選択の自由の拡大、大
学教育における一般教養科目の比重低下と自由選択の拡大、さらには、2000 年度からの教
育職免許法の改訂による教科専門科目履修必要単位の大幅削減は、教員養成系学部学生の
基礎学力の脆弱化をさらに進行させると指摘する。
「このままでは、まちがいなく日本の教
育は、学力のデフレ・スパイラルに落ち込むことになる」 9 。「補習」講義を余儀なくされ
ている大学関係者は、多くの者が上野健爾の次の指摘を共有しているであろう。
「小学校以来の教育で、基礎が十分に理解できないままに高校生になり、理解できな
いままに受験勉強を行うので、受験技術ばかりをみがくことになる。そして、大学に
合格することのみが目的化されてしまい、勉強することの意味が全く忘れ去られてし
まう。生徒も先生もその渦中にいて、外から冷静に自分たちの行っていることを観察
する余裕を失ってしまっている。
「学力低下」が一段と進んでいく構造がこのようにし
て作られている。そして、偏差値という、単なる目安としてしか使えないものが、絶
対的な価値を持ち、極端な場合、その人の価値まで規定するようなおかしな世界がで
きあげっていくのである。もちろん高校生、大学生はこうした仕組みの犠牲者である。
しかし、重要なことは、この大学生が社会人になると、再びこの構造を強化する方向
へ動いていくことである。教育に情熱を持って先生になることを希望する学生が、
「僕
は分かりやすく教えて、できない子の偏差値を上げていい大学へ入れてあげたい」と
真剣に考える現状は、
「学力低下」を生み出す構造が拡大再生産されていることを如実
に物語っている。」 10
2 哲学、倫理学の立場から
先に教育が関心事となる一般的背景を概観した。では、哲学、倫理学の立場においてい
かなる意味で教育がその関心事となるのか。環境倫理、生命倫理、企業倫理、情報倫理な
ど、いわゆる応用倫理の場面において、倫理学はその現実への適応力を問われている。一
見多様で複雑に見える応用倫理学において、原理的には、2つのことが共通の基本的関心
事とならざるをえないと考える。1つは、大庭健の言う「没公共的な私有社会」、つまり、
「所有領域ではミニ専制・無所有の領域では放縦」が支配している状況下にあって、
「欲望
の相互的、人—間的な制御」という地平を切り開くのはいかにして可能なのかという問い
である。
8
9
10
戸瀬、西村、173 頁。
同上、137 頁。
大野、上野、62 頁。
「市場の外でおコボレを配給されるだけの人々の呟きは、市場に参加して暮らしてい
る私たちの耳には、なかなか問いかけの言葉としては響いてこない。いわんや、未だ
言葉を発していない未来世代の人々のいだくであろう思いは、いま私たちに語りかけ
られる言葉としては聞き取れない。それは、そうであろう。そもそも市場経済とは、
「自
分のものを買った人が、それをどう使うのか」とか、
「自分が買うものをつくった人が、
何を願って・どう作ったのか」などというやりとりを、すべて雑音(ノイズ)として
切り捨てることによって、はじめて成立しているからである。現に関わっている相手
との間柄するこうなのだから、市場の外にたたずんでケアされるだけの人の声や、未
だ市場取り引きに参加できない人、ひいては未だ生まれていない人の声が、こちらも
応じうる呼びかけの言葉として聞き分けられない、というのも当然でさえあろう。し
かしながら、こうした人たちのひそやかな呟きに耳を澄ますこと。このことは、欲望
の人—間的な制御にとって、きわめて重要である。」 11
この欲望の人—間的な制御に向けて、「こうした人たちのひそやかな呟きに耳を澄ます」
可能性を切り開く営みこそが、元来、〈Bildung=教育〉という営みなのではなかろうか。
いま1つは、越智貢の言う情報倫理/情報モラルの基底としての「自己への配慮のモラ
ル」である。今日、一般社会のみならず学校空間をも支配している、「「最低限のルール」
と「迷惑をかけない」ことを中核とするモラルは、それを支える社会通念が脆弱な場合に
は、容易に「モラルの低下」として現象する」 12 。なぜなら、「他人への迷惑」とは極めて
曖昧な概念であり、法に抵触しない限り、法に抵触しても逮捕されない限り、逮捕されて
も……、と無限に付帯条件を付けることが可能であり、現実には、利益や快楽や利便性を
追求するあらゆる自由が許されることになりうるのに対して、われわれはほとんど無防備
な状態にある。人に迷惑をかけなければすべてが許されているという最低限のルールが、
「モラルの低下」として現象するのをパターナリズムによって抑圧するのではなく、現在
でもほそぼそと生きている「自己への配慮のモラル」によって制御する。このような制御
可能性の有無はともかく、ほそぼそと生き延びているこのモラルの芽を育む営みを、われ
われは〈教育〉と呼ぶのではなかろうか。
Ⅱ
〈教育〉の直面する基本的問題
1 現実の教室空間の一断面
ここでは、現実の教室空間の一断面の分析を通して、教育問題の基本構造を析出したい。
ある学年の中学入学当時、様々な問題を抱えた生徒が少なからずいるとの小学校からの連
絡があり、1年生を担当する教師集団は、相互協力態勢をとった。しかし、2年生になる
11
12
大庭、76 頁。
越智 2001、25 頁。
ころには、このような協力態勢が次第に崩れて、各授業担当者がその授業に全責任を持つ
ようにすべきだという雰囲気が支配的になる。その結果、例えば、授業中に教科書を出さ
ず、マンガを読む生徒に注意しても、「なぜいけないのか!」ということで、当の生徒と
20 分近くも押し問答することになる。すると、他の生徒から「先生、ちゃんと授業してよ!」
との声があがり、教師は「マンガをしまって、教科書を出すように!」と注意して、その
生徒がマンガを読み続けているにもかかわらず、授業を始めることになる。すると、次第
に、この教師の授業では、マンガを読むことは「許される」行為だという認識が共有され
ることになる。このような行為はさらに、ゲームやおしゃべりや立ち歩きへとエスカレー
トし、やがて授業は成立しなくなる。この学年は、3年になって、中心となって「問題」
を引き起こす生徒達が、遅刻したり休みがちになることで、教師の一部に休職者や体調を
崩す者を出しながらも、事態が悪化して、PTA やマスコミなどで「問題」にされることも
なく、全員が「無事」卒業していった。
このような授業空間の崩壊現象に直面して、為すすべもなくただ立ちつくしている教師
や親たちに対して、その無責任・無能を批判することは極めて傍観者的な反応であろう。
というのも、ここには、日本社会総体の変容が色濃く反映されていると考えるからである。
では、この崩壊現象はわれわれに何を告知しているのだろうか。まず、教室空間において、
生徒たちが2つの位相の「あれかこれか」の選択を迫られていることに注目したい。
1つは、既成の社会的ヒエラルキーの中での地位を他者と争う「あれかこれかA」であ
る。つまり、
〈お勉強、スポーツ、ルックスの偏差値〉競争の中で勝者となって〈上位の社
会階層〉にアクセスする資格を得るのか(A—1)、それとも、この競争に敗北し、アクセ
スする資格を失うのか(A—2)という選択である。このような選択を強制される中で、
学校化社会のアイロニーに由来する「学校病理的」現象が顕在化してくる。藤田英典は、
その経緯を次のように述べている。
「60年代までは、進学しなかった約半数から約4分の1の子どもは非進学者ではあ
っても、決して敗者でも劣位者でもなかった。ところが準義務化段階では、学校間に
格差・序列があるかぎり、ほとんどすべての子どもが一元的な序列のなかに位置づけ
られ、自分の相対的な位置を意識させられる。そのため、入試競争のプレッシャーの
問題には、希望校に合格できるかどうか、受験勉強が順調かどうか、試験で失敗する
のではないか、といった受験に向けてのポジティブな構えのなかで生じるプレッシャ
ーだけでなく、構造的に序列づけられてしまうという状況への潜在的な嫌悪、それを
拒否するすべを与えられていないことへの憤りを基盤にしたものも含まれることにな
る。」 13
13
藤田、200-201 頁。
人間形成、自己形成という言葉とは裏腹に、教室空間における学びといえども、実は、
市場原理に従属していることを、学習者自身、日々リアルに自覚させられる。黒崎勲の指
摘する次のような社会のリアリティは学校空間を貫徹しているのである。
「商品交換の下で、商品の生産が常に自分自身が使用するという必要のためにではな
く、他人にとっての必要を満たすために行われ、商品生産の自分自身にとっての意味
は、これを売買して利益を得、他の商品を購入することができるようになるというと
ころにあったように、学習もまた自ら学びたいと欲するものを学び、自らの必要に応
じて行うようなものではなくなる。それは社会の、つまり他人の求める基準にしたが
って測定され、それに応じて行われるものとなる。学習する当人にとっては、この測
定評価の上位に位置することが学習の目的となり、それは商品生産・交換の成功が生
産者に利益をもたらすのと同じように、学習する個人に社会的な成功という報酬をも
たらすのである。この結果、市場能力は常に『財産の原理』を『能力の原理』に組み
込むと同時に、個人を能力の程度という数量化によって際限なく序列化することにな
る。」 14
教室空間を支配するいま1つの選択は、公共性や社会秩序に意味を見出せるか否かとい
う内なる葛藤「あれかこれかB」である。ここでは、自己の将来や社会といった持続的か
つ伸び広げられた時空間の中で「私の生」を捉えることができるのか(B—1)、それとも、
「今、ここでの楽しさ」に自閉するのか(B—2)の選択を迫られることになる。学校化
社会は、旧態依然として、現在よりも将来に価値を置き、禁欲的生活スタイルを生徒に求
める。他方では、消費社会、情報化社会の進展は、学校という統制された学習空間に代わ
って、習熟度を評価されることもなく、面白くてすぐに役に立つ情報を個室まで「宅配」
してくれる巨大な情報空間を学校の外に出現させる。その結果、80年代には、子どもた
ちの生活スタイルは大きく変容し、〈3C〉、つまり、CDラジカセ、カラーテレビ、クー
ラーに囲まれた快適空間としての個室を持つ子どもが現れた。70年代に問題になった異
常な管理主義教育は、
「2つの異質な社会生活の編成原理─学校化社会と情報・消費社会─
が拮抗するようになり、さらには、学校化社会のそれがゆらぎ、従前のような統制力を保
持できなくなったことの現れ」 15 に他ならなかったと言えよう。
教室空間の崩壊現象は、このように社会状況と連動し、この社会環境そのものの変質の
反映に他ならないのである。この社会環境そのものの変質をいま少し詳しく見ておこう。
2 「可能性としての中流」の終焉がもたらした社会の閉塞状況
教室空間の崩壊現象の淵源となるような社会の閉塞状況とはいかなる事態であろうか。
14
15
黒崎、48−49 頁。
同上、207 頁。
戦後の奇跡的な経済復興を可能にした原動力の1つとして、日本社会における階層移動の
流動性を挙げることができる。つまり、ホワイトカラーとブルーカラーとの境界が横断的
となって、ホワイトカラー雇用上層の再生産過程が潜在化し、また、ブルーカラー雇用か
ら自営への上昇ルートが開かれることで、
「努力すればナントカなる」社会が出現したこと
が、経済発展の原因でもあり結果でもあったと言えよう。佐藤俊樹が指摘するように、大
多数の人々にとって、80 年代前半までの戦後の階層社会は、西欧的な意味での「中流階級」、
戦後日本の感覚における「上」になれる可能性を信じることができた。そして、この「信
じられるという点において、大多数の人々が均しく中流になりえた。それが質の高い労働
力を生み、それなりに豊かで安全な社会、希望を持てる信頼できる社会」 16 を作り上げて
きたのである。しかし、1936〜55 年生まれの「団塊の世代」以降、ホワイトカラー雇用上
層への上昇という主ルートが閉鎖されただけでなく、ブルーカラー雇用上層から自営へと
いう副ルートも消えてしまい、日本の選抜システムは飽和状態を迎えることになる。この
状況は、エリート層では責任感の空洞化を招き、他方、ホワイトカラー雇用上層以外の人々
においては、
「努力してもしかたがない」という閉塞感を生み出した。つまり、先の中学校
の教室空間におけるのと同質の二極分解が、すでに社会の中に生じていたのである。
エリート層が、責任感の空洞化に陥る機制を見ておこう。概して、いかなる社会であっ
ても選抜システムの存在は不可避であり、市場原理に立脚した民主主義社会では、
「 客観的」
な選抜原理として「能力主義」が採用されることになる。この原理を理念型的に定義する
ならば、次のようになる。
「いかなる社会にも他の地位よりも重要であり、その地位につくために特別の力量が
要請されるような特定の地位が存在し、これらの地位にふさわしい能力を獲得できる
個人は少数のメンバーに限られている。こうした才能を持った個人にとってその力量
を得て、その地位につくために犠牲をはらうことを魅力あるものとするため、これら
の地位に対して、高い収入、権威、名誉などを与えることは合理的であり、こうした
社会的不平等は社会を維持していくために不可避である。」 17
このような能力主義が、社会の現実に即したものであり、客観的妥当性を持つと信じら
れるとき、エリート層は、佐藤が指摘するように「3つの空虚」18 を抱え込むことになる。
1つは、自己の力に依拠しない成果をも自己の「実績」と取り違えてしまう空虚である。
ロールズの正義論は、われわれが忘れがちな自然的および社会的不平等という事実を指摘
した。この事実の自覚するとき、われわれは次のような認識を得ることになる。つまり、
「第一に、能力に応ずるものであれば社会的不平等は容認されるというのは正しくない。
16
17
18
佐藤、87 頁。
黒崎、77 頁。
佐藤、121 頁。
だれ一人として、より大きな生来の能力を受けるに値すると考えるわけにはいかないから
である。第二に、能力の差異を努力に応ずるものであるからという理由で社会的不平等を
正当化することもできない。能力を開化させる努力をおこなう優れた性格もまた、本人が
それと意識しない幼年期の家庭的社会的環境に依存しているからである」 19 。2つ目は、
この「実績」の既得権化である。今田高俊によれば、SSM(社会階層と移動)調査のデー
タは、1955-65 年にかけて、地位3変数間のすべての相関関数の低下を示しており、この
間においては、学歴、職業威信、所得のすべての組み合わせにおいて、地位の非一貫化が
進んでいる。ところが、高度成長が終焉した 1975 年にはこの動向に変化の兆しが見られ、
85 年にはすべての組み合わせにおいて相関が高まることになる。「要するに、高度成長期
の 60 年代に地位の非一貫化が顕著に進んだが、その後はこの効果も薄れ、80 年代のなか
ばには、かなり一貫化が進むきざしがあらわれている」 20 のである。この一貫化はその後
も進行し、佐藤は、95 年の SSM 調査のデータをも視野に入れて、
「団塊の世代」以降では、
「ホワイトカラー雇用上層の階級化」 21 が生じていると指摘している。最後に3つ目とし
て、エリートの自己否定が重要な「お約束」となっている事態が挙げられる。このお約束
は、エリートがエリートであることを自己否定することで、
「敗者」の意欲をそがないとい
うだけでなく、エリートにとっても極めて有利に効果を持つ。というのも、この自己否定
によって、
「エリートである責任から逃れられるからだ。偽のエリートなのだから社会を良
くする責任なぞ負わなくてもよい。
「自分がわるいわけじゃない、あの時はみんながこれが
いいといったじゃないか」と自己弁護できる。もう少し敏感な人ならば、生まれによる有
利不利への負い目からも逃避できる 22 」からである。
こうして、次のような社会の閉塞状況が生み出されることになる。「「団塊の世代」以降
でも、この状態がつづくかぎり、
「昭和ヒトケタ」が社会を担っていた時代では想像すらで
きなかった、とんでもない事件や事故がこれから起こりつづけるだろう。責任感を持てな
いエリートと将来に希望を持てない現場の組み合わせでは、そうならない方がおかしい。
「会社が面白くない」といって離職する世代がふえるのも無理はない。何よりも彼ら彼女
ら自身がこの空虚につりつかれているはずだから」 23 。先に見た教室空間の崩壊現象は、
実はこのような社会の閉塞状況の反映に他ならなかったのである。では、現在進行中の教
育改革は、社会や教室空間におけるこのような分裂状況を克服する上で、有効な改革であ
ろうか。いまやそのことが問われなくてはならない。
19
20
21
22
23
黒崎、100-101 頁。
今田高俊 1989、182-183 頁。
佐藤、127 頁。
同上、119 頁。
同上、128 頁。
Ⅲ
「教育改革」のもたらしたもの
1 階層による子どもの意欲格差の拡大
しばしば、子どもたちは勉強に追われて「ゆとり」がないという指摘がなされる。しか
し、東京都が、1983-1998 年に3年ごとに行っている調査結果(中学2年生の一日あたり
の家での勉強時間の平均、全く勉強しない生徒の割合、テレビを見る時間の割合)によれ
ば、92 年以降の 6 年間の急激な変化が生じている。家庭での勉強時間は、66.7 分から 42.5
分へと 20 分以上減少し、全く勉強しない生徒の比率は、27%から 43%へと上昇し、また、
テレビ視聴時間は 80 年代を通じて減少傾向にあったが、90 年代には急速に増加している 24 。
この調査結果は、学校週5日制が、推進論の希望的観測とは裏腹に、子どもたちの自発的
な学習意欲の喚起につながるとは言いがたいことを示している。そして、特に重要なのは、
「社会階層によって勉強時間の減り方が違う」25 ことである。苅谷剛彦は、79 年と 97 年に
2つの県の高校で行ったアンケート結果から次の2点を読みっている。1つは、全体的に
一日平均の勉強時間が減っているが、上位グループの減少に比して、下位グループや中位
グループの減少が大きいということである。2つ目は、勉強に関する意識の変容であるが、
「落第しない程度の成績でよい」、
「 今の成績に満足している」のいずれの項目においても、
全体的に増えているが、より増加の傾向が強いのは下位グループである。これに対し、
「授
業がきっかけとなってもっと詳しいことを知りたくなる」という「自ら学ぶ」という「新
しい学力観」や「生きる力」を看板に掲げる教育改革がめざす主体的な学習意欲を示す項
目でも、全般的に意欲が低下しているが、とりわけ、社会階層の下位グループで減少がよ
り顕著という結果が出ている。露骨な業績主義的な競争を否定する価値観が、教育界全体
へと広まる中で、社会階層・上位グループの子どもは、インセンティブが見えにくくなっ
ても、それを見抜き、公立校離れや塾通いなどで意欲を維持している。これに対し、社会
階層・下位グループの場合、
「学校成功物語・否定」によって、自信を強め、自己の有能感
を高める傾向が現れている 26 。つまり、推進論の希望的観測に反して、ゆとり教育、学校
週5日制などの教育改革は、家計の教育費負担の増大、教育的配慮の階層差の拡大、学力
や教育機会の階層差の拡大を促進する傾向があり、このような制度改革のもたらすマイナ
ス面は、「社会的弱者に集中的にあらわれ」、結果として、「学校週5日制は、強者の論理、
弱者切り捨ての論理に立つ」 27 ことが顕在化しつつある。
子ども中心主義の教育においては、このように子どもたちの家庭的な背景が極めて重要
な意味をもつ。子ども中心の学びは、
「内発的な動機づけ」を重視するが、家庭環境のあり
方によっては、学習への意欲が奪われ、
「学ぼうとしない」主体性が形成されていることを
看過してはならない。苅谷は、
「日本の教育における階層的視点の欠如」28 を指摘している。
24
25
26
27
28
苅谷、90 頁。
同上、94頁。
同上、98 頁、100-102 頁参照。
藤田、143 頁。
苅谷、118 頁。
これは、今田や佐藤が指摘していたように、昭和ヒトケタ世代までは、階層格差が縮小傾
向にあったことの反映とも言える。しかし、80年代以降、階層格差が拡大傾向にあると
すれば、苅谷が指摘するように、教育改革を進める際に階層的視点を欠落させることは、
重大な帰結をもたらしかねないことになる。なぜなら、教育改革によって社会階層による
インセンティブの差異拡大がもたらされているにもかかわらず、それに由来する教育にお
ける不平等、さらには、社会における不平等の拡大という帰結をも、学校成功物語を〈降
りる〉ことで自己肯定する低い階層の子どもは、
「自己責任」として引き受けることを強要
されることになりかねないからである 29 。
2 下位グループの自己有能感の可能性
学校を通じた成功物語から降りることによってもたらされる「自己有能感」を空虚なも
のとしてのみ捉えることもまた一面的な即断と言わなくてはならない。この事態は、確か
に、所得、職業威信、教育の3変数が相関性をさらに高め、階層の構造化を進行させる危
険性を持つ。しかし、他面では、
「もはやこれらの地位指標で階層を扱える時代ではなくな
りつつある」30 ことの反映とも解しうるのである。総じて、
「学歴が脱物質指向を高める効
果を持たないことは、日本では、学歴があくまで達成的地位指向の向上手段として位置づ
けられていることを反映したものと解釈できる。この意味で、日本の現在の教育は、文化
や教養を高め、人々の関心を「所有」から「存在」へと移行させる触媒作用となっていな
い」 31 ことが、多くの若者を学校を通じた成功物語から降りさせているとも言えるはずで
ある。そもそも、個人の「能動性」が、
「所有」つまり、労働市場における競争能力の維持・
強化ということにのみ振り向けられるならば、
「 市場の外にたたずんでケアされるだけの人
の声や、未だ市場取り引きに参加できない人、ひいては未だ生まれていない人の声」32 が、
こちらの応答を求める言葉として聞き分けられるはずもなく、これらの「弱者」は不可避
的に「棄民」化され、欲望の人—間的な制御への道は閉ざされてしまう。能動性が、
「アク
ティヴでなければ十全な生の保障は得られないという、強いられたより深い受動性の上に
発揮されるもの」に過ぎないならば、
「この受動的な能動性に執着するかぎり、社会保障は
秩序防衛のためにやむをえず支払われる最低限のコスト」というレベルでしか認識されな
い。そのとき、
「私たちの現在の生が、幾重もの自然的・社会的な偶然性の上に築かれてい
るという事実が忘却され」、もはや「社会的連帯という理念」を語る基盤は存在しなくなる
のである 33 。
「弱者」のひそやかな呟きに耳を澄まし、社会的連帯の理念を語りうる基盤の回復とい
う観点に立つとき、所得、職業威信、教育という地位指標にとらわれない、先の社会階層・
29
30
31
32
33
同上、102-103 頁参照。
今田 1989、184 頁。
今田 2000、44 頁。
大庭、76 頁。
齋藤、87 頁。
下位グループの自己有能感は新たな相貌を持ちうるのではなかろうか。佐藤は、日本社会
の閉塞状況の打破には、「ブルーカラー系雇用職が自分の未来に希望がもてることが不可
欠」 34 だとする立場から次のように主張する。
「B系専門職は、B雇上だけでなく、W雇上やB雇下の「目標」にもなりうる存在な
のである。もちろんそこに成功する保証はない。はっきりいえば、目標を実現できな
い方が多いだろう。だが、本当に重要なのは将来の地位の保証でなく、自分が何のた
めに現在こうしているのか、納得できることだ。成功が保証されていないとだめだと
いうのは、それ自体、とりあえず管理職にまではなれた、従来の学歴—昇進型知識エ
リートの発想である。カリスマ美容師をめざす 20 代の若者を大企業の中高年管理職が
やっかみ半分さげすみ半分で批判するという、20 世紀末の図式は、飽和した選抜シス
テムの病理以外の何ものでもない。」 35
学校以外の選抜ルートが消滅することによってもたらされた負の効果を学校内部で、つ
まり教育改革で解決しようというのは、土台無理な試みであろう。学歴—昇進だけが唯一
の回路となった選抜システムの飽和をいかに打破するかが問われているからである。だと
すれば、人々の関心を「所有」から「存在」へと移行させる触媒作用となりえない「学校
社会」から降りる生徒たちをただ否定的にのみ捉えるのは、無責任な傍観者的見解であり、
より開かれた意味空間を切り開くことこそが今必要なことであろう。
Ⅳ
今、哲学・倫理学は、〈教育〉に対し何が出来るのか?
─「教育改革」との批判的対峙=新たな社会編成原理の探究─
1 有意味性の多様な地平
C.テイラーによれば、デカルト的不安のもたらす現代人の無力感・不安感は、
「ソフトな
独裁主義」を招来することになる。
「参加が衰退し、その乗り物であった様々な横の結びつ
き the lateral associations がしぼんでしまうと、個々の市民は、独りぽっちで巨大な官僚機
構に直面することになり、当然のことながら、無力さを感じてしまう。この事態が、市民
からさらに活力を奪ってしまい、ソフトな独裁主義という悪循環が始まることになる」36 。
しかし、現代文化に対する悲観的見解は、テイラーの立場ではない。彼は、悲観主義から
も楽観主義からも距離を取って、近代文化のもたらした偉大さ、及び、その浅薄さや危険
性を正確に洞察しようとする。そこで、彼は、自己実現の欲求を単に一種のエゴイズム、
一種の道徳的放縦、あるいは自己耽溺として捉えることを批判し、その背後に潜む道徳的
34
35
36
佐藤、147 頁。
佐藤、148-149 頁。
Charles, p.10.
力に着目する。例えば、自分のキャリアを追求するために、愛情関係や子どもの世話を犠
牲にするといったことは、おそらくはいつの時代にも存在するのであり、今日に特有な現
象ではない。このような現象を理解する上で重要なことは、
「今日多くの人々がそうするよ
うに要求されていると感じている、つまり、彼らはそうすべきだと感じ、彼らの人生はも
しそうしなければ浪費される、ないしは、充足されないと感じている」という事実である。
それゆえ、「真正さ authenticity」を追求する文化を、「ナルシズム」「自己耽溺的なエゴイ
ズム」と同一視するのではなく、真正さという理想に内在する道徳的力を明らかにしてい
くことが肝要となる。そこで、テイラーは、社会倫理を欠落させ自閉していくナルシズム
と、自己のアイデンティティの確立には、他者からの「承認 recognition」が必要であるこ
とを自覚する個人主義とを区別する。テイラーの言う「真正さ」という言葉には二つの契
機が含まれている。一つは、発見、創造、建設といった契機であり、これは、社会の既成
のルールや道徳性に対して批判的関係にある。これに対し、いま一つは、
「有意味性の様々
な地平 horizons of significance」に対して自己を開き、対話を通して自己を理解していくと
いう契機である。この両契機は対等なものであり、いずれか一方に優先権を与えてはなら
ないとされる。この両契機の内、第二の契機を無視して前者だけを追求するのがナルシズ
ムということになるが、テイラーはナルシズムの自己矛盾を次のように述べている。
近代化の進展に伴って、意味の多様な地平が次第に水平化されていくと、自己決定の自
由という理想が、より強力な魅力を発揮するようになり、自己の選択・決断によって自ら
の存在の有意味性を確保することが可能であるかのように思われてくる。しかし、このよ
うな人間中心的、自己中心的理解は大きな矛盾を抱え込んでいる。というのも、社会的な
階層秩序が崩壊し、近代的な民主的社会が成立すれば自己決定の自由が増大するだろうと
いう期待に反して、民主的社会の成立によって、アイデンティティの確立は、むしろ、他
者からの「承認」に決定的に依存するようになるからである。前近代社会においては、
「名
誉 honor」は一部の人間の特権であり、身分に伴うものであるために、ひとはその獲得に
躍起になる必要はない。これに対し、万人が「尊厳 dignity」を持つようになると、単に尊
厳を持つというだけでは、自己のアイデンティティを確保したことにはならず、様々な交
換活動を通じて他者からの承認を獲得できるか否かということが、アイデンティティの確
立にとって死活問題になってくる。自己を超えたところに由来する要求を遮断し自己を幽
閉 self-immuring してしまう行為は、他者から承認される可能性を閉ざして、自己の存在を
空洞化させ透明化させてしまう。それ故、真の個人主義は、有意味性の様々な地平に対し
て自己を開いていくことを、その真正さの要件とするのである。
このテイラーの所論を援用して、先の学校空間・教室空間を支配する二者択一を捉え直
すならば、現在の学校空間では、「あれかこれかA」が、「あれかこれかB」に対して圧倒
的な優先権を持っていることが、問題現象として浮かび上がってくる。というのも、
「あれ
かこれかA」の勝者の一部のみが、
「あれかこれかB」の選択に際し、自己幽閉への誘惑に
抗して、真正さを伴った個人主義への可能性を保持しうることになり、Aー2とB−1との
通路が閉ざされることになりかねないからである。このような閉塞状況を打破するには、
子どもたちが有意味性の様々な地平に自己を開くことによって、
「あれかこれかA」での勝
敗とは独立に、
「あれかこれかB」での選択を行う自由を獲得する必要がある。
〈教育〉が、
このような自由の獲得を支援する営みとして再生するとき、それはまた、人々の関心を「所
有」から「存在」へと移行させる触媒作用ともなりうるはずである。では、教育のこのよ
うな再生を可能にする要件とは何か。
2 新たな社会編成原理の3つの要件
2−1
社会的、自然的偶然の調整(ロールズ)
今日、学歴差というよりも学校差が、教育と階層の関連では重要となり、一見、能力(学
力)主義の傾向が強まっているかに見える。しかし、実際には、決して対等で公平な競争
がなされているわけではなく、
「 教育にしろ、職業にしろ、現実の地位達成は家庭の社会的、
経済的な条件に依存していることが透けて見えて」37 くるのである。だとすれば、
「所得や
富の不平等を生み出している諸要因は社会的、自然的偶然であって、道徳的正当性をもた
ない」 38 とするロールズの主張は、やはり重要な意味を持つ。というのも、この主張によ
って、社会的、自然的偶然を機会均等原理や格差原理によって処理することが正当化可能
となるからである。「累進的な所得税や相続税は、本当の実績主義という立場からみても、
不公平なものではない。本当に本人の力によると思われるもの、例えば創業者利益などは、
特別の税制をもうけて手厚く保護すればよい。そして本人の力によらない不利や不幸が発
見されたならば、税金で社会保障をする」 39 ことが必要なのである。
2−2
能力主義の修正─「平等=包含、不平等=排除」という第3の道─
アメリカやイギリスにおいて実験的に行われた子ども中心主義の教育が成功したのは、
富裕層の白人たちが通う小規模な私立の学校や大学の附属学校の事例であり、労働者階級
の子どもが多い学校では、必ずしもうまくいっていない 40 。また、サッチャー時代のイギ
リスのように、教育や医療の民営化を矢継ぎ早におしすすめた結果、公的な教育と医療の
「質」が著しく低下し、教育の建て直しを目指すブレア首相は、
「政府の3つの優先課題を
挙げれば、それは教育、教育、教育である」と述べている。一方では、裕福な家庭の子ど
もが私立学校で良質な教育をうけ、他方、貧しい家庭の子どもは、公立学校で劣悪な教育
をうけることを強いられる。その結果、
「貧しい家庭の子供は、事実上、良質な初等中学教
育から「排除」されることになり、たとえすべての市民に職業選択の自由と機会が保障さ
れようとも、良質な教育から「排除」されたものは、せっかくの機会を無駄にせざるをえ
37
38
39
40
近藤、241 頁。
塩野谷、442 頁。
佐藤、177-178 頁。
苅谷、116-117 頁。
なくなる。これを機会不平等というか否かはべつにして、公教育の質的劣化が、
「排除」と
しての不平等を助長することには、なんのまぎれもあるまい」 41 。能力主義、市場主義を
このように「排除=不平等」という視点から見直し、能力主義、市場主義を単に否定する
のではなく、「平等=包含」という第3の道を探ることが必要となる。
2−3
ポストモダン─所有から存在へ─
今田は、発展・成長・豊かさを追求するモダン文明が、社会の機能《合理》化を強力に
押し進めざるをえなかったことを認める。しかし同時に、彼は、意味が機能によって「植
民地化」されたことへの反動として、今日では、欠乏動機に支えられた行為から、価値観
の多様化や生活様式の個性化を求める差異動機に支えられた行為へと重点が移動し、
「 かつ
ての秩序基盤が自壊し始めつつある」と指摘する 42 。このようにモダン社会が大きく場面
変容を遂げつつあるなかで、
「欲望の相互的、人—間的な制御」可能性を切り開くには何が
必要となるか。所有と存在とを対置し、多様な存在へと生成変化することによってケアと
支援との相即可能性を切り開こうとする今田の次の一連の主張は注目に値する。
「支援とは、他者への働きかけとケアが前提になっていることである。そして支援さ
れる人の、意図の理解、行為の質の維持・改善、エンパワーメントがポイントである。
さらに、忘れてならないことは、他者を支援することによって、みずからもエンパワ
ーされ自己実現するというように、相互的になっていることである。支援することで
支援者自身が人格的な強さを獲得する。ボランティア活動は私的利益を得ることを主
たる目的としないから所有関心に導かれた行為ではない。しかし、みずからもエンパ
ワーされ自己実現するという点では、存在水準においてみずからを利する行為である。
支援は「誰かのためにしてあげる」のではなく、自分の人格的強さの獲得や自己実現
のために不可欠なのである。他者を自分の目的達成の手段とみなすのではなく、相手
をエンパワーすることでみずからもエンパワーされるというのが支援の基本である。」
43
このような、相互的なエンパワーを通した自己実現という相互関係は、共時的次元にお
いてのみ形成されるのではなく、通事的な次元でも形成される必要がある。というのも、
次の世代を確立させ導いていこうとする「世代生成」の課題達成に失敗すると、人生の停
滞感や無力感が生じるからである。今田によれば、エリクソンのライフサイクル論は、ミ
ードの自我形成モデルと一致するものであり、歴史的かつ社会的な広がりをもっている。
41
42
43
佐和、164-165 頁。
今田 1989、206-207 頁参照。
今田 2001、288 頁。
「ミードは創造的で自発的な自己の側面を「主我」
(I)と呼び、他方、内面化された他
者の態度からなる自己の一部を「客我」
(Me)と呼んだ。主我は自由であり、新奇性と
独自性を持つ主体的な自己である。これに対し、客我は社会からの要求に応える慣習
的で便宜的な自己であり、社会規範や価値をあらわす「一般化された他者」が自己に
取り込まれて形成されたものである。そして、主我と客我の相互作用によって両者の
あいだに均衡が成立した状態が自我(self)である。エリクソンがいう「大人の子ども
への関係」は、過去から生き続ける自分自身の子ども期、現在の自分の子ども、未来
を担う子ども、と歴史的であるとともに、かつての自分自身・自分の子ども・周囲の
子ども、と自己から社会への広がりを持つ。こうしたかたちで子どもとの関係を考え
ることは、子どもへの生成変化を歴史・社会的な場面で遂げることだといえるだろう。
この関係を基礎にして、大人が世代生成の葛藤を体験し、ケアの力を獲得することが、
子ども期を真剣に取りあげることであり、ダイナミックで活力にあふれた社会形成の
条件となる。」 44
学歴—昇進だけが唯一の回路となった選抜システムが飽和状態に達した近代社会は、ま
さに「世代生成の危機」を迎えていると言えよう。成人世代が、多様な意味地平へと生成
変化する能力を失い、自分たちの創造した文化や知恵に対するこだわりや押しつけの感情
に支配されている限り、若年世代は彼らの遺産を継承しようとはしない。その結果、成人
世代は、怒り嘆き、さらには、諦めと投げやりな態度を示すようになり、世代生成の危機
は増幅されていく。世代生成の危機の責任を若年世代に転嫁するのではなく、
「親世代が自
分たちの築き上げたことがらへのこだわりを捨てて、世代生成の何たるかを真剣に考えて
みる」 45 こと、つまり、多様な意味地平へと生成変化する能力を回復することが今求めら
れている。
3 大学における哲学・倫理学教育の課題
上野によれば、
「大学での試験は単に知識の量を問うものばかりではない。授業で与えた
知識をもとにしてどのように考えるかを問うのである。このことが全く理解できない大学
生が年ごとに増加している」 46 。しかし、佐藤が指摘するように、
「大学教員や霞ヶ関のキ
ャリア官僚は、学歴社会の選抜システムを勝ち残ってきた人間である。その人たちが学歴
社会や偏差値偏重教育を批判する。彼らの選抜のされ方を見ればそれは痛烈な自己批判で、
本来ならば、自分たちが批判する正当性すらあやしくなる」 47 ことも確かである。現行の
教育改革や偏差値偏重教育への批判が、無責任な傍観者的批判に終始しないためには、
「欲
44
45
46
47
同上、312-313 頁。
同上、308 頁。
大野、上野、58 頁。
佐藤、115 頁。
望の人間的・呼応的な制御」可能性や、
「情報倫理/情報モラルの基底」としての「自己へ
の配慮のモラル」の現実性を切り開く講義空間をどう創り出していくのか、そのことが厳
しく問われてくることになる。
しかし、大学における哲学や倫理学の講義は、そのような場となりえているのだろうか。
最後に、そのような講義空間を創造するための要件を素描して小論を終えたい。成人の総
合的学習理論としての Andragogy[andros(成人)+agogas(指導する)
:paid(子ども)+agogas
→pedagogy )の代表的理論家である、ノウルズは、学習成立の基本的前提として「学習契約
Learning Contracts」の重要性を力説する。この学習契約論は、学習の成立には、「知への
欲求」、
「 自己指示的でありたいという欲求」、
「 学習者のユニークな経験を考慮する必要性」、
「学習を学習者の学習へのレディネスと連動させる必要性」、「学習を生活上の仕事や問題
と関連づけて組織化する必要性」、「内在的な動機へと踏み込む必要性」という6点の条件
を満たすことが必要だとする理論的前提に立脚している 48 。この「学習契約」論について、
フライエは、教室を民主化して市民意識を形成する上で有効な手法だとして高く評価して
いる。先に見た中学校の事例でも明らかなように、行動的な市民意識や民主主義というこ
とをどんなに説得的に論証したとしても、「今日の懐疑的な学生」は、それが、「受動的か
つ権威主義的仕方」で教えられると、その価値を信じようとしない。この隘路を脱け出す
には、「個別的学習契約 The Individual Learning Contract」論が示すように、全ての学生を
同様に扱うべきだという想定から自由になって、
「全ての学生はユニークであり、彼らは異
なった才能、技術、関心、能力を持って教室に入ってくる」という現実に即応した教育活
動を創出していく勇気と工夫を教師は求められているのである 49 。また、アメリカの政治
哲学者ヌスバウムは、「人間性を啓発」して十全な市民意識を育てるためには、「ソクラテ
ス的な自己吟味」、「世界市民」としての規範、「発話の想像力(the Narrative Imagination)」
という3つの要件を充足することが不可欠だと指摘している。この三者の統合によって、
自分の帰属する集団のあり方を吟味しつつその境界線を超えて想像力をはばたかせていく
市民が形成されるというのである 50 。個々人の問題意識から出発し学習後の充足感をも尊
重するという個別的学習契約の発想によって、学習者の学習意欲や論理的思考力、さらに
はヌスバウムの言う十全な市民意識の3要件を啓発していくことが、大学における哲学、
倫理学の基本課題であろう。
48
49
50
Knowles, pp.41-42.
Freie, pp.154-156.
Nussbaum, pp.9-11, Chapter1-3, pp.110-111.
「ナショナル・アイデンティティ」の規定をめぐって
加藤恵介(神戸山手大学)
ここでは、
「国民」
(ネイション)をめぐる言説のいくつかを比較検討することによって、
国民を構成する要件の規定について考察したい。国民の規定は、しばしば二分法によって
分類されているが、それらの二分法に収まらない要素が、常に残存しているように思われ
る。
1
啓蒙主義とロマン主義
トドロフは『われわれと他者』において、
「国民」のモデルを「血」と「契約」に二分す
る。
「だが国民(ナシオン)とは何だろう。この問いには多くの答えが与えられてきたが、
それらは大きく二種類に分類できる。一方で人種のモデルに従ってたてられた国民の観念
がある。それは「血」の共同体、すなわち生物学的な単位であり」、「個々人の現在は集団
の過去によって規定される」。「他方では、国民への帰属は契約のモデルに従って考えられ
る」。「ある国民に属するということは、まず何よりも意志にもとづいた行為を成し遂げる
ということであり、共通の規則を採用し、したがって共通の未来をもつことを覚悟しつつ、
一緒に生きるという契約に署名することである」(トドロフ;603-4)。トドロフの性格付
けによれば「人種としての国民と契約としての国民というこのふたつの考え方はあらゆる
点で対立する。一方は肉体的なものであり、他方は精神的なものである。一方は自然のも
のであり、他方は人為的なものである。一方は過去を指向し、他方は未来を指向する。一
方は決定論であり、他方は自由である」。「この二つの間で選択を行うことは一筋縄では行
かない。誰でも直感的に、この二つのそれぞれがいくぶんかの真理と、多くの忘却を内に
含んでいることを感じることができる」。そして、この「二つの反対物を折り合わせる」
「も
っとも有名な試み」すなわちルナンの試みは失敗に終わった(604)。
しかしトドロフによれば、
「二つの「国民」の間の矛盾は、もし国民を文化として捉える
ことに私たちが同意するなら乗り越えうる。
「人種」と同様に、文化は個人に先立って存在
し、文化をある日突然(帰化申請によって国籍を変えるような仕方で)取り替えることは
できない。だが文化には契約と共通の特徴もある。それは生得のものではなく、獲得され
るものである。そしてこの獲得には時間がかかるにしても、つまるところ、獲得がなされ
るか否かは個人の意志にかかっているし、教育にも左右される。文化を学ぶとはどのよう
なことだろうか。それはまず第一に国語を操れるということであり、問題の国の歴史、風
景、何千ものみえないコードで統御されているもともとそこに住んでいるひとびとの習俗
(文化を本に書かれていることと混同してはならないことは言うまでもない)になじむこ
とである。このような学習には長い年月が必要であり、一人の人間が一生の間にしっかり
と知ることのできる文化の数は非常に限られたものである。だが文化を知るためにはそこ
に生まれたということは必要ではない。この点については血は何ら重要性をもたないし、
遺伝子も関係ない。そもそも出生によって国籍をえた人々が必ずしも自分たちの国の文化
を所有しているわけではない。生まれながらのフランス人でありながら、文化的共同体に
所属しないということもあり得るのである」(604-5)。
ここで彼は、
「文化」それ自体が二通りの規定を含むものとみなすことによって、
「国民」
の二種の規定を融和させようとしている。「文化」とは、「個人に先立って存在する」帰属
であると同時に「生得のものではなく」「意志による獲得」である。「国民」を規定すると
された二つのモデル、すなわち「過去」「決定論」による帰属と、「意志にもとづく行為」
の両義性を、そのまま「文化」が合わせ持つものとすることによって、
「文化」が、
「人種」
と「契約」の二つの「国民」概念を「折り合わせ」、「矛盾を乗り越える」べきものとされ
ているのである。たしかに、そこで「人種」
「血」という「自然」の「生物学的」
「肉体的」
要素は除外されている。しかし、これらは、真に「自然」の「生物学的」要素ではなく、
生物学的なものとして表象されたイメージであり、むしろ「文化」的要因の一部をなすの
ではないだろうか。この解決においては、二つの「国民」概念の対立が、そのまま「文化」
の内に持ち込まれることになり、
「文化」の二通りの規定の対立が問題として残されるので
ある。
さらに彼は「文化」に二面性を指摘しながら、それが「生得のものではなく」
「意志によ
る獲得」であることのみを強調し、それが個人の意識的決定に先だって個人を束縛し、
「文
化的アイデンティティ」を形成していることを軽視している。この見解は、
「文化的アイデ
ンティティ」が抗争の争点となっている現状を無視しているように見える。人間は何らか
の文化を意志的に獲得する前に、すでに意志に先立って、何らかの文化によって形成され
ているだろう。
「生まれながらのフランス人でありながら、文化的共同体に所属しない」と
したら、それは通常、少数派の文化的共同体に属することを意味するのであって、何ら文
化的共同体に属さないことを意味するわけではない。
モンテスキューの復権を唱えるトドロフは、啓蒙主義への回帰を唱える点で、いわゆる
「ヌーヴォー・フィロゾーフ」たちときわめて近い立場におり、
「文化」の概念においても
共通している。彼が友人として名前を挙げているリュック・フェリーによれば、啓蒙主義
とロマン主義は「文化と歴史は人間の本性であるという意見を共有する」が、文化と歴史
に関する考え方において対立する。ロマン主義者にとって、文化や歴史は、外から人間を
決定するものであり、いわば第二の自然であるのに対して、啓蒙主義者にとって、歴史は
「伝統」ではなく「創造」「完全化の可能性」であり、外から課されるものではなく、「人
間によって建設されるもの」である。
「人間が自由の歴史である歴史に委ねられるのは、人
間が本来「無」であるからであり、動物と異なって、人間は自然によって決定された何物
でもないからである」
(注1)。
「文化的アイデンティティ」の主張が、歴史的にドイツ・ロ
マン主義の遺産であるとしても、文化の持つ普遍的局面よりも「文化的アイデンティティ」
が、ナショナリズムの主要な争点になっている以上、この「啓蒙主義的」「文化」概念は、
あまり有効には見えない。
フィンケルクロートは、啓蒙主義的な文化概念とロマン主義的な文化概念の関係を、次
のように跡づける。
「このように文化一般が自国の文化へと変容してしまうこと、それがバ
ンダにとっては近代の目印であり、人類の精神史に対して近代だけが果たしえた宿命的な
貢献なのである。文化一般とは、人間の精神的・創造的活動の繰り広げられる領域のこと
だ。そして、自国の文化とは、自分が所属している民族の精神、自分のもっとも高次の思
考から日常生活でのもっとも単純な所作にいたるまで浸透する民族の精神のことである。
文化のこの第二の意味は、バンダ自身が指摘しているように、ドイツ・ロマン主義の遺産
である。民族精神すなわち国民の精髄という概念は、一七七四年、
『もうひとつの歴史哲学』
というヘルダーの著作にはじめて登場した」
(Finkielkraut;16/12)。啓蒙主義は、個人を、
伝統、民族といった既存の共同体による決定から引き離し、理性と自由意志を持った「人
間」として表象した。この「人間」という概念は、全人類を包摂する普遍性をもつことに
なる。これに対して、ヘルダーに代表されるドイツ・ロマン派は、抽象的な「人間」の存
在を否定した。個人の意識的決定に先立って共同体があり、個人は自分では決定できない
文化や伝統によってすでに規定されている。普遍性を主張する「理性」も、すでにそれを
形成したそれぞれの伝統と文化によって規定されているのであり、これらを越えた普遍性
を主張することはできない。個人を根底から規定しているのは「民族精神」である。つま
り、ドイツ・ロマン主義は、フランス啓蒙の普遍主義を、特定の文化に基づく自文化中心
主義として、文化相対主義的に批判したのであり、これが、レヴィ=ストロースによるヨ
ーロッパ中心主義批判に代表される、近代普遍主義への批判に受け継がれた、とする。
「文
化的アイデンティティ」の主張は、それぞれの文化的規定を離れた「人間」を否定するこ
とによって「個人をその帰属性に軟禁」し(109/105)、「人間」の普遍性を解体する。
彼もまた、「国民」の概念を二分法によって分類し、「国民」の二つの規定を、ドイツ・
ロマン主義と、フランス啓蒙主義の対立として位置づけている。それは、
「精髄としての国
民と契約としての国民をめぐる係争」
(44/40)である。フランス革命において、
「この国民
という新しい集合的主体の特徴となっていたのは、集合的魂の独自性ではなく、構成員す
べてにゆきわたる平等性だった」(22/19)。「すべての経験的な規定性がお払い箱になった
のだ。エスニもその例外ではなかった」(23/20)。「国民[nation]という語の起源の逆を
いって・・・
「革命的国民」は個人をねこぎにし、生まれよりも人間性によって個人を規定
した」
(23/20)。それは「彼らを既決の一切の帰属性から解放」
(23/21)する「自由意志に
よる結合」(25/22)である。
革命派が「社会の起源にある原初の契約行為を反復しているつもりでいた」(25/22)の
に対して、ジョセフ・ド・メーストルは、
「何らかの人の集会から国民が形成されるなどと
いうことはありえない」
(25/22)と記す。彼ら保守派は、
「国民はそのメンバーの意志にも
とづいて構成されるのではなく、メンバーの意志の方が、国民という全体性への帰属によ
って統御されている」(29/26)と考える。メーストルが「それぞれの国民はそれを一国民
たらしめる一般的魂と真の道徳的一体性とをもっている。この一体性はとりわけ国語によ
って告知されている」(30/26)と記すように、フィンケルクロートによれば、ここで彼ら
は、ドイツ・ロマン派的な、ヘルダー流の「民族精神」に合流する。
しかし、普仏戦争におけるアルザス・ロレーヌの占領によって、
「民族精神」への依拠が
問い直される。
「人間をその既定条件から切り離すことを拒否し、人間の存在の真実とその
行動の鍵を、国語、人種、歴史的伝統といった無意識裡に人を統御する諸力のうちに求め
るドイツの歴史家たちは、アルザス人がドイツ語を話し、ドイツ文化圏に属していること
を確認する。そこから彼らは占領の合法性を演繹するのだ」
(44/41)。これに対し、もとも
と保守派であったルナンやフュステル・ド・クランジュは、考えを改め、意志による結合
という見解を採用する。ルナンは『国民とは何か』において、
「国民とは人々が過去におい
てなし、今後もなおなす用意のある犠牲の感情によって構成された大いなる連帯心」であ
り、過去を前提とするが、
「共同の生活を継続しようとする、明確に表明された意欲と合意
という明確な事実」によって、現在の内に集約されている、とする。
「個人の存在が生命の
たえざる肯定であるのと同じく、国民の実質とは、日々の人民投票なのです」
(Renan;54-5/62)。
たしかにルナンは、国民を規定するものとして、王朝、種族、言語、宗教、利害、地理
といった要因を否定する。しかし、ルナンにおいては共有された過去が本質的な役割を果
たしている。
「国民とは魂であり、精神的原理です。実は一体である二つのものが、この魂
を、この精神的原理を構成しています。一方は過去にあり、他方は現在にあります。一方
は豊かな記憶の遺産の共有であり、他方は現在の同意、ともに生活しようという願望、共
有物として受け取った遺産を運用し続ける意志です」(54/61)。
フィンケルクロートは、これについてこう要約する。
「ルナンは、革命派が希薄にしてし
まった歴史的厚みを社会的絆に取り戻させながらも、最終的には革命派に利ありとする。
つまり、個々人の行動を共同体の法に服させるのは、血と土ないし風俗と歴史の有機的共
同性すなわち民族精神ではなく、それぞれの国民を形成する個々人の意志的な協力なのだ、
と」
(49/45)。しかし、ルナンの規定は単純に意志的な結合を説くものではない。ジョエル・
ロマンは『国民とは何か』への序論において、
「彼が提示する国民と個人との比較に従うな
ら、国民はその一体性を準・生命的な原理の永続性に負わなければならない」。彼の国民の
定義は「議決ではなく形成済みのハビトゥスに属する伝統、反省されることなく継承され
てきた伝統に訴える要素を隠し持っている」
(Renan;24-5/30)と指摘する。先に見たトド
ロフによれば、
「しかし彼とても、個人的決定だけでは、言葉の十全な意味でのフランス人
にある日突然なるには十分ではないこと、ましてフランス国民を創設するには十分でない
ことを知っているのである。そこで彼は最初の基準にもうひとつ別の基準、すなわち、逆
説的だが国民の成員に共通の過去─まさにルナンがそれまでは有効でないものとして提
示しようとしていたあの過去─が存在するという規準を付け加えるのである」(トドロ
フ;353)。「しかしこのふたつの基準が同時に存在していることから当然問題が生じてく
る。もし人間というものが自然に発生するものではなく、人間は過去に規定され、そして
人間を通して意見表明をおこなうのはその祖先であるとするなら、それでもなお人間が国
民へと加入することを自由な加入、意志の行使といえるだろうか」
(354)。また鵜飼哲は、
「現在における「自由な同意(「日々の人民投票」)」は」「本当に過去の制約をいっさい受
けていない」ものではなく、
「国民は二にして一であるような存在として、同時に過去と未
来を志向している」
(注2)と指摘している。ルナンが国民を、過去から連続する「魂」と
して表象するとき、この「日々の人民投票」の内にも、個々人の意志と、それに先立つ帰
属とが混在しているのであり、そこには先に見た文化の場合と同じ両義性が伴っている(注
3)。
このことは、単にルナンの見解のみに属する両義性なのだろうか。自然状態は実
在せず、個人間の意志による契約というモデルは、もちろん事後的なフィクションあるい
は統制的理念であり、事実としては契約によって成立したのではない社会を、事後的に契
約によって成立したものとみなすことである。それは常に、事実においては、所与として
成立している結合を「選び直す」ことに帰着する。一般に契約が成り立つための必要条件
としては、参加の意志および、コミュニケーションの成立可能性が想定されるだろう。コ
ミュニケーションの成立を可能にする要件は、契約に先立って共有されていなければなら
ないのではないだろうか。では、結合を事後的に社会契約によるものとみなすためにも、
すでにそれに先立つ前提条件が必要なのではないだろうか。ここで、何らかの共有された
過去による規定が、そして何らかの「文化」的要因が混入せざるをえないのではないだろ
うか。
2
近代主義とその批判
ゲルナーによれば、
「ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と国民的な単位
とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である」(ゲルナー;1)。そし
て、ゲルナーもまた、
「国民」という語の定義を、
「文化」と「意志」に二分する。
(ここで
は「文化」は、意志に先立つ帰属性として規定されている。)
「1
二人の男は、もし、彼らが同じ文化を共有する場合に、そしてその場合にのみ、同
じ国民に属する。その場合の文化が意味するのは、考え方・記号・連想・行動とコミュニ
ケーションとの様式から成る一つのシステムである。
2
二人の男は、もし、彼らがお互いを同じ国民に属していると認知する場合に、そして
その場合にのみ、同じ国民に属する。換言するならば、国民は人間が作るのであって、国
民とは人間の信念と忠誠心と連帯感とによって作り出された人工物なのである」(12)。
しかしこれは双方とも、「重要で適切」であるとともに「十分ではない」(90)。「たとえ
(国家の理想主義的定義を言い換えて)意志が国民の基礎であると言ったとしても、それ
は同時に他の多くのものの基礎でもあるため、このようなやり方では結局、国民を定義す
ることはとてもできないのである。この定義が魅力的に見えるのは、近代のナショナリズ
ムの時代では、国民単位が、アイデンティティと自発的な忠誠心とにとってお好みの、か
つお気に入りの対象だからにすぎない」
(92)。これは、ナショナリズムの時代の特殊な条
件によるものである。他方で「共有文化による国民のどのような定義も、同様に、あまり
にも多くのものを捕獲してしまうもう一つの網である」
(92)。文化的差異、文化的境界は
さまざまであり、
「この豊かな文化的差異は、通常もしくは一般には、政治単位の境界(有
効な支配の管轄区)とも、また同意と意志という民主主義的な聖化の祝福を受けた単位の
境界とも一致していないし、そもそも一致できない」(92)。「広く普及した高文化」(93)
すなわちナショナリズムの時代の条件によってのみ、文化の境界が政治的単位と一致する。
つまり、「国民を生み出すのはナショナリズムであって、他の仕方を通じてではない。
確かに、ナショナリズムは以前から存在し歴史的に継承されてきた文化あるいは文化財の
果実を利用するが、しかしナショナリズムはそれらをきわめて選択的に利用し、しかも多
くの場合それらを根本的に変造してしまう」(95)。
そして、
「人間集団を大きな、集権的に教育され、文化的に同質な単位に組織化するナショ
ナリズム」
(59)は、近代の産業社会の形成に伴って構成される。
「ナショナリズムの時代」
の「こうした条件の下で、もっともこうした条件の下でのみであるが、国民は意志と文化
との双方によって確かに定義されうるし、またこれら双方と政治的単位との一致によって
確かに定義されうるのである」(94)。
すなわち、産業社会の社会的条件の下で生じるナショナリズムによって、文化と意志の結
びつきによって規定される「国民」が生じる、ということになる。すると、近代産業社会
の条件こそが本質的なものであり、これとの関係を無視して「文化」あるいは「意志」に
よる結合を取り出して論じることはあまり意味を持たないことになる。
しかし、これに対してアントニー・スミスは批判を提出している。
「あらゆる近代主義者
が認めようとしている以上に、前近代的なエスニーやエスノセントリズムと、近代的なネ
イションやナショナリズムとのあいだに、かなりの連続性があることがわかる」
(スミス;
102)。
彼もまた、マイネッケによる二分法、すなわち「基本的には受動的な文化的共同体とし
ての「文化的ネイション(Kulturnation)」と、能動的で自己決定を行う政治的ネイショ
ンとしての「国家的ネイション(Staatsnation)」」
(30)の区別を援用して、
「ネイション」
を「西欧的」「市民的」なモデルと、「非西欧的」「エスニック」なモデルに二分している。
「歴史上の領域、法的・政治的共同体、構成員の法的・政治的平等、共通の市民的文化と
イデオロギー、これらがネイションの標準的な西欧モデルの構成要素である」(35)。
これに対して、
「エスニック」なモデルが、
「西欧モデルときわだって異なっているのは、
自らの生まれた共同体や土着文化を強調する点である」
(35)。西欧的な概念では、個人の
ネイションへの帰属には選択の余地があるのに対して、非西欧モデルにおいては「自らが
生まれた共同体の構成員であるという事実からは基本的に逃れることができず」、「この場
合ネイションとは、何よりもまず共通の出自からなる共同体なのである」
(35)。このモデ
ルは領域よりも出自、「もっと正確にいえば、想定された出自」(36)を強調し、西欧モデ
ルにおける「人民」が「共通の法と制度に従う政治共同体とみなされている」のに対して
「擬制的な「超家族」」であり、
「西欧的な市民的モデルに占める法の位置は、エスニック・
モデルにおいては言語や慣習などの土着的文化にとってかわられる」
(36-7)。
「系譜と想定
された出自の絆、大衆の動員、土着的な言語、慣習、そして伝統」、これらが、エスニック
なネイション概念の要素である。
(このネイション概念の分類は、彼がナショナリズムの「間違いなくもっとも影響力のあ
る類型論」と呼ぶハンス・コーンによる分類と連関している(147)。「彼は「西欧的」、合
理的かつ結合的なナショナリズム観と、「東欧的」、有機的かつ神秘的なナショナリズム観
とを区別した。それによれば、英国、フランス、アメリカでは合理的なネイション概念が
あらわれ、そこでは同一の法と政府のもとで共通の領域に居住する人間の結合と考えられ
ている」(147)。これらが中流階級の産物であったのに対して、東欧では中流階級が発達
せず、少数の知識人のナショナリズムであったため、それは「先鋭的で権威主義的」であ
り、
「彼らはネイションを土着の知識人だけが理解できる神秘的な「魂」と「使命」をもっ
た、つなぎめのない有機的統一体とみなした」
(147)。さまざまな批判にも関わらず、
「ナ
ショナリズムのイデオロギーを、より合理的なものとより有機的なものとに分けるコーン
の哲学的な区別は有用である」(148)。)
しかし「西欧型」の「市民的・領域的なネイション・モデル」と、
「東欧型」の「エスニ
ック的・系譜的なネイション・モデル」との区別(148)は「すべてのナショナリズムの
核心にある根本的な二重性を反映しており」、「実際、いずれのナショナリズムも、程度の
差こそあれ、またさまざまな形態において、市民的要素とエスニック的要素をあわせもっ
ている」(37)。たとえばフランスにおいて、「ジャコバン派のもとでは、フランス・ナシ
ョナリズムは、本質的に、市民的かつ領域的な性質のものであった」(37)。一九世紀にフ
ランスのナショナリズムは、エスニック的概念を反映するようになるが「両者がナショナ
リズムの言説を共有していた」(38)。「フランスの例でさらにいえば、共和主義者も君主
主義者も、フランスが(アルザスをふくめて)「はじめから」、歴史的な領域をもっていた
という考えを受け入れていた。同様に、公教育システムをつうじて、ナショナルな理想と
歴史を教え込む必要性については対立することはなく、あってもその内容の一部(とくに
カトリック的側面)についてだけであった。フランス語への深い愛情もまた、普遍的であ
った。同様に、フランスの唯一不可分性やフランス人それ自体を疑うものは誰一人とてな
かった」(38)。先に見たルナンも、(アルザスの特殊性のゆえか)言語を国民の要件とは
規定しなかったが、国民を、過去を共有する一つの「魂」とみなしていたのであり、この
両義性は、スミスのいうことに、よくあてはまるだろう。
それゆえ、
「対立するネイション・モデルの背後には、他のどんな集合的、文化的アイデ
ンティティと較べてみても、ネイションを構成するものについて一定の共通の信念がある」
(39)。それによると、「ネイションとは、「歴史上の領域、共通の神話と歴史的記憶、大
衆的・公的な文化、全構成員に共通の経済、共通の法的義務・権利を共有する、特定の名
前のある人間集団」と定義できる」(40)。つまり、「西欧的」モデルと「東欧的」モデル
が明確に区別されるのではなく、多少の差こそあれ常に両者は混合しており、むしろそれ
らは、この「共通の信念」の枠内での程度の差にすぎない。エスニックな要素はどちらに
も、多かれ少なかれ含まれている。そして、スミスがゲルナーに代表される「近代主義者」
を批判するのは、ナショナリズムが近代において構成されたことは認めながら、それを構
成するエスニックな要素が、前近代からの連続性をもったものであることを強調すること
においてである。「ネイションはつねにエスニック的「要素」を必要とする」(83)。「ネイ
ションの起源を近代以前のエスニック的絆に求めなければならない」理由として、彼は、
第一に「歴史的にみると、最初のころのネイションは近代以前のエスニックの核を土台と
して形成されていた」こと、第二に「ネイションのエスニック・モデルがますます一般的
なものとなり、広範に拡大した」こと、第三に「これからネイションになろうとする集団
が、重要性のあるエスニックの祖先をいっさい持たない場合でさえ、またエスニックの絆
といえるようなものがぼんやりとしかみえなかったり、でっちあげられたものであっても、
なにかしら利用可能な文化的要素から歴史と文化を持つ共同体という一貫性のある神話や
象徴を作り出す必要がある」ことを挙げている(86-7)。
しかし、他方でスミスも認めるように、
「 以前からのエスニーというものが直接なくとも、
ネイションが形成される可能性がある」(84)。その場合、「あらたな政治的神話と象徴的
秩序をつくりだす」ことになる(85)。つまり、近代以前のエスニックな核からの連続性
が現実のものである必要はなく、何らかの材料はすでにあるとしても、ナショナリズムに
よって事後的に神話として構成されたものであってもよいことになる。すると、事実とし
て「近代以前のエスニックな核」がある場合でも、それが近代のナショナリズムによって、
近代以前とは異なった新たな意味を与えられること、ゲルナーによれば「根本的に変造」
されることの方が本質的な意味を持つのではないだろうか。
また、スミスにおいて「市民的モデル」と「エスニック・モデル」は「共通の信念」の
枠内での程度の差であり、「ネイションはつねにエスニック的「要素」を必要とする」。こ
のことは、単なる歴史的事実の問題であるのか、それとも、
「契約的」な結合が、原理的に
つねにそのような要素を必要とするのか、が問題である。この点については、稿を改めて
検討したい。スミスは、どちらのモデルにおいても、
「文化」を構成要素として挙げている。
「市民的モデル」に属するとされるのは「共通の市民的文化」であり、
「エスニック・モデ
ル」に属するとされるのは「土着的文化」である。ここで、再び「文化」のもつ両義性が
問題になるだろう。
スミスは、ナショナル・アイデンティティがきわめて強力である理由として、その「遍
在性」「深く浸透していること」(243)、「多様性」(244)を挙げた後、その根底にある理
由として、次のことをあげている。
「おそらくナショナル・アイデンティティの機能としてもっとも重要なのは、個人的な
忘却という問題に対して、満足いく回答を与えてくれることである。この世では「ネイシ
ョン」にアイデンティティを抱くことが、死という結末を乗り越え、個人の不死への手段
を確保するのにもっとも確実な方法なのである」
(271)。はたして、
「国のために死ぬ」こ
とが意義を失った後でも、この「世俗宗教」としての性格は、スミスの考えるほど強固な
ものなのだろうか。彼が「社会学的」な事実として報告する事柄に、
「哲学的」次元が、ど
のように連関しうるのか、このことを考察することも、今後の課題と思われる。
注
引用文献
・A.Finkielkraut,La defaite de la pensee,Gallimard(folio),1987/『思考の敗北』西谷訳、
河出書房新社。
・E.Renan,Qu'est-ce qu'une nation?,Pocket,1992/ルナン他『国民とは何か』鵜飼他訳、
インスクリプト。
・ツヴェタン・トドロフ『われわれと他者』小野・江口訳、法政大学出版局。
・アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』加藤監訳、岩波書店。
・アントニー・スミス『ナショナリズムの生命力』高柳訳、晶文社。
なお、引用訳文は、上記のものに、nation を「国民」または「ネイション」として統一
するため、適宜変更を加えた。
注1
L.Ferry,Le nouvel ordre ecologique,Grasset,1992,pp51-4.
注2
鵜飼哲『抵抗への招待』みすず書房、一九九七年、二〇六頁。
注3
私は、この点を、ナショナリズムの言説一般に遍在する「選び直し」
「本来性」の主
張として一般化しうると考えた。
(拙稿「「選び直し」あるいは「本来性」の言説」
『戦争責
任と「われわれ」-「「歴史主体」論争」をめぐって』、ナカニシヤ出版、一九九九年、二三
二-五頁。)問題は、文化的アイデンティティの共有が主張されるとき、それだけではなく、
それへの意志が要求され、逆に、意志による結合においては、必ずその前提となる所与の
帰属が前提されることにあるように思われる。帰属の主張と、意志による結合の主張は、
常に結びついており、「選択」とは、常に「選び直し」なのではないだろうか。
工学倫理に外的な視点を導入する必要性
─齊藤了文・坂下浩司編『はじめての工学倫理』(昭和堂)、
杉本泰治・高城重厚著『大学講義 技術者の倫理 入門』(丸善)
書評─1
石原孝二(北海道大学)
はじめに
昨年(2001 年)の4月に工学倫理・技術者倫理の教科書二冊が相次いで出版された。日
本ではこれまで、工学倫理・技術者倫理に関する研究もその教育も体系的には導入さてこ
なかったが、大学の教育課程の認定を行う JABEE(日本技術者教育認定機構)がその認
定基準に「技術者倫理」を明確に掲げたこと、また、科学技術基本計画(2001 年 3 月 30
日閣議決定)等で研究者・技術者倫理の重要性が強調されたことなどから、今後大学の理
工系学部における工学倫理・技術者倫理教育の導入の流れはますます強まるものと思われ
る。この二冊は、日本での本格的な工学倫理・技術者倫理教育の導入をにらみ、日本人の
手による初の工学倫理・技術者倫理の教科書として作成されたものである 2 。以下では、こ
の二冊の内容紹介を行うとともに、両書および工学倫理・技術者倫理一般にかかわるいく
つかの疑問点と問題点を提示することにしたい。
1
2
本稿は、全体研究会(2001 年 12 月 23 日)での発表レジュメを文章化し、加筆したものである。加
筆にあたっては、発表に対する齊藤了文氏、羽地亮氏、丸山徳次氏、岩崎豪人氏他の方々のコメント
を参考にさせて頂いた。
技術者倫理の教科書としては他に、飯野弘之『技術者になること』、雄松堂出版、1998 年、第二版
2000 年がある。もっともこれは、タイトル通り、技術者のライフプランに関する教科書であり、技術
者倫理はその一部として扱われている。また、土木工学分野に限ったものとしては、柴山知也『建設
技術者の倫理と実践』、丸善、2001 年 1 月がある。
1. 藤了文・坂下浩司編『はじめての工学倫理』(昭和堂、2001 年4月 20 日
出版)
a. 内容紹介
『はじめての工学倫理』は「工学の哲学」を精力的に展開している齊藤了文氏と名古屋工
業大学で倫理教育を実践している坂下浩司氏の編集によるものである。全体として非常に
平易に書かれており、事例分析や基礎理論は単純化され、かなり分かりやすく記述されて
いる。この単純化は教材としての使いやすさと教育効果を優先させた結果であると思われ
るが、過度の単純化には問題があるように思われる。ただし、工学倫理が扱う問題全般を
通覧するには便利であり、使い方を工夫すれば教材としても有用だろう。
以下、本書の構成に沿って内容を少し詳しくまとめておこう。
本書はⅠ「事例分析」とⅡ「工学倫理の基礎知識」の二部構成になっており、編者の齊藤
による「総論」が付せられている。
総論
「総論」でまず齋藤は工学の知識の特徴を「複雑性」の中に求める。齊藤が言う「複雑性」
とは、エンジニアが設計に際して、期限、安全性、リスク、コストなどの様々な制約を考
慮にいれなければならないことを意味している。この「複雑性」の中に「人間に対する配
慮」
(倫理)も含まれると齊藤は主張する。また、実際の設計はたいていの場合、組織の中
のエンジニアが行うことになる。そこで、設計の過程では、組織への忠誠と「公衆」の要
求との間のコンフリクトが生じる可能性があるが、齋藤はこのコンフリクトの解決という
課題は、相反する制約化での設計という「複雑性」の問題と相通じるものがあるとする。
Ⅰ事例分析
「事例分析」は 15 章に分けられていて、2 単位 15 回分の授業で使えるように配慮され
ており、必要に応じて「工学倫理の基礎知識」を参照できるようになっている。
「総論」で
の齋藤の整理によると、前半では「複雑性」の問題を扱い、後半では「組織の中の存在」
の問題を扱うとされる。ただし、事例の配置は必ずしもこの整理に従って行われているわ
けではなく、それぞれの事例には、
「複雑性」と「組織の中の存在」双方に関わる問題が分
かちがたく含まれているようである。また事例分析では工学倫理の様々なアスペクトを網
羅する事例が取り上げられているが、事例の配置の仕方は必ずしも体系的ではなく、それ
ぞれのアスペクトがどのように連関しているのか把握しづらい。以下では、
(いささか暴力
的に)連関をつけながら、事例分析で示されている工学倫理の様々なアスペクトについて、
「複雑性」と「組織の中の存在」を軸にまとめておこう。
まず、「複雑性」に関わる問題群は、大きく分けて次の三点にまとめられるだろう。
「複雑性」
第一に、作業効率や経済性と安全性とのトレード・オフをめぐる問題。事例 05-1 の「フ
ォード・ピント事件」や事例 05-2 の「原発コンクリート大量加水事件」はこの問題を扱っ
ている。ここで示唆されるのは、コストと安全性を秤に掛けなければならないという、エ
ンジニアが置かれている厳しい倫理的状況である。
第二に、リスク・マネジメントの問題。ここには、技術者がリスクを管理する際に考慮
に入れなければならない多様な問題群が含まれる。まず第一に技術者は、設計段階におい
て、製造や修理におけるミスをもある程度考慮に入れる必要がある。事例 06-2「日本航空
ジャンボ機墜落事故」では、フェイル・セーフの重要性が指摘され、設計においてヒュー
マン・エラーが考慮に入れられるべきであることが強調される。また、リスク・マネジメ
ントに関しては、製品の使われ方にも注意を払う必要がある。事例 08-2「人命を奪ったソ
フトウェアのバグ」は、容易に予想される製品の使われ方に注意を払わなかったために重
大な事故を引き起こした例であり、事例 08-1「CM のような走行でジープが転倒」は、
「指
示・警告に関する欠陥」が問題となった事例である。さらに、事例 02-1「ボパール」や事
例 07-2「求められる安全基準」では、単に法規や慣行、業界の安全基準を守っているだけ
では安全性が確保されたとは言えず、それらの基準を守っていたとしても法的な責任を問
われる可能性があることが指摘されている。また、事例 02-2「ナホトカ号沈没事故」や事
例 07-1「雪印乳業集団食中毒事件」では、事後措置の重要性が指摘され、単に個人を非難
して終わるのではなく組織のあり方を見直すことの必要性が強調される。
第三に、プロジェクト・研究開発の責任者としての技術者の責務に関する問題。事例 01-1
「無駄な開発」及び事例 01-2「現地ワーカから抗議された」では、専門家としての技術者
が、最新の情報を入手する責務や、現地の労務慣行を把握する責務を有していることが指
摘されている。
他方、
「組織の中の存在」に関わる問題群では、経営者としての判断と技術者としての判
「組織の中の存在」
断の相反という問題と、技術者の雇用者(依頼者)に対する関係の問題が軸になる。さら
に技術情報をめぐる問題、技術者集団と社会との関係、組織の中での人間関係一般に関わ
る倫理的問題が扱われる。それゆえ、
「組織の中の存在」に関わる問題群は次の五点にまと
められることになる。
第一に、経営者としての判断と技術者としての判断の相反という問題。事例 03-2「チャ
レンジャー号事件」では、技術者でもあり経営者でもあったロバート・ルンドの判断が扱
われている。打ち上げのリスクを知らされながら最終的には打ち上げに同意したルンドの
判断は、経営者の立場からは「簡単に間違っていたということはできない」が、技術者と
しては「間違っていたことは明らか」であり、ルンドが技術者としての適切な判断を下さ
なかったことが最大の問題であると指摘されている。
第二に、被用者としての技術者に関する問題。事例 04-1「原発用原子炉圧力容器のゆが
み」では、公衆の安全に対する責務と雇用者への忠実との相反問題を扱い、責任のある技
術者は、この相反に際して「創造的な打開策」を模索する必要があると主張される。事例
10-2「守秘義務と公衆の福利」では、守秘義務と公衆の福利が相反する場合、公衆の福利
が優先されるべきであるとされ、事例 11-1「ジャンボジェット DC10 墜落事故」では、技
術者は「批判的忠実」の立場にたち、公衆の安全と雇用者への忠実を両立させる「創造的
中道」を取るべきであると主張される。事例 12-1「ピアス博士 vs.オーソ薬品」は雇用者
に対する技術者の不服従の権利を扱ったものであり、事例 12-2「グッドリッチ社のブレー
キ開発」では、「内部告発」(ホイッスル・ブローイング)が道徳的に許される条件につい
て検討が加えられている。
第三に、技術情報に関わる問題。事例 09-1「違法コピーはどういう犯罪か」及び事例 09-2
「技術情報の囲い込み:IBM 産業スパイ事件」では、知的財産権、技術情報の保護の問題
が扱われ、特許法と独占禁止法について簡単に説明されている。また、事例 10-1「転職の
モラル:新潟鉄工事件」では技術情報に関する権利が技術者にではなく企業に属している
ことが指摘され、不正競争防止法の簡単な説明がなされている。
第四に、技術者集団と社会との関係に関わる問題。事例 04-2「アメリカ機械技術者協会
vs.ハイドロレベル社」は、会社の経営者としての立場と技術者協会の会員としての立場の
間の利害関係の相反の例を扱っている。また、事例 15-1「レガシィ・リコール事件」では、
自動車メーカーの管理職の刑事責任が問われた事例が紹介され、事例 15-2「欠陥住宅」で
は、モラルの確立が、長期的には専門家集団、企業の利益にもなることが指摘されている。
さらに、事例 13-1「職場でのセクシャル・ハラスメント」、事例 13-2「米国三菱自動車
訴訟」、事例 14-1「賄賂」、事例 14-2「贈り物」では、組織の中での人間関係一般に関わる
倫理的問題について触れられている。
Ⅱ工学倫理の基礎知識
第二部の「工学倫理の基礎知識」では「リスク」の定義や関連法規、倫理綱領、倫理概念
について説明されている。リスク・マネジメントやリスク・コミュニケーションに関する
基本的な考え方や、PL 法及び特許・著作権に関わる基礎知識、雇用者に対する態度とし
ての「批判的忠実」や「内部告発」をめぐる問題、工学倫理と他の応用倫理(生命倫理、
環境倫理、情報倫理)との関係、功利主義や義務倫理学、徳の倫理学といった倫理学の基
本概念が分かりやすく紹介されている。
b. コメント
本書では工学倫理に関連する様々な問題、解決法、関連法規、倫理概念が手際よくまと
められている(ただし、技術士法の改正や環境影響評価法については言及されていない)。
工学倫理の全体の見通しを得る上で、本書は有益である。しかし、事例や基礎知識に関す
る、過度に単純化された記述の仕方には、少々問題があるように思われる。チャレンジャ
ー号事件の紹介の仕方やコメント、また「基礎知識」での創造的中道法の説明や、工学倫
理と環境倫理の関係についての説明などには問題を感じる。チャレンジャー号事件でのコ
メントでは、
「経営者」の判断と「技術者」の判断をあまりに単純に対比しているし、創造
的中道法の紹介の仕方は、それが責任逃れのための方便であるかのような印象を与える(も
っとも、創造的中道法とはそもそもそうしたものなのかもしれない─注 4 参照。)。また、
「基礎知識」での環境倫理と工学倫理の単純化された対比は、環境保全に関する言及が本
書でわずかしかないこととも相まって、環境倫理的視点が工学倫理から排除されているか
のような印象を与える。
しかしこうした個別の問題よりも問題なのは、本書の提示する工学倫理が、企業擁護の
論理であるように思えてしまうことだろう。たとえば、ナホトカ号の事例では、「事故は、
道徳的な悪ではなく、むしろ、技術者が道徳的責任をよりよく遂行するための価値ある研
究材料である」(29 頁)とされる。たしかに、道徳的非難が、原因追及の妨げとなるという
指摘は理解できる。しかしそのことによって、事故のなかに道徳的に非難されるべきもの
があることが否定されるわけではない。また、ボパールの事例では、
「責任の所在を特定の
個人に求めることは不可能」とされている。さらに「問題は、被害者である工場周辺の住
民を含め、企業およびインド政府の側において安全に対する関心が全般的に欠如していた
ことにある」(24 頁)と主張されるが、法的な責任はともかく、道義的な責任の第一は、コ
スト削減のためメンテナンスを怠り、自国の安全基準にはとても適合しないような工場で
現地の極貧層の人たちを雇い、十分な安全教育をすることなく利潤を追求していた企業に
あるのではないか。 3
教材としての使い勝手を考えるあまり、事例やコメントが過度に単純化されたことが、
以上のような印象を持たせる原因であるかもしれない。『科学技術者の倫理』(ハリス他、
日本技術士会訳編、丸善)など、事例を詳しく紹介している他の教科書では、技術者のお
かれた状況の厳しさがある程度伝わってくる。本書は、
「複雑性」を掲げながらも、技術者
のおかれた倫理的状況の複雑さを理解させるにはコンパクトすぎるのではないだろうか。
ただし先に述べたように、本書は工学倫理の全体像と個々の事例の概要を把握するには適
しているから、
『科学技術者の倫理』などから事例の詳細を補いながら、事例の分析を深め
るといった工夫をすれば、教科書としても有用であろう。
2.杉本泰治・高城重厚著『大学講義
技術者の倫理
入門』
(丸善、2001 年4
月 30 日出版)
本書は、PL 法や ISO に関する著作があり、またアメリカの技術者倫理の代表的な教科
書である『科学技術者の倫理』の訳者である二人の技術士によって書かれたものである。
『はじめての工学倫理』と比べると少々読みづらいが、技術者倫理を取り巻く国内外の状
況が分かりやすくまとめられている。事例や考え方の多くを『科学技術者の倫理』やヴェ
3
http://www.bhopal.org;ジョージ・ブラットフォード、池田真理訳「私たちはみなボパールに住ん
でいるのだ」、小原秀雄監修『環境思想の系譜1環境思想の出現』、東海大学出版会、1995 年所収、参
照。
ジリンドらの『環境と科学技術者の倫理』
(日本技術士会環境部会訳編、丸善)などから借
りながらも、日本の実状に合わせて技術者倫理を展開していこうとする姿勢が見られる。
技術者倫理の歴史的経緯や技術者資格の国際承認をめぐる動きを通覧するには最適の本だ
ろう。
a. 内容紹介
第一章「モラルへのとびら」では、モラルと倫理、科学技術の関係が整理される。杉本の整
理によればモラルとは行為の善し悪しの判断であり、それを規範の形にしたものが倫理で
ある。また、複雑な状況下での判断を求められる倫理的判断には「アルゴリズムはない」
ことが指摘される。さらに科学技術を担う技術者に求められる倫理として①科学技術の危
害を防止する②公衆を公害から救う③公衆の福利を推進するの三つが挙げられる。
第二章「技術者のモラル上の人間関係」で杉本は技術者の業務の形態には「被用者」と「受
託者」の二種類があるが日本ではこの区別があまり意識されていないこと、また、これま
で技術者個人の責任が問題になることがほとんどなかったことを指摘した上で、技術者倫
理は日本の技術者にとって「近代的な“自我の解放”」の意義を持つと言う。また、
「公衆」
とは「技術業の仕事がもたらす危険に無知な人々」であり、かつ技術業の仕事によって「影
響される」人々であるといったハリスの定義が紹介され、この公衆に対する義務と雇用者
への義務との間に相反が生じ得ること(「利害関係の相反」)が指摘される。この相反の一
つの解決手段として、
「警笛鳴らし」(whistle blowing)が取り上げられ、密告による「内部
告発」との違いや、警笛鳴らしの正当化の厳格基準、及びそれへの批判が取り上げられる。
杉本は、警笛鳴らしが正当なものであるかどうかの判断が非常に困難であることを示唆し
つつ、
「真に公衆の安全にかかわる警笛鳴らしは、企業、学協会、政府などの諸勢力による
保護が必要である」と主張し、警笛鳴らしに対しては比較的肯定的な態度をとっている。
第三章「技術者のアイデンティティ」で杉本は、JCO の臨界事故に関わる報道で、
「専門職と
しての技術者」が一人も登場しないことを指摘し、そうした技術者が現場にいたならば事
故を防げたと主張する。また杉本の主張によれば、管理責任を問うだけではこの種の事故
は防げない。というのも、管理責任をいくら追求しても事故を引き起こした構造そのもの
は変わらないからである。技術者には、特別の「注意義務」があることが指摘され、科学
者、技術者、技能者、作業員の概念上の区別と関係が整理される。また、雇用契約に関す
る現行の法規にも触れられている。
第四章「専門職としての技術者集団の形成」(高城)では、APEC エンジニア登録や JABEE
の創設、技術士法の改正など、技術者資格の相互承認をめぐる最近の情勢がわかりやすく
説明されている。また、米国のプロフェッショナルエンジニア(PE)制度、英国のチャータ
ードエンジニア制度、ヨーロッパや北米における技術者資格の国際的な相互承認、
EMF(Engineers Mobility Forum)のインターナショナルエンジニアの構想についても紹
介されている。
第五章「説明責任」は、チャレンジャー号事件の経緯をやや詳しく紹介しながら、説明責任
や情報開示について説明している。杉本は、低温での O リングのリスクについて宇宙飛行
士に知らされていなかったことを、インフォームド・コンセントの欠如として問題視する。
第六章「法的責任とモラル責任」は、カネミ油症事件を取り上げながら、製造物の欠陥によ
る事故の責任について説明している。製造物責任(PL)法の施行以前の不法行為法による責
任追及では、製造者の製造過程における「過失」を立証する必要があったこと、1995 年の
PL 法施行後は製造物の「欠陥」を立証すればよいことになり、原告側の立証が容易にな
ったことが指摘されている。
第七章「倫理実行の手法」(杉本)では、モラル問題の解決法が示される。行為の善し悪し
を判断する「線引き問題」の解決のための手法として「決疑論」(casuistry=与えられた
事例のモラル性を、典型事例と比較してを評価する方法)を利用したハリスらの議論が紹介
される。また、古典的な倫理理論として、ベンサムらの功利主義とカントの「人を尊重す
る倫理」が紹介されている。
第八章「技術者教育と倫理のつながり」(高城)では、APEC エンジニアマニュアルや米国
における技術者倫理教育について紹介されている。高城によると、アメリカでは技術者倫
理は 1970 年代半ば以降に確立され、現在の技術者倫理のコースは、哲学系の教官が開講
する技術者倫理単独のコース(Stand-alone Engineering Courses)と、工学系の教官が専門
教育の中に技術者倫理を組み込むコース(Ethics across the Curriculum)とがある。その他、
ABET の活動や倫理規定の紹介。
第九章「技術者協会における倫理規定の発展」(高城)は、ASME(アメリカ機械技術者協
会)、日本機械学会、アメリカ土木技術者協会(ASCE)、土木学会(日本)、日本技術士会の
倫理規定・倫理要綱とそれらの制定の経緯を紹介している。また、規制当局による業務の
規制の例として、アメリカの NCEES(National Council of Examiners for Engineering
and Surveying)の「専門職業務のモデル規則」やテキサス州の「テキサス技術業務法」に
ついて紹介されている。
第十章「環境と技術者」(高城)では、WFEO(世界工学連合)や土木学会による環境問
題への取り組みが紹介されている。1999 年6月施行の環境影響評価法が紹介され、環境ア
セスメントに対する新たな考え方に対応して、プロジェクトの進め方を変える必要性が示
唆される。高城は、今後の技術者は、環境問題に広く関与し、意思決定にも参画していく
ことが重要だと主張する。
b. コメント
本書は、積極的にアメリカの技術者倫理の紹介をおこない、また、日本での技術者倫理
教育の実践に携わってきた技術士の手によるもので、技術者倫理に関する歴史的経緯、日
米の状況の違いや国際的な相互承認の動きなどについて、丁寧な説明がなされている。最
近の内外の情勢や関連法規、学協会の倫理規定等を通覧するには最適の書だろう。個々の
記述に関しては、たとえば、文系と理系の安易な対比(p.18-20)など多少問題点もあるが、
日本の実状にあった形で技術者倫理を展開し、根付かせていこうとする本書の姿勢は評価
されるべきであろう。
ただ本書で少々気になったのは、
「公衆」の規定の仕方である。この「公衆」の規定には、
技術者倫理一般の危うさを見てとれるように思われる。本書はハリスらの定義に沿って、
公衆を「技術業の業務に、自由でよく知らされたうえでの同意を与えることができる立場
にはなくて、その結果に影響される人々」(p. 97)と考える。つまり、公衆とは、原理的に
インフォームド・コンセントの機会を奪われた人々のことなのである。
この規定は次のような二重の帰結を含意する点で問題があるように思われる。第一に、
技術者は、彼らが安全を気遣うべき公衆からは、インフォームド・コンセントを得る必要
はない。第二に、インフォームド・コンセントを与えた人はすでに「公衆」ではなく、従
って、技術者はそうした人々の安全を配慮するという責任を(少なくとも部分的には)免
除されている。チャレンジャー号事例を例にこのことを考えてみよう。爆発したチャレン
ジャー号に搭乗した宇宙飛行士たちは、飛行当時の朝、打ち上げ台が着氷していることを
告げられ、打ち上げを延期するかどうかの選択権を与えられていたが、低温での O リング
のリスクについては知らされていなかった。杉本は、この宇宙飛行士たちは O リングに関
しては「公衆」であったが、着氷に関しては「公衆」ではないとする。このことの含意は、
もし O リングに関して宇宙飛行士たちがそのリスクを知らされた上で打ち上げを同意し
たならば、技術者の責任は軽減されるだろうということである 4 。
ところが杉本はまた、次のように述べる。「公衆は、「よく知られた上での合意」をする
ために「知る権利」(right-to-know)があり、これに対して、技術者は、公衆が納得するよ
うにする「説明責任(accountability)」があり、それを果たす「情報開示」(disclosure)が
必要になる。」(98-9 頁)公衆によるインフォームド・コンセントの必要性を主張するこの箇
所は、先の「公衆」の定義に相反するかに見えるが、しかし次の箇所によって、公衆はイ
ンフォームド・コンセントを与える立場にはないという捉え方が、実質的には一貫してい
ることがわかる。
「科学技術は本来、説明しても公衆にはわかりにくい。公衆は科学技術に
4
Charles B. Fleddermann, Engineering Ethics , Prentice Hall, 1999 ではこうした含意が明確に述
べられている。
「第三の創造的な視点からは、気温が上がるまで打ち上げを延期するという選択肢が考
えられる。もちろん、この選択肢はロケットの打ち上げのタイミングや、計画を完全に成功させると
いう観点から不可能であるかもしれない。そこで、技術者たちの懸念を宇宙飛行士たちに知らせて、
打ち上げるかどうかを彼らに決めてもらうという選択肢も考えられるだろう。もしリスクが知らされ、
リスクにさらされる当事者によって選択がなされるならば、たとえ事故がおきたとしても企業の責任
はいくらか軽減されることになるだろう。」(p.54) これは、「創造的中道法」の一例として提示されて
いるものだが、ここでは「創造的中道法」は責任逃れのための手法であるようにしか思えない。技術
者たちが低温での O リングのリスクを数値として示すことができなかった状況下で、宇宙飛行士たち
に打ち上げるかどうかを選択してもらうことが、果たして創造的で、責任のある解決策だと言えるの
だろうか。「創造的中道法」としてのインフォームド・コンセントは、リスクの費用 便 益 分析 と 同様 、
工学倫理における責任逃れのための手法になる可能性があるように思われる。
なお『はじめての工学倫理』は「創造的中道法」の例としてこのフレッダーマンの例をそのまま採
用している(205 頁)。
ほとんど無知で、そのために科学技術の専門家である技術者を必要とするのだから、いく
ら説明しても、技術者が理解しているようには理解できるはずがない。」科学技術情報が公
衆には理解できないのだとしたら、公衆は一体どのようにしてインフォームド・コンセン
トを与えることができるのだろうか?杉本は、公衆は「科学技術はわからなくてもモラル
はわかる」のだから、モラル的に行動することによって、公衆の信頼を得るべきであると
杉本は主張する。しかしこの主張は科学技術のリスク評価をもっぱら専門家のものとし、
公衆をリスク・コミュニケーションのプロセスから排除することを含意するものである。
技術者の「モラル」のうちには、公衆が理解できる仕方で科学技術情報を説明すること、
技術者のリスク理解にはつねに利害関係もしくは専門知識によるバイアスがかかっている
ことを理解することも含まれるべきではないだろうか。
3.工学倫理に外的な視点を導入する必要性
上で示唆してきたように、工学倫理・技術者倫理にはともすれば、状況主義的で集団内
的な視点が強調される傾向があるように思われる。工学倫理は、実践的な道徳的行為者の
視点に立つことによって、倫理学全般の再検討を迫る可能性を秘めているが、使い方によ
っては、非倫理的行為の正当化の論理にもなりかねないだろう。以下ではその点に関して
若干述べておきたい。
a. 設計問題と倫理問題のアナロジー
『はじめての工学倫理』の「総論」で齊藤は、設計問題と倫理問題のアナロジーを指摘
している。つまり、依頼者の要求に応える責務と公衆の安全に対する責務、組織の中での
人間関係など様々な制約の中で倫理的問題を考えることは、
「例えば、自動車において燃費
を高めるために重量を減らすと衝突安全性が損なわれ、それを解決するために軽金属を使
うとコストがかさむ」という設計問題を考えることに似ている、と齊藤は言う。
設計問題と倫理問題のアナロジーは、アメリカの代表的な技術倫理の教育者であるウィ
ットベックも指摘している 5 。またウィットベックは、これまでの倫理学や応用倫理学は「道
徳的行為者の視点」を無視し、もっぱら「審判の視点」から倫理問題を論じてきたと批判
する。たしかに、現場の技術者がおかれている厳しい倫理的状況は倫理学者の抽象的な議
論を無意味なものとするものであろうし、工学倫理はそうした状況を際だたせることによ
って倫理学全般の改変を迫るものなのだと言うことができるかもしれない。
しかし、「〔状況の〕複雑性」や「行為者の視点」を過度に強調することには一種の倫理
5
Caroline Whitbeck, Ethics in Engineering Practice and Research , 1998, 1. Ethics as Design:
Doing Justice to Ethical Problems.(札野・飯野訳『技術倫理1』第一章「設計としての倫理」)設計
問題と倫理問題のアナロジーについては、伊藤均「設計問題と倫理問題のアナロジー:工学倫理教育
を接点として」、 Prospectus 、No.4、京都大学哲学研究室編、2001 年、参照。
学的な危険性がつきまとうのではないだろうか。そのつどの状況の「制約」を強く受け止
めれば、ほとんどの非倫理的行為が正当化されてしまう可能性がある。それゆえに、倫理
学者は行為者のそのつどの状況に過度に同情的になるべきではなく、ある種の物分かりの
悪さを発揮すべきでなのではないか。倫理学者は、あえて審判者の視点から、個別の事例
において行為者がとるべきであった行為を判定し、類似の状況において行為者が利用でき
るガイドラインを作っていくべきであろう 6 。
技術者倫理の出発点はそもそも技術者集団の利益を守るためのギルド的取り決めである。
たとえば、初期のアメリカの技術者協会の倫理規程の典型的な主張は次のようなものだっ
た。
「 技術者は依頼者および雇用者の利害関係の保護を専門職の第一の責務としてみるべき
で、その義務に反するあらゆる行為を回避すべきである。」7 一方、公衆に対しては、技術
者は、
「技術業についての公衆の公平で正しい一般的理解を促し、技術業に関する認識を広
げ、そして新聞その他に技術業に関する事実でない、不公平な、または誇張された記述が
現れないように努力すべきである」とされていた。日本の従来の技術士法でも、改正前は、
信用失墜行為の禁止、秘密保持、名称表示に関する義務が明記されていただけで、公益確
保の義務が明記されたのは 2000 年 4 月の改正によってである。技術者の立場に立った内
在的な工学倫理・技術者倫理は、技術者とその雇用者や依頼者とのあいだの倫理に矮小化
される危険性がある。工学倫理の矮小化を防ぐためには、倫理学者が外的な視点から注文
を付けていく必要があるだろう。
b. 工学倫理におけるパターナリズムとインフォームド・コンセント
2.で見たように、安全性への配慮に関して、杉本はパターナリズム的な立場に立って
いる。もちろん一般市民はたいていの場合、細かい技術情報を理解できるわけではなく、
製品や事業の安全性の見極めが技術者の責務であることは確かである。さらに、技術者が
パターナリズム的にならざるを得ない要因もある。製品は技術者の手を離れて流通し、利
用される。技術者は、一人一人の利用者について回って製品や建造物の技術情報の意味を
教えるわけにはいかず、ある程度パターナリスティックに安全性を評価して、製品を送り
出さざるを得ない 8 。
技術業にパターナリズム的傾向が一定程度不可避的であるとすると、工学倫理において
インフォームド・コンセントはどのように位置づけられるべきなのだろうか。ハリスらの、
「公衆」の定義、すなわち、公衆とは、技術業が与える結果についてインフォームド・コ
6
7
8
「内部告発」が道徳的に許される基準を提示しようとするディジョージらの試みや、倫理問題に関
するデイヴィスの「セブン・ステップ・ガイド」はその例となろう。R. T. DeGeorge, Business Ethics ,
fifth edition, Prentice Hall, 1999, Chap. 10, Whistle Blowing.( 永安幸正・山田經三監訳『ビジネス・
エシックス』、明石書店、1995 年)
;M. Davis, Ethics and the University , Routledge, 1999, pp.166-7;
『はじめての工学倫理』200-1 頁参照。
C. Harris, M. Pritchard, M. Rabins, Engineering Ethics: Concepts and Cases , Wadsworth, 1995,
p.32.(日本技術士会訳編『科学技術者の倫理』、丸善、1998 年)
この点は、齊藤了文氏の指摘による。
ンセントを与える立場にはなく、かつ技術業によって影響を受ける人々 9 という規定に問題
があることは2.で見た通りである。この規定は、公衆には情報を与える必要はなく、ま
た、情報を得た人々に対する安全配慮の責任は一定免除されるという二重の含意を含んで
いる。
そもそも、技術業においてインフォームド・コンセントを得ることは以下の理由により
困難であろう。①まず第一に、インフォームド・コンセントが組織内部で行われる場合、
インフォームド・コンセントを与える人間が、自由に意志決定できる立場になく、何らか
のプレッシャーを受けていたり、バイアスがかかっている可能性がある。②第二に、技術
業においては、完全なインフォームド・コンセントは事実上不可能である。すでに述べた、
製品の利用者のインフォームド・コンセントを得ることが実際上困難であるということの
他に、工業技術は製品の利用者や事業の依頼者以外にも危害を与える可能性があることを
考慮に入れる必要がある。医療の場合とは異なり、工業技術の場合には、当該の技術によ
って何ら利益を受けない人がその技術の危険にさらされる可能性があり、そうした人々は
通常インフォームド・コンセントを与えられる立場にはない。
したがって、工学倫理を、インフォームド・コンセント=モデルで考えるのはあまり有
効ではないだろう。インフォームド・コンセントが十分に機能するのは、依頼者がリスク
と受益に関する必要な情報を与えられ、その情報を十分理解した上で自由な立場から選択
できる状況が保証されているかぎりにおいてであるが、技術業においては、そうした状況
が実現している場合は稀である。そのような状況下でインフォームド・コンセント=モデ
ルを採用すると、組織内の特定の被雇用者や製品の購入者にリスク・マネジメントの責任
が転嫁される恐れがあり、また、実際に危険にさらされる人たちが、考慮の外におかれる
ことになる可能性がある。それゆえに、工学倫理においては、むしろ専門家と非専門家と
の間のリスク・コミュニケーション=モデルを採用すべきだろう。その際、リスク・コミ
ュニケーション研究の分野で近年議論されているリスク・コミュニケーションの「民主的
モデル」 10 や、技術哲学で言われているテクノロジーの導入過程における民主化 11 の議論
などが参考になるだろう。
工学倫理における「創造的中道法」、設計問題と倫理問題のアナロジー、インフォームド・
コンセント等の考え方は、使い方によっては非倫理的行為を正当化するものになりかねな
い。技術者倫理が歴史的に技術者集団と依頼者・雇用者の利害関係を守る必要性から生じ
てきたことを考えるならば、工学倫理・技術者倫理を(技術者以外の視点からしても)倫
9
10
11
C. Harris et al., Engineering Ethics , op. cit., p. 110.
吉川肇子『リスク・コミュニケーション』、福村出版、1999 年、42-5 頁参照。
『思想』
(特集:技術の哲学)、岩波書店、2001 年 7 月号所収の次の諸論文を参照。L. ウィナー「テ
クノロジー社会における市民の徳」(河野哲也訳)、A. フィーンバーグ「民主的な合理化」(直江清隆
訳)、直江清隆「行為の形としての技術」。また、平川秀幸「科学・技術と公共空間−テクノクラシー
への抵抗の政治のための覚え書き」、『現代思想』、青土社、2001 年 8 月号、195-207 頁も参照。
理的なものにしておくためには、つねに外的な視点を注入し続ける必要があるだろう。
臓器・組織と所有
樫則章(大阪歯科大学)
人の臓器や組織が移植され、生物医学的研究の対象となり、医薬品の原材料となるにつ
れて、人の臓器や組織をどのように取り扱うべきかという問題が生じるにいたっているこ
とは周知のとおりであるが、この問題はしばしば、
「人の臓器や組織は所有物(property)
なのだろうか」、
「それらが所有物であるとすれば、誰が所有者なのだろうか」、そして「そ
れらが誰かの所有物であるとすれば、そのことはどのような道徳的あるいは法的意味をも
つのだろうか」といった問題として議論されている(1)。
自己所有権(self-ownership)論者のなかには、この問いに答えて、
「各人は自己自身の身
体とその諸能力を道徳的に正当な仕方で所有する主体であり、自己自身の身体とその諸力
を(他者に害を与えないかぎり)自由に処分する正当な権原をもつ」と主張して、人は自
分の身体(身体全体、臓器や組織といった身体部分、身体から分離された身体部分)に対
して絶対的かつ排他的な所有権をもつと言う人がいるかもしれない。
確かに、この考えにはそれなりのもっともらしさがある。社会の成員には社会的効用の
増大のために、あるいは社会的平等の実現のために、自分の臓器や組織を提供しなければ
ならない義務があると言われれば、誰でも強い反発を感じるだろうからである。しかし、
それと同時に、この立場に立つ人なら、身体の売買も許されるというだろう(2)。(要する
に、私の体は私のものだから、それをどう扱おうと私の勝手だという主張である。)
自己所有権論に対しては、人間の社会関係という観点からの批判を含めてさまざまな批
判がありうる(たとえば、人は自分の能力を自由に処分する権利があるとしても、人の能
力は社会的に評価されるものであるから、必ずしも自由に処分できるわけではない等─
ただし、これは自己所有権論に対する根本的な批判はならないかもしれない)が、そもそ
も人の身体は当人の所有物ではないという批判もある。すなわち、人の身体(や諸能力)
は当人の所有物ではなく、当人そのものであるという批判である。事実、現代の哲学者の
なかには、そのように考えている人が少なくないが、ここでは、その古典的な例として、
カントの主張を見てみることにする。
カントは『倫理学講義』の「性欲に関する、身体に関する義務について」において、
「身
体は自己の一部であり、自己は身体と合一して人格を構成している」のであり、したがっ
て、「人間は己の所有物ではなく、己の身体を欲するままには取り扱い得ない」と述べてい
る。
「人間は物件ではないから、自己自身を処置することはできない。人間は自己自身の所
有物ではない。人間が自己自身の所有物であるというのは矛盾である。何故なら、彼は人
格である限り、他の諸物に対して所有権を持ち得る主体だからである。しかるに、もし彼
が自己自身の所有物であるとすれば、彼は、己が所有物をもち得る物件となってしまうだ
ろう。ところが、彼は人格であって、所有物ではない。したがって彼は、己が所有物をも
ち得る物件とはなり得ない。」
こうしてカントは次のように言う。
「それだから、人間は自己自身を処置することはできない。人間は一本の歯、或いは己の
身体の一部分をも売る権能をもたない。
」(3)
人の身体は当人の所有物ではなく、当人そのものであるという立場からすれば、人が身
体に対してもつ権利のなかには、それがまさしく当人であるところの全体としての身体
(bodily integrity)を他者から侵害されない(消極的な)権利が含まれるとしても、自己
所有権論者が言うような、所有物として自分の身体を自由に処分する(積極的な)権利が
含まれるわけではないということになる。
the Nuffield Council on Bioethics によって 1995 年に出された『人の組織:倫理的・法
的諸問題』
(Human Tissue : Ethical and Legal Issues)という報告書は、まさにこのよう
な立場に立つものであるように思われる。なぜなら、同報告書では、たとえば、研究者が
研究目的で組織を採取したい旨を研究に参加してくれそうな人に告げ、その人がそれに同
意するとき、その人は所有物としての自分の組織の提供に同意しているのではなく、自己
の身体に対してなされることに同意しているものと理解されなければならないと述べられ
ているからである。
また同報告書は、採取され体外に分離された組織についても被採取者に所有権を認めて
いない。この点に関して同報告書は、組織が治療の過程で採取された場合について、患者
は治療に同意することによって、採取された組織等に対するいかなる要求(claim)も放棄
しているという見解を示す一方で、組織等が自発的に贈与(donate)された場合について
は、それは gift として扱われるべきだと述べている。
ところが、これに対しては、自己所有権論者なら、人の組織はその人の所有物であると
いうことがあらかじめ前提されていなければ、放棄とか贈与ということは意味をなさない
のではないかといって批判するだろう。自分の所有物でないものを放棄するとか、贈与す
るとかと言うことはできないだろうからである。
なお、同報告書では、人の身体は、身体全体であれ、その一部であれ、身体から分離さ
れた身体の一部であれ、当人の所有物であるという考え方が徹底して排除されているにも
かかわらず、驚くべきことに、研究者には少なくとも占有権、おそらくは所有権が生じる
とされている。これは結局のところ、同報告書が、臓器や組織等を用いた研究、あるいは
それらの利用を推進する必要性を認めたためである。しかし、他方で同報告書は、身体か
ら分離された組織等について無主物(res nullius)
、すなわち、「誰の所有物でもないもの」
という概念に基づいた分析を試みてもいる。この分析では、身体の部分は身体から切り離
された瞬間、誰にも帰属しなくなるのだが(もちろん、the Nuffield Council は組織等が人
の身体のなかに存在するときには、それがその人の所有物だと言っているわけでない)、最
初にそれを手にして、支配した人(たとえば、研究者)の所有物になるとされるのである。
the Nuffield Council はさらに、ロック流の考え方にもとづいて、身体から分離された部分
に手が加えられれば、それは手を加えた人の所有物になるという考え方も示している。も
っとも、手が加えられなくても、採取された組織は研究者の所有物になるという考えも示
しているのであり、そのほうが無主物という考え方に合致するが、いずれにしても、この
場合も、自己所有権論者なら、そのように考えるよりも、人の組織はもともと当人の所有
物であって、採取に同意するときに自分の組織に対する所有権を研究者に譲渡しているの
だと考えるべきだという批判をするだろう。
さらに、the Nuffield Council の考え方で最も問題になるのは、研究のためではなく、移
植のために生体から摘出された臓器や組織に関してである。移植の場合、移植のために摘
出された臓器や組織の所有権はその臓器や組織が摘出された人に少なくとも当座は帰属す
るという考えるのが自然である。つまり、誰か特定の個人に臓器や組織が贈与されたとき、
その臓器や組織は移植手術が終わるまで、贈与者の所有物であると通常は考えられるだろ
う。ところが、同報告書の考え方にしたがえば、そのように主張することができなくなる
のである(4)。
では、以上から私たちは自己所有権論者の主張を正しいものとして、すなわち、人の身
体は当人の所有物であると認めなければならないのだろうか。しかし私見では、
「私の体は
私の所有物だ」ということは純然たる事実の問題として主張できるようなことがらではな
い。むしろ、ここで問わねばならないのは、人の身体について所有等の概念を適用するこ
とが適切であるかどうかということと、人の身体を当人の所有物と見なすことによってど
のような結果がもたらされるかということである。要するに、人の身体を当人と当人以外
の人がどのように扱うのがよいかという問題である。
はじめに、人の身体(全体であれ、一部であれ、あるいはまた分離した一部であれ)に
ついて、それを当人の所有物と呼ぶことが適切であるかという問題について考えて見よう。
言うまでもないことだが、所有とか所有物とか所有権とかという言葉あるいは概念は、そ
もそも歴史的に形成された社会制度を前提している。したがって、私の所有物としての私
の本は、その社会制度が存在しなければ私の本ではなくなるが、私の身体についても同じ
ことが言えるのだろうか。ある意味で私の身体は私のものであると言うことができるが、
それは一定の社会制度のもとで生じた所有という意味においてではない(5)。また、これと
関連して、所有等の言葉ないし概念は歴史的に見て、経済的ないし市場的価値と密接に結
びついている。ところが、身体にはたとえそうした価値があるとしても、それを人の所有
物と呼ぶことは身体のもつ多様な価値や意味を捨象してしまうことになる(6)。したがって、
人の身体について所有物と呼ぶことは適切ではない。
また、身体が所有物であるなら我々はそれをどのように獲得したのかという問題が生じ
る。通常、所有物については、もともとそれを所有した人から譲り受けたとか、何らかの
方法で獲得したとかと言うことができなければならない。では、身体はどうだろうか。両
親からもらったのだろうか。しかし、比喩的な意味でならともかくとして、通常の所有物
と同じ意味で身体を両親からもらったと言うことはできない。身体をもってこの世に生ま
れる以前に、身体を両親からもらう私、身体なき私の存在を前提しなくてはならないだろ
う。
次に、人の身体を当人の所有物と見なすことによってどのような結果がもたらされるか
について考えて見よう。人の身体を当人の所有物と見なすことは、人々の自律や自己決定
を一層促すことになり、また、臓器や組織の売買については、それをうまくコントロール
することによって、移植に適した臓器や組織の供給を増やすことができるだろうと主張す
る人がいるかもしれない。しかしそのように主張する人に対しては以下の点を指摘するこ
とができるだろう。すなわち、人々の自律や自己決定は本来、自分の所有物の自由な処分
とは無関係であり、また、臓器や組織の売買によって、移植に適した臓器や組織の供給を
増やすことができるという保障もない。むしろ、人の身体を当人の所有物と見なすことは、
長期的に見れば、人間の社会的関係をモノとモノとの関係に変えがちな現代の社会的傾向
を一層強化する方向に働き、人々の利他心や社会的連帯を弱体化するだろう。
こうして、もしも上の主張が正しければ、私たちは、各自に対して自分の臓器や組織の
所有権を認めるべきではなく、むしろ一定の管理権や支配権だけを認めるべきだというこ
とになるのではないだろうか(7)。
註
(1)
本報告では、報告タイトルにあるとおり、臓器や組織の所有に関する問題だけを扱うこ
ととする。
(2)
このような自己所有権を基礎として、各自の身体処分の自由を強力に主張する論者がい
るかどうか、不勉強なことではあるが、筆者は知らない。ここでは、自己所有権論に立て
ば、このような主張をすることも可能であろうという前提で話を進めることにする。なお、
自己所有権論者がしばしば言及するのは、ジョン・ロックの『統治二論』
(Two Treatise of
Government)第二編第二七節の、次の一節である。
「大地と、
〔人間より〕下等な被造物はすべての人びとの共有物であるが、各人は自分自
身の人格・身体(person)に対する所有権(a property)をもつ。これに対しては、本人以
外の誰も権利をもたない。彼の身体の労働と彼の手の働きは、まさしく彼のものであ
る。・・・彼は〔自然物に〕自分の労働を混ぜ合わせ、またそれに何か自分自身のものをつ
け加え、そうすることによって、それ〔自然物〕を自分の所有物とするのである。」
ロックがこう述べている理由は、裏を返せば、人が自分の身体と能力を行使した労働に
よる生産物を自分の所有物とすることができるのは、人が自分の身体と能力に対する所有
権をすでにもっている場合にかぎられるということであっただろうが、ロックは他方で、
人間は神の作品(workmanship)であり、神の所有物である(したがって、人間には自殺
する権利がなく、また互いに援助する義務がある)と述べている(同、第六節)
。自分の労
働を投下した対象は自分の所有物であるというロックの主張の背景にあるのは、この「人
間は神の作品である」という考え方である。けれどもそうすると、人間には自分の人格・
身体に対して所有権があるというよりも、神に対して自分の人格・身体を管理し世話する
責務(stewardship)があるということになる。この点については、Campbell, Courtney S.
“Body, self, and the property paradigm.” Hastings
Hastings Center Report, vol. 22, no. 5
(September-October 1992): 34-42.を参照。また、西洋の伝統のなかには、古代ギリシアの
思想のなかにも、ユダヤ・キリスト教のなかにもそのような考え方があるが、それについ
ては、Gracia, Diego. “Ownership of the human body: some historical remarks.” in ten
Have, Henk A.M.J. and Jos V.M. Welie, eds. Ownership of the Human Body:
Philosophical Considerations on the Use of the Human Body and Its Parts in
Healthcare. Boston, MA: Kluwer Academic, 1998. pp.67-79.を参照。
(3)
『パウル・メンツァー編
カントの倫理学講義』
(小西國夫、永野ミツ子訳、三修社、
昭和四四年)からの引用。カントはここではこのような議論をしているが、確かに、それ
なくして私が存在しえないようなもの(すなわち、身体全体)について、それを私が所有
すると言うことはできないだろう。その点については、Audi, Robert. “The Morality and
utility of organ transplantation.” Utilitas, vol. 8, no. 2, (July 1996): 141-158.を参照。な
お、カントの議論は、より基本的に言えば、人格は単に手段としてのみ扱われてはならず、
常に同時に目的として扱われなければならないものであるがゆえに、つまり、人格を替可
能なもの、あるいは交換可能なものとして扱ってはならないがゆえに、人格を構成してい
る身体は(たとえ一部であっても)売買されてはならないということであろうが、たとえ
人格全体について、カントの議論が正しいとしても、どうして人格の一部としての身体部
分について同じことが言えるのか定かではない。
(4)
以上、the Nuffield Council の考え方とそれに対する批判については、Price, David.
Legal and Ethical Aspects of Organ Transplantation. Cambridge: Cambridge University
Press, 2000, pp. 236-242.による。
(5)
確かに、私が個人(individual)として私自身の概念をもつためには、私はこの(私の)
身体とその(他者の)身体とを区別できなければならず、この(私の)身体が誰かに帰属
するなら、それは私以外にないからである。したがって、この(私の)身体が私に帰属す
るという意味で、この(私の)身体は私のものである。さもなければ「私の身体」とか「彼
の身体」と言うことがそもそも不可能である。そうすると、この(私の)身体は私そのも
のであると同時に、私のものである。しかし、この意味での、「この(私の)身体は私のも
のだ」という事実は倫理的には中立である。つまり、この意味での、
「この(私の)の身体
は私のものだ」ということから、私はこの(私の)身体を所有しているのであり、それに
対する絶対的で排他的な権利を持っているということは導かれない。この点に関しては、
Chadwick, Ruth F. “The market for bodily parts; Kant and duties to oneself.” Journal
Journal of
Applied Philosophy, vol. 6, no. 2, (1989): 129-39.を参照。
この点については、Richard, E. Gold. Body Parts: Property Rights and the Ownership
(6)
of Human Biological Materials. Washington, D. C.: Georgetown University Press, 1996.
を参照。
(7)
この点について筆者に詳細な具体的ビジョンがあるわけではないが、少なくとも、臓器
や組織等が直接的な売買の対象になることを認めるべきではないということは言えそうで
ある。なお、自分の臓器や組織に所有権を認めるべきだという人のなかには、たとえばわ
が国の民法でも、所有権について「所有者ハ法令ノ制限内ニ於テ自由ニ其所有物ノ使用、
収益及ヒ処分ヲ為ス権利ヲ有ス」(206 条)とあり、身体に関する所有権が成立するとして
も、必ずしも身体部分を売買する自由が認められるわけではないと主張する人がいるかも
しれないが、上に見たように、身体について所有という概念を適用すること自体がそもそ
も適切ではない。
参考文献
本報告は多くの文献に負うが、註で言及したものの他に、以下のものだけを記す。
・Andrews, L. B. “The body as property: some philosophical reflections―a response to J.
F. Childress.” Transplantation Proceedings, vol. 24, no. 5, (October 1992): 2149-2151.
・Childress, J. F. “The body as property: some philosophical reflections.” Transplantation
Proceedings, vol. 24, no. 5, (October 1992): 2143-2148.
・Elshtain, Jean Bethke and J. Timothy Cloyd, eds. Politics and the Human Body:
Assault on Dignity. Nashville: Vanderbilt University Press, 1995.
発展途上国と製薬会社 ─特許と命を天秤に掛ける
奥田太郎(京都大学大学院博士後期課程)
はじめに
ここ数年の間に、HIV/AIDS やマラリアなど深刻な疾病の薬剤価格をめぐる発展途上国
と多国籍製薬会社との間の軋轢が、国際的な問題として注目されるようになった。全世界
の HIV/AIDS 感染者は 4000 万人にのぼるとも伝えられているが、その 9 割が、発展途上
国とりわけアフリカの人々であると言われている。その一方で、薬剤は、特許権によって
強固に守られ高額となり、先進国によって独占されている。このような現状は、地球規模
での貧富の格差の問題に加えて、健康に関する生命倫理学の問題、特許権に関する情報倫
理学の問題、企業の社会的責任に関するビジネスエシックスの問題など、多様な課題を倫
理学に突きつける。本論では、そうした現状を取り扱った論文をサーベイすることで、そ
れぞれの問題の層がどのように絡み合っているのかを明らかにしたい。
ところで、従来の生命倫理学は、よかれ悪しかれ、欧米を中心とする先進国の論理によ
って専ら先進国内での問題を取り扱うのに終始してきたように思われる。本論が採り上げ
る Developing World Bioethics 誌は、こうした現状を憂慮して発刊されるに至った。その
創刊号(2001 年)の巻頭誌上シンポジウムのテーマは、「発展途上国のための薬剤」である。
ダーバンにおいて、先進国によるエイズ薬独占の現状が「衛生アパルトヘイト」として告
発されたのが 2000 年 7 月であるから、この誌上シンポジウムは、いち早くこうした現状に
対応しようとしたものである、と評価できるだろう。
因みに、このシンポジウムは、レスニクの基調論文に対してブロックとダニエルズがそ
れぞれ批判を加える、という構成になっている。したがって、本論のサーベイも同様の構
成をとることにする。
1. レスニクの議論─相互性のアプローチ
1-1. 製薬会社の途上国に対する責任
レスニクは、基調論文「発展途上国のための薬剤開発:経済的、法的、道徳的、政治的
ジレンマ」を現状の解説から始め、続いて、製薬会社の途上国に対する責任を論じている。
レスニクはまず、企業活動はもうけてナンボであり、道徳の範疇外にあって法のみによっ
て規制されるものである、という見解を押さえながら、それでもなお企業活動の基盤には
社会的価値が存在しており、それなしには企業活動はたちゆかない、と述べて、企業活動
における倫理の重要性を説く。さらに、ビジネスに関わらないその他の社会的価値につい
ても、企業が社会の中に存在する以上無視できないはずだ、と述べられる。その理由とし
てレスニクは、(1)社会的責任を無視する企業は人々に非難される、(2)企業も個人と同様に、
危害を回避するなどの道徳的責務を負っている、という 2 点を挙げる。
このような観点に立ってレスニクが打ち出す製薬会社の二大義務は、善行(beneficence)
と正義(justice)である。レスニク自身による定義を次に挙げておこう。
善行:製薬会社は、社会に対する利益と害悪の差し引きを最大にすることを促すべき
である。製薬会社は害をなすことを避け善をなそうと試みるべきである。
正義:製薬会社は利益と負担を公平に分配すべきである。
レスニクによれば、善行の義務は当然である。なぜなら、実際のところ、すでに各国に
製薬と薬剤販売の規制法が存在しているし、また、例えばガンを治療するための投薬の場
合には不可避的に有害な側面もあるので、常に利益と害悪の差し引きが行われているから
である。他方、正義の義務は、明らかなものではないが認知され始めている、と述べられ
る。正義の義務は、例えば「搾取」の問題との関わりで、実験の参加者には負担に見合っ
た利益を分配しなければならない、という形をとることもある。これら 2 つの義務ゆえに、
レスニクは、「製薬会社は、社会のためになる薬剤を開発し、被験者がそれを手ごろな価格
(reasonable price)で手に入れられるようにする道徳的責任を負う」(Resnik, p. 20)、と主張
する。
では、企業はそうした責任をどのように果たすべきなのか。レスニクは、個人による責
任の果たし方とのアナロジーでこの問いに答える。レスニクによれば、個々人は善行と正
義の義務を負いはするが、それらは絶対的なものではない。すなわち、我々は聖人になる
ことを求められてはいない。この点で、社会的責任は「不完全義務」に属していると言え
る。これと同様に考えれば、企業の社会的責任も「不完全義務」に属しているはずである。
企業の場合には、さらに、株主や被雇用者に対する責任も加味されるので、そうした様々
な要因を考慮に入れた上で、果たすべき社会的責任の程度を決めるべきだ、とレスニクは
述べる。
次に、なぜ先進国のみならず途上国に対して製薬会社は社会的責任を負うのか、が問わ
れる。これに対してレスニクは、(1)相互性(reciprocity)、(2)全人類に対する善行と正義の
義務、という 2 つの理由を挙げている。(1)は、企業は自社が活動している国に対して責任
を負い、儲けたならその国にある程度還元しなければならない、ということである。しか
し、この理由自体を回避するために先進国のみをターゲットにする、という戦略も可能で
ある。また、(2)は、企業とりわけ巨大多国籍企業は人類の福利を促進すべきである、とい
うことである。
レスニクの見立てでは、多くの製薬会社がこうした社会的責務を果たすための重要な一
歩をすでに踏み出している。例えば、製薬会社が結核、HIV/AIDS、マラリアなどの途上国
に多い疾病の研究を助成していることや、幾つかの企業が途上国の人々への無料投薬を決
定したことなどが挙げられる。そしてさらにレスニクは議論を進め、何かを与えることは、
与える者と受け取る者との間の「関係」に他ならないのだから、与える側ばかりを問題に
せず受け取る側のことも考察しなければならない、と述べる。レスニクが提案する、受け
取る側すなわち途上国側の整えるべき条件は、(1)企業が得る「妥当な収益(reasonable
profit)」
、(2)「非生産的なビジネス環境(unproductive business climate)」の回避、である。
レスニクは、順次これらを検討している。
1-2. 妥当な収益、価格、特許権
市場には市場の公正というものがあり、
「妥当な収益」が一体どの程度の収益なのかはな
かなか定められるものではない。レスニクによれば、収益は、社会全体の福利に貢献する
という点で道徳的に正当化される。また、収益を規制することで、投資家が敬遠したり、
企業が財務計画や資産配分に苦しんだり、収益の規制が価格の規制を招き経済を非効率化
したり、研究開発への投資が緊縮されたりする、などのデメリットが生じたりもする。し
かしながら、よく稼ぐ企業には善行と正義の義務を果たす道徳的責任がある、とレスニク
は述べる。なぜなら、富めることは不正ではないが、より多くの富はより大きな責任を含
意するからである。
普通に考えればわかることだが、企業が社会的責任を果たすとその分余計なコストがか
かる。それゆえ、道徳的に妥当な収益は、経済的に妥当な収益より少ないであろう。また、
企業がいくらかの富を価格設定によって社会に還元しようとするなら、道徳的に妥当な価
格は、経済的に妥当な価格より低いことになろう。このように厳しい責任を製薬会社が果
たすのだとすれば、その対象は、特定の市場における特定の薬剤(例えば、途上国のエイズ
薬)に限定されていてよい、とレスニクは論じる。
では、どの程度の資金が社会的責任を果たすために使われるべきなのか。レスニクによ
れば、それは、その企業の現在の収益と今後の収益の見込みに応じて決定される。そして、
製薬会社の収益は、薬剤の特許権が強力に保護されていることに由来している、とレスニ
クは述べる。例えば、新薬開発にはコストがかかる。すなわち、その開発が成功するか否
かが不明であり、成功したとしても関連機関に認可されるか否かが不明であり、認可され
たとしても売れるか否かが不明であり、市場に乗っても公衆衛生の名目で市場から外され
るかも知れず、また、常に購買者による訴訟のリスクにさらされている。そして、特許権
の保護がなければ、ライバル会社が開発コストをかけずに同じ薬剤をつくることが可能に
なるため、開発に力を入れる製薬会社は競争に敗れてしまうだろう。レスニクの見解では、
特許権の保護なくして製薬会社の収益はあり得ない。
ただし特許権にも制約がある、とレスニクは指摘する。例えば、合衆国では適用後 20 年
で権利が失効する(とはいえ、薬剤は 10 年で開発のもとがとれるらしい)。また、ひとつの
企業による独占を規制するため、ある程度の「コピーキャットドラッグ(copycat drugs)」(既
存のものに似ているが、そのマイナーチェンジが有用な改良と認められる薬剤)の発明が容
認されている。さらに、特許権は、それを認める国の中でしか法的に保護されない。途上
国の中には、この制約を利用して、政府公認のもとに国産のエイズ薬を安価で流通させて
いるところもある。
特許権がある程度制約されたものであること、および、特許権の保護がない場合のデメ
リットを考慮に入れれば、
「特許権の保護→製薬会社の巨額の収益→研究開発の保証→途上
国への援助義務の履行」というつながりが見えるだろう。したがって、途上国は製薬会社
の特許権を認める方が長期的に見て利益を得られるはずだ、とレスニクは結論する。
1-3. 生産的なビジネス環境
レスニクが考える「良好なビジネス環境」の要因とは、(1)一貫した効力ある法体系、(2)
倫理的な業務慣行、(3)安定した通貨、(4)信頼できる銀行システム、(5)自由で開かれた市場、
(6)よく教育された市民、(7)中流階級あるいは消費者階級、(8)物理的、社会的基盤、(9)民主
主義体制であり、それはとりもなおさず資本主義の成立条件である。確かに、このような
要因に欠け、非生産的なビジネス環境しかない途上国であっても、市場を広げるためにあ
る程度のリスクを負う覚悟が製薬会社には必要である。しかし、企業活動が不可能なほど
に環境が劣悪であることもありえるし、その場合に企業活動を行うことは、もはや製薬会
社の義務を越えている、とレスニクは論じる。したがって、逆に、ビジネス環境を整える
ことによって、途上国は製薬会社をひきつけることができる、とレスニクは結論する。
1-4. 相互性
レスニクは、「途上国のための薬剤開発」という問題の鍵は相互性(reciprocity)と協力
(cooperation)だと考える。すなわち、製薬会社は、途上国での疾病に効く薬剤の研究開発
に投資して製品の価格も値下げするべきであり、他方で、特許権の保護と良好なビジネス
環境を保証されるべきである。また、途上国は、特許に関する国際規約(TRIPS など)に従
って特許権を尊重し違反国からの輸入を禁止すべきであり、同時に、ビジネス環境を整備
する準備もすべきである。レスニクの主張の要点は、製薬会社と途上国双方の相互的な調
整こそが問題解決にとって重要だということである。しかし、どちらか一方が他方の厚意
に応えない場合には報復されるのが自然であり、そういった泥沼化は避けられなくてはな
らない、とレスニクは論を結ぶ。
2. ブロックによる批判
レスニクの基調論文の後に続いて、ブロックの「発展途上国における製薬会社の道徳的
責任に関する幾つかの問題」という批判論文が掲載されている。論文タイトルからも窺わ
れるように、その批判はレスニクの「道徳的責任」の議論に集中している。ブロックは、(1)
製薬会社の道徳的責務の性質とはいかなるものか、(2)製薬会社がそうした社会的責任を果
たすことは途上国のニーズを満たすために果たして適切なのか否か、を問題にする。
2-1. 責任の性質
ブロックは、まず、レスニクの論文中で挙げられていた、製薬会社が社会的責任を負う 2
つの理由を検討する。1 つ目の理由は、
「そうした責任を無視すると人々の憤激を買う」と
いうことであった。しかし、ブロックは、そもそもこれは企業が道徳的責務を負う理由た
りえない、とレスニクを批判する。これは、せいぜい社会的責任を果たすことが企業の自
己利益になることを示しているだけで、道徳的責務があるとは言っていないのである。
2 つ目の理由は、
「企業は個人のように善行と正義の道徳的責務を負う」ということであ
った。ブロックは、この理由について以下のように批判している。ブロックによれば、ま
ず第一に、企業と個人は似ているところもあるが、多くの点で異なっている。我々の社会
には、特定の目的のためにつくられた様々な社会制度が存在しており、それらは個人とは
別のものであり、それゆえ異なった責任を負うことになる。多くの人々は、企業の責任は
その出資者に対してあり個人の道徳的責任とは異なる、と考えている。したがって、レス
ニクのアナロジーに基づく議論は性急にすぎる、とブロックは述べる。
続いて、ブロックは、
「善行の責務」に関するレスニクの議論を批判の俎上に上げる。レ
スニクの言うように、個人が社会のために利害の最大限の比較考量を促進する道徳的責務
を負う、ということを信じている人はほとんどいないし、そう主張する道徳理論もほとん
どない、とブロックは述べる。全人類に対する善行は、不完全義務でしかない。たとえ我々
にすべての人々に対する善行の責務があるとしても、実際にはすべての人を救うことはで
きないので、我々は誰を助けるかについて決定権を持つと通常は考えられている。これら
はともにレスニクが述べていることでもあるが、ここから、他ならぬ途上国で社会的責任
を果たすという道徳的責務を導き出すことはできない。ブロックは、さらに立ち入った議
論の展開をレスニクに求めている。
さらに、ブロックは、正義に関するレスニクの主張にも欠陥を見いだし指摘する。ブロ
ックによれば、レスニクの議論では、私が公平に分配しなければならない利益と負担とは
一体何か(時間なのか、努力なのか、財産なのか)が不明であり、それらの公平な分配とはど
のようなものかも判明でない。また、最も基礎的なレベルでの正義の原理は、個々人の行
為ではなく基本的な社会制度の設計(design)に対して適用される。したがって、個々人は、
正しい制度を確立するのを助けそれを支持する責務は負うにせよ、
「利益と負担を公平に分
配する」道徳的責務を負うわけではない。
以上の検討を経て、ブロックは次のように述べる。レスニクが支持するような製薬会社
の社会的責任を確立するには、(1)企業と個人の類似点および相違点に関するより詳細な分
析、(2)そうした類似点と相違点をよりよく反映した、
「企業の善行と正義の責務」に関する
よりいっそう展開された説明、(3)企業の社会的責任に関するそうした分析を、社会正義を
確立する国家制度および多国籍制度の責務に関するより広範な説明へと統合すること、が
必要である。
2-2. 責任とニーズ
ブロックの第二の問い、製薬会社が責任を果たすことは途上国のニーズを満たす上で適
切か、に対する答えは、製薬会社が出資すべき財源の見積もり、途上国の人々の薬剤への
ニーズとそれを満たす上でのコストの見積もりなどに依存する。ブロックの概算によると、
途上国の HIV 陽性患者に薬剤を供給するコストは、年間 160 億ドルを超え、これは、1999
年における製薬産業の純利の実質的な部分に相当する。製薬会社がこのような出資をする
見込みがあるとは到底思えない。ブロックは、製薬会社による責務履行の実際的な見込み
を度外視してその責任をもっともらしく説くだけでは、途上国での薬剤のニーズが満たさ
れるはずがない、とレスニクの楽観を厳しく批判する。また、レスニクは、自己利益の観
点からも、特許を無視すると製薬会社が協力しないので途上国の長期的利益に反すること
になる、と述べているが、この自愛の思慮に訴える判断にも議論の余地がある、とブロッ
クは釘を刺す。ブロックによれば、自国の人々の生命と健康を救うには特許を無視するし
かないという場合に、特許を尊重する十分な道徳的理由などありえない。
製薬会社の収益の大部分は特許を尊重する先進国から得られており、途上国が特許を尊
重するか否かによって研究や新製品開発が著しく制約されることはないだろう、とブロッ
クは述べる。途上国のフリーライドを非難する声が上がるかも知れない。しかし、ブロッ
クの主張によれば、途上国のフリーライドとその結果としての不公正が、製薬会社を脅か
すほどの道徳的不正であるとは考えられない。
ブロックは、よりいっそう根本的な問題に目を向ける。すなわち、先進国と貧しい途上
国との間の巨大な収入格差こそが、途上国に通常価格で薬剤を買えなくさせている原因で
あり、今日の世界における最も深刻な不正義のひとつである。ブロックによれば、自国民
の生命と健康を救うために必要な薬剤を手に入れるべく特許を無視することは、毒をもっ
て毒を制す事例だとも言える。すなわち、世界規模の不正義が存在することによって、そ
れがなければ不正であったであろうような特許無視の選択が道徳的に正当化されるのであ
る。製薬会社の自発的努力を待ち、その社会的責任を論じるよりも、特許を無視される脅
威の方が、より効果的に製薬会社の「自発的な」努力を引き出すことができ、途上国は必
要な薬剤を入手できるだろう、とブロックは皮肉めいた結論を提示して批判を締めくくっ
ている。
3. ダニエルズによる批判
ブロックによる批判の後に、ダニエルズの「社会的責任と世界規模の製薬会社」という
批判論文が掲載されている。ダニエルズの場合もやはり、ブロックと同様、その批判の矛
先は「社会的責任」に向けられている。そして、批判は「社会的責任」の概念的問題と実
践的問題との二側面にわたってなされており、この点でもダニエルズとブロックの論法は
共通している。
3-1. 概念的問題
レスニクの言う道徳的責任とはどこから導かれるのか、とダニエルズは問う。レスニク
は、私企業は道徳の境界の外で活動しているのではないことを示すべく、誠実や公正など
の社会的価値がビジネスの環境を創出する、と論じている。これらの価値にコミットせず
にはビジネスはたちゆかない、と言うのである。しかし、ダニエルズによれば、この議論
は何も明らかにしていない。なぜなら、巨大製薬会社に帰せられるような特定の責務や責
任は、レスニクが提示した価値のリスト(誠実、高潔、忠誠、勤勉、公正(Resnik, p. 17))か
らは導かれ得ないからである。
レスニクは、企業もまた、環境や公衆衛生などの他の善に配慮する社会の中に存在する
以上その他の社会的責任を負う、と述べている。しかし、ダニエルズによれば、社会の内
部で企業に帰せられる特定の責任や責務は社会交渉の結果であり、そこでは、企業のイン
センティヴと生産性を保護することが、特定の責務が果たされないという公衆に対する帰
結に対して秤に掛けられるのである。ダニエルズの主張の要点は、企業に帰せられるよう
な責任や義務は、単純に社会が気にかけていることや恐れていることから導かれるだけで
はなく、国内的および国際的な交渉の結果でもある、ということである。こうした交渉な
くして、企業に帰せられるべき責任の内容は特定されないし明らかにされない、とダニエ
ルズは考える。
また、企業は、その決定が関係者に重大な帰結をもたらす点で行為者としての個人に似
ている、とレスニクは考えている。しかし、企業の決定が企業の外部の人々に影響を及ぼ
す、という事実からいかなる責任が導かれるのかは不明だ、とダニエルズは批判する。ダ
ニエルズによれば、その導出についてレスニクは十分詳細には述べていない。国内でも、
国際的にも、社会とその法体系は、そうした影響を考慮に入れ、帰結と利益とを比較考量
し、社会的責任について語るための法的(あるいは道徳的)枠組みを確立する。しかしながら、
その細部は、活動の性質から導かれるのではなく、ある種の熟慮から導かれる、とダニエ
ルズは自説を強固にする。
3-2. 実践的問題
ダニエルズは、巨大製薬会社に裏切られ続けてきた途上国の観点を考慮するようにと読
者を促す。途上国は、特許を無視し自国で薬剤を生産することで自国民のニーズをうまく
満たすことができる。レスニクは、特許無視によって製薬会社から競争に必要な利益が奪
われる、と述べるが、ダニエルズによれば、これは実際の事実からは導かれ得ない。なぜ
なら、すでに特許無視を行う国が存在しているにもかかわらず製薬会社の巨大な収益に変
わりはないからである。
また、レスニクは企業と途上国が互いの社会的責任を果たせばうまくいくと述べるが、
これでは、途上国に対して企業がその社会的責任を果たす保証はないも同然である、とダ
ニエルズは反論する。そうした責任を執行させる何らかのメカニズムを用意して「保証問
題(the assurance problem)」を解決しなければ、製薬会社の重い腰を上げさせることは叶
わない。ダニエルズに見立てでは、知的財産権関連の条約にしてみたところで、製薬会社
の社会的責任を執行させることはできず、逆に途上国の特許遵守の責任のみを強調する結
果になっている。
「保証問題」は途上国のみならず企業においても生じてくる。ダニエルズは、以下のよ
うな現実的な見解を提示する。途上国を援助することで当然の分け前にあずかれるのなら、
製薬会社はその社会的責任を果たすだろう。しかし、利益が上がらないなら、製薬会社は
途上国に対してできることを再考するだろう。収益を犠牲にしようとする企業は競争の中
で不利になる。絶え間ない競争の圧力によって、いかなる企業も社会的責任の不履行へと
押し流されてしまう。
ダニエルズは、途上国の薬剤問題を解決するには、巨大製薬会社を規制し途上国のニー
ズに応えられるよう貢献させる国内的および国際的行動が必要だと考える。製薬会社の社
会的責任を制度化すれば、
「保証問題」と取り組めるであろうし、そうした制度化は、とり
わけ途上国にとって、インセンティヴ、収益、公益のバランスを体現することになるだろ
う、とダニエルズは考える。社会的責任を「認知」するだけで、そうした制度の設計に関
する我々の熟慮と社会的交渉を欠いていては、製薬会社の責任も、明確で決定的な道徳的
領域の形を取って目に見えてくることはない。
4. まとめと考察
レスニクの議論があまりにも素直すぎて批判を待っているかの如きであるのを見るにつ
け、果たしてこれは八百長の喧嘩ではないかという疑いがわかぬでもない。とはいえ、レ
スニクの毒気のない論述と、それに対する厳しい批判とを並べてみることで、論点はいっ
そう立体的に見えてきたはずである。ブロックとダニエルズの批判の共通点は、レスニク
が述べた道徳的責務や社会的責任という概念が不明確である、ということ、および、その
種の責任を述べ立てるだけでは状況を改善させるのに実践上何の役にも立たない、という
ことである。
レスニクの責任概念に対する批判の中で、ブロックとダニエルズがともに問題視してい
るのは、企業と個人のアナロジーの妥当性である。ブロックが正しく指摘しているように、
個人と組織は類似点があるにせよ別のものであり、それが責任との関係で語られるときに
は、その相違点を慎重に書き出してゆかねばならないはずである。その点でレスニクはあ
まりにも素朴に両者のアナロジーを持ち込みすぎている。通常、組織の責任は、何か不正
行為や過失が生じた後に問題になることが多いが、薬剤開発の場合では、
「社会的責任」を
果たすべくこれから何かを行うことが問題となる。ここでは、そもそも企業などの組織体
が存在目的以外の「社会的責任」などというものを負うているのか、ということ自体が丁
寧に問われ論じられなければならないだろう。
また、責任の実践的効力が疑われる中では、特許権に対する態度が問題となる。レスニ
クが薬剤に対する特許権を尊重するべきだという論調であるのに対し、ブロックとダニエ
ルズはともに特許権を無視してでも途上国の人々の生命と健康を守るべきだと主張してい
る。もちろん、レスニクは、途上国の人々を救うにはむしろ特許権を尊重した方がよい、
と逆説的に論じているわけではあるが、そこに費やされている論証にあまり説得力がなく、
単なる楽観論に終わってしまっている感は否めない。また、途上国における特許権侵害に
よって、実際にどの程度の損失を製薬会社が被っているのか、という事実認識の相違も立
場の違いを生む原因のひとつである。とはいえ、国際世論の現状を鑑みれば、今後製薬会
社が取りうる道は、特許侵害を黙認するか欲張らずに自発的にその責任を果たすかのいず
れかであり、そのいずれも回避しようとする現在の態度は維持できないであろうと思われ
る。
実践的問題として疑問に思うのは、レスニクの「相互性」は本当に相互的か、というこ
とである。製薬会社の譲歩と途上国の譲歩とは果たして同等のものとしてトレードできる
のだろうか。薬剤をめぐる一連の問題を互いに「死活問題」として認識しているとしても、
その切実さは同等のものだと言えるのだろうか。この種の感受性がレスニクの議論の中に
は見て取れない。
また、1-3 での途上国におけるビジネス環境の整備については、ブロックが最後に述べて
いるように、先進国と途上国の富の格差を考慮せずに論じるのはナンセンスであろう。貧
しいがゆえに劣悪なビジネス環境に陥り、レスニクの言うようにその環境のせいで製薬会
社の協力が遠のくとすれば、途上国は悪循環の連鎖の中から抜け出せず永遠に困窮するこ
とになりかねない。レスニクの提案そのものが皮肉にも不可避的な不平等の事実を言い当
てているとするならば、途上国に残された手段は「毒をもって毒を制す」こと以外にはあ
るまい。この論点については、
「交渉」や「熟慮」をキーワードとするダニエルズに明るい
方向性を見いだすことができるかもしれない。しかし、その具体的なプロセスは語られな
いままである。
生命や健康の危機という現実が、特許権をはじめとする知的財産権のあり方、および、
企業の社会的責任のあり方、果ては資本主義のあり方の問い直しを余儀なくさせる。先進
国に生きる我々が、考えなくてよいものとしてあえて忘却していた生きることの根本的前
提条件が、再び意識上に引き上げられてくるように思える。本論で取り扱った 3 本の論文
では、専ら製薬会社の社会的責任に議論が集中していたが、特許権や責任を視野におさめ
つつ生命や健康と医療との関係についてさらに哲学的に問うてゆく必要があるだろう。ま
た、レスニクの議論では、資本主義がモデルとして疑われることなく前提されすぎている
ように思える。生命を左右するような技術が資本主義の論理のみで流通する現状に対して、
もっとラディカルな批判が必要である。(了)
文献
・Resnik, David B., 'Developing Drugs for the Developing World: an Economic, Legal,
Moral, and Political Dilemma', in Developing World Bioethics, vol. 1, no.1, 2001.
・Brock, Dan W., 'Some Questions about the Moral Responsibilities of Drug Companies
in Developing Countries', in Developing World Bioethics, vol. 1, no.1, 2001.
・Daniels, Norman, 'Social Responsibility and Global Pharmaceutical Companies', in
Developing World Bioethics, vol. 1, no.1, 2001.
参考ウェブページ(日本語)
・北沢洋子記事: http://www.jca.ax.apc.org/parc/opinion/aidswar.html
・ル・モンド・ディプロマティーク記事:
http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/0107.html
・田中宇の国際ニュース解説記事: http://tanakanews.com/a0925AIDS.htm