SPECIAL CONTRIBUTION:英国教育が目指すもの

特 別寄 稿
第2 回
英国教育が目指すもの
初等・中等教育政策に見られる英国の人材育成の方向
ANA 総合研究所
主任研究員
青山 智恵
はじめに
リーダーである学校長から」という考え
のもと始まった。学校長の「気づき」
前号では、グローバル化の潮流に敏感
をカリキュラムにうまく織り込んで、子
に反応して展開する英政府の多様な取り組みのうち、
どもたちに伝えていくことが期待されているといえ
教育への思い切った投資、ICT(Information and
る。さらに2004年に“Five Year Strategy for Chil-
Communications Technology=情報通信技術)
の
dren and Learners(児童および学習者のための 5
教育現場への利活用促進策、英語の優位性に甘ん
カ年戦略)
”が当時の教育技能省(D f E S )から発表
じない外国語学習奨励策について述べた。本稿で
され、教育、職業技能、子どもへのサービスについ
は前号に引き続き、初等・中等教育政策に見られる
てワールド・クラスのシステムを構築しようというス
英国 1 の人材育成の方向について取り上げる。とり
タンスが明確にされた。同じく2004年に教育技能
わけ前号でも触れた、現職学校長に異文化におけ
省が発表した“ Putting the World into World-Class
る学校長のリーダーシップを学んでもらおうという
Education- An international strategy for education,
海外研修プログラム
(International Placement for
skills and children’
s services(われわれの世界を
2
が目指した国際理解力の醸成、
Headteachers=IPH)
ワールド・クラスの教育に―教育・技能および児童福
雇用適性(Employability)
の考え方、公教育における英
祉に関する国際戦略)
”は、その5カ年戦略を補完し、
才児教育、そして私学人気の背景について紹介する。
後述するリーチ卿最終報告書で指摘された課題に一
部応えるものである。ワールド・クラスのシステムを
国際理解力のある子どもを育成する
構築して維持するには、子どもたちに自らを「グロー
バル市民」として認識させ、世界の多様性を理解さ
前述した学校長のためのIPHプログラムは、
「子
せることから始め、国内外で通用するワーク・フォース
どもたちの国際的視野を広げる前に、まずは学校の
としてのスキルや価値観・倫理観を身に付けさせる
1 英国
(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)
は、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国からなる連合王国である。本稿では、特に言及していない場合は、
イングランドについて記述する。
2 IPHは2008 年 7月をもって終了し、その後は IPHをベースに発展した新しいリーダーシップ醸成のためのプログラム
「国際的なリーダーシップ学習プログラム:I L L P = International
Leadership Learning Programme」
が、2008年9月より始まる予定。 http://www.ncsl.org.uk/programmes/illp/index.cfm
26 ていくおふ . Autumn 2008
IPH2005 に参加した校長の小学校(ロンドン)の掲示板「Japan
特集」。帰国後 1週間後の様子
ことが肝要であるとしている。
多民族・多宗教国家として発展を続ける英国内の
状況はもとより、今後、労働市場がますますグローバ
ル化し、必要とあらば、どの国、どの地域でも活躍
することが求められることを考えると、文化の多様
性を人生の早い段階で理解し、体験することは
不可欠である。こうしたグローバル観の醸成を目指
した国際戦略の1つとして「2 010 年までにすべて
の学校が世界のいずれかの国の学校と持続的なパート
ナーシップを結ぶ 3」というアクション・プランが策定
ナーシップを促進し、世界規模の開発問題について、
されている。現教育省の児童・学校・家庭省(DCSF)
異なる文化・経済・政治的観点から子どもたちの世
は、教育情報に関する包括的ウェブサイト「グロー
界に対する考え方を広げるためのプログラム(DFID
」において、
バル・ゲイトウェイ
(Global Gateway )
グローバル・スクール・パートナーシップ 5)を展開、
「
(初等・中等)
学校」
「職業技能研修」
「高等教育」
「地方
出資しており、
2003年から07年の4年間で、のべ2,050
当局」
の4つのゾーンに分類表示し情報を提供してい
名の教員の人物交流を実現し、850 校のパートナー
るが、
「学校」関連の項目にはスクール・リンク(パー
シップを構築している。また、英国放送協会(BBC)
トナー校探し)の情報も含まれており、英国の学校と
も学校間交流を促進するための専用ウェブサイト
世界中の学校間交流を促進している。ウェブに必要
「BBCワールド・クラス 6」を開設し、いかに学校間
事項を登録することによって条件に適うパートナー
交流活動を日常のカリキュラムに組み込んで、グロー
校を見つけることができるシステムであり、日本の学
バル市民にとって必要不可欠な国際理解を身近な
校ももちろん利用可能である。さらに、そうして提
ものにすることができるか、などの情報を提供して
携したパートナー校を実際に訪問する「人的交流」
が、
いる。官民の連携が、ここにも見て取れるだろう。
4
より持続可能な提携関係に発展する可能性が高いと
考え、児童・学校・家庭省が資金を提供して、英国
雇用適性のある子どもを育成する
の子どもたちや教職員にパートナー校訪問を実現さ
せる機会を豊富に設けるなど、国際理解の促進に努
めている。
2004年に発表され、06年12月に最終報告書が提
出されたリーチ卿報告は、
「インドや中国などの新興
さらに、 国 際 開 発 省(The Department for
市場が目覚しく成長し、急速に変わり行く世界経済
International Development=DFID)もアフリカ、
において、国民の職業技能レベルの底上げが急務で
アジア、南アメリカ、カリブ諸島の学校とのパート
ある」と、他の経済先進国に比して劣っている現状
3 DfES, Putting the World into World-Class Education–An international strategy for education, skills and children’s services, 2004の中で言及されている。
4 http://www.globalgateway.org/default.aspx?page=0
5 http://www.britishcouncil.org/globalschools プログラムではカリキュラム内でグローバル・ディメンション
(世界規模のものの考え方)
を開発するための手段として学校間のパートナーシップを
活用する学校に対してアドバイスやガイダンス、助成金の提供が行われている。グローバル・ディメンションは8つのコンセプト
(Global citizenship=グローバル市民性、Conflict resolution=
紛争解決、Diversity=多様性、Human rights=人権、Interdependence=相互依存、Social justice=社会的公正、Values and perception=価値観と見識、Sustainable development=持続可能
な開発)
を通じて理解されるとしている。
6 BBC World Class http://www.bbc.co.uk/worldclass/about_us.shtml
ていくおふ . Autumn 2008
27
特 別寄 稿
を分析し、英国に警鐘を鳴らした。
英国といえば、19世紀には天然資源も豊富で、十分
な労働力と素晴らしい創造性によって世界をリード
して産業革命を遂げた国であるが、現在では天然資
源と安価な労働力の競争力を共に失ってしまった。
図表1 ソフト・スキル
  口頭で高いレベルの意思の疎通が図れること
●
  信頼性、時間厳守、粘り強さ
●
  チーム内で他のメンバーと協力して仕事をする
方法を知っていること
●
リーチ卿は、21 世紀の英国の天然資源は「人」で
●
あり、人の潜在性は計り知れないもので、職業技能(ス
●
キル)
こそが、その可能性を解き放てると分析し、国が
一致してスキルの向上に取り組むべきである、と報告
書の中で訴えたのである。
雇用者はソフト・スキルを重視
  情報に対して厳密な評価を下すことができること
  自らの学習および効果的な学習慣習の開発に
責任を持ち、それを管理できること
  細かい監督を受けずに、自主的に仕事をする方法
を知っていること
●
  自信を持ち、問題を吟味し、解決策を見出す能力が
あること
●
  困難に直面しても回復が早いこと
●
  創造力と独創性があり、進取の気性に富み、起業家
精神があること
●
今後ますます雇用者は、グローバルな労働人口か
ら自分のワーク・フォースを自由に選択するようにな
る中、基礎・中級技能の水準、無技能または技能の低
い労働力の割合や無資格またはほとんど資格を持た
ないまま教育を終える若者の数などの点で、英国は
既に競争相手に後れを取っている。
国際的競争力を培うために各層に応じた技能レベ
出所:英国教育技能省(DfES)
「2020 年ビジョン:2020 年における指導と
学習に関する検討グループ報告書」
(2007 年)
動が提供されている。
資格を取得することで獲得される職業技能(ハー
ド・スキル)
とは別に、現在、
「目に見えない、測定不
能」であるが、雇用者が評価する技能や態度として、
ルの向上を図り、2020 年までにワールド・クラスの技
図表1に挙げるような「ソフト・スキル」の習得が
能獲得を実現させるという目標を定めている。学校教育
知識集約社会における優先事項になりつつあると、
レベルでは、若年無業者の増加に伴う社会問題への対
英国でも認識されている。雇用者が求めるものは日
応として、学校教育から職場への円滑な接続を図り、
英両国で変わりはない。もっと言えば、世界的に求
若者が意欲的に働くことができるようにすることを
められる技能・姿勢は普遍であるといえよう。
目的に、2004年9月から、14歳から16歳までのKey
stage 4で職業関係学習(Work-related Learning)が
公教育でも英才児教育 7
導入されている。国語や数学のように独立した教科
ではなく、職業関連のスキルや知識、理解を深める
英国では、ブレア政権以前、公教育においては特
ために、他の教科に絡めてカリキュラム横断的な活
段、英才児教育を実施していなかった。英才児教育
7 英才児教育
(Gifted and Talented Children Education)
については文部科学省
「諸外国の教育の動き2006」の表現を参考に
「英才児教育」
という訳語を充てている。
「英才児」
という訳語
が「エリート教育」や
「英才教育」
としてイメージされがちであること、また、才能に恵まれている子のための教育は、子どもが潜在的に有する可能性を伸ばすための取り組みであって教育
機会の格差を助長する類のものではないため、あえて
「才能児教育」
と訳す専門家もいる。ちなみに英政府の現在の定義
(http://ygt.dcsf.gov.uk/DynamicPage.aspx?pageId=8#q3)では、
‘Gifted’
な学習者とは、1 つもしくは複数の数学や国語といった学術的教科において優れていること、
‘Talented’
な学習者とは、スポーツ、音楽、デザイン、創造的な芸術
(クリエイティブ・
アーツ)、舞台芸術
(パフォーミング・アーツ)
において特別な能力を有していることを意味し、職業的な才能を有している学習者も含まれる。
8 教育水準局
(The Office for Standards in Education, Children’
s Services and Skills)
。イングランドにおける学校監査を行う機関であり、児童・学校・家庭省
(DCSF)
から独立し議会に
対して責任を負っている。学校監査は3年ごとに実施され、学校は約2日前に監査通知を通常受ける。監査は教育水準局によるトレーニングと正式認定を受けたリーダーとなる監査官と
少人数からなるチームによって遂行される。そのチームの人数は、監査する学校の規模により規定され、1名から5名の監査官までさまざまである。
9 House of Commons
(1999)Education and Employment Committee, Third Report,“Highly Able Children”. London:HMSO
28 ていくおふ . Autumn 2008
英国教育が目指すもの
は私立学校(Independent School、いわゆるパブリッ
拠出が確定した「個に応じた教育予算」から充当さ
ク・スクール)が中心となり、エリート教育として実
れることを明らかにした。
施されており、政府が関与してはいない領域であっ
英才児教育のための取り組みは、さまざまに行わ
た。社会的富裕層の子どもについては、そうした私
れてきているが、代表的なものは2002年に英政府が
立学校などにおいて、その才能を十分に伸ばす環境
英才児教育の全国的な推進機関としてウォーリック
が提供されていたが、公教育において、特に社会的
大学に本部を置いて開設した「全国英才アカデミー
に恵まれない地域にある学校の「英才児」は見落と
(NAGTY)
」12 のサマースクールである。教育水準局
されていたのである。
「公立学校の初等学校の3分
が発表した2004年度の同スクールに関する報告書 13
の1、中等学校の約30%において学業成績上位5%の
において、
「2002年の試験的に実施したスクールで
『英才児』への対応は著しく不充分」という教育水
は100名の参加規模であっ たが、2004年には定員
準局(Ofsted)8 が1997年に作成した内部報告書の指
1,050 名の受講枠がすべて埋まるほどの盛況ぶりと
9
摘が、
1999年に下院 の教育・雇用委員会で報告され、
なるまでに発展した」と報告しており、さらにコース
「英才児」を早期に識別して、その才能や可能性を開
の質についても、最低でも「良い」
、大多数の講座に
花させるための適切な支援策を国家戦略として開発
「非常に優れている」と高評価を与えている。 することとなった。
また、
「通常の学校の授業よりも、より高度で興味
つまり、どんなに社会的に弱者であったとしても、
を引く内容のコースが多く、参加した子どもたちに
社会に参加する機会と権利は保障される枠組みづ
良い学習成果が見られた」と報告している。2007 年
くりを政治理念の1つとして掲げたブレア前首相に
の時点で全国英才アカデミー(NAGTY)登録者数は
とって、公的資金を注入して社会的不利益を被っ
98,000 人に達した。2007 年9月より新体制 14 となり、
ている地域の「英才児」の才能を開花させる後押し
現在は「英才児プログラム(The Young Gifted
をすることは、彼が目指した「社会的公正(Social
and Talented programme= YG&T)
」として、
Justice)
」に適った政策であったといえよう。2006年
4歳から19歳の年齢層のトップ10%をターゲットに、
11月に行われた全英英才児会議のスピーチ10 の中で、
数学、文学から音楽、芸術といった幅広い分野で英
当時学校教育副大臣であったアンドリュー・アドニス
国の将来を支える若きリーダーの育成が、国家プロ
卿は「教育のない天才は、鉱山に埋もれている銀の
ジェクトとして行われている。政府が英才児判定
11
のためのガイドラインを示しているほか、教員への
のことばを引用し、
「われわれはその『銀』をすべて
サポートもしっかり行われており、英才児の判別方
鋳造してやらねばならない」と述べ、英才児教育を
法のためのスキル、さらに指導するための教授法習
「個に応じた教育」の一環と位置付け、その費用に
得のためのコースなどが提供されている。また、英
ついては2年間で9 億3千万ポンド(約2,325 億円)の
才児のための専用ウェブサイト「学習者アカデミー
ようなものである」というベンジャミン・フランクリン
10 www.dfes.gov.uk/speeches/media/documents/gifted.doc アドニス卿は英才児教育とSEN
(Special Education Needs= 特別な教育的ニーズ)
両方の担当副大臣
(当時)
であり、英才児が
学習障害といった SENを有するケースも少なくないこと、また、8 年生
(12 〜 13 歳)
を例に挙げ、全体の16%が経済的事情から無償給食対象者である中で、その 9%が英才児であるとス
ピーチの中で触れている。
11 Benjamin Franklin
(1706-1790)。政治家にして科学者。避雷針等発明多数。米 100ドル紙幣に肖像が描かれている。
12 全国英才アカデミー(National Academy for Gifted and Talented Youth)
は、11 〜 19 歳の上位5%の英才児の教育支援を目的としていたが、英政府はすべての学校の上位 10%を対象
に考え
「英才児」
としての登録を奨励。さらに別の団体 National Association for Gifted Children
(英才児のための全国連盟)
では上位 2%とその下の8%の子どもでは、全体の上位10%とそ
の他 90%の差ほどの開きがあると主張、上位 2%のみを
「英才児」
として定義していることから分かるように、同じ英才児支援団体間でも英才児の定義を巡って、その認識は異なっている。
13 Ofsted reports major improvement in attendance at gifted and talented summer schools
(2005)
14 英政府
(児童・学校・家庭省=DCSF)
とウォーリック大学との契約は 2 0 0 7 年 8 月で終了。9 月以降は、教育コンサルタント・サービス機関として 40 年来の実績のあるCfBT 教育トラスト
(非営利団体)
が YG&T の運営に当たっている。
ていくおふ . Autumn 2008
29
特 別寄 稿
(Learner Academy15)
」が開設されており、英才児
おいて、競争力を維持するための重要な国家の推進
を対象としたレベルの高いコース、教材、その他の
力として貢献してくれるであろう、という考えもある。
情報が、ウェブ上やイベントを通じて、子どもの潜
生まれつき才能に恵まれた子どもたちの能力を、さら
16
在能力を開花させるための、さまざまな情報 として
に伸ばすための英才児教育を充実させるだけでなく、
提供されている。
その英才児が通う学校全体の学力水準の底上げ、ひい
ては高等教育の進学率の向上を通じて地域活性化を
英才児を牽引役とした戦略的な取り組み
もたらし、国全体として国際競争力の強化を目指すあ
たり、実に戦略的な取り組みをしているように思う。
英政府は、各学校に必ず1名、
「英才児」を見出す
17
最近日本でも、高い能力があるにもかかわらず、
よう奨励している 。身近なクラスメートが「英才児」
「できる子」がその能力に応じた教育を受ける環
として特別な教育の提供を受けることにより、その
境にない、いわゆる「おちこぼれ」の対局にある 18
他の子どもたちにとって「牽引役」となり、互いを刺
「ふきこぼれ」と言われる子どもたちへの支援が話
激し、励まし合うことで、教育水準の底上げを図る
題になってきている。教育機会格差の問題のうち、
ことを期待しているのである。また、社会的、経済的
「できる子」への教育支援という点で類似する英
に恵まれない境遇で育ったとしても、こうして刺激を
国版「ふきこぼれ」対策は、
「できる子」の意欲を
受けた子どもたちが、1人でも多く高等教育への進
高める学習カリキュラムの充実、そして指導に当た
学を実現できれば、やがては地域の活性化に貢献す
る教員の教授法への示唆までカバーするものである。
る人物に成長し、さらにはグローバル化する経済に
子どもの可能性を十分に引き出そうとする体制整
図表2 私立学校委員会に所属する学校の生徒数の増減
出所: ISC Census 2008
15 http://ygt.dcsf.gov.uk/Content.aspx?contentId=312&contentType=3 http://www.cfbt.com/teach/giftedtalentededucation.aspx
16 ロンドン・ウェストエンドのロングラン・ミュージカル「Oliver!」の子役オーディションが同ウェブサイトで告知されるなど、幅広い情報が提供されている。
17 2007 年の時点では、YG&Tに参加している学校は全体の 69%であり、英政府は 2010 年までに100%を達成し、新体制下での YG&T 登録者数を70 万人に伸ばすことを目標にしている。
さらに、2012 年には YG&T 登録者数を100 万人まで増やし、英才児教育の分野で世界をリードするプログラムとして認識されるよう目指している。
(www.ygt.dcsf.gov.uk)
18「おちこぼれ」の対局にあることばとして最近使われている。
「ふきこぼれ」は、英国のように高い学力があるのにそれを伸ばしてやるための環境にない子どもであったり、塾に通っている
ため、結果、学校の授業のレベルに合わなくなり授業に集中できなくなっている子どもであったりと、日本ではさまざまなケースがあるようだ。
30 ていくおふ . Autumn 2008
英国教育が目指すもの
備が着実に進められている英国のこうした取り組み
図表3 私立学校に進学を希望する親の比率(2008 年)
には、日本が今後の対策を考える上で参考になる
部分があるのではないだろうか。
わが国でも既に学校単位ではあるが、成績上位層
を意識した取り組みとして、2002年度から文部科学
省が実施しているSSH(スーパーサイエンス・ハイス
クール)やSELHi(スーパーイングリッシュランゲー
ジ・ハイスクール)
といった研究開発事業を通じて才
能開花の後押しをしている。また、個人への支援と
しては、東京都杉並区立和田中学校において、08年
1月26日より民間企業出身の校長と保護者や地域住
民らがつくるボランティアの学校支援組織「地域本
部」が、大手進学塾 SAPIX
(サピックス)
と提携して、
特別授業「夜スペシャル」を開始した例が類似して
出所: Ipsos MORI 社 2008 年 6 月公表資料
図表 4 私立学校に進学を希望する親の傾向
いると思われる。
以上、主に英国の初等・中等教育における公教育
(公立・公営学校)の取り組みのうち、特筆すべき点
について取り上げてきた。
英国でも私学は人気
次に、英国の私立学校の状況について概観してみ
たいと思う。
日本でも、特に都市部での私学人気は一層過熱し
ている感がするが、英国でも私立学校の人気は高
い。私立学校委員会(Independent Schools Council:
出所: Ipsos MORI 社 2008 年 6 月公表資料
=ISC)19 に属している学校の生徒数の増減を表す
調査 20 では、実に57%の親が「余裕があれば子ども
グラフ(図表2)から、お分かりいただけるだろう。
は私学に進ませたい」と答えており、97年に同調査
2007年度だけで0.8% 増、生徒数で約2,500名増で
を始めて以来の高い数字となった。
(図表 3、図表 4)
あった。また、英調査会社イプソス・モリが行った
近年のベストセラー小説「ハリー・ポッター」シリー
19 政治的に独立した非営利団体。1,300 校 50 万人以上の子どもへの教育に携わっている。英国内にある私立学校のおよそ 80%が ISC のメンバーである。
20 英国内の代表サンプル 2,063 人
(18 歳以上の成人)
に対して聞き取り調査を2008 年 2 月に実施、6 月に結果が公表された。
ていくおふ . Autumn 2008
31
特 別寄 稿
ズが拍車を掛けているという見方をする人もいるが、
やはり、
「高い教育水準」
「厳しい規律」
「少人数制」
ドA評価)
を独占していることが背景にある。
つまり、私学の卒業生
(13 年生〈シックス・フォーム〉
=
といった点が私学人気の理由トップ3であることが、
17 〜 18歳)
の高等教育への進学率が92.9%(図表 6)
同調査結果から明らかとなった(図表 5)
。また、英国
と国全体の平均のゆうに2倍を超える数字を示して
21
タイムズ紙の報告 によると、2002年以降、私立学
いること、そして私学への進学が Oxbridge(オッ
校の授業料は41%(実質ベースで23%)値上がりし、
クスフォード大学とケンブリッジ大学の総称)と
にまで跳ね
平均授業料 22 は9,627ポンド(約240 万円)
いった超有名難関校へのファースト・トラックとし
上がったという。
ての意味合いを持つことから、親は多少の犠牲を
その結果、警官、教師、看護師のような公務員の家
払ってでも子どもの将来のための「投資」と考え、
庭では、授業料の家計に占める割合がそれまで20 ~
教育費を捻出しているというわけである。なお、こ
25%であったものが、一気に約3 分の1にまで達し、
うした私立学校と公立学校からの Oxbridge への
23
家計を圧迫している状況 が報告された。英政府が
進学率に偏りがあることは、しばしば議論の的に
公教育に1997年以来実質ベースで3分の2 増の教育
なっている。
費を投じているにもかかわらず、私学への進学者が
8年も前のことではあるが、大変成績優秀であるに
引き続き増加傾向にあるのは何故なのか。それは、
もかかわらず「私立学校出身の学生に比べて自信が
イングランドで私学に通う子どもの割合が全体のわ
欠如している」ことを理由に、オックスフォード大学
ずか7%であるにもかかわらず、大学進学の合否を
に進学できなかった公立(総合制中等学校)出身
決める統一試験制度(GCE-Aレベル)
において、その
の女学生が、その後米国ハーバード大学の奨学生
わずかな数の私学の学生が大変優秀な成績(グレー
として受け入れられたことが明らかになった 24 時、
図表5 私立学校に進学させる理由(複数回答)
出所: Ipsos MORI 社 2008 年 6 月公表資料
21 2007 年 9 月30日の The Times の私立学校に関する特集記事より一部引用。ちなみに公教育の充実を訴えたトニー・ブレア元首相の 2 人のご子息は、私立学校ではなく全体の上位 30 位以
内に唯一ランク・インした公立
(総合制中等学校)
の The London Oratory Schoolに通っていた。
22 Halifax Financial Services が行った2007 年度調査による。2008 年 7 月に発表された最新の調査では10,239 ポンド
(約 256 万円)
にまで私学の平均授業料が上がっており、最も上昇率の高い
イングランド南西部では、2003 年から08 年の 5 年間で 48%の上昇を示しているという。
23 前述のタイムズ紙によると、チーフ・エグゼクティブクラスであれば年間149,000 ポンド
(1 £=250 円で換算:約 3,725 万円)
の収入であるため、わずかその 6%を授業料として拠出すれば
よいだけの話であるが、それが教員の場合は 28%、看護師の場合は 36%の拠出となり、たいていの家庭にとっては、私学の授業料が家計を圧迫している状況だという。
32 ていくおふ . Autumn 2008
英国教育が目指すもの
図表6 私立学校生の高等教育機関への高い進学率
出所: ISC Census 2008
当時財務大臣であったゴードン・ブラウン現首相が
強くなるものであろう。そうした思いは、日英両国の
“An absolute scandal(紛れもないスキャンダル)
”
親の考えにおいて、共通であるのかもしれない。
と評したことは記憶に新しい。
「大学は子どもの才能
を育て開花させるべきところであって『完成された
プロダクト』に磨きをかけるだけの場所ではない」と、
タイムズ紙は大学の在り方についても触れ、問題提
起していた。
とはいえ、とりわけ公立学校の中でも伝統的なグラ
マー・スクールでさえ、私立学校との比較におい
ては、それぞれ上位30校を比べた場合、私学生の
Oxbridge への入学者数が、グラマー・スクールより
■主要参考文献
•DfES, Putting the World into World-Class Education- An
international strategy for education, skills and children’s
services, 2004
•DfES, 2020 Vision: Report of the Teaching and Learning
in 2020 Review Group, 2007
『
• 諸外国の教育の動き2006』教育調査第137 集(文部科学省)
•梶間(植田)みどり、知識社会におけるリーダー養成に関する国
際比較研究『イギリスにおける「才能児教育」のプログラム開
発』
(研究成果報告書)
、国立教育政策研究所(研究代表者:小松
郁夫)
、2003年、P91-101
ほぼ 2倍多かったという現状を考えれば致し方なか
ろう。また、教師1人に対する生徒数の比率は、公立
学校で平均1:17人であるが、私立学校委員会に属し
ている私立学校の場合、1:9.7 人 25 と、少人数制が徹
底していること、公教育への教育予算を増額してい
るとはいえ、施設面ではやはり私立学校の充実度に
はかなわないという点を考え合わせると、高いお金を
払ってでも私学に進学させたいという思いは自ずと
PROFILE
青山 智恵(あおやま・ともえ)福岡県生まれ。91年筑波大学
第一学群人文学類卒業後、ANA 入社。97 年退職後、英国
バース大学文学修士号取得。帰国後、ブリティッシュ・カウ
ンシル(英国の公的な国際文化交流機関)の教育プロジェ
クト・マネージャー、初等・中等・高等教育に関する国際シン
ポジウムや日英セミナーを担当。2008 年 1月 ANA 総合
研究所。
24 2000 年に総合制中等学校出身のローラ・スペンスさん(当時 18 歳)は、医学を専攻希望しオックスフォード大学マグダレン・カレッジを志すが、不合格と判定される。その後、ハーバード
大学の奨学生として選ばれ、65,000 ポンド
(約1,625 万円)
もの奨学金を受け、同大学では生化学を専攻した。
25 2007 年 9 月の The Timesによる数字。2008 年に実施された私立学校委員会
(ISC)に属する学校の統計調査 ISC Census 2008によると、2008 年は1:9.6 人とさらに1人の教師が教える
生徒数が減少した。
ていくおふ . Autumn 2008
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