万次郎の精神が大きく広がって - 一般財団法人「ホイットフィールド

日 米 友 好 の 礎 を 築 い た 人 ─
活動報告
劇団四季「ジョン万次郎の夢」
に日野原先生も感激。
4月14日から5月5日まで、
東京の四季劇場でミュージカル
「ジョン万次郎の夢」
が
ジョン万次郎ニュース
No.9
2013.5.10
万次郎の精神が大きく広がって
上演されました。
この作品の中で万次郎は
「大切なことは人の心を開くことだ」
とい
います。200年以上も続いた鎖国の日本に戻り、人々の代表が国の舵取りをするア
メリカでの体験を日本人に伝えるために万次郎は国禁を犯した罪を問われるのも
恐れず行動し、
国を開くことの必要性を皆に説きます。
「夢をあきらめない」
「勇気を
持って行動する」
日野原先生が子供達に語る情熱がこのミュージカルにも流れてい
ます。
鍛えられた出演者たちの歌と踊りと台詞に子供だけでなく大人も引き込まれ
る舞台でした。
日野原先生も終演後出演者たちと言葉を交わし、
「これからも万次郎
の精神と働きを舞台で多くの人々に伝えてください」
と言葉をかけられました。
万次郎役の岸 佳宏さん
(左)
、
船長役の田島亨祐さん
(右)
と
万次郎の生き方に学ぶ
「いのちの使い方」
事務局報告 2012年度事業報告
昨今、私の百一年の人生とは一体どのようなものだっ
当財団は、2009年5月7日に開設、町に譲渡された米国マサチューセッツ州フェアヘーブンの「ホイットフィールド・万次郎
友好記念館」が末永く日米友好の証となるように支援・協力しています。国際交流および国際相互理解の促進と併せて児童・
青少年の健全な育成に寄与することも目的の一つです。以下に2012年度の活動の概要を報告いたします。
・ホイットフィールド船長・万次郎ゆかり ・チャリティ・ゴルフ会
の地へ桜の苗木を寄贈
10月2日(火)に第4回目のチャリ
今年度「さくら募金」活動を行ない、 ティ・ゴルフ会が48名の参加者を得
フェアヘーブン・ニューベッドフォー
て神奈川県大磯町レイクウッドゴル
ドに桜の苗木17本を寄贈。
8月14日に
フクラブで開催されました。
このチャ
は桜が植樹されたクック記念公園で
リティ・ゴルフ会の収支余剰金は全て
日野原理事長をはじめ関係者が集い 「友好記念館」の管理運営費に充当す
式典が行なわれました。
るよう現地の「友好協会」に寄附いた
・日米友好・万次郎ツアー
しました。
8月13日∼19日の間「日米友好・万
次郎ツアー」を主催し、日野原重明理
事長以下同行者30名でボストン、
フェアヘーブン、ニューヨーク、フィ
ラデルフィアを訪問し現地の方々と
の交流を深め、
ニューヨーク講演会等
を通して国際相互理解の促進を図り
ました。
(詳細は万次郎ニュース8号に
掲載)
2012年度収支報告
科 目
【収入の部】
寄附金収入
(チャリティ・ゴルフ寄附金)
(一般寄附金)
(さくら募金)
雑収入
収入合計(A)
【支出の部】
事業費
(友好記念館支援事業)
(さくら植樹米国訪問事業)
(チャリティ・ゴルフ事業)
管理費
支出合計(B)
当期収支差額(A)
−
(B)
(単位:円)
金 額
3,532,736
(406,00)
(1,068,736)
(2,058,000)
1,617
3,534,353
2,237,630
(796,594)
(1,230,220)
(210,816)
1,424,095
3,661,725
▲ 127,372
・講演会
7月20日(金)
「『漂巽紀畧』で読む万
次郎のメッセージで万次郎が伝えた
かったこと」講師:北代淳二氏と3月8
日(金)
「 ゴールドラッシュと万次郎」
講師:北代淳二氏でジョン万次郎の精
神を伝える講演会を東京都千代田区
平河町の砂防会館で行いました。
(本
紙に報告掲載)
・万次郎ニュースの発行
5月に7号「伝え続けよう万次郎の
生きかた」を12月に8号「『桜植樹記念
式典』を万次郎ゆかりの地で開催」を
発行しました。
・理事会・評議委員会
5月8日(月)と、翌年2月(書面)に理
事会と評議員会が開催されました。
2013年度
「日米友好万次郎ツアー」
のご案内
Aコース 10月4日
(金)∼10月15日
(火)
ボストン→フェアヘーブン→ボストン→ニューヨーク→
サンフランシスコ
(Bコースに合流)
Bコース
10月8日
(火)∼10月15日
(火)
サンフランシスコ→オークランド→コロマ
(ゴールドラッシュの
地)
→サクラメント→サンフランシスコ
(日野原理事長講演会)
フェアヘーブンの桜植樹記念式が行
なわれたクック公園で第1回桜祭り
が4月28日(日)に行なわれ、太鼓の
演技が披露されるなど晴天にも恵ま
れ町の方々で大いに賑わいました。
開催を知らせるポスター
一般財団法人ライフ・プランニング・センター内「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」
協力の会
〒102-0093 東京都千代田区平河町2-7-5 砂防会館5階 TEL: 03-3265-1907 FAX: 03-3265-1909
たのだろうかと振り返ってみることがあります。
そして、
病弱だった子どもの頃や結核と闘いながら悩み多き青
春時代を過ごした経験は、その後医師として生きる私に
大きな恩寵でもあったということに思い至っています。
またさまざまな人たちとの出会いや医師として数え
切れない看取りの体験から「いのち」について考えてき
ました。その中で私は2003年のお茶の水女子大学付属
小学校での授業を皮切りに、以後10年間にわたって「い
のちの授業」を行ってきました。これまでに215校にの
ぼっています。その中には2011年の万次郎ツアーの際
に訪問したニューヨーク育英学園もあります。私は子ど
山口での「いのちの授業」
のようす
(生野小学校・2011年)
もたちに「いのちとは何か」と問いかけ、
「 いのちはあな
たの持つ時間のことだよ」と話します。そう、いのちはあなたのもっている時間なのです。
万次郎もまた、自らの運命と幕末史の抗いがたい大きなうねりに翻弄されながらも、自らの時間(いのち)を日本の
ためにつかいきったのです。次ページにご紹介するように中濱万次郎を生き方のモデルとして、これからの世界を託
す子どもたちに向けてのさまざまな活動と取り組みが始まっています。これは私の今までの人生の中でももっとも
大きな喜びとするところです。
「ホィットフィールド・万次郎友好記念館」協力の会理事長 日野原
重明
WHITFIELD-MANJIRO FRIENDSHIP SOCIETY, INC.
REPORT FOR 2012
The year of 2012 was a very busy one for the Society. The Friendship House Museum hosted a total of 714 visitors, an
increase of 151 over 2011. The Museum was open on Saturdays and Sundays from 12:00 ‒ 4:00 PM from June 2 to Sept
2. Aside from this, appointments are made for any day of the week by telephone or e-mail. Among the tour groups
which visited were; Uenomiya High School of Osaka, Japanese college group under the Knowledge Investment
Program, Dr. Iwashita s college group who participated in supper in the style of Manjiro s time, Keio Academy group
(from Purchase, New York),Harvard University group, Boston Japanese Women s Club, Labo language group, Japanese
Seniors from Showa(Boston)and Texas Grass Roots Summit optional tour group. As well, a group of students from
Shimizu High School, Tosashimizu, were hosted for a 9 day local homestay. Asahi TV crew visited to film Manjiro
surroundings for JAL publicity re: the launch of the 787 Dreamliner flights non-stop between Boston and Tokyo.
As well, the Society participated in: United Way Youth Day of Caring, Fairhaven Homecoming Festival, Fairhaven History
Day, Fairhaven Bi-centennial Family Day, 4th Manjiro Festival in Tosashimizu, Emperor s Birthday Celebration and
Fairhaven Old Time Holidays. The Society was pleased to host the visit of Dr. Hinohara and 25 others on August 14 at
which time he dedicated the cherry trees he had donated to Fairhaven and New Bedford.
フェアヘーブンの「万次郎友好協会」ルーニー会長からの2012年度活動報告
ゴールドラッシュと万次郎
北代淳二
10年にわたる万次郎の海外体験の
中で特筆されるのは、
アメリカ史上有
名なゴールドラッシュに、彼がただ一
カリフォルニアから遠く離れたニューイングランドでも
それによりますと、万次郎はまずサンフランシスコから金
ゴールドラッシュの話で持ち切りでしたが、
おそらく万次郎は
山近くのサクラメントまで、川を「シチンボール」
という
「異
航海中に立ち寄った情報基地のホノルルでいち早くゴール
船」
でさかのぼりました。
「シチンボール」
とは「スチームボー
ドラッシュの話を耳にして、日本へ帰る資金を作ろうと密か
ト
(蒸気船)」のことですが、帆船にしか乗ったことのない万
に金山行きを計画していたのかもしれません。
次郎はその速度に驚いて、
「疾走の甚しき事なお譬ふるに物
フランクリン号を下船してから僅か2ヶ月ほどあとの11月
人の日本人として加わったことです。
27日、万次郎はホイットフィールド船長の許しを得て、再び
1848年(弘化4年)1月24日にカ
船に乗ってゴールドラッシュの地へと向かいました。
なし」
と述べています。
サクラメントから金山にたどり着くまで、徒歩や馬で更に
5日かかりました。
金山での暮らしのようす
リフォルニア北部のコロマで金が発見
当時アメリカ東部からゴールドラッシュの地に向かうルー
金山の中心部はフォーティナイナーズの荒くれ男たちであ
されました。サンフランシスコから北
トは三つありました。第一は幌馬車ではるばる大陸を横断す
ふれ、いかがわしい宿や店が軒をつらねて賑わっていまし
向かいました。
そしてこの資金で帰国準備を整え、翌51年2
漂巽紀畧より
るルート。第二は船でメキシコ湾をパナマ地峡に向かい、地
た。そして
「党を結び方便を以て人の財を奪ひ取り、甚しき
月に琉球上陸を果たすことになります。
のほとりに立つ製材所の放水路で、偶然に発見されたもの
上を太平洋側に出て再び船でサンフランシスコへ向かう
は人を銃殺するに至り、暴横なる事制すべからざるに至る者
ゴールドラッシュに加わった万次郎の姿から、捕鯨生活で
です。付近一帯に豊富な金脈があることが分かり、最初は関
ルート。そして第三は大西洋を南下してケープ・ホーンを回
すこぶる多し」
という無法状態でした。万次郎も護身用の武
培った強靭な体力と精神力、そして緻密な計画力と勇気が
係者だけの秘密にされていたのですが、噂はゴールド大発
り、太平洋に出てサンフランシスコへ北上するルート。万次
装をしていたでしょう。
感じ取れます。
このとき万次郎は23歳でした。
見のニュースとなって、
アメリカ国内はもとより全世界ヘと広
郎が選んだのは第三のルートで、折よくニューベッドフォー
万次郎は最初の1ヶ月ほど金鉱に雇われて働き、貯めた
がって行きました。
ゴールドラッシュの始まりです。翌49年に
ドから材木をサンフランシスコへ運ぶスチグリッツ号という
資金で器材を買うと、後は独り立ちして採金しました。手に入
の金山で汗を流していた頃、大流行していた歌があります。
は一攫千金を夢見て集まる男たちの数が数万人に達し、「
貨物船を見つけ、
その乗組員として雇われたのです。
れた金は1ドル銀貨に交換するのが普通で、朝から晩まで
スティーブン・フォスター作詞作曲の
『おースザンナ』
です。
へ約200キロ、
シエラネバダ山脈の川
フォーティナイナーズ」
(49年者)
と呼ばれました。
一方万次郎は、ホイットフィールド船長の故郷のフェア
ヘーブンで教育を受けたあと、1846年5月に捕鯨船フラン
スチグリッツ号は南米の港に立ち寄りながら北に向かい、
サンフランシスコに着いたのは約6ヶ月後の1850年5月下
旬のことでした。
採金して一日に銀貨20枚から25枚になるときもあれば、1
枚にもならない日もあるという具合でした。
ひょうそんきりゃく
ゴールドラッシュ余話をひとつ。万次郎がカリフォルニア
日本でもおなじみのこの歌は、
ゴールドラッシュが始まっ
た1848年に出版されました。
フォスター自身も、
またこの歌
そして
『漂巽紀畧』
には、万次郎が「合算七十余日にして銀
の内容もゴールドラッシュとは直接関係はありませんが、
た
クリン号の乗組員として航海に出ました。
カリフォルニアが
万 次 郎 のゴ ー ルドラッ
六百余枚を得.八月上旬を以て金山を発程せり」
と述べてい
ちまちヒットして多くの替え歌ができ、
ゴールドブームに沸く
ゴールドラッシュにわいた1848年から49年にかけてはまだ
シュ体験は、2年後の1852
ます。
つまり万次郎は、金山に入って2ヶ月余りで600ドル余
カリフォルニアでも大流行しました。
太平洋で鯨を追う毎日でした。
年、帰郷した高知で画家の
の収入を得たことになります。
1849年9月23日、
フランクリン号はニューベッドフォード
万次郎がフランクリン号の3年4ヶ月の捕鯨航海で得た
河田小龍が万次郎からの聞
ひょうそんきりゃく
へ帰港。3年4ヶ月ぶりにホイットフィールド家に帰り船長
書きをまとめた『漂巽紀畧』
夫妻と再会を祝ったのもつかの間、万次郎は驚くほど敏速に
に、生き生きと記されてい
次の行動に移ります。
ます。
配分金が350ドルだったことと比べると、
大変な違いです。
万次郎はこの600ドルを手にしてさっさと金山を下り、サ
ンフランシスコから便船を得て漂流仲間が待つホノルルへ
日本に帰った万次郎が、1852年に長崎奉行所の取り調べ
を終えて故郷の高知へ帰る途中で、迎えの土佐藩の役人た
ちにこの歌を歌って聞かせたという記録があります。万次郎
が『おースザンナ』
を歌った最初の日本人であることは間違
いないようです。
子どもたちに向けての
「万次郎」
ムーブメント
「ジョン万次郎の勇気と努力に学ぶ」
「新老人の会」信州支部の活動より
「次世代のために、子どもたちの未来のために、20年後には世界中から羨ま
間、外国の家庭に滞在し、異文化を肌で感じてくるといった、14歳の万
次郎がひとりでアメリカという異文化のなかで生活したのと同じよう
しがられるような日本をつくりたい」。そのためには「万次郎の生き方を通じ、
な経験をするのです。
夢を持つことの素晴らしさを日本の若者に伝えたい」。
今回の舞台では参加者への激励として、横浜の幼児から大学生70余
「新老人の会」信州支部の会員の横内祐一郎氏らが中心となって、地元教育
名によって『John Manjiro Was Here』が発表されました。ラボの活動
委員会や信濃毎日新聞社と講演実行委員会を立ち上げ、2012年4月20日
は、指導者であるラボ・テューターのもとに週に1回集まって行なわれ
(金)に長野県松本市で、中・高生を中心とした1200人を集めて「ジョン万次郎
ます。このグループは昨秋よりこの物語に取りくみはじめ、英語と日本
の勇気と努力に学ぶ」と題した講演会が行われました。その後、多くの感想文
語二言語による劇の発表の準備をしてきました。ラボの劇発表は指導
の中から選ばれた4名の学生(中2・3、高1、大1年生)に、万次郎ゆかりの地
者による演出ではなく、子ども同士がこの物語から感じること、学んだ
フェアヘーブンやニューベットフォード、
ニューヨークを訪ねる旅(9/9∼15)がプレゼントされました。
ことを共有し、登場人物やそのときどきのシーンなど、自分たちで表現したいものを徐々にかたちにしていきます。子ども
たちは発表後にこんな感想を寄せてくれました。
ラボ教育センターの英語劇から子どもが「万次郎に学ぶこと」
「万次郎の物語を通じて感じたのは、万次郎のチャレンジやあきらめない心です。ぼくもホームステイに行くので、万次
ラボ教育センター 渡邊浩之
郎のようにあきらめずどんどんチャレンジしていくぞ!」
(中1男子)。
「どんなつらいことがあってもそれを乗り越えてが
Captain Whitfield, I ll be glad to go to America with you! 船長、ぼく、アメリカ、行きます 。ラボの英語教材『John
んばる。そんなすてきな人になりたいです」
( 中2女子)。
「 未知なる世界に飛びこもうとした勇気を見習いたい」
( 中3男
Manjiro Was Here ジョン万次郎物語』
の第一幕は、アメリカ行きを決意する万次郎のこのセリフで幕を閉じます。
2013年3月17日(日)、ラボ教育センターは、今年のラボ国際交流(10代の青少年の海外ホームステイ交流)の参加者を
激励する「ラボ国際交流のつどい」を日比谷公会堂にて開催しました。このホームステイ交流の参加者は、
『John Manjiro
Was Here』や、鶴見俊輔氏が万次郎について書いた本を読むといった準備活動を行ないます。そして夏休み中の約1か月
子)。
「万次郎のいちばんすごいところは何事にも興味をもつ好奇心と、何事もやってみようというチャレンジ精神です」
(高2男子)。
170年前にアメリカにひとり渡った万次郎。現代の日本の子どもたちが彼に学んで成長する姿に、きっと微笑んでくれ
ていることでしょう。