いばらきっ子郷土検定事業事前問題 解答と解説

平成28年度いばらきっ子郷土検定事前練習問題解答と解説
県問題
組
番号
1
番 氏名
解 説
答
2015年(平成27年)10月1日現在,茨城県の総人口は2.917,857人で,約292万人です。
2
2
茨城県の面積は,6,096.93㎢で全国第24位です。一番面積が大きいのは北海道の78,421.16㎢で,一番面積が小さいのは香川県の1,876.73
㎢です。(平成26年10月1日現在)
3
3
平成の大合併により,茨城県は44市町村(2015年,4月1日現在)になりました。内訳は32市,10町,2村です。
3
4
茨城県は福島県,千葉県,埼玉県,栃木県の4県と接しています。
3
5
茨城県内には,常磐(じょうばん)高速道路(常磐道),北関東自動車道(北関東道),首都圏中央連絡自動車道(圏央道),東関東自動車道
水戸線(東関東水戸線)の4本の高速道路があります。
4
2016年(平成28年)7月1日現在,東関東水戸線と圏央道の未開通となっている区間について,早期の開通を目指し用地の取得や工事が
進められています。
6
特急「ひたち」が、水戸駅~品川駅間を最短84分で結んでいます。
3
7
常陸太田市372㎢(第1位),大子町326㎢(第3位),つくば市284㎢(第4位),水戸市217㎢(第8位)です。ちなみに,第2位は常陸大宮
市348㎢,第5位は笠間市240㎢です。(平成27年10月1日現在)
3
8
2015年(平成27年)10月1日現在,茨城県で一番人口が多い市町村は水戸市の約27万人です。第2位は,つくば市の約23万人です。
2
9
10
風土記は,713年に元明天皇の詔(みことのり)により,地方の歴史や文化を記した地誌のことです。現在,出雲国風土記,播磨国風土記,
肥前国風土記,常陸国風土記,豊後国風土記の5つが残っています。茨城県では,平成25年に常陸国風土記1300年記念事業を実施しま
した。
佐竹氏は鎌倉時代から約450年にわたり常陸国(現在の茨城県)を支配した豪族です。佐竹郷(現在の常陸太田市)を居城に20代にわたり
常陸国を支配しました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで,立場を明確にしなかったことから,1602年(慶長7年)に領地を没収され,秋田
に国替えになりました。
3
4
11
西山荘は,徳川光圀の隠居所として,現在の常陸太田市に建てられました。光圀は,1691年(元禄4年)から亡くなる1700年(元禄13年)年
までを西山荘で過ごしました。
1
12
水戸市の偕楽園は,岡山市の後楽園,金沢市の兼六園とならんで日本三公園と呼ばれています。1841年(天保13年),水戸藩第9代藩主
徳川斉昭によって開園されました。
2
13
14
間宮林蔵は,1780年(安永9年)常陸国筑波郡(現つくばみらい市)に生まれました。地理や算術の才能を見込まれ,後に幕府の下役人に
なった林蔵は,伊能忠敬から測量の技術を教えられ,忠敬がスケジュールの都合で全ての蝦夷地を測量できなかったとき,残りの測量をして
測量図を作りました。
二宮尊徳(金次郎)は小田原(神奈川県)の農家の子どもとして生まれました。薪やしばを自分で売って歩く間も惜しんで本を読んだので,現
在の尊徳(金治郎)の像ができました。尊徳は,栃木県二宮町(現在の真岡市),下館市(現在の筑西市)周辺の農村の立て直しを行いまし
た。
4
2
15
水戸藩出身の芹沢 鴨(別名 下村嗣司)は,新撰組の初代筆頭局長でした。
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16
徳川慶喜(よしのぶ)は,1837年(天保8年)水戸藩第9代藩主徳川斉昭(なりあき)の7番目の子として生まれました。水戸弘道館で学んだ
後,1847年(弘化4年)一橋(ひとつばし)家を継いで慶喜と改名しました。1866年(慶応2年)第15代将軍になりましたが,翌年の1867年
(慶応3年)に大政を奉還した徳川幕府最後の将軍です。
4
17
木村安兵衛は1817年(文化14年)に牛久市で生まれました。その後,木村家(龍ケ崎市)に養子に入り,東京新橋駅付近で文英堂を開業し
ました。1875年(明治8年)に明治天皇が東京向島の水戸藩下屋敷で花見をする際に,天皇の侍従である山岡鉄舟から「あんパン」を献上し
たいとの申し入れがあり,あんパンを考案しました。店はその後,銀座に移り,「木村屋」「木村屋総本店」とその看板は現代にも引き継がれて
います。
3
18
長塚節(たかし)は,1879年(明治12年)岡田郡国生村(現在の常総市)に生まれました。19歳の時,正岡子規の「歌よみに与ふる書」に共
感し,「アララギ」の創刊に携わりました。当時の農村を写実的に描写した長編「土」は,農民文学のさきがけとなる代表作となりました。
3
19
横山大観は,1868年(明治元年)水戸市に生まれました。東京美術学校(現在の東京芸術大学)を卒業した後,東京美術学校の先生になり
ました。38歳の時,北茨城市五浦に移り,師匠の岡倉天心らとともに絵を描きました。1937年(昭和12年),69歳の時に第1回文化勲章を
受章し,1954年(昭和29年),86歳の時に茨城県の名誉県民となりました。
4
20
小平浪平は,栃木県の生まれで,日立製作所の創業者です。稲葉清右衛門は,筑西市の出身で,世界的なロボットメーカ「ファナック」の創業
者です。
2
21
野口雨情は1882年(明治15年),多賀郡磯原町(現在の北茨城市)で生まれました。東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学し坪内逍遙
に師事し,詩作を始めました。代表作には,「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「シャボン玉」などがあります。
2
22
八溝山は大子町,福島県,栃木県と3県にまたがる標高1,022mの山です。筑波山は877m,加波山は709m,高鈴山は623mです。茨
城県というと筑波山が有名ですが,茨城県内には筑波山よりも高い山が4つあります。 (高笹山921m,栄蔵室881m,池ノ平879m)
4
23
霞ヶ浦の湖面積は,168.18㎢で,琵琶湖(669.20㎢)に次いで全国第2位です。北浦は,34.39㎢で全国第15位,涸沼は9.35㎢で全国第29位
です。
2
24
いきいき茨城ゆめ国体のイメージソングは,全国からの285作品の応募の中から選ばれた作品です。この曲には,ダンスの振り付けもつい
ています。
2
25
信濃川(367km)に続いて長い利根川(322km)は,別名坂東太郎と呼ばれています。このように,別名がある川は,吉野川の四国三郎,
筑後川の筑紫次郎などがあります。
1
1
番号
解 説
答
26
茨城県北地域の6市町の海と山を舞台に「茨城県北芸術祭」が開催。アートと科学・技術の実験を通して,茨城県北地域の豊かな自然に新た
な創造の息吹を吹き込むこの芸術祭です。
1
27
2014年(平成26年),茨城県の農業産出額は4,292億円で全国第2位でした。第1位は北海道の11,110億円でした。
2
28
栗は茨城県が栽培面積,生産量とも全国第1位を誇る農作物です。
2
29
城里町古内地区では,1390年頃からお茶が栽培されており,県内最古のお茶の産地です。同地区の清音寺では,徳川光圀公が「初音」と名
付けたとされるお茶の母木(ぼぼく)を見ることができます。
3
30
2015年(平成27年)の農林水産統計によると,鶏卵は茨城県が飼養羽数,出荷量とも全国第1位を誇る畜産物です。
2
31
茨城県のクインシーメロンは,生産・作付とも日本一です。特に,鹿行地区は一大のメロン産地で,水はけのよい火山灰土の砂地と海岸沿い
の昼夜の温度差の大きい気候で甘くみずみずしいメロンが育ちます。
1
32
茨城県内の指定生産者が厳選した子牛を緑豊かな自然の中で20ヶ月から25ヶ月間飼育した黒毛和牛のうち,肉質の優秀なものだけが「常
陸(ひたち)牛」として販売されます。飼料には,大麦,小麦,とうもろこし,大豆,乾牧草,稲わらを使用することにより,良質な筋肉と脂肪を作
り出します。※「ひたちうし」も商標登録されていますが,一般的に使用している読みの方を使用。
4
33
笠間焼は,1992年(平成4年)に経済産業大臣指定伝統工芸品になりました。他に経済産業大臣指定の伝統工芸品として指定されたものに
は,本場結城紬,真壁石燈籠などがあります。
1
34
本県沿岸の重要な資源であり,「常磐もの」として特においしいこと等から,「ヒラメ」が「県のさかな」として,1995年(平成7年)に指定されま
した。
2
35
全国一のメロン出荷量(額)を誇る鉾田市で第2回メロンサミットが開催されました。静岡県袋井市のほか,北海道夕張市や熊本県宇城市など
全国のメロンが集結。今回のサミットで,数字の6がメロンの実とつるににていることから,毎月6日を「メロンの日」と決めました。
1
36
科学万博(EXPO`85)を契機として,翌年の1986年(昭和61年)に,イタリアのエミリア・ロマーニャ州,フランスのエソンヌ県との間に友好提
携を締結しました。
3
37
ハッスル黄門は,水戸藩2代藩主の水戸光圀をモデルにしたマスコットで,全国健康福祉祭(ねんりんぴっく)茨城大会のマスコットとして,20
05年に全国公募により誕生しました。ふれあちゃんは,現在,茨城県教育委員会並びに茨城県高等学校文化連盟のマスコットキャラクター
です。イバライガーは,茨城県を中心に活躍しているローカルヒーローです。
3
38
科学万博(EXPO`85)は,1985年3月17日から9月16日までの184日間にかけて行われた国際博覧会です。
2
39
土浦全国花火競技大会は,秋田県の大曲の花火,新潟県の長岡まつり大花火大会とともに,日本三大花火大会に数えられています。毎
年,10月の第1土曜日に開催され,約70万人の見物客が訪れます。
4
40
六角堂は,北茨城市にある六角形の建物で,明治時代に岡倉天心が思想の場所として設計したものです。
2
41
県立中央病院で導入した手術ロボットの名前は「ダヴィンチ」です。
1
42
茨城港からは週12便(夕方便と夜方便合わせて),北海道の苫小牧にフェリーが就航しています。
1
43
平成25年1年間で最も観光客が多かった市町村は,大洗町の4,286,900人でした。2番目に多かった市町村は,笠間市の3,547,500
人でした。
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44
牛久大仏(正式名称:牛久阿弥陀大佛)は,ブロンズ(青銅)製大仏立像で,全高120m(像高100m,台座20m)あり,立像の高さでは世界
3番目ですが,ブロンズ立像としては世界最大です。
4
45
茨城県の海岸は太平洋に面し,ほぼ南北方向に伸び,延長190kmの単調な形状をしています。変化に富んだ18か所もの海水浴場があ
り,環境省が選定した「海水浴場百選」に選ばれたビーチが関東7か所のうち,5か所もあります。
46
オセロは,1973年(昭和48年)に水戸市の長谷川五郎さんが発表したゲームです。最初に製作されたオセロの石のサイズは,当時の牛乳
瓶の紙ぶたとほぼ同じ大きさですが,これはオセロを試作した際,牛乳瓶の紙ぶたを用いて石を製作したためです。
3
47
常陸大宮市出身でメディアに多く出演しているタレント・女優です。いばらき大使として,茨城の魅力や良さを,様々な機会を通して広く県外の
皆様にPRして活動をしていただきます。
1
48
県民に運動週間を定着させ,ウォーキングの実践を支援するため,身近なところで手軽に歩いて健康づくりに取組めるコースをヘルスロードと
いいます。
2
49
「筑波嶺の峰より落つる男女川 恋ぞつもりて淵となりぬる」と陽成帝に詠まれた男女川(みなのがわ)は,筑波山の頂に源流があります。源
流は平成24年5月から立入りができるようになり,傍らに立つ紫峰杉とともに筑波山の新名所となっています。
4
50
「いばキラTV」は,茨城をもっとキラキラ輝くようにしたいという想いから2012年(平成24年)10月1日に開局したインターネットテレビです。
3
2
番号
解 説
答
51
ひたちなか市,つくば市,つくばみらい市,かすみがうら市の4つです。
3
52
郷土を美しい緑で包み,よりよい生活環境をつくりだす目的で1966年(昭和41年),各都道府県の木を選ぶ「緑のニッポン全国運動」が展開
されました。茨城県では,県民の応募数の一番多かった「ウメ」が県の木として選ばれました。
3
53
1965年(昭和40年)の愛鳥週間に,県が野鳥の保護と繁殖を図るため,広く県民から「県民の鳥」を公募し,最高応募数のあった「ヒバリ」
が県の鳥になりました。「ヒバリ」は,天高く舞う春の天使,その歌うさまはのどかな中にも希望を沸かせる力強さがあり,本県の豊かな自然環
境や農村環境に調和し,親しまれている鳥であるということから「県の鳥」に指定されています。
1
54
茨城県の森林面積は31%で,千葉県,大阪府と並んで最も割合が小さい県です。
2
55
平成26年11月に施行された「いばらき観光おもてなし推進条例」に基づき,平成27年度より,観光に関する十分な知識と接遇スキルを兼ね備
えた方を「観光マイスター」に認定する制度が創設されました。平成28年4月現在,「観光マイスター」が282名,より優れた接遇スキルを有す
る「観光マイスターS級」が47名認定されています。
4
56
8世紀に成立した「常陸国風土記」では,「常陸国は豊かな土地に恵まれ,気候も温暖で,夢のような理想郷(常世の国)だ」と説明されていま
す。
2
57
平成27年10月1日現在,茨城県内で人口密度が一番高い市町村は,守谷市の1,814人/㎢です。第2位は,ひたちなか市の1,558人
/㎢,第3位は取手市の1,524人/㎢です。一番人口密度が低いのは,大子町の56人/㎢です。
4
58
古河駅は,1885年(明治18年)7月16日に日本鉄道(現在のJR)の駅として開業した駅で,茨城県内で最初に設置された駅です。
4
59
茨城県の耕地面積割合は約28.0%で,全国第1位です。全国第2位は千葉県,全国最下位は東京都です。
1
60
茨城県内で一番世帯人数が多い市町村は,八千代町で1家族(1世帯)あたり3.23人です。一番世帯人数が少ないのは,水戸市で1家族
(1世帯)あたり2.30人です。
3
61
平将門は,平安時代中期(9世紀終わり頃から10世紀初め)に茨城県南西部を地盤とした武将です。京都の朝廷の朱雀天皇(すざくてんの
う)に対抗して「新皇」を自称しました。
2
62
涸沼は,全国的に珍しい湖水に海水が混ざる汽水湖です。また,平成27年5月28日,涸沼がラムサール条約湿地に登録されました。ラムサール条約とは,正
式には「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約 」で,登録要件としては,国際的に重要な湿地であること(条約で示された基準に該当す
ること),国の法律(自然公園法,鳥獣保護法など)により,将来にわたって自然環境の保全が図られていること,地元住民などから登録への賛意が得られてい
ること になっています。日本では,現在50か所の湿地が登録されています。本県では平成24年に古河市から栃木県,埼玉県に広がる「渡良瀬遊水地」が
登録されています。
4
63
真壁藩(現在の桜川市真壁町),笠間藩(笠間市)の藩主だった浅野家は,1645年(正保2年)播磨国赤穂藩(兵庫県赤穂市)へと移りまし
た。3代藩主長矩は,1701年(元禄14年)江戸城中で高家旗本・吉良義央に切りつけ,長矩は切腹,浅野家は改易となりました。そして,17
02年(元禄15年)に旧家臣による吉良邸討ち入りが起こりました。これらは元禄赤穂事件(忠臣蔵)として有名です。
3
64
「大日本史」は日本の歴史書です。江戸時代に,水戸藩第2代藩主徳川光圀によって開始され,光圀死後も水戸藩の事業として継続,明治
時代に完成しました。1657年(明暦3年)に始まり,1906年(明治39年)まで約250年という長い年月をかけて完成しました。
4
65
弘道館は,江戸時代後期の藩校で,1841年(天保12年)水戸藩第9代藩主徳川斉昭が藩政改革の一環として開館しました。弘道館では,儒学や日本の古典のほかにも,
医学や天文学をはじめとする自然科学についても学問の教育・研究が行われていました。弘道館は,平成27年4月24日に日本遺産に登録されました。「日本遺産は,地域
の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーとして文化庁が認定するものです。今回は,「近世日本の教育遺産群」として,足利学校(栃木県足利市),
旧閑谷学校(岡山県備前市),咸宜園(大分県日田市)とともに登録されました。
4
66
北浦は総面積35.16㎢で,全国第15位の面積を誇る湖です。
3
67
1971年(昭和46年)に涸沼などで発見されたことからヒヌマイトトンボという名前がつけられました。茨城町指定天然記念物であるヒヌマイト
トンボは,河川改修などによって生息地が減少し,絶滅危惧種に指定されています。
1
68
竜神大吊橋(りゅうじんおおつりばし)は,竜神峡に架かる観光用の歩行者専用有料橋です。歩行者専用吊橋としては,2006年(平成18
年)に大分県の九重“夢”大吊橋が完成するまでは,日本一の長さを誇っていました。
4
69
岡倉天心は,晩年五浦(現在の北茨城市大津町五浦)に居を構える一方,横山大観ら五浦の作家たちを指導し,新しい日本画の復興を目指
しました。
4
70
板谷波山は1872年(明治5年),真壁郡下館城下(現在の筑西市)に生まれました。正規の美術教育を受けた「アーティスト」としての陶芸家
としては,日本における最も初期の存在です。1953年(昭和28年)陶芸家として初めて,文化勲章を受章しました。
2
71
小川芋銭は,本名小川茂吉といいます。画号「芋銭」は「自分の絵が芋を買うくらいの銭になれば」という思いによると言われています。芋銭
は,牛久沼の畔で農業を営みながら,特に河童(かっぱ)の絵を多く残したことから「河童の芋銭」として知られています。
3
72
松井康成は,1927年(昭和2年)長野県に生まれました。戦時中に笠間町(現在の笠間市)に疎開し,30歳で笠間の月崇寺(げっそうじ)の
住職となり,中国や日本の古陶磁研究ののち,練上の技法に絞って試行錯誤を重ね,独自の表現世界を創造しました。1993年(平成5年)
重要無形文化財「練上手」の保持者(人間国宝)になりました。
3
73
舟塚山古墳(ふなつかやまこふん)は,全長182m,後円部径90m,高さ11m,前方部幅99m,高さ10mの県内最大の前方後円墳です。
墳形から,5世紀後半の築造と推定されています。
4
74
テレビ朝日で毎週金曜日「若大将のゆうゆう散歩」の番組内の『磯山さやかの旬刊!いばらき』というコーナーで、「いばらき大使」の磯山さや
かさんが、茨城県内の観光スポット等を紹介しながら、いばらきの魅力を発信しています。
4
75
平成26年3月にリニューアルした守谷サービスエリア(上り)の「PASAR守谷」は,全国で初めて,災害時に自衛隊などが利用する災害対策室
や,自家発電設備,ヘリポートなど,防災拠点として必要な機能を備えました。
1
3
番号
解 説
答
76
吉原殿中は,もち米から作られる和菓子で水戸の銘菓です。吉原殿中の名称のいわれは,江戸時代水戸藩第9代藩主・徳川斉昭の時代に
奥女中の吉原が残ったご飯を乾燥させ焼いてきな粉をまぶして作ったのが始まりとされています。
4
77
「いばたべ音頭」は,一青窈(ひととよう)が歌った「ハナミズキ」の作曲で知られる常陸太田市出身のマシコタツロウが「県産品を食べて幸せ
になってほしい」という思いを表現した曲です。
1
78
ピーポくんは警視庁,ぽっぽくんは埼玉県警察,ぱとろーくんは鳥取県警察のマスコットキャラクターです。
3
79
アンコウは,江戸時代の頃「三鳥二魚」と呼ばれる5大珍味の1つに数えられました。茨城県内各地の底曳網漁船によって漁獲され「西のフ
グ 東のアンコウ」と並び称されるほどおいしい魚です。
3
80
茨城県の木材生産量は42万㎥(平成27年)で,全国第15位です。森林整備の推進や木材加工・流通施設等の整備により,生産量は増加
傾向にあります。
2
81
かつての常陸国麻生藩(ひたちのくにあそうはん)は,ワカサギを将軍に献上品として納めました。その後,霞ヶ浦のワカサギを山中湖,諏訪
湖へ移植し,各地の湖沼に普及させました。
2
82
アクアワールド茨城県大洗水族館は,マンボウやラッコなど約580種68,000点の世界の海の生き物がいます。中でも,サメは52種・約30
0匹も飼育されており,その数は日本一といわれています。
1
83
涸沼のシジミは,主にヤマトシジミという種類のシジミです。海水と淡水が交じり合う涸沼のシジミは大玉が特徴です。肉厚でこくのあるシジミ
は夏と冬が旬です。
2
84
幸久大橋…1160m, 霞ヶ浦大橋…1016m、 北浦大橋…1296m、 鬼怒川大橋…624m。よって、一番長いのは「3、北浦大橋」。
3
85
こだますいかは,東海道新幹線開通時の1964年(昭和39年)に誕生したことから「こだま」と命名されました。筑西市と桜川市で生産された
こだますいかは,出荷量約38.5万ケースと全国一の産地です。
1
86
ローズポークは,茨城が生んだ安全でおいしい銘柄豚肉(めいがらぶたにく)です。長年かけて造成した系統豚を利用した銘柄豚で,茨城県
の県花「バラ」にちなんで名づけられたものです。
2
87
日本最大の総合電機メーカーで,日本国内の全メーカーの中でも巨大企業である株式会社日立製作所は、「日立」・「HITACHI」などの通称で
も知られ,茨城県の日立市を創業の地とし,現在も主力工場を抱えています。
3
88
平成27年3月に不法投棄の調査を目的として,導入しました。高い塀に囲まれて,地上から確認しにくい不法投棄現場を上空から調査するた
めなどに使用しています。
3
89
乾燥いも(干しいも)は,サツマイモを蒸して乾燥させた食品です。日本においては全国各地で作られていますが,県別の生産高では,茨城
県(ひたちなか市,東海村)が全国第1位となっています。
4
90
旧金砂郷町(かなさごう町),現在の常陸太田市の在来種から選りすぐりの種を選抜して育成された「常陸秋そば」は,粒ぞろいで品質が優れ
ています。そば独特の香り,風味,甘みがあり,全国の有名そば職人から高い評価を得ています。
2
91
茨城空港は2010年(平成22年)3月11日に国内98番目,関東地方3番目の空港として開港しました。滑走路は,航空自衛隊百里基地と
共用しています。
4
92
茨城県では4カ所が名勝地に指定されています。水戸市の常磐公園(偕楽園)と桜川市の磯部桜川公園の山桜,大子町の袋田の滝及び生
瀬滝,平成28年3月1日に指定された常陸太田市の西山御殿跡(西山荘)です。
4
93
鹿島神宮は,皇紀元年(紀元前660年)の創建と伝えられ,東国三社の一つにも数えられています。ご祭神は武甕槌神(たけみかづちのか
み),武の神として古くから皇室や藤原氏の崇敬をうけ,鎌倉時代以降は武家政権から厚い信仰を得ました。
4
94
つくば市は,2011年(平成23年)6月に日本で最初に,電動立ち乗り型ロボットを公道で走らせることのできる「構造改革特区」の認定を受
けて,「セグウェイ」に乗ることができるようになりました。その後,東京都大田区,愛知県豊田市が特区の認定を受けて,公道の走行が認め
られました。
※ 一般の人が自由にセグウェイに乗れるわけではなく,一定の手続きが必要です。
3
95
国民宿舎「鵜の岬」は,日立市十王町にある宿泊施設です。1989年(平成元年)以来,27年間連続日本一宿泊利用率の高い国民宿舎で
す。
2
96
筑波山は,標高877mの山です。西側の男体山(標高871m)と東側の女体山(標高877m)からなり,別名紫峰(しほう)とよばれています。
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97
袋田の滝は,別名「四度の滝」と呼ばれています。滝川が4段に岩肌を落ちることから名づけられたという説と,昔,この地を訪れた西行が「こ
の滝は四季に一度ずつ来て見なければ真の風趣味わえない」とこの滝を絶賛したと伝えられていることから名づけられたという説がありま
す。
4
98
茨城県では,家族のきずな,家庭の養育力の重要性について,県民の皆様にご理解をいただくため,1965年(昭和40年)7月より,毎月第
3日曜日を「家庭の日」と定め,「明るい茶の間運動」として,普及啓発を行っています。
3
99
茨城をたべよう運動は平成24年11月から始まったもので,今年で4年目となる県産農林水産物を食べて応援しようという地産地消運動。
シンボルマークのデザインは,本県在住の藤代範雄氏によるもので,毎年,県内全小学5年生を対象にこのデザインの入ったクリアファイル
が配布されている。
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選手やボランティアをはじめ,国体に参加するすべての人々に,活気あふれ,いきいきと活躍できる夢のあるスポーツの祭典のすばらしさを
感じていただきたい,という想いを込めています。
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