ぐ し も ぐ み な ぬ し こ ば や し け ○江戸幕府の直轄領 小田中村 小林家文書一括が市指定有形文化財に 指 定 さ れ ました も ん じ ょ い っ か つ 8月 日 に 開 催 さ れ た 中 野 市 文 化 財保護 審 議 会 の 答 申 を 受 け 、 同 月 日開催 の 中 野 市 定 例 教 育 委 員 会 で 議 決 さ れ た た め、 同 月 日 に 小 林 家 文書一括(946点)が中野市指定 有形文 化 財 に 指 定 さ れ ま し た 。 ん ○小田中村の名主 小林家 ね か ん え い げ ん ぶ ん か い さ い も く ろ く ぶ ん せ い わりつけじょう ていましたが、小林家文書の年貢割 付状・年貢皆済目録から当時の年貢 納入の具体的な様子が分かります。 江戸時代中期以降、 小田中村では、 名主の選任や用水問題などによっ て、上組・下組の分離・合併を繰り 返してきましたが、その際の取り決 めなどから当時の村内の様子がうか がえます。 また、八ケ郷用水の下流に位置す る小田中村・更科村が、上流の中野 村枝郷栗和田・松川村に対して、畑 を田に転換すると水量が不足すると して、中野代官所に訴えている資料 なども残されています。 ○中野市の歴史を考える上で 貴重な文書群 も ん じ ょ ぐ ん 『信濃史料』 『長野 小林家文書は、 県史』 『中野市誌』 『小田中区史』な ど を 刊 行 す る 際 に 利 用 さ れ て お り、 早くからその存在を知られていた 文書群です。 中野市域には、江戸時代初期の資 料はあまり多く残されていません が、小林家文書には江戸時代初期の 年貢関係資料がまとまって残されて いること、小田中村や周辺の村々に 関わる資料が残されていることなど から、中野市の歴史を考える上で貴 重な文書群です。 問い合わせ先 生涯学習課文化財係(豊田支所内) ☎3112 周年記念 22 広報 なかの 中野市合併 広報クイズ ■今月のプレゼント 「南水(和梨)とラ・フランスセット 5㌔」…2人 問題 中野市音楽団体連盟に加盟し ている音楽団体はいくつ? 「●●団体」 クイズの答え、住所、氏名、年齢、 電話番号、世帯主名を記入の上、今 月の広報で参考になった記事、今後 知りたい情報などをはがきに書いて、 次の宛先までご応募ください。 締め切り 月 日㈮必着 ※当選はプレゼントの発送をもって (住所記載不要) 中野市庶務課 秘書広報係 住所・氏名・年齢・ 電話番号・世帯主 行 答え・・・「5200㌧」 先月号の答え 中野市のぶどうの収 穫量は? 代えさせていただきます。 30 2015.10 10 10 24 小林 家 は 、 江 戸 時 代 に 高 井 郡 小 田 中 村 下 組 の 名 主 を 務 め て い た 家 で、 年貢関係をはじめ、小田中村や周辺 の村々 に 関 わ る さ ま ざ ま な 資 料 が 多 く残さ れ て い ま す 。 小田中村は、中野扇状地の南西部 に位置し、江戸幕府が設置した中野 陣屋がある中野村に隣接する村で す。寛永元年(1624)以降、一 時期を除いて江戸幕府の直轄領(幕 府 領 ) で、 元 文 4 年( 1 7 3 9) に は 戸・ 3 4 1 人、 文 政 年 ( 1 8 2 9) に は 1 2 0 戸・ 5 4 9 人の人々が暮らしていました。 明治 年(1889)には、明治 の大合併によって下高井郡日野村の 大 字 と な り、 明 治 年( 1 8 9 4) には日野村から分離して、下高井郡 中野町の大字となっています。 ○江戸時代の年貢納入の様子 や村の変遷がうかがえる 12 年貢関係では、年貢割付状(領主 が村を単位として発給する年貢徴収 状 )・ 年 貢 皆 済 目 録( 領 主 か ら 村 に 発給する年貢完済の受取状)が江戸 時代初期を中心にまとまって残され ています。 北信地域の幕府領では、周囲を山 に囲まれているという地形的な制約 によって、江戸時代の初期から、年 貢は現物納ではなく現金納で行われ 383-8614 27 20 ▲市指定有形文化財に指定された文書の一部 89 22 10 健康長 寿 の ま ち 中 野 市 やなぎさわ と み よ 柳沢富代さん からのご紹介 くレポート 池田市長の わ くわ い そ 10 情報共有と オープンコミュニケーション という問題があるが、人口減少に歯 止めをかけることは一つの目標であ り、人口減少下で私たちの生活や暮 らしをどのように豊かにするかと いったことが本質的な課題であろう。 最近手にした書物によると、若い 人で生まれ育った地元で暮らしたい という人が増えているとの調査報告 があった。某研究所の調査によると 大学に進学した人の %近くが地元 に残りたいとの回答、また、資料は 古いが2007年の内閣府の調査で は、 い ま 住 む 地 域 に 永 住 し た い と す る 若 い 人 が % で、 約 年 間 で %近くも増えているとのことであ る。こうした若い世代の思いに応え るためには、郷土に仕事があり生活 ができる環境整備が重要である。若 い人が増えることで、地域コミュニ ティが維持される。文化活動も盛ん で暮らしやすいまちづくりは、都市 基盤整備もさることながら、経済産 業活性化政策など様々な政策領域へ の取組が要請される。若い人たちが 集い、お年寄りや子どもたちと地域 づくり、まちづくりに勤しむために も、オープンな情報の共有とコミュ ニケーションの場がもっと必要だと 思っている。 50 うなものが作れたら と思っています。新 聞やテレビなどから 何気ない一言を見つ け る「 宝 探 し 」 や、 仲間と作品の感想や 解説を語り合うのが 楽しいひとときで す。いずれも平和で あってこその思いでやっています。 ○元気の秘訣 自分がやっていることを誰かに喜 んでもらえると、とても励みになり ます。山で出会った人や一緒に登っ てくれた人に山の素晴らしさを感じ てもらえたり、絵手紙を見てくれた 人に共感してもらい、つながりが持 てたことが実感できたりすると、と ても元気をもらえます。 市政運営に当たって、情報共有の 大切さをつくづく思う。行政が抱え る問題や課題は、それぞれが個別に あるのではなく、相互に関連してい るものが多い。一つの課題を考える 場 合、 考 慮 す べ き 事 項 は 多 々 あ り、 限られた資源、財源の中で、未来志 向の時間軸と空間軸で事を考える必 要 が あ る。 政 策 遂 行 に 当 た っ て は、 結論や提案に至る思考過程で、考慮 した様々な事象とそれらをどのよう に考えたか、ということの情報共有 が重要である。 例えば地域の公共交通をとってみ ると、交通問題はお年寄りの生活の 足として、子どもたちの通学手段と してなど、日常生活に密接に関係し ている。こうした交通手段をどのよ うに整備するかといった課題につい ては、どの地区にどれだけの、どの ようなニーズがあるかといった具体 的なデータが必要だ。 翻って、一つの政策課題や地域の 問題には複数の視点やさまざまな他 の課題への影響があることは常であ る。地方創生の根っこには人口減少 2015. 10 vol.26 43 No.15 ○おらほの自慢 研究熱心な農家の皆さんのおかげ で、ブドウ、リンゴ、モモなど旬の おいしい果物が地元で味わえること は大変恵まれていると思います。 また、金井の秋祭りでは、高さ ㍍近くになる門灯籠を組み立てた り、ほかの地域へ出た人も集まって くるなど、年に一度の盛大なお祭り は村の誇りです。 10 ▲絵手紙作品展での勝野さん 10 市民リレー元気の輪 さん (金井) ○自己 紹 介 高校 時 代 に 行 っ た 全 校 登 山 で 台 風 に見舞 わ れ ま し た が 、 暴 風 雨 の 後 に 現れた 台 風 一 過 の 見 事 な 景 色 に 感 動 し、そ れ 以 来 山 登 り が 大 好 き に な り ました 。 若 い 頃 は 3 0 0 0 ㍍ 級 の 山 にもよ く 登 っ て い ま し た が 、 近 ご ろ は志賀 高 原 や 高 社 山 、 箱 山 な ど 妻 と 一緒に 近 場 の 里 山 を 楽 し ん で い ま す 。 県の「 自 然 保 護 レ ン ジ ャ ー 」 と し て も活動 し て お り 、 た く さ ん の 人 に 山 の魅力 を 知 っ て も ら え れ ば と 、 山 で のゴミ 拾 い な ど を 行 っ て い ま す 。 ま た、 公 民 館 講 座 が き っ か け で、 絵手紙 を 楽 し ん で 描 い て い ま す 。 日 常生活 の 中 で 触 れ た 印 象 に 残 っ た 言 葉を書 き 留 め て お き 、 絵 に 添 え 、 見 てくれ た 人 が ほ っ と し て 癒 さ れ る よ か つ の 広報 なかの 23 よ し ひ さ 勝野 芳久
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