ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学

ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学’
中 西 典 子
する「民」の攻防が浮上しつつある。それゆえ,
はじめに
ナショナルな福祉国家がグローバルに再編される
1960年代のいわゆる「福祉国家の危機」以降,
なか,国家を越える市民社会の課題がいまあらた
欧米を中心に席巻してきた新白由主義改革は,市
めて生み出されてきているといえる。
場化・民営化による経済社会システムの再編を進
以上を踏まえ本稿では,日本との比較におい
めてきた。このことは同時に,従来の福祉国家が
て,福祉国家の発祥である英国と社会主義市場経
担ってきた政府役割や責任の見直しとともに,行
済を進めている中国を視野に入れながら,福祉国
財政改革の断行の下での「小さな政府」を標榜す
家の前史から生成・発展・衰退・再編の過程を迫
るものであった。戦後の高度成長の下で福祉国家
るなかで,政府による公的な福祉と民間による福
への離陸をしたもののその成熟を経験し得なかっ
祉とが,歴史の各段階においていかなる関係にあ
た日本においても,新自由主義のうねりを受けて
り,またどのような役割を担っていたのかという
民間活力の導入や行政改革が行われてきた。
点に着目しつつ,ポスト福祉国家において両者の
しかし,英国保守党サッチャー政権の崩壊が物
めざされるべき方向性について,「公共性」の議
語ったように,なし崩し的な市場化と政府の歳出
論も踏まえながら検討を進めていく。福祉国家の
削減は,失業率の増大や貧困および格差の拡大と
研究は,社会科学の様々な分野から多岐にわたっ
いう負の遺産をもたらした。したがって,その後
て行われてきているが,福祉における政府部門と
の労働党ブレア政権では,福祉国家でも市場化で
民間部門との関係,言い換えれば「公私関係」を
もないオルタナティブとしての「第三の道」が選
めぐる議論もまた,これまで長年にわたって続け
択されたのである。ここでは,保守党政権が導入
られてきた。しかし,とりわけ日本では,戦後の
した効率化や民間委託を否定するのではなくむし
いわゆる「公私分離の原則」によって福祉の公的
ろ有効に機能させるかたちで,行政機構内部のさ
責任が最優先課題となり,あえて民間福祉との関
らなる刷新や業績評価を通じて,単なるコスト削
係を全面的に取り上げたものは少なかったといえ
減でなくより成果を重視する方向での改革がなさ
る。新白由主義の偏りを受けたユ980年代の行政改
れてきた。また,政府が積極的に関与しつつ,就
革以降,「在宅福祉」や「地域福祉」へとシフト
労を組み込んだ福祉の推進や,サービスの質の重
するなかで民間部門の役割が見直されてきたこと
視,民間部門との協力・連携,地方自治体やコミ
もあり,近年ではそのような研究も多々出てきて
ュニティの重視を掲げてきている。
いるが,体系化においてはまだ途上の段階にある
このように,ポスト福祉国家の趨勢は,国家の
と思われる。本稿もまたその一端を担うに過ぎな
みならず民間を含めた多様なアクターが参入する
い。さらに本稿のテーマは,公共性も含めてかか
広い意味での「福祉社会」への道筋として,ひと
る大きなサブ・テーマ群で構成されざるを得ず,
まずは捉えることができる。こうした福祉社会的
字数の制約もあって各テーマ群の咀曝が不十分で
趨勢は,英国などの先進資本主義国だけでなく,
あることも認識している。しかし,こうした大胆
ボーダーレス経済の影響の下で市場化を進めてき
な接合がときに必要なこともあり,本稿はその分
ている社会主義国にも波及し,政府=「官」に対
析的試みの一つである。
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中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
1.福祉国家の再編における国際比較の視
点一英国・中国・日本の福祉レジーム
は,ユ8世紀の市民的権利(自由権)とユ9世紀の政
治的権利(参政権),20世紀の社会的権利(社会
権)を組み込んだものとしての市民権。itizenship
(1〕伝統的モデルとしての「英国福祉国家」の理
の獲得を,救貧法下での怠惰やモラルハザードと
念とその矛盾
結びつけられたポーパリズム(受救貧民化)やス
「福祉国家we1fare state」に関してはこれまでも
ティグマ(汚名,烙印)へのアンチテーゼとする
国内外で様々な議論が交わされてきたが,福祉国
とともに,市民,政治,社会それぞれの権利を保
家が19世紀初頭における大戦間期の英国におい
障する資本主義,民主主義,社会保障という3層
て,いわゆる「戦争国家warfarestate」に対抗す
のシステムを統合するものとして福祉国家を位置
る概念として提起され,ユ942年の『ベヴァリッジ
づけた(マーシャルユ949=ユ963)。
報告BeveTidge Report』をもってその確立に至っ
ところが,1960年代に入ると,福祉国家が所得
たという点については,すでに周知の事実であ
の再分配を実現していないというテイトマス
る(1〕。『社会保険および関連サービスSocia1
(Titmuss1962)の実証研究や,またエイベル・
Insurance and A11ied Se皿ices』と題される同報告
スミスやタウンゼント(Ab1e−S㎞釣andTownsend
が,体系的・包括的な社会保障計画を提示し,戦
ユ965)の貧困調査によって,いわゆる「貧困の再
後の英国福祉国家体制の礎となったことはいうま
発見rediscove収。fpoverty」が提起されることに
でもない。
なる。要するに,均一拠出・均一給付によってナ
英国福祉国家は,世界恐慌の影響による大不況
ショナルミニマムを保障するというベヴァリッジ
とそれに伴う大量失業者の長期的堆積,戦時体制
の原則は,皮肉にも逆進的で非再分配的な結果を
における管理強化という時代的要請のなかで,19
もたらしたのである。セインは当時の状況を次の
世紀来の自由主義的市場経済に対し,国家の積極
ように述べている。「1940年代末においてさえ,
的な財政政策を通じて有効需要を創出し,経済成
それらは本当に最低限水準の給付しか提供してい
長の維持・拡大によって完全雇用をめざすとい
なかったので,1954年までにはユ80万人の人々が
う,ケインズの総需要管理政策をその理論的支柱
ミーンズテスト(資力調査…筆者)を伴う国民扶
とするものであった(ケインズ1936=!995)。こ
助の支給を受けていた」(Thane!996=2000:
うしたいわば資本主義の修正・維持策は,後にマ
343)。テイトマスらの実証は,所得比例年金への
ルクス主義から批判されるところではあるが,福
社会保障制度改革の推進力となったが,その本格
祉国家の経済成長策が単に成長主義的なものでは
的な導入は,ユ975年の労働党政権による社会保障
なく,再分配政策を通して全国民の最低限度の生
年金法の制定まで待たねばならなかった。
活を権利として保障しようとしたところにこそ,
その意義は見いだされる。それは,3世紀もの長
(2)福祉国家の危機と再編
きにわたる救貧法の伝統を持つとともに,「世界
ユ98ユ年,0ECDは「ユ980年代の社会政策に関す
の工場」として資本主義を逸早く生みだし世界に
る会議」の報告書『福祉国家の危機TheWe1fare
君臨した英国が,それゆえに失業や貧困,犯罪,
Statein Crisis』を刊行する(0ECD198ユエユ983)。
疾病,老齢など様々な社会的問題および矛盾に直
この報告は,OECD諸国における経済の停滞が国
面し,その反省と議論の積み重ねのなかから編み
家福祉的な対応を困難にしているというものであ
出した先駆的なモデルでもあった。マーシャル
ったが,これを機に,英国のみならず福祉国家を
(ユ) なお毛利(1990)は,D.C.マーシュの議論を引用
ともすれば抽象的概念である福祉国家が戦争国家と共
しつつ,福祉国家を積極的に評価しつつも,他方で,
存しうる側面を有していることも指摘している。
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地域創成研究年報第3号(2008年)
歩んでいた先進資本主義諸国が,その方向転換を
これに対して,ネオマルクス主義からの批判も
迫られることとなったのである。福祉国家を脅か
多様であるが,基本的には,財政危機は資本主義
す経済危機は,1970年代初頭の国際通貨危機とオ
それ自体に内在する矛盾に起因するものであり,
イルショックによって世界的な規模で拡大した。
そうした資本主義体制を維持する福祉国家もまた
世界経済の停滞は失業の増大とともに先進諸国の
矛盾を生み出さざるを得ない,というスタンスを
財政危機を招き,社会保障支出を圧迫していく。
取っている。資本蓄積と国家の正統化との相互矛
こうした情勢はまさに,完全雇用を掲げる戦後福
盾を論じたオコンナー(O’Comorユ973=1987)
祉国家が直面した最大の危機であったω。
をはじめ,労働者の社会的統制が資本の長期的な
もっとも,福祉国家に対する批判は70年代以前
蓄積を支える点を指摘したゴワ(Gough1979=
にも存在していたが,ジョンソン(Johnson/987
1992)などがあげられる。また,オッフェ(0ffe
=ユ993)が指摘するように,ニューライトやネオ
ユ984)は,資本主義の危機管理戦略としての福祉
マルクス主義からの批判は50年代や60年代にはほ
国家という視点から,行政を通じての再商品化戦
とんど真剣に取り上げられず,70年代の財政危機
略が市場システムの機能を揺るがせ,逆に脱商品
を経てそうした批判が反響を呼び起こすこととな
化がすすんでいくという矛盾を明らかにしてい
った。このような福祉国家への批判には上述した
る。新川(2002)がいうように,ニューライトも
左右両陣営の他にも,脱近代主義や脱構造主義か
ネオマルクス主義も,福祉国家が資本主義の危機
らのアプローチがあり,後者はとりわけ80年代以
を招いているという点では共有認識がみられる。
降に影響を及ぼしている。
しかし,前者が主張するような,福祉国家の解体
新白由主義と新保守主義の要素を併せ持つニュ
と市場への回帰によって危機が回避され得る,と
ーライトの批判は多様であり,一括りにはできな
いうことは到底考えられない。ル・グランが指摘
いが,代表的な論者としては,ハイエク(Hayek
するように,福祉の市場化には様々な困難や問題
1960=ユ987)やフリードマン(Priedman!962=
が存在し(4〕,また,オッフェがニューライトを
!975)があげられる。紙幅の都合上詳しい分析は
批判したように,後期資本主義社会は国家の福祉
他に譲り{3〕,ここではC.ピアソンに従ってニュ
的介入なしにはもはや成り立たず,脱商品化の進
ーライトによる批判の要点をあげておきたい。す
行も避けられないからである。
なわち福祉国家は,①投資および勤労インセンテ
第3の批判は,上述の脱近代主義および脱構造
ィブを損なう非経済性,②官僚制の肥大化を促し
主義からのものである。有効需要を創出し完全雇
民間部門から資本と人材を奪う非生産性,③福祉
用をめざすケインズ主義的福祉国家は,大量生
供給の独占とサービスの非効率性,④貧困や欠乏
産・消費のいわゆるフォーデイズム蓄積体制のな
を除去できず依存の悪循環を生み出す非効果性,
かで効力を発揮し得た。しかし,その後の「腕組
⑤官僚制支配と社会統制による専制性,⑥個人の
織的資本主義disorganized capita1ism」(Offeユ985)
選択の自由の否定と重い税制,を有しているとい
の段階に至っては,労働組合の衰退や官僚主義的
うものである(Piersonユ991=1996197−98)。
福祉国家への信頼の喪失,申聞階層の離反という
(2)堀内(2003:2)は,福祉国家体制の危機は戦後世
からである。…福祉国家の原資が前世界の富の収奪に
界の構造的危機にその震源があるとし,次のように述
依存していたとすれば,福祉国家の危機は必然であ
べている。「それは同時にメジャーの石油独占による
り,危機というよりは宿命である」。
パックス・アメリカーナ体制の動揺を意味した。ドル
を基軸通貨とする戦後資本主義体制は「北世界=先進
(3)塩野谷2002,金子2005など。なお金子によれば,ハ
資本主義諸国」による「前世界=資源保有諸国」の支
れている。
イエクやフリードマンは新自由主義の代表的論者とさ
配と富の収奪の上に『石油文明」として成立していた
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中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
事態が生じ,福祉国家を支持する動機が薄れてい
ラダイムとしての「福祉多元主義」や「福祉社会」
く。また,男性が稼得者である世帯(ma1e bread−
の多様な社会的アクターへの展望を通じて,硬直
wimer family)を標準として前提する福祉国家へ
した福祉国家体制を克服していく試みでもある。
のフェミニズムからの批判に加え,多様な社会的
この点については,公私分担と関わって本稿の主
マイノリティの排除,環境への無配慮など,いわ
要なテーマでもあるため,章をあらためて論じる
ゆる「新しい社会運動」において提起されてきた
こととする。
諸問題をめぐる福祉国家の欠陥が指摘されてき
た。近代啓蒙主義の一元的価値観に基づく中央集
(3〕ハイブリッドな(?)日本型福祉レジーム
権的な福祉国家が限界にきていることは,いまや
エスピンーアンデルセンは,そのレジーム類型
明らかとなっている。
では直接論じていない日本に関して,完全雇用面
では,福祉国家はもはや時代遅れのものとして
では社会民主主義的であるが,家族福祉や企業の
葬り去られるべきなのだろうか。答えは否であ
職域福祉に依存している点では,保守主義かつ自
る。P.ピアソンは,1980年代の英米をはじめと
由主義的な側面をも併せ持つハイブリッドな型と
する国々で巻き起こった新白由主義旋風のなかで
して,位置づけている。この混合型について新川
も,福祉国家はなお解体しなかった点をあげてい
は,「日本は自由主義と保守主義の混合類型」と
る(Pierson,P.1994)。また,エスピンーアンデ
し,「男性稼得者中心の伝統的家族主義を伴う企
ルセンは,これまでの福祉国家論が国家のみに狭
業主義的福祉体制」であると述べている(新川
く関心を集中させてきた点を指摘し,国家・市
2000:ユ47)。新川によれば,まず,企業福祉と小
場・家族という三極構造の相互関係を分析する包
さな政府という点では自由主義的特徴があるもの
括的な福祉ミックスを「福祉レジームwelfare
regime」と規定し,その多様性を分析している
の,その企業福祉は,被雇用者の企業への帰属感
(Esping−Andersenユ990=200ユ,G・エスピンー
である。企業外における労働者間の連帯を阻む企
や忠誠心を高める家族イデオロギーに基づくもの
アンデルセン200ユ)。P、ピアソンは,エスピン
業別労働組合もまた,労働者の企業への完全な包
ーアンデルセンが示した福祉レジームの三類型
摂を促すものである。さらに,男性稼得者世帯を
(自由主義,保守主義,社会民主主義)を援用し
前提とした賃金体系や税制上の控除が,女性の労
つつ,それぞれのレジームに対応した再編のあり
働市場参入を抑制し,女性は賃金やその他各種手
方を提起している(Pierson,P.ユ996)。いうまで
当てにおいて差別を受けてきた。そして,公的社
もなくこうした議論はごく一部であり,福祉国家
会保障制度についても,職域ごとに分立する社会
の再編あるいは再構築に関する研究蓄積は内外に
保険は保守的なものであり,給付や保険料控除を
おいて多数存在している。そしてそ私らの多く
みても明らかに家族主義的なイデオロギーが埋め
は,福祉国家を内在的に批判し,それを超えるパ
込まれている,と説明を加えている。
(4) ル・グランら(LeG正and&Bartlett1993)は,福祉
のが困難な場合,代珪人である第三者(社会サービス
や医療,教育サービスなどにおいて,通常の市場メカ
部やケアマネージャー,家庭医など)に委任すること,
ニズムと異なる理由として,第ユに,サービス供給者
の3点をあげている。福祉のように,需要側に十分な
側の競争において,必ずしも利益の最大化を目的とし
購買力や判断力がなく,サービス供給も個別的かつ不
ない非営利組織が含まれていること,第2に,消費者
の購買力は現金で示されず,利用者に割り当てら札る
特定のサービス購入に限定された予算やバウチャー形
式を取るか,あるいは単一の政府機関に購入が集中す
ること,第3に,利用者がサービス購入の選択を行う
安定でモニタリングが難しく,また,専門的なサービ
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スの供給者と利用者との間の情報の格差(非対称性)
が存在する領域では,市場メカニズムの適用は困難で
ある。
地域創成研究年報第3号(2008年)
同様にエスピンーアンデルセンの類型論に依拠
資,②長期的雇用慣行や家族賃金,企業内福利厚
しつつ論じている大澤は,「日本は,政府の比重
生による福祉国家の代替,③福祉の現業労働者と
が家族支援としては小さく,大企業が福祉機能を
しての家庭における主婦,である。①は,地総債
内部化しているという意味で自由主義的であると
などで白治体に起債させ公共事業費を賄わせて,
ともに,家族への依存が大きいという面で保守主
その償還を交付税交付金などで充てていくこと,
義的であって,すわりが悪い」(大澤編2004:
また,中小零細企業に対する様々な保護規制政策
30)と述べている同。そしてとりわけジェンダ
を福祉政策にかわって行うことにより,とりわけ
ーを焦点化し,「家族だのみ」,「大企業本位」,「男
建設業を中心とした中小零細企業の被用者あるい
は自営業者を支えてきた点があげられる。②およ
性本位」を維持強化する「日本型福祉社会」が,
「脱商品化」や「説家族化」に逆行するかたちで
び③については,新川や大澤においても示されて
ユ980年代に採用された点を,85年の第3号被保険
いるが,加えて③に関して,戦後の先進国のなか
者制度や87年の配偶者特別控除の導入を通してみ
で日本のみが主婦の割合が増加していること,そ
ている・日本に限らず福祉国家が総じて男性モデ
してそのピークが1970年代半ばであることか
ルであるという点に関しては,先にみたフェミニ
ら,80年代の主婦優遇政策は,女性を家庭に繋ぎ
ズムによる批判で明らかであるし,エスピンーア
止めるための制度上の誘導であったといわれてい
ンデルセンの脱商品化やマーシャルのシティズン
る(宮本2005)。
シップ概念もまた,ジェンダーバイアスとして異
このように日本型福祉レジームは,男性稼得者
議が唱えられてきた(Sainsbury1994)(o〕。その
とその被扶養者である専業主婦によって構成され
意味では,福祉国家の克服に向けてジェンダー視
る家庭=世帯を基盤として,その上に企業の福利
点を組み込んでいくことは普遍的な課題といえる
厚生的な雇用慣行システムが政府の社会保障を補
が,とりわけ日本の場合は,福祉国家の危機を経
完するかたちで存在し,さらに所得再分配よりも
てめざされた福祉社会が,脱商品化や説家族化と
むしろ資源配分面における政府の積極的な介入に
いう段階に対して全く逆行する方向で提起された
よって景気刺激策=完全雇用/所得保障が行われ
ものであり,それは福祉国家の克服というよりも
るという,独特の構図であるといえよう川。
むしろ後退でさえあった。
0ECD諸国にみられない日本型福祉レジームの
(4)福祉国家と「社会主義市場経済」システム
もう一つの特徴は,家族福祉と企業福祉が強固に
福祉国家は,もとより資本主義と社会主義のい
補強し合っているという点である。この点につい
す札でもない「中間の道the midd1e way」ともい
て分析している宮本は,日本型福祉の「三位一体
われるが,広井によれば,資源配分(=生産段階)
構造」として次の点を指摘している。すなわち,
そのものを公的にコントロールするのが社会主義
①保守政治家の主導による地元への公共事業投
であり,資源酉己分を市場メカニズムに委ねつつ,
(5) この点に関して宮本は,「保守主義的な代替構造で
祉国家固有の傾向」を表していると・述べている(宮本
ある家族主義と自由主義的な代替構造である企業福祉
2003=!7一]一8)。
が補強しあいながら強固に併存している,というかた
ちは欧米福祉国家には見られない」とし,「急速な経
(6) なおエスピンーアンデルセンは,脱商品化(de−
済拡大のなかで生みだされたリスクに対して,公的な
性を視野に入れていないというフェミニズムの批判を
制度形成をまたずに,家族や雇用関係など所与の制度
受け止め,女性が家事労働から解放され経済的な自立
を獲得し得るための新たな指標として,説家族化(de−
資源を動員し,その枠内で対応せざるをえなかった」
という点で,「強力な国家が小さな福祉国家(あるい
は大きな市場福祉と家族福祉)を形成」する「後発福
1o㎜odific3tion)が,労働市場から排除されてきた女
familia1iz3ti㎝)を提起している(Esping−Ande正sen1999
=2000)。
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中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
社会保障等を通じた所得再分配(=消費段階)で
ステムが,一面において社会主義ないし「社会主
それを是正するのが福祉国家の考えカであるとさ
義市場経済」と類似した側面を持っていたことを
れる。そして,戦後日本の経済社会システムにつ
指摘している〔8〕。
いて,①市場経済を前提としつつも,資源配分段
社会主義市場経済は,改革開放以降の中国にお
階において国家が積極的な介入を行うという点
ける新たなレジームともいえるが,先の広井によ
(戦後まもない頃の‘傾斜生産方式’のような通
れば,これは,「福祉国家とは逆に‘社会主義か
商産業省による産業政策など),②生産の単位と
ら資本主義へ’の接近」であり,「資源配分を計
なる「企業=カイシャ」が,社員やその家族まで
画経済から市場メカニズムにシフトさせるととも
も含めた生活保障を行うことによって(各種手当
に,そこから派生する所得格差等を社会保障によ
てや住宅の提供など),公的な社会保障は,西欧
る所得再分配システムなどによって是正する」
(広井2007:4)考え方とされる。また,「社会
の福祉国家に比して相当低い水準で推移すること
ができたという点,③政府による公共事業が実質
主義と福祉国家の関係は両義的である」とする加
的に「職の提供を通じた社会保障」というかたち
藤も,英国の福祉国家建設が,労働党を通じてフ
で社会保障的な機能(=「公共事業型社会保障」)
ェビアン社会主義の影響を強く受けたものである
を果たしたという点,に集約した上で,日本のシ
ことを指摘しつつ,「社会主義に有効に対抗する
(7) もっとも,現状においては,こうした雇用や家族の
業政策(中小企業保護や衰退産業保護等)などがあげ
システムは根底から揺らいできている。この点に関し
られる。そして,こうした社会保障以外の強力な再分
て宮本は,スウェーデンのような大きな福祉国家が財
配という基盤の上にはじめて,ユ96ユ年の「国民皆保
政を黒字基調で維持しているのに対し,日本のような
険」が成り立ったとされている。第三段階は,ユ970年
小さな福祉国家が大きな倍金を抱え込んでいる,とい
う皮肉な対比をあげている。また日本の福祉ミックス
代以降であり,この時期は,①公共事業への依存の拡
大,②社会保障による再分配(高齢者関係)の本格化,
に関して,行政が社会福祉法人の運営に事細かな口出
という特徴を持つとされる。①では公共事業が(公共
しをすることによって非営利セクターの創造性が失わ
財の提供という資源配分機能ではなく)所得再分配機
れ,また,全体としてサービスの供給量が少ないため
能,ないし‘土建業従事者の生活保障’となり,「公
に家族の負担が大きくなって虐待などが引き起こさ
共事業型社会保障」へと変質する。このことはまた,
れ,さらに,一部のシルバービジネスが高所得層だけ
公共事業を通じた農業から土建部門への「過剰の移動」
を相手にサービスを展開する(クリームスキミング)
を招き,農業・農村の衰退につながっていく。②に関
という,ネガティブミックスであると述べている(宮
しては,第二段階までの「生産部門を通じた再分配」
本2005)。
から「社会保障による再分配」へのシフトが示される。
(8)広井は,所得再分配や平等化政策として重要な役割
そして第四段階は,今世紀以降‘小泉改革’を通じて
を果たすのは,社会保障のみならず,むしろ後発の産
強力な「市場化」が推進されてきた時期である。この
業国の場合には,社会保障以外の諸政策(広義の産業
政策)の方が大きな機能を果たすことがある,という
興味深い指摘をしている。この点で,戦後日本の分配
ように戦後日本が辿ってきた各段階を追いながら,次
のように総括している。すなわち,日本において比較
的最近まで一定の「平等」が実現されてきたのは,「戦
政策を次のような4段階に分けている。第一段階は,
終戦直後の「強力な‘機会の平等’政策」の時期であ
る。ここでは,半ば‘社会主義的’ともいえるような
後の出発点における’強力な機会の平等’政策」とそ
農地改革による土地の再分配と,新制中学の義務化(教
転換’,つまり経済が成熟化して以降の段階において,
育の機会均等)があげられ,このような再分配ないし
平等化政策が個人の「自由」な活動を促し,その後の
分配」へと転換していくことに失敗した面が大きく,
の後の「生産部門を通じた再分配」の帰結であったこ
と,しかしその後の‘産業政策から社会保障政策への
「生産部門を通じた再分配」から「社会保障による再
経済発展の大きな基盤をなしたことは,あらためて再
その様々な負の帰結一一方における種々の既得権の固
評価すべきとしている。第二段階は,ユ970年前後まで
定化と,他方における社会保障の再分配機能の弱さや
の「生産部門を通じた再分配」が行われた時期である。
「格差」の拡大一にいま直面している,と(広井2007:
具体的には,①農業補助金(都市→農村への再分配),
ユ2−14)。
②地方交付税交付金(中央→地方への再分配),③産
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地域創成研究年報第3号(2008年)
ためには,資本主義を批判する社会主義の要素を
となっている現在の中国とは,全く異なる社会経
取り込んで資本主義を矯正する以外にはな」く,
済システムでありながら,その内実には意外な類
「福祉国家とは,要するに,社会主義を排除する
似性がみられると述べている。そして,アジアに
ために社会主義の改良主義的要素を内に取り込ん
広く見られる後発産業国家においては,「資源配
で自己改造する資本主義の政治経済システムのこ
分」と「所得再分配」との間に明確な線を引けな
となのである」(加藤2006)と述べている(9〕。
いことを指摘し,アジアにおける社会保障および
上の加藤の引用文にある「社会主義」と「資本主
福祉国家システムの比較とともに,従来論じられ
義」を逆に読み替え,かつ「福祉国家とは,」を
てこなかった「福祉国家と社会主義市場経済の比
「社会主義市場経済とは,」に変換すれば,逆説
較」という視点が今後必要になるとしている(広
ながらも両者の共通性が読み取れるだろう。した
井2007)。
がって,「『福祉国家』と『社会主義市場経済』と
福祉国家は,その初発である英国および西欧諸
いう二つの理念は,歴史的文脈は異なりつつも,
国がモデルとなっているが,それは決して普遍的
ともに‘資本主義と社会主義の中間形態’,換言
なものではなく,それぞれの国における地連的,
すれば『政府と市場の最適の組合せ」の模索の途
歴史的,制度的,文化的等々の差異に基づいて多
上に位置する」(広井2007:4)ものなのである
様性を内包している。ω。エスピンーアンデルセ
ンの福祉レジームは,この点においてまさに有効
(表1)。
広井は,資源配分段階における政府の介入や「カ
な比較分析軸を提出したものであり,「ポスト福
イシャ」(そして家族)という「見えない社会保
祉国家」といわれる局面において,国家=政府以
障」が大きく弱体化・流動化し,そ札に代わる社
外のアクターも含めて,「官」と「民」および「公」
会保障整備が問われている現在の日本と,国有企
と「私」の役割や相互の関係のあり方が重視され
業等の生産「単位」(生活保障機能も組み込まれ
るなか,福祉国家的アプローチを生かしつつもそ
た)が崩壊してそれに代わる社会保障整備が課題
札を乗り越える,「官と民および公と私の最適の
表1 社会経済システムの比較
A.社会主義
B.社会主義市場
経済システム
C.福祉国家
D.(純粋な)資本
資源配分
公的コントロー
私的
私的
私的
reSOurCe allOCatiOn
【生産段階】
ル(計画経済)
(市場経済)
(市場経済)
(市場経済)
C£「単位」として
模索中=社会主
強
弱
主義
の企業
所得再分配
income redist㎡bution
【消費段階】
(上記によって達 義市場経済シス
成。eX.失業や所 テムにおける社
=積極的な社会
保障制度
得格差は存在し 会保障制度のあ (国による多様性
あり)
ない〔とのドク り方
マ〕
(出所)広井2007:5
(9) なお,加藤は,ソ連社会主義体制の崩壊によって,
適合的な福祉体制の設計を行うことにより,「狭義の
社会主義という資本主義に対抗するイデオロギーが喪
福祉に対する政府支出は抑制されるが,政府の規制は
失したことも,福祉国家の絶対的な価値を減じる要因
強化され,そのもとで,企業,家族,コミュニティな
の一つとなったとしている(加藤2006)。
(10)例えば,「東アジア福祉モデル」では,国家官僚制
2003124)といわれている。
が財政資源を経済開発に集中し,そうした経済開発に
一37一
どの非政府機関が福祉供給の主体となる」(宮本
中西典子
ホスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
組合せ」というさらなる課題をいかに展望してい
貧税負担の多寡に連動することからも,現場に生
くか,が問われているのである。
起する様々な問題に対し,それを打開していく方
策を考える必要に迫られたのである。このこと
2.ポスト福祉国家における公私分担一英
国の場合
は,その目的が貧民の取り締まりという消極的な
ものであったとはいえ,教区の問題処理能力や発
言力を多少なりとも増すことにつながり,中央政
(1〕公的福祉と民間福祉との断続性
府にも影響を与えた。また,教区徒弟や劣悪な労
一福祉国家前史・救貧法的伝統の瓦解∼慈善
働条件など救貧法下での非人道性に対する批判・
組織運動から社会主義運動へ
抗議運動が,工場法の制定や労働組合の組織化を
いうまでもなく英国の福祉国家は」夜にして誕
促し,救貧税の軽減を訴える活動を通じて友愛組
生したのではなく,その形成に至るまでの長い歴
合が発展するなど,救貧法をめぐる教区=地方行
史的前提をふまえておく必要がある。とりわけ留
政と中央政府との攻防のなかで,救貧法それ自体
意すべきことは,1.(1)で述べたように,福祉国
の度々の改変とともに,数々の民間活動もまた萌
家が,国家の公的な救済として350年にわたって
芽したのである。
継続した救貧法との連続性,そして,そのぎりぎ
慈善活動は,上流階級や中産階級により,「社
り最低限の保障を補完しかつその隙間を埋める
会貢献の義務を説く福音主義の信仰に支えられ
「分厚い福祉の『中問領域』」(高田200ユ:25)
て,あるいは貧富の懸隔に対する『罪意識」にか
の活動の蓄積,の上に成り立っているという史実
られて,あるいは社会的な名声と地位を得る手段
である。中間領域を構成したのは,その多くが18
として」(市瀬2004:136),活発に繰り広げられ
世紀に生成した民間のアソシエーションであり,
た。その組織の数は,1861年にはロンドンで640
それは,労働組合や友愛組合(friendly society),
が存在し,こうした組織のユ年間の活動費総額244
協同組合などの相互扶助組織,貧民大衆に対する
万ポンドは,ロンドンにおける救貧法のユ年間の
上流・中産階級および博愛家等の慈善活動を担う
救済総額をはるかに超えていたとされている(市
慈善組織(charity organisation)に代表さ札る。
瀬2004)。しかし,かかる無数の慈善活動は,相
160ユ年に集大成された救貧法(PoorLaw)は,
互の連絡調整が全く行われていなかったため,慈
ユ662年の定住地法(Sett1eme皿tAct)とともに,教
善活動問を渡り歩き金品の施しを乞う,いわゆる
区を単位とし,有産の教区民から徴収した救貧税
「職業乞食」を増加させることとなった。こうし
(固定資産税)によって教区内の貧民を救済する
た事態への憂慮から貧民問題が議論されるように
という仕組みであった。救貧法は,実際は救済と
なり,1869年に「慈善救済組織化および乞食抑制
いうよりもむしろ社会にとって有害な貧民の取り
のための協会Society for Organising Charitab1e
締まりを行うという性格を帯びており,労働能力
Relief and Repressing Mendicity」(後に慈善組織協
のある貧民は労役場(workhouse),貧困児童は
会Charity Organisation Society:COSに改称)が設
徒弟に出されて労働を強いられ,就労を拒否した
立する。当協会は,中央事務所に評議員会を設け,
貧民は処罰の対象となり,労働能力のない貧民は
その下に救貧法の教区連合を単位とした各地区委
救貧院(poor house)へと収容される。こうした
員会を設け,当該地区内の全ての慈善活動組織を
救貧法の具体的な執行は各教区の自治に委ねられ
登録させ,相互の情報交換や協力を促進して活動
ており,各教区には教会委員,貧民監督官,保護
の指針を統一するという役割を担った(Loch
委員といった無給の教区役人たちがその任務を遂
1895)。cosは,「貧困を個人の生活や習慣の問題
行していた。したがって,救貧行政の責任を担わ
として把握する自由主義的・道徳的貧困観」(金
ねばならないそれぞれの教区では,運営手法が救
子2005:55)に基づいており,自立や自助努力
一38一
地域創成研究年報第3号(2008年)
を怠るようないわゆる「救済価値のない貧困層the
業紹介法LabourExcha㎎esAct」,「最低賃金法
undesemingpoor」については,救貧法の懲罰的
Trade Boards Act」,「国民保険法Nationa1Insurance
な処遇に委ねるというスタンスを取っていた。
Act」など一連の社会立法が制定されたのである。
一方,こうしたCOSの考え方に疑問を抱いたい
市瀬によれば,この老齢年金法と国民保険法は,
くらかの構成員をはじめとして,貧困問題をめぐ
抑圧原理にもとづく伝統的な救貧法と決別し,新
る社会運動が展開していく。COSと同時期に始ま
しく国家扶助と社会保険の原理に基づいて権利と
ったセツルメント運動〔H〕や,ユ880年代以降に広
しての所得保障を定めたものであり,現代の社会
がったフェビアン協会の社会主義運動(ユ2〕および
保障制度の原点となる画期的な法律であった(市
労働運動がそれであり,これらは,「労働者の生
瀬2004)。
活の困窮は,個人の性格的欠陥や道徳的堕落のよ
うな『貧民問題』に起因するのではなく,労働の
(2〕公的福祉と民間福祉との断続性一福祉国家創
成果の不平等な分配に加えて,失業,傷病,老齢,
成期
扶養者の死亡など,個人の責任の範囲を超えて社
このような,国家による社会保障は,救貧法を
会に生起する『貧困問題』であって,それは個人
事実上の骨抜きにするとともに,これまで民間組
の道徳的更正をめざす慈善活動や選挙権を剥奪す
織が担ってきた役割の改変を促すことになる。一
る過酷な救貧法による対応ではなく,包括的な社
連の社会立法に先立ちユ905年に設置された「救貧
会政策によって解決を求める運動」(市瀬2004:
法および貧困救済に関する王立委員会Roya1
ユ36)であった。こうした運動は,COSと対立し
Commission on the Po0T Laws and Re1ief of
たが,東ロンドンにあるトインビー・ホールの協
Distress」は,CoS関係者やフェビアン協会関係
力の下,ブース(Charles Booth)によって実施さ
者らで構成されており,とりわけ両者の対立が先
れた大規模かつ科学的な実態調査を通して,貧困
鋭化したのが,公私の選択基準をめぐってであっ
が社会問題であることが立証された。そして,1890
た。自由主義の原理によって個人責任を強調する
年代前後の長期的な大不況における大量失業を背
多数派のCOS側は,国家の介入は最小限にして民
景に大きな影響を与えることとなり,政府は,慈
間の主体性を尊重すべきであるとし,救貧法を拡
善活動や救貧法の枠外で,貧困問題の解決をめざ
充・人道化した「公的扶助」に改め,連合教区ご
す社会政策に着手する必要に迫られた。こうして,
とに公的扶助委員会と民間援助協議会を設置し,
ユ906年からユ9ユエ年にかけて,「教育法Education
生活手段を持たない困窮者は前者が扶助し,救
Act」や「老齢年金法O1d Age Pensions Act」,「職
済・援助の価値があるケースは後者が担うとい
(11)セツルメント運動は,貧困地区に住み込み,住民と
フェビアン社会主義に傾倒していった。フェビアン社
の様々な交流を通じて,貧困問題の要因を調べその解
会主義は,革命的なマルクス主義に対し,改良主義的
決策をはかりながら,地域の生活改善や福祉の向上を
であるとされる。リーとラバンは,「マルクス主義は,
めざしていく活動であり,COSの創設者の一人であっ
た司祭のバーネット(Samue1Bamett)が,COSの貧
資本主義国家を階級支配の道具と見なす傾向があるの
困観が個人責任であるという考え方に対して環境的な
機関と見なしがちである」とし,フェビアン協会の中
要因を重視し,ロンドン東部の貧困地区イースト・エ
ンドのトインビー・ホールを拠点として拡大した社会
心的なメンバーが中産階級であり,「身分制度を当然
改良運動である。このセツルメント運動は,その後世
に搾取的な生産様式を廃止することにではなく,ただ
資本主義および階級社会をそのままにして労働の成果
界へと広がっていった。
(12) フェビアン協会の理論的指導者であったウェブ
に比べて,フェビアン主義者は国家を相対的に中立な
のこととみなす」フェビアン主義者の順心が本質的
を『より公正に」分配することにだけあるのではない
(Sidney Webb)の妻(Beatrice Webb)もCOSに所属
かという攻撃に曝される」(Lee a1ユd Rab3n ユ988=
していたが,その活動に限界を感じ,後に夫とともに
ユ99ユ1ユ5,90)と述べている。
一39一
中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
う,いわゆる「平行棒理論the parallel bars theo町」
タリー組織協議会Nationa1Council for Vo1untaエy
を提出した。それに対して少数派のフェビアン協
Organisations:NCVO」の前身)が創設された。
会側は,救貧法を解体し,国家による統一的な基
この協議会は,民間組織相互の啓発活動のみなら
準での公的保障を行った上で,独創的かつ柔軟で
ず,政府と連携協力する窓口としての役割も担う
多様な活動を民間組織が担うという,「繰り出し
民間の代表機関となるとともに,各地方自治体レ
梯子理論曲e extensi㎝ladder theoリ」を提起した
ベルにおいても,行政機関と民間組織の代表者か
(Roya1Commission on the Poor Laws and Relief
ら構成される地方社会サービス協議会の組織化を
of Distress,!909)。金子は,こうした公私関係論
進めていった。
は,「市民社会における公的部門の役割をどのよ
労働党政権となったユ945年には,1.(ユ)で述べ
うに捉えるかについて検討する場合の出発点とな
たベヴァリッジ報告に基づく社会保障制度が,よ
るもの」(金子20051109)であったと述べてい
り拡充した「国民保険法」や「国民保健サービス
る。結局,自由党政府は多数派の見解を取り入れ,
法National Hea1th Service Act」,「国民扶助法
自由主義に社会改良的な要素を組み込んだ社会立
Naせ。nal Assistance Act」などとして法整備され,
法を制定することになったものの,平行棒論では
名実ともに福祉国家が誕生した(ユ3〕。しかしそれ
なく行政機関と民間組織,また民間組織間の協力
は,国家責任に基づく社会保障の実現であると同
連携が必要であるとしたナン(Thomas Num)の
時に,民間による社会サービス活動を排除するも
「協力連携論」(市瀬2004)がその後は主流とな
のであった。このことは,戦災のダメージを受け
っていくのである。
ていた多くの民間組織にとって,活動を維持する
学生時代にセツルメントの活動家であったナン
ことさえ困難な状況に追いやられることを意味し
は,王立委員会メンバーであると同時に英国初の
た。もっともベヴァリッジは,これまでの友愛組
地域的な社会福祉協議会(Comcil of Socia1
合の再建など民間のボランタリー活動にも関心を
Welfare)の結成メンバーでもあった。当協議会
払し),国家によるミニマム以上のサービスを提供
は,19世紀末の大不況以降20世紀初頭にかけて新
するものとして重視していた(Beveridge1948)。
たに誕生し,乱立状態であった様々な慈善組織の
しかし,福祉国家の建設において専門的な行政能
連携を,COSとは異なる社会運動の視点から推進
力を重視する労働党にとっては,とくに慈善的な
するものであり,市瀬によれば,「『慈善』から『社
伝統を持つ民間のボランタリー活動は奨励できな
会福祉』への転換点となる運動」(市瀬2004:
いものであった(ユ4〕。全国社会サービス協議会の
207)でもあった。そして,こうした社会福祉協
特別委員会は,後に「20世紀の民間社会サービス」
議会やCOSの他,民間組織の代表者による委員会
と題した報告書を刊行し,とくに19世紀後半に民
が設置され,19ユ9年には民間活動の全国的な連絡
主主義的な組織が発展し,こうした民間組織と行
調整機関である「全国社会サービス協議会Nationa1
政機関とが相互の活動を理解し協力してきたこ
Council of Socia1Services」(現在の「全国ボランー
と,そしてそのことが福祉国家への道を切り開い
(ユ3) 時の首相であったアトリー(Clement A廿1ee)や,
の国民保険法の下で健康保険の管理者として認可され
ロンドン大学政経学部(LSE)の学長であったベヴァ
たが,その後,労働党と労働組合とが力を得るにつれ
リッジ(Wi11iam Beveridge)は,いずれもトインビー・
て地方共済の伝統がゆらぎ,党自身も中央集権的・国
ホールに住み込み,セツルメント活動を経験してき
た。また,ベヴァリッジの報告は,ケインズもさるこ
家主義的なイデオロギーを求めて自らのローカルな協
同の根を見捨ててしまったこと,また,労働党の中心
とながら,フェビアン協会のウェブ夫妻の理論的影響
的な創設者であったウェブ夫妻は,共同所有を相互所
を強く受けている。
有ではなく国家所有として定義したとされている
(ユ4) テイラーによれば,友愛組合と労働組合は,191ユ年
(Taylor2004=2007)。
一40一
地域創成研究年報第3号(2008年)
たのであって,両者は敵対するのではなく補完し
多数の新しい民間組織が誕生した。これらの活動
合うものであるとし,機動力や柔軟性を持つ民間
は,従来のような経済的・時問的ゆとりのある層
活動が果たしている役割を主張している(NCSS
によって担われていた活動とは異なり,当事者と
1970)。
しての問題意識から出発し,それを社会的にアピ
ともあれこのような紆余曲折を経つつ停滞して
ールして問題を共有化しつつ解決策を図っていく
いたものの,全国社会サービス協議会が福祉国家
というものであった。
の発展にとって民間活動が不可欠であることをア
このような活力ある運動のインパクトは,社会
ピ」ルするなかで,多くの民間組織が再建を遂げ
保障の制度改革にも影響を与えた。保健,医療,
ていく。しかし,これまで民間活動を支えていた
所得を統合した「保健・社会保障省」の設置や,
寄付の文化が,福祉国家の財源確保の下で高率と
「所得比例給付」の導入,「国家扶助」から「補
なった租税の徴収によって希薄化し,活動資金の
足給付」への改称など多様な改革が行われ,給付
確保は困難となる。そして民間組織の役割は,従
水準やサービス内容が拡充した。また,「シーボ
来のような行政機関と対等なものではなく,国家
ーム報告」(Seebohm Committeeユ968=ユ989)を
の福祉行政の末端に組み込まれ,行政の補助金や
受けて,1970年には「地方自治体社会サービス法
サービス委託料の下で周辺的なサービスを担うも
Loca1Authority Socia1Se町icesAct」が制定され,
のとなったのである(ユ5〕。こうした「残余の範晴」
それまで各部局に分散していたサービスを「対人
(市瀬2004)である福祉サービスは,地方自治
社会サービスpersonal socia1service」として統合
体への委任事務とされたため,それを民間組織が
し,総合的なサービス提供を担う「社会サービス
代替・補完していくというかたちであった。
部」が新設された。ここでは,コミュニティケア
の発想に基づき,地区担当制のソーシャルワーカ
(3〕福祉国家の矛盾と民間福祉活動の刷新
ーを福祉専門職として雇用・配置することとなっ
福祉国家システムが浸透するとともにその矛盾
た。そしてこのような,コミュニティをべ一スと
が露呈したのが,1960∼70年代にかけてである。
した普遍的な福祉サービス供給は,民間福祉活動
この時期は,1、(1)でみたような超ミニマム的給
の重要性をも再認識させることにつながり,「地
付による貧困の再発見,官僚主義的で硬直化した
方自治法Loc劔Govemment Act」(1972)などこ
システムヘの抵抗,福祉サービス受給者に対する
の時期に制定された福祉サービス関係法規によっ
差別や偏見への批判など,とくにこれまで「一級
て,民間福祉活動に対する公的補助金の交付権限
市民」とみなさ札てこなかった人々に光が当てら
が地方白治体に与えられるようになった。また同
れた時期である。それは,ジェンダーやエスニシ
年,中央政府においても,各行政機関に分散して
ティをはじめ,障害者,高齢者,ホームレスなど,
いた民間福祉活動に関わる部署を統合し,内務省
(Home Office)に「民間社会サービス課(Vo1unt岬
いわゆるマイノリティとされてきた人々の市民権
を問う新たな社会運動の展開であり,これに伴い
Service Unit)」を新設して,全国社会サービス協
(15)市瀬によれば,福祉国家の主要な社会サービスは,
ていた社会保険制度を国家へ吸収し,所得保障制度と
従来民間組織によって開拓し運営されてきたものであ
して成立したものである。.しかし,慈善病院の国有化
るが,そうした社会サービスは,国家の行政機関に統
以降,民間団体の役割は,入院患者への相談や助言,
合され,普遍的な制度として国家責任で保障されるこ
とになる。例えば,医療サービスは,民間による慈善
茶菓子の摂待,図書や娯楽の提供など補助的な役割に
変化し,また,労働者の自助組織として伝統を誇って
病院や地方自治体病院を国有化し,国民に対し平等か
きた友愛組合は,国民保険制度の成立で瀕死の状態と
つ無料の医療保障制度として成立したものであり,ま
た,国民保険制度は,これまで友愛組合へ運営委託し
なった(市瀬2004)。
一4!一
中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
議会との連携の下で各地にボランティア事務所
にみられた自立自助や相互扶助の精神によって
(VO1mteer Centre)を設置し,相談業務や情報提
「依存文化」を払拭し,福祉サービスの担い手と
供などの支援を行っている(市瀬2C04,Kenda11
してインフォーマル部門や民間部門を中心に据え
・・dK皿・pP1996)。
ることを奨励した。しかし,先の「ウルフェンデ
したがってこの時期は,多数の市民がボランテ
ン報告」は,政府部門の役割の縮小(:支出の抑
ィアとして活動に参加し,民間福祉活動が従来の
制)として読み替えられ,民間福祉活動への補助
ような残余の範礒ではなく,より積極的なかたち
政策は,従来の民間組織に対する寄付金および事
で公的杜・会サービスに位置づけられたといえ
業税の免税措置の継続という程度にとどまった上
る=ユ6〕。こうした状況の下で,1974年に発足した
に,「補助基準が福祉サービスや自助・相互扶助
ウルフェンデン委員会は,ユ978年に公刊した報告
活動の創始期に限定した短期補助に変更されたの
書『ボランタリー組織の将来』において,福祉サ
に加えて,活動内容と会計処理について厳しい統
ービスの提供主体を,民間非営利組織などの「ボ
制が課せられる」(市瀬2004:259)というもの
ランタリー部門VO1㎜t趾y SeCtor」,家族や近隣住
であった。ユ981年の指針『行動するケア』
民などの「インフォーマル部門informa1sector」,
(Department of Health and Socia1Security1981)
民間営利企業などの「営利部門CommerCia1
では,これまで地方白治体の社会サービス部が主
SeCtOr」,中央および地方政府による「政府部門
体となって行っていたコミュニティケアを,イン
Statutory SeCtOr」として多元的に捉え,民間活動
フォーマル部門や民間部門が主体となって実施
の積極的な参加を通じて公私の役割関係を問い直
し,(地方)政府は,「条件整備㎝ab1i㎎」と「間
し,福祉国家の肥大化や官僚主義的要素を克服す
隙充填gap fi1Iing」の役割にとどまることが示さ
るとともに,家族介護など私的領域に閉ざされて
札,また,1985年の緑書『社会保障の改革一行動
きた問題を公共的に解決していくことを企図する
要綱」(Secret趾y of State for Socia1Servicesユ985)
ものであった(Wolfenden Committee1978)。
では,「個人と国家の新しいパートナーシップの
確立」.を掲げ,政府の役割は最低限の生存給付に
(4〕政府部門と民間部門の役割の転換一反福祉国
とどめ,それ以上の配分は民間の市場に委ねるこ
家体制期
とが提起されている(ユ7〕。このことは,政府部門
ところが,1979年に政権を奪回した保守党(サ
と民間部門の役割の転換を意味する。すなわち,
ッチャー首相)は,1.(2)で示したニューライト
これまでは福祉サービスの提供は主に政府が行
路線の「小さな政府」を全面的に打ち出していく
い,その代替・補完部分を政府から民間部門への
ことになる。それは,規制緩和による公営事業の
補助や委託費の支払いを通じて実施を委ねるとい
民営(私企業)化を主とする行財政改革=歳出削
うものであったが,今後は,各部門の福祉サービ
減に集約されるものであり,具体的には,国有企
ス提供者は相互に独立しながら補完し合い
業の私企業への転換やロンドン市議会の解体,公
(independent sector),政府はその間隙を充填す
務員の大幅な人員削減,労働組合への政策的介
るために福祉サ」ビスを民間部門から購入し,そ
入,公営賃貸住宅の売却,社会保障給付の削減な
うした民間部門によってサ」ビス供給が行われる
ど多岐にわたっている。
というものである。要するに,柔軟性に乏しい政
福祉国家を否定するサッチャー政権は,19世紀
府部門によるサービス供給では非効率かつ二一ズ
(16) もっとも,使途が限定されている公的補助金の比重
ても,当時の民間の関係者や研究者によって論議され
が拡大することによって民間組織の活動が規制され,
たといわれている(市瀬2004)。
民間活動の自主性や柔軟性が損なわれる危険性につい
一42一
地域創成研究年報第3号(2008年)
に即応できないため,市場原理を導入することに
は,その集大成ともいえる法律であっ㍍これは,
よって効率性を高め,消費者の選択の幅を拡大し
福祉サービスの市場化だけでなく,ベヴァリッジ
て二一ズに柔軟に対応していくというものであ
プラン以来国営であった保健医療サービスに「内
る。
部市場imermarket」を導入し,「支出に見合う価
けれども,1.(2)で述べたように,福祉や医療
値Va1ue for Money:VPM」を確保するというも
など,公共性が高くかつ労働集約的で「情報の非
のである。主要には,政府NHSの機構を「購入主
対称性」も大きい社会サービスにおいては,完全
体purchaser」と「供給主体provider」とに分離し,
な市場化はほぼ実現不可能である。したがって,
前者は,保健二一ズのアセスメントや医療サービ
「準市場quasi−markets」という概念が,1988年の
スの契約,購入,モニタリングなどの責務を果た
勧告『コミュニティケアー行動のための指針(グ
す地方保健当局が,後者は,保健医療サービスを
リフィス報告)』(Griffiths!988=1989)と,その
直接的に提供するNHS病院が,それぞれ担う。ま
翌年の自書『人々のためのケアー今後10年間およ
たNHS病院は,国の直営を廃止して独立採算性の
びそれ以降のコミュニティケア』(Secretary of
NHSトラストとなり,保健当局の直接的なコント
State for Hea1th,Socia1Security,Wales and Scot1and
ロールから自立した資産運営を行う。さらに一般
1989−!991)において提起される。ここでは,「条
家庭医であるGP(General Pmctitioner)は,登録
件整備主体enab1ing authority」としての地方白治
患者の病院サービスをNHS病院トラストや民間事
体が予算を管理し,適切な購入計画の下で民間事
業者から購入する予算枠を付与された「予算保持
業者と契約しサービスを購入することを通じて,
一般医GP fundholders」(任意)を創設した。これ
供給を保障していくことが示されている。かくし
によって,低価格で良質な病院サービスを選択す
て,多元的な福祉サービス供給を期待される民間
るという購買者のインセンティブが働き,賛否両
組織は,もはや寄付金にも補助金にも多くを期待
論のあったNHS病院に対しても市場競争が導入さ
できない状況のなかで,購入者である政府と売買
れた。
契約を結ぶため,競合関係の下,事業化への道を
「サッチャリズム」と呼ばれるこのような行政
進んでいくことになるのである(ユ呂〕。
改革は,政府の財政支出を削減するためにコスト
!990年の「NHSおよびコミュニティケア法
を民間に委ねるというだけのものではなく,政府
(とくに地方自治体)の現業部門を工一ジェンシ
Nationa1Hea1th Service and Community Care Act」
(17) こうした白書にみられる社会保障の抜本改革(ファ
ウラー改革)は,ユ986年の「社会保障法Sooi31S㏄urity
削減され,とりわけ失業給付額が補足給付以下になる
という事態を招いており,権利としての国民保険給付
Act」の成立に結実していく。白書では,社会保障制
度が効果をもたらさず,貧困から抜け出せない「貧困
ではなくミーンズテストを伴う補足給付に依存せざる
の罠poverty trap」を放置し,また,個人の自助努力や
ユ987)。いずれにせよサッチャー政権の一連の改革は,
選択の自由を阻害しているとして,年金や所得維持制
度をはじめとする改革を裏づけている。年金改革につ
ベヴァリッジ原則からの離脱を決定的にしたといわれ
ている(伊藤2007)。
いては,前年の政府緑書において,均一給付の基礎年
(ユ8)田端は,契約方式への移行に関して,「ボランタリ
金に上乗せされる「所得比例付加年金StateE王mi㎎s
Re1ated Pension Soheme:SE㎜S」を廃止することが提
ーセクターとしては伝統的に誇りとしてきた活動の価
値観や独白性を維持できるかという不安とともに,運
案されたが,財界や保険業界の反対に屈し,白書では,
営や財源確保というきわめて現実的な問題となった」
所得比例年金の給付水準引き下げとともに私的年金へ
(田端1999)ことを指摘し,また,平岡も,社会サ
の奨励策を講じている。所得維持制度では,補足給付
ービスの市場化がもたらした「契約文化COntraCt
から「所得補助」への改称や,一時金を給付する「社
cu1ture」の浸透に対し,「非営利組織の先駆的・開拓
会基金」の創設などが提起された(毛利!990)。ずで
的な活動や社会運動的な活動を制約することにもつな
に1980年の社会保障法において,国民保険の給付額が
がる」と批手一」している(平岡2000)。
を得なくなるという状況が生み出されていた(A1cook
一43一
中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
一化して民間部門との競争に晒し,経営感覚を刺
福祉国家を担った「旧労働党。1d labour」とは一
激していくという手法も兼ね備えていた。「強制
線を画し,古典的な社会民主主義(1日左派)でも
競争入札制度Compulsory Competitive Tendering=
ニューライトでもなく,両者を克服する「第三の
CCT」に始まるそれは,「新公共経営New Public
道」をめざした「ニューレーバー」として,ポス
Mamgement:NPM」や「民間のノウハウと資金
ト福祉国家の新たな局面を開拓する。第三の道
を活用した公共事業の手法Private Finance
は,所得の再分配に基づく弱者救済を掲げてきた
Iniciative1pFI」として,新たな経営管理を打ち
これまでの福祉国家に対し,「資金ではなくリス
出してきた〔ユ9〕。地方自治体への「ショック療法」
クを共同管理」する「社会投資国家SoCial inVeS1ment
(東郷2005)として反発を招き,賃金削減など
State」を重視し,個人や集団がリスクに能動的に
の雇用問題も引き起こしたとされるCCTは,その
挑戦していけるような能力の開発や機会の拡大を
後の労働党政権によって廃止されるが,NPMや
行い,「積極的福祉positivewe1fare」を推進して
PHについてはその後も継承され,いまや世界的
いく必要一性を提起している(Giddens1998=ユ999,
な潮流となっている。
今田2004ジ20〕。
ユ998年の緑書『わが国の新たな野心1福祉のた
(5〕「第三の道」とパートナーシップ政策一ポス
めの新しい契約』では,現行の社会保障制度の問
ト福祉国家の新たな展開
題として,①不平等や「社会的排除SoCia1
長期にわたった保守党政権は,市場原理の導入
eXCluSiOn」の拡大,②社会保障給付への依存
によって構造改革の刺激を与えたが,その過激な
(bene丘t trap),③不正受給による多額の損失,
改革は,個人責任の過度の強調によって公正さを
をあげ,その対策として,①就労の重視,②官・
欠き,社会的格差をも拡大させる結果を招いた。
民の新たなパートナーシップ,③質の高い福祉サ
そして1997年の総選挙では労働党が圧勝し,ブレ
ービスの重要性,④障害者の尊厳ある生活への支
ア政権が発足することとなる。当政権は,戦後の
援,⑤貧困児童や家族への支援,⑥社会的排除へ
(ユ9)NPMとは,行政部門の肥大化・硬直化した官僚制
の評価指標であるのに対し,後者は,政策の効果に対
に対し,民間企業の経営理念・手法を導入して効率
する評価(効果指標)であり,政策の企画立案を行う
化・活性化を図るという,新しい公共経営論である。
より上位の機関(プリンジパル)の評価指標となる。
大住によれば,それは,①ヒエラルキーの簡素化,
②市場メカニズムの活用(民営化や工一シェンシー,
小さな政府を指向するサッチャー政権では前者が重視
されたが,労働党のブレア政権では,議会の機能や地
内部市場などの契約型システムの導入),③顧客主義
方白治体の権限強化,市民参加を通じてより高次元の
への転換,④業績/成果に基づく管理,という4要素
を含み,設定された目標値への達成責務とアカウンタ
ビリテイ(説明責任),第三者機関による厳格かつ公
正な業績評価が重視され,インプットからアウトプッ
ト・アウトカムの管理への転換として示されるもので
アカウンタビリティを追求する後者が重視されてき
た。なお,市場メカニズムの活用は,財市場がコンテ
スダブル(生産資源の特殊性が小さい)であり,取引
コストが小さく(不確実性が低く比較的単純な取引形
態),供給される財・サービスの質・量に対するモニ
あ乱行政の業績/成果は,①・E・onomy’(投入のロ
タリングが容易で,潜在的な供給者の数がかなり存在
スを最小限に抑えること),②‘Efficien.y1(アウトプ
する場合(ゴミ収集,清掃,クリーニング,給食サー
ットの極大化を図ること),③‘Eff・ctiveness’(アウト
ビスなど)に適用されるが,逆に,不確実性や生産資
プットを通じてアウトカムを改善すること),の評価
源の特殊性に依存するウエイトが高く,取引コストが
で示され,とくに公共財を算出する行政部門では,
②と③の関係,言い換えればアウトプットとアウトカ
大きく,市場のコンテスタビリティが確保されないよ
ムの二つの指標のウエイトの置き方がより重要にな
る。前者は,政策の執行面での評価(執行評価)であ
は,市場による取引よりも組織内取引(内部取引)の
り,よりサービス生産に近い部門(工]ジェンシ」)
一4珪一
うな財・サービス(外交・国防・司法・警察など)に
方が望ましいとされている(大住1999.2002)。
地域創成研究年報第3号(2008年)
の取り組み,⑦不正受給の根絶,⑧公共サービス
である。サッチャー政権では,地方自治体は非効
の現代化,を提示している(Secretary of State for
率とみなされ,地域再生事業では民間部門(主に
Socia1Security1998)。なかでも社会的排除に関し
民間企業)が活用されたが,ブレア政権では政府
ては,「社会的排除ユニットSocia玉Exc1usion Unit:
のパートナーとして地方白治体の役割が見直され
SEU」を内閣府(Cabinet Office)に設置(2002年
た。ブレア政権は,前述したCCTの廃止とともに,
に副首相府ODPMへ移管)し,最優先課題とした。
効率やコストの最小化を図るVPMから,「最善の
それは,結果としての貧困や不平等よりもむし
価値BestVa1ue」へとその目標を高めているω。
ろ,それらを生み出している原因やプロセスを社
これは,最も経済的で効率的,効果的な方法に従
会的排除という視点から問題化し,いわゆる「潜
って,サ」ビスのコストのみならず質(qua1ity)
在能ヵbasic capabi1ity」(Sen1992=ユ999)を剥奪
にも配慮したサービス提供に努めることを地方自
されている人々に対し雇用や教育の機会を提供す
治体に義務づけたものであり,地方自治法の改正
ることを通じて,貧困や不平等を解消していくと
を経て2000年から導入された〔23〕。このBestValue
いうものである。これはまた,「就労への福祉
は,「官・民パートナ」シップPubhc−Private
(We1f皿e to Wo正k)」プログラムともいわれ,「ニ
Paれnership:PPP」を視野に入れることで達成さ
ューディールNew Deal」(就労促進政策)として
れる。つまり,これまでのような民間部門を政府
実施されている。
の工一ジェントとして捉えるのではなく,双方の
このような「社会的包摂SOCia1inCluSiOn」ωへ
多様な主体が対等なパートナーとして,相互に協
の取り組みには,市民参加や社会的連帯が不可欠
力し合い目標を達成していくことが重視されるの
であり,そのために重視されるのがコミュニティ
である(24〕。またそg前提として,「公共サービス
(20) もっとも,第三の道を提唱したギデンズの問題意識
(21)社会的包摂とは,「市民としての権利・義務,政治
と,それを実践したブレアの政策とには完全な一致が
的な権利・義務を尊重すること」であり,それは同時
に,「機会を与えること,公共空聞に参加する権利を
保障すること」(Gidd㎝sユ998=1999:ユ74)を意味し
みられるわけではない。この点について,グローバル
化や個人主義への評価に対する両者の相異を指摘して
いる新川は,ブレアの第三の道の価値観が,「『再分配
と平等」を重視する従来の左の立場以上に『効率と自
ている。
(22)B・stVa1u・改革のキーワードは,①「挑戦Challenge」,
由』を重んじる右の立場に近く」,「社会民主主義の現
②「比較Comp肛。」,③「協議C㎝s.1t」,④「競争Com−
代化というよりは新自由主義の継承発展と捉えるべき
である」とし,ギデンズは,「ブレアが陥った右への
pete」,である(DETR1998)。
なし崩し的移行」に対して歯止めをかけきれていない
②費用/効率性(Cos佃ffi.i。。cy),③サービス供給の
と述べている(新川2004)。実際,ブレア政権は,1999
アウトカム(S・・vi・・DeliveW Outoome),④サービス
年の「福祉改革および年金法We1fare Refom and
の質(Quahty),⑤公正なテクセス(Fair A㏄ess)を
Pensions Act」においてSERPSを廃止し,低所得者の
測定する「BestWue業績指標群BestValue Perfo㎜ance
みを対象とした定額の国家第二年金(State Seoond
P㎝sion)を導入して,その対象外となる中位低所得
層に対して国家の規制が強い私的年金(S鮎eholder
Pension)を用意した。しかし,最低限の生活を維持
I口di岬。rs:BVPI苫」をはじめ,「地域業績指標群Loc31
(23)Best V.1u。は,①戦略的目標(St.ategi.O昧。ti。。s〕,
Perfo㎜ance Indicators:LPIs」,「地方自治監査委員会
し得ない公的基礎年金を,あくまでも私的年金でカバ
の指標群AuditCommissionPerformanceIndicato正s:
ACPIs」などの業績指標から構成されている。また,
地方自治体は,行政分野ごとの地域計画(Community
一しようとするブレア政権もまた,ベヴァリッジ構想
PIans)について,政策のビジョンやプライオリティ,
以来,英国福祉国家が追求してきた目標を最終的に放
棄したといわれている。そして,結局,高齢者専用の
戦略的目標を明確にし,それを具体化(ベンチマーク
の作成)して,業績評価におけるアウトカムの指標を
「最低所得保障Minimum Incorne Guaエantee1MIG」(公
公表していくための「自治体業績計画Looal
的扶助)を創設し,老後の貧困問題をなくせないこと
Pe㎡o㎜ance P1ans:LPPs」を策定することが求められ
を自認せざるを得なかったとされている(加藤2006)。
ている(AudtCommis呂ion王998)。
一45一
中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
(Foundation Trust)となる制度が,2003年の「保
の現代化」(Secreta■y of State for Healthユ998)の
必要性が提起されており,サービスの質の確保や
健医療および社会的ケア法Hea1th and Socia1Care
費用効果の改善,数値目標,監査体制の整備など
Act」によって成立した㈱。第四は,「評価の重
があげられている。
視」である。医療の質や成果(OutCOme)は,①ト
この点に関して集中的に改革が行われたのが
ラストの業績や成果を量的手法(待機患者数,平
NHSである㈱。近藤は,このNHS改革の特徴を,
均在院日数,コスト,死亡率,再入院率等)で評
NPMの視点に即して整理している。第一に,「効
価するPAF(Perfomance Assessment FramewOrk)
率の重視」である。改革では,医療技術を費用対
によるベンチマーク,②保健医療改善委員会
効果のみならず医療の質の視点からも評価する機
(Hea1thc肛e Co㎜illion)1こよるN1CEおよびNSF
構として,国立最適医療研究所(Nati㎝a1Institute
ガイドラインの遵守の監査,③全国患者利用者調
for Clinical Excenence:NICE)が1999年に設置さ
査,でモニタリングされることとなった。そして
れた。第二に,「品質管理の重視」であり,国と
第五が,「医療費の大幅拡大」である。「効率に配
して保証すべき医療の水準がNSF(Nation訂
慮しつつ質を高める仕組み」は,投入された費用
Se岬iceFramework)として表される。これは,無
のより効果的な活用という考えに基づくため,医
駄な医療行為をなくし「根拠に基づく医療
療費の抑制ではなく思い切った拡大が必要である
Evidence Based Medicine=EBM」によって,医療
という判断によっている(近藤2003.2005)。
の質を維持向上しつつ医療費を削減するという
以上のような公共サービスの現代化は,地方自
「最良の実践BestPractice」を明示したものであ
治体の社会サービスなど他の諾領域でも進められ
る。第三に,「現場への権限委譲」である。改革
ているが,NPMの手法を用いつつもBest Va1ueに
では,約50人のGPから構成されるPCT(Primary
比重を置いているため,最善のサービスが提供さ
Care Trust)が創設され,従来の予算保持制度は
れるのであれば,その提供主体は官・民いずれで
廃止された。PCTは,保健省DHから予算の配分
も構わないということになる。そしてそのために
を受け,地域住民に対して,NHSトラストやGP
も,財源の配分システムや評価基準の策定,監視
等から適切な保健・医療サービスを確保するとい
体制を整えておく必要があり,この下で,実際の
う役割を担う。また,業績(pe㎡o㎜ance)が良
サービス現場であるコミュニティ・レベルにおい
いと評価されたトラストは,独自予算でより自由
ては,官・民のパートナーシップに基づく効果的
度の高い運営をコミュニティで行えるFT
かつ柔軟な運用が求められるのである。
(24) ブレア政権では,保守党政権下で導入されたPFIに
の運営は,住民(患者)や職員の代表によって担われ,
関しても,NPM同様に継承されたが,それはあくま
でもPPPのユつの類型であり,常にPPPとセットで用
いられる。例えば,NHS病院のほとんどはPFIによっ
資産(aSSet)もそのコミュニティのメンバーによる所
へと転換する。伊藤によれば,法案の検討段階では
て建設されているが,それは民間事業者への負担の押
‘Pub1io Benefit Company’という用語が使われ,政府の
有となり,国による所有からコミュニティの公的所有
しつけでなく,パートナーシップの精神に基づき,全
コントロールから完全に離れた非営利の「保証有限責
ての関係者の合意が重視される。しかし,PPIによる
任会社Company Limited by Gu肛antee:CLG」とされ
予算節約効果が,必ずしも期待通りには進んでいない
た。しかし,NHSの民営化を想起させるネーミングに
という問題も指摘されている(伊藤2006)。
ブレア首相が反対し,‘Public Bene胱Co叩。r航ion’(公
(25)NHSの問題点として,①サービス供給能力の不足に
益法人)に変更された。なお,ブラウン現首相(元蔵
よる患者の待機,②サービスの質と地域格差の問題,
相)は,市場原理の導入(病院間競争)が医療サービ
③患者の選択機会の少なさ,④非効率な組織運営,が
あげられている(伊藤2005)。
案反対の立役者であったといわれている(伊藤2006L
(26)FTは,協同組織的性格を持つ公益法人であり,そ
皿46一
スの改善に役立つという考えに疑念を抱いており,法
地域創成研究年報第3号(2008年)
パートナーシップ政策に関しては,1997年に,
体とLSPが公共サービスの改善を提案・達成する
中央政府と地方白治体協議会(Loca1Govemment
ことにより資金配分が得られるという選択肢が存
Association:LGA)との間で「中央・地方パート
在している。さらに2004年からは,「地域協定Loca1
ナーシップ」が合意されており,翌年には,この
Area Agreement=LAA」が導入さ札,中央政府の
両者とボランタリーセクターとのパートナーシッ
地方事務所(Government Office)と地方自治体お
プを示した「中央協定Nationa1Compact」が締結
よびLSPが,「持続可能なコミュニティ戦略
されている。この実施に向けては,政府では内務
Sultainab1e Co㎜unity S血ategy」に基づいて合意
省内に設置された「アクティブコミュニティ・ユ
した優先的事業に対して,目標値の設定と資金配
ニッ/ActiveCo㎜unityUnit:ACU」(通産省DT1
分,業績評価が行われることとなった。
に後に設置されたSocia1Ente㎎rise Unitと統合して
このように,「契約文化からパートナーシップ
2006年に0ffice of the Third Sectorに改称)が,ボ
文化へ」(Craig,Taylor,et a1.2002:3)の転換を
ランタリーセクターにおいてはNCV0内に設置さ
進めるブレア政権の政策は次々と打ち出され,そ
れた作業グループ(Compact Working G正。up:
の成果も生み出されてきているが,それに伴う問
CWG,後にCompact Voiceに改称)がそれぞれ推
題点もまた指摘されている。例えば,地方自治体
進主体となり,行動規範(Code of Practice)の制
が資源や情報,規則をコントロールし,コミュニ
定や普及啓発活動にあたった。2000年には,ACU
ティに対して優越性を堅持していること,また,
の支援の下でLGAとCWGによって「地域協定指
ボランタリー・コミュニティ組織(Vo1mtary and
針Local Compact Guide1ines」が公表されるとと
Community Organisation:VCO)の側でも,代表
もに,同年の地方白治法の改正によって「地域戦
の正当性に対する懸念(選出された代表が真にコ
略パートナーシップLoca1Strategic−P舳nership:
ミュニティの利益を代表し得るのかどうか)や,
LSP」が導入され,LSPの各地方自治体への設置
コミュニティ代表が地域に情報をフィードバック
が進められた(27〕。2001年には,「近隣地域の再生
するチャンネルが少ないこと,人材や組織不足,
に関する新たな公約:国家戦略行動計画ANew
契約手続きの煩雑さや次々に複数のパートナーシ
Commitment to Neighbourhood Renewal:Nationa1
ップに関わらねばならないことに対する時間と労
Strategy Action P1an」が発表され,88の指定荒廃
力の消耗,燃え尽き症候群(bumout)などの問
地域のLSPに対して,「近隣地域再生資金
題が指摘されている(NRU2002,今井2005b)。
NeighbourhoodRenewa1Fund:NRlF」および「コ
その後,2006年に発表された『地域戦略パートナ
ミュニティ活性化資金Co㎜unityEmpowerment
ーシップの全国評価:最終報告書」(ODPM
Pund:C朋」が配分さ・れることになった。また,
2006)では,NRFが交付されているしSPは,中央
それ以外の地域では,2000年度から試験的に実施
政府の介入もあり,公共サービスの改善や地域の
されている「地域公共サービス協定Loca1Pub1ic
様々な声を取り入れることに成功している
Service Agreements:LPSA」によって,地方白治
が(2暑),交付されていない多くのLSPでは,小規
(27) ローカルコンパクトの概要や関連プログラムについ
なっている。なお,永田は,ロンドンのクロイドン区
ては,今井(2005a)に詳しい。
の事例を通じて,CENがボランタリーセクターの「ネ
(28) 前述した88地域においては,コミュニティ・エンバ
ットワークのネットワーク」であり,CENをコーディ
ワーメント・ネットワーク(Co㎜unityEmpowl㎜ent
ネートしている中間支援組織のCroydonVo1mt肛y
Network:CEN)が設置されており,CEN力江SPの代
Action(CVA)が,マイノリティの組織化や小規模な
表者の選出と支援という役割を担い,小規模な組織や
人種的マイノリティの組織をはじめ多様な地域の声を
ー」として活動できるようエンパワーメントしてきた
代表できるように配慮していることが,成功の要因と
ことを指摘している(永田2006)。
一47一
グループのネットワークヘの参加を支援し,「セクタ
中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
模なVCOの発言力が弱くなっている点,また,
セクターの中核は伝統的なチャリティ(Charity)
事業の優先順位に関して,中央政府側と地域側と
であるが(29〕,近年では,「ボランタリー・コミュ
の見解が必ずしも一致できていない点などが,あ
ニティセクターVo1untaryandCommunitySector:
げられている。西村は,ロンドンで開催された
VCS」として,公・共益やコミュニティの利益を
‘LSp C㎝ference2006’の議論から,次のような
目的とした非営利(not−for−profit)の民間組織で
問題点を指摘している。一つは,LSPが公共サー
あるコミュニティ・グループや協同組合,共済組
ビスの政策決定過程に住民の声を反映させる有効
合,社会的企業なども視野に入れられている。と
な手法となっているものの,住民参加の仕組みが
りわけ社会的排除の克服と就労や社会参加による
VCoの代表をLSPに出すという代表制原理に限定
自立支援をめざすニューレーバーの政策におい
されていること,二つに,LSPに対する中央政府
て,直接的な寄付金や補助金への依存ではなく,
の規制や評価を通じて,地域への強制や義務が依
コミュニティをべ一スとした公共的課題に対し,
然として維持されていること,である(西村
企業的手法を取り入れつつも利益を社会に還元す
2007)。
ることを目的として積極的に事業展開していける
ともあれ,このような試行錯誤を繰り返しつつ
ようなVCSへの役割期待と,そうしたVCS間およ
も,ボランタリーセクターが,行政と対等な協力
び行政との地域的連携・協働に対する戦略的投資
関係を築き,公共的課題に積極的に取り組む契機
が主流になってきている。
となったことは事実であり,それが単なるサービ
スの担い手(prosumer)だけでなく,意思決定へ
の参画を見据えたコミュニティ・ガバナンスヘと
つながっていくことが必要である。ボランタリー
(29)厳密には,チャリティから政府外郭団体や宗教団
の新設,が盛り込まれている。③に関しては,従来,
体,金融機関,学校などを除いた「ジェネラル・チャ
チャリティが法人格を取得する場合はほとんどが保証
リテイGenera1Ch㎞ty」が想定される。チャリティの
有限責任会社となり,営利法人を対象とする会社登記
最古のものは公益信託(ch㎞tab1e trust)であり,そ
局の規制をも受けねばならなかったため,負担軽減の
の起源はユ601年の「公益ユース法Statute of Chaエitable
ためのチャリティ専用の法人格ができたとされている
USeS」であるといわれている。これは,教会への寄付
(中島2007)。なお,」般に,コミュニティの住民が
を直接貧困者に酉己分してしまうのではなく,信託とし
非営利活動を開始する場合は,「権利能力なき社団
ての基金を設立し,継続的に事業を行う仕組みを制度
UnincorporatedAssociati㎝」として始め,その後,事
化したものであるが,受託者に対する監督を強化した
業拡大に伴って法人格を取得することになる(伊藤
ユ853年の「公益信託法Charitab1e Tmst Act」によって
2006)。上記以外の法人格として,協同組合では「産
「チャリティ委員会Ch趾ity Commission」が設置され
業共済組合IndustriaI and provident Society=I&pS」,
て以来,当委員会がチャリティ登録のための審査を行
社会的企業では「コミュニティ利益会社Community
っている(伊藤2006)。公益目的のチャリティとして
Interest Company=CIC」などがあげられる。協同組合
登録されれば,税制上の優遇が受けられるが,それが
のなかでも,組合員の共益を目的とする「真性協同組
必ずしも公共の利益に寄与しているのかどうか不明確
合B㎝a Fide Co−opemtives」はチャリティ登録できな
であったことや,公共サービスの受託機会の増加に伴
いが,組合員に限定せず公益を目的とする「コミュニ
って情報開示や信頼の維持が必要とされることなどか
ティ利益会社S㏄iehes fOrtheBenefitOfthe
ら,チャリティ制度改革が進められ,2006年に「新チ
Community:B㎝Comm」の場合には自動的にチャリ
ャリテイ法TheCharitiesAct2006」が成立した。ここ
では主に,①チャリティとしての目的の再定義,②「公
ティ資格を有することができる。また,協同組合やコ
益性テストPublio Ben.fit Test」の導入,③チャリティ
人格として,2003年より「協同組合およびコミュニテ
ミュニティ・ビジネス,社会的企業などを統合する法
の新しい法人格「公益法人組織CharitabIe Inc岬。rated
ィ利益組合Co−operatives and Community Benefit
0.gani。。tio。=CI0」の導入,④チャリティ不服審判所
Societie呂=CCBS」が検討されている。
一48一
地域創成研究年報第3号(2008年)
3.ポスト福祉国家における公私分担一日
本の場合
日露戦争後には,内務省の指導の下,天皇を頂点
とした家族国家観を前面に出した感化救済事業が
推進され,公的救済事業を再び天皇の「恩恵」と
(1〕近代における社会事業の萌芽とその戦時体制
して位置づけるとともに,「公(おおやけ)」を体
下での変容
現する国家によって国民への感化や教化が行われ
日本における社会福祉の公私関係をめぐっては
ることとなった。ユ908年に英国のCOSをモデルに
長年の議論があるものの,時代の変遷に応じて絶
しつつも官主導で設立された中央慈善協会もま
えず論議を積み重ねていくことが必要な古くて新
た,こうした国家的関与の一環として位置づけら
しい課題でもある。右田によれば,すでに第二次
れており,民間慈善事業への財政的補助とともに
大戦前,留岡幸助の『慈善問題』や生江孝之の『社
国家の管理・統制を強めるものであった。明治初
会事業綱要』において公私関係が取り上げられ,
期においては,自由民権運動の高揚もあり,英国
民間の固有性・優位性を提示することによってそ
の救貧思想やそれを展開させた生存権思想が萌芽
の存在意義と必要性が明らかにされ,後進的な公
しかけたものの,結局は上述の流れのなかで,「家
的社会事業に刺激を与えていくことが試みられて
族主義と隣保扶助による日本独白の美風なるもの
いた(右田2005)。しかし,「日本の社会福祉の
を誇りとし,精神主義を鼓舞する方向」(伊藤
体系のなかでは,…民間福祉事業が存在する余地
2007)へと向かうことになり,慈善事業に代わる
はない」(仲村1971)といわれたように,日本の
社会事業の成立は大正期を待たねばならなかっ
国家・社会史は,民間の独白性を醸成する機運を
た。
絶えず見送らざるを得なかったという,不幸な歩
第一次大戦後の物価騰貴や実質賃金の低下によ
みをたどってもきたのである。
る国民生活の不安や圧迫,社会的不平等の拡大
日本の公的救済制度は,718年の「戸令」に発
は,各地で大衆運動や労働争議,小作争議を引き
している。そこでは,「鰍寡,孤独,貧窮,老疾」
起こした。こうしたなか,従来の一1血救規則の限界
の者に対しては救済が行われるものの,まずは「近
が露呈し,救貧政策の見直しが図られることとな
親」や「近隣」,「坊里」(最下位の行政区画)に
る。1920年に設置された内務省社会局は,社会事
よる扶助が義務づけられ,それが不可能な場合に
業行政を担う独立機関を国家として初めて整備し
「賑給」という天皇の慈恵として,恣意的な救済
たものであった。ユ922年には不十分ながらも健康
が行われたのである。その後,明治の近代国家が
保険法が成立し,1926年には内務大臣の諮問機関
誕生し,!874年に国家の救済制度として「位数規
である社会事業調査会の答申が新たな救済制度の
則」が制定されたが,その基本は,「人民相互の
確立を求めた。そして昭和期に入ったユ929年に,
情誼」すなわち血縁・地縁による相互扶助であ
一「救護法」が成立した。救護法は,被保護者の保
り,誰の助けも期待できない「無告の窮民」に限
護請求権は認められず,選挙権も剥奪されるとい
って公費による救済が行われるというものであっ
う差別的なものであったが,公的扶助義務という
た。こうした貧困な公的救済策の下で,それに代
国家の責任が明確にされたという点では画期的な
わる民間の相互扶助組織や慈善事業が,前近代
ものでもあった。しかし,世界恐慌によるその後
近代を通じて生み出されてもきた(30〕。しかし,
の長期的な不況とその打開のための国策は,対外
(30)前近代においては,聖徳太子や行基,重源などの仏
助などの篤志家によって孤児院や自立支援施設が設立
教徒による慈善救済,農村における「ゆい」や「講」
し,また,欧米のセツルメント運動の影響を受けた片
などの互助組織,小石川養生所などの施療機関があげ
られる。近代以降では,石井十次や石井亮一,留岡幸
山潜や山室軍平,賀川豊彦らによる社会事業が展開さ
れた。
一49一
中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
侵略と軍事体制へと駆り立てることになる。!938
国家観へと移行する可能性」(伊藤2007:140)
年に制定された社会事業法は,全日本私設社会事
をはらんだものでもあった。かくしてユ936年に公
業連盟など民間の社会事業運動の成果であったに
布された「方面委員令」を一もって方面委員制度は
もかかわらず(3ユ〕。その内容は,戦時体制の強化
国策の一環となり,名誉職としての方面委員が全
の下で統制的なものと化した。したがってこの時
国各市町村に遍く配置されることによって,国民
期は,社会事業が戦時体制に組み込まれるかたち
の生活全般を掌握するものへと変質した㈱。
で進展し,1937年の母子保護法や保健所法,軍事
以上みてきたように,日本の公的救済の歴史
扶助法,ユ938年には内務省社会局と衛生局を統合
は,窮民に対する天皇からの恩賜というかたちで
して厚生省が新設され,また同年に国民健康保険
出発し,近代に至っては,それが天皇を具現化す
法が成立,ユ940年には国民優生法と国民体力
る国家=公(おおやけ)という体裁を取りながら,
法,1941年に医療保護法や労働者年金保険
基本的に上からの施与という伝統は継承された。
法,1942年に国民医療法と,戦争遂行のための総
したがって多くの実質的な救済は,人々の相互扶
力戦である「健兵健民方策」が立て続けに出され,
助によって,あるいは個人的な慈善によって行わ
社会事業は戦時厚生事業として再編されていった
れ,公の救済と交わることはなかった。欧米に遅
のである。こうした国家総動員体制は,文字通り
れて出発した近代国家がその体裁を取り繕うため
全国民や社会の隅々に行き渡らせ,かつ国民が能
に,あるいはその啓蒙のなかで,救貧行政が社会
動的に「尽忠報国」する精神が要請されたため,
事業として出発する機運もみられたが,結局のと
町内会・部落会もさることながら「方面委員」が
ころそれは,近代国民国家の成熟を経ないまま,
監視や治安維持の末端的な役割を地域において担
遅れた資本主義を挽回すべく対外戦争に突き進ん
うべく利用された。方面委員制度は,もともと,
だ国家による戦時総動員体制へと,組み込まれて
大正中期に萌芽した社会事業が,社会連帯の思想
いったのである。
を出発点としていたという背景もあり(鋤,岡山
県や大阪府において実施されたものである。フラ
(2〕被占領期の福祉改革における公私関係一公的
ンスの思想を受容したといわれる社会連帯思想は
責任と公私分離の原則
しかし,その「皮相的な解釈を援用した」に過ぎ
1945年ユ2月8日付の連合国軍最高司令官総司令
ず,「個人は国家の」部であるという全体主義的
部(Genera1Headquarters,Supreme Commander for
(3ユ) もっとも,私設社会事業のなかには,国家権力につ
もその民間性の自由を活かして国民に奉仕するより
も,国家への奉仕によって存立せざるを得ない方向に
ながる強大な募金組織を持つ恩賜財団済生会や日本赤
十字社,基金の果実だけで維持経営ができる浴風会な
どのような準公的事業もあったとされている。また,
進み,戦時下の官民一体に組み込まれていったこと,
当時,地方自治体が公営および準公営の防貧施設を創
(32) この点は,内務省社会局長となった田子(1982)に
設するために多額の寄付金を導入したことが,従来寄
付金に依存して救貧施設を経営していた私営社会事業
示されている。
(33)菅沼によれば,「方面委員制度の目的は,生活困窮
団体に対する間接的な圧迫となり,私設社会事業の支
者を国家共同体(天皇制国家)に『奉公』しうる人間
時もまた社会全体の責任であるという新しい論拠の下
に『補導誘抜』すること」にあり,「貧困・怠惰の存
在は天皇制共同体の汚点・恥部と理解され,すべての
で経営難の声が表面化したといわれている。私設社会
事業がその後公費依存に傾いていった理由としては,
「民間性」の自由に固執するだけでは社会事業として
の使命を果たし得ないという時代の流れもさることな
がら,一つは,民間性を保つための共同募金への期待
が私設社会事業の内部にとどまり,国民的基盤が醸成
されていなかったこと,二つめに,私設社会事業自体
があげられている((財社会福祉研究所!982〕。
臣民を共同体に奉公しうる存在に高めていくこと」で
あった。また,方面委員による個別的・情緒的な対応
が,貧困問題を非政治的な領域に位置づけることに貢
献じ,最低生活保障や公的救済義務など国家責任とい
う観念の存在余地が消滅したと述べている(菅沼
20051220)。
一50一
地域創成研究年報第3号(2008年)
the Allied Powers:GHQ/ScAP)による指令「救
もに,政府がその財政的支援と運営の責任を取
済並福祉計画ノ件Re1iefandWe1fareP}ans」
(SCAPIN404)は,日本政府が,困窮者に対す
り,いかなる民間および準政府機関にも委任して
はならないとするものであった(37〕。この指令は,
る詳細かつ包括的な救済計画を提出し,国民の最
①無差別平等の原則,②公的責任の原則,③必要
低限の生活水準を平等に維持し得るための方策を
充足の原則,の三原則として要約され,後の日本
立てることを要請するものであったω。これを
国憲法25条および89条,公的扶助立法の前提とな
受け,同月31日に日本政府が提出した「救済福祉
った。また,②の公的責任の原則は,「公私分離
二関スル作」(CLOユ484)では,「政府ノ法令二
の原則」として解釈され,後の公私関係をめぐる
基ク援護ヲ拡充強化スル為二有カナル民間援護団
議論の発端となった㈱。
体ヲ設立スベク急速二之ガ準備ヲ進メッツアリ,
もともと公的責任の原則が掲げられたのは,日
然シテ布団体ノ設立二当リテハ既存ノ戦災援護
本政府が,旧来の「国家主義的中間団体」(菅沼
会,海外同胞援護会,軍人援護会等ノ各種団体ヲ
2005:!29)を温存しかつその延長上に新たな恩
整理統合スルモノトス」と記されており,これは,
賜財団同胞援護会を構想したことに対し,そうし
戦時の官民一体構造を彷佛させるものでもあっ
た軍国主義に加担した半官半民的な団体の復活を
た。このことは,国家責任を明らかにすべきとす
抑止するために,単一の行政機関の確立とその責
るGHQの意図が理解されていなかったことを意
任の明確化が求められたことによる。しかし,こ
味し(35〕,翌年2月27日にGHQは再び「社会救済
れまで官民一体的感覚に馴染んできた政府や民間
PublicAssistance」(SCAPIN775)㈹を発令した。
の事業団体にとって,とりわけ両者の分離という
それは,日本政府が単一の全国的政府機関を確立
発想に対して過剰反応になるとともに抵抗感もま
し,全ての困窮者に対して平等に救済を行うとと
た強く,そうした反応に対して,さらにGHQが
(34)GHQ/sCAPに関する英語原文は,国会図書館憲政
資料室マイクロフィルム「GHQ/SCAP REc0RDs
は筆者による。
〈英語原文〉
(RG331) DIRECTIVES TO THE 正APANESE
a.The Imperial Japanese Govemment to e呂tablish幽
GOVERNMENT ROLL No.2SCAPIN Nos.ユー800」を
参照した。
(35)CLO(Cent冊1LiaisonOffioe)の英語原文はTat皿a
幽whioh thエ。ugh Prefectura1
(ユ9971303−304)を,日本語原文は社会福祉研究所
indigent person昌 without discrin㎡nation or preferentiaI
(ユ982:49)を参照した。なお菅沼は,戦前・戦時の
treatnlent.
救済機構が,民間団体の幹部に官公吏が就任して公使
b−Not lateエthan30Apri11946finaJlo捌suppo打and
の資金を集中して官民一体をなしていたため,公と私
を区別する観念を有していなかったという見解に対し
by the Impe曲1Japanese Govemment and thereafter not
て,厚生官僚はGHQ指令の意図を正確に理解してい
to be rendered or delegated to any rivate or uasi_officia1
たが,ホンネとタテマエを使い分けていたのではない
幽
かという仲村優一の説を支持している(菅沼2005)。
㎜d1oca/govemmental ohamels wi11 provide ad巳quate
food,c1othing sh巳1ter md medical care equ■1y to aIl
operatiomI responsibi1ity for舳s program to be as呂umed
〈日本語原文〉
(36)PubHc Assistanceの日本語訳は「公的扶助」である
「(イ)日本帝国政府ハ都道府県並二地方政府機関ヲ
が,それが定着するのはユ950年以降といわれている。
通ジ差別又ハ優先的二取扱ヲスルコートナク平等二困窮
それ以前の日本では,「公」=おおやけ=人民とは別
者二対シテ適当ナル食糧,衣料,住宅並二医療措置ヲ
次元のもの,という観念が一般的であったため,人民
を語源とする‘Pub1ic’を公として表現することへの
違和感から,「社会」が代用されたといえる。
与エルベキ単一ノ全国的政府機関ヲ設立スベキコト
対スル財政的援助並二実施ノ責任態勢ヲ確立スベキコ
(37)SCAPIN775において,これに該当する箇所の英語
原文は以下の通りである。なお日本語原文について
サルベカラザルコト」
は,社会保障研究所編(ユ975:7)を参照した。下線
一51一
(口)日本帝国政府ハエ946年4月30日マデ二本計画二
ト従ツチ私的又ハ準政府機関二対シ委譲サレ又ハ委任
中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
1946年10月30日の「政府の私設社会事業団体に対
措置費を支給するというものであるが,国からの
する補助に関する件」において民間団体に対する
補助を得られず財政難で窮地に陥っていた民間社
公的資金の原則廃止を求め,1949年ユ1月29日には
会事業に対し,公費補助を正当化するために取ら
公衆衛生福祉局(Public Hea1th and WeIfare
れた策でもあった。憲法89条では「公の支配に属
Sec廿㎝:pHW)が「1950年から51年までの福祉
さない」民間事業への公金支出は禁止されたが,
の主要目標に関する厚生省職員との会議」におい
その後1949年の私立学校法で私学が公共性を有す
て「社会福祉行政に関する六項目」を提案し,そ
る法人として位置づけられたことを契機に,「公
の第四項で,民間の社会事業団体と政府との完全
の支配に属する公益法人」の規定が新生活保護法
な「分離separation」が示されることとなった(39〕。
(ユ950年)などでも取り入れられ,社会福祉事業
もっとも,この提案の第五項では,公私の調和を
法では,一般の公益法人より公共性が高く信用あ
図るための‘Nati㎝al We1fare Agencies’を設置す
る特別の法人として社会福祉法人が設置され,委
ることが同様に求められており,これが後の社会
託対象として定められた(ω。かくして,公私分
福祉協議会創設の契機ともなった。
離の原則が提起されたことを通じて,公・私それ
上記六項目は,195ユ年に成立した社会福祉事業
ぞれの果たす役割や責任および両者の関係性が体
法に引き継がれたが,この法では,措置委託制度
系的に議論されるというよりも,民間の事業団体
もまた新たに導入された。この制度は,国の責任
にいかに公費支出を行うかという目先の問題に嬢
としての社会福祉事業を民間に委託しそのための
小化され,結局のところ,官民一体構造は新たな
(38) なお,方面委員(ユ946年に民生委員と改称)に関し
pa工ticipation in the organization,management and
ては,CL01484の「方面委員ノ拡充強化ヲ図リ其ノ
direction of phvate nationa1welfare3gencies and wi1I
完全ナル活動ヲ期スルノ外社会事業施設ノ積極的活動
take effeotive steps to enforce the f王na1 呂e aration of
ヲ促進スルモノトス」という点は容認されている。し
ovemment from 3n officiaI. artici ation in such
たがって,方面委員の職務権限は引き続き「補助機関」
a encies at national, refectura1 日nd 1oca1 levels of
であり,「無差別平等の名誉職裁量体制」という「い
gg幽by not1ater than ユAugust1950
わば古い皮袋に古い酒と新しい酒を混ぜて入れる」体
(40)北場は,措置委託が社会福祉事業法によって新たに
制ができあがった。その後,ユ950年の新生活保護法に
創設されたというよりもむしろ,すでに占領初期から
よる「協力機関」への変更,ユ95ユ年の福祉事務所の設
GHQによって承認されていたものであるとみてい
置により,名誉職裁量体制は解体した。しかし,他方
で,行政による生活保護の客観的な認定手続きは複雑
る。すなわち,ユ946年のGHQによる文書において,
であり,認定審査も厳しくなったため,受給者と行政
出が容認され,民間の社会事業施設の建設設備等につ
との摩擦が強まることにもなった。結局,「旧生活保
いても救済のための費用として公的補助が認められて
護法で成立した無差別平等の名誉職裁量体制は,論理
的には不安定であったが実際には安定して」おり,「科
いたことを示し,GHQが拒否したのは,民間社会事
学的な保護基準は,民生委員と受給者との情緒的な関
係を希薄にさせ,官僚的な形式主義をもたらした」と
補助であり,同胞援護会のような戦前・戦時の半官半
されている(菅沼2005:工77,236,266)。
場2002)。要するに,民間事業に対する公的救済が全
(39)PHWに関する英語および日本語原文は,国会図書
面的に否定されたのではなく,国家が責任を持って公
館憲政資料室のマイクロフイッシュ「GHQ/SCAP
㎜CORDS Box No.9342S肥ET No.PHW−02560
的救済を行うことと,国家から自立した民間の独立
CLASS No.751,752,812」,全国社会福祉協議会
た点を規定したものであった。しかし,公の支配に属
(ユ986),社会福祉研究所(ユ978)を参照した。会議
の議事録によれば,第四項の原文は以下のように記さ
する法人を創設し補助を行うという日本政府の着想
は,官製反問団体の再生であり,GHQが要請した民
れている。下線は筆者による。
間の自主性をさらに喪失させる方向へと導いたことは
The Ministry wi11be asked to review its present
明らかである。
民間の社会事業団体が行う救済のために必要な公的支
業団体の自発的事業に対しこれを援助するための国庫
民団体を変革することが目的であったとしている(北
性・主体性が求められたのであり,憲法89条もこうし
regulations and directives with respect to government
一52一
地域創成研究年報第3号(2008年)
業体が提供するサービス」(仲村!971169−70)
かたちで再生したのである。
が不毛化する不幸な事態が存在することを指摘し
(3〕戦後における官民一体構造の再編と民間性の
ている。また一番ヶ瀬は,民間の苦悩の問題は,
喪失
社会福祉事業の国家責任が明確にならざるを得な
措置委託制度によって,民間社会福祉事業にお
ける措置委託費の占める比重が高くなっていった
くなった時期以降の各国共通の傾向であるが,よ
が,このことは,「公の支配のもとに,公的責任
うものがどれだけ実質的であったか」という点に
に属する事業を民間に委託」(社会福祉研究所
関わるとし,日本資本主義の初期段階から官民一
ユ982:!25)する,すなわち最低生活の保障とい
体の下で,「民間社会事業が市民的自由に基づい
り重要な点は,「市民的自由の歴史的な伝統とい
う公的責任を民間に転嫁するという破竹的な現象
た民間性を発揮できる余地なく,…今日に至って
をもたらすものでもあった(41〕。また,措置委託
いる」ことを指摘し,社会福祉の「民主的・批判
費によって公的責任を分与され,その代替的機能
的力」となり得る「運動体的な方向への脱皮」(一
を果たすことで運営の維持が担保されるという民
番ヶ瀬!97ユ:75,78)が必要であるとしている。
間の社会福祉事業においても,公費への依存とそ
このように,「官僚機構の自己運動化への『対
れに伴う上からの統制の下で,民間の独自性を喪
抗力」としての民間機能」(阿部1971)は,日本
失していくという問題を孕んでいた。無差別平等
における根強いタテ型の官民一体構造に絡め取ら
原則に基づく中央集権的な福祉行政機構の確立
札,この構造はその後の時代的な変遷を迫りつつ
は,民間社会福祉事業を公の支配に従属するもの
も基本的には継承され,2000年の社会福祉基礎構
とそうでないものとに分割し,前者を下請けとし
造改革によって措置権が解体した今日に至っても
てその内部に積極的に組み込んでいくという「日
なお,官と民が相互に自立し,対等なかたちで批
本的特殊官僚制」(一番ヶ瀬ユ97ユ:75)を生みた
判し合い,また協働していけるようなヨコの関係
すとともに,安上がり策としての委託費は,民営
が構築されているとは,決していえないであろ
の割合を増加させたものの,その施設条件や従事
う(捌。福祉国家の輪郭が,被占領期のいわば外
者の労働条件,経営基盤を低い水準にとどめ,質
からの指導によって形成され,高度経済成長によ
的には劣るという官民格差を拡大させる結果を招
ってその機運が盛り上がりつつも,それが充分に
いたのである。
熟成することなく世界的な経済不況とともにその
こうしたなか,公私問題が,とりわけ「民間性
終焉を迎え,それに代わって登場したのが,再び
とは何か」という視点から論議されるようにな
「日本型」の「福祉社会」諭であった。それは,
る。仲村は,民間がボランタリーと訳される点に
「個人の自助勢力と家族や近隣・地域社会等の連
関して,そこには「国家から相対的に自由な,そ
帯を基礎としつつ,効率のよい政府が適正な公的
して強制とか義務とかを伴うことなしに,自由な
福祉を重点的に保障するという自由経済社会のも
選択の原則のもとに行われるサービス」が想定さ
つ創造的活力を原動力とした我が国独自の道を選
れるものの,現実の日本では,「民間独自に,民
択創出する」(経済企画庁編ユ979:11)というも
間の財源をもとにして,民間の私的な社会福祉事
のであり,公的責任は,民間の事業体のみならず
(4ユ) もっとも,社会福祉事業法第5条「事業経営の準則」
である点を問題視している,とし,国家から距離を保
では,国・地方白治体の公的責任を民間事業者に転嫁
ち,時にそれを批判していく営利や非営利の概念が日
してはならないと規定されているが,措置委託が転嫁
ではないと言い得る根拠はみられない。
本において欠如している,というサラモン(Lester
Sa1amon)とアンバイァー(HelmutAnheier)の説を援
(42) ジョンソンは,西欧の研究者たちが,公私の境界が
用している(Johnsonユ999=2002〕。
日本で一層不明確であり,かつ行政との関係が閉鎖的
一53一
中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
個人や家族の自助,近隣や地域社会の連帯へと拡
る㈹。これは,「措置制度から契約制度へ」とい
大転嫁されていく。このことは,1.(3)でみたよ
う戦後最大の社会福祉基礎構造改革といわれてい
うに,ポスト被占領期におけるナショナルミニマ
る。措置から契約への転換とは,従来の行政権限
ムの公的責任を,家族福祉と企業福祉に肩代わり
に基づく責任と判断で福祉サービスを提供する制
させて展開してきた日本の福祉国家体制にとっ
度から,利用者が主体的にサービスを選択し事業
て,当然の帰結といわざるを得ない。ところが,
者と契約を交わすという制度への転換を意味して
「施設から在宅へ」のかけ声の下で家族や近隣に
いる。ここでは,措置という行政処分(権限)が
期待をかける日本型福祉社会論は,高度経済成長
要援護者の選択権や主体性を阻害してきたことが
期を経て生活様式の劇的な変化を遂げた日本社会
強調されたが,その背後には国家責任の後退が看
においては,もはや時代遅れな幻想に過ぎなかっ
取できる(44〕。要するに,国家の公的責任に基づ
た。かくして,日本型福祉社会論は影を潜め,
く生存権保障という問題を私的な契約関係に簸小
1980年代以降は,政府支出抑制のためのいわゆる
化し,福祉サービスは地域の住民や民間事業者の
臨調行革による本格的な民間活力の導入と,分権
自助努力に委ねるという回避策である。
化改革に基づく住民参加型の福祉社会論にその活
もっとも,措置制度の下で国家責任が十分に果
路を見いだし,広範囲の民間部門を巻き込んだ新
たされてきたとは決していえず,従来,措置委託
たな公私関係が展開していくこととなる。
という官民」体の下でその責任さえ委ねられてき
(4〕社会福祉基礎構造改革と官民/公私関係の変
公的責任の原則を持ち出してくる必然性よりもむ
容
しろ,統制的で官僚主義的な措置制度の硬直性を
!989年の福祉関係三審議会合同企画分科会によ
問題化する方が現実的であったのかもしれない一。
る「今後の社会福祉のあり方」では,市町村の役
しかし,そのような硬直性を招じ)てきた一端が,
割重視,在宅福祉サービスの供給主体の拡充,民
民間の創意工夫や自主性を尊重することなく官僚
間事業者・ボランティア組織の育成,福祉・保
機構の末端に組み込んできたことへの帰結であ
健・医療の連携などが提起され,翌年のいわゆる
り,こうした負の遺産を残存させたまま,官から
たことを鑑みれば,そもそも所在が曖昧であった
「社会福祉関係八法改正」に引き継が札た。この
民への構造改革が,財政的理由でもって,なお官
改正では,高齢者・障害者福祉分野における入所
措置やサービス給付の権限を都道府県から市町村
主導によって推進さ札ているところに,その限界
に委譲することとされた。そして,2000年,「社
契約制度の典型といわれている2000年からの公
会福祉の増進のための社会福祉事業法等の一部を
的介護保険制度は,各市町村が条件整備を行う保
改正する等の法律」(社会福祉法)が成立す
険者としての役割を担い,営利企業や非営利組織
を見ざるを得ないのである。
(43)同年には「地方分権の推進を図るための関係法律の
治体に対して恩恵的な援助として交付する『国庫補助
整備等に関する法律」(地方分権」括法)も施行され
金』にとどまり,その補助率についても『2分の1」
ており,これによって機関委任事務が全廃し,国が自
以内というあいまいな規定にとどまってい」ること,
治体に委託して実施する「法定受託事務」と,自治体
独自で実施する「自治事務」に再編された。
(44)1980年代の行政改革から,順次,中央政府から地方
また,ホームヘルプに対する国の補助予算が,常勤3
割・非常勤7割の積算とともに,補助基準自体も低く
抑えられてきた一方で,社会福祉法人が特別養護老人
白治体への権限委譲の名の下に,国庫負担の削減が推
ホームを建設する場合には,その2分の1を国,4分
し進められてきた。伊藤によれば,福祉関係八法改正
のユを都道府県が補助し,補助金目当ての悪質な業者
で位置づけられたデイサービスやホームヘルプなどの
「老人居宅介護等事業」への国庫支出金は,「国の負
あげられている(伊藤2007:208−209)。
担義務を明確化した『国庫負担金』ではなく,国が自
一54一
による福祉施設の建設が利権の巣窟となったことが,
地域創成研究年報第3号(2008年)
されていることに象徴されるように,ボランタリ
(NP0),協同組合,ボランタリー組織など多様
なサービス供給主体の参入を図ることによって,
ーセクターを,政府の対等なパートナーとしてで
従来,公の支配に属さず,従って公費補助も受け
はなく,雇用や景気対策など経済面で政府を補完
ることができなかった民間事業組織に対し,公的
する工一ジェントとして,政策目的のなかに戦略
に活躍する場を提供したという点では積極面を有
的に位置づけられているのである。
している。折しも,ユ995年の阪神・淡路大震災を
ともあれ,以上のような問題を払拭できないも
契機に拡がっていたボランティア活動やNPOの成
のの,少なくとも従来は政府(官)が独占してい
長が,欧米先進諸国に準じた福祉多元化の基盤を
た公的領域に,民間の多様な主体が参入する余地
草の根レベルで展開するという役割を果たした。
が生み出されたことは事実であり,政府の役割が
こうして,文字通り福祉サービスヘの民間活力の
直接的な統制や給付から管理主体,条件整備主体
導入が促進され始めたのだが,介護報酬に伴う公
へとシフトしつつあるなかで,民間部門は,従来
的規制,情報の非対称一性や個別性,労働集約性と
通り政府の代替補完的役割にとどまるのか,ある
いった福祉の準市場的性格は,多くの民間事業組
いは,民間性を発揮し,政策に反映させていける
織にとって厳しい運営を課すものでもあり,とく
ようなインセンティブや,社会を変革していくた
に採算性を追求する営利企業においては不祥事や
めのアドボカシーおよびエンパワーメント機能を
撤退もみられている(45〕。
高めていくことができるのかどうか,その真価が
2002年に経済産業省の日本版PPP研究会が公表
あらためて問われている。
した『日本型PPP(Pub1ic Private P舳nership1公
4.ポスト福祉国家における公私分担一中
共サービスの民間開放)の実現に向けて一市場メ
カニズムを活用した経済再生を目指して(中間と
国の場合
りまとめ)』は,英国のVPMやNPM,PFIになら
い,顧客主義に基づく成果重視の業績評価の導入
11〕「単位」保障制度の形成と発展,そして変容
や,行政を政策部門と実施部門に分離するととも
1949年に成立した中華人民共和国の社会保障制
に,民間委託の可能性を探りつつ民間資金や民間
度は,大きくは改革開放以前と以降という二つの
の経営ノウハウ,リスク管理能力を積極的に取り
時期に分けることができる。前者は,社会主義計
入れていくことなどが盛り込まれている。これに
画経済に基づく国家/単位保障制を特徴とする段
対して岡田は,「自主的・自律的な公益判断に基
階であるのに対し,後者は,社会主義市場経済に
づき自由に活動するはずの民間部門も,あらかじ
基づく国家/社会保障制へと転換してきている段
め(政策部門により…筆者)設定された指標に基
階として位置づけられる。
づき具体的な活動内容とそれを実現する組織原則
鄭によれば,新中国の変遷は以下の四期に区分
を半ば『強制』され,公的部門の代替組織として
される。第一期はユ949∼1956年までの時期であ
機能せざるを得なくなる」とし,「『顧客』の『満
り,戦争による被災者や失業者に対する救済が緊
足度』を高めることをもって公益の実現とみなさ
要とされ,企業「単位」の全面的な協力の下で社
れる構造」に注意を促している(岡田2003)。要
会救済や労働保険制度が創設さ札た。1951年に都
するに,PPPが「公共サービスの民間開放」と訳
市労働者の労働保険制度が成立し,翌年には企業
(45)例えば,2007年6月に介護報酬不正請求によって処
まで営利企業以外にも,特定非営利活動法人や医療法
分を受けた㈱コムスンの事例は記憶に新しい。厚生労
人,社会福祉法人に指定取り消しが出ているもの
働省が出している資料「介護保険事業所及び施設の指
の,12ユ事業者のうち営利企業が75と最も多くなって
定取消等数」(2002年4月∼2003年12月)では,これ
いる。
一55一
中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
単位の国家職員(以下,単位職員)に対して公費
こうしたシステムの下では,各企業はその従業員
医療制度が制定された。さらにユ955年には国家機
のみに責任を負うという閉鎖的・自己本位的な体
関や単位職員の定年退職制度が導入され,翌年に
質を生み出し,企業間格差を生み出すことにな
は農村の独居・虚弱高齢者や孤児,障害者に対し
る。実際,一都の国有企業では重い保障負担によ
て衣食住と医療,埋葬を保障する「五保」制度が
って閉塞状況に陥り,非国有企業や個人経営,農
確立した。第二期は1957∼1968年の,本格的な社
村部の生活保障は国有企業に比べて不十分な状態
会主義経済が建設された時期である。この時期
であった。また,国家および企業による全面的な
は,単位職員の定年退職と老後保障が労働保険制
生活保障の供給は,国民白身の権利義務の醸成や
度から独立するとともに,農村では県・郷(公
労働意欲を阻害する要因ともなり,市場経済のグ
社)・村(生産大隊)単位で保健医療のネットワ
ローバル化という対外的な影響も伴って,計画経
ー一
済は改革の時期を迎えざるを得なくなったのであ
Nを形成するという合作医療制度が創設され
た。第三期はユ969∼ユ985年であり,前半は「文化
る。
大革命」期として位置づけられる。この時期は,
社会福祉事務を担当する内務部が解体されたこと
(2)社会保障制度の「社会」比とその評価
に伴って,労働保険が企業および単位の保障制度
改革開放による「社会転型」は,「結構転換」
となり,国家/単位保障制の責任の重心が国家(政
と「体制軌転」という二つの転換過程であるとい
府)から企業単位へと移行した。文化大革命が終
われている。前者は,農業や郷・村からなる閉鎖
結した後半期には,前半一の混乱状態を克服するた
的な伝統社会から工業や都市・鎮に基づく開放的
め,「中華人民共和国憲法」における生活保障の
な現代社会への構造転換であり,後者は,計画経
原則規定が制定され,内務部に代わる国務院の民
済から市場経済への体制変革として示される(陸
政部も新たに創設された。ユ980年には国務院によ
1996)。
って「老幹部の離職休養についての暫定規定」が
改革開放以降の文字通り社会保障の社会化は,
発表され,特別待遇の退職養老制度が構築される
国有企業の改革と同時に進められ,企業単位から
こととなった。一方,農村部における土地の請負
独立した「社会」制度として位置づけられた。社
責任制の導入は,集団的な保障制度である五保や
会保険業務を統括する労働・社会保障部がユ998年
合作医療制度を崩壊へと導くこととなり,また,
に新たに設置され,社会救助や社会福祉を担う民
都市部においても国有企業の単位が破産するなど
政部とともに独立した社会保障のための機関が形
して,経済改革の必要性が問われ始めた。そして
成された(46〕。そして,「社会保険法」や「社会救
第四期の1986年以降が,国家/社会保障への変革
助法」をはじめとする社会保障法規や条例が制定
期として位置づけられるのである(鄭2007)。
され,そのような立法に基づく運営や責任の共有
国家/単位保障においては,国民は,都市部で
化が図られた。また,2000年に社会保障基金を管
は行政機関や国有企業の単位,農村部では人民公
理する全国社会保障基金理事会が創設され,銀行
社や生産大隊・小隊などの集団組織に所属し,そ
や郵便局を通じた社会保険の給付や,民間の慈善
うした単位組織が構成員を丸抱えにしつつ全ての
公益組織の育成が図られることとなった。
生活も保障していくという体制であった。しかし
中国国務院新聞分公室が2004年に発行した『中
(46)鄭によれば,ユ998年以前は,社会保険は当時の労働
の,都市部従業員が排除されたために,失業や下剤レ
部,人事部,民政部,鉄道,交通,銀行などユOヶ所以
イオフ),退職した労働者の生活が困難に陥った場合,
上の省庁が管理し,無秩序で錯綜した状態であった。
助けを求めるところがないという死角が存在したとさ
社会救助は一貫して民政部の管轄範囲であったもの
れている(鄭2007)。
一56■
地域創成研究年報第3号(2008年)
国社会保障の状況と政策白書』によれば,社会保
余儀なくされた数千万人の労働者や,改革の果実
障制度は,①社会保険(養老保険(以下,年金保
を受けられない低所得および貧困層にとって,社
険),医療保険,失業保険,労災保険,生育保険),
会化された保障制度は大きな殺害崎果たし,もし
②最低生活保障としての社会救済(災害時救済,
そうした保障がなければ,社会全体が混乱と無秩
貧困者救済,農村貧困地域扶助救済および都市部
序の危機的状況に陥っていたことを指摘してい
救済),③社会福祉(都市部の福利院や養老院な
る。また,都市部の貧困救済が,臨時的・応急的
どの福祉施設,福祉企業,社区サービス事業,農
な有限救済から恒常化・制度化された最低生活保
村五保制度の敬老院),④優遇措置(現役軍人お
障制度へと発展したこと,離退職人員が単位から
よび家族への特別優待,傷痕軍人および死亡軍人
独立し「杜区」住民へと転換することを容易にし
遺族への補償,退職軍人の生活補償と退役軍人の
たことがあげられている。しかし他方,鄭によっ
就業配置等),⑤住宅保障,から構成されている。
て次のような問題点も指摘されている。第一に,
こうした社会保障の特徴として,都市部の年金お
国有企業改革のための従属的措置であり,社会保
よび医療保険において;社会プールと個人口座の
険が年金,失業,医療保険に集中して依然として
二段構えになっているという点があげられる。例
適用範囲が狭く,非国有企業の従業員などが包摂
えば,年金保険の保険料は,政労使三者の拠出に
されないために企業間の人件費格差が生じ,市場
よって構成され,労使が賃金収入の一定比率に応
経済の公平な競争環境が損なわれていること,第
じて保険料を保険者である政府に納付するが,そ
二に,初期の改革段階において,業種別・企業別
の内訳としては労働者(個人)が給与の4∼8%,
調整や地方間の改革の相異が放任され全体的な制
企業が給与の20%分を支払う。政府は,個人負担
度変革が遅れたことや,現段階においても,中央
分と企業によって納付された20%のうちの3%分
政府と地方政府の責任分担がなお不明確であるこ
を個人別の口座に積み立て,残りの17%を社会プ
と,第三に,旧システムの基金不足の問題を解消
ール基金に積み立てる。定年退職後は,社会プー
できないまま,個人口座の空洞化や資本市場の発
ル基金から基本年金(前年度当該地域月収入の
育不全のための価値の低下というリスクを伴うこ
20%),個人口座から上乗せ分(積立総額の!20分
と,第四に,統一化と分権化の区分が曖昧である
のユ)が給付されるという仕組みである(47〕。ま
とともに,官と民の役割や責任が曖昧であり,政
た,医療保険の場合は,個人負担が2%,企業が
府は自らの責任を負って解決すべき問題に集中で
6%であり,企業が納付した分の30%が個人口
きず,民間は社会保障事業に積極的に参入できず
座,70%が社会プール基金として積み立てられ,
発展しないという問題を孕んでいること,第五
軽症の医療費は個人口座,重症の場合は社会プー
に,個人責任を過度に強調する政策指向と社会保
ル基金か一
障への信頼の危機が,消費の抑制や貯蓄の拡大を
迢虚tされるというものである(沈
2007)。したがって,個人口座は個人独自の積立
もたらし,結果として近年における内需の低迷を
方式であるが,社会プールは所得再分配機能に配
招いたこと,第六に,農村社会保障制度の構築に
慮した賦課方式となっている。
対する長期的な軽視が,農村人口の高齢化や貧困
以上のような社会保障制度の積極面として,鄭
などの問題をさらに深刻化させていること,があ
は,市場経済改革のもたらす社会的リスクを緩和
げられる(鄭2007)。
したこと,すなわち,国有単位が倒産し離退職を
劉もまたさらに以下のような問題をあげてい
(47) こうした公的年金の他に,企業年金や個人年金も存
人年金,となる可能性もあるが,現状では公的年金の
存しているため,厳密には三段構え,すなわち,第一
みがほとんどである。
段目の公的年金,第二段目の企業年金,第三段目の個
一57一
中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
る。一つは,不完全な市場経済である。そ札は,
革のなかで,公共・社会サービス部門を行政シス
①都市と農村,沿岸部と内陸部,現代部門と伝統
テムから切り離し,社会団体の「失政治化」が進
部門などの二重構造が存在し,両者の格差が大き・
められたことにより,国家から相対的に自立した
いこと,②市場でマクロ経済をコントロールでき
民間組織が生成し始めた。その後,ユ998年の国務
ず行政介入が必然化すること,③国有企業の所有
院による「社会団体登録管理条例」および「民弁
権は国家にあり独立採算的な商品生産者になり得
非企業単位登記管理暫行条例」によって,民間組
ないこと,などによって特徴づけられる。二つ目
織は二種に大別されることとなった。前者の「社
に,個人経営や郷鎮企業,都市戸籍を持たない出
会団体(社団)」は,①設立主体は中国国籍を持
稼ぎ労働者など非国有の経済主体の比率が増加し
つ中国公民に限定,②自主性の重視,③会員制,
ているのに対し,多様かつ変化の著しい経済状況
④非営利的・公益的社会組織,⑤国家の非関
に対して社会保障制度が追いついていないことで
与(4目〕,後者の「民弁非企業単位」は,①非国有
ある。したがって現状においては,従来の単位保
資産(個人資産,集団資産,外国資産)での事業
障から都市部の職員・労働者と高所得層向けの保
活動,②活動内容に応じた多様な形態,③社会サ
障へと転換したに過ぎないとされる㈱。三つ目
ービス・福祉サービス提供に限定,④非営利原
は,国家的な制度の統」という理念にもかかわら
則,という条件が規定されている(沈2007)。い
ず,実際の運営や裁量権は地方ごとに異なるとい
わば前者は「政府と社会の分離」によって生み出
うディレンマであり,労働者や退職者の地域間流
された非政府組織,後者は「政府と企業の分離」
動を阻害することがあげられている(劉2007)。
によって生み出された非営利組織であり,いずれ
も社会主義経済体制の改革,すなわち政府と市場
(3〕社会サービス供給の多元化と「社区服務」の
の改革のなかから導き出された第3のモデルであ
推進
るといえる。しかし中国の場合,こうしたいわゆ
以上みてきたように,中国の社会保障制度は,
るサードセクターは,「市民運動の高潮によって
急激な市場改革の下でその枠組みが新たに形成さ
もたらされた結果ではなく,単」的な計画経済か
れてきたのだが,その過渡的な段階に基づく制度
ら多様化した市場経済への移行過程の中に生じた
の未成熟さによって,なお多くの課題が残されて
隙間から生まれてきたもの」(沈2007:171)で
いる。こうしたなかで,近年注目されてきている
あり,初期の段階において「政府機能削減や人員
のが「社区」といわれる新たなコミュニティと民
削減の受け皿として…擬似政府機関としての役割
間非営利組織の役割である。
を果たし」(同1163)てきた前者と,「企業の母
中国における民間の社会団体は,すでに1951年
体から切り離され…企業改革によって吐き出され
の内務部による「社会団体登記暫定方法実施細
た大量の余剰人員を吸収する機能をもたらされ」
(同1167)てきた後者は,いずれも「『上から』
則」に基づき,政府管理体制の下で育成されたが,
文化大革命によって機能不全に陥り,その後の「単
強要したイメージ」(同:ユ71)が強く,市民意識
位」保障制度下で国営企業に従属するかたちで再
や自治認識の貧弱性が指摘されている。
開した。しかし,ユ980年代初期の「政社分離」改
もっとも,このような制度化した組織以外に「未
(48)劉は,全国福祉支出のうち95%が全国人口の20%に
は30人以上の団体会員,②正式名称とそれに相応する
過ぎない都市住民への支出で占められているのに対
し,全国人口の75%にのぼる農村住民への全国福祉支
組織,③専用の事務所,④専任スタッフ,⑤全国レベ
出は3%に過ぎないと述べている(劉睾O07)。
産,⑥民事責任を担う能力,が必要とされる。
(49) さらに付加条件として,①50人以上の個人会員また
一58一
ルの団体はユO万元,地方レベルでは3万元以上の資
地域創成研究年報第3号(2008年)
登録の任意団体」も200万以上存在し,こうした
白治体財政,福祉宝くじ収入,コミュニティ福祉
団体の多くが主に杜区で活動しているといわれて
産業の収益によって賄う,という内容であり,行
いる。
政直営の公共サービスの縮小と民間によるサービ
社区は行政の最小の地域単位として位置づけら
ス供給への方針転換を明らかにしたものとされて
れており,人口管理や医療,福祉,治安,防災,
いる。かかる「小政府大社会」の行政改革の下で,
教育,文化,職業紹介など多様な社会サービスの
従来は「国家の政治統治を浸透するための末端組
実施単位ともなっている。社区を支える自治組織
織」(沈20071ユ58)であった地域社会が,「社区
は「居民委員会」(以下,居委会)である。居委
を基礎とし,社区の自主性を発揮し,社区内外の
会は,1954年の「城市居民委員会条例」によって
あらゆる資源を十分に活用し,社区住民の生活上
の問題解決及び生活の質の向上」(劉2007:
制度化され,地方政府の支所である「街道弁事処」
(以下,街道)の指導下で行政の末端組織として
116)をめざす「社区福祉」として,社会サービ
の役割を担う住民組織である。「単位」制度の下
スの新たな役割を担うこととなったのである。
では,この街道と居委会から成る「街居制」が採
社区を活動基盤とする団体は「社区志願者(ボ
用され,政策宣伝や愛国衛生運動,食糧配給,社
ランティア)組織」といわれている。社区服務の
会救済などが行われていたが,とりわけ単位から
実施主体である社区居委会が,資金確保面におけ
取り残された住民の管理が主な任務でもあった。
る収益事業・として「三度(第三次産業)」活動を
しかし,単位制の解体に伴って,単位に代わる地
展開するとともに,人材確保面では「社区志願者
方行政の課題化とともに,全住民に対する社会サ
活動」を奨励しその組織化を図ってきたことによ
ービスの必要性が認識されるようになり,1989年
って,同組織は飛躍的に増加した。杜区志願者活
に制定された「中華人民共和国城市居民委員会組
動は,高齢者サービスや家事援助など身近な生活
織法」を契機として「社区建設」が始まっていく。
二一ズに対応した低コストのサービスに集中して
「住民の自己管理,自己教育,自己サービスを行
いるが(50〕,高齢化や失業対策にもつながる地域
う,基層の大衆的白治組織」を掲げる同法第2条
貢献策,つまりコミュニティでの新たな公益サー
では,人材や資金を自力で確保しつつ住民二一ズ
ビスを展開することによって雇用や活動の場が創
に即した社会サービスを提供する社区居委会が新
出されるという点からも,注目されてきている。
たに位置づけられることとなった。ユ993年には,
しかし,100戸から700戸の範囲で設立される居委
民政部や衛生部,労働部など14官庁による「推進
会にはバラツキがあり,順調な事業や活動を進め
社区服務発展的意見(コミュニティ・サービス促
ている社区と事業資金や人的資源の確保に苦慮し
進に関する意見書)」が公刊され,社区(コミュ
ている社区との差が大きく,むしろ後者の方が多
ニティ)を基盤とした福祉サービス供給の具体策
数を占めている。また,街道の管理下に置かれて
が打ち出される。沈によれば,この意見書は,①コ
いる居委会の活動が審査・評価の対象となってお
ミュニティ福祉サービスの民営化・産業化ととも
り,ボランタリーな活動というよりも評価を上げ
に,民間人の参入や市場メカニズムによる調整を
るための活動となっていることは否めない{5ユ)。
導入する,②福祉サービス供給団体に免税や助成
2000年に国務院弁公庁によって公布された「社
金制度を設ける,③「社区服務(コミュニティ・
会福祉社会化の推進に関する意見書」では,福祉
サービス)発展基金」を設置し,その財源を地方
サービス供給に個人や企業,民間団体の参加を促
(50)最低生活費等の給付は市・区の民政部・局が管理し
衛生などの任務を,街道の指示の下で行っている(中
ており,救済能力を持たない社区居委会は,最低生活
西2007)。
保障の申請や失業者の職業訓練・再就職の斡旋,保健
一59一
中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
進する社会参加型福祉やサービス供給体制の多元
とその後の政策を転換させたが,そうした市場万
化が提起され,今後さらにコミュニティを基盤と
能主義も格差や貧困をさらに拡大させ,社会的不
した民間主体の福祉サ]ビス供給へと舵取りがな
公正を生みたすとともに「市場の失敗」を招くこ
されていくことは必至であろう。しかし,公的領
ととなった。したがって両者の克服をめざした「第
域の問題と私的領域の問題とが連続的に捉えら
三の道」は,「再分配の福祉からリスク管埋の福
れ,「公的権力の指導のもとに白治組織を作って,
祉への転換」として,不平等を分配問題ではなく
それに準公的性格をもたせて紛争解決にあたる
社会的排除の問題として捉え,全ての個人・集団
(あたらせる)」(高坂2002:39)方法が依然と
の社会への包摂(=社会的配慮や承認に基づくシ
して主流である中国においては,行政主導に基づ
ティズンシップの保障)を平等として再定義す
きその政策的補完となる自助や共助よりもむし
る。このことは,従来のように「福祉を弱者救済
ろ,行政とは一定の距離を置いたところで醸成さ
として位置づけるのではなく,…個々人がリスク
れる民間性や住民の白治意識/市民意識の向上が
に能動的に挑戦するための能力や機会の開発」
求められる。
(今田2004:237)として積極的に位置づけてい
くことを意味し,教育や雇用め創出を最優先課題
5.まとめ
にしつつ,社会的目的をもってコミュニティで活
動する民間非営利組織を軸に新たな市民社会を構
(1〕英・中・日におけるポスト福祉国家の新たな
築していくというものである。
局面一「公」と「私」をめぐって
このような英国におけるポスト福祉国家の新た
1.(1)で述べたように,英国に始まった福祉国
な局面は,1.(3)でみたような戦後の高度経済成
家は,市民的・政治的・社会的権利に基づくシテ
長を経て「三位一体構造」を形作ってきた日本型
ィズンシップを保障する近代国民国家の理念を内
福祉から21世紀の新たな「福祉社会」へと転換を
包しつつ,国家の再分配政策を通じて経済成長を
遂げつつある日本,そして1980年代後半からの改
めざす国家経済システムであった。こうした集権
革開放によって急速に社会主義市場経済を進めて
的かつ普遍主義的な福祉国家は,国民経済や福祉
きた中国に対しても,大きな影響を与えてきた。
の向上に積極的な役割を果たしたが,一方で,「移
各国の政治経済体制の相違や市民社会の歴史的・
民法による移民管理(外国人労働者管理)を通し
文化的基盤の相違を伴いながらも,大勢としてそ
ての人種差別」や「男性中心の家父長制」(堀内
れは,官僚主義的な」国経済管理体制の破綻とそ
2003:198)を温存・強化したかたちでの国民お
れに代わる新たな社会経済システムヘの展望とし
よび家族という枠組みを前提とし,官僚機構や利
て捉えられる。この新たな社会経済システムは,
益集団の権限や利権を維持・拡大する構造を持つ
「官」である国家によって一元的に掌握されてき
ものでもあった。こうした「大きな政府」が,財
た権力を分散化し,国家の機能を多様なレベルの
政赤字や個人の自立・自助能力の低下をもたらし
市民社会へと移譲していくことによって達成され
たという批判のなかで,規制緩和と民営化,自己
るものであり(Hirst1994),このような国家/社
責任を掲げた新自由主義による市場原理の導入へ
会関係の再編は,官/民および公/私のバランス
(51)李は,社区志願者活動が自発的・自律的なボランタ
ような形式的な活動を企画する傾向がみられること,
リー活動に直結していない要因として,一つに,ボラ
三つ目に,ボランタリー活動がイデオロギー的思想教
ンタリー活動が地域互助を基本とし,限定された範囲
育の一環として位置づけられていること,をあげてい
内および内容で行われていること,二つに,居委会で
る(季2002)。
は,住民の二一ズに応える活動よりも評価されやすい
一60一
地域創成研究年報第3号(2008年)
をめぐる「公共一性」の間い直しと,こうした公共
を,中央集権的国家体制における官僚行政として
性を担う諸アクター間のガバナンスという新たな
の「官」の下に再編統合することによって,新た
課題を提起することになる。
な「国家=公=官」という三位一体構造を作り上
「公共性」に関しては様々な解釈や議論がある
げ,そこに下部機構としての「民=私」を包摂し
が,少なくとも「公共」という概念における英国
ていくことになる。「(公私未分化な)家産官僚制
と日本および中国の相違はこれまでも明らかであ
的側面」(小林2002)が強いとされるこうした日
る。「公共」の英訳が‘Pub1ic’であり,その語
本の「集権的官治機構」に,戦後,GHQによっ
源である‘Pub1icus’が「人々」を意味するよう
て「国外で醸成された権利・義務の観念」(竹川
に,英国の「公共」は,「『広く人々に関する』と
2007)が埋め込まれることとなるが,‘Pub1ic’
いう中核的意義から派生して『国家』にも適用さ
のように人々の信託によって成り立つ国家という
れるという,『下から上へ』の意味構造」(渡辺
観念が根づいてこなかった日本では,その「公共」
200!:ユ46)を持っているが,このような「人々」
機能も国民の総意に基づくというよりも,「官」
から「国家」へという開かれた概念は,とりわけ
による「私」益が「公」益とみなさ札,それが「共」
日本では存在してこなかった。日本の「国家」は,
の領域をも吸収してきた面を否定できない。例え
古代から「公(おおやけ)」として,「人々」とは
ば「公共事業」が,選挙と絡んで政治家の私益と
切り離された上位の権力体系を示しており,「公
結びついてきたことや各省庁の縄張り主義が反映
(おおやけ)」の救済は,中国の儒教思想に基づ
されてきたこと,また,官僚の「天下り」による
き,無告の窮民に対する恩賜や慈恵として「上か
政財官の癒着の温床ともなってきたという事実は
ら」与えられるものであった。もっとも中国の
言うまでもない。あるいは「官」が公権力を正当
「公」は国家を超越した天という観念があり,道
化する論理として「公共」が用いられ,その名の
義を唱える天においては,皇帝・朝廷・国家が
「私」とみなされ,逆に人民・国民が「公」とみ
下に「官」主導による多数派利益の是認とともに
少数派の人々の受忍を強いるというケースも多々
なされることがあるといわれている(溝口
みられてきた。かかる状況は,「滅私奉公」とい
2001)。しかし日本の場合,「公」の頂点には天皇
う言葉にみられるように,人々白身の「私」より
が存在し,上に位置するものが常に「おおやけ」
も国家の「公」が優先され,それゆえに下位概念
となり,下に位置するものが常に「わたくし」と
としての「私」と上位概念としての「公」という
なる「『公=私』の重層構造」(水林20021ユ3)
関係において,「私」が対等なかたちで「公」に
がみられる。この点で,「公」と「私」の連続性
開かれていくという道を閉ざしたまま,自閉的で
がみられるが,それは‘Public’のような「国家」
あるがゆえの「私」が「公」への依存や従属を強
と「人々」の開かれた関係ではなく,むしろ「公」
めるとともに,「公」を独占的に所有する「国家
と「私」の相互浸透である。つまり,「私」が「『公』
=官」によって「公」が逆に「私」物化されると
的なものから自立した世界としては成立してい」
いう肢行的な現象を示すものである。「民=私」
ず,「『公』の世界に『私』が不断に侵入していく」
とされて「官=公」のなかに組み込まれた「官民
(同1ユ3)ものであり,このことは,‘Private’
一体構造」もまた,こうした文脈において捉えら
が‘Pub1ic’に包摂されず常に並存する関係にあ
札る。
るのとは対照的である。
翻って中国では,公産や公業など共有財産が
このような「公」「私」の序列構造の上に,近
「公」として名づけられており,「公」は個々の
代国家としての体制を西欧に学びつつ整えてきた
「私」有部分を単位とし,「私」相互の権利を横
日本は,廃藩置県や市制・町村制によって村落共
につなげたものとして理解される。言い換えれ
同体など従来の自生的・相互扶助的な生活集団
ば,「私」は「公」に対して使用や所有などの権
一6ユー
中西典子
表2
官/民の所有形態別にみる公/共/私の機能一英国・中国・日本の比較
機 能
所有
形態
官
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
組織形態
英 国
公 共 一私
中 国
日 本
公 共 私
公 共 私
行政体
(国家/地方政.
公家g㎝gjia
府)
=(日本の公に近い)=
半官
半民
民
おおやけノ公共
独立行政法人
/公益法人等
↓↓↓↓
㌧__\ノ
非営利組織
営利企業
含分合
㌧__\ノ
入れ子構造
滅私奉公
利を持っているとともに,全体を構成する一部と
しながら開いていく「公」)と名づけ,「私」(白
して「公」を通じて主張されるべきものとさ乱る。
已)の確立=「自分で判断するという知性的・道
したがって「公」は,「共同性」という観点から
徳的自立・自律」(金2002:23)の発達があって
捉えられ,「個々の私的欲望を容認しつつ,その
はじめて「公」が生み出されることを主張してい
主体的な私相互を均分原理によってつなげ」るも
る。その上で,「『公」と『私』との間でバランス
のであり,「私」は,「つながりの全体を構成する
が取れた関係を構築する」(同:23)ことが重要
一単位として全体を規定しつつ,…全体の一部と
であり,「私」が確立されていないがゆえに「公」
して全体からの規制を受ける」(溝口2001146)
も存在サず,全てが「国家」に収鮫されてしまっ
ものとなる。ここでの「公」と「私」は,一方が
ている情況を克服することが必要とする。また,
「公」と「私」という概念は「実体ではなく,方
他方を包摂する上下の関係ではなく,相互につな
がり生かし合う関係として規定されており,この
向である」とし,「開いて分け合う方向を『公』
・,閉じて守る方向を『私』」(金200ユ:240)と
点では‘Public’と通ずるものがあるが,‘Pub1ic’
が対等な「公」と「私」が一定の距離を保ちつつ
捉えることを提起している。したがって,国家=
並存しているというニュアンスを含んでいるのに
「公」で個人や市場=「私」であるという固定的
対し,中国の場合は両者が入れ子の構造になって
な規定ではなく,国家でも個人でも「公」と「私」
いる点で相違がみられる。しかしいず札にせよ,
の両面があることが示唆される。
新中国の成立以降は国家主義的な「公」が強く押
このような観点からすると,「公」と「私」の
し出され,理念としての「公」と「私」の相互関
区別は相対的なものであり,かつ機能的な概念で
係は存在していても,実態は,個としての「私」
あると考えられる。そして,これまで,所有概念
が制圧されかつ醸成されにくい環境を作り出して
である「官」と「民」が「公」と「私」として分
きたといえる(表2)。
析的にも同一視(「官=公」と「民=私」)されて
きたことが,「公」と「私」の解釈を嬢小化・固
/2〕「官」と「民」がともに支える「私」から「公」
定化し,実態としてもその打開策を見いだしにく
への開かれた「公共性」
くさせてきたように思われる。藪野がいうよう
金は,「『私』を否定・排除・抑圧する方向で
に,「公=官十民という構造」が成り立ち,「官と
「公」を確立・確定・確保するという公私観から
民というアクターが共同で支えるシステム」(藪
『私』を十分成長・成就・成熟させながら…その
野2002:334)として「公」を位置づけていくこ
原動力が『公」を開き広め深め高めるという公私
とが㈱,まさに求められているのである。
観」(金200ユ:86)を「活仏開公」(「私」を活か
多様な「私」が相互に関係し合うことで「公」
一62一
地域創成研究年報第3号(2008年)
が開かれると捉えるとき,この「私」と「公」を
公共の秩序,公共心などがこれにあたり,特定の
媒介するのが「公共性」である。一般に「公共性」
利害に偏していないというポジティブな含意をも
は,「公開性」や「多様性」という視点を含んで
つ反面,権利の制限や受忍を求める集合的な力,
おり,「閉鎖性」や「同質性」を前提とする「共
個性の伸張を押さえつける不特定多数の圧力とい
同1性」とは区別されるものである。
うネガティブな側面も有している。三つ目が,誰
18世紀の啓蒙期市民社会における「市民的公共
に対しても開かれているもの(open)であり,公
性」の変貌を取り上げたのはハーバーマスであっ
園など誰もがアクセスすることを拒まれない空間
たが,こうした新興ブルジョワジーによって担わ
や情報が想定される。こうした三つの意味合いに
れた市民的公共性の国家権力に対時する「批判的
おける「公共性」は全てが同時に成り立つわけで
公共圏」一としての機能は,その後の福祉国家段階
は必ずしもなく,例えば,国家の活動が「公開性」
における国家の介入によって解体するとともに,
を拒む場合や,「共通していること」が「閉ざさ
それに代わって貨幣と権力に媒介される資本制市
れていないこと」と衝突する場合などがあげられ
場経済と官僚制国家の両システムによる「生活世
ている。要するに,「私」と「公」の間の「公共
界の植民地化」が問題となる。ハーバーマスは,
性」は一様ではなく,「官」や「民」など所有主
このようなシステムによる植民地化に対し,自由
体の関係のあり様によって「公共性」の機能も異
なコミュニケーション的行為によって成り立つ生
なってくることが示唆されるのである。
活世界に着目し,そこでの自律的な個人による自
齋藤の「複数の価値や一意見の<間〉に生成する
発的なアソシエーション(結社)を媒介とした合
空間であり,逆にそうした<間〉が失われるとこ
意形成のための言説空間を「自律的公共圏」と名
ろに公共性は成立しない」(齋藤200015)とい
づけ,その新たな役割を展望している(ハーバー
う見解に賛同する稲垣は,①誰もがアクセスしう
マス1987,ユ994)。
る空間であり,開かれていること,②人々の抱く
特定の人々の間での特定の場所を持った言説空
価値が互いに異質なものであること,③人々の問
間である「公共圏」に対し,不特定多数の人々に
に生起する出来事への関心があること,を「公共
よって織りなされる特定の場所を超えた言説の空
性」の特徴としてあげており,「同質なものだけ
間としての「公共的空間(領域)」を位置づける
で形成する空間の外に出て,異質な人々の意見を
齋藤(2000)は,「公共性」を以下の三点に整理
尊重すること」(稲垣20021281)が公共空間を
している。一つは,国家に関係する公的(officia1)
形成するための条件であるとしている。後藤もま
なものである。これは,公共事業や公共投資,公
た,「情報が広く開示され,多くの人々がアクセ
的資金,公教育,公安など,国家が法や政策など
ス可能であること(公示性),特殊な諾条件を一
を通じて国民に対して行う活動であり,強制,権
定の論理のもとで整合的に扱いえること(一般
力,義務といった響きを含んでいる。二つ目に,
性),多様なポジションに位置する人々の理一性的
共通の利益・財産,共通に妥当すべき規範,共通
判断によって需要可能であること(普遍性),異
の関心事など,全ての人々に関係する共通のもの
なる多様なポジションの個別性・特殊性が広く見
(Co㎜on)があげられる。公共の福祉,公益,
渡されること(不偏性),自己の私的利益や関心
(52)藪野は,日本の駐車場でみられる「公用車専用」と
立であっても「公」的サービスを提供している事例を
いう掲示が,全ての市民が使用できる‘public use
あげながら,「公」的サービスの担い手として多くの
「民」問組織を利用しているにもかかわらず,従来,
on1y’ではなく,役所のみが使用する‘o閉。ia/use㎝1y’
を意味していることをあげ,‘public’も‘omci31’も
「公」を担うのは「官」であるという発想が,「明治
「公」と訳されるところに問題があるとしている。ま
以来の日本における公に対する観念の病根をなしてき
た,教育や医療,鉄道など,「公」立であっても「私」
たのではないか」(藪野20021332)と述べている。
一63一
中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
から離れ,それらを反省的・熟慮的にとらえ返せ
である。今田は,1970年代以降の福祉国家に理論
ること(反省性)」(後藤2003:ユ08)において,
的基礎を与えたとされるロールズ(John Raw1s)
「公共性」を捉えている。とくに後者の「公共性」
の正義論に対し,基本財の保有量で不平等を測定
は,齋藤の規定にみられるような政府や公共機関
する「格差原理」や,自律的で標準化された個人
に還元されるものでも集団性や共通性にみられる
を想定する「正義の原理」は,「強者の善意によ
ものでもなく,「互いの追求する利益や関心の相
って弱者を救済する戦略」であり,「人間存在の
違,目的や価値の通約不可能性」に対し「各人の
多様性」や「個別の事情を背負った人々の福祉」
自律性を尊重しつつ,互いの関係性を調整してい
(今田20041241)を捉えきれないとして,セン
こうとする」(同:!08)ところに特徴がある。
(Ama・tya S・n)の「潜在能力」(各人の生き方の
こうした「公共性」の解釈は,財産と教養のあ
幅)の確保に基づく福祉に依拠しつつ,「白已犠
る「強い人間」や「理性的人間」によって構成さ
牲に陥ることなく他者に開かれた」ケアの倫理を
れ,本質的に排他性を内包してきた旧来の「市民
「公共性」の契機として位置づける㈹。そして
的公共空間」(小関2003:153)に対し,アーレ
こうしたケアの倫理から,「他者との共生を基礎
ントのいう人間の「複数性p1urality」に基づく非
にした福祉国家」(同:254)の構築を展望してい
共約的な空間がまず前提とされる。その上で,共
る。先の後藤は,これまでの公共的判断が,「個
約不可能な異質な他者の存在への配慮とその
人の私的な目的や関心の延長としてでは.なく,そ
<問〉を埋めていこうとする営みそのものに「公
れらとは異質な関心に基づいて形成」(後藤
共性」が対置されるのである。アーレント的な「生
2004:272)されてきたとし,ケアの観点として
の共約不可能な公共性」と制度化され得る「生の
の「個別性への配慮」に着目して,それが「普遍
共約可能な公共性」の境界領域の存在を,神戸市
的ルールに,特殊で個別的な諸条件を反映しうる
の被災地障害者センターの事例から分析している
ような内実を与え…,抽象的な意味での一般ルー
似田貝(2001)は,この「隙間の発見」が当時者
ルではなく,複数の具体的ルールを整序化する」
一支援者の緊張とディレンマを引き起こす「出会
(同:273)ことを期している。こうしたケアの
い一組み合わせ」という実践の場であり,ここに
観点と公共性とを関連づける鍵は,「他者の境遇
個人的・私的領域と公共性領域とを架橋する手が
を目の当たりにし,その声に耳を傾けた個人の経
かりを見いたそうとしている。
験」が,「特定の他者に対する個別的な『共感』」
に留まらず,「同様の境遇にある人々に共通する
(3)ホスト福祉国家におけるグローバルな福祉社
必要」に気づき,そのような「<必要〉の質的相
会一「官」と「民」の真のパートナーシップの
違に配慮した資源配分方法を考案すること」
(同:273−274)にある。かかる公共的ルールの
実現に向けて
個人的・私的領域と公共的領域との架橋は,こ
制定・改訂プロセスヘの参加や承認を通じて,「個
れまで,貧困や疾病,障害に対するケアや介護と
人は,自らの私的目的や選好を大切に持ち続ける
いった個別的な対応を要する問題を,最大公約数
一方で,自らの幸福や傾向性とは異なる動機に基
的に制度化された社会保障として処理してきた福
づいて,判断し活動する」とともに,「自分の関
祉国家の止揚という点とも関わって,重要な課題
心を適正に制約するという,個人の自律的な自由
(53)なお今田は別稿で,「支援とは私的な自己実現をす
る。支援は自分のためでありながらも,それを超えて
ることが,直接他者に対する気遣いや配慮,相互性へ
他者性につながる契機を持った行為である。ここに新
とつながる行為である。支援行為においては,相手を
たな公共性の内実を考える原点を求めることができ
エンパワーメントすることが本人の自己実現につなが
る」(今田200ユ:54)としている。
一64一
地域創成研究年報第3号(2008年)
を促す」(同:274−275)こととなる。
うに,とりわけ福祉においては,本稿でもみてき
福祉二一ズの個別性を公共的課題につなげてい
たように,民間のボランタリー組織が果たしてき
くことは,社会的不安やストレス,社会的排除や
た役割は大きい。しかしこうした民間組織が,戦
差別,社会的孤独・孤立など,従来の公権力に基
後の福祉国家における官治的公共性のなかで居場
づく福祉国家的対応では解決し得ない問題群が拡
所を失い,その機能を低下させてきたことも事実
大している現代においては,なおさら重要なこと
である。戦後,公的責任の明確化を「公私分離の
である。しかし,個別性を普遍的な基準に読み替
原則」として捉えてきた日本では,民間組織を「公
えていくにはいくらかの困難も伴う。例えば個別
の支配に属する公益法人」とそうでない一般組織
性を政策化する場合,高澤(2000)がいうように,
とに許認可制度によって分断し,公的責任に基づ
ある程度客観指標によって測定可能なものに限定
く前者のみに公費助成でもって市民権を与えてき
する必要があるが,そうした指標は皮肉にも福祉
たことが,本来の民間性の発達を阻害してきたと
二一ズの全人性や個別性を侵蝕することになる。
いう事情がある。けれども昨今では,従来の共同
また,個別性に着目すればするほど新たな個別性
体や地縁団体,公益法人など閉ざされた集団では
が顕在化し,どのレベルで公共的課題とリンクさ
なく,NPOや市民ボランティアなど社会的に開か
せていけばよいのかが不分明となってしまう可能
れた組織が拡大してきており,これらの普遍的か
性もある。個別性以外にも,ときとして不可視性
つ個別的な活動に基づく市民力の発揮が,新たな
や複雑性を伴い,複合化した社会の関係性のあり
公共性の担い手として期待されている。とはいえ
方にも関わる多様な問題群を,公行政(政府)に
それは,政府サイドでも期待のかかるものである。
よる多数決原理や財の再分配に基づく社会経済的
厚生労働省の審議会「社会的援護を必要とする
不平等の是正のみに収敏させることは,限界があ
人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会」
る。したがって,個別性を尊重しつつ公共性へと
の報告書(2000年)では,「全ての人々を孤独や
つないでいくためには,多様な社会的担い手の存
孤立,排除や摩擦から援護し,健康で文化的な生
在とその実践や協議・協働の積み重ね,そして相
活の実現につなげるよう,社会の構成員として包
互のきめ細かな調整に基づく多元的・分権的公共
み支え合う(ソーシャル・インクルージョン)た
性が,議論の前提として考えられねばならないだ
めの社会福祉を模索する必要がある」として,「社
ろう。
会福祉協議会,自治会,NPO,生協・農協,ボラ
こうした視点は,ウォルツァーのいう多元的な
ンティアなど地域社会における様々な制度,機
正義の諸原理に基づく「複合的平等の社会」
(Walzer!983=1999140)を想起させるが,実
関・団体の連携・つながりを築くことによって,
新たな『公』を創造していくこと」が求められて
際,ポスト福祉国家の局面では,「私」と「公」
いる。また,地方分権推進委員会の「最終報告」
を媒介し公共性を培う場としての多様な中間集団
(200ユ年)では,「従来の中央省庁主導の縦割り
の役割が見直されてきている。前述の会も,「『私」
の画一行政システムを住民主導の個性的で総合的
が『公』に発展していくプロセスの具体的な場」
な行政システムに切り替えること」とし,「自己
として「中問集団の位相と役割」をあげ,「中問
決定・自己責任の原理に基づく分権型社会を創造
集団を通して思考と行動の公共性を高めていく」
していくためには,住民みずからの公共心の覚醒
(金2002125)ことが重要であるとしている。「理
が求められる」として,「地方公共団体による行
念的には,公共性の実現は国民国家が行うべきも
政サービスに依存する姿勢を改め,コミュニティ
のである。しかし経験的にはそれが十全に実現さ
で担い得るものはコミュニティが,NPOで担い得
れたことはなく,それに換わるボランタリーな行
るものはNPOが担い,地方公共団体の関係者と住
為が不可欠であった」(鳥越2002)といわれるよ
民が協働して本来の『公共社会」を創造してほし
一65一
中西典子
ポスト福祉国家の公私分担をめぐる比較社会学
い」とされる。さらに,第27次地方制度調査会「今
セクターは,ポスト福祉国家におけるグローバル
後の地方白治制度のあり方についての中間報告」
な福祉社会の実現に向けて,有効なアクターにな
(2003年)では,「地域における住民サービスを
り得る可能性は高いと考えられる。2.(5)でみた
担うのは,行政のみではないということであり,
ように,近年の英国政府は,課題は残しつつも,
分権時代の基礎的自治体においては住民や,重要
少なくともこうした民間セクターとの対等な協力
なパートナーとしてのコミュニティ組織,NP0そ
関係を取り結ぶ努力は行ってきた。それは一方
の他民間セクターとも協働し,相互に連携して新
で,英国のボランタリー組織の層の厚さにも起因
しい公共空間を形成していくことを目指すべきで
するところが大きい・上述した日本政府の政策も
ある」とされている。このように,政府文書にお
英国に準ずるところが多いが,その適用は,異な
いて,新たな「公」および「公共空間」の奨励や,
る歴史的・社会的・文化的脈略を踏まえ,日本の
地方白治体と住民,NP0との協働という文言が頻
実情に照らして再検討されねばならない。「国家
繁に使用され,逆に奨励されているような状況さ
=公=官」の三位一体の下に「民=私」が包摂さ
え窺われる。
れる状況では,旧来の官民一体構造は再生産され
ユ990年代後半以降,急速に成長してきたNPOの
ても真のパートナーシップは育たないだろう。政
法人化は,政府の新たな工一ジェントの創出でも
府の財政支出や公的責任を肩代わりするための自
あった。もっともそれは,従来の公益法人のよう
立・自助・共助や,「官」に要請される道徳的・
に主務官庁の許可・監督に属するものではなく,
規範的な「公」を改め,生活の実践のなかから人々
組織の自主1性の尊重や市民の監視に委ねるなど政
が主体的に思考し,公権力に対して批判的にコン
府の関与を抑制したものである。持続的・安定的
トロールし得るような,「民」による緩やかで開
な活動のためには,むしろ法人化によって減免税
かれた「公」が醸成されていくことが重要である。
や補助金などの優遇措置を受けることも必要であ
そこにこそ,「民」と本来はその工一ジェントで
ろう。しかし,かかる点も含めた政府の関与が,
ある「官」とが相互の役割を認識しつつ,ともに
組織の自律性を阻むがゆえに,あえて法人格を取
「公共」を支える地盤が開かれるのである。
得しないという選択をするNPOも現に存在してい
る。したがって,こうしたNPoが法人格をめぐっ
く付 記〉
て不利益を被ることのないような配慮がなされね
本稿は,科学研究費補助金の基盤研究(A・B)
(海外学術調査)「英国・中国・日本における『公
ばならない。NPOは決して万全ではない。サラモ
ンが「ボランタリーの失敗」(54〕で提起している
共性』に関する比較社会学的研究」(課題番号:
ように,NPOの限界を補完し有効に機能させるた
16402029)(代表者:藤田弘夫),および同補助金
めにも,政府が担っていくべき役割は決して小さ
の基盤研究(C)「地方分権化時代における地域
くはない。NP0の名をかたる様々な組織が出てき
的アクターおよびローカルガバテンスの可能性に
ているなかで,その本来の価値を正当に評価し識
関する研究」(課題番号:17530370)(代表者:中
別していくことも重要である。
西典子)に基づく研究成果の一部である。
民間の非営利組織やボランタリー組織,コミュ
ニティ組織を含めた広い意味でのいわゆるサード
(54)サラモンは,非営利セクターの限界として,①充分
な人々の嗜好によってなされるというパターナリズ
なサービス提供のための資源を調達する能力の不足,
②サービス提供における個別性や地域的偏在,重複性
ム,④アマチュアリズムによる専門一性の問題,をあげ
などの特殊性,③サービス内容や対象者の決定が裕福
r66一
ている(Sa1日monユ995=2007)。
地域創成研究年報第3号(2008年)
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