進化する酢の方向を考える 誌名 日本醸造協会誌 = Journal of the Brewing Society of Japan ISSN 09147314 著者 中村, 訓男 巻/号 104巻6号 掲載ページ p. 412-424 発行年月 2009年6月 農林水産省 農林水産技術会議事務局筑波事務所 Tsukuba Office, Agriculture, Forestry and Fisheries Research Council Secretariat 進化する酢の方向を考える (江戸から平成へ) 食酢は塩と主主ぶ人類最古の調味料である。西洋において食酢が記録に表れたのは,遠くメソポタミア文明 の時代であった。一方,東洋では我が国の縄文時代に中国の食卓に現れた。中国で開発された食酢の製造技 術は 5世紀(古墳時代中期)に入り,酒の醸造技術と相前後して日本に入った。江戸時代までは,酢を日常 的に食していたのは特権階級であったが,江戸に庶民文化が花開いた頃,酢の文化も開花した。中でも寿南 ,酢漬けの魚を握った「援り寿司 J , は特筆すべきものである。ご飯に酢を混ぜて押し寿司にする「早寿司 J 油揚げで作る「稲荷寿司 Jなどで,今日の寿司の原点ともいわれている。そこで今回は,江戸時代からの酢 の造り方について古文書から解説を頂くと共に,金酢の生産量の推移や今後の展望について緩めて頂いた。 中村訓男 十 日本の酢の始まり 歩合は 1 3 0%)。発酵期聞は 4 0日。現在の米酢の製法 に比べ,仕込み水の割合も少なく,酢の出来高も少な 日本で酢がいつ頃から造られるようになったのかは い。ただ,酒は陰暦の 1 0月と寒い季節に仕込むのに 定かではないが,始めは沼が発酵して酸味が強くなっ 対し,酢は暑い季節に仕込むとしており,酢の発群に たものを利用していたのではないだろうか。奈良時代 適した季節も分かつていた。 の『万葉集j (巻十六)に持統・文武戟のころの持統 これ以降,江戸時代まで酢の製法に関する文獄は少 天皇 (687~697 年)の宮延歌人長思寸意吉麿(なが 1 5 6 6年)以前,あるいは永正 なく,永禄 9年 ( のいみきおきまろ)の歌として「醤酢(ひしおす)に 文年間 (1504~1554 年)の写本とされている「御酒 天 蒜揚(にらつ)き合(か)てて鱗願ふ吾にな見せそ水 之日記j2)に酒の製法と一緒にメモ程度に酢の製法が 葱(なぎ)の禁(あつもの)J(野びるをきざんで欝と 書かれているくらいである。「御酒之日記Jに警かれ 酢でさっぱりと鯛でも食べたいと患っていたのに,暑 た 酢 の 仕 込 み 割 合 は 白 米 1升(1.5k g ),麹 3合 苦しいニラの煮物など勘弁してください)と酢を詠ん ( 0 . 4 5k g ),水 3升 ( 5 . 4リットル) (汲水歩合は 2 7 7 だ歌があり,この頃すでに酢はさっぱりさせる調味料 %)。発酵期間は 7~8 B。原料の米から酢を造る発酵 として用いられていたことがわかる。 期間としては考えられない短さであり真偽のほどは定 平安時代,延喜 5年 ( 9 0 5年)援翻天皇の命により かで、はない。 藤原時平・忠平らが,宮中の慣行,法令をまとめた そして,この米酢の製法は,鎌倉・室町・桃山の各 『延喜式 j (巻四十 ) 1 )の造酒司(さけのつかさ)に関 時代を通じて,主として和泉の罰(現在の大阪府南部, する項目に酒の造り方とともに酢の造り方が次のよう 和泉市,堺市付近)で引き継がれてきた。 に警かれている。「酢一石の原料として,米六斗九升, 米麹(よねのもやし)四斗一升,水一石二斗を用いる。 2 江戸時代 0日ごとに醸(かも)し,こ 陰暦の 6月に仕込み, 1 江戸時代になると酢を生業として造ったり,売った れを四度繰り返す。 J酢 1 8 0リットルを造るのに,米 りする業者も増え,酢を使った料理の種類も増え,多 1 0 3 . 5 1 . 王g ,米麹 6 1 . 5kg,7 ] < .2 1 6リットル使用(汲水 くの料理本 3) が出版されるようになった。酢の造り方 TheHistoryo fVinegarProductioni nJ apan (fromEdoErat oH e i s e iE r a ) NorioNAKAMURA( R e s e a r c hL a b o r a t o r y ,K ewpie] yo z oC o .,LTD)) 4 1 2 醸 協 ( 2 0 0 9 ) に関する文献も多くなり,詳しい造り方が分かるよう になってきた。 江戸時代の酢には 4~5 位紀に中国から造り方が伝 えられたとされる和泉の国で造られてきた「いずみ 定める。この婆を日光のあたる処に置いて,動揺させ ぬように,また非常の物に触れぬように,雨露が内に 透過(しみこま)ぬようにして,七・八日間をおく。 天気快晴の日を候(ま)ち,婆葦(かめのふた)を聞 酢んならびにその流れをくむ米酢と,酒酢(万年 くが,内の紙蓋を開かず,気を漏らすだけである。夕 酢),粕酢がある。 方には外葦を掩い,渋紙を縛る。 なお, 1 喜藷酢は万年酢に菖蒲を入れてつくるもので, 今の分類でいえば調味酢,プレーバード(ハーブ)ビ ネガーにあたる。 いずみ酢,酒酢(万年酢)は米を原料にした米酢, 粕酢は酒粕を原料とした酒粕酢である。 翌日の午前にも,また気を漏らす。もし雨天であれば, 蓋は開けなし〉。このようにして二・三十日ねかしてか ら,前のように開封すると,内蓋が沈んで酸味が出る ようになっている。これは畿が醸成されたためである。 しかし酪が出来あがったといっても,浮(かす)を漉 (こ)してはいけない。翠春のニ・三月になって醗の (1)米酢(いずみ酢等)の製法 熟するまで候(ま)って,布褒(ぬのぶくろ)に入れ f本朝食鍛~4) (人見必大著, 1 6 9 7年刊)によると, て汁を漉(こ)し,浮を取り去るのである。五・六月 「酢は諸州で盛んに造られるようになり,中でも和泉 になって,また淳の生じるを候(ま)って,瓶に入れ, (いずみ)酢が上質であり,今日でも盛んに製造して 緩火でー・ニ沸煮立たせてから浮を取り去って清澄に 諸都市で販売している。品質は三年以上たったものが し,その察を屋内の涼しい処に移して,半ば土に埋め 一番良い。その色は縫い酒のようで,味は甘くて甚だ ておくと,秋の彼岸のころになってすっかり熟成する。 酸い。 これは,大抵(ほぽ)泉州・田中・善徳寺の法とは同 近代では相州の中原(神奈川県平塚市)の成瀬氏で じであるが,就中(とりわけ),中原は修製の妙を得 ' 1の吉原善徳寺(静岡県 造られるものが第一等で,緩十1 て,異香・奇味がある。{也の企ての及ばぬものであっ 'の田中(静岡県藤校 富士市)で造られるもの,同チ1 て,その深秘のところは人に伝えられない。」 市)の市上(まち)で造られるものがこれに次ぐ。以 上の三所の酢は,いずれもいずみ酢の法に基づいて, 中原酢は成瀬酢ともいい,江戸時代前期に将軍や大 御所が燦狩や巡察をする際に宿泊,休憩する施設とし これにいろいろ工夫を加えたものである。 Jと評して て慶長元年 ( 1 5 9 6年)に造営された中原御殿の代官 し 〉 る 。 屋敷の中で,代官であった成瀬五左衛門が酢とうじに 『本朝食鑑Jでは中原の酢の製法について詳細に記 造らせていた。造られた酢は江戸城にも上納されてい しており,これを東洋文庫5) の読み下し文で読んで、み た。元禄 8年 ( 1 6 9 5年)に成瀬氏が代官職を離れ, る 。 次いで代官職についた平岡家が離職するまでおよそ 「中原の酷法としては,仲秋の吉田に,まだ脱殻し 1 1 0年間酢造りは続けられていた。 ていない早綬(うるち)を甑(せいろう)で蒸し,晒 その後一時酢造りは途絶えていたが,製法を知る唯一 乾(さらしほ)し,春節(っきふる)って上自米とし, の人物高橋氏(名前は不詳)によって,所望する磯部 このー斗を稲(やや)硬めの飯に煮て酒飯のようにし 氏に酢道具一切と製法が伝えられた。酢の上納が止ん たのを用いる。麹六升と水一斗八升とを料(はか)り でから八十数年後の寛政 1 0年 ( 1 7 9 8年)のことであ 定めておき,先ず堅炭一個,鉄釘一個を縛り合わせて, る 。 婆(かめ)底に入れる。 こうするのが造酷の厭法(こつ)である。次に飯を温 高橋氏より伝授された製法を書いた文書が『大野 誌 . 16)に記載されている。 いうちに饗にいれ,固く築(つ)き定めて,水が潔 (う)き出さぬように注意する。次いで水を差し,次 高橋氏から磯辺氏に伝授された製法(寛政 1 0 に麹を入れ,厚紙で覆うて内蓋とする。その上へ,木 1 7 9 8年) 叢で婆の口を掩い,さらに重ねて柿渋紙で木蓋の上を 酢の法伝承 覆封する。外は左索(ひだりない)の縄で七四半縛り 一,米一升につき,寒の水二升, )椛(麹)六合添え, 第 1 0 4 巻 第 6号 4 1 3 一,飯焚き様,米一升に付水八合也, 一,酢船より酢出る口を,半程え,わらぜ、んへ紙をま 右の通,何程すへ候とも,この割にてすへ申し候, き,宮下もらざる様にいたし置べき也, すへ様の事 来夏酢へ火を入べき也,ざっとわかし,元の桶へ入 椛二升程,下析のそこに揺れ候程入れ,其上に,か るべき也, たずみとかな釘,苧(からむし)にて結び付け,右 瓶の蓋,わらにて形の如し, の椛のまん中におく也,其上に飯少しづっ入れ,髄 一,詳の粕へ,味噌或はしゃうゆ(醤油)のみ(実) 分よく杵にて掲込み,一番上をしゃくし(杓子)に など摺りまぜ,栢の実など入れ,其外思付を入れて, てなおし,其上へに食を置き,水をはかり入る也, 朝夕のさひ(菜)に用,よろしきもの也, 其次に,椛残りたるを,皆蓋にする也,以上。 瓶の口を地より五七寸も抜き出し局へべき也, 一,地に瓶を居へ,平地よりも地形七八すも高くして, 瓶をすへべき也,扱(さて),瓶の還に,わらにて, 一子口伝の法なれば,秘すべし秘すべし, 味噌蓋のごとく丸こしらへ,ふたをする也。 掠,雨よけに,下じを竹にてこしらへ,其上をわら にて,雨のもらざる様にふく也,かくのごとく,此 高橋氏 寛政十年午九月吉日 磯部氏へ 上をわらにてふく也, 一,一月に二度程瓶の葦をとり,へぎ板の様なる物に 平塚市博物館には磯部三郎氏から寄贈された酢の仕 て,瓶の廻りにかびのあるを取り捨る也,酢の上へ 込みに使われた婆(カメ)が所蔵されている。(第 2 に,かび又はごみ,虫の類入べし,是をば,馬のす 図参照)酢カメは高さ 65cm,口の長後 65cm,短径 ぶるひにて取り捨るべし。 55cm,鵬廻り 2 6 5cm,で容量は約 2 5 0リットノレ。質 扱,来年九月中旬,右の酢外へうっすべき也,此う はすこぶる硬く,上ぐすりも施されている。 っす橋は,随分よろしき桶にて,切蓋をいたし,其 上へをしぶ、紙ニ枚程にて,随分よく縄にていくえに もまはし,風のいらざるやうにすべき也,又は,う カメの容量から推測して製法還りの割合で仕込むと すると,以下のような仕込み割合となる。 飯米(米 5 2 . 5kg十水 50.4L ), 米 麹 3l .5kg, ばと云う物,酢の上に出来るなり,是をとり喰事に 2 6L。 仕 込 み 総 量 約 2 4 0L 汲水 1 用うべき也,瓶に有る内も,此うばは出来る物也, 米 1升(l.5kg) に水 8合(l.44L)で実際に米を よろしきふうみ(風味)の物也, 一,酢の揚げ様は,酒の揚げ様も同様也,木綿の袋を いくつもこしらへ,仕込み候酢を此袋に入れ,わら 炊いてみると,芯まできちんと炊けるギリギリの水量 であった。 大野誌によれば明治の中ごろまでこの 2倍から 3倍 にて袋の口を結び,船に入れしぽる也,はじめの内, の大きさの警が酢蔵にいくつも据えられていたとのこ すまずすまざるを,又船に入れ澄候へば,段々とす とであるが,現在ではその酢蔵も戦災で焼失し残って み申し候,酢訟の蓋をいたし,其後ち,段々とおも みをかける也, ( 第 1図参照) 第 2図 酢 婆 第 1図 酢 の 揚 げ 様 4 1 4 平塚市博物舘蔵 醸 協 ( 2 0 0 9 ) 米酢と和歌山県那智勝浦で嬬米から木樽で米酢を製造 している丸生酢醸造元くらいである。この製法の最大 の弱点は発酵に関わる酵母や酢酸菌を接種せず,自然 にまかせて発酵させる点にある。発酵のメカニズムの 研 究 13,14) が進んだ現在でも,仕込み条件によっては 産膜酵母による汚染や酢酸麗の生育不良により酢がで きないこともある。ましてや江戸時代では発酵に失敗 して酢にならなかったことも多かったことが容易に想、 像できる。仕込みの擦に堅炭と鉄釘を束ねたものを 「まじない j として入れていたのもその証拠である。 福山米酢の研究成果 15,16) として, トリプル発酵を 願諒に進める上で重姿な役目を果たしているのが振り 麹であることが分かつてきている。振り麹には①浮上 する飯麹の細菌汚染の防止,②酢酸菌の卒顛増殖の防 止といった役自がある。 トリプル発酵 『本朝食鍍Jの中原酢の製法では振り麹の代わりに 厚紙の内蓋を使用しているが,振り麹そのものを使っ ている製法が, r 中|窪漫録~ 12) (福山町近くの大隅の山 の家で万年酢の仕込みに振り麹を使用)以外にも江戸 に住んでいた江戸川散人孤松庵養五郎が書いた『黒白 精味集~ ( 1 7 4 6年刊)の中にも記されており,すでに 振り麹を使った製法が鹿児島以外でも酢を失敗せずに 作る方法として広まっていたことが伺える。 第 3圏 米 酢 製 造 工 程 図 黒白糖味集上巻 (二)酢の法 (松下幸子,古 川i 誠 次 , 山 下 光 雄 翻 刻 )8) いない。 一善徳寺酢の秘法米壱斗古米にでも新米にでも苦 米酢の製法についてはこの他にも『和漢三才図 しからず同じくは r )(寺島良薬著, 黒米の椛成程かれたるを能もみくだき 会 1 7 1 2年刊), r 黒白精味集 j 8 ) ( 孤 著 松庵養五郎著, 1 7 4 6年刊), r 合類 B 用料理抄~ 9) ( 者不詳, 1 6 8 9年干の, 天の巻 1 6 6 8年刊), 1 8 0 3刊 ) , r 料理塩梅集J 川(塚見坂梅庵著, r 新 撰 庖 丁 梯 j (杉野駁華著, 11) r 中盤漫録 j 12) (佐藤成裕著, 1 8 2 6年干のな ど多くの文献に載っているが,口伝えの製法もあり, やろくと申米よし椛六升 申候所は朝より晩這日当申処よし 水弐斗すへ 明日すへ申す可 ぞんじ候へば宵より米を能々洗ひあらを取水に上 置翌朝むし申候焼申候ても苦しからず てつぶれ申候程むし申候 入 小指に すへ申候節は八月の節に 節明候迄の内かめにすへ土へ少し堀込五六寸も 仕込総米に対する汲み水の割合が少なすぎて笑際には い け 申 候 か め 反 り Eわさず候程也先飯を一通っき 仕込みが無理な配合のものもある。米酢の製造工程図 込其上に椛を置突込また其上へ飯を突込椛を突詰 を第 3図に示す。 飯の有次第三べんも四篇も突込申候扱右の飯浮 米露下の製法の特徴は蒸し米(又は飯米)と米麹と水 を一緒に仕込んでそのまま酢にするという,糖化とア 候はぬ様に葦にて押右の水を入申候 掠水の上に椛 もみくださ置申候下に罷候椛より少く置掠其上 ルコール発酵と酢酸発酵が同じ仕込み容器の中で進行 に附木一わ釘壱本炭壱つ藁にて結合打込かけ置申 する「トリプル発酵j にある。現在,この製法が引き 候扱紙にてふたを仕候紙は何紙にでも苦しから 継がれて残っているのは蜜酢で有名な鹿児島県の福山 ず候其上にくびりわらニつ三っかけ雨の入候はぬ 第 1 0 4 巻 第 B号 4 1 5 様に仕候わら斗にてはごみ入申候故藁にてゑん れている ざのごとくにくみ蓋にいたし候 1 本朝食鑑,1")の万年酢の製法 扱三日自に天気能 0 日に当申 また万年瀦というものもある。好い酒一升・好い酷 候雨降候はば傘をさし藁葺を取紙ふたに穴を明 一升・清水一升を枠(かき)合わせ調(ととの)えて, け少しいきを入其億わらぶた致し候天気あしく候 褒に入れて蓋をし,客、封して関暖の処に置き,三・四 内は其億誼申候天気能候はば毎日 わら葦を日 十日経ると酷は熟成する。使用にあたって,婆よりー に当申後七日過にまた蓋仕候天気能候へば毎日 蓋(さじ)を取れば,別に好い酒一議を入れる。常に 右の通にいたし申候廿日程過候へば葦時々取申候 このようにすると,幾度酪を取っても原の酷はなくな 少しの関取候て能候久敷取候へば酢の匂ひ之無候 らないという故(わけ)で,これを万年という。 候はばわらぶたを取紙葦をこ所程破 四十日呂程より一円ふた取申さず 汲候時分扱六十 日を過候て上にかはあり申候蓋落入申候其時上 また別の万年の法としては,好い醸七合・諸白(も ろはく)酒三合を持(かき)合わせ調(ととの)え, たびた これが七合ぐらいになるまで炭火で煎(に)つめ,温 び汲候へば後は能すみ申候右の通り口但三日目 いうちに瓶に入れ,口を掩うて密封し,閑暖の地に置 にすみ候てたまり候能汲取候てすを立申候 に蓋取申候時 いきれ少く候得ば紙葦に明く穴より 縮き物を内へさし申候 穴をふさぎ 五月 とかくすよわくば紙ぶたの つよく穴を明候てよし 右のifF明年四 時分火を入申候大方けし花咲申候節也酢 壱斗程の内へ塩おりべの盃に一つ半分程火にて煎て うち込 さらさらと煮立て手引かげんにきめ申候時 このような類は,一つ一つ数えてあげていればきりが ない。家々でも,酷を造って奇を競うている。 『和漢和漢三才図会j7)の万年酢の製法 万年酪 夏月に味の変った溶・米酢・水〔以上三 ふた仕四五日過ふたを 品を等分に〕まぜ合わせて婆に入れ,竪(かた)炭の 風にあてまたふたを仕候得ば六七年立ても替 ;鐙(おき)を内に入れ,次いでその炭を取り出し,急 かめにでも樽にでも詰申候 取 く。十五・六日を経て熟成する。これもやはり酷を取 ればその分だけ酒を入れて,なくならぬようにする。 り申さず候次第に風味能成申候弐ばん取かめへ いで警の口を封じる。月が経つと酷となる。その後, 水もと酢の半分入十日斗過候てくみ申候是外別 味の変った酒があればその婆に加え入れる。その酪は て相伝なく右師伝の分神心残らず寄付進申候 大へん味が濃しコ。まことに民間の簡便な法である。 必々他言成され間敷候教候仁壱人も之無く候 長谷川公伝 湾酢の製法(第 4図参照)は酒造りと酢造りを分け 一新米黒米壱斗椛三三升水弐斗五升右主義米飯に た製法であり,酢を仕込みに使用するので腐敗する心 してあたたまりなき程さまし椛少し桶の底にふり飯 配もなく失敗も少ない。酸度も高い酢ができたようで をーぺん霞其上へ又椛をふり何篇も此如く仕 効きの良い酢ができる。現在の米酢の製法は,ほとん よく押付右の水を入申候 右の椛の内へ少し残置水 の上にふり申候扱渋柿一つかな釘を打左縄にて 左巻にして おこし炭壱つ能おこし 渋柿一度に酢 の内へ入申候ふたをして七日め七日めに三度づっ三 七日かき申候 其後よくふたして夏五十臼冬は七 十日程呂当のよく あたたかな成所に置申候 ( 2 ) 酒酢 溶と水と酢を 1:1:1の割合でカメに仕込み,静置 しておくと酢となる。使用したら酒をそのままか水で 1:1に割って酢の仕込みカメに継ぎ足しておくと幾 度酢を取つでもなくならないというわけで万年酢とい う。自家製の酢の製法として多くの料理書にも記載さ 4 1 6 第 4図 酒 酢 製 造 工 程 図 嬢 協 ( 2 0 0 9 ) どこの製法と同じようにアルコール発酵と酢酸発酵を 粕 1kgに対し汲水1.9リット 1レ,中等品は 1kgに 別々に行なっている。 . 2リ ッ ト ル , 下 等 品 は 1kgに 対 し 汲 水 対し汲水 2 2 . 4リットルくらいが標準とされていた。 ( 3 ) 粕詐 ③ふな場 文化元年 ( 1 8 0 4年),江戸で流行のきざしを見せ始 めいてたすしをターゲットにして尾張(愛知県)半田 ( 約3 5kg) できる。 の中野又左衛門により本格的に製造され始めた。 その製法については「中埜又左エ門家文書j をまと めた f 中埜家文書にみる酢造りの歴史と文化 3 道具 7)(日本福祉大学知多半島総合研究所,博物 と技術.1' 9 9 8年刊),ならびに半田のビー 館「群の里」編集, 1 ル会社の技師であった西村寅三氏の著書作自酢醸造 論 . 1 '8) 翫(もと)を圧搾し,ろ過する。 1 8 0L ) に 対 し , 酢 粕 は 約 9貫目 翫(もと) 1右 ( ( 1 9 0 2年刊)に詳しく記載されている。 ④わかし 澄 汁 は 大 き な 鉄 釜 で 70T 前後まで加熱し,沸汁と する。 6C前 後 ま で これは仕込み液の温度を混合直後で 3 0 よげ,発酵に適した品、温にするためである。 ⑤仕込み 澄汁,沸汁と穣酢を混ぜ合わせ,イ土込楠に移し 1ヶ 粕酢の製法(第 5図参照) 月程酢酸発酵させる。(作り) :1:2 澄汁,沸汁,種酢の割合は, 1 ①粕倉 酒粕を 6 尺桶にて 1~3 年寝かせ,熟成させる。熟 成中に酒粕の成分が残存するアミラーゼやプロテアー ゼ等の酵素により分解されるとともに,含有されてい る成分も変化し,色調は褐色から赤褐色に変化する。 発酵後 2~3 ヶ月熟成させる。(屈酢) ⑥灰ごし できあがった酢から不純物を取り除く。 藁灰を塗り付けたろ過層を通してろ過する。 ②ひやかし ⑦詰くち 航(もと)桶(72 0~900 L) に 移 し , 水 を 加 え て 撹枠, 7日ほどで航(もと)となる。 ろ過した酢を樽詰する。 西村寅三氏による粉砕製品の分析結果は 翫(もと)はただ酒粕を水に溶かすのではなく,含 まれている糖分を酵母がアルコール発酵してアルコー ル合議を増加させるとともに,乳酸菌や酢酸菌による 上等品(山吹)全酸量(酢酸換算) 3 . 4 7%,不捧 発酸(酢酸換算) 1 .47% 下等品(1育酢)揮発酸(酢酸換算) 2 . 2 8%,不揮 . 2 7% 発酸(酢酸換算) 0 酸の生成も進める。 j 霞粕と水の割合は一定ではないがよ等品の場合,酒 間│ギ戸 ‘ ー ー 円J Y E E ←同酸発車孝←巨 Y FY F 第 5図 粉 砕 製 造 工 程 図 第 1 0 4巻 第 6号 4 1 7 落に報告した文書の中にも尾道の酢が名産酢としてあ 3 . 明治から大正 げられている。尾道の酢造りが盛んになったのは醸造 明治に入札酒造業界には西洋の技術が入り,微生 に適した水と北前船による秋田からの安価な米の入手 物管理の重要性が認識されてきたが,会酢業界では事 が可能であったことにある。尾道商工会議所報 21) の 態はあまり変わらなかった。米酢の製造でもアルコー 7年の尾道からの酢の輪出 輸出統計によれば,明治 2 j レ発酵が終るころに穣酢を加えて酢酸発酵を続けて行 額は 3 0, 6 0 0石 ( 5, 5 2 0KL ) , 9 , 18 0 0円となっている。 なわせるようにはなってきたが,酒税管理のためアル 2年に広島県酢造開業組合から発行された『甘 大正 1 コール発酵もろみを自由に処理することはできなかっ い酢は良く利くの記 j22) でも,大正 9年の広島県酢造 た。明治の中期に主として関頭の米酢業者の練情努力 8, 5 0 0石 ( 8, 7 4 9KL)であ 開業組合の酢の生産額は 4 により,もろみの変性(酢などを入れて飲めなくする り,広島県以外にも中国,四国,九州から北海道まで こと)と庚税(変性もろみは無税となる)が認められ 広く全国に販売されている。(第 1表参照)北海道に てやっともろみ変性の開題は解決した。これによって も船で酢が運ばれていたことは尾道の酢の業者の屋号 米酢のアルコール発酵もろみ(米もろみ)や粘酢の酒 が書かれた酢徳利が北海道の各地に残っていることか 粕汁は,酢で変性してから圧搾滋過をすることにより, らもわかる。松下草,氏家等両氏の認査 23) によれば 雑菌の汚染が防げるようになったのである。 4 8点のうち, 1 0 4点が 北海道内で確認された酢徳利 1 0年(18 7 7 食酢の販路も内国勧業博覧会〔明治 1 尾道のものであった。 年)に第 1回 が 上 野 で 開 催 さ れ , 以 後 明 治 3 6年 なお,明治から大正時代の酢の生産量については正 ( 1 9 0 3年)の第 5回(大阪)まで 5困開催された]へ 確なものがないが,大正 1 5年に発行された『醸造学 の出品等の宣伝活動により全菌に広がった。食酢の製 各論要義J 刊に掲載されている大正 3年の統計(第 2 造は大手製造業者があった愛知や大阪が有名で、あるが, 表)では酢の総生産額は 9 0, 1 5 0石(16, 2 6 2KL ) , 昭和の初期頃までは広島県の尾道でも米酢の製造が盛 尾道は出湯道有数の商業都市であり,瀬戸内海の商港 6 4 3, 0 4 0円であり,愛知県が 3 5, 4 0 7石 ( 6, 3 8 7KL ) , 2 1 2, 8 9 7円で第 l位であり,広島県の生産額は 2, 6 0 0 石 ( 4 6 9K L ), 1 6, 8 5 0円となっている。しかし,広島 としても重要な佼震にあった。江戸時代には北前船の 県酢造同業組合の統計では大正 3年の広島県の酢の生 んであった 19)0 第 6図参照) 入浴によって栄えた。酢の製造も盛んであり,その起 産額は 4 7, 0 0 0石 ( 8, 4 7 8KL)であり,あまりに生産 0年 ( 1 5 8 2年),酢造りの工人(技術者) 源は天正 1 額の差が大きしこの全国統計数字はよく検証する必 を大阪堺より招いて酢をつくり始めたことにあるとさ 要がある。 れている。正徳 2年 ( 1 7 1 2年),当時の町奉行が芸州 本氷ヌえ 大正 7年,圏内の米価が暴騰し,全国にわたり米騒 dF r , 然 言F島 町 干 亭 l ! L 第 6[羽尾道酢屋庖舗(灰屋次郊右衛門) 7年) 備後の魁より 20) (明治 1 4 1 8 穣 協 ( 2 0 0 9 ) 第 1表 第 2表 全 国i 脊酢生産量 広島県造酢同業組合食酢販売額 大正 9年度 (1920年) { 士 向1 也 大正 3年度 (1914年) 販売数量(石) 販売数議 (KL) 府県別 醸造石数(石) 金額(円) 生産量 (KL) 1 5, 0 3 0 2, 7 1 1 大紋 1 9, 2 0 0 4 5 6 3, 1 5 3, 9 9 0 山口 8, 6 8 0 1, 5 6 6 兵庫 1 6, 3 9 5 9 5 1 2, 45 3 1 0 5. 九州 8, 0 1 6 1, 4 4 6 新潟 6 7 2 1 2 1 8 0 2 5, 北海道 5, 3 5 6 9 6 6 千葉 3 3 6 6 0 6 3 0 2, 東北地方 1, 6 0 0 2 8 9 三重 3, 2 8 0 5 9 0 0 0 0 2 8, 東京 1 5 0 2 7 愛知 3 5, 4 0 7 6, 3 7 3 8 9 7 2 1 2, 島根 2 0 0 3 6 山梨 5 3 3 9 6 8 4 5 4, 2 5 0 広島 岡山 1, 5 0 0 2 7 1 滋賀 4 5 3, 7 5 0 香川 2, 1 0 0 3 7 9 長野 9 5 1 7 1, 4 0 0 愛媛 3, 0 5 0 5 5 0 岩手 2 1 9 3 9 0 8 9 3, 朝鮮 1, 0 6 0 1 9 1 山形 1 7 3 1 3 6 満州 3 5 0 6 3 福井 2 9 8 5 4 2, 7 9 0 台湾 2 7 0 4 9 富山 1 0 0 1 8 8 0 0 ハワイ 1 2 0 2 2 岡山 6, 6 0 0 1, 1 8 8 6 6, 7 0 0 大阪 3 5 0 6 3 広島 2, 6 0 0 4 6 8 1 6, 8 5 0 合計 4 7, 8 3 2 8, 6 2 8 徳烏 3 0 5 5 5 3, 0 5 0 愛媛 1 3, 3 9 6 2, 4 1 1 1 3, 3 9 6 愛知 1 1 8 2 1 7 1 0 動が起こり,原料米の入手が困難になった。その反面, 福岡 1, 9 6 0 3 5 3 1 6, 7 5 4 明治末期から酢の原料として使われるようになってき 計 9 0, 1 5 0 1 6, 2 2 7 6 4 3, 0 4 0 たアルコールは掴内て、の生産が増加し,米砕業者の大 部分は酒精密下の製造に転向していった。また,明治末 第 3表 食 酢 成 分 分 析 ( 明 治 38年) 期になると輪入の酢酸を原料とする合成酢(酢酸酢) 単 位 :w/v% が市場に出始め,大正時代に入り簡産の酢酸の生産量 も急速に増加したので合成酢の生産量も増加していつ 7 こ 。 明治 38年 (1905年),永木暁三郎,遠藤佑吉両氏 が発表した f 食酢の品位に就いて.125)には米酢,酒酢 (米酢),粕酢とともに合成酢(酢酸酢)の分析値が載 っている。(第 3表)当然合成酢は品位の良い酢とし ては選ばれていない。永木氏等は理想、の食酢の規格と して総酸 3 %以上,揮発酸 2.5%以上という規格を提 案している。 , 永木暁三郎氏の著著『酢の造り方.126) (大正 15年 種類 総酸 揮発霊安 不擦発酸 エキス分 l本 会 │ ミ 酢 3, 0 2 9 0 2, 0, 1 2 2, 1 2 2 * 米酢(酒群) 4 . 3 4 4 . 2 0 0 . 1 4 1 .1 1 ゲ酒酢 5 . 5 6 5 . 2 2 0 . 3 4 1 .6 8 4本粕宮下 3 . 9 0 3 . 5 4 0 . 3 6 理 下 5 *粕 3 . 4 2 3 . 3 0 . 1 2 2 . 4 5 首 下 6 米 2 . 1 2 。 。 4 . 2 1 . 5 4 1 .5 8 4 . 3 1 7 米酢 3 . 1 3 2 . 1 6 0 . 9 7 3 . 3 2 8 米酢 3 . 4 8 3 . 4 4 0 . 0 4 1 .3 3 9 もろみ酢(酒酢) 2 . 9 0 2 . 7 6 0 . 1 4 2 . 2 9 1 .9 2 0 . 0 6 1 .6 1 1926年干日)には米酢,酒器下,粘酢に加え,酒精酢, 宮 下 1 0 粕 酢酸酢の製法が記載されている。米酢については 16 1 1 合成酢 3 . 8 8 3 . 8 8 0 . 0 0 0 . 3 4 種の仕込み釧があるが,仕込みの総米量も 15~900 1 2 合成酢 5 . 7 4 5 . 6 8 0 . 0 6 0 . 1 2 kg ,汲水歩合も 250~400% とまちまちである。尾道 第 1 0 4巻 第 s号 1 .9 8 本印は品位合格の食酢 4 1 9 第 7回 戦 前 の 酢 蔵 内 部 第 4表酒精酢の仕込み配合{列 醸造諸表(大正 1 5年)より 単位:% 配合例 湯 宮 下 腐敗 カラ メ Jレ 酒 酒精 合計 第 8図 酒精酢製造工程翻 醸造諸表(大正 1 5年)より 4 7 . 2 1 3 . 2 2 4 . 5 1 1 . 3 0 . 0 3 . 8 1 0 0 . 0 。 . 0 3 . 8 1 0 0 . 0 2 5 3 . 8 9 . 6 2 5 . 0 7 . 7 3 4 4 . 8 1 8 . 7 2 4 . 3 7 . 5 l .1 3 0 0 . 0 . 7 1 4 4 5 . 6 2 2 . 8 2 .1 3 0 0 . 0 6 . 6 0 . 8 1 . 0 l 5 2 . 1 2 4 4 . 1 2 5 . 7 0 . 0 6 。 。 。 7 7 . 4 1 0 0 . 0 4 8 . 3 1 9 . 9 2 5 . 6 0 . 0 0 . 6 5 . 7 1 0 0 . 0 6 0 . 0 。 。 3 5 . 0 0 . 0 0 0 . 0 5 . 0 1 8 5 8 . 8 0 . 0 3 . 4 1 0 0 . 0 3 . 8 0 . 0 0 . 0 7 9 3 . 8 2 3 9 . 7 2 3 . 8 7 0 0 . 0 . 9 0 . 8 4 . 0 1 4 . 昭和から平成へ 大正後期から合成酢に価格的に対抗するためアルコ ーノレを主原料とした酒精酢の製造量が増えてはきたが, 混度管理,微生物管理は決して十分ではなく,アルコ ールからの酢酸収率もせいぜ、い 6 0%台であったとい う 。 1 9 3 4年安井之雄は酢酸発酵の改良に着手し,ド イツの速醸法を改良して実用化に成功した。(特許第 1 0 6 6 1 1号,第 9図参照)。 この方法はその後改良を重ねて, ~文率 85 %以上を 市にある尾道造酢の米酢の仕込み配合は蒸玄米 5石 ( 7 5 0kg), 麹 米 1石 ( 1 5 0k g ), 汲 水 1 9 . 2石 ( 3, 456 L ) (汲水歩合 384%)で,約 fi ) 27~33 石 (4 , 870~ 5, 9 5 2L) 容叢の仕込桶に仕込み,葦をして十数枚の 厚菰で包み,議垣根で各楠列を堰した発酵室はあたか も一大乾草貯蔵庫の観があると記している。(第 7図 参照) なお,酒酢は清酒のように段仕込みで米もろみを造 った後,酢を加えて変性し,圧搾漉過して闇液を分離 してから酢酸発酵を行なっている。 5年 , 1 9 2 6年再版)の酒精 次に醸造諸表 27) (大正 1 酢の仕込み配合併を第 4表に示す。その製造工程は第 8図に示した。 第 B函食酢速穣装置(速酢塔) 4 2 0 醸 協 ( 2 0 0 9 ) 出し,酸度も 1 0%の酢が造れたので,アルコール節 場に導入された。これによって臼本でも酸度 1 0%以 約という国策に合致し,政府の奨励を受けて普及し, 上のアルコール酢を安定して製造できるようになり, 各地に速酢塔(食酢速醸装置)が建設された。戦前の 酢酸を使わない安価な 100%穣造酢を大量に生産する 食酢塔の設置台数は合計 366台(東京 78台,愛知 50 ことが可能となった。昭和 30年代までは合成酢が市 台,兵庫 50台,山口 68台,福岡 1 0台,大分 10台 , 場に多く出回っていたが,この深部酢酸発酵装置で生 満 州 、1100台)に及んだ。しかし,第二次世界大戦の激 産されたアルコール酢が合成酢酸に代わって用いられ 化による本土空襲で速酢塔のほとんどが戦過を被って るようになったのである。(食酢の製造原料として使 なくなってしまった。 1屈に示す。) 用されたアルコールの量を第 5表,第 1 また,太平洋戦争激化に伴い, 1943年 に は 酢 の 原 特に昭和 45年 (1970年) 9月に「食酢の表示に関す 料としてコメが使用禁止となった。原料不足を補うた る公正競争規約 jが施行され,合成宮下酸を一滴でも使 め,食酢業者は各種の代用原料でなんとか難局を乗り 用した食酢は醸造酢と表示することができなくなった 切った。 ため,日本の市場では合成酢の生産量が減少していっ た。(第 6表,第 12図参照) 戦後, 1955年以降には世情も安定し,食酢技術の 進展も自覚ましいものになってきた。 ジェネレータ一等による速際法に代わって,通気援枠 0図)がド 式の深部酢酸発酵装置アセテーター(第 1 イツのプリングス社で開発され, 1963年には日本で 初めて西府産業(後のキューピー醸造)に輸入された。 2%のアルコール酢を 40時間サイクノレく この装置は 1 らいで大量生産することができる装霞であった。この ほかにもアメリカのヨーマン社が開発したキャビテー ターという通気式の深部酢酸発酵装置も各地の食酢工 第 5表 食酢用アルコールの需要 量投移 単 位 :KL 年度 1 9 1 1年 明 治 4 4年 食酢用需要量 第1 0圏 3 8 5年 1 9 4 0年 昭 和 1 1, 3 5 7 2, 0 8 7 5年 1 9 7 0年 昭 和 4 9, 2 2 6 5年 1 9 8 0年 昭 和 5 1 4, 8 4 1 1 9 9 0年 平 成 2年 1 9, 9 1 9 2 0 0 0年 平 成 1 2年 2 2, 8 6 4 8年 2 0 0 6年 平 成 1 2 3, 4 9 6 u 内 1, 3 5 7 5年 1 9 6 0年 昭 和 3 l 円﹂﹁ト 5年 1 9 5 0年 昭 和 2 2 5, 000 内 2, 4 8 4 JX 嗣附聞隣会 1 9 3 0年 昭 和 5年 qL4141 1, 3 3 1 unununυ nununU nunununu nuphunuRu 1 9 2 0年 大 正 9年 ブリングスアセテーター (フリングス社パンフレツトより) 。 ニ 2 2E 3232322E2 2 35 5 sEESF ご F 22 5g z g5 8 ' " ' " '"σ3σ3σ3σ3σ σ3σ3σ3σ, '"σ, 0 C コ 'l0>0l0'l0'l 年度 日本のアルコ…ルの 1 9 0 0 1 9 2 4年:I 第 1 1図 食酢用アルコールの需要量推移 歴史」叫より 1 9 2 5 2 0 0 6年:社思法人アルコール協 1900…1924年 会調べ 1925-2006年:社罰法人アルコール協会調べ 第 1 0 4巻 第 6号 I 日本のアルコールの歴史 J28) より 4 2 1 第 B表 会 酢 生 産 量 の 推 移 現在,深部酢酸発酵装置アセトファーメンターによ 単 位 :KL り半連続発酵で酸度目 ~19% の酢を造れるばかりで 合計 なく, 2台のアセトファーメンターを組み合わせた 2 1 9 3 0年 昭 和 5年 6 0, 0 0 0 ステップ高酸度深部酢酸発酵法により酸度 2 0%以上 1 9 4 0年 昭 和 1 5年 9 9, 2 0 0 の酢も造ることができるようになっている。 1 9 5 0年 昭 和 2 5年 4 7, 0 0 0 昭和 5 4年 ( 1 9 7 9年) 6月には「食酢の日本農林物 5年 1 9 6 0年 昭 和 3 1 2 3, 0 0 0 AS法 ) Jが施行され醸造酢や穀物酢,果実 資規格(J 0年 1 9 6 5年 昭 和 4 6 0, 4 0 0 1 0 7, 6 0 0 1 6 8, 0 0 0 年度 合成酢 醸造酢 1 9 7 0年 昭 和 4 5年 1 7 5, 3 0 0 2 1, 0 0 0 0年 1 9 7 5年 昭 和 5 2 4 2, 2 6 8 5 6, 9 1 3 1 4, 7 0 5 2 1 9 6, 3 0 0 5年 1 9 8 0年 紹 和 5 2 8 7, 7 0 0 9 5, 9 0 0 8, 2 0 0 2 0年 1 9 8 5年 昭 和 6 3 4 5, 3 0 0 8, 5 0 0 3 5 3, 8 0 0 1 9 9 0年 平 成 2年 3 7 4, 1 0 0 7, 7 0 0 3 8 1, 8 0 0 1 9 9 5年 平 成 7年 3 9 7, 3 0 0 5, 2 0 0 4 0 2, 5 0 0 ]AS法の施行により米酢, 酢の規格が制定された。 果実酢等の生産量は着実に増えていった。また昭和 50 年代後半 (1980 年~)になると福山米酢のような 健康志向の強い特殊会酢の生産量が増大し,黒酢のブ ームが繰り返し起こった。農林水産省て、も累酢の定義 をはっきりさせるため,平成同年 ( 2 0 0 4年) 6月に 食酢の ]AS規格と品質表示基準を改正し,米黒酢と 大麦黒酢の定義を制定した。さらに醸造酢の原料の多 2年 2 0 0 0年 平 成 1 4 2 3, 6 0 0 2 6, 6 0 0 3, 0 0 0 4 3年 2 0 0 1年 平 成 1 4 1 2, 6 0 0 1 5, 0 0 0 2, 4 0 0 4 2 0 0 2年 平 成 1 4年 4 2 2, 1 0 0 2 4, 5 0 0 2, 4 0 0 4 類,果実以外の原料,野菜,その他の農作物,はちみ 5年 2 0 0 3年 平 成 1 4 2 4, 2 0 0 2 6, 6 0 0 2, 4 0 0 4 つを原料にして酢酸発酵したものも醸造酢と表示でき 6年 2 0 0 4年 平 成 1 4 2 9, 7 0 0 3 1, 9 0 0 2, 2 0 0 4 るようになった。参考までに平成 1 9年 度 ( 2 0 0 7年 7年 2 0 0 5年 平 成 1 4 3 0, 9 0 0 3 2, 9 0 0 2, 0 0 0 4 度)の食酢の種類別生産量を第 7表に示す。 2 0 0 6年 平 成 1 8年 4 3 2, 7 0 0 3 4, 7 0 0 2, 0 0 0 4 2 0 0 7年 平 成 1 9年 4 1 5, 4 0 0 1 7, 3 0 0 1, 9 0 0 4 様化に対応するため,平成 2 0年 ( 2 0 0 8年) 1 0月に醸 造酢の ]AS規格と食酢の品質表示基準の改正で,穀 5 . おわりに 醸造酢の生産量は食酢欽料ブームによる需要の増加 1 9 3 0 1 9 6 0年:全国食酢中央会調べ 1 9 6 0年から:農林水産省調べ が一段落して若干減少している。しかし,醸造酢の持 5 0 0, 0 0 0 0 0 0 4 5 0, ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 一 一 ー ー ー ー ー ・ 園 出 即 日 ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 骨 量 世 世 晶 画 骨 回 世 帯 ー 岬 申 戸 ー ー ー ー ー ー ー ー 0 0 0 4 0 0, 0 0 0 3 5 0, 由 」 ~ 3 0 0, 0 0 0 罰 綱 樹 2 5 0 ω 0 脚 自m 一一醸造酢 1 5 0, 0 0 口 -一合成酢 1 0 0, 0 0 0 。 0 0 5 0, 一 一 一 ー ー ー 司 fl----占 干 ー ー ー ー ー ー ー ー ‘ 。 、 --・-・・・・ー‘・・ ・・聞....._.圃 ・・・...... B 開 ・ 圃 圃 ・ ・・ . . . dPJJF 計.~'b'" ,~'b'ò 術 ,~'b'O、 ,~'b~ < I i 余 d" Fr e 手 内 、 ,~~"v 内 、, 内 、、 vp " vb~ V V 年産 2関 食 群 生 産 量 の 推 移 第1 農林水産省認べ 4 2 2 醸 協 ( 2 0 0 9 ) 第 7表 食 酢 の 種 類 別 生 産 量 (単位:kJ ) 三 : ー ャ 量 米酢 醸 穀 物 米黒宮下 大麦黒酢 5 5, 2 0 0 1 4, 6 0 0 構成比 13.2% 3.5% 、ユ旦ヒ 下 首 ξ 酢 その{也の 穀物酢 小計 果笑酢 その他の 醸造酢 計 合成酢 合計 7 0 0 4 7 4, 9 0 0 2 1 4, 0 0 0 2 6, 7 0 0 1 4 3, 1 5, 3 0 0 1 4 0 0 1, 9 0 0 4 1 7, 3 0 0 .9% 99.5% 0.5% 100.0% 0.1% 34.5% 5 1 .3% 6.4% 41 農林水産省調べ つ健康機能に対する需要は底堅いものがあり,今後そ の需要撃が大きく減少していくことはないと考えてい 4 ) 正宗敦夫編:本朝食鑑,日本古典全集本朝食鏡 上巻,日本古典全集刊行会(東京), 1 6 1 - 1 6 7( 1 9 3 3 ) る 。 9 5 0年代の通気式深部 食酢の生産技術についても 1 酢酸発酵装置アセトファーメンターの実用化以降,大 きな進展はないが,近年酢酸磁のゲノム解析等遺伝子 レベルでの酢酸菌の酢酸発酵機能の解明が進んで、おり, いずれ近いうちに醸造酢の生産効率化や品質向上に貢 献する酢酸菌の改良がなされるものと期待している。 最後に,本稿を執筆するに当たり,貴重な資料の提 供をいただきました尾道造酢株式会社工場長丸尾好弘 氏,元尾道造酢株式会社山根行人氏に深謝いたします。 5 ) 島 田 勇 雄 訳 本 朝 食 鑑 I東洋文庫,平凡社 (東京), 1 1 7 1 2 1( 19 7 6 ) 6 ) 大野誌編集委員会編:大野誌,平塚市教育委員 会(平塚市), 6 2 5 6 3 4( 1 9 5 8 ) 7 ) 島問勇雄訳:和漢三才図会 1 8 東洋文庫,平 8 8 1 9 0( 1 9 91 ) 凡社(東京), 1 8 ) 松下幸子,吉川 l 誠次,山下光雄:千葉大学教育 学部研究紀要, 3 6,第 2部 , 3 0 7 3 4 6( 19 8 8 ) 9 ) 吉井始子翻刻:江戸時代料現本集成第 I巻,康 川書店(東京), 2 3 7 2 3 8( 1 9 7 8 ) 1 0 ) 松下幸子,吉川誠次:千葉大学教育学部研究紀 要 , 2 5,第 2部 , 1 6 6 2 1 8( 1 9 7 6 ) 備考) 尺貫法単位の換算率,汲水歩合について: 尺貫法とメートル法の換算率は以下の通りである。 1 1 ) 吉井始予翻刻:江戸時代料理本集成第 8巻,廃 川書庖(東京), 2 3 2 5( 1 9 8 0 ) 1. 4~ 1. 6 キログラムと違いがあるが本稿では1. 5 キ 1 2 ) 日本舗筆大成編輯部編:日本随筆大成第 3期第 3巻,古川弘文館(東京), 1 9 4 1 9 5( 1 9 9 5 ) 1 3 ) 蟹江松雄:福山の黒酢,農林漁村文化協会(東 京 ) , 1 0 2 1 2 7( 1 9 8 9 ) ログラムで換算した。) 1 4 ) 吉村浩三,岩震あまね,下野かおり,間世田春 1石 =180.39リットル 1貫工 3 . 7 5キログラム 米 1升=1.5キログラム(米 1升は米質により 汲水歩合:総米重量に対する汲水(仕込水)量の割 合。%で示した。ただし,古い製法では掛米を炊飯し ている場合がある。その場合炊飯用の水は除いて計算 しているのでその分実際の汲水歩合は多くなっている。 <キューピー醸造株式会社研究所> 参考文献 1 ) 経済雑誌社編:延喜式,国史大系第 1 3巻,経 済雑誌社(東京), 1 0 3 5 1 0 4 9( 1 9 0 0 ) 作:鹿児島県工業技術センター研究報告, No. 1 3,9 1 4( 1 9 9 9 ) 1 5 ) 小泉幸道,都筑順一,中村勇人,柳田藤治:日 5,6 7 0 6 7 7( 1 9 8 8 ) 食工誌, 3 1 6 ) 小泉吉宗道,鈴木忠邦,中山利夫,樋口和典,柳 6,2 3 7 2 4 4( 1 9 8 9 ) 田藤治:日食ヱ誌, 3 1 7 ) 日本福祉大学知多半島総合研究所,博物館 の盟」編著:中埜家文書にみる酢造り歴史と文 … 化第 3巻道具と技術,中央公論社(東京), 7 1 1( 1 9 9 8 ) 4,7 4 8 7 5 1( 1 9 7 9 ) 2 ) 松本武一郎:醸協, 7 1 8 ) 西村寅三:粕酢譲造論,丸善(東京), 1 3 ) 松本幸子:[頚説江戸料理事典,柏書房(東京) 1 9 8( 1 9 0 3 ) 5 4 9( 2 0 0 4 ) 1 9 ) 川島智生:醸界春秋, No.92,4 ( 1 9 9 6 ) 第 1 0 4巻 第 s号 4 2 3 2 0 ) 亀岡佐七郎編:備後の魁,板垣ー右衛門(大 板) ( 1 8 8 4 ) 21 ) 尾道商工会議所編:百年前の尾道商工会議所と その系譜尾道商工会議所百年史,尾道商工会 議所(尾道市), 6 9 3 7 0 0( 1 9 9 2 ) 2 2 ) 板原吉太郎:甘い酢は良く利くの記,広島県酢 1 2 3( 1 9 2 3 ) 造問業組合(尾道市), 2 2 3 ) 松下瓦,氏家等:北海道開拓記念館研究年報, 第 5号 , 2 7 4 1( 1 9 7 7 ) 2 4 ) 黒野勘六:醸造学各論要義,日本譲造協会(東 4 2 4 京 ) , 3 1 1 3 1 3( 1 9 2 6 ) 2 5 ) 永木続三郎,遠藤佑吉:薬学雑誌,第 2 8 6号 , 1 1 0 3…1 1 0 7( 1 9 0 5 ) 2 6 ) 永木暁三郎:酢の造り方,明文堂(東京), 9 3 3 4 5( 1 9 2 6 ) 2 7 ) 大板醸造学会編再版醸造諸表,大阪醸造学会 (大阪), 7 7 1 7 8 4( 1 9 2 6 ) 2 8 ) 坂口議一郎監修,加藤耕一郎編:日本のアルコ -}レの歴史,協和醸酵工業(東京), 311 7 6( 1 9 7 4年) 醸 協 ( 2 0 0 9 )
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