『ロマノフ王朝と世界遺産サンクトペテルブルク』 大きなロシアが一気に身近

時
習
サ
ロ
ン
『ロマノフ王朝と世界遺産サンクトペテルブルク』 大きなロシアが一気に身近に!
~折しもソチ冬季五輪の真最中~
講師 中神 美砂 氏(時習 25 回)
2月 22 日(土) 渋谷アットビジネスセン:ターにて
「朝はソチオリンピック、昼はロシアの講演とロシア料理、家に帰ってまたオリンピック、とロシア三昧の一日になりそうです。」
司会は元NHK(アナウンサーではない)で、先回に続いて今回も幹事学年の 23 回生・清水義則氏。連日深夜早朝まで日本選手の「涙の」活
躍などが続く二月の大安吉日、ソチ・オリンピック開会式の放送で同時通訳もされ、NHKワールドニュースのロシア語通訳でも御活躍の講
師、中神美砂さんの紹介がなされた。参加者は 32 名。
◆講師プロフィール◆
大阪外国語大学ロシア語科卒業、東京外国語大学大学院博士学位取得。現在、通訳・翻訳家、東京工芸大学非常勤講師、ロマノフ王朝に
関する文化講座を各種文化センターで開設。
◇著書『ロシア初の女性アカデミー総裁』 『礼譲たちの知的生活』
「ロシア関係の講師と通訳の仕事によって、とても数多くの、しかも様々な人との出会いと交流のできているのが、一番の宝物となって
います。」
1.ロシアとサンクトペテルブルク市について
〈ロシアの特質〉
ロシア連邦は州・共和国等 83 の構成主体から成り、異なる多くの言語が使われているが、ロシア語一つですべてが通じる。しかもロシア
語には方言がほとんどない。たとえば、モスクワ МОСКВÁ は「О」が軽い発音で“a ”となり「マスクヴァ」と発音されるが、地方により
“0 ”のままで「モスクヴァ」となる違いぐらいだ。
【ロシア文化を形作る四つのファクター】
① 広大な大地 休日には郊外で豊かな時を過ごす人たちの多い、うらやましい国民。
〈パワーポイントでロシアの多くの人々が原風景とし
て抱く動画を上映=広い草原を一人の少年が元気に走る。草原は斜面となり、やがて丘を越えると、行く手下方に大河が流れるのが見
え、少年は高台にすっくと佇む……。〉
② ロシア正教を 998 年に受容 これはヨーロッパに仲間入りをしたかったから。東方正教会の十字架の図は「☦」で、十字の上と下にイ
エス磔刑時の頭部と足台を示す線が付いている。
③ ヨーロッパ文明の影響
④ 両極性
特に 18 世紀。
ロシア帝政とロシア革命(農奴制から社会主義へ)。ソ連邦崩壊から新しいロシアへ(社会主義から資本主義へ)。――哲学者
ベルジャーエフ「ロシア人は二極性の民族である。」
○「どうにかなるさ」が言い癖の、明るく楽観的な精神風土がある。これが並はずれた忍耐力と結びつくと、目的のために長時間長い行列
に並ぶことのできるのはロシアの人たちだけではないか、と感じさせる光景となる。――詩人チェッチェフ「ロシア人は普通のものさしで
は測れない。
」
〈世界遺産を効率よく見学して回れるサンクトペテルブルグの街並み〉
都市計画がしっかりしていて、歴史地区は高い建物や障害物がなく広々と見渡せる。街を縦貫する大通りとネヴァ河・運河沿いに多くの
世界遺産の建物群が並んでいるので、中に入らなければ、ゆっくりと大通りを散歩できる。日本の京都のような古都と思い、ゆっくり巡っ
ていただければ。
ロマノフ王朝の近代化の祖であるピョートル大帝が自分と同じ名の聖人ペテロにちなんで 1703 年サンクトペテルブルグと名付けた。ロシ
アの海への出口=ヨーロッパとのつながりを求めて造った街、つまり近代化を象徴する街となった。のちに政治体制により 1914 年にペトロ
グラード、1924 年にレニングラードと名を変えたが、1991 年に元の名に戻った。現在の人口は約五百万人。
《講演の終わりに、時間の許す
限り、写真等によって、東京に居ながら世界遺産の街の散策・ご案内をいたしましょう》
2.ロマノフ王朝(1613~1917)について
三百年にわたる王朝を、歴史を動かした人物中心に、肖像画と建造物の写真を交えての講話だった。転換点のインパクトと、21 世紀に見学する際
の見所が示された。さすが専門家のお話は、近くて遠く感じられるロシア王朝の真の姿を、美醜ともに描き出し、我々に未知のロシアの華を教えてく
れた。
<創始者ロマノフ帝の頃の肖像画は戯画風(トリスのラベルのよう)、以降しだいに人間らしくリアルになる>
★注目は 18 世紀四代にわたる女帝の時代。これはロシアにしかないことで、またドイツ人の女性が多いこと。ゲーテの、すべて女性なるも
のへの憧憬と讃辞が女帝には当てはまりそうだ。
ソフィア・アレクセーヴナ〔在位=以下同:1682~89〕 フョードル3世に対し摂関政治を執る。帝並みの権力、だから肖像画は目をむい
た恐い顔の絵が残る。のちピョートル大帝との権力闘争に敗れ、修道院(当時は要塞でもあり、牢獄でもあった)に送られた。
ピョートル1世(大帝)
〔1682~1725〕
モスクワの旧勢力に対抗し、ヨーロッパへの窓の必要性からサンクトペテルブルグを建設。新しい考え方をする2m近い身長の大男で、
イギリスの女帝からは、粗暴な行動から「北方の熊」と呼ばれた。海への出口を求め、北はスウェーデン、南はトルコと戦った。海軍の必
要性を感じたピョートルは、オランダの造船所で名と身分を隠し働いたこともあった。
♣(この印は残した建造物を示す=以下同)青銅の騎士像……プーシキンにより擬人化。馬が後ろ足2本で立つのがすばらしい。
♣ペトロパブロフスク要塞……122mの鐘楼が聳える。前期バロック様式で、歴代皇帝の墓所となる。
♣ペテルゴフ宮殿と噴水庭園……庭園に旧約聖書の王サムソン(ピョートル大帝を示す)が魚(スウェーデン)を退治している像がある。後
期バロック様式。
エカテリーナ1世〔1725~27〕
女帝の初め。元々身の回りの世話をしていたのが、ピョートル大帝の二番目の后となる。肖像画では気の強い田舎娘風だが、気性の激し
い帝と一緒に暮らすには適役。
★最初の二人の女帝は政治を一切せず、必ず貴族の後ろ盾が行った。ドイツの貧しい小国出身の女性が皇后となっているのは、妻の実家か
らの口出しをさせないためである。
アンナ帝〔1730~40〕
ピョートル大帝の血縁を帝にするため、バルト海の方から呼ばれた。
エリザヴェータ帝〔1741~61〕
ヨーロッパ一のきれいな女帝と評判、「抜けるような色白、明るい茶髪、青い大きな瞳、上品でダンスが卓抜。」芸術を重んじ、バレーを
ロシアで始め、芸術アカデミーを作り、ヴェルサイユに匹敵する文化とファッションの中心地を築いた。
♣エカテリーナ宮殿……母親エカテリーナ1世を記念。豪華な後期バロック様式、琥珀の間はすべて琥珀で作る。★後世に見事に復元した間
が現在見学できる。庭園は、彼女の時代は「フランス式整形庭園」(ヴェルサイユのように左右対称で、自然を支配する考え方)、エカテ
リーナ2世時は「イギリス式風景庭園」(思索するための庭。哲学・啓蒙思想)。
★宮殿見学で終わりとなりがちだが、ぜひ庭園も見学したい。なお、新宿御苑でもフランス式とイギリス式の小規模の庭園が見られ、参
考になる。
♣冬の宮殿(後のエルミタージュ)を建設。
♣スモーリヌイ修道院……エリザベータは修道院作りにも熱心。これが、のちにエカテリーナ2世により国立の初の貴族女学院となる。
ピョートル3世〔1762〕
名門の出だが人物としても男としても凡庸。ロシア嫌いで、プロシア大好きだった。
エカテリーナ・アレクセーヴナ(エカテリーナ2世)
〔1762~96〕
「気品と魅力にあふれ、歩けば威厳に満ち、振る舞いはきわめて優雅。」啓蒙君主として自由さを尊び、地方自治を進め、出版統制も自由化
し、自ら政治を行った。ドイツ公家の娘でロシアの血は一滴も流れていない。小エリュミタージュに絵画を購入、国力・文化水準を高めた。
(だがフランス革命が起こると、一気に反動に逆転、検閲制度を創設もした。)
♣エルミタージュ美術館……日本の美術館と違い、すぐ近く触れるほど(触るのは禁止だが)に王朝記念物、ピョートル大帝の金の玉座等が
見られる。エカテリーナ2世の個人コレクション(隠れ家=エルミタージュ)だった美術品を、1852 年という早きに一般にも公開した点
が素晴しい。
★ロマノフ王朝関連の物が超豊富。たくさんあるので「3時間で何を見るか」を決めて行った方がよい。また日本客向けガイドは近代の
ルノアールやカンディンスキーの方へすぐ向かう傾向があるが(有難がる?)、それらは日本の○○展で十分見られるから、ロマノフ王朝
関連を、ぜひじっくりどうぞ!
♣タブリーダ宮殿……寵臣ポチョムキンの功績を称えて建てた。
パーヴェル1世〔1796~1801〕
エカテリーナ2世が大嫌いで、帝位に就くとその後跡をひっくり返した。長男の帝位継承法を発布。(ドイツ人の賢婦人は教育・社会保障
を尊び、病院・孤児院等を創設。)
アレクサンドル1世〔1801~25〕
ナポレオンに勝利した皇帝(「戦争と平和」に登場)。ウィーン会議の「会議は踊る」も。
♣カザン大聖堂……戦勝祈願の殿堂。バチカンのサンピエトロ寺院をまねている。
♣アレクサンドルの円柱……勝利した皇帝をたたえ、宮殿広場に立つ。
ニコライ1世〔1828~55〕
♣参謀本部・凱旋
旋門…エリュミタ
タージュの向かい
いに建つ。ナポレオン戦争記念の、
、勝利の女神ニケ
ケの像。
♣イサーク寺院…
……当市で最大。古典様式。
★近くの「アス
ストリア・ホテル
ル」(ヒトラーも泊
泊まりたがった)は、宿泊は高い
いのでカフェでコー
ーヒーをオススメ
メ。プチホテルに
に泊まり三、
四日間でゆっ
っくり観光を。
アレクサンドル
ル2世〔1855~881〕
農奴解放を行
行い、民主化・改
改革路線で地方自治・教育制度を改
改良(女性の教育
育も)、解放皇帝と
と呼ばれた。支配
配層の抵抗で、七回
回目のテロ
で亡くなった。
教会……運河沿いの、色彩豊かなモ
モザイク芸術の粋
粋。皇帝を偲んで
で建立。
♣血の救世主教
このあと、アレ
レクサンドル3世
世〔1881~94〕
(父
父のテロで反動化政
政策をとる。)
・ニ
ニコライ2世〔18894~1917〕
(ロシ
シア革命で銃殺。日露戦争時
の皇帝)で王朝
朝は終焉を迎える
る。
3.渋谷ロゴ
ゴスキーでロシア料理を味わう
う
11
東急プラザ九
九階、オープンテ
テラス風大ガラス窓の明るい専用室
室を独占。
グルジア産ワ
ワイン・TAMA
ADAのグラスを片手に、本日参加
加最年長の 回生
生 河本義宣氏の
の発声で乾杯。酒
酒に弱い方にはこけももジュ
ースとクワーズ
ズ(ライ麦パンを
を発酵)を――ロシアで愛されてい
いる飲み物。
ピロシキに始
始まり、ビーツ(
(赤い根菜)とレタ
タスのサラダ、ウ
ウクライナ風ボル
ルシチ、ビーフスト
トロガノフ、ロシ
シアの黒パン、ロシ
シア紅茶、
ロシア風洋梨の
のババロアを、中
中神さんとの気さくな会話を交えて
ていただき、体の
の何分の一かはロ
ロシア風に変わりました。(山本 礼一)
2 月の渋谷に集い、先
先輩と後輩でともに豊
豊かな時を過ごした。
講師の中神
神さん
ロシアと王朝へ
への
情熱をた
たたえて語った 120 分