595 1 1 三月革命(二月革命)

11 ロシア革命
1
○ 三月革命(二月革命)はまだ社会主義革命でない
1
大戦下の国民生活の困窮 → で食料と平和求めるデモ
2
→ 各地に労働者・兵士の が成立
=
→ ロマノフ朝が崩壊‐
‐ニコライ 2 世廃位
4
3
→ が成立
5
レーニンが亡命先から帰国 →四月テーゼ−「すべての権力を へ」
6
7 月,臨時政府で が首相に
(社会革命党右派)。戦争なお継続
→ 戦争停止を主張したボリシェヴィキの支持者が増加
○ 十一月革命(十月革命)は初の社会主義革命
レーニン,トロツキーら,ボリシェヴィキが武装蜂起
→ ケレンスキー政権打倒
→ 新政権を樹立= 7
→「平和に関する布告」,
「土地に関する布告」
8
無併合・無賠償・ の和平を訴え
ウィルソンが十四か条の発表へ
○ レーニンが力ずくでソヴィエト政権樹立
憲法制定議会− が圧倒的第一党
9
→ ボリシェヴィキが武力で解散
10
→ ボリシェヴィキ一党独裁へ−のち と改称
11
:ドイツと講和。大戦から離脱
外務人民委員トロツキーが交渉
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第 6 章 現代世界の展開
○ 革命への妨害が内からも外からも
内部:帝政派らが「白軍」を形成し抵抗
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外部:対ソ干渉戦争開始−−英・仏・日・米が出兵−− の救出が名目
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※日・米・中は −日本は最後まで撤退せず非難浴びる
○ ソヴィエト側はこう対処
赤軍(赤衛軍)を組織−トロツキー
チェカ(非常委員会)を設置−反革命者を摘発
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−徹底した国有化・国営化。穀物の強制徴発 → 生産力激減
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結成:第 3 インターナショナルとも。世界革命をめざす。
○ 一応の落ち着き−−「ソ連」成立へ
ネップ採用
小規模な私的経営,余剰農産物の販売を承認,穀物の強制徴発を廃止
→生産力回復 ※資本主義を一定程度復活
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17
→ (富裕商人)や (富農)が出現
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11 ロシア革命
◆ 展望 :1917 年,世界初の社会主義政権が誕生し,まもなくソ連が成立する。ここから約 70 年後, 1989 年にベ
ルリンの壁が崩れ, 91 年にソ連が崩壊するまで, 20 Cの大半は社会主義と自由主義との対決の時代と
なる。その開始がここである。
1 三月革命と十一月革命
① 革命へ到る道:大戦継続による国民生活の苦境(外国資本の引き揚げ,労働条件の悪化,輸送体系の麻痺によ
る都市の食糧危機の深刻化)→ 労働者・兵士らの革命気運が増大。
※中央アジア諸民族の蜂起:革命が起こる前年の 1916 年,ロシア政府がイスラーム教徒らに軍事施設など
での動員を強制したことに対し,多数が蜂起し,その影響は広範なものとなっ
た。これは体制崩壊の予兆的意味を持つ。
② 三月革命とその後 ※ロシア暦では二月革命(ユリウス暦使用のため)。
三月革命(二月革命)
:1917 年 3 月,食糧危機の首都ペトログラードでストライキ・暴動。
※首都名は 1914 年,第一次世界大戦勃発に伴いペテルブルクから改称。
→ 各地に波及 → 労働者・兵士がソヴィエト(評議会)を組織 → ニコライ 2 世が退位(ロマノフ朝崩壊)
→ 臨時政府が成立 → ソヴィエトとの二重権力へ。
二重権力(ソヴィエトと臨時政府の並存)
ソヴィエト:社会革命党左派とメンシェヴィキが主体。
臨時政府:立憲民主党(ブルジョワ自由主義)が中心。社会革命党右派も協力。
戦争継続方針をとり,民衆の反発を買う。
※この段階でレーニンは亡命中で,ボリシェヴィキは無力。三月革命はブルジョワ革命的な性格を持つ。
レーニン帰国:1917 年 4 月,敵国ドイツが用意した「封印列車」により,亡命先のスイスから帰国。
『四月テー
ゼ』を発表(ボリシェヴィキの基本方針を提示)
‐
‐
「すべての権力をソヴィエトへ」と主張(臨
時政府を否認)。以後ソヴィエト内での勢力拡大に努める。
ケレンスキー政権:社会革命党右派の彼が首相に就任し,戦争もなお継続した。同年 9 月,コルニーロフ(反
革命派の将軍)の反乱が発生したが,この鎮圧にボリシェヴィキが貢献し,ボリシェヴィ
キの勢力は拡大した。
③ 十一月革命 ※ロシア暦では十月革命。
1917 年 11 月 7 日,レーニン,トロツキーの指導下にボリシェヴィキが蜂起し,臨時政府崩壊。ケレンスキー
が米へ亡命し,ボリシェヴィキ政権が成立した。世界初の社会主義革命が実現。
※臨時政府の敗因は,基盤とすべきブルジョワの未成熟と反民衆性(戦争継続で民衆は疲弊)。
1917 年 11 月 8 日,全ロシア=ソヴィエト会議で新政府成立を宣言 → 人民委員会議を創設‐
‐議長レーニン,
外務人民委員トロツキー,民族人民委員スターリン。
そこで以下 2 つの布告を公布した。
「平和に関する布告」
:無併合・無賠償・民族自決の和平を訴えた。
※民族自決:この語はアメリカのウィルソンを刺激し,十四か条発表へつながった。
「土地に関する布告」
:土地私有権を廃止(地主の土地を没収し,公有化)。
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第 6 章 現代世界の展開
⇒ 1 の総括:三月革命はブルジョワ革命的な性格。その後レーニンの強力な指導で十一月革命が起こり,
ここに世界最初の社会主義政権が成立した。
2 諸外国との戦い。ソヴィエト連邦の成立
① 体制固めへの苦闘:1917 年 11 月,憲法制定議会の選挙を実施(ロシア初の普通選挙)。その結果社会革命党
が第一党となる‐
‐ボリシェヴィキは大差で敗れ第二党。同年,チェカ(非常委員会)を
設立‐
‐反革命分子の摘発をはかる。 1918 年,憲法制定議会が開会 → レーニンらが武力
で議会を解散 → ボリシェヴィキ一党独裁体制を樹立。同年,ブレスト=リトフスク条約
(ドイツとの単独講和。外務人民委員トロツキーが交渉)
‐
‐広大な領土の放棄など不利な
条件を受諾(ポーランド,ウクライナ,フィンランドなどを放棄)。ここに大戦から離脱
した。同年,ボリシェヴィキはロシア共産党と改称し,首都をモスクワへ移転。 1919 年,
コミンテルン(第 3 インターナショナル)結成‐
‐各国の革命運動に対する指導機関で,
世界革命をめざした。
② 内外からの妨害とそれらへの対処
国内では白衛軍(地主・貴族ら)が反抗。
諸外国は対ソ干渉戦争を断行‐
‐チェコ兵捕虜の救出を口実に,英仏日米などが 1918 年から開始。
妨害
※シベリア出兵:諸国が行ったが,とくに日本は,諸国の撤退後の 22 年まで駐兵し,非難を浴びる。
この過程で 1920 年,尼港事件(ニコライエフスクでの日本人虐殺事件)に遭遇した。
ソヴィエト政府軍の支配地域
英仏
英仏
ペトログラード
チェコ兵捕虜の支配地域
日本軍占領地域
外国軍・反革命軍の軍事干渉
アルハンゲリスク
モスクワ
ニコライエフスク
英仏
(1918 ∼ 20)
バクー コサック
シベリア
日
(1918 ∼ 22.10.25)
日
ウラジヴォストーク
イルクーツク
ハルビン
英仏
(1918, 1919)
米
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11 ロシア革命
赤衛軍(赤軍)を組織‐
‐トロツキーの尽力で近代化。
戦時共産主義(1918 ∼ 21)を施行‐
‐企業の徹底した国営化・国有化,農民からの穀物強制徴発。しか
対応
し,これは労働者・農民の生産意欲を失わせたため,生産力の大幅低下を招き,食料不足を引き起こ
した。
ネップ(新経済政策)に転換(1921)
‐
‐穀物強制徴発を廃止。中小企業の私的経営や,農民の余剰生産
物の自由販売を承認し,生産意欲を刺激した。これは資本主義経済への一部譲歩であり,生産力が回
復した。
③ 諸国のソ連承認
1922 年,ラパロ条約‐
‐ドイツがソ連を承認(世界最初のソ連承認)。同年,ソヴィエト社会主義共和国連邦が
成立‐
‐当初はロシア,ウクライナ,白ロシア(ベラルーシ),ザカフカースの 4 共和国で構成。
1924 年,ソヴィエト社会主義憲法制定(36 年のスターリン憲法制定まで存続)。
同年,イギリス(マクドナルド労働党内閣)
・イタリア・フランス(エリオ左派連合内閣)
・中国がソ連承認。
翌 25 年には日本が承認。
※英ソ通商協定:1921 年,イギリスはいち早く対ソヴィエト経済封鎖を解いていた。
※アメリカのソ連承認:世界恐慌に苦しんでいた頃の 1933 年,フランクリン=ローズヴェルト政権による。
恐慌の影響を受けないソ連との経済交流を強め,アメリカ人のソ連への出稼ぎが行
われた。なお同年,日・独が国際連盟を脱退したことも関係した。翌 34 年にはソ連
の国際連盟加盟も実現している。
⇒ 2 の総括:諸国の妨害活動に対抗しながら,ロシア共産党一党独裁のソヴィエト連邦を樹立。ただし
戦時共産主義は失敗し,資本主義への譲歩であるネップへ転換。
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第 6 章 現代世界の展開
問1 三月革命(二月革命)とその直後の状況について述べた次の文のうちから,正しいものを一つ選べ。
(a) 血の日曜日事件を起こしたロシア政府への不信感が直接原因となっておこった。
(b) 皇帝ニコライ 2 世が退位し,約 400 年継続したロマノフ朝が崩壊した。
(c) 臨時政府が成立し,自由主義的傾向の強い政党が主導権を握った。
(d) 労働者が組織したソヴィエトでは,ボリシェヴィキが優勢だった。
問2 レーニンの行動について述べた次の文のうちから,正しいものを一つ選べ。
(a) 三月革命(二月革命)後,亡命先から帰国し,社会革命党の党勢拡大に努めた。
(b) 四月テーゼを発表し,臨時政府の権力を強化すべきと訴えた。
(c) 十一月革命(十月革命)を指導し,事実上の政府である人民委員会議を創設した。
(d) 米大統領ウィルソンの十四か条の原則にならって民族自決の実現を唱えた。 問3 十一月革命(十月革命)後のボリシェヴィキないしソヴィエト政権が行ったことについて述べた次の文のう
ちから,正しいものを一つ選べ。
(a) 憲法制定議会の選挙の結果,ボリシェヴィキは圧倒的勝利を収め第一党となった。
(b) 反革命の動きを摘発する目的で,コミンテルンを結成した。
(c) ボリシェヴィキは共産党と改称し,首都をモスクワからペトログラードへ遷した。
(d) ドイツとブレスト=リトフスク条約を結び,ウクライナなど広大な領域を放棄した。
問4 対ソ干渉戦争とロシアの対応について述べた次の文のうちから,誤りを含むものを一つ選べ。
(a) 第一次世界大戦中にロシアの捕虜となった兵士の救出を口実に,干渉戦争が行われた。
(b) 日本のシベリア出兵は,日本人が大量に殺害される事件を招く結果となった。
(c) ソヴィエト政権は戦時共産主義を打ち出し,一時的な企業経営の自由を承認した。
(d) トロツキーが指導・育成した赤衛軍は,干渉戦争への対抗に重要な役割を果たした。
問5 1920 年以降のソヴィエト政権,もしくはソヴィエト連邦に関連して述べた次の文のうちから,誤りを含むも
のを一つ選べ。
(a) レーニンは,企業の国営化を徹底させるために,ネップ(新経済政策)を打ち出した。
(b) ドイツはラパロ条約を締結することで,世界史上初めてソヴィエト政権を承認した。
(c) イギリスは,イギリス史上初めて成立した労働党政権のときにソ連を承認した。
(d) アメリカは英・仏両国とは異なり, 1930 年代になるまでソ連を承認しなかった。
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