「自分を見つめて」~花まつりによせて

平成 28 年度
宗教科
「自分を見つめて」~花まつりによせて
「花まつり」はお釈迦様の誕生を祝う集いです。お釈迦様は今から約2500年前、イ
ンドの釈迦族の王子として生まれました。生まれた時、多くの花々が散り敷かれたなか天
の神々が祝って香りのいいお湯を注いだという言い伝えにより、花御堂をつくりお釈迦様
の像に甘茶をかけます。
お釈迦様の教えに深く頷いたチューダパンタカという青年のことが伝えられています。
しゅりはんどく
お釈迦様の弟子になったチューダパンタカ(漢字では周梨槃特)は、物覚えがとても悪く、
人々からも愚か者と言われていました。ある時、一緒にお釈迦様の弟子となった兄から、
「お前みたいな者はお釈迦様の教えを分かることなどできない。ここにいても無駄だ」と
言われ、どうしたらよいのか途方に暮れていました。
その姿を見て、お釈迦様がチューダパンタカに声をかけ、
「あなたは私の教えを学びたい
と思っていますか」と問いかけました。
「思います。しかし、こんな愚かな自分が本当に分
かるようになるのでしょうか」と答えるチューダパンタカに対して、お釈迦様は「自分の
ことを愚かだと知っていることが、本当に智慧があるということです。自分の愚かさに目
を向けず自分が賢いと思っている者こそが、愚か者なのです」と語りかけました。そして
ほうき
ちり
あか
チューダパンタカに一本の 箒 を授けて、「塵を払い、垢を除こう」という言葉を唱えなが
ら掃除するように教えた。
それから長い時間がたちました。やがてチューダパンタカは「いったい塵や垢とは何の
ことだろう」と疑問に思い始めた。掃除をしながら考え続けていると、ついに気づいたの
です。
「塵や垢は私の中にもある。それは人間の心の中にある自分勝手な思い、煩悩のこと
だ。自分の都合のいいことばかり思って(むさぼり)、そうならなかったら頭にきて怒り出
して(いかり)、そんな馬鹿げた生き方に疑問を感じないくらいのとんでもない愚かさ(お
ろかさ)のことだ。それが本当に掃除しなければならない塵や垢の正体だ」。
チューダパンタカは、人間の心のなかに「むさぼり」「いかり」「おろかさ」の三つ(三
毒)があり、そしてこれこそが、私たち人間が本当に生きることを見失わせているという
さと
お釈迦様の教えだと分かり、覚りを得たのでした。
さて、お釈迦様は私たちに二つのことを教えて下さっているのではないかと思います。
一つは、どんな人もひとつのことをひた向きに続けていると、
「あぁ、そうか」と分かり、
「あっ、できた」と身につくことがあるということです。能力の問題ではないのです。
もう一つは、人間の心のなかにある塵や垢のことです。
「むさぼり」
「いかり」
「おろかさ」
という煩悩によって、弱い自分に負け、現実から逃げて、自分のしたいようにし、思い通
りにならないと腹を立てています。そんな繰り返しで生きている時、私たちは自分が本当
に歩まなければならない道を見失い、大切な自分を粗末にしているということです。
3歳で発症した筋ジストロフィーで寝たきりとなった岩崎航さんの詩を紹介します。
泥の中から
蓮は花咲く
そして
宿業の中から
僕は
花咲く
今日の花まつりを機会に、自分は一日一日、真剣に生きているか、自分勝手な思いに流
されて、それを正当化する言い訳ばかり考えてはいないか、もう一度見つめ直してみまし
ょう。そして、一人一人が、一輪一輪の花のように、生き生きと生きていきましょう。
『点滴ポール
生き抜くという旗印』岩崎航
かつて僕は、自分で自分の命を絶とうと思ったことがある。
十七歳のときだった。
前途には何の希望もないように思えた。
家人のいない、ある午後、目の前にナイフがあった。
これですべてが楽になるのかなあと、ふと考えた。涙が止めどなく溢れた。
けれども、僕は「生きる」ことにした。
それは、嵐に漕ぎ出す、航海の始まりのようでもあった。
まもなく、座れなくなった。
おいしいご飯も食べられなくなった。
一年間に家の外に出たのが二回だけという年もあった。
人が怖くなったときもあった。
いったい自分が本当は、何を考えているのか分からなくなった。
青春時代を、抉りとられた。
母親を号泣させた。
父親と激突した。
若者らしく友達とバカ騒ぎをして過ごすということもできなかった。
やがて、ベッドで寝たきりの生活になった。
吐き気地獄で、気が狂いそうになった。
自分の若い人生を、余生だとしか考えられなくなった。
ずっと呼吸器を付けるようになった。
今まで恋愛とも無縁だった。
これらを、「生きる」ことで味わってきた。
あれからさらに二十年の歳月が経ち、僕は今、三十七歳になった。
病状は、一層進んだ。
あまりにも多くのことを失った。
思うことはたくさんある。
僕は立って歩きたい。
風を切って走りたい。
箸で、自分で口からご飯を食べたい。
呼吸器なしで、思い切り心地よく息を吸いたい。
でも、それができていた子どもの頃に戻りたいとは思わない。多く失ったことも
あるけれど、今のほうが断然いい。
大人になった今、悩みは増えたし深くもなった。生きることが辛いときも多い。
でも「今」を人間らしく生きている自分が好きだ。
絶望のなかで見いだした希望、苦悶の先につかみ取った「今」が、自分にとって
一番の時だ。そう心から思えていることは、幸福だと感じている。
授かった大切な命を、最後まで生き抜く。
そのなかで間断なく起こってくる悩みと戦いながら生き続けていく。
生きることは本来、うれしいことだ、たのしいことだ、こころ温かくつながって
いくことだと、そう信じている。
闘い続けるのは、まさに「今」を人間らしく生きるためだ。
生き抜くという旗印は、一人一人が持っている。
僕は、僕のこの旗をなびかせていく。