コメント:パネル「日本の金融政策:変動相場制移行以後の四半世紀」

コメント:パネル「日本の金融政策:変動相場制移行以後の四半世紀」
一橋大学 清水啓典
1.はじめに
変動相場制に移行して30年、アジア金融危機や日米でのバブルの発生・崩壊を経験し、
世界的にインフレ率低下が定着した中で、日本のデフレと不況の長期化が世界的な経済的
課題になっている。今や、為替と金融政策の関係を包括的に評価できる多くの経験が蓄積
されており、現段階で日本の金融政策を改めて見直してみることは有意義なことである。
以下では、各報告者の議論のポイントをごく簡単に纏めた上で、私の考え方と評価、及
び新たな視点の必要性を述べることとしたい。過去30年間のマクロ経済学の進歩の成果
は、金融政策はほとんど全て期待への影響を通じて働くという事実の確認とその理論的・
実証的研究にあるので、その観点から各報告者の議論に対してコメントすることとしたい。
2.浜田論文
A. 現在の金融政策
浜田論文では本題の国際政策協調と金融政策の分析に入る前に、良い物価下落があると
の主張は経済学の理解不足による、という非常に重要な指摘がなされている。論文では、
「こういう議論が横行するところに、日本の中央銀行も含めた政策当局、ジャーナリズム、
エコノミストの経済学の基本に関する理解不足が現れている」とまで述べられているが、
正に同感である。以下に説明するように、「良い物価下落はない」との指摘だけで、その系
として、現在の日本の金融政策の問題点がほとんど言い尽くされることになる。その意味
で、この指摘は現在の日本にとっては1980年代の国際政策協調の分析よりも緊急性を
持っており、本論文の最も重要なメッセージともいうことができるので、まずこの点につ
いてコメントしておきたい。
当然のことだが、固定相場制の下では外国の物価は国内物価に直接影響を与えるが、変
動相場制の下では自国の価格水準は独立に決定できる。デフレに良い悪いはない。物価安
定は日銀の使命であり、円安になるのもいとわない大規模な量的緩和を実施すれば、一般
物価水準の下落たるデフレは防止することができる。では、なぜ日銀はやろうと思えばで
きるデフレを止めないのだろうか。
大規模な一層の量的緩和に対する日銀の反論は、長期国債の買い切りオペを行った場合
の日銀の資産劣化に対する恐れや、長期国債購入に関する財政規律崩壊に関する恐れやタ
ブーの存在、介入資金の放置に関する財務省との強調の必要性、近隣窮乏化政策に対する
近隣諸国の反発の可能性、等々である。つまり、そのような日銀にとっての制度的制約が
1
デフレ防止に必要な金融政策を講じることの出来ない理由だということになる。しかし、
それらはいずれも日銀と政府が一体となって取り組めば解決できない問題ではない要に思
われる。
例えば、長期国債買い切りオペに関する財政規律の崩壊やインフレの懸念に関しては、
そのような懸念が生じた場合には断固として政策転換を実施すればよいし、日銀の獲得し
た独立性はまさにそのような時のためのものである。既に独立性を獲得している以上、以
前とは違って財政規律のなし崩し的崩壊とインフレの懸念は大きく低減している。とりわ
け現段階で、一層の金融緩和が急速なインフレにつながることは考えにくい。たとえそう
なったとしても、今ではそれを止める手段は十分に備えられている。また、長期国債を保
有して価格が下落した場合の資産劣化の問題は、日銀の組織だけを考えれば問題ではあり
得ようが、日銀の存在自体が物価安定の達成にある以上、日銀の資産劣化をおそれて本来
の使命が達成できないのは本末転倒であろう。使命達成のために必要ならば、政府が一体
となって行動し、日銀に財政資金を投入するという選択肢もあり得よう。日銀の責任はあ
くまで、その本来の使命達成度如何でで判断さるべきである。また、介入資金の放置策に
ついての財務省との協力は政府の一機関として不可欠のことであろうし、円安に関して考
えられるアジア諸国からの近隣窮乏化政策との批判も、政策意図を明確に説明し日本の成
長率回復は近隣諸国の輸出増につながることを考えれば、近隣窮乏化の議論が正しいかど
うかは疑問であるし、その政策に近隣諸国の理解を得ることも不可能ではないであろう。
日銀の独立性獲得は本来、断固とした物価安定維持の金融政策に対するこのような制度
的な組織上の障害を除くためのものであったはずであるが、デフレ防止に関しては必ずし
も有効に機能していないように思われる。だが、それらの障害は日銀が組織を挙げて取り
組めば解決不可能ではないし、デフレの深刻な影響やそれが世界経済に与える影響と比較
すれば、些細な技術的問題点ということもできよう。このような組織的・制度的問題点は、
日銀にとっては本質的困難であろうが、外部の研究者の目には政府全体として解決すべき
当然の課題と映る。このような食い違いが、しばしば表面化する金融政策運営に関する学
界と日銀当局との意見の相違の背景にあるように思われる。
理想的に言えば、日銀がそれら多くの制度的・組織的制約に縛られることなく、現在は
円安をも引き起こすほどの思い切った量的緩和を実施して断固たるデフレ防止の政策を明
確にし、かりにインフレの懸念が生じたら、即座に引き締めに転ずるような弾力的で幅の
ある機動的な政策運営を行うことが望ましい。現在の制度の下でそれが困難であれば、そ
れか可能となるような制度や組織の改革を目指す必要があろう。望ましい政策が実行でき
ない理由ばかり述べていたのでは、国民はデフレの継続を予想せざるを得ず消費はいつま
でも回復のきっかけをつかめない。日銀は必要とあらば、断固たる思い切った政策を採る
だろうとの期待が国民を動かし、金融政策を効果あらしめるのである。
2
それ故、部外者の目には、日銀はやる気になりさえすればできるデフレ防止を、そのよ
うな政策の効果に確信が持てないとの理由で、今や世界標準となっているインフレ目標政
策を否定してきたように見える。本年3月19日の量的緩和政策への変更し安定的なゼロ
以上のインフレ率を目指す政策転は高く評価すべきものであるが、その目標や達成時期は
曖昧であり、国民の期待を明示的に変更するには至っていない。現在では、金融政策はほ
とんど期待への影響を通じて機能するから、新たな政策のインパクトは小さいと言わざる
を得ないからである。
結局、日銀がデフレ防止のための思い切った手段を講じないのは、現状は様々な制度的
制約を突破して副作用も否定できないあらゆる手段を使ってまで、デフレを防止しなけれ
ばならないほどの切迫した状況ではない、との認識があるからだと思われる。言い換えれ
ば、現在日本が「資産デフレ」状態にあることに議論の余地はないものの、そのもたらす
弊害は、それを取り除くための技術的・組織的問題点を克服するために組織内や政府内、
また諸外国との意見調整など、様々な内外の障害を乗り越えてあえて実施するに足るほど
大きくはないとの認識であろう。だが、10年以上の不況と低成長が続き、自殺者が3万
人を超えるという経済環境が、デフレが続く以上回復し難いことも事実なのである。
日本の金融政策を論じるには、日銀の組織内部の意思決定方式や、政府他部門との連携、
新日銀法が与えた影響など、その組織のあり方に踏み込んだ検討が必要であるように思わ
れる。
B. 国際政策協調
浜田論文ではわずか9行ほどしか触れられていない「良い物価下落」に関するコメント
が長くなったが、本報告における浜田先生の中心的問題意識は、果たして国際政策協調が
日本のバブルを生んだのか、という点にある。浜田論文は為替レートと国際政策協調に関
するゲーム論によるかの有名な先駆的理論的分析枠組みに基づいており、その答えをあえ
て大胆に要約すれば、本来国際政策協調は望ましいが、誤った政策協調の結果、政策協調
が口実として利用されて日本がアメリカに搾取された結果となった、というものである。
政策協調が「口実」として使われること自体も、政策協調が望ましくない理由の一つで
あろう。政策協調が政治家や官僚システムの責任回避の口実として使われ、本来実施すべ
き国内政策から注意をそらせてしまうことが政策協調の最大の問題点なのである。「国際
政策協調」の美名の下に行われる政策は拒否できないからである。論文のなかでは「指導
者達が経済のメカニズムを理解していなかった」ことが政策協調が成功しなかった原因の
一つとして指摘されている。だが、現実の世界では「指導者達が経済のメカニズムを理解
していない」ことを前提とすべきではないだろうか。
だが、浜田先生が指摘されているように、政策協調には、各国間の依存性の強さへの疑
3
問、時間的整合性、国内政治との関連、経済モデルの認識など、4つの根拠に基づいた批
判がある。中でも、評者はフェルドシュタインの以下のような言葉が最も正しいと考えて
いる。
「私は、協力や協調の利益といわれているものの多くは誤りであり、想定されている
タイプの協調には重大な危険と損失が伴っており、国際協調に力を入れることは、国内政
策を変更する必要性から注意をそらせることになると信じている。」1日本では国際協調が口
実に使われたという浜田先生のご指摘は、正にこの点と一致しているように思われる。
果たして政策協調はバブルを長引かせたのか、という質問に対しては、評者は1985
年のプラザ合意から1987年のブラックマンデー以降の半年間まで、つまり1988年
中頃までの期間についてはその通りであると考えている。しかし、アメリカからの強い金
融緩和の圧力は、ブラックマンデーの影響が吸収された1988年中頃までには解消して
いた。事実、ドイツは1988年央には引き締めに転じている。その後日本の引き締めを
さらに1年も延期させバブルの最悪の部分を作り出した要因は、1988年後半から政治
課題になってきた消費税導入である。1989年4月に予定されていた消費税をスムース
に導入させるために、政府はそれ以前の金融引き締めへの転換による景気の悪化を恐れて
いた。そのため、政府からは日銀に対して消費税導入までは引き締めに転じないような強
い圧力があった。そのため日銀が引き締めに転じたのは、消費税がスムースに導入された
ことを確認した後の1989年5月までずれ込んだのである。バブルの最悪の部分を作り
出したこの1年間の引き締めの遅れは、国際政策協調のためではなく、純粋に国内的要因
であった。
バブル崩壊を経て日銀法が改正され独立性が強化されたのも、このような政
府からの圧力の存在がバブルの発生の一因となったことの反省が反映されたものであろう。
金融政策は期待を通じて作用するから、その効果は国民が金融政策にどのような期待と
信頼を持っているかで根本的に異なる。この面を無視した理論では金融政策の分析は現実
的ではない。その意味で、ゲーム論的分析は原則的な協調の原理を議論するためには有用
でも、現実に問題となるような具体的かつ微妙な政策協調の問題を分析するには限界があ
るのではなかろうか。
3.北村論文
長文の北村論文は、過去30年間の為替政策という海図なき航海の克明な航海日誌とも
いうべきものであり、如何に為替レートの安定を達成すべきかという問題意識に基づいて
いる。そこでは、この期間を通じてますます予想、思惑という要素が強まり、均衡為替レ
ートの概念が曖昧化して、為替政策が市場へのシグナルを送るという役割に変化していっ
た経緯が述べられている。その結論は、正確な将来予測と市場との信頼関係が必要だとい
1
Feldstein(1988)、3頁参照。
4
うものであり、
「将来予測に関して、通貨当局と市場関係者の間に、的確さを競い緊張感の
ある関係を構築することが為替レートの安定に資する」とされている。
これは通貨当局者の実感ではあろうが、部外者にはなはだ曖昧な内容である。しかし、
その意味をあえて踏み込んで推測すれば、「変動の可能性に関する認識が正確であれば、市
場は自らそれに対応するので経済への影響は少ない。しかし変動を抑えるというできない
約束をしておいて、結果的に市場を裏切ることが最悪の結果をもたらす」という意味に解
釈できるのではないだろうか。言い換えれば、政策当局としては市場の期待形成に必要な
明確で信頼される政策意図の表明が必要である、という意味であろう。そうであるならば、
北村論文の主旨には賛成である。だが、為替レートは政策当局の意図で左右されるもので
はなく、基本的にはファンダメンタルズと市場の期待によって決定されるため、全く市場
に介入しないという政策スタンスを明確にすることも、結局は為替レートの安定につなが
るのではなかろうか。
しかし通貨当局としては立場上、為替の動向に全く無関心でいる訳にもゆかないのであ
ろう。このような見解は90年代の為替政策を振り返った榊原英資氏の論文と共通するも
のがあって、そこでは米国の政策担当者のパーソナリティや気まぐれが為替相場に様々な
影響を与えてきたことが記されている。2しかし興味深いのは、それに対して当時の米国側
担当者であった Jeffrey Shafer 氏は榊原論文へのコメントの中で、為替相場を決定する最
重要決定要因はファンダメンダルズであり、クリントン政権は一貫してファンダメンタル
ズの改善を促す政策を追求してきたのであって、たとえ米国の為替政策担当者の交代によ
って為替レートが影響を受けたように見えたとしても、それはごく些細なことであると述
べている。3
彼の言葉によれば、「もし日本の官僚が、マクロ経済及び構造問題の両面において、日本
のファンダメンタルズ改善のために彼らができることに集中し続けるならば、日本経済は
より健全になり、世界経済はより安定化するだろう。この戦略は、日本経済のパーフォー
マンスからみて、望ましくない方向へ為替相場を動かす圧力を減らすことにもなるであろ
う」と述べている。これこそが不確実性が増して海外要因が複雑に影響し合う環境下での
為替政策の世界標準である。日本の通貨当局がこのような観点からの経済政策を明確に追
求することこそ、為替レートの安定を導く最善かつ確実な道である。
海図なき航海の船長としては、時々刻々変化する荒波をいかに乗り切るかが最大の課題
であることは理解できる。しかし、通貨当局としては上空から気象衛星を使って気象の変
化を観察し、レーダーで船の行方を常時把握して大局的な進路を誤らないよう進路を示す
2
3
榊原英資(2000)。
Jeffrey R. Shafer (2000)。
5
司令塔、あるいは目標となるべき灯台の役割を果たす必要もあろう。操船は民間のプロに
任せて、通貨当局がより高い視点から、通貨政策の方向性だけを明確に示す立場に立つ必
要があるのではなかろうか。
4.賀来報告
賀来報告では、バブル期には国内的な円高阻止の要請と、国際政策協調による国際的圧
力によって為替レートが金融政策の目標となったこと、及び一般物価が安定しているなか
で資産価格だけが上昇したために、通常の財・サービス価格に注目する政策運営が行われ
た、という2要因がバブルを生んだ原因であるとされている。この判断は通説に沿ったも
ので、全くその通りであろう。
まず第1点目の政策協調についてはについては、既に簡単に浜田論文へのコメントの中
でも触れ、評者も別の機会に発表しているので、詳しくは拙著を参照していただきたい。4
ただ、期待の重要性の観点から付け加えておけば、元々コントロールできない為替レート
が金融政策の目標となったのは、為替レートが期待に影響を与える目に見えるシグナルと
なったためであるとの解釈もできる。例えば、期待インフレ率の上昇による実質利子率の
低下は目に見えないが、名目為替レートの低下は目に見えるため、為替レートを観察する
ことで市場による金融政策の信頼性の評価が可能になるからである。
冒頭に述べたように、金融政策は期待を通じて働く。為替レートが注目され目標化した
のは、それを通じて金融政策の信頼性が目に見えるからである。まさに期待と信頼性が重
要であるからこそ、期待形成のため中央銀行の信頼性を示す目に見える指標として為替が
使われているのである。言い換えれば、日銀からその他の明確なシグナルが示されていな
かったともいえ、中央銀行のスタンス、信頼性をそれ以外の形で示すことができれば、為
替の制約は軽減されて政策の自由度が増加する可能性があると思われる。
現在日銀はしばしば「Forward looking」 な金融政策を目指すことを標榜している。し
かし、これまでのところ発表される目標は、
「インフレが安定的にゼロ以上となるまで」
、
とか「デフレ懸念が払拭できるまで」という曖昧な表現に留まっている。政策目標は信頼
されなければ、期待に影響を与えることはできない。条件付き政策や傍観者的政策発表は
信頼されるに足りず、市場は為替レートに対する日銀の対応をより信頼に足る情報源と見
ていた可能性がある。信頼を得るためには、明確な政策目標とそれを達成するための具体
的政策行動や、失敗した場合の責任を明示しなければならない。そのような条件が満たさ
れて初めて、政策は Forward looking と呼ぶに相応しいものになるのである。そのような
意味で金融政策が明確に Forward looking なものになり、国民に信頼されて期待形成に影
4
清水啓典(1997)、第13章。
6
響を与えるものにならない限り、為替レートがより信頼すべきシグナルとみなされて、金
融政策がそれに制約される状況が続く可能性があろう。
第2点については、2つのことを指摘しておきたい。その第1は、なぜ財・サービスの
価格は安定している中で、資産価格だけが上昇したのかという問題である。バブル期に財・
サービス価格が安定していた最大の原因であり、資産バブルを引き起こすことにもなった
原因は、1985年から約1年余の間に生じた60%にも及ぶ急激な円高と、それに時期
を合わせて生じた当時最大の輸入品であった原油の価格暴落という逆石油ショックによっ
て、ほぼ半減した輸入物価の大幅下落である。5それによって、輸入依存度の高い産業、特
に石油関連の業界においては巨額の為替差益が生じている。例えば、石油製品の投入価格
指数と産出価格指数は、1984年にはそれぞれ 101.2 と 101.0 であったものが、198
8年にはそれぞれ 32.1 と 60.7 となっている。つまり、産出価格は投入価格の約半分ほどし
か低下しておらず、大きな利益が発生したことを示している。この事実は製造業全体につ
いてもその程度は低いものの、同様に生じている。ちなみに製造業全体についての投入価
格と産出価格指数は、1984年でそれぞれ 101.6 と 101.1 であったものが1988年に
は 84.9 と 90.7 となっている。このような輸入依存度の高い経済主体に集中的に生じた利益
が、当時最も高い期待収益を持っていた資産である株式と不動産に投入されたことが資産
バブルを引き起こした発端となったのである。
第2は、財・サービス価格が安定していたので、通常の政策運営ルールに従えば引き締
めを行う必要がなかったとの主張である。だが、当時「金余り」現象が産業界からもしば
しば指摘され、金融緩和が過剰であることは他の多くの証拠から明らかであった。6しかし
日銀が引き締めを行わなかった背景には、既に上で述べたような、国際政策協調や消費税
導入に伴う国内の政治的圧力が存在したのである。
もちろん、資産価格を直接に金融政策の目標とすることは適当ではない。だが、バブル
の発生と崩壊を経験した現在の知恵は、もしバブルが発生していると分かっていたら、単
に財・サービスの価格の安定を目指すよりも、より厳しい金融政策を実施し、負のバブル
が生じていると分かっていたら、単に伝統的物価指標による物価安定を目指すよりもより
拡張的な金融政策を実施すべきだということである。それができなかったのは、上述の国
内の消費税を巡る政治的圧力が関係していると思われるが、この点に関しては、現在でも
なお十分な情報開示がなされているとはいい難く、日銀当事者によるより詳細な検討が期
待されるところである。
5
6
この点については、清水啓典(1997)、第11章参照。
清水啓典(1997)、第14章、326頁、及び注4)
、333頁参照。
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5.新たな視点の必要性
そこで以下では、各報告の内容からは離れて、評者の視点から為替レートと金融政策の
問題を考えておきたい。
A. 為替レートの安定
まず、外国為替に関する議論において問題だと思われることは、変動相場制導入以来3
0年経過してなお、為替相場の安定性に関する問題設定が全く変化していないことである。
つまり、30年間もの間の技術進歩や環境変化にもかかわらず、為替レートの「安定化」
とは一体何を意味するのかが定義されないままに、現在でもいかに為替レートを安定させ
るかという問題が議論されているという現実である。
上述の報告でも指摘されていたように、日本では特に80年代後半に為替レートが金融
政策の目標化していたにもかかわらず、変動相場制移行後今日に至るまで、円の変動幅は
先進国の通貨中最大である。しかも、為替レートを目標化していたことが一つの原因とな
ってバブルが発生し、それに続くバブル崩壊と不況の長期化という膨大な社会的コストが
発生した、という点については認識が一致している。そうであるならば、定義もできない
為替レートの安定という政策目標を放棄して、民間経済主体に自由に変動する為替レート
に対して適応の自由を与えるべきではないだろうか。
変動相場制移行後30年を経過した今日では、ヘッジ手段の発達や交通・通信手段の進
歩による海外への工場移転の普遍化などによって、経済主体の為替変動に対する適応能力
は飛躍的に向上している。政府はファンダメンタルズの改善政策にのみ集中して、為替レ
ートの安定を目指す通貨政策を追求しないとの明確な方針を打ち出したとしても、それに
よって為替の変動が激化するとも考えられないし、政府の恣意的な判断を考慮する必要が
なくなるために、むしろ、民間経済主体の為替変動への対処を容易にする可能性が高い。
変動相場制の下では、マネーサプライのコントロールや基本的ファンダメンタルズを改善
する以外には元々影響を与えることのできないできない為替レートを、為替政策によって
安定化させようとする議論自体を見直す必要があるのではないだろうか。
また、30年間の間には、ユーロが成立し中南米諸国の Dollarization の動きが明確にな
っている。ユーロの成立は通貨間競争の結果通貨がマルク化したと見ることもできるし、
中南米諸国のドル化も自由な通貨間競争の結果ドルが生き残ったと見ることもできる。技
術進歩や交通の発達によって労働・資本や情報の国際間移動性は大きく向上していること
も、通貨統合の背景になっているのだろう。現段階で為替レートの安定や制度を議論する
際には、Dollarization の動きに触れより大きな枠組みの中で議論する必要があると思われ
る。
B. 為替相場制度と金融政策
1980年代から1990年代の歴史を通した長い目で見て、変動相場制度が現在の金
8
融政策に与えた最大の影響は、為替レートや対外的配慮が原因の一つとなって生じたバブ
ルの影響が余りに甚大であったために、日本銀行がインフレ防止のみを唯一絶対的な目標
として行動するようになり、逆にデフレには寛容な政策スタンスを採るようになったこと
ではないだろうか。現在の不況や金融危機は資産デフレの当然の結果であり、デフレを防
止しない限り終わることはない。四半世紀の経験から日本が学ばなければならない教訓は、
デフレはインフレ以上に回避すべき最悪の事態であり、日銀は結果責任を伴う明示的なイ
ンフレ目標を導入した上で、真の物価「安定」を達成する使命があるという点であろう。
<3報告者への共通質問>
それぞれの報告者に、内閣府幹部、元財務省幹部、元日銀幹部としての経験を踏まえて、
下記の3点に関するご意見をお伺いしたいと思います。
1.各組織の責任論にこだわらず、財務省と日銀が真に一体となった政策協調こそ最も必
要とされていることではないでしょうか。その問題点と改善のための具体策、及び新日銀
法による日銀の独立性の評価についてお聞かせ下さい。
2.かつてのドイツ連邦準備銀行のように、通貨当局は為替には介入しないしできないの
だという方針を徹底して貫くことはできないのでしょうか。また、30年以前に比べて、
ヘッジ手段が飛躍的に発達したことの影響をどのように評価すべきでしょうか。
3.大胆なデフレ防止の金融政策の必要性に対する見解の相違の基礎には、現在の日本経
済の深刻さに対する認識の違いがあると思われます。評者はデフレが継続する限り金融シ
ステムの安定化は望めず、現在は金融政策が対応すべき深刻な状況であり、インフレ目標
政策とそれを達成するためのより積極的な金融政策が必要と考えますが、経済の現状認識
とより大胆な量的緩和の必要性についてのご意見をお聞かせ下さい。
参考文献
清水啓典(1997)、
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、第7章、東洋経済新報社、2001年。
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Crisis and Its Parallels to U.S. Experience, Institute for International Economics.
(
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融危機―米国の経験と日本への教訓』、第9章、東洋経済新報社、2001年。)
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