<25 年は、霊の人> ローマの信徒への手紙 7 章1~6 節 2012 年 12 月 30 日 いよいよ明日で今年を閉じるようになりました。一年間、振り向いてみたら、如何ですか。 霊的な信仰生活をしましたか。いや「霊的な信仰生活」と言う言葉より「霊の人」と言う 表現が先になるかもしれません。そういう意味で、明日までの 24 年が過ぎ、25 年が目の前 に来ますので、今日は「25 年は、霊の人」と言う説教題をつけて見ました。1989 年が平成 元年ですので、あさってからは、平成 25 年になります。「来年の 2013 年、つまり平成 25 年には、より霊の人になりましょう」と言うのが今日の説教です。個人的、または教会と して、新年に向かってどういう姿勢を持っていたら、良いか、そういう観点で、パウロが 書いた、ローマの信徒への手紙 7 章を基づいて、 「霊の人」について考えて見ましょう。 私達の体、つまり五体は聖霊が宿る神の宮です。 「霊の人」になる方法は「御言葉と祈り」 に集中する方法以外にはありません。 「霊の人」になりますと、人の言葉や行動や姿などが変わるのです。 教会の中でも、新年に向かう自分として、自ら奉仕したくなるのです。 丁度、先週、木曜日 27 日に車に乗せられた、2 人の教役者と和智一郎兄弟、3 人が、 「埼玉 県の久喜市」に、引っ越しした矢野さんのお宅に参って「新居礼拝」を捧げました。その 家には非常ベールのボタンが 3 つありました。トイレとお部屋とリビックルームに、万が 一、緊急の時は、非常ベールを押せば、誰かが来るようになっている高齢者向きのアパー トでした。 矢野よしひさ兄弟は、もうアメリカでバプテスマを受けた方なので、先々週、執事会と 話し合い、年が明けたら、渋谷教会に転会すると、約束をしたので、引っ越しした家でも 当然課題になって、再び確認しました。その上、先々週、実行委員長会に陪席した、矢野 さんからご提案があった聖歌隊について、ご自分は参加したい希望をもう一度、聞かせて 頂きました。当教会には 3 人のベテランの賛美のメンバーがいますので、矢野さんは「取 りまとめ」役の聖歌隊長になったら、どうですかと尋ねると、否定ではなかったのです。 アメリカで聖歌隊で奉仕した事があるという事で、日本に戻って教会に所属すればご自分 の奉仕は聖歌隊だと思っていたようでした。また、役員から推薦された金ジュヒ姉妹まで 入れると、矢野さんを含め、5 人になりますね。 「悩まないで」と言う賛美が期待になりま す。私も悩まなくて、神様によりすがる「霊の人」になりたいのです。 今年 24 年、皆さんは個人のディボーションの時間を持ちましたか。 毎日の朝、目が覚めたら、 「御言葉と祈り」のディボーションの時間、持たなかったら、新 年からは、10 分でも持ち、より「霊の人」になりますと、「霊の実を結ぶ」事が出来ます。 「霊の実」とは、ガラデア書では、それを、愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、 誠実、柔和、節制、など聖霊の 9 つの実を結ぶ事だと記されています。 最近の聖書通読は、ローマの信徒への手紙を聞いて分かち合っていますが、ローマ書 1 章 ~5 章まで、分かち合った証を聞いてみましょう。 今日の御言葉 7 章は、私達の信仰生活が律法にひっぱられ、しょうがなくて、信仰生活を する事ではなく、聖霊に導かれ、自発的に従順する事を語っています。6 節を見ると、「し かし、今は、私達は、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放され ています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、<霊>に従う新しい生き方で仕え るようになっているのです。」私達は神と律法が怖く、しょうがなくて守る、そういう生き 方ではなく、聖霊の導きによって喜んで主に仕える事を語っているのです。 パウロはこれを説明するために先ず、私達が律法から解放された人々だと強調していま す。4 節の前半を見ましょう。 「ところで、兄弟達、あなたがたも、キリストの体に結ばれ て、律法に対しては、死んだ者となっています。 」イエス様を信じている私達は律法に、し ばられて生きる人ではありません。聖書通りに従わなければ、罰を受けるか、怖くて御言 葉を守る事ではありません。なぜならば、神の義を受けている私達には、もうすでに、 律法に対しては死んでいて律法が私達に対しては効き目を失っているからです。パウロは これを証明するため、一般的な夫婦関係の原理を適応して説明しているのです。 それが 1 節~3 節です。 1節では「律法とは、人を生きている間だけ支配する者である」と言う言葉から始めるの です。法は人がなくなると、法の効き目は、なくなるのです。執行(しっこう)対象者が なくなるからです。これは夫婦関係にも、適応されるのです。結婚と共にお互いに法的な 拘束力(こうそくりょく)を持ちますが、どちらか、亡くなると、法的な拘束力から解放 されるのです。2 節もそれを語っています。 「結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫 に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結び付けていた律法から解放されるのです。」 とあります。夫が生きている時、妻は夫に仕える責任があります。しかし、その夫が亡く なると、その夫はそれ以上、妻に何も出来なくなります。他の夫に迎えても、それは間違 いではありません。3 節にも同じです。 「従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦 通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても 姦通の女とはなりません。 」 本文の 5 節にも私達、 以前の姿が記されているのです。 「私達が内に従って生きている間は、 罪へ誘う欲情が律法によって五体の中に働き、死に至るまで実を結んでいました。」神を離 れた人間でも、その中には残された神の品性があります。言わば、良心という事です。 ところで、神が残して下さったその良心までも持続的な犯罪によって鈍感になってしまう 可愛そうな人がいます。そのような人々は罪の情欲通りに生活するのです。持ちたいと思 ったら、どういう方法でも持ってしまい、取りたいと思ったら、どういうやり方でも取っ てしまう者達です。そして、罪ある生活をしながらも、全く良心について気にかかり、と か、呵責(かしゃく)を受けないのです。 私達の仕えと奉仕は、律法に縛られて仕える事ではなく、新しい霊によって仕えるのです。 こういう私達の都合を御言葉 6 節は、こう語っています。 「しかし今は、私達は、自分を縛 っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従 う古い生き方ではなく、霊に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。」旧約の 時代にも、聖霊が働きましたが、新しい時代・新約の時代は、本各的に聖霊が働く時代な のです。聖霊様が神の法を私達の心に刻むからです。もう旧約でも預言しています。エレ ミヤ書 31 章 31 節そして、33 節を蓮香先生、読んで下さいませんか。31 節「見よ、私がイ スラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。 」33 節「しかし、 来たるべき日に、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである。と主は言われる。即ち、 私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。私は彼らの神となり、彼らは私 の民となる。 」 ありがとうございます。 これは再び、 エゼゲル書 36 章 26 節~28 節によりますと、よりはっきり説明されています。 新共同訳の場合は旧約聖書 1356 ページになります。お読みいたします「私はお前たちに新 しい霊を置く。私はお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、私の霊 をお前たちの中に置き、私の掟に従って歩ませ、私の裁きを守り行なわせる。お前たちは、 私が先祖に与えた地に住むようになる。お前たちは、私の民となり、私はお前たちの神と なる。 」 神様が私達に新しい心を与える!新しい心を植えて下さると言う御言葉です。その新しい 心の実態は、 聖霊です。神様は私達の心の中に聖霊を送って下さって、その聖霊によ って神様の御言葉、掟に従って歩ませ、守り行なわせるように力が与えられると語ってい るのです。罪の法から解放され、キリストのアリアに移った人、ヤーウェ神の法に従う人々 の心には、聖霊がいらっしゃる、インマヌエル主として宿って内在しているのです。そし て、その聖霊によって恵んで下さる神様に向かって実を結ぼうとする心が生じるようにな るのです。聖霊が臨まれた人なら、こういう心を持つようになるのです。 これからは、私達が主に仕える理由がはっきりではないでしょうか。聖霊の内在はキリス ト者の新しい人生、新しい生活の特徴であり、その結果、私達は律法に従ってしょうがな くて生きるのではなくて聖霊の新しい生活のやり方に従って自由に生きるのです。聖霊様 はこの事のために、内在、宿って下さるのです。その方の働きに従って行けば自動的に神 のために実を結ぶ「霊の人」になるのです。25 年新年は、私達の内に宿って聖霊様が働か れるように、祈りの生活をしましょう。御言葉を読む毎日のディボーション、Q-T- 、朝起きて 10 分でも 30 分でも神様との時間を持ちましょう。そうすれば私達の中に宿っ ている聖霊が活発に働いて、より知恵ある生活が出来、日々「霊の人」になるのです。 あの有名な使徒言行録1章8節の御言葉にも「あなた方の上に聖霊が降ると、あなたがた は力を受ける。そして、エルサレムばかりではなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、 地の果てに至るまで、私の証人となる。 」と記しています。聖霊が降って力を受けると、証 人となる生活が出来るでしょう。「証人となる生活をしなさい。 」という事ではない事に ご注目ください。私達クリスチャン達の生活は聖霊に従って実を結ぶ人生です。これがキ リスト者の新しい人生の生き方です。聖霊に従って教会を仕える方、奉仕する方が新年の 奉仕になると、うちの教会に、ものすごく変わるのです。 一人一人がディボ―ションを通して少しでも以前より「霊の人」になった人々が主日、 教会に集まれば、ものすごく教会は変わるのです。礼拝出席者が増える事ばかりではなく、 教会に仕える人も増えつつ、お互いに助け合い、温かさを感じられ、より安らぎが与えら れ、色んな面で、右上がりになります。厳しい一周間の生活の中で主日、教会に行けば、 平安と平和が与えられ、主の存在と恵みに感謝し、主に栄光を捧げられるのです。教役者 を含め、奉仕者が主の御前にひざまずいて祈れば、聖霊が降り、福音の証人となるのです。 教会の頭(かしら)であるイエス・キリストは、教会に平安と平和、そして喜びが溢れる 天国のようにして下さり、私達を証人となるように働いて下さるのです。願わくは、当教 会の来年の希望は、7 人の委員長と 3 人の各会長、そして聖歌隊長が、別の 11 人によって それぞれ、立てられたら、幸いです。11 人+執事会のメンバー、そして奏楽者まで加えら れれば、渋谷教会の右上がりは、火を見るよりも明らかになるでしょう。 もう一つは、私達の中にインマヌエルの神が皆さん一人一人のうちに宿られている事を 考えたら、どういう人も無視する事が出来ないのです。その人を見る事ではなく、その人 の中にいらっしゃる、神、聖霊を見ると言う観点だったら、私達どうしの葛藤とか憎しみ とか偏見とか、差別などがあり得えないのです。本当に平和、平安が与えられるのです。 気まぐれの人もその人の中にいるインマヌエルの神を意識すれば、その人に対しての私達 の姿勢は変わって来ます。そういう信仰を持っている人が役員になり、奉仕者になって下 されば幸いです。新年には私達、全部が今年より、少しでも「霊の人」になりましょう。 お祈りいたします。
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