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伊藤 宏彦 - 日本医科大学

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フッディンゲーカロリンスカ大学病院に勤務して
A YEAR SPENT AT THE KAROLINSKA UNIVERSITY HOSPITAL IN HUDDINGE
福岡市白十字病院
伊藤
宏彦
もうすでに大勢の先生たちが日本スカンジナビア放射線医学協会を通してスカンジナビア各国に留
学されたことと思いますが、これから行かれるであろう先生方のために、将来の留学計画、実際の生活
がより充実し、円滑なものになるための手助けになるようにスウェーデン、特にストックホルム周辺の
事情について実務的な事を私の個人的な経験に基づいて思うままに書かせていただきます。
私の場合、アメリカでの 6 年半の放射線科臨床研修を終えた後に、スウェーデンに行ったという点と、
中学高校に行く娘 3 人と妻と一緒に一家 5 人で大移動をしたという点が、直接日本から単身か配偶者と
2 人で留学される大多数の先生たちとは大きく違うところだと思いますので、私たちが経験した難点は
最初から随分避けることができると思います。一般論としてスムーズなスタートを切るためにはまず留
学先が決まってから実際の渡航までの期間は 6 ヶ月以上が必要だということです。まず第一に留学先を
見つけなければなりませんが私の場合、アメリカの各大学病院の情報よりも、スカンジナビア国内のど
こでどのようなことをやっているのか情報が少なく、情報収集にてこずりました。日本から行く場合は
おそらく医局などを通してコンタクトはそれほど難しくはないのかもしれません。1 年間だけ滞在する
となると日本にほとんどのものを置いて必要最低限の日常品だけを持っていくのが一番簡単でしょう。
それでも物価が非常に高いので必要最低限の防寒具は、寒くなりだす 9 月末までには目的地に着くよう
に手配したほうが良いでしょう。住む家を探すとき、新聞、インターネット上では、賃貸用の不動産と
いうのはあまり載っていませんし、ほとんどの不動産業者は売買の物件にしか興味を持っておりません。
その上、インターネット上で、検索するときは、必ず個人登録しないと検索もできませんが、登録する
にはスウェーデンのいわゆる居住者登録番号(Person nummer)を必要とするため、渡航前に自力で
捜すことができず、どうしても行き先の大学病院を通して、病院関連のアパートか院内賃貸情報から、
探してもらわなければなりません。関連のアパートでさえ、原則として、外国からの留学生達は皆 1-2
年空き待ちがあたりまえ、の状態ですが、それでもカロリンスカの放射線科のトップの人が、直接頼む
と、1 人-2 人用の部屋であれば、結構短期間で空きを見つけられるからさすがです。私達の場合は、ア
メリカでの 6 年半の生活でたまった家財一切を持って来られるような家を渡航前9ヶ月かけても見つ
けることができず、すべてをワシントン州シアトル市内の貸し倉庫に預けて、とりあえず家具付きの小
さなアパートに移り住みました。アメリカから荷物が届いて、運良く家財一切全てがはいる大きさの一
軒家に移り住めたのはスウェーデンについてから 5 ヶ月が経ってからでありました。スウェーデンに移
り住んでずいぶん経ってから、偶然ですが、外国人スウェーデン居住者達のいろいろな情報交換のウェ
ブサイトを見つけました。このウェブサイトには、普通の 2-3 人用のアパートで 6 ヶ月-1 年間の短期間
限定であれば、彼らから直接賃貸できる広告も載っており、渡航前から家を探せる1つの方法でありま
しょう。自らインターネットでサーチしてみると、最近、本当にここ 2-3 年で、このような情報が増え
て結構見られるようです。
それからスウェーデンの滞在就労査証ですが、申請書類すべてがそろって提出して受理されてから、
問題がなければ 3 ヵ月後に発行されます。日本人は原則として東京のスウェーデン大使館領事部でしか
申請できません。また PhD を持っている人と持っていない人は申請用紙が違うということを覚えてお
いてください。
ストックホルムに住んだ場合、ストックホルム近辺は、自家用車なしでもバス、地下鉄、電車、フェ
リーなど各種公共交通機関が発達していて、またこれらすべてに共通の定期も使えるので、公共交通機
関は安くて非常に便利です。ほとんどの市町村の商店街は、駅を中心として発達しているので、公共交通
機関を利用していると買い物をするのに不自由はありません。もちろん車があったほうが何かと便利な
ことは事実ですが、いろいろと経費はかさみます。長期に滞在するのなら、入国して 6 ヶ月たつと日本
の運転免許証と交換でスウェーデンの運転免許証をくれます。つまりスウェーデンの運転免許証はくれ
ますがその代わり、日本の運転免許証が取り上げられるということです。ですから日本に帰国した折に
は再びスウェーデンと日本の運転免許証を交換しなければなりませんので、滞在期間が 1 年限定なら国
際免許証のほうが簡単でしょう。
スウェーデンでの学校事情は選択肢が多いがゆえに非常に複雑ですので、ここでは省かせていただき
ます。もし就学年齢のお子さんと一緒にスウェーデンに留学される先生がおられましたら、個人的にご
連絡下さい。喜んで説明させていただきます。
スウェーデンの夏は 1 日中明るく、すばらしく美しく、過ごしやすいですが、渡航するのなら、なる
べく7月は避けたほうが良いでしょう。スウェーデン人のほとんどが皆 7 月に休暇を取るので、入国後
のいろいろな手続きがはかどらないし、また 1 番頼りになる受け入れ先の病院の人達が休暇でいない可
能性が高いからです。私のボスだったアスペリン教授も 6 月の下旬から 8 月の上旬まで 6-7 週間、毎年
必ず休暇を取っていました。夏の間はフッディンゲの放射線科ではいつも6-7 人でまわす各部署を 1-2
人でまわしていました。それでも患者が少ないので仕事はほとんどなく、読影するより雑談している時
間がほとんどでした。要するに 7 月はスウェーデン人達が町からいなくなり、人でごった返しているの
はパスポート発券に関する部署ぐらいだということです。
私はストックホルム南部フッディンゲにあるカロリンスカインスティチュートのフッディンゲ大学病
院脳神経放射線科医として、1年間勤務させていただきました。ストックホルム北部ソルナにはカロリ
ンスカ病院があり、この 2 つの大学病院でストックホルム周辺地域全域をカバーしているわけですが、
2004 年 1 月をもって、2病院が統合して1つのカロリンスカ大学病院となりました(The Karolinska
University Hospital in Solna & in Huddinge )
。建物が変わったわけではないのですが、予算等管理
が一括化されたため、統合前後数ヶ月間、毎週 1 回ある医局会では、給料、仕事の分担、カロリンスカ
病院との関係等、統合に伴う不平不満がいつも話されていました。スウェーデンは社会民主主義という
国政で高度の社会福祉体制を築き上げましたが、あまりにも全般にわたって福祉を施行するがために、
日本では考えられない高率の税金を徴収するにもかかわらず、医療に対するしわ寄せが及び、現在は成
人の歯科受診有料化(18 歳までの者は無料)
、人員削減、病院統合、絶対数の少ないまれな難病は治療
しないようにしよう等いろいろな改革が起こっている状態になっています。私は最初、カロリンスカ病
院で働くことを希望し、当時カロリンスカ病院の Chairman であったリンガーツ (Ringertz) 教授とコ
ンタクトを取り、2002 年 RSNA の折、シカゴで会うことができました。リンガーツ教授と話をしてい
るうちに、ここ数年来、カロリンスカ病院では、やはり予算の関係で研修医以外だれも新しい放射線科
医を雇用していないということで、一瞬先が見えなくなりましたが、すぐにたまたま一緒にシカゴに来
ていたフッディンゲ大学病院放射線科のアスペリン(Aspelin) 教授に話をしてくれて、早速翌日アスペリ
ン教授に会うことになりました。運良くちょうどフッディンゲでは脳神経放射線科医の空きができたと
いうことで、とんとん拍子に話が進み、インタビューだけですぐに採用していただいたのでした。私は
アメリカから家族5人で大移動してくるので、他の留学生の先生方とは違って、最初から 3-4 年はいる
つもりでスウェーデンに渡りました。リサーチを中心にやりたかったのですがリサーチを中心の時の給
与と臨床中心の時の給与はかなり差があり、アスペリン教授と話し合った結果、1年目は臨床を中心に
して、2年目からリサーチをしていくということで新しい生活が始まったのですが、渡航時予期してい
なかった、カロリンスカ病院との統合合併が起こり、当初の 3-4 年の滞在計画を、急遽変更せざるを得
なくなりました。フッディンゲのアスペリン教授は、以前カロリンスカインスティチュートの vice
chancellor で、いわゆるカロリンスカインスティチュート全体の No 2 であったので、フッディンゲに
おいての給与や、臨時の生活費援助等、本当にいろいろな面で私のために個人的に便宜を図っていただ
いたのですが、残念ながら、フッディンゲ独自で行っていた予算運営が、統合によって困難になってし
まいました。大学院に行くことも考慮しましたが、アメリカで育った娘達はあまりスウェーデンは気に
入らなかったようで、スウェーデンに長期滞在することをそれほど望んでいなかったし、時を同じくし
て日本にいる父親が、病気で入院することとなり、生活ができるかどうかわからない給与で無理をして
スウェーデンに残るよりも、日本に帰るほうが賢い選択だろうと判断し、1 年で帰国することにしまし
た。日本スカンジナビア放射線医学協会からの奨学金は普通旅費と引越し代に見合う程なので、ほとん
どの留学生の先生方は 1 年間の生活費は自腹で出していることと思います。逆に言うと、給料をもらっ
ていないだけに、義務もなく、自由に自分の好きなことをすることができるので、その方が確かに充実
したリサーチができると思います。フッディンゲ大学病院脳神経放射線科というところは多発性硬化症、
パーキンソン病等、neurodegenerative diseases のような数年かけて行う地道な研究が主に進められて
おり、神経内科と共同して多くの成果が出ていますが、脳神経外科はカロリンスカ病院にしかなく、
neurodegenerative diseases 以外の面白い症例はすべてカロリンスカ病院のほうに、転送されるので、
フッディンゲにおいてフッディンゲの症例を使って、何か1つのテーマを短時間で仕上げるというのは困
難な現状にあります。フッディンゲにいる放射線科医たちも、3-5 年かけて1つの大きなペーパーを書き
あげているというのがほとんどでありました。同じカロリンスカインスティチュートといってもソルナ
とフッディンゲの間ではあまり交流がなく、特に脳神経放射線科に関してはその傾向が非常に強かった
です。もう一つフッディンゲ大学病院放射線科の特徴として挙げられるのが、スウェーデン人ではない
放射線科医が大多数いるということでありました。カロリンスカ大学医学部を卒業した南アフリカ共和
国出身者、ドイツの医学部を卒業したインド人、ロシア人、ルーマニア人、ハンガリー人、フランス人、
チュニジア人、スペイン人、アルゼンチン人、フィンランド人、ドイツ人、ポーランド人等多国籍にわ
たっておりました。皆、もちろん今の地位に至るまで、何年間も苦労、努力してきたのは言うまでもあ
りませんが、スウェーデン語はスウェーデン人と言っても誰も疑わないぐらい流暢であります。私は高
校生の時、デンマークに留学していたので、デンマーク語のほうは結構話せましたが、スウェーデン語
になれるのに思った以上に苦労しました。私は東京で生まれ育って、デンマークから帰国して医学部に
入って、初めて関西地方に移り住んだのですが、やはりその時も、同じ日本語でありながら、関西弁が
話せるようになるまで 2 年ぐらいかかったのを覚えています。アスペリン教授はもともと、17世紀ま
でデンマーク領土であったスコーネというストックホルムよりデンマークにより近いスウェーデン地
方出身であり、かつ医学部卒業後の放射線科研修はデンマークのコペンハーゲン大学病院放射線科でさ
れたので、フッディンゲ大学病院放射線科の中でただ一人、デンマーク語のようなスウェーデン語方言
を話されていましたが、ストックホルム周辺のスウェーデン人たちは皆英語は分かりますが、一般にス
コーネの人たちと違ってどうもあまりデンマーク語が分からないようでありました。逆に大多数のスウ
ェーデン人がノルウェー語は理解できます。私が昔デンマークに住んでいた時、それがノルウェー語だ
とは知らずに、初めてノルウェー語を聞いた時はスウェーデン人が一生懸命に強い訛りでデンマーク語
を話そうとしているのだと思ったぐらいですから、だいたいこの 3 つの言語の類似性は想像していただ
けると思います。私はどうしてもスウェーデン語を話そうとすると、口からデンマーク語が出てきてし
まい、とても話しづらかったです。若い頃に覚えたせいか、正直言って今でもデンマーク語のほうがは
るかに話しやすいです。
言葉以外で途惑ったのはレポートの書き方でした。アメリカでの放射線科臨床研修の一つの大きな主
旨は画像から所見を読み取って、そこから考えられる鑑別診断を列挙し、最後に臨床条件等その他のデ
ータから鑑別診断を絞っていくというもので、能率よく、これのできる放射線科医を育成することです。
以前、私のアメリカでの専門医口答試験の折、ある症例があたった時、本来だと 5 つの鑑別診断を挙げ
なければならないと、頭では分かっているのに、どうしても 3 つしか挙げられないで悩んでいると、
“君
は臨床医が検査の結果を聞きに着た時、それだけしか鑑別診断を挙げられないのかね。”と、試験官に
言われ、冷や汗を流したのを覚えていますが、スウェーデンで同じように鑑別診断を挙げて、レポート
を作成していると、ある日脳神経放射線科の部長に呼ばれて、鑑別診断は書かなくていい、逆に書かな
いほうがいいと、言われました。自分の耳を疑ったので、少ししてからアスペリン教授にも、確認のた
め聞いてみましたが、やはりスウェーデンでは鑑別診断なしで、一番考えられる診断だけを書けばよい
と言われました。
実際のフッディンゲ大学病院放射線科の設備を見ていくと、画像に関しては各部署 PACS が導入され
ていてフィルムレスでしたが、残念ながら画像処理に関して言うと、アメリカで、私が脳神経放射線科
を研修したシアトルのワシントン大学のほうが、より多くの画像処理機能を有していました。血管造影
の機種はシアトルのワシントン大学と同じものでした。ただフッディンゲでの IVR はボディーのみで、
脳神経放射線科の IVR は原則として、すべてソルナで行われていました。ワシントン州と周りのアラ
スカ、アイダホ、ワイオミング、オレゴン、モンタナの5州の neurointerventions、特に脳動脈瘤の血
管内治療を一手に担って、一日中24時間、いつもヘリコプター、救急車が出入りして、ばたばたして
いたワシントン大学脳神経放射線科とは対照的に、非常に静かでのんびりとしておりました。それがス
ウェーデン人の性格なのか、医療費無料という医療体制が生んだ弊害なのか、私の限られた経験から安
易な判断はできませんが、フッディンゲ大学病院では救命救急に来ても、まるで一般外来に来たかのよ
うに、のんびりとした対応しかとってもらえない、といった不満が患者の側から出たことはありました。
私の知っているスウェーデン人の医者や医者でない一般の友人達と話をしても、スウェーデン救急体制
に対して、やはり似たような見解を述べていました。同じ医療費無料という医療体制をとっているデン
マークの救命救急は、ばたばたと忙しく対応が早い、ということも同時に聞いたので、これはやはりス
ウェーデン人がスウェーデン人であるがためのことなのであろうか。
スウェーデンでの 1 年間を通して、いいことも悪いこともいろいろありましたが、1 年間はあっとい
う間に過ぎてしまいました。今、あの 1 年間を振り返って、一番の思い出は、アスペリン教授が自宅に
私達家族を招待してくれて、アスペリン教授夫妻、フッディンゲ放射線科の実務上のヘッドであるペア
ション(Persson)教授夫妻達と一緒に, クリスマスディナーを食べて過ごした時のことです。いろい
ろな典型的なスウェーデンのクリスマスの食事、デザートを食べ、お酒を飲みながら、最終電車の時間
まで話をしました。またアスペリン教授が、出身地スコーネのアクヴァヴィット(いわゆるスウェーデ
ンのアルコール度の強い焼酎)を飲みながら、面白い歌も歌ってくれて、非常に楽しい一晩でした。皆
で楽しく、とても寒く長いスウェーデンの冬を過ごすのには最高の過ごし方だなと思いました。
最後に、カロリンスカということで、ノーベル賞の事に触れておきます。ご存知のように毎年アルフ
レッド・ノーベルの命日の 12 月 10 日にノーベル平和賞以外のノーベル賞授与式がストックホルムで
行われます。もちろん招待もされていませんし、入れるわけがないのですが、子どもの頃から聞いてい
たノーベル賞がどんなものなのか、見たくて野次馬根性で会場の近くまで行ってみました。市内のコン
サートホールが会場で、会場前にある、いつもは野菜や果物などの露天商の店でいっぱいの広場が、世
界各国からの来賓や大使館関係者の車で一杯になり、簡単ではありましたが交通規制もされていました。
各受賞者へノーベル賞が授与された後、場所を変え、ストックホルム市庁舎のなかの青色の間というと
ころで、晩餐会が行われました。その様子は一晩中、テレビで放送されていました。ここは平常時は、
観光客が入ってツアーができるようになっています。テレビで見ると、その部屋はとても壮大に思えま
すが、実際行ってみると、大して大きくもなく、よくこんなところに 1300 人近くの人達が入れるもの
だなと思うくらいです。ノーベル生理医学賞は、カロリンスカインスティチュートの 50 人の教授から
構成する選考委員会によって選ばれるのですが、リンガーツ教授はその選考委員長でありました。昼間
ケーキと一緒にコーヒーを飲みながら、アスペリン教授と話をしていて、今晩は、今年で 13 回目のノ
ーベル賞晩餐会に行くとか言うのを聞いたり、実際、リンガーツ教授が、スウェーデン国王から賞状と
メダルを授かって、ノーベル賞受賞者に渡しているのをテレビで見たりしていると、何か不思議な感じ
が致しました。
また将来スウェーデンを訪れてみたいです。ただし夏限定で。
写真 1
ストックホルム市庁舎のなかの青色の間―テレビで見ていると、この階段をスウェーデン王室の人たち
が順番に降りて来て、他の来賓たちと合流するのであるが、テレビでみると非常に雄大にみえる。
写真 2
ストックホルム市庁舎の裏手にある、STADSHUS KÄLLAREN というレストラン。このレストランが、
ノーベル晩餐会の料理を作るのですが、一般の人も 1 年を通じて予約をすれば前年のノーベル晩餐会と
同じメニューの食事ができる。私の誕生日に家内と二人で食事に行って、ノーベルメニューを試してみ
たが、値段は二人で約 4 万円。明らかにそれだけの価値のある食事ではなかった。
写真 3
フッディンゲーカロリンスカ大学病院正面玄関―バスが正面玄関前でとまるようになっています。
写真 4
夏で、木が生い茂ってよく見えませんが地下室、1 階、2 階のある、苦労して探し当てて、結局 8 ヶ月
間だけ住んだスウェーデンの我が家。
写真 5
三人の娘たちと我が家で
写真 6
娘たちと一緒に久しぶりに訪れた、デンマーク首都のコペンハーゲン。市内ダウンタウンにある
STRØGET というショッピング街。高校時代は暇があるとよく友達とここをあてもなくよくぶらぶらと
していたのを思い出し、とても懐かしかった。20 数年経っても、大して変わっていないのが、ヨーロ
ッパだなと実感しました。
写真 7
フッディンゲーカロリンスカ大学病院放射線科の CHIEF DIRECTOR、ペアション教授と一緒に
写真 8
家族皆で渡航する前に、一人で病院に視察に行き、アメリカに帰る際、ストックホルムのアーランダ国
際空港まで車で送ってくれた普段着のアスペリン教授
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