S・N・ゴエンカ師の死・改 桑原筆 2013_11_19 3

下記は、日本ヴィパッサナー協会からゴエンカ師の逝去をお知らせした際、一人の古
い生徒から届いた原稿です。2ヵ月間の限定で、ウェブサイトに掲載いたします。
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S・N・ゴエンカ師の死
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S・N・ゴエンカ師が90歳という高齢でインドで亡くなられた。9月29日、自
宅で安らかに息を引き取られたという。師の死はテーラワーダ(初期仏教)の世界がすぐ
れた指導者を失ったことを意味し、その損失は大きいが、仏教徒にとって死は悲しみ
ばかりをもたらすものではないと僕は信じている。
京都府船井郡の山中にあるダンマバーヌは、ゴエンカ師のヴィパッサナー協会が日
本で初めて築いた瞑想センターである。僕が最初にそこを訪問したのは2005年の
夏のことだった。その頃は、2番目のセンターになる千葉のダンマディッチャーはま
だ完成しておらず、10日間の瞑想修行のコースを受けるために、僕は東京から京都
まで夜行バスに乗って行った。
初回は誰でもそうだが、沈黙のうちに行われる10日間の瞑想修行は楽なものでは
なかった。かつてブッダが教え広めたヴィパッサナー瞑想に身体的な苦痛はまったく
ないが、僕はすぐに精神的に追いつめられた。自分自身と向きあうだけのことがこれ
ほど苦しいとは思わなかった。自分の弱さ、だらしなさと向きあい、それを受け容れ
なくてはならない。結局なんとか10日間を耐えきったが、コースを修了したからと
いって、僕はべつに「洗脳」されたわけでもなく、自分の内に「革命」が起きたとも
思わなかった。あの10日間は自分の問題を解決するための最初の糸口を与えてくれ
るもので、あとは日常のなか、自力でそれを
ってゆかなくてはならない。
東洋医学では骨格の歪みをわずかにただすことで病気を治す。京都での体験は一見
なんの痕跡も残さなかったが、僕の内面のありかたを微妙な形で矯正してくれた。ヴィ
パッサナー瞑想の影響は、教えを受けた直後よりも、ずっと後になってからの方がよ
くわかるのである。
特別なツテを持たない日本人が、日本にいながらにしてビルマやスリランカの人々
から直接教えを受けることなど、以前なら思いもよらないことだった。ゴエンカ師や、
日本で20年以上活動を続けてきたスリランカ出身のスマナサーラ長老は、両者の交
流に最初の道筋をつけたのであり、彼らを通してのみ、僕たちはもっとも純粋に近い
と同時にはっきり生きてもいる初期仏教の姿を目の辺りにすることができたのである。
この意味は大きく、たとえばオウム真理教の事件は日本社会を考える上で複雑な問題
を提起しており、軽々しく判断を下すことはできないが、もし僕たちがもっと早くに
ヨーガや冥想を本国の人々から真
に学ぶ伝統を築いていれば、それも未然に防げた
かもしれないとも考えられる。
思えばゴエンカ師は生国のビルマではなくインドで亡くなられたわけで、ビルマで
受け継がれてきたヴィパッサナーを世界に広めることが師の一生の仕事だった。今、
師が主催する瞑想センターは世界中にある。そこを訪れたことのある人なら誰でも知っ
ているが、これらの瞑想センターの運営は完全に無償でなされており、費用はすべて
参加者の寄付に拠っている。驚くほど良心的に運営されているセンターで、参加者は
ただひたすら瞑想に打ち込むことができる。ゴエンカ師の願いはかなえられたのであ
る。
僕もその恩恵にあずかり、その後も3回ほど瞑想コースに参加させていただいた。
それでも思い出の深いのはやはり初回の京都での体験で、ゴエンカ師の訃報に接して
思いかえすと、あの静けさに満ちた京都の夏山を漂い過ぎていった、かすかな風のそ
よぎを感じることができる。その風とともに、薄暗い瞑想ホールの中へ蜜蜂が一匹迷
いこんできた。瞑想している僕の肌を撫でるように近づき、ゆるやかな風に流されて
いったその羽音が耳の底に今も残っている。
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(2013・10・7)
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