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現代精神分析の動向
by
利根川義昭
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§1メラニー・クライン-病理論・ポジション
論-
1.1メラニー・クライン-病理論・ポジション論フロイトによって神経症よりも病態の重たい、精神病圏のその中核にはナルシシズムの病
理がどうやらあるらしいことは示されていたものの、そのメカニズムの説明はまだ十分に
明らかでなく、児童精神分析メラニー・クラインの登場を待つ必要があった。クラインは
児童のプレイセラピー(=遊戯療法)での経験を成人の精神分析に応用することで、主に
躁うつ病・統合失調症の病理を説明。それにより彼らの問題は対象関係、および心的ポジ
ションの違いであるとの理解が生まれた。これ以降、こころの内の対象関係のありかたを
重視する立場のことを対象関係論学派と呼び、とりわけ彼女の理論に依拠する立場をクラ
イン派と呼んでいる。これらは今日の精神分析の大きな潮流のひとつとなっている。
参考文献:「メラニー・クライン著作集第4巻 妄想的・分裂的世界 / 監修 小此木啓
吾」
【1、「分裂機制についての覚書」(1946)】
(本論文は今日ではもはや重要概念となった投影同一化、抑うつポジションに対する妄想分裂ポジション(PS,)の概念が初めて提出された、極めてエポックメイキングな重要論
文。)
◆この章は、早期の妄想的(paranoid)かつ分裂的(schizoid)な不安と機制が示す重要性
を扱っている。
・それは乳児の抑うつポジション(depressiveposition)に先行する時期の問題である
・私は対象関係が生の始めから存在し、その最初の対象が、子どもにとって良いgood(満
足を与える)乳房と、悪いbad(欲求不満を与える)乳房とに分裂する母親の乳房であると
いう見解を、しばしば述べてきた。そしてこの分裂の結果、愛と憎しみが分離する。さら
に最初の対象との関係は摂り入れと投影を含み、そして内的および外的対象と、内的およ
び外的状況の間の相互関係から作られることを、私は示唆した。これらの過程が、自我と
超自我の形成に関与し、生後半年から1年の間に始まるエディプスコンプレックスの基礎
になる。
・生の始めから、破壊衝動が対象に向かい、まず最初に、母親の乳房に対する空想的口愛
的サディズム的攻撃として表される。
①母親の身体から良い内容を吸い尽し、噛み砕き、えぐり、奪い取るといった口愛的なサ
ディズム衝動。
②攻撃が肛門的および尿道的衝動から生じ、危険物、排泄物を自分の中から追い出し、母
親の中へ追いやろうとする肛門的なサディズム衝動。
→またそこから生じる迫害的恐怖は、精神分裂病の発展に、重要な意味を持つ。
「私はこの早期の4カ月〜6カ月の時期に関して、(最初は“迫害的時期”と記載したが)後
に“妄想的ポジション”と名付け、抑うつポジションに先行すると考えた。迫害的恐怖が非常
に強く、乳児が妄想―分裂ポジションを通過できないと、次には抑うつポジションを通過
することも妨げられてしまう。
この挫折が迫害的恐怖を退行的に強化し、重篤な精神病の固着点を強固にする。抑うつポ
ジションの時期に生じる重篤な障害に関するもう一つの結果が、後の人生における躁うつ
病であろう。」
◆憎悪をもって追放されたこれらの有害な排泄物と共に、自我の分裂排除(splitoff)され
た部分は、母親の上に投影されるというよりは、母親のなかに投影されるというべきであ
ろう。母親が自己の悪い部分を含み持つ限り、母親は分離した個体として感じられず、む
しろその悪い自己として感じられる。
=今や自己の一部に対する憎悪の多くは母親へと向けられる。この結果、攻撃的な対象関
係の原型を確立する同一化の特殊な形が導かれる。これらの過程については「投影同一視
(projectiveidentification)」という言葉を提案したい。
=対象と自己の憎むべき部分との同一視が、他の人々に向かう強烈な憎悪を引き起こす状
態。
◆やがて生後一年後半の間に抑うつポジションに向かうにつれ、母親の愛される側面と憎ま
れる側面は、それほどかけ離れて分離したものとしては感じられないようになる。しかし
その結果喪失への恐怖が増大し、喪(mourning)にも似た状態になり、強い罪悪感が生じ
る。なぜならば、攻撃的衝動が直接愛の衝動へと向かうように感じられるからである。こ
の抑うつ的感情の体験がまさに自我をより統合するのに役立ち、心的現実に対する理解が
増し、外界世界に対する優れた認識が生じる。
・また、妄想―分裂ポジションと抑うつ的ポジションの間を行ったり来たりする変動は、
常に生じているし、正常な発達の一部である。したがって、この2つの発達段階の間に明
確な境界線を引くことはできない。この2つのポジションはしばらくの間ある範囲内で混
在し、相互作用しあう状態を続ける。
【2、「不安と罪責感の理論について」(1948)】
◆罪悪感についてフロイトは、罪悪感はエディプスコンプレックスにその起源があり、その
結果発生するという考えを抱いている。「結局罪悪感へと変えられるのは、抑制され超自
我へ変えられた攻撃性だけである。」
→罪悪感は攻撃から生じるということ、および非常に早期の段階で生じる罪悪感のことを
述べている。
・そして私は後の論文で最早期の防衛は攻撃的な衝動および幻想によって生じた不安に向
けられるという結論に達した。
・数年後、私は幼児のサディスティックな幻想とそれらの起源をより十分に理解するため
に、生の本能と死の本能の相克というフロイトの仮説を子どもたちの分析の臨床材料に適
用した。この考えに従って、私は不安というものが死の本能から生じる有機体をおびやか
す危機によって引き起こされるという仮説を主張する。そして私はこれが不安の根本的な
原因であると考えている。つまり不安が死に対する怖れにその起源を持っているという結
論である。
=精神の深層にある「生の絶滅の恐怖」の本能
・絶滅されるという恐怖は食物を与えてくれ助けてくれる内的な良い乳房が破壊されはし
ないかという不安を含んでおり、この対象は生の維持のために必須のものである。
・抑うつ的不安の基礎とは、すでに述べたように、自我がひとつの対象に対する破壊衝動
と愛情とを統合する過程である。私は愛する対象に加えられる損傷が主体の攻撃衝動によ
って引き起こされるという感情を罪悪感の本質であると理解している。
この害を取り消したいないしは償いたいという衝動は、主体がその害を引き起こしたとい
う感情、すなわち罪悪感から生じるものである。それゆえ償いの傾向は罪悪感の結果と考
えることができる。
・抑うつ不安、罪悪感、償いの衝動はしばしば同時に体験される。対象に対する愛情が破
壊衝動よりも勝る時にのみ、体験されるようである。究極的には生の本能が死の本能に克
つこと、を繰り返し体験することが、自我が自らを統合し、対象の対照的な側面の統合の
必要条件になる。
【3、「精神分析の終結のための基準について」(1950)】
◆分析の終結は患者に乳児期の分離の体験を再現させる。つまり離乳期に赤ん坊によって経
験された情動が、分析の終了に近づいて激しく再燃するということを意味している。
・2つの不安の区別=妄想分裂ポジションでは迫害的不安が、抑うつポジションでは抑う
つ的不安が生じる。
また抑うつ不安と結びついているのが、人を喰うサディスティックな欲望によりなされた
損傷と結びつく罪悪感である。罪悪感は対象の修復をかりたて、対象を保護または再生し
ようとする。
離乳はこのように抑うつ的感情を強めて、やがて喪の情態に至る。=抑うつポジション
◆児童と成人の分析における終結の問題について私の考え方を、次のように定めることがで
きる。つまり迫害的不安と抑うつ不安が十分に軽減されねばならず、したがって―私の考
えでは―これは最初の喪の体験についての分析を必要としているのである。
・また自我の深みに広がりが出てくることも必須のものであると思う。奥深く十全のパー
ソナリティの本質とは、幻想生活と情緒を自由に体験する能力に富んでいるものなのであ
る。これらの特徴は、抑うつポジションが繰り返し体験されていること、すなわち愛と憎
しみ、不安、罪悪感など初期の対象についての感情のすべてが何度も経験されていること
を必要としていると思われる。
・抑うつポジションの徹底した体験に失敗すると、情緒と幻想生活の閉塞を伴って、洞察
を妨げる防衛がどうしても優勢になってくる。そのような防衛を私は“躁的防衛”と名付けて
いるのだが、自我のある程度の安定性や強さとは両立しないことはないのだが、浅薄なと
ころが伴うものといえる。
【4、「転移の起源」(1952)】
◆転移は、いろんな形で一生を通して働いているものであり、あらゆる人間関係に影響を与
えるものである。しかしここでは精神分析の中での転移現象についてのみ触れていくこと
にする。
“対象関係”という用語は、誕生後の最初から幼児は母親との間である関係を持つという私の
主張するところに基づいている。そしてその関係には対象関係の基本的な諸要素、すなわ
ち愛情、憎悪、空想、不安、そして防衛がしみ込まされており、これが含まれるという点
で、フロイトの対象という用語の使い方とは多少異なっている。(フロイトは本能目標の
対象について述べている)
・対象関係は情緒生活の中心に存在する。さらに愛情と憎悪、空想、不安、防衛もまた最
初から働いているし、最初から対象関係と分かつことなく関連している。
・転移は、最早期段階において対象関係を決定付けていたと同じ過程のなかで生まれる、
と私は見ている。それゆえ、愛すべき対象と憎むべき対象との間で、外的対象と内的対象
との間でゆれ動くこと、すなわち早期幼児期を支配している動揺の分析へとわれわれは何
度も遡らねばならない。愛情と憎悪との間の相互作用、攻撃性、不安、罪悪感、増大する
攻撃性の悪循環を探求することで、やがて陽性転移と陰性転移との間の相互作用を十分に
認めることができるであろう。
・このような早期過程の探求を通じて、私は比較的小さな関心しか示されていない陰性転
移の分析こそが、心の深層の分析にとって必須条件であると確信するようになった。子ど
も、成人を問わず、あらゆるタイプの患者の治療にとってこれは必須の原則であると私は
近年考えている。
【5、「自我発達とエスにおける相互的影響」(1952)】
◆『児童の精神分析』のなかで、不安に耐えられる自我の許容量は生来の強さによる、ま
た、自我は外界と接触をもつ当初より、対象関係を確立するという見解を述べてきた。こ
こでは、自我機能において、本能が演じる部分を、――とくに生の本能と死の本能の戦い
――を考えていこうと思う。
・フロイトはエスを生得的であり、本能の貯蔵庫とみなした。その上で私がフロイトと違
うところは、不安の第一義の原因は、死の本能が働くことから生じる絶滅や死の恐怖だと
考えることである。滅びるという原初的な恐怖は、自我を動かし、最初の防衛を生む。こ
の根本源は、生の本能の働きである。
・「幻想活動は本能に根ざした心的な帰結である」(アイザックス)、ということは、早
期小児についての私の概念と一致する。幻想とは、最初から働き生と死の本能活動の心的
表現であると私は信じている。
幻想活動は取り入れと投影の基盤であり、それは自我が基本的な機能を遂行することを、
言い換えれば対象関係を確立することを可能にする。
・“内在化された対象”は、最初は部分対象であり、母親の乳房である。私の経験では、これ
は小児が哺乳ビンを与えられた時にも言えることである。これが自我発達に影響を与えな
がら、乳房は母親の他の特徴を付け加えていく。全体対象に関する関係が発達すれば、母
親、父親、他の家族は、小児の経験する感情・幻想・体験にしたがって、良い人、悪い
人、として取り入れられて行く。
このようにして良い対象と悪い対象の世界がそこに打ち立てられ、内的豊かさや安定及
び、内的迫害の源が存在することになるだろう。
【6、幼児の情緒発達についての二、三の理論的結論(1952)】
(それまでの理論の総括的論文。自伝的要素含む)
◆生後3ないし4カ月(妄想―分裂ポジション)
・生まれた時から幼児は、内外の原因によって不安を体験する。
⇒それは内にある死の本能の作用によって絶滅されるという恐怖であり、被害的な不安の
第一義は死の本能である。
◆出産体験=不安を引き起こす最初の原因。不快と子宮内状態の喪失は、敵意に満ちた力に
より攻撃されること、すなわち迫害されることとして体験される。
↓
◆授乳体験=幼児にとって最初の体験であり、部分対象における対象関係の始まり。
→内外の要因で望むものが得られないと、攻撃衝動は強化され、平衡が乱れる。こどもの
心に飽くなき貪欲を生む。
・欲求充足と欲求不満を繰り返し体験することは、乳房を良いgoodと悪いbadものに分裂
させ、投影と取り入れを活発に行わせる。
・このように幼児の心の中の対象像は、幻想によって歪められたものである。悪い乳房は
内外のすべての迫害的な対象の原型となる。これら迫害者とは、主に報復的な(悪い)乳
房なのである。
・しかし最初期の段階でも被害的な不安は、ある程度まで、幼児の持つ乳房との良い関係
によって中和される。さらに出産体験によって生じた迫害感と喪失感をそぐ助けとなり良
い対象への信頼を強める。
・欲求不満を起こす悪い乳房は恐ろしい迫害者であると感じられ、一方良い乳房は“理想
的”な乳房に変わる。これは貪欲な願望を充足させるものであり、自分を迫害から保護する
ものであり、こうした理想化は不安に対する防衛手段となる。
◆サディズムによる攻撃衝動
=欲求不満により母親から望ましくて良いものをすべて奪い取り、彼女の身体を空にして
しまうこと。それは母親の身体を所有する空想を生みだし、対象を自己の延長として捉え
る“投影同一視”がこのとき働くようになる。したがって投影同一視は口唇的サディスティッ
クな取り入れと同時である。ここで優位に働く機制は分裂、万能感、否認、内的対象の支
配、である。
◆生後4〜6カ月にかけて、幼児の知的、情緒的発達は著しく変化を遂げる。このとき生の
本能が破壊衝動を一時的に上回ることで、対象ひいては自我の統合が進展し、抑うつ的な
不安体験がしばしば起こるようになる。(=抑うつポジション)
→幼児が一個の人間として(完全な対象として)母親を知覚し取り入れるようになる段階
である。
この段階になると、自己の破壊衝動と破壊的な幻想が完全な対象に対して向けられると感
じるときに強い罪悪感を抱くようになる。そして損なわれた対象を修復し、保護し、復活
させようとする償いの感情を生む。
【7、幼児期の行動観察について(1952)】
◆生後一年目の乳児の行動観察によって得られる、ごく初期の無意識的過程について。
・すべての子どもたちにとって、生まれて間もない何日間かから始まる母親の忍耐と理解
ある扱い方こそ、乳児の精神発達にとって最も重大な要因である。
・幸福と愛情、そしてまたフラストレーションと憎しみという基本的な情緒体験は母親の
乳房と切っても切れない最も密接な結びつきをもっている。またこの対象関係は、特定の
人物に対する深みのある、しかも強力な愛着を形成する能力の基礎になる。
・食物の取り入れ方…食物のあからさまな拒否は、明らかに深刻な障害の徴候である。ま
た食物を楽しむことの欠如、あるいは食物の完全な拒否は、対象関係の発達の欠乏と結び
ついている時には、妄想―分裂ポジションが過剰に、あるいは自我の処理能力にとって不
適当なほど作用していることを物語っている。
・無気力状態と記載されるような態度は、実際に満足している幼児の行動とはっきり区別
される。本当に満足している乳児は、しばしば注意を要求し、自分の気持ちが満たされな
いときには泣き叫ぶし、人々に対するさまざまな興味、関心の徴候を示す。これは内・外
の対象関係についての安全感の現れ。
・抑うつポジションは正常な情緒発達の重要な部分である。児童のこれらの情緒と不安の
扱い、防衛の仕方は、その発達が満足に進んでいるかどうかを表す一つの徴候である。
・また不安に耐える自我の生得的な能力は、出生時の自我の凝集力のいかんによって左右
され、その程度にともなって統合の能力の程度をも規定する
【8、精神分析的遊戯技法(1955)】
◆私が精神分析的遊戯療法から研究して発展してきた足取りを手短に概観してみようと思う
・私の最初の患者は5歳の男の子であった。この子は初期の論文で“フリッツ”と呼ばれてい
る。
最初からこの子は主に遊びの中で自分の幻想や不安を表現し、私も一貫して遊びの意味す
るものをその子に解釈していったし、その結果として次々と分析の材料が遊びの中に現れ
てきたのである。
◆さらに遊戯療法の発展がみられたのは“リタ”(『児童の精神分析』)という2歳9カ月の
子である。
リタは夜驚と動物恐怖に悩まされており、母親に対してはとても両価的な気持ちを抱いて
いたが、同時に到底一人きりではいられないくらい、母親にまとわりついていた。激しい
強迫神経症の状態。
・一回目の治療場面で、リタは私と二人きりにされるととたんに陰性感情転移ととれる様
子を示した。不安げに黙りこくり、庭に出ようと言いだした。私は賛成して、一緒に出て
10分か15分の後部屋に戻ると、リタが私にすっかり打ち解けているのを見て、周囲はとて
も驚いたのであった。この変化の訳は、私が外に出ている間に私がリタに陰性感情転移を
解釈していたのである。(これは通常のやり方に反するものであったのだが)
→外にいるときに怖がらなかったことから、リタは私と2人きりで部屋にいる時に何かさ
れるのではないかととりわけ怖れているに違いない、と判断した。私はこのことをリタに
解釈してやった。そして夜驚のことに触れながら、夜一人きりでいると悪い女の人が襲っ
てくるというおそれと、私がいじわるな見知らぬ人に違いないという疑いとを結び付けて
語ったのだった。
◆子どもの精神分析をするための前提条件は、遊びによって表現される子どもの幻想や感情
や不安や体験を治療者が理解し、解釈してやること、そしてもし遊びが制止されている時
にはその制止の原因を理解し、解釈してやることである。
【9、同一視について(1955)】
◆これは文学作品に関するクラインの3論文のうち、第2の論文である。
・この論文はジュリアン・グリーンの「もし私があなただったら(IfIwereyou)」という
小説の主人公であるファビアンを取り扱っているが、その主人公はクラインにいわせれば
「ほとんど患者といってもよい」ような人物である。
・クラインは1946年に投影同一視が作り出す対象関係の型を記載したが、そこでの対象は
自己から分裂・排除された諸部分と同等視されるようになる。本論では、投影同一視によ
ってもたらされる対象の中の変化をではなく、主体のアイデンティティの変化を研究しよ
うとする。すなわち、対象への侵入によって、主体は対象を所有し、またそのアイデンテ
ィティを獲得するようになる。
・クラインは、様々な人間の中に入り込んでその継承者になってしまうファビアンの物語
を使用するが、そうすることで擬似アイデンティティを獲得する動因を考察しようとし
た。
・彼女はまた、投影同一視のための対象選択の問題と、そしてそこから帰結する自我の状
態と不安を考察するが、そこには、新しいアイデンティティの外に残されたと感じられる
パーソナリティ部分の運命の考察も含めている。
※長い考察になるので本文参照のこと。
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