増田ゆうすけ(49歳無職)は3人の銀行員の静止を振り切ってATMに

増田ゆうすけ(49歳無職)は3人の銀行員の静止を振り切ってATMにしがみついた!
「うおおおおおおお!!! ボクは! ボクはおばあちゃんの遺した300万円を振り込んでぇッ!!!
異世界に行くんだああ!!!!!!!」
警視庁世田谷署地域課の高木俊彦巡査部長(28歳)は精一杯の微笑でゆうすけの説得を試
みる!
「ゆ、ゆうすけ君! 落ち着こう! 今は異世界詐欺とかが流行ってるからね。 それは御婆ちゃんがゆうすけ君の為に遺してくれたお金だよね? 大切にしなくちゃ駄目だよね? ゆうすけ君、冷静になってお巡りさんとお話しようね? ん? ん?」
ゆうすけは、
「ボ、ボ、ボクは異世界に召還されたんだな! い、い、異世界の妹が次元転送に300万円必要って電話を掛けて来てくれたんだな!」
等と訳の解らない絶叫を繰り返す。
高木巡査部長はこんな狂人相手でもあくまで温厚に理知的に、「ゆうすけ君落ち着こうね
」と呼び掛ける。
どおりで地域の信頼が篤い訳である。
勿論、高木巡査部長も人間である。
(このおっさん、俺の親父位の歳なんじゃないか?)
等とも脳裏によぎったが、そこは模範的な職業人である。
疑念を押し殺してゆうすけへの説得を続ける。
得意の柔道で制止する事も可能だが、厳しい通達が下されているので、犯罪者でもないゆ
うすけの身体に触れる事は出来ない。
揉み合っているうちに、ゆうすけは300万円を某タックスヘイブン国の怪しげな口座に振
り込んでしまう。
高木巡査部長と支店長が絶望の表情を見せる中、ゆうすけの甲高い奇声だけが店内に響く
。
「やったあああああ!!!! これで! これでボクも異世界の戦士だ! 妹とか幼馴染とか人外キャラのハーレムでキャッキャウフフだ!!!! さあ、ボクの身体を光が包んで! アニメみたいに! 漫画みたいに! ラノベみたいに! さあ! さあ!」
悲し気な表情で支店長が天を仰ぐ。
ゆうすけの身体は残念ながら光には包まれない。
ゆうすけの表情は徐々に焦りに変わり、その奇声がかすれる。
「振り込んだらすぐに異世界だって言ったじゃないか! 妹がカタコトで! ちゃんと300万円振り込んだじゃないか! さあ! さあ! ボクを異世界にイイイイッ!!!!」
高木巡査部長は唇を堅く噛みしめ、出来る限り優しくゆうすけの肩に手を置いた。
尊厳をこれ以上踏みにじってしまわないように、優しく…
「増田さん、本官も貴方の望みが叶う事を祈っております。 ただ、先程も申し上げたように…
最近ではこの様な手口の詐欺事件が急増しているんです。 ですから、…
申し上げにくい事ですが…
被害届はいつでも受理致しますので…」
目を大きく見開き俯いていたゆうすけが静かに顔を上げた。
その表情は憑き物が落ちたように静かで、清らかですらあった。
「お巡りさん。 お気遣いありがとうございます。 私もね、いや他の連中だって、最初から解ってたんですよ。 異世界なんてある筈ないし、あったとしても私なんぞを必要とする理由がないってね」
申し訳なさそうに苦笑するゆうすけの表情は、49歳相応の成熟した男の貌だった。
やりきれない表情の高木巡査部長は強く拳を握りしめ、卑劣な犯罪を撲滅する事を改めて
誓った!
警察庁が「異世界詐欺撲滅ダイヤル」を設置するのはその1か月後である。
マスコミや野党は例によって警察組織の対応の遅さを糾弾した。
だが、これは公的機関としては異例のスピード対応なのである。
異世界詐欺の多発に危機感を持った各部署の有志が寝る間も惜しんで奔走した成果であっ
た。
その一人に高木巡査部長も居た。
そして、異世界詐欺に警鐘を鳴らす為のCMには増田ゆうすけが出演し、ゆうすけは赤裸
々に異世界詐欺の手口と被害者の心理を告白した。
心無い者はゆうすけを嘲笑したが、世の大多数の者はゆうすけの恥を忍んでの情報提供を
評価した。
こうして、「増田ゆうすけ」は世界一有名な詐欺被害者の名前となった。
増田ゆうすけ(17歳・千葉県)は爆乳に埋もれていたッ!
その数ッ!
実に12ッ!!
爆乳の持ち主は6名ッ!!
皆、選りすぐりの美女であるッ!
しかも、アニメ化向けにキャラが立っているッ!
一人は、ビキニアーマー姿のピンク髪の少女ッ!!
白磁の様な肢体ッ!!
美しく獰猛な腹筋を備えているにも関わらず、そのウエストは尚誇り高くくびれていたッ
!
長いピンク髪がッ!! 滝を伝う瀑布の様にッ!! 遺跡を朽ち倒す蔦の様にッ!!
その白磁のエロボディに絡みつきッ! 妖しい輝きをいっそう引き立たせていたッ!!
そう、まるで最高の美脚が網タイツで武装したかの如くッ!!
得意気なドヤ顔が全てをぶち壊してこそいる物のッ!!
そこに立っているのは…
全てのアニメでメインヒロインの座を獲得し得る、究極至高の美女だったッ!!!
その向かいで微笑むは、黒髪ぱっつんボブの美女ッ!!
全身を覆うローブッ!!
本来、セックスアピールを覆い隠す為の深緑のローブがッ!!
この豊満な肉体に掛かればエロスの強調装置に化すと云う奇跡ッ!!
特筆すべきはッ!!
常人離れした爆乳を更に凌駕する腰付きッ!!
オブラートに包めば安産体型ッ!!
だが、そのヒップは全ての雄の欲望を喚起するッ!!
豊満すぎる肉体がローブを極限まで引き伸ばしッ!!
後1㍉でも眼球を近付ければッ!!
彼女の柔肌全てを堪能出来るのではないかと錯覚させるッ!!
これぞ魔性ッ!! 紛う事無き魔性の肉体ッ!!
けしから堪え難いッ!!!
そして、異様なのはッ!!
5人の長身美女に囲まれながらも、全く遜色を感じさせない一人のロリータだったッ!!
あどけない吐息ッ!! 赤面した初心な表情はッ!!
彼女が内面まで純真なロリータである事を一点の曇り無く証明しているッ!!
小さく括ったささやかなツインテールがこれまたあざといッ!!!
だが、異様ッ! 真の異様はッ!!
彼女の体型であるッ!!
その雰囲気と表情に反して、その身体は雌ッ!!
それも雄を誘い殺す肉食の雌獣の肉体ッ!!
あどけない四肢に反して、やはり爆乳ッ!!
それはグロテスクなまでにアンバランスな光景だったがッ!!
このロリータの持つ清純なオーラは全てを調和させていたッ!!
「ロリキャラは貧乳でなければ認めない」
等と言っているそこの君ッ!!
この番組のタイトルを三度復唱して猛省するようにッ!!
ロリータの隣ッ!! ロリータの恥じらいすら上回るあざとさで赤面している一人の美女が居るッ!!
全裸ッ! …に巻かれたガンベルトッ!
まるでアメリカンポルノの如く破廉恥な出で立ちを選んでおきながらッ!!
6人の中で最もロケット性を感じさせる爆乳を持ちながらッ!!
その美女は明らかに恥じらいに悶えていたッ!!
泪に潤んだ切れ長の瞳ッ!! 羞恥に歪んだ蠱惑の唇ッ!! その正統派のポニーテールはあざとい程赤く染まった耳元をクローズアップしていたッ!
堂々としていれば万人が気圧されるであろうその凛々しき美貌が、逆にッ!!
見る者の加虐性を満たしているッ!!
狙って演じていているのだとしたら、まさしく策士ッ!!
だが、小刻みに震える全身とッ!!
閉脚を目論みッ!!
もぞもぞ動く股間が、彼女が善良な聖女である事を証明していると信じたいッ!!
対極ッ!!
羞恥美女とは全くの対極の傲岸不遜な笑みを見せる女が居るッ!!
僕らはこのタイプの美女を知っているッ!!
実物を見た事が無くとも、生物としての本能が知っているッ!!
この傲岸な笑顔はッ!! 自らの雌力の圧倒的高さを自覚し、気圧される周囲をあざ笑う性質のそんな邪悪な笑顔で
ある事をッ!!
綺麗に整えられた純白の軍服ッ!!
勿論、その巨大な爆乳はタイトな軍服さえも乳袋と化す事を強いていたッ!!
そして、複雑なデザインの階級章らしきプレートッ!!
黄金で装飾された軍帽ッ!!
明らかに業物である事を予感させる黒鞘のサーベルッ!!
それらはッ!! 彼女が雌としてだけではなくッ!!
所属しているであろう軍隊的な社会でも相当な高位に在る事を証明していたッ!!
最後にッ!!
慈母の表情でゆうすけを覗きこむ白銀の騎士ッ!!
武骨で重厚な鎧ッ!! あろうことか豊満な美肉の上から直接纏っていたッ!!
隙間が挟まらないのか!?
キャラデザが失敗したのではないか!?
鎧の意味がないのではないか!?
等と云うごくごく平凡な疑問すらも捻じ伏せる圧倒的な風格ッ!!
絶対的な存在感ッ!!
そして何よりエロスとフェチズムッ!!
白銀の甲冑とッ!!
冗談染みた金髪縦巻きロールとッ!!
無骨な筋肉に覆われてすらッ!!
そのエロスは一分たりとも曇らす事すら出来ていなかったッ!!!
以上6名ッ!!!
いずれも爆乳ッ!!
このアニメは如何なる酷評も甘受するがッ!!
タイトル詐欺だけは断じて犯していないと断言可能な12の爆乳がッ!!
ここには断固として存在するのだッ!!
12の豊満な乳房がゆうすけの全身を囲みッ! 覆いッ!
あまつさえ、爆乳が高々とッ! ゆうすけの身体を持ち上げるッ!!
掌に触れる感触ッ! それは恐らく乳房ッ!
鼻孔に刺さった物体ッ! それは紛れも無く乳首ッ!
甘く芳しい香りがむせ返る様に漂うッ!
まさに絶景ッ!!
だが、驚くべき点はそこではないッ!!
我等が驚愕する点は断じてそこではないのであるッッ!!!
常人であれば、一瞬にして正気と理性を失うであろうこの状況に、何と増田ゆうすけは動
じていないッ!
我らがゆうすけは沈着に冷静に現状を分析し、打開策を練り上げつつあったッ!!
感情を殺し切った眼光と、密かに外された左肩関節が、ゆうすけの非凡を証明していたッ
!!
断っておくが、増田ゆうすけはゲイではないッ!
繰り返すッ! 増田ゆうすけは断じてゲイではないッ!
彼はアブノーマルなまでにノーマルな性癖しか持たない、ストレートの少年であるッ!
しかも男子の性欲がピークを迎えるであろう17歳ッ!!
にも関わらず、増田ゆうすけは完全に自己の精神をコントロール出来ていたッ!!
驚愕ッ!!
この驚愕のメンタルコントロールこそが、増田ゆうすけのッ!!
いやッ!! 厳密には風魔流忍術の奥義の一つッ!!
「上総忍法・石人形の術ッ!!」
天才風魔小太郎をしてッ!!
『素ッ破の達人であっても習得極めて困難』
と言わしめた忍びの究極奥義であるッ!!
この忍術がッ!! 武田信玄に、上杉謙信に、豊臣秀吉に抗い続けたこの忍術がッ!!
12の爆乳に見事抗っていた!!
日本男子よ括目せよッ!!
御先祖様の産み出した忍術にはやはり実戦性があったのだッ!!!
断じて忍者は空想の産物などではなかったのであるッ!!
しかし、ここで一つの疑問が生じる。
この状況は何なのか? 、と。
その疑問、至極当然ッ!
宜しい、謎を紐解こう。
時刻は、47時間前に遡るッ!!
【47時間前】
感謝ッ!!
1日78時間の感謝の2ちゃんねる閲覧ッ!!
これが増田ゆうすけの日課であるッ!!
ROM専用フルビューワーッ!!
ゆうすけが頭に装着するフルフェイスヘルメット大の全周囲ゴーグル型モニターにはッ!
!
4つのディスプレイが表示されているッ!!
ヘッドフォンから人工音声が読み上げているのは当然2ちゃんねる記事であるッ!!
左右の耳で別音声を聞き分けるのは閲覧者として当然の姿勢ッ!!
そう圧倒的当然なのだッ!!
1日13時間×6で78時間ッ!!
増田ゆうすけは1日78時間を2ちゃんねる閲覧に費やすプロフェッショナルの観測者なの
であるッ!!
瞠目すべきはッ!! 怪しげ気に動く四肢ッ!!
僕らはこの動きを知っているッ!!
そうッ!! これは太極拳ッ!!
増田ゆうすけは断じて机上の空論屋ではないッ!!
聞きかじった知識を自己の能力と混同する口先屋でもないッ!!
彼は2ちゃんねるで取得した知識を実践して修得する修行者なのであるッ!!
「あ・え・い・う・え・お・あ・お!」
「か・け・き・く・け・こ・か・こ!」
突然発せられる謎の奇声ッ!!
彼は気が触れてしまったのだろうか!?
否ッ!! 断じて否ッ!!
「さ・せ・し・す・せ・そ・さ・そ!」
これはボイストレーニングッ!!
増田ゆうすけの厳格極まりない鍛錬は声帯ですらも例外である事を許さないッ!!
自律心ッ!! 圧倒的自律心ッ!!
「た・て・ち・つ・て・と・た・と!」
1日78時間のインプットと同時に為される78時間のアウトプットッ!!
これが増田ゆうすけの日常なのであるッ!!
人類史上、ここまで苦行を自身に課した猛者がただの一人でも存在したであろうかッ!?
「な・ね・に・ぬ・ね・の・な・の!」
否ッ!! 断じて否ッ!!
クンフーもッ! ヨーガもッ! トレーニングもッ! 修行もッ!
人類史上、ゆうすけの半分すら修練した者は存在しないッ!!
絶無ッ!! 圧倒的絶無ッ!!
「は・へ・ひ・ふ・へ・ほ・は・ほ!」
もしもッ!!
もしも仮に努力が強さと比例するならばッ!!
そんな幻想が許されたとするならばッ!!
増田ゆうすけこそが人類史上最強の男だと断言出来るッ!!
最強ッ!! 圧倒的最強ッ!!
「ま・め・み・む・め・も・ま・も!」
そんなゆうすけの日常が今日終わるッ!!
そんなゆうすけの幻想が今日打ち砕かれるッ!!
そんなゆうすけの最強が今日試されるッ!!
「や・ゑ・ゐ・ゆ・ゑ・よ・や・よ!」
ゆうすけの日課の幕張ウォーキングッ!!
4つのディスプレイと2つのヘッドホンは外さないッ!!
この姿で歩くッ!! 歩くッ!!
奇妙ッ!! 圧倒的奇妙な姿だがッ!!
意外にも近隣住民これをスルーッ!!
「ら・れ・り・る・れ・ろ・ら・ろ!」
無理もないッ!! 増田ゆうすけは如何なる法律にも抵触していないのだからッ!!
これまでの通報数、実に5千22回ッ!!
だが、千葉県警は保護・説諭・逮捕いずれも断念ッ!!
法治国家の弱点ッ!! それは順法精神を持つ狂人への対処ッ!!
「わ・え・い・う・え・お・わ・お!」
視覚と聴覚以外の全ての感覚を駆使し、ゆうすけは日課の高速ウォーキングをこなす!
早いッ! 早いッ!
100メートルを11秒台を疾歩するッ!!
華麗なステップで群集を回避しながら、100メートルを11秒台で歩くッ!!
「が・げ・ぎ・ぐ・げ・ご・が・ご!」
疾き事、風の如くッ!!
神速ッ!! 圧倒的神速ッ!!
そして、ゆうすけは幕張海浜公園に辿り着くッ!!
日頃と違って、この日は何故か無人ッ!!
無人ッ!! 圧倒的無人ッ!!
「ざ・ぜ・じ・ず…」
突如ッ!! ゆうすけは12個の爆乳と遭遇するッ!!
無人の幕張公園で12個の爆乳と遭遇ッ!!
紛う事無き爆乳ッ!! 圧倒的爆乳ッ!!
ゆうすけはすかさずバイザーを跳ね上げヘッドホンのスイッチを切った。
全くの無表情ッ!! 増田ゆうすけ17歳、6人の爆乳美女を眼前に圧倒的ッ!!
圧倒的警戒心ッ!! 圧倒的猜疑心ッ!!
6人はゆうすけを視認して、動揺した様に顔を見合わす。
恐らく、これは6人にとって不意の遭遇。
想定外の事態ッ!!
6人の中からピンク髪の女が一歩前に出て口を開く。
「増田… ゆうすけ君だよね?」
その発言に呼応するように残りの5人がゆうすけを囲もうとした、その瞬間ッ!!
増田ゆうすけの身体は滑る様に真左に10メートル跳んだ。
もはや驚愕は不要ッ!!
これぞ忍術ッ!!
これぞ増田ゆうすけッ!!
同時に右手に隠し持った何かを起動させるッ!!
それは、ゆすうけが銃刀法に引っ掛からないと信じている何らかの武器に違いない。
ピンク髪は少し驚いてから気を取り直し、
「いやいやいやいやいや、その反応は無いでしょ!? ウチらは怪しい者じゃあないよ?」
と相手を小馬鹿にしたような笑顔を作った。
そして、ゆうすけの耳に入るか入らないか位のトーンで
「大体、テメーの方が不審者だっつーのww」
と付け加える。
すると、慌てて小柄な少女が、その爆乳以外は小振りな少女が何事かを窘める。
ピンク髪は舌打ちして唇の端を歪めたまま発言権を爆乳少女に譲った。
「あ、あの! 私達は怪しい者ではないんです! ゆうすけお兄ちゃんをお呼びする為に異世界の方から参りました!」
爆乳少女は真摯な瞳で訴えた。
が、ゆうすけは依然として無言ッ!!
そして沈黙が幕張海浜公園を支配しようとした刹那ッ!!
ゆうすけの左手が早撃ちの様に動き手元が激しく光ったッ!!
6人の爆乳美女は咄嗟に防御体勢を取るも完全に機先を制されているッ!!
ゆうすけのアクションの正体は何かッ!?
意外ッ!! それは撮影ッ!!
ゆうすけは手元の、恐らくはカスタムメイドであろう端末機器で6人を撮影していたのだ
ッ!!
そこから流れる様な手つきで端末機器を耳元に引き付けるッ!!
そしてッ!! 端末機器から音声が流れるッ!!
「はい、ありがとうございます。 こちら異世界詐欺撲滅ダイヤルです。」
僕らはこの声の主を知っているッ!!
そう、電話に応答したのは警視庁世田谷署地域課の我らが高木俊彦巡査部長であったッ!
!
彼は高木巡査部長はッ!!
異世界詐欺撲滅への熱い情熱と断固たる決意を評価されッ!!
異世界詐欺対策本部に派遣されていたのであるッ!!
「もしもし、お忙しい所を失礼します。 異世界詐欺と思われる行為を働いていると思われる6人組を発見したので、通報させて頂
きました。」
その言葉を聞いた瞬間、6人の目に怒気が宿るッ!!
ピンク髪の歪んだ笑いが更に歪み、敵意の相を見せるッ!!
「失礼ですが、今電話を受けられておられるのですか!?」
高木巡査部長の声に緊張が走る。
ピンク髪が無言でゆうすけに歩み寄ろうとするが、ゆうすけは体重を感じさせないバック
ステップで大きく後退して距離を取った。
ピンク髪が小走りから更に本気で間合いを詰めるべく走る。
が、ゆうすけは6人全員を視界に収めたまま、謎のバックステップを繰り返し距離を保つ
。
ピンク髪以外の5人もゆうすけの包囲を目論むようなフォーメーションで急接近する。
双方、早いッ!!
「いえ、幕張海浜公園で遭遇しております。 対策室のサイトの御問合せフォームに画像と音声を送付しておきましたので御確認をお願
い致します。」
「フォーム? あ、今確認出来ました! 遭遇? 遭遇って何かされてるんですか!?」
「いえ、絡まれているので助けて頂けると有難いです。」
「場所特定出来ておりますので、すぐに近隣の警察官を派遣させます。 追いかけられてるんですね!? お名前だけでも今宜しいですか!?」
一番右側から追って来た軍服女が不敵に笑いその爆乳を使いサーベルを抜刀するッ!!
これは…
爆乳抜刀術ッッッ!!!
地球人類の剣術では対応不可能な未知の戦術ッ!!
迎え撃つように、ゆうすけが死角に隠していた右手の何かを起動するッ!!
「私の名前は増田ゆうすけです。」
「ま、ます? ちょっと君ッ!!」
更にゆうすけが何かを補足しようとした瞬間、いつの間にか距離を詰めていたピンク髪が
手刀を放つッ!!
最初から狙っていたのか、鋭い手刀はゆうすけの左手の改造端末を叩き落としたッ!!
「おいおい兄ちゃん… いきなり通報って酷いよなあ…」
ゆったりとした口調とは裏腹にピンク髪の表情は獰猛だった。
いつしか、バックステップから疾走体勢に移行したゆうすけと同じ速度でピンク髪と軍服
女が並行して挟撃の準備に入る。
ゆうすけは全く動じる様子もなく
「通報すますた。」
と吐き捨てた。
「そうかい。」
ピンク髪は鼻で笑いながら唾を吐いた。
ゆうすけが無言で袖に隠していた右手の武器を構えようとした瞬間ッ!!
先回りしていた金髪縦ロール女と安産体型の女がゆうすけの進路に「真っ黒な何か」を投
げた。
一瞬、ひるんだゆうすけの左肩をピンク髪が強引に掴み、自分の身体ごとゆうすけを「真
っ黒な何か」に放り込むッ!!
真っ黒な何かは怪しい光でゆうすけ達を包んだッ!!
そうッ!!
これは、ラノベとかゲームとか漫画とかアニメとかでよくある…
異世界に行く為のトンネルっぽいあれであるッ!!
見た事は無い癖に、僕らは皆知っているアレであるッ!!
どこかにッ!! (どうせ異世界なんだろうけども…)
どこかにッ!!
どこかに飛ばされるゆうすけに向かって、ピンク髪が勝ち誇った様に笑いながら言ったッ
!!
「異世界にようこそ! 増田ゆうすけ君!」
ゆうすけは堅く口元を結び、右手の武器を袖の中で収納した。
その様子を目ざとく見ていたロリがピンク髪に掴んだ手を緩める様に諭す。
ピンク髪は渋々手を離す。
「おーい、兄ちゃん… だんまりかよ?」
話し掛けられたゆうすけは、ピンク髪を無視して安産に向けて話し掛ける。
恐らくはピンク髪の反対側に居たのが安産だからだろう。
「スピード、かなり出てますけど大丈夫ですか? 体感で80キロは出てますけど。」
「おい! てめえ無視かよ! ぶっ殺すぞてめえ!」
安産は優しく微笑みながらゆうすけに応える。
「御安心下さい。 着地の時は爆乳クッションがありますから♪」
『爆乳クッション』
その言葉はゆうすけにとって久し振りに遭遇する未知の単語であったが、
猜疑心の塊であるゆうすけすらを安心させる響きがあったッ!!
「おい! ウチはクッションしてやらねーからな! マジでクッションしねーからな!」
いつの間にか5人の爆乳美女がゆうすけの身体を爆乳で包んだッ!!
なるほど、ビルの5階からの落下程度なら何とかしてくれそうな安心感はあるッ!!
こればかりは体験者にしか解るまいッ!!
安心感ッ!! 圧倒的安心感ッ!!
その根拠は爆乳ッ!! 圧倒的爆乳ッ!!
ゆうすけの脳裏に覚えている筈も無い亡き母の面影がフラッシュバックするッ!!
そして、爆乳の隙間から流れ込んでくる未知の光ッ!!
そう、ここは異世界ッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的異世界ッ!!
樹木ッ!! 圧倒的樹木ッ!!
果てしなく広がる森林地帯ッ!!
視界に飛び込む物はッ!! 大木ッ!! 落ち葉ッ!! 土ッ!!
人工物ッ!! 絶無ッ!!
「いやー、この景色見るとやーっぱ地元が一番だわ♪」
ピンク髪が満面の笑みで背筋を伸ばす。
少し機嫌は良くなっているようである。
「おう、兄ちゃん。 どうよ、オマエラの言う所の異世界は!! いやー、ウチは地球よりも快適だと思うんだけどねー♪」
縦巻ロール・安産・ロリ・ガンベルトの4人は甲斐甲斐しく機材らしき器具をチェックし
ているが、軍服は勝手に携行食を齧り始めたし、ピンク髪はゆうすけに馴れ馴れしくボデ
ィタッチをしながら話し掛けて来る。
「いや、異世界も何もただの森じゃないですか。」
「いやいや、だからさあ。 その森も含めて異世界なんだわ。」
「いやいやいや、もうこれ典型的な劇場型異世界詐欺ですよね? どっかの森ですよね、ここ? 僕貧乏人ですよ? 片親だし。 採算取れるんですか? この詐欺手法は?」
「いやいやいやいや。 ウチ超絶美人じゃん? 地球の女ブスばっかりじゃん? つまり異世界じゃん?」
「いやいやいやいや、じゃないですよ。 論点反らすの止めて下さいよ。 異世界である証拠を提示してくれない限り、ここが異世界だと云う前提の話には応じる事
が出来ませんから。」
「じゃないですよ、じゃねーよ。 ウチみたいな超絶美女が地球に居る訳ないじゃん? そのウチの故郷なんだから、ここはアンタらにとっての異世界じゃん? 論点逸れてないじゃん?」
「嘘が発覚した途端に論点ずらしですか… その程度の稚拙な忍術がこの僕に通用する訳ないでしょうに」
「いやいや、忍者関係ねーし!」
ピンク髪は全身のダイナマイトボディをゆうすけに擦り付けながら力説するッ!!
エロいッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的エロスッ!!
だが、惜しむらくは、その醜悪な内面が滲み出た得意気なドヤ顔ッ!!
この表情は異性・同性問わず、かなりアレだッ!!
「何かお手伝い出来る事はありませんか?」
ゆうすけ、ピンク髪の擦り付け攻撃を華麗にスルーッ!!
一人で携行食を貪り食っている軍服をゴミを見るような眼で一瞥してから、作業中の4人
に優しく話し掛けるッ!!
「お気遣いありがとうございます。 申し訳ないのですが装置を収納したいので、シートの反対側を押さえていて貰えますか?
」
安産が本当に申し訳なさそうにゆうすけに答える。
「いえ、お安いご用です。」
「異世界は地球に比べて少し薄暗いかも知れませんので、お手元に気を付けて下さいね。
」
慈母の微笑で安産がゆうすけに話し掛ける。
このエロボディでこのスマイルッ!!
童貞でなくともイチコロッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的童貞クラッシャーッ!!
「いえ、異世界の赤み掛かった空も風情があって良いですねえ。」
「おいいいいいッ!! 待てやッ!! さっきオマエ、ウチの台詞全否定しただろうがッ! テメーッ!!」
重要なのは何を言ったかではないッ!!
誰が言ったかなのであるッ!!
これこそがコミュケーションにおける真理ッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的真理ッ!!
「最初に地球に行ったときは景色が全部青くてびっくりしたのです。」
ロリが悪戯っぽく、ゆうすけに向かって話し掛ける。
「君みたいに可愛い子は地球じゃ見かけないからさ、僕もびっくりしてるよ。」
ゆうすけ、照れながらも気の利いた切り返し。
断言してもいいがこれは2ちゃんねるで習得した切り返し。
「もう♪ 照れるのですぅ。」
言葉とは裏腹にロリの表情に照れは無い。
気を付けろゆうすけ、それは敵の忍術だッ!!
「おい、兄ちゃん… 何、それ? 当て付け? ウチの時と全然対応違うよね? 差別だよね?」
機材の収納を終えた安産がゆうすけに向かい直し口を開いた。
「ようこそ、増田ゆうすけさん。 ここはあなた方の言葉で言う所の異世界です。」
「ええ確かに。
ここは異世界ですね。」
「あれー? あれれー? ウチが説明した時と全然反応違うよね? おかしくない? そーれおかしくない?」
「すみません。
地球の方からすれば空気が澱んで感じると思いますが…」
「いえいえ、異なる世界なのですから仕方ないですよ。 森の配置なんか異世界風の情緒があっていいですねえ。」
「あっれー? あれれれー? ウチには『ただの森』って言ったよね? 言ったよね?」
ピンク髪以外の4人は安産が説明役を務める事に納得している様子で、ゆうすけと安産の
会話を見守る。
軍服が何か不平らしき事を言っているが、最初に腰掛けた位置から動く事もない上に、口
の中に物を入れたまま喋っているので聞き取れない。
他の5人が無視していたので、ゆうすけも無視した。
「状況説明をさせて頂いても宜しいですか?」
安産がゆうすけの手を取りながら話し掛ける、真面目な口調に関わらずのさりげないボデ
ィタッチがあざといッ!
「ええ、お願いします。」
ゆうすけ、あれだけピンク髪のボディタッチに抵抗していた癖に、安産のタッチは受け入
れるッ!!
これが安産の女子力ッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的女子力ッ!!
「御不信の点が多すぎると思うので、質問形式で説明させて頂けますか? ゆうすけさんの御質問に私達が答えて行く方が円滑に話が進むと思うので。」
「では、早速。 あなた方が異世界と呼んでいるこの場所は、先程の地球とはパラレルな空間なのですね?
」
ゆうすけの事務的な性格は説明パートで重宝するッ!!
画面には爆乳娘を映しておけば苦情は来ないッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的御都合主義ッ!!
「ええ、座標軸が時間的にも空間的にもずれているので、私達はお互いにパラレルな存在
であるとほぼ断言出来ます。」
「なるほど。
当面はその仮説に納得しておきます。」
「ありがとうございます。」
「それでは次の質問。 最初から僕を探していたようですが、御用件は?」
「こちら側にとっての有名人である、増田ゆうすけ氏の招聘が目的です。」
「僕は有名になる事は何もしてませんが。」
「いえ、こちらに来る為に全財産を投げ打たれた話を聞き及んでおります。。
地球でも『異世界と言えば増田ゆうすけ』、と呼ばれているではありませんか。」
「ああ、それは人違いです。 同姓同名の人です。」
「「「「「「!!!!!!??????」」」」」」
「あなた達の言っている増田ゆうすけは、東京と云う街の住人ですが、僕は千葉と云う街
の住人です。 ちなみに、念の為調べてみた事があるのですが、僕は彼とは血縁関係がありません。」
「うーん…」
軍服が、眉間を抑えながら唸りだす。
余程都合が悪いらしい。
「で、東京の増田さんには何の御用件で?」
5人は無言で顔を見合わせる。
(軍服は華麗にスルー)
「いや、僕を消すにしても、使い道を探ってからの方が賢いですよ?」
増田ゆうすけ(千葉)は無表情を崩さない。
その真意、読めない。
「い、嫌だな兄ちゃん! ウ、ウチらが兄ちゃんを消すとか… そんなの絶対ないと思うよぉ(語尾小声)」
ピンク髪、1秒で意図を漏らす。
他の4人、ゴミでも見るような眼でピンク髪を一瞥。
(軍服は自分で肩を揉み始める)
「東京の増田さんであれば、我々の積極的協力者になって頂けると考えておりました。」
「…なるほど。 僕にも積極的に協力しろと?」
「いえ、結果的にそうなってしまいますが、いえ。」
「で、何をすればいいんですか?」
4人が深刻そうに顔を見合わせる。
軍服は他人事の様にこっちを見ているだけ。
そんな中、満面の笑みでピンク髪が口を開いた。
「兄ちゃん! 兄ちゃんにはな、悪者を倒して欲しいんだよ♪ いやいや、何だよその、『どうせ最後にオマエが敵キャラになるんだろ?』みたいな目は
!」
「要するに、異世界人同士の戦争なり内戦なりがあって、あなた方に加担すればいいんで
すね?」
「そうそう! それそれ! あっ、でもウチらは正義だからね♪」
話が纏まったと思ったのか軍服が腕を組んで得意気にうんうん頷く。
この手の女は絶対に他人の手柄を横取りするタイプの女である。
「で、僕に何のメリットがあるんですか?」
4人が必死で首を捻る。
ガンベルトなどは余程人が良いのか、本当に申し訳なさそうな顔で首を捻る。
ゆうすけはピンク髪の顔を覗きこもうとするが、対価の話になった途端ピンク髪は慌てて
目を顔ごと反らせてしまった。
仕方なく、ゆうすけが軍服に目線を映すと軍服は満面の笑みで回答する。
「ははは、少年! 報酬の支払いは小官の管轄ではないよ! はっはっは!」
地球の軍人はこういう人種の集まりでは無いと信じたいッ!!
軍服は『自分の仕事は終わった』とばかりに腕を組んだまま、笑顔で黙り込んでしまった
。
何の疑問もなく、他人に仕事を押し付けるタイプの精神構造なのだろう。
「おい、兄ちゃん! メリットあるぞ! ウチ思い付いた! 凄いメリット発見したぞ!」
ピンク髪が燥ぎだしたので、ゆうすけは反対側を向いて聞こえなかったフリをする。
「いや、聞けよ!」
だが、肩を掴まれ無理矢理振り返らされる。
「ウチの味方をすればさ! ずっとウチの傍に居れるじゃん!?」
「…は?」
「いや! だからさ、ウチの傍に居れるじゃん! 地球男子的に超絶メリットじゃん!!」
「すみません、仰る意味が…」
「ったく頭悪いなあ。 だーかーらー、ウチの傍に居れたら普通嬉しいでしょうが!!」
「いえ、全く。」
「…す、素直に答えていいんだよ?」
「いや、申し上げにくい事なんですけれど…
それをメリットと呼んでしまうのは、あまりに…」
「あ、じゃあこうしよう! 兄ちゃんにはウチの魅力を教えてやるよ! これでおあいこだよね?」
「…申し訳ないです。 本当に仰る意味が解りません。」
「翻訳がミスってるのかなあ? 普通ウチにビンビン来ると思うんだけどなあ…」
「大体、誰と戦えばいいんですか? 化物退治か何かをすればいいんですか?」
「ん? アイツラを潰してくれればいいだけだけど?」
ピンク髪が森の切れ目から崖下を指した。
目算200人前後の鎧姿の部隊が機敏に動いている。
「あの人達は?」
「ん? 世界政府に決まってるじゃん?
ブッ殺してくれや。」
「いやいやいや! いきなり異世界に連れて来られて、その国の政府と戦わされるとか滅茶苦茶でしょ!」
「いやいやいやいや。 地球と違って、こっちに『国』の概念はないよ? 建前上、この世界全域を管轄してるのが世界政府なんだから♪」
「…じゃあ、あなた達はこの世界の何なんですか!」
「いや? 怪しい者じゃないよ? ウチら、腹が減った時に貯蔵庫から食糧かっぱらう程度しかしてないしね♪」
「山賊じゃないか!!」
「ああ、地球にもその概念あったよな♪ ウチも先祖代々政府の連中にそう言われてるよん♪」
「『よん』じゃないッ!! 犯罪者の味方なんか出来る訳ないでしょ!」
「だーかーらー。 そりゃウチだって遊ぶために仕方なく強盗とか殺人はするよ? でも、犯罪者って訳でもないし♪ 超真面目ちゃんだしぃ♪」
「駄目だ! この人話にならない! 申し訳ないけど、他の方が説明係やって貰えます? ああ、すみません、挙手して貰った所申し訳ないですが、軍服のあなた以外でお願いしま
す。 いや、頬っぺた膨らませても駄目だから…。」
結局は安産が説明係に戻る。
「地球の方には理解し辛いかも知れませんが、この世界は政府に属するか否かをほぼ自由
意思で選択出来る世界なのです。 地球では政府に所属しない事は【反政府】と捉えられてしまうかも知れないのですが、こ
ちら側のそれは【非政府】位に考えて頂けた方が的確だと思います。
秩序意識の強いゆうすけ様から見れば同じに映るかも知れませんが。」
「…大体、この世界の仕組みは理解出来ました。 で、あなた方はこの世界の政府と交戦状態にあるのですよね?」
「否定はしません。 」
「日本人の私があなたの世界の政府と交戦したら国際問題になりますよね? それは解ってますよね?」
「我々には戦闘行為を問題視する習慣がありませんので、別にその程度の事では…」
「いやいや、地球の中での国際問題になるんです! 僕の祖国の不利益になるんですよ!」
「ああ。 地球は色々と大変のようですね。」
「ええ、色々大変なんです!」
「やっぱり、独断での交戦は好ましくない?」
「当然です! そんな事態になれば日本の揚げ足を取ろうとする連中が必ず突いてきますので!」
「では、あなたには申し訳のない事をしてしまったかも知れません…」
そう言って安産は本当に申し訳なさそうにゆうすけの後ろを指差した。
背後数百メートルの位置に甲冑姿の一団が迫っていた。
先頭の銀髪の女が何かの号令を掛けている。
「じゃあ逃げますか?」
と上目遣いで安産が提案する。
「ええ、とりあえず逃げさせて下さい。」
と言った時にはピンク髪は既に逃げ出していた。
振り返る素振りすらない。
仕方なく、ゆうすけ達も駆け出す。
脚力を鍛えていたつもりのゆうすけだったが、森を走るのは初めてだったので何度か足を
取られる。
途中、投石の様な攻撃を何度か受ける。
一度はゆうすけの肩口を霞める。
「今何か堅いの飛んできた! 当たったら死んでたよ! 死んでたよ!」
「ああ、それはツブーテですね。 向こうも別に当てるつもりはないんです。 こちらの世界では一騎打ちを申し込む時の合図ですよ。 ほら、地球の方は手袋をぶつけるんでしたっけ?」
「いや、でも当たる事だってあるでしょう!? これ当たったらどうなるルール?」
「当たったら? やっぱり死んじゃうじゃないのでしょうか。」
「いやいや、そこら辺の感覚がまず理解出来ない!」
「そこは運ですよ。 向こうだってツブーテで殺してもポイント付かないですから当てたくないでしょうし。」
「ごめん。 本当に理解出来ない。 ねえ、ツブーテ増えてますよ! 防ぎ方ないの!? 防ぎ方ないの!?」
「ああ、私は盾に変身出来るんですけど… 良かったら使います? ああ、でもゆうすけさんのお住まいの日本には盾を使う文化が無かったのでしたか?」
「へ、変身!? 言ってる事が良く解りませんが、防ぐ物があるんなら早く出して下さいよ!」
小川を渡ったゆうすけ一行に向かって川向うから一団がツブーテ(大きい碁石みたいな物
体)を投げて来る。
ツブーテが切れた兵士は河原の石を拾って投げつけて来る、ツブーテ程の飛距離・威力は
なさそうだが、頭部に当たれば普通に死ぬだろう。
「じゃあ、変身バンク入ります。」
そう言って、安産が魔法少女みたいな変身バンクを使用した。
尺は1分強ッ!!
長く感じるかも知れないが、おっぱいがプルプル動くので退屈はしないッ!!
これが爆乳の力ッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的爆乳ッ!!
そして、安産は一個の大盾になった。
BGMの音量に消されていたが、安産は最後に「気を付けて」と言ったようにゆうすけに
は聞こえた。
この後、安産はしばらく出番が無い。
安産シールドは、育ち切っていないゆうすけの体格から見ればかなり大きい。
形状は安心の長方形。
機動隊のジェラルミン盾よりも更に大きく、ローマレギオンが持つようなスクトゥムを連
想させた。
少しかがめば、ゆうすけの全身を覆ってしまうサイズの安心感は言いようのない物であっ
た。
驚愕するべきはその軽さである。
何気なく持ち上げようとしたゆうすけが、勢い余って危うく後ろに倒れ掛ける程軽い。
加えて、衝撃吸収力が半端ではない。
一つだけかなり大粒の石が飛んでのだが、ゆうすけが安産シールドで受けてみると殆ど衝
撃を殺してくれ、片手で保持する事が出来てしまった。
わざとツブーテがギリギリ届く距離で受けてみても、全く衝撃による負担はない。
それでいて、『当たった』と云う感触はちゃんと感じる事が出来た。
背負い紐の様な物があったので、ゆうすけは安産シールドを背負って走り出す。
「逃げに徹するには相手が悪いな…」
逃げながら軍服が呟く。
わざわざ速度を落として、ゆうすけの隣を並走し始めてから言った程なので、ゆうすけに
向けた言葉なのだろう。
「強い人なんですか?」
「アイツはちょっとした有名人なんだよ。 まあ、あの世代じゃ確実に最強だな。」
「見逃してくれる人ではないんですね?」
「昔から真面目な奴だったからなあ。 」
「知り合いだったら説得して下さいよ。」
「あいつには嫌われてたからな…」
ゆうすけは何かを言い掛けて言葉を飲み込む。
「他の人からは好かれてるんですか?」
とでも言い掛けたのだろう。
「あの、異世界の人達って皆武器に変身出来るんですか?」
「何を言っとるんだね? 元々は地球の技術だろうに?」
「?」
「?」
「いや、地球の人間は武器にはなれませんよ?」
「でも、武器を発明したのは地球人だろうに?」
「?」
「?」
「ああ、今はこの話は結構なんで、この中に事態を打開できそうな武器になれる人は居ま
せんか?」
ゆうすけは軍服との話を強引に打ち切り、他の4人にも話し掛ける。
一番傍に居たガンベルトは、「私は長距離限定ですので。」、と申し訳なさそうな顔をし
た。
反対側から縦巻とピンク髪が同時に叫ぶ。
「接近戦なら私が!」
「接近戦ならウチが!」
ピンク髪がゆうすけに媚びた様な笑顔を向けるが、ゆうすけは目線を奥に居た縦巻に向け
て、「縦巻の人お願いします! 武器になって下さい!」、と叫んだ。
自己主張があまり得意でないのか、縦巻は返事もせずに無言で右手を天に掲げた。
ピンク髪が何かを怒鳴り散らすのを無視しながら、縦巻が変身バンクに突入する。
とにかく肉感が素晴らしいッ!!
安産の肉体は柔肌+巨尻+爆乳だったが、縦巻は全身がセックスアピールの様なエロさが
ある。
筋肉の上から更に媚肉を纏ったような反則的なエロスである。
あまりに堂々としているので羞恥心が無いのかと思えば、変身バンクの途中で目が合った
ゆうすけから赤面しながら慌てて目を逸らす可愛気もある。
そして、縦巻が変身したのは『薙刀』だった。
何かがツボに嵌ったのかピンク髪が指を指して笑い始める。
「な、なぎなたwww ちょ、おまwww 何時代の人よwww」
この世界では一騎打ちルールでもあるのだろうか、敵集団の先頭に居た銀髪の女が円盾か
ら剣を抜き構えると、敵味方が一斉に下がった。
ゆうすけは背中の安産を左手に持ち替え、縦巻薙刀を無造作に掴んだ。
「んッ!!」
と、女の声が聞こえた気がする。
銀髪が何か話し掛けているが周囲のざわめきで聞き取れない。
予想通り、ピンク髪が煩い。
銀髪はゆうすけとコンタクトを取るのを諦めたのか、剣を握り直してから慎重に間合いを
詰めて来る。
一方、ゆうすけは盾同様に薙刀にも重さが無い事を確かめてから片手上段に構える。
薙刀が微振動している気もするが、それを気にしている余裕まではない。
「おーい、兄ちゃん。
そいつに勝てたらウチがメインヒロインになってやるからなー♪」
緊張感の無いピンク髪の声に敵味方の雑談が止んだ瞬間、突然トップスピードに乗った銀
髪が剣を振りかぶりながら飛び込んで来る。
そして、ゆうすけを切ろうと盾を少し下げた瞬間ッ!!
ゆうすけの口内から突然強烈なフラッシュがたかれるッ!!
完全に不意を突かれた銀髪が盾を取り落とし掛ける。
銀髪は慌てて握り直そうとするも…
既に右側に回り込んだゆうすけが薙刀で銀髪の首を刎ね飛ばしていたッ!!
色々、突っ込み所は多いが敢えて言わせて貰おうッ!!
これぞ上総忍法・日輪ッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的ッ!!
かつて伊賀国は織田信長の攻撃によって焦土と化した。
その殲滅戦は徹底的であり、多くの里が地名ごと失われた。
世に言う、第二次天正伊賀の乱であるッ!!
翌年、本能寺の変ッ!!
灰燼と化していた伊賀に大きな転機が訪れるッ!!
単騎で畿内からの脱出を図る徳川家康から助力の打診。
熟考の上、伊賀残党は家康一行への支援を決定するッ!!
これこそ、その後の日本史を決定した、「神君伊賀越え」であるッ!!
後に徳川家康は天下を統一、江戸幕府を開闢するッ!!
そしてッ!! 天下人となった家康は伊賀衆を召し抱えたッ!!
奇跡ッ!! 圧倒的奇跡ッ!!
一度は国ごと壊滅した伊賀衆は歴史の奇跡によって表舞台に返り咲いたのであるッ!!
だが、薄禄・排他で知られた徳川家である。
外様の、それも草と蔑まれていた忍びの者達は徹底的に冷遇された。
徳川十六神将にまで数えられた初代・服部半蔵正成すらも…
遂に大名に取り立てられず一代限りの旗本身分で終わった程である。
伊賀衆の扱いは想像に難くない。
太平の世、伊賀同心は閑職に追いやられ続けた。
大奥が雪合戦に興じる際に、壁として並ばされたと云う屈辱的な記録すら残る。
伊賀同心達は屈辱の日々の中で、織田信長と果敢に戦った偉大な先祖の物語を記し始める
。
まるで日頃の鬱憤を晴らすかの様に大袈裟に痛快に華々しく。
「忍者」の誕生である。
その創作があまりに大衆受けした為に、コンテンツとしての忍者は講談になり、小説にな
り、芝居になり、映画になり、漫画になり、全世界にすら広まる羽目になった。
何故忍者が大衆を惹き付けるのか?
ありもしないから、フィクションだから、ファンタジーだから、空想だから、幻想だから
、妄想だからッ!!
忍者は大衆に支持され得る神秘性と奇跡性を身に着け得たのであるッ!!
そして、関ヶ原合戦から400年後、忍者の歴史にもう一度奇跡が起こるッ!!
増田ゆうすけ、千葉県匝瑳郡に生誕ッ!!
健全にこそ育たたなかった物のッ!!
真っ当には育たたなかった物のッ!!
この少年は創作や誇張も含めた全ての忍者のデータを収集し、その文脈に隠された戦闘理
念を体得し、現代の技術の全てを加味し、21世紀に忍法を復活させたッ!!
後に上総忍法と呼ばれる流派であるッ!!
そして、もう一度この名を呼ぼうッ!!
この栄光の上総忍法の開祖こそがッ!! 誇り高き創始者こそがッ!!
我らが増田ゆうすけなのであるッ!!
今度は講談ではないッ!!
彼はファンタジーではないッ!!
その証拠こそが、この異世界において眼前に横たわる敵将の遺骸ッ!!
現代の忍法が国境は愚か次元の壁すら超越し通用したと云う現実ッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的現実ッ!!
それがッ!! 増田ゆうすけだッ!!
「あのさあ… 今のナレーション必要かあ? 深夜アニメ見る奴なんて、おっぱいさえ揺れてて水着とか下着とか、声優さんの喘ぎ演技
とかあったらそれで満足する生き物だぞ? …こんな事言いたくないんだけどさあ、今の解説パートの時間なんてさあ、ウチの超絶エ
ロボディを漠然と映してた方が、客は喜んでたと思うけどなあ。 もっと尺を有効に使おうよ。」
ピンク髪がブツブツ呟いている傍で、ゆうすけは銀髪の死体の胴体部分の手を組ませてい
た。
斬った首は銀髪の部下数名が持ち去って行ってしまった。
異世界の慣習は不明ながらも、大将が討たれた時点で兵卒には戦闘義務が消失するらしい
。
ゆうすけはスカーフを銀髪の遺骸に掛けて、沈痛そうな面持ちを作り合掌した。
恐らく、この世界の倫理は尚武の気風に基づき構築されている。
ゆうすけはそう睨んでこの様なポーズを取っているし、それが的外れでない証拠に遠巻き
に見ている銀髪の部下の表情はそこまで堅くない。
余計なヘイトを買わずに済むのであれば、それに越した事はない。
「戦いの結果とは言え、貴方の世界の人間を害してしまった事を心苦しく思っています。
」
ゆうすけは良心派と見込んでいるガンベルトとロリの方向を向いて大声で言った。
ガンベルトが現地語の様な言葉で銀髪の部下に叫ぶ。
恐らくは好意的に翻訳してくれているのだろう。
ピンク髪が何かをくちゃくちゃ食べながら、何事かの軽口を言っているが聞こえない振り
をする。
しばらくして、銀髪の部下が全員撤収する。
固形食糧を齧りながら、隊伍も組まずに雑談しながら帰る様子を見ると、組織観が地球の
それとは大きく異なるらしい。
好戦性の高そうなピンク髪や軍服にも追撃意思が全く感じられない様子から察するに、戦
闘は完全に終わったらしい。
「えっと、戦いは終わりですよね?」
「何で?」
ピンク髪が不思議そうに聞き返す。
「いや、あの部隊が撤収したから。」
ピンク髪は再度首を傾げてから、口の中の咀嚼物を見せながら言った。
「そりゃ、アイツの戦いは今日で終わったけどさ。
ウチもオマエも、まだ死んでないじゃん?」
「なるほど。」
「しかし見かけによらず兄ちゃんやるねえ。 ウチ、ムラムラ来ちゃったよ。」
ピンク髪が卑俗な笑顔を浮かべながら擦り寄って来るも、口の中はくちゃくちゃさせたま
まである。
見渡すと、他のメンバーも概ね好意的な表情を浮かべている。
この世界では兎も角、このグループ内ではゆうすけの立場は好ましい物になったらしい。
「あの… 縦巻の人は?」
ふと、縦巻が居ない事に気付いたゆうすけがその疑問を口にする。
ピンク髪が露骨に顔を醜く歪める。
「ハアぁ!?
アイツ? どっかでオナってんじゃねえの?」
機嫌を損ねたらしく、ピンク髪は唾を吐いてどこかに行ってしまった。
何だかんだ言って、ゆうすけにとって一番話をし易いのはピンク髪なのだが、話している
と疲れるので他の者(軍服以外)と会話をしたかった。
出来れば安産に色々と尋ねたいのだが、状況が解らないだけに盾状態を解除する事にどう
しても踏み切れない。
不意の襲撃を受けた時に、1分半もある安産の変身バンクの間を凌ぎ切る自信は無かった
。
消去法的にロリとガンベルトに行先を尋ねる。
そもそも、この一団はどこに向かっているのだろうか?
「今から温泉地帯に行くんです。」
ロリが少し艶めかしい表情を作って答えた。
「温泉、ですか?」
「買い物とか出産とかに使われるんです。 私も温泉地帯の生まれです。」
異世界アウトサイダーにとっての集会所の様な物なのだろうか?
ゆうすけはイメージを浮かべきれない。
「今日はそこで寝るんですか?」
ロリ・ガンベルト「「寝ます♪」」
軍服 「寝るぞ♪」
「なるほど。 宿泊地としての機能もあるのですね。 この世界の政府に属さない人達にとっての自然発生的公共施設と解釈してもいいのでしょ
うか?」
3人が不思議そうな顔をしてお互いに顔を見合わせる。
圧倒的ッ!! 圧倒的違和感ッ!!
そうこうしているうちに、何故か紅潮した表情の縦巻が合流し、やや速足で丘を2つ越え
た。
恐らく2時間前後の山登り。
軍服は携行食を満足気に齧り続けていたが、メンバーに対して勧める素振りすら見せなか
った。
それが異世界全体の傾向なのか、軍服固有の精神性なのかは、この時点では判断出来ない
。
「見てきたけど、大丈夫そうだ。」
小高い石垣の様な構造物の上からピンク髪が呼び掛けてくる。
どうも斥候役を務めていてくれたらしい。
「戦闘になる事もあるんですか?」
「たまに哨戒中の部隊が休憩している事があるんです。」
ロリの口振りからすると、珍しくはない光景らしい。
石垣の切れ目(間口5メートル強)から奥に入ると、少し騒がしく熱気がある。
声のする方向に歩いて行くと、先程の銀髪が率いていた部隊と同じ軍装の一団とすれ違い
ゆうすけが身を強張らせる。
「ああ、コイツらはさっきの連中とは全然系列が違うから。」
ピンク髪が振り返らずに説明した。
ガンベルトや縦巻が親しげに軽口を交わしている所から推測しても、いきなり交戦の心配
はないのだろう。
もう少し熱気の傍に近づくと、石をくり抜いた様な円錐体が大量に並んでいた。
どの円錐も一様に灰色で、道に面して窓が付いている。
窓が開いている円錐もあれば閉じている円錐もあり、比率は丁度半々位であった。
開いている窓をゆうすけがそれとなく覗いてみると、植物の様な物を育てている円錐や赤
ん坊が寝かされている円錐があった。
中には窓から外に呼び掛けている者もおり、軍服が齧っている携帯食糧を見せてくる者や
、ツブーテの入った袋を掲げる者も居た。
どうも、この区画が市場の機能を果たしているらしい。
広大な温泉には目算100人弱の利用者がおり、7人前後のグループ毎に歓談していた。
水面には洗濯タライくらいの大きさの船が浮かんでおり、その中に衣服を脱いで入浴する
のが作法らしかった。
ピンク髪はとっとと服を脱いで小舟に乗せた。
「この温泉は宿泊所なのですか? 維持管理の母体は政府ではないのですか?」
不思議そうな表情でピンク髪がゆうすけを凝視する。
「あっ、いや詮索するつもりは無いのですが、異世界人の僕がここのシステムを理解しな
いまま使用して、御迷惑を掛けたら申し訳ないと…」
気が付けば、ロリもガンベルトも縦巻も軍服も全裸のまま茫然とゆうすけを見ている。
軍服が軍帽を被ったまま入浴しているのは地球の価値観からすると明らかにおかしいのだ
が、恐らくこの世界の価値観でも大概なのだろう。
「いや。 何か変な事を言ってしまってますか? 僕はただこの世界のシステムと文化を早目に吸収しておきたいだけなのですが…」
5人はしばらく目を見開いたまま硬直していたが、かろうじて正気に返ったピンク髪が可
哀想な子供でも見るような表情でゆうすけに語り掛ける。
もっとも、事実ゆうすけは可哀想な子供なのだが…
「…あのさあ、兄ちゃん。」
「…はい。」
「こんな事言いたくないんだけどさあ…」
「…はい。」
「冒頭でウチが言った事をまた繰り返して悪いんだけどさあ…」
「…はい。」
「これ深夜アニメじゃん? 誰も設定やら整合性なんて気にしてないのね? 解る?」
「…解りません。」
「…そっか。 そこからかあ。 兄ちゃんコミュ障ぽいもんな…」
「あ、そこから説明お願いします。」
「…うん。 説明って言うか、ちょーっと説教入るかも知れないけどなあ。 あ、とりあえず服脱いで板に乗せてね。 ウチらのマナーだからさ。」
「あ、すみません。」
「話戻すよー。 うーんとねえ、これ深夜アニメなんだわ。」
「あ、はい。」
「あー。 その自覚はあるのね? それでね、深夜アニメって云うのはさあ…
暇な奴とか寂しい奴とかがエロ目的に見る物なのよ。 ズリネタって言葉、知ってるかな? でな、夜中って眠いじゃん? 眠い時に別の世界の法律やら歴史やらをチマチマ語られた所で疲れるだけなのね? 解る
?」
「あ、はい。 何となく。」
「あー、そうかー。 解ってくれたかー。 お姉さん嬉しいわー。 …それでな、こんな時間にアニメ見てる奴らもさ、本心からアニメを見たくて見てる訳じ
ゃないんだわ。
『俺ってこんな時間に何やってるんだろう? だから嫁さん来ないんだよなー。』
とか考えながら、半分空しい気持ちで現実逃避してるのな? 解る?」
「いや、そこまでは考えた事がありませんでした。」
「んー、まあ兄ちゃんの歳の子にそこまで要求するのは酷だな。 まあいいか。 話戻すぞー。
でな、深夜アニメを見てる奴はとっととエロい場面だけ見てスッキリしてから眠りたいん
だわ。 そりゃそうだよな、深夜なんだから。 次の日、仕事や訓練のある奴の方が多いんだからさ。」
「なるほど。」
「だからな。 ストーリーは出来るだけ空っぽにしなきゃいけないし、絵面は出来るだけエロくしなけれ
ばならない。 ウチもこれで結構気を遣ってるんだぞ? いつもならエロくない方のテント張って一泊してから、翌日にここに来てるんだ。 でも、それじゃあエロい作画が出来ないだろ? だから、無理に温泉まで歩いて来たんだよ。」
「あ、気が付かずにすみません。」
「でな。 兄ちゃんが反省しなければいけないのはここからなのよ。 ウチらが皆脱ぎ脱ぎしてシコリティ高い状況作ってやってるにも関わらず、兄ちゃん何の
リアクションしなかったよな?
それどころか、ウチらが脱衣すると云う今話の最エロシーンの途中に出店の観察してたよ
な?
カメラ主人公目線なんだぞ? 兄ちゃんが社会観察(笑)してた所為でウチらの脱衣シーン全カットだぞ!? これ、今絶対視聴者怒ってるぞ?」
「あ、じゃあ、カメラの方に謝罪しておきます。」
「馬鹿ッ! 男の裸で謝られても視聴者逆撫でするだけだろ! ちょっと画面から見切れてろ!」
「あ、はい。」
「じゃあ、皆整列するよ。 ポーズ、ポーズ。 等間隔に横に並んで一人ずつエロアップして行こうか?」
左から順にガンベルト、縦巻、軍服、ロリ、ピンク髪が並ぶ。
「どうする? 何か一言ずつコメントした方がええんちゃう?」
如何にも思い遣りのありそうなガンベルトの発言に皆が頷く。
10個の爆乳が頷きに合わせてプルプル揺れるのも一種のサービスである。
「あ、改めてはじめましてガンベルトの人です。 えーっと、Hな事したらええのん?
この温泉のお湯は飲めるんですよ♪ 異世界に遊びに来る事があったら、試しに飲んでみて下さいね♪」
ガンベルトがその爆乳の谷間に白濁した温泉の湯を湛えて、カメラに密着するように零す
。
その紅潮した羞恥の表情で必死に笑顔を作りながら少しずつ吐息を荒くして潤んだ瞳でカ
メラを見つめ続けるッ!!
ゆうすけよ、解ったか!?
これが視聴者のニーズなのだッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的需要ッ!!
続いてカメラが縦巻に移行する。
何と縦ロールをバネの様に伸ばして乳首と局部に引っ掛け、堂々とカメラに向かって背筋
を伸ばすッ!!
上背こそガンベルトにやや劣る物の、肉食獣の様な雄渾な筋肉は圧巻であるッ!!
「皆さん、深夜の御視聴ありがとうございます。 縦巻です。」
礼儀正しい会釈が済むと、余裕ある笑顔で数秒カメラを見つめ続ける。
そして、おもむろに左手でカメラを掴むと無造作に口元に引き寄せ囁くッ!!
「続きは貴方の夢の中でね。 楽しみましょう♪」
圧倒的ッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的シコリティッ!!
おまえ、そういうキャラだったのかッ!?
続いてカメラが軍服に移行する。
少し小高い場所に居る軍服を映すカメラのアングルは超ローアングルだ。
軍服は足の裏でカメラを掴んで自分にピントを合わせる。
「小官は君達の世界で言う所の士官学校を卒業している! しかも首席でだ!
まあ、戦闘のプロだな! アニメ向きの派手な絵面を約束するので、小官の活躍を謹んで拝聴するように!」
全く流れを無視して自慢話を始める軍服を両隣の縦巻とロリがゴミでも見る様な目で見つ
める。
特にお色気サービスを提供する気もないのか、得意気に腕を組んで何やら独演会ムードで
ある。
御自慢のサーベルを爆乳と局部で挟んで局部を隠すと云う離れ業だけは評価に値するかも
知れない。
足裏グリグリアングルもそちらの性癖の持ち主には堪らないだろう。
「このサーベルはねえ。 首席卒業者のみに与えられる恩賜刀でねえ。 一般の士官さんは黒鞘しか持てないんだ。 やっぱりねえ、朱鞘で配属されると『おッ! 首席だッ!』みたいな期待の目で見られて
しまうのだよ。 それはそれで、中々苦労もあってな… いやあ、この苦労は主席同士でなくては理解されなくてねえ。 妙な連帯感と云うか何というか、ハハハ!」
軍服を無視する様な形でカメラが静かにロリを向く。
一瞬でロリは余所向けの表情を作った。
表情だけでなく、少し身体をくねらせて煽情的なアングルを作りだしている辺り、見た目
に拠らずビッチ気質なのかも知れない。
「こんばんは、お兄ちゃん♪ こんな遅い時間に何をしてたの? ん? 何をモゾモゾしてるのかなー? あー、その顔は何か悪い事してたんでしょう♪」
ロリはカメラを自慢の爆乳で挟んでアングルを固定するッ!!
「お兄ちゃんがこっちに来てくれた時は、二人きりでお風呂しようね♪」
可憐な笑みで小首を傾げ、ロリは人差し指に絡みつく様に舌を這わせる。
「約束だよ♪」
人差し指をカメラに突き付けてから、怪し気にレンズを弄りながらロリは声にならない笑
いを漏らす。
小馬鹿にしているようにも、誘っているようにも聞こえる絶妙の笑い声であるッ!!
続いてカメラはピンク髪に移る。
ところが、ピンク髪は両手に腰を当てたまま何も発言しない。
心底、見下した顔でカメラを見つめるだけである。
しばらくして、急にピンク髪が嘲笑の表情を浮かべた。
「何期待してんの?」
ピンク髪は大きな岩を背に白濁色の湯にゆっくりと浸かり背筋を伸ばした。
数秒してカメラを一瞥すると、小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「ん? オマエラ、ウチは好みじゃないんだろ? 何、?
何かして欲しいの?」
ピンク髪は底意地の悪そうな表情でカメラを眺めてから、何かを思い付いたように、左後
ろの小舟から黒い布の様な物(パンツっぽいデザインだ)を取りだして、温泉の淵に置い
た。 そのまま、足でカメラをその布に向けさせる。
「オマエラってさあ、布にまで欲情するんだって? マジでキモいなwww 御褒美に大好きな布切れ見せてやるからそれで盛れやwww」
自分で言ってておかしくなったのか、ピンク髪は腹を抱えて大笑を始める。
画面には空しく誰の物か解らない黒い布だけが映され、ピンク髪の「チョーウケルンデス
ケドォー」、と云う台詞の混じった笑い声だけが響く。
五者五様ながらも、エロさは確実である。
なるほど、深夜アニメの視聴者が求めているのは、きっとこれなのだろう。
「どう、兄ちゃん? 誰のが二番目に魅力あったー? まあ、ウチは当然一番としてさあ♪」
「ピンクさん以外は、皆素敵でしたよ。」
「なるほどー。 兄ちゃんの本命はウチかー。 好きな子の気を惹きたくて悪口言っちゃう年頃だよなー。 ま、仕方ないわな。 これも絶世の美女に生まれてしまった宿命だよなー。」
ピンクは馴れ馴れしくゆうすけの身体に腕を回す。
改めて身体に触れられると、やはりゴツい。
一番小柄なロリにしても要所要所に筋肉はしっかりとついており、純粋な膂力においてゆ
うすけを確実に上回っているだろう。
「ウチは当然としても、他に好みの女は居た? ウチ以外全員ブスなのは仕方ないとしても地球の女よりはマシだろ?」
「…安産さんのサービスシーンも需要あると思いますけどね。」
「えー? あの人若作りしてるけど結構BBAだよー? 性格も結構裏表あるし、お薦めは出来ないなー。 その点ウチは裏表ないけど♪」
「雑巾を表返しても雑巾ですけどね。」
その時ッ!!
突然、安産のイメージ動画が浮かび上がり、ゆうすけとピンク髪がワイプに追いやられる
ッ!!
イメージ動画とは言え、やはり、脱ぐと桁違いの迫力であるッ!!
特にローブで押さえ付けていた爆乳が解き放たれた時の躍動感ッ!!
ガンベルトと同系でありながらも、更に量感のあるロケット爆乳ッ!!
にも関わらず物理法則を凌駕した柔軟感は脅威ッ!!
左右の豊乳が潰し合い、弾き合っている奇跡ッ!!
更に括目すべきは、『安産』の称号に恥じない圧倒的下半身ッ!!
腿の付け根の意外に発達した筋肉とッ!!
重力に逆らうように天を向いたヒップとッ!!
鍛え上げられた背筋の上を優しく包んでいる背肉の驚異的コントラストッ!!
まさに、まさに、まさに、まさに、まさに、まさにッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的絶対安産体型ッ!!
ワイプ内のピンク髪とゆうすけすら圧倒されて愕然と呟き続けるッ!!
ゆ・ピ「「…あ、圧倒的ぃ。」」
「視聴者の皆さんこんばんは。 安産です。 こんな夜分に視聴して頂いてありがとうございます。 身体を冷やして風邪をお召しになってしまわない様に気を付けて下さいね♪」
イメージ動画の安産はゆっくりとカメラに近づき白濁色の湯に塗れた手で視聴者を撫でな
がら慈母の如く微笑むッ!!
これはやばいッ!!
もはやエロスすら凌駕した未知の領域ッ!!
独り身の奴は今すぐ画面を消せッ!!
いや、皆独り身だろうけどさッ!!
「ん? おっぱいちゅうちゅうしたいの? うふふ♪ そんなに緊張しなくてもいいのよ。」
安産の超ロケット爆乳がゆっくりとカメラに押し付けられるッ!!
放禁ッ!! 放禁ッ!! 放送禁止だッ、こんなモンッ!!
「ほーら甘えん坊さん。 暖かい?」
アウトーッ!! アウトーッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的ッ!!
圧倒的アウトーォォォッ!!!!!!!!
(場面転換)
あまりのッ!! あまりのッ!! 安産のあまりの圧勝振りに全員言葉も無く放心している。
あのピンク髪ですら気まずそうに赤面して股間をモゾモゾしているッ!!
「あ、ピンクさん。 今いいですか?」
意外にも真っ先に正気に戻っていたのは、純男性のゆうすけであった。
無論、この冷静さは『上総忍法・副交感神経遮断』に基づくッ!!
「お、おう。 な、何だよ。」
「では、今夜の深夜アニメサービスノルマはこんな所で宜しいですか?」
「お、おう。 ま、まあ今日はこれ位にしといてやるか…」
その後、着替えた皆はゆうすけの背負った盾をチラチラ見ながら空いている円錐を探した
。
温泉の近場の円錐は全て誰かが使用していたので、結構歩く事になる。
途中、ガンベルトが友人らしいベリーショートの女性を見つけ空きの円錐に案内して貰っ
た。
ベリーショートは社交的な性格らしく、ゆうすけに親しげに話し掛けて来る。
「警備隊の隊長を殺ったんだって? 地球人は気合入った奴ばかりで最高だな!」
「ありがとうございます。 たまたまですよ。」
と言って、ゆうすけの動きが止まる。
「…奴ばかりで、ですか?」
「? だろ? こっちじゃ『地球』って言ったらブランドだよ?」
「僕の他にも地球人がこちらに来ているんですか?」
「? だって、君ら『異世界』の概念を認識してるよね?」
「いや、まあ、パラレルな世界の存在は数千年前から延々と議論されて来ましたけど…」
「そういう事だよ。」
「そ、その数千年前から地球人がこの世界に来ていた、と云う事ですか?」
「ゲート潜って来た連中を『地球人』であるとハッキリ認識出来るようになったのは、こ
の数年だよ。 ほら、今って言葉が通じるからね。」
「それまでは…」
「通じないないなら殺すでしょ、普通?」
「まあ、普通は殺すでしょうけど。」
「ただ、僅かに混血はしてるみたいだよ? 言い伝えレベルだけどね。」
話にピンク髪が割り込んでくる。
「おいおい、今から雑魚寝イベントなんだから、ヒロイン数増やすなよー? ウチの台詞数が減ったら視聴者からのクレームが来るぞ?」
「いや、この人が滅茶苦茶核心に触れてますよ! 今、ようやく世界観明らかになった! 今、ようやく世界観明らかになった!」
「…兄ちゃん、何でそんなに必死なの? まあ、いいけどさ。 尺が無いからとっととイベントこなそうよー。」
ゆうすけはピンク髪を無視して、立ち去ろうとするベリーショートを呼び止める。
「あ、あの! もう少しだけお時間頂けませんか! 貴女ともう少しお話したいんです!」
ベリーショートは少し赤面しながら身体を固める。
「あ、あたしは相手いるし! きゅ、急に言われても! あ。 で、でも誘われちゃったら仕方ないけど、ないけどぉ…」
空き円錐に入ろうとしていた軍服が声を荒げる。
「おいおい! この少年は我々のグループの物だぞ!」
どうも、異世界は小グループ毎の社会単位で動いているらしい。
「で、でも、この子から誘ってきたんだよ!」
軍服は不機嫌そうに「なら仕方あるまいか…」と納得して円錐に先に入っていたロリと縦
ロールに何事かを説明し始めた。
ベリーショートは意外に乙女な性格なのか、ゆうすけの服の裾を摘まんで赤面しながら円
錐に入って来た。
そして、ポケットから銀色の長方体を取り出し、床の真ん中に置いた。
それが通貨的な使用方法なのかは解らないが、この場合ベリーショートが頭を下げなけれ
ばならないルールらしい。
これで話は一旦纏まったらしく、全員で床に毛布の様な布を敷く作業をした。
結局、ゆうすけはベリーショートと抱き合って寝る事になった。
他の五人は納得はしたものの歓迎はしてないらしく、全裸でゆうすけの周囲を囲んだ。
ベリーショートもまた爆乳の持ち主であり、ゆうすけの顔は当たり前の様に褐色の爆乳に
埋め込まれてしまった。
ガンベルトだけがベリーショートの背中側に陣取り、何事かを話している。
「設定をね、知りたいんですよ。」
ゆうすけの囁きが心地良いのかベリーショートは恍惚の表情で抱きしめる腕を強めている
。
「設定?」
「まだ、何の説明もされてないんです。 何故僕がここに居るのか? 何をすればいいのか? ここはどんな所なのか?」
「…そんなの、君だけじゃなくて誰にも解らないんじゃないかな?」
「…。」
「君はどうして地球に居たの? 君は何をしていれば良かったの? そこはどんな所だったの?」
「…すみません。 解りません。」
「別に謝る事じゃないよ。」
「でも、僕は地球に帰らなきゃいけないし、その為にも現状を正しく把握しておきたいん
です。 この人たちには何かはぐらかされてばかりで。」
「…ウチ、はぐらかしてねーもん。」
ピンク髪がゆうすけの頭の方向から拗ねた声を出した。
「ここ最近でね、アタシらと地球人がお互いをハッキリ認識した。 お互いの一部が、お互いの文明の技術、特に戦争に使える物を探し合っている。」
ゆうすけが黙り込む。
「君の知りたかった状況って、こういう事だろ? なら、コイツらがはぐらかすのも仕方ないさ。
コイツらは地球の技術と地球人の奴隷を独り占めした上でゲートを壊そうとしているんだ
から。」
「奴隷とは心外だなあ。 ウチが愛しのゆうすけ君(キュン)にそんな扱いする訳ないじゃないか。」
「全く以て心外である。 小官が最愛のゆうすけをその様に扱う筈がなかろうに。」
「こっちの世界にも奴隷の概念があるんですか?」
「『奴隷』は元々地球の概念だろ? 我々は君達の概念の大半は知ってると思うよ?」
「貴女達に情報を流している地球人が居るんですか?」
「? 君は何を言ってるんだ?」
「?」
「情報を流し続けているのは、君の所属する日本部族ではないか? その証拠に、我々はこうして日本語を話している。」
「!」
ゆうすけはベリーショートの爆乳から顔を剥がした。
「日本が異世界に?」
「何を驚いている? コンタクトを取って来たのは君達日本部族だろうに? それも何十年も前から、君達の公的機関を窓口に。」
「に、日本から異世界にですか?」
ピンク髪が不思議そうな顔でゆうすけを覗きこむ。
「兄ちゃん。 勉強家っぽい癖に何も知らないのかよ?」
「も、申し訳ないです。 僕は公務員ではないので、その対外的な事は、何も…」
「? メッセージは兄ちゃんも普段見ている筈だけど?」
「ぼ、僕がですか? い、いや済みません。
思い当たるフシが…」
ベリーショートが静かに立ち上がると軽々とゆうすけを抱え上げ御姫様だっこの形を取っ
た。
ガンベルトがベリーショートの肩にローブを掛ける。
「丁度、この時間だろ? 君達のメッセージは?」
「こ、こんな夜中にですか?」
「ああ、もう少し時間に配慮をするべきではあるな。」
ベリーショートはゆうすけを抱いたまま円錐を出て、三軒隣の大き目の円錐にゆっくりと
歩いていく。
その円錐の入り口には数人の少女が食べ物を齧りながら座り込んでいる。
ベリーショートが声を掛けると、少女達が頬を紅潮しながら駆け寄って来る辺り、この近
所の名士なのかも知れない。
入口からは派手な光と華やかな音楽が漏れており、その熱気からは中に大量の人間が居る
事が確認出来た。
気が付くと、軍服以外の全員がベリーショートの後ろを歩いている。
「作業中よ。」
神経質そうな片眼鏡が中から出て来て、入ろうとしたベリーショートを制する。
「多分、作業の役に立つと思うよ。 本場の地球人殿を連れてきたんだから。」
「!」
中に居た女達が一斉に振り返る。
「割拠派の連中が連れて来ちゃったんだ。 ほら、警備隊を殺した地球人。 よりによってここに来てしまった。」
片眼鏡の女が深刻な表情で少し俯いてからすぐに顔を上げる。
「これ以上目立ちたくないわ。 兎に角全員入って。」
そして、円錐の中には何の変哲もない大きめの水桶が置いてあり、その水面には何かの絵
が映っていた。
まるで学生服の様な衣服を着用した男女。
陳腐なBGM。
声優独特の媚びた作り声。
そう、そこに映っているのは紛れも無く深夜アニメだった。
「まさか、地球人と直接話す日が来るなんて思ってもいなかったわ…」
片眼鏡がゆうすけの顔を無感情な目で見つめる。
ゆうすけはこれに取り合わず、ただ水桶に映る深夜アニメを見ていた。
設定厨よ、満足か?
エロシーンを削ってまでストーリーを掘り起こしてやったぞッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的超展開ッ!!
次週、激闘必至ッ!!
見ての通り画面は豪華絢爛大爆乳祭りであるッ!!
ピンク髪ッ!!
ロリッ!!
縦巻ッ!!
軍服ッ!!
ガンベルトッ!!
…に加えてッ!!
褐色長身美女のベリーショートッ!!
切れ長釣り目の片眼鏡ッ!!
七人の爆乳ッ!!
安産も加えれば八人分の爆乳がここには存在するッ!!
ゆうすけの前に並ぶ14の巨大な肉塊はまさしく圧倒的ッ!!
円錐の中に充満する雌獣の芳香ッ!!
淫靡ッ!! 妖艶ッ!! 官能ッ!!
この漂う香りだけは無理と解っていてもアニメで表現しなければならないッ!!
作画班ッ!! 任せたッ!!
「状況を詳しく説明して頂けませんか? 特に、この世界の対日世論について重点的にお聞かせ頂きたい。」
正座の体勢で背筋を伸ばして真剣な面持ちで発言するゆうすけを七人が憐みの目で見下す
。
「…少年。 今はエロパートだぞ?」
軍服の言葉に他の六人が頷く。
「いや! 勿論、仰る事は解らないでもないです。 ですが、この状況は地球にとってもこの世界にとっても非常に危険なのです! 可及的速やかに善後策を検討する必要があると判断します。」
ピンク髪の表情から歪んだ笑いさえも消え、無機質な視線だけが残った。
「この設定厨マジでキモいなあ。」
ガンベルトやロリはピンク髪を一応窘める素振りを見せたが、この世界の価値観では七体
の爆乳女体を前に国際情勢を論ずるゆうすけが奇異に映るらしい。
まあ、地球の価値観でもゆうすけの態度はおかしいのだが。
「片眼鏡の人。 研究に携わっておられる方と見受けました! 僕には貴女の情報収集に協力する意図があります! 意見交換の場を持たせて頂けませんでしょうか?」
軍服が虫でも見るような目でゆうすけを冷やかに見下したまま、片眼鏡に声を掛ける。
「実物の地球人を見た御感想は?」
片眼鏡は全くの無表情のまま、軍服に答える。
「良くも悪くも極端に地球的な発想をする子よね。 これは根拠のない私の勘なのだけれど…
この子って地球の中でも飛び抜けた異端なのではないかしら?」
正解ッ!! 伊達に眼鏡キャラではないッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的洞察力ッ!!
「いや、僕は平凡な高校2年生ですが…」
ゆうすけのテンプレ回答に七人は顔を見合わせる。
「…この台詞を生で聞ける日が来るとは思わなかったな。」
「やっぱり、地球人の口癖なんだよ。」
「ラノベかッ!」
等と好き放題に呟く。
妙な間があってから、片眼鏡が口を開いた。
「増田君。 今ね、エロイベントなの? 君も子供じゃないからそれ位は解るよね?」
「いや、一応は…」
「全然、解ってないよね? これ深夜アニメがどうこうと云う次元の話じゃないのよ? 生物として、当然こなすべきエロイベントに君が対応出来なければ…
私達が日本部族に対してどんな印象を持つかな? ねえ? 君一人の問題じゃないんだよ? こういうのって、日本部族が一番気にする部分だと思ってたけど。 国外に出るって事は否が応にも日本を代表するって事なんだよ? 私の言ってる事間違ってるかな?」
片眼鏡は相当日本事情にも通暁しているらしく、理路整然とゆうすけを叱責する。
物言いのキツさは根っからの性格だろう。
「は、はい。 失礼しました。」
流石のゆうすけも恐縮する。
考えても見れば
【エロイベント進行中の女性に対して政治情勢の意見交換を求める】
と云う行為はあまりにも物狂いである。
圧倒的ッ!! 圧倒的狂気ッ!!
「私も言い過ぎちゃった。 ごめんね。」
打って変わって、片眼鏡が優しい声色でゆうすけの隣に跪き腕を艶めかしく回した。
奇しくも、水桶の中の深夜アニメもエロシーンに突入しており、中のキャラは地上波とは
思えない嬌声を挙げていた。
「あ、いえ。 ちゃんと、副交感神経を繋げますね。」
ゆうすけも余程反省したのか、【上総忍法・副交感神経遮断】を解除した。
これで、理論上人並みの性欲が発動する筈であるッ!!
他の六人もゆうすけを爆乳で囲むッ!!
もはや言葉は不要ッ!!
きっとこれが異世界人なりの最上のもてなしなのだッ!!
受けねば不粋ッ!! 楽しまねば国際問題ッ!!
男子なら据え膳を堪能せよッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的ッ外交的配慮ッ!!
14の爆乳がゆうすけの全身を包むッ!!
これはッ!! これはッ!! 男の夢ッ!! 見よっ!! これぞッ!! 異世界ハーレム技ッ!! 爆乳布団ッ!!
見よ諸君ッ!! 7人の美女の圧倒的爆乳がゆうすけを抱きしめているッ!!
忍法を解除したゆうすけにもはや精神的障壁は絶無ッ!!
この温もりを堪能するしかないのであるッ!!
もはや、布団を超えッ!! 爆乳すらも超越しッ!!
生命生誕の胎内ッ!!
7つの鼓動がいつしかシンクロしッ!!
ゆうすけを更なる異世界に誘うッ!!
「怖くないからねー♪」
ロリの年齢不相応の蠱惑的な囁きが響くッ!!
その瞬間、ロリが爆乳布団に母乳を静かに噴出ッ!!
ロリの噴出を感じた他の六人も微笑みながら母乳を噴出ッ!!
ゆうすけは爆乳と母乳に埋もれ白い光を見たッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的異世界爆乳ハーレムッ!!
これでも尚、この作品をタイトル詐欺アニメと呼べる者は居るだろうか?
いや、居ないッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的タイトル回収ッ!!
(場面転換)
心地よい気怠さを感じながらゆうすけが目を覚ますと、頭がベリーショートと片眼鏡の爆
乳に左右から挟まれている事に気付いた。
腕枕ならぬ、爆乳枕である。
ただ、心地よい。
ゆうすけは微動だにせず、温もりを味わい続けた。
「物心付く前に母親が死んでしまって…」
ゆうすけがポツポツと語り出す。
片眼鏡が爆乳の隙間に手を差し込み、優しくゆうすけの髪を撫でた。
「本当なら恋人とか欲しがらなきゃいけない年頃なんだろうけど…」
ベリーショートの手がゆうすけの手を包み直す。
それが彼女なりの相槌なのかも知れない。
「でも、母親を知らないまま、恋人とか異性関係とかの事を考えるのがどうしても納得出
来なくて…」
ゆうすけの視点からは確認出来ないものの、他の五人も静かに目を開けてゆうすけの独白
に耳を傾けていた。
「自分と同じ年頃の人間には皆母親が居て… そりゃあ、僕以外にも母親の居ない人間なんて幾らでもいるんだろうけども。」
乳を伝う雫が露なのか涙なのかは、ゆうすけにすら解らない。
そして、しばらく黙り込んでしまう。
彼女たちなりに気を遣っているつもりなのか、誰も物音すら立てない。
「…いい夢を見れました。」
突然、トーンが変わる。
増田ゆうすけの声がはっきりと覚醒した。
その声にははっきりした強い意思があった。
ゆうすけは全く躊躇せずに身を起こす。
「昨夜は… 何と言うか新鮮でした。」
それが虚勢なのか忍術なのかは解らないが、ゆうすけの声は非常に社交辞令的な明るさが
あった。
笑顔を作っては居るものの、笑っても喜んでもいない。
「いや、私達もつい昂ぶってしまってな。 普段からこんな性生活を営んでいる訳ではないんだぞ。」
同じくベリーショートも寂し気な笑顔で答える。
「エロパートもちゃんと消化出来た事ですし、お互いの世界について情報交換させて頂け
ませんか?」
ゆうすけは一番知識量を持っているであろう片眼鏡だけを見て言った。
ベリーショートがゆうすけの左手に触って来たので機械的に握り返したが、相手を顧みる
素振りは見せなかった。
「そうね。 質問を受け付けるわ。」
「もしも、地球の情報について知りたい事があれば…」
「いえ。 我々は日本部族を通してではあるけれど、地球については一通りの知識を保有しているの
。」
「アニメでですか?」
「最近のアニメには視聴者の字幕『弾幕』だっけ?が付くでしょう? あれで飛躍的に地球の情勢を把握出来る様になっているのよ。」
「…。」
「むしろ、私を始めとするこの世界の人間が一番知りたい事は、『地球人が何を知りたが
っているか?』なのよ。」
「僕らが何を、ですか?」
「ええ。 特に日本部族の異世界信仰は度を越している様に見えるから。 こちらとしても相当警戒はしているのよ。」
「日本に異世界信仰なんて…」
「例えば竹取物語、あれは月と云う異世界の姫君の話よね? 浦島太郎は竜宮城と云う異世界の話。 そして桃太郎は、…鬼ヶ島と云う異世界を侵略して財宝を略奪する話。」
「いや! 流石にそれはこじつけです!」
「そうかしら? 日本部族は自分達にとって都合の良い世界を一まとめにして『異世界』と呼んでいるよう
な印象を受けているけど。」
「昔話ですよ! 娯楽が少なかった時代の!」
「でも、趣味娯楽がこれだけ多様化した時代を築いてさえ日本部族は異世界アニメを大量
生産し続けてるわよね? 最近の深夜アニメだけでも、タイトルに『異世界』と付く作品がどれだけあったかしら?
」
「…いや、それは。」
「中身は全部同じ。 日本部族の男の子が異世界の女に愛される話。 異世界で好き放題暴れる話。 日本部族の価値観を異世界に押し付けて悦に浸る話。」
「それは悪意に満ちた解釈です!」
「感想に善も悪もないの。 少なくともこの世界の住人は地球人を危険な存在と認識しているし、その中でも日本部族
を最も警戒するべきだと確信しているの。」
「…。」
「これはこの世界の総意よ。 日本部族は私達の世界を完全に認知した上で征服を正当化させるプロパガンダを流し続け
ている。」
「侵略の意図があるなら、その相手に情報を流す訳ないじゃないですか!」
「情報漏洩自体は日本側の認識外で起きている事故だとも考えられるわ。」
「…いや、それもないです! 日本が異世界を具体的に認識しているのなら、すぐに軌道修正する筈です。 少なくともあなた方を刺激する内容のアニメは絶対に制作しないし、放映も許可されない
。」
「少なくとも、私達は地球人をそう云う存在として捉えているし、日本部族こそがその尖
兵的存在だと確信している。」
「…状況は理解しました。 で、あなた方は地球とこの世界の通行を遮断したい訳ですね? 貴女達の目的がそうであるのなら勿論僕も賛同しますよ。」
「呑み込みが早くて助かるわ。 出来れば、これ以上勝手にアニメを放映するのも止めて欲しいのだけれど。」
「そこが解らないんです。 こちらに漏れているのはアニメだけなんですか? ニュースやドキュメンタリーはこちらでは流れていないのですか?」
「ニュースや天気予報、バラエティやドキュメンタリーと云うジャンルの存在は知ってい
るわよ。 …アニメを通じてね。」
「よく、アニメの絵なんかで僕たちの存在を実感出来ましたね。」
「実写が取り込まれたアニメも多いから。 『バックステージアイドルストーリー』や『おへんろ』は我々にとって最高の情報源にな
ったわ。」
「それは、日本のアニメばかりが流れて来るんですか?」
「そうよ。 全部同じ言語。 そして地球で日本語を使うのが日本部族のみである事もこちらは確認済みよ。 それが、私達があなた達を警戒する理由。」
「理には適ってます。 僕がこの世界の住人でも同じ結論に至ったでしょう。」
「理解が早くて助かるわ。
で、私達も含めたこの世界の住人はゲートの破壊を希望している。 これは政府の連中も同じ。 私も一度だけだけど生まれたてのゲートの存在を通報した事があるしね。」
「じゃあ、政府の方とあなた達はどの部分で対立しているのですか?」
「政府は地球の技術を幾つか確保してからゲートを閉じようとしている、と思う。 素振りから察するに。 で、私達はそれに対抗する技術を政府より先に確保した上でゲートを閉じようとしている
。」
「なら、基本的にはお互いの世界を断絶させようとしてくれてるのですね?」
「そうよ。 残念?」
「いえ、ほっとしました。」
「で、君にとって悪いニュースだけど…」
「…聞かせて下さい。」
「地球人も似た様な事を考えているの。 私達以上の必死さでこの世界の技術を地球に持ち帰ろうとしている。 勿論、軍事目的でしょうね。」
「…最悪のニュースですね。 でも、教えて下さった事に感謝しています。」
「…御愁傷様。 地球はまた荒れるわね。」
話しながらゆうすけは全ての装備を装着し終えた。
女達も外出用の服装に着替える。
「ところで、僕は地球に帰る事が出来るんですか?」
「そりゃあ、ゲートを通れば、な。」
ピンク髪が後ろから声を掛けて来る。
「今は通れないんですか?」
「残ってるゲートは政府の連中が護ってるだろうからな。」
「じゃあ、貴女達はどうやって地球に来たのですか?」
「そりゃあ、一番手薄なゲートの警備員を皆殺しにしてさ♪」
「じゃあ、今は警備が更に厳重になってるんですね?」
「…多分な。」
「僕が政府の人と話し合って帰還させて貰う事は可能ですか?」
「…それも多分可能。 政府は兄ちゃんを歓迎するだろうしな。 ウチらにとっては好ましくない状況だけどな。」
「僕が政府の方と接触しようとすれば、どうなります?」
「殺す。 …には、惜しいしなあ。 さあ、どうしようか? オマエら何かアイデアあるー?」
ピンク髪が一同を見渡す。
「殺す。 …のは勿体ないな。」
軍服がピンク髪に賛同する。
他のメンバーも概ね同意らしい。
「じゃあ、僕がこの世界の政府の警備を掻い潜って地球に帰るのはありですか?」
「出来るのか? 今、残ったゲートはどこもガチガチに固められてると思うぞ?」
「僕の忍術に死角は存在しない。」
「それ、アニメだと死亡フラグだぞ?」
ピンクが呆れた様に突っ込む。
(場面転換・温泉地帯)
「昼間も皆、温泉に浸かってるんですね。」
「のんびりしたモンだろう。」
「と云うか、政府の人多くないですか? 皆、あの鎧を着てますよ?」
「そりゃあ、多いだろうな。 温泉なんだから。」
「あの人達、お仕事とかしなくていいんですか?」
「兄ちゃんは『働きアリの法則』って知ってるか? あの法則は、この世界でも有効だぞ? だから、アイツらが遊んでるって事は、代わりに働いている奴も居るって事だ。」
「…随分いい加減ですね。 いや、よそ様の職業倫理をどうこう言うつもりはないんですけれど。」
「じゃあさ。 何でこの世界の連中は地球人に比べていい加減なんだと思う。」
「それは、社会体制の違いとか、気候とか文化とか人口密度とか…。」
「言い方を変えようか…。 地球の連中は何で必死に社会活動をするの?」
「そりゃあ、人間は社会の中で生きているから…」
「なあ、兄ちゃん。 兄ちゃんがウチらの世界を知りたがってるから、ウチらなりにヒントを出してやってるん
だぜ?
もうちょっと、真剣に考えてみないか?」
「か、考えてますよ! しょ、食生活が地球よりもシンプルに見えますし。 個人主義的傾向が強い様にも見受けられます! それに、果実の成った樹木の比率が地球に比べて高い事にも気づいてましたし!」
ピンク髪が鼻で溜息を吐いて、つまらなそうに首の関節を鳴らした。
ガンベルトやベリーショートが何か言いたそうにしていると云う事は、ゆうすけが何か致
命的な見落としをしている証拠なのであろう。
「なあ、兄ちゃん。 異世界と地球の決定的な違いは、この温泉光景の中にある。 良く見てみ。」
ピンク髪が顎でゆうすけに温泉を見る様に指図した。
ゆうすけの目線が広大な温泉に向く。
「せ、泉質のアルカリが地球に比べてやや強めである事は気付いてますよ! 硫黄臭は全くしない。 小さな魚が泳いでいる事からも、魚類の肉体構造が地球と異なる事も推測出来ています!
そ、それに昨日も思った事ですが、岩石がどれも柔らかく加工し易そうです。 これは石器文明が地球よりも成立し易い条件なのかも知れない!」
失望したような眼でロリがゆうすけを一瞥する。
「まあ、環境的な事はいいよ。 それよりさぁ。 入浴中の連中を見てどう思った?」
ピンク髪はもはやゆうすけの顔すら見ていなかった。
「あっちのグループは軍人さんではない様ですが、皆さん体格が立派です。 日本人が地球の中では小柄な部類の民族である事を差し引いても、こちらの世界の方が大
柄に出来ていると思いました。」
「それで?」
「皆さん、入浴されながら食事を取っておられる。 これは地球ではあまり見かけない文化です! それに、口まで深く浸かっておられる方が多いです。 地球では殆どの人間が肩までしか浸かりません。」
ピンク髪は聞こえよがしに「…ハア。」と溜息を吐いた。
他の連中も似た様な表情をしていると云う事は、ゆうすけは何か致命的な観察ミスをして
いるのだ。
「うーん。 なあ、皆。 ウチから兄ちゃんに答えを教えてやってもいいか?」
誰も賛同の声を挙げない代わりに反対もしなかった。
ゆうすけは必死に入浴を楽しむ女達の観察を続ける。
「…兄ちゃんさあ。 ウチらの世界に来てから一人でも男を見かけたか?」
「お、男の人ですか? …そう言えば、一人も。」
「あのな。 ウチらが地球人と決定的に違いはな。 進化の過程で『性別』を持つ事を選んだか否かなんだ。」
「こ、この世界には『有性生殖』の概念が無いのですか!?」
「うーん。 そのリアクションも少しずれてるなあ。」
気が付けばピンク髪以外は入浴の準備を終えて湯に浸かり始めていた。
「す、すみません。 そこはうっかり見落としておりました…」
ピンク髪は無感動な表情でゆうすけの目を覗きこむ。
「滅ぶなあ。 地球人。」
幸いな事に近場にゲートはあり、そこを潜れば確実に千葉市近郊に帰れるらしい。
問題はそのゲートが世界政府政庁都市に隣接する直轄地内にあり、相当警備が厳重な点で
あった。
「いや、問題はそこじゃないです! 何故? どうして『千葉』なんですか!? まず、僕にはそこが解らない!」
「日本と言えばアニメだし、アニメと言えば千葉だからなあ…」
ピンク髪が頭を掻きながら面倒くさそうに答える。
「いや! 理由を! ゲートが千葉に繋がっている理由を教えて下さいよ!」
「政府の奴らが言ってるだけだからなー。 ウチは学者じゃないしー。」
ピンク髪は首をコキコキ鳴らしながら温泉地帯の出口に歩みを進める。
見かねたガンベルトが入浴中の兵士の一団に向かって声を掛ける。
「すみませーん! 農場横のゲートって接続先はどこでしたっけ?」
一団は果物らしき物体を切り分けている最中らしく、殆どの者が湯面に浮かんだ俎板に夢
中だったが、外周に居た3人程が、『ちばー』と叫んでくれた。
「ほら、千葉やよ! 巡察隊が言ってるんやから♪」
ガンベルトが満面の笑みで、ゆうすけに説明すると他のメンバーも得意気に頷いた。
ゆうすけは渋い表情で黙り込む。
無論、納得した訳ではなく、議論が無駄だと悟っただけである。
兵士の中の誰かが、『ゆうすけー』と大声で読んだ。
思わずゆうすけが振り向くと、全員で腹を抱えて笑う。
「凄いなあ、兄ちゃんモテモテじゃねーか!」
「いや。 何か馬鹿にされてるような気が…」
「オマエ、本当に馬鹿だなあ。 少しは気があるから声を掛けるんだろうが。」
「いやいや。 僕は地球人で珍しいだけだから…」
「振ってみ。」
「?」
「いいから、手を振ってみな。」
「いや。 手を振る理由が無いですよ。」
「いいから、言う通りにしな。」
ゆうすけが渋々手を振ると、兵士達が甲高い声で笑いながら手を振り返す。
悪乗りして岩場に登り全身を振る者まで居た。
「…。」
「…。」
ピンク髪もゆうすけも何も言わずに並んで歩いた。
「…これがオマエの仕事だ。」
「…あんなのが仕事な訳ないでしょう。」
「あれがオマエの仕事だ。」
その話はそこで終わったらしく、ピンク髪はそれ以上何も言わなかった。
温泉地帯の出口付近に群れていた大量の牛っぽい生き物に分乗して2時間程走行した以外
に特筆する事はない。
1頭の牛に2、3人ずつ乗るのが作法なのか、メンバーは異世界語で嬌声を上げながら牛上
で燥ぐ。
ゆうすけはガンベルトの操る牛に乗った。
ゆうすけがガンベルトに言われるままその腰にしがみつくと、縦巻が無言でゆうすけの腰
にそっと手を回した。
途中、ゆうすけが牛っぽい生き物の生態と社会的意義を必死で尋ねるも有効な回答は得ら
れなかった。
恐らく、一番親切であろうガンベルトに対象を絞って聞き出そうとするも、要領を得ない
。
一番、口が軽いであろうピンク髪に質問の矛先を向けてみるも、機嫌が悪いのか冷たくあ
しらわれるのみであった。
ピンク髪にあしらわれるゆうすけに見かねたのか、ガンベルトが色々と気遣って話し掛け
てくれた。
「この生き物は地球で言う所の牛です。」
「この世界の家畜なんですか?」
「うーん。 地球の方が仰る家畜の概念がこちらの世界には無いんですけれども…。」
「あの、僕が何か答え難い質問をしてしまいましたか?」
「いえ! ゆうすけ君が悪い訳ではないんですけれども…。」
「ひょっとして、こちらの世界の方は我々が家畜を飼っている風習をアニメで見て、それ
に対して違和感なり嫌悪感を感じておられると言うことでしょうか?」
「いえ。 別に嫌悪とか…」
言葉とは裏腹に明らかに顔を曇らせたガンベルトを見て、ゆうすけは無言で必死に仮説を
組み立て始める。
そして、思考を纏めて周囲をふと見渡せば、他の者達が警戒の表情でゆうすけを観察して
いる。
ロリや片眼鏡と目が合うも、彼女達は素早くゆうすけから目を逸らした。
「すみません。 この話は止めます。 気に障ったなら許して下さい。」
ゆうすけが話題を打ち切ると一同は安堵の笑顔を浮かべた。
ゆうすけは何事も無かったかのように『小腹がすきました』『喉が渇きました』と無難な
愚痴ばかりを零す。
その度に、ガンベルトやロリやベリーショートが携帯食糧や竹筒の様な水筒を渡してくれ
た。
丁度、併走する真横に軍服が居たが食糧も水も何も分けてはくれなかった。
誰も何も言わない所を見ると、そういうキャラクターなのだろう。
ゆうすけが家畜の話は忘れた様に出来るだけリラックスした様子を装っていると、徐々に
周囲の緊張もほぐれてきた。
無論、ゆうすけは家畜の話を諦めた訳ではない。
相手の警戒を解き、より高度かつ本質的な情報を引き出す為の忍術である。
途中、立派な装飾を付けた牛に乗った一団と接近しかけたので慌てて距離を取った。
一団は5分程追いかけてきたが、すぐに追走を断念して姿を消した。
「あれは政府の連中だ。 あの赤い旗は地方から正規の命令を受けて招集された部隊である事を意味する。」
ベリーショートが簡潔に状況を解説する。
「あれ以上は追って来ないのですか?」
「仕事のフリをしに来た連中だからな。 言われない事は原則としてしない。」
「なるほど。」
異世界人の言う『政府・地方』の概念を詳しく尋ねたいとは思うも、ゆうすけは押し殺し
てチャンスを待つ。
どうせ今尋ねても教えてはくれないだろう。
2時間の騎走の後、一同は甘い香りのする林に着いた。
厳密には2時間7分。
ゆうすけの体内時計は絶対であるし、この程度の芸当は忍術ですらない。
「腹の減ったフリは辛かっただろ?」
牛から降りたゆうすけにピンク髪が話し掛ける。
ゆうすけに対し背中を向けたまま話し掛けて来るので表情は読めないが、ゆうすけはピン
ク髪の平静を装った声のトーンと動きを殺した指先から、ピンク髪のこの発言が思案の末
に発されたものである事を看破していた。
忍者は相手の背中からも表情を読む事が可能である。
これぞ、上総忍法・月読ッ!!
無論、異世界人の心身が地球人と大きく異なる事は承知の上であったが、それでもそれが
生物である限り忍者の観察力から逃れる事は出来ないッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的観察力ッ!!
「別にフリとかじゃないですよ。 普段、女の人と話す機会もないし。
こういう時どんな会話をしていいかも解らなかったですし。」
相手の探りを探る為に、出来るだけ無難な返答を心掛ける。
それが全ての流派に共通する忍者の話術。
ピンク髪は一瞥だけして背中越しに話し始める。
「この付近一帯は『果樹園』と呼ばれている。 『温泉地帯』と同じく、ここでも戦闘行為は原則禁止だ。 但し、煽った場合は斬られても文句は言えない。」
ピンク髪が先に歩いたまま淡々と説明を続ける。
ゆうすけが左右を盗み見ながら歩く様子を見て、片眼鏡とロリが寄って来て補足する。
「ここは子供を産みたい子が集まる所なの。」
「病院みたいなものですか?」
「うーん。 アニメに例えると『合コン』かな? いや、『ナンパスポット』かしら?」
「??」
「ようするにですね。 妊娠したい人はここに住むんです。 それで気に入った子種を待つスタイルですね。 一生ここで過ごす人も少なくないです。」
「?? イメージが沸かないです。 政府が作った施設なんですか?」
「政府の人間もたまに利用しますが、基本的には関係ありません。 大昔からある風習ですね。」
「?? こんな施設も整ってない所で出産するんですか? いや、失礼。 貴女達を侮辱する意図はないのですが…」
「地球人にこれを言うと感情を害するかも知れないのだけれど…」
そこで片眼鏡が口籠る。
どうも彼女たちなりに地球人に配慮しているらしい。
「いえ! 僕は一切気にしません! 是非、お聞かせ下さい。」
ロリと片眼鏡が顔を合わせる。
軍服やベリーショートは勝手にどこかに歩いて行ってしまった。
「地球の人が病院でしか子供を産めないのってね?
生物として少し致命的だとは思われてるのよ。」
片眼鏡がゆうすけの顔色を伺いながら慎重に話を進める。
「いや、気は悪くしてませんので、続けて下さい。」
ロリは語る。
「私達は出産時期を調整出来るんです。 通常我々は妊娠から8か月で出産可能なのですが…
育ちの遅い子であれば自分達の意思で調整出来るんです。」
「わざと遅らせて出産出来る、と?」
「と云うより、ある程度胎児が育つまで待って任意のタイミングで出産するの。
私も最初の子は13ヵ月掛けたわ。 地球人は10か月前後で自動的に生まれて来ちゃうのよね?」
「ええ、仰る通りです。」
「だから、生殖に関しては地球人が心配する様な事は何もないわ。 私達がアニメを見て地球人の生活に冷や冷やする事は多いけど。」
「…理解しました。 僕がこちらの世界の方に失礼な事を言ってしまったようですね。」
歩くうちに匂いが濃厚になってくる。
ゆうすけは静かに袖中に仕込んだ防塵マスクを探り、装着すべきか迷う。
そもそも地球の防塵マスクがこの匂いに有効であるとは思えないし、これ以上異世界人達
の心証を害する事は避けたかった。
だが、匂いの有毒性は怖い。
「そう言えば甘い香りが強くなってきましたね。」
何気ない振りをして周囲に話を振る。
気が付けば、ロリと片眼鏡と縦巻しか残っていない。
「果物と母乳の香りが混じってますから。」
ロリの毒気のない笑顔からは、こちらの健康面への危惧を持っている気配はない。
「地球人の僕が食べても大丈夫でしょうか?」
出来るだけ平静を装って片眼鏡に話し掛ける。
「今までの地球人も普通に食べてたから大丈夫だと思うわよ。」
この貴重な一言が異邦人たるゆうすけにはありがたい。
「僕も食べてみたいです。」
作った笑顔を振り撒きながら、ゆうすけの頭は情報整理を始める。
1、ここは異世界人にとってのお見合い所兼ラブホテル兼出産所。
2、片眼鏡の言葉が嘘でなければ甘い空気に毒性はない。
3、これまでにも幾人かの地球人がここを訪れている。
牛で走った草原よりは危険性の低い場所に居ると判断して差支えないのだろうか?
正確な状況把握が困難な為、気の抜き所が本当に解らない。
何より、異世界の情報をほとんど入手出来ていない。
「ここですよ。」
ロリが笑顔で扉の付いた樹木を指差す。
住居、であろうか?
扉の作りは精巧に見えるし、窓らしき物が隣に付いている所を見ると、樹をくり抜いただ
けの物では無さそうである。
ロリが扉に向かって呼び掛けると、静かに扉は開いた。
僅かな軋みも聞こえなかった事から考えると、見た目によらず良い建物なのかも知れない
。
「どうぞ。」
ロリの実家なのだろうか。
さして遠慮する風でもなく、扉の中に歩いて行く。
ゆうすけが後を追うと、樹の中は大きくくり抜かれ壁や天井が綺麗に磨かれていた。
目算で12畳前後の面積である。
中には大柄な女性が二人半裸で寝転がっていた。
その周辺に子供が7人、みな果物の皮を剥いている。
ロリや片眼鏡の顔を見て軽口を叩き合っている様子を見ると、面識は深いらしい。
「ここは彼女達のグループの実家なの。 子供の頃、私も良く遊びに来たわ。」
ロリ達は親戚同士で、片眼鏡とベリーショートは近所の幼馴染であろうか?
ゆうすけは無言で頷きながら人間関係を整理する。
「例のゲートに一番近いのがここなのです。」
ロリがゆうすけに剥いた果物を出しながら、説明を始める。
本当は食べたくなかったのだが、長丁場になった場合も計算に入れて味を確かめておく。
ブリーベリーとミルクを混ぜた様な味で、地球人の舌には合う様に感じた。
もっとも、成分が解らない以上、嬉々として貪る気にはなれない。
「じゃあ、政府の拠点にも近いんですか?」
「ええ、私達は首都と呼んでいます。 先に行っておきますけど東京程大きくありませんよ?」
「なるほど、首都ですか。」
「ここは昔は首都の人達が遊ぶ為の果樹園だったんです。 いつの間にか誰でも使っていい事になりました。」
ここに来て、ゆうすけにも異世界の発想法が見えて来る。
彼女達の話が嘘でないとすれば、地球ほど私有に拘らない文化であるのだ。
そして、組織や家族に対する帰属心が薄いようにも見える。
であれば、異世界人の目に地球人の所有欲がどう映るか、の話なのだ。
「いい習慣ですね。 羨ましいです。」
何気なく答えたゆうすけをロリが不思議そうな表情で見つめる。
「日本部族にだって幕張海浜公園があるじゃないですか?」
「…そうですね。 もしも日本に帰れたら遊びに行ってみます。」
「帰るんですか?」
「ええ、もしも未知の技術が地球に流入し続ければ… そして、それが軍事色の強い物であれば、間違いなく災いをもたらすでしょうから。」
「もう手遅れだと思いますよ。 最近は『賢い地球人』も多いらしいですから。」
「『賢い地球人』ですか?」
「パニックになったりしない、賢い人達です。」
ゆうすけは『賢くない連中は殺されてきたんだろうな』とだけ悟る。
つまり、かつては異世界人と地球人には意思疎通手段が無かった為に、地球人が異世界に
偶発的に紛れ込んでも、その大半が殺害されてきた。
だが現在では、日本アニメの流出により、異世界側が日本語と地球の風習を知ってしまっ
た為に、ある程度コミニュケーションが成立している。
話が通じるのならば、異世界に来た地球人は当然『何らかの有益な手土産』を持って帰ろ
うとするだろう。
現在のゆうすけが情報を手土産にしようと考えているのと同様に。
「それじゃあ、ますます地球に帰らなきゃ… 勿論、ここを離れるのは残念ですけれど。」
「地球に帰ると何かいい事があるのですか?」
「いえ、全く。」
ゆうすけは即答した。
母親とは死に別れている上に、友人も恋人も居ない。
地球が増田ゆうすけを必要としていないように、増田ゆうすけも地球を必要としていない
。
「それなら、このまま…」
「御提案は光栄ですが、帰ります。」
「やはり故郷には帰りたいものですか?」
「…帰りたいとは思いません。 帰るべきであるから帰るのです。」
言葉に出してから、ゆうすけはようやく自分の気持ちを整理出来た。
増田ゆうすけは単に義務を果たしたいのだ。
そして、その願望は子供っぽい認知欲に基づいている事も自覚してしまう。
「僕は日本部族の一員ですから、部族を危機から守る義務があります。 勿論、本当はそんな義務もないし、期待をされた事もないけれど。」
ロリが溜息を吐く。
「やはり殺してしまうのは惜しいですね。」
「…見逃して頂ければありがたいです。」
ロリの隣に居た片眼鏡が雑巾の様な樹皮で床を拭きながら口を開いた。
「どのみち、今は警備が厳重すぎるからここで何泊かするつもりなの。 と云うよりこの子達のグループは元々こっちが拠点だったのだけれどね。 で、聞きたい事があるのならここで説明してあげるわよ? 私で解る事であればだけど。」
ゆうすけの動きも止まる。
すぐに地球に帰った所で別に何の収穫もない。
状況を完全に把握してからの帰還の方が好ましいのではないか、と。
「解りました。 しばらく逗留させて頂きます。 ですが、その間の事なんですが… こちらの世界の方は普段何をしているんですか?」
「体験してみる?」
片眼鏡が真顔で首を傾ける。
「ええ、お願いします。 ある程度こちらの日常生活にも慣れておきたいので。」
「それじゃあ、っと。」
言うなり、片眼鏡が乳房を服から取り出した。
やはり、改めて見ると巨大。
そして、ゆうすけは戸惑う。
圧倒的ッ!! 圧倒的奇襲ッ!!
「いや、あの?」
片眼鏡、無言で左乳房をゆうすけに含ませるッ!!
その刹那ッ!! 乱入したロリが右乳房をゆうすけに含ませるッ!!
二つの巨大な肉塊がゆうすけの顔面全体を包むッ!!
二つの乳首はピンポイントでゆうすけの口内に向けられるッ!!
これはまさかッ!?
これはまさかッ!?
※増田ゆうすけの名誉の為に記しておこう。
彼がダブル爆乳に襲われる瞬間、顎を外してダメージの最小化を図った事を。
これはまさかッ!?
これはまさかッ!?
ロリの嗜虐的な表情を発見した片眼鏡が溜息交じりに掣肘。
ロリは下を出して古典的に頭をコツンして『テヘッ♪』と笑う。
これはまさかッ!?
これはまさかッ!?
片眼鏡とロリが爆乳にお互いの手を添えて、何やら捻る様に動かした…
所までは、ゆうすけは気配で悟っている。
コレハマサカッ!?
コレハマサカッ!?
次の瞬間ッ!!
爆乳から母乳がゆうすけの口内へ噴出ッ!!
驚嘆すべきは、その噴出量ッ!! 及び速度ッ!!
それは、例えるならッ!!
5メートル離れた庭の植木にホースの水を掛ける時の勢いッ!!
その大量の母乳がッ!!
ゆうすけの口内に襲い掛かるッ!!
日常って何だよおおおおおおおおお!!!!!!!!!
ゆうすけの頭はダブル爆乳に完全にロックされて微動だに出来ないッ!!
その体格はダブル爆乳母乳を飲みきるにはあまりにも小さすぎるッ!!
異郷で果てるのか増田ゆうすけ?
母乳の海で溺死するのか増田ゆうすけ?
そう、普通ならここで『死』がよぎる。
だが、ゆうすけはどこまでも冷静だったッ!!
咄嗟の判断で舌と口蓋垂の位置をずらし、急流入する大量母乳の流れの数割を鼻方面にシ
フトッ!!
鼻から大量の母乳を排出する事により、胃腸を保護ッ!!
無論、これは忍術ですらないッ!!
忍者だけが成し得る、忍者的対処ッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的対処ッ!!
ロリと片眼鏡が他人事の様に『おおー!』と驚く。
ゆうすけは全力を振り絞り何とか顔をダブル爆乳から引き剥がし、床に倒れ込んだ。
10秒だけ呼吸を荒々しく乱し、15秒後には呼吸を整え終わる。
そして、何事も無かったの様に顎を嵌め直す。
「…普段、母乳を召し上がっているのですね?」
「親しい人にだけあげるんだよ♪」
「なるほど。 それは… 光栄です。」
片眼鏡は何事も無かったの様に樹皮で床を拭き始めた。
どうやら、さっきの行為は攻撃では無かったらしい。
「地球の人は飲みなれてないんだから、いきなりは駄目でしょ!」
部屋の奥から大きな声がして、ロリと片眼鏡が首をすくめる。
声の主は寝転がっていた半裸の女性である。
ゆうすけは何かを言おうとしたが、女性はゆうすけにそこまでの関心を持ってないのか、
再びゆうすけに背を向け胸元の幼児をあやし始めた。
「この様に、こちらの世界では近しい者同士で母乳を飲み合います。」
「そ、それは珍しい習慣ですね…」
「獣の母乳を飲む地球人ほど奇妙な習慣だとは思いませんが。」
「…確かに。 こちらの世界の方が理に適ってますね。」
「栄養価が高い上に、免疫の交換が出来ます。 何より、貸し借りの調整も可能です。」
ゆうすけは思う。
もしも母乳が疑似通貨として使用されているのであれば、異世界の経済規模は相当小さい
のではないか。
或いは異世界人は、意識してシンプルな社会を作る事を心掛けているのではないか、と。
「ねえ、ゆうすけ君。 ここは貴方達の価値観に照らし合わせても良い所よ。 それは君も薄々感じてるのでしょう?」
「ええ、のんびりした良い所です。」
それを聞いて片眼鏡が皮肉っぽく笑う。
「日本部族の『のんびりとした良い所』は、その土地を気に入ってない時に使うセリフよ
。」
ロリも笑う。
「アニメで見て知ってるのです♪」
「いや、決してそういう訳では!」
ゆうすけは慌てて取り繕おうとする。
非常に遣り難い。
こちらは異世界の感性や文化がまるでわからないのに、彼らは一方的に日本人のそれを知
り尽くしているのである。
「こっちの世界でね、一番のブラックジョークなのよ。 日本部族がディストピアを恐れる様子は。」
「日本の方がよほど酷いと?」
「だって貴方達。 本当は管理されるのが好きでしょう?」
「地球人にはそう云う傾向があるかも知れませんし、日本人はそれが顕著だとは言われが
ちです。」
「ねえ。 『自己管理』って言葉はアニメ以外でも普通に使われているの?」
「…使われます。」
「…この世界では、その手の単語は使わない事をお薦めするわ。」
「嫌がられますか?」
「私は研究家だから、まだ免疫はある方だけど… やっぱり、ね。」
「…心掛けます。」
その時、扉が雑に開いた。
振り向くと軍服とガンベルトだった。
その後ろには何人かの子供が群れている。
「おい、将軍がここに来てるぞ。」
軍服が面倒くさそうな表情で呼び掛けてきた。
あまり良い話ではないらしい。
「軍務?」
片眼鏡が短く尋ねる。
「いや、プライベートっぽい。 だが、近習が広場にたむろしている。」
「一応、挨拶はしておいた方が良いのではないですか?」
「私は構わんが…
少年をどうする?」
軍服が顎でゆうすけを指した。
「隠しておきたい所だけど、ゆうすけ君が来た話はもう回ってるでしょうしね…」
「少年。 逢ってみるか? 政府の重鎮と。」
軍服が何事かを思案するような顔で提案した。
もっとも、この女の場合は何も考えていない可能性もある。
「ゆうすけ君。 状況を説明するわね。 今、首都から将軍が来ているの。 恐らくはゲート警備の任務を抜け出して遊びに来てるのだと思う。」
「すみません。 『将軍』とは?」
ゆうすけは語句の解説を片眼鏡に求めた。
「アニメで例えれば、四天王最強の戦士よ。」
その一言でゆうすけは何となく情勢は理解出来た。
要は、敵性勢力の幹部とプライベートで面談するチャンスを活用するか否かの話であるの
だ。
いやあ、アニメって本当に便利ですね!
圧倒的ッ!! 圧倒的共通言語ッ!!
異世界人はみな一様に雄渾な体格の持ち主ばかりであったが、その女の巨大な体躯は格別
であった。
小屋の中には数人寝転がっていたが、その女が『将軍』である事は明白であった。
ただ大きいだけでなく、戦闘用の硬質な筋肉を身に纏っている。
その身長、目算でも3メートル近い。
勿論、その爆乳はZカップを超えているだろうが、獰猛な全身の筋肉の威圧感が圧倒的過
ぎて目がそこに向かわない。
まさに圧倒的ッ!! 圧倒的ッ!!
「挨拶に来た。」
軍服が将軍を見下ろしながら言い放つ。
将軍は寝転がったまま、爪を弄りながら目線だけを軍服に向けた。
「ああ、どうもー。 ご無沙汰しておりますー。 先輩とも3年ぶりくらいですかねー。」
言葉は非常に柔らかく丁寧であるものの、寝転がった体勢を崩そうともしない。
そのまま爪に目を戻し、指の腹で磨き始める。
「流石に一言もなしは、まずいと思ってな。」
「いやあ、気を遣って頂いて恐縮ですー。」
「この少年。 増田ゆうすけ君をグループの一員として預からせて頂いている。」
「んー? それで?」
「それだけだ。」
「譲って下さいよ。」
「今の所、その予定はない。」
「じゃあ、後日受け取りにあがりますー。」
双方無言。
将軍の規格外の体格と口調を見れば、我を通す事に困った事がない人間特有の自己への信
仰が伝わって来る。
「失礼します。 地球の方から参りました増田ゆうすけと申します。」
ゆうすけが跪いて頭を下げると、将軍は爪から目を離してゆうすけを凝視した。
「先輩、この人貸して下さいよ。」
「その義理はないな。」
「じゃあねー。 今だけ貸してくれたら、預けておいてあげますよ?」
軍服は一瞬だけ間を置き、『貸す』とだけ告げて屋外に出る。
同時に、将軍の傍で寝転んでいた3人が立ち上がって軍服の後を追う。
扉が閉じて、部屋がゆうすけと将軍の二人きりになっても、将軍は何も言わずにゆうすけ
を凝視していた。
「御寛ぎの所を申し訳ありません。」
探りも兼ねてゆうすけが頭を下げてみるも、将軍は瞬きすらしなかった。
「千葉ってモノレールですかぁ?」
将軍が突然口を開く。
語調は極めてゆったりしている上に、言葉全てに濁音が付くような独特の喋り方であった
。
この体格に対して、異世界社会は矯正を迫る事が出来なかったのだろう。
「はい、僕が住む千葉にはモノレールがあります。」
「モノレールって早いんですかぁ?」
「歩くよりマシな程度です。 こちらの世界の牛の方が早かったです。」
「なるほどー。」
気が済んだのか、将軍は黙ってしまう。
積極的に脳を働かすタイプではないらしい。
「将軍閣下。」
「何ですかぁー?」
「こちらの世界の方はゲートを失くそうとしていると聞きました。」
「あー。 そうなんですかー。」
「いえ、政府の方針がそうであると伺ったのですが…」
「じゃあ、そうなんじゃないですかねー。」
「…僕はあなた方政府の考え方に賛同しております。」
ゆうすけが将軍の目を覗きこんで何とか話を繋ごうとする。
この巨躯の持ち主(しかもコミュニケーション意欲が極めて乏しい)に話し掛けるのは勇
気とエネルギーが問われる。
「政府の人達は喜ぶかも知れませんねー。」
「将軍閣下は政府の方ではないのですか?」
「うーん。 わたしはー。 わたしはわたしですねー。」
そう言いながら無造作に将軍がゆうすけを掴んで引き寄せた。
言うまでもなく抗う意欲すら生じさせない超怪力。
鼻と鼻が密着するまで引き寄せられる。
その間、将軍は瞬きすらしなかった。
「そっかー。 あなたは子宮が無い方でしたねー。」
将軍は目線も逸らさずに呟いた。
言葉には一切の憐憫も遠慮も無かった。
「済みません。 地球人は子宮の無い個体と子種の無い個体しか居ないんです。」
「あなたみたいな劣位個体は特に苦労しそうですねー。」
「そうかも知れません。」
「あなたに子宮があれば施してあげようと思ったんですけどねー。」
「お心遣い感謝します。」
「メトロって千葉ですかぁ?」
将軍の会話法には一見脈絡が無いように思える。
が、尋問手法としては実は極めて正しい。
「いえ、千葉にはメトロ、僕たちは地下鉄と呼んでいるのですが、メトロは存在しません
。」
「メトロって早いんですかあ?」
「モノレールの2倍から3倍の速度がある上に大勢の人が乗れます。」
「じゃあ、どうして千葉はモノレールなんですかぁー?」
「地下鉄を作るのはお金や人出が多く掛かるんです。 首都の東京と云う街ならともかく、ベットタウンの千葉にそこまでの労力を注ぐ必要はな
いと僕らの政府が判断した為です。」
「ベットタウンって何ですかー?」
「仕事が終わった後、寝る為に帰る街です。」
「寝終わったらどうするんですかぁー?」
「また仕事に向かいます。」
そこまで会話が進むと、将軍が黙り込んだ。
この時点のゆうすけには、異世界人がこういった地球の現状を聞いてどのような感慨を持
つかまでも理解出来る様になっている。
『自分はディストピアからの闖入者に過ぎない』
ゆうすけが胸中で呟く。
「仕事はしんどいですかぁー。」
「あまりの苦しさに死を選ぶ者も少なくはないです。」
「そんなにしんどいなら仕事しなければいいのに。」
「仕事をしなければ食糧や住居の引換券が得られません。」
「木の実は取らないんですかー?」
「残念ながら食べれる実が成る木は既に誰かが持ち主で、勝手に食べる事が出来ないんで
す。」
「じゃあ、仕事しなくちゃ飢え死にしちゃいますねー。」
「そうなりますね。」
もう一度間が空いて、将軍の声色が突然澄んだ物に変わった。
「これは提案なんですけれども。」
「お断りします。」
無表情だった将軍が少しだけ口元を悪戯っぽく歪める。
「流石に日本部族は切り崩せないですねー。」
将軍の声色は元の濁点混じりの声に戻っている。
そして、ゆうすけは豪腕から解放された。。
「もしも僕に出来る事があれば。」
「お断りしますぅー。」
この気の利いた切り返しを見て、見た目ほど愚鈍な女では無い事をゆうすけは再認識する
。
「もしも何かお役に立てそうな事があれば、気軽に声を掛けて下さい。」
「あればー。」
将軍の表情が『おまえに出来る事など無い』と物語っていた。
ゆうすけは膝を正して深々と一礼すると、住居を後にした。
将軍が僅かに会釈したようにも見えた。
扉を開けた所にピンク髪が立っていた。
一瞬、ゆうすけの肩越しに、ピンク髪と将軍の目が合う気配がする。
ピンク髪はゆうすけに背を向けて無言で歩き出す。
意識的に緩やかな歩調から先導の意思を感じた為、ゆうすけも無言で後を歩く。
不意討に備えて間合いは充分に取る。
「アイツ、何か言ってた?」
「こっちの首都で暮らさせてくれるみたいです。」
「暮らすの?」
「向こうが言い終る前に断ってしまいました。」
「勿体ない事をしたな。」
「僕もそう思います。」
「そんなに地球が惜しいか?」
「それもあります。」
「それも?」
「前に貴女が『困る』と言った。」
ピンク髪が歩みを止め、肩幅に足を開く。
同時に、ゆうすけは静かに踵を地面から離して爪先立ちの体勢に移行する。
この体勢ならば殺傷力のある11パターンの忍術を発動可能であるからだ。
「地球にはいつ帰りたい?」
「出来得る限り早急に。 出来得る限りの状況把握を済ませてから帰ります。」
「何が知りたい。」
「地球にどんな技術が漏れてしまったか? その技術を持っていったのが誰か? 対応策はあるのか?」
「対応策に関してはウチらには見当もつかない。」
「流出技術さえわかれば、地球人で対応方法を考える事にします。」
「日本部族以外の地球人も、こっちに来ているぞ。」
「…部族名は解りますか?」
ピンク髪は黙り込み、大きく息を吸って吐いた。
「政府の連中にオマエが聞けば教えてくれる可能性がある。」
「…ありがとうございます。」
「オマエが政府に協力すれば、それなりに歓迎はされるだろう。」
「しません。」
「…。」
「勘違いしないで下さい。 貴女に義理立てしている訳じゃない。 余所様の事情に干渉するつもりがないだけです。 日本部族は他国人同士の争いを煽る手口を使わない。」
「…何? 『日本部族以外は汚い手口を使うみたいだぞー』
ってウチに触れて回って欲しいのか?」
「…いえ。」
「『日本部族は別の世界に来てまで他の部族を陥れる為の工作に熱心だ』とでも触れて回
っておくよ。」
「誤解が生じたなら残念です。」
冗談染みた口調のままでピンク髪が振り返る。
だが、歪んだ笑いは消えていた。
「異世界の事は大体解かったか?」
「僕らから見れば性別の無い世界。 恐らくそれだけの要素なのに、全く異なる文明形態になっています。」
「そうだな。 本質的な違いはそれだけだと思う。 …地球暮らしは辛いか?」
「こちらの世界の基準から見れば苛酷に映るのはよく理解出来ます。 多分、不気味に映っている事も自覚しています。」
「オマエらのアニメがさ。 異世界に地球の価値観を押し付けて満悦する趣旨ばかりだからな。 そりゃあ、警戒もするさ。」
「返す言葉もありません。 ですが、この無神経を我々が貴女方に悪意を持たない証拠であると捉えて頂ければ幸いで
す。」
ピンク髪が鼻で溜息を吐きながら、僅かに表情を緩める。
「…地球人が探っている技術はゲートについてだ。」
「こちらに繋げようとしている者が地球人に居るのですか?」
「いや、それは不可能だろう。 多分、地球内を自在に移動出来るゲートを作ろうとしているのだと思う。 要は、オマエらがワープと呼んでいる技術だな。」
「…。」
「困るんだろ? 地球でワープ技術が普及しちまったら。」
「…非常に困ります。」
「知りたい事は他にあるか?」
「貴女が欲しがっている技術とは何ですか?」
「『技術』と言うよりはな。 地球事情に精通し、かつウチらに協力的な地球人を確保した状態でゲートを全部壊したい
。」
「それは、僕の事ですか?」
「帰るんだろ?」
「帰ります。」
「なら、そういう事だ。」
「お役に立てず申し訳ありません。」
「オマエが詫びる筋合いじゃない。」
話は終わったとばかりにピンク髪が元来た道を引き返す。
途中、小川の対岸に将軍の姿を発見する。
二頭立ての牛車に乗って組んだ脚を伸ばしている。
どうやら陣地に帰る途中らしい。
二人は少しだけ無言で見つめ合い、何事も無かったの様に背を向けて歩き出した。
何らかの因縁はある間柄らしい。
「オマエが地球に帰った所で何が出来るんだ?」
「何も出来ません。 でも、ここに居る限り何かを出来る確率すら生まれません。」
「地球ってのは相当な階級社会らしいが、オマエは相当下っ端の方なんだろ?」
「底辺でしょうね。 居ない方がいい個体だと思います。」
「なあ。 オマエみたいに個体としても社会の構成員としても不要な地球人は何をして生きてるんだ
?」
「アニメでも見てるんじゃないでしょうか?」
「…なるほど、新説だ。
恐らく真理を衝いてるな。 これは皆に報告しておくよ。」
「少しはお役に立てましたか?」
「立ったな。 少なくとも、ウチは今のオマエの説明で地球の仕組みが大方理解出来た。」
「この一言でですか?」
「驚く事じゃないさ。 オマエもこっちの仕組みは大体解かったんだろ?」
「生物の在り方として、地球の種よりも遥かに洗練されている印象を持ってます。」
「言っておくが、ウチらはオマエらの事見下したり馬鹿にしている訳じゃあないからな。
ただ、根幹的な設計ミスに同情しているのと、こっちに押し寄せられた場合の有害性を認
識しているだけだ。」
「設計ミスですか?」
「例えば、オマエら睾丸が体外に付いてるだろ? 弱点なのに。 それを疑問に思った事はないか?」
「こちらの世界の方は体内に睾丸があるのですか?」
「内臓は普通体内に収めるモンだ。 触ってみるか?」
ピンク髪がゆうすけの手を取り自分の股間を触らせる。
『爪立てたら殺す』などと言いつつ目は優しい。
「あ、これって…」
「オマエらが呼ぶところの男性器だ。 生殖の時だけ奥から引き延ばす。 この世界では獣も鳥も魚も虫も、当然雌雄を備えている。」
「地球では全ての種が男女に分かれています。」
「それ事体は落ち度ではないんだ。 『雄機能しか持たない個体に競争をさせて、後は労働力として使い潰す。』 このやり方なら種としての競争力が発揮し易い上に劣等個体の遺伝子を簡単に淘汰出来る
からな。」
「…。」
「後は、地球種が自我さえ持たなければいいセン行ってたかもな。」
「僕らに自我は不要ですか?」
「下位80%の雌と下位99%の雄を淘汰する事が前提の仕組みだからな… 同情はしてやってるよ。 可哀想になあ。」
「…。」
「そんな顔をするな。 オマエらが色々と不便な設計で生きている事に同情しているのは本当なんだ。」
どうみても『情』の絶対量が少ないピンク髪の『同情』にどれだけの価値があるかを計る
のは困難である。
現に、彼女の足取りは軽やかである。
「他にも色々大変だ。 そもそも、地球種は消化器官が全然機能していない。 毎日糞を出さなきゃ生きていけないのは致命的だ。 しかもその糞は水分含有量が異常に多い。 きっと病原菌の繁殖速度も相当なんだろうな? アニメを見る限り悪臭もかなりだな。 そりゃあそうだよな。 全ての住居に排泄だけの為の区画が用意される位なんだから。」
「そう言えば、こちらの世界ではトイレをまだ見かけておりませんね。」
「肉体構造の違いだな。 ウチらにはオマエらが耳掃除する位のスパンでしか排泄が必要ない。」
「羨ましい限りです。」
「更に致命的な点が雌側が着床をコントロール出来ない点だ。 ウチらは欲しい子種だけを選択して着床させる事が出来る。 つまり、残すべきだと判断した遺伝子しか残さない。 オマエらにはそれが出来ない。」
「僕らは不要な遺伝子ばかり残していると言う事ですか?」
「ウチらは先祖の目標であり理想を体現する為に生まれてきた。 当然、次の代には更なる強い血を残す意思がある。 それに引き換え地球人は…
何十万年も掛けて練り上げた結果がオマエか?
正気の沙汰とは思えん。 」
「僕はボンクラですが、他の地球人はもう少しマシです。」
「で、そのマシな地球人のうちにな?
ウチラみたいに睾丸・陰茎を収納した状態に進化出来た奴は何人居る?」
「…いえ、その様な者の存在は聞いた事がありません。」
「消化効率が99%を超える奴は何人居る? 出産タイミングを自分の意思で調整出来る奴は? 獲得免疫の全てを母乳化出来る奴は?」
「…居ません。」
「で、パラメーターの全てを個体数増殖と社会の複雑化に割り振って… その社会の住み心地も低劣だ。 でも、あれだろ? オマエらのアニメってあんなのでも美化した社会を描いてるつもりなんだよなあ?」
「はい、現実はアニメの様には優しくはないです。」
「そんな社会に義理立てするんだな?」
「します。」
「オマエの為に腹を何年か空けてやると言ってもか?」
「帰ります。」
「どのみち地球種に先は無い。 在り方が裏目に出過ぎている。 それに、オマエが尊重される仕組みにもなっていない。」
「それでも帰ります。」
「オマエに何の得がある?」
「社会の利益の為に帰ります。」
「その社会の中にオマエの子を産む者が何人居た? 口先で産むと申し出ただけの者でもいいさ。 10人か? 100人か? そして、その社会はオマエにどんな身分を与えた? まあ、オマエの必死さが染みついた顔付を見れば大体の想像は付くがな。」
「それが社会の選択であるなら従います。」
それで話は終わった。
果樹園地帯の集落が見えてきて、夕日を背にグループの一同が並んでいたからである。
どうも、ピンク髪からの問答はグループの総意に基づいていたらしい。
ピンク髪はグループに近づき、数言を告げた。
ガンベルトの残念そうな仕草から話の流れは理解出来る。
ゆうすけは数時間で異世界両陣営からの提案を2つとも拒絶した。
この事実はすぐに近隣に知れ渡るだろう。
「殺すには惜しい。」
ベリーショートが通る声で宣言した。
逆光で表情は見えない。
ゆうすけは構えを取らずに無造作にグループに歩み寄る。
5メートル圏内に踏み込む時に、恐怖で僅かに身が震えるも押し殺して近寄る。
「少しは惜しめ少年。 君の命にはきっとその価値がある。」
言葉とは裏腹に軍服はサーベルの鍔に親指を掛ける。
「君は我々の不利益にならない様に振る舞っているつもりなのだけど。 君を帰す事はこの世界全ての致命的な不利益になるの。」
片眼鏡の台詞はゆうすけに対する以上に、グループに呼び掛けられているようだった。
重く歪んだ空気を見てゆうすけは頭を逃走と戦闘の為に切り替える。
対峙するは、縦巻・ガンベルト・ロリ・ピンク髪・軍服・ベリーショート・片眼鏡の7人
。
将軍程ではないにせよ、7人それぞれがこの世界でもそれなりの戦士である事は、この時
点のゆうすけにも既に理解出来ていた。
踏み出そうとするベリーショートの機先を制してピンク髪がゆうすけの眼前に立つ。
改めて見ても、美しく獰猛な肉体である。
そして、その表情にもはや遊びはない。
ゆうすけも両手のギミックを既に起動させている。
上総忍法の究極奥義を使えば、それが正面奇襲と云う形で完全に決まれば、この7人です
ら同時に殺害する事は可能だった。
『殺してどうする?』
その問いをゆうすけはありもしない殺意で押し殺す。
『殺したくない。』
その本音はとっておく。
手合い4メートル。
決闘文化が確立されている所為か、他の6人は微動だにせず直立している。
ピンク髪が静かに半歩踏み込むと同時にゆうすけも足を止めた体勢で微前進する。
ピンク髪の身体を壁代わりにして、忍法の発動を他の6人から隠す為である。
手合い3メートル。
恐らくはピンク髪にとってはとっくに必殺の間合い。
ゆうすけは連戦に備えて究極奥義以外の選択肢の使用を覚悟する。
上総忍法・紅蓮
上総忍法・雷電
上総忍法・雀蜂
3つとも、相手が地球人であれば確実に殺害に繋げる事が可能な忍術であるが、異世界人
のそれも恐らくはかなりの手練れであろうピンク髪を無傷で決殺出来るとまでは楽観して
いない。
汎用性の高い『上総忍法・日輪』の存在をグループ全員に知られているのは、弱者である
ゆうすけにとって痛恨事である。
最後の停止状態から、双方がアクションを起こそうとした瞬間。
ゆうすけの背に有り続けていた大盾が、安産へと戻っていた。
不覚にもゆうすけは初動と思考を停止し、その刹那に自らの死を確信する。
ピンク髪が戦闘態勢を維持したまま大きく一歩下がる。
立ち合い者6人、事態を瞬時に解すも微動だにせず。
安産の手がゆうすけを両腕ごと抱きしめた為、ゆうすけの忍術の大半は封印された。
もっとも安産に敵意が無い事はその優しい包み方からも明白である。
安産がどのような表情をしているかはゆうすけの角度からは確認出来ない。
きっと母親と云うモノがする表情をしているのだろう、と根拠もなく思った。
「増田ゆうすけの命乞いをします。」
凛然とした口調は今までの安産のものからは想像出来ない位に強かった。
まるで、ゆうすけの側に立って7人と戦いかねない様にすら感じた。
「命を乞いたいのは、それこそ我々の方なんだがな。」
軍服がサーベルの柄をゆっくりと両乳房に挿入する。
言わずと知れた爆乳抜刀術の発動体制である。
「その者の生は世界の死です。」
片眼鏡が縁を摘まみながら安産に告げる。
「この者に限っては違います。 少なくとも我らの世界の側に立った解決方法を模索しております。」
安産がゆうすけを抱く手が強まる。
それを見て、ピンク髪が右手の何かを収めた。
「今更だが、この増田ゆうすけは当初我々が協力依頼を目論んだ増田ゆうすけではない。
こちら側への無条件での協力は期待出来ない。」
言葉とは裏腹に軍服がサーベルを腰に戻した。
それを確認したガンベルトも肩の力を僅かに緩める。
腰に巻いた弾倉が2発分空いている事からも、さっきまでの彼女が本気だった事が察する
事が出来る。
「不本意ではありますが。」
ゆうすけが口を開く。
この解決策が地球の利益にならない事を承知で尚、提言する。
「地球人が持つ、タイムパラドックスへの恐怖を利用します。」
『利用出来るかも知れません』ではなく、『利用します』と断言した。
もう、ゆうすけの中で全ての結論は決まっていた。
背中で感じる安産の温もりすら忘れて、ゆうすけは終幕を描く。
「異世界は全くパラレルな世界ではなく、地球人の先祖的な存在と云う事にしましょう。
」
ゆうすけが淡々と語る。
語調とは裏腹に瞳は暗く、自身の裏切り行為に深く傷ついていた。
「アニメで良くあるアレね。 『この世界は太古の地球だ。』 とか云うパターン。」
流石に片眼鏡は研究家だけあって、一通りの知識は備えていた。
話が早くて助かる。
「ええ、貴女達が先祖である可能性を1%でも考慮に入れてしまえば… 地球人は無闇にこの世界に手を出せなくなる。」
この選択肢を言葉にしてしまった事により、ゆうすけにとっての結末も決まった。
「無理があるな。」
ピンク髪が静かに否定する。
「この世界と地球では生態系が違いすぎる。 地球人相手に通じる詭計ではない。」
「いや、匂わせるだけでいいんです。 『その可能性もある』と思わせる事が後々の保険となる。」
「で? 地球人の増田ゆうすけ君が故郷を裏切る事に何のメリットがある?」
「僕から差し出せる対価がこれしかなかった。」
「…オマエの要求は?」
「僕を日本に送り届けて欲しい。 どのみちタイムパラドックスの仕込みは僕でなければ不可能です。」
「勘違いするな。 この世界に居る地球人はオマエだけじゃない。」
「どうせ政府に抑えられてるんですよね? 他の地球人は。」
ピンク髪の表情の変化で大体の事情は悟れた。
政府の中にすら大した数の地球人はいない。
居たとしても、それが『使い物になるか?』を判別する事は非常に困難であるし、そうい
った細部の事情を非政府人であるこのメンバーが把握するのは不可能なのだろう。
彼女達8人にとっても、カードは増田ゆうすけ以外に存在しないのである。
ゆうすけがメンバーに肩入れする気がない以上、次善策としてこの世界の利益を考え始め
る事もナシではない。
それが、ゆうすけが読み取った彼女たちの置かれている現状である。
勿論、ゆうすけにしてもハッタリにハッタリを重ねている。
一介の学生である増田ゆうすけに地球上の如何なる政府とのパイプもなければ、地球側が
どこまで異世界情報を掴んでいるのかの見当すらつかない。
「それでいいじゃないですか。」
ガンベルトが漏らした一言がゆうすけも含めた全員の総意だったのだろう。
方針はそれに決まった。
全員無言でロリの実家に帰った。
「では、明日起きたらすぐに出発させて下さい。」
ゆうすけの言葉にピンク髪が不思議そうな顔をする。
「明日? ああ、地球人は丸々一晩眠るものな。」
「皆さんは睡眠が短いのですか?」
「眠ろうと思えば長く、と言っても3月が限界だが眠れるよ。 用事がある時は膜に包んで貰って5分前後休むな。」
「膜ですか?」
「丁度、頭数も居るし提供するわ。 そう言えば歓迎らしい歓迎もしてやれなかったからな。」
軍服が『それもそうだな』と言って軍服を無造作にはだける。
縦巻は器用に鎧の胸部だけを外す。
ベリーショートと片眼鏡が輪から下がった事に他の6人が何の反応もしなかった所を見る
と、やはりこの二人は微妙にグループ外の人間であるらしかった。
「怖くないですからね♪」
ロリがあやすように耳元で囁く。
無論、彼女も胸をはだけている。
「いや、『怖くない』なんて言われたら余計に…」
ゆうすけの言葉は縦巻の爆乳二つによって遮られた。
鼻と口を塞がれているにも関わらず不思議と苦しさがない。
「あの。 私は色仕掛けのつもりでやりますからね。 貴方の気が変わって、こっちでずっと暮らしてくれる事が一番なのですから。」
縦巻が顔を真っ赤にして言い切った。
ゆうすけにすれば、最も接点の乏しかった縦巻が突然好意的な発言をした事にまず戸惑っ
てしまう。
気が付くと、ゆうすけの身体は6人全員の爆乳に包まれ持ち上げられていた。
そして女達は爆乳の振動のみを使用してゆうすけの着衣を全て脱がせた。
これでもはや忍具を必要とする忍術は使えない。
「そうだな。 地球式に色仕掛け的な切り口で攻めてみるのも一興かもな。」
軍服が他の5人に提案する。
「地球の雌なんかより私達の方が魅力的に決まってるのです♪」
ロリが自信ありげに答える。
それは少なくとも生物学的には事実であったし、地球の雌と接点の乏しいゆうすけは感情
面ならとくに異世界人に肩入れしていた。
12の爆乳がゆうすけを軽々と持ち上げ包み唸り躍るッ!!
その直前ッ!! 増田ゆうすけの忍術も発動していた。
上総忍法・石人形の術ッ!!
感覚と思考を遮断ッ!!
身体は抗いがたき快楽に包まれながらも、ゆうすけの思考は現状を冷徹に分析していた。
『この歓待が異世界人の通常の感性なのか?
自分一人が特に気に入られたのか? 後者だとすれば理由は何なのだ? 政府の人間の首を刎ねた事か?』
全ての爆乳から母乳が噴き出る。
ゆうすけの全身に染み渡るそれはまるで…
『なるほど、膜か…』
ゆうすけの全身を包んだ母乳がねっとりとした泡状のジェルになり、その上を爆乳と云う
名のローラーが心地よく五体を指圧する。
ゆうすけは僅かに薄目を空けて6人の表情を盗み見る。
一番最初に視界に入ったロリの表情はどこか自信に溢れている。
次にガンベルトの表情が一瞬視界に入るも、こちらは真剣で『目標を持って作業を行って
いる』表情をしていた。
『本気で色仕掛けをしているのか? 異世界はいつもそうなのか? それとも、多少は歓迎の意思があるのか?』
ゆうすけは爆乳と母乳に溺れる。
12の柔らかく妖しい爆乳と無限に噴出され続ける甘く温かい母乳に溺れる。
だがッ!!
断じて心までは溺れてはいなかったッ!!
『りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜんぎょう』
予め脳裏に刻み付けてある九字のみを機械的にフラッシュバックさせ、ぎりぎりまでの意
識の保持を試みる。
少しでも多くの、そして正確な情報を地球に持って帰る為である。
ゴシック体でッ! 明朝体でッ! 行書体でッ! メイリオでッ!
『臨兵闘者 皆陣列前行』
と何度もフラッシュバックさせながら、異世界人を観察する。
爆乳と母乳に完全に視界が奪われ終わった後は、自分自身を冷徹に分析し続ける。
呼吸は? 脈拍は? 五感は? 生殖器は? 精神は敵の忍術に汚染されていないか?
ゆうすけは確認作業を淡々と続けるッ!!
『臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行』
どれだけの時間が経ったのだろう?
5分か? 10分か? いや30分位は精神の平衡を保っているのだろうか?
『臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行
臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行』
そもそも異世界に来て然程の時間も経過していない筈である。
この状況を乗り切ったら、体内時計の集計を行わなくては。
『臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行
臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行
臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行』
何の為に?
知れている。
地球の為、日本の為、社会の為である。
『臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行
臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行
臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行』
帰ったら、まず何をしよう。
まずは日本政府がどこまで掴んでいるかを探らなくてはならない。
公式の窓口は存在しないだろうから、非公式的な部署に何らかの手を使って打診しなけれ
ば。
警察庁? 公安庁? いや、この手の案件はテクノラートが取り扱うのではないだろうか
?
『臨兵闘者
臨兵闘者
臨兵闘者
臨兵闘者
皆陣列前行 臨兵闘者
皆陣列前行 臨兵闘者
皆陣列前行 臨兵闘者
皆陣列前行 臨兵闘者
皆陣列前行 臨兵闘者
皆陣列前行 臨兵闘者
皆陣列前行 臨兵闘者
皆陣列前行 臨兵闘者
皆陣列前行
皆陣列前行
皆陣列前行
皆陣列前行』
仮に窓口を見つけたとして、どうやって、異世界の存在を証明する?
いや、異世界に行った事をどうやって証明する?
何か証拠品を持って帰るか?
植物? 動物? 武具? 被服?
いや、それらが地球にとって有害でないと言い切れるか?
強烈な放射線を放っていればどうなる?
ワクチンの存在しないウイルスを保有していればどうなる?
ペリーのコレラの二の舞か?
物体は駄目だ、危険過ぎる。
もっと慎重に考えなければ。
『誰の為に?』
多分、社会の為だと思いたいのだと思う。
『で、その社会はオマエに何をしてくれた?』
りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜんぎょう。
『オマエが地球に帰った所で何が出来るんだ?』
臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行 臨兵闘者 皆陣列前行。
『なあ、もしもオマエが… ウチだって… だよ…』
きっとピンク髪はいつものつまらなそうな表情で、世の中を斜めに見た様な態度を取りな
がらゆうすけに膜を提供しているのだろう。
先程とは大違いだ。
そう。 さっき、僕を殺そうとした瞬間のピンク髪は本当に活き活きとした瞳をしていた。
『オマエだって… 難しい顔ばかり… ちょっとは… のに… 』
あれは本当に美しかった。
いつも、あんな表情をしていればいいのに。
何故かゆうすけは自分の表情が柔らかくなった事に気付き、
『ああ、僕は眠るor死ぬんだな。』
と思い、意識を失った。
ゆうすけが目を覚ますと例によって爆乳に挟まれて完全に視界が塞がれていた。
左右は安産と縦巻が固めており、部屋にはガンベルトとその知人らしき幼女が二人座って
いた。
「僕は何分眠っていましたか?」
「丸二日程です。」
ゆうすけの可愛気のない第一声に嫌な顔一つせず安産が答える。
「5分では済みませんでしたね。」
ゆうすけの語調もどこか柔らかい。
が、勿論すぐに地球に帰る意思には変わらない。
「この子達も心配してたんですよ。」
ガンベルトが幼女達の頭を撫でながら微笑みかける。
「その子達は?」
「私の娘です。 双子なんですよ。」
双子が同時に手を振る。
「お母さんに似て優しそうなお子さんですね。」
ゆうすけが慣れない笑顔を作って手を振り返す。
「いえ、私は産ませただけなので。」
真顔でガンベルトが修正する。
そこら辺の生殖観さえ把握出来れば、異世界人との対話ももっとスムーズに進みそうな気
がする。
『なら、もう少し滞在するべきか?』
ゆうすけが自問する。
だが政府勢力・非政府勢力共にゲートを壊し続けている現状を鑑みれば、時間を掛けてし
まった場合に帰るタイミングを逃しかねない。
間違いなく、地球よりもこちらの世界の方が住み心地は良さそうな気もするのだが、結局
は増田ゆうすけは地球に帰るだろう。
ゆうすけは、ピンク髪が言った
『日本部族以外の地球人も異世界に来ている』
『ワープ技術を作ろうとしている』
の二言が気になり続けている。
もしも日本人以外が異世界に来て日本アニメの普及状態を目の当たりにすれば、一体どれ
だけ日本に対して警戒心を抱くであろうか? そして、その勢力がワープ技術を実用化してしまった場合は、最初にどこを叩こうとする
?
ゆうすけの様な庶人がそこまでマクロな悩みを抱える義理も無いのかも知れないが、どう
しても悲観してしまう。
問題は、今ゆうすけが帰還して『何の役に立つか?』であるのだ。
異世界を実際に見聞している分、多少のソース源とはなり得るだろうが、その信憑性を証
明する術はない。
やはり、何かの『物質』を地球に持ち帰るべきなのか?
いや、それは防疫上まずい。
現在の自分が地球に抗体が存在しない病原菌に感染していないと言い切れるのか?
いや、逆に地球にとって未知の病原菌に感染していれば、それこそ異世界滞在の証明とな
り得るのではないか?
思考が堂々巡りする。
「地球の事を考えているのですか。」
安産がゆうすけの髪を撫でながら優しく尋ねる。
相当、難しい表情をしてしまっていたのか、一同のゆうすけを見る表情が不安気で硬い。
「すみません。」
「別に謝る事ではありません。」
「僕が帰る事で地球に損害を及ぼしてしまうのではないか、と危惧しておりました。」
一同の表情が更に曇る。
ゆうすけは自分の思考がこの世界にとっては異端である事をはっきりと認識した上で、そ
れを表明しておく事が後々の為になるのではないか、と考えだしている。
『後々』が誰にとってのものであるかは敢えて意識しない。
「こんな考え方が貴女方にとって気味が悪く見える事は重々承知しております。」
「そうとも言い切れないのです。」
安産が優しげな眼でゆうすけに声を掛ける。
「?」
「百年前の我々であれば強いカルチャーショックを受けたかも知れません。 ですが、現在の我々は地球から流出するアニメに絶えず晒されております。 ごく少数ですが、アニメに影響されて地球の思考に理解を示す者も存在しているのです。
」
「アニメの影響、ですか…」
安産はゆうすけの髪を撫でていた手を止め、ゆうすけの反対側を指差す。
振り返れば、縦巻がゆうすけを愛し気な目線で見つめている。
語弊を恐れず言えば、外交的摩擦を恐れずに表現すれば、それは雌の貌だった。
「例えば、コレは幼少の頃からアニメばかりを見て育ちました。 私がコレの母親に注意した事もあるのですが… 結果として地球人寄りの思考を身に付けてしまいました。」
「そうなのですか?」
ゆうすけは驚いて縦巻に問う。
縦巻は表情を赤らめながら、はっきりとした意思を持って頷いた。
「ゆうすけは厨二アニメ主人公みたいで素敵です。」
反応に戸惑う。
相手が地球人の女であれば喧嘩を売られているようなものであるが、ここは外交的見地か
ら見ても光栄に感じている素振りを見せるべきか?
「い、いやあ。 僕はどこにでも居る平凡な高校生ですよ。」
謙遜したつもりで言った台詞に縦巻が敏感に反応し、堪え切れない様に床の毛皮に顔を押
し付けて必死に笑いを押し殺す。
足をバタバタさせる様子が少し可愛い。
ガンベルトも顔を真横に逸らして唇を歪めているので、かなり面白い台詞を言ってしまっ
たのだろう。
安産が無言でかすかな溜息を吐く。
この女は異世界がアニメに染まるのが愉快ではないのだろう。
地球ですら社会問題になっているのだから当然の反応である。
だが、トータルして親日感情の醸成に役立つならば、これは好ましい事態ではないのか?
ゆうすけのその思考を読み取ったのかの様に、安産が釘を指す。
「地球人寄りの思考を身に着ける事が、地球人への好意に直結するとは考えない事です。
」
口調は穏やかであったが、強い警告の意思は感じた。
恐らく、そこは決して混同してはならない点なのだろう。
「髪がピンクのあの人とかですか?」
何故、口に出してしまったのかゆうすけにも解らない。
ただ、ピンク髪が他の者よりも地球事情に精通しつつも、強い憎悪を持っているように見
える事が気になり続けていた。
「あの子は変わり者ですから。」
安産が何気なく話を逸らそうとする。
間違いない。
縦巻がアニメ的である事を理由にゆうすけに好意的であるように、ピンク髪はゆうすけの
アニメ的な発想をきっと憎んでいるのだ。
それも特にピンク髪の口振りから察するに、利他的な英雄的行為の賛美が忌避されている
。
元々、地球人の感性における『英雄的行為』が異世界の感性とは合致していない。
にも関わらず、そんな題材が多い日本アニメを見続けて地球人考察を繰り返して来た者が
存在したとすれば、そしてその者が天性批判的な性格の持ち主であったとすれば…
それこそ思想レベルで地球人に対して独特の敵意を持つようになってもおかしくはない。
「貴女はアニメをあまり見ないのですか?」
ゆうすけは何気なく話題をガンベルトに振った。
「いえ、私も親が厳しかったですし。 皆と一緒で目がチカチカするのが苦手なもので。」
確定。
異世界人にとってアニメ観賞はそれほど一般的な行動ではない。
やはり普通は親が戒めるだろうし、水面の点滅を鑑賞し続けると云う苦行に全員が堪え得
る筈がない。
推測だが、この世界ではアニメは有志が仕事やボランティアで視聴する位置づけにあるの
ではないだろうか?
「どのみち、アニメはこちらでも有害らしいですね。 もしも、ゲートを全部潰す事が出来たら、そちらにアニメが漏れないように考えてみます
。」
縦巻が唇を尖らせる。
が、逆に言えばアニメ漬けで育った縦巻でも、アニメ喪失はそのレベルの損失に過ぎない
のだ。
その後、縦巻と他愛のないアニメ談義を交わす。
安産とガンベルトは、アニメにこそ興味がないものの地球の生態には関心があるらしく幾
つかの質問を浴びせてきた。
そのうちに、軍服が2人の軍人を連れて入室してくる。
警戒するゆうすけを軍服は『安心しろ。 一族だ。』と片手を挙げながら制する。
一人が満面の笑みで安産に抱き付いた所を見ると、一族と云うのは嘘ではなさそうである
。
「少年。 状況を伝えるぞ。」
ガンベルトから水筒を受け取りながら、軍服がゆうすけに話を切り出す。
偏屈で不親切な反面、軍隊出身と云う事もあり、この女は話が早くていい。
「ええ、お願いします。」
「まず、ゲートはここから騎走1時間の距離にある演習広場の中に残っている。」
「演習広場と云うのは?」
「軍が管理している平地だ。 幕張海浜公園程の面積はない。 主に地方から召集された部隊の野営地として使用される。」
流石に軍人だけあって解説が要点を掴んでいる。
士官学校首席、と云うのもあながち自称ではないのかも知れない。
「問題は政府が本腰を入れてここを警備している点だ。 敷地内に立ち入る事すら非常に困難な状態だ。」
「本腰と言いますと?」
「昨日、君が逢った大女を覚えているな?」
「ええ、アニメで言う所の四天王的な存在だとか…」
「残りの3人の部隊も張り付いている。」
軍服の表情を見れば、そのゲートの使用が相当難しい事は想像が付く。
「加えて、我々が存在を確認していた他のゲートが全て破壊されていた。」
「…。」
「政府は首都隣のゲートを唯一のインフラとして独占する事に決めたようだ。 遠くないうちに、ゲートは壁で覆われてしまうだろう。」
「僕が帰る事はかなり難しいのですね。」
「突破しかないだろう。」
「政府と交渉して帰らせて貰う事は無理ですか?」
「連中だって、これ以上こっちの情報を地球に流出させたくないだろうからな…」
「でも、貴女は僕を見逃してくれようとしている。」
「殺すには惜しい。 それだけの話だ。 それにタイムパラドックスの件が保険になるかも知れないと僅かに期待する気持ちもある
しな。」
「タイムパラドックス案を示して政府の人達に協力を仰ぐ事は出来ませんか?」
「それが可能かを探りに行ってたのだがな…」
軍服が連れて来た軍人二人組に目線をやる。
安産に甘えていた方が、気の毒そうにゆうすけを見る。
「私は詳しく聞かされていないのだけれど、上は既に協力的な地球人を確保しているみた
いなの。」
「地球人をですか!?」
「ええ。 首都じゃ噂になってるわよ。 相当な凄腕らしいし。」
「…。」
「だから、貴方は別に要らない。 と言うより貴方はもう有名になってしまっているのよ? 増田ゆうすけ君。」
敵将を討ってしまった以上当たり前の結果だが、早くも政府はゆうすけを完全に敵性とし
て判断していた。
僅かながらに期待していた交渉の余地すらも、ゆうすけの中で消える。
「警戒網の外周はゲートからどの位離れていますか?」
ゆうすけが軍服に尋ねる。
「…突破は極めて困難だぞ?」
「1キロ位ですか?」
「幕張公園の端から端まで位かな?」
確か幕張海浜公園の全長は2、3キロ程度であった筈だ。
勿論、異世界人の軍服の例えがどれだけ正確かは解らないが、異世界の社会規模を考えれ
ば警戒網が数キロと云うのはそれなりにリアリティがある。
「部隊の規模は?」
「兵数1千が4部隊。」
「4000人か… 突破は無理ですね。」
「いや、兵数1千は軍役上のノルマに過ぎないよ。 実際は意欲的な者でも数百位しか連れて来ない。」
「牧歌的な戦争観ですね。」
「そうだな。 殆どの者に戦意はない。 その分、戦意のある奴は洒落にならない者揃いでもある。 まるで地球人の中世みたいだろ?」
「想像が付きません。」
「嘘吐け。 君らが作ってるアニメなんて、大半が中世回帰願望だらけじゃないか。」
「別にアニメなんて願望とかじゃなくて、ただ現代から逃避したいだけだと思いますよ。
」
「で? 少年は現実逃避しないのか?」
「きっと全力で逃げてるんだと思います。」
「…いい返事だ。」
ああ、そうか。
ゆうすけは思う。
生きてるうちに口に出して良かった。
僕は逃げているのだ。
内心、軍服に感謝する。
少しでもこの女に好感を持っていれば、ここまで率直に本音は晒せなかっただろう。
「じゃあ、君が地球に逃げ帰れる方法を考えよう。」
「出来れば五体満足で帰りたいですね。」
「あまり、欲は出すなよ。」
「僕たち地球人は貴女達ほどタフじゃないんですよ。」
「そうかね? 君はまだまだ奥の手を隠してるんだろ?」
「高速で空を飛ぶ技があるにはあるんです。」
「じゃあ、それでゲートに直接飛び込めばいい。」
「その技には機材を必要とするんです。 しかも、機材は持ってきてないんです。」
「手持ちの機材で何か無いのか?」
「移動に使える様な物はないですねえ。」
無論、嘘である。
緊急移動技と云う事であれば、上総忍法・水蛇が使用可能である。
だが、これは忍術と云うより体術ベースの出オチ芸。
ギリギリまで秘匿しておきたい。
「それより、僕が驚いたのは貴女達が武器に姿を変えた事なんです。 何か突破に応用させて頂けませんか?」
「嘘吐け。 全然、動じてなかった癖に。 我々のグループは全員が変身可能だ。 但し、武器にしかなれない。 つまり、私達を使って突破すると云う事は、真正面から世界政府の重鎮と対決する事を意
味する。」
「あまり、気乗りはしないですか?」
「無論だ。 我々は非政府組織であって反政府組織ではない。 日本風に表現すれば、野党であって叛徒ではない、と云う事だな。 もっとも、政府の中には我々を叛逆者だと考える者も幾らかは居るそうだが。」
「5人に1人位しかいないよ。」
安産の膝の上で甘えていた軍人が声を挙げる。
実に微妙な比率である。
「貴女達は出来れば戦闘を回避したいのですね?」
「そもそも、こっちの世界の人間は必要ない場面で相手を殺そうとは考えない。」
異世界人は誰とでも生殖機会があるのだから、無闇に相手を殺害しない。
その相手が自分の交配相手となる可能性が存在するからである。
一方、地球人は有性生殖を採用している為、その理屈が通用しない。
同性である事はそれだけで生殖上の競合相手であるからである。
その原理の違いが、異世界人が地球人を警戒する最も大きな理由の一つである。
おまけに、地球人の遺伝子は異世界人にとっては欠陥物以外の何者でもなく、異世界人は
地球人との交配を望まない。
「威嚇して引いてくれる可能性は?」
「逆効果だろうな。 地球人が譲歩すれば付けあがる文化を保有している事はこっちの共通認識だ。 他の誰に譲っても、地球人の君にだけは譲れない。 君が地球に帰った後に『異世界人は威嚇に弱い』とでも言い触らしたら、今後の地球人の
方針がその発言に影響されるだろう。 誰だって後々の災禍は望まないよ。」
ゆうすけは考え込むフリをする。
勿論、結論は『殺害突破』で決まっているのだが、その決断を躊躇なく下したとは思われ
たくない。
「もしも、政府の方に連絡する手段があればですが、増田ゆうすけは今から48時間以内に
ゲートを利用して帰還する意思がある事を表明したいです。」
軍人二人の表情が険しくなる。
それはそうだろう。
「その際、絶対に異世界人に危害は加えたくないとは考えているのですが、自己防衛の為
に殺傷能力の有る兵器を携帯し、場合によっては行使します。」
軍人が、「ムシの良い話だね。」と呟く。
全くもってその通り。
「増田ゆうすけの目的は、地球と異世界を繋げる可能性全てを断ち切る事です。 異世界側のゲート破壊に僕は無条件で賛同しておりますし、地球側でゲートを生成しよう
と画策する動きに関しては、これを断固阻止する所存であります。」
何時の間にかゆうすけは二人の軍人に挙措を正して訴えていた。
地球人だって、必要のない場面で相手を殺したがっている訳ではない。
「で、私達に伝令役をやれと?」
無機質な声で軍人がゆうすけに切り返す。
「貴女達の不利益にならなければ、お願いしたいのです。」
「哨戒任務を抜けて来たのがバレるからね。 まあ、得はしない。」
怠慢が発覚すれば得はしない程度の社会性が異世界軍には存在する。
この一事を知った事も、ゆうすけにとってはささやかな収穫である。
「伝えなさい。」
軍人の髪を撫でていた安産が抑揚のない声で命令する。
二人が素直に頷いた所を見ると、話はそれでケリが付いたらしい。
「こっちが手出ししなければ、君は何もしないんだね?」
「はい。 僕は一刻も早く帰りたいだけなんです。」
軍人二人は「わかった」とだけ言い、安産に型通りの挨拶をして帰っていった。
入れ違いにピンク髪とロリが入って来て、奥で食事を取り出す。
「48時間以内か、思い切った物だな。 政府も完全に警戒するだろうに。」
軍服が顎に手を当てて呟く。
「あの軍人さん達は、僕の言った事をちゃんと伝えてくれますかね?」
「あの二人は昔から孝行娘だったからな。 親の命令には従うだろう。」
どうもあの二人は安産の娘だったらしい。
機密も何もあった物ではないが、この対人感覚・組織感覚こそが異世界が平和である主因
なのであろう。
「49時間後にアタックを掛ければ、成功率は上がると思いますか?」
ゆうすけが少し声を落して軍服に囁く。
軍服は1秒だけ無言で眉を顰めてから、「上がるな。」と答えた。
「申し訳ありません。」
「別に君が謝る事じゃない。 地球ではそれを武略と呼ぶのだろう?」
軍服の切り返しは極めて辛辣である。
しかし、この女も相当地球事情に精通している。
士官学校では地球学も学ぶのだろうか?
「最も成功率の高い作戦はこうです。 この家を今から50時間締め切って貰います。 中には僕が居る事にして貰う。 その間に、警戒網外周に潜みます。 そして、48時間が過ぎて政府軍が休憩なり配置交代の素振りを見せた瞬間にゲートに突っ
込みます。」
「流石に詭道の本場から来ただけの事はある。 その案であれば、私が乗っても良い。」
これで、成否を問わず地球人の評価はますます下がるだろう。
少なくとも、警戒レベルは引き上げられる筈である。
気は重い。
「私は盾になる位しか能がありませんが、お役に立てるのであれば。」
安産が声を挙げる。
縦巻が何か言いたげにしているので、ゆうすけは目を合わせてやる。
「まさしく、『ぼくのかんがえたさいきょうのさくせん』ですね。」
縦巻なりに褒めてるつもりらしい。
嬉しいとも思わないが、悪い気もしない。
そして、食事を終えたピンク髪とロリがこちらにやって来て車座に座る。
どうも反対ではないらしい。
七人で話し合って、深夜アニメの放映が切れると同時に出立する事が決まった。
留守はベリーショートと片眼鏡が引き受けてくれる事になった。
ガンベルトの娘達も協力してくれるらしい。
要は、ゆうすけが滞在しているポーズさえとってくれれば良い。
そこから先の行動は早い。
闇夜と共に一同は近場の山に入山。
山中で猪の様な生き物に跨り稜線を疾駆して、ゲートまで2キロの地点に到着。
眼前には小高い丘陵。
地形的に鑑みてその先は明らかに厳重な警戒網がある事が予想されたので、倒木の陰で息
を殺して時を待つ。
ゆうすけは安産(大楯)と縦巻(薙刀)を武器化して携帯。
他4人は四方を向いて警戒。
途中、一度だけ眼前500メートルを一個小隊規模の部隊が横切る。
それ以外のニアミスはない。
20時間が経過した頃、ゲートの方角で何やら騒ぎ声が起こる。
それが事故なのか兵隊同士の喧嘩なのかは全く不明だったが、明らかに周囲から気配が消
えた事にゆうすけは安堵の溜息を洩らした。
異常はその時だけである。
その喧騒もすぐに消えた。
「平常のシフトに戻ったな。」
ピンク髪がゆうすけに耳打ちする。
もはや、何の問答もない。
ピンク髪は機械的にゆうすけを地球に送り返して、話に区切りを付けるらしい。
気が付けば、縦巻薙刀を強く握り続けていたらしい、女の荒い息遣いの様な物が聞こえる
。
行動に夢中でずっと気が付かなったが、縦巻薙刀は明らかに呼吸や鼓動を残していた。
『武器化と言っても感覚は残るのか!?』
ゆうすけは内心驚きつつも、『それは、武器としてあまりに不完全だ』と云う感想を慌て
て押し殺す。
何の変身能力も持たないゆうすけが偉そうに言う筋合いではないし、何より彼女達は自身
の目的があるとは言えゆうすけの為に一肌脱いでくれているのだ。
感謝の気持ちを込めて、袖で優しく薙刀の柄を拭う。
かすかな吐息が聞こえ、刀身が赤みがかった様に見えた。
37時間経過。
一個小隊が左側数百メートルを横切る。
様子を見る限り、真面目に哨戒任務を行っている様には見えない。
若い娘ばかりの部隊なのか、きゃあきゃあ嬌声を挙げながら坂を下って視界から消える。
この時点でゆうすけ一行は完全に草木の下に潜っていた。
『忍法・木の葉隠れ』
自嘲気味にゆうすけが心の中で唱える。
目が合ったピンク髪が微かに笑った所を見ると、異世界人の感性を以てしてもこの奇態は
哂うべきものなのかも知れない。
45時間経過。
空気が明らかに弛緩する。
各所で談笑が起こっては消え、幾つかの部隊が移動する気配がする。
それも小隊規模の移動気配ではない。
数百人規模の部隊が動き始めている。
交代? 休憩? 撤退?
ゆうすけの頭が目まぐるしく動く。
「正式な休憩許可が下りたのだろう。 かなりの数の者が首都か果樹園に向かう筈だ。」
軍服が押し殺した声で囁く。
気配が弛緩した事はありがたいのだが、結果として移動する部隊の群れに囲まれる事にな
る。
一度はゆうすけが潜っている地面の20メートル程横を中隊規模の人員が通り過ぎ、身を強
張らせる破目になった。
48時間経過。
明らかに気配が消えている。
ガンベルトが木の葉から首だけを出して手筒で辺りを伺う。
「四方500メートルは完全に無人。」
これはゲートに突入するタイミングなのだろうか?
ゲートまでは直線2キロと云う6人の言葉を信じるならば、眼前の丘を越えた辺りにゲート
がある事を意味する。
「丘の頂上まで移動しよう。 今なら発見されずに移動出来る。」
ピンク髪の意見に全員が賛同する。
5人で足音を殺して丘を駈け上がる。
先程まで歩哨が立っていたであろうことは、木の枝の折れ方や捨てられた果物の皮などか
ら推測出来た。
丁度、宣言から49時間後。
丘の頂上に到着。
眼下の林からはゲートらしき禍々しい輝きが漏れ、その先には巨大な街壁が広がっていた
。
「あれが首都ですか?」
「一応な。」
軍服の口振りから、あまり話を広げて欲しくない様子は充分に伝わる。
或いは、異世界人が一番地球人に見られたくない施設なのだろうから。
「まあ、今は帰る事しか考えられないから首都の話は関係ないですけどね。」
ゆうすけなりの配慮が伝わったのか、軍服が柔らかい表情で頷く。
首都の一辺は推定5キロ前後。
この角度では全貌は確認出来ないが、仮に正方形型の都市計画が成されている場合は25平
方キロ程度の規模。
街壁の高さは目算10メートル強?
ここからでは解らないが、かすかに見える門の高さから推測するとそれ位の数字は弾き出
せる。
材質は不明。
そこまで素早く計算してから首都からは目を逸らす。
異世界にも一定の規模の文明が存在する。
ゆうすけの頭脳は文明考察を要求している。
地球に一番伝えなければならない事は異世界の文明規模と、交渉窓口の有無だからである
。
首都が交渉窓口で良いのか?
『首都』と云う彼女達が使った単語に踊らされているのではないか?
そこまで考えて、慌てて思考を打ち消す。
ゆうすけの横顔を軍服が盗み見る形で観察している事に気が付いたからだ。
無論、ゆうすけの目はゲートの方向には向けてはいたが。
「あれがゲートで間違いないですね?」
「ああ、そうだ。 光の中心のオレンジの部分に体の半分以上を埋めれば地球に帰れる。 君の場合は幕張海浜公園に帰れる筈だ。」
『君の場合は』
軍服は故意にヒントを出しているのか?
過失でうっかり情報を漏らしたのか?
それとも地球人に対するブラフ?
互いに横に並んで話している為、相手の感情の微妙な部分が読めない。
「しかし、かなり近づけましたね。」
「そうだな。 走ったら3分位か…」
後は警戒しながら少しずつ木々の間を蛇行して降りるか、最短で駆け下りてゲートに飛び
込むかである。
小声で話し合い、折衷案を採る。
遮蔽物伝いに蛇行しながら、万が一発見されれば直線走行に切り替える方針にである。
一同はガンベルトを先頭に無言で木々を伝う。
不思議と疲労感はない。
集中力も全く切れない。
後、数分で地球である。
無事に丘を下り、眼前100メートル程の距離にゲートの光を捉える。
ゲートまでの道は平坦で、障害となる木立も少ない。
と思った瞬間。
眼前30メートル程の地点の何かが4つゆっくりと立ち上がった。
右端の最も巨大な影には見覚えがある。
先日、ゆうすけが申し出を拒絶した将軍であった。
となれば、残りの3人と合わせて四天王。
行動を読まれていた?
4人のオーラに圧倒されて気付くのが一瞬遅れたが、それぞれが背後に手勢を連れている
。
問題は、その手勢が整然と整列している事であった。
「右前方の林に駆け込むッ!!」
軍服が叫ぶや否や、一同が全力で走る。
同時に将軍の隣に居た白衣の様な服を着た女が右手を高く上げて2度振った。
すると、その合図を見た背後の手勢が規則的な号令を掛け合いながら、こちらを包囲すべ
く散開する。
速度は速足程度だが、等間隔を作って包囲陣形らしきものを構成しようとしている。
明らかに訓練された動きである。
ゆうすけが林に飛び込む瞬間、四天王のうちの2人がゲートに向かって後退しているのを
確認する。
半数の兵力で包囲、万が一包囲網を抜けられた時の保険として残りの半分をゲートに張り
付かせる。
恐らく、理に適った行動なのだろう。
しかも、判断が早い。
「このまま林を突っ切ってゲートまで近づくッ! 足は止めるなッ!」
軍服が一同だけに聞こえるギリギリのトーンで叫ぶ。
『足は止めるな』と言っても、相手は平地を移動しているのに、こちらは傾斜と遮蔽物を
掻き分けて進んでいるのである。
どうしてもペースは落ちる。
バーン、と云う轟音が聞こえ、ゆうすけ達の背後5メートル程度の位置に何かが着弾する
。
大木が数本吹っ飛んだり、倒れたりする。
「アイツの馬鹿力に掛かればハンマーもツブーテと変わらんのだ。」
ピンク髪がゆうすけに解説する。
アイツとは将軍のことだろう。
ハンマーを投げた? あの位置から?
いや、疑問の余地はない。
ゆうすけは将軍の巨体と怪力を真近で見ている。
あの女なら、それ位の芸当は可能だろう。
「真左ッ!」
ガンベルトが短く叫ぶ。
真左には球体上の光の様な物体が在る。
全高は5、6メートル。
色は禍々しい紫色。
ゲートである。
「突っ込むぞッ!!」
ピンク髪が先陣を切って林を出る。
全員が魚群の様に固まって後に続く。
ゲートまで目算30メートル。
四天王の二人は既に戻って来ている。
全身を包帯で覆った女と、ヒラヒラの服を着た女だ。
更には二人の中心に金属製の筒状仮面が居り、二人を左右に散らせてゆうすけの前に立ち
はだかった。
筒状仮面はダボダボのトーガの様なコートを纏っていたが、それを脱がずに素手で構える
。
相手はゆうすけ一人を見ている。
武道の概念?
地球人?
『ええ、首都じゃ噂になってるわよ。
相当な凄腕らしいし。』
目算10メートル。
包帯の女がゲートの光の中に入るのを視界の端で確認。
拙い。
一番取って欲しくない行動であった。
視界の利かない光の中を最終防衛ラインに設定されてしまったと云う事である。
ここに来て、ゆうすけは上総忍法の究極奥義使用を断念する。
筒状仮面と包帯、両方を潰せなくては意味がない。
ヒラヒラ服の女が右から飛び込んで来る。
同時に、あり得ない走力で戻って来た将軍が左から襲い掛かる。
その手には巨大な大槌ッ!! あまりに巨大ッ!!
ヒラヒラ服に対してロリ・ガンベルト・軍服がブロックに入る。
ゆうすけはそちらに目を切らない。
反対側の将軍も無視。
恐らく因縁があるであろうピンク髪が何かを仕掛けるだろう。
現に、何かの音が左後側から聞こえる。
そして、ゲートを背に構える筒状仮面に対してゆうすけが一足の距離に詰める。
不動の体勢で居た筒状仮面の右手が鈍く光る。
銃?
やはり、地球人?
筒状仮面は半身に構えたまま、体幹だけを斜めに倒して右手を動かす。
ロシアン空手ッ!?
パンッ!!
と云う破裂音。
ゆうすけが前に突き出した安産大楯にも感触はない。
威嚇射撃?
外した?
躱せた?
不発?
疑問を0.1秒で切り捨て、ゆうすけの身体はゲートに潜る。
ゲートと異世界人が呼ぶ光の球体の中にオレンジの光があり、その前に包帯が無表情で棒
立ちしていた。
何故か丸腰である。
だが、立たれているだけでこちらの進路の大半が殺されている。
「通りますよッ!!」
ゆうすけは形式的な警告をしながら安産大楯で包帯女を脇に押す体制に入った。
包帯は無表情で大楯越しにゆうすけに組みつく。
早いッ!?
包帯は長い両脚を一瞬でゆうすけの身体に絡みつける。
『アームロックだいしゅきホールドッ!?』
しかも、両手がフリーッ!!
包帯は不気味な笑みを浮かべたまま両手を目一杯広げる。
ゆうすけの視界で確認出来ない角度ッ!!
包帯にしがみつかれたまま勢いで押し走るゆうすけだが、完全に速度が殺されるッ!!
包帯は無表情のまま、ゆうすけの首にしがみつく。
右手の縦巻薙刀を使おうにも、完全に死角から密着されているのでどうにもならない。
一瞬、考えた隙に筒状仮面がゲートに侵入する気配を背中で感じる。
足音は思ったより軽い。
いや、それよりも
『拳銃?』
『撃たれる?』
『死?』
ゆうすけの脳裏にそれらの単語がフラッシュバックし、それと同時にゆうすけは包帯毎、
オレンジの部分に身体を押し込んでいた。
『ああ、そうだ。 光の中心のオレンジの部分に体の半分以上を埋めれば地球に帰れる。 君の場合は幕張海浜公園に帰れる筈だ。』
軍服の言葉が嘘でなければッ!
思った瞬間、ゆうすけの身体はゲートに吸われる。
数日前と同じ浮遊感覚に全身が襲われ、かなりの体感速度(ゆうすけの分析では時速80キ
ロ強)で飛ばされる。
もっとも、既に体感済みの感触である。
ここまでは動ずるべき点ではない。
この復路が往路と同じ道順を辿っているのであれば、8分30秒で地球に帰還出来る筈であ
る。
『まてよ、それってJRで千葉駅に行くよりも早いじゃないか?』
考えようによれば異世界は極めて近い。
等と云う下らない考え事をすぐに『今、それじゃないだろ』と自分で打ち消す。
包帯と何時の間にか元の姿に戻っていた縦巻がお互いの喉を握り合った体勢で睨みあって
いたからである。
ここでの戦闘は非常に困る。
どちらかが死んだ場合、地球に異世界人の死体が転送されてしまう可能性がある。
ゆうすけにはまだ、死体を処理するツテや技術が備わっていない。
故に困る。
「二人共、戦闘を中止して下さい。」
無言で二人がゆうすけに気配を向ける。
が、喉の握り合いを止める様子はない。
「地球では暴力行為は禁止されています。」
「ここは地球ではありません。」
変身を解いた安産が反論する。
「勿論、ゲート内の領空権を主張するつもりはありません。 ですが、我々は地球に向かって移動しております。 この体勢のまま地球に到着してしまったら、貴女方は日本国内で違法行為を犯す事になり
ますよ。」
「我々は地球人ではありません。 地球の規則に全て従う道理はありません」
安産が事務的に反論するも、『全て』の部分を強調したと云う事は、どうも本音ではゆう
すけに合わせてくれるつもりらしい。
「国際問題を避けたいのです。 お互い収めて頂けませんか?」
ゆうすけの言葉を聞いて、縦巻と包帯が距離を取った。
「申し訳ありません。 ゲートには僕一人で入るつもりだったのですが。」
縦巻と安産に対してゆうすけが頭を下げる。
包帯がうんうん頷くも、ゆうすけは包帯にまで詫びる気は無かった。
無論、わざわざそれを指摘しない。
ゲート内ではぐれるのを防止する為か、安産がゆうすけと縦巻を引き寄せる。
そして、安全性を高める意図からか、安産と縦巻がゆうすけの左右を固め爆乳4つでゆう
すけの頭部を包む。
爆乳ヘルムッ!!
これならば、変な態勢で地球に着地したとしても命だけは助かるだろう。
ゆうすけが衝撃に備えて、忍具を収納状態に戻していると包帯が真正面から乱入してくる
。
爆乳ヘルムに参加したいのか、包帯越しの爆乳で縦巻と安産の爆乳を払いのけようとする
。
だが。
乳液か何かで滑ったのであろうか、何故かゆうすけの身体のみが払いのけられる。
縦巻が忌々しい表情で爆乳で払い返す。
異世界語らしき言語で何かを言い合う。
「『邪魔をしないで下さい』と双方が主張しております。」
安産が親切にも通訳してくれる。
実に有り難い。
有り難いのだが、爆乳ヘルムから引き離されてしまっている…
ゆうすけがふと先を見ると、白い光が見えてきている。
『地球? 幕張であってくれ!』
包帯の所為で爆乳ヘルムが解除された上に、3人から離れた場所に押されてしまったので
、ゆうすけは独力での対ショック姿勢を覚悟する。
地球側への射出と同時に五接地転回法の要領で衝撃を殺す。
加えて、上総忍法・走馬灯を発動ッ!!
脳を部分仮死状態に移行させ、動体視力を最大値まで引き上げ、体感時間を極限まで遅延
化するッ!!
気が付けば全身を白い光が完全に包み、湿気混じりの臭いが鼻孔を衝いていた。
間違いない、地球ッ!!
いや、そんな事より高度と速度ッ!!
着地できるのかッ!!
突如、視界に芝生が入る。
高度5メートル強ッ!!
幸運にも下は芝生ッ!!
ゆうすけは全身を捻り、頭部からの落下を避けようと試みるッ!!
ドガッ!!
鈍い衝撃…
呼吸が止まり、視界がわずかに霞む。
口内に広がる血の味が極めて薄い事に安堵する。
良かった、後遺症が残るレベルの怪我はない。
視界の端には爆乳クッションでお互いを護りあっている3人の姿が目に入る。
まさに爆乳は万能ッ!!
圧倒的ッ!! 圧倒的爆乳護身ッ!!
3人は何事も無かったかの様に立ち上がり、ゆうすけに歩み寄る。
残念ながらゆうすけは立ち上がれない。
背中が痛い。
ゆうすけが目線だけを動かして周囲を探ると、間違いなく幕張海浜公園であった。
有料地帯に落ちなかった事もゆうすけを安心させる。
周囲は不思議と無人であったが、一人だけこちらを見ている男が居た。
『ああ、男だ。 つまり、地球人だ。』
男は腕時計を素早く確認してから、ゆうすけに歩み寄った。
安産がブロックしようとすると、無理に接近せずに両手を上げる。
表情は優し気で敵意は全く感じさせない。
「増田ゆうすけさんですね。 私は浦上顕彦と申します。 貴方を保護する為に参りました。」
話慣れた人間特有の明瞭な喋り方である。
品の良い眼鏡といい、スマートな長身といい、育ちの良さと有能さを体現したような男で
あった。
「はじめまして。 増田ゆうすけです。 こんな体勢で恐縮です。」
浦上は丁寧にゆうすけの傍らに跪くと、微笑のまま手を差し出した。
「痛むでしょうが、すぐにここを移動して貰って宜しいですか? 私の車で送りますので。」
浦上の握力は見た目よりも強い。
全くの優男ではない、とゆうすけは思う。
「いえ、自宅が近いので歩いて帰ります。」
「御自宅は危険です。 ですので、急遽私が参りました。」
「危険?」
浦上は周囲を警戒しながら、声を少し落してゆうすけに言った。
「ロシアが貴方を探しています。」
浦上が指した車は白い軽自動車。
車内に備品・アクセサリーは皆無。
ゆうすけはナンバーを素早く盗み見て記憶する。
そして、縦巻を浦上の真後に座らせる時に異世界三人娘に、
『僕が危害を加えられそうになったらこの人を制圧して下さい。 可能な限り殺さないで欲しい』
、と声を掛ける。
その台詞を聞いても浦上の静かな微笑は変わらなかったが、縦巻が隣に乗り込んだ包帯と
異世界語で口論を交わし始めた所のを見ると、一瞬だけ笑顔が人口的なものに変わり、そ
して回復する。
「彼女達は… やはり、向こうの?」
探る様に言葉を選びながら浦上はゆうすけに問う。
ゆうすけの膝上には小型の大縦化(矛盾した単語だ)した安産が乗る。
驚くべきは、変身バンクを見ても眉一つ動かさない浦上である。
そして車は静かに動き出す。
「向こうとは?」
ROM専のゆうすけにはそもそも他人に無条件で情報を与える習慣がない。
コンタクトを計ってきたのが浦上である以上、具体的な話は浦上から振る義務がある。
と、でも言いたげな反応をゆうすけは取ってみる。
「ごく一部の日本人は異世界を認知しております。」
あっさりと、浦上が『異世界』と云う単語を使う。
ゆうすけの脳内にはっきりと危険信号が再点滅する。
表情に出てしまったのだろうか?
縦巻がゆうすけにアイコンタクトを送ってくるが、勿論首を振る。
「貴方は、『自分がごく一部の人間だ』と仰りたいのですね。」
「仕事上の成り行きです。」
「仕事とは?」
「おまわりさんです。」
「…もしかして貴方はキャリアの方ですか?」
「分類上はそうなります。」
「それを僕に証明する事は出来ますか?」
「内ポケットに名刺入れがあります。 見せた所で信じて貰えそうにもないですけれど。」
「名刺なんて、紙です。 それでは、信じようがありませんね。」
言葉とは裏腹にゆうすけは浦上が警察官僚である事に関しては信じて納得もしている。
ただ、ゆうすけに信頼を前提に議論をする習慣はないだけの話である。
「高速を降りたら名刺をお見せします。 どのみち、今から私の実家に向かいますので。
家を見て貰えればある程度は私の身元を信じて貰えると思いますよ。」
「浦上さんの御自宅にですか? 警察署ではなく?」
「別に貴方は犯罪者ではありませんし。 これは公務ではありませんので。」
「待って下さい。 警察業務として僕を保護してくれているのではないのですか?」
「先程も申し上げた通りですよ。 異世界の概念を知っているのは『ごく一部』の人間であると。」
「警察は把握していないのですか?」
「ええ。
残念ながら組織としては把握しておりません。」
「ちょっと待って下さい! 貴方は異世界の存在を認識しながら組織に報告していないのですか?」
「はい。 報告しておりません。」
「…それは、背信行為ではありませんか?」
「機密保持の為の措置です。 私達も政官一体となった情報把握を望んではいるのですがね。」
「いや、それなら!」
「最高機密を一般回線でペラペラ話してしまう人間には報告の仕様がないのですよ。 増田さんが私の立場でも同じ判断を下すと思いますよ。」
「防諜意識の話ですね。」
「話が早くて助かります。」
「御自分にだけは防諜意識があるとでも?」
「残念ながら、私達程度でもマシな人間の集まりになってしまうのです。」
「『わたしたち』ですか?
それは、警察内部に異世界情報を独占している派閥が存在すると云う事ですか?」
「ははは。 悪意に満ちた解釈だ。 しかし概ね正しいと言えます。 もっとも、警察と云うより省庁横断的な有志グループが存在するだけですが。」
「ちょっと待って下さい。 これは政府レベルで対処するべき問題ですよね? さっき、少し触れておられましたけどロシアも動いているんですよね?」
「増田さんが選挙権を行使できる年齢になられたら…
せめて携帯電話やネット回線上で機密を扱わない代議士を選出して下さい。」
「仰りたい事は解りますが。」
「家族や後援会にペラペラ仕事の内情を漏らしたり、酒を飲んだり、パソコンの暗証番号
が自分の誕生日だったり、SNSを使用したり、同窓会に出席したり、趣味や娯楽を保有し
たり、部外者と交流を持ったり。 そういう人種は21世紀の公的組織には不要です。」
「主旨は解りました。 つまり貴方の言い分はこうですね。 『防諜意識を持たない上司や組織に重要な情報は報告出来ない。 故に、我々意識の高いグループが情報を独占して問題に対処するのだ。』 と?」
「否定はしません。」
車は京葉道を北上する。
本気で東京に向かっているらしい。
「ですが、貴方が僕にこんな話を漏らしている事こそ防諜意識の欠如ではありませんか?
僕がこの情報をマスコミに売ったらどうするんですか? 得意気にネットに書き込むかも知れない? 実は僕がスリーパーの息子か何かで反日活動を親から命じられていたとしたら?」
「素晴らしい。 増田さんみたいな方にこそ警察や公安に入って欲しいものです。」
「話を逸らさないで下さい。 僕は貴方の様に防諜意識が低い方には協力出来ない。」
言葉とは裏腹に、ゆうすけは浦上への協力を決意してしまっていた。
この一瞬で浦上を高く評価し好感までも持ってしまっていた自分自身を掣肘しているだけ
の話である。
当然、一連の浦上の発言がゆうすけに迎合する為に、敢えてゆうすけ好みの発言をしてい
る可能性も考慮している。
『こちらの未熟に付け込んで、籠絡しようと試みているのではないか?』
『自分はまんまと警戒を解かされているのではないか?』
ゆうすけは高速であらゆるパターンを想定する。
この男は、どっちだ?
「こちらも博打と綱渡りの連続なのです。 リスキーな行動は大目に見て下さると助かります。」
「これも博打のうちなんですか?」
「記録上、私は庁舎内で勤務している事になっているのにこうして千葉におります。」
「恐らくは役所的には相当不味いのでしょうね。」
「お巡りさんが組織を通さずに世直しを試みるのは万死に値する犯罪です。 こっそり競馬場に行く程度でしたら免職位で済まされるのでしょうけど。」
浦上の声はどこまでも柔和で抑揚がない。
だからこそ、そこに本音がある事は何となく察せられた。
「僕はしかるべき公的機関に異世界情報を提供する為に帰って来ました。」
「素晴らしい御心掛けです。」
「貴方の考え方は僕にとっては極めて理想的に映ります。」
「ありがとうございます。」
「だからこそ信用出来ない。 何か国益を害する意図を持ったグループが僕を取り込もうと画策しているように見える。
」
浦上は嬉しそうに笑った。
これではゆうすけが思い詰めた警察官僚有志を籠絡しようと試みているかのようである。
「いやあ、素晴らしい。 不覚にも増田さんには気を許してしまいそうです。 警察庁の入庁試験を受けてみませんか? 推薦状位は書かせて頂きますよ。」
「それは、どうも。 で、僕に望む事は何ですか?」
「まずは私の実家で情勢を説明させて下さい。 耳を傾けて下さればそれで結構です。」
「この車が向かっている先が本当に貴方の実家である事と証明出来ますか?」
「世田谷区弦巻に向かいます。 何も無い住宅地です。 もしも、この車がそれ以外の場所に向かう様なら後ろのお姉さんに指示して貰っても構い
ません。」
気が付けば、縦巻が真後ろから浦上に何かを突きつけている。
不覚にも、胸と髪がブラインドになっていてゆうすけにはそれが見えていなかった。
「今はこの人に手を出さないで下さい。 威嚇も不要です。」
ゆうすけがそう告げると縦巻は無言で手を降ろす。
それとなく包帯を盗み見ようとすると、彼女は膝に手を置いた体勢で真っ直ぐにゆうすけ
を見つめ続けていた。
仕方がないので軽く会釈をすると、唇の端を歪めて笑う。
微妙な反応だが敵意は無さそうなので、正面を向き直す。
「失礼しました。」
「いえ、お構いなく。」
後は実家とやらに到着するまで、ゆうすけは黙秘を決め込む。
一度だけ浦上が話し掛けるも、『御実家で話しましょう』と拒絶する。
浦上は微笑を崩さずに運転を続けた。
実家は閑静な住宅街に実在した。
表札は木製で、墨で『浦上俊彦』と書かれている。
見た感じ古い。
浦上が大きなガレージの車のナンバープレートを指しながら説明する。
「黒いのが父の車。 白いのが兄の車です。」
そう言いながら、乗って来た軽自動車をガレージに収納する。
「これは公用車なので、屋内に入れさせて下さい。 当てられたら大変な事になってしまうので。」
ゆうすけと安産は敷地の様子を無言で観察する。
縦巻は包帯の隣に張り付き牽制し続けている。
浦上はインターホンを押す。
10秒ほど間隔が空いて、『浦上です』と云う声が聞こえる。
低い初老の男の声である。
「顕彦です。 開錠をお願いします。」
『仕事は?』
「理由があって早退しました。 知人を同伴しているのですが、入って貰って構わないでしょうか?」
返答は無く、無言で錠が開いた。
この遣り取りは、不自然な位に自然である。
少なくとも、この自宅が偽装された物である可能性は少ない。
玄関で迎えた男(恐らく浦上俊彦)が背後の異世界三人組を見て表情を崩さずに驚いてい
る。
「桜田室長から早退許可は貰っております。 彼らの件でです。」
浦上はそう言った後、ゆうすけ達を振り返って『父です』と紹介する。
浦上の父親は無言でゆうすけ達に会釈する。
安産が『お邪魔します。』と頭を下げたのを見て、縦巻と包帯が横目で見ながら真似をし
た。
「部屋はあれから触っていない。」
浦上の父は浦上にそう告げて家の奥に消えた。
浦上は『どうぞ』と言いながら階段を上り始める。
ゆうすけは周囲を警戒しながら無言で付いて行く。
「ここが私の部屋です。 汚い所で恐縮ですが。」
言葉とは逆に整然と整えられた自室に案内される。
清掃こそ行き届いているが、人工的な印象はない。
「どうぞ、好きな所に掛けて下さい。」
額面通りに受け取ったのか安産・縦巻・包帯の三人が並んで浦上のベットに腰掛ける。
ゆうすけは腰をおろさずに、本棚を無言で確認する。
参考書の種類から、浦上顕彦が東京大学を卒業して警察庁に入庁した流れが伺える。
これがカバーストーリーだとしたら大したものである。
「野球をされるんですね。」
ゆうすけが本棚の野球本を見て何気なく漏らす。
「中学生までですけどね。」
その声が少し寂し気だったのが、ゆうすけの印象に残った。
ゆうすけは浦上の真正面に座る。
「僕から話しましょうか?」
「いや、私から説明させて下さい。」
「お願いします。」
「現在、一部の国家間で異世界関連技術が研究されております。 断トツのトップがロシア。 次いで我が国。 残りの数か国は日露の動きを探るのが精一杯の状態です。」
「異世界関連技術とは、ワープの事ですか?」
「はい。 仰る通りです。
そして、ロシアは既に人類初の物質転送に成功しております。」
「…日本も?」
「我が国にワープ技術は存在しませんが、一部有志がワープ源の発生位置算出方法を発見
しております。 現時点で、ワープ源の発生個所を事前特定出来るのは恐らく我々だけであると推測してお
ります。」
「それをロシアが欲しがっている?」
「いや、我々の存在も含めて日本の異世界研究は現在の所把握されておりません。 ただ、彼らは日本が異世界と何らかの関連があると確信しているようなのです。
当然、日本がどこまで異世界情報を把握しているのかを知りたがっています。 それもかなり本腰を入れて探りに来ています。 元来、北京やシンガポールに張り付いているべきエースが我が国に送り込まれて来ていま
す。」
「そして、僕を探しているのですか?」
「いえ、千葉市内で何かが起こっていると云う事が嗅ぎつけられているらしいのです。 特に幕張はワープ源の多発地帯ですので、目撃証言が何かの形でロシア側に漏れた可能性
があります。 冷戦時代からマークされている親露活動家の何人かが現地を見聞しているので、ほぼ確定
でしょう。」
「僕個人を探している、と云う訳ではなさそうですが。」
「いや、貴方の『増田ゆうすけ』と云う名前。 これが何を意味するかは既に御存知だと思います。 その貴方がワープ源の傍に住んでいる事が知らてしまえば…
例え関連が無かったとしても関連付けられてしまっているでしょう。」
「それで先回りして下さった、と?」
「まさか異世界の方まで連れて来られるとは思いませんでしたが…」
浦上がベッドの三人に振り向く。
安産が形式的に愛想の良い微笑で頷く。
「本当は僕一人で地球に帰るつもりでいました。 ただ、向こうの政府の方と偶発的に戦闘になってしまって、行きがかりで三人を連れて来
てしまったのです。」
「戦闘! …ですか。」
浦上が苦しそうに眉を顰める。
彼の立場ではそうであろう。
「いや、それよりも異世界にも政府が…」
浦上が口元を固く結んで、何事かを考える。
「政府でーす。」
恐らくは何も考えずに包帯が挙手をしながら口を開いた。
浦上は包帯に振り返りながら、ゆうすけに問う。
「こちらの方は?」
「向こうの世界の政府の方です。 あー。 浦上さんがアニメとかを見られるかは解らないのですが。 アニメで言うと四天王的な存在です。」
「四天王と云うと源頼光的な?」
ゆうすけは『ああ、やっぱりこの人はアニメとか見ないんだろうな。』と納得しながら話
を進める。
「ええ、要するに軍隊の指揮を執っている人です。」
「他の御二方も?」
「いえ、こちらの二人は僕を異世界に招いた人達です。 政府には所属していない様です。」
浦上は恐らくは頭を高速回転させながら事態の把握を試みていた。
「ところで、貴女方は日本語がかなりお上手のようですが。」
「子供の頃からアニメ見てるから。」
包帯が答える。
それを聞いて縦巻が異世界語で包帯に何事かを話し掛けて、二人はペチャクチャ話し出し
た。
どうせ『どんなアニメ好きなの?』とか話しているのだろう。
浦上は必死で頭を抱えるポーズになってしまうのを堪えながら、質問を重ねる。
「…アニメですか?」
「異世界では日本のアニメが放映され続けております。 彼女達はそれを見て日本語や地球の習慣を習得しているようです。 少なくとも、僕が異世界で出逢った全員が流暢な日本語を話しておりました。」
浦上が冷や汗を流しながら黙り込む。
縦巻と包帯は雑談を打ち切ってお互い反対を向いている。
表情から察するに、好きなアニメが被らなかったのだろう。
「僕はこの現状を報告するべく日本に帰還しました。」
浦上が力を振り絞って声を出す。
「感謝します。 無論、我々も情報の裏付け作業は行わせて頂きますが…」
「当然です。
可能な限り協力するつもりでおります。」
「ありがとうございます。」
「取り調べが必要なら幾らでも応じます。」
「流石に、こんな話で公的施設は使えないでしょう。 調書の取り様もないですし。」
確かに、『こんな話』ではある。
だが、『こんな話』を真面目に調査する部署がロシアには存在している。
そして、その部署が増田ゆうすけを探している。
「僕に出来る事はありますか?」
「私の直属の上司、この件に関する同志なのですが、彼に面会して貰えるとありがたいで
す。 出来れば、貴女達も…」
浦上は三人組を振り返る。
三人は然程関心は無さそうであったが、形式的に頷く。
状況が呑み込めていないのかも知れない。
「先程名前が出た桜田室長、と云う方ですか?」
「話が早くて助かります。 桜田は私がフリーハンドで動く為の調整を行ってくれております。 無論、通常任務もちゃんと行っておりますよ。」
「通常任務?」
「いやいや、おまわりさんとしてのお仕事ですよ。」
「ああ、そちらの。 具体的にはどの様な部署に居られるのですか?」
「財務省との折衝ですね。
警察予算を確保する仕事に就いております。」
「…なるほど。」
『そのクラスのエリートが僕なんかに構っている暇があるのだろうか?』
とゆうすけが内心自問するのを見透かしたように、浦上は言う。
「とりあえず、明日は千葉まで送らせて下さい。 途中、東京で桜田を紹介します。 私と違って融通の利く人間なので面識を持っていて損にはならないと思います。」
「それは構わないのですが、今日は泊まっていけと?」
「出来れば、色々と聞かせておいて欲しいのです。」
結局、その日は浦上の自宅に泊まる事になった。
浦上なりに気を遣っているのか、客間と自室を走り回って客用布団を掻き集めて来る。
食事も勧められたが、ゆうすけも三人も謝絶する。
入浴に関しても3人が難色を示した為沙汰やみになった。
浦上も特に強く勧めず、ペットボトルのお茶やジュースをゆうすけ達に提供した。
ゆうすけ達が口を付けなかったので、浦上が『封は開けておりませんよ』と補足するが、
それでも尚『いや、喉が渇けば頂きます』と言って口を付けない。
結局、異世界体験談をゆうすけが浦上に話して一夜を過ごした。
浦上は深夜3時30分から1時間30分だけ睡眠を取った。
壁にもたれかかって軽く腕を組んで眠りを取る当たり、この男もやはり只者ではない。
ゆうすけは特に眠いと思わなかった為、結局眠らなかった。
浦上が眠ってる間、日本の警察システムを3人に説明しようと試みるも、アニメで学んで
いるのか3人の警察知識は相当な物で、オービスや警察病院に関してまで熟知していたの
で説明を止めた。
「この人キャリアって奴?」
包帯が浦上を無遠慮に覗き込みながらゆうすけに聞く。
「多分そうだと思います。 開成高校から東京大学に進学して、国家公務員Ⅰ種試験に合格したようですね。」
ゆうすけは浦上の本棚を見ながら説明する。
卒業アルバムを勝手に閲覧。
確かに浦上顕彦が載っている。
ゆうすけを騙す為だけに、ここまで細工したのだとすれば大したものだが、逆にゆうすけ
如きにそこまで予算や手間を掛けて取り込むのも不自然な気がする。
浦上の真意は兎も角、素性経歴については嘘ではないと考えても良いのかも知れない。
「ところで、貴女はこれからどうするのですか?」
ゆうすけは声を潜めて包帯に尋ねる。
「しばらく偵察したら帰るわよ。」
即答。
迷いが無い。
この女も仕事のつもりではいるのだろう。
「まあ、もう見たい物は全部見たけど。」
「全部ですか?」
「うん。 地球の規模感。 そして地球人の有害性の確認。」
「有害でしたか?」
「ん?
自覚無いの?」
「いえ、あります。」
「そういう事。 後はしばらく成り行きで行動するわ。 こういうのって巻き込まれ型主人公の行動かしら?」
「いや、貴女は故意にゲートに入ったでしょう。 僕に押された体を装って。」
「ふふ。 どうかな。」
包帯は恐らく冗談が通じる種類の女だ。
その分、腹の読み辛さがあり、ゆうすけは扱いに困る。
無論、安産と縦巻がゆうすけと包帯の会話に聞き耳を立てている所からみても、あまり突
っ込んだ話は出来ない。
3人の扱いを考えようとしていると、浦上が目を覚まして洗面を始めた。
浦上の両親も目を覚ましており、既に着替えていてゆうすけ達に朝食を勧める。
ゆうすけは『ありがとうございます。 ですが、今はお腹が空いていないので。』と断っ
てから漸く自分の身体の異変を自覚した。
「あの、昨日から全くお腹が空かないのですけれど、僕の身体に何かが起こっているので
すか?」
小声で安産に尋ねる。
「お腹も何も膜に入ったではありませんか?」
安産は『何だそのような事ですか』とでも言いたげな微笑で答える。
「膜に入れば空腹にならないのですか?」
「単純に栄養価の話です。 地球の皆さんは、劣悪な食生活を送っておられるので何度も食事を取る必要があるのでし
ょうけど。」
安産が横目で浦上家の食卓に目を遣りながら囁く。
「地球の食事が栄養価が低い?」
「だって、一日に三度も食事をしても次の日にはまたお腹がすくのでしょう? 身体が必要とする栄養を全く摂取出来てない証拠じゃないですか。
どう考えても非効率です。」
「…確かに、理には適ってますが。 しかし、母乳でそこまで栄養を補充出来る物なのでしょうか?」
「地球人が主食とする穀類や魚類は、摂取する目的に生まれた生物ではないでしょうに。
ですが、母乳は自分の親族に与える事を目的として生成されるのですよ? どちらの栄養価が高いかは考えるまでもないでしょう。」
「いや、確かにそうではありますが。」
「地球には調理せずに摂取可能な食材が何種類あるのですか?」
「く、果物程度でしたらそのままでも。」
「皮や種も食べられるのですか? ベストの状態の果実を口に入れる事が可能な環境に居るのですか?」
「…いえ。 確かに不完全な食事です。
母乳と比べれば、栄養価においてこれ程不完全な食事形態もないでしょう。」
縦巻と包帯がうんうん頷く。
確かに、安産の発言は理に適っている。
「いや、しかしですね。 地球人だって乳児の頃は母乳を飲んでおります。 ですが、そこまでの栄養価は…」
「地球の牝如きと比較されても困ります。 どう見たって我々の方が優れているでしょう? 我々は全ての項目において、地球の牝を凌駕した存在です。
母乳においても、比べる方が論外なのです。 」
「いや、命に優劣は…」
ある。
それが解からない程ゆうすけも馬鹿では無い。
「御納得頂けたようですね。」
ゆうすけの表情の変化を見て安産が話を打ち切った。
少なくとも、身体能力と生殖機能に関しては異世界人は地球人よりも遥かに優れている。
何時の間にか輪の外に居た浦上までもがうんうん頷いているのだから、的外れな発言では
ないのだろう。
「劣等種同士頑張りましょうね。」
浦上がにこやかにゆうすけの肩に手を置いて食卓に向かった。
浦上家の朝食を異世界組は無関心に眺める。
それは地球の慣習からすれば幾分無礼な行為だったが、浦上一族は余程肝が据わっている
のか全く動じない。
浦上の父親は静かにお茶を飲みながら、浦上に対して手短に質問を重ね浦上もテンポ良く
答えて行く。
丁度、ゆうすけの位置では聞き取れない絶妙の音量で会話をする辺り、この親子も相当場
馴れしている。
しかも浦上父は巧妙に湯呑で唇の動きを隠している。
これでは読唇術が使えない。
ところで、ゆうすけの身体の変化は空腹感だけに留まらない。
まず、排泄意欲が起こらない。
何も胃腸に入れていないのだから当然である。
それどころか、眠気も全く沸かない。
これも『膜』で数日分の睡眠を取ってしまったと云う事なのだろうか。
そう言えば、ピンク髪が排泄に関しても言及していた。
『ウチらにはオマエらが耳掃除する位のスパンでしか排泄が必要ない。』
恐らく真実なのだろう。
異世界人は母乳に変換する為の最低限の食事を取り、親しい仲間同士で母乳を飲ませ合い
免疫と栄養を相互交換する。
素晴らしい。
最高に合理的なシステムである。
「お腹が空いたら、申し付けて下さいね。」
縦巻がゆうすけに顔を寄せて囁く。
「しかし、地球の食事だってありますし…」
「あんなものは毒です。」
縦巻は確信に満ちた笑顔で言い切る。
まあ、その通りなのだろう。
「解りました。 お言葉に甘えます。」
ゆうすけが律儀に頭を下げたので縦巻と安産は安堵の表情でお互いに異世界語で言葉を交
わす。
ゆうすけと包帯の間を微妙にブロックしている辺り、異世界には異世界の事情や思考があ
るのだろう。
「ここに居る間は三人共仲良くして下さいね。」
ゆうすけが念の為牽制をしておく。
三人が異世界語で話し始める。
表情を見るにどうやら停戦は充分可能らしい。
少しゆうすけは安堵する。
「お待たせしました。」
鞄を持った浦上が少し離れた位置から声を掛けて来る。
どうやら出発らしい。
浦上の両親が玄関まで一同を見送る。
ゆうすけと浦上俊彦の目が一瞬だけ合う。
お互いに一切無言ながらも、深々と頭を下げて別れる。
もう会う事もないだろう。
30分ほど車を走らせ、浦上は無人のコインパーキングに車を入れる。
早朝と云う事もあり、周囲には全く人気が無い。
隣の大きなボックスカーに40代程の恰幅が良く目つきの鋭い男が座っている。
「上司の桜田です。」
浦上がゆうすけに男を紹介する。
「こちら増田ゆうすけさんです。」
続いてゆうすけを桜田に紹介する。
桜田が浦上に『こっちに入って貰って』と指示をしたので、異世界組も含めて全員が桜田
の車両に乗り込んだ。
「改めまして初めまして。 浦上の上司の桜田雄太郎と申します。」
「はじめまして。 増田ゆうすけです。」 浦上と違って柔和さは一切感じない。
非常に厳しい印象を与える男だ。
声質が非常に無機質で圧倒される。
「浦上から一通りの事は聞いていると思いますが…」
桜田に見られて無言で浦上が頷く。
それで伝わったのか桜田は話を続ける。
「昨日のうちに幕張近辺を調査しておきました。 現在の所、問題はありません。 普通に今まで通り生活して頂いても大丈夫です。」
「そのロシアは…」
「彼らも詳細を掴めてないようです。 現在の所、増田さんとゲートは関連付けられておりません。
これはほぼ確報であると捉えて頂いて結構です。」
ゆうすけは少し胸を撫で下ろす。
この手の男が『確報』と云う単語を使った事への安堵感は大きい。
「それで、僕に何か指示の様な物はありますか?」
「お手数ですが、増田さんに一人逢って貰いたい男が居るのです。 私の学生時代の同期なのですが、異世界関連で奔走してくれております。 日本における第一人者と言っても過言ではない人物です。」
「解りました。 声を掛けて頂ければ何時でも向かわせて頂きます。」
「助かります。」
桜田は深く頭を下げた後、浦上に『増田さんを御自宅まで送って差し上げて』と指示した
。
それで話は終わったらしく、浦上は二台分の料金を支払いに行った。
当然、領収書は発行しない。
最初桜田が発進し、10分待ってから浦上が出発した。
「申し訳ありませんが、幕張まで寄り道せずに向かわせて頂きます。 あまり目立ちたくないので。」
「異存有りません。」
当たり前である。
異世界三人娘に途中で街歩きでもされたら、一発で話題になってしまう。
後部座席に三人、大きな毛布を被らせて寝かせている。
「これは道路交通法違反ですね。」
浦上は寂し気に笑う。
軽自動車の搭乗上限は4人である。
「彼女達は地球人ではありませんので、地球の刑法は適応されません。」
「どのみち役人的にはアウトなんですけどね。」
確かに色々問題にはなるだろう。
「あの、昨日みたいに一人を盾化して僕が持ってましょうか?」
「昨日のあれは? …俗に言う変身と云う事ですか。」
「異世界人は地球の武器に変身出来るみたいですよ。 他に刀剣に変身した人も居ましたし。」
それが縦巻である事は保険として伏せておく。
「まるでお伽噺の世界ですね。」
「向こうに言わせれば、地球はディストピアらしいです。」
「ははは。 返す言葉もありませんね。」
浦上とゆうすけは声を合わせて笑う。
気持ちの良い笑いであった。
「でも、よりマシな世の中にするべく皆頑張っているんです。」
浦上が前を向いたまま零す。
光の加減でその横顔は見えない。
「ええ。 理解出来ます。 …いや、違うな。」
「違いますか?」
「ある異世界人が言っておりました。 『地球人はパラメーターの全てを社会の複雑化に割り振っている癖に、その社会の住み心
地すら最低だ』、と。 」
浦上は気分良さげに更に大声で笑った。
ゆうすけもついつい引き込まれて笑顔がこぼれる。
「痛い所ばかりを衝かれましたね。 きっとロシア人に聞かせても喜んでくれそうな話です。」
「いつか、そんなアニメを作ってみても面白いかも知れません。」
「お、いいですね。 クビになったら私も手伝いますよ。」
無論、二人にそんな気はさらさらない。
多分、二人共近いうちに死ぬ。
それが解からない程お互いに馬鹿ではない。
「地球アニメが異世界に漏洩し続けていると云う事ですが、増田さんはその原因を何だと
思いますか?」
「日本アニメばかりを収集している機関のデータベースが何らかの事情で異世界と繋がっ
てしまっている。
僕はそう推理しております。」
「機関とは?」
「それこそロシアの対日諜報機関とか…」
浦上が黙り込む。
この仮説を笑い飛ばす材料までは思い浮かばなかったのだろう。
「…貴方みたいな悲観論者は警察官僚向けですよ。 警察庁受けて下さいって。」
「いやあ、僕はお役所仕事の適性は無いと思いますよ。」
そうこうしているうちに増田家付近に到着する。
花見川沿いに建てられた薄汚い小屋が増田家である。
何故か家の前にパトカーが二台停車している。
「浦上さんが手配してくれたのですか?」
「…いや、私は何も聞かされておりません。」
二人が車を降りると黒いスーツを着た男が浦上に話し掛けて来た。
浦上が安堵の表情を浮かべた所を見ると、信頼のおける知人らしい。
二人は深刻そうに額を寄せてひそひそ話をしている。
「増田さん、申し訳ありません。」
浦上が冷や汗を浮かべてゆうすけに向き直る。
ゆうすけと目が合った黒いスーツの男も恐縮顔で会釈する。
「何か問題でも?」
「貴方の異世界行きが嗅ぎ付けられてしまった様です。」
「ロシア?」
「いえ、一応日本人なのですが… あー。 色々と問題のある人物でして。 どうも勝手に増田さんの家に侵入してしまっている様なんですよ。」
「…それは、問題ですね。」
開けられたままの扉からは騒ぎ声が聞こえる。
明らかに、話がややこしくなってきた。
異世界三人娘も異変を察知して車両から降りて来る。
「危険な人物なのですか?」
「…インタポールが定めた世界秩序に対する脅威度では今年の世界ランキングの9位につ
けている人物です。」
浦上が渋い顔で即答する。
「浦上家にもう一泊させられるのですか?」
「何とか追い返してみます。 いや、うーん。
増田さんも一応見ておいた方がいいかも知れない。」
浦上が黒服と共に増田邸に入る。
仕方なく、ゆうすけも後に続く。
警察に見られたくない物が多過ぎるので胃が痛くなる。
浦上レベルの観察力の持ち主であれば、自然に色々と見つけてしまうだろう。
大抵の忍者屋敷と同じく、増田邸だって法律に大いに違反している。
黒服がゆうすけに冷や汗を流しながら囁く。
「絶対に直接目を合わせないで下さい。 断じて接近しないで下さい。 くれぐれも相手を刺激する言動はとらないで下さい。」
黒服の怯えっぷりは尋常ではない。
ゆうすけの緊張は高まる。
そして、ゆうすけが自室に入ると、その生物は存在した。
座敷童の様な着物を着た、おかっぱ頭の老婆?童女?が三人の警官に手足を掴まれたまま
、物凄い運動エネルギーで動いている。
「社長ッ! 人の家の食べ物を勝手に食べたら駄目って何度言ったら判るんですかッ! 窃盗罪ですよッ!」
叫んだ男は警察官の制服を着用している、常軌を逸した巨漢である。
胸板や肩幅が尋常のサイズではない。
警察官は後2人居る。
片手で社長と呼ばれた生物の脚を掴みながら、反対の手で無線を聞いている日に焼けた初
老の男と、肩を踏み付けて押さえ付けている長身の無表情の男である。
一方、社長と呼ばれた生物は周囲を囲む警官の制止を気に留める様子もなく、至福の笑み
で何かを食べている。
良く見ると、ゆうすけが父親の為に取っておいた羊羹であった。
「あ、父さんの羊羹…」
思わず言葉が漏れる。
その声は意外と響いてしまい、4人が一斉に振り返る。
それぞれが相当な猛者である所為なのか、何気なくこちらを見る眼光が凄まじい。
「すみませーん。 こちらのオウチの方でしょうか?」
規格外の体格からは予想出来ない九州訛のソフトな口調で巨漢がゆうすけに質問する。
ただ、眼がまるで笑っていないので、威圧感は却って大きい。
「はい。 増田と申します。」
ゆうすけが丁寧に頭を下げる。
巨漢が一瞬ゆうすけに気を取られた隙に、社長が猛然と羊羹を食べ尽してしまう。
「あーッ!! アンタ何しちょっとですかッ!!」
巨漢が大きな手で社長の首根っこを掴んで床に叩きつける。
重く鈍い音が家中に響くも、大したダメージはないのか社長は甲高い奇声を挙げ続けてい
る。
「福岡県で製造業を営んでおられる幌出絹(ほろできぬ)社長です。」
黒服がゆうすけに囁く。
ゆうすけの前に身体を広げている所を見ると、どうやら庇ってくれているらしい。
「もぐもぐもぐ♪ ぷはーッ♪ 斎藤クン、こうしゃんこうしゃん(降参降参?) もう食べないから離して♪ ホンマホンマ♪」
斎藤の巨体からから這い出た幌出絹はゴキブリのような非直線運動でゆうすけの前まで辿
り着いて手を挙げる。
「やあ♪ 君が異世界少年やね♪ 遊びに来てあげたよ♪」
直立しているのに、その身長はとてつもなく小さい。
ゆうすけのベルトの高さまでしか背丈が無い。
反面、胴体や頭部はずんぐり大きく、着物の裾からはみ出た腕は胴体相応に太い。
「これも地球の生物なの? アニメ?」
後ろの方で包帯が浦上に尋ねている。
「ええ、人間と99.89%までDNA配列が一致しています。」
「要するに人間?」
「ええ。 平成2年度に最高裁が幌出社長を『人類或いはそれに準拠する生命体』と定めています。
」
浦上の口振りから察するに、法的には一応人間らしい。
包帯が『アニメ?』と尋ねる位に人間離れはしているが。
「あの。 どうして僕が異世界関連だと?」
ゆうすけが幌出絹に質問する。
「ウチてんしゃい(天才?)やから♪ IQしゃんびゃく(300?)やから♪」
どうやら、彼女は天才的な頭脳を保有しており、その頭脳からゆうすけの異世界行きを探
知して家まで押し掛けて来たらしい。
「後ろのしゃんにん(3人?)はウチの護衛のおまわりしゃん♪」
どう見ても、監視役にしか見えないのだが、幌出絹の中では護衛と云う事になっているの
だろう。
自慢気に胸を張って3人の方向を指差す。
表情は誇らし気で、その瞳は一点の曇りなく少年の様に輝いている。
「増田クン。 ごめんねー。 羊羹。」
申し訳なさげに巨漢が頭を下げる。
「ウチ、お客しゃんやからへーきへーき♪」
残念ながら幌出絹からは1㍉も反省の色が感じられない。
何が嬉しいのか身体を前後左右に揺すりながらハミングをしている。
「それで社長。 本日はどの様な御用件でしょうか?」
「しょうしょう(そうそう)♪ よーけんよーけん♪ お茶はどこー?」
「は? お、お茶ですか?」
「おちゃー♪ 口がベタベタするからオバチャンお茶欲しい~♪」
巨漢が無言で幌出絹の首根っこを掴んで持ち上げて、お茶入りのペットボトルの指し込む
。
見覚えの無いペットボトル容器なので巨漢の私物かも知れなかった。
驚愕するべきは、幌出絹が1秒も掛からずに500mlサイズのお茶を急吸引して全て飲干して
しまった事である。
余程肺活量が卓絶しているのか、勢い余って空ペットボトルが吸引力で圧縮されて石の様
な固形物に変わった。
幌出絹は悪びれずに床にペットボトルだった固形物を吐き捨てる。
「世界にはこの人より危険な人間が8人も居るのですか?」
思わず、ゆうすけが黒服に問う。
「いや、独裁国家の元首とか… 最近は核や細菌兵器も拡散してしまっておりますし…」
「なるほど。」
ゆうすけとしては、それこそ『なるほど』としか言いようがない。
救いは幌出絹がゆうすけに対して好意的に見える点である。
「ぷっはー♪ 斎藤クンのお茶は斎藤クンの味がするねー♪ いや、Hな意味で言ってへんからな♪」
巨漢・斎藤は無言でペットボトルだった固形物を黒っぽい鞄に入れた。
服の裾を巧く使って指紋を付けなかった辺り、証拠か分析対象とするのだろう。
「とこりょで(ところで)♪」
幌出絹が無音で跳躍してゆうすけの頭部にしがみついて目を覗き込む。
一瞬反応が遅れたゆうすけが一瞬だけ上総忍法・雷電を起動させようとするが、警官に囲
まれた現状を思い出し、起動を停止する。
一瞬だけ視界の端に雷電の起動動作に反応をしようとした斎藤の姿が映る。
ここに居る全員が尋常ではない。
『本質的に奇襲に過ぎない忍術はここでは無効無意味。』
ゆうすけは思考を切り替える。
「地球から異世界まで何分掛かった?」
幌出絹の巨大な瞳がゆうすけの表情の隅々までを観察している。
更には頭部を左手のみで掴み、右手の人差し指と中指を使いゆうすけの鼓動を計測してい
る。
『鼓動と瞳孔の変化を利用した尋問方法!?』
ゆうすけはすかさず、上総忍法・石人形を発動する。
「3分くらいか?」
幌出絹が当たりを付けて来る。
ゆうすけは感情と反射を極限まで殺す。
「1分? 5分 10分? 30分? 1時間? 3時間? 24時間?」
幌出絹が両目玉をカメレオンの様に別々に動かしながらゆうすけの表情の隅々を観察して
いる。
対して右手の二本の指は精密機械の様に、微塵も圧力を変えない。
無言で斎藤が幌出絹の肩を掴むが全く動じる様子すらない。
「ほう。 歳の割に修羅場潜っちょるね。」
幌出絹がゆうすけの頭部を握っていた左手の力を強める。
その矮躯からは想像を絶する握力である。
恐らく、本気を出せばゆうすけ如きは簡単に握殺出来る筈だ。
激痛の中でゆうすけが上総忍法・横針を発動させようとした瞬間。
縦巻が手刀を幌出絹の眼球に突き付けていた。
文字通り、手首だけを薙刀の刃に変身させている。
同時に幌出絹は何時の間にか取り出した右手の拳銃をゆうすけの眉間に密着させている。
「私の男に手を出さないで欲しいわね。」
何故か包帯のドヤ声が部屋に響く。
オマエ、アニメの定番台詞を言ってみたかっただけだろう。
「おお♪ いしぇかいいしぇかい(異世界異世界)♪」
幌出絹は何が嬉しいのか、珍妙な歌を口ずさむ。
或いは単なる独り言なのかも知れないが。
更には歌いながら、拳銃の照準をゆうすけと縦巻の間を行ったり来たりさせる。
縦巻は密着させた刃を幌出絹に付けたままである。
「まあええわ♪ 大体の事情は把握した♪」
そう言うと何時の間にか拳銃が幌出絹の右手から消えていた。
いや、単に着物の裾に収納しただけなのだろうが、この女の場合アクションの一つ一つが
早すぎる為に、肉眼で行動を確認出来ない。
縦巻が少しだけ刃の距離を離すと、幌出絹も握力による拘束を解いて後ろに大きくジャン
プした。
当たり前の様な顔で机の上のゆうすけのノートパソコンを踏み潰す形で着地するも、悪び
れた様子は微塵もない。
「けちゅろん(結論)から言うといしぇかい(異世界)は…
ウチらの宇宙と極めて近い座標に存在しゅる(する)♪」
幌出絹が自慢気に胸を張って宣言する。
「帰って旦那の晩御飯を作ったら、座標たんしゃ(探査)装置のかいはちゅ(開発)に取
り掛かる事にしよう♪」
そう言い終る前に、斎藤が大型の手錠の様な物体を幌出絹の手首に嵌めた。
「ありぇえ? 斎藤クン? ウチの手に何か付けた?」
「あ、これ手錠ですたい。 社長の為に特注しましたんで。」
「何で手錠? ウチしぇいぎ(正義)やで?」
「まあ、銃刀法違反と建造物侵入と窃盗と器物破損と殺人未遂の現行犯ですからねえ。 私としても手錠を掛けざるを得ない。」
「しょり(それ)は誤解! ウチの計算によればウチの行動はじぇんぶ(全部)合法!」
「まあ、その計算の答え合わせも含めて署の方でお話しましょう。」
「ひょっとしてパトカー乗れるの!?」
「…ええ、お望み通り乗せてあげますよ。」
「わーい♪ わーい♪ パトカーパトカー♪ しぇっかく(折角)やから千葉県警のパトカーに乗ってみたい♪」 何故か燥ぎ始めた幌出絹を無視して、初老の警官が黒服に声を掛ける。
「一旦、千葉県警さんの施設ば使わせて頂いて宜しいですかね?」
「はい。 直ちに空けさせます。」
そう答えると黒服は口元のマイクに何事かを指示し始めた。
どうやら話は付きそうである。
斎藤は幌出絹の足首を握って逆さ吊りにして部屋を退出しようとする。
「増田クン。 本当にゴメンね。 九州に遊びに来る事があったら声掛けて。 ラーメン位は奢るから。」
斎藤なりに気を遣ってくれているのはよく解るので、ゆうすけは丁寧に頭を下げた。
自分に頭を下げられたと錯覚したのか幌出絹が『しょんな(そんな)に丁寧にお辞儀せん
でもええねんで♪』とウインクする。
その後に無表情の男が続く。
やはりすれ違うととてつもなく背が高い。
四肢こそ斎藤よりは細いが、2メートル近い筋肉質の長身の威圧感は凄まじい。
一瞬だけゆうすけと目が合うも、無機質な眼球は機械的にゆうすけを一瞥しただけであっ
た。
不覚にも増田ゆうすけ、臆したその足が半歩下がっていた。
最後に、よく日に焼けた初老の警官がゆうすけに声を掛ける。
「増田クン。 勝手なお願いなんだけど、今日の事は出来るだけ人に言わないでくれるかな?」
人の良い表情である。
「御安心下さい。 騒ぎにするつもりはありませんので。」
そうゆうすけが答えると、初老の男は表情を更に崩して笑った。
「福岡に遊びに来る時は声掛けてね。 若い頃はずっと博多におったけん、遊ぶ場所やったら全部しっちょるから。」
好意的な物言いにゆうすけも微笑を返し、深く頭を下げた。
玄関まで出ると、千葉県警のパトカーに押し込まれた幌出絹が興奮して車内で踊り狂って
いる。
そして、ゆうすけが斎藤に声を掛けようとすると、幌出絹が顔面を密着させた圧力でパト
カーのガラスを割って話し掛けて来た。
「しかし君はしゅごい(凄い)な♪ 後ろの3人全員君に惚れちょる♪ こーゆーのって、最近の若い子はハーレムって言うんやろ? しゅごいしゅごい!」
『あ、構わず出して下さい。』
斎藤が運転席の若い警官に声を掛けるとパトカーは静かに動き出す。
狂喜興奮した幌出絹の『ぴーぽーぴーぽー♪』と云う歓声だけがパトカーの姿が消えても
響き続けていた。
ゆうすけは無言で箒を使い、幌出絹がばら撒いたパトカーのガラスを清掃する。
「変な人が一人居ると10人のお巡りさんが処理に駆り出されるんです。」
塵取を構えた浦上が悪戯っぽく笑ってゆうすけに話し掛ける。
「異世界なんかより、そっちが先ですね。」
とゆうすけが返して二人で笑い合った。
そして、浦上が何気なく立ち上がりゆうすけの耳元に囁く。
「今この瞬間、日本は詰んでしまいました。 ワープ技術は最悪の形で実現してしまうでしょう。」
【民間に漏れる】、と云う事態だけは避けたかったのだろう。
「でも貴方は諦めてないのでしょう?」
「私が諦めないと云う事は、増田さんに死んで貰うと云う事ですよ?」
「小の虫も殺せない人間が治安業務なんかに携わるべきではありませんね。」
小声でこれらの会話を素早く交わした後、二人でガラスを袋に詰めてゴミの日を確認した
。
別れ際に浦上から『しばらく普通に生活していて欲しい。』と頼まれる。
無論、『最後に普通に生活を送っても良い』と云う主旨ではあるのだろうが。
その夜のゆうすけは余程昂ぶっていたのか、異世界3人娘の身体を求めた。
ちゃんと爆乳布団をサービスしてくれた辺り、幌出絹の『3人全員君に惚れちょる♪』と
云う発言も虚言ではないのかも知れない。
ゆうすけは爆乳布団に溺れ。
自分から頼んで母乳を吸わせて貰った。
『こうして僕は弱体化するのだ。』
と自嘲出来る辺り、増田ゆうすけは強いッ!!
それも圧倒的にであるッ!!
「学校行かなくていいの? ごく普通の高校生設定(笑)が活かせなくなるんじゃない?」
包帯のそんな一言から、ゆうすけは学校に行く事を思い立つ。
学校の敷地内に極秘で隠してある忍具を全て回収しておきたかった。
特に、大型忍具・飛燕は何としても手元に戻しておきたい。
そんな決意を胸に秘めつつも、押入れに仕舞った制服が見つからず少し苦労する。
「普段行ってないの? あれって土日以外は毎日あるんでしょ?」
アニメの影響か、この異世界人共は日本の事情に妙に詳しい。
やりにくいと言ったらありゃしない。
「いや、僕だって色々忙しかったから。」
ゆうすけは包帯に反論する。
「修行(笑)? 忍法(笑)? 特訓(笑)?」
包帯の口調には心底腹が立つが、図星なので反論はしない。
忍者は会話の展開を七手先まで読めるので、旗色の悪い問答はしないのだ。
「今の世の中、高校位は卒業しておかないと駄目ですよ。」
安産に真顔で言われると、『はい』としか答えようがない。
異世界人と言っても、相手は文明圏総出でアニメ研究をして地球情勢を探っていた連中な
のである。
こと多くのアニメの舞台となっている日本国内の事情に関しては誤魔化しようがない。
ゆうすけは制服の下に薄いプロテクターのみは付けるも、主力の忍具に関しては迷った末
に装着を断念する。
「忍具(笑)は付けないの?」
「校則で危険物の持ち込みは禁止されているんです。」
「何かあったら身体能力(笑)で切り抜けるのね?」
「貴女達が騒ぎさえ起こさなければ、そんな場面も無いですよ。 千葉は平和なんですから。」
「昨日、トカレフを突きつけられたばかりでしょうに。」
安産が眉を顰める。
『あの一瞬で銃の種類を判別した!?』
異世界人の恐ろしさをゆうすけは再認識する。
ゆうすけは驚きを押し殺して、制服を着用する。
「アニメじゃ、異世界からの転校生が主人公のクラスにやって来るのはお約束よね?」
包帯と縦巻が目を輝かせてゆうすけに擦り寄る。
「アニメはアニメ、現実は現実ですよ。 最近は不審者対策も厳重ですし、関係の無い人は入れませんから。」
「保護者枠! 保護者枠!」
縦巻が食い下がる。
状況がどうなるか解らない以上、戦力になりそうな縦巻・安産は傍に置いておきたい。
包帯は四天王ながらもそこはかとないポンコツ臭がするので、連れて行きたくはない。
かと言ってこの女を野放しにしておくのはもっと怖い。
『先生方には挨拶だけをして飛燕と雷電の予備を回収したら、すぐに帰ろう。』
この時点ではゆうすけの思惑に落ち度はない。
3人娘はゆうすけのパソコンで勝手にゆうすけの学校の制服を検索して、変身する。
例によって変身バンクは長いので、ゆうすけはその隙にパソコンのパスワードを変更する
。
「結構、偏差値高い学校に行ってるんだ。 アンタは絶対40前後の底辺校だと思ってたわ。」
包帯が余計な一言を付け加える。
『受験なんぞ、日頃2ちゃんねるの勉強版を見ていれば簡単だ。』
と切り返そうとするも、アホらしいので断念。
仮に勉強していなかったとしても、上総忍法・百目を持つゆうすけには高校受験のセキュ
リティ等は紙切れの様な物なのだが…
3人娘の制服姿ははっきり言って不審である。
こんな卑猥な女子高生が存在する訳もないのだが、いつものコスチュームよりは僅かに地
球的であるので我慢する。
登校中のトラブルを避ける為に、タクシーを呼ぶ。
『カネは唯一御利益がある魔除け札』
と云う父の訓戒をゆうすけは律儀に守る。
無論、父は口先だけではなく実弾も潤沢に支給してくれている。
日頃、タクシー登校のような浪費は絶対にしないのだが、異世界に絡んでしまった以上、
もはや仕方あるまい。
道中、タクシーの運転手が不審そうにチラチラこちらを見てきたので、ゆうすけは
『今日は撮影の日なんですよ。』
と誤魔化す。
すると運転手は破顔し、
「いやあ、やっぱり撮影でしたかー♪ おじさんもこう見えて好き者でねー♪」
と馴れ馴れしく話し掛けて来た。
好ましくない状況だが、変に詮索されるよりも良いかも知れない。
「発売日決まったら是非教えて下さいよ♪ これだけが生甲斐でねー♪」
と言って運転手に名刺を押し付けられる。
ゆうすけは笑顔を無理に作ってその場を切り抜けた。
何故、学校一つにここまでの気を遣う必要があるのか…
学校に到着すると何故か警備が厳重である。
至る所に警官や、黒いスーツのSPらしき男(体格でそう思った)が配置されている。
教室前には更に多くのSPが配置されている。
尋常ではない…
引き返したいのはやまやまだったが、却って怪しまれるかと思い他の生徒に混じって教室
に入る。
異様極まりない異世界三人娘を連れているにも関わらず、誰からも注目されないのはまさ
しく異常事態である。
「殺人事件でもあったのでしょうか?」
安産がゆうすけの耳元で囁く。
どう見ても経産婦の体型であるにも関わらずの女子高生ルック。
圧倒的ッ!! 圧倒的エロスッ!!
「いや、これ僕ら絡みかも知れませんよ?」
と言いつつ、ゆうすけは心中で『それはない』と断ずる。
ゆうすけが目当てであれば、敷地に近づいた時点で身柄を抑えられている筈だからである
。
それどころか、警官隊もSPもゆうすけや三人娘を一瞥すらしない。
明らかに、対ゆうすけシフトではない。
そう思って教室へ入ると、全ての謎が解けた。
先日、銃刀法違反及び建造物侵入及び窃盗及び器物破損及び殺人未遂の現行犯で逮捕され
た幌出絹が教卓の上で小躍りしていたからである。
御丁寧にも斎藤を始めとした例の福岡県警トリオが脇を固めている。
ゆうすけは素早く退出しようとするも、幌出絹に呼び止められる。
「おーい! 増田クン! 転校してきてやったぞー♪ ウチの席、君の隣なー♪」
何が嬉しいのか教卓をズシズシと踏みつぶしながら、幌出絹は珍妙な踊りを続ける。
その周囲にはSPが陣形を組んで生徒を近付けないようにしていた。
「危険だから接近しないように!」
「エサは与えないで下さい! 後、絶対に目を合わせないように!」
SP達の真剣な面持ちからも、幌出絹の危険性は生徒にも伝わっているようだ。
皆が無言で教室の後ろ半分に固まっている。
女子生徒の何人かがゆうすけを鋭く睨み付けている所をみると、ヘイトはゆうすけにも向
かっているらしい。
この期に及んで、異世界三人娘への突っ込みは絶無。
190センチ前後の爆乳美女三人組に対して、誰も意識すら行かない。
これがアニメなら異世界三人娘が学校に来た瞬間、大騒ぎになる描写が絶対に挿入される
筈である。
無論、幌出絹のインパクトには足元にも及ばない。
190センチ台の美女なら地球人にも存在する事を皆が知っているが、身長1メートルの俊敏
な老婆の乱入はホラーである。
「俺、親父から聞いた事があるよ。 多分、あれが脱税四天王筆頭の久留米の幌出社長だと思う。」
声の主は確か父親が大きな税理士事務所を経営している松永君である。
周囲の人間がふむふむ頷いている。
あの婆さんが税金を真面目に払う様には見えないので、そこそこ確かな情報なのだろう。
「本場の四天王だったのね!」
何故か嬉しそうに包帯が感激する。
この女も確か四天王的ポジションだった筈なのだが、感激した面持ちを見るに、日本のプ
ロ野球選手がメジャーリーガーを目撃する様な心境なのだろうか…
改めて、日本がアニメの聖地である事を再認識するゆうすけであった。
圧倒的ッ!! 圧倒的本場感ッ!!
そして、人の群れをかき分けて斎藤がゆうすけに近づいて来た。
巨体に申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「おお、増田クン。 おはようなー。」
「いや、おはようじゃないですよ! 昨日逮捕してくれたんじゃないんですか!」
思わずゆうすけが強く抗議する。
斎藤は渋い顔で短く呟く。
「ヒント、カネ。」
「それってもう答えじゃないですか!」
「…。」
斎藤は何も答えずに、幌出絹の所に戻り、無言で手錠を自分と幌出絹に繋いだ。
この男なりに苦悩する様子は伝わって来る。
余程、警察が好きなのか幌出絹は手錠に大はしゃぎしている。
この異様な光景のまま数分が過ぎた後に、担任の平原教諭(日本史)が入室して来た。
「はーい、みんなー席に着けよー。」
条件反射なのか、生徒は思わず席に着く。
ゆうすけも着席しようとするが、久々の学校で席が見つからないので、三人娘共々後ろの
壁に立ったままもたれて様子を伺う。
「今日は転校生を紹介するー。 新しい仲間だー。 皆仲良くするんだぞー。」
平原教諭は全ての感情を押し殺した声で脚本を読まされる。
教師業も大変である。
「みんなー♪ じょちこーちぇー(女子高生)の幌出絹でーす♪ 趣味はお料理とお裁縫でーしゅ(でーす)♪ 宜しくお願いしまーしゅ(します)♪」
一瞬静寂が教室を支配するも、SPの中でリーダーと思われる大柄な男が無言で拍手を始め
るとSP全員が拍手をしながら、生徒を睨み付けて教室を歩き始めた。
その威圧感に押され、生徒達は心にもない拍手を強いられる。
圧倒的ッ!! 圧倒的恐怖政治ッ!!
「いやあ♪ こんなに歓迎されて嬉しいわー♪ あ、でも男子♪ ウチ、恋人は募集してへんから♪ 期待させたら悪いからさいちょ(最初)から言っとくな。 ゴメンナー♪ ゴメンナー♪」
作業服を着た男達が巨大な黄金のソファーを教室の後ろに運び込む。
ゆうすけ達は横目で作業を見ながらスペースを譲った。
「じゃあ、幌出君は一番後ろの席に。 解らない事があれば隣の席の者に尋ねるように。」
平原教諭が手元のメモを見ながら棒読みする。
体格の良いSPが隣に張り付いているので、台本以外の発言は出来ないらしい。
酷い話である。
「はーいでしゅッ♪」
そう答えると幌出絹は手錠で繋がった斎藤を引きずる勢いでソファーに飛び込み、ふんぞ
り返ってSPに顎で合図をした。
リーダー格のSPが低い声で『どうぞ』と平原教諭を促したので、異様な雰囲気の中で日本
史の授業は始まった。
「オウ! 増田クン♪ かけたまえ♪」
幌出絹がソファーの空いた部分をポンポン叩くも、ゆうすけはそれを無視して小声で詰問
する。
「昨日逮捕されたのに、どうして出て来てるんですか!」
先程、斎藤に答えは貰ってるが、本人の口から回答を引き出さない限り納得が出来ない。
そもそも生徒であるゆうすけの机が無くなっていて困っているのに、どうして部外者がソ
ファーに座っているのか。
幌出絹は不思議そうな真顔でゆうすけを見ながら短く答える。
「答え、ちぇいぎ(正義)!」
「それって絶対に答えじゃないから!」
幌出は『何故こんな当然の事実も理解出来ないのか?』と云う表情でゆうすけを見る。
「そんな事より、ここに潜入して来た目的は何ですか!? 異世界情報を僕から聞き出す為ですか?」
「? …おい増田クン。 授業中は集中して聞かなアカンよ?」
『ここテストに出るぞー。』、平原教諭の声が響く。
「ほら、てしゅと(テスト)に出るって! ちゃんと、ノートに写さないとアカンよ!」
何故か怒られるゆうすけ。
全てが納得出来ない。
一方の幌出絹は短い足を組んだままふんぞり返ってワイングラスを傾けている。
「大体、本校は部外者立入禁止ですよ! 貴女は無関係なんだから僕たちの学校から早く出て行って下さい!」
これまで直立不動だったSP達が微かに身体を震わせた所を見ると、やはりゆうすけの言い
分は正しいのだろう。
「でも、河合クン(現文部科学大臣河合史郎の事か?)に出資してるんはウチやで? これ位の便宜はとうじぇん(当然)の権利やろ?」
またもや不思議そうな幌出絹がゆうすけに答える。
「あれ? それって贈賄ですよね? それって贈賄ですよね?」
言葉尻を取ったゆうすけが傍で幌出絹を監視している斎藤の方を向く。
「斎藤さん。 今、幌出社長が仰ったのって贈賄罪に該当しませんか? 場合によっては僕が告発しますよ!」
ゆうすけが強く訴えるも、斎藤は無念そうな表情で唇を噛んだだけだった。
「…斎藤さん?」
「幌出社長に関しては贈賄罪では起訴されない国際協定が存在します。」
「何故!?」
「…ヒント、カネ。」
「それってもう答えじゃないですか!」
ゆうすけはそれでも食下がろうとしたが、そこで平原教諭に声を掛けられる。
「授業の途中だが。 増田、少しいいか?」
「あ、はい。 先生、御無沙汰しておりました。」
「うん。 久し振り。 あのな、増田は先月退学処分になってるから。」
「は? 退学? 僕が?」
「うん。 出席日数の関係でな。 連絡も付かなかったので、自動的に退学処分が先月下った。 俺も何度も電話させて貰ったんだがな…」
「あ、はい。」
「と言う訳でだ。 私物があれば持って帰るように。 後、修学旅行の積立を返金するから時間のある日に印鑑を持って事務室に来てくれ。」
「あ、はい。」
急な事で、『あ、はい。』としか言いようがない。
「ちょっと待ちなさいよ! ヤンキー漫画だって、校内暴力で停学くらいで済んでるのよ! いきなり退学って酷いじゃない!」
包帯が食い下がる。
アニメしか見ない癖に、『ヤンキー漫画』の概念まで知っている事がおかしい。
安産と縦巻がうんうん頷いている所を見ると、異世界ではポピュラーな語彙なのだろうか
?
「ああ、君はウチの制服着てるけどウチの学校の人じゃないね? 悪いんだけど、ウチは部外者立入禁止なんで。」
平原教諭が答えると、幌出絹が大きく首を振って。
「増田クン、部外者は立入禁止やで? 授業の邪魔せんとってな。」
と偉そうに言った。
すると、SPのリーダーが斎藤に目線で合図する。
それを受けた斎藤は幌出の手錠をソファーに繋ぎ換えてから、渋い表情でゆうすけの前に
立った。
「まあ、退学になった以上仕方ないねー。 私も大学時代に揉めて除籍された時、こんな感じだったよ。」
と言い、その重い手でゆっくりとゆうすけの背中を出口に促した。
その巨体の醸し出す威圧感には抗えず、ゆうすけは抗弁を断念して教室を去る。
それとなく幌出絹の様子を伺うと、ソファーに寝そべって婦人誌を読み出している。
勿論誰もそれを咎めないが、世の中とは得てしてその様な物である。
「結局、あの人は何をしに来たんですか?」
「千葉近辺を独自に探らせているようやねー。 ここはその作業の拠点に選ばれたみたい。」
廊下で斎藤に質問すると、その様な答えが返って来る。
「幌出社長の探査を妨害出来ないんですか?」
「警視庁と千葉県警の有志が何とかしようとしたんやけどね。 上からの圧力と云うやつですたい。 ほら、今の内閣は幌出派が大半を占めちょるから。」
「世も末ですね。」
「本当ばい。 21世紀も始まったばかりやのにね。」
その様な会話を交わしながらゆうすけは校庭の石碑裏を掘り返し、忍具・飛燕を掘り起こ
す。
そもそも、今日の目的はこれである。
退学になったのは残念だが、反面生活の自由度が増した事を意味する。
しばらくは家で息をひそめておこう。
「それは?」
付いて来たSPの一人が飛燕の入ったバッグを指差す。
「私物です。 先程、担任から私物を持って帰る様に指示されたので。」
かなり苦しい。
しかし、学校の敷地がこれだけ厳重に警戒されている以上、飛燕を持ち帰るタイミングは
今しかなかった。
斎藤が立会人になってくれているのも、却って幸運かも知れない。
一瞬だけSPが考え込むが、次の瞬間には『では、失礼します。』と言い残して校舎に戻っ
て行く。
斎藤もバッグの中身を詰問したそうな表情をしていたが、校舎から幌出絹の甲高い奇声が
響くのを聞き、断念した模様である。
「ごめんね、増田クン。 私が戻らないとアカンっぽいから。 じゃ、これで。」
短く詫びると小走りで校舎に戻って行ってしまった。
圧倒的幌出力である。
「退学になっちゃいましたね。」
安産が心配そうにゆうすけを見る。
「これからの進路はどうするのですか?」
との質問にお茶を濁した回答をしながらも、ゆうすけの頭は状況整理に忙しい。
『状況を整理しよう。』
ゆうすけは内心で零す。
1、浦上の言葉を信じるならば異世界情報は政府レベルでは把握出来ていない。
2、但し、浦上一派と幌出絹にはゆうすけが異世界に行った事が知られている。
3、幌出絹は恐らくは一級の要監視対象であり、今回の騒動でゆうすけも関連付けられて
しまった。
4、学校に異世界人を連れて行くと云う大失態を犯しているにも関わらず、ほぼノーチェ
ックなのは、幌出絹の危険性が圧倒的過ぎてゆうすけにまで目が回っていない事を意味す
ると考えられる。 その証拠として飛燕を国家の監視下無検査で持ち出せている現状が挙げられる。
5、高校は退学になった。(父に何と報告すれば良いのだろうか…)
あまり良い状況では無いが、これから取るべき行動は明確化された。
要は浦上と連携して(或いは単独で)異世界と地球の接点を潰してしまえば良いのだ。
異世界の技術を地球に流出させようと目論む者の正体が解れば浦上に報告する。
後は、地球上のパワーバランスの問題に過ぎず、消せる相手ならば浦上達が消してくれる
だろう。
加えて、ゆうすけはピンク髪との約束も守る気でいる。
『地球人のタイムパラドックスへの恐怖を利用します。』
『異世界は全くパラレルな世界ではなく、地球人の先祖的な存在と云う事にしましょう。
』
『ええ、貴女達が先祖である可能性を1%でも考慮に入ってしまえば… 地球人は無闇にこの世界に手を出せなくなる。』
困難ではあるが地球側にこれを信じさせる事に成功した場合、異世界側にとっては身を護
る保険の一つとなるかも知れない。
(そんなに地球人は甘くないが。)
異世界がどうなるかは兎も角、約束を果たす事で義理は果たされるだろう。
それで、ゆうすけの使命は全て終わりである。
「今から真っ直ぐ帰ります。 街の見物は出来ませんが宜しいですね?」
反論への準備をしてゆうすけが異世界三人娘に話し掛けるが、意外にも三人は素直に頷い
た。
ゆうすけが不思議そうな反応をしているのを目敏く察したのか、縦巻が説明をする。
「市街地はここより大気が汚染されているでしょうし、とりあえず屋内に退避したいので
す。」
成る程、確かに異世界の空気は清涼感があった。
日本の大気は異世界人にはキツいのかも知れない。
「我々は大気中の病原菌濃度を目視出来るのです。」
安産がゆうすけに補足する。
「見えるのですか? 菌が?」
「私達に言わせれば見えない事が考えられないのですけれどね。 生物として感染症は最も警戒するべきトラブルでしょう?」
「まあ、確かに。」
流石に異世界人は全ての面で優れている。
『いや、こんな能力は生物なら普遍的に備わっている物であって、地球人類だけがこの様
な設計に…』
との考えが脳裏をよぎるが、すぐに打ち消す。
増田ゆうすけは哲学者ではない。
「空気に色が付いて見えるのよ。 菌の濃度が高くなればどんどん空気が青みがかって来るわ。」
包帯が補足する。
「で、地球はどうなんですか?」
「かなり激しい青紫色。 実はアタシは景色あんまり見えてないんだ。」
縦巻が異世界語で包帯に何か声を掛ける。
『ああ、私もだから。』とでも言ったのだろう。
「大丈夫なんですか?」
心配するゆうすけを三人娘が不思議そうな目で見返す。
「心配しているのはこっちなんだけどね。 アタシらの方が地球人なんかより免疫関係遥かに強いんだけど?」
「確かに。」
「ま。 アンタらが自滅してくれればメデタシメデタシなんだけど。 地球人諸君は病身をおして健気なモンだ。」
包帯が声を立てずに笑う。
「…僕らは病気ですか?」
「街に病院と介護施設で埋め尽くされている世界っておかしいでしょ?」
「いや、ばかりではないですよ!」
「比率が多すぎるのよ。 メンテナンスはインフラに対して人間が施すものであって、
人間に対して行うべきではない。」
「まるで地球人みたいな事を仰るんですね。」
「アンタらのアニメを見て育ったからね。 そして、地球の現状が地球的価値観にすら合致していない事を知れたのは収穫だったわ。
」
「異世界に帰って、そう報告するんですか?」
「アタシにその気が無くとも、質問攻めには逢うでしょうね。」
包帯のボルテージが上がって来た為か、安産が目線で包帯を制する。
半笑いのまま包帯が安産に向かい合うが、数秒睨み合うと鼻で溜息をついて話を打ち切っ
てしまった。
その後はタクシーを拾って帰る事にした。
色々と包帯に尋ねたい事があったが、タクシーの運転手がこちらの会話に聞き耳を立てて
いる様子が明白だったので皆が黙った。
帰宅して玄関のドアを開けようとすると、浦上が珍しく慌てた表情で小走りに駆けて来る
。
そして閉口一番、「遅刻して申し訳ありません。」と謝罪される。
別に待ち合わせたつもりも呼んだ覚えもないのだが、浦上の中ではそういう事になってい
るらしい。
「財務省とのミーティングを急いで切り上げて来ました。」
真顔で浦上が呟く。
「いや、そっちを優先するべきでは?」
とゆうすけが突っ込むものの、「今、それどころではありません!」と返される。
その真剣な表情を見る限り、別に仕事に手を抜くつもりは毛頭なく、警察予算の確保より
も異世界問題の対処の方が浦上の中での重要事なのだろう。
浦上は何の疑問もなく、ゆうすけの自宅に入り、ゆうすけに手土産を渡した。
芋羊羹である。
それも、何と10箱も持ってきた。
「安心して下さい。 経費は使っておりませんので。」
爽やかな笑顔で浦上が補足するが、そもそもプライベートとは言え役人に借りを作りたく
ない。
そんな感情を見越したのか、「皆さんで召し上がって下さい」と異世界三人娘に聞こえる
ようにトーンを上げる。
三人娘は表情を輝かせ、動物の様に芋羊羹を貪り始めた。
羊羹が食べたいのではなく、よほど退屈していたのだろう。
ゆうすけが窘めようとするも、常識役の安産までが羊羹を頬張りだす。
『毒なんじゃないの?』、との皮肉を何とか押し殺す。
そして、浦上はゆうすけにだけ解る様に、静かに背中をトントンと叩いた。
紛れも無く「二人だけで話をしよう。」と云う合図である。
ゆうすけは背伸びをして欠伸をし、何気なく縁側から庭へ出る。
浦上はペットボトルのジュースの詰まった袋を三人娘に笑顔で渡すと、「仕事が残ってる
ので」と断り玄関から辞去した。
そして、庭から回って来たゆうすけと表で合流する。
顔を合わせると二人で安堵の笑顔を漏らした。
「凄いですね。 まるで忍法です。」
「霞が関忍術ですよ。 私はまだまだ下忍です。」
浦上にしては隙の多いジョークが出た所を見ると、良い意味で目論見が当たったのだろう
。
「彼女達に嗅ぎ付けられると厄介です。 地球人同士で話を済ませておきましょう。」
声を潜めた浦上がゆうすけに顔を寄せる。
「ええ、中々二人きりになれずに申し訳ありませんでした。」
ゆうすけも家の中を伺いながら浦上に近づく。
「ロシアが本格的に動き始めました。 こちらが泳がせていたスリーパーが相当数消されました。 それも戦後からの最古参も含めてです。」
「消された?」
「向こうからしても生かしておくリスクを抱えきれなくなったのでしょう。 これから本格的なロシア式スパイ大作戦が始まりますよ。」
「千葉にも来ますかね?」
「いや、向こうは千葉に絞って来ているんですよ。 相当数のエージェントが千葉入りした事が確認されています。」
「昨日、桜田さんが『ロシアは掴んでない』と仰ったばかりじゃないですか。 何でいきなり!」
「ヒント、幌出社長。」
「それってもう答えじゃないですか!」
「幌出社長の事は大抵の国の諜報機関がマークしているんです。 あの人一人を張っていれば世界の軍事的・技術的・金融的流れは大体把握出来るので。」
「もうあの人死刑か何かにしましょうよ!」
「そうしたいのは山々なんですけどね。」
浦上が申し訳なさそうに笑う。
どうせ、「上層部が~」とか「国際情勢を鑑みれば~」とでも言い訳したいのだろう。
「で、ここからが本題です。 我々は異世界技術の取得を断念。 接点潰しに専念します。」
「断念って、今までの研究は無駄にするのですか?」
浦上が表情の無い声で
「 既 に 反 対 者 は お り ま せ ん 。 」
とだけ答える。
どうやら日本側もロシア式をきちんと習得しているらしい。
結構結構。
圧倒的結構。
「貴方には異世界側でゲート生成を企む者を排除して貰いたい。」
「排除、と云うのは異世界人も含めて?」
「人類でない者への扱いに対しては刑法が適応されません。」
浦上がゆうすけの自宅を冷たい目で見ながら明言する。
「ええ、それは賛同しますが、貴方はどうされるのですか?」
「刑法の適応される範囲の障害を排除します。」
浦上が表情を変えずに断ずる。
「そんな事、僕に言ってしまって良いのですか?」
「だって貴方、最初から向こうで死ぬつもりだったでしょう?」
「いや、確かにそうですが。 それは最悪の場合であって。」
「今がその最悪です。」
「…でしょうね。」
「来週七日火曜日の正午ジャストから2分間に渡って、京葉道路上り・花輪インターチェ
ンジ直前にゲートが出現します。」
「…。」
「その前日から当日18時にかけて京葉道路・市川~幕張間は整備名目で封鎖されています
。」
「…はい、続けて下さい。」
「突入して下さい。 ゲート付近は無人にしてあります。」
「了解しました。」
「もしも警備が敷かれていた場合。 我々の派閥が負けたか潰されたを意味します。 サポートは出来ません。」
「どのみち突入しますよ。」
「いや、その場合は接近そのものが不可能かも知れない。 呼び止められたら投降して下さい。 色々尋問されると思うので、『私に様子を見るよう脅されて来た』と答えて下さい。」
「お気遣い感謝しますが。 僕は貴方を気遣いませんので貴方も自分の仕事に専念して下さい。」
「有り難いお申し出です。」
浦上が本当に有り難そうに微笑む。
「ロシアにだけはゲート技術を渡す訳には行かない。 日本が滅びます。」
ゆうすけは頷く。
「ああ、それ以上に幌出社長にだけは技術を奪われようにして下さい。 人類が滅びます。」
「もう奪われかけてるんですけどね。 とりあえず、羊羹とノートパソコンと学生としての身分は奪われ済みです。。」
「もしも幌出社長に技術や機密を奪われそうになればロシア大使館に逃げ込んで下さい。
セルゲイ・チェルネンコ大佐。 …彼なら、対日戦の指揮を執り続けている彼なら事情を全て把握してくれるでしょう。」
「…その状況にならないように心掛けます。」
「お願いします。」
その後、現金の入った封筒を渡される。
文字通りの軍資金である。
後に確認したところ、427万4千円であった。
端数である上に千円札が50枚を超えていた所を見ると、本当に手近なポケットマネーをゆ
うすけの為に急いで掻き集めたのだろう。
『僕を籠絡させる為の霞が関忍術だとしても秀逸だ。』
と思い、珍しくゆうすけが顔を崩して笑った。
後は事務的な打ち合わせを手短に済ませて、浦上は去った。
と言ってもゆうすけが浦上に伝えたのは、
『異世界人の数人から【我等が末裔よ】と呼び掛けられた。 何らかの意味があるのだろうか?』
との忍術を含んだ数個の報告だけだった。
浦上がその仲間に伝えて上手く地球で広まれば、ピンク髪との義理は果たした事になる。
家に戻ると、異世界三人娘が寝ころんでいた。
安産と縦巻が母乳を飲ませ合っており、包帯はやや距離のある所で座っていた。
芋羊羹が数切れ放置されているのは、ゆうすけの分か?
コイツらなりに気を遣っているつもりなのか?
しかし歯型付の羊羹を残すなんぞ喧嘩売ってるようなものだぞ。
「上手い手口よね。」
芋羊羹のカスを口の周りに付けながら包帯が得意気にゆうすけに話し掛ける。
ゆうすけは敢えて何も語らない。
そうした方が、自分で頭が良いと思っている愚者は色々と語ってくれるからだ。
案の定、包帯はペラペラと自分語りを始める。
要約するとこの女は地球人を滅ぼす方法がないかを模索しに来たらしい。
そして、細菌戦なら成就すると踏んだらしい。
「だって、アンタら本当に菌が見えないみたいじゃない。」
勝ち誇ったように包帯が笑う。
心底莫迦な女だが、ゆうすけは既に『社会は莫迦がのさばる為の装置である』と知ってい
るし、都合の悪い事に異世界にも社会が生まれつつある。
一番、この手の莫迦が怖い。
「安心しなさい。 アンタだけは助けてあげる。 アタシの所領に連れ帰ってあげるから。」
包帯の発した【所領】と云う単語から察するに、異世界政府と云うのは封建諸侯の寄り合
い所帯なのかも知れない。
「僕を殺してくれてもいいんで、他の地球人を助けてやってくれませんか。」
試しに挑発してみる。
包帯から歪んだ笑顔が消え、目は鋭く細まる。
「地球人は皆殺しにする。 手始めにアタシがアンタを殺す。」
どうやら思った程の莫迦ではないらしい。
ゆうすけにとっては、付け込む部分が更に一つ減ったと云う事である。
世の中は上手く行かない物である。
突入すればゆうすけは死ぬだろう。
それは一向に構わないのだが、七日の火曜日まで後6日もあると云うのは困りものである
。
アニメも人生も余計な尺は不要なのである。
増田ゆうすけ及び浦上顕彦の死は完全に確定した。
奇跡的に生命を保ったとしても社会的には完全に抹殺されるだろう。
もしも社会が二人を適切に殺さなかったとすれば、それはこの社会の機能が既に死んでし
まっている事を意味する。
その最悪の事態を回避する為にも増田ゆうすけは死ぬ。
死ぬ事自体は別に構わないのだが、6日間も余計な時間が生まれてしまったのは苦痛であ
る。
浦上はまだ良い。
確定した死まで多少の時間が出来てしまったとしても、こなすべき仕事は山ほどあるのだ
から。
一方、高校を退学になったゆうすけは手持ち無沙汰である。
飛燕も含めて全ての忍具の動作確認は終わった。
ここからは不意の襲撃に備えてフルアーマーモードで過ごす。
場所移動も考えたが、移動に伴うリスクを鑑み籠城を選択する。
食事も睡眠も必要はない。
安産・縦巻から母乳を一生分飲ませて貰ってあるからだ。
その直後に包帯からも母乳提供の申し出を受けるが、体調不良を口実に断る。
「ふーん。 じゃあまた今度飲ませてあげるわ。」
「ええ、是非お願いします。 楽しみにしていますね。」
双方が作った笑顔で場を収める。
包帯の瞳の奥には明らかに不審と憎悪の光が宿っていたし、包帯から見たゆうすけの眼も
似た様な光を発しているに違いない。
フォローの為に、包帯とはとりとめもないアニメの話題で盛り上がっておく。
どうもこの女も縦巻と同じく厨二ジャンルアニメが好きならしい。
(だが二人の間には、微妙に見てきたアニメにズレがあるらしく話が噛み合ってなかった
)
「コードギアス」や「魔法科高校の劣等生」の話をしてやると包帯が喜んだので、2ちゃ
んねるのアニメスレも見せてやる。
手を叩いて笑い転げている包帯を見て、ゆうすけが微笑すると、慌てて包帯は姿勢を正し
て澄ました顔を作ろうとした。
それが中々上手く行かなかったのがおかしくて二人で笑い合う。
縦巻とも少しは打ち解けてきたのか、落ち着いたトーンの異世界語で何事かを話し合って
もいた。
そしてゆうすけは三人娘に異世界でゲート技術の持ち出しを目論む地球人を殺害する事を
宣言する。
安産と縦巻は無言で包帯を一瞥する。
ゆうすけの言う殺害対象とは、つい先日交戦したばかりの筒状仮面に他ならないし、その
同僚こそが包帯だからである。
「それは地球人同士の問題でしょ? アタシには関係ないなあ。」
包帯が乾いた笑いを浮かべながら、話を流そうとする。
「それは協力して頂けると云う事ですか?」
「アンタ馬鹿ぁ? そんな義理アタシにある訳ないでしょうに。」
「つまり邪魔はしないから勝手にやれと?」
「あのねえ? 邪魔をしてるのはアンタらなの。 あの地球人はウチらの政府の賓客。
目の前で手を出されりゃアタシもお仕事せざるを得ないよ?」
「仰る通りです。 ですが、彼は地球人にとって極めて危険な存在なんです。」
「でも、こっちの政府にとっては非常に便利な奴なの。 少なくとも学者連中は重宝してるわ。」
「貴女はそんなに重宝していないのですか?」
「噂には聞いていたけど、アタシが顔を合わせたのはあの日が初めてだったしね。 結局、こんなことになったから素顔も見ず終いだわ。」
「あの仮面の男は首都には居なかったのですか?」
「いや、首都よ。 地方組のアタシよりも中枢に居たのよ。 アンタら相手の防衛戦だってアタシは直前に知らされた位だしね。」
四天王と言っても包帯は相当外様で、機密には全く触れさせて貰っていないらしい。
たまに人手が必要な時だけ、作戦目的も聞かされずに駆り出される存在だったようである
。
早い話が関ヶ原後の福島正則の様な立場で、彼女は所領・家格相応の発言権を与えられて
いないのである。
注意深く聞いていると、包帯を取り巻く社会構造も判明した。
彼女が地方の所領から上京して首都に勤務する事により、領民達は首都での生殖権(但し
兵役とセット)を獲得出来るらしい。
その為、領民からの突き上げによって包帯は不本意ながら首都勤務をしているらしい。
勿論、包帯の一族はこの貢献により、地元での極めて優位な立場での生殖権を得ているそ
うである。
媒体物が通貨であるか生殖であるかの違いはあるが、交換秩序に基づく社会構築は地球の
それと全く同じである。
そして、異世界側のこのシステムは宣伝戦や外交戦も含めた【広義の対地球戦】を想定し
て築かれたものらしい。
異世界人達は驚くべき速度で社会に適応し、ストレス耐性すら身に着け始めている。
恐らくは組織人としての適性が絶無であろう包帯ですら、組織と自分の折り合いを付けて
、ゆうすけとの問答を行っている。
『…圧倒的じゃないか。』
ゆうすけはただ心中で驚嘆し、尊敬の念を持つ。
不思議と心地よい笑みが零れる。
ゆうすけは包帯に対して何度も執拗に筒状仮面と政府の関係について確認を取った。
勿論、安産・縦巻にも慎重に検討させながらである。
地球人・増田ゆうすけが異世界で地球人・筒状仮面を殺害した場合、両世界の間にどの程
度の国際問題が発生してしまうか、それが問題であった。
地球にワープ技術が移転されてしまう以上のデメリットが生じるのならば、筒状仮面の殺
害は断念し、異世界政府に対して筒状仮面との交渉の場を乞わねばならない。
そして、筒状仮面との接触を異世界政府が許したところで彼がゆうすけに対して交渉意思
を持っていなければ意味がない。
包帯からの情報では、筒状仮面はアニメと同じ【自然な日本語】を使用したらしい。
だが、だからと言って筒状仮面が日本人であるとは言い切れない。
寧ろ、ロシア側のエージェントである可能性も充分考えられる。
何故なら、あの日ゆうすけに発砲した筒状仮面の奇妙なフォーム。
腕を組んだ姿勢のまま、銃を奪われない角度に身体を曲げての射撃。
あれは超実戦格闘技・ロシアン空手の動きであった。
少なくとも、あそこまで実戦的に拳銃を扱う発想を持つ日本人が多く居るとは考えにくい
。
無論、イスラエルや東欧の軍隊格闘技にも類似のアクションは存在するが、浦上から「ロ
シア」と云うキーワードを与えられているだけに、ゆうすけはロシアを連想する。
異世界で日本語が普及している事をロシア側が知ったとしたら、いやそれがロシア以外の
国家であっても間違いなく対日諜報員を送り込む(保有していれば)だろう。
このように、筒状仮面が非日本人であった場合、今度は地球内での国際関係も考慮する必
要が出て来る。
『いや、それでも取り敢えず殺そう。』
ゆうすけの社会的地位・年齢・技能・現状を考えれば鉄砲玉以外の使い道が無い。
そして、あの浦上が殺害については何の疑問も持たなかった事を鑑みれば、筒状仮面殺害
は概ね日本の国益に適っているのだろう。
であれば、ゆうすけは刺し違える事だけに専心すべきである。
どのみち、発生した問題をフォローする力をゆうすけは持たない。
「アニメと違って葛藤が大きいのですね。」
安産がゆうすけを後ろから包んだまま囁く。
この女には心中を全て見透かされているのだろう。
「貴女達が最初に地球に来た時、葛藤は無かったのですか? 僕を連れて来る事は異世界にとって大きなデメリットも想定出来た訳ですよね?」
「私達なりに考えての事です。 いえ、考えたのはあの子ですが。」
『あの子』、言うまでもなくピンク髪の事だ。
ゆうすけは静かに確信する。
あの女が今回の絵を描いた。
仲間を誘って、増田ゆうすけ(元祖)を入手する為にやって来たのだ。
だが、あの女の戦略目的は何だ?
異世界を救う事か?
『 ま る で ア ニ メ の 主 人 公 み た い に 』
ピンク髪の歪んだ笑顔を思い返し、彼女の為にそれを否定してやる。
彼女が必死に否定し続けたように。
「僕は。」
突然、ゆうすけが声を発したので三人娘が注目する。
「幼稚な英雄願望と甘えた現実逃避と薄っぺらい功名心に基づき、貴女達の世界に向かい
、地球の同朋を殺します。 アニメの主人公みたいで格好いいでしょう。 昔から憧れてたんですよ。」
響く声色には自嘲すら含まれて居なかった。
けじめとして、作ったスタンスは表明する。
浦上達が毎日やっている作業に過ぎない。
『ああ、ピンク髪よ、貴女もこうやって僕に相対していたのだな。』
確かに、素面で世界は救えない。
背中越しの安産は哀しそうに唇を堅く結んだ。
真正面で正対していた縦巻は感情を押し殺した表情で頷いた。
離れた窓辺で腕を組んでいた包帯は虫でも見る様な目でゆうすけを眺めていた。
もしも、この場にピンク髪が居れば、気の利いた全否定を恵んでくれた事だろう。
『再び逢えたら、今度は僕が貴女をきちんと否定する。』
こうして、ゆうすけの死にに行く理由は整合され正当化され、僅かなロマンスすら加味さ
れた。
忍術は本来、こうやって己を欺く為のものなのだろう。
その後、事務的にこれからの話をする。
・筒状仮面と決闘の形に持っていく方法について。
・双方の死体の事後処理方法。
・ゆうすけの単独犯行であることをどうやって異世界政府に知らしめるか。
・非政府勢力に対しての処遇について。
・今、実質的に結ばれている包帯との休戦協定は何時まで効力を持つのか。
・ゲート破壊に伴い両世界に発声するであろう損害の検討。
2時間程話し合って、大体の道筋は付けた。
決して楽観主義者ではないゆうすけであるが、人死を必要最小限で収める目算が立ったの
で安堵する。
最悪のケースでもたったの数十万人の命で帳尻が合わせられそうである。
これがベター。
…圧倒的、圧倒的最善策。
こうして決行に際しての全準備が終わる。
問題はまだ6日も命が余ってしまっている点である。
まだ、正午にすらなっていない。
賢明にもゆうすけは惰気が怯懦を産む事を知っていた。
いや、人並み外れた臆病者だからこそ惰気が怖い。
自分を臆病者だと再認識させる全てが怖い。
安逸が怖い、日常が怖い、余暇が怖い、愛情が怖い、幸福が怖い、自由が怖い。
そして、安産と縦巻に優しく抱かれ、包帯の目線すら温かい今が一番恐ろしい。
4つの乳房に包まれながら、ゆうすけは九字を切る。
温かい霧に心が包まれているので、言葉として発する。
「…りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜんぎょう」
安産も縦巻も、それを咎めない。
奇異の目線すら見せない。
たかが増田ゆうすけの底など、とっくの昔に割れているからだろう。
ゆうすけの九字のリズムに合わせて安産が髪を撫でてくれる。
2時間だけ眠った。
その眠りは全く必要のないものであったが、或いは増田ゆうすけが求め続けていた精神の
安らぎであった。
覚醒してから、最後にかくも快適な睡眠を提供してくれた事への謝辞を述べる。
縦巻が「こちらこそ地球暮らしも楽しかったです。」と気を遣ってくれる。
この感動の後に極めて不粋な返礼だが、手近にあった数百万円分の現金を政府側代表の包
帯と非政府側の二人に渡した。
ゆうすけが二つの世界の断絶に失敗した場合、キャッシュが多少の役に立つ事も無いでも
ないだろうからである。
その時に日本銀行券が現在同様に使用されている事を心から祈った。
浦上からの現金に関しては分けなかった。
最愛の友人の遺品であるからである。
短い付き合いで良かった。
下らない性根を全て見られずに済んだ。
どちらが先に死ぬかは不明だが、浦上の冥福を祈っておく。
とても、いい雰囲気になった時である。
またもや、幌出絹+福岡県警3人組が来訪する。
幌出絹は犯罪者らしく後ろ手に手錠を掛けられた上、ペット用のハーネスで繋がれている
。
勿論、手綱は斎藤が持っている。
「斎藤さん。 この扱いは法的に大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫。 最高裁から『こうして下さい』って言われてやっちょる扱いやからね。」
「ああ、最高裁が言うなら問題ないですね。」
話している間も幌出絹はゴキブリの様に自由走行を試みるが、斎藤の剛腕で何度も手元に
引き戻される。
巨漢の斎藤が両手で歯を食いしばって引っ張っている所をみると、幌出絹の膂力は相当な
ものなのだろう。
何でも1メーターしかない体長に100キロの体重が凝縮されており、その上体脂肪率が10%
と云う超筋肉体質らしい。
しかし、そんな事は正直どうでも良いので早く退去して欲しい。
幌出絹も異世界に興味があるのか無いのか、さっぱりわからない。
何が楽しいのか包帯とカタコトの異世界語で悪態を突き合って笑っている。
早い話が告訴の取り下げを願いに来たらしく、後ろに居た関西訛の顧問弁護士が言うには
手土産に誠意(札束)を持って来たらしい。
ちなみに幌出絹の顧問弁護団は日本人弁護士87名のうち61名が大阪出身、13名が兵庫出身
と極度の関西人偏重型組織であり、九州人の幌出絹が関西弁で喋るのはその所為らしい。
「本日は謝罪に参りました(キリッ)。」
顧問弁護士(民事課長)の野村が廊下の板敷で背筋を伸ばして土下座する。
この男にとっては何の変哲もない日常なのだろう。
「しょうしょう(そうそう)。 謝りに来てやったんやからこくしょ(告訴)取り下げてーな。」
幌出絹が勝手にソファに寝転んだまま発言する。
手錠を勝手に外しているが、斎藤は咎めない。
いつもの光景なのだろうか?
「斎藤さん。 告訴は取り下げませんから。」
ゆうすけが幌出絹を無視して斎藤に宣言する。
斎藤は心底嬉しそうにウンウン頷いた。
「増田サン! 早計ッ! 結論を出すのはやや早計でっせッ!」
野村が目を剥いて制止する。
「社長ッ! 誠意の出番ですッ!」
野村の掛け声に幌出絹がピョコンとソファから飛び上がる。
「おお野村クン! ようやくウチのターンか!」
チョコチョコと激しく左右に身体を振りながら幌出絹がゆうすけに接近する。
勢いに負けじと斎藤が口元を食いしばって手綱を握り直す。
「増田クン! 君の怒りは御尤も! ウチも君の羊羹を止むを得ず食べた事はずっと気に病んでおった!」
↑ うそこけ
「勿論! くちしゃき(口先)の謝罪ではしぇいい(誠意)が伝わらない事は百も承知!
しょこ(そこ)で、万人が認める具現化済みの誠意を持ってきた!」
ピョンピョン跳ねながら興奮して喋る幌出絹が袖から自身の体長程の長さがある角棒の様
な物体を取り出す。
「おお! 社長! 今日はいつもより奮発モードでっせぇー!!」
これも給料のうちなのだろう。
野村が素早く合の手を入れる。
正直、絶妙のタイミングであり、盛り上げ方が非常に巧い。
「増田クン! これがウチのしぇいい(誠意)! 一億円ソードばい!」
何と角棒は1億円の札束であった。
百万円の札束が概ね1センチの厚さであるので、あの目算1メーターの角棒ならそれ位の金
額にはなるだろう。
「こくしょ(告訴)を取り下げてくれれば! その瞬間この一億円ソードは君のモンばい!」
無礼にも幌出絹がゆうすけの頬にグリグリと1億円ソードを押し付ける。
だが、そのキラキラ輝く瞳を見る限り悪意はなさそうである。
「おお! 社長! これが社長の本気ッ! これが噂の一億円ソードやぁッ!!」
野村が盛り上げる。
…オマエ、それ弁護士の仕事じゃないだろう。
「いや、告訴は取り下げませんから。 そんなにお金が余ってるなら納税したらどうです?」
幌出絹と野村の動きが一瞬だけ止まる。
福岡県警3人組の初老の男が顎を撫でながら機嫌良さげにゆうすけに目線を送る。
「二億円ソードッ!」
何事も無かったかの様に幌出絹がもう一本角棒を取り出す。
「おお! 社長ッ! これはッ! これはッ! 伝説の一億円ソード二刀流ッ!! 圧倒的ッ!! 圧倒的誠意ッ!! これぞまさしく謝罪界の誠意大将軍やッ!!」
幌出絹と野村がドヤ顔でゆうすけの顔色を伺う。
その勝ち誇った様な表情に腹が立つ。
勿論、ゆうすけは告訴を取り下げなかった。
異世界で使い道の無いものを持っていても仕方がない。
一応、異世界三人娘に日本の通貨が必要かを尋ねるも、
『地球人が価値を感じる物の大半が異世界では無価値』
との回答が返ってくる。
それはそうだろう。
去り際に幌出絹が「じゃあさ、異世界って何が価値あるのん?」と尋ねる。
「愛と美です。」
即答した縦巻に対して幌出絹は心底嬉しそうに「ほな、ウチが異世界行っても歓迎されそ
うヤナ♪」と切り返した。
この後、福岡地裁に出廷する予定があるらしく福岡組は帰って行った。
何故か残った野村が、「告訴云々は別としてノートパソコンと羊羹を弁償させてくれ」と
流暢な標準語で依頼してくる。
ゆうすけは、「額面通りに納税したら告訴を取り下げる」とだけ返した。
野村は「それは困りましたね。」と大して困った様子の感じない笑顔で答える。
野村の情報によると、幌出絹が火星で勝手に始めていた資源採掘が国際社会に先日発覚し
、その抗議への弁明に追われているらしい。
異世界への関心は強く残しているものの、思考のリソースを割く余裕がなくなっていると
の事。
「で、野村さんは、それをどうして僕に教えてくれるのですか?」
「火星に地球の法は及びますが、異世界には及ばないでしょうから。 弊社が異世界事業へ参入する事は法律屋の私にとってはメリットが乏しい。」
事もなげに野村が答える。
無論、それを本音と信ずるつもりもないが、理には適っている。
「正直に言えば、これ以上幌出にヘイトを集めたくないだけです。 ファンなんですよ。 子供の頃から、あの人の。」
照れた様に笑いながら野村が打ち明ける。
ゆうすけを納得させる為の忍術だとすれば大したものである。
幌出絹は日本政府に存在する異世界情報独占派閥(浦上一派)の存在を掴んでおり、「彼
らは最終的に政争で敗れ全員が粛清されるであろう」と云う見通し立てていた。
野村がそれを打ち明けてくれるのはありがたいが…
別に真新しい情報ではないので驚く事も無い。
「彼らは私利私欲の為に情報を隠蔽している訳ではありません。」
ゆうすけがうんざりしながら野村に告げる。
「それはそうでしょうね。 ですが、役人や議員なんぞ大半が私利私欲の為に成るものです。 なら、そうでない少数派が割を喰うのは自然の摂理ではありませんか?」
「彼らは社会改善の為に止む無く決起しただけです。
その志を汲んで頂きたいと申し上げているのです。」
「どうかな? 其れも結局は『正義の側でありたい』と云う欲には違いないでしょう。 私個人は彼らに極めて懐疑的です。」
「そこを何とかお願いします。」
「私に願われても困りますよ。 大体、増田さんは何を願っているのです。」
「そもそも彼らの情報隠蔽は日本の防諜意識の欠如を補う為のやむを得ない行動なのです
。 その点を御理解して頂きたい。」
「彼らって増田さんもでしょう?」
「ええ、僕もです。 勿論、自分の行動を正当化する為に言っている訳ではありません。 ただ、今後同様の事例が生じた場合に、有為の士が彼らの様な行動を取らなくても良いよ
うに取り計らって頂きたい。」
野村は表情を押し殺す為か、目を細めながら話を聞いている。
「私は一介の法律屋です。 天下国家の話を振られても対処する力はありませんし、そんな志もありません。」
「タダでとは申しません。」
「ほう?」
「告訴を取り下げます。」
ゆうすけの言葉に必死で真剣な表情を作っていた野村が吹き出す。
「高くついた羊羹だ。」
「…申し訳ありません。」
「幌出にはその様に伝えておきます。 ただ、期待はしないで下さい。 …社会って言うのはね増田さん。」
野村が言葉を区切る。
「 社 会 と は 多 数 派 に と っ て 最 適 で あ る こ の 現 状 を 言 う の で す 。」
「重々承知しております。」
「いや、若者は何もわかっちゃいない。 社会は自ら望んで腐敗する。
腐敗と呼ばれる変質部分こそが真摯な民意の発露なのだ。
君達が吹聴する社会改善など不適格者の我田引水行為に他ならない。」
「…。」
「…。」
「僕はただ…。」
「防諜体制の強化と意識改革が貴方達の希望ですね?」
「? …ええ、まあ。」
「承りました。 幌出も概ね賛同するでしょう。」
「聞き入れて下さるのですか?」
「私の仕事は幌出への告訴を取り下げさせる事です。 金を払えと言われれば払うし、土下座しろと言われれば公衆の面前でも土下座します。 今回はレアケースですが、【社会を変えろ】と言われたのだから変えておきますよ。 それが貴方達が信じる様に改悪では無い『改善』である事を一社会人として切に祈ります
が。」
「ありがとうございます。 告訴を取り下げておきます。」
「こちらの支払が終わってからで良いですよ。」
野村がゆうすけにウインクする。
「は? いや、ですがそれでは。」
「取り下げて貰う為にも私も微力ながら努力させて頂きます。」
そう言うと、野村はゆうすけ達に深く一礼して去った。
ゆうすけが何事かを言い掛けたが、野村は振り向きもせずに退去した。
『 社 会 と は 多 数 派 に と っ て 最 適 で あ る こ の 現 状 を 言 う の で す 。 』
ワープ技術が存在しない現状こそが地球人にとっての最適であるし、地球と接点のない現
状こそが異世界人にとっても最適であるのだ。
ならば、今からゆうすけが行う行動は二つの社会の為ではある。
無論、その論法に対しての異世界三人娘の反応は冷ややかである。
「貴方の様な自分の世界にすら無知な子供が『社会の為とやら』の為に独断で動く事を大
多数の地球人は賛同するでしょうか?」
安産の言葉こそ真理である。
異論はない。
日が沈んで来たので、ゆうすけは日課の庭いじりの為に縁側から外に出る。
そして、植木用肥料が不足していたので近所のホームセンターまで出かける事にする。
足にはサンダル。
面倒なのでポケットに1万円札を数枚無造作にねじ込む。
異世界三人娘には、その間ニュースのチェックを依頼する。
地球情勢で解説を要する項目があれば、解る範囲で回答するので少し家を空ける間だけニ
ュースサイトを見ていて欲しい、との趣旨。
三人娘は地球の兵器水準に興味があるのか、ミリタリーサイトを真剣に見ている。
これから侵略を受けるかも知れないと考えている側にとっては、極めて自然な行動であろ
う。
外へ出たゆうすけはホームセンターを素通りし、千葉駅に入る。
目的地は東京都品川区。
無論、植木用肥料云々は三人娘を隔離する為の忍術に過ぎない。
『お手数ですが、増田さんに一人逢って貰いたい男が居るのです。 私の学生時代の同期なのですが、異世界関連で奔走してくれております。 日本における第一人者と言っても過言ではない人物です。』
先日、桜田が言った相手に面会するべく東京に行く。
住所は浦上がゆうすけのポケットにそれだけが書かれたメモを忍ばせておいてくれた。
三人娘に芋羊羹を食べさせた時の話である。
【須原慎之助】
桜田の大学時代の同期(勿論、東大法学部)であり、財務省で辣腕を奮う傍ら異世界情報
独占派閥の為に暗躍。
現在は退官して自宅で研究を重ねる日々であるらしい。
存命する異世界情報独占派閥の中では桜田としか接点がなく、桜田の股肱たる浦上も先日
初めてその存在を知ったそうである。
尾行を警戒し上総忍法・百目を駆使しながら進むも、ゆうすけに意識を向ける気配は一つ
も無かった。
品川駅から徒歩で高輪の古い住宅街へと入り住所の番地を見つけると表札は掛かっていな
いものの、生活の気配がある一軒家をみつけた。
インターホンを押すと大人しそうな雰囲気の老婦人が応対に出て来る。
「以前父が須原先生にお世話になりました。 増田と申します。」
そう挨拶すると、老婦人は離れの小屋にゆうすけを案内する。
「慎ちゃーん。 お客さんですけどー。」
老婦人がインターホンに声を掛けると、「入って貰って。」と短い返事があった。
ドアは施錠されていないらしく、老婦人がゆうすけの顔を見ながらノブを回すと静かに開
いた。
どうやら小屋は完全防音になっているらしく、ドアが開いた瞬間に大音量のノイズが外に
漏れる。
ゆうすけは中に入ると扉を中から施錠し奥へ進んだ。
部屋の中には巨大なモニター群があり、縦4列横4列計16面のディスプレイが壁に掛けられ
ていた。
そのうちの5面が機能しており、そこに映っているのは、紛れも無く日本アニメであった
。
5つのディスプレイには別々のアニメ番組が映され、それぞれの奥から音声が流れていた
。
そしてモニター群の対面の椅子には、深く腰を掛け素早くメモを取りながら5面のアニメ
を同時に視聴する男が座っていた。
年齢による肥満は感じる物の体格は雄渾で、眼光が異様に鋭い男である。
その逞しい上腕の筋肉は、男が若い頃に何らかのスポーツに真剣に打ち込んでいた形跡が
伺えた。
日本人離れした分厚い胸板はアニメTシャツの表面にプリントされているキャラクターの
表情を大きく変形させており、頭に巻いたアニメバンダナには汗がびっしょりと染みつい
ている。
男は、須原はディスプレイを睨み付けたまま、
「申し訳ない。 見ての通り作業中だ。 4分10秒だけ待っていてくれ。」
と詫びた。
ゆうすけは自分の2ちゃんねる閲覧と同じ手法を使っている人間の存在に驚きながらディ
スプレイを眺めた。
絵は見分ける事が出来るのだが、音が混じると正直辛い。
脳が掻きまわされる様に痛んだ。
その間も須原は素早くメモを取り続ける。
そして、きっちり4分10秒後。
須原は全てのディスプレイの電源を落としてから立ち上がり、背筋を伸ばして増田ゆうす
けに向かい合った。
「非礼を深くお詫びする。」
そして深々と頭を下げる。
「桜田室長の紹介で参りました、千葉市在住の増田ゆうすけです。」
「御叮嚀な挨拶痛み入る。 私は須原慎之助。 桜田雄太郎の友人だ。」
「驚きました。 同時に5つの番組を見るなんて。」
「驚いたのはこちらだよ。 初見で対応出来る者が存在するとは思わなかった。 世の中は広いものだな。」
「いえ、見ていただけです。 正直、耳が痛みます。」
ゆうすけがそう言うと須原は優し気に笑い、「見れるだけでも凄いよ」と褒めた。
「桜田から私の事はどこまで聞いている?」
「いえ、『紹介したい人間が居る』としか言われてません。」
「アイツらしいな。 最後まで言葉足らずな奴だった。」
須原が表情を殺したまま呟く。
若僧のゆうすけにその胸中を計る術はない。
「日本では異世界の存在は昭和三十年代から一部の層に既に知られていた。 最初に異変に気付いたのは気象庁の有志数名。 当初、異世界との接点出現による空間の歪み、ゲートは米ソいずれかの核兵器実験により
発生した現象であると考えられていた。」
ゆうすけは静かに頷く。
「戦後まもない頃でもあり、日本の政界には日本の国益よりも各国の思惑を優先する不穏
分子が今以上に多く紛れていた。
有志達は空間の歪みに対しての報告先を見つける事が出来ず、分析結果の報告を政治現場
が正常化するまで先送りする事を決定した。」
「まさか半世紀も経過するだなんて…」
「思いもしなかっただろうな。 素性までは明かせないが、最初の観測者はただ真面目だけが取り柄の様な人間だった。 彼だって自分の判断が霞が関を二分する事を望んでいた訳ではない。 ただ結果として、日本国は異世界技術に何のアドバンテージも持てないまま無為の時を過
ごす羽目になった。」
「…。」
「私も若い頃は歯痒く思ったが、今となってはそれで良かったのかも知れない。 扱えない力を保有してしまう事は国家にとっての不幸だからだ。」
「ロシアは扱える国なのですか?」
「少なくとも、彼らには扱おうとする意思はある。 前のサミットで約束していた日露首脳会談な、あれは来週キャンセルされるぞ。」
「異世界絡みでですか?」
「解らん。 ただ、彼らは最後のピースを日本が保有していると信じているし、形振り構わずにそれを
入手しに来ている。 その最中に首脳部が日本入りするような馬鹿な真似はしないだろう。 お互いに水面下で相当数の死者を出しているのだからな。」
「最後のピース。 それがゲート発生を事前に探知する技術なのですね。」
「同志は【全員一致】でこれを破棄する事に決めたがな。 そして実際破棄された。 何も焦土戦術を使うのはロシアだけじゃあない。」
「もうゲートの出現は特定出来ないのですね?」
「資料は根こそぎ抹消された。 特定方法を考案した天才も既に存在しない。 少なくとも、人類がゲート出現の予測をする為には再度一から始めなければならなくなっ
た。」
「そして、ゲートそのものが出現しなくなれば…」
「ロシアの先行アドバンテージすら消滅するだろうな。 向こうは向こうで不完全な憶測に基づいて力技でワープ研究に没頭している。 予算的にも相当苦しいらしいぞ。 私は、通常戦力のメンテナンスにリソースを割いていた方が彼らの軍事的発言力の維持に
繋がったと考えているのだがな。」
「まるでスターウォーズ計画の再現じゃないですか。」
「しかも、レーガンの時と違って日本人は一切無言だ。 ロシアの関連部署としては堪ったものではないと思うぞ。 競合する仮想敵国もなしに彼らは一体どうやって予算を確保してるんだろうな?」
「今後、ゲートの発生が止まれば…」
「研究予算は付かなくなるだろうな。 日露を含めた全ての国で。」
「日本もですか?」
「ウチはいいんだよ。 どうせ元々、有志が自腹で研究していただけだからな。 皆、片手間・手弁当だったんだよ。 私は単なる事務屋だし、桜田はお巡りさんだしな。」
「よくそんな体制でやって来れましたね。」
「役所は駄目なんだ。 人間をアホにする装置だからな。 だから、安定した給料を貰った位じゃあ役所の空気に染まらん恩知らずだけが代々メンバ
ーとしてスカウトされて来た。
結果、ステルス力においては世界最強の組織が出来た。 日本の国際的地位を鑑みれば悪くない在り方を選んだと思うぞ。」
「そして消えるのですね。」
「全部消える。 全員消える。 何も残らない。 最初から異世界なんて無かった事になる。」
「異世界への認識までは消せないでしょう。 少なくとも日本以外で色々な公式記録に残っている筈です。」
「宇宙人や幽霊と同じでな。
可能性としては否定出来なくとも、存在を明確に立証出来ない事象には予算が付かない。
予算が付かなければ、その軍事技術への脅威度は大幅に下がる。」
「幾ら何でも、実在する異世界を宇宙人・幽霊レベルまで引き下げられるとは思いません
。」
「その為のアニメじゃないか?」
「は?」
「何の為にこんなに異世界物ばかり作らせていると思ってるんだ?」
「ちょっと待って下さい! 異世界アニメは政府が作らせているのですか?
カモフラージュの為に?」
「正確に言えば私が量産させているだけなんだがな。」
「須原さんがお一人で異世界アニメの氾濫現象を生み出しているのですか!? 流石に幾ら何でもそれは信じ難いです。」
「そうか? 国債を百兆円売り捌く事に比べれば簡単な作業だぞ?」
「いや! …まあ、それはそうなんでしょうけど。」
「役所に入りたがる連中と一緒で、マスコミ業界に入りたがる連中も自分が賢いと思って
る馬鹿しかいないからな。 誘導自体はそんなに難しくなかった。 人間と云うのは『このアイデアは自分が考えた』と信じ込ませれば、誰だって思い通りに
踊らせる事が可能なんだ。」
「…。」
「私はこのまま、異世界物が今よりもっと程度の低いファンタジージャンルとして定着す
るまで工作を続けるよ。 全ての国家で【異世界】だの【ワープ】だの言いだした奴がキチガイ扱いされて、その予
算計画が絶対に通らない状況を作るつもりだ。 少なくともそれ目的の秘密予算は絶対に確保出来ない状況をな。
悪しき副産物として異世界詐欺が生まれてしまった事には心を痛めている。 だが、被害者達の醜態がネットを通じて全世界に拡散されている御蔭で、『異世界=現実
世界に対応できない劣等者の現実逃避先』の図式がほぼ確定してきている事は有り難い。
」
「御熱心な事ですね。」
「役割だからな。 で、君はゲートを壊せそうか?」
「役割ですからね。 とりあえず向こうへ行って地球と異世界を繋げようとしている地球人を見つけ出して殺し
ます。」
「出来るのか?」
「須原さんのお仕事程難しくはないでしょう。」
「まあな。 私も最初は途方に暮れたからな。 退官して生まれて初めてアニメを見たんだが、本当にどれも下らん。 君は何が面白いか解るか?」
「アニメが相対的に現実よりも面白く感じてしまう様な悲惨な生活も存在するんでしょう
。」
「私なりに国民生活の向上を願って仕事をしていたのだがな。 あんな俗悪な作り話より下らない生活を国民は過ごしているのかなあ? どうして皆、現実世界の素晴らしさが解らんのかなあ?」
「異世界では、アニメの視聴に関しては親がきちんと叱責しています。 真面目に見てるのは一部の変わり者と地球を研究している学者階級だけでした。」
「素晴らしい! 我が国も是非見習わねばならんよ!」
その後、須原から決行に不足している物が無いかを尋ねられる。
案の定、須原も日本銀行券しか持ち合わせて居なかった。
「すまん、手元に1000万円しかない。」
「いえ。 さっき、一億円ソードを断ったばかりなので。」
「そうか、向こうじゃ現金は意味なさそうだしな。」
「お心遣いだけ頂いておきます。」
「現金以外で必要な物はないか?」
「うーん。 強いて言うなら筋肉ですかね?」
「私は体力には自信があるぞ。 学生時代にレスリングの東京代表に選ばれた事もある。」
「ですが、それは受け渡し出来ません。 貴方にどれだけその気があっても、その筋肉を僕が譲り受ける事が出来ないのです。」
「確かにな。」
「異世界人は、生殖と母乳だけを交換媒体にした社会に暮らしています。」
「そうなのか? 推測はしていたが随分原始的だな。」
「原始的だからこそ残すべき命しか残らないのです。
故に彼女達はみな頑健です。」
「なるほど。 概ね理解した。 やはり、二つの世界は精々お伽噺を通して互いを知っている位が丁度良いな。」
「僕もそう思います。」
別れ際に、須原の日常を見せて貰う。
それは、この男なりの好意なのだろう。
ゆうすけは姿勢を正して須原のアニメ観賞を見学させて貰う。
須原は3×3のディスプレイを点け、9番組を同時に観賞すると云う離れ業を見せた。
眼球が素早く、かつ無駄なく前後左右に動き、音声を聞きわける集中力も明らかに卓絶し
ていた。
この男が官僚としてもレスリング選手としても相当秀逸であった事が容易に想像出来た。
「増田君。 君なら出来る筈だ。 挑戦してみなさい。」
ゆうすけは素直に須原に従う。
この男が現状で図れる限り最大の便宜を図ろうとしている事が、ゆうすけにも伝わったか
らである。
9番組。
全てが異世界ハーレム物。
しかも出演声優が相当被っており、聞き分けの苦しさは異常である。
ストーリーがどれも似たり寄ったりの上に、主演を松岡禎丞×5+梶裕貴×2+逢坂良太×
2が務めており、加えて全ての作品から花澤香菜の声が聞こえる。
それは圧倒的な情報洪水であった。
2ちゃんねるの分割視聴で情報過多に慣れていたつもりのゆうすけであるが、まだまだ修
行が足りなかったらしい。
耳が割れる様に痛む。
脳が杭を打たれたような激痛を訴える。
「ギアを上げて行くぞッ!!!!」
須原が不甲斐ないゆうすけを叱責しながら起動画面を増やしていく。
11番組ッ!
13番組ッ!!
14番組ッ!!
そして前人未到の16番組ッ!!
脳の容量を遥かに超えた攻撃ッ!!
リミッターが焼けるッ!!
肉体が意識を遮断しようとするッ!!
「増田ゆうすけッ!! 刮目せよッ!! 試練とは自身が与えた負荷を指す言葉ではないッ!!
それは単なる自己満足に過ぎないのだッ!!」
不思議と須原の言葉は16のアニメ音声を掻き分けて、はっきりとゆうすけの魂に刻み付け
てくる。
「いいか少年ッ!! 試練とはッ!! 他者との関係性を構築し続ける精神であるッ!! 現実ッ!! 日常ッ!! 社会ッ!! 君が目を背け続けてきた全ての中に試練は内包されて来たッ!! 君はッ!! 増田ゆうすけはこの事実を直視しなければならないッ!! その為にもッ!! 必ず帰って来いッ!! 日常に生還せよッ!!」
皮肉にも、『自分の生還を望む者が居た。』と云う事実がゆうすけに最後の未練を捨てさ
せた。
そして、アニメは16作品全て見る。
何時の間にか、16の卑小な物語はゆうすけの視野に全て収まっていた。
放送が同時に終了し、画面が全て消えた瞬間、ゆうすけはよろめき片膝を着く。
全身から汗が噴出したが、荒い呼吸が終わると同時に汗は引いていた。
「…見事だ、少年。」
全身から蒸気を噴出させながら須原がゆうすけを讃えた。
ゆうすけを導きながら同じ責苦を自ら負った須原もまた誇り高き漢である。
ゆうすけが立ち上がる。
後遺症は無い。
それどころか、脳に経験値が刻み付けられた事が明確に認識出来ていた。
須原が脚の震えを必死に隠しながらゆうすけを見送る。
「ゲートの出現場所は聞いているな?」
「七日の火曜。
京葉道路上り・花輪インターチェンジ直前。 正午から2分間。」
「当日は晴天だ。 監視がある場合、『忍び入る』と云う選択は取れないぞ。 対策はあるのか?」
「万全です。 必ず突入します。」
「そして帰って来い。」
「…。」
「必ず帰って来い。」
「…一つ報告があります。」
「何だ。」
「異世界人は我々地球人の遠祖である可能性があります。 現地でそれを想わせる幾つかの状況に遭遇しました。」
「それは報告か? 私への依頼か?」
「…依頼です。」
「異世界人へ加害行為は地球人自身に対して深刻なタイムパラドックス被害を及ぼしかね
ない。
そういう事にして欲しいのか?」
「…お願いします。」
「そんな稚拙な忍術で世間を欺けるとでも思っているのか?」
「僕が言っても誰も耳を傾けてくれません。」
「…解った。 君の報告の断片から私がそう推察した事にしておく。 君の希望通りには機能しないと思うが、布石の一つにはなるかも知れない。」
「ありがとうございます。」
「桜田の奴もそうだった。 浦上君もそうだ。 誰かの為だけに感謝出来る奴ばかりが… いや、忘れてくれ。 私は君の願いが成就する事だけを祈っている。」
そうして、須原とも別れた。
必要な情報は全て得た。
ピンク髪との約束も果たした事にして差支えないだろう。
彼女はきっと鼻で笑うだろうが、ゆうすけはゆうすけなりの至誠を示した。
千葉への帰路。
JR総武線の車内でゆうすけは父親と逢った。
と言うより、ゆうすけが腰かけていた隣に父が何時の間にか座っていた。
【増田だいすけ】
増田ゆうすけの父親であり、自称・自営業。
現在の莫大な財産を若い頃の密漁行為で築いた疑惑があり、その数々の黒い噂はゆうすけ
の耳にも入って来ている。
「やあ、ゆう君。 ゴメンね、中々千葉に戻って来られなくて。」
「父さん! 何で今月来てくれなかったんだよ。 心配してたんだよ。」
ゆうすけが知っているのは、父親が「マキヅツ」と呼ばれる独特の鰻の養殖手法を密かに
保有し巨利を得ている事。
高校を卒業すれば、ゆうすけも手伝いをさせて貰える事になっていた。
「帰ろうとしたらさ、家の前にパトカーがいっぱい停まっててさ。
父さんを捕まえに来たのかと思って思わず逃げちゃったんだ。 それで、ゆう君が外に出るタイミングを待ってたの。」
「今、警察は居ないよ。」
「でも、ゆう君。 家に三人も女の子連れ込んでたじゃない?」
「ごめん、父さん。 すぐに追い出すよ。」
「いや! いいのいいの。 遠目で見させて貰ったけど、皆可愛い子ばっかりじゃない。 父さん嬉しくてさ。 邪魔をしたくなかったから、気を遣ってたつもりなんだ。」
「べ、別にそんなのじゃないよ。」
「照れる事はないだろ。 で、ゆう君はどこ子が一番好みなの?」
「こ、好みとか別に無いけど… 三人とも綺麗で好きだよ。 結構優しくしてくれるし。」
「実はね。 ゆう君がそう云う方面興味無かったらどうしようと思って、父さんずっと心配してたんだ
よ。」
「僕だって男だよ。 普通に女の子にも興味あるよ。」
「そっか、父さん嬉しいよ。」
増田だいすけは、この数日でゆうすけが出逢った浦上顕彦・桜田雄太郎・須原慎之助と云
った面々とは対極の価値観を持った男である。
卓越した異能を持つ男の半分がそうであるように、増田だいすけも社会に対して冷笑的で
参画意欲も貢献意欲も絶無であった。
ただ、テクニックとして社会インフラである「通貨」を収集する才が際立っており、集め
た通貨は全て生殖に使用していた。
各地に愛人がおり各々に子供を産ませて、日本全国を巡回しながらそれぞれの妻子に稼い
だ金を分配していた。
その愛情総量は絶大であり、絶えずゆうすけを含む自分の妻子の将来に心を砕いていた。
「そうだ、三人に父さんを紹介してもいいかな?」
「ははは。 今日はこんな格好だしなあ。 恥ずかしいよ。 ゆう君がどの子と付き合うか決めたら、ちゃんと髭を剃って挨拶しなくちゃな。 ん? どの子がいい? 全員大事に出来るのなら三人ともでもいいぞ。」
「うーん。 僕は三人とも好きだけど。 三人は僕の事好きかわからない。」
「ははは! 贅沢な悩みだ。 世の中には一人の女性とも縁なく死んでいく不幸な男がいっぱい居るのに!」
「そういう人はハーレムアニメでも見ればいいんじゃないかな?」
「はっはっは。 ゆう君も厳しい発言出る様になったなあ。 たまに毒を吐く所は母さんに似たのかなあ。」
「母さんってそんな人だったの?」
「父さん以外には優しい人だったよ。 父さんに対しては厳しかったなあ。」
「それってきっと父さんが悪いんだよ。」
この様な他愛もない話で笑い合い、久々に親子で盛り上がった。
ゆうすけは増田だいすけに異世界関係を除いた近況報告をする。
と言っても、出席日数不足で高校を退学させられた話しか無いのだが。
「ごめん、父さん。 折角学費出して貰ってたのに。」
「子供が親の懐具合まで考えんでいいよ。 で、何で出席しなかったの? 女の子?」
「ち、違うよ! 2ちゃんねるをずっと見てたんだ。」
「ははは。 それは女遊びより性質が悪いな。」
「ごめん。」
「で、2ちゃんは極めた?」
「極めた。 2ちゃんねる閲覧者としては間違いなく世界一。」
「ならば良し!」
大体、この様な教育理念に基づき増田ゆうすけは育てられた。
弊害も多いが、特化部分の育成と云う観点からすれば非常に好ましいスタンスである。
これは増田だいすけが、多くの子を成している(八男六女)からこそ取れるのである。
少産少死の繁殖戦略を取る場合、どうしてもリスク回避型の教育方針に落ち着いてしまう
。
その点、増田だいすけは子供が失敗するリスクを恐れる必要が薄かった。
子供を増やし続ける事で、全体のリスクは軽減し続ける事が出来る。
その為のキャッシュも潤沢である上に、雄としての魅力にも自信を持っていた。
結果、良くも悪くも三男ゆうすけは、こんな風に育った。
増田だいすけは自身のDNAに絶対の信仰を持っていたから、生存に必要なキャッシュを与
え、余力を活かす機会さえあれば、己の子は全員が平均以上のリターン(資産や生殖)を
稼ぎ出すと確信していた。
「ゆう君。 カネと食糧は足りてるか? ちゃんと自分の資産を確保する癖を付けるんだぞ。」
増田だいすけの教育方針は異端ながら、極めて正当である。
如何に安定したストックを蓄えフローを得る能力を伸ばすかに主眼を置き続け、子供達に
説き続けて来た。
釣った魚に餌も『魚の釣り方』すらも与えるのが増田だいすけ式である。
「ゆう君、今財布見たけど手持ち100万しかないわ。 こんなんで生活費足りるか?」
増田だいすけが分厚い財布を見ながら詫びる。
免許も保険証も無い、現金だけが無造作に入った皮の財布。
例え大金を持ち歩いても、個人情報を持ち歩くリスクだけは犯さない。
「いや、さっき1億円ソードと1000万円国債を断ったばかりだから。」
「お金はちゃんと残ってるんだね? もしも足りなくなったら直ぐに井口さんの店か真由美おばさんの家に行くんだよ。 話は全部通してるからね。」
「ありがとう。 生活に困ったらそうするよ。」
「ゆう君。 今、父さんは大きな仕事に区切りが付き掛けてるんだ。 それが終わったら関東に落ち着くつもり。 前も話したけど、ゆう君も父さんの仕事を手伝うか? 生き物相手の仕事だから臭いとかキツイと思うけど。」
「鰻の話? うん。 僕も父さんと働きたい!」
「じゃあ、楽しみにしてるな。 父さんが呼ぶまであの家で待ってて。 健康管理だけは念入りにな。」
そう言って増田だいすけは市川駅で下車する。
結局、手に財布ごと押し付けられた。
そして、お互いに笑顔で手を振って別れる。
別に父親を騙したつもりも無い。
生還出来れば、必ず父親を助けるつもりだったからである。
帰宅すると、三人が寝そべって異世界語で雑談をしていた。
声のトーンと表情から察するに、地球人に関する話題であろう。
ゆうすけの顔を見るなり三人が慌てて口を噤んだ所を見ると、案外地球人を絶滅させる相
談でもしていたのかも知れない。
「遅かったじゃない!」
包帯が口を尖らせて抗議する。
「近所でたまたま親と逢ってたんだ。」
「なら、一緒に帰ってくればいいでしょ?」
「家に警官や女の子が居座ってるから帰って来辛いみたいだった。」
「きっと警察や女に嫌われるような人なのね。」
「そこは否定しない。」
ゆうすけは機嫌良く笑う。
その表情からゆうすけが父親を深く敬愛している事を悟った縦巻が何やらフォローの言葉
を並べる。
『こんなに素敵なお子さんの御父様なんだから、きっと良い方に違いないわ』
とか何とか。
ゆうすけも真には受けずに侘びの姿勢だけをとっておく。
「父さんが、『どの子と結婚するんだ?』ってしつこくてさ。」
三人娘が悪戯っぽく笑ってから、互い同士の顔を一切見合わせずに口を開いた。
縦巻は真摯な真顔で言う。
「ゆうすけの為になら死んでも良い。」
包帯は暗い雌の顔で言う。
「アンタと死んであげるわ。」
安産は慈母の笑顔で言う。
「貴方との子供は『ゆうすけ』と名付けます。」
ゆうすけは晴れやかな雄の顔で答える。
「爆乳異世界ハーレム如きの稚拙な忍術に2ちゃんねるで世界の真理を悟り尽した僕が負
ける訳がない。」
嘘吐きは僕だけだ。
ゲート突入まであと5日。
福岡組は懲りずに今日も来訪する。
コイツらが入り浸る所為で家主たる父親が帰宅出来ないのだが、その事を口に出せる筈も
無い。
ゆうすけは、ただ彼らの退去を待つ。
「なあなあ増田クン。」
「何ですか、社長?」
「この漫画いつ面白くなるん?」
「この漫画って…
『爆乳異世界ハーレム如きの稚拙な忍術に2ちゃんねるで世界の真理を悟り尽した僕が負
ける訳がない』
の事ですか?」
「しょうしょう(そうそう)、しょれしょれ(それそれ)。 オバチャンな、この漫画のどこが面白いのかさっぱり解らんねん。 最近の若者はこんなんが面白いん?」
「いや、面白くはなりませんよ。」
面白い筈もない。
高校は退学になるわ、ロシアにマークされるわ、羊羹を勝手に喰われるわ、パソコンを踏
みつぶされるわ。
そもそも、明日の日本がどう転ぶかすらも解らない状態なのだ。
この状況で何を楽しめと云うのか?
「え!? 漫画やのに面白くないの!? 増田クン、それはマズいで! 大ピンチやで!」
「いや、社長。 世の中には真面目な漫画もあるとですよ。 社長みたいなギャグ専門の人の方が珍しかですよ。」
斎藤が真顔でフォローを入れる。
「うーん。 斎藤クンの言い分も解らんではないけど。 ウチとしてはパンチの効いた笑いが欲しいところやねん。 辛気臭いのは叶わんワ。」
繰り返すが、ゆうすけは今この状況で笑いを求める気にもなれない。
警察庁のwebサイトに掲載されていた桜田の署名による【予算執行等に係る情報の公表に
ついて】へのPDFリンクが削除されていたからである。
それどころか、新着情報・トピックスの欄に貼られていたリンクが9割方削除されている
。
これは明らかに通常の役所の手法ではない。
念の為に他省庁のサイトを閲覧すると幾つかの省庁で不審な削除形跡が確認出来た。
特にどのサイトからも「法令・訓令・通達等」のコーナーにあった筈のテキストリンクの
大半が抹消されており、省庁横断的に何かが起こった事を示唆していた。
桜田や浦上の派閥は●●したのだろう。
『お巡りさんが組織を通さずに世直しを試みるのは万死に値する犯罪です。』
彼らは相応の報いを受けた。
きっと、それだけの話なのだ。
そして昨夜未明。
ロシアが日露首脳会談の無期限延期を宣言。
表向きの理由は『日米両国による度重なる軍国主義的な挑発行為』に対する抗議。
日本政府は通例通り『遺憾の意』を表明。
連動して、都内で開かれる予定だった幾つかのロシア関連のイベントが延期された。
須原の言った通りである。
もはや諜報戦の段階は終わってしまったのかも知れない。
もう時間的猶予が無いのか?
5日後にゲートが開くまでに、最悪の形で決着が付いてしまうのではないだろうか。
「なあなあ。 増田クン。」
「何ですか! 今、忙しいんですよ!」
神経質になっているゆうすけが思わず机を叩いて怒鳴る。
幌出絹は少し首をすくめた。
「オバチャン、凄い事考えた! いい事考えた!」
幌出絹がピョンピョンとゆうすけの周囲を飛び跳ねる。
「増田クン、どうせロクな話じゃないから耳を傾けたらいかんよ。」
斎藤が腕を組んだまま面倒くさそうに呟く。
「斎藤クンッ! 警察官たるものがきめちゅけ(決めつけ)はアカンよ! きめちゅけ(決めつけ)は! そういう姿勢が冤罪を作ってしまうのだよ! 全く! 全くもう!」
「ばってん、人間の信用って日々の積み重ねですからねえ。」
「いや、今日は正義! 今日こそは正義のアイデアを考えた!」
「ん? 今日は? 今日『は』?」
「言葉尻とらんとって! 今日も正義! 今日『も』正義! ウチはいつも正義!」
いい加減、幌出斎藤組のコントも見飽きた。
もっとも、縦巻と包帯が結構楽しんで見ているので、地球側から彼女達への饗応ショーと
考えればコストパフォーマンスは良いのかも知れない。
「増田クン。 こんな大人になったらいけんよ。」
斎藤が哀しそうな表情でゆうすけに語り掛ける。
どう切り返して良いのか解らないので「あ、はい。」とだけ答えておく。
幌出絹は『わかもにょ(若者)の人望を奪わんとって!』と言って飛び跳ねる。
それを斎藤が自慢の怪力で何とか抑え込む。
「全く! 斎藤クンはいっつもそうやってウチの人望を奪おうとするんやから! ウチがここまで信頼を築きあげるのに何十年掛かったと思ってるんやか!」
「斎藤さん。 この人、信頼あるんですか?」
「本人の脳内では全世界の若者から慕われてるらしいよ。」
「僕もあんな精神構造に生まれたかったです。」
幌出の話はまだ終わってないらしく、斎藤に頭をグリグリ押さえつけられながらもジタバ
タ動いている。
「聞いて! みんな! オバチャン画期的なアイデアを考えた! だり(誰)もが幸せになるしぇいぎ(正義)のスーパーアイデア!」
在室している全員が冷ややかな目で幌出絹を見下す。
言い分を聞いてやってしまっている時点で、この老婆の術中に嵌っている様な気もするが
。
「らしゅぼす(ラスボス)を倒そう!」
幌出絹が真顔で何故かゆうすけに向かって呼び掛ける。
『意図は何だ?』
牽制? 誘導? 探り? ブラフ? 恫喝?
ゆうすけは表情を変えずに脳内を高速回転させる。
「漫画とかでよくあるやん!、
異世界に悪い奴が居てソイツを倒せば平和になるってオチが大半やん? 漫画的には異世界のらしゅぼす(ラスボス)倒したら面白いんちゃう?
どうせ、異世界の奴らが悪いんやろ?」
爆弾発言である。
ここには異世界三人娘も居るんだぞ!?
案の定、三人の雰囲気が変わる。
包帯に至っては戦闘態勢に入る。
体術使いなのか、左手を開いたまま大きく前に突き出して腰を落とした体勢を取る。
包帯の尋常でない殺気に斎藤が
「この人が勝手に言ってるだけですよー。 この人は地球人とは一切関係なかとですよー。」
とフォローを入れる。
「ウチ地球人やで?」
「それは初耳ですたい。」
安産が無表情のままゆうすけを見る。
日頃のギャップに少し驚くが、こちらがこの女の素顔なのだろう。
冷徹で威圧的な目線であった。
「異世界に悪い人は居ないですよ。 そして、異世界の誰かを殺しても、この漫画も世界もは面白くなりません。」
安産は尚もゆうすけから目線を外さない。
包帯も腰を浮かせた体勢で幌出をロックオンしたままである。
「ふーん。 じゃあ、やっぱりロシアがラスボス?」
平気で国際問題を生み出す老婆である。
こうやって、半世紀以上問題を量産し続けて来たのだろう。
…ラノベで他国名出すなや!!!
「いえ。 日露両国は一歩ずつではありますが着実に互恵関係を築こうとしております。
彼らと共同で進めているプロジェクトも少なくはないし、国益に適っております。 問題は日露の共益がそれ以外の国家にとってメリットではない点に鈍感な者が多過ぎるだ
けなのです。」
浦上の言葉をゆうすけが日本に遺しておく。
解釈は生き残った連中に任せる。
伝われば、の話であるが。
「それ浦上顕彦の受け売り?」
包帯が幌出絹に対して構えたまま、ゆうすけに問う。
幌出絹は無邪気な笑顔を崩さないが、袖の中から邪悪な何かで包帯を狙っている事を隠さ
ない。
「遺言です。 僕が遺さなきゃ。」
「あの男とは逢ったばかりでしょうに。」
「ああ云う人が好きなんです。 好きな人間の想いは、後に伝えてやりたい。」
「ふーん。 アンタの想いも誰かが遺してくれるといいね。」
「全くです。」
包帯が話しながら体術の構えを少しずつ緩める。
幌出絹は照準こそ外さないものの、邪悪な気配を何時の間にか消していた。
「じゃあ、誰が悪いの? 一番悪い奴を教えて!」
幌出が子供っぽく叫ぶ。
仕方がないのでゆうすけが幌出絹を指差してやる。
気が付くと、部屋に居る全員が幌出絹を指差している。
「ん? いや、ウチの後ろには誰も居らんで?」
不思議そうな顔で一度後ろを振り返った幌出絹が首を傾げる。
指が自分に指されっ放しである事に気付き、ゴキブリの様な奇怪な動きで1メートル左に
移動する。
全員が指で幌出絹を追う。
ぐぬぬ顔の幌出絹が残像を残す速度で右に移動するも全員が指で追う。
しばらく幌出絹は部屋の中を荒らしながら高速飛行し、指から逃れようとしたが、2分程
茶番を続けた後に不貞腐れてソファーに飛び込んだ。
(冷蔵庫と食卓と炊飯器と掛け時計とハンガーラックとステレオスピーカーが破壊された
。)
「そんな風に人間一人一人が意地悪ばっかりするから…
だから、しぇんしょう(戦争)がなくならへんねんでッ!」
地団駄を踏んで涙ながらに訴える姿には、確かに愛敬がある。
この老婆は全てが間違っているものの、歳を喰っている分、たまにマトモな発言もする。
そんな事よりも、相当の家具を壊されたので、被害を福岡県警に申告する。
「あ、斎藤さん。 被害届いいですか?」
「ええ、よかとですよ。」
例によって器物破損の現行犯で幌出絹は連行されていった。
「器物破損はむじゃい(無罪)になった筈やで?」
「社長。 それは昨日の無罪。 今日の逮捕は今日の犯罪ですたい。」
「何かウチばっかり逮捕されとる気がするなあ。」
「それはね、社長。 社長ばっかり悪さしちょるからですよ。」
「いやー。 ウチは生まれてこの方悪い事なんてした事ないよ? ウチなりに正しい人生を歩んでるつもり! つもり!」
「社長! 積もるだけならチリでもつもりますよー!」
等と軽口を叩きながら福岡県警のパトカーに幌出絹は詰め込まれていく。
見送る義理も無いのだが、ゆうすけと三人娘は幌出絹の連行劇を玄関まで出て見届ける。
不快極まりなかったのだが、縦巻が嬉しそうに笑っていたので少し心が温まる。
意外にこの女はコメディ好みなのかも知れない。
「誰も悪くないから解決が難しいんですよ。」
ゆうすけは誰に向けた訳でもなく呟く。
別に筒状仮面が悪い訳でもない。
あの男なりに何か考えがあって行動しているのだろう。
もっとも、彼の目的までは知らないが。
ただ、現時点ゆうすけが知る限り、幌出絹の次に国益を害していると思われるのが筒状仮
面であり、幌出絹程の納税額が見込めないから殺すだけの話である。
善悪ではなく、社会の損得。
ゲートは存在しない方が、恐らく地球の公益になるであろうし、ゲート破壊はピンク髪と
の約束である。
『オマエの為に腹を何年か空けてやると言ってもか?』
例え忍術や駆け引きやリップサービスであったとしても、そこまで言ってくれた女性との
約束を守る為に行動する。
ただ、それだけの話なのである。
「机、壊れてしまいましたね。」
縦巻が部屋の惨状を見下しながら言う。
「ええ。 両親との思い出の詰まった机でした。」
「もっと哀しそうな顔をすれば良いのに。」
「もう、食事を摂る事もないでしょうから。」
奥の間に入り布団に横たわる。
異世界の作法なのか三人娘がその布団に潜り込んでくれる。
正直、異世界の事も地球の事も浦上の事も両親との想い出も、どうでもよくなってしまっ
ている自分に驚く。
(あ、でも今回の件の告訴は取り下げませんからね、幌出社長。)
女が三人も自分と同衾してくれる。
ただ、それだけの事で全てがどうでも良くなってしまう。
そんな低劣な人間が僕なのだ。
大体、2ちゃんねる閲覧はどうなった?
父に「極めた」と豪語したばかりではないか?
予備のパソコンは2台ある。
異世界突入用の装備であるROM専用フルビューワーMk-Ⅱから閲覧する事も充分だ。
地球に帰還してから、数時間しか2ちゃんねるを見ていない。
これは堕落だ。
無造作に乳房に顔を埋めてから相手を確認すると包帯だった。
勝ち誇った様な嘲る様な気味の悪い半笑いでこちらを見下している。
「…あ、ハズレを引いた。」
と内心呟くも、首の体勢を変えるのが面倒なのでそのまま顔を埋める。
鼻で笑うような音が聞こえる。
包帯が嘲笑したのかも知れないし、単に息を吸っただけかも知れない。
それもどうでも良い。
後ろから優しく髪を撫でられた。
こんなに優しい手つきなら安産かも知れないし、縦巻かも知れない、でも包帯かも知れな
い。
もはや確かめる気も起らない。
様々な意欲が無い。
退学になっていなかったとしても学業は再開していなかっただろう。
命が保障されたとしても荒らされたリビングの掃除はしていないだろう。
正直に言えば、もうどうでもいい。
異世界ハーレム、悪くない。
いや、素晴らしい。
心の底からの幸福を感じる。
怖ろしい事に、満たされてしまった。
僕は満足感を感じてしまっているんだ。
もう、他の事はどうでも良い。
ねえ、幌出社長。
やっぱり1億円ソード下さい。
嫌だなあ。 告訴なんかしませんよ。
羊羹くらいで告訴なんて大袈裟じゃないですか。
だから、二刀流して下さいよ。
浦上さん。
僕はこんなに下らない人間です。
推薦状なんて書いてしまったら貴方が恥をかくだけですよ。
もし高校に残っていたとしても、ちゃんとした大学には進学出来ていなかったと思うんで
す。
国家一種試験なんて合格出来る訳ないじゃないですか。
僕なんかが組織人としてやっていける訳ないじゃないですか。
忍術とか、修行とか、訓練とか、単なる現実逃避に決まってるじゃないですか。
僕は父さんの子供なのに、こんなにチビだし。
父さんの子供は僕だけじゃない。
父さんの子供は僕だけじゃない。
長男は神戸のそうすけさん。
とっても優しくて賢くて運動も出来て、父さんはそうすけさんと居る時が一番楽しいはず
なんです。
仙台のようすけ君は僕よりも遥かに年下なのに、受け答えもしっかりしていて、礼儀作法
もなっていて、いつも周囲の大人に褒められています。
東京の葵さんは女の子なのに僕よりも背が高くて陸上の選手です。
だから一番歳が近い葵さんとだけは顔を合わせたくありません。
みんなが出来の悪い僕を同情するような目で見るからです。
僕の母さんだけ僕の物心が付く前に死んでしまいました。
他のみんなの母さんはまだ生きてるのに、それでも父さんは僕にみなと同じ時間しか割い
てくれません。
僕だけが寂しい。
僕は寂しい。
…だから、少し嬉しかった。
それが同姓同名の人違いであったとしても。
異世界が呼ぼうとした【増田ゆうすけ】が僕では無かったとしても。
それでも僕は嬉しかった。
生まれて初めて誰かに必要とされたから。
僕にも何か出来るかも知れないと思ったから。
例え厄介者だとしても、生まれて初めて居場所が出来ると感じたから。
浦上さん。
忙しい中、僕なんかに時間を割いて頂いてありがとうございました。
生まれて初めて大人の人から褒められたんです。
嬉しかったです。
例え、それが貴方にとってリップサービスであったとしても、僕は本当に嬉しかったんで
す。
思い残す事が無い訳ではないんです。
でももう、生きていても何も成し遂げられない事が解っているから、誰にも必要とされな
い事が解っているから。
理由を付けて、逃げたいのです。
きっと貴方には解からないでしょうね。
弱い人間にとって、劣った人間にとって、要らない人間になって、日常ほど恐ろしく苦し
いものはないのです。
今、ここで死ねば、ゲートを壊す為に死ねば、誰かと刺し違えて死ねれば、僕は僕の中で
英雄になれます。
浦上さん。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
貴方の御冥福を祈る資格すら僕には無いのだと思います。
想いを無駄にしてごめんなさい。
期待を踏みにじってごめんなさい。
貴方を逃避の言い訳にしてごめんなさい。
こんな僕でごめんなさい。
「…け」「…すけ」「うすけ!」「ゆうすけ!」
どこかから声が聞こえた。
視界には人工的ではない光が差し込んでいる。
朝の光?
「「「ゆうすけ!!!」」」
その叫びに意識を引き戻される。
安産と縦巻と包帯がゆうすけの身体を激しく揺すっている。
目は開いたが頭は回らない。
覚醒後に脳活動をピークに持っていく忍術があった様な気もする。
いや、あれは漫画喫茶で読んだ漫画の設定だったっけ?
「「「ゆうすけ!!!」」」
再度の叫びが聞こえて正気に引きずり戻される。
異世界三人娘が心配そうな表情で見ている。
他の二人は兎も角、包帯までが目を潤ませている所を見ると、相当異常な状態だったのか
も知れない。
「心配したのですよ?」
縦巻が叱るような口調でゆうすけに呼び掛ける。
「…あ。 …ぼ、僕が、何か、変な事、してい… ま、ましたか?」
呂律が上手く回っていない?
疲労? 麻痺? 痙攣?
「ずっと泣いてました。」
何だそんな事か。
驚かせるなよ。
必要もない睡眠をとってしまったから、習慣としての悪夢を見た。
ただそれだけの話なのだ。
「僕は前からずっと泣いてます。」
そうだ。
僕は前からこんな女々しい子供だった筈なんだ。
君達が僕を甘やかすから、強いフリや無神経なフリが出来なくなっただけなのだ。
「きっと、寂しいだけですよ。」
縦巻が口元を堅く結んだまま、何かを言いたそうな顔をする。
「それにしても異常でした。 本当に辛そうにお泣きになるのですから。」
安産が駄目な子供でも諭すような口振りで呟く。
事実、駄目な子供なので異論はない。
「きっと、本当に辛いんですよ。」
安産も口を噤む。
「キモッ!」
包帯が背中越しに吐き捨てる。
「うん。 ごめん。」
他に言いようがない。
包帯は振り返りもしない。
異世界人の母乳を飲む事で涙の分泌量も増えたのではないだろうか?
それがゆうすけの仮説である。
三人娘に軽口を叩きながらも、数々のトラウマを思い出しては落涙した。
思い返せば、あまり良い思い出がない。
「きっと死ぬ時もさぞかし不愉快な走馬灯を見せられるのだろう。」
と云った主旨の発言をすると、何が面白いのか包帯が手を叩いて大笑いした。
キ サ マ 一 体 何 が 可 笑 し い !
「可哀想にねえwww いやいや、本当に可哀想にねえwww」
何が嬉しいのか、馴れ馴れしく肩を組んで煽ってくる。
そして、半笑いのままゆうすけに軽くキスをした。
「!?」
「まあ、いいじゃない。 死ぬ直前にこうやって女にありつけたんだから。」
「一生縁が無いより幸せだと思います。」
「アハハ。 そうそう。 アンタ死ぬ前にアタシの可愛い顔を思い出しながら死ねるよ。」
ゆうすけは無言で溜息をつく。
参観日トラウマや正月トラウマや遠足トラウマを思い浮かべながら死ぬよりもまだマシな
のかも知れない。
「この女は駄目ですよ。 悪い女です。」
と言って、縦巻が割り込んで来る。
そういう縦巻の表情も艶然としており、悪女的ではある。
もしも、ゆうすけを気遣ってそんな演技をしてくれているのであれば、これ程ありがたい
事もない。
「ゲート、壊さなくてもいいですよ。」
縦巻がゆうすけを抱いたまま言う。
両手で強く覆われている為に、縦巻の表情は見えない。
「ゲート、壊さなきゃ。」
「そんな事をしなくても、貴方の居場所はあります。」
正論。
これ以上ない正論。
「でも、地球が滅びるかも。」
「滅びません。 核兵器的な抑止力が一つ増えて、ルール作りの為の長い会議が開かれるだけです。」
正しい。
地球に残って政治コメンテーターになってくれないか。
「異世界が滅びるかも。」
「滅びません。 地球の方がどうこう出来る我々ではないのです。」
またしても正しい。
異世界人の優越性と地球人の限界はゆうすけが一番詳しく知っている。
「何かをしなくちゃ。」
「何かをした貴方しか認めない相手であれば、それは最初から貴方を認知する気が無いの
です。」
これもまた正しい。
そして、言外に縦巻はゆうすけを無条件に認めてくれている。
「ごめんなさい。 僕がそうしたいんです。」
ゆうすけは素直に告白する。
「~しなければならない」と云う嘘を捨ててしまえば、意外に自分の行動原理を炙り出す
のは簡単だった。
要は、ゆうすけは義務に飢えていただけなのである。
今まで、誰からも与えて貰えなかったから。
たまたま、「~しなければならない」を探していて、それらしき物を見つけた喜びに燥い
でいるだけなのである。
僕は世界を救いたい。
世界を救った/救おうとした僕として死にたい。
違うな。
世界が僕の救いの手など必要としていない事など、僕が一番知っている。
単に、世界に振り向いて欲しいだけなのだ。
そして、僕にとっての世界とは…
「ゲートが壊れるに越した事はないでしょ?」
縦巻の問いから少し話を逸らそうとする。
そう、この女にとっても損な話ではない。
「今はゆうすけの話をしています。」
「解ってますよ。 でも、貴女達にはお世話になったから、何か恩返しがしたいって思っていたんです。」
「…。」
縦巻の表情はどこまでも哀し気である。
父さん、僕にも哀しんでくれる女性が出来たよ。
縦巻には悪いが悪い気分はしない。
いや、寧ろ先程の悪夢が嘘であったかの様に気分が高揚すらする。
男は、僕は本当に身勝手な生き物である。
そうだ、もしも奇跡的に生き残れたら…
皆に頼み込んでしばらく異世界で暮らさせてもらおう。
時計も幌出絹に破壊されてしまったので予備のパソコンを起動させて時間を確かめる。
何時の間にか日付は変わっている。
ゲート出現まで後4日。
後ろ暗い闘志が沸く。
地球の雄特有の『部品として稼働する事に歓びを感じるプログラム』が再起動する。
ゲートへの突入。
今はそれだけを考える。
時間は深夜1時。
ゆうすけはゲート出現が予測されている花輪ICの下見を開始する事に決める。
忍具は偵察用の物だけをチョイス。
そしてタクシーを呼ぶ。
偵察には三人娘を連れて行く。
同行させたい訳ではないが、自宅に置いておくのが恐ろしいだけである。
特に、興味半分に飛燕を触られるのが怖い。
関秀一郎。
先日、退学になった日に名刺を渡して来たタクシー運転手の名である。
話が通じそうな上に、巻き添えで殺しても心が痛みにくい気がしたので関の携帯に電話す
る。
幸いな事に夜勤だった。
テンションは低かったが、「例の女の子達も居るんですけど…」と振ってみると少年の様
に目を輝かせて駈けつけて来た。
「サインを下さい!」
と開口一番強請って来たので、三人に好きに落書きさせてみる。
三人共、生まれて初めて筆記用具に燥ぎながら悪戦苦闘していた。
「外国のお姉さんですか?」
関が興味深そうに尋ねる。
「ええ、もうすぐ帰国しますけど。」
「ああ! レベルの高い女優さんは皆帰っちゃうんだよなー!」
関が残念そうにしたので、三人と握手させてやる。
余程嬉しかったのか、興奮して自身のイベント参加履歴を語り出したので、適当に相槌を
打ちながら乗車させて貰う。
・目的地は花輪ICの半径1キロ内数か所。
・それぞれの地点でハザードを点けて10分程停車して欲しい。
・不審に思われた場合、上手に誤魔化して時間を稼いで欲しい。
それが関へのオーダー。
関の顔が曇ったので、茶封筒を押し付ける。
「お金っすか?」
「お金っすよ。」
「これ、百万位あるけど?」
「あ、関さん凄いですね。 流石大人。 丁度100万円入れてます。 確かめて頂いてもいいですよ?」
「商売長かったからねえ。 今はこんな生活だけど。」
関は手触りで紙幣の真贋が判るのか、茶封筒の中に指を入れてモゾモゾさせてから再度驚
いた表情を見せた。
「撮影にこんなに経費掛けて採算取れるの?」
こちらを気遣う表情で関が伺ってくる。
「いや、採算を採る気はなくて。 是が非でも満足の行く仕事をしたいだけなんですよ。 高速にカメラ仕込むってやっぱり合法ではないと思うんですけれどね。」
「うーん。 おじさんも立場上法律の話は出来ないけど。 お金とアダルトを愛してるからねえ。 まあ、採算度外視企画の方がヒット作は生まれるか… 女優さんのレベルも滅茶苦茶高いし。」
「お願いできますか?」
「それは、うん! 喜んで! タクシー6年目ですけど、一番やる気出しますんで!」
この様な遣り取りがあって、関を雇う事に成功する。
念の為、本部への記録も誤魔化して貰う。
勿論、そのリスクも金で買おうとするも、関に拒絶される。
サービスの範囲内であるらしい。
防犯カメラの無い道を選んで走行してくれている辺りからも、関の誠意は伝わった。
「お兄さん学生さんだったよね?」
「いや、実は退学処分になりたてで…」
「お互い、レールには乗れない性分ですなあ。」
そう言って関は嬉しそうに笑う。
目的地に到着するまでの間、関がアパレル事業に携わっていた頃の話を聞かされる。
一見失敗談を語っている体を装っていたが、ゆうすけに対して警句を与えたいようであっ
た。
ゆうすけが、「ありがとうございます」と謝辞を述べて頭を下げると、道化の表情を止め
て、笑った。
京葉道にカメラを仕掛けたい。
ゲートの厳密な発現形態が解らない以上、広範なアングルで予測ポイントを抑える必要が
ある。
出現予測ポイントの誤差±3キロは抑えておきたい。
何故、京葉道上の出現が予測されたのかが解らないので、高架の直下にもチェックを入れ
ざるを得ない。
廃スマホを利用した使い捨てカメラを7か所に設置する。
京葉道上だけで5回の停車を余儀なくされるのは非常に痛い。
明らかに怪しまれる。
ドライバーが無条件の味方でなければ、この計画は遂行出来なかった。
それを考えれば、関の存在はあまりにありがたい。
花輪IC入口の信号の直上に半光学迷彩黒装束で忍び登る。
誰かに通報されれば、カメラ設置作戦は完全に失敗である。
そして、高い確率で突入も困難になるだろう。
だが、奇跡的に通行量が少なかった為に妨害なく作業が出来た。
途中、徐行したトラックの通過音に首を竦めるも、カメラの設置は順調に進む。
帰車する度に、細かく移動地点を指示するゆうすけに関は従順であったが、その表情は明
らかに不審のそれに変わっていく。
「関さん。 この作業は誰かを傷付けたり社会に害を及ぼす性質の物ではありません。 勿論、幼稚な世直しを主張する気もないんです。」
ゆうすけの弁解に関は、
「『誰か』は傷つかなくても、君が傷つくんじゃないのか?」
と答えた。
ゆうすけがミラー越し関を見つめたまま絶句していると、「若者が自分だけを勝手に犠牲
にしようとした時には怒るよ、大人は。」と続ける。
その後、関とゆうすけは一言の雑談もなく作業を続けた。
「あのカメラは勿論有害な物ではありません。 違法行為を目的に使用するつもりはありません。 1ヶ月だけ存在を見逃して欲しいんです。」
「大人がエロスを好むのは、無害だからだよ?」
関は声こそ柔らかいが、眼光が非常に厳しい。
ゆうすけは「お願いします!」と言ったきり頭を下げたままである。
若者がそう振る舞う事が如何に卑怯かは重々承知の上である。
別れ際に、関は6年間のタクシー生活で知り得た京葉道の情報を全て教えてくれた。
特に、降車したドライバーが犠牲になった人身事故の例について念入りな説明をくれる。
事故の起こり易い場所・見通しの悪い場所・逆光が辛い場所についてもである。
最後にゆうすけが、「御礼に女優さんと握手は如何ですか?」と尋ねてみると。
「女優? ああ、うん。」
とだけ言ってゆうすけにだけ堅く誠実な握手をして去って行った。
関の目は「死ぬなよ」と言っているようにしか見えなかったので、「済みません」とのみ
応えておいた。
深夜4時37分。
もはや早朝である。
早くも街が胎動を始めたので、三人娘と共に花見川公園を歩いて帰宅した。
昇る太陽と共に潜む。
忍者の正しい生活サイクルである。
ゲート突入まで後4日。
ゲート突入まで、後4日。
今、ゲートが開いたとしても高い確率で突入を成功させる自信はあるが、成功確率は1%
でも上げておきたい。
ROM専用フルビューワーMk-Ⅱに花輪IC周辺に設置したカメラ映像をリンクさせる。
これで常時、ゲートの出現予定ポイントが監視出来る。
浦上派閥が消滅した今では、当日の警備状況が全く読めない。
いや、警備体勢が敷かれるならまだ良いのである。
最悪のケースは、車道に突然ゲートが出現して大事故が発生し、その余波でゆうすけが接
近出来なくなるor物理的にゲートへの道が塞がれる事である。
ギリギリまで状況を見極めたい。
何時の間にか日が差してきている事に気付き時計を確認すると午前9時を過ぎていた。
縦巻と異世界人の起床時間観について語り合って笑い合う。
流石に異世界人と云うべきか、彼女達は瞬時に寝むり、瞬時に覚醒する事が可能ならしい
。
親に説教されている間に眠り、返事を強いられた時だけ覚醒する強者も居るらしい。
口振りからすると、安産の娘のうちの誰かにその様な親不孝者が居るらしく、眉間に皺を
寄せた安産が異世界語で縦巻に愚痴らしき物を零していた。
そうこうするうちに、家の前から何やら物音がするので、怪しんで自宅前監視カメラを起
動させると、何者かが家の前に蹲っていた。
不審に思い画面を拡大すると、蹲っている者は二人おり、どうやら土下座をしているらし
い。
スーツの色はピンクとゴールドであり、ピンクのスーツは先日の野村である。
と云う事はゴールドも幌出弁護団のメンバーだろう。
時間を無駄にしたくないのだが、こんなに目立つ連中が自宅前に座り込んでいると、本当
に父親が帰れなくなるので、仕方なく玄関に出る。
「野村さん… おはようございます。」
不本意ながら、蹲るピンクのスーツに声を掛ける。
「「増田さん! この度は弊社の幌出が大変ご迷惑をお掛けしましたッ!!」」
二人の漫才スーツが土下座体勢のまま額を土にめり込ませる。
ジョギングの通行人が横目でこちらを見る。
本当に関西人は何をやらせても他人に迷惑を掛ける連中だな!
オマエラと違って人間には羞恥心や世間体があるのだ!
勿論、狂人のゆうすけにすら圧倒的にそれがある!!
「あの、人に見られて迷惑なんで、帰って貰えませんかね?」
ゆうすけの言葉に関西勢が顔を見合わせる。
「本日は謝罪に参りました!」
野村が土の中に顔を埋めながら、ブクブク音と共に詫びる。
「謝罪って『昨日の分』の器物破損の件ですか?」
「はい! 誠にッ! 誠に申し訳なくッ! 幌出も所用が終わり次第すぐに駆けつけますので!」
「それが一番要らないんですけどね…」
「誠意を! 誠意を! やはりですね、誠意は直接本人が顔を見せるべきかと思いまして!」
「いや、本当に申し訳ないと思っているなら、あの人を福岡から出さないで下さいよ。」
「仰る事、御尤も! 御尤も! そこでまずはですね、誠意を示す為に私共が清掃に参りました!」
野村はそう言って箒と塵取を高々と掲げる。
隣のゴールドもカクカク頷く。
「いや、みだりに他人を家の中に入れたくないんですよ。 お金なら受け取ってあげますから、帰って頂けませんか。」
金の話になった瞬間、二人は満面の笑みを浮かべて傍らのアタッシュケースを広げる。
金は彼らの得意分野であるので、そのドヤ顔も理解出来る。
一万円の札束が10面。
一束100万円を2重に重ねたとして2000万円か…
思わず声に出していてしまったらしく、そこにゴールドスーツの男が慌てて割って入る。
「増田さん! 早計でっせ! くうううぅぅッ早計ッ! 誠意を示す為に全て新札で用意したのが裏目にでましたワ! よく見ておくんなはれ! 三段ありまっしゃろ? まずは挨拶としての三千万です! 勿論、不足が御座いましたら仰って頂ければ幌出に1億円ソードさせます! 阿修羅モードに入れば6億円でっせ!」
ゴールドスーツが狂気の混じった目で捲し立てる。
正気で出来る仕事ではなさそうである。
阿修羅モードって何だよ?
後ろの縦巻がちょっと見たそうな顔をしているぞ。
「あの、野村さん。 こちらのゴールドの方は?」
「失礼しました! こちらは私の上司で幌出弁護団の総団長を務めております川崎です。」
「川崎久志です。 川崎市の川崎に、ヒサシイココロザシと書きます!」
ゴールドスーツの川崎が勢いよくゆうすけに顔を向ける。
飛び散った土がゆうすけの脚に掛かるが、その点までは指摘しない。
関西人でもあるまいし…
「いや、野村さん。 話の本筋から外れるので貴方達にはさっさと帰って貰いたいんですけどね。 要は告訴するかしないかの話がしたいだけなんですよね?」
「誠意! 誠意! ただ誠意の気持ちで伺わせて頂いただけなんですう!」
「うん。 だから、それを直訳すると『告訴を取り下げてくれ』って話ですよね?」
「いや、そういう下心は断じて! 断じて!」
鬱陶しい連中である。
野村にしてもプライベートで話せば聡明で理知的な男なのだが、今日は上司と一緒なので
その一面を垣間見る事は困難かも知れない。
問題は、幌出絹も異世界情報を狙う一人であり、少なくとも浦上はロシア以上に警戒して
いたと云う点である。
コイツらに張り付かれてしまうと、本当に異世界関連の動きが出来なくなる。
しかも、幌出絹は大量の警察・公安関係者を常に引き連れている。
はっきり言ってしまえば、最悪のエネミーキャラなのである。
正直に言おう。
千葉市営平和公園墓地の母親の墓の中に拳銃が隠してある。
(それも幌出に突き付けられたのと同じトカレフである。)
異世界突入前にそれを取り出しておきたい。
タクシーを呼べばすぐにでも入手出来るのだが、警察官を大量に引き連れてランダムに襲
来する幌出絹の所為で中々掘り起しのタイミングを掴めない。
拳銃の存在を知ったのはゆうすけが中学生の時である。
ネット上で見つけた拳銃自作サイトに影響を受けて拳銃製作を思い立った少年ゆうすけは
、サイトの『ヤクザは愛人の墓に拳銃を隠す』との文言を見て、母親の墓に拳銃を隠すス
ペースがあるかを確認しようとした。
ところが、既に何者かが、母の遺骨の隣にビニール袋で包んだ拳銃と実弾を先に隠してい
たのである。
無論、そんな事をするのは父親・増田だいすけ以外に在り得なかったのだが、『いや流石
に親を疑うのもどうか?』と悩んで父親には指摘しなかった。
先月の月命日にも拳銃の存在は確認しているので、恐らくまだあるだろう。
筒状仮面が銃を持っている事が解っている以上、こちらも用意しておきたい。
出来れば試射を済ませておきたいのだが、銃刀法のある日本で無理に敢行する必要も無い
。
異世界に到着次第、試射を行おう。
目の前では、漫才スーツ二人組が『如何に幌出が反省しているか』を滔々と述べている。
「御安心下さい! 後数分で幌出が到着致します!」
川崎が一点の曇りもない澄んだ目で満面の笑みを浮かべて叫んだ。
…頼むからカネだけ置いて立ち去ってくれないかな?
無論、幌出の使い道もかなり真剣に考えてみたのだが、そもそも浦上が弊害についてしか
言及しなかった時点であの老婆はそう云う存在なのだろう。
縦巻に、『幌出絹が来るけどどうする?』と尋ねるも、困った様な半笑いを浮かべていた
ので、まあそう云う事なのだろう。
遠くからパトカーのサイレンが大量に聞こえる。
まずいな、本当に数分で来た。
「何か幌出絹から得たい物はありますか?」
漫才スーツ二人組に聞こえない位置で、念の為に安産に耳打ちする。
「消えてくれると有り難いのですけれど。」
「地球と異世界の利害が初めて一致したかも知れませんね。」
包帯に話を振ってみても首を横に振るだけだった。
確かに、あの老婆は使い道が難しい。
『異世界でカネが使えない』と云う事実は意外に重い。
そして、『換金して持ち込めるモノ』と云うのが思い付かない。
通常、価値観の違う世界に突入するのであれば、食料か武器の持ち込みが有用なのだろう
が、食べ物に関してはこれ以上摂取する必要も無さそうであるし、武器にしても筒状仮面
の殺害用以上の物は却って有害である。
過度の殺生を行ってしまった場合、万が一この先地球と異世界の間に国交が樹立した場合
の大きなマイナス点となる。
更に恐ろしいのは、引き起こしてしまった事件が地球内政治で反日工作に利用されるケー
スである。
それだけは避けたい。
等と考えていると、数台のパトカーが自宅前に到着した。
当然、やって来たのは千葉県警のパトカーなのだが、一台だけ外装が激しく破損した福岡
県警のパトカーが混じっており、そこから何時もの面子が降車してきた。
巨漢・斎藤和仁と無表情な長身の男、そして二人の上司の大西と云う初老の男である。
人懐っこそうな笑顔で大西がゆうすけに手を振る。
「増田クン! ごめんねえ! 博多で遊ぶ時は声を掛けてね! 色々サービスさせるけん!」
昭和世代が示しそうな好意である。
ゆうすけは大西に苦笑しながら会釈する。
続いて斎藤がハーネスで繋いだ幌出絹を車から降ろす。
何が嬉しいのか幌出が奇声を挙げて走り回ろうとするが、斎藤が「ハウス! 社長ハウス
!」と言って力ずくで地面に押し付けてしまった。
「おう! 増田クン! 遊びに来ったで! ど う せ 友 達 お ら へ ん の や ろ ? 」
と幌出絹が快活な笑顔で手を振る。
一瞬、顔を曇らせたゆうすけを見て慌てて川崎が幌出絹に何事かを耳打ちする。
「ふむふむ! そうやった忘れてた! 今日は告訴を取り下げさせる日やった! 何とかしてこっちのペースに引きずり込まなアカンなあ!」
周囲20メートルまで響き渡るトーンだが、幌出なりに内緒話をしているつもりらしい。
やはり、告訴を取り下げさせる為に来たのだろう。
「幌出社長! 告訴の件なんですけれどね。」
「おぅっふ! 増田君! オバチャンちゃんと反省してるでー!」
日頃弁護団に仕込まれている御蔭か、幌出絹は直立不動の体勢で謹直な表情を作る。
斎藤達が片耳の無線機と何やら交信しながら、息を殺して様子を伺っているので、それな
りに国益に密接に関連している場面なのかも知れない。
「もう二度と僕に関わらないでくれるなら告訴を取り下げます。
お金についても騒ぐ気はありません。」
ゲートの件を抜きにしても、それが本音だった。
ましてや、これだけ頻繁に警官隊からランダム来訪(しかも福岡から!)されてしまって
いると拳銃を取りに行けないし、自宅に隠しておくリスクも激増する。
「おお! 増田さん! アンタってお人は! アンタってお人は! 何て寛容なお方なんでっしゃろ!」
川崎が感激した瞳でゆうすけに叫ぶ。
やれやれ、これで一件落着である。
「いや川崎クン! それは浅い。 浅い考え方やで!」
腕を組んだまま幌出が何事かを言いだす。
川崎が漫才の様なオーバーアクションで幌出に振り返る。
「告訴されてもええよ。 これからも増田クンの家に遊びに行く!」
「ええええ!? しゃ、社長ッ!! それは何ででっか!」
「それはな、川崎クン。 増田クンがウチの親友やからや! 逮捕を恐れて友達を裏切る様なウチではないで!! ウチは身の安全よりも友情を取るッ!!」
「しゃ、社長! 流石、ワイが見込んだお方や! 何たる義理堅さ! 何たる勇気!」
感涙に咽び泣く川崎。
そして、幌出絹が親指を立てながら満面のドヤ顔でゆうすけにウインクする。
「…。」
結局、千葉県警側の偉い人が不退去罪と云うのを適応してくれて、幌出一党はどこかに連
行されていった。
ただ、護送車両に乗せられる折、幌出がとてもいい笑顔でこちらに手を振っていたので、
これが終わりではなさそうである。
福岡組が残留し、しきりにゆうすけに詫び言を重ねる。
三人共、雰囲気が厳ついので囲まれて詫びられると却って怖い。
斎藤と大西はフレンドリーだからまだ我慢出来るのだが、長身の男は全く表情を崩さずに
無言でゆうすけを観察している。
体格・立ち姿を見ても只者では無い事が解かるだけに尚恐ろしい。
「増田クン。 幌出社長が来そうになったら連絡しようか?」
福岡三人組の引率者である大西警部が提案する。
提案を呑むと云う事は、警官に携帯番号を教えてしまうと云う事である。
まさに今から拳銃を所持しようとするゆうすけにとっては、これ程リスクの高い選択肢も
無かったが、幌出アラームの魅力には勝てずに教えてしまう。
大西警部は人懐っこい笑顔で、
「福岡に遊びに来たら電話掛けて来んしゃい。
悪い遊びを色々教えちゃるけん。」
と言ってゆうすけの背中をパンパン叩いた。
如何にも昭和人の言いそうな事であるが、好意からの言葉ではありそうなので感謝してお
く。
幌出絹はゆうすけを相当気に入ったらしく、どうやら毎日の訪問は純然たる友情に基づい
ているらしい。
トカレフをどのタイミングで取りに行くべきか迷ったが、幌出が連行された直後の今は悪
くないタイミングと判断し回収に向かう。
ROM専用フルビューワーMk-Ⅱは目立つので自室に置いて、三人娘に同伴を頼む。
安産・縦巻は小型化して装着。
「貴方は何に変身出来るのですか? 包帯?」
「…皆が皆、変身出来る訳じゃないから。」
包帯が涼しい表情でゆうすけに答える。
『この女がこう言った』と云う事は、この女も何かに変身する能力を保有しているのだろ
う。
どうも包帯には着いて来る気がないらしい。
率直に、『飛燕は精密機械だから触らないでくれると嬉しい』と頭を下げてお願いする。
包帯は機嫌が良かったのか、「じゃあ爆弾でも仕込んでおくわ」と云う回答を引き出せた
ので、礼を言ってから気が変わらないうちに出発した。
幕張駅まで徒歩で向かう道中、小型化して身体に貼り付いている二人に包帯について尋ね
る。
「あの人はどこまで信用していいと思いますか?」
「絶対に信用出来ないと云う一点においては信用しても構わないでしょう。」
縦巻の返答にゆうすけは同意して頷く。
包帯について知りたいのは、保有能力と魂胆である。
正直、読めない。
「率直に尋ねます。
彼女の能力は解りますか? 」
「あの娘の住む地は地球式の体術が流行しております。 勿論、遊びの域を脱しませんが、体力差を考慮した場合、地球の方にとって脅威的な存在
でしょう。」
安産が即答する。
「…その、体術と云うのはアニメの影響で?」
「辺境ほど地球アニメの悪影響が強い傾向があります。
娯楽が少ないからでしょう。」
千葉人のゆうすけから見れば異世界の首都近郊も相当な田舎であったが、包帯の故郷は更
に辺鄙なのだろう。
「魂胆については、何となく想像がつきます。」
縦巻の声が響く。
「解るんですか?」
「あの女は地球にずっと憧れていて、到着してアニメの中の地球と実物の違いに失望して
、それでも『アニメの実物』に触れたくて、どうしようもない気持ちになっています。」
『それは縦巻の事ではないか?』
との感想を押し殺す。
「…なるほど。」
「私達はアニメに出て来る様なクールな地球を望んでいるのです。」
『あれは理想であり、妄想だ。』
との反駁も押し殺す。
「御期待に沿えないようで申し訳ないです。」
「貴方だけですよ。 アニメっぽい地球人は。」
「僕がアニメ的?」
「はい! ゆうすけはアニメです!」
僕がアニメ的?
それは浮世離れしていると云う意味か?
目的主義者と云う意味か?
地球秩序に適応出来ていないと云う意味か?
いや、そんな事はどうでも良い。
問題はそこじゃない。
「アニメ的な地球人は異世界ではどんな存在ですか? いや、異世界人に好かれますか?」
「アニメっぽいのは、殺さない方の地球人ですよ♪」
言っている事がイマイチ解らない。
…異世界人のツボも解らない。
「僕はそんなにアニメ的ですかね?」
ゆうすけは溜息交じりに尋ねる。
「だって、貴方を育てたのは地球人ではなくて地球のアニメでしょう? どう考えてもアニメを真に受けて形成された人格じゃあありませんか。」
…反論の余地なし。
認めよう。
僕はアニメを見て育った。
…どうりて、コイツらと話が合ってしまう訳である。
人間に直接価値観を与えられるのと、人間が作ったコンテンツに価値観を与えられるので
は、どこか致命的な違いがあるのだろう。
「その割に、あの人は僕に意地悪な気がするんですけどね。 あの人もアニメ好きなら、もうちょっと僕に優しくしてくれれば良いのに。」
「私はあの女は一貫してゆうすけに好意的だと思いますけれど?」
「そうですか?」
「ゆうすけに気を遣って、貴方はおろか他の地球人にすら傷一つ付けておりません。」
「…確かに。」
「大体、あの女は対地球戦の指揮官の一人なのですよ?」
返す言葉もない。
包帯にしては、ゆうすけに対しての態度は破格の好意的姿勢なのかも知れない。
「僕はあの人に好かれてるのかな?」
「あの女なりにゆうすけに愛情を持っている事は明白でしょう。」
「勿論、その愛情は歪んでるのですよね?」
「あっちに居る時から有名でしたからね。」
どう有名だったのかの想像は付く。
とりあえず、これ以上包帯を刺激しないようにしよう。
途中、通り掛かりのタクシーを拾って墓地へ向かう。
幸いにも無人だったので、母の眠る区画に急ぐ。
二人は人間の姿に戻る。
ゆうすけは思う。
何度見ても、この原理だけは良く解らない。
ゲートなどより、変身能力の方が危険なのではないだろうか?
「これが本物のお墓なのね。」
「やはり異世界には墓標がないのですか?」
「死んでまで土地を占有しようとする発想は…」
それはそうである。
彼女達から見れば蛮習の最たる者であろう。
「ねえ、ゆうすけ。
もしも私達の世界で貴方が亡くなった場合は、地球的な埋葬をした方が良いのでしょうか
?」
「いえ、墓標は不要です。」
万が一、異世界に地球人の墓標が建ってしまった場合、外交摩擦の一因となる可能性があ
る。
そんな馬鹿な事は絶対に出来ない。
「日本部族はですね。 墓石の、この根元の部分に遺骨を収納するのです。」
ゆうすけが2人に解説しながら墓を動かす。
母の骨壺に合掌し、最後の挨拶をしてから拳銃入りのビニール袋を取り出す。
こうして手に取るのは久々である。
相変わらず非日常的な重さを感じる。
安産と縦巻は無関心を装いつつ、ゆうすけの背後からビニールの中のトカレフを盗み見て
いる。
無人である事を再度確認してから二人にトカレフを見せる。
ゆうすけなりに好意を示したつもりである。
縦巻が、「触ってみたい。」と言ったのでビニールの中に手を入れさせて触らせる。
袋を毎上下に持ち上げて嬉しそうに笑った。
他意を感じない子供っぽい笑顔である。
見た目よりも幼い女のかも知れない。
ここで、一つ問題大きなが生じる。
袋の中を検査してみたところ、以前八発あった銃弾が六発しか無かったのである。
最初の発見時(3年前)は確かに八発あった。
それ以来は、弾丸のチェックはしていない。
念の為、弾倉と銃腔内を確認するも弾丸は装填されていない。
『父がこの数年で発砲した』
と考えるのが妥当だろう。
父の性格なら一度発砲した拳銃は絶対に処分しそうなものだが、たまたま怠ってしまった
のだろうか?
これで、ますます地球内での使用が不可能になったし、携帯している状態で拘束されたり
死亡したりする事が出来なくなった。
少し、判断に迷う。
トカレフは置いて行くべきだろうか?
警官が連日自宅に押し掛けている現状、銃器の所持はあまりにハイリスクである。
しかも、父親がその銃を使用した可能性があるのであれば尚更である。
だが、筒状仮面が銃器を所持している以上、丸腰で挑む愚挙は犯せない。
無論、拳銃抜きで筒状仮面と決着を付ける事も出来る。
ただ、忍術のみで殺しきる自信がない。
ゆうすけが忍術的なトリックを多用する事は既に異世界中に知られてしまっているからで
ある。
弄する事が予測されている小細工程脆いものもない。
異世界人の助太刀に関してはどこまで期待できるかも解らないし、助太刀を頼む事自体が
後々異世界にとっての禍根となる事が容易に想像出来る。
可能な限り、地球人同士の私闘の形に持って行かねばならない。
トカレフを隠蔽し、父を守護するか?
トカレフを所持し、父の加護を頼むか?
要は、この二択なのである。
普通に考えれば、前者を選択するべきであったが、ゆうすけは後者を選択する。
『子供が父親と居る事を望んで何が悪い。』
と云う極めて子供っぽい発想に基づいていた。
無論、『ずっと放置されて来たのだから、最期くらい面倒を見てくれよ』、と云うのが本
音であったが、その暗い感情は押し殺す。
『考えてみれば、母が護り続けた父の拳銃である。
僕が持って何が悪いと言うのか?』
心中でそう呟くと、ゆうすけは素早く銃を懐に仕舞いこんだ。
その行為を正当化する為に、母に再度合掌する。
意外だったのは、安産と縦巻が見様見真似で合掌した事である。
「ありがとう」
背中越しにではあるが、礼を述べる。
二人や自分自身がどんな表情をしているかは解らなかった。
墓地からの帰ろうとすると、大西からの着信があった。
「増田クン。 今日の最高裁は終わったから福岡に帰るけん。」
今日の最高裁?
意味が解らない。
「明日は久々に最高裁の無い日やけん、ちきっと休めそうばい。 ワハハハハ。」
一方的に喋ると大西は電話を切ってしまった。
久々に最高裁の無い日?
さっぱり意味が解らない。
解らないなりに強引に推測する。
そして、最も現実的な仮説を立てる。
1、被告としての幌出絹は毎日最高裁に出廷させられている?
2、明日は珍しく最高裁への出廷日ではないので幌出絹が関東に来ない?
3、大西はそのスケジュールを好意で教えてくれた?
こちらから電話して確認したい衝動に駆られるも、懐のトカレフの重みを考えれば、警官
に電話を掛けると云う意欲がどうしても沸かない。
あの無限に保釈金を支払える幌出絹すら逮捕はされるのだ。
貧乏人のゆうすけが時間の無い今、警察沙汰を起こせる訳が無い。
二人に、「今、逮捕や殺害をされたら困る状態にあります。」とだけ説明して下山を開始
する。
車通りの有る所まで歩いてタクシーを拾い、一直線に帰宅する目論見であったが、タイミ
ングが掴めないまま鎌取駅に辿り着いてしまう。
そこでタクシーを拾って帰宅するべきであったが、細々とした買い物(幌出絹に色々と壊
されたので)をする為に千葉駅まで電車で向かう。
それは最悪の判断ミスであった。 大事を前にして小事に気を取られる、と云う言い訳の余地のない愚行のツケを、ゆうすけ
はKGBとの対決と云う形で支払わされる破目に陥る。
こればかりは一切の弁護の余地はない。
誰がどう見ても自業自得なのだから、
圧倒的ッ!! 圧倒的自業自得ッ!!
何故、ゆうすけがその男をKGBだと瞬時に理解出来てしまったのかは不明である。
何故、その男がゆうすけを見て瞬時に何事かを理解してしまったのかも不明である。
現在のFSB(ロシア連邦保安庁)ではなく、KGBと云う単語が何故脳裏に浮かんできたのか
さえも不明。
ゆうすけは、『恐怖によって引き起こされた脳のパニック現象が間違った単語を抽出した
』と断定し、断定する事によってパニックを鎮めた。
或いは男はCBP(ロシア対外情報庁)かも知れない。
ゆうすけは再考しかけて、素性探査を止める。
「ロシアが貴方を狙っています。」
浦上が最初に警告していた事じゃないか。
要は、今になってロシアと対峙してしまったのだ。
ただそれだけの話である。
千葉駅の東口から何気なく歩き出て数秒後、迂闊にも集中力を切らしていた瞬間にゆうす
けはその男と目を合わせてしまった。
その男は、背の高い観光客風の外国人であった。
金髪に染めていたが、地毛は茶色。
わざと腰を曲げ肩を落として猫背を装っていた。
左手には観光ガイド。
首からぶらさげたカメラ。
背中には不恰好までに大きなリュックサック。
腹にはパンフレットがはみ出たウエストポーチ。
訓練を受けた人間特有の、表情筋のみで構成された人工的な笑顔。
面長の頭部と計算された長袖で巧妙に印象操作されているが、一瞬見えた逞しい手首から
推測するに、痩身に偽装した筋肉質の肉体。
その剛健であろう胸板と肩幅も衣服の色使いのみで隠蔽されていた。
何より、全開されたチェックのネルシャツの下のポップな色調の星条旗Tシャツが目立っ
ていた。
迂闊にもゆうすけは、その男を観光客に偽装したKGBだと推察してしまい、愚かにもそれ
を表情に出してしまった。
言い訳になる筈もないのだが、たまたまその瞬間だけ油断してしまっていたのである。
・電車から降りて歩き始めた所だから。
・その瞬間はとても晴れていて構内から出たゆうすけの眼に光が飛び込んで来たから。
・駅の匂いに千葉を感じて、心の中で感傷的になっていたから。
下らない言い訳である。
油断が窮地を招いた。
ただ、それだけである。
幸か不幸か、状況は相手にとっても同様であったらしい。
ゆうすけと一瞬目が合った瞬間、その男は明らかに驚愕した。
刹那!
まさしく刹那の瞬間に、ゆうすけと男は互いを見て驚愕し合い、慌ててその表情を押し殺
した。
悔恨! 恐怖! 戦慄! 羞恥! 嫌悪! 猜疑! 殺意!
それらの感情が瞬時に互いの肉体に湧き起こる。
その距離、9メートル弱ッ!
高度差なしッ!
正対角度、真正面ッ!
互いを遮る障害物はスーツ姿の初老の男二人組。
スエット姿の老婆1名。
その3つだけである。
先手を取ったのはその男。
素早くガイドブックを広げ、困った様な剽軽な表情を作り、ゆうすけの左側面への位置取
りを狙ってくる。
眼球の動きが早い!
もう敵は戦闘態勢に入っている。
その男にとって、その行動が最悪の選択肢である事はゆうすけにも解る。
何らかの理由があって、男は仲間と連絡を今取れないのである。
故に単独行動を前提としたアクションを取らざるを得なかった。
つまり、現時点で男には尾行・応援要請の選択肢がない。
ゆうすけは肩をゆっくり回しながら、
「あ、晩飯買って行こうかな。」
と保険を一つ発言しながら、早歩きで男を大きく迂回しようとした。
建前上、ゆうすけは相手を認識していない。
上総忍法・百目で男の様子を素早く確認すると、男はガイドブックを顔の高さから降ろし
ていなかった。
つまり。
双方、建前上は交戦状態には突入していない。
「「斬りますか?」」
切迫した小声で安産と縦巻が同時にゆうすけに声を掛ける。
それがほぼ観光客と見込めるのであれば念の為に殺害すれば良いだけの話なのだが、相手
がただの観光客である可能性は絶無である。
何よりも背後から迫る陽気な星条旗が、声高に「КГБ!」と叫んでいた。
「現在の日露情勢では無理だ。」
ゆうすけは誰に語る訳でもなく呟く。
そして慌てて異世界人向けに話す。
「あの男は殺さないで下さい。 …我々の部族にとっての不利益になります。」
包帯が居なくて本当に良かった。
あの女なら嬉々として殺しただろう。
何故なら、あの女は「後学の為にも一度は」地球人を殺しておきたがっているからだ。
早足で南下しながらゆうすけは激しく後悔する。
これでは自宅が千葉駅よりも北の方角にあると教えてしまったようなものじゃないか!
男には真後ろを取られている。
男は教科書通りに15メートルジャストの距離を保ちながら、雑踏や曲がり角でのみ間隔を
狭めて来る。
ガイドブック越しにゆうすけを観察している。
人工的な笑顔はやや過剰に貼り付いたままである。
デティールに凝らない性格なのか? その余裕がないのか?
こちらにも、それを推理する余裕がない。
こちらの身体能力が大した事がない事は、既に初見で見破られている筈である。
体格の貧弱さに加えて、体幹の弱さと反射の鈍さは一目瞭然。
それとゆうすけの膨れた上着を照らし合わせば、武器に依存した戦闘スタイルしか持たな
い事も容易に推測されているだろう。
ただ、改めて気になるのは男が全く通信の素振りを見せない事である。
あの驚愕の表情を見れば、男にとって緊急性の高い状況である事は確かだ。
であるにも関わらず、男は通信の素振りを一切見せない。
ゆうすけが通信の動作を見落としてしまったのか?
男が通信手段を使えない状況に在るのか?
男を取り巻くの政治的事情がそれを許さないのか?
解らない。
解っている事は、男がゆうすけをターゲットに千葉に潜入して来た事だけである。
そして、この邂逅は男にとっても全く想定外のタイミングだったのだろう。
何せ、あの驚愕の表情と、なりふり構わぬこの追尾である。
安産に小声で背後のガードを依頼する。
「相手が発砲する可能性も皆無ではありません。」
「銃ですか?」
「一般的な銃器の形状とは限りません。 彼らはペン型や時計型の射出暗器も多く持っております。」
「まるで忍者じゃないですか。」
「今、僕を追いかけて来てるのがロシア部族の忍者なんです。
…多分。」
諜報作業員の考える事は古今東西大した違いはない。
もっとも、相手は公務員でこちらはボランティアだが…
上総忍法・地滑ッ!
惜し気もなく使う。
歩行とは別概念の移動忍術。
未熟者のゆうすけにとってはアスファルト上でしか使えない技ではあるが…
文字通り、大地を滑走する。
フォームはあくまで人類の通常歩行のフォームを崩さない。
やや滑稽であるが、「尾行には気付いてませんし、振り切れたのは偶然です」と云う建前
は保持。
途中、縦巻が加速補助を提言するが少し考えてから拒絶する。
「これ以上加速した場合、僕の身体能力ではバランスを保てません。」
謝辞も込めて縦巻に解説する。
現在の地滑が出している時速50キロと云う速度は逃走用としてはやや低速だが、下道を疾
走している事を加味すれば寧ろ飛ばし過ぎである。
「アニメみたいですよ! 厨二アニメみたいですよ!」
恐らくは賛辞。
縦巻が無責任に燥ぐ。
問題は極めて深刻な問題は、この速度に背後の男が付いてこれていると云う事だった。
それも、あくまでガイドブックを覗き込みながらの徒歩旅行の体を保持したままである。
千葉駅に観光名所なんぞありはせんわッ!!!!!!!
常軌を逸した高速歩行にも関わらず人工的な笑顔は崩れていない。
流石の相手も表情を微調整するまでの余裕がないらしい。
勿論、余裕の無さではゆうすけの方が遥かに苦しい。
武器である筈の思考速度が全く機能していない。
思考力が恐怖によって激減させられていた。
通常では犯さないであろう微細なミスを4つも犯してしまった事に苦渋の表情が浮かぶ。
その上、不覚にも11度目の旋回で国道14号を北上するルートに入ってしまう。
痛恨のミス!
疲労を訴える脳を必死で叱咤する!
不覚ッ!
圧倒的不覚ッ!!
自宅に向かってしまっているッ!!
そしてこの道の延長線上にはゲート出現予測ポイントッ!!
「何をやっているんだ、僕は…」
絶望的な呟きが漏れる。
「ゆうすけ、それほどの緊急事態なのですか!」
安産が語調を強める。
見れば解かるだろうに…
「ゆうすけ! 状況を説明して下さいッ! 貴方が思考を整理する為にも!」
更に安産が続ける。
そのトーンの力強さにゆうすけの脳が麻痺から引き戻される。
「今、敵に追尾されています。」
「ええ。」
「戦端は開けません。 部族全体に迷惑を掛けてしまいます。」
「ええ。」
「この速度は残り100秒程度しか維持できません。 恥ずかしい話ですが脚のスタミナがもう切れかけてます。」
「それは恥ではない!」
「それは恥ではありません!」
安産と縦巻が同時に小声で叫ぶ。
その叫びに、ゆうすけは自我を完全に呼び起される。
恥か…
どこかに不要な見栄が残っていた。
女の前だから、無意識に手段を選んでしまっていたか…
今はそういう場面ではない筈である。
『稼働限界時間まで85秒』
脳がようやく忍者としての機能を復活させる。
そうだ、それでいい。
オマエ/僕はただ淡々と状況に対処すれば良い。
『稼働限界時間まで81秒』
背後の男は充分以上に余力を残している。
汗一つ掻いている様子もない。
眼前に掲げたガイドブックは微塵もブレていない。
驚嘆に値するスタミナである。
『稼働限界時間まで73秒』
次に、電柱が手前にある右曲がり角で決着を付ける!
ゆうすけ、トップスピードに突入ッ!!
同時に背後の男、ガイドブックを小脇に挟み競歩フォームへ移行、ゆうすけに匹敵する超
加速ッ!!
双方、時速80㌔弱の高速移動ッ!!
間隔ッ! 17㍍ 19㍍ 17㍍ 21㍍ 23㍍ッ!!!
『稼働限界時間まで39秒』
ゆうすけ、沈着の心境で二人に声を掛ける。
「僕が合図するまで完全に気配を殺して下さい!」
瞬間、異世界人二人の気配が完全に消える。
背後の男、ゆうすけの後姿の微妙な変化から、何かを叫んだ事を察知!
日本側の援軍を警戒し、視野をターゲット追尾型から全周索敵型に切り替えるッ!!
『稼働限界時間まで34秒』
同時にゆうすけが過ぎかけた十字路を左折のフォームで右折する!
上総忍法・空蝉ッ!!!!!!!!!!
脚力はここで使い切るッ!!!!!!!!
『稼働限界時間まで8秒』
潜って来た修羅場の数が違うのだろう。
男の眼球が高速補正を行いゆうすけの軌道を読むッ!
次の右折・路地・祖国の危機・目撃者・拘束・殺害・応援・交戦・逃走・無線は使えない
・大使館に駆け込む・命令の範囲内・部下に示しが付かない・キャリアと引換・三方面戦
争・身元確認・任務・紛争・次のサミット・次の右折
男の表情に全ての思考が浮かび、同時に全てが消える。
『稼働限界時間超過』
ほぼ、同速度、同角度で二人が右前方の路地に突入する。
恐るべきは背後の男の観察力と精密動作である。
完全にゆうすけのアクションを読み切った上で、殺害・被殺害も含めた全ての展開を想定
し異郷の大都会の死角に飛び込む。
一体どれ程の修練を積み、どれだけの死地を潜ればここまでの境地に辿り着けるのだろう
か?
『移動機能停止・左大腿筋断裂』
そして。
だが。
男はゆうすけを完全にロストした。
『増田ゆうすけ』と云う固有名詞を知った上で男が追いかけて来ていたのかすらも不明だ
が、男は増田ゆうすけを見失った。
一瞬だけ動転と猜疑が男の瞳に浮かぶが、やはりそれも瞬時に消える。
男は身体に警戒態勢(対小隊戦闘用徒手戦闘フォーム)を取らせたまま、頸部と眼球だけ
を使い5秒も費やして、増田ゆうすけだけを探す。
ゆうすけからの奇襲は形式程度にしか想定していない。
何故なら、男はゆうすけの判断能力の高さを正確に認識済みだったからである。
1、即座に追尾を継続するか?
2、この路地を精査するか?
確率は五分五分。
忍術によって創り上げられた奇跡のフィフティフィフティ。
男は、自分を『判断を必要とする状況』に追い込んだゆうすけに改めて敬意を抱く。
更に7秒経過。
男にとっては痛恨の失態。
そして男は、その場でもう5秒だけを索敵に費やすと、身なりを素早く整え、観光客の表
情を作り、何事も無かった様に国道14号に戻った。
瞳孔の最奥の哀しげな輝きからは、政治的・時間的・状況的に極限まで追い詰められてい
るのは男も同様である事が伺える。
それでも、男は光すら押し殺して、素人然とした人懐っこい笑顔を強化する。
上がった口角には微塵の迷いも無い。
それは、誰がどうみても東京観光のついでにノリで千葉までやってきたアメリカ人にしか
見えない風体であった。
そして男は、日常風景の中に静かに溶けて消える。
見事。
これもまた、卓絶した忍術ッ!!
同地点。
19時間47分03秒後。
路地のゴミ捨て場に放置された半透明のゴミ袋が微かに痙攣する。
『このゴミは持ち帰って下さい』、と書かれた真っ赤な警告シールの左下隅が僅かに剥が
れて反る。
そして、置かれた半透明のゴミ袋を静かに内部からノーモーションで突き破りながら立ち
上がったのは増田ゆうすけであった。
あの逃走劇以後、通行人は26名も居たが、半透明のゴミ袋の中に仮死状態で待機していた
ゆうすけを誰も認識出来なかった。
あの男も含めてである。
ゆうすけは息を殺して心臓の鼓動を確認する。
左脚の激痛が、生存の事実を教えてくれている。
その場で4秒、フラッシュバックしてきた先程の逃走劇の恐怖に必死で抗う。
そして、無防備な自身の体勢と位置取りに気付き慌ててしゃがみ込む。
無言で自分が内部から破ったゴミ袋を拾い上げ、凝視し、静かに懐にしまう。
「申し訳ありません。 女性をこんな場所に。」
呼吸を取り戻すとゆうすけは、まず異世界コンビに謝罪する。
縦巻が実体化して興味深そうに周囲を見回す。
「ここはゴミ捨て場?」
「はい。 何とか、この位置まで来れました。」
「ねえ、ゆうすけ。 どうして隠れるのに透明な袋を使ったのですか?」
「追跡側の心理的死角に入る為です。」
「心理的死角?」
「普通は透明な袋に隠れるなんて誰もしないでしょう?」
「でも、さっきの地球人が後少しこっちを見ていたら見つかっていたのではなくて?」
「残念ながら他に手段が無かったのです。」
この状況で使う『この術』に関しては、3:7で失敗の方が確率が高い事も覚悟はしていた
。
それでも、ゆうすけが『この術』の使用を断行した理由は二つある。
一つ、あの男が殺害アクションを取った場合に異世界コンビが正当防衛を発動する事に期
待していた。
二つ、逃走中にあの男に14枚以上の「このゴミは持ち帰って下さい」と書かれた真っ赤な
警告シールを見せる事に成功していた。
特に後者は大きい。
5枚目の警告シールが視界に入った時から、ゆうすけは『この術』の発動を念頭に入れ始
めていた。
何故なら愚鈍なゆうすけがあの速度で認識出来たと云う事は、あの男は5枚以上の警告シ
ールを認識させられた事を意味するからである。
ただでさえ緊張を強いられる異郷における諜報任務。
突発的に敢行した単独での追跡作戦。
不器用ながらもゆうすけが仕掛け続けた無限のフェイク。
その中であの真っ赤な警告札が印象に残らない筈がない。
だからこそ、真っ赤な警告札の真下で丸まっていた半透明ゴミ袋入り増田ゆうすけをあの
男程の手練れが見落としてしまった。
無論、無造作に射殺されていた可能性の方が高い。
古今東西、忍術使いの死因のトップは隠形中に殺害される事であるからである。
ゆうすけは文字通りゴミとして無様に果てるリスクを取って、生き延びた。
3日後、死地に突入する為にも今はまだ死ねない。
縦巻と安産に周囲の索敵をさせる。
脚は何とか動くが、歩行すらままならない。
これは保有忍術の4割以上が使用不可能になっている事を意味する。
仕方がないので出力を最小限に抑えて上総忍法・雷電の準備態勢に移行する。
雷電如きが本格戦闘に堪え得るとは到底思えないが、精神安定剤としては機能したのか、
少しずつ思考能力が戻って来る。
『考えろ。』
『僕は弱い。』
『誰よりも弱い。』
『だから、誰よりも考えろ。』
『最弱であるからこそ、せめて最善を尽くせ。』
いつしか、増田ゆうすけは通常の精神状態を取り戻していた。
路地裏の闇から反射を極限まで抑制した眼球を動かす。
心臓を止め鼓動音を消してから周囲の音声を集音する。
痛めた左大腿部に負傷時と全く同じ激痛を与え全ての記憶をサルベージ。
増田ゆうすけは、いつも通りである。
そして、安全率の高さが60%を越えている事を確認すると、安産にタクシーを拾わせて帰
宅する。
・トカレフを無事回収 +1
・敵性勢力(状況的にロシアっぽい)に捕捉される -100000000000
「まあ、それでも…」
ゆうすけが呟く。
「それでも? 何ですか、ゆうすけ。」
「最後に母さんに逢えて良かったです。」
それを聞いた安産が頭を撫でてくれる。
見た目ほど、母性の無い女ではあったが、頭が回る分ゆうすけが求める物も悟ってくれた
のだろう。
ゆうすけは無言で安産の肩にもたれ掛る。
そして、身長差から巨大な胸に顔を埋める羽目になる。
『ああ、この話は爆乳ラノベの形で記録されるんだった…』
そこら辺は須原が巧妙に処理するだろう。
政治的にまずければ異世界やロシアや福岡県警や上総忍法の部分はカットしてくれる筈で
ある。
事後処理に関しては、生き残った者が行う。
ゆうすけに出来る事は、社会そのものの生存確率を上げておくだけである。
タクシーは数分で増田ゆうすけを自宅に送り届けた。
終わってみれば、近所で走り回っただけの下らない1日である。
『ゴミの様に無価値な日常だ。』
そう胸中で満足気に呟く。
自身の完全なる無価値化ッ!!!!!
齢17にして増田ゆうすけは、忍者として完成の境地に辿り着いていた。
それほどまでに無私無価値。
圧倒的ッ!! 圧倒的無価値ッ!!
ゆうすけが無価値の境地に辿り着いている証拠こそが、先日の忍術である。
ゴミ袋の中に潜伏する忍術は2年前にゆうすけが考案した。
毎日毎日、ゴミ袋を見る度にこの技をシュミレートし続けてきた。
100回以上のバージョンアップを経て洗練し尽くして来た。
この無様滑稽な忍術を増田ゆうすけは心中で密かにこう呼んでいた。
『上総忍法・塵芥ッ!』
ジンカイ。
文字通り、ちりあくたである。
自嘲から始まり、いつしか誇りの根拠となっていたこの技を、増田ゆうすけは単なる手段
の一つとして消化し終わっていた。
無論、異世界でこの忍術は使えない。
だが、この境地まで辿り着いた増田ゆうすけが乗り込むのである。
誰がこの愚挙を笑えるというのか?
誰がこの暴挙を咎めるというのか?
ゲート突入まで後60時間。
全ての準備は完了済みである。
問題は増田家の門前に福岡県警のパトカーが停車していた事である。
残念ながら、幌出絹+川崎野村組の姿も目に入る。
ゆうすけが門前に現れると、幌出絹が人懐っこく手を振って来た。
「おーい、増田クン! 遊びに来てやったぞー!」
溜息を吐くゆうすけを見て大西が申し訳なさそうに詫びる。
「…しゅまん。」
「…今日は最高裁の無い日じゃなかったんですか?」
「…今日、証人喚問の日って忘れとったんよ。」
「…そうですか。」
「…しゅまん。」
「…いえ。」
幌出絹が満面の笑みでゆうすけに語り掛ける。
「それでな。 増田クンの家に遊びにきたったんや♪」
「…なるほど。」
疲れを癒したい。
KGB(っぽい人)との激闘はゆうすけのメンタルを極限まで摩耗させていた。
一時でいいから一息吐きたかった…
「それでな! 増田クン、酷いねんで! ウチの話を聞いちくり!」
「…何ですか社長。」
「ウチが折角遊びに来たったのに、この包帯女が入れてくれへんねん!」
「…え? そうなんですか?」
「そうや! 増田クンから叱ってやってくり!」
包帯は無言で増田邸の前に立っている。
「…貴女が家を守っていてくれたのですか?」
「勘違いしないで。 アンタの為にやった訳じゃない。」
「…ありがとうございます。」
「私に取り入ろうとしても無駄だから。 アンタはキッチリ殺す事に決めてるからね。」
「それでも、今は感謝したいんです。」
ゆうすけと包帯が表情を殺し合ったまま、見つめ合う。
次に二人が感情を表に出すのは、殺し合う時に違いない。
「あにょー? あにょー。 増田クン? ちゃんと、この女に説教したってな?」
二人の間に幌出絹がぴょんぴょん跳ねて割って入った。
「大西警部。 とても疲れているので、今日はお引き取り頂けませんか?」
「ウム! 大西クン。 君達は先に福岡に帰ってなさい(キリッ)!」
斎藤が無言で幌出絹の首根っこを掴んで引きずろうとする。
「いやー! イヤー! 増田クンと遊ぶのー!」
「社長、あんまりしつこいと告訴取り下げて貰えませんよ?」
「あ! しょれしょれ(それそれ)! 今日はカネで取り下げを買いに来たんやった!」
「いや、露骨過ぎるでしょ…」
気が付くと、ドヤ顔の幌出絹が1億円ソード二刀流の構えをとっていた。
「ククク。 二億円ばい! これでこくしょ(告訴)をとりさげてくれるかな?」
「いや、別に…」
「ほう? 2億円では足りないと! 最近の若者にしてはアグレッシブやねえ♪」
「いや、金額の問題ではなく…」
幌出絹の笑顔が歪み、勝ち誇る。
「うはははははは!!!! 阿修羅モードッ!!!!!!」
気が付くと、幌出絹は1億円の束を3束ずつ、計六本構えていた。
川崎と野村が同時に叫ぶ。
「「あ、あれは最強の買収術・1億円ソード阿修羅モードや!!!!!」」
この二人はこの合の手を入れる事で高給を得ているのだろう。
社会が複雑化すると、如何に労力が浪費されるかの例である。
ゆうすけはシンプルで美しい異世界を心から望郷した。
「増田クン!! 6億円やどー! 告訴取り下げるだけで6億円が君の物になるんやどー!!!!」
「いや、ですから…」
世俗のカネに心を動かされなくなっている自分に、増田ゆうすけは冷静に再絶望する。
『もうこっちの世界の僕は死に終わってるのだ』と。
「ククク! やるねえ。 見た目に寄らず、結構強欲な少年やね、君は!」
「いや、欲とかではなくですね…」
「だがッ! オバチャンにとってはここまでは想定内ッ!!」
自身の口癖を幌出絹に使用されてしまった事に、ゆうすけは傷つく。
「見よっ!! 1億円ソード孔雀の陣ッ!!!」
幌出絹が足に1億円札束を装着しヒョコヒョコとゆうすけの周囲をステップする。
「「おおおお!!! 孔雀の陣ッ!!!」」
川崎さん。
野村さん。
大の大人がそんな仕事して恥ずかしくないですか?
「8億円やどー!!! 告訴取り下げるだけで8億やどー!!!!」
「いや、駆け引きをしている訳ではなくてですね…」
幌出絹が増田家の庭先を走り回りながら、植木鉢を札束で踏みつぶし続ける。
父の気に入っていたサボテンが踏みつぶされるのは、特に哀しかった。
「ふはははははは!!!! 流石増田クンッ!!! ウチの見込んだ通りの逸材やで!!!! こうなったら、こっちも究極奥義を出すしかないでー!!!!!」
「「出すんでっか社長!!! あの技を!!!!!!」」
川崎さん、野村さん、その合の手はいつ練習してるんですか?
いつのまにか、幌出絹の両手に握られている6本の一億円札束の隙間に札束が敷き詰めら
れ…
その姿は… まるで翼…
「1億円ソード・鳳凰の舞ッ!!!!」
そして、飛翔ッ!!!!!
蛾の様な気持ち悪い動きで、増田邸の上空を幌出絹が飛ぶッ!!
「はははははは!!! どうやッ!!! 10億円やどー! 10億円ッ!!!! 告訴取り下げるだけで10億円貰えるねんどー!!!!!」
「いや、人の敷地内でですね…」
「くくく。 君が渋るのは想定内ッ!! 人間は積まれる札束には意外に耐性がある。 だがッ!! 減りゆく札束に関してはどうやろうなー!!!!」
「「ま、まさか社長!!! アレをやるんでっか!!!!」」
「いや、野村さん。 そろそろあの人を帰してくれませんかね?」
「見よ!!! 増田クンッ!!! 1億円ソード最終奥義ッ!!! バーミリオン・バーシュトッ!!!!! 」
瞬間、幌出絹の全身が炎に包まれる。
火の鳥?
「うはははは!!! ほらほらー! 早く告訴取り下げんと君の取り分が燃え尽きてしまうどーーー!!!!!!! ん? どうや? ええんか? ええんか?」
「いや、取り分も何もですね…」
増田邸の上空を炎塗れの幌出絹が旋回し続ける。
ショリデモマモリタイセカイガアルンヤーッ!!!!
それは構わない。
問題はその炎が増田邸に引火してしまっている点にある。
「この技で告訴を取り下げんかった関西人はおらんでー!!! どうや!!!! 早く告訴を取り下げないとウチが死んでしまうどー!!! あちちち!!!! うわっちー!!! 死ぬ死ぬ!!!」
よく見ると、斎藤と大西が嬉しそうに小さなガッツポーズを取っている。
まあ、マクロの国益は兎も角、現場職員にとっては幌出絹の様なトラブルメーカーにはと
っとと死んでほしい、と云うのが本音であろう。
「いや、人の家を燃やさんで下さいよ…」
みるみるうちに、増田家全体に火が回る。
「あちゅ!!! あちゅう!!!!! あちゅちゅちゅちゅ!!!!!!!!! しょうぼうしゃ!!!! しょうぼうしゃー!!!!」
そして、増田家完全炎上。
消火の余地などない。
どこから沸いたのか、銀色の防炎服を着た男達が転げまわる幌出絹に消火剤を吹きかける
。
増田家に見向きもしない辺り、幌出絹の私的な消防隊なのだろう。
「ううう。 ゴホッ ゴホッ 死ぬかと思ったで…」
「「社長良くぞ御無事で!!!」」
「この技はリシュク(リスク)が高過ぎるわ…」
「社長、生きとったとですね…」
「斎藤クン! その残念そうな表情はやめて!!!」
一同 「はははははは」
「ところで、増田クンは?」
「…避難したんでしょう。」
斎藤が他人事の様に呟く。
その表情はわからない。
「じゃあ、幌出社長。」
「ん? 斎藤クン何や?」
「現住建造物等放火罪の現行犯で逮捕します!」
カチャリ
「いや? ウチ昨日も逮捕されたで?」
「いや。 あれは昨日の分の逮捕ですたい。」
「ちょっと待っちくり! いきなり逮捕なんかされたら、このシーンから読み始めた読者に、ウチが悪者やと誤解さ
れてまうで!?」
「どこから読めば社長が善玉に見えるとですかね?」
「いやー。 ウチは自分ではしぇいぎ(正義)やと思うで? 」
「ま、それは裁判所が判断する事ですから。」
「裁判所かー。 アイツラ間違った判決ばっかり出すからなー。」
「いっつも有罪ですもんね。」
「たまにはウチも無罪判決聞きたいワ!」
「あ、社長。 パトカー来たんで。」
「ウム、御苦労!」
ピーポーピピーポーピピーポ
ウーウーカンカンカンカン
ピーポーピピーポーピピーポ
ウーウーカンカンカンカン
ピーポーピピーポーピピーポ
ウーウーカンカンカンカン
ピーポーピピーポーピピーポ
ウーウーカンカンカンカン
ピーポーピピーポーピピーポ
ウーウーカンカンカンカン
ピーポーピピーポーピピーポ
ウーウーカンカンカンカン
ピーポーピピーポーピピーポ
ウーウーカンカンカンカン
ピーポーピピーポーピピーポ
ウーウーカンカンカンカン
パトカーと消防車のサイレンが激しく混じり合って…
やがて、消えた。
幼い時から住んでいた家が燃えた。
両親との想い出が全て焼き払われてしまった。
何たる幸運。
ここに来て、ようやく増田ゆうすけの望んだ形の展開が訪れる。
既にゆうすけ一行は花見川の水面を滑走し、炎上する増田邸を離れていた。
異世界3人娘は申し合わせた様に、忍具を持ち出してくれている。
特に縦巻が大型忍具・飛燕を持ち出してくれている事にはどれだけ感謝してもし足りない
。
「火傷はないですか?」
感謝を込めて、ゆうすけが優しく3人を気遣う。
「私達は大丈夫です。 でも、日本部族の方々は家屋に思い入れがあるものなのでしょう?」
逆に、安産に気を遣われる。
この人が居てくれて良かった。
「いえ、どのみち。 この世界の公権力を撒く必要があったので…」
「無理をしないで下さいね。」
反対側から縦巻が肩に手を置いてくれる。
本当にいい女だ。
「どうせ、居場所が無かったんでしょ? アンタが居なくなって、ご近所さんも喜んでるんじゃない?」
包帯が正面に回り込んで、ゆうすけの手に持ち出してくれた忍具を押し付ける。
『この女がこう言った』という事は…
「…。」
幕張海浜公園の端の無人箇所に辿り着く。
ゆうすけは闇が更に深まるのを待つ。
人の気配が最も薄れた瞬間を狙って、大型忍具・飛燕の発射地点へと移動する。
全ては計算通り。
異世界に突入し、筒状仮面を殺害し、ゲートを破壊する。
微塵の迷いも無い。
今は、潜む。
増田邸の方角の炎は何時の間にか鎮火されていた。
途中、包帯が単独帰還を宣言する。
「…色々とありがとうございました。」
「…アンタを迎撃する準備をしなくちゃいけないからね。」
「帰路の無事を祈ります。」
「私はアンタの無事を祈らない。 …自力で来なさい。」
「ありがとうございます。」
縦巻と包帯はかなり打ち解けたらしく、二人で数分談笑していた。
異世界語での会話である為、ゆうすけに内容はわからない。
ただ、二人が肩を叩いて笑い合っているのが、ゆうすけには嬉しかった。
自分が浦上にちゃんと別れを告げる事が出来なかったからこそ、誰かと誰かが仲良くして
いる姿は愛おしかった。
安産とすれ違う包帯が短く何かを呟き、安産も短く答える。
二人は一瞬無表情のままでゆうすけを一瞥すると、再度短い言葉を交わして別れた。
そして、振り返りもせずに包帯が自ら生み出した小型ゲートの中に消える。
「あれは、彼女個人に与えられた権限ですので、我々には生成できません。」
「あの人は向こう世界の役職者ですものね。」
「シマズ・モーリの様な立場ではありますが。」
安産がこちらの世界に置き換えて補足してくれる。
聡明な女だ。
愚者ゆうすけは、ただ時を待つ。
ゲート突入まで12時間。
ゆうすけは4つの巨大な乳房にもたれながら、静かに最期の時間を溶かしていった。
男には戦わなくてはならない時がある。
例え、勝ち目の見えない挑戦だとしても。
例え、どれほど絶望的な困難が立ち塞がっていたとしても。
それでも男には戦わなければならない時がある。
増田ゆうすけは今、全てを賭けて試練に立ち向かう。
間違っても正義の為ではない。
断じて世界や異世界の為ではない。
ただ一人、自分を認めてくれたあの男の為に。
ただ一人、自分を認めてくれたあの女の為に。
『誰に僕を笑う資格があるのか?』
増田ゆうすけは不純にも浅はかな承認欲求の為に試練を超える。
眼前の敵は紛れもなく地上最強の男。
明白な戦意をゆうすけに向けていた。
斎藤和仁(189㌢169㌔) 柔道 [福岡県北九州市出身]
97戦96勝1敗4殺
VS 増田ゆうすけ (169㌢54㌔) 忍術 [千葉県匝瑳郡出身]
1戦1勝1殺
増田ゆうすけ、静かにゲートへの入射角を微調整。
交戦直前に逆光を浴びせる準備を終える。
斎藤和仁、その巨体からは信じられない程コンパクトに両手を構える。
十本の指は全て内側に折り込まれていた。
増田ゆうすけ。
既に減速を終えていた。
元来、時速139キロまで出せる飛燕の飛行速度を時速65キロまで抑えている。
65キロと云う突入速度はゲートを潜り終わった後に、異世界で激突死してしまわないギリ
ギリの速度である。
だが、時速65キロは戦闘突入速度にしては遅すぎる。
現に、ゆうすけの軌跡は斎藤和仁の両眼に完全に捕捉されていた。
だが、増田ゆうすけにとって…
ここまでは想定内ッ!
斎藤和仁。
その技を知っていた。
否、『知っていた』等と云うレベルの知悉ではない。
既に福岡県警の現場職員の62%が対ジェットパック戦闘講習を終えているのだ。
斎藤和仁に至っては、ジェットパックを抗争に使用していた暴力団員を現行犯逮捕(鎮圧
時速度120キロ)した実績すらある。
首都圏の軟弱な男達には解かるまい。
犯罪大国・福岡県で起こる凶悪犯罪群の原始性と先進性を。
斎藤和仁は増田ゆうすけの驕りを嘆息する。
「今、自分は奇襲を仕掛けている」
と云う愚かな事実誤認。
斎藤和仁から見れば、これは強襲にすらなっていない。
斎藤和仁にとってはッ!
…この程度は経験済。
ゆうすけは叫ばなかった。
斎藤和仁に挑んで来た過去の無謀者達のように、己を鼓舞する為の無意味な雄叫びを挙げ
なかった。
増田ゆうすけは最弱ではあったが、最弱であるが故に自分との闘いを既に終えていた。
斎藤和仁にとっては、この一点だけでも増田ゆうすけは評価に値する男だった。
増田ゆうすけは、ただ斎藤和仁を見据えて一言宣言する。
「オマエは俺が倒す。」
確かにそう言った。
背後からすれ違うオニヤンマを二本指で捕獲する斎藤和仁の超動体視力が、この程度の読
唇術を失敗する筈がなかった。
オマエ?
俺?
斎藤和仁の無意識が考える。
?
もしも、この繊弱な少年が自身の打倒を宣言しているのだとすれば…
どうやって?
斎藤和仁を倒す方法が存在するのなら、斎藤本人こそがそれを知りたい位なのである。
かつて、乾凛太郎(現・全日本柔道監督)は逆光を利用しての飛びつき三角締めで斎藤和
仁から奇跡の一本を奪取した事がある。
その時ですら、斎藤和仁の意識を数秒朦朧とさせ、左膝を着かせただけだった。
乾凛太郎は勝利の代償として、左肘と右鎖骨を握り潰され、アスリートとしての絶頂期の
2年を丸々リハビリに費やす羽目になる。
斎藤和仁は乾凛太郎を絶賛する。
「このチビ(181㌢108㌔)は命を賭して俺に土を付けた。 大金星ばい!」
同時に、斎藤和仁はこの時柔道に完全に見切りを付ける。
柔道は欠陥武道。
スローガンである「柔能く剛を制す」は嘘。
その証拠に、この斎藤和仁を誰も制する事が出来ないではないか。
あの時、乾凛太郎の喉を握り潰さなかったのは、弱者の捨身に敬意を感じたからである。
乾凛太郎は、あの日。
無差別級代表選考会の、あの日。
命と引き換えに、斎藤和仁の無敗伝説に一矢を報いるつもりだった。
あの眼は…
弱者のあの眼は、美しかった。
傲岸不遜の斎藤和仁ですら、乾凛太郎の覚悟の特攻には感動させられた。
だが、あの少年は違う。
あの眼は…
斎藤和仁を倒す事を前提とした眼である。
斎藤和仁。
何億回も何兆回も繰り返した事実を口にする。
「俺を倒せるのは俺だけばい。」
威嚇でも恫喝でもない。
単なる事実。
斎藤和仁が地上最強である事は立証済みの事実である。
増田ゆうすけは知っている。
自身の最弱を。
「僕は弱い。」
斎藤和仁も知っている。
自身の最強を。
「我こそが最強。」
互いに戦力分析には一分の狂いすらなかった。
この対決は、『虫ケラが懸命に跳ねれば天まで届くのか?』と云った性質の戦いである。
斎藤和仁の絶妙のポジショニング。
ただ、『立つ』と云うアクションだけであったが、増田ゆうすけの全ての突入ルートは封
殺されていた。
会敵2秒前。
遅すぎる決断ではあったが、増田ゆうすけは正面突破を正式決定する。
増田ゆうすけが斎藤和仁を真正面から打倒し異世界に突入する!
同刻同秒同刹那。
会敵2秒前。
増田ゆうすけの遅すぎる覚悟を察知した斎藤和仁もリミッターを外す。
『殺害』
この状況下で斎藤和仁が制圧する事は、この若者の命を奪う事を意味していた。
無論、斎藤和仁は微塵の躊躇もしない。
認めていたから。
初めて逢った時から、この若者を真の勇者であると認めていたから。
知っていたから。
初めて逢った時から、この若者とはこうなる運命である事を知っていたから。
間合い100メートル弱。
既に互いの有効射程距離内に入っている。
凄惨に、哀しさでも押し殺すかの如く凄惨に…
小倉の鬼が笑った。
『もしも警備が敷かれていた場合。 我々の派閥が負けたか潰されたを意味します。 サ
ポートは出来ません。』
京葉道路花輪IC付近には機動隊と陸自(しかもゆうすけの知識にすらない重装備だ)が配
備されている。
半径5キロが完全封鎖。
当然、交通網は麻痺している。
ドライバーに対するフォロー・説明一切なし。
状況を総合して鑑みるに、浦上一派は壊滅したと考えるのが妥当だろう。
ゲートは浦上一派の予報通り、花輪ICの幕張側に出現。
ゲート潰しを思案し続けたゆうすけでさえも、この精度は惜しいと思う。
そして惜しげなくこの予測技術を闇に葬った浦上一派の胆力に敬意を表する。
千葉中から掻き集めたのではないか?
と勘ぐってしまう位に警察車両が京葉道沿いに配置されている。
乗り口にやって来たドライバーを追い返している警官の口調は強いながらも、表情は釈然
としていない。
言うまでもなくゲートの存在は聞かされていないのであろう。
「緊急修繕です。」
とのみ機械的に告げる本人達が、その口実を信じていない。
花輪IC内には上下線共に陸上自衛隊が配備されている。
機動戦闘車が上下に2台ずつ。
隊員達は表情を殺しきっており、内情は読めない。
ただ、ゲートに近づく事は許されていないらしく、隊員達は忌忌し気に背後のゲートを盗
み見ている。
隊員達もまた監視対象であるのか、指揮車両に搭乗している背広姿の男が隊長らしき男に
しきりに怒鳴り散らして部隊の目線をゲートに向けさせないように命じている。
異常事態である。
更なる異常はゲート前に無造作に1台だけ停められた警察車両。
内部からの衝撃によって付けられた様に見える激しい損傷。
車体には福岡県警の文字。
そして、ゲート直前には巨漢の警察官が長身の部下を従えて腕を組んで仁王立ちしている
。
斎藤和仁である。
何故、このタイミングで福岡県警三人組がゲート前に張り付けられているのか?
各都道府県警の更に上位の指揮系統から緊急命令が出たからであろう。
想定する敵は当然、幌出絹。
考えたくない事ではあるが、この増田ゆうすけも仮想的に含まれて居る可能性はあった。
ある意味光栄ではあるが、あの老婆と同列に見られているとしたら、辛かった。
苦痛以外の何者でも無かった。
だが、それも理性が認めてしまっていた。
自分が正義だと信じてやっている行いが、あの老婆の口癖である【しぇいぎ】と何ら変わ
らない事を。
いや、浦上や桜田の捨て身の画策も、所詮は【しぇいぎ】に過ぎないのだ。
国家にとって悪ではないものは、正規の手続きに則った行為だけである。
今、増田ゆうすけは明白な意図を持って叛逆していた。
大型忍具・飛燕。
単なる違法改造ジェットパックに過ぎないが、少なくとも現在行っている飛行は航空法に
抵触していた。
ROM専用フルビューワーMk-Ⅱは大体の状況を捉えていた。
京葉道周辺に仕掛けた監視カメラが全て生きていてくれていたからである。
自衛隊指揮車両に搭乗する背広の男だけが、空を必死に監視していた。
隣の隊長らしき人物が釣られて空を見ようとするとヒステリックに叱責していた。
つまり、展開中の部隊までは空からの奇襲予測が伝わっていない。
ゲート前。
ゲート真正面。
一番厄介な場所に、最も厄介な男が仁王立ちしていた。
斎藤和仁。
偶然ではないだろう。
増田ゆうすけの突入コース上に立ち、まるでゆうすけを待ち受けるかの様に空を睨んでい
た。
目線の方向もほぼゆうすけの発射地点の方角である。
そして、斎藤に背を向ける形でその左側を固める男。
2メートルはあろうかと云う長身。
異常なまでに安定した体幹は生物である事すらをも疑うレベルである。
ゆうすけが密かに観察出来た範囲ではあるが、歩行の際でさえ正中線が微塵もブレていな
かった。
橋口龍。
恐らく日本拳法の橋口龍であろうと、増田ゆうすけは推測していた。
苗字が「ハシグチ」である事は斎藤・大西の呼びかけから確定済み。
そして、最悪の想像ではあるが、考えたくもない事であるが…
断片のデータを整合させればさせる程、この男が橋口龍である確信は強まっていっていた
。
橋口龍は十年前から記録に現れた男である。
日拳の記録を見れば、一時期、少年個人選手権・高校個人選手権と優勝者名を橋口龍が独
占している。
どれだけ調べても敗北の記録が見つからなかった。
少なくとも出場大会には全て優勝しており、日本拳法が防具有りのポイント制競技である
にも関わらず、殆どの試合をKOで決めている。
特筆すべきは、これだけの選手であるにも関わらず、日本拳法連盟が発信する全ての刊行
物・電子媒体の中に橋口龍の存在が確認出来ない点である。
この男の昆虫の様に無機質な目を見れば、その理由は明白であった。
少なくとも表に出していい男ではないのだ。
この橋口龍に対して増田ゆうすけは斎藤和仁以上の警戒心を持っていた。
大西に依頼して雑談の仲介人になって貰おうかとすら思った。
あの傍若無人の幌出絹すら、橋口龍に怯えている形跡が見られた。
無論、斎藤や大西も恐ろしい相手だったが、まだ彼らとは意思の疎通が可能だった。
橋口だけはわからない。
接触の端緒すら見いだせなかった。
斎藤の左側を大迂回する選択肢は自然に消えた。
本能が橋口龍から1㍉でも距離を取るべきであると叫び続けていた。
恐怖。
この原始のシグナルに増田ゆうすけも従う。
右側大旋回ルートを採りたかったが、その絶妙の位置に停車しているのが福岡県警のパト
カーであった。
不慣れな飛燕での低空旋回。
あの横向きの車両を回避する自信はなかった。
斎藤和仁を真正面から突破するコースを選択したのは、この光景をROM専用フルビューワ
ーMk-Ⅱで確認した上での苦渋の選択である。
柔道世界選手権無差別級五連覇。
97戦96勝1敗4殺
身長189㌢体重169㌔
握力 左161㌔(人類4位) 右測定不能
斎藤和仁。
修羅の国の全ての猛者共の、その更に遥か頂点に君臨する男。
「魔神」なる異名もあるが、一般的には「あの斎藤」と呼ばれている。
少なくとも、暴力の世界で「あの斎藤」と言えば、斎藤和仁のみを指す。
増田ゆうすけは、「この斎藤」を正面突破する。
生きてこの男を突破しなくては、異世界で刺し違える事は不可能であった。
増田ゆうすけの昏い瞳に一瞬だけ万感の想いが浮かび、やがて消えた。
その目はゆうすけ自身が警戒している橋口龍などよりも遥かに無機質で、もはや生き物の
目では無かった。
互いにとっての有効射程距離の100㍍圏内に入る。
先手は増田ゆうすけ。
殺意を持って動く。
それが「死ぬ」と云う覚悟ではなく、「殺す」と云う決定だったから。
対戦者の斎藤和仁は心中で微笑んだ。
「今時珍しい根性のある若者たい! (直訳 コロス)」
増田ゆうすけ、右腕を振りかぶり拳打の体勢。
殴るのか?
フェイクッ!!
拳打の準備体制に見せ掛けて、透明なグラスファイバー製の矢を射出していた。
上総忍法・犬槍ッ!!
戦場において槍を投げつけると云う、最も侮蔑すべき涜武ッ!!
武士の風上にも置けぬ卑劣漢ッ!!
卑怯者の代名詞・犬槍ッ!!
敢て、この名を付けたッ!!
勝利への執念ッ!!
名誉も尊厳も栄光も断じて求めないと誓っていたからッ!!!
だが、斎藤和仁は鼻で溜息を吐いて失望する。
「なーんね。 こんなん知っちょるばい。」
斎藤和仁の右手は最小限の動きで犬槍を捕獲。
ボーガンや拳銃で何度も撃たれて来た斎藤和仁にとって、この程度の忍術は手足を振り回
して喚く徘徊老人と同レベルである。
…この程度は経験済。
斎藤和仁は、その超重量と超怪力ばかりが話題になりがちだが。
超動体視力と超精密動作も武器として保有していた。
俺に勝てるのは俺だけばい。
証拠物件その1として、脇に捨てる。
毒を塗っていたとしても、即効性ではない。
犬槍、完全不発ッ!!
双方の距離が60㍍まで近づく。
増田ゆうすけにとっては、徐々に不利な間合いとなっていく。
中距離技の始動モーションが取れない。
ここまでは想定内ッ!
斎藤和仁、静かに待ち構える。
魔神は決めていた。
仕掛けるのは間合い15メートルの時点とする、と。
距離87㍍から距離51㍍の間。
ゆうすけの右手から鈍い光が微かに漏れていたのを斎藤和仁は見逃していない。
あれは隠し持たれた刃物の光。
御丁寧にも、刀身を黒く塗りつぶしている。
…この程度は経験済。
斎藤に刃物で奇襲を掛ける人間はここまでやる。
少なくとも、この程度で驚いていたら福岡県ではお荷物。
勿論、斎藤和仁にはこのパターンの敵を『鎮圧』した経験がある。
銃刀法では刃渡り5.5センチ以上の剣・匕首・飛び出しナイフの所持を禁じている。
だからこそ、増田ゆうすけタイプの策士は、ほぼ全員が5.4センチの刃物で武装している
。
故に、斎藤和仁は最初から知っていた。
増田ゆうすけは5.4センチの斬撃で真後ろから首筋を狙ってくると。
繰り返す。
斎藤和仁は、『増田ゆうすけが5.4センチの刃物を用いて真後ろから首筋を狙って斬撃を
放ってくる』と最初から知っていた。
そして、増田ゆうすけの右手に固く握られているのは…
斎藤和仁が最初から知っていた通りの、油性塗料で黒く塗られた5.4センチ刀であった。
双方の距離33メートル。
増田ゆうすけの身体が突然斎藤和仁の眼前に現れる。
上総忍法・影法師ッ!!
厳密には、斎藤和仁の眼前に現れたのは、ゆうすけが投影した立体ホログラム。
現在、世界でもアメリカ陸軍対テロ特務室だけが試験配備している、戦闘用立体ホログラ
ムを劣化コピーとは言え増田ゆうすけが準備していた。
そして、何の躊躇もない実戦投入!
千葉県千葉市は、世界初の立体ホログラム使用戦闘が行われた土地として、専門家用の戦
史に名を刻む事になる。
増田ゆうすけも、こんな粗雑なホログラムで斎藤をどうこう出来るとは楽観していない。
斎藤が反射的にホログラムを、掻き分けるなり、払うなり、厭うなりして、身体を左右ど
ちらかに捻る、その瞬間を狙っていた。
斎藤和仁。
戦慄すべき事に、本物の増田ゆうすけから刹那も目線を切らなかった。
映し出された5.4センチ刀の斬撃への反射運動をも押し殺す事に成功。
…この程度は経験済。
かつて、斎藤和仁は暴力団取締キャンペーン中に、投影されたベンツのホログラムとの時
間差を利用し突っ込んできた本物のベンツのアタックを超怪力を駆使して止めた経験があ
る。
(本来なら本部長賞ものの大手柄であったが、流石にあの時は『やりすぎた』。)
従って、増田ゆうすけの次の行動も容易に読める
読めるからこそ、重心はまだ動かさない。
初動で必殺する。
空中から柔道家に挑む暴挙ッ!!
「卵を地面に落せば割れる。」
それ位の当然の帰結。
これだけ愚かな展開もあるまい。
だがッ!!!
ここまでは想定内ッ!
そして、間合い18メートル。
斎藤和仁は石像であるかの様に動かない。
間合い17メートル。
微動だにせず。
間合い16メートル。
眉一つ動かない。
かと言って、硬直している訳でもない事は、斎藤和仁の泰然とした表情から一目瞭然だっ
た。
そして、斎藤和仁が動くと決めていた…
間合い15メートルッ!!!!
動かない。
様に見えた。
本能的に左側の橋口龍を恐れた増田ゆうすけは、不動の斎藤和仁の右側を小旋回するルー
トを取る。
斎藤和仁から5メートルだけ右側に逸れる。
それ以上、軌道を歪めるとゲートの中心に飛び込めない。
実はかなり苦しい微調整。
斎藤和仁が反応出来なければ、そのままゲートに突っ込む。
だが、5メートルの距離を何らかの手段を用いて詰めてくるならば。
『出して来た手の反対死角から首筋を切断。 完全に無力化した上で再ブースト』
ゆうすけ以外の他のどの忍者でもこうしたであろう、消去法的手段。
だが、斎藤和仁。
ここから本領を発揮する。
ゆうすけが『斎藤和仁は反応しないのか?』と思っていた瞬間には。
右に2メートルずれていた。
何時の間にか、スライドしていたのである。
その動きにあまりに無駄が無かった為、ゆうすけは『自分の目算が間違っていた』と錯覚
した。
そして、斎藤和仁。
仁王像の如く、微動だにせず。
右手だけがゆうすけの襟元を狙って超高速追尾していた。
ゆうすけ、刹那遅れのタイミングで斬撃体勢に移行ッ!!
だが、それが取らされた体勢である事は誰の目にも明らか。
増田ゆうすけ、愚かにも世界最強の目前で身を捻じり減速ッ!!
そして、見え見えの斬撃を首筋…
を放たされた…
5.4センチ刀が斎藤和仁の首筋に深々と突き刺さるッ!!!
訳も無く。
「残像ばい。」
斎藤和仁の巨大な体躯がテレビのスイッチでも押すように消えていたッ!!
更に、増田ゆうすけと同方向に身体を捻じりながら、同速度で飛び…
完全に背後を取っていた。
そして、斎藤和仁。
既に『裸締め』を繰り出していた。
杉の巨木を素手でへし折る超剛腕が、増田ゆうすけの細首にガッチリと絡みつく。
世界選手権5連覇の『裸締め』。
直訳すれば、『死』
相手が子供だから。
千葉は管轄外だから。
親しい顔見知りだから。
見込んだ若者だから。
どうやら、この若者は世直しを望んでいるらしいから。
そんな些細な理由は、殺さない理由にはならない。
斎藤和仁は、そんな不純な男ではなかった。
全力の裸締めッ!!
潰しながらッ!!
ヘシ折るッ!!
斎藤和仁の両腕が増田ゆうすけの首を確実に押し潰すッ!!
ここまでは想定内ッ!
この展開は読んでいた。
斎藤和仁と真剣勝負する状況があるとすれば、ゆうすけが機動力(飛燕)を用いるか、屋
内で毒ガス(涼雲)を拡散する展開のどちらかしかないと踏んでいた。
勝率の高い方の屋外戦に持ち込めた事は、天佑としか言いようがない。
一定以上の機動力を用いて斎藤和仁の背後を取ろうとした場合、斎藤和仁がその更に後ろ
を取って来る事は考えてみれば誰にでも解かる道理である。
『最強には最強の義務がある。』
少なくとも斎藤和仁がそんな美学を持っている事は一目瞭然だった。
断じて、相手の弱さに合わせて自分を貶めない。
絶対者である事だけが、果敢にも己に挑み散って行った勇者達への供養だった。
故に、斎藤和仁の勝利は絶対でなくてはならない。
その力は圧倒的でなくてはならない。
速度を武器に挑んで来た増田ゆうすけに対しては、速度で圧倒した上で屠る義務があった
。
背中取りを狙う相手であれば、こちらも背中を取らなくてはならなかった。
そして、奇策使いに対してはその全てを跳ね返した上で、万人が納得する必殺技で葬り去
る。
そんな美学を持つ男だからこそ…
100㌔以上軽い相手に対しての裸締めッ!!
斎藤和仁は、ここまでやるッ!!!
増田ゆうすけは、この展開を信じていた。
上総忍法・百足ッ!
自分の様な雑魚の殺害を敢て全力で狙ってくる柔道家が居るとすれば、「投げ」でも「極
め」でもなく頸部への「締め」(+そこから脛骨折りへの派生)を狙うだろう。
最も殺意を体現した技だからである。
ならば、巻き付く腕を利用する。
頸部の攻撃力が斎藤和仁の両腕の防御力を上回った時、奇跡は起こせる。
現に、自然界ではそうやって弱者が強者を日常的に虐殺し続けている。
毒ッ!!!
毒を屋内戦で使用する場合は一酸化炭素を使用する事に決めていた。
屋外戦で使う場合、拡散希釈する為に当然気体は使えない。
故に、トリカブト由来のアコチニンを相手の体内に直接打ち込んで殺す事に決めていた。
これは対筒状仮面戦には使えない。
『地球人は卑劣にも毒を使う』
と云う印象を異世界人達に与えたくないからである。
一方、斎藤和仁。
裸締めのフィニッシュに移行する直前ッ!!
意図を看破。
論拠は、背後を取られたゆうすけが、「首を庇う」と云う当然の反射を故意に押し殺した
事。
斎藤和仁の戦闘細胞が覚えていた。
19年前、自分の胸倉を故意に掴ませようとしたチンピラが居た事を。
その男を『どう始末したか?』までは流石に記憶していないが、チンピラのジャケットの
返しに鋭利な刃物が仕込まれていた事は細胞が覚えている。
その男の『攻撃を期待する雰囲気』を斎藤和仁は全身の戦闘細胞に刻み込み覚えさせてい
た。
…この程度は経験済。
背後から仕掛ける攻撃など、裸締め以外にも幾らでもある。
もつれ合って飛ぶ体勢を利用し、斎藤和仁は次善の技に移行する。
何の事はない。
このまま、彼我の全体重(223㌔)を掛けて、増田ゆうすけを側頭部から地面に叩きつけ
れば済む事。
頭蓋を砕いた衝撃の直後、跳ねかえった頸部をバウンドに合わせて手前に引いて圧し折る
。
両手を添えて、増田ゆうすけの左腕と頭部を完全に固定。
脚はインパクトの直前までロックしない。
頭部の受け身に集中させない為の工夫である。
増田ゆうすけの視界が『死』だけを映す。
勿論、柔道の世界王者に投げられる事は初体験だったが、生物としての本能が知っていた
。
視界に入っているこの角度と速度は死を意味する、と。
『死』まで僅か数センチ数刹那。
全身の動きは完全に封殺されていた。
ここまでは想定内ッ!
いや、想定内どころではない。
ここまで全て計算通りッ!!
斎藤和仁に屋外戦で勝利するには、13手の詰将棋が必要だった。
ここまでの12手は全て増田ゆうすけの術中ッ!!
そして、満を持して13手目を指すッ!!
斎藤和仁。
罠には気づいていた。
と云うよりも、増田ゆうすけが日常的に罠を張り続けるタイプの人間である事は初対面の
時から知っていた。
社会人になれば、嫌でもこの手の人種には遭遇する。
…この程度は経験済。
問題は、今の今に至るまでトラップの終着点が見えない事である。
結局は、何らかの形で斎藤和仁を無力化する必要はあるし、そんな事は不可能に決まって
いるからである。
俺を倒せるのは俺だけばい。
何度も確認した事実が脳裏に浮かぶ。
いや、この着想すらも忍術によって誘導されたものだとしたら?
不意に、本当に不意に斎藤和仁の視界が急反転する。
在り得ない光景。
斎藤和仁が、あの無敗の斎藤和仁が、魔神と恐れられる169㌔の最強の肉体が。
裏返されようとしていたッ!!
このオレが裏返る?
オレが裏返らされようとしている?
誰に?
この小僧に、なのか?
物理的に在り得ない光景だったが、確かに斎藤和仁の視界には流れゆく天がスローモーシ
ョンの様に映っていた。
ひょっとして、これが【投げられる】と云うことなのか?
全てを経験して来た怪物ではあったが、投げられた事はただの一度すら無かった。
柔道を学び始めた者は通常、最初に投げられる訓練をする。
だが、中学二年生の時点で120㌔を超えていた怪物・斎藤和仁はそれを鼻で笑って拒み。
叱責しようとした周囲を力づくで捻じ伏せていた。
教導を試みた平岡卓六段ですら、赤子同然に一蹴されていた。
自分より強い者はおろか、自分に教えを授け得る者にすら出逢った事が無かった。
故に、投げられる光景を見たのは、これが初めてだった。
無論。
それだけの事。
天神交番勤務時代に雑居ビルの6階から転落した経験を応用するッ!!
全身の筋肉を緊急総動員し、平衡感覚に従い身体を高速反転させるッ!!
そして、両脚で大地を踏み抜ッ…
そこに大地は無かった。
そこに大地はなく、斎藤和仁の頭部を未経験の衝撃が襲った。
いや、大地どころか、全身でロックした筈の増田ゆうすけの感触すら失われていた。
その衝撃が投げに拠るものだとすら理解出来なかった。
投げられた事が無かったから。
この地球上で斎藤和仁を倒せる男が斎藤和仁しか存在しなかったから。
だから、増田ゆうすけは、最初から【斎藤和仁に斎藤和仁を倒させる】事だけをゴールに
罠を張り続けていた。
答えは、実は斎藤和仁が既に出していたのである。
「俺を倒せるのは俺だけばい。」
斎藤和仁を倒すには、斎藤和仁を用意する必要があった。
このシンプルな結論に、この地球上で増田ゆうすけだけが辿りついてた。
それも、初見でである。
増田ゆうすけは、忍者だから。
本物の忍者だから。
所詮、アスリート達の言う【闘争】が【スポーツ】に過ぎない事を知っているから。
タネは至って陳腐である。
自身の後頭部から斎藤和仁の視界に『斎藤和仁が投げられている視界の映像』を投射した
だけの話である。
無論、斎藤和仁がこのタイミングの異変に完全に反応し、尚且つ最適解を実践出来る前提
に依存した作戦ではあったが。
その依存を不確定要素だとすら思っていなかった。
敵にすら信仰されてしまうのは最強の宿命なのである。
かくして、斎藤和仁の頭蓋は斎藤和仁によって砕かれた。
これぞ、上総忍法・杞憂ッッッ!!!!!!!!!!!
何度も繰り返すが、斎藤和仁はその生涯で一度として転がされた事が無かった。
全てを経験して来た男が、仮にも柔道史に最も深く牙を突き立てた男が。
皮肉にも投げられた経験だけは無かった。
強過ぎた故の未経験。
真の最強のみが比喩でなく君臨する境地、【不倒】
増田ゆうすけの想定通り、斎藤和仁は文字通りの【不倒】だった。
だから、ゆうすけが映し出した【投げられる自分の視点】に対応出来ず、ゆうすけのロッ
クを反射的に解いてしまった。
更に立体映像に瞬時に脳が対応ッ!!
凡夫であればそのままゆうすけの頭蓋を砕き終わってから驚愕していただろう。
だが、斎藤和仁は戦士として優秀過ぎた。
神速で脳が錯誤した。
瞬時に位置情報を脳が修正。
そこに正確に着地。
つまり、自らの脳天をアスファルトに叩きつけていた。
滑稽にも、斎藤和仁はそれが転倒だとすら気が付かなかった。
増田ゆうすけが何らかの打撃装置を自分の頭部に命中させたものであると錯覚。
転がりながら、次弾を警戒し瞬時に防御姿勢に入っていた。
完全に捕獲した筈の増田ゆうすけは、手元にない。
飛燕はとっくの昔に再加速されていた。
無様な体勢でよたつきながら、ゲートに向けてジェットパックダッシュを試みる。
斎藤和仁ほどの男であれば、自分の頭蓋を砕いた後、必ず逆光を背にして残心を取る筈。
従って、ゲートの方向はこっち!!
案の定、ゆうすけの頭部は真っ直ぐゲートを向いており!
ジェットパックが火を噴けば!
そのままゲートへ加速して走り込める!
虫ケラが天を引き摺り下ろしたッ!!!
増田ゆうすけの勝利ッ!!!!
圧倒的ッ!!!
圧倒的勝利ッ!!
…但し。
斎藤和仁に対しては、の話である。
増田ゆうすけは崩れ切った体勢からの連戦を強いられる。
何故なら、斎藤和仁の陣取っていた位置の、更に真後ろに大西武史が立っていたからであ
る。
表情は、邪気の無い笑顔だった。
そして、その笑顔が雄弁に物語っていた。
「君を待っていた。」
と。
増田ゆうすけ2連戦ッ!!
大西武史(176㌢ 110㌔) 空手 [福岡県田川市出身]
257戦239勝6敗12分7殺 VS 増田ゆうすけ (169㌢54㌔) 忍術 [千葉県匝瑳郡出身]
2戦2勝1殺
避ける事が出来ない。
迂回してスピードを殺す、と云う選択が取れない。
斎藤和仁に投げられている時に橋口龍がこちらを向こうとしている光景が見えてしまった
から。
その時の橋口龍の両手が右腰に瞬時に動いていたのを確認しているから。
通常、日本の警察官は左腰に警棒を右腰に拳銃を装備している。
そして、そのどちらを使用する場合においても、ホルスターから取り出す為に両手で武器
を一旦保持する。
橋口龍は警棒ではなく拳銃に手を掛けた。
当然だろう。
ここまで厳重に警備を固めている「ゲート」
接近する者に対しては、「発砲命令」ではなく「射殺命令」が出ている筈である。
そして、明らかに橋口龍は躊躇せずに撃てる人種である。
橋口龍の性格がゆうすけを始めとして万人の予想する通りのものであれば、倒れた上官を
絶対に気遣わないし助けない。
それどころか、屍を踏み台にしてでも戦場に駆けつけるだろう。
実際に橋口龍がそういう行動を取るか否かは兎も角。
そう云う印象を振り撒く男が、確実に死角から迫っていた。
結果として、斎藤和仁と真正面から闘い疲弊した心身で、真正面から大西武史を突破せざ
るを得なくなった。
誰がどう見ても、ゲートに入るにはその方法しか無かった。
繰り返す。
ゲートと増田ゆうすけの間には大西武史が立っていた。
笑顔である事はいつもと変わらない。
いつもの笑顔は若者の緊張をほぐす事を目的とした職業上の笑顔だったが、今日の笑顔は
違っていた。
目を掛けていた若者が本物であった喜び
獲物が、自分の前に辿りついてくれた悦び。
それも、まさか殺意を持った斎藤和仁を潜り抜けて自分に辿りついてくれるとは…
大西武史は歓喜していた。
増田ゆうすけが大西武史を警戒していない訳では無かった。
ただ、いつもの様に部下に立たせてパトカーの中で寝転がっていて欲しかっただけなので
ある。
斎藤・橋口の二人だけでもゆうすけの想定力のキャパシティを遥かに超えていたから。
だから、三人組全員の位置を想定すると云う初歩中の初歩を故意に怠っていた。
嘲笑すべき不覚悟であるが、笑っていいのはこの三人に独りで真正面から挑む勇気のある
者だけである。
ゆうすけの眼に映る大西武史は嬉々とした表情で拳を構えていた。
その表情からは、如何にこの男が敵に飢え、血に餓えていたが十二分に伝わってくる。
目的の為に死闘を繰り広げるのが増田ゆうすけならば、死闘を目的に彷徨い続けて来たの
が大西武史なのである。
50を過ぎてしまったと大西は言っていた。
その一言から容易に推理可能である。
大西武史は焦っているのだ。
戦士として満足する闘いが出来ないまま老いて行く己の肉体に。
その身体の動きは豹の様に俊敏で獰猛であったが、大西の表情が雄弁に物語っていた。
「若い頃のオレはこんな程度では無かったッ!!」
「こんな程度の男だとは思わないでくれッ!!」
「この際、増田ゆうすけでも構わない、オレの敵であってくれッ!!」
これが老いである。
かつての最強が、ゆうすけ如きを「敵」に設定しなければ自我が保てない。
大西の笑顔の仮面の下に見え隠れしていた、絶望と羞恥はもはや隠れてもいなかった。
そんな大西武史に最大の敬意を払うべく、ゆうすけは無意識ながらも大西の眉間を狙って
苦無状の暗器を射出する。
上総忍法・比翼
初弾の陰に本命の苦無を隠して打ち込む。
大西武史、増田ゆうすけの誠意と敬意を汲み取り心から感謝する。
ありがとう。
オレを殺そうとしてくれて
ありがとう。
戦闘の至福を一秒でも長く味わう為に、迫る苦無を愛でながら視認する。
無論、大西武史の視界には喉仏を狙った次弾は映っていない。
だが、信じていた。
増田ゆうすけの初弾は囮に過ぎない事を信じていた。
増田ゆうすけ程の男ならば、必ず全力を尽くしてくれる!
この土壇場でも、手を抜かずオレを殺してくれる!
オレが君でも必ずそうする。
ありがとう。
眉間への初弾を最小限の動きで躱しながら、躱した先の咽喉を狙って放たれた次弾を完全
に掴んでいた。
毒が塗られている事も想定していたが、それでもこの手で若者の誠意を受け止めてやりた
かった。
ありがとう。
即効性の毒が回るよりも早く、自分は増田ゆうすけを殺害出来る事を知っていた。
万が一にも、この大西武史の拳速が、大西武史の五体を駆け巡る血液如きより遅い訳があ
ろう訳が無かった。
ゆうすけがほぼ惰性で打ち出した拳を大西は捌く。
こんなに軽い拳で自分に挑んでくれた事に感謝する。
ありがとう。
斎藤和仁、橋口龍、そして大西武史。
オレ達三人を目の当たりにして、最初から最後まで理性に基づいた戦意を失わずにいてく
れた、この若き勇者に感謝する。
ありがとう。
空手の教科書にでも出て来そうな、理想的な「さばき」。
綺麗な円を描いてゆうすけの背がアスファルトに落される。
そのモーションのあまりの美しさに、衝撃すら起こらなかった。
ありがとう。
転がすと同時に大西武史の靴底が増田ゆうすけの肩口に乗せられていた。
完全なる制圧である。
踏まれた側が微動も出来ない位置を正確に大西武史は踏み付けていた。
ありがとう。
その巨大な拳が。
斎藤和仁とは異なり、拳打に特化した異常な形状の拳が振り上げられる。
ありがとう。
狙いが心臓である事は疑う余地も無かった。
モーションから読んだ訳ではない。
大西武史の拳は命を打ち砕く為の拳であるからだ。
必然、心臓を狙う。
ありがとう。
南北朝時代に九州で自然発生したその技には、名前が無かった。
甲冑の上から心臓を殴り、相手の身体機能を確実に止める技術。
ありがとう。
荒ぶる筑紫島の猛者達にとって、それが日常であり続けた為に。
皮肉にも、その技には名前が無かった。
ありがとう。
大西武史の拳が真垂直に落ちるッ!!!
ありがとう。
豊臣秀吉の九州平定戦に従軍した堀久太郎秀政は、九州の様々な蛮風を淡々と記録して後
世に遺したが、その技についても書き残している。
ありがとう。
『しまづのさむらひを始めとして九州のさむらひは、むしゃの首獲る折。
土中に杭を押すが如く拳骨でむしゃの胸をたたく。
首獲りにおいてすらかくのごとく也』
ありがとう。
増田ゆうすけの眼はこの期に及んでまた諦めていない。
その証拠に右足を跳ね上げ、大西がマウントポジションに移行する動作を取る事を妨害し
ようと試みていた。
ありがとう。
一時だけ、上方武士達の間でその技が話題となった。
だが、九州武士との親交機会が増えるにつれ、政治上・交誼上の配慮からその話題は自粛
され、自然消滅した。
ありがとう。
斎藤和仁の為にとっておいた秘密兵器を君に使う。
ありがとう。
今となっては僅かに大東流の文献にのみ、その名を残すロストテクノロジー
ありがとう。
増田ゆうすけ、ガード不可を悟り対ショック姿勢に移行ッ!!
ありがとう。
その技の名は、堀久太郎の手記からそのまま採られていた。
ありがとう。
オレだけが取り戻した、オレだけの原始ッ!!
ありがとう。
『対斎藤和仁用決殺奥義』
ありがとう。
オレだけが辿りついた、オレだけの原始ッ!!
ありがとう
『押杭』
どぐちゃっ。
幌出絹の到着はその20分後である。
背負ったジェットパックは使用せず、徒歩でトコトコと歩いて来る。
風の様に撤退して行った陸自とは丁度入れ違いだったらしい。
「社長ッ!! どこへいっちょったとですか! 折角、陸自の人達が社長を撃ち落とす準備してくれちょったのに!!」
斎藤和仁が頭部からの流血を雑巾で拭いながら一喝する。
「いや、お腹しゅいてたからラーメン食べててんけど…」
幌出絹がキョロキョロと周囲を見渡す。
「あれ? 異世界は?」
「黒っぽいボールの事なら、もう消えたとです。」
斎藤和仁が不愛想に答える。
「あっ、しょう。」
幌出絹もそこまで異世界に執着がなかったのか、すぐに納得する。
「増田クンはどないしたん?」
「いや、大西さんが殺しちゃったとですよ… 本当は私らも陸自さんも社長を待ち伏せしてたのに~」
斎藤和仁が溜息交じりに答える。
「斎藤ッ!! 殺しちょらんて! 心臓止めただけ! 心臓止めただけ! 斎藤ッ! ちょー!」
パトカーの中の大西武史が寝ころんだまま叫ぶ。
「あの人は昔から暴力的なんですよ。 未成年の心臓止めるとか考えられんとですよ。」
斎藤和仁が腕を組んだまま語る。
「ホンマやねえ。 社会人やねんから、もっと常識的に振る舞って貰わんと…」
幌出絹も大きく頷き賛意を表する。
この年。
日露両国は異世界技術の取得を事実上断念。
振り分けられていた予算は、再び通常兵器の生産開発に戻される。
両国で少なくない数の関係者が更迭され、世界はいつもの希望無き日常に戻った。
大西武史が自身の心臓を止めた経験は一度しかない。
それも遊びで数秒止めてみただけである。
一方、増田ゆうすけは毎日心臓を止める訓練を行い、7.1秒までであれば自在に心機能を
停止させる事が出来る様になっていた。
勿論、この訓練に使い道は無かったが、
『自身でさえ使い道が解らない技術だからこそ、何かに使える。』
と確信して日々の訓練に勤しんでいた。
押杭は明らかに心臓を狙ったモーションだった。
故に、それを見た増田ゆうすけは、反射的に心臓を止めた。
結果。
『【動いている心臓を止める技】が止まった状態の心臓に当たった』ので、押杭は増田ゆ
うすけの命を奪えなかった。
勿論、大西武史がその気になれば幾らでも追撃を掛ける事は可能であった。
そもそも、大西武史に下っていた命令は、ゲートに接近する者の殺害なのである。
(但し、残念ながら幌出絹を大西が殺害する事は厳禁されていた)
だが、増田ゆうすけの心臓を止めた時点で、大西武史の中では命令を一応守った事になり
、それ以上を大西は望まなかった。
死体がうっかり異世界側に飛んで行ったことまでは、一公僕たる大西武史の関知する事で
はない。
「増田ゆうすけ」
その名を大西武史は噛みしめる様に呼び。
パトカーの助手席に足を載せたまま、哀惜の為に黙祷した。
最初に増田ゆうすけの視界に入って来たのは縦巻の必死の表情である。
ゆうすけの肉体は安産と縦巻に支えられながら、超高速でゲートを移動していた。
「…あ、早」
思考が言語にならない。
脳も含めて激しく疲労していた。
(僕は、俺は、僕は…
あれ、オレの一人称って何だっけ?
普段、日常会話で、僕は自分の事、何て呼んでた?)
安産がゆうすけの頬を叩いている。
焦点?
俺の目の焦点が合ってないから心配しているのか?
(いや、そもそも。 ボクが他人とまともに会話し始めたのって…
異世界に行ってからだなあ。)
つい最近出逢った斎藤和仁や幌出絹とは随分話し込んだ気もするが…
『オマエは俺が倒す!』
斎藤に切った啖呵が脳裏に浮かぶ。
「俺さあ。 斎藤さんに凄い事言ったかも知れない」
最初に言語化出来たのは、安産への軽口。
安産は一瞬戸惑った表情を浮かべたが、すぐに表情を引き締め叫んだ。
「激突します! 対ショック姿勢ッ!!」
いつも沈着な安産にしては切羽詰まった叫び声が響き、縦巻と二人でゆうすけを抱きしめ
る。
『ああ、確かこれって 爆乳クッショ…』
ドゴオオッ!!!!!!!!!
という擬音でも使って表現すれば良いのだろうか?
轟音が突如起こった。
ゆうすけは、その恐ろしい爆音に身を竦める。
だが、連想した衝撃は無かった。
全ての衝撃を爆乳が吸収したのだろう。
轟音の直後、4つの爆乳から放り出されて、増田ゆうすけは仰向けに転がる。
空、懐かしい、禍々しさ。
『俺は異世界に帰れたんだ。』
そう自然に思った。
それがスイッチになり。
増田ゆうすけは完全に増田ゆうすけに戻った。
「無事ですか!?」
素早く起き上がったゆうすけは、安産達に呼び掛ける。
現状は完全に把握した。
『大西武史に心臓を止められたまま、僕は仮死状態となった自身をジェットパックでゲー
トに放り込んだ。
恐らく蘇生措置は包帯と安産が行ってくれたのだろう。
だが、加速が付き過ぎ、異世界側への射出スピードが洒落にならないものになってしまっ
た。』
こういう事である。
「わ、私は…」
縦巻がゆっくりと右手を上げる。
安産はうつ伏せに倒れたまま動かない。
額の真下に血が広がっている。
「○▽◇×●!!!!!」
異世界語で悲鳴を上げる縦巻の腿を安産が掴んで安心させる。
「取り乱して申し訳ありませんでした。」
縦巻はすぐに呼吸と感情を整えると、安産から目を切り状況確認を始める。
「…ゆうすけ、姿勢を低くして目立たない様に。」
ゆうすけは縦巻の爆乳に抑えられて、頭を下げた。
安産は倒れた姿勢のまま自身の全身をチェックしている。
一瞬、目が合うも安産の意識は鮮明なようであった。
「敵地ですかここは?」
「いや、あの女が… 私達の来着を知らせた可能性が無い訳ではありませんから。」
「そうですね。 本来、それがあの人の役目ですものね。」
いや、それはない。
包帯は決してゆうすけ達の来着を異世界側には報告しないだろう。
『…アンタを迎撃する準備をしなくちゃいけないからね。』
『あの女がああ言った』と云う事は…
異世界政府軍 「か ら は」 、絶対にこの場所で迎撃される事はない。
縦巻は素早く周囲360度を見渡していた。
表情から察するに、包帯は『ここでは』待ち伏せていないらしい。
どうやらここは首都の外れであるらしく、退役軍人(的なポジションの異世界人)の集落
が点在している地域とのことであった。
「敵地ですか?」
「うーん。 そうとも言い切れないんです。 首都勤務を終えた人って、基本的に情勢に興味無いんですよね。」
その割に周囲を探る縦巻の挙動に警戒心が溢れている。
恐らく「通常の場面」であれば、縦巻の様な非政府勢力にとってそこまで危険な場所では
ないのだろう。
ただ、増田ゆうすけにとっては話は別である。
どう考えても、賓客の対極の存在として認識されているだろう。
1、将軍の誘いを断った。
2、異世界政府を突破して地球に帰還した。
3、一貫して非政府勢力と行動を共にしている。
4、異世界政府にとっての客将である筒状仮面の殺害を宣言している。
考えれば考える程、自分は異世界にとっての不安要素でしかない。
要は、今の自分はカネを持ってない幌出絹の様なものなのである。
生かされる理由すら見えて来ない。
ゆうすけ達三人はしばらく思考停止して硬直していた。
三人共、地球ボケで頭が回らなかったのである。
すると例の巨牛が数騎駆けて来る。
タイミング的に敵かと思ったが、それは片眼鏡と軍服だった。
口振りから察するに、この位置へのゲート出現を予測してくれており、拾いに来てくれた
ようだった。
「乗れッ!」
軍服が縦巻と安産を力ずくで掴みあげる。
今更ながら、異世界人の膂力に感心する。
「何でこんな場所を選んだのよッ!」
片眼鏡が左腕一本でゆうすけを牛の背に引っ張り上げる。
そして、ゆうすけが牛の背に乗ったのを確認した瞬間、二騎は駆け出した。
「ここはまずかったですか?」
「昨日までここは戦場だったのよ!」
増田邸が幌出絹の焼き討ちを受けていた頃、異世界人は戦争に勤しんでいたらしい。
物騒な世の中である。
「誰と誰が戦争してたんですか?」
「『地球人を今殺す派』と『地球人をすぐに殺す派』よ。」
「…お、おう。」
「色々な派閥が入り乱れて首都に向けて進軍しているわ。 かなりヤバい状態。」
「ちなみに、貴女はどっちの派閥なんですか?」
「私は一貫して『地球人を今すぐ殺す派』よ? 中々、理解者が増えなくて困ってるの。」
「…なるほど。」
異世界人が何を言っているかはさっぱりわからなかったが、言いたい事は大体理解出来た
。
「皆さん、あれからお変わりなく?」
あれだけの事をやらかしておいて、『お変わりなく?』もないものだが、ゆうすけなりに
責任は感じているのである。
「まあ、相変わらずよ。 異世界戦線異状ナシ。」
軍服は完全に軍籍を剥奪されたらしい。
士官学校首席卒業の記録も遡って抹消。
今は単なる軍服コスプレお姉さんである。
ガンベルトは去年まで親しくしていた仲間と再合流を果たしたらしい。
ゆうすけが持った印象に反して、彼女は元々テロリストとしてはかなり著名な存在だった
らしく、首都西部の山岳地帯を根城に矯激な「反」政府戦を開始したとの事だった。
最終的には殺されるだろう、との事。
ロリは即位したらしい。
どうやら、あの少女は、『貴人の子種』から生まれた子供だったらしい。
ちなみに、ロリの産みの親は安産。
併走する牛の上で安産が顔をしかめている所を見ると、政治的には悪手に近い措置だった
らしい。
いずれにせよ、貴人の遺臣達が脇を固めてしまって、非政府勢力の立場からはコンタクト
のとりようもないらしい。
将軍は政治的混乱を忌避したのか、一族郎党を連れ首都を離脱。
乳母の故郷である湖沼地帯で割拠。
片眼鏡の例える所によると、『西南戦争前夜の西郷隆盛の様なポジション』に収まってい
るらしい。
ここまで地球知識のある女が『今すぐ殺す派』なのだから、善良な地球市民たる増田ゆう
すけとしては内心穏やかではない。
ベリーショートは御懐妊。
出産に備えて疎開中とのこと。
相手は当然、この片眼鏡である。
「あ、おめでとうございます。」
「ありがと。 ちょっと時期が悪かったけどね。」
「申し訳ないです。」
「何が?」
「いえ、大事な時期にこちらを騒がせてしまって。」
「地球は? 騒ぎにはなってるの?」
「いや、僕の家が焼き払われてしまって…」
「御愁傷さま。」
「後、ロシア人っぽい人に追いかけ回された位です。」
「何? また戦争になってるの?」
「いえ、僕だけピンポイントで…」
「じゃあ。 地球の厄介者は君だったのね?」
「ええ、まあ、自分でもそう思います。」
「良かったじゃない。 君がここで死ねば、地球は平和よ。」
「ですよね。 それでですね? 出来れば、仮面の人にも平和構築に協力して貰いたいんです。」
「やっぱり殺すの?」
「まあ、その為に帰って来ましたし。」
「『帰って来た』ねえ。」
「あ、すみません。 図々しい物言いでしたね。」
「別に。 いいんじゃない。」
片眼鏡の言葉は妙に温かみがあり、それが却ってゆうすけに『どのみち自分は消されるの
だろう』と確信させた。
雑談を装いつつも彼女は片眼鏡の金具部分にゆうすけの表情を映して執拗な観察を行って
いた。
相手は馬鹿ではないし甘くもない。
その後の事も色々と考えてはいるのだろう。
どのみち殺されるなら、こちらも国益(地球益?)は確保しておきたい。
「ただ、仮面さんをどうこうするのはかなり難しいよ。」
「?」
「今、護衛に張り付いてる女が… 将軍と並ぶ手練れだからね。」
「将軍に匹敵する人が居るんですね。 流石に異世界は層が厚い。」
「そうかな? 狭い世界だよー。 何せ、君も良く知っている相手だ。」
「…。」
MIA認定されて四天王を除籍された包帯の後釜にはピンク髪が据えられた。
と云うより、彼女から売り込んだらしい。
非政府勢力とピンク髪は完全に決裂。
仲の良い従姉妹であったガンベルトとの友誼は、もう取り戻す事は出来ないであろうとの
こと。
片眼鏡が語る所によると、ピンク髪は人格的には兎も角、戦士としては異世界中から絶賛
される力量を持っていたらしい。
過去に2度斬り結んで生き残っている。
互いの妻が殺され合っている。
将軍とそんな因縁関係を持てる程には、ピンク髪は猛者であった。
…そのピンク髪が筒状仮面を護衛している。
状況はそんな所である。
「銃の試射をしたいのですけれど。」
「種類は?」
「えっと、トカレフと言って…」
「知ってる。 アニメで良く出て来るから。 何? 銃刀法とかクリアしてるの?」
「いや。 どうも父が違法に所持していたらしくて。」
「それを貰ってきたの?」
「いや。 貰った、というか… 勝手に持ってきました。」
「幾らなんでも親の物を盗むのは良くないんじゃない?」
「…はい。」
「君は口が上手いから、色々言い訳するんだろうけどね。」
「いえ、流石にこれは言い訳の余地がないです。」
「ないね。」
「申し訳ありません。」
「いいよ。」
「は?」
「試射がしたいんでしょ? 場所、探してあげる。」
片眼鏡の意外な寛容にゆうすけは少し驚く。
「ありがとうございます。」
「勘違いしないで。 地球の武器の実物を見ておきたいだけ。」
「お役に立てればありがたいです。」
「役に立つって事は、それだけ地球人が死ぬって事だよ?」
「…。」
「ゴメン。 意地悪な言い方だったね。 今ね、みんなピリピリしてる時期なのよ。」
「…いえ。 お察しします。」
結局、片眼鏡の提案で近くにある老牛の群生地でトカレフの試射をさせて貰える事になっ
た。
首都に僅かに人脈が残っている軍服にも立ち会って貰う。
筒状仮面の居場所については、縦巻が聞き込みで突き留めてくれた。
どうやら、首都北門付近の岩石地帯で蠢動しているらしい。
ピンク髪の姿も頻繁に目撃されているというから、護衛に専念しているのかも知れない。
標的の目星もついたので、心置きなく試射に専念する。
増田ゆうすけに恐らく射撃の才能は無い。
他に何の取り柄もないのに、都合よくピストルだけが上手に扱える筈も無かった。
娯楽半分に集まったギャラリーに大声で増田ゆうすけは警告する。
「僕は凄く鈍臭いです!」
一同 「わはは。」
「いや、笑い事じゃないです。 そこの赤髪の人、射線上から出て下さい。」
ここで異世界人を誤殺してしまった場合、事態の予測が出来ない。
基本的に自分は異物なのだ。
ゆうすけは、再度念を押す。
今から異世界の生物を止むを得ず殺害するが、自分を始めとした地球人は異世界への害意
を(多分)持っていない、と。
それとなく異世界人の反応を観察してみると、縦巻の様に好意的な目線を送ってくれてい
る者が全体の6割位。
3割は冷静にこちらに観察している。
安産もこの部類に入る。
そして、残りの1割は嫌悪と憎悪の混じった様な目線で、こちらを「監視」していた。
教養階級であろう片眼鏡は表面上平静を装っていたが、あからさまに睨み付けて来る者や
、ツブーテを握りしめている者も居た。
その手続きを踏んだ上で、老牛を撃つ。
距離は5メートル。
それ以上接近した状態での殺し合いに勝つ自信が増田ゆうすけにはない。
異世界人程でなくとも、筒状仮面はそこそこ大柄だったからである。
やはり中距離戦で決着を付けるべきであろう。
ダッ!
とゆうすけの耳に聞こえた銃声。
老牛がその巨体に似合わず甲高い悲鳴を上げて跳ね上がる。
思わず、ゆうすけは飛びのく。
眉間から出血。
命中。
但し、狙ったのは隣の牛。
意外に難しい。
(僕が鈍臭いのか?)
やはり、アニメの様にはいかない。
悩んでいる間に牛が出血する。
しかし、その量は思ってたほどではない。
ただ、老牛は苦しそうに前足をバタつかせながら地に伏せて悶える。
その悲鳴、絶え間ない。
地球生物なら即死する位置だが…
これで死なないのか…
異世界人が一斉にゆうすけを凝視する。
…失敗した。
先程好意的な態度を取ってくれた連中も眉を顰めている。
『…地球の兵器には異世界生物に苦痛を与える威力がある』
改めて、異世界人がその事実を認識した。
良く通る異世界語で片眼鏡が群衆に語り掛ける。
「ほらね、私の言ったとおりでしょ。 地球人は危険なのよ!」
とでも言っているのは一目瞭然である。
縦巻が大声で反論しようとするが、群衆の支持を背後にした片眼鏡に制されてしまう。
安産が周囲の取り巻きに命令して、老牛に止めを刺させる。
群衆は一応それで収まったが、彼女達の表情は一様に不信感に満ちていた。
更に安産は群衆に呼び掛け、解散を呼び掛ける。
余程、安産の発言力が強いのか、見物人達はチラチラとゆうすけを盗み見ながら去って行
く。
…痛恨のミス。
完全に地球側の心証を損なった。
現時点でゆうすけに出来る事は、この話が拡散しない事を祈るだけである。
「増田ゆうすけ君。 …感謝するよ。」
上機嫌で片眼鏡が話し掛ける。
「…。」
「そう怖い顔をしないでよ。 君はこの世界を正しく啓蒙してくれた。 私は感謝しているのよ?」
「…地球人の危険性をアピール出来た、という訳ですね。」
「まあね。 表彰状でも書いてあげようか?」
「…。」
「君が地球を守る為に形振り構ってられない様に、こっちもそうなのよ。」
「仰ることは理解出来ます。」
「今の絵面はインパクトあったわ。」
「でしょうね。」
迂闊だった。
片眼鏡が試射に協力姿勢を見せた事の裏を読むべきだった。
…一つ一つの思考が粗雑過ぎる。
捨て鉢になってるのか、僕は?
「仮面の人の話なんですけど…」
「うん。」
「貴女は仮面の人が居なくなることは… 反対ではないんですよね?」
「先に言っておくけど、協力はしないからね?」
「雑談くらいには付き合ってくれてもいいですよね? 表彰状代わりに。」
「あはは。 そうね、付き合ってあげる。」
「僕が仮面の人を殺した場合… 上手くフォローして貰えませんか?」
「フォローと言うと?」
「いや、例えば… 地球人は異世界人に危害を加える意図がない… とか。」
「うーん。 無理があるわね。 自覚あるかな? 君達って… 私達から見れば頭のおかしい狂暴生物なのよ? しかも、遺伝子は劣等で遺す価値もない。」
「ええ、存じてます。 そこを何とか…
僕の顔に免じて…」
「あはは! 君の顔に免じて? あはははは!!!」
「駄目ですか?」
「あはははは! …君、アニメより面白いよ。」
「恐縮です。」
「いいわ。 【地球人は異世界人に危害を加える意図はない、と地球人が思われたがっていた。】
と伝えておきましょう。」
「…。」
「不満なの? じゃあ、サービスしてあげる。 【増田ゆうすけが仮面の人を殺したのは、異世界と地球の接点除去に繋がると信じたから
】 これでいいでしょ。」
「ありがとうございます。 最後に貴女と再会出来て良かった。」
「どういたしまして。 でも、私は君達の敵。 そこは勘違いしないでね?」
「…はい、いえ。 はい。」
「ははは。 意地悪ばかり言っちゃって悪かったわね。 だから、最後くらいは親切にお別れしてあげる。」
片眼鏡が優し気な表情になる。
「君が最後に再会するべきなのは… 私じゃないよね? 本当は君はあの子に逢いたかったから帰って来たんだよね?」
「…多分。」
「あの子も、君を待ってるよ。 多分、あの子… その為に。」
「まさか。」
「ふふ。 信じないのは君の勝手。 でも、信じたいなら信じなさい。 もし、君があの子の立場で… 君を待ってるとしたら… どこで待つ?
最後はどうする?」
「…。」
「ヒントはここまで。 後は自分で解決しなさい。」
言うなり、片眼鏡は牛に飛び乗る。
「ありがとうございました。」
「御礼を言われるような事はしてないけどなあ。」
「それでも、貴女には感謝してます。」
片眼鏡はしばらく、穏やかな笑顔でゆうすけを見つめていたが、そのまま無言で牛首を翻
した。
騎影はすぐに地平に消える。
片眼鏡は、戦争に行くのか? 工作を仕掛けるのか? それともベリーショートの出産に
立ち会うのか?
いずれにせよ… もう逢う事もないだろう。
しばらくして、姿の見えなかった縦巻が戻る。
群衆を説得してくれていたらしい。
ただ、その申し訳なさそうな表情を見る限り上手くは行かなかったようだ。
軍服が戻って来て、安産に何事かを耳打ちする。
曇っていた安産の表情が更に曇ったので、事態は悪化し続けているのかも知れない。
軍服と安産を中心に議論の輪が広がる。
どうもこの辺の顔役が集まっているらしい。
ゆうすけが手近な岩場に腰掛けて話が終わるのを待っていると、縦巻がやって来て隣に腰
掛ける。
「話に参加しなくていいのですか?」
「…。」
縦巻が無言のまま弱弱しく微笑む。
どうやら、彼女は完全に群れから疎外されてしまったらしい。
原因は明白である。
異分子である増田ゆうすけの肩を持ち過ぎた。
「ゆうすけ… もう少しだけ生きませんか?」
縦巻が申し訳なさそうな、諦めた様な口振りで誘う。
「…。」
ゆうすけは、何も言えず無理に笑顔を作ろうとした。
無論、その試みは失敗。
今まで眉間に皺を寄せて生きてきたツケだった。
縦巻が諦めたように呟く。
「首都上空に巨大なゲートが発生し始めているそうです。」
「あの人ですか?」
「あの子です。」
ピンク髪の歪んだ笑顔がゆうすけの脳裏に浮かぶ。
いや、今のピンク髪は… きっと真っ直ぐな表情をしている事だろう。
「ゆうすけは… あの子を選ぶんですね。」
「選ぶ? 僕は問題を解決したいだけです。」
「ふふふ。 あーあ。 私も『問題』になれてれば、ゆうすけに見て貰えたのに。」
縦巻が無邪気に笑う。
その様子を見て、遠くに居た安産達が縦巻を睨みつける。
「そんな。 問題だなんて。 異世界にとっては、僕の方が遥かに…」
言い掛けてゆうすけは止める。
『そうか、俺は誰かに構って欲しかっただけなんだ。』
改めて自覚して、改めて傷つく。
何故か幌出絹の耳障りな声が脳裏に響く。
『ウチはちぇいぎしたいだけ!』
癪なので可笑しみは噛み殺した。
「別に選ぶとか、そういうのじゃないんです。 ありもしない役割を果たせるのなら、それはありがたい事だと思っているだけです。」
我ながら、滅茶苦茶な理屈である。
だが、【ありもしない役割】と口に出してしまった事によって、引っ込みすらつかなくな
ってしまう。
「僕は疲れました。 最後に世界救済ごっこをしてから… もう死にます。」
「ゆうすけは… 本当に世界を救っていると思います。」
「そう言って貰えると… ホッとします。」
嘘ではない。
縦巻にはいつも救われている。
「ゴメン。 いつも貴女に護って貰ってます。」
「好きでやっている事です。」
二人で微笑み合う。
お互いに手を取ろうとして、背後に気配を感じ二人で慌てて振り返る。
そこには無機質な表情の軍服が居た。
いつから、そこに立っていたのだろう。
そして、彼女は何を思うのだろう。
「増田ゆうすけ。 約束通り情報を提供する。」
乾いた声で軍服が宣言する。
縦巻が不安そうに軍服に縋ろうとするが、軍服は縦巻に対しては目線すら合わせない。
「君が狙っている仮面の男が、昨夜から首都正門と岩石地帯を頻繁に往復し始めた。」
「往復? 洞窟の外に出てるんですか?」
「ああ。 何らかの事情があって外に出なければならない状況にあるのだろう。」
「…。」
「護衛は一名だけ。 素性に関しては、今更説明するまでもないな?」
ピンク髪が一人で護衛?
何だ?
筒状仮面は異世界政府の賓客ではなかったのか?
「首都上空に発生したゲートは、微速で下降を続けている。 恐らく、首都内にゲートを固定させる目論見があるものだと推測される。」
「それは… あなた方にとって困る事なんですよね? ゲートが首都内で独占されてしまう事は?」
「…判断が付かない。 裏切者とは言え、長く行動を共にしていた女の行動だからな。 本当に判断が付かないんだ。」
軍服が表情を押し殺す理由が理解出来る。
「貴女はあの人と… そんなに付き合いが長いのですか?」
「アレは私の妹に当たる。 腹違いであり種違いだがな。」
「あの人は… どんな人ですか? その… 考えを知りたいんです! あの人が何を考えているのかが解かれば、対策のし様もあると思うので…」
言い訳がましく話すゆうすけを無言の軍服が虫でも観察する様な眼で見下していた。
しばらく、沈黙が流れて。
「君に似ているよ。 承認欲求以外は何も持ち合わせていない空っぽの… 下らない女だ。」
「…僕は。」
「早く行ってやれ。 アレが待っているのは君だ。 それが解らない程馬鹿な男でもないのだろう?」
「…はい。 色々とお世話になりました。」
「…地球との。」
「ええ。」
「…何でもない。 忘れてくれ。」
「ありがとうございました。」
「…健闘を祈る。」
そう言い捨てると、軍服は身を翻し立ち去った。
安産が牛を三匹連れて来る。
どうやらギリギリまで同行してくれるらしい。
安産曰く、「洞窟と首都裏門の間の街道を見下す事が可能な地点がある。」とのこと。
安産はその地点までゆうすけを送迎する。
そこまで安産が説明した後、縦巻と安産が異世界語で口論を始める。
内容は想像が付く。
恐らく縦巻は、ゆうすけと決行を共にしようとしてくれている。
勿論、そんな暴挙が許される筈もないので、安産がそれを叱責している構図であろう。
『増田ゆうすけと筒状仮面の私闘の決着が偶然異世界で付いてしまった。』
このタテマエ以外で筒状仮面を殺害する事は出来ない。
異世界人の縦巻の助太刀を許せば、強引極まりないタテマエさえも崩れてしまう。
ゆうすけは縦巻の助太刀を改めて謝絶する。
縦巻は不満を隠さない表情である。
恐らく、この女もついでにこの場面で死ぬつもりなのであろう。
馬鹿の命が安いのは全世界共通の事である。
増田ゆうすけは、安産に最後の念押しをする。
広めて欲しいプロパガンダは以下の通り。
『増田ゆうすけと筒状仮面の間には地球での深い因縁があり、偶然異世界で再会して決闘
に発展してしまった。』
これまでのゆうすけの言動とは多少の齟齬も生じるが、これが現時点でもっとも無難なカ
バーストーリーであった。
眉を顰めながらも安産はこの案を了承。
「無難ではあります。」
と、素っ気ない返答。
岩石地帯は騎走で4時間も掛からない位置にあったので、縦巻と他愛のない雑談を交わし
ながら牛を飛ばした。
最後だからであろうか、安産ももはや咎めない。
途中、ゆうすけの牛がへばったので縦巻の牛に同乗させて貰う。
異世界の古俗では、戦時でもないのに牛に同乗する事は、本来『特別な関係』である事を
意味するらしい。
その話を肴に、縦巻と猥談に興ずる。
本当に下世話で幼稚な会話だったが、そのおかげでゆうすけの心理状態は完全に余裕を取
り戻した。
あまりに猥談が盛り上がった為に、岩石地帯までの長い騎走は全く苦にならなかった。
もしも、増田ゆうすけに最後の安息を与える為に、縦巻が会話を誘導してくれたのだとし
たら…
もしも、そんなゆうすけと縦巻に気を遣って、安産が離れた位置で哨戒走行してくれたの
だとしたら…
感謝。
ただ、感謝。
今は、皆に感謝している。
斎藤和仁に感謝している。
大西武史に感謝している。
桜田雄太郎に感謝している。
須原慎之助に感謝している。
関秀一郎に感謝している。
軍服に感謝している。
片眼鏡に感謝している。
安産に感謝している。
縦巻に感謝している。
そして…
「…浦上さん、辿り着きました。」
突然開けた視界には、首都の高い純白城壁が果てしなく広がっていた。
眼下には、猫背で歩く奇妙な人影。
黒いマント、左に杖の様な物を持っている。
そして、頭には藁でも巻いたかの様な珍妙な筒。
目算。
真正面1キロの距離。
高低差は増田ゆうすけが50メートル強の優位ッ!
そして、敵は…
【筒状仮面】はこちらに対して完全に背を向けていた。
まさに、天啓ッ!!
縦巻に別離や感謝の言葉は掛けなかった。
敵を認識した瞬間、増田ゆうすけは牛から飛び降り疾走していたからである。
一切の躊躇なく崖下に向けて飛び込む。
上総忍法・飛燕ッ!!!!!!!!!
燕よ… 飛べ!
それは全くの幸運だったものの、筒状仮面の真後ろを取れた。
しかも高所からの奇襲ッ!!
筒状仮面の背中に向けて一直線に襲い掛かる。
『飛燕の加速を利用して蹴り倒しながらトカレフ全弾発砲』
恐らくは、これ以上に殺害成功率の高い攻撃手段はない。
飛燕の速度は中速。
不慮の事故に備えて70㌔までしか出さない。
念の為、全周を素早くチェックするも、視界には筒状仮面ただ一人しかいない。
『無傷で仕留めれるか!?』
増田ゆうすけがそう感じた瞬間ッ!!
筒状仮面が真横に跳ねたッ!!
予知能力?
気配察知?
監視されていた?
伏兵?
増田ゆうすけの全身から冷や汗が一斉に吹き出すッ!!
一瞬、小旋回してからの再アタックを考えるも断念。
筒状仮面と同じく左に逸れながら、トカレフを乱射ッ!!
増田ゆうすけ。
所詮は机上の戦士。
絶好の好機を活かせなかったばかりか、パニックで残弾を把握しきれない。
『やばい、僕… 今、何発撃った?』
大き過ぎるチャンスが完全に裏目に出てしまっていた。
増田ゆうすけ…
視界の端へ追いやってしまった筒状仮面を確認し切れない。
『命中したのか? 転倒してる? 伏せただけ?』
止む無く、更に左に小旋回して体勢の立て直しを図ろうと試みる。
筒状仮面は視界から完全にロスト。
『まずい、この一秒が命取りに…』
増田ゆうすけ、完全に体勢を崩す。
脳内で【小旋回】と叫びつつ、本能は恐怖に従い大きく筒状仮面の居た地点から距離を取
る。
4秒ものロスッ!!
増田ゆうすけが再び筒状仮面に向き直り、敵を視界に納めた時には、事態は最悪の方向に
向かっていた。
倒れ伏した筒状仮面の持っていた棒状の物体が、質量保存の法則を無視して爆発的に膨張
していたのである。
空にッ!
ゆうすけの進路上である空中にッ!
渦巻く白線ッ!!
筒状仮面の手から、巨大な純白な蔦の様な物体が伸びている。
そして、蔦の先端はまるで意思を持っているかの如く、照準を合わせるが如くゆうすけに
切っ先を向けた。
その瞬間、純白の蔦の先端が発光し、人間の上半身の様な物体に変形した。
光の色は鮮烈な桃色ッ!
その上半身の形は…
言うまでもなく、ピンク髪だった。
目測200㍍。
空中で完全に相対する。
懐かしきピンク髪の表情は…
紛れも無い戦士の貌であった。
ゆうすけが内心期待していた、人を小馬鹿にした様な歪んだ笑顔は微塵も残ってはいなか
った。
あの将軍と二度斬り結んだと云う事実。
今なら信じる事が出来る。
この女は強いッ!!
そして、最強の女はゆうすけの命だけを狙っていた。
一瞬ッ!!
投擲の様なフォームをピンク髪が取る。
次の瞬間。
増田ゆうすけの左腕は吹き飛んでいた。
ピンク髪が腕を100㍍程伸ばして、ゆうすけを突こうとしたのである。
『危機一髪』
ピンク髪のフォームが自身の奇襲技である犬槍に似ていたのが幸いした。
左腕を盾にして、攻撃を回避する事に成功したのだから。
上総忍法ッ!! 鉄地蔵ッ!!
言うまでも無く鉄地蔵は、【上総忍法・石人形】の上位互換技である。
増田ゆうすけは素早く全身の痛覚を遮断する。
代償として脳機能の40%を喪失する。
恐らく、左腕の上腕部が切り飛ばされている。
止血は考えない。
ピンク髪の殺害だけに専念する。
ピンク髪、間合いを取る事すらせず、腕を高速収納する。
双方、間合いは取らない。
目も切らない。
考える間もなく、ピンク髪が両腕を振りかぶる。
『二刀流? いや、それはない。 それが出来るのであれば、この女は必ず初撃で双腕攻撃を仕掛けていた。 弐撃目も先程の腕ッ!! それも心臓を狙ってくるッ!!』
ここに来て増田ゆうすけ、冴えるッ!!
増田ゆうすけ、最後の冴え。
ピンク髪がモーションに入った瞬間に、全ての展開を想定し終わり…
そして、一切の躊躇なく究極奥義を発動させるッ!!
「おおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!」
ピンク髪が咆哮するッ!!
その咆哮は鼓舞でも威嚇でもなく、恐らくは…
弐撃目も、やはり先程と同じ技を放って来た。
その剣速は紛れもなく神速ッ!!
ダイオウイカの触手の様に法外に長いピンク髪の腕/剣は完全に増田ゆうすけの心臓を貫
いていた。
ソフトボール大の直径の触手剣が増田ゆうすけの左胸を完全に貫通ッ!!
「そぉ ー てぇ ー なぃッ!!!!!!!!!!!!」
増田ゆうすけ、心臓を貫かれたまま吶喊ッ!!!!
その絶叫は当然鼓舞でも威嚇でもなく、その真意は…
増田ゆうすけの身体が触手剣をレール代わりにして高速で滑空するッ!!
ピンク髪には重心をずらす間さえ与えないッ!!!
心臓を囮にして、間合いを詰めるッ!!!
これぞ忍術ッ!!
これが忍法ッ!!
上総忍者はここまで、やるッ!!!
心に刃を秘めるのが「忍」と云う大いなる誤解ッ!!
違うッ!!
心臓に刃を突き立てられる事を前提に勝利する事こそがッ!!
これこそが「忍」の本質ッ!!
増田ゆうすけ、今ここに忍道を体現ッ!!
気が付けば、ゼロ距離。
これは会敵から数秒の話。
そして、ゼロ距離で時間は完全停止する。
増田ゆうすけとピンク髪は目を見開いて見つめ合う。
同属嫌悪、相思相愛、ただ万感。
「嬉しかったんです/ウチは嬉しかった」
「認めて貰いたかった/オマエを見つけた」
「この技を貴女に捧げます/見届ける事が出来て幸せだ」
「僕は帰って来ました/オマエを待っていた」
上総忍法・究極奥義…
火 之 迦 具 土 神 ( カ グ ヅ チ )
増田ゆうすけの残った右腕が大爆発した、ように見えた。
轟音が巻き起こり…
ピンク髪の背中に火柱が立つ。
そして、糸が切れるように二人で落下。
二人は落下する僅かな刹那を惜しむように、懸命に微笑み合っていた。
爆煙が収まりかけた時には、ピンク髪の左半身が心臓ごと完全に吹き飛んでいる事が確認
出来た。
そして、地面に激突。
ただし、衝撃はない。
ピンク髪の下半身から蠢く無数の触手が増田ゆうすけの身を大地から保護していた。
その動きは、あまりにも優しく。
母性を連想させた。
ピンク髪の瞳から光が失せ始めていた。
その唇が懸命に動く。
「 ホ ン カ イ ヲ ト ゲ ヨ 」
増田ゆうすけの勝手な解釈かも知れないが、彼女がそう言ったように聞こえた。
『僕は何故泣けないのだろう』
或いは、それが増田ゆうすけ最後の思考。
実際には落涙していたが、それを感知する感覚は、ゆうすけにはもう残っていない。
ゆうすけの脳は既に死亡済み。
後は死に終わるのを待つだけの状態。
ピンク髪が右側の触手を懸命に総動員してゆうすけの左腕と心臓に這わす。
原理は不明だが、この女なりの治癒だったのだろう。
ゆうすけの腕は失せたまま、胸には大穴が空いたまま…
とりあえず、血は止まっていた。
触手と同じ様な材質の白い肉塊が傷口に纏わりついている所を見ると…
ピンク髪は最後の命をゆうすけに与えたのだろう。
感謝も悲しみも無く、増田ゆうすけは周囲を無機質な目で見渡していた。
増田ゆうすけの心は絶叫していたが、それを表に出す力までは残っていなかった。
【残り寿命が1000秒を切った】
誰かがそう言った。
発言者は、増田ゆうすけかも知れないしピンク髪かも知れなった。
勿論、増田ゆうすけには返事をするエネルギーはおろか、言葉の意味を分析する余力すら
残っていなかった。
機械的に辺りを見渡し…
仰向けに倒れている筒状仮面を発見する。
筒状仮面の身体の周りには、少なくない量の血が流れていた。
奇跡的にトカレフが命中したのであろう。
無論、今の増田ゆうすけには【過程を回想し精査するエネルギー】は残っていない。
実質的に、増田ゆうすけは死んでいる様なものである。
少なくとも、脳の半分以上は機能していない。
増田ゆうすけは筒状仮面に無防備に歩み寄り、無造作に仮面を蹴り外した。
突入前、筒状仮面の国籍を確かめたがっていた名残であろう。
日本人の風貌であれば死体を隠蔽しなくてはならないし、ロシア人に見える風貌であれば
政治利用を検討するつもりであった。
もっとも、そんな複雑な思考を行う能力は残っていなかったが…
筒状仮面の正体はゆうすけの父の増田だいすけであった。
アニメなどで良くあるオチである。
もしも、ゆうすけに思考が残っていれば、運命の残酷に咽び泣いたかもしれない。
だが、幸運にも思考能力はない。
一方の増田だいすけは瀕死ながらも思考能力をはっきりと残しているらしく、ゆうすけに
声を掛けた。
「やあ、ゆう君…
来てたの…
一緒に来れば良かったね…
パパね。
こっちで色々上手くやってたんだけど…
駄目みたい…
そっか、母さんのお墓の拳銃…
ゆう君が持ってたんだね…
そうだよね、ちゃんと形見分け…
はあ…
もう少しで…
ゆ…
洞窟の装置はゆう君に託す…
あれさえあれば、無敵だよ…
ははは…
父さんの机にね?
引き出し…
上から二番目…
スケッチブックの下に金貨を隠してある!
鑑定書も一緒だから!
それを持って仙台…
ミツコおばさんの家に行きなさい!
そうすけにもゆう君の事おねがい…
はは…
パパは結構ゆう君のこと考え…
はあはあ…
いいか!
税務署には逆らうな!
何か言われたら素直に…
はあはあ…
ゲボオオおおッ…
ああ、アカン…
最後…
神戸…
俺の…」
そして増田だいすけも息を引き取る。
ゆうすけは無表情のまま周囲を見渡し、洞窟を視認する。
途中、ピンク髪の残骸も目に入るが、感慨はない。
【残り寿命が900秒を切っ…】
増田ゆうすけは洞窟に向けて歩く。
ゲート・異世界・首都・日本・ロシア
もはや、これらの語彙すら浮かばない。
ただ、一歩一歩歩く。
洞窟の入り口で、ゆうすけの背に一度だけ音声が響く。
「ゆうすけッ!! ここは私が食い止めますッ!! 早くッ!!」
その音には聞き覚えがある筈だったが、増田ゆうすけのメモリは全て破損していた。
洞窟と言っても極めて小規模なものであり、入り口から10メートル程進むと行き止まりだ
った。
【残り寿命が800秒を…】
緩やかな曲がり角が一つあっただけなので、洞窟の中は明るい。
岩壁に囲まれた行き止まりの部屋の中で粗雑な機械装置が作動していた。
バッテリーの様な物にノートパソコンが繋がっている。
温度計が3つも取り付けられていると云う事は制御が安定しない装置なのだろうか?
機械装置の配線には至る所に結束バンドが使用されている。
結束バンドの多用は故・増田だいすけの癖であり、その話題で増田親子が盛り上がった事
もある。
だが、幸か不幸か、現在の増田ゆうすけにその記憶はない。
恐らく、この機械装置が異世界首都上空に発生しているゲートの固定装置なのだろう。
そして、機械装置を破壊すればゲートは固定されない。
増田ゆうすけは、この装置を破壊する為に異世界に戻って来たようなものである。
【残り寿命が750び…】
機械装置自体は脆弱極まりない構造である。
今のゆうすけが圧し掛かるだけでも破壊出来るかも知れない。
機能停止させるには回線一本の切断で充分かも知れない。
だからこそ、筒状仮面こと増田だいすけは頻繁に洞窟内外を行き来する必要があったのだ
ろう。
だが、ここに来て増田ゆうすけは完全に動きを止める。
機械装置を認識する知力すら残っていない。
ただ、不自然な呼吸音を漏らしながら、石の様に硬直してしまった。
【残り寿命がななひ…】
【残り寿命がろ…】
【残りじゅみょ…】
時間だけが無為に流れる。
そして、増田ゆうすけの傷口を守っていたピンク髪の肉片の輝きも急激に失われ始めてい
た。
「うすけッ!!」
【残りじ…】
「増田ゆうすけッ!!!」
大きな音が鳴った。
まるで生物の音声の様だった。
無論、増田ゆうすけは反応しない。
「ゆうすけッ!! まだ息はあるんでしょッ!!」
その音源は全身に包帯を巻いた奇妙な女だった。
息を荒げている。
全身から滝の様な汗を流している。
眉間は苦悶に歪んでいる。
ゆうすけ程ではないにしても、包帯もまた瀕死だった。
巨大な打撃痕が彼女の胸部を覆っていた。
打撃痕はくっきりとした螺旋形を描いており、少なくとも打撃痕周辺の臓器が無事である
様には見えなかった。
「はあ… はあ… ます… ゆうすけ… 返事をしろ…」
鬼の形相で包帯が増田ゆうすけを睨み付ける。
だが、増田ゆうすけ無反応。
【のこ…】
「増田ァッ!!!」
包帯の絶叫だけが洞窟に響く。
「聞けッ!! 増田ァッ!! 今から我が軍は地球に対して総攻撃を敢行するッ!!」
「キサマら劣等種にとって未知の細菌を地球に向かって射出し続けるッ!!!」
「終わりだなァ!!! 地球部族ッ!!! 滅ぶなァ!!! 劣等種ゥッ!!!」
「オマエの頑張りは全部無駄になったよッ!! どんな気分だ? 目の前で故郷を滅
ぼされる気分は?」
「この装置がある限りッ!! 我が軍は一方的に地球を攻撃し続ける事が可能だッ!!!
キサマら下等種族は、攻撃されている事さえ認識できずに滅びるッ!! 全滅だッ!
!」
「キサマはこの装置の破壊を企んでいたようだが、そうはさせんッ!!! 例え、私一
人でもこの装置は死守するッ!!! 指一本触れさせんぞッ!!!」
「どうだ!? 私が憎いか? 憎いだろう?」
「だがオマエには何も出来ないッ!!! そこで故郷が滅ぶところを指を咥えて見てい
ろっ!!」
「私は今、最高の気分だよッ!!! 人生最良の日だッ!!! 今日初めてッ!! 生まれて来た事に感謝出来たッ!!!」
【ノ…】
包帯が演説の様に絶叫する。
そして、滅びゆく地球と死にゆく増田ゆうすけを嘲笑する笑い声が響く。
これで包帯の顔が少しでも笑っていれば、まるで嘲笑しているかの様に見えた事だろう。
【コ…】
包帯は身振り手振りをゆうすけに見せつけ、主要な単語を懸命に並べ続ける。
地球で聞きかじったキーワードを必死にゆうすけに聞き取らせようとする。
何度も執拗に機械装置を強く指差す。
ロシア・日本・ゲート・千葉・警察庁・国防・忍術・地球・異世界。
【コ】
傍目には完全に死亡している様にしか見えない増田ゆうすけに、包帯は呼び掛け続ける。
胸元の打撃痕すら忘れたかの様に…
【コ!】
瞬間、奇跡が起こった。
増田ゆうすけの切断された左腕の付け根が強く痙攣したのだ。
「馬鹿… 反対側しか残ってないでしょ…」
包帯の目に涙。
…止まらない。
【コ!】
「…ギアを上げて行くぞ」
【ココマデハソウテイナイ】
「私は今、最高の気分だよ。 人生最良の日だ。 今日初めて。 生まれて来た事に感謝出来た。」
包帯、構える。
但し、腰は落とさず、右前半身での棒立ちに近い構えを取る。
恐らく、縦巻との決着を付けた際のダメージが原因で左構えが取れないのであろう。
しかし、最高のポジショニングで増田ゆうすけと機械装置の間に立つ。
「…オマエの物語は未完で終わる。
地球は滅ぶ。
地球部族も全て死に絶える。
オマエの勝利条件は、私の後ろにあるこの機械を破壊する事だが。
その望みは叶わない。
全力で阻止するッ!!!」
『この女がこう言った』、と云う事は…
だが、増田ゆうすけ。
包帯の殺害を決定。
但し、殺害手段は残されていない。
脳が死んでいる。
左腕が失われている。
右腕は焼け落ちている。
心臓に穴が開いている。
残り寿命47秒。
一方の包帯は350秒以上の余力を残していた。
戦力・残り時間、共に絶望的。
もはや、忍術でどうにかなる状況ではなかった。
…忍術。
所詮は弱者の小細工に過ぎない。
獣や自然を模した技の数々。
それは所詮、ニセモノ。
「日輪」と叫べば太陽になれるのか?
否。
それらは、ただのニセモノ。
ニセモノの花。
ニセモノの鳥。
ニセモノの風。
ニセモノの月。
全てが幼稚な紛い物。
増田ゆうすけは知っているから。
自分には何も無いと知っているから。
自分は何も持たないと知っているから。
だから、低劣なニセモノの鎧を纏い続けなくてはならなかった。
その鎧も、最早…
全て剥げ落ちている。
全てのニセモノは絞り尽している。
故に、最後の最後は本物で立ち向かう。
否。
無力で非力な本物を出さざるを得ない状況に追い込まれたからこそ、【最後】なのであろ
う。
か… ずさ にん ぽ ぉ さい ゅ ぉ ぎ
ま す だ ゆ う す け
【 上総忍法・最終奥義ッ!!! 増田ゆうすけッ!!! 】
残しておいた雷電の電流を自身の脳髄に流すッ!!
それも躊躇なくッ!!
増田ゆうすけの脳が完全に破壊される。
死亡ッ!!
増田ゆうすけ・脳死。
増田ゆうすけ死亡ッ!!
そして、同時に生前組んでおいたプログラムが作動ッ!!!
全ての状況は想定済みッ!!
後は、増田ゆうすけの生前の想定が戦うッ!!
包帯の執念か、ゆうすけの想定か…
上回った方が本懐を遂げるッ!!
「ココマデハソウテイナイ」
或いは空耳かも知れなかったが、包帯の耳にはそう聞こえた。
ココマデハソウテイナイ
機械音の様な無機質な呼吸音が、包帯にはそう聞こえた。
ココマデハソウテイナイ
ココマデハソウテイナイ
ココマデハソウテイナイ
ココマデハソウテイナイ
ココマデハソウテイナイ
ココマデハソウテイナイ
ココマデハソウテイナイ
ココマデハソウテイナイ
ココマデハソウテイナイ
一切の増田ゆうすけを排した増田ゆうすけが増田ゆうすけでない筈が無かった。
最後の最後でなお。
増田ゆうすけは増田ゆうすけであり続ける事を選んだ。
人間は最弱の生物である。
弱く、遅く、脆い。
その人間の中でも増田ゆうすけの序列は相当な下位に位置する。
本来、種族を代表して闘争する資格など無かった。
だが、増田ゆうすけは発想を逆転させ終わっていた。
戦闘者として最弱の人間も、【戦闘の道具】としてみれば、それなりに使い勝手があるの
ではないか、と。
肉のしなりと頭蓋の重さのバランス。
鈍器として考えれば、人間はそこそこ手頃な鈍器である。
狂児・増田ゆうすけだけが辿り着いた正解。
「己を鈍器として戦闘に使用する」
それこそが最終奥義・増田ゆうすけの正体であった。
身体と云う名の柄に取り付けた、頭部と云う名の鈍器で執拗に殴り続ける。
その動きが完全に生物の法則を無視していたが故に、歴戦の強者である包帯ですら対応し
切れなかった。
鉄板に鉄球を落とした様な衝撃音が幾度も洞窟内に響いた。
包帯の苦悶の呻きと、人間である事を放棄した増田ゆうすけの作動音が交差する。
増田ゆうすけは全身をバネの様に使い執拗に包帯の死角を跳ねまわり続ける。
その速度は尋常では無く、ポップコーンが弾けている様子を連想させた。
死角から数度のフェイントを織り交ぜての強襲。
連撃と一撃離脱の使い分けがあまりにも巧妙であったので、包帯は増田ゆうすけの自我が
完全に消失している事を確信した。
ごちゃ!
みちゃ!
どちゃ!
どくちゃ!
鈍器と化した増田ゆうすけが容赦無く包帯を打ち据え続ける。
増田ゆうすけの頭部で包帯の頭部を執拗に殴打し続ける。
それは言うまでもなく愚挙。
圧倒的、圧倒的愚挙ッ!!
苦悶の表情を浮かべながらも、包帯の目線には憐憫だけが込められていた。
誰よりも地球アニメを視聴し続けた包帯には良く解っていた。
今の増田ゆうすけの姿を見れば、同胞である地球人がどんな感情を抱いてしまうかを。
包帯は知っている。
地球人が地球の為に戦うのはアニメの中だけの行為である事を。
浦上顕彦や増田ゆうすけの様な自己犠牲主義者は例外中の例外である事を。
地球人は、増田ゆうすけが編み出した『最終奥義・増田ゆうすけ』を絶対に認めないだろ
う。
認めてしまえば、『個が所詮は全体の部品でしかないと云う厳然たる事実』を認めてしま
う事になる。
だから増田ゆうすけは地球人に拒絶される。
包帯は決意する。
何としてもこの少年をここで殺害してやろう、と。
この少年の、この異常な姿を地球人だけには絶対に見られないように配慮してやろう、と
。
包帯の残り寿命が、鈍器・増田ゆうすけの猛攻によって一気に20秒近く削られる。
飛び散る赤い血は、もはやどちらのものであるかすら判別不可能であった。
包帯、唇を噛みしめると本気の蹴りで増田ゆうすけを吹き飛ばす。
ダメージを与える蹴り方をせずに、距離を空ける為の蹴撃を放ってしまったのは誰の為か
…
地面に転がった増田ゆうすけは仰向けに伏したまま全身をくねらせ、包帯の周囲を高速で
半周した。
その動きは、丁度地球生物である蛇そのものであった。
包帯は『蛇』の実物を見た事は無かったが、地球アニメを通じてその存在は良く知ってい
た。
蛇は…
人間が最も忌む害獣の一つ。
毎年、多くの地球人が蛇に襲われ命を落としている。
故に、地球の多くの地域では蛇の駆除に懸賞金が支払われる。
そして、多くの地球人が信奉する宗教では…
蛇は、人類を騙し楽園から追いやった張本人とされていた。
人類は蛇に騙された代償として叡智を獲得するのだが、包帯が人類を観察している限り、
蛇が感謝されている様には見えない。
そこまで思い至れる包帯であるからこそ、蛇そのものと化した増田ゆうすけを見るのは辛
い。
増田ゆうすけがうつ伏せのまま首だけを大きく捻じり、左眼球だけで包帯の姿を捉える。
左眼球は機械的に高速運動しながら、洞窟全体のデータを素早く収集し終えていた。
そして、増田ゆうすけの上半身が鎌首をもたげる様に高く上がる!
漏れる呼吸音は、既に生物としてのそれでは無かった。
「…ぶっ殺してやるよ」
わざと表情を醜く歪めて包帯が宣言する。
地球で幌出絹に対してとった、拳法の様な構え。
縦巻を葬り去ったと思われる、最強の拳。
全身を半身に開き、腰を落として、左腕を大きく突き出している。
瀕死の状態とは思えない程、全身の筋肉が隆起していた。
開手から、ゆっくりと拳を作る。
そして、堪え切れなかった一筋の涙。
勿論それは偶然でしかないのだろうけれども…
その一滴がゆっくりと地に落ちた瞬間が合図となった。
両者同時に動く。
増田ゆうすけ、鎌首をもたげたまま高速全身ッ!
包帯、増田ゆうすけの頭部を狙って箭疾歩の要領で最遠からの拳打ッ!
双方がノーガードで相手を撃った。
飛び散ったモノが脳漿だったのか、血液だったのか、肉片だったのか…
無論、誰にも解らない。
…ただ。
増田ゆうすけの身体は大きく弾き返されて、背後の岩盤に叩きつけられた。
体重差で優っていた包帯は、かろうじて頭蓋と脛骨を砕かれる程度で済んだ。
包帯は朦朧とする意識の中で素早くダメージチェックを行う。
驚くべきことに残り寿命は100秒を切っていた。
包帯は心から増田ゆうすけを称える。
その矮躯を良くぞここまで練り上げた。
例えそれが、忌むべき異形であったとしても、せめて己だけはこの少年を認めてやりたか
った。
…そして。
その賛辞に応えるかの様に増田ゆうすけの身体が起こる。
とてもゆっくりと手も足も使わず…
雨に打たれた新芽が足掻くように起き上がった。
「もう苦しむな。」
包帯の口はそう言っていた。
『この女がこう言った』と云う事は恐らく…
「ッコ。」
増田ゆうすけの気管が激しく吐血しながら音を立てた。
「最期くらいは休め。」
「こ。」
増田ゆうすけの左目が静かに包帯を捉える。
その瞳は憑き物が落ちたかのように澄み、まるでそれは人間のそれであるかの様に見えた
。
「休め。 オマエはよくやった。」
「…こ。 ここまで はそう ていな ぃ」
これが増田ゆうすけが発した最後の言葉となった。
それは自分自身を鼓舞する発言ではなく、自分を評価してくれた包帯に対しての報恩の台
詞。
あのピンク髪が。
あの縦巻が。
あの斎藤和仁が。
あの安産が。
この包帯が。
そして浦上顕彦が。
認めてくれた増田ゆうすけである。
ゆうすけには最後まで増田ゆうすけである責務があった。
全ての忍術を使い果たしたゆうすけではあったが。
この局面を打破する手段は一つだけ残していた。
博打ではあるが、恐らくは成功するだろう。
包帯より先に命が尽きる事が完全確定した今だからこそ、打てる手が一つだけある。
包帯に最終奥義を破られた今だからこそ、打って良い手が一つだけ残っている。
残り寿命9秒。
最期に出す技は決めていた。
増田ゆうすけの身体が…
ゆっくりと、まっすぐと包帯に向かって歩く。
気負いなく。
誉れなく。
未来なく。
もはや使命すらもなく。
ただ、懸命に包帯に向かって歩いた。
その足取りはあまりに弱弱しく、たったの十数歩を歩ききれるかすらも怪しかった。
包帯は静かな表情で、ただそれを見守っていた。
増田ゆうすけはゆっくりと歩み寄り続け、包帯と鼻先が触れ合う距離まで近づき…
優しく唇を重ねた。
口づけした時、増田ゆうすけは既に絶命していた。
包帯は、増田ゆうすけの遺骸を一度だけ強く抱きしめ…
床に丁重に横たわらせた。
彼女もまた力尽きたのか、糸が切れた様にしゃがみ込む。
包帯は一度だけ大きく息を吸い込むと、露わになっていた自らの左乳房を鷲掴みにした。
そして、左乳房の乳首を例の機械装置に向ける。
瞬間、母乳が超高圧で噴き出し、乳圧で機械装置は両断された。
『この女は人目の無い所では、結構親切で侠気に溢れている。
そんな相手に健気に縋れば…
悪いようにはされないだろう。』
とでも、増田ゆうすけは考えたのだろうか?
その答えを唯一知る包帯にも、ゆうすけの思考を検証する余力はない。
包帯は最期の力を振り絞ってゆうすけの顔を覗き込み…
安心した様な表情で笑ってから息絶えた。
増田ゆうすけ 享年17 【完】
本書の著作権は【無限の地平はみな底辺】が保有しており、本書の中のいかなる部分であ
っても【無限の地平はみな底辺】による許可なしに、いかなる場合にも再版あるいは複製
することを禁じます。
また,本書に記載されている事項は、予告なく変更されることがありますので、あらかじ
めご承知おきください。
万一,本書の記述に誤りがあった場合でも【無限の地平はみな底辺】は一切その責任を負
いかねます。
本書は、所定のライセンス契約が締結された場合に限り、その使用あるいは複製が許可さ
れます。
また本書中において、ロシア共和国をその同意なく登場させた事をお詫び致します。
ロシアの母なる大地に永遠の豊穣あらんことを!
(C) 2016 無限の地平はみな底辺
http://kanchigai.biz/
キンドル版をお求めの方は下記URLから
http://www.amazon.co.jp/dp/B01B6K4UJE