2014 中韓ワークショップ文集

平成23年度採択
文部科学省
大学の世界展開力強化事業タイプA-1
CAMPUS Asia
岡山大学「東アジアの共通善を実現する深い教養に裏打ちされた人材育成プログラム」
2014
中韓ワークショップ文集
2014 年 9 月 21 日~27 日
中国長春・韓国ソウル
1
 目 次 

メンバー紹介
…………………………3


日程、スケジュール
 食文化レポ
IN
…………………8
中国・韓国 ………15
 フォトコンテスト ………………………18
 コラム
~現地でのあれこれ~ ………21
 最終レポートから ……………………23
 お世話になった先生 …………………49
2
メンバー紹介
3
4
5
今回のワークショップで、それぞれ多くの学
びがあったと思います。皆さんには、中韓での1週間
の授業を有意義な時間にするには、事前授業が大
切だと、しっかり準備してから出発してもらいました。
教職員も含め、25 人が集団で行動し、吉林大学と
成均館大学を訪問し、現地の先生や学生の皆さん
と交流するという大がかりな授業でしたので、事前
学習から皆さんがお互い協力しあって協働学習が
できたことは、中韓で学ぶことと同様、とても重要な
ことであったと思います。全体での事後学習を終えて、皆さんそれぞれ新たな目標に向かって今を歩
んでいることだと思いますが、中韓で感じたこと、考えたこと、疑問に思ったことを折に触れて思いだし、
自己の思考を深めてください。そのために、世界中の書をよみ、様々な背景をもつ友達とホンネで語り
合い、多様な経験をしてほしいと思います。皆さんの事後学習は、皆さんの手で引継ぎ、皆さんの力
で切り開いていってください。未来は、過去と現在との連続、対話の先に開かれていくものです。
また一緒に学べる機会があれば幸いに思います。
6
7
日程
長春に到着
大学近くのレストランで食事会
岡山空港から仁川空港で乗り換えたあと、ついに長春空
港に到着。
吉林大学の学生がアレンジしてくれました。
長い道のりでみんな少し疲れた顔をしていました。
中国らしい気前のよいおもてなしと美味しい料理で、やっ
と中国にいることを実感、長いフライトの疲れも一気に吹
っ飛びみんな笑顔に。
長春の街の空気は予想以上に綺麗で
街の雰囲気も綺麗な感じ!
8
吉林大学にて現地の学生と交流
英語での岡山の紹介プレゼン
偽満皇宮博物館へ
中国の学生からの質問や感想をもらって有意義な時間に
ガイドさんの解説のもと、2 時間という短い時間で博物館
その後グループに分かれて交流。
なりました。
を見学。
溥儀がその地でどのような生活を送っていたのか、日本
に侵略されていた歴史について学びました。
英語でのプレゼンは
とても緊張しました
~溥儀の4人の妻たち~
1人目→溥儀のボディガードと密通のうえにできた子ども
の死の悲しみでアヘン中毒となり亡くなる。
2人目→最終的に離婚。
3人目→2人目と1時間差で結婚。溥儀は 3 人目ひいき。
5年の結婚生活ののち病気で亡くなる。
4人目→関東軍に日本人を迎えることを勧められたため
写真のみによる選考。
AKB やアニメなど
日本のカルチャーを
知っていてくれた!
9
トヨタと中国第一汽車との合弁の
エンジン工場の見学
スカートでは工場内は見学できないというまさかの出来
事もありましたが、
日本と中国の産業面での実態をそれぞれ見ることができ
ました。
工場内

社会扶助もなかなか充実していると聞いて、中国も
労働条件が日本のように良くなっている印象でした。

中国第一汽車とトヨタの決定権は 50:50 である。

900 人ほどの中国人の従業員を 10 人ほどの日本
人が上司としてまとめていることに驚きました。
↑見学のときは、みんなこの帽子をかぶって見学しまし
た。見学者用のようです。
王先生の講義
午後は吉林大学の王先生に日中韓問題(靖国神社参拝
や教科書の問題について)のレクチャーを受けました。全
部が英語である講義は、集中力が必要でした。
食堂など

食堂はとても広くて味噌汁やヨーグルトがあるらしい。
実際にメニューを見てみたいと思った。多くの男性の
中に女性が数人働いていたので、意外だった。日本
同様、育休産休の制度があるらしい。

日本の童謡が流れていた。
 10 
2回目の吉林大学の学生と交流
韓国に向けて出発!
2回目の吉林大学の生徒との交流は、初日より打ち解け
中国でのワークショップが終了。
て
あっという間の3日。次は韓国へ!!
気楽に話すことができました。
最後には、日本からのお土産を渡したり、写真を撮った
り・・・。
お別れは名残惜しかったです。
 11 
ソウル戦争記念館へ
キム・ドンゴン先生の講義の後に行ったので、戦争記念
館の内容が頭に入りやすかったです。
キム・ドンゴン先生の講義
戦争記念館では、戦争への残酷さ、悲惨さの写真などが
キム先生に韓国の戦争記念館について詳しくお話してい
展示されていました。
一方で、銃を撃つ体験や、戦闘機の乗車体験ができるス
ただきました。
特に、
ペースがあり、戦争に対して肯定的な印象も受けました。
「「ソウル戦争記念館」は議論を許す場ではなく、与えられ
韓国は休戦状態なため、残酷さだけを強調せず、戦争に
た史料をただ受け止め、犠牲者を追悼する場所」として軍
なったときは国のために闘ってもらうために少しポジティ
の人が主導で建てた施設なので、戦争を正当化している
ブな面も残しているのだと思います。
場であり、一般人へ戦争の必要さを表現している場である。」
というお言葉が印象的でした。
歴史博物館
歴史博物館には少ししか観に行くことができませんでした
が、多数の展示物があり、とても興味を惹かれる物が多
数ありました。
 12 
キム・ドンゴン先生の授業と
岡大生によるプレゼン
キム先生のお話で面白いと感じたことは、それぞれの国
の一般的な特徴や個性を考えると、国際結婚は日本の
男性と韓国の女性、中国の男性と韓国の女性という組み
合わせがうまくいきやすいと思う、とおっしゃっていたこと
です。参考にしようと思います。
岡大生によるプレゼンでは、岡山大学や岡山県を担当の
グループが紹介しました。準備をしていたこともあり、ちゃ
んと発表できていていました。
峨山病院見学
自生韓方病院
ここの病院は韓方で治療することを目的にしているそうで
す。普段私たちがしない、東洋医学の治療方法なので興
味を持ちました。病名ではなくて、症状によって治療する、
という説明を聞いて、とても便利な治療方法だと感じまし
た。
この病院に行ってみて、初めに病院らしくないなと感じま
した。まず、病院の地下にはフードコートや服屋、床屋、
旅行代理店など、本当にたくさんのお店が並んでいて、ま
るでデパートのようでした。次に、病院の中にはテレビ局
やアートがあり、病院なのに何でもあるという印象を持ち
ました。
また、ボランティア文化が根付いていることに驚きました。
例えば、給料の端数を募金、外国からの患者さんの通訳
係、韓国在住の方も休みの日にボランティアに来ている
また、峨山病院と同じように、外国の方がこの医療を受け
話を聞き、やりがいもあり、この制度がとてもいいなと感じ
るために来韓することも多いそうです。
ました。
 13 
韓国側では観光が、北朝鮮では普段の生活が行われて
いて、とても休戦状態とは思えないことが印象的でした。
ワークショップのまとめの発表
ワークショップのまとめとして、個人で「共通善とは何か」
を発表しました。今回、中間ワークショップのメンバーは
中国と韓国の同じ場所で同じ説明を受けました。しかし、
それぞれの今までの経歴、専門分野の違いなどで共通
善の考え方が違っていて、聞くのがとても面白かったで
す。
帰国
ついに 7 日間の研修が終わってしまいました。みんな、も
っといろんなことが知りたかったのに!と言っていました。
今回学んだことはとても奥が深いものなので、たったの 7
日間ではまだまだ納得する答えが見つかりませんでした。
これからの大学生活、さらにその後、社会人になっても考
え続けていこうと思います
38 度線
韓国と北朝鮮の境界線である、38 度線に行きました。川の
向こう側は北朝鮮ということが、周りが海の日本に住んでい
る私には信じられませんでした。肉眼でも田んぼや建物など
が見えとても近く感じました。また、望遠鏡を覗くと、人が何
楽しくもあり、沢山学ぶことが出来ました。
ありがとうございました。
かしている姿が見えました。
 14 

吉林大学の生徒と食事会
中国で自由に夕食
いま吉林大学で学んでいる岡山大学の生徒や岡山
それぞれ自由に食事をしたのでみんないろんなもの
大学に
を食べました。いか焼き、ラーメン・・・。個人的に衝
留学経験のある吉林大学の生徒がアレンジしてくれ
撃だったのは、ドリアンプリンのお店でした。
ました。
英語も日本語も伝わらず、苦労したメンバーも多かっ
中国の料理はどれも辛いのかと思っていましたが、
たようですが、言葉の通じない場所でやりとりをする
すごく食べやすく、おいしかったです。
という体験もなかなか珍しいと思うのでいい経験にな
りました。
吉林大学留学生寮で昼食
吉林大学の先生のご厚意で昼食会を開いて頂きま
した。
中国では、食べきれないほどの料理を出して振る舞
うという文化があるので、テーブルには料理がいっ
ぱいでした。
 15 
韓国で自由に夕食
韓国の美術館での昼食
韓国での自由時間。チヂミなど韓国ならではの食べ物を
韓国の美術館で本場のビビンバを食べました。
それぞれ堪能しました。
韓国語ではピピンパと発音し、
ピピンは韓国語で混ぜること、パはご飯を意味します。
成均館大学の学食
中国の飛行機の機内食
成均館大学の食堂にて学食をいただきました。
空の旅の楽しみの一つの機内食。
アップルティーも付いていて、岡山大学よりオシャレ
『面包』は中国語でパンという意味だと学べました。
な感じ。
セルフ式のサラダバーがついているところは
岡山大学と似ていましたね。
 16 
パッピンス
韓国のホテルの朝食
韓国のカキ氷のようなスイーツ
バイキング形式でした。
韓国2日目には韓国のキムチを
用意していただきました。
写真はトッポギとコーンスープ。
サムギョプサル
韓国の学生たちとサムギョプサルのお店に。
 17 
フォトコンテスト
ワークショップ後に委員を中心にフォトコンテストが行われま
樋本栞さん
した。ここでは掲示された写真を紹介します!
巻尾 沙織さん
偽満皇宮博物館の写真
歴史を感じさせないほど、綺麗な建物でとても印象に残って
いる。また、皇帝溥儀についてしっかり学べた。
「長春の夜の街並み。」
どのお店も派手なネオンの看板でとってもきれいでした!
「たったの 460m。」
韓国と北朝鮮を隔てる川。川幅は一番少ないところでたった
の 460m。近いけれど近くない,そんな現在の韓国と北朝鮮
の関係を象徴するような場所でした。
成均館大学での写真
ソウルの街並みが一望できて、綺麗だった。また、みんな笑
顔でとてもいい写真だなと思った。
 18 
新井 斉泰さん
鹿森 沙恵香さん
成均館大学での最終プレゼンが終わった後の写真です。
プレゼンでは、日中韓の共通善をメンバーそれぞれが考え、
発表しました。
それぞれが自分に関心のあるテーマから出発し、発表を通
してそれらが融合
昔、中国にあった満州国の王宮に行った時の様子です。建
してひとつの形のようなものになっていくのを感じられまし
物を見て回っている途中で、撮った写真です。
た。
歴史、経済、そして個人間での今後の日中韓の関係を考え
ることが出来た
有意義な時間となりました。
中国の吉林大学で現地の先生の授業を中国の学生と一緒
に私達が受けている様子です。英語で授業が行われており、
みんな理解しようと必死に聞いています。
 19 
谷脇 理史さん
才木 京香さん
①ソウルの写真
これを見た瞬間、なんじゃこれという言葉につきました。
ソウルはかなりの都会だということは前から知っていました
がここまでやるかという感じです!!
戦争記念館の本物の銃の重さ、衝撃を体験できるコーナー
にて。大林先生がインストラクターの方にレクチャーしてもら
っています。
②38 度線の話
今回の WS で最後に 38 度線に行けたことが自分にとって大
きな経験と
なりました。
この先に北朝鮮があると間近に見れたことが
今、自分が国際社会の問題の縮図の一部にいるのだと思い
ました。
 20 
コラム
日本の警察官とのギャップがあります。日本の警察官しか知ら
~現地ならでは~
ない私にとっては、その姿にとても驚かされました。私たちが派
出所に入り、中国人のガイドの方が、私がデジタルカメラをすら
れたことを説明するといぶかしそうな顔をします。「どうして、昨
現地での少ない自由時間にワークショップメンバーは、そこで
夜のうちに来ないのか?」などの話をされました。中国人のガイ
しかできない体験をしていたようです。メンバーに話を聞いて
ドの方に伺うと、盗難届を受理してもらうことができるのは、珍し
みました。
いことだとおっしゃっていました。盗難届が虚偽ではないかの確
認が必要であるなどの理由があるそうです。
しかし、私が学生だから、という理由で受理して頂くことができ
ました。学生だから、という理由で受理されるか、されないかが
決まるのは、不思議な気持ちでした。その書類を作成する際に、
韓国でのアカスリ体験
おそらく、デジタルカメラは出てこないと思うなどのことを説明さ
れました。悲しかったですが、これが海外なのだ、日本とは治安
神野 一将
が全く違うのだと改めて感じました。
クラウンホテルのエステへ。アカスリという体験は人生初?な気
このことからの全体的な印象としては、日本の警察官と中国の
がするが、一度はできて良かったと思う。自分の体がキレイにな
警察官は、全く対応が異なるのだ、ということを思いました。その
ったと思う。この日神野・キレイ・一将になりました。ミドルネーム
ことから、海外では「自分の身は自分で守る」ことが日本よりも、
が入りました。風呂の中では、32 歳のサラリーマンカジノマンと
強く要求されるということがわかりました。日本では、スリに合う
も知り合った。休暇を楽しんでいるそうだ。
こと自体があまりないですし、また、落し物をしても、高価なもの
女性の方はきゅうりパックがあったようだが、男性の方はしてく
であればだれかが拾って警察に届けてくれる、高価なものを拾
れなかった。その点からも 6000 円にしては高いなと感じた。け
って自分のものにするのは気が引けるというのが多くの人が持
ど、人生で一度はこんな経験ができるのはいいと思う♪
つ認識なのではないでしょうか。
しかし、海外ではこの認識や価値観は通用しないことが起
こりうるということを感じました。
「中国の警察で感じた日本」
チャンギョングン
丹下 絵利加
私は、中国滞在時に、食堂で夕食を食べていたところ、知らぬ
間にデジタルカメラをすられてしまいました。とてもショックで、悲
しく落ち込みました。先生に相談したところ、翌日、中国の警察
に盗難届を出すことができるように手配して頂きました。
岡本 和佳奈
ソウル市内中心部に位置しながら、古宮ならではの荘重な雰
囲気と、豊かな自然が見事な調和を成している昌慶宮(チャ
中国の警察は、派出所が開いている時間帯が短いらしく、急
ンギョングン)。日本円で 100 円ぐらいで中に入ることができ
いで派出所に行きました。
その際に皆さんに、日本での警察官の方の対応を思い出して
いただきたいと思います。まず、日本では派出所に入ったら、制
服をきちんと着た警察官の方から「こんにちは」などの挨拶をさ
れるでしょう。「どうかされましたか?」と親身に話を聞き、内容に
応じた答えを丁寧に答える、書類を作る、などのことを迅速にし
て下さるはずです。
しかし、中国の警察官の方は、制服を着崩し、見た目からも
た。お寺?のようなところがきれいにライトアップされていて日本
ではなかなか見られない光景だなと思った。岡山で言う幻想庭
園に少し近い感じがした。自撮り棒を持ってデートしているカップ
ルが多かった。神野さんが彼女と来たいな~みたいなことを言
っていた。
かなりロマンチックな雰囲気で幻想的だった。
集合写真をお願いした男性がイルミネーションの具合で顔がち
 21 
ゃんと写ってないから!と言って何枚も撮ってくださった。韓国人
男性の優しさを感じた。
中国の食文化
Chinese scandal!?
中井 美穂
中国で交流した学生と最終日にお昼ご飯を一緒に食べた。
赤石 和佳
驚きだったのはどう考えても食べきれないであろう量の料理を
後藤さんの友達の中国人3人が中国の下町を案内してくれまし
注文したこと。
た。そのときに彼女と話し込み、とても仲良くなったのでメールア
我々日本人にとって、食べ物を残すことはマナーとして良くない
ドレスを交換しました。気があったのでその後もメールをたくさん
が、中国人にとっては、招待する人が満足いかないことが無礼
しました。交流していると、今まで中国に変な偏見があったので
であるそう。
すが、その偏見がなくなりました。
だから確実に満足してもらうためにたくさん注文するらしいです。
初めての・・・
匿名希望
生まれてはじめてナンパをしました。中国のホテルのロビーで自
由時間を過ごしているととてもかっこいい人に出会いました。そ
してすかさず目の保養をしていました。
ところが、友達が移動しようと言い出したので、力いっぱい全力
で阻止して記念に写真を撮ることにしました。
そのイケメンに、"Can I take a picture?"と言うと、快く受け入れ
てくれて一緒に写真を撮りました。イケメンで優しくて、最高でし
た。
旅の恥は書き捨て、と思って勇気を出して良かったです。
 22 
対立、経済力を武器にしての外交・交渉をしていては、日
最終レポート
中間の狭い中での競争で一喜一憂し、注目すべき世界
経済・世界史上との競争に勝っていけないということを感
じた。そのことに注目した時に、レクチャーをしてくださっ
た王先生が「今後確かに中国が日本の経済力を追い抜く
最終レポート
ときが来るだろうが、それで日本に対して傲慢になったと
高井トモミツ
ころで中国経済の発展にはベストの選択肢ではない。な
ぜなら、日本と中国が本当に協力し合った時に、欧米を
今回 Campus Asia 中韓ワークショップを通して学んだこ
超えるほどの影響力を持つ事が出来る。それが最も理想
とは、主に中国・韓国・日本の国際情勢、日中韓関係の
的な日中関係であり、お互いの経済を最大限に成長させ
問題の背景となる歴史の理解をいかに自分が知らなかっ
るためには必要なこと。」と言われたことが印象的であっ
たのかということ。そして、歴史にとらわれない共通の未
た。
来展望と、お互いの国にとって協力することが、どの程度
自分個人の話をすると、これまで自分がアメリカに留学
メリットがあることなのかを理解することが重要であり、そ
をし、英語の習得に注力してきたからこそ、海外に行く際
のためにコミュニケーションが必要不可欠となることであ
に英語に頼りきりの自分がいることが今回のワークショッ
った。
プを通して垣間見ることが出来た。中学・高校で自分が学
お互いの歴史認識の違いから生じる歪みについて解決
することは容易ではなく、これまで日本からの公式な謝罪
が未だされていないことから中国側は納得していないの
だが、いつも日本の謝罪の仕方は形だけで心が伴わな
いため、未だにその「過去」にとらわれていることを学んだ。
一方で日本は面倒なことには触れたくないというスタンス
で、「将来」により焦点して、動かせない「過去」から目を
背けようとしていることを感じた。これを解決する上で困
難な点は数えきれないのだが、過去を忘れるわけでもな
く、背けるために「将来」に機転を効かすわけでもなく、お
互いの経済発展を目的とした関係を構築し経済発展を通
びたい言語を選択し、学習の出来るアメリカの教育制度
と違い、日本の教育の中では英語しか学習することが認
められていない。ここでその賛否について議論したいわけ
ではないが、この兆候は日本だけではなく東アジアの
国々にもあるのではないかと思う。この兆候が東アジア
内で互いの国々の独自の文化・価値観を理解し合うこと
を阻害しているようにも感じた。
正直に今回のワークショップ前に「現地語が出来なくて
も英語があれば何とかなる!」という思いがあったのだが、
今回実際に中国を訪問した直後から、その思いが覆され
る出来事が起こった。スーパーマーケットに行き、買い物
し築かれた友好関係を基にして過去の修復をしていく必
要があると感じた。そこで必要となるのが、相手の「過去」
の行いが許せないから、新たな関係を結ばないのではく、
それを受け入れ「将来」にお互いが歩み寄れる未来をつく
るために一歩踏み出すことが大切だと感じた。そのため
にも、お互いの国々の若者がコミュニケーションを頻繁に
取り、将来にお互いの共通のビジョンを描く必要があると
思う。
吉林大学の二人の教授が今後の日中関係についてレ
クチャーをしてくださる機会があり、そのレクチャーから感
じた事は、日中の関係は相互扶助という形でしか両国の
最大限の可能性を発揮することは出来ないということ。こ
れまでのように、お互いの歴史認識の歪みから生まれる
 23 
をする時にレジの店員さんが話している中国語が全く理
解出来ず、英語で聞き直したところ、自分の英語を全く理
解してもらえなかった。英語での反応を期待していたとこ
ろ、相手から返ってきた言葉は中国語であり、自分が何を
話しているかも聞いてもらえなかったように感じた。自分
がいかに英語という言語に依存しており、一方通行のコミ
ュニケーションを行っていることに気づかされる出来事で
あった。また、この日の夜にメンバー達とカフェに出かけ
た時に、4回生のメンバーの一人がカフェの店員さんとお
互いの言語が分かり合えずとも、簡単な英語や、筆談、
ジェスチャーを利用して、(非言語的)コミュニケーションを
取る姿を見て衝撃を受けた。自分は無意識にも今回のワ
ークショップに参加する上で、簡単な日常会話などのコミ
ュニケーションを図るだけの言語力はアメリカでの留学で
既に身に付いてきたと感じていたが、知らぬ間に「言語力
=コミュニケーション力」になっていたことを感じた。もちろ
ん言語力はコミュニケーションを促進する手段となるが、
言語が全てではなく、非言語でコミュニケーションを取るこ
とが出来るということを、同じメンバーの行動から強く感じ
させられた。正直なところ、ある程度の英語は話せるとい
う自信から、コミュニケーション時に(非ネイティブ English
Speaker の)相手が自分英語を理解出来ない場合は、理
解出来るまでに英語を勉強していない相手が悪い」という
思いを知らぬ間に抱いていることに気がつくことの出来る
きっかけとなったように思う。
今回のワークショップでこれらのような体験を通じて、コ
ミュニケーションとは「英語を話せること」ではなく、お互い
の主張や、考えをまずは非言語のレベルで尊重し合う必
要があると感じた。そして、英語という東アジア外の言語
ツールだけに頼るのではなく、中国・韓国語の習得を通し
てそれぞれの国の文化・価値観・思想に沈潜してみること。
それを踏まえてお互いの主張を公平な立場になって考え
る必要があると強く感じた。自分は今回吉林大学を訪問
し、何年後かに吉林大学の大学院に進学するという選択
肢も現在視野に入れているため、今回のワークショップで
学んだことを活かし、今後中国・韓国からの留学生と交流
していきたいと思う。言語習得は東アジアの国々の共通
善を見つけ出すための第一歩であり、今回そこに気付か
せてもらえるきっかけを頂いたと思う。
 24 
いました。日中韓それぞれの大学生たちが考えているこ
「個と個の互いを尊重した真摯な
とは比較的共通していることを改めて確認でき,同世代
コミュニケーション」から生まれる
の学生間において考えていることのギャップはあまりない
ということを改めて実感しました。
近年,東アジアの関係は良好とは言えない状況にあり,
共通善
戦後半世紀経っても未だ戦争時代の歴史認識の問題や,
領土の問題などの様々な問題を解決し切れていないの
巻尾
沙織
が現状です。しかしそのような状況であっても国際化社会
はどんどん加速度的に進行していて,東アジアの経済的
私は今回の中韓 WS および岡大 CAMPUS Asia のシェ
及び文化的発展の観点からも東アジアにおける各国の
アハウスでの RA としての体験から,東アジアの共通善と
連携は必要不可欠のものになっています。それぞれ様々
は「個と個の互いを尊重した真摯なコミュニケーションか
な立場や意見があるにしろ,これらの諸問題は一旦脇に
ら育まれるもの」であると感じました。まず,私が今回の中
置いておいて,東アジアとして協力することが今の最重要
韓 WS のプログラムで学んだこととしては,個人間のコミュ
課題です。そのために最も大切なことは個人レベルでの
ニケーションという単位において,互いを尊重した真摯な
良好な関係の構築であると感じています。個人のものご
コミュニケーションを心がけることによって国同士の関係
との考え方やとらえ方はそれぞれの個性やその人の背
性などのしがらみとは関係なく良好な関係性を築くことが
景によって異なるもので,ましてや育った国や言葉や文
できるという事でした。ここで言う互いの尊重とは,お互い
化が異なれば,その違いはより大きくなるのは自然な事
の育った環境,文化,世代,言語,風土などが異なること
ですが,個人が互いに尊重しながら真摯なコミュニケーシ
を理解して認めることによって,これらを否定するのでは
ョンを行おうと努力することで今よりもより友好的な関係を
なく受け入れたり受け流したりしながら,個人の考え方や
築くことができるはずです。○○人だから,とか○○国だ
物事のとらえ方の背景が異なることを認識して柔軟に対
からとくくってまとめて考えてしまうのではなく,それぞれ
応することです。
の人のあらゆるラベルを無視してリベラルな視点で関係
今回,中韓 WS では中国の長春にある吉林大学と韓国
性を育むことが大切ではないでしょうか。現在の日本では
のソウルにある成均館大学に滞在させていただきました。
これらの大学で,現在の日中および日韓の関係性につい
ての再確認と,それを踏まえて今後の日中および日韓間
の関係をどのように作り上げていけばよいかなどの授業
を受け,さらに現地の学生さんたちとそれぞれの国と日本
の関係についてなどのテーマで何度かグループディスカ
ッションを行いました。このようなテーマは,正直に言って
普段の学生生活では私自身は深く考えない分野であり,
いかに普段の生活において政治的な問題や歴史的な問
題などから目を逸らして生活しているのかを痛感させられ
る授業ばかりでした。なんとなく知っていて,なんとなく気
付いてはいるけれども普段考えないようにしているテーマ
について,じっくりと再考する機会を得たことはとても有意
義な経験であったなあ,と今あの時間を振り返って感じて
います。またその一方で,学生間のディスカッションの中
で出た結論は,どのディスカッションにおいても共通して
 25 
多数と異なることが間違っていることとしてとらえられてし
かった。しかし、これは当然かもしれないが、いくら考えて
まい,個性を認めない風潮があります。これは差別や偏
も日本がどうすべきだとかいう明確な答えは出なかった。
見につながるだけでなく,息苦しさや生きづらさを感じてし
留学仲間と国際関係について議論したし、時には中国人
まう原因にもなっています。「自分と異なることは間違って
や韓国人学生と直接話した。普段の関係はかなり良好な
いることではない」と再認識し,個人を尊重する姿勢をも
間柄でも、歴史や政治の話となると、話は一向にまとまら
ってコミュニケーションを図ろうとすることが個と個の互い
ない。時には、「あなた個人は好きだけど、日本という国
を尊重した真摯なコミュニケーションの基礎になり,これ
家や日本人は好きになれない」と直接言われた。話す事
からの東アジアのより良い関係を作り上げることにつなが
で、相手の考え方というのも徐々に理解できるようになっ
るのではないでしょうか。そして私自身もこの一端を担え
てきた。
る人物になれればと考えています。
日本側からすれば、戦争や侵略といった行為は以前の日
最後になりましたが,中韓 WS や CA シェアハウスの RA
本人がしたことであって、現代を生きる私たちが直接やっ
のような貴重な経験をさせていただく機会を幸運にも頂け
たことではもちろんない。しかし向こうからすればまだ傷
たことに非常に感謝しています。大げさな言い方になって
跡が深く残ってるから、正式に認めて謝ってくれないと納
しまいますが,自身の考え方やこれからの人生に大きな
得できないという考えだ。双方の考えが間違いでないから、
影響を及ぼす体験になるのではないかと感じています。
問題はより複雑なのだろう。
様々な方々のご支援やご指導あっての体験でした。本当
にありがとうございました。
やはり自分が一度でも行った国には興味を持つものだし、
現地の友人ができれば、自ずと深い話もするようになって
くる。そこで、友人の国では、現在も戦争の痛みを感じな
がら生きている人がたくさんいること、その痛みを忘れま
いとする動きがあることを知る。
「私が一番大切にしたいもの」
今回のワークショップについて言えば、日中韓の関係性
を考える上で、政治や歴史認識ははずせない。中国や韓
後藤優美子
国の歴史を学べば必ず日本は出てくる。人間は自分が他
人に与えた傷というのは忘れがちだが、被害を受けた側
“共通善”とは、なんだろう。このテーマのもと、事前に設
は絶対忘れない。
定したテーマに関する調査を行った上で、私たちは今回
ただひとつ強く感じるのは、「知らないことは罪」なのか
の研修に挑んだ。中国では満国皇宮博物院、韓国では
もしれない。私は過去のことは知らないから関係ない、で
戦争記念館や歴史博物館、それから 38 度線にも行った。
済む話ではない。知らないなら少なくとも知ろうとする努
力をするべきだ。
研修の後半には、グループごとに共通善についてまとめ
る作業を行った。発表後、先生は「皆さん、中国や韓国に
「私たちワークショップ参加者に期待することは何ですか」。
ついて見たことや感じたことを色々発表してくれたけど、
韓国での最終授業の日、金東建先生にした質問だ。今回
日本についてもう一度考えてみてほしい。」とおっしゃった。
のワークショップは一週間で中国長春と韓国ソウルを見
確かに、実際に外国に行くことで、自分の国について見つ
て回るというハードスケジュールであった。たった 1 週間と
めなおすというのは今までにも経験したことがある。私は
いう短い期間で、結果を残さなければならない。しかし、
2 年生のときにキャンパス・アジア生として留学し、中国と
学んできたことも興味もバラバラな 22 人の学生が、一体
いう国を感じてきた。留学中は韓国の友人にも恵まれた
何をすることができるのだろう。私は少し不安に感じてい
ので、東アジアの関係性について改めて考えることは多
 26 
た。この質問に対して、先生は「いい意味で何も期待して
いません」とおっしゃった。
中韓 WS 最終レポート
今回私たちは研修を通して知るきっかけを得たし、実際
に学んだ。ワークショップが終わっても、ニュースや新聞
神野
を見るときの意識に変化があったはずだ。これからも自
一将
分なりに考え、問題に関心を持つことを続けていくべき
だ。
今回の留学では本当に学ぶこと、考えることが多かった
私なりの責任として、現地で見たことを周囲の人に話した
です。中韓 WS に参加させていただき、本当にありがとう
り、CA のプログラムに参加し続けたりという活動を継続し
ございました。
ていこうと思う。
○参考文献
突き詰めて考えるほど、原点に戻って考えることが最善
「反日プロパガンダ」の読み解き方 川上 和久(著)
な策だという気がしてならない。外交問題も、基本となる
PHP 研究所
のは人と人との関係だ。他人と接するときには思いやり
の気持ちが重要だ。友人と喧嘩になったなら相手がなぜ
プロパガンダ…特定の思想によって個人や集団に影響を
不快な思いをしたのか知るべきだし、お互いの譲り合いと
与え、その行動を意図した方向へ仕向けようとする宣伝
話し合いが欠かせないと強く感じている。
活動の総称。特に、政治的意図をもつ宣伝活動をさすこ
とが多いが、ある決まった考えや思想 「言語と思考
(思想)」
はじめての留学。今まで海外には何度か行ったことが
あったが留学という形で海外に行くのははじめてだった。
ただ海外に行くだけではなく、そこで学ぶということを中心
に行くのは大きく違うということを肌で感じた 1 週間だっ
た。
留学で学んだ多くの事のうち、印象に残ったのは抽象
化すると大きく分けて2つ。「言語」と「思考(思想)」。国際
交流をする上で必須となってくるコミュニケーションを支え
ている言語。近年とりあげられることがより多くなった、日
中韓の関係や考え(思考)。これらのことに焦点をあて
た。
○言語の壁
中国、長春で一番印象に残ったのは学生とのグループ
セッション。学生とお互いの母国語ではない英語を使いな
がらとるコミュニケーションはとても難しく、思うようにでき
なかった。話し合いの内容も徐々に難しくなっていく中、
自分が表面的な英会話しかできないということを実感した。
その時は、体の動きで意思を伝えたり(ボディーランゲー
 27 
ジ)、紙に言葉を書いてみてもらったりしてなんとか考えを
とを感じさせられた。
伝える工夫をした。自分にもっと語学能力があればその
場での話し合いも、もっともっと有意義なものになってい
たはずである。自分の考えを言葉にして発信するというこ
とを違う国の人とする、セッションを他の国の人とすること
において、英語ほど重要な言葉はないと改めて思った。
○思考(日中、日韓関係)
中国、韓国に行くにあたって確認したかったことは反日
について。ニュースでも近年の日本、中国、韓国の関係
は悪化していることが取り上げられていて知っていた。し
中国や韓国での研修の中にさまざまな資料館に訪れる
かし、そのことを直接中国の人や韓国の人から聞いたこ
機会があった。国によって違うとされる歴史認識。それを
とがなかったので確認したかった。この研修では、中国、
学ぶために数々の展示品を見た。それぞれの資料館の
吉林大学の学生とのセッション、中国、韓国でのそれぞ
展示品は当然ながら、基本的にその国の言葉と英語で解
れの講義、さまざまな場面で日中、日韓の関係を考える
説されていた。ここでも言葉の壁を感じた。その国のこと
機会があった。
を本当に理解するためには、語学能力はもちろんのこと、
できるなら現地の言葉で理解する必要がある(その国に
中国の学生とのグループセッションの中で一番に感じた
しかない言語の表現というものがあるはずなので)。英語
ことは、中国の学生も日本の学生も感じていることは同じ
が世界共通語として存在する中で、現地の言葉を、その
ようなことだということ。お互いが仲良くしたいと考えてい
表現を理解することの大切さを改めて感じさせられた。
るし、昔の話(戦争の話)を何度も引っ張り出したいわけ
でもない。やっぱり難しい話(政治の話)よりは楽しい話
留学に行く前からもともと英語能力は今後必要だと感じ
(お互いの国ならではの話、遊びの話)の方が好き。若者
ていた。逆に、外国でやっていくには英語さえできていれ
がこのように考えているのに、なぜ国レベルになるとこん
ばいいと思っていた。この留学で、英語の重要性をよりい
なにも対立が生じるのだろうか?
っそいう認識するようになった。日中、日韓の話について
お互いに対等に話し合うためには、最低でも同じ台に立
日本に帰国して、ある本を読み自分なりに反日につい
つ、歴史背景を知り、英語を覚え、ディスカッションできる
て考え直した。
レベルに達さないといけないのではない。それはもちろん
この本で学んだことは
のことだが、何よりも印象的だったのは英語以外の言語
・反日がなくなる日がくると考えないこと
を知ることの大切さである。英語だけではだめ。そういうこ
・真実を知る努力をすること、発信する力を身に付けるこ
と
・「日本」に誇りを持つ人材となること
私はこのワークショップを通して感じたことを、これから
主に 2 つの区分に分けて述べたいと思う。
まずは、日本人が中韓の歴史とどう向き合うべきかに
ついてである。
結論からいうと、私は、今回歴史認識の問題はそれ自体
単独のものとして捉えるべきではないかと考えた。なぜな
ら、本当の意味で歴史認識の問題に真摯であるならば、
その問題の解決によって得られる経済や外交における利
益とは本質からして異なるのではないかと感じたからであ
る。
要するに、日中が経済的に相互依存の関係にあるから、
 28 
あるいは政治的に友好関係にありたいから歴史問題に
て、また違和感を覚えた。戦争記念館なのにどうして「感
向き合う、という姿勢ではなく、一人一人の人間として、現
動」を伝えるのであろうか。そもそも、戦争に「感動」なん
在の日本人が、過去の戦争で起きた事実に、真摯に向き
てあったのだろうか。
合うことが、日中韓の関係を考える上で、まず大切なこと
ではないかと考えた。それを発展させてゆけばいつかそ
「反日がなくなる日がこない」というのは、自分の中では新
れはお互いの心に通じ、共通善になり、3 国が本当の意
しい考え方だった。どの国も政策として反日という動きを
味で友好関係を築けるかもしれないと思った。
見せた方が国策としてうまく機能するという事情などがあ
そう考えるに至った理由としては、2 カ国の博物館の見
り、そういう流れや風潮をとっている。心の底では思って
学や現地の人々との会話の中で、彼らが日本人には考
いるわけではない(思っている人もいると思うが)反日に
えられないくらいに「歴史」を忘れないように遺し、それを
対しても強く言う姿勢。正しいようでどこかゆがんだ歴史
後世に受け継いでいくということを重要視していることが
認識がある中で、正しい情報を集める努力をし、自分なり
わかったからである。そんな彼らの思いに応えるために
の言葉として発信することが今後も結局は必要になってく
は、歴史問題に向き合う真摯さが必要であると思ったか
ると思う。自分たちが生まれた国である「日本」に自信と
らである。
誇りをもって他の国の人とも接することができればよりす
では、なぜ彼らはそこまで歴史にこだわり、それらを遺
ばらしい国になると感じた。
そうとするのか。それは日本にも原因があると思う。
日本人の中に「韓国人はなぜ過去のことにそこまでこだ
○まとめ
わり、現在を見ようとしないのか」という人がいるが、それ
言語、思考の観点から日本に戻ったあといろいろと考え
は違う。以前中国人の方にお話を聞くと、「日本人があま
た。東アジアの共通善につながるように、動き出さないと
りにも過去の歴史に目を向けないから、私たちが自分自
いけないのは若者たちだと思う。若者たちが変わるため
身でそれを遺していかざるをえないのだ」という答えが返
には、その国の若者たちへのアプローチ(教育の仕方)が
ってきたことがある。
カギを握る。今回の留学のように、外国に行く機会を設け
今回のワークショップの中で、その言葉を特に思い出す
機会があった。ソウル戦争記念館での出来事である。
たり、今後の日本についてみんなで議論する場を設けた
りと国について考えるきっかけをどんどん増やしていくべ
ソウル戦争記念館は国防省を中心に戦争の教訓を通
して戦争を防ぎ、朝鮮半島の統一や平和を願うという趣
旨で予算や展示方針が決定された館である。したがって、
きだ。考えにくいこと、けど考えないといけないこと。その
大切さもしっかりと共有して。
今後を担っていく若者。その若者がより考えやすい環境
その場所に展示されるのは政府主導の記憶であり、その
を作っていく事が日本の今後の取り組むべきことだと考え
空間で展示を批判したり、感想を言うことは許されず、た
た。
だ展示を受け入れることが求められる。
・主義あるいは宗教的教義などを、一方的に喧伝(けんで
実際に展示を見ると、明らかに朝鮮戦争や、国連軍の
ん)するようなものや、刷り込もうとするような宣伝活動な
美化という項目に重点が置かれ、来館者はジオラマと大
どを指す。要するに情報による大衆操作・世論喚起と考
型映像等で戦争の迫力を体感する仕組みになっており、
えてよく、国際情報化社会においては必然的にあらわれ
日本に関する展示もとても好感的とはいえないものであ
るものである。今日その方法は、必ずしも押しつけがまし
った。
いものではなくなり、戦略化し巧妙なものとなっている。
記念館の設立背景の趣旨とはあまりに違う実態であっ
た。なぜこれが「戦争を防いで平和を願う」ことになってい
るのだろうかと思った。
また、パンフレットを見ると、「国民と共に歴史を語り継ぎ、
感動を伝える 戦争記念館」というコピーがあったのを見
 29 
に数々のショックを受けた。二日目に訪れた偽満皇宮博
物館と東北博物館では、何の罪もない農村の人々が日
本の兵士に虐殺されているような場面の展示があった。
それは日本の教科書では掲載のないものであるし、大変
武久 真佑美
大きな衝撃と悲しみを感じた。博物館名の頭についてい
る「偽」の文字の意味も、中国の人々は満州国が存在し
中韓ワークショップの 7 日間を通じて、様々なことを学ん
ていたという事実を認めたくないという意図に基づいてい
だ。その中でも私が特に印象に残っているのは、歴史認
るという。また、韓国で訪れた戦争平和記念館では入り口
識の違いについてである。今回のレポートではワークショ
前にたくさんの国の国旗が並んでいたが、日本のものは
ップで学んだこと、感じたことを踏まえ、東アジアの共通善
なかった。各国の国旗のスタンプを押すことのできるコー
を実現するために現在の日本ができることを自分なりに
ナーもあったが、そこにも日本の国旗のスタンプはなかっ
考察し、まとめたいと考える。
た。金先生はこの博物館について、「政府が国民の戦争
はじめに、私は小学校高学年で歴史について学んでか
へのモチベーションを上げさせるために作ったもの」とお
らというもの、『日本の歴史には自分たちが被害を被った
っしゃっていたが、韓国政府がいまだに日本に悪いイメー
ことばかりが書いてあるが、はたしてかわいそうであるの
ジを持っていることをうっすらとではあるが実感し、悲しか
は日本だけなのだろうか?日本がそれだけ大きな被害を
った。日本人としてただ日本にいて生活しているだけでは
受けざるを得なかったのには、何か理由があるのではな
目にすることのできないものをたくさん目にした。中国語
いだろうか』という疑問を抱き続けてきた。年を重ねるごと
や韓国語で日本についての悪口を言われたりなどもした
に歴史についての学びも深くなり、広島や長崎への原爆
し、日中韓関係の現状がよくないものであるということを
投下は、連戦連勝を重ね驕り高ぶってしまった日本の安
改めて実感した。
易な行動が引き金であるように感じられるようになった。
ではこの現状を踏まえ、東アジアにおける共通善を実
当時の日本のトップ、いわば一握りの人間の行動により
現するためにわれわれ日本人ができることは何なのであ
罪のない地方の人々が甚大な被害を受けることになった。
ろうか。それは、自国で学んでいることだけが全てなので
私個人としてはそういった意味で今までもこれからも忘れ
はないという事実を知り、他国との違いを受け入れること
てはならない歴史事実なのであろうと考えられる。しかし
であると考える。受け入れるということはきっと歩み寄るこ
現在の日本の高等教育までで学ばれる歴史認識といえ
とにもつながっていく。私は、共通善とは国境や言語、ナ
ば、せいぜいこの程度であるし、日本はかわいそうな国だ
ショナリズムを越えて人々に潜在しているものであると考
ったのだなぁ、と考えている人の方が圧倒的に多いであ
ろう。このワークショップでは、このような日本人の戦争の
歴史に対する認識が中韓のものとは大きく異なっている
と実感させられた。日本による身勝手な事象は数々挙げ
られるが、まず 1875 年の江華島事件を理由に開国を否
定し続けてきた李氏朝鮮を開国させたことは、現代にまで
もつれこんでいる日中韓関係の悪化の大きなきっかけで
あると考えられる。朝鮮を巡って日中が争い、勝利した日
本は他の列強と同様に中国を分割し、後には自国の恐
慌に喘ぎ、満州事変を起こして満州国を建国するに至っ
た。当時の日本の行動は、横暴そのものであった。
もともと日本で学んできたそういった歴史事実に疑問を
抱いていた私は、ワークショップで目にした様々な「違い」
 30 
える。たとえば、年長者を敬うことや、家族を大切にするこ
えられないくらいに「歴史」を忘れないように遺し、それを
となどである。世界中の人々が心の奥底に当たり前に持
後世に受け継いでいくということを重要視していることが
っていて、大切にしているものを分かち合うことを、歴史
わかったからである。そんな彼らの思いに応えるために
認識の違いが邪魔してしまっているのではないだろうか。
は、歴史問題に向き合う真摯さが必要であると思ったか
まだまだ政府主導の世の中ではあるが、違いを受け入れ
らである。
歩み寄ろうとする姿勢がより多くの人々に広がっていけば
では、なぜ彼らはそこまで歴史にこだわり、それらを遺
必ず東アジアの共通善は実現できると考える。すべての
そうとするのか。それは日本にも原因があると思う。
日本人が目を背けてはいけない、向き合うべき問題につ
日本人の中に「韓国人はなぜ過去のことにそこまでこだ
いて真摯に考え、取り組むことのできたこの七日間は非
わり、現在を見ようとしないのか」という人がいるが、それ
常に有意義なものであった。
は違う。以前中国人の方にお話を聞くと、「日本人があま
りにも過去の歴史に目を向けないから、私たちが自分自
身でそれを遺していかざるをえないのだ」という答えが返
ってきたことがある。
今回のワークショップの中で、その言葉を特に思い出す
機会があった。ソウル戦争記念館での出来事である。
ソウル戦争記念館は国防省を中心に戦争の教訓を通
して戦争を防ぎ、朝鮮半島の統一や平和を願うという趣
鹿森沙恵香
旨で予算や展示方針が決定された館である。したがって、
その場所に展示されるのは政府主導の記憶であり、その
空間で展示を批判したり、感想を言うことは許されず、た
私はこのワークショップを通して感じたことを、これから
だ展示を受け入れることが求められる。
主に 2 つの区分に分けて述べたいと思う。
実際に展示を見ると、明らかに朝鮮戦争や、国連軍の
まずは、日本人が中韓の歴史とどう向き合うべきかに
ついてである。
結論からいうと、私は、今回歴史認識の問題はそれ自体
単独のものとして捉えるべきではないかと考えた。なぜな
ら、本当の意味で歴史認識の問題に真摯であるならば、
その問題の解決によって得られる経済や外交における利
益とは本質からして異なるのではないかと感じたからであ
る。
要するに、日中が経済的に相互依存の関係にあるから、
あるいは政治的に友好関係にありたいから歴史問題に
向き合う、という姿勢ではなく、一人一人の人間として、現
在の日本人が、過去の戦争で起きた事実に、真摯に向き
合うことが、日中韓の関係を考える上で、まず大切なこと
ではないかと考えた。それを発展させてゆけばいつかそ
れはお互いの心に通じ、共通善になり、3 国が本当の意
味で友好関係を築けるかもしれないと思った。
そう考えるに至った理由としては、2 カ国の博物館の見
学や現地の人々との会話の中で、彼らが日本人には考
 31 
美化という項目に重点が置かれ、来館者はジオラマと大
念館の見学や留学生の話を通して思った。
型映像等で戦争の迫力を体感する仕組みになっており、
次に、日中韓相互に共通する「心」について述べたい。
日本に関する展示もとても好感的とはいえないものであ
私は韓国の最終プレゼンで、ワークショップメンバーの 1
った。
人がおっしゃった言葉が今でも心に残っている。
記念館の設立背景の趣旨とはあまりに違う実態であっ
韓国での最終プレゼンで、その方は「日中韓の共通善と
た。なぜこれが「戦争を防いで平和を願う」ことになってい
は『愛する事』だ」とおっしゃっていた。
るのだろうかと思った。
私は今まで、共通善について考える時、必ず戦争や歴史
また、パンフレットを見ると、「国民と共に歴史を語り継ぎ、
問題、政治経済状況と絡めずにはいられなかった。そう
感動を伝える 戦争記念館」というコピーがあったのを見
いう考えに至った理由は大したものではないが、テレビな
て、また違和感を覚えた。戦争記念館なのにどうして「感
どでそのような問題がしばしば報道されることで、自然と
動」を伝えるのであろうか。そもそも、戦争に「感動」なん
一番根源的にあるものを通り越して、その周縁にある「戦
てあったのだろうか。
争」「歴史」「政治」等にしか目がいかなかったのかもしれ
その「感動」という言葉にすべてが凝縮されているように
ないと思った。
感じた。要するに勝利を収めた戦争は感動的であり、あ
そのプレゼンの発表者は、韓国の学生から「日本のことを
る種格好良いことだと韓国の国防省は理解しているのだ
愛している」と言われたそうだ。発表者もその言葉には深
ろうか。
い意味、複雑な感情があるのではないかとおっしゃってい
この事実だけ見ると、記念館は単なる戦争賛美として日
たが、私も本当にその通りだと思う。
本人の目に映り、到底理解できないものとなるかもしれな
個人的な話になるが、今回のワークショップで出会って、
い。しかし、その時私はある留学生の話を思い出した。
先日日本に来た留学生と倉敷市を観光した時、私は日本
日本人にとっては相当ショッキングなことだと思うが、彼
で再び彼女に会えることが嬉しく、韓国でお世話になった
女は「韓国人の中には、日本に原爆が落とされたことで
ことへの感謝の意味もこめて、事前にメッセージカードを
韓国の平和が取り戻せたと思っている人もいる」と言った
用意していたのだが、私がそれを渡すより先に、彼女の
のだった。
方が、メッセージカードを差し出してきた。そこには、日本
私たちは戦争を経験していない。だから、戦争がどんな
語で私の名前とまた会えたことへの感謝のメッセージが
に悲惨であったのか、当時の韓国人がどれほどつらい思
綴られていた。その文字を見た時、メッセージの内容はも
いを背負ってきたのかを知らない。そのために、「平和」
ちろんのことだが、その文体にある種の温かさを感じた。
「平和」と、どこか平和を軽く、容易なものとして捉えてい
彼女の「心」がそこに表れているような気がし、そういった
る部分があったのではなかろうか。私たちにとって平和と
温かさを今後も大切にしていきたい、と思った。
は今現在の穏やかな時間である。ところが、韓国にとって
は平和とは、戦争の歴史を常時記録し、人々に思い起こ
その温かさを積み重ね、人や物事に真摯に向き合って
いくことが私たちに必要なことではないかと思った。
させ、平和はそれらの戦争から掴み取るものだという意
識が国防省にはあったのかもしれない。
もちろん、これは私の個人的見解で、必ずしも正しいと
はいえない。
私たちは時に、日本人には理解し得ないような中国
人や韓国人の行為を目にすることがあるかもしれない。し
かし、その根底にある感情を私たちはどれほど知ってい
るというのだろうか。私たちはその根底にあるものを知ら
ずに、物事を表面だけで判断してはいないだろうか、と記
 32 
じる。政策も高齢者を医療面で支えることを全面に出して
いるようで、国は目先の利益にばかり気をとられている。
そのような国の国民への影響も大きいとも考える。私たち
はもっと大きな、長いスパンでの利益を考えるようなこと
をしていかなければならない。そのために、日中韓が手を
藤田結実香
取り合っていくことが期待されているのだと思う。
今回のこのワークショップは、自分が思っていた以上に
私はこの中韓ワークショップに参加し、日中韓の共通
言語という障壁を越えての深い教養に繋がった。20代の
善とは何であるかについて考えることが出来たと共に、純
多感な今、この機会を与えてもらえた環境に、本当に心
粋に中国や韓国の文化や社会に触れ合いながら、本当
から感謝の気持ちでいっぱいになった。医学の道を進む
に色々なものを吸収した。一週間という時間は本当に短
者として、今回のプログラムも、現在、そしてこれからの学
いものであった。正直こんな短期間で何かを学ぶことが
びに生かすことの出来る内容であり、将来海外での活動
私には不安であったため、今回のテーマである「共通善」
も視野に入れるきっかけとなった。現地の学生と触れ合う
についてヒントを得るにはただ見たものを感じ取るだけで
中で、自分がまだ日本について理解していないことも身を
なく、自ら学ぶ姿勢でいこうと思っていた。実際に事前学
以って知った。そういった意味でも勉学の意義や奥深さに
習として中国の満州帝国時代の歴史や人物についての
も気づくことのできた機会となった。
知識は、偽満皇宮博物館での見学をより理解の深いもの
にした。今でも、文献だけでしか知りえなかった光景が目
では私たちは共通善のために何をしていくことができる
か。
の前にある感動が忘れられない。中国の油で揚げたお菓
子「麻花」も想像していたより2倍3倍も大きくて食べ応え
1 週間日本を離れて中韓に滞在して私なりに考えたこ
とがある。
抜群で、甘くて本当に美味しかった。覚えたての中国語も
まず一つ目に、今の現状に対して安心する、その状況
使ってみた。あんまり通じなかった。写真やネットを通して
を鵜呑みにするのではなく、疑問を持ったり、批判的な視
みる中国とは本当に違って、今までそのような情報ばかり
点、クリティカルな思考をもっておくことがその最初の一歩
あてにしていた自分はなんだったのだろう、とさえ感じた。
となること。そして二つ目にコミュニケーション能力、語学
韓国で特に印象に残ったのは、自生韓方病院の視察。
力がついてくること。それから日中韓においては言語も、
東洋医学は針、植物を使った薬において、西洋医学は解
使っている紙幣も違うし、習慣も違う。けれども基本的な
剖学、外科的手術を発展させてきたのであるが、それぞ
価値観、漢字、食文化など似たようなところも沢山ある。
れの良い部分を融合させた形がまさにこの自生韓方病院
の医療システムに表れていた。とりわけ医学的な面にお
いて日中韓がうまく競合できるもの、病院から共通善を具
体化していくヒントが得られた。
またアサン病院において、名古屋大学病院とも連携して
看護の上でも細かいケアや徹底したシステムを行ってい
る点は非常に印象深く残った。日本独特の細かなケアと
いうものが重要視されていることに、素直に嬉しく感じた。
韓国の世界トップレベルの医療システムから学ぶことは
本当にたくさんあり、また韓国も高齢社会であるため、日
本の抱える問題を解決するうえでもよい見本となるだろう。
日本では特に医療面だけでなく、産業全体が需要の高い
高齢者向けのサービス強化に重点を置いているように感
 33 
そして例えば、韓国人の美意識が高い所や中国人は基
日本、中国、韓国 ともにアジアにあり、歴史という逆ら
本的にせっかちであったりするなど、やっぱり似ているよ
えない流れをともに歩んできた国とそこに住む人々。しか
うで違うようなところもある。三つ目にはそういった小さな
しこの 3 か国の人の価値観・考え方・思想は違い、それら
ずれを、共有していけるようにする努力をしていくこと。そ
は日本にいて、日本人だけと関わっていれば決して理解
の互いに持つ小さなずれを1つ1つ共有していくことが、こ
できない複雑なものがあり、しかしそこに人間的な面があ
れからの日中韓の関係を良くして行くことに繋がると私は
ることに気付いた。この旅の中で、このテーマに深くかか
考える。
わる話を中国での旅の時にお世話になったバスガイドさ
これは私の出したひとつの策であるが、私たちのような
んとすることができた。それは、ちょうど長春にある、偽満
若い世代に託されているのは、今までとは違ったアプロ
皇宮博物館に展示を見た後であった。偽満皇宮博物館で
ーチだと思う。それを考えていくプロセスこそ日中韓の共
は、その場で実際に執政をやっていたラストエンペラーと
通善につながるのではないか。確かに時間はかかる。で
呼ばれる溥儀に関する内容を中心に展示してあった。そ
も、地道にやっていけば今すぐには無理でも近い未来、
のような展示を見た後、バスガイドさんと日中両国の戦争
今よりももっと日中韓の関係性が強まっていくことが期待
認識などについて語った。主に日本の戦争に対する向き
できるはず。以前は具体的に自ら学び、積極的に行かな
合い方である。バスガイドさんは、日本の人たちはよく終
ければ、と感じていたのだが、今は積極的に学ぶことので
戦という言葉は使うが、敗戦という言葉を使うことはない
きる環境にあるこの時をうまく使っていきたいと考えるよう
だろうと指摘された。この話は中韓ワークショップの際、私
になった。今まで何気なく過ごしていた日々でも、全く違っ
の方から何度かしたことだが、その後の話もあるので改
た視点を持ちながらみることで生まれる新たなモチベーシ
めてしたいと思う。私はこの話を聞いたとき、驚き、日本だ
ョン、それをもっと感じていけるようになりたいと思う。
けで生きているだけではなかなか気づかない点だと思っ
た。同じ第 2 次世界大戦の敗戦国であるドイツなどはしっ
かりと相手側への謝罪をしている。しかし日本において、
戦争のことになると、沖縄戦や広島・長崎の原爆の犠牲
の話はよくするが、自分たちがあの戦争で何をしたかとい
谷脇
理史
歴史問題、領土問題、反日感情、日中韓の 3 か国
を取り巻く情勢には、このような言葉が付きまとって
いる。この 3 か国は今、政治的にも、経済的にも、文
化的にもなくてはならない相互関係が成り立っている。
しかし、上記の 3 つのような言葉がアジア地域という
フィールドでのいがみ合いの中で取り沙汰されている。
私は、今回の中韓ワークショップでの経験、そしてそ
のあとに自分自身で考えたことによって、私たちがこ
の問題を考えるときにカギとなるものが少し見えたよ
うな気がする。
 34 
うことに関する話はあまり出てこない。つまり、日本人の
りであり、このプロセスの中では必要だと思う。私はこの
中ではそういった犠牲の被害者であるという認識が強く、
旅で、本当に親切な人に出会えた。おいしい店を手配し
自分たちがあの戦争で加害者であったという認識は、国
てくれた人、いろんなところを丁寧に案内してくれた人、持
際社会からの認識からすると低いのではないかと思う。
ち前の明るさでみんなに元気を与えてくれた人、そして日
なぜ日本人にこのような傾向が生まれるのか。その後私
本の学生に丁寧に説明をしてくださったバスガイドさん。
の中で、ある要因があると考えた。
そのような人間の温かみの部分が 3 か国には必ずある。
それは、戦後日本における歴史教育にあるのではない
そういった人間の温かい部分でお互いの意見を共有でき
かと思う。日本の戦時下に関する記述においては太平洋
たら、3 か国の問題も少しは前を向けるのではないかと思
戦争を基軸と置いて、日本がどのようにアメリカに対して
う。
戦い、本土での戦闘となった時に国民はどうしているかと
いうことを詳しく学んでいる。一方、中国・韓国での戦闘行
為に関しては、満州事変や日中戦争、韓国併合などのき
っかけとなった出来事については学ぶが、実際に行った
戦闘行為については、軸を置いて学ぶということはあまり
東アジア共存のために
ない。両国での歴史認識に関する問題(南京大虐殺、従
中井 美穂
軍慰安婦問題など)があり、史実が日本の太平洋戦争よ
りもわかりにくい点もある。しかし日本が先の戦争にてど
のような行為を行い、それによってどのような被害が出た
現在の東アジアの関係は決して友好的なものとはいえ
のかを戦争学習のもう一つの軸を置いて学ぶべきだと思
ない。わたしが、中韓ワークショップに参加する前まで抱
う。自分たちの国は、戦争の被害者でもあるが、加害者
いていた中国や韓国のイメージは、あまり良くなかった。
あるということをしっかりと認識したうえでないと、相手の
具体的に言うと、中国や韓国の人々は日本人をとくべつ
気持ちに目を向けることはできない。この話を、帰国後岡
敵対視しているのではないか、というものである。このイメ
山大学の教員でありアメリカ人の英語講師に話した。する
ージはメディアによって中韓での対日デモや、それにより
と彼女もうなずき、「日本とドイツの戦争責任に対する行
日系企業が被害を受けている映像がわたしたちの頭のな
動は違う。確かに“敗戦”と“終戦”は違う」とおっしゃった。
かにうちこまれて形成されたといえる。だが、中韓に対す
中国のみならず、アメリカの人もこの問題提起に理解を
る悪いイメージとは裏腹に実際の現地の人々は、わたし
表したことによって、私のこの問題に対する考えはますま
たち日本人を心から歓迎してくれた。中国にしても韓国に
す深くなった。
しても自分が想像していたよりも反日の感情は少なく、む
このような歴史教育の問題は日本だけの問題ではない。
しろ親切な人ばかりだった。メディアによって悪いイメージ
中国・韓国にそれぞれ問題がある。反日的なバイアスが
ばかりがわたしたちの心に刻まれ、それがそのままその
かかった教育は、両国においてナショナリズムを高まらせ
国を象徴するものとなってしまっているのだ。メディアがも
る。
のごとの一側面のみしか映し出していないことは、わたし
この 3 か国には、それぞれの民族があり、歴史があり、そ
たちも自覚しているところだが、なかなかそのイメージを
してそれに基づくそれぞれの価値観がある。それを踏ま
払拭できないのが事実である。このイメージと現実のギャ
えて共通善となりうるのは何か。私が思うに、それはお互
ップは深刻な問題であって、わたしたちは、互いの国を理
いの思いに寄り添い、バイアスをかけずにしっかりとした
解するためにギャップを埋めていく必要がある。そのため
事実をお互いが見つめることではないか。そして意見が
には実際に現地に行き、現地の人々と交流をはかること
食い違ったとき、単に批判するのではなく、“なぜ”違うの
が大切だ。交流を活発にするプログラムを積極的に推進
かを段階を踏んで丁寧に見ていくことが大事なのではな
していき、学生の交流が互いの誤認識を解く第一歩にな
いかと思う。そのうえで大切なのは共感を誘う人間の温ま
ればよい。
 35 
このワークショップで痛感したのは、互いの国について
ば、相手国のことを理解するなどとうてい不可能で、だか
間違った印象をもっているということだ。わたしたちは互い
らわたしたちは、もっともっと自分自身に関心を持たなけ
の歴史認識に相違があり、それが互いの国を誤解する一
ればならない。
つの要因であるように感じる。その原因をたどれば教科
この7日間を通して、わたしが見出した共通善とは、
書問題へと発展する。各々が、自国の行いを正当化する
「互いの国について理解し、様々な角度からものごとを眺
ために歴史を偏った伝え方をする傾向にあるのだ。この
めること」である。互いを理解するためには、まず、自分
解決策をみつけることは困難であり、大きな課題である。
の国を知ることが重要で、自分の国をきちんと理解したう
ただ、どの国も互いに協力したほうが良いことはわかって
えでこそ、相手国についてより正確に理解することができ
いるはずだ。技術のある日本と資源のある中国が協力す
るのではないか。そして、自国の非を認めつつ、相手国を
れば、アメリカやロシアなどに対抗できる力を作り出せる。
受け入れ、共存していくことが現在わたしたちに求められ
日中に限らず韓国も加えた東アジアの三カ国が手をとり
ている。
あえば、確実に大きな力を生み出すことができるだろう。
アメリカ、ロシアに対抗する力を身につけるために、いか
にして日本と中国、韓国が協力するか。協力するために
は、やはり互いの考え方を正確に理解しなければならな
い。そのためには相手国の歴史や文化、教育体制など
様々な面からアプローチして眺める必要があると思う。
現地の人々との交流を通して、中国や韓国の人々は
日中韓関係を日本人とは異なる見方をしている部分もあ
るが、日中韓関係の良好性を向上させたいという気持ち
は同じだと感じることができた。また、看護の面では日本
の病院から学ぶことも多いということを韓国の病院視察で
聞いた。日本で看護師に求められるのは、気配りや患者
へのメンタルケアなどだと思うが、そのスキルが韓国の病
院でも必要とされるということは、日韓に共通する部分が
あることに気づかせてくれる。このように日韓では共通す
る部分が他にもたくさんあると思う。中国においても然り
だ。共通部分を見出し、異なる部分を相互に理解していく
ことは今後三カ国が歩み寄るためには必然的であるので
はないか。
現地で、日本語の勉強をはじめたばかりの韓国の学生
と交流した時に感じたのは、わたしが日本に関してあまり
にも無知であるということだ。彼の素朴な疑問に、即座に
答えることができず、さらに岡山の紹介プレゼンを聞いて
初めて知ることもあって、自分の生活している場所がどの
ような歴史をもち、発展してきたかをもっと勉強する必要
があると気づかされた。わたしたちが自分自身の国につ
いて理解すること、このことは東アジアの共通善を考える
にあたって互いの歴史や発展の過程を理解するというこ
との第一歩でもある。まず、自分の国について知らなけれ
 36 
は紙に書いてくださって、帰り道が分からなくなった時に
はホテルまで案内してもらって、本当に多くの方に助けて
「中韓ワークショップを終えて」
いただきました。国籍や話す言語はちがっても、困ってい
る人を助けたいという思いやりの心は同じであるというこ
難波千夏
とに気づきました。これこそ、まさに人類愛だと思います。
「日本についてどう思いますか?」という私の質問に対
中韓ワークショップでは、歴史博物館や戦争記念館、病
して、たった一言「愛してる」と答えてくれた中国の吉林大
院や工場等、様々な場所に行き、多くの方の貴重なお話
学の女の子がいました。中国と日本の間には政治的、歴
を聴くことができました。この一週間で多くのことを学び、
史的な問題が多く、よい関係とはいえません。それでも日
感じ、考えることができ、今までの私の人生の中で、最も
本のアニメや音楽など、日本の文化が好きで日本人が好
有意義な時間になりました。しかしこの中韓ワークショッ
きだという彼女の複雑な感情が、この一言に込められて
プを通して一番強く感じたことは「自分がいかに無知であ
いたように思います。反日感情の中で生きている彼女が、
るか」ということでした。考えたいのに考えるための知識
日本が好きだ、日本に行きたい、と言ってくれたことがど
がない、伝えたいのに伝えるための語学力がない、という
れほど嬉しいことか、「愛してる」というたった一言でした
非常に悔しく、もどかしい思いする場面が多々ありました。
が、この言葉を聞いた時を思い出すと、今でも涙が出そう
その度に、「もっと学びたい、もっと知識をつけたい」という
なくらい幸せに思います。私が、最初に覚えた中国語は
気持ちが強くなりました。また、今まででは日韓関係につ
「我愛你」-あなたを愛しています- この言葉を 1 番に覚え
いての関心が強かったのですが、ワークショップを終えて、
て良かったと心から思いました。私にとって共通善とは、
日中韓三国の関係が非常に重要であり問題視するべき
愛することだと思います。「愛する」とは、「かけがえのな
事項であるということも学びました。
いものとして心から大切にし、守りたいと思うこと」と広辞
苑に定義されています。日中韓、それぞれの国はかけが
言語や文化の異なる国での生活は、大変なこともありま
えのないものであり、もちろん、その三国の交流もかけが
したが、そのたびに人の温かさ、優しさに触れることがで
えのないものです。自分の母国を大切に思うように他国も
きました。バスの運賃が分からない時には近くにいたおじ
大切に思い、互いに協力し合い、守らなければなりませ
さんが教えてくださって、地下鉄の乗り方が分からない時
ん。文化や歴史についての相互理解、そして言語習得と
いうプロセスを経て、愛するという目的を達成できるの
だと考えます。
「中国人は半日だ」「韓国人は半日だ」と軽々しく口
にする人がいます。ではその日本はどのような国なの
か、おそらく彼らは知らないでしょう。自国や東アジアに
ついて十分な知識もなく、考え、学ぼうともしない人達
が、そのような浅はかなことを口にしているのだと思い
ます。成均館大学の金先生の推薦図書である『「日本」
とはなにか』という著書を読み、日本が解決すべき大き
な問題に気づかされました。戦後の日本では,「日本」
という国号が、いつ、だれによって、いかなる意味で定
められたのかという「日本史」にとって最も重要で基本
的な事実について、敗戦後のあらゆるレベルの歴史教
育はまったくとりあげることもなく、またいっさい教えて
きませんでした。この結果、現代日本人のほとんどす
 37 
べてが、自らの属する国家の名前が、いつ、どのように定
まったかについてまったく知らないという事態が、今も続
共通善における日本の課題
いています。私自身、日本人として 20 年間生きてきました
が、「日本」という国号について一度も考えたことがありま
梶本 夏未
せんでした。歴史や文化の前に「日本」とはいつ誕生し、
どのような国なのか、まずそこからすべてが始まるのだと
思います。日本の取り組むべき課題、それは「日本とはな
中韓 WS を通して、東アジアの共通善の実現を考え、日
にか」について再検討し、正しい歴史認識を義務教育課
本を再帰的に省察した上で、日本の課題を五つ挙げてい
程で教育することであると考えます。そして、全ての日本
きたい。
国民が、東アジア、さらには世界に関心を持ち、自国につ
まず、金先生から見た日本のイメージから、日本、かつ
いての知識をもとに国際問題を考えなければなりませ
そこに住む自分自身を客観的に省察できる。例えば、金
ん。
先生は、東アジアの国々を韓日中と呼んでいた。私は、
受け入れるとはどのような事なのか。肯定することな
日中韓という呼び方に慣れていた為、違和感を覚えたが、
のか、理解することなのか。謝るとはどのような事なのか。
自国目線で捉えていたことを再認識させられた。これは、
許すとはどのようなことなのか。何をもってして謝罪とし、
ナショナリズム、つまり共同体の意識を持つことに繋がる、
なにをすれば許されるのか。ワークショップを終えて、私
当然の思考だと感じた。
が抱いた疑問です。まだ答えは見つかりません。しかし、
金先生が考える共通善には、漢字や儒教のような長い
許さずして相互理解を深め、許せないけどそれはもう過
歴史を持つものだけでなく、相手を敬う心,家族を大切に
去の出来事であり、これからは新しい未来を共に創って
する気持ちのような精神的なものもあり、別の民族であっ
いこう、という感情が全ての日本国民、そして全ての中国
ても、根底は通じているというということを感じられて嬉し
国民、韓国国民に生まれたなら、これほど嬉しいことはな
かった。その一例の大部分を占めるのがアメリカ的な要
いと思います。
素であるということは、日本での日頃の生活や中韓 WS で
中韓ワークショップに参加し、実際にその国に行き、私
見た東アジアの姿から納得させられた。現地でもスター
達にとって大きな課題である東アジアについて、学ぶ機
バックスの商品を持った若者を多く見かけ、アメリカへの
会を与えていただいたことを大変嬉しく思います。ワーク
憧れが生活に影響を与えていると実感した。
ショップで学んだこと、感じたことを、決して無駄にしない
普段主に日本の教育を勉強している為、外国に赴く度
よう、これからも日々精進していきます。最後になりました
にその国の教育にも興味を持つ。韓国において先生は敬
が、中韓ワークショップのために早くから準備してくださっ
われているという教育現場のイメージを持っていたが、実
た先生方、一緒に参加した 22 人の仲間達、そしてこの中
際には、子どもの問題行動が起きているという現状があ
韓ワークショップに協力してくださったすべての方々に感
り、これらが表沙汰にならない理由として、問題行動が個
謝しています。
人の逸脱行為として捉えられているからだということを知
った。一方、日本同様モンスターペアレンツが存在してい
る現状もある。このように、身近なことに関して、国の間で
異なっていること,似ていることに気付くというところから
共通善はスタートすると思う。
今回博物館や病院など様々な施設の視察を通して、自
分の知識不足を実感した。もう少し事前準備をしておけば、
より楽しめているのだろうと感じる場面が多々あった。し
かし、金先生がおっしゃっていたように、戦争記念館など、
そこに示された共通の意識を受け入れることだけを要求
 38 
している場合もある。そのような場合でも、下調べの有無
複雑に絡んでいる。その点、グループディスカッションなど
がバランスのとれた認識を持てるかどうかを左右すること
で、お互いオープンに意見を交わせたことは、刺激的で、
に変わりないと感じる。よって、実際に自分の五感を使っ
今後の日本の課題を見つけるきっかけになった。このよう
て知ろうとする姿勢で施設に足を運ぶことで、深い繋がり
な意見交換の機会を増やしていくことが日本の課題の三
を持つきっかけを作り、外国の文化や日本のことを改め
つ目だと考えたが、政治家などの国の顔が公的な場で過
て見つめ、疑問を持つようになるということが、基本的な
激な発言をしてしまうと、反感を買う可能性が高いという
ようでスキップしてしまいがちな共通善へのステップであ
現実も見逃せない。その点、私たちの肩書きは学生であ
ると同時に、共通善の実現に際し、日本が取り組むべき
る為、良くも悪くも自由な議論を行う余地がある。私たち
課題の一つ目であると考える。その為の手段として、語学
若者は、存分に今の立場を活用すべきである。決して、
に取り組むことが挙げられる。このことは、日中韓しかり、
適当な発言が許されるという意味ではない。失敗を恐れ
世界各国が語学力を企業の採用などにおいて重視して
ず、もっと若者の意見を発信していくべきだと思う。その為
いることからも理解できる。日本でも既に、留学制度の充
に、生きた年数でその人の意見を評価するのではなく、
実に力を入れているが、国内でも語学や異文化に触れる
柔軟な心で、多方面の考えを取り入れることが、今の日
機会を設けていくことが、留学まで踏み出せない人が共
本に求められている四つ目の課題だと考える。
通善を理解し、場合によっては留学を決意するきっかけ
になると考え、日本の課題の二つ目としたい。
帰国後、キャンパスアジアのシェアハウスや L-café な
どを積極的に訪れ、中国や韓国からの留学生との交流を
中韓 WS の事前準備の時期に、東北に復興のお手伝
持つようになった。現地で出会った友人との再会もでき、
いをしにいく機会があった。現地に足を運ぶ度に気の引
中韓 WS でおもてなしを受けた私たちが、今度はおもてな
き締まる思いがし、当時のお話を聞く時も、当たり障りの
しをする立場になった。このような中韓 WS を終えた後の
ないことを話題にしてしまいがちになる。それは、毎回そ
継続的な取り組みが、ライフワークとして私なりに共通善
こで暮らす方の心の傷が未だに深く残っていることに気
を形成していく手助けとなっている。多くの人が、このよう
付かされるからだ。中間 WS においても、同じ感覚を覚え
な経験をする制度をより充実させることが、日本が取り組
た。現地の方は、日本人を快くもてなしてくれる。しかし、
むべき五つ目の課題であると考える。
そこには歴史や領土問題に対するそれぞれの捉え方が
田中里実
『共通善』留学の事前学習でその言葉を聞いたとき、何の
ことを言っているかさっぱり分からなかった。もちろん共通
善という言葉をそれまで聞いたこともなかったし、数回参
加した事前学習でもはっきりとした意味はよく分からない
ままであった。参考資料を読んだり、自分でも中国や韓国
の現状や国同士のつながりについて考えたり、しらべたり
したがそれでもはっきりとは分からなかった。この留学で
 39 
私は何か得るものはあるのだろうか、という不安をのこし
要とするのが、留学を経験した私が考えることである。
たまま私は中国・韓国に出発した。
私は今まで英語を実際に授業以外で使う場面がなかった。
私がこの中韓留学体験ワークショップで一番印象に残っ
使う必要がないと思っていたし、今後も使わないと思って
ていることは、中国の学生とのディスカッションだ。中国の
いた。けれど、実際に英語を使わなければならない場に
学生はみんなとても英語が堪能であった。しかし私は正
立たされて、今まで学習してきたことがまったく生かされ
直英語が得意でない。そのため相手の学生の話したいこ
なかった。正直ショックだった。私以外にもそう思った人は
と、私が話したいことがお互いうまく伝わらなくて正直この
たくさんいると思う。これをきっかけに英語を学習したいと
留学中で一番辛い時間だった。初日はグループの中の
考え始めた人も多いと思う。そのような人が日本でもっと
英語がうまい先輩がどうにか仲介してくれ、ぎくしゃくした
増えれば、言葉が使えれば、相手の国を知りたい、行っ
中ディスカッションを終えた。しかし、次の日、正直もう嫌
てみたいと思う人が増えると確信している。
だと思いながら昨日の学生のもとに行った時、中国の学
留学前に不安だったことも私なりにではあるがはっきりと
生同士で何かを話していた。昨日の事で、何か話してい
見えてきた。事前学習や自己学習では分からなかったこ
るのだろうと思った。申し訳ない気持ちでいると、突然「カ
とは現地に行って、見て、感じて、知って、自分のものに
ワイイ!」と言われた。私に向けられた言葉だとは一瞬分
なったと思う。
からなかったくらい、驚いてしまった。そして、すごく嬉しか
この夏、貴重な体験ができ、感動することもたくさんあった。
った。褒められたこともそうだが、コミュニケーションをとる
この留学体験ワークショップに参加でき、ほんとによかっ
ことを諦めてなかったことにとても感動した。その日私は
たと感じている。
できる限り、相手も知ろうとした。分からない英語ばっかり
で、身振り手振りでできる限り思いを伝えた。
と、同時に私も英語ができれば、、と悔しい思いも増した。
そんな思いは初めてだった。
私が思う『共通善』とは仲良くなりたい、コミュニケーション
をとりたい、と思う興味から生まれる相手を知りたいという
気持ちだと考える。しかし、相手を知るためには言葉を使
うのが一番の近道である。日本の大学生のどれくらいの
人が英語をコミュニケーションの道具として使えるだろう
か、日本のどれぐらいの人数の人が英語を使って外国の
人とコミュニケーションをとれるだろうか。日中韓のこれか
らの関係性において、あいての気持ちを知るためのツー
ルとしての英語をもっと学習する場が日本には必要だと
思う。
私も、今までは義務教育から英語を勉強してきたが実際、
使う場面はないだろう、受験や進学のための英語だと思
って学習してきた。そう考えている人はきっと多いように
思われる。その意識では使える英語は絶対に上達しない
ようにおもう。実際に英語を使って話す人、英語を使わな
いといけない場面を日本の教育にもっと取り入れるべき
だと私は考える。私の思う『共通善』を現実にするために
は言語ツールが近道である。したがって、今後の日本で
は教育現場においての実践的な英語を活用する場が必
 40 
よいのか。これらを解決する手立てはないのか。
それを考えていく上で、靖国神社参拝の問題がよい例
共通の価値観を持つことは可能か
になると思う。この問題はワークショップの王秋彬教授と
の授業でよく議論された。総理大臣が参拝する時期にな
鈴木伽奈
るたびによく報道されていることではあるが、岡山で暮ら
す私にとってはいまいち身近に感じられず、あまり興味を
東アジアの共通善を図るために必要なことは、意識の
持ったことがなかった。そのため、なぜ参拝するのか、ど
すり合わせだと思う。今回の中韓ワークショップで様々な
うして参拝すると問題になるのか知らなかった。また、こ
博物館や記念館などに訪れたが、そのどれもが物事の
の問題について同年代の人々とディスカッションするのは
都合のよい部分だけ、事実を都合のよいように解釈して
初めての経験だった。このように歴史問題に触れる機会
いるようだった。特に、ソウル戦争記念館は「博物館」で
が少なく、興味が希薄な現代人は本当に多いと思う。教
はなく、「記念館」という名称もそうだが、国防相が中心と
育の面で、取り上げられることがまだ日本では少ないし、
なってつくられたということもあって日本人の私にとっては
よく教科書での記述の仕方が問題になるように日本も自
違和感がいくつかあった。たとえば、ライフルの射撃ゲー
身の都合のよい解釈をしているかもしれない。
ムや戦闘機搭乗体験ができる場所があった。私は広島
ワークショップに行く前は報道されていることを鵜呑み
県の出身ということもあり、戦後に建てられた記念館、広
にするだけで、それ以上自分で考えてみるということがな
島平和記念資料館に何度か訪れたことがあるが、このよ
かった。教科書に書いてあることが正しいと思い、それ以
うな展示を見て比べると国境を越えた考え方の違いを非
外の価値観があるとは考えてみたことがなかった。現に
常に感じる。私がそうであるように、韓国や中国の人々が
戦後の補償問題で価値観の違いが表れている。日本は
日本の博物館に訪れると違和感を感じることだろう。
戦後、賠償金を多額の賠償金を払ったり、謝罪を何度か
国が違えば、育ってきた環境も違うし、受けてきた教育
述べているが、中国や韓国からしてみれば、まだそれら
も異なる。そのため、歴史認識や領土の問題がでてくる。
が不十分であるように感じられている。日本にとっては謝
共通の指針のようなものがあればよいと思ったが、ワーク
罪や補償であるけれども、他国からしてみれば求めてい
ショップの講義中に東アジアで共通の教科書を作ること
たものとは違うようだ。
は非常に難しいと先生がおっしゃっていたのを思い出した。
やはりどうしても日本の考え方をスタンダードにして他
確かに私たちは自分のよい部分しか物事を見ようとしな
国を見てしまうので、他国の考えを理解することは難しい。
いし、歴史の都合のよい時間だけを取り出して解釈をす
だからと言って閉鎖的な考えをして、納得していない人が
るため、どんなに議論をしても全ての国が100%納得す
いるのにも関わらず、この問題を放棄することはできない。
るものは決してできることはないだろう。では、どうすれば
みんなが納得するかたちを追及するのをあきらめては、
誰かが何かを妥協しなければならないことが増えるだけ
だ。もちろん、完璧な解決策はないだろうが、どうして相手
がこのような考えに至ったのか、その基盤となる文化的
背景を理解しようとする努力を見せることが必要だ。その
ためには、問題をいろんな角度から見る力をつけなけれ
ばいけない。
今回の中韓ワークショップでは「東アジアの共通善」を
テーマにしてやってきたが、「共通善」というものは分かる
ようで分からない、本当に定義することが難しいテーマだ
った。はっきりとした「共通善」に対する世界共通の定義
が無いからこそ、国際問題というのは解決が非常に困難
 41 
なのだと思う。しかし、一汽豊田長春発動機のように国境
開発をしたいと考えています.グローバル化で社内では
を越えて会社を設立して利益や労働力、知識を共有する
英語で話す会社が増え,また今後もっと増えていくと考え
ことや、道徳的に人を痛めつけてはいけないなど共通し
られます.そのような中で,自分のプレゼン,意見発言,
て「善」であると思えることはいくつでもある。こういうこと
情報交換が英語でスムーズにいかなければただのお荷
の積み重ねが、「共通善」とは何なのかを捉えるきっかけ
物にしかなりません.大企業で必要とされる人物になるた
になると思う。日中韓の三国間での解決すべき課題は多
めにも話せることが当たり前となってきている英語で遅れ
いが、経済的にも文化的にも、これからも密接に付き合っ
をとらないように学生のうちに日常会話程度はできるよう
ていくのであろう重要なパートナーだ。だから、これからの
になりたいと考えるようになりました.
関わり合いの中で互いの意識をすりあわせて「善」に対す
次は共通善についてです.私は事前授業において初めて
る共通の価値観を探っていく努力をし続ける必要がある。
共通善という言葉を聞きました.そして中韓ワークショップ
に行くことを通してどういう行為が共通善となるかを考え
ることがこのワークショップの一番の課題として課されま
した.
最初は一週間の短期でこんな大きなテーマの答えが出る
中韓ワークショップに参加して
とはとても思えませんでした.しかしあの一週間では本当
にたくさんのことを経験させていただき,私の中での共通
田中希帆
善とは「お互いの考え方を知り,自国の非を認めること」と
答えが出ました.私は中国,韓国において,それぞれの
私がこのワークショップに参加したことは校内の張り紙を
国の先生の話を聞き,自分の考えていた中国,韓国と実
みて「宿泊費,渡航費岡大負担!?行くしかない!!」と思っ
際は違うことに気づきました.そしていかに両国について
たことが始まりです.笑 しかし,実際に応募しようと思っ
の知識がないことに気づかされました.私のようにこの三
た理由もちゃんと(?)あります.近年では日中韓問題が
国には相手国を知るという姿勢が見られず,自分たちの
メディアやネットでいろいろな形でたくさん取り上げられて
意見が必ず正しいようにふるまい,押し通そうとしている
います.しかし,情報が溢れすぎており,また,どれだけ
客観的に出来事を書こうとしても主観的になってしまうの
が現実だと思います.それを考えると自分がどう取捨選
択しどう自分の意見を持ちたいのかわからなくなっていま
した.やはり実際に自分自身が現地に行って現地の人の
話を聞き,会話してこそ,自分の意見と主張が持てるので
はないか?と考えるようになり,いつか現地に行く機会を
作らないと…と思っていたところでのこのキャンパスアジ
アのプログラムを知り,実際に応募することにしました.そ
こで感じたことを大きく分けてふたつ書こうと思います.
まずは英語力のなさです.中国では,講義,ディスカッショ
ンともにすべて英語でした.スライドを読むのに必死で先
生の話が耳に入らない時もあれば,学生交流においては
質問が聞き取れても自分の思いを英語でどう表現すれば
よいのかわからずほとんど返事ができませんでした.とて
ももどかしい思いをし,同時に「勉強しなければ!」という
思いにもかられました.私は将来,メーカーに勤務し商品
 42 
ように思えます.そしてそれぞれ歴史認識,領土問題など
務所で準備していたとき、ある中国から日本に留学に来た
譲れない部分がありいがみ合っています.しかしこのまま
ばかりの男性と知り合いました。彼とは、日本のアニメが好
では前にも進めないし,関係は悪化するだけです.歴史
きなこと中国の大学についてなど彼自身のことから、中国の
認識,領土問題においてそれぞれの国によって解釈が違
現状について、中国政府に対することなど、その地に住んで
うためもめているのですから,そこで私はまず国民一人
いる人にしかわからない深い話もしました。話している中で
一人が相手の国を知ることが一番初めにすべきことだと
彼が『いつも部屋には壁しかなくて、一人でパソコンをしてい
考えました.知ることで自分たちが間違いに気づき互いに
る』『留学生に中国人が多すぎるから、せっかく日本に来た
非を認め合っていくことが可能になるのではないかと思い
のに日本に来た感じがしない。日本人の友だちが欲しい』と
ます.せっかくの隣接国同士であり,また全く違った特徴
言っていました。私には、その言葉がすごく引っかかるような
を持つ国同士であるので,仲良くし,協力し合えばきっと
感じがしました。私が中韓ワークショップ中には留学したい
欧米諸国や北米にも劣らない体制を形成でき,これが共
なと思っていました。しかし、日本に来た留学生の中には彼
通善になると私は考えました.
のような思いをしているのかもしれないから、日本で留学生
このワークショップに行ったことによって,私の至らなさ,
を支援することも重要じゃないかと気づきました。わたしたち
無知さが感じられ,もっと勉強しなければいけないと思い,
が中韓ワークショップで中国・韓国に行ったとき支えてくれた
また,自分のやりたいこと,やるべきことを見つけることが
り、関わりを持ってくれたりしてくれた、現地の学生のように、
できました.参加させていただきありがとうございました.
日本で留学生をサポートしたいです。今後は、チューターに
も挑戦しようと思っています。
もうひとつ私にとって変わったことは、中国でディスカッショ
ンをした吉林大学の生徒と連絡を取り合っていることです。
以前のわたしなら、あまり一度かかわった海外の人と関わろ
うとしていませんでした。まして、中韓のワークショップで中
ひととのかかわり。
国の吉林大学でディスカッションをしたとき中国の学生と自
分の英語の力の差が大きすぎて恥ずかしい思いをしていま
才木京香
した。ディスカッションの後に連絡先を交換したり、写真を撮
ったりしました。中国の学生に「sorry without as speak
中韓ワークショップで学び、日本に帰って来てから私自身、
English well…」とメッセージを送りました。中国の学生から
の返信には「I am glad to receive your reply. Actually,
変わったことが多くありました。
まず、もっとアジアについて学びたいという思いが大きくな
your English is not too bad, so far as I am
りました。必修科目ではないけれど、韓国語の授業を受けた
concerned, English is a tool that people use to chat,
り、違う学部の先生の開講する、「アジアを知る」という講義
if we can understand each other, that is enough.」
を受講したり…。それらも私の中で大きかった出来事でした
とありました。ディスカッションの時、わたしは英語がうまく話
が、もっと大きかったことは、日本に帰って来てから留学生
のための支援や企画をする団体に入ったことです。キャンパ
スアジアと WAWA の二つ入りました。私がこの二つの団体
に入った経緯は、家の事情で長期の留学はできないけれど、
せめて日本に来た留学生のサポートを通して、留学生支援
がしたいと思ったからでした。加入してから初めてのイベント
が“ホームカミングディ”で、先日開催されました。誰も知り合
いがいない中に参加するのは少し不安でしたが、準備段階
からお手伝いさせていただきました。キャンパスアジアの事
 43 
せなさ過ぎて、確実に迷惑をかけていたのに…。このような
中国、韓国それぞれと日本との関係について、大学生
言葉を送ってくれたことがすごく嬉しかったです。中国でも使
や現地の先生と議論しました。歴史問題や政治問題など
えるチャットをするツールを使ってこれからも連絡をとりたい
を主に議論しました。私はマスメディアを通してよく中国や
と伝えると「If search my number and add friend, we
韓国の反日運動を見ていました。マスメディアは特性、能
can chat more to know each other to develop our
力的にすべてを伝えることが困難であると思います。だか
friendship and improve our English ! 」とメッセージを
ら、私は、どのマスメディアについても情報を得る当初は
送ってくれました。今でもメッセージのやり取りは続いていま
懐疑的なものの見方をするように心がけています。中国
す。お互い英語でメッセージを送りあっているので、わたしの
や韓国に対する日本の報道は中国、韓国の断片的な情
返信は彼よりかなり遅いですが、楽しく英語を学べている気
報であり一部の目立つ情報だけなのではないだろうか、
がして嬉しいです。
それとも全体的な傾向を示す事例の一つなのかと、行く
『東アジアの共通善の実現を考える上で、日本について
前は疑問に思っていました。正直なところ、中韓 WS に参
再帰的に省察し、日本が取り組むべき課題について自由に
加して今考えてもまだわかりません。なぜなら、私は中国
述べなさい』普通、この言葉を聞いて、他の中韓ワークショッ
や韓国の一部にしか行っていません。また、これは人そ
プのメンバーは中国の産業や戦争、歴史の日中韓のつなが
れぞれ違う思いを持ち簡単にわかることのできない問題
りに関してレポートを書くだろうし、先生もそのような内容を
であります。しかし、私の会った中国や韓国の学生、先生、
書くと予想していたと思います。しかし」、わたしはこの言葉
社会人は日本と仲良くしたいという人が多かったです。韓
を目にして、“人とのかかわり”がすぐに頭に浮かびました。
国では電車に乗っていた時、おじさんから国家間が仲良
過去の戦争の問題も、これからの産業の発展も、政府間の
くないだけで国民は仲良くしたいと思っていると言われま
仲も、一番大切なことは人との関わりなのではないでしょう
した。限定的な体験でしたが、行く前に思っていたよりは、
か。すぐには世界の人と関わることはできないけれど、ここ
そこまで国民全体が反日という印象は感じなかったように
岡山大学にきている留学生とかかわるだけでも、一歩踏み
思われました。
出せると考えています。
中韓 WS 最終レポート
新井
斉泰
私は将来、世界に貢献できる人になりたいと思ってい
ます。だから、外国に興味があり自分の知らない価値観
や社会を知り、様々な人と会ってみたいと思っていました。
私が大学生活で大事だと思うことの一つは、新しい経験
をたくさんするということです。様々な経験を積むことが将
来生きる上で役に立つからです。そこで、世界全体を見
渡せる、広い視野と深い思慮、教養を獲得する第一歩を
踏み出したいと思い、この中韓ワークショップに応募しま
した。
 44 
中国では、国家間の問題を話し合うとき、中国人学生
はあまりそのことに深くふれたくないように感じました。日
中韓の国家間の問題は、きわめて難しい問題であると思
と共通善の認識を通じて、双方の納得できる着地点を見
出すことが可能になり、緊張の緩和、持続的な友好関係
の構築が実現すると信じています。
います。具体的に取り上げるとたくさんありますが、その
際に、この授業のテーマである共通善という考えが役に
立つと思います。共通善とは簡単にいうと双方にとって共
通しての善いことです。この共通善を授業でさらに自分な
りに考えました。共通善が何かを模索するために互いの
国の価値観や文化などの違いと、共通していることをきち
んと認識します。その違いの根本を考え、議論するかこと
中韓ワークショップ最終レポート
が大事であると思います。そして、双方が納得できるよう
な打開案や改善案を模索して導き、または互いの理解し
板野壮志
てもらえない考えを知ってもらうようにすることによって、
着地点を見出すことができるといます。
韓国と中国と日本の三カ国の関係をより良くするための
これらは、相手国の人がいてできる双方向のことだと
共通善には何が必要か、そしてマスコミが伝える情報は
思います。しかし、今の学生である私が、日常生活におい
正しいのか、ということを考えるためにこのワークショップ
て一人でできることはないのでしょうか。韓国では成均館
に行かせてもらいました。
大学の先生は私たちにできることは何もないといっていま
した。私は、初めはそうかもしれないと思っていましたが、
少し違うような気もします。たしかに、現時点では私たち
は何もできない無力な孤立した存在です。しかし、今は自
分自身のために勉強することができます。勉強して、深い
ニュースや新聞から通してみる韓国と中国はあまりよく映
っていなかっただけに特に気になっていました。中国は広
大で歴史が長く経済大国であり、韓国は美味しい食べ物
が多く礼儀正しい人が多いというイメージを持っており非
常に楽しみでした。
教養を修得し、世界を見渡すことができるような視野を身
「共通善」という考え方は大学に入り、キャンパスアジアの
につけることできると思います。そのことによって、将来的
プログラムに参加して初めて聞いた言葉なので馴染みの
には、社会に役立つ影響を与える人間になれると思いま
ない分、共通善について考える時間が多かったように思
す。政治家や文化人、ビジネスマンなどになれば国家間
えます。事前学習で中国や韓国のこと、訪問先のことを
の共通善に直接影響を与えることが可能になります。一
国民でも正しいと信じる信念のもと選挙という手段で、間
接的には影響を与えることができると思います。
学ぶことで実際に訪れたときの感動と得られる知識が多
かったと実感しました。今までは旅行のように巡ることし
かしていなかったため、事前学習の大切さと学ぶことの楽
しさを痛感しました。
日本や中国、韓国はどの国も平和と安定した社会を望
んでいると思います。しかし、現状では自国の譲れない国
今後三カ国の架け橋になりたいと期待を胸に出発しまし
た。
益をそれぞれが主張し守ろうとして、困難な問題や軋轢
が生じていると思います。これを打開することは、きわめ
て困難な課題だと思います。しかし、困難な課題だからこ
そ、政治家だけでなく経済人、一般市民が、多面的情報
中国で日本語は通じず、英語も少ししか通じなかったこと
が驚きでした。しかし、ジェスチャーや筆談をしてお互い
の話したいことを伝えようとすると、なんとか意思疎通を
することができました。自分の言いたいことを伝えようとす
や体験に基づいて共通善を積極的に考えることが必要に
る姿勢と相手の伝えたいことを理解する姿勢があれば、
なっていると思います。そして、あらゆるレベルでの交流
言語の壁があったとしても意思疎通を図ることができるの
 45 
だと感じました。また、ニュースで見たことがある、アメリカ
なかったために驚きました。今回はペアの人が対応してく
が開発したというヘリコプターのような玩具が空港で売ら
れて助かったのですが帰国後では勉強しています。
れていたり、センサーを駆使して動く車が売られていたり、
中国ではカルチャーショックを感じる機会が多かったです。
とても興味深い玩具が数多くありました。
お皿やコップが少しぬるぬるしていたり、トイレットペーパ
韓国では日本語も英語も話せる人の多さに驚きました。
ーが流せなかったり、コンビニの商品がすでに開けられて
日本語を話せる韓国人が多いという背景に、韓国併合の
いたり、食べ物の山椒が効きすぎていてとても辛かったり。
時期があったことと隣国であり美容コスメが発達している
最初の日は抵抗感があるのですが、だんだんと慣れてい
ため日本人が旅行する割合が多いことが関係しているよ
き楽しめるようになりました。固定観念が和らぎました。と
うに思えます。道に迷ってしまい、制服を着た学生に聞く
ても面白い体験でした。
と日本語が少し話せて案内をしてくれました。日本語が使
える人の多さに驚きました。大手の会社では TOEIC が何
出発前に事前学習を通して学び、実際に現地に訪れるこ
点以上ないと応募資格がないなど、少し日本と似ている
とは感じることが多く様々な発見があり疑問が生まれてま
点がありました。
た考え、という繰り返しをしました。そして、帰国すると日
本と韓国と中国の違いを新たに見つけています。日本か
中国と韓国の両方でジャニーズや漫画など日本の文化
ら離れ、中国と韓国にいたときには日本のことを、帰国し
のことが好きな人たちは日本のことを好意的に感じてい
てからは中国と韓国について考える機会が多くなってい
たようです。相手について興味があれば関係を良好にし
ます。今後もこのように考え続け、さらに良い共通善を見
やすいように感じます。
つけていこうと思います。
韓国で地下鉄に乗っているとき韓国人の年配の方に、
「今政治の面では日本と韓国は仲がよくない。しかし、個
人個人で交流する上では政治問題は関係ないからね。
韓国を楽しんでね。」と日本語で言われました。優しい言
葉にとても嬉しくなりました。
次に、それぞれの国の人と話していて双方に関係してい
る歴史について知っておかなければ失礼になると知りま
した。私は今まで歴史には関心がなく、必要性も感じてい
日本の課題
泉
利永子
中国・韓国の短期留学を通して,まず,私の考える共
通善とは「互いにコミュニケーションをとり,技術の共有を
すること」だと思いました。
まず,私がこの留学で強く思ったことは英語を学びたい
ということです。中国では吉林大学の学生さんとディスカ
ッションをとる機会がありました。同じ歳の女の子とディス
カッションをしましたが,その子たちはとても英語をスラス
ラと話すことができていました。それに比べて私はもともと
英語が苦手なこともあり,全く話すことができませんでし
た。言いたいことも言えず,全くコミュニケーションをとるこ
 46 
とができず,言葉の大切さを改めて実感しました。言葉が
し,技術を売りだしていく必要がまずあります。税金が高
通じないとは意志が何も伝わらないということだからです。
い件に関しては,今現在進められている TPP に期待が高
また私は,英語は TOEIC やテスト勉強の為に勉強してき
まります。TPP 対策により関税がなくなることで税金の高
たため,文法にこだわる癖があり,いざ英会話をしろと言
騰が抑えられるからです。また,韓国はハイブリットカー
われたらどうやって話せばいいのか分かりませんでした。
がほとんどなく,ハイブリットカーを輸出することによって
しかしこれは私だけでなく,日本の学生全体に言えること
日本車のシェアが広がると考えられます。これを機に日
だと思います。なぜなら日本は会話をする為の英語では
本車が広まり,それに伴い日本車の良さも広まれば問題
なく,勉強をする為の英語をしているということが否めな
点を解決することができると思います。
いからです。本来英語とはコミュニケーションをとる為の
このように,技術の共有をすることで互いの国にメリット
手段であるのに手段の目的化となっていることから,日本
があり,経済発展を見込むことができます。そして,その
は教育体制として英会話を取り入れるべきだと思いまし
技術の共有をする根本的なところにコミュニケーション問
た。こうすることで,言語の壁を越え意思伝達が可能にな
題があります。よって日本の今後の課題として,英語を勉
り,さまざまな可能性が広がると思います。そのため,こ
強の為だけに学ぶのではなく英会話もできるように教育
のことはすべての共通善の基盤になることだと思いまし
方針を立て直すことと,日本の持っている技術の良さを共
た。
有し国際化を図ることで経済発展につなげることが挙げ
また,もう一つの共通善として「技術の共有」です。中国
でトヨタ自動車の視察に行き,トヨタもグローバル化してい
られると思いました。これらの問題点を解決することで私
の考える共通善を実現させることができると思います。
るということを改めて実感しました。客観的に見ても,自動
車技術に関してやはり日本は世界の中でも高い技術を持
っていると思います。しかし,中国・韓国では日本車を思
いのほか見かけることがありませんでした。中国でよくみ
かけられたのはフォルクスワーゲンでした。この理由とし
て中国は合弁企業の第一汽車と早くから提携を結んだこ
とがあげられます。でも日本車も性能が良く人気だと言う
ことを聞きました。日本車の台数は少ないとしても人気と
のことから,日本はさらに積極的に中国に販売していけ
ば良いと思います。また中国は大気汚染の深刻化が問
題となっているので,ハイブリットカーや,燃費の良い自
動車の技術を売っていけば良いと思いました。ほかにも,
日本と違い工場の機械化が進んでおらず,ほぼ手作業で
行われているということから機械化への手助けをするの
も良いと思いました。反日影響で売り上げ台数は落ち込
んでいるようですが,合弁企業の中国としては日本の技
術が欲しいだろうし,日本も日本車をもっと海外に輸入し
ていきたいし互いに利益が生まれると思います。一方韓
国ですが,韓国では中国以上に日本車を見かけることが
ありませんでした。この理由として,税金が高い,ブランド
性が広まっていない,国産車の方が安くて有利,日本車
の良さが分かっていない人が多いなどがあげられます。
これらの問題を解消するには,やはり日本車の良さを押
 47 
て実感した。韓国の方は国を守るという意識が高い。また、
現地のガイドさんが韓国と北朝鮮の仲の回復を望んでい
中韓WSを通して
て、平和を誰もが望んでいるのではと感じた。
次に、コミュニケーションの大切さである。ワークショップ
樋本栞
では、多くの場所でコミュニケーションが必要とされた。私
は話すことが苦手で、ましてや言語の壁があるので不安
今回の中韓WSではたくさんのことを、学ぶことができた。
で仕方なかった。吉林大学の学生との交流では、英語が
まず、中国韓国の歴史背景である。私は、高校生のころ
必要とされた。海外の学生と英語で会話するのは新鮮で
日本史をとっていたので、ある程度は分かっているつもり
おもしろかった。しかし、言いたいことはあるのに英語でど
だった。しかし、私が学んでいたのは日本側からみた歴
のように訳せばいいか分からなくて、うまく伝えることがで
史だけであった。印象に残っているのは偽満州博物館で
きないことが多々あった。そんな時は身振り手振りで表現
ある。溥儀がラストエンペラーであり、満州国に関わる重
して、先輩に手伝ってもらった。伝わった時は、本当に嬉
要な人物だけしか分からなかった。博物館は歴史を感じ
しかった。学生も真剣に聞いてくれた。セッションではすべ
させないほど綺麗で広かった。溥儀が逃げた時刻が刻ま
て英語で正直聞き取ることに精いっぱいだった。そんな中
れた時計、病気で長いのでトイレ皇帝と呼ばれたこと、妻
でも、先輩方は英語で質問して、意見を述べていた。英語
が4人もいたことなどさまざまなエピソードがあって驚いた。
を聞き、自分の意見を述べること私にはできないことだ。
北緯38度線も印象に残っている。行く前は、厳重に警備
交流、セッションを通して思ったことは自分の英語力の乏
されていて危ないのではないかと思っていたが、訪れると
しさである。英語を勉強して会話したいと思った。同時に、
観光名所みたいであった。数キロ先に敵がいて戦争が起
言語ができなくても伝えようとする意識が大切なのではな
こるかもしれない状況、韓国に兵役制がある意味を改め
いかと考えさせられた。そして、コミュニケーション=積極
性であることも実感した。事前学習のころからチームでの
先輩方の意見、感想に圧倒されていた。私は、今まで聞く
だけの立場であって自分から意見を述べる機会があまり
なかった。それだけでは、いけないと思えた。これからは、
積極的に自分の意見を言えるようにならなくてはと思っ
た。
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お世話になった
先生のアルバム
今回のワークショップでお世話になった先生方の
感謝の気持ちをフォトにしてみました
ワイルドです、大林先生。
わんちゃんの話で盛り上がりました、大林先生
変顔得意です、ジョンミンさん
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ピシッとスーツ、小野先生
面白く、頼れて、時に厳しい(日々のレポート・・・)
そんな先生達との7日間でした。
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2014 中韓ワークショップ文集
岡山大学キャンパスアジア
2014 中韓ワークショップ文集編集委員会
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