チェンマイ短信―10(関東支部チェンマイ同好会) チェンマイは北部の山の多い地域にあり、1~2月は野焼きのシーズンで青空であっても 朝方は遠くがボーと霞んで見える日が多い。最初は排気ガスのせいだと思っていたが現地の ガイドさんによると1月2月頃の現象で本当の抜けるような青い空は雨期の始まる前の4 月頃だそうだ。 今は午前中は涼しく朝早いと半袖では肌寒く感じる日もある。しかし、午後になると気温 は急速に上昇して昨日などはお堀近くの街頭温度計は 33.1℃を指し示していた。 街頭で店を出している多くの露店や屋台は午後 2 時になるとパタパタ店を閉じ簡単な覆 いをしてどこかに消えてしまう。食事と昼寝にいっているようだ。 4 時を過ぎるとボチボチと店を再開する準備を始め、5 時には人通りも増えいつもの活気 が街頭に戻ってくる。 私たちはそのような習慣に慣れていないので、ついランチの後に露店や市場の店を買い物 がてらに冷やかそうと出かけてがっかりすることが度々ある。チェンマイの生活時間に体を なじませるのにまだしばらくかかりそうだ。 (ゴールデン・トライアングルに行ってきました) チェンマイからいくつかの観光ツアーが出ておりその中に「1 日ゴールデントライアング ルツアー」(900BT)があったので皆で一度行ってみようということになった。 コンド4の1F に事務所を構える LSC 会員がよく使っている「ミント・トラベル」で予 約。1 月 31 日午前 7 時 30 分にオーキッド・ホテルのロビーに集合。15 人乗りのワゴン車 に私たち 5 人の日本人のほかフランス人夫婦、スイス人、ベルギー人?と現地のタイ人など 総勢 12 名を乗せて出発。説明は英語オンリーだったが、ゆっくりとしたわかりやすい英語 を話すガイドだったので大助かり。 ・不思議な世界を表現―ホワイトテンプルの怪しさ 出発してからすぐ高速道路に乗り 40 分ほどでサービスエリ アでトイレ休憩。間欠泉が湧く休憩所でトイレは有料3BT だ った。そこから更に 30 分でチェンライ県に入りホワイトテン プルに立ち寄った。正式にはワット・ロン・クンという。寺院 といっても見かけはタイ風の建築だが、壁の装飾や中身は一風 変わっていてタイの伝統と現代のシュールレアリズムが混在 した何とも奇怪なお寺である。造られたのは比較的新しく 1997 年、チェンライ出身の芸術家チャルム・コーシッピパッ トの設計施工で現在も増築中だそうである。 白亜のホワイトテンプル 写真で見ていただくほか説明のしようがない。ここもご多分に 漏れず中国観光客があふれ、DontTouch とか KeepOff とか書 救いを求める無数の手 いてあるのを無視して座ったり、もたれて写真を撮ったりのや りたい放題。外周は撮影自由だが伽藍の中はカメラ禁止。白亜 の伽藍の壁にはタイの宗教画に混じってスパイダーマンやマ イケル・ジャクソン、マトリックスのモーフィアス、はてはド ラエもんまで登場するに至っては頭の中は混乱し、???の連 続だった。 その極めつけは何と言っても金色に塗られた公衆トイレに 金色に塗られた公衆トイレ 尽きる。外壁もトイレの中も金色の装飾が施されて便器だけは 白い陶器。これは衛生上の配慮か。 かのマルクスは、「資本論」の中で資本主義が崩壊し、共産 主義社会が実現した暁には全ての不平等と貧富の差はなくな り、金は値打ちを失い、やがて公衆トイレは黄金で作られるよ うになるだろうと予言したが、ここはその予言を実現したトイ レのようであった。 トイレの中も金色づくめ これは経験しておかなくてはと、さっそく中に入り用を足し たのだが、妙に落ち着かない気分であった。あの世でマルクスも苦笑していることだろう。 ・カジノと観光で潤う金三角地帯(ゴールデントライアングル) 車に揺られること 1 時間余り、タイの最北部のメコン川の岸 には大きな仏像が鎮座していた。 いよいよゴールデン・トライアングルに到着だ。川岸には土産 物店が並び大小のレストランが観光客目当てに商売をしてい た。 ゴールデン・トライアングルとはタイとミャンマーとラオス メコン川を見守る御仏 の 3 つの国境に囲まれたメコン川をはさむ地域の総称で昔か ら麻薬の原料となるケシの栽培で村人たちが生計を立てていたことで有名である。3 国の通 貨が混在するため金と現物交換をすることでアヘンの密取引は成立していたことからこの 呼び名が定着したそうだ。 麻薬撲滅のため国際機関の経済援助でケシの栽培からお茶や果実の栽培に転作。合わせて 周辺の道路網を整備することで貧しい山岳民族の作物がタイの 都市部に輸送できるようになり徐々にケシの栽培はなくなって きた。一方、ラオスはまだ経済的に貧しく、転作が不十分でケ シの密栽培と密取引は一部で継続しているといわれている。 少なくともタイ側には麻薬取引の怪しげな雰囲気は微塵もな い。500m ほどのメコンの支流をはさんだミャンマーと幅 1km ほどのメコン本流を隔てたラオスの岸は今では国力を見せ合う ラオス側に建つカジノ ショーウインドと化していた。 はるか先に見える大きな建物はホテルとカジノのだという。ギャンブル好きの中国人が 約 100km上流の中国国境から船で下ってきて、これらのカジノで遊んで散財し、また帰っ ていくそうだ。さすが国際河川のメコン川だけのことはある。国境が交わるため、それぞれ 3 か国の上陸地点にはイミグレの事務所があり両替商が店を張っている。 ・ラオス領に上陸し、国力の差を実感 ラオス入国料と渡船ボート代として私たちは追加の 300BT の追加料金を払ってメコン河をクルーズして対岸のラオス領 に上陸。ラオスのイミグレで許可を取り土産物屋を見て回った。 歩き出すとすぐにラオスの5~7歳ぐらいの子供たちがお 金をくれと群がってきた。ポケットからタイの小銭をあげる人 もいたが、このような光景は、もはやタイでは見られない。 わずか幅1kmのメコン河をはさんでの両国の経済力の差、国 力の差を実感した。 テント張りの土産物店はバッグや靴、化粧品はグッチやブルガ リやエルメスなど世界的なブランド商品が並んでいたが、バッ グなどはどう見てもつくりが粗雑で中国製にしか見えず日本 人は誰も手を出さなかった。佐々木さんはサソリとコブラを漬 けた薬用酒を試飲していた。30 分もいるとすることもなくて 早々に渡船ボートでタイ側に戻った。 帰りはミャンマーと国境を接する町に立ち寄った。30m ほどの 掘割状の川をまたぐ国境の橋まで行った。簡単な証明書を見せる だけで両国民が仲良く行き来する様子を見学。その後バスに揺ら れて 2 時間半、一路チェンマイへ。途中、チェンマイの近くの山 上でライトアップされて燦然と輝く仏塔が見えた。その明るさが 何故かとても印象に残った。 これがあの有名なワット・ファラサト・ドイ・ステープの仏塔だ と知ったのは後のことだった。 小さな渡し船でラオスへ コブラとサソリの薬用酒 ミャンマーとの国境 ゲート前で
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