音楽研究 第27巻

ISSN 2186-7690
音楽研究
第27巻
大阪音楽大学音楽博物館年報
■明治期神戸のピアノ演奏
塩津洋子
■能勢の人形浄瑠璃における創造性②
松浦伸吾
-文楽、淡路・阿波の人形浄瑠璃との比較を中心に-
■2011年度
音楽博物館 活動報告
大阪音楽大学
音楽博物館
2011
目
次
■明治期神戸のピアノ演奏
············ 1
塩 津 洋 子
本研究は、日本のピアノ受容史について共同研究を進めているプロジェクトの一環として
行ったものである。明治期神戸のピアノ演奏について、当時の新聞・雑誌記事・演奏会プロ
グラム等を調査し、ピアノ演奏に関する情報を年代順に配列したものを「明治期神戸のピア
ノ演奏記録」としてすでに公表している。今回はその記録を分析することによって、演奏者、
演奏曲等の具体的な状況を検証する。
■能勢の人形浄瑠璃における創造性②
-文楽、淡路・阿波の人形浄瑠璃との比較を中心に-
············ 17
松 浦 伸 吾
本稿では、能勢の人形浄瑠璃の活動における「地球に根ざしたコミュニケーションの活性
化」を、阿波(徳島)と淡路(兵庫県・淡路島)の人形浄瑠璃や上方の素人義太夫節におけ
るコミュニケーション活動の事例と比較しつつ考察する。特に阿波の事例に注目する。また
その際、先の論考「「地域に根ざしたコミュニケーションの活性化」についての私見」にお
いて提示した「都会と地方」
「対人コミュニケーション」
「遊芸」という3つのキーワードを
重点的に見ていきたい。
■2011年度
音楽博物館 活動報告
············ 51
明治期神戸のピアノ演奏
塩津 洋子
Piano Performances in Meiji-Era Kobe
Yohko SHIOTSU
This study was carried out as part of a joint research project concerning the history of
the piano's adoption in Japan. A chronological record of piano performances based on
such sources as contemporary newspaper and magazine articles as well as recital
programs has already been published in "A Chronology of Piano Performances in
Meiji-era Kobe." The present study analyses that record to identify specific
circumstances of those performances, including performers and compositions.
はじめに
本研究は、日本のピアノ受容史について共同研究を進めているプロジェクト[1]の一環と
して行ったものである。同プロジェクトは、日本人として最初に世界的名声を得たピアニ
スト小倉末子[2]に着目し、その生涯と活動を軸に、関係する様々な事象をメンバーが分担
研究することにより、日本でのピアノ受容の実態を明らかにすることを目的としている。
本稿では、小倉が幼尐期から神戸女学院を卒業後東京音楽学校に入学するために神戸を
離れるまでの 20 年弱を過ごした、明治期の神戸のピアノ演奏について考察する。
小倉は 1891(M24)年、旧大垣藩士小倉周一の三女として岐阜県大垣市に生まれるが、
1894(M27)年頃より神戸の兄夫婦の許で育てられる。神戸は外国人居留地を擁する港町で、
欧米を始めとした外国との接触が特に濃厚な場所である。そこで兄庄太郎は花筵を扱う貿
易商を営み、裕福であった。母親代わりとなった兄嫁マリアはベルリン出身のドイツ人で、
幼稚園時代からピアノに関心を示した小倉に手ほどきをした人物である。8 歳になった小倉
はタレー Miss Elizabeth Torrey について、本格的なピアノの指導を受けるようになる。タ
レーはアメリカのキリスト教宣教師によって 1875(M8)年開校した神戸女学院の教師であ
った。高等小学校を卒業後は同院に入学、ピアノ演奏で頭角をあらわすようになる。
1911(M44)年 20 歳になった小倉は、東京音楽学校に入学したものの半年で退学し、ドイツ
に渡りベルリン王立音楽院で学ぶこととなる。以降、アメリカ滞在を経て帰国後は東京を
本拠として、第一級のピアニストとして活躍する[3]。
1
このように、小倉は成人するまでの期間を神戸で過ごした訳で、神戸の町やそこに住む
人たちが彼女の才能を育む土壌となったことは明らかである。小倉が実際に住んでいたの
は、1894(M27)年頃より 1911(M44)年の間であるが、ここでは明治期全般を対象として、
神戸でのピアノ演奏の実態を考察していきたい。
明治期神戸のピアノ演奏については、当時の新聞・雑誌記事、演奏会プログラム等を調
査し、ピアノ演奏に関する情報を年代順に配列したものを「明治期神戸のピアノ演奏記録」
[4]としてすでに公表している。今回はその記録を分析することによって、演奏者、演奏曲、
等の具体的な情況を検証する。なお、本稿で扱うピアノ演奏は独奏および連弾で、伴奏や
アンサンブルでのピアノは対象としていない。また、家庭内等の私的な演奏は含まれない。
公開演奏の始まり
神戸を特徴づける要素として一番大きなものは居留地の存在であろう。居留地とは商
売・貿易を行うため一定の境界を設けて、条約を結んだ国の国民に居住、営業することを
認めた地域[5]で、神戸外国人居留地は 1868(慶応 3)年の神戸開港に合わせ設置された。
1858(安政 5)年に締結された日米修好通商条約の中では、兵庫開港がうたわれていたが、
実際には兵庫の東に隣接する神戸が開港場に選ばれたのである。居留地は 126 区画に整備
され、イギリス、ドイツ、オランダ、アメリカ、フランス、イタリアの各国人が居住する
こととなった[6]。設置後数年の頃、居住欧米人は 200 人程度であったが、小倉が神戸で暮
らすようになった 1894~95(M27~28)年頃には、
約 2000 人を数えるようになっていた[7]。
さて、その居留地では早い時期からピアノの公開演奏が行われていた。というのも、長
崎、神戸、横浜といった日本の外国人居留地は欧米の芸能グループの巡業ルートになって
いたからである。それらは劇団やオペラ団であったり、数人の演奏グループであったりさ
まざまである[8]。彼らはアジア各地を巡りながら極東の日本に至り、横浜や神戸などでの
公演を終えると、逆ルートを辿って帰途に着くという活動をしていた[9]。
神戸が開港した 1868 年 11 月に訪れた劇団マーシュー一座が最初の芸能グループで、居
留地内の社交場ユニオン・クラブで公演した[10]。音楽は米国軍艦乗組みの黒人楽団が担当
したようだが、その折にピアノを使用したかどうかは不明である。ピアノ演奏が確認でき
る最初は、1871 年 5 月 8 日 [11] 、ユーリカ一座 Eureka Variety Troupe が体育館
Gymnasium [12]で行った公演である[13]。メンバーは 4 人で、その中のピアニスト兹歌手
Alfred Singer がピアノを独奏した。曲は“Selection(Tancredi)”となっており、ロッシー
ニ G.Rossini 作曲のオペラ「タンクレディ」からの抜粋曲をピアノに編曲したものと推察
される[14]。これが内外人を問わず神戸でのピアノ演奏の最初ということができる。Singer
は翌年には別のメンバーと共に再度来神し、2 回の公演を行っているが、ピアノ独奏はなか
った[15]。
2
同じく 1871 年 9 月 1 日には、クラブ・ユニオンでヴェーバーC.M.v.Weber の「舞踏への
勧誘」
“Piano Solo, Weber’s‘Invitation to Dance’”が演奏された[16]。クラブ・ユニオン
は居留地設置の年に早くも結成された在住ドイツ人の社交クラブで、そのメンバー“the
Members of the Lieder-Tafel”による音楽会である。シューベルト F.Schubert の歌曲など
に混じって演奏された「舞踏への勧誘」は、いかにもアマチュア・ピアニストが弾きそう
な、技術的に易しい曲であった。居留地ではしばしば在日外国人による演奏が行われたが、
彼らはもちろん職業的な演奏家ではなく、趣味として音楽をたしなんでいる人たちであっ
た。
上述のように来日・在日西洋人による最初の例は共に 1871(M4)年であったが、では日本
人による最初はどうか。その登場はかなり遅れて、それから 20 年後のことになる。
1891(M24)年 2 月 7 日、神戸青年会への寄付金を募る目的の慈善音楽会が神戸市医会堂で
開催された。“洋琴(シユーマン睡眠歌。ラビッツレー軍楽踏舞の曲)増田つる子雨夜ひさ
子”という記載があり、神戸での日本人による初ピアノ演奏ということができる。これは、
シューマン R.Schumann 作曲のピアノ曲「アルバムの綴り Albumblätter op.124-16 子守
歌 Schlummerlied 」と、
「ダヴィット同盟舞曲集 Die Davidsbündlertänze op.6 」が演奏
されたものと思われる。
ただし、
ダヴィッド同盟舞曲集は 18 の小曲で構成されているので、
全曲ではなく、その内の1曲あるいは数曲を演奏したのではないかと思う。演奏者増田つ
る子、雨夜ひさ子は共に神戸女学院初期の卒業生[17]で、当時は同院の教師であった。
以上から分かるように、神戸外国人居留地でのピアノ演奏は 1871(M4)年に始まっている。
開港して外国人を受け入れることとなってたった 4 年という極めて早い時期からピアノ演
奏が公開されていたわけである。しかし、これは外国からの巡業グループであったり、在
日の西洋人による演奏であったので、居留地のある神戸という場所柄を考えれば当然のこ
ととも言えるだろう。一方で、日本人によるピアノ演奏は 20 年遅れての登場となる。この
事実は、開港した当時はピアノというものをまったく知らなかった日本人が、楽器を認識
し、西洋人の演奏に触れ、自らも演奏を習得する、といったプロセスを踏んでいくために
は、20 年つまり1世代分くらいの年月が必要であったことが示している。日本人最初の演
奏者はミッション・スクールを卒業し、母校の教師となった女性で、ミッション・スクー
ルという西洋人との接触が多く、したがって西洋音楽に親しむ機会の多い環境にあった者
である。
演奏者
明治期神戸でピアノ公開演奏を行った人物は以下の通りである。基本的な立場の違いか
ら、来日西洋人、在日西洋人、日本人、の 3 グループに分けた。また、どのような人がピ
アノ演奏に携わったのかを具体的に知るため、各人物について簡単なプロフィールを判る
範囲で挙げた。
3
各グループごとに公演年代の早い順。名前の表記は出典資料に
従う。
複数の表記がある場合は、外国人は原綴りを優先し、カタカナ
だけの外国人および日本人は筆者の判断でひとつを選んだ。
プロフィール部分(:の右側)に挙げた原綴りは二次資料より確
認したもの。注記には各人のピアノ演奏が確認できる一次資料
の内、年代の早いものを 2 件まで挙げた。演奏の詳細について
は、既発表の「明治期神戸のピアノ演奏記録」[4]を参照。
【来日西洋人】
Mr.Alfred Singer: ピアニスト、バリトン歌手。[18]
Maestro Th.(Ch.)Hirlemann: ピアニスト、作曲家。自作曲も演奏。歌手の夫人と来日。
[19]
Mr.I.C.H.Iburg: ヴァイオリニスト。[20]
Mr.Vela: 指揮者、ヴァイオリニスト。 The Royal Italian Opera Company というグル
ープとして公演。[21]
Miss Marie Carandini: ソプラノ歌手、ピアニスト。[22]
Miss Marion Linden: メッツォ・ソプラノ歌手、ピアニスト。[22]
Professor Haselmayer: Professor という称号は具体的には不明。ピアノの曲弾きのよう
なこともしたらしい。手品師という情報もある。[23]
Maestro Meneses: 自作ピアノ曲も演奏。[24]
Mr.Isidore Luckstone:
ピアニスト。ハンガリーの著名ヴァイオリニスト、レメーニ
Eduard Remenyi と共に来日。[25]
ドウレー: フランスの演劇団の一員。[26]
コンツキー: ドイツ宮廷の著名ピアニスト Chevelier de Kontski。[27]
Mr.Donnenberg: Elsie Adair の演劇グループの一員。[28]
オルガ・クルスチエフ: “有名なるピアノー家”と紹介されている。[29]
マキー嬢: アメリカの“ピアノ名手”
。[30]
ボナヴィヤ・ハント: イギリスのピアニスト。[31]
アルベルト・フリーデンタール: ドイツまたはオーストリアのピアニスト。[32]
ハインリッヒ・コーレル:
ドイツ人。ロンドン音楽学校教授。[33]
ウンヂャコワ嬢: ロシアの女学生。[34]
H.コーラー: ドイツ人。[35]
エルジー夫人: ウイザース音楽団のメンバー。[36]
ラフワルヴスキー: ポーランドのピアニスト。左手演奏の特技あり。[37]
4
ベーバー: イギリスの音楽家。フォノ・フィドルも演奏する。[38]
ベアー: イギリスのピアニスト。[39]
【在日西洋人】[97]
Mrs.Vigot:
K.R.& A.C.[40]のメンバー。
Mrs.Schliter: 同上
Mr.Freese: 同上
G.Sauvlet:
ギヨーム・ソーヴレー。神戸での初演奏は 1885(M18)年で、上海より来日。
その後、横浜に居住したらしい。1886(M19)年より音楽取調掛に雇用される。
[41]
ベター女: Miss Anna M. Vetter 神戸女学院教師。[42]
ドラ・リース: 神戸女学院教師?[43]
Soroban: Professor という称号で紹介されている。K.R.& A.C.のメンバー?[44]
F.Elbmirg: 同上。 B.Elbmirg という表記もある。[44]
ハウ嬢: 米国人。Miss Annie L.Howe 神戸女学院教師。[45]
スキンナー夫人: 英国人。[46]
アッキンソン嬢: Miss J.Atkinson 米国人。神戸女学院教師の Mr.John L.Atkinson の
娘?[46]
ペネー嬢: Miss Penney 米国人?[46]
Mrs.Lightfoot: The Kobe Social Circle のメンバー。[47]
Miss Nankivell: 同上。[47]
Miss Poole: 東京音楽学校教師 August Junker のグループとして演奏。プール学院関係
者?[48]
E.H.サマス夫人: 神戸在住。[49]
G.フィースト夫人: 神戸在住。英国人。夫はアマチュア声楽家。[49]
S.デール嬢: ドイツ人。[50]
ソーター嬢: 神戸在住。[51]
ワッシリーフ夫人: 露国領事夫人。[52]
ドーマン嬢: 神戸在住?[53]
ウィッチヤー夫人: 神戸在住?[54]
アルベル・クラーク嬢: 神戸在住?[55]
デフォレスト:
Miss Ch.B.Deforest
日本生まれ。1905(M38)年より神戸女学院教師。
1915(T4)年より神戸女学院院長。[56]
タレー嬢: Miss Elizabeth Torrey 1896~1909(M29~42)神戸女学院教師。[56]
ウエンライト夫人: 同志社女学校教師の Mary E.Wainwright と同人?[57]
5
デビニツシユ嬢: 神戸在住? [58]
スチブンス嬢: 神戸在住? [58]
ブカナン夫人: 神戸在住? [59]
スタンフオド夫人: Mrs.A.W.Stanford
1900~1903 (M33~36) 神戸女学院教師。M20
年代には同志社女学校教師。[60]
Hermann Heydrich: ドイツ人。1902~1909 (M35~42)年東京音楽学校教師。 [61]
ランベル・ハーグリープエ: 神戸在住。フランス人[62]
ギシン夫人: 神戸在住。[62]
ガペー: Miss Florence B.Guppy 神戸女学院教師。[63]
カープ: ? [64]
キャサリン・Thamson: 神戸女学院教師。[65]
【日本人】
1884(M17)年神戸女学院卒業。1886~1891 (M19~24)年神戸女学院教師。
増田つる:
1891~1900 (M24~33)年梅花女学校教師。[66]
1884(M17)年神戸女学院卒業。同志社女学校教師を経て、1888~1891(M21
雨夜ひさ:
~24)年神戸女学院教師。[66]
長田花: 神戸女学院教師 J.T.Gulick の養女。神戸女学院から梅花女学校に移り卒業。頌
栄保母伝習所教師。神戸女学院教師。[67]
鎌原政子: 神戸女学院卒業。1896~1909 (M29~42)年神戸女学院教師。[68]
前田久八: 1895(M28)年東京音楽学校卒業。東京音楽学校研究生。
「洋楽手引」著。[69]
岡野貞一: 1900(M33)年東京音楽学校卒業。1924(T13)年同校教授。作曲家。[69]
小倉末子: 1910(M43)年神戸女学院卒業。東京音楽学校を経てドイツ留学。[70]
安福ちえ子: 神戸女学院生徒。[71]
一柳まき子: 満喜子 1908(M41)神戸女学院卒業。建築家 William Merrill Vories 夫人。
[71]
米野鹿之助: 1896(M29)東京音楽学校卒業。兵庫県御影師範学校教師。[72]
大橋純二郎: M30 年代神戸で音楽教師。1905(M38)年より大阪の市岡中学校の教師。ヴ
ァイオリンを指導。[73]
滝川英一: 1905(M38)年東京音楽学校卒業。“関西屈指のピヤニスト”と言われた。[74]
森本ぬい子: 神戸女学院生徒。[75]
松井あい子: 神戸女学院生徒。[75]
永井幸次: 1896(M29)年東京音楽学校卒業。1906(M39)年大阪府清水谷高等女学校教師。
1915(T4)大阪音楽学校設立。[76]
田中銀之助:
1905(M38)年東京音楽学校卒業。1906(M39)年兵庫県立神戸高等女学校教
6
師。[76]
小林又七郎: ? [76]
久保島裕: ? [76]
出口昇: ? [76]
九島和三郎: 東京音楽学校卒業。神戸市中宮高等小学校教師。ピアノが得意。[77]
坂愛子: 兵庫県立第一高等女学校卒業? [78]
栗原欣子: 東京音楽学校卒業。相愛高等女学校教師。[79]
小松耕輔: 東京音楽学校卒業。作曲・評論家。[80]
澤田柳吉: 東京音楽学校卒業。ショパン演奏の先駆的存在。[80]
門田嬢: 神戸中宮 (高等)小学校生徒?[81]
杉原光野子: 親和女学校生徒。[82]
有井しづ子: 親和女学校生徒。[82]
田中玉吉: 音楽教師? [83]
山下千喬: 音楽教師? [83]
川本嬢: 神戸中宮小学校高等科生徒。[84]
松村: 神戸中宮小学校職員(教員?)。[84]
上村嬢: 兵庫県立高等女学校生徒。[85]
伊達嬢: 兵庫県立高等女学校生徒。[85]
林ふみ: 親和女学校生徒。[86]
三松あや: 親和女学校生徒。[86]
服部駟郎次: 1912(M45)年東京音楽学校卒業。[87]
貫名美名彦: 1910(M43)年東京音楽学校卒業。東京音楽学校教師。[87]
曾金全: 親和女学校生徒。[88]
す みこ
喜多川純子: 神戸女学院教師? [89]
大神ゆみ子: 親和女学校生徒。[90]
以上が明治期神戸でピアノの公開演奏をした人物である。来日西洋人 23 人、在日西洋人
36 人、日本人 40 人、計 99 人が確認できる。演奏曲の延べ数では、来日西洋人が 65 曲、
在日西洋人が 98 曲、日本人が 133 曲である。来日および在日の西洋人を合わせると、59
人延べ 163 曲で、日本人の 40 人延べ 133 曲を上回っている。やはり明治期神戸のピアノ演
奏は、西洋人によって担われている割合が大きいことがわかる。しかし、日本人のピアノ
演奏も西洋人に比べ、人数で 6:4、曲数で 5.5:4.5 という割合なので、ひどく差がある訳
ではない。この状況は西洋人の演奏に刺激を受けた日本人が、ピアノという未知の楽器を
積極的に習得しようとした結果とみることができる。
さて、グループごとの演奏者のプロフィールを観察すると、来日西洋人のグループでは
兹業的な演奏者が目立つ。バリトン歌手でありピアニストであるとか、ヴァイオリニスト
7
と紹介していながらピアノ独奏も披露するといった形である。特に明治 20 年以前に来日し
た巡業グループに多い。これらのグループにとっては尐人数で多くの演目を提供できるこ
とが有利であるため、一人で何役もこなせる芸達者なメンバーでグループを構成する傾向
があったと考えられる。したがって演奏の質については必ずしも高いとはいいがたいであ
ろう。明治中・後期になるとピアニストとして専門性の高い演奏者が増えてくる。
在日西洋人のグループでは、教師が目立つ。36 人中 11 人が教師で、その内 9 人は神戸女
学院の教師である。したがって在日西洋人のピアノ演奏については、神戸女学院の教師が
大きく関わっていたことがわかる。教師以外の人たちとしては、居留地のスポーツ・クラ
ブ K.R.& A.C.(Kobe Regatta & Athletic Club)や、社交団体 The Kobe Social Circle などの
団体に所属している人やその家族などが見られる。その他、具体的なプロフィールの不明
な在日西洋人たちは、居留地の貿易商などの関係者である可能性が高い。
最後のグループ、日本人については教師・生徒といった学校関係者が 40 人中 30 人と、8
割弱を占めていることに注目したい。さらにその中で、神戸女学院と東京音楽学校という 2
つの学校に集中が見られる。前者が 10 人、後者が 12 人である。当時の日本人によるピア
ノ演奏は学校という場を中心に展開していたということができる。
演奏曲
明治期神戸で演奏されたピアノ曲にはどのような傾向があるのだろうか。演奏は延べ数
で 296 曲確認できたが、その内演奏曲がほぼ特定できるのは 132 曲である。全体に対する
割合は 45%になる。
“ほぼ特定”としたのは資料中の記載が“ワルツ ショパン作曲”のよ
うな表記になっており、具体的にどのワルツかまでは特定できないような例が含まれるた
めである。さらに、作曲者名は明記されていないが、曲名などから作曲者を推定したもの
も若干含まれる。この 132 曲について作曲者別延べ演奏曲数を出してみた。しかし5割以
上がどんな曲を演奏したかわからない上に、対象となる数値が小さいのでその有効性には
不安があるが、とりあえず次のような結果を得た。全体及び各グループ別に、延べ 3 曲以
上演奏された作曲者を挙げた。
【明治期神戸で演奏されたピアノ曲 全体】 [132 曲中]
Chopin,F. 15 曲
Weber,C.M.v. 11 曲
Saublet,G.
10 曲
Mendelssohn,F. 9 曲
Rubinshtein,A.G. 7 曲
Liszt,F. 6 曲
Beethoven,L.v. 5 曲
8
Rossini,G. 5 曲
Brahms,J. 4 曲
Thalberg,S. 4 曲
Paderewski,I.J. 4 曲
Schumann,R. 3 曲
[91]
【内訳】来日西洋人[45 曲中]
Liszt,F. 6 曲
Chopin,F. 5 曲
Rubinshtein,A.G. 4 曲
Paderewski,I.J. 3 曲
Rossini,G. 3 曲
[91]
在日西洋人[64 曲中]
Sauvlet,G. 10 曲
Chopin,F. 7 曲
Weber,C.M.v. 6 曲
Mendelssohn,F. 4 曲
Thalberg,S. 4 曲
Rubinshtein,A.G.
3曲
Brahms,J. 3 曲
日本人[23 曲中]
Mendessohn,F. 5 曲
Beethoven,L.v. 5 曲
Weber,C.M.v. 4 曲
Chopin,F. 3 曲
以上のように曲数が尐ないため、小さな要因が順位に大きく作用する場合がある。たと
えば全体の 3 位、在日西洋人で 1 位となっているソーヴレーは、大作曲家たちが並ぶ中で
尐し違和感のある存在である。彼は、1886(M19)年より 1888(M21)年まで音楽取調掛のい
わゆる“お雇い外国人”としてピアノ、唱歌、和声など西洋音楽全般を指導した人物であ
る[92]。1885(M18)年に 2 回、1887(M20)年に 1 回神戸で演奏会を開き、その際に自作品
9
数曲を演奏したことにより、上位に挙げられている。このようにちょっとしたことが順位
を左右するので、細かい分析は意味を成さないと思うが、全体および各グループの集計を
概観すると、ショパンがいずれのグループにも登場していることが見てとれる。つまり、
ショパンは明治期という洋楽受容初期から日本人・西洋人の区別なく多く演奏されていた
ことが分かる。実は集計に含まれていないが、小倉末子が 1903(M36)年に“Scherzo” を、
1905(M38)年に“エチュード”[93]を演奏している。この 2 曲とも作曲者名が記載されてい
ないため、曲を特定することができないのだが、ショパンの作品である可能性もあるだろ
う。もし、この 2 曲の内どちらかでもショパンの曲であったら、小倉末子は神戸で最初に
ショパンを弾いた日本人ということになる。その点は不明のままであるが、明治期神戸で
一番多く演奏されたピアノ曲がショパンの作品であったことが確認できた。筆者は「クラ
シック演奏会での選曲傾向」と題して、1984(S59)年および 2004(H16)年に関西[94]で開催
されたクラシック演奏会で取り上げられた曲の集計・分析を行ったことがある[95]。ショパ
ンは両年ともにピアノ独奏の領域で最上位にランクされた。そもそもこの調査は 20 年の時
間差による選曲傾向の変化を知ろうとしたものであったが、ショパンに関しては、不動の
ものであることを証明することとなった。したがって今回の明治期の調査と併せれば、ピ
アノ演奏においては受容の最初期から現代に至るまで、変わらずショパンが多く取り上げ
られている状況が浮かび上がってくる。
前述のように、全体に数値が小さいので細かい点には言及する意味が持てない訳だが、
ショパンの他には、リスト、メンデルスゾーン、ベートーヴェンに尐し着目してみたい。
リストは、来日西洋人のグループのみに登場する。彼らは、技量の差はあったようだが一
応職業音楽家として来日公演した人たちであるので、リストのような技巧的な作品もレパ
ートリーにしていたのであろう。一方、ベートーヴェンは日本人グループのみに見られる。
来日および在日の西洋人の演奏例はまったく無い。これは、日本人のピアノ演奏者にドイ
ツ音楽を主流としていた東京音楽学校関係者が多いことと関係があるのではないだろうか。
メンデルスゾーンは在日西洋人と日本人のグループに見られる。具体的には「無言歌集
Lieder ohne Worte」の中の“ゴンドラの歌 Venezianisches Gondellied”“狩人の歌
Jägerlied”などである。これらは現代ではいかにも素人のピアノ愛好家のレパートリーと
いう印象の曲であるが、東京音楽学校を卒業したいわば専門家といわれる人たちが演奏会
で弾いている点に明治という時代性が感じられる。また、これらの曲がしばしば取り上げ
られた背景には、
“ゴンドラの歌”といった標題のついた曲であることが関係していると思
う。そもそも日本の音楽はほとんどが歌や語りといった言葉を伴うため、日本人は音楽を
具体的な描写として捉える習慣があり、西洋音楽に接するようになっても表題のある情景
描写的な曲を好む傾向が強く見られたのである[96]。技術的に易しく、エキゾチックな標題
を持つこれらは当時の状況にぴったりの曲であったようだ。
10
結び
本稿は、2011 年発表の「明治期神戸のピアノ演奏記録」[4]を、公開演奏の始まり、演奏
者、演奏曲、の 3 項目について考察したものである。その結果、大きく 2 つの点を確認す
ることができた。まず神戸での公開演奏は、神戸開港後僅か 4 年の 1871(M4)年に始まって
いる。それは、西洋人によるアジア巡業グループの公演であった。また、在日西洋人によ
る演奏も同年に行われている。以降日本人の演奏が始まる 1891(M24)年までの約 20 年間は
もっぱら西洋人によるピアノ演奏の時期であった。それらは居留地という外国人社会の中
で行われていたが、日本人に無関係であったわけではない。居留地での演奏会等には日本
人も参加することができたからである。神戸の日本人たちは、西洋人のピアノ演奏に接し
その音楽や楽器への認識を高めていったに違いない。このような展開が見られたのは、神
戸に外国人居留地が置かれていたことによるものである。居留地の存在、これが第1の点
である。ちなみに京都でのピアノ公開演奏の最初は在日西洋人によって、1890(M23)年に行
われている[98]。これは神戸に比べて約 20 年もの開きがある。神戸でのピアノ演奏が他の
地域に比べて非常に早くから行われていたのは、やはり居留地を擁していることに起因す
ることがこのことからも明白である。
第 2 点は、神戸女学院と東京音楽学校の存在である。在日西洋人によるピアノ演奏では、
36 人中 11 人が教師でその内 9 人が神戸女学院の教師である。残る 2 人は東京音楽学校の
教師である。さらに、日本人でピアノ演奏をした 40 人の内、10 人が神戸女学院の教師、生
徒、卒業生等の関係者であり、12 人が東京音楽学校の関係者である。神戸開港後 8 年とい
う早い時期に開学した神戸女学院は、当初より音楽教育に力を入れており、1894(M27)に
は“音楽館”を建築している。これは 1890(M23)年建築の東京音楽学校奏楽堂に次ぐ、全
国で 2 番目に古い西洋音楽専用の建物で、同院の音楽教育への意欲の表われと見ることが
できよう。東京音楽学校がピアノに限らず日本の洋楽受容全般を牽引していたことは言う
までもないが、神戸女学院も日本人への洋楽指導に大きく貢献していたのである。神戸で
の日本人のピアノ演奏者の中で、神戸女学院と東京音楽学校の関係者が大きな割合を占め
ていたことは、その証左と考えられる。
演奏曲については、現代でも演奏頻度で最上位にランクされるショパンがやはり上位に
位置している点が興味深い。逆に現代のコンサートではあまり取り上げられないメンデル
スゾーンが上位に登場している点は、明治期らしい特徴と言えるだろう。在日西洋人のグ
ループでは素人の音楽愛好家が多く含まれていたため、技術的に易しい家庭音楽的なメン
デルスゾーンの曲が好まれたと推察できる。日本人グループでは、前述の要素に加えて標
題付きであることも関係しているだろう。ただし、来日西洋人のグループではメンデルス
ゾーンは 1 曲も演奏例がない。
明治期神戸でのピアノ演奏は、西洋人が多く関わりながらも、日本人の演奏も着実に進
歩している状況がうかがえる。本稿で指摘した点は、常識的に推測できる範囲のものも含
まれるが、演奏記録による調査結果を踏まえ、改めて確認できたことに意味があると考え
11
ている。さらに、今回の指摘については、本研究に続いて進めている京都および大阪での
ピアノ演奏に関する調査結果と合わせ、神戸独自の傾向であるのか、他地域にも共通する
ものであるのか等、考察の精度を高めたいと考えている。
【注】
1
研究課題名:
「ピアニスト」の誕生を考える:明治末期から昭和初期の本邦洋琴家事情
の解明
2
1891(M24)年生~1944(S19)没。
3
津上智実・橋本久美子・大角欣矢 2011 『ピアニスト小倉末子と東京音楽学校』 東京
芸術大学出版会 に詳しい。
4
塩津洋子 2011 「明治期神戸のピアノ演奏記録」 大阪音楽大学音楽博物館 『音楽研
究
5
大阪音楽大学音楽博物館年報』第 26 巻
神戸外国人居留地研究会(編) 1999 『居留地の窓から 世界・アジアの中の近代神戸』
p.5
6
神木哲男・他(編著) 1993 『神戸居留地の 3/4 世紀』p.36
7
同上 p.195
8
複数のメンバーから成るグループがほとんどだが、まれに単独の場合もある。
9
升本匡彦 1996 「西洋芸能のアジア巡業ネットワーク」p.57-61 『異文化交流と近代
化
10
京都国際セミナー1996』
堀博・小出石史郎(訳) 1980 『ジャパン・クロニクル紙ジュビリーナンバー
国人居留地』p.138
神戸外
升本匡彦 1986 『横浜ゲーテ座 明治・大正の西洋劇場 第二
版』p.207
11
和暦では明治 4 年 3 月 19 日
12 1870(M3)年設立の The Kobe Regatta & Athletic Club 所属の体育館兹用の劇場。こ
の公演の資料では Gymnasium と書かれているが、その後移転して Gymnasium
Theatre と表記することが通例となった。
13 The Hiogo News 1871.5.6.
14
19 世紀のヨーロッパはオペラがもてはやされた時代。有名オペラの抜粋が Selection
として多く取り上げられた。
15 The Hiogo News 1872.5.11.
1872.5.18.
16 The Hiogo News 1871.10.14.
17 神戸女学院百年史編集委員会(編) 1981 『神戸女学院百年史 各論』p.208
18 The Hiogo News 1871.5.6. 1871.5.10. 他
19 The Hiogo News 1879.10.18. 1879.10.22.
20 The Hiogo News 1880.7.7.
1880.7.8. 他
12
21 The Hiogo News 1881.4.21.
1881.4.22.
22 The Hiogo News 1881.6.13.
1881.6.15. 他
23 The Hiogo News 1883.5.21. 1883.6.15. 他
24 The Hiogo News 1885.1.22.
1885.1.26. 他
25 The Hiogo News 1886.7.24.
1886.7.26. 他
26 神戸又新日報 M21.4.18. M21.4.21.
27 神戸又新日報 M28.6.27. M28.6.9.
28 The Kobe Weekly Chronicle 1898.3.12. 神戸又新日報 M31.3.7.
29 大阪毎日新聞 M38.12.17. 神戸又新日報 M38.12.14. 他
30 神戸又新日報 M39.10.22.
31 神戸新聞 M40.1.14. 神戸又新日報 M40.3.11. 他
32 日出新聞 M40.5.15. 神戸又新日報 M40.5.13.
33 神戸又新日報 M42.2.14. M42.2.10. 他
34 神戸又新日報 M42.6.26. 大阪毎日新聞 M42.6.26. 他
35 神戸新聞 M42.6.25. 神戸又新日報 M42.6.25. 他
36 大阪朝日新聞 M42.10.11. 大阪毎日新聞 M42.10.12.
37 神戸又新日報 M44.3.13. M44.3.6. 他
38 大阪朝日新聞 M44.7.16. 神戸又新日報 M44.7.18. 他
39 『音楽世界』第 5 巻第 7 号 M44.7.15.
40 Kobe Regatta & Athletic Club
1870 年居留地に創設された外国人のスポーツクラブ。
41 The Hiogo News 1885.10.1. 1885.9.30. 中村理平 1993 『洋楽導入者の軌跡』p.643
42 『音楽雑誌』第 6 号 M24.2.25. 大阪朝日新聞 M24.1.28. 他
43 『音楽雑誌』第 71 号 M30.7.25. 神戸楽友会主催演奏会プログラム M45.5.18.
44 The Kobe Weekly Chronicle 1879.11.20.
45 神戸又新日報 M31.10.30. 大阪毎日新聞 M31.10.30. 他
46
神戸又新日報 M31.10.30. 大阪毎日新聞 M31.10.30. 神戸教育音楽会主催演奏会プ
ログラム M32.3.11.
47 The Kobe Weekly Chronicle 1899.2.22.
48 神戸又新日報 M32.5.22. The Kobe Weekly Chronicle 1899.5.31. 他
49 大阪朝日新聞 M32.8.8. 大阪毎日新聞 M32.8.18. 他
50 大阪毎日新聞他 M34.8.4. M34.8.7. 他
51 大阪朝日新聞 M34.10.15. 神戸又新日報 M34.10.15. 他
52 神戸又新日報 M35.8.27.
53 神戸又新日報 M36.5.19. 大阪朝日新聞 M36.5.19. 他
54 神戸又新日報 M37.1.16. 大阪朝日新聞 M37.1.24.
55 神戸新聞 M38.11.17. M38.11.20. 他
13
56 神戸新聞 M33.12.4. 神戸女学院同窓会誌『めぐみ』第 39 号 M39.3.31.
57 神戸新聞 M39.2.17. 大阪朝日新聞 M39.2.17.
58 神戸新聞 M40.3.13.
59 神戸新聞 M40.4.17. 神戸又新日報 M40.4.23. 他
60 神戸又新日報 M41.10.23. 神戸新聞 M41.10.23. 他
61 神戸又新日報 M41.12.12. 大阪毎日新聞 M41.12.14. 他
62 音楽界第 2 巻第 3 号 M42.3.1. 神戸又新日報 M42.2.14.
63 神戸新聞 M44.12.10. 大阪朝日新聞 M44.12.11.
64 神戸又新日報 M45.2.23. 神戸新聞 M45.2.23. 他
65 神戸楽友会主催演奏会プログラム M45.5.18. 神戸又新日報 M45.5.17.
66 『音楽雑誌』第 6 号 M24.2.25. 大阪朝日新聞 M24.1.28. 他
67 神戸女学院同窓会誌『めぐみ』第 9 号 M27.6.26.
68 神戸女学院同窓会誌『めぐみ』第 11 号 M28.6.26.
69 神戸又新日報 M35.4.5.
70 神戸女学院同窓会誌『めぐみ』第 31 号 M36.6.3.
71 神戸女学院同窓会誌『めぐみ』第 36 号 M38.1.17.
72 神戸新聞 M38.4.19. M38.4.17.
73 神戸新聞 M38.7.29. M38.7.31. 他
74 神戸又新日報 M38.8.7. 神戸新聞 M38.8.7. 他
75 神戸女学院同窓会誌『めぐみ』第 39 号 M39.3.31. 神戸新聞 M38.12.4. 他
76 神戸新聞 M39.2.25. 『音楽』第 9 巻第 6 号 M39.4.2. 他
77 神戸新聞 M39.7.2. 関西協楽会主催演奏会プログラム M39.7.8. 他
78 『兵庫県立第一高等女学校』S17.1.18.
79 神戸新聞 M40.4.17. 神戸又新日報 M40.4.23. 他
80 神戸新聞 M41.7.20. 神戸又新日報 M41.7.17. 他
81 神戸又新日報 M41.9.17.
82 神戸又新日報 M42.2.26. 神戸新聞 M42.2.26.
83 神戸新聞 M42.3.8. 神戸又新日報 M42.3.8. 他
84 神戸又新日報 M42.11.8. M42.11.5.
85 神戸又新日報 M42.11.9.
86 神戸新聞 M43.2.26.
87 神戸新聞 M43.4.23. M43.4.26. 他
88 神戸又新日報 M43.5.29.
89 神戸新聞 M44.4.23.
90 神戸又新日報 M45.2.26. 神戸新聞 M45.2.26.
91 この他に Strauss と記載された曲が 3 曲演奏されているが、曲名から推測してもどの
14
Strauss か特定できなかったため、挙げていない。
92
東京芸術大学百年史編集委員会(編)
2003 『東京芸術大学百年史
東京音楽学校篇
第二巻』p.1562
93
1903(M36)年 10 月 17 日神港倶楽部での慈善音楽会、1905(M38)年 12 月 2 日神戸女
学院での演奏会。
94 大阪府、京都府、滋賀県、奈良県、兵庫県、和歌山県。
95 塩津洋子 2008 「クラシック演奏会での選曲傾向 1984 年と 2004 年の比較」 大阪
音楽大学音楽博物館 『音楽研究 大阪音楽大学音楽博物館年報』第 23 巻
96 塩津洋子 1998 「陸軍第四師団軍楽隊の選曲傾向」 大阪音楽大学音楽研究所 『音楽研
究
大阪音楽大学音楽研究所年報』第 14 巻 p.75
97 資料上の記載からは確定できず、筆者の推測によるものも含まれる。
98 「明治期神戸のピアノ演奏記録」と同様の調査を、京都を対象に行った。この結果につ
いては、後日公表の予定である。
【参考文献】
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神戸女学院百年史編集委員会(編) 1976 『神戸女学院百年史 総説』 神戸女学院
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塩津洋子 1998 「陸軍第四師団軍楽隊の選曲傾向」 大阪音楽大学音楽研究所 『音楽研究
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塩津洋子 2008 「クラシック演奏会での選曲傾向 1984 年と 2004 年の比較」 大阪音楽大
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高木應光 2006 『神戸 スポーツはじめ物語』 神戸新聞総合出版センター
15
棚田真輔・他(編・訳) 1996 『神戸居留外国人のスポーツ 50 年史』 神戸スポーツ史研究
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「百年前の卒業生
小倉末子の軌跡」展
図録』 神戸女学院「小
倉末子展」実行委員会
津上智実・橋本久美子・大角欣矢 2011 『ピアニスト小倉末子と東京音楽学校』 東京芸術
大学出版会
東京藝術大学百年史編集委員会(編) 1987 『東京芸術大学百年史
東京音楽学校篇 第一
巻』 音楽之友社
東京藝術大学百年史編集委員会(編) 2003 『東京芸術大学百年史
東京音楽学校篇
第二
巻』 音楽之友社
堀博・小出石史郎(訳) 1980 『ジャパン・クロニクル紙ジュビリーナンバー
神戸外国人
居留地』 神戸新聞出版センター
升本匡彦 1986 『横浜ゲーテ座 明治・大正の西洋劇場 第二版』 岩崎博物館
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神
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山下尚志 1998 『神戸港と神戸外人居留地』 近代文芸社
弓倉恒男 2002 「創立 50 周年記念 クラブ・コンコルディアの歴史」 神戸外国人居留地
研究会『居留地の窓から 神戸外国人居留地研究会年報』第 2 号 p.91-112
16
能勢の人形浄瑠璃における創造性②
──文楽、淡路・阿波の人形浄瑠璃との比較を中心に──
松浦 伸吾
The Creativity of Joruri Puppet Theater in the Town of Nose②
─With a Focus on Comparisons with Bunraku and the Awaji
and Awa Joruri Puppet Theater─
Shingo MATSUURA
This paper compares and considers the activation of regionally-based communication utilizing Joruri puppet theater presentations in the town of Nose, with
examples of communication activities utilizing Joruri puppet theater as well as
amateur gidayū recital in Awa (Tokushima Prefecture) and Awaji (Awaji Island, Hyogo
Prefecture). Special attention is given to activities in Awa. In addition, these
considerations are carried out with particular emphasis on three key concepts, "urban
and rural," "personal communication," and "performance arts," which were set forth in
a previous paper, "Activation of Regionally-based Communication: A Personal
Perspective."
構成
はじめに
第1章 淡路・阿波の人形浄瑠璃
概要─人形浄瑠璃の発祥とその完成
淡路・阿波への人形浄瑠璃の導入とその後
特色
1.淡路
2.阿波
第2章 遊芸としての義太夫節と太棹三味線
元禄年間における上方の人形浄瑠璃
上方の愛好家による義太夫節と太棹三味線
素浄瑠璃会
第3章 阿波の人形浄瑠璃におけるコミュニケーション活動
17
概要-地方におけるアマチュア人形操り
阿波のアマチュア人形座の形成とその推移
地域コミュニケーション活動の事例─阿波の人形浄瑠璃の場合
1.阿波人形浄瑠璃振興会に属する団体
2.徳島県立阿波十朗兵衛屋敷
3.公演活動とその周辺
第4章 能勢の人形浄瑠璃におけるコミュニケーション活動
地域の特性と浄瑠璃の効用
地域コミュニケーション活動の事例─能勢の人形浄瑠璃の場合
1.座員のコミュニティ
2.人形浄瑠璃と地域の様々な価値が併置された空間の創造
おわりに
はじめに
本稿では、能勢の人形浄瑠璃の活動における「地域に根ざしたコミュニケーションの活
性化」を、阿波(徳島県)と淡路(兵庫県・淡路島)の事例と比較しつつ考察する。特に
阿波の事例に注目する。またその際、先の論考「
「地域に根ざしたコミュニケーションの活
性化」についての私見」
〔1〕において提示した「都会と地方」
「対人コミュニケーション」
「遊芸〔2〕
」という三つのキーワードを重点的に扱いたい。なお、ここで言う“地域”の
範囲については柔軟に捉えたい。集落程度のものから自治体程度のものまでを含める。ま
た本稿において、
“人形浄瑠璃”は語り・三味線・人形の三業によって構成される人形芝居
を指す。
第1章では阿波と淡路の人形浄瑠璃を概観する。人形浄瑠璃は日本各地に存在していた
が、時の推移と社会の変化によって、伝承が途絶えて滅びたもの、文化財として保存の対
象となったものも数多い。その中で、阿波と淡路のものは非常に活発である。もちろんこ
れらも太平洋戦争の時期またはその直後に低迷し、衰退の危機に瀕した。しかし人形浄瑠
璃の伝統が深く根付くこれらの地において、その再興は非常に早かった。現在ではそれぞ
れが独自に、または協力しあい、積極的に活動を行っている。重要なことは、淡路では技
芸員〔3〕によって構成された団体による興行活動が为軸にあり、それに対して阿波ではア
マチュア芸能者による余暇の活動としての立場を守っている、ということである。阿波と
淡路は隣接しており、芸能の内容や道具等においては類似点をたくさん見つけることがで
きるが、舞台の構造や演出においては異なる部分がある。
第2章では上方における遊芸としての義太夫節と太棹三味線に触れる。人形浄瑠璃は元
禄年間(1688-1703)の頃から上方で大流行した。義太夫節は都会の人々における遊芸とし
18
て広く好まれた。しかしそれは個人で楽しむための一芸として捉えられ、人形浄瑠璃を成
立させるために必要な三業で行う公演が持たれず、代わりに語りと三味線のみで行われる
素浄瑠璃の会がたくさん開催された。人形操りを遊芸として扱うことはほとんどなかった
ようだ。その教授には技芸員や指導を本業とする稽古屋が担当した。家元制度を持たない
義太夫節はその芸の伝授と伝播において寛大であり、そのことはアマチュアの義太夫節を
上方の町人文化として定着させるための重要な要素となった。
第3章では阿波の人形浄瑠璃の事例を取り上げる。近世の頃に人形浄瑠璃は全国に広が
った。淡路の人形座や都会の人形浄瑠璃団体による巡業や芸の教授〔4〕がその伝播におい
て重要な役割を果たした。全国各地の農村コミュニティは三業の技芸を習得し、道具を揃
え、郷土芸能として自らが演じることを始めたが、上方における遊芸の状況とは異なり、
人形操りの芸の習得が中心となっていた。阿波における人形浄瑠璃の活動はその導入の頃
から極めて盛んであり、後にそれは地域を代表する娯楽の一つとなった。現在、徳島県で
は 20 を超える人形浄瑠璃関係団体が存在しており、これらは全てアマチュアによって運営
されている。それらの活動拠点は徳島市やその周辺地域にまで及ぶ。人形浄瑠璃に特化し
た舞台を有する徳島県立阿波十郎兵衛屋敷や他の劇場、徳島県下の神社の境内に残る農村
舞台等で公演を行っており、それらから人形浄瑠璃を通した地域交流や人間交流の姿を発
見することができる。またその公演の周縁に現れる、特産物の販売促進や異業種間の交流
等の様々な価値も見逃せない。地方自治体等による阿波人形浄瑠璃への手厚い助成活動も
非常に重要である。
第4章では能勢の人形浄瑠璃の事例を取り上げる。江戸時代後期より能勢の広域へ浄瑠
璃芸能を伝播させた「おやじ制」
〔5〕による地域内・地域間の交流が今も残る。
「浄るり音
頭」の存在も重要である。浄瑠璃は能勢の郷土文化として既に地域の人々に広く認知され
ていると考えられる。また「おやじ制」の繋がりとは別に、人形浄瑠璃の創始のために集
った能勢またはその近隣の人々による新たな芸能コミュニティが生み出されている。そし
て現在、能勢の人形浄瑠璃の団体である「鹿角座」
〔6〕を含む地域の様々なコミュニティ
や事業団体との協力により創り出された人形浄瑠璃公演の空間をもって、能勢と地域外の
人々が豊かに繋がる機会を提示している。
最後に、阿波の事例と比較しながら能勢独自のコミュニケーション活動を見出し、それ
が可能となる地理的・人的要因や手法を探る。
※〔 〕内の数字は稿末に記載の注釈番号を示す。
第1章 淡路・阿波の人形浄瑠璃
概要―人形浄瑠璃の発祥とその完成
淡路人形浄瑠璃について書かれた資料を紐解くと、淡路を人形芝居発祥における重要な
19
地として位置づける記述を多数発見することができる。室町時代に西宮神社〔7〕に仕えて
いた人形芸能集団としての戎舁(えびすかき)
〔8〕が、神事芸能を行うため木偶〔9〕を携
えて淡路や阿波はもとより全国を廻っていたことは史実により明らかである。その上で、
一人の戎舁が淡路島の三条村〔10〕に入りその地に留まり、その地域に芸能を伝え、人々
に木偶操りの技術を教えた、という言い伝えが存在している。久米惣一著『阿波と淡路の
人形浄瑠璃』にその概要があり、ここに紹介したい。
【或る日、摂津和田岬の沖合いの海で、蛭児が光を放っているのを、邑君という漁夫
が捕らえて見ると、その光の中に神のような幼児がいて、われは蛭子だ。海辺にお
庭を建てよと神託がおりた。これが後の西宮大明神である。そのお宮には道薫坊と
いう人がいて蛭子に仕えた。神慮にかなうて世は太平だったが彼が死ぬと、忽ち風
雤おこり漁猟も公開も不能になった。時に百太夫という者が、その事を京都御所の
近衛家に告げた。勅がくだって、百太夫は道薫坊の形を作り、之を操って、神慮を
慰めた。世は再び太平になった。百太夫は道薫坊をつれて諸国を廻って淡路の国の
三条に着いた。しばらくここに留まって、その術を伝えたがまもなく死んだ。躯は
西宮に葬った。
】
淡路は昔「阿波路」と称されており、四国へ渡るための要路であった。西宮神社の本社格
である広田神社〔11〕の荘園がその地に存在していたという伝説があり〔12〕
、彼が三条村
に定着したという理由の一つとなったのかもしれない。また、その荘園に仕える農民が、
農閑期になると使役労働者として西宮神社に赴いて木偶操りに従事していた、という説も
ある〔13〕。上記の言い伝えではその人物が「百太夫」であるとしているが、その名は傀儡
〔14〕を操る傀儡師が信仰する神様の名称でもある。どれも、真偽のほどは定かではない。
それでも、現在の淡路において「戎舞」の演目が定期的に上演されていることを見ると、
門付け芸に従事した戎舁の伝統と技芸がその地の人々に根付き、その様相を変えつつ今日
まで受け継がれていると考えて良いだろう。西宮と淡路による相互の人的交流と共に、芸
の伝承が行われていたことは容易に想像できるだろう。
語り物としての浄瑠璃物語は室町時代中期に成立した。専業芸能者である琵琶法師によ
って、平家物語に代わる新しい題材として広く語られるようになった。当初は平曲〔15〕
の様式に則って語られていたが、室町時代後期になると語りの節回しや伴奏付け〔16〕に
様々な変更が施されるようになった。ちなみにその題材は既に、読み物としての『十二段
草子』の出版とその流通によって人々にも幅広く浸透し、親しまれていたようである。
人形浄瑠璃において欠かせない伴奏楽器である三味線は、室町時代末期に琉球から大坂
の堺へ伝わった三線を改良したものである。琵琶法師は琵琶を横に置き、その新しい楽器
に持ち替え、楽器に数々の改良を施した。楽器のサイズの変更、蛇皮に代わる犬皮・猫皮
の使用、撥の導入などが挙げられる。三味線の節は当初平曲の型を模範としていたが、語
20
りに合わせるように型を変化させていった。
文禄年間(1593-1596)の頃、京の四条河原において戎舁、浄瑠璃語り、三味線弾きが出
会い、連携したことによって人形浄瑠璃が生まれた。その戎舁の出自については西宮の説
が有力である。彼等の独自の芸である「箱廻し」
〔17〕の興行が四条河原で既に行われてこ
とが理由であろう。その演目には能に由来するものが数多くある。淡路において頻繁に上
演される「式三番叟」
、また現在の「文楽座」においても祝事の際に演じられる「寿式三番
叟」もその一つである。
ちなみに新しく生まれた人形浄瑠璃の姿は現在の人形浄瑠璃と大きく異なる。当面の間、
人形は一人で操られ、音曲の演奏には盲目の専業芸能者も加わっていた。様々な節付けに
よる古浄瑠璃の時代を経た後、竹本義太夫によって大坂・道頓堀に竹本座が開設され、義
太夫節が創始されたのが貞享元年(1684)
、つまり約 100 年後のことである。人形はより繊
細な動きが求められ、数々の改良が施された。人形遣いである初代吉田文三郎によって人
形を三人で操る「三人遣い」が考案されたのは享保年間(1716-1735)の末あたりとされて
おり〔18〕
、義太夫節の登場から約 50 年後であろうか。この時期に現在における人形浄瑠
璃の様式が生まれたと考えられる。太棹三味線における芸の改変と確立については詳細な
資料を見つけることが困難であるが、初代鶴澤清七(後の三世鶴澤友次郎)による採譜法
としての朱の考案が太棹三味線の歴史の中で特に重要である。太棹三味線の構造や演奏技
術における劇的な改変に関わる内容のものではないが、技芸の伝授方法における革新的提
案を打ち出し、後の義太夫音楽の普及に大きく貢献する結果となった。それは安永年間
(1772-1780)末期のことで、人形における「三人遣い」の考案の時期から約 50 年経って
いる。ちなみに音曲を担当する芸人は世代交代によって次第に晴眼者へと移行していった
ようだ。盲目の専業芸能者から音曲を学んだ素人の弟子が晴眼者であったことが理由であ
る。彼等は後にプロフェッショナルとして舞台に立つことになった。
淡路・阿波への人形浄瑠璃の導入とその後
京都で創始された語り・三味線・人形の連携による人形浄瑠璃は後に淡路へ伝わった。
戎舁がその新しい芸能を紹介したことが理由であろう。その後、三条村とその周辺地域に
おいて、巡業を为体とするプロフェッショナルの人形座〔19〕が相次いで誕生する。彼等
は「寿式三番叟」や「戎舞」といった既存の演目を重要視しつつ、上方の人形浄瑠璃の新
しい動向に倣い、技芸を習得していった。上方の作家によって次々と生み出される新しい
演目も淡路へ入っていった。享保年間(1716~1735)には淡路の人形座は大小含めて 40
程度を数えるようになった。
阿波を領有していた蜂須賀氏が正徳 5 年(1615)に淡路を得ることにより、徳島藩が形
成される。藩为となった蜂須賀氏は人形浄瑠璃を手厚く庇護した。淡路の三条村周辺の人
形座に「道薫坊廻百姓」という特権的身分を与えることにより、在住地域を離れて全国で
巡業を行えるようにした。農民の地域外への移動が容易ではなかった江戸時代において、
21
この身分は特権と呼べるものであった。ちなみに太夫や三味線弾きは上方や他の地域から
雇って巡業に同伴させたようだ
〔20〕。
阿波に人形浄瑠璃が定着し始めたのもこの頃である。
阿波は吉野川流域において栽培される藍を为な特産物としていたが、その全国的な販売と
その成功によって、農民は大きな富を得ることができた。またそれにより徳島藩の税収も
安定し、阿波の人々はその恩恵を受けて裕福な生活を送るようになり、余暇を楽しむ余裕
が生まれた。淡路の人形座の巡業によってもたらされた人形浄瑠璃は阿波の人々にとって
の絶好の娯楽となる。豪農や藩为のパトロネージによって、
「買芝居」として阿波の外から
プロフェッショナルの人形座を招いた公演が多数行われたようである。強靭な経済力の下、
阿波の各地において人形浄瑠璃愛好家がたくさん現れた。天保年間(1830-1843)より後、
芝居を観るだけでは満足しない愛好家達は自ら「地芝居」を行うようになり、それは阿波
における数々のアマチュアの人形座の結成のための素地となった。この状況はまず阿波の
中心地から離れた村落部において出現した。
江戸時代末期から明治時代中期にかけて、淡路の巡業は興行的に成功を重ね、阿波のア
マチュア活動はますます活発になった。明治 4 年(1872)に行われた廃藩置県によって徳
島藩は解体し、藩によるパトロネージは失われたが、淡路では各人形座が興行を成立させ
るために凌ぎを削りあった。
阿波においては豪農または地域の有力者による支援が継続し、
その上で愛好家は私財を投じて人形浄瑠璃を楽しんだ。しかし明治時代中期以降から昭和
時代にかけて人形浄瑠璃の人気は低下する。淡路の人形座は興行を成立させることが困難
となり、数々の座が解散に追い込まれた。阿波の人形浄瑠璃の衰退は一般庶民における娯
楽の増加とその多様化に原因がある。太平洋戦争の後、それぞれの地域が人形浄瑠璃の復
興のための団体を設立させた。
「財団法人淡路人形協会」
〔21〕と「阿波人形浄瑠璃振興会」
〔22〕である。現在、淡路を代表する人形座である「淡路人形座」は技芸員を公務員化し
安定した運営を確立させた上で、
年間を通して常設小屋を为とした興行を行っている〔23〕
。
阿波では伝統ある人形座の数々が再興した。また、それぞれの地域において数々のグルー
プが新しく創設され、相互の交流の下、様々な活動が行われていることも重要である。人
形浄瑠璃の上演はもとより、愛好家による技芸や人形頭(かしら)等の道具製作の伝授と
習得が盛んに行われている。
特色
近世の頃、淡路と阿波の人形浄瑠璃の様式は上方のものが踏襲されていたが、近代に入
ると独自の展開を見せる。太夫と人形遣いにおいて演じ方に変化が現れた。道具において
は人形頭と舞台演出にその特色が伺える。これらはまず、淡路の人形座における興行のた
めのアイデアとして考案され、後に阿波に伝わった。阿波の各地に農村舞台が建てられた
のはこの頃である。
22
1.淡路
淡路の人形座は長らく常設の小屋を持たず、公演の度に仮設の小屋を建てる「野掛け」
を行っていた。その設置場所は空き地や農閑期の田畑であった。上方の代表的な座は常設
の小屋で公演を行うことが一般的であり〔24〕
、巡業を为な興行形態として全国を巡った淡
路の人形座とは興行形態が大きく異なる。仮設小屋といってもその作りは上方の舞台に遜
色ない立派なものであったようだ〔25〕。これは淡路の人形座が大阪の人形浄瑠璃と密接な
交流を持っていたこと、卓越した技術を持った舞台制作者が淡路の人形座に属していたこ
と等が理由であろう。下手に張り出した場所に太夫と三味線弾きが座る場所があり、これ
を「太夫座」を呼んでいる。上方の人形浄瑠璃における舞台上手の「文楽廻し」のような
回転式の床を設置しているわけではないが、その設置場所から、上方から影響を受けたと
察する。小屋の規模も大きく、800 人ほど収容できるものも存在した〔26〕
。しかし、場内
を照らす照明の不足により舞台上が暗い、筵や菰で壁を作っているため音が響かない、と
いった劇場空間の特性があった。繊細さを追求する上方の人形浄瑠璃の様式で上演を行っ
た場合、表現上の芳しい効果を得ることができず、よりスケールの大きな表現を必要とし
た。そこでまず人形頭の寸法を上方のものの 1.5 倍に変更した〔27〕
。阿波に住む人形師の
「天狗久」がその改良にあたった。明治時代中期より最も注目されていた人形師であり、
上方を除いた全国の人形劇の頭を多数製作していた〔28〕
。また、暗い照明の中でも表情が
映えるように艶を際立たせた着色を施した。同時に、大きくなった頭とのバランスを取る
ために人形の身長を伸ばした。人形が大振りになったことで、人形の遣われ方においても
力強さや勇ましさが現れるようになった。音響上の不利な条件を補うために、太夫の声量
はより大きく張りのあるものへと変わっていった。三味線弾きもその声量に応えるべく、
大きな撥捌きをもって音量を増やしていたのではないかと考えられる。
舞台演出において特に重要なものは「道具返し」である。道具返しとはもともと、舞台
上で場面を転換させる際に、舞台後方にあらかじめ隠されていた背景や大道具を精巧なカ
ラクリを用いて効果的に出し入れする舞台装置や、それを行うための裏方の伝統的な技術
のことを指すが、淡路ではそれを特別な出し物として観客に見せた。遠近法を用いた様々
な絵が描かれた襖等が次々に現れ、舞台が徐々に遠景になっていく内容である。もともと
は人形浄瑠璃の演目の中で行われていたものだが、現在の「淡路人形座」では公演の最後
に、一つの独立した演目としてこれを上演している。他の舞台演出の特色として、上手に
配置された花道、人形の衣装を色や刺繌で分けて吊るして舞台上に飾った「衣装山」等が
あった。現在では花道を置いた公演は存在しない。
2.阿波
阿波の人形浄瑠璃は淡路のものに多大な影響を受けているということは既に述べた。淡
路の人形座がもたらした技芸や道具の変更をそのまま受け継いでいく。阿波の人形座の公
演は为に野外で行われており、照明や音響の問題についても淡路と共通の部分が多くあっ
23
たと考えられる。派手さを施した淡路の様式をそのまま採用したのではないだろうか。ま
た、人形頭が阿波の人形師によって製作されていたことも、道具の導入を迅速に行えた一
つの理由であろう。
淡路と異なる点は舞台にある。江戸時代より、淡路では上方の劇場に倣った様式の仮設
小屋で公演を行うことを为とした。阿波では二種類の上演方法がある。旅巡業の人形座が
訪れやすい場所でもあった城下町や平野部においては淡路と同じく野掛けが行われた。そ
れに対し、
奥まった山村では常設の農村舞台を神社の敷地内に建てた。農村舞台は村の人々
の金銭・労力・技術を集めて共同で造り上げたものであるとされる。それは村が所有する
ものであり、村の人々が集う集会場としても重要であった。舞台の下部には船底楽屋とい
う空間がある。芝居を行う時はそこを準備のための場とし、その他の場合ではコミュニテ
ィスペースとして使用していた。舞台の構造は概ね淡路に沿ったものである。農村舞台そ
のものは全国にも多数存在し、様々な芝居に対応できるように作られているものも多いが、
阿波のものはほぼ全て、人形浄瑠璃の上演に特化したものである〔29〕
。舞台演出としての
道具返しが阿波では「襖カラクリ」と名を変え、独立した演目として“上演”された。音
曲は三味線のみによる「道具返し」である。阿波における人形浄瑠璃はアマチュアのもの
であり、芝居に参加する全ての人々が楽しめるものであった。その中には舞台演出に携わ
る裏方スタッフももちろん含まれる。大道具係の見せ場を作る目的として襖カラクリが行
われたのではないか、と考えることができる。平成 22 年(2010)11 月 3 日(水・祝)に、
私は徳島県の犬養農村舞台の公演において襖カラクリを観ることができたが、それに携わ
る裏方スタッフの達成感に満ちた表情に触れることができた。もちろん今と昔ではその扱
われ方が異なっているかもしれないが、過去に生まれたアマチュアイズムが現在にまで受
け継がれている、と考えることはできないか。
第2章 遊芸としての義太夫節と太棹三味線
元禄年間における上方の人形浄瑠璃
人形浄瑠璃における三業が太夫・三味線弾き・人形遣いのことを指すということは第1
章で述べたとおりである。それぞれの芸が確立した時期に差はあれども、三人遣いの現れ
た享保年間(1716-1735)の頃には現在上演されるような人形浄瑠璃の様式が完成したと考
えられる。しかし人形浄瑠璃が盛況したのはそれよりも前の元禄年間(1688-1703)であっ
た。他の流派を駆逐して“当流”として地位を確立する義太夫節の登場に加え、近松門左
衛門〔30〕等の脚本家の台頭と作品の質の向上、三業それぞれにおける技芸の発展、舞台
演出の充実等、その理由は枚挙に暇がない。これらは上方における竹本座と豊竹座の熾烈
な競争によってもたらされたものであると言えるだろう。興行において好敵手であった両
者はお互いを意識し、それぞれがアイデアを考案し、芸を磨き、芝居の質を上げていった。
24
プロフェッショナルの芸能団体である両座において、興行成績は座員の死活問題に直結し
ており、健全な経営を持続させるための努力を必要とした。
人形浄瑠璃の盛況を支えたのは上方の町人による人形浄瑠璃への執心である。都会の町
民は農民と異なり、余暇のための時間を自由に作ることが比較的容易であった。そしてそ
の時間を大衆芸能としての人形浄瑠璃の観劇にあてた。江戸時代における芝居には歌舞伎
も含まれるが、この時期の上方の歌舞伎は人形浄瑠璃の盛況の前に人気を失っていたよう
だ。人々は人形浄瑠璃を熱狂的に受容した。その後、三業を遊芸として習得を求める愛好
家が現れる。名人の芸に触れたことにより、自らもその奥義に近づき、演じてみたいと考
えたのだろう。プロフェッショナルの諸芸能者以外の一般人が余暇を楽しむために遊芸と
して芸を習得する慣習は江戸時代以前より存在していたが、しかし町人社会全体に遊芸習
得の風潮が広がったのはこの時期であろう。余暇を生かすことはもとより、技芸の習得に
よる新たな職能の確保や身分を越えたコミュニケーションから獲得できる社会的ステータ
スの向上という現実的な要望も含まれていた。
上方の愛好家による義太夫節と太棹三味線
日本の伝統芸能の伝授において広く採用されている家元制度を、義太夫節による人形浄
瑠璃の三業は持っていない、ということは先の論考である「「地域に根ざしたコミュニケー
ションの活性化」についての私見」で述べた。家元制度を持つ諸芸においては、門弟とし
て芸道に属する際、他流に関わらないという契約を交わす。プロフェッショナルとして活
動できる身分に達するまでには長い期間をかけて稽古を積み、階梯を上がらなければなら
ない。これらの諸芸は興行を目的としないが、その代わりに弟子から師へと金銭が渡るよ
うに組織された厳格な教授システムを持つ。それに対してプロフェッショナルの人形浄瑠
璃の座に属する技芸員は門弟を迎え入れる際、まず芸能者集団に所属させて芸名を与える。
門弟はそれをもって独立した技芸員として位置づけられる。門弟がプロフェッショナルと
なれば、その教授活動において金銭の授受が発生しない。また人形浄瑠璃の世界では芸を
深めるために他の師に教えを請うことを推奨しており、家元制度を持つ他の諸芸とは教育
のあり方が大きく異なっている。芸のみで評価される厳しい環境であったとも言える。人
形浄瑠璃における三業の教授にはまず、師が所属する座における興行の舞台に出演するた
めのプロフェッショナルを養成する職業訓練の側面があったと考えられる。
それでも、プロフェッショナルになることを望まない人形浄瑠璃愛好家への芸の教授が
広く活発に行われていたようだ。先に述べたとおり、上方において需要が大きく膨れ上が
ったことが大きな理由であろう。もちろん、アマチュアで芸に触れた後にプロフェッショ
ナルに転向した人も数多い。舞台に立つプロフェッショナルの芸人が教授にあたったこと
はもちろん、芸の指導を本業とする「稽古屋」も多数存在していた。義太夫節と太棹三味
線による音曲の教授が为であったが〔31〕
、その数は義太夫節が圧倒的に多かったのではな
いか。浄瑠璃の内容を記した出版物や書き写し等の流通により、それらを参考資料として
25
用いた詞章研究や稽古が可能であったこと、稽古や芸の披露において床本〔32〕を見るこ
とができたこと等によって、遊芸としての義太夫節の敷居が他のものよりも幾分緩和され
ていたことが、その流行を後押ししたのかもしれない。太棹三味線においてもアマチュア
芸能者は存在していたが、その数は決して多くはなかった。義太夫節の伴奏を担当するも
のとして位置づけられており、個人の芸として成立させることが難しい。太棹三味線の楽
譜については元禄期の尐し前より簡易な記譜法が考案・出版されていたが、微細な表現や
独特の時間推移を扱い、時に即興的演奏も含まれていた当事の太棹三味線の楽譜として採
用するには不十分であったようだ。後の朱の考案によってその点はいくらか緩和されたが、
兹ねてより三味線音楽の演奏には楽譜を用いないことを通例としていた。平安時代より続
く盲人の専業芸能者の伝統を受け継いでいるのであろう。よって、太棹三味線の稽古は聴
き覚えを基本とし、芸の披露においては暗譜を徹底した。このことは遊芸として嗜む内容
としては難しいものであると考えざるを得ない〔33〕。このことはもちろん私の想像の域を
超えるものではないが、現在において、太棹三味線の愛好家が義太夫語りの愛好家の数よ
りも極めて尐ないという状況から、大きく間違ってはいないのではないかと感じる。能勢
の素浄瑠璃における約 200 年の伝統の中で、太夫と三味線弾きの比率が大きく隔たってい
たことや三味線弾きを兹ねた太夫が存在したという事実からも、そのように考えることが
できないか。
素浄瑠璃会
元禄年間(1688-1703)以降、竹本・豊竹両座の活動がより活発になるにつれて、義太夫
節の愛好家の数も拡大し続けた。実際に起きた心中事件を扱った「曽根崎心中」を発端と
する世話物の出現がそのことに拍車をかけた。人情の綾を扱った内容は上方の町人が有す
る感性に強く訴えかけ、共感させるものであった。過去の史実を用いて創られてきた時代
物に、当時における“現在”を盛り込んだ世話物という新しいレパートリーが加わったこ
とで、芝居の演目の幅を著しく拡大させることになった。またこのことは竹本・豊竹両座
のそれぞれの特徴をより際立たせる結果を生んだ。人形浄瑠璃は大衆に最も好まれた芸能
の一つとして上方の生活文化に浸透した。また義太夫節は町人が備えるべき教養としても
徐々に定着していったようだ。竹本・豊竹両座が廃座した後、人形浄瑠璃は停滞の時期に
入るが〔34〕
、代わりに各業の名人芸が大きく着目されることになった。町人による義太夫
節への愛好は一段と進み、遊芸としてより浸透する結果を生んだ。それは町人における義
太夫節の素養を高めていくことになる。人形浄瑠璃を受容する社会環境の充実化が進んだ
と言えるだろう。こうして、義太夫節の愛好家は増え続けた。この様相は明治時代以降に
導入された新しい娯楽が生活に定着した、昭和時代の初期まで残っていた。
義太夫節を親しむアマチュアの人々は、それを習得するだけでは留まらず、自らの芸を
披露するための場を設けた。素浄瑠璃の会である。芸を嗜む程度の人もいれば、プロフェ
ッショナルに匹敵するほどの芸を有した人もいた。時には因講〔35〕に属するプロフェッ
26
ショナルの芸人もその会に参加していた〔36〕
。これはアマチュアとプロフェッショナルが
密接に関わる機会が用意されていたことを意味する。天明 6 年(1786)に発行された『素
人浄瑠璃評判記』によれば、上方の五つの地域に「社中」
〔37〕という浄瑠璃愛好家のグル
ープが存在しており、ここには太夫と三味線弾きが所属している、とある。それから 55
年後にあたる天保 12 年(1841)に発行された『浪花素人浄瑠璃評判記』には 197 人のアマ
チュア太夫の記載があり、その腕前のランク付けを行っている。また社中の数も 33 に増え
ており、地域分布においても著しく拡大している。実際の愛好家人数は遥かに多いもので
あろう。それぞれのグループが素浄瑠璃会を行っていたが、その上演場所は为に寺社の境
内であり、寺社に収益を寄進する興行として開催された。アマチュアの芸でありながら鑑
賞料を徴収しており、このことにより人形浄瑠璃芝居における興行とは別種の興行形態が
存在していたと考えることができる。また、芸に対する批評活動も頻繁に行われていた。
素浄瑠璃の聴衆も積極的にその場に参加していたことが分かる。上記の『素人浄瑠璃評判
記』を含む印刷メディアにおける諸活動は、アマチュアの活動の広報としての重要なツー
ルとして機能していたに違いない。
これらにより、遊芸としての義太夫節を中心に置く幅広い直接的・間接的コミュニケー
ション活動が盛んに行われていた、と考えることができる。人形浄瑠璃芝居の観劇はもち
ろん、遊芸や素浄瑠璃会、そしてそれらの内容の幅広い情報公開等を通して、上方におけ
るアマチュア義太夫節のコミュニティは大いに盛り上がった。先に述べたように、家元制
度等に確認できる厳しい秘儀伝承の制度を持たず、芸の教授と伝播において非常にオープ
ンな態度を取った義太夫節であるからこそ、このような状況を生み出すことが可能であっ
たと思う。よってコミュニケーションの範囲も他の遊芸と比較すると広大であったと想像
できる。敷居の決して高くない、親しみやすい芸であったことが、この状況を育むために
はとても重要であった。
第3章 阿波の人形浄瑠璃における地域コミュニケーション活動
概要―地方におけるアマチュア人形操り
現在、全国各地において、義太夫節・太棹三味線・三人遣いの三業による人形浄瑠璃の
伝統芸能の姿を見つけることが可能である。その規模や活動内容は様々である。淡路や阿
波の事例のように、年間を通して芝居を打ち、精力的な活動を行っている団体を多数有す
る地域もあれば、年に一度の祭礼の際に、地域が一丸となって上演を行うところもある。
公演活動を行わず、過去に使用された道具の保存伝承に重きを置いている地域もある。も
ちろん、伝統が途絶えて既に滅びてしまったものも尐なくない。元禄年間(1688-1703)に
おける人形浄瑠璃の大流行と同時期に始められたもの、近代に入ってから新しく創始され
たもの、第二次世界大戦後に現れたもの等、その成立時期も異なるが、それらの創始の理
27
由は第1章で述べた阿波の事例と大きく変わらず、概ねこのようなものであろう。プロフ
ェッショナルの演じる芸能に触れて興味を持った全国各地の地域コミュニティは、語り・
三味線・人形操りの技芸を習得し、道具を揃え、郷土芸能として自らが演じることを始め
た。都会における遊芸の状況とは違い、地方では人形操りの芸の習得が中心となった。後
にそれは地域を代表する重要な娯楽となった。ちなみにこの論考で扱っている能勢の人形
浄瑠璃は平成 5 年(1993)に始められ、最も新しいものの一つである。「鹿角座」として、
淨るりシアターの所属を離れて座として独立したのは平成 18 年(2006)のことである。
これらの義太夫節と三人遣いによる人形浄瑠璃はどのようにもたらされ、定着したのか。
宇野小四郎著『日本の人形戯・人形芝居』を参照すると、人形芝居の定着における初めの
段階として、全国各地の地域がその近くの都会部において親しまれていた人形芝居を導入
していた、という内容が見て取れる。語りについては説教節・歌謡・古浄瑠璃等が含まれ、
人形については三人遣いとは別に、一人遣い・二人遣い・からくり人形等がある。その後、
巡業団体としての淡路の人形座を代表とする義太夫節の人形浄瑠璃の芸人が全国の人形芝
居の定着地に赴いて新しい人形芝居として義太夫節・三人遣いの人形浄瑠璃を紹介し、他
の人形芝居の内容を塗り替える形で定着させたことや既存の人形浄瑠璃を充実化させた活
動が行われた、と言えるだろう。次に、地方の共同体においてなぜ人形浄瑠璃が受け入れ
られたのかを考えると、義太夫節の音曲や人形の写実的表現における魅力はもちろん重要
ではあるが、地方の各地域に存在する共同体が求める同属意識において、人形一体を三人
で遣うという方法が、言い換えれば、三人揃わないと人形を満足に扱うことができないと
いうことが、他者とのコミュニケーションを深めるためのツールとして見事にはまったこ
とが理由ではないか、と推測する。複数の人間が関わることによって生まれる芝居には能
や歌舞伎を含めて様々なものが存在するが、その中でも人形浄瑠璃は舞台に関わる人々の
意思疎通が強く求められる芝居であると私は考えている。義太夫節と太棹三味線に関して
も同様のことが言える。これらは個人の芸における質の向上が求められるが、その後は二
業が連携して音曲を形作ることになる。都会の遊芸とは異なり、集団で行うことを強いる
芸能であったことが重要であったと思う。これは先の論考「「地域に根ざしたコミュニケー
ションの活性化」についての私見」の「遊芸」の頄目で述べたことに通ずる。
地域別に列挙すると、関東地方や東北地方に伝承される人形劇の種類はバラエティに富
んでいる。これは江戸時代における江戸の人形劇の状況を反映していると考えられる。義
太夫節・三人遣いによる人形浄瑠璃も存在しているが、これらをもたらしたのは江戸の芸
人である場合が多いようだ。義太夫節が他を圧巻した上方とは違い、江戸には多種多様の
人形芝居が混在し、人々に受け入れられていた。北海道の人形浄瑠璃については、
『日本の
人形戯・人形芝居』において明治期に生まれた座の概要が記載されているが、これは北海
道に入植した徳島人によって育まれたものであるらしい。よって内容は阿波人形浄瑠璃の
ものである。東海地方にはからくり人形の事例が多いが、東海道筋周辺で活動をしていた
人形浄瑠璃の芸人による芸の伝播が行われていたようだ。逆に甲信越や北陸においては義
28
太夫節の人形浄瑠璃は皆無に近く、東海地方から伝わったからくり人形、佐渡に伝わる文
弥人形〔38〕やのろま人形〔39〕が残る。近畿地方においては、義太夫節・三人遣いの人
形浄瑠璃は興行としての芝居が中心であったことは先に述べた。淡路の人形座の活動を省
けば、地方において義太夫節の人形浄瑠璃を行っているところは尐ない。それでも、東海
道筋にあたる地域には僅かながら存在していたようだ〔40〕。これは東海地方の事例と同じ
である。他には山車上のからくり人形芝居が多く、そのルーツは京都や東海地方のもので
あるらしい。
京都に 1000 年の歴史を持つ祇園祭における山車の影響が大きいとも考えられ
る。近畿より西においては淡路と阿波の人形座の活動が重要である。巡業を含めた地域外
の活動の中心として選んだ地域は、現在の高知県である土佐を除いた四国とその周辺の地
域であった。阿波は人形頭の製作地であったので、淡路と阿波の人形座の活動は人形その
ものの幅広い流布に寄与することになった。中国地方や九州地方においても、淡路や阿波
の影響を持つ人形浄瑠璃の伝統を発見することができる〔41〕
。
義太夫節・三人遣いの人形浄瑠璃の伝播は、都会で活動する人形座の没落・廃座と、三
業それぞれにおける芸人の生活のために行われた巡業と教授業の活発化・拡散化によって
もたらされたものである。義太夫節と太棹三味線については第2章で述べたとおり、都会
の遊芸として広く親しまれており、それらの教授業は安定した職業として成立していたが、
人形遣いにおいては都会における教授業の需要が見込めず、地方に赴いてアマチュアの人
形座を指導することで生活の糧を得るケースが多かったようだ。その中には地方に定住す
る技芸員も存在した。人形操りのための道具の入手方法は様々である。座が都会から取り
寄せたもの、指導に来ていた人形遣いから譲り受けたもの、地方に滞在した芸人が負った
借金の担保として差し押さえたもの等がある。
阿波のアマチュア人形座の形成とその推移
近代に入るまで、阿波の人形浄瑠璃はアマチュアのものであった。江戸時代の徳島藩は
淡路と阿波の両方の地域にまたがっており、片方の地域である淡路の人形座が既にプロフ
ェッショナルの興行団体として積極的な活動を行っていたこと、本業である藍栽培を中心
とした農業が好調であったこと等の理由により、阿波ではプロフェッショナルが育たなか
った。安定した日常生活と余暇の確保がある程度約束されていた阿波の地において、敢え
てプロフェッショナルの芸人になる必要がなかった、と言い換えることもできる。このこ
とは第1章でも述べた。
阿波の人々にとってはまず、人形座の芝居を観劇することが重要であったと思える。久
米惣一著『阿波と淡路の人形芝居』に記載されている『本木文書』と『松浦文庫』の写し
を参照し、阿波の中心部、つまり現在の徳島市の周辺における文化 5 年(1808)から安政
2 年(1855)までの芸能興行の記録の一部を辿ってみると、人形浄瑠璃芝居の記録を多数
見つけることができる。
「源之丞芝居」
「六之丞芝居」
「六太夫芝居」
「源太夫芝居」
「久太夫
芝居」等の名が連なるが、これらは淡路や阿波の人形座であろう。度々現れる苗字は同一
29
の座元における分派を表していると考えて差し支えない。上方の素人太夫の参加による浄
瑠璃芝居、子供浄瑠璃、淡路の人形座に音曲で参加していた上方のプロフェッショナルの
記録等もあり興味深い。淡路の人形座の芝居が多く、野掛けされた仮設小屋であることが
ほとんどだが、寺社の敷地内で行われることもあったようだ。これらのことから、阿波の
外の地域から様々な人形浄瑠璃が訪れ、それらが阿波の人々に受容されることによって、
阿波の文化的素養が豊かに集積された、と考えられる。また、そこには藩や豪農のパトロ
ネージも深く関わっていた。地域における金銭的余裕とその援助活動によってこのような
芸能環境が生成された、ということも重要である。
阿波のアマチュア人形座が創始されて地芝居を行うようになったのは天保年間
(1830-1843)より後であるとされるが、その時期は先の二つの著書―『本木文書』と『松浦
文庫』―で扱われている時期と重なる。阿波における人形浄瑠璃の導入は 18 世紀末より行
われたというが、それが阿波の地に広く浸透したのがこの時期であろう。それでも、地方
における芝居の上演回数は、常設小屋を持つ都会のものに比べると、巡業を招くという形
態により尐なくなると言わざるを得ない。それでも为要街道に接している中心部であれば
まだ機会を確保できそうだが、要路から離れた周縁部や山中の奥まったところにある村落
となるとその数は激減する。6、7 年に一度という事例もあったようだ〔42〕
。また、地方
の買い芝居は一日のみで終わる公演であったものが多い。村落の人々が独自に人形座を組
織した理由はここにあり、娯楽に触れる機会が尐ない状況を自ら芝居を演じることで解決
しようと努めた。淡路の人形座の存在や人形頭の製作等、義太夫節・三人遣いによる人形
浄瑠璃と深く関わる徳島藩に属する阿波において、他の地域では困難であった師の招聘や
道具の調達が容易であった。人形浄瑠璃が選択されたということは至極自然なことであっ
ただろう。
このようにして、阿波の人形座の活動はまず村落において始められた。天保の改革〔43〕
における風俗是正によって芝居興行の取り締まりが強化されていた時期であったが、人々
は巧みにその垣間をぬって芝居に興じていたようだ。上演場所は農村舞台であり、人形座
の結成と共に建設される場合が常であった。座と舞台が広範囲の地域に現れてその総数が
増えていくと、他地域の舞台への出張公演が行われるようになる。これは地域間の交流を
育むことに繋がるだろう。
『阿波の人形浄瑠璃』によると、平成 4 年(1992)の調査によっ
て把握された農村舞台の数は 308 棟、そのほとんどに太夫座や手摺が設置されていること
から、人形浄瑠璃芝居に特化したものが大半であったとされる。
近代より、阿波の人形座による営利目的の巡業活動が現れてきた。アマチュアの人々が
セミ・プロフェッショナルとして活動を行うようになった。幕府の終焉と明治政府の樹立
によって、芝居を行うための社会環境が著しく変化したことが大きい理由である。強固な
パトロネージを失った数々の人形座はその運営のために巡業を余儀なくされたのではない
か。しかしそれ以上に、明治期より人形浄瑠璃の人気が爆発し観劇の需要が高まったこと
が最も重要である。その頃の阿波における人形座の数は 60 座を超えていたようだ。その後
30
の推移については第1章で述べたとおりである。人気は徐々に衰退し、人形座の存続が危
ぶまれるほどになったが、太平洋戦争後には再興の動きが現れ、現在の興隆に至る。徳島
県下でアマチュア人形座または人形浄瑠璃に関係する団体の群立や地域間における相互の
コミュニケーション活動が発見できる。それは江戸時代において村落間で行われていた活
動が、徳島県下またはその地域外を含めた範囲に拡大させたものである、と考えることが
できないか。そして、徳島県や人形浄瑠璃振興団体による助成があってこそ、この活動を
推進することを可能とする。
地域コミュニケーション活動の事例─阿波の人形浄瑠璃の場合
現在の阿波の人形浄瑠璃における地域コミュニケーション活動にはどのようなものがあ
るのか。数々の事例が存在する中、私は「阿波人形浄瑠璃振興会に属する団体」
「徳島県立
阿波十朗兵衛屋敷」
「公演活動とその周辺」という三つの頄目を採り上げる。これらは伝統
芸能を用いた地域コミュニケーションにおける阿波の独自性を発見するために必要である。
そこには地域に根ざした直接的・間接的コミュニケーションの様々なかたちが豊かに育ま
れているように思う。
1.阿波人形浄瑠璃振興会に属する団体
人形浄瑠璃における「座」は、
「文楽座」や「淡路人形座」のように太夫・三味線弾き・
人形遣いの三業全てを含むことを通例とする。しかし阿波においては人形遣いのみで構成
されたグループのことを基本とする〔44〕
。阿波人形浄瑠璃振興会に所属している人形座は
14 団体、半数以上が都会である徳島市に拠点を置く。人形遣いの人数は長い歴史を持つ座
もあれば比較的新しいものもあり、その活動内容も多様である。それに対して郊外地域や
山村部の人形座の活動は総じて活発であるように見える。江戸時代からの伝統を持つ座は
4 団体であるが、そのうちの 3 団体は都会を離れた場所に位置している〔45〕
。これらの座
は上演可能演目の量において徳島市内のものよりも突出しているように見える。
太夫と三味線弾きによる団体のことを「太夫部屋」と呼んでおり、現在 4 団体が阿波人
形浄瑠璃振興会に属している。
「太夫座」と呼ばれることもあるが、上演舞台における下手
の部分と同じ名称であり混同しやすいので、ここでは「太夫部屋」で統一する。徳島市に
ある 3 つの部屋の名称には「友」の字が入っている。〔46〕、これは淡路の人間国宝である
太棹三味線弾きの鶴澤友路師の持つ「友」の字、またはその門弟である太夫または太棹三
味線弾きの芸名から取られたものである。第2章で述べたように、太棹三味線弾きは朱等
の楽譜を見ずに演奏するという様式を厳守するため、太夫の語る詞章や語り口を全て暗記
する必要があった。よって太棹三味線弾きは三味線の指導はもとより、義太夫節の指導も
可能であった。鶴澤友路師が長らくその役を担っており、阿波の人形浄瑠璃の発展に大き
く貢献したと考えられる。
人形座と太夫部屋の連携による芝居は阿波の人形浄瑠璃の活動において中核を成すが、
31
それらと間接的に関わる重要な団体が阿波人形浄瑠璃振興会に属している。教育機関に属
する人形浄瑠璃クラブの活動、そして「箱回し」を行う団体である。クラブ活動の指導は
人形座や太夫部屋の座員が担当することも多いようだ。また、クラブ活動の OB や OG に
よって結成された人形座もある〔47〕
。江戸時代から行われていた木偶廻しの芸は太平洋戦
争後に衰退し途絶えてしまったが、平成 7 年(1995)に「箱回し『三番叟・えびす舞』を
復活させる会」を発足させ、芸の再興のための活動を始めた。現在は「阿波木偶箱回しを
復活する会」と名を改めている。伝統を掘り起こすことによって地域の芸能文化がより豊
かに花開くことになった。ここまで述べてきた団体それぞれが多数の技芸員を持ち、コミ
ュニティを形成している。芸の研鑽に力を注ぐことはもちろん、団体内で交流を暖めてい
ることは言うまでもない。ちなみに、徳島で人形頭を製作するプロフェッショナルの人形
師も振興会に名を連ねている。その中には能勢の人形浄瑠璃で使用される人形頭を担当す
る甘利洋一郎(人形洋)氏がいる。彼等と阿波の人形座との関係は非常に密接なものであ
る。
このように、人形浄瑠璃に関係する多様な団体が徳島県下の各地に点在しており、それ
ぞれが独自に活動を行うと共に、それぞれが自由に、または全体が結びついてイベントを
開催している。様々なコミュニティが交わる場となることは想像に易い。そしてそれは地
域間のコミュニケーションとして捉えることも可能である。その中でも私は、年中を通し
て行われる公演活動におけるコミュニケーションの事例が特に重要であると考える。人形
浄瑠璃関係者同士の交流はもちろん、それは観劇者や地域または地域外の人々を巻き込ん
だダイナミックな交流を促す構造を有しているように思える。人形芝居を行うための舞台
の量と質が充実していることもここに加えておきたい。
2.徳島県立阿波十朗兵衛屋敷
徳島市の中心部から北東に位置する場所に「徳島県立阿波十朗兵衛屋敷」がある。人形
浄瑠璃における最も有名な演目の一つである「傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)
」の
モデルとなった坂東十郎兵衛の屋敷跡に建てられたこの施設には、
「人形浄瑠璃上演館」と
いう人形浄瑠璃芝居専用の舞台がある。
施設内には人形の展示場も設けられている。また、
この施設の徒歩圏内に人形師・多田健二氏が運営する「阿波木偶人形会館」があり、人形
頭や人形頭に関する資料が展示されている。この界隈を訪れることによって、阿波の人形
浄瑠璃の用意する様々な機会に幅広く触れることが可能である。
人形浄瑠璃上演館では毎日芝居が上演されており、来館者が観劇できる状態にある。上
演される演目は「傾城阿波鳴門」のみである〔48〕
。平時は 2 公演であるがお盆や催事の時
ではこの限りではない。出演団体は先述した阿波人形浄瑠璃振興会所属の人形座と太夫部
屋である。人形座は毎日、太夫座は土・日・祝の出演となる。平日の上演における音曲は
録音を使用するようだ。徳島県立阿波十朗兵衛屋敷のホームページに掲載されている平成
24 年(2012)9 月~10 月の月間出演表を参照すると、人形座からは 11 団体、太夫部屋か
32
らは 4 団体全てが参加しており、土・日・祝の上演における人形と音曲の組み合わせは固
定されておらず総当りの様相を呈している。それぞれの人形座や太夫部屋が、
連携する様々
な団体と定期的に顔を合わせて芝居を共に作り上げる仕組みが用意されている、と言うこ
とができるだろう。また、一年を通して頻繁に行われる催事においては多数の団体が人形
浄瑠璃上演館に集い、項に舞台に上がる。これは毎日行われている 2 公演の前後や合間に、
「傾城阿波鳴門」以外の演目の上演、子供や学生のクラブ活動による人形浄瑠璃や素浄瑠
璃の発表、人形操りの体験等、様々なプログラムを差し込むことで成立させている。年に
数回行われる「阿波十朗兵衛人形浄瑠璃まつり」においては「阿波木偶人形を復活させる
会」によるえびす舞や三番叟の上演や人形師による人形頭製作の実演なども加わる。平成
24 年(2012)は徳島において国民文化祭が開催されたこともあり、毎年定期的に行われる
既存の催事とは別に特別企画公演が加えられている。
これらを俯瞰した上で考えられることは、徳島県立阿波十朗兵衛屋敷が、阿波の人形浄
瑠璃を中心に置いたコミュニティスペースとして機能しており、そこには安定したコミュ
ニケーション活動を生むための構造が存在している、ということである。阿波の人形浄瑠
璃に関わる団体または個人がその場に集い、毎日の人形浄瑠璃上演館における上演活動は
もとより観劇や批評活動等を通した交流が行われていると想像できる。催事が多いことに
より諸団体がこの場所に集結する機会が頻繁にあるということも、その多様な交流を後押
ししているだろう。また、これらの活動が秘められることなく一般に公開されており、誰
でもその交流の場に参加することが可能である。その場で初めて阿波の人形浄瑠璃に触れ
た地域または地域外の人も尐なくはないだろう。ここで得た機会から人形浄瑠璃への興味
が生まれた、または執心したという人もいるに違いない。観劇料を含む入館料が安価であ
り(大人 400 円)
、場の参加への敷居を下げていることも、その芸能に気楽に触れてもらう
ためには重要であろう。もちろん、行政や振興会の助成があってこそ、その金額設定を可
能とさせる。
これらにより、阿波の人形浄瑠璃におけるコミュニケーション活動において、徳島県立
阿波十朗兵衛屋敷の存在がいかに重要であったかということが理解できる。先に書いたよ
うに、この施設は阿波の人形浄瑠璃の魅力を発信する拠点であり、人形芝居を上演できる
常設小屋であり、阿波の人形浄瑠璃に関わる人々が集うコミュニティスペースでもある。
そこには外側へ発するコミュニケーションや内側で熟成されるコミュニケーションが様々
な形で存在している。阿波の人形浄瑠璃に関係する団体の人々を中心に、そしてその他の
人々を含めて、柔軟に拡大するコミュニティを形成させるべく、この施設において毎日の
人形浄瑠璃の活動を行っている、と言うことはできないか。アマチュアの人々の熱意があ
ってこそ、この活動を継続させることが可能である。このことが阿波の人形浄瑠璃文化の
振興にも大きく寄与していることは言うまでもない。
33
3.公演活動とその周辺
阿波の人形浄瑠璃の公演は徳島県立阿波十朗兵衛屋敷において毎日行われているが、そ
の他に劇場、野掛け、農村舞台等でも随時開催されている。徳島県の中心部の劇場で行わ
れる大規模な催しとしては平成 24 年(2012)までに 15 回の開催を重ねる「阿波人形浄瑠
璃フェスティバル」がある。徳島県下の団体が一箇所に集い、2 日間をかけて人形浄瑠璃
芝居を上演する。ここで行われる団体間の交流は徳島県立阿波十朗兵衛屋敷における催事
と大きく異なることはないが、大きな劇場での公演によってよりたくさんの人に阿波の人
形浄瑠璃の魅力を伝えることができるだろう。他には、徳島県外に存在する人形芝居団体
との交流のための事業である。平成 24 年(2012)10 月には徳島県が为催する「全国人形
芝居フェスティバル」が開催され、全国の様々な人形芝居団体を徳島に招き入れ、人形劇
の上演・講演・討論会等が行われた。これは平成 21 年(2009)に徳島で行われた「第 12
回全国人形芝居サミット・フェスティバル」に続くものであるが、これは平成 5 年(1997)
に淡路で起こり、第 11 回まで淡路で続けられていたものである。
「全国人形芝居フェステ
ィバル」は、先例の影響を受けつつ、徳島独自の交流事業として新たに企画されたもので
はないだろうか。徳島城の敷地内で行われる野掛けの人形浄瑠璃公演は平成 15 年(2003)
の第1回より毎年恒例の行事となっている。農村舞台の様式を踏襲したものを仮設する。
既に廃れた野掛けの伝統を今の時代に蘇らせることが目的であろうか。先述の木偶回しの
復活と同様に、過去の価値を掘り起こすことでその地の文化的土壌をより豊かにすること
に役立っている。山間部に存在する県下 9 棟の農村舞台において、現在のようにたくさん
の芝居を観ることができるようになったのは最近の話である。建設された時から改築・修
繕等を施して現在までその姿を継承しているのは明治 6 年(1873)の犬養農村舞台と寛政
3 年(1791)坂州農村舞台の 2 棟のみで、他のものは既に風化し朽ち果てた状態のものを
平成の時代に入ってから復活させた。これらの舞台における出演団体は様々である。平成
24 年(2012)度の公演内容を参照すると、阿波の人形浄瑠璃団体はもとより、地域住民の
団体や各地から集った多様なジャンルの音楽団体や芝居団体の参加が顕著であり、ここで
は人形浄瑠璃文化を中心にしつつもその垣根を越えた広範囲の芸能の交流が生み出されて
いる。それに加えて、これらの公演会場ではその地域で獲れる農産物の販売等も頻繁に行
われているようだ。インターネット上で掲載される公演案内情報はもとより、フライヤー
等の印刷物にもその旨が記載されている。農村舞台の公演活動をもって地域の振興を図ろ
うとする意思が伺える。平成 22 年(2010)11 月 3 日(祝)に犬養農村舞台を訪れた際、
神社入口付近において地元住民が地産のすだちやこんにゃくを販売しており、来訪者がそ
の売り場に集まっているのを目にした。公演終了後に私は売り場に赴き話を伺ったが、準
備した農産品はほぼ完売したということであった。ちなみに私もその農産物を購入したが、
総じて手頃な価格でありながらも極めて上質であったことをここに加えておきたい。
このことは、個人または団体がそれぞれ固有の価値を携えて農村舞台を中心にした祝祭
環境に参加し、交流空間の積極的な創造を行っているということが言える。もちろんこれ
34
は農村舞台の事例に限ることではない。先述の劇場や野掛けの公演においても同様の様相
を見ることができるに違いない。重要なことは、徳島には阿波の人形浄瑠璃という、地域
の人々によって過去から現在まで愛情を注がれ熟成されていった豊かな芸能文化が安定感
をもって存在しており、地域内外の人々がそれに安心して関わることを中心に置きつつも、
その周辺にある様々な価値が人形浄瑠璃を中心とする環境が醸し出す雰囲気も手伝ってよ
り豊かなものへと変質し、人々に快の感情をもって受け入れられ、その結果として様々な
直接的・間接的コミュニケーションが無意識のうちに交わされている、ということである。
阿波の人形浄瑠璃の公演環境は多種多様な交流を自然と誘発する構造を持つ空間である、
とも言えるかもしれない。もちろんそれを成立させるためには、人形浄瑠璃の催事はもと
より広報や研鑽等の活動をサポートするための磐石の体制が敷かれていなければならない
が、行政や振興会等の助成や関係者の自助努力によってそれは十分に成されていると考え
られる。徳島には人形浄瑠璃の伝統とは別に、阿波藍、阿波踊り、ルードウィヒ・ヴァン・
ベートーヴェン Ludwig van Beethoven 作曲《交響曲第九番“合唱付”》日本初演の地と
いう、その地に深く根付いた文化が他にもあり、それぞれにおいて愛好家コミュニティが
多数存在している。徳島が文化的に非常に豊かな地であるということは疑いなく、また、
多様な文化に対して寛容な土地柄であるとも思える。その上で、文化的な地に住む人々の
持つ郷土愛というものは極めて強いのではないか、と考える。近年、全国各地の地域振興
において重要視されているものの一つとして文化活動が取り上げられているが、徳島はそ
れを比較的容易に行い、確実な成果を出せる地域として位置づけられるのではないか。し
かしその郷土愛というものは最近育まれたものであろうか。江戸時代に徳島藩として阿波
と淡路を治めた蜂須賀氏による、藍を扱って得ることになった経済の安定と人形浄瑠璃の
手厚い庇護奨励によって得られた平和で文化的な生活環境によって既に郷土愛は芽生えて
おり、今では徳島に住む人々の素地として自然と備わっているものなのかもしれない。
第4章 能勢の人形浄瑠璃における地域コミュニケーション活動
地域の特性と浄瑠璃の効用
大阪府豊能郡能勢町は大阪府の最北端に位置しており、複数の独立した集落によって構
成された町である。大阪市を中心とする都会部とその周縁部または郊外が隔たりを持たず
に連続して存在する大阪平野には属しておらず、山に囲まれ田園風景の広がる閑静な環境
がある。能勢町の中央には縦に峠が並び、これらを境目にして東地区と西地区に分かれて
いる〔49〕
。行政や商業の施設は西地区に集合するが、豊能警察署は東地区の单部、豊能町
に隣接する場所にある。都会部と結ぶ公共交通機関は現在のところ川西市にある能勢電鉄
山下駅と豊能町にある能勢電鉄妙見口駅に発着する路線バスのみに限られ、それぞれが東
地区と西地区に特化して運行される。東地区と西地区を繋ぐ路線バスももちろん存在する
35
が、総じて本数は尐ない。能勢町中心部から梅田等の大阪市北部までの移動時間は電車と
バスの乗り換えを含めて約1時間半であり、アクセスが良いとは言えないだろう。今では
町内外の移動は自家用車やバイクの使用が为であり、東西を自由に行き来することは比較
的容易である。しかし自家用車やバイクが広く使用されていなかった過去はどうだったの
だろうか。自ずと行動範囲が狭まり、それぞれの地域コミュニティが相互のコミュニケー
ションを図る機会を今ほど持ちにくかったのではないか、と考える。東地区と西地区によ
るコミュニケーションは一際難しかったのかもしれない。
そこで能勢の浄瑠璃の「おやじ制」による活動が、距離の離れた地域コミュニティ間の
円滑な交流に積極的に関与した。江戸時代後期より、能勢の浄瑠璃における文太夫・井筒
太夫・中美太夫の三派がそれぞれ西地区とその隣接地域である猪名川町に拠点を置いた。
能勢には多数の太夫または浄瑠璃愛好家が存在していたという事実から、それらのほぼ全
域において浄瑠璃によるネットワークが繋がれていたと想像する。東地区については、平
成の時代における東寿太夫派の誕生まで「おやじ制」のような組織がなく、よって太夫も
存在していなかったが、それでも浄瑠璃の愛好家はたくさんいたようである。太平洋戦争
後、浄瑠璃の稽古のために西地区までの遠い道程を自転車で足しげく通っていた、という
話もあるようだ〔50〕
。
「おやじ制」がもたらすコミュニケーション活動は現在の能勢に根
付いている。
「能勢人形浄瑠璃鹿角座」の太夫はもちろんのこと、三味線弾きや「伝統文化
の黒衣隊」
〔51〕の関係者、そして後援団体等、浄瑠璃芸能に深く関わっているが太夫とし
て活動をしない人々も、
「おやじ制」の中で一度は義太夫節の稽古を行った、という事例を
多数発見できる。現在浄瑠璃に全く関わっていなくても、過去に浄瑠璃を稽古した経験が
あるのか、一節を気軽に諳んじることができる人が結構いるのではないか。
もう一つ、能勢における浄瑠璃の幅広い浸透に寄与したものとして「浄るり音頭」があ
る。
『能勢の浄瑠璃史』を参照すると、
【能勢地域では「法会」と呼ばれる盆踊りの際に、最も盛んに踊られたのが、浄るり
音頭である。浄るり音頭は『能勢町史』五巻の記述を借りれば「浄瑠璃本そのまま
の文句を、音頭調の節で語ったもので、河内音頭のような鳴り物はなく、節の変化
もあまり著しくない」というもの。
】
とある。これは能勢特有のものではなく丹波地方から北摂地方にかけて広まったもので、
福知山や但馬といった西の地域からこの地に伝わってきたらしい。過去には各地域におい
て盆祭りが頻繁に催されており
〔52〕
、
その場で歌われるものは総じて浄るり音頭であった。
夏の風物詩としての浄るり音頭がそこに存在しており、生活の中に根深く存在していたと
考えられる。しかし法会の自然消滅や盆踊りの学区ごとの統合等によって盆踊りそのもの
が著しく減尐し、今では「能勢浄るり音頭祭り」のみが残ることとなった。昭和 47 年(1972)
に第 1 回が開催され、今日までに 41 回を重ねている。それは現在、8 月の最終土曜日に行
36
われる能勢町商工会为催の夏祭り「よっほいせ」に、共同開催という形で組み込まれてい
る。浄るり音頭が能勢町内で公に発表されるのは年間を通してこの一日のみかもしれない
が、それでも、地域の人々が一斉に集うハレの場においてこれが歌われることは、郷土芸
能としての浄瑠璃を馴染み易い旋律を借りて地域内の人々に広くアピールできるという理
由により、とても重要であると考える。浄瑠璃の詞章が無意識のうちに郷土の記憶として
刻み込まれ、能勢町に住む人々の中で共有されることになるだろう。過去に浄るり音頭が
盛況した時期と今とは状況が著しく違えども、その活動が地域の人々を繋ぐための一つの
大きな要因となるだろうと想像する。
地域コミュニケーション活動の事例―能勢の人形浄瑠璃の場合
能勢の人形浄瑠璃による地域コミュニケーション活動を探るべく、「座員のコミュニテ
ィ」
「人形浄瑠璃と地域の様々な価値が併置された空間の創造」という二つの頄目を採り上
げて検証する。新しく創設された人形浄瑠璃の活動は能勢に既に根付いている浄瑠璃コミ
ュニティとは異なる新たな浄瑠璃コミュニティを生み出す結果となり、地域内におけるコ
ミュニティの増加とその多層化を促すきっかけを与えた。また人形浄瑠璃は他団体との交
流を促す装置としても機能している。様々な人や価値が集合することで立ち現れる能勢の
魅力の中核として位置づけることができるだろう。
1.座員のコミュニティ
能勢の人形浄瑠璃はその地に 200 年間伝承されてきた素浄瑠璃に新たに人形と囃子を加
えることで成立したことは既に述べた。能勢の地における人形の導入のための素地が既に
あったように感じる。能勢には長らく人形は存在していなかったが、他地域の人形を招い
て公演を行っていた。それが活発に行われるようになったのは昭和 24 年(1949)より後、
つまり太平洋戦争終結後である〔53〕
。多くて年に一度の開催、尐なくても数年に一度は合
同公演を行っていた。昭和 52 年(1977)にその活動は停滞したが、しかし平成 5 年(1993)
に淨るりシアター〔54〕が開館してからは阿波の勝浦座とのジョイント公演を中心に、合
同公演が復活する。勝浦座との公演は平成 10 年(1998)に「ザ・能勢人形浄瑠璃」のデビ
ューの後も続けられている。
人形浄瑠璃鑑賞の歴史が長く存在していた能勢の地において、
人形の導入に関して、地域の人々の抵抗や批判はあまりなかったのではないかと想像する。
それに対して囃子の導入は全く新しい試みであった。他地域の人形浄瑠璃において、専業
としての囃子を発見することは難しい〔55〕
。このことは「能勢の人形浄瑠璃における創造
性①」で述べた。
人形・囃子は公募により編成された。能勢町やその周辺地域に住む人々が中核を担う。
ワークショップが開始される前から人形浄瑠璃の技芸を嗜んでいた人は極めて尐ないだろ
うと感じる。しかし文楽座の技芸員による指導と座員の熱心な稽古によって芸は上達し、
今では「鹿角座」の座員として 10 を超える演目を演じることができるようになった。同時
37
期に三味線弾きも公募された。能勢町には 200 人を超える太夫が存在していたが、三味線
弾きはその数が極めて尐なかった。
『能勢の浄瑠璃史』によると、能勢に人形浄瑠璃が創始
される直前まで、能勢町に住む三味線弾きは一人であったらしい。よって人形浄瑠璃に出
演する三味線弾きを募集し、育てることが急務であった〔56〕。人形や囃子と同じく、ワー
クショップに参加するまで太棹三味線に触れたことがなかった、という人ばかりであった。
能勢町に人形浄瑠璃が創始されるにあたり、様々な地域の人々が多数集うことになった。
当初、太夫を除く三業においては技芸の習得の開始が皆同じであった。師匠の稽古は非常
に厳しかった、という話を座員から聞くことが多い。しかしワークショップ参加者同士に
おいては、先輩・後輩といった序列がなく、比較的穏やかな雰囲気で稽古が進み、交流が
図られたのではないかと考えられる。特に人形遣いの人々によるコミュニティを見るとそ
のことが如実に現れている。人形遣いは現在約 30 人在籍しているが、そのほとんどが中年
の女性であること、創始時のメンバーが現在もたくさん残っていること等が大きな理由で
あるかもしれない。質の向上のための芸の研鑽を怠らず常日頃から稽古を続けていること
はもちろんのこと、しかしそれとは別に、淨るりシアター内の稽古場をコミュニケーショ
ンスペースとして扱い、それぞれが異なった業種を持ち、異なった日常を過ごす人々がそ
の場に集って会話を交わす場として機能させているように感じる。他の三業においてもそ
れは見受けられるが、舞台上や舞台裏において、個人技はもとより共同作業をなおさら必
要とする人形遣いのグループにおいては、その傾向が一際強い。人形浄瑠璃を中心に置き
ながら、その周辺で様々な交流活動が行われている、ということが言えるだろう。四業の
合同練習や床合わせにおいても、人形遣いの方々によるコミュニティの雰囲気は総じて柔
らかい。
淨るりシアター館長・松田正弘氏は「鹿角座」の座員の入出について「去る者追わず・
来る者拒まず」という立場を貫いている。ここで言う“来る者”とは、事情により一度去
った後、再び戻ってくる人のことも含めている、と松田氏は話す。能勢の人形浄瑠璃はそ
の所属において契約等の束縛がなく、基本的に出入りが自由であると理解する。それでも
現在の「鹿角座」には人形はもとより他の三業においても創始時のワークショップ参加者
が多数籍を残しており、能勢の人形浄瑠璃の中核を担っている。このことは、人形浄瑠璃
を演じ楽しむという稽古事としての側面はもちろんのこと、座員同士やその周りを含めた
コミュニティで行われる交流活動としての側面が大きな魅力として存在している、と考え
ることができるかもしれない。日本全国において、過去に形成された豊かな有志コミュニ
ティの解体が進行し、個人が徐々に孤立していく傾向にある今、アマチュア集団による芸
能活動は“新たなコミュニティ”を生み出して人々が繋がっていくためのツールとして至
極有益であると思うが、
「鹿角座」の座員、特に人形遣いの人々を眺めると、まさにその状
態を生み出し、育てていると感じられる。
「鹿角座」は能勢町に根ざした人形浄瑠璃団体で
あり、地域の人々が中心となって活動していることは既に述べた。よって、“新たなコミ
ュニティ”は“能勢町における新たな地域コミュニティ”と読み替えることが可能ではな
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いか。能勢町を豊かにするための活動に「鹿角座」が大きく関与していることは間違いな
い。
2.人形浄瑠璃と地域の様々な価値が併置された空間の創造
「鹿角座」において最も重要な催しは毎年 6 月に淨るりシアターで行われる本公演「能
勢人形浄瑠璃鹿角座公演」であり、座員の芸を披露するための大きな舞台となる。同内容
による 2 日間の公演が準備される〔57〕
。平成 21 年(2009)までは月間内の土曜日を 2 日
間選択していたが、平成 22 年(2010)からは土日連続の公演となった。毎回、満員御礼と
なるほどの人気ぶりが伺える。全ての座員はこの公演のために 1 年をかけて準備を行って
いると言えるだろう。ここで着目したいのは、公演の周辺において能勢に関わる様々な団
体が活動していることである。それらは地域の案内や物品販売等が为であり、ロビーや小
ホールで行われる。平成 24 年(2012)6 月の公演の様子を眺めてみると、合計 7 箇所のブ
ースが置かれていたようだ。
ホールの正門を入ると左右に木枠で囲まれたブースが見える。
左側は「淨るりシアター・オリジナルグッズ」の販売場所、右側は「能勢町観光案内所」
であった。奥には抹茶や茶菓子を楽しむための茶屋が設置されており、能勢町で茶道を嗜
むグループによって運営されていた。小ホール正面入口を入ってすぐ左には「能勢人形浄
瑠璃実行委員会」
、すぐ右には「能勢町観光物産センター」のブースがあり、地域で生産さ
れる農産物や農産加工物等が販売されていた。左奥には「伝統文化の黒衣隊」があり、人
形浄瑠璃上演のために必要な道具や新たに考案された能勢の浄瑠璃に関する商品を販売し
ていた。右奥には「豊能防犯協議会」があり、
「鹿角座あんしん隊」と書かれたのぼりが立
ち、防犯を謳った襷を架けた男女の人形が置かれていた。能勢町の各地に存在する多種の
団体が人形浄瑠璃公演の際に淨るりシアターに集まり、芝居公演の合間において積極的に
能勢町の魅力を発進する。これらは人形浄瑠璃公演そのものに付随する豊かな付加価値で
あり、芝居そのものにも良い印象を与えることとなるだろう。本公演には地域の人々はも
ちろん、遠方の人々も会場へ駆けつける。能勢の人形浄瑠璃の魅力はもとより、能勢町そ
のものの魅力もたくさん伝えたいという能勢の人々の強い思いがそこには存在しているの
だろう。人形浄瑠璃と能勢町を形作る様々な価値を盛り込んで混ぜ合わせた豊かな祝祭空
間としての淨るりシアターに人々を招き入れ、その膨らんだ魅力を全身に纏わせた上で帰
途について頂く。このことは能勢との縁をそれほど有していない人々と能勢町とのコミュ
ニケーションを繋ぐための手法として、非常に有効であると思える。
本公演に加えてもう一つ重要な催しとして、近年定着した神社公演がある。これは文化
庁の補助事業として平成 20 年(2008)から 3 ヵ年計画で始められたものであり、毎年 9
月に計 2 回の公演を、能勢町の各地域に点在する神社において行ってきた。
「能勢郷土芸能
保存会」との共催であることも重要であり、双方の交流が盛んに行われる。補助事業が終
了した平成 23 年(2011)以後も、回数を 1 回に減らしながらも内容豊かな公演を継続して
いる。公演場所は能勢町役場に程近い久佐々神社に落ち着いたように思える。敷地内に農
39
村舞台を持つことが大きな理由であろう。この公演にも地域内外からたくさんの観客が集
まり、能勢の郷土芸能を楽しんでいる姿が伺える。平成 24 年(2012)9 月の公演では能勢
町商工会青年部が公演の周辺における活動を担当し、その内容は先に述べた物品に加えて、
飲食物の販売も行っていた。
地域内の様々な場所においても人形浄瑠璃の広報活動が頻繁に行われている。京都府綾
部市と大阪府池田市を結ぶ为幹道路である国道 173 号線に接した「能勢町観光物産センタ
ー」に立ち寄る人は数多い。この施設では地域の農産物や工芸品等を取り扱っているが、
施設内の休憩スペースには能勢の浄瑠璃を紹介するための展示スペースが設置されている。
その場所において人形浄瑠璃が随時行われているようだ〔58〕
。これらの活動は能勢の人形
浄瑠璃を地域内外にアピールし、様々なコミュニケーションを新たに生み出すための絶好
の機会であると言えるだろう。また人形浄瑠璃への興味を導入として扱い、その芸能が属
する能勢における芸能以外の分野への興味付けを人々へ施していくことにもなるだろう。
出張公演は現在においても地域内外で盛んに行われており、赴く先は劇場・大学を含む教
育機関・行政施設・商業施設等である。平成 24 年(2012)11 月には大阪音楽大学音楽博
物館の展示室内で公演が行われた。その他、講演活動やワークショップの開催も多い。ち
なみに上記の全ての活動において、能勢の行政や後援団体における協力や助成が行われて
いることをここに加えておきたい。特に行政においての取り組みは重要である。能勢町を
「浄瑠璃の里」と位置づけ、地域に付加させる重要なイメージとして戦略的に扱っている
こと、浄瑠璃文化の振興のために高額の予算を割り当てていること等が挙げられる。
これらのことから、近年創始された新しい芸能である能勢の人形浄瑠璃を地域に定着さ
せ、地域を繋ぐための重要なツールとして機能するように努め、そして年間を通して、人
形浄瑠璃と地域の様々な価値を併置させて魅力を高めることによって創出される空間をも
って、地域内外にその魅力を発信し、多様なコミュニケーションを図っている、と考えら
れるだろう。人形浄瑠璃における質や魅力の向上とその広範囲への紹介は能勢における地
域振興への貢献に直結しており、それは能勢に豊かさをもたらす活動として重要である。
おわりに
私はこの論考において、地方の郷土芸能としての淡路・阿波の人形浄瑠璃の概要、都会
の遊芸として活きていた義太夫節と太棹三味線、そしてアマチュアによって行われている
阿波の人形浄瑠璃におけるコミュニケーション活動の古今の状況を紐解きつつ、能勢の人
形浄瑠璃におけるコミュニケーション活動を検証した。それぞれの地域において個性的で
豊かな浄瑠璃芸能活動があったこと、その芸能をアマチュアが受け入れ遊芸として嗜むた
めの文化的土壌がそれぞれの地域特有の事情によって既に育まれていたこと、そしてその
アマチュアの活動が様々なコミュニケーションを生み出していたこと等が分かった。この
40
頄では総括として、
「能勢の人形浄瑠璃における創造性①」の最後に述べた「地域全体の魅
力化」を行うための能勢の地域の文化環境や資質を探りたい。第3章で述べた阿波のアマ
チュア活動の事例との比較を中心とする。
まず、人形浄瑠璃芸能を支える母体として重要な地域範囲である徳島県と能勢町の地理
と人口を見てみたい。阿波の人形浄瑠璃が行われている徳島県が複数の市町村で構成され
た広域地方自治体であることは言うまでもない。それに対して能勢は一つの行政町であり、
面積における規模は徳島県と比べると著しく小さい。人口においては徳島の約 78 万人に対
して能勢町は約 1 万人であり、ここにも大きな隔たりがある。次にそれぞれの地域におい
て助成される振興事業費を検証する。平成 23 年(2011)度の予算の概算を参照すると、徳
島県では約 5500 万円〔59〕
、能勢町では約 1560 万円〔60〕が割り当てられている。額面を
見ると徳島のものは能勢の約 3.5 倍である。しかしそれらが使用される地域の規模を見る
と、能勢の人形浄瑠璃に対する助成がいかに大きいものであるかが分かる。最後に、それ
ぞれの地域における人形浄瑠璃関係団体の数・活動内容・活動範囲等を比較する。第3章
で述べたとおり、徳島県には人形座や太夫部屋等、人形浄瑠璃の上演に携わる団体の数は
20 を超え、それらは拠点を置く徳島県下の各地の市町村に、またはそれらより細かく分け
られた集落や地区に根ざしている。しかしそれらの活動の場は徳島県全域であると言える。
三業の揃った人形浄瑠璃団体がほぼ皆無であり公演の度に二つ以上の団体が連携すること、
それらの団体が所属する阿波人形浄瑠璃振興会の活動範囲が徳島県全域を対象としている
こと、拠点に劇場を持つ団体が尐ないこと等が理由である。つまり、阿波の人形浄瑠璃は
基本、狭義における活動拠点としての地元を離れて公演を行うことを为とし、それは“広
大な範囲”である徳島県全域に発信することを目的とし、そして徳島県全域の交流と文化
的発展のために寄与される、と考えることができるだろう。能勢町にある人形浄瑠璃団体
は「鹿角座」ただ一つである。しかしそれは四業を有しており、道具や人員を常時確保し
ている。そして拠点に建てられた常設小屋としての淨るりシアターを常時活用している。
「鹿角座」は地域外のアウトリーチ活動や出張公演を行いつつも、地域内の活動を中核と
しているように見える。近年、能勢の人形浄瑠璃は地域外の報道機関からの取材を数多く
受けているが、それが地域密着型の芸能であるという立場を決して崩していない。町とい
う一つの“狭小な範囲”をより豊かにさせるための活動であることに徹している。
人形浄瑠璃芸能から生まれるコミュニケーション活動をもって地域全体をより魅力的な
ものにさせるために、徳島県と能勢町の両方がそれぞれ独自のアイデアを実行しているこ
とは言うまでもない。私はその上で、郷土芸能を伝播させる対象としての地域や人々の規
模の差に、能勢の独自性を生み出す原因があると考える。徳島県における人形浄瑠璃の影
響は広域に拡散され、能勢町における人形浄瑠璃の影響は狭域に凝縮される、というイメ
ージを持つ。
徳島については、その地域を代表する芸能が人形浄瑠璃以外に阿波踊り等の他の芸能も
含まれていることも重要であろう。このことは第4章で述べたとおりである。数々の豊か
41
な芸能が併置されつつ育まれていることはまことに素晴らしいことである。しかし徳島県
全体を強固に繋ぐツールとして人形浄瑠璃を扱う場合には、その効力がいささか弱まって
しまうかもしれない。徳島県には多種の郷土芸能が独自に活動を行い、それぞれに属する
多数のコミュニティが生み出された上で、芸能全般を包括する緩やかに結びついた地域コ
ミュニケーションが自然発生的に存在していると想像する。阿波の人形浄瑠璃は徳島県下
のコミュニケーションを生み出すために必要な芸能活動全体の一部分を担っている、と考
えられる。それに対して能勢町では行政の協力のもとで数年前より、人形浄瑠璃を地域を
代表する第一の郷土芸能として位置づけ、大々的に広報を行っている。歴史ある素浄瑠璃
や「浄るり音頭」の伝統を引き継いで生み出されたとはいえ、創始から今まで 14 年しか経
過していない、いわば新興の芸能である。それを敢えて郷土芸能として力強く発信するこ
とに、私は能勢町の地域振興における積極的態度を発見する。現在、能勢町=人形浄瑠璃
というイメージ戦略が功を奏し、能勢の人形浄瑠璃が地域外から様々な注目を得るように
なった。人形浄瑠璃の創設と共に新たな地域コミュニケーションが生み出されていったこ
とは第4章で述べたとおりである。様々な分野において確実な成果を得ているように思え
る。私は、能勢町の規模の小ささがこれらを実現し得た大きな理由の一つであると言いた
い。面積が狭く人口が尐ないということは、芸能活動の情報や実態が即座に能勢町全域に
行き届き、また、芸能団体側は地域の人々の反応や要望をすぐに受け取ることができる、
ということである。拠点外での活動を为とする徳島県の事例とは異なり、人形浄瑠璃と拠
点地域が強く結びついている。現在、能勢町において「鹿角座」を知らない人はいないだ
ろう。江戸時代から浄瑠璃文化が浸透し、昭和の時代には地域外から人形を招いて人形浄
瑠璃を行っていた能勢の地において、人形浄瑠璃の創設に否を唱える人は尐なかったので
はないか。そして、人形浄瑠璃をもって地域振興を行う態度に対しても、地域の人々は好
感を持って受け入れているのではないか。1560 万円の平成 23 年(2011)度芸能振興予算
には町民の税金負担も含まれているが、それが認められているということは、地域の人々
の芸能への理解が進んでいるということに繋がるだろう。能勢町における約 1 万人の町民
の総意を得ることは、
徳島県における約 78 万人の総意を得ることに比べると難しくないと
考える。素浄瑠璃等の先行芸能への愛着は江戸時代から長い時間をかけて育まれてきた。
人形浄瑠璃への愛着も同じように、創始当初から今に至るまでの 14 年の間にゆっくり確実
に育まれてきたようだ。よって現在、地域の人々が協力の姿勢を見せる人形浄瑠璃が、つ
まり本当の意味での“地域を代表する芸能”が能勢町のシンボルとして掲げられている、
と言えるだろう。そしてそれが行政町というコンパクトな地方公共団体において、
「地域の
魅力化」の推進のために大きな力を効果的に発揮しているに違いない。能勢町を「浄瑠璃
の里」と呼ぶ所以がここにあり、地域の人々はそのキャッチフレーズとその中身を受け入
れ、共有している。能勢町は現在、人形浄瑠璃を中心に置いた、穏やかなコミュニティが
形成されていると考えることはできないか。それは淨るりシアター館長・松田正弘氏が民
俗芸能調査のために滞在したインドネシア・バリ島における、島内の各村落に存在する民
42
俗音楽による豊かな地域コミュニティ形成への効用に、非常に似通った部分があるのでは
ないか。松田氏は以前、
「バリ島の芸能の一つであるケチャはドイツ人の画家であるヴァル
ター・シュピース Walter Spies が創造した。私は能勢町のヴァルター・シュピースにな
りたい。
」という内容のことを話していた。松田氏は能勢における人形浄瑠璃の創造によっ
て、その実現を試みているのではないだろうか。
私はここに、日本における地域振興の新しい姿を見たように思う。“コンパクトなコミ
ュニティ”に所属する全ての人々に対して、その中心にある“何か”の求心力に意識を向
けさせ、またはその活動への参加を促し、そこから生まれる新しいコミュニケーションを
もって人々を幅広く繋いでいく。そこから様々な個性の邂逅によって様々なアイデアが生
まれ、初期の“コンパクトなコミュニティ”がより魅力的になるような、ダイナミックな
創造的活動が現れる。その循環によって、“コンパクトなコミュニティ”は常に魅力を刷
新していく。その“何か”が“地域に由来するアマチュア芸能活動”であれば、同郷意識
を高めることにもなり、より望ましい結果を生み出すことができるのではないか。遊芸、
そして阿波や能勢人形浄瑠璃の事例におけるコミュニケーション活動の効用が、私をその
ように考えさせるのである。ちなみにこのことは“コンパクトなコミュニティ”であるか
ら実現可能である。コミュニティの規模が大きくなると、“何か”の求心力を全域に発揮
できず、コミュニティ内の中心部と周縁部で意識の濃淡が生まれてしまう。均一にコミュ
ニケーション活動を働きかけることが難しく、それは既存の同属意識を分割してしまうか
もしれない。
“コンパクト”であることが重要である、ということを私はここで強調してお
きたい。
私は「能勢の人形浄瑠璃における創造性①」の「おわりに」の頄において、
【能勢町は、地域に根ざしたコミュニティーによって行われる芸能の創造を目指すこと
で、その地域全体をより魅力的なものにさせよう、という姿勢を持っているのではな
いか―中略─能勢にも豊かな芸能を育み、地域の人々の生活を豊かにしたい、そして
他地域の人々に能勢を知ってもらいたい、という思いがあるのではないだろうか。】
と書いたが、能勢の人形浄瑠璃におけるコミュニケーション活動を考察した今、その推論
は的を得ていたと思える。能勢の人形浄瑠璃は今後、地域のさらなる魅力化のために必要
不可避な芸能として、地域の人々に支えられた上で、さらなる発展を目指すことになるだ
ろう。
【注】
〔1〕松浦伸吾 2011 「
「地域に根ざしたコミュニケーションの活性化」についての私見」 大
阪音楽大学音楽博物館 『音楽研究 大阪音楽大学音楽博物館年報』第26巻
43
〔2〕
【遊びごとに関した芸能。謡曲・茶の湯・生花・舞踊・琴・三味線・尺八・笛・香・講
談・浪花節・落語・俗謡など。
】
『広辞苑』より
〔3〕プロフェッショナルの人形浄瑠璃における演者の名称。大阪の人形浄瑠璃文楽座や淡
路の人形座などで使用される。
〔4〕明和年間(1764-1772)の上方における竹本・豊竹座の廃座の後、両座に属していた人
形遣いは活動の場を求めて地方へ頻繁に赴き、その地の人々へ人形操りの芸を指導した
(
『現代に生きる伝統人形芝居』より)
。江戸においては、東北地方へ巡業に赴いた人形
浄瑠璃団体が数多く存在していた(
『日本史リブレット91 江戸の浄瑠璃文化』より)
。
〔5〕大阪府能勢町における浄瑠璃の伝承と普及のための制度。その発祥の頃に存在してい
た三つの流派のトップ、つまり文太夫、井筒太夫、中美太夫を、弟子たちが親しみを
込めて“おやじ”と呼んだことがこの名の由来である。詳細は筆者の論考「能勢の人
形浄瑠璃における創造性①」を参照のこと。
〔6〕能勢町を拠点とする人形浄瑠璃の団体。太夫・三味線・人形遣い・囃子の四業とこど
も浄瑠璃(語り・三味線・人形遣い・囃子)の部で構成される。能勢町に約200年間伝
承された「能勢の浄瑠璃」を地域の財産として守り育て、次の世代に向けての提案を
行いその発展を願って、平成10年に「ザ・能勢人形浄瑠璃」としてデビュー。平成18
年に人形浄瑠璃の劇団として名称を「鹿角座」に変更。
〔7〕
【兵庫県西宮市社家町に鎮座。旧県社。通称西宮のえべっさん。―中略―全国恵美須神
の総本社。平安末期には広田神社の摂社とされており、鎌倉時代に海から現れた夷神
を祭るようになった。近世以降、恵美須信仰の普及にともない、商売繁盛の神として
広く信仰されるようになる。
】
『日本史広辞典』より
〔8〕
【傀儡師の一。兵庫県西宮から出た人形つかい。もと恵美須が鯛を釣るまねをし、正月
に豊漁を予祝したもの】
『広辞苑』より
〔9〕
【①木ぼりの人形。木偶人。②操り人形。】『広辞苑』より
〔10〕現在の兵庫県单あわじ市三条。
〔11〕
【兵庫県西宮市大社町に鎮座。―中略―平安時代以降、朝廷から祈雤、止雤などの奉
幣が行われ、
平安時代末期から白川伯家支配をうけた。文学神としても信仰され、
1128
年(大治 3)の「西宮。歌合二十番」など歌合が開かれた。】
『日本史広辞典』より
〔12〕
【寿永 3 年 4 月 28 日に源頼朝が、平家追討のために摂津の広田神社に祈願して、その
とき淡路国内の一部を広田の社地として寄附したことがある。】
『淡路・阿波の人形浄
瑠璃』より
〔13〕
【広田神社は平安時代末期に、人々の居住地が海浜へと拡大するのに伴って、海岸に
近い場所に西宮神社を建立した。そして「海の神」
「商業の神」として蛭児神を祭り、
その功徳を分かりやすく庶民に知らせるため、タイを釣り上げる恵比須人形を操って
神徳の宣伝をした。これを任務としたのが、淡路の荘園農民であった。】
『阿波人形浄
瑠璃物語』より
44
〔14〕
【①音楽に合せて舞わせるあやつり人形。】『広辞苑』より
〔15〕
【日本中世の語り物の一。平家物語に曲節を付けて琵琶の伴奏で語るもの。】
『広辞苑』
より
〔16〕琵琶の伴奏とは別に、扇や鼓(つづみ)で拍子を取ることもあった
〔17〕
【2 操り人形の一種で、首に箱をつるし、その上で小さな人形を操るもの。また、そ
の人。
】
『大辞泉』より
〔18〕享保 19 年(1734)初演の「芦屋道満大内鑑」より。
〔19〕人形芝居を行う団体に付される一般的名称。
〔20〕
「追抱」と呼ばれる。
〔21〕昭和 44 年(1969)発足。淡路の人形座の存続管理と後継者の育成を目的とする。
〔22〕昭和 21 年(1946)発足。太平洋戦争後における郷土芸能の衰退への危機感より、徳
島県下に点在する太夫・三味線弾き・人形遣いを全県的な組織として統合した。
〔23〕平成 24 年(2012)8 月、兵庫県单あわじ市の福良港に「淡路人形浄瑠璃館」が開場
した。
〔24〕竹本座、豊竹座等。
〔25〕
『伝統芸能 淡路人形浄瑠璃』p.122-123 より。阿波と淡路における野掛け小屋の見
取図と舞台と楽屋の配置図が掲載されている。
〔26〕
『伝統芸能 阿波の人形浄瑠璃』より。
〔27〕もともと四寸(約 12cm)であったが六寸(約 18cm)に変更。六寸以上の頭も存在
する。
〔28〕
【天狗久は非常に多作で、阿波、淡路をはじめ全国に約 4000 箇以上の頭があるといわ
れている。
】
『伝統芸能 淡路人形浄瑠璃』より
〔29〕舞台下手に太夫と三味線弾きが座る太夫座が備わる。
〔30〕
【江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎脚本作者。本名、杉森信盛。―中略―浄瑠璃では竹本義
太夫と提携。竹本座の座元作者。狂言本二十数編、浄瑠璃百数十曲を作り、義理人情
の葛藤を題材に人の心の美しさを描いた。作「出世景清」
「国性爺合戦」
「曽根崎心中」
「心中天の網島」
「女殺油地獄」
「けいせい仏の原」など。】
『広辞苑』より
〔31〕 上方において人形操りの教授が行われていたという事例を発見することは困難であ
る。
〔32〕舞台上で浄瑠璃を語る際に見台に乗せて見る浄瑠璃本。
〔33〕久米惣七氏はその著作『阿波と淡路の人形浄瑠璃』において、
【三味線弾く練習の方
が浄瑠璃のけい古より楽である―中略―けれども三味線のほうが浄瑠璃よりもとっ
つきにくい―中略―道に入ったら反って浄るりより楽であるが、入る迄に時間がかか
る】と述べている。
〔34〕当時の大坂には芝居小屋が多数存在し、人形浄瑠璃の上演そのものは継続して行われ
ていた。
45
〔35〕太夫や三味線弾きが属した同業組合。貞享元年(1684)設立。平成 22 年(2010)解
散。
〔36〕
【因講の中老・古老も素人の会に出席していた―中略―そのときには「仇名」にてで
るのが普通であった】『日本史リブレット 91 江戸の浄瑠璃文化』より。
〔37〕
【②詩歌・邦楽などの同門。連中。】
『広辞苑』より
〔38〕
【古浄瑠璃の文弥節を地とする人形芝居。―中略―新潟県佐渡郡の<佐渡文弥人形>
(伝承のあるのは新旧あわせて十座)は明治初年に古来からの盲人の文弥座敷語りに
人形がついたもの。】
『邦楽百科辞典』より
〔39〕
【一人遣いの陰遣い道化人形。―中略―説教節や浄瑠璃によらず俗語をまじえた台詞
劇である点、日本の人形劇史上特異な存在である。
】
『邦楽百科辞典』より
〔40〕滋賀の富田人形、京都の和知人形等。
〔41〕淡路や阿波の人形座の巡業範囲の最单端は宮崎県であり、この地にも淡路人形浄瑠璃
由来の人形浄瑠璃が残っている。
〔42〕
『阿波人形浄瑠璃物語』より。
〔43〕
【天保十二~十四年、老中水野忠邦が行った幕府の改革政治。勤倹を旨とし、風俗を
匤正し、諸問屋を解散、物価値下げを命じ、また江戸・大阪十里四万上知令を発する
など、幕府再建に努めたが、その方法過激に過ぎ、失敗に帰した。江戸幕府三大改革
の一。
】
『広辞苑』より
〔44〕
「城北座」は三業の揃った座として現在も活動中。平成元年(1989)に結成された「平
成座」はもともと三業で活動していたが平成 10 年(1998)に音曲を「友成会」とい
う組織として分離させた。徳島の風習に倣ったことが理由。
〔45〕勝浦郡勝浦町の「勝浦座(久国座)」
・名西郡神山町の「寄井座」
(上村都太夫座)
・阿
单市新野町の「中村園太夫座」
(岡花座)を指す。名称は『阿波の人形浄瑠璃』より
抜粋。
〔46〕
「友和嘉会」
「友成会」
「友輔会」を指す。
〔47〕徳島県立城北高等学校の OB・OG による「城北座」が有名である。
〔48〕
「巡礼歌の段」と「十朗兵衛住家の段」の二つの場を上演している。
〔49〕東地区:吉野・杉浦・倉垣・山内・地黄・上田尻・下田尻・野間大原・野間中・野間
稲地・野間西山・野間出野
西地区:宿野・山辺・天王・大里・栗栖・柏原・片山・森上・平通・下田・今西・垂
水・山田・稲地・神山・長谷・上杉
〔50〕
『無形民族文化財地域伝承活動事業報告書 能勢の浄瑠璃史』より
〔51〕能勢人形浄瑠璃関係者有志と能勢町商工会青年部によって結成された。全国の人形浄
瑠璃と伝統芸能における道具の修復・新調及び舞台のプロデュース等を行っている。
〔52〕
【かつて行われた各地域の法会と場所の一覧―中略―によれば、八月九日から九月一
日にかけて三十七ヶ所で法会が催されている】『能勢の浄瑠璃史』より
46
〔54〕
『能勢の浄瑠璃史』p.113「
(七)人形との共演一覧」より。戦時中である昭和 17 年
(1942)または 18 年(1943)に一度、人形との合同公演があったとのこと。
〔54〕大阪府豊能郡能勢町宿野に建つ劇場。正式名称は「能勢町ふるさと会館」
。
〔55〕淡路や阿波を含む他地域の人形浄瑠璃において、囃子は必要に応じて、太夫や三味線
弾きが兹業で担当することが为である。
〔56〕平成 24 年(2012)10 月現在、
「鹿角座」に所属する三味線弾きは 5 人(うち鶴澤の
姓を許された人は 3 人)である。
〔57〕出演者の変更有り。
〔58〕人形のみの出演が多い。その場合、音曲は録音を使用する。
〔59〕徳島県庁H.P.掲載 2011『平成23年度文化立県とくしま推進事業について』
(別紙4:「4
大モチーフ全国発信事業 阿波人形浄瑠璃振興事業について」
)より
http://www.pref.tokushima.jp/docs/2011012700091/files/joruri.pdf
〔60〕大阪府能勢町役場 H.P.掲載 2011『平成 23 年度当初予算のあらまし』
(「今年度に取
り組む为な事業」)より
http://http://www.town.nose.osaka.jp/dbps_data/_material_/localhost/pdf/kessan
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若月保治 1998 『若月保治浄瑠璃著作集④ 古浄瑠璃の研究 第一巻』 クレス出版
脇田修 1994 『近世大坂の経済と文化』 人文書院
『阿波の人形浄瑠璃 The Puppet Theater of Tokushima』 2007 四国大学・阿波の文化研
究会
『岩波講座 歌舞伎・文楽
第7巻 浄瑠璃の誕生と古浄瑠璃』 1998 岩波書店
『岩波講座 歌舞伎・文楽
第9巻 黄金時代の浄瑠璃とその後』 1998 岩波書店
『岩波講座 歌舞伎・文楽
第10巻 今日の文楽』 1997 岩波書店
『上方芸能』103号 1990 『上方芸能』編集部
『上方芸能』109号 1991 『上方芸能』編集部
『上方芸能』125号 1996 『上方芸能』編集部
『上方芸能』145号 2002 『上方芸能』編集部
『上方芸能』161号 2006 『上方芸能』編集部
48
『上方芸能』177号 2010 『上方芸能』編集部
『上方芸能』185号 2012 『上方芸能』編集部
『近世文芸研究叢書 第二期芸能篇23
『近世文芸研究叢書
第二期芸能篇25
浄瑠璃3 義太夫大鑑』 1997 クレス出版
浄瑠璃5
義太夫祕訣、淨瑠璃素人講釋』 1997
クレス出版
『国重要無形民俗文化財 淡路人形浄瑠璃』 1991 財団法人淡路人形協会
『講座 日本の演劇4 近世の演劇』 1995 勉誠社
『講座日本の伝承文学 第6巻 芸能伝承の世界』 1999 三弥井書店
『三味線とその音楽 東洋音楽選書7』 1983 音楽之友社
『新訂伝統文化コーディネーター』 2003 伝統文化コーディネーター検定委員会
『伝承のとりくみ 雅楽・文楽・芝居・祭り』 2004 財団法人地域創造
『伝統芸能 淡路人形浄瑠璃』 2002 兵庫県三原郡三原町教育委員会
『伝統芸能生態学 同胞からの叫び声』 1985 日本芸能実演家団体協議会
『日本音楽叢書七 民俗芸能[一]
』 1990 音楽之友社
『日本音楽大事典』 1992 平凡社
『日本芸能史 第4巻――中世―近世』 1985 法政大学出版局
『日本芸能史 第5巻――近世』 1986 法政大学出版局
『日本芸能史 第6巻――近世―近代』 1988 法政大学出版局
『日本芸能史 第7巻――近代・現代』 1990 法政大学出版局
『日文研叢書26 日本の語り物―口頭性・構造・意義―』 2002 国際日本文化研究センター
『日本史広辞典』 1997 山川出版社
『能勢の浄瑠璃民族文化財伝承活用等事業報告書 響き舞う能勢の浄瑠璃』 2002 能勢町教
育委員会・淨るりシアター
『邦楽百科辞典 邦楽から民謡まで』 1984 音楽之友社
『单あわじ市淡路人形浄瑠璃資料館 二十年のあゆみ』 2010 单あわじ市淡路人形浄瑠璃資
料館
『無形民族文化財地域伝承活動事業報告書 能勢の浄瑠璃史』 1996 能勢町教育委員会
『明治文化史 第九巻 音楽・演芸編』 1964 洋々社
『歴史読本特別増刊・事典シリーズ〈第10号〉江戸時代「生活・文化」総覧』 1991 新人物
往来社
<論文>
井手田彰典 2011 「純愛者であることの困難
―日本におけるアマチュア音楽の背景と課
題―」 大阪大学文学部・大学院文学研究科音楽学研究室 『阪大音楽学報』第9巻 所
収
武内恵美子 2002 「浄瑠璃社会の構造 ―享保元文期の場合―」 国際日本文化研究センタ
49
ー 『日文研叢書26
日本の語り物
―口頭生・構造・意義― 国際日本文化研究セン
ター共同研究報告』所収
松浦伸吾 2009 「能勢の人形浄瑠璃における創造性①─文楽、淡路・阿波の人形浄瑠璃と
の比較を中心に─」 大阪音楽大学音楽博物館 『音楽研究
大阪音楽大学音楽博物館
年報』第24巻 所収
松浦伸吾 2011 「
「地域に根ざしたコミュニケーションの活性化」についての私見─次稿「能
勢の人形浄瑠璃における創造性②」に向けて-」 大阪音楽大学音楽博物館 『音楽研
究
大阪音楽大学音楽博物館年報』第26巻 所収
<Web>
徳島県庁 2011 『平成23年度文化立県とくしま推進事業について』
(別紙4:
「4大モチーフ
全国発信事業阿波人形浄瑠璃振興事業について」
)
http://www.pref.tokushima.jp/docs/2011012700091/files/joruri.pdf
大阪府能勢町役場 2011『平成 23 年度当初予算のあらまし』
(「今年度に取り組む为な事業)
http://http://www.town.nose.osaka.jp/dbps_data/_material_/localhost/pdf/kessan
/H23syuyoujigyou.pdf
50
2011年度 音楽博物館 活動報告
2011年度は、恒例のミュージアム・コンサート/セミナー・シリーズを秋に集中して開催した。
加えて、例年は4件のところを今年度は6件のコンサートとセミナーを企画したため、密度のある
催事開催期間となった。特に、第31回ミュージアム・セミナー「三味線・造って弾いて」につい
て、スタッフによる事前の取材を重ね、講師の日常の仕事振りを紹介する映像を作成したことは
当館にとって新しい取り組みであった。また、音楽に造詣の深い宇宙物理学者によるセミナーは、
これまで博物館で扱ってきた音楽領域を超えて“宇宙と音楽”という壮大なテーマで2回にわた
って行なわれ、参加者も大いに刺激を受けた様子だった。ミュージアム・コンサートとしては、
インドネシア・バリ島の古典芸能ワヤン・ベベル、もはや製造されていない楽器リード・オルガン、
意外に卖体で取り上げられることの尐ないハープ、を紹介した。いずれも博物館ならではのコン
サートを提供することができた。
恒常的に力を注いでいる「ガイドツアー」は、グループ向け・個人向けを併せて、26回実施し
た。ガイドツアー担当者のスキルも年々向上し、非常に好評をいただいている。機器による音声
ガイド等を導入する博物館が多い中、当館は対面方式での案内を行っている。当然、非常に手間
のかかるやり方であるが、その分来館者の満足度は高く、リピーターも多い。ガイドツアーは今
後とも当館の“目玉商品”として充実を図っていきたい。
2011年度の活動の詳細は以下の通りである。
Ⅰ研究・教育普及活動
(1)企画事業
コンサート、セミナー、ワークショップ等を開催した。会場はいずれも本館展示室。
1)夏休み特別企画「館長と一緒に!夏休み手作り楽器」
2011年8月18日(木) ①10:00~12:00 ウグイス笛
②13:00~15:00 カリンバ
指導:藤田隆(本学教授・本館館長)
①鳥笛
51
②カリンバ
52
2)ワークショップシリーズ「ガムラン・ワークショップ2011」①(初心者向け)
2011年9月8日(木)10:00~15:00
指導:小林江美(ガムラン奏者)
3)ワークショップシリーズ「ガムラン・ワークショップ2011」②(経験者向け)
2010年9月15日(木)10:00~15:00
指導:小林江美(ガムラン奏者)
4)第31回ミュージアム・セミナー「三味線・造って弾いて」
2011年10月1日(土)14:00~16:00
お話と演奏:野中智史(三味線製作家)
なお、映像コンテンツ作成のため事前に取材を行った。
取材日①2011年7月2日(土)
於:三味線製作家 野中智史氏工房
取材:塩津洋子 小西潤子 藤田隆
②2011年9月13日(火) 於:今井三絃店
取材:小西潤子 野口朊恵 映像撮影:池森庸祐
53
5)第32回ミュージアム・セミナー
「宇宙に旅立ったバッハの音楽」(その1)
‐NASAが宇宙探査機ボイジャーに託したこと‐
2011年10月5日(水)15:15~16:45
「音楽の不思議・心の不思議」(その2)
‐宇宙のはじまりから人間の未来まで‐
2011年10月12日(水)15:15~16:45
お話:佐治晴夫(宇宙物理学者、鈴鹿短期大学学長、本学客員教授)
54
6)第69回ミュージアム・コンサート バリ絵巻ワヤン・ベベル「スタソーマ」
2011年10月29日(土)14:00~16:00
お話:小林江美(バリ・ガムラン奏者)
演奏:ワヤン・ベベル・スダマニ+ウロツテノヤコ(バリ芸能集団)
55
7)第70回ミュージアム・コンサート「リードオルガン‐足で送り出す繊細な音色‐」
2011年11月19日(土)14:00~16:00
お話と演奏:大森幹子(リードオルガン奏者)
56
8)第71回ミュージアム・コンサート「ハープ この麗しき楽器たち」
2011年12月17日(土)14:00~16:00
お話と演奏:摩寿意英子(ハープ奏者)
57
(2)グループ見学への対応[会場は全て本館展示室]
以下の学校・社会教育関係グループに対し、館内ガイドツアー等を行った。
1)神戸学院大学大谷クラス
2011年5月7日(土)14:00~
15名
案内:松浦伸吾
2)川西文芸友の会
58
2011年5月16日(月)13:00~
案内:松浦伸吾
9名
3)千里丘教会婦人会
2011年5月21日(土)10:00~12:00
25名
案内:松浦伸吾 松田淳一
4)大阪府高齢者大学同窓会豊中
2011年5月21日(土)13:00~
34名
案内:松浦伸吾 松田淳一 大江梨江子(演奏補助)
5)神戸市立六甲アイランド高等学校
2011年5月24日(火)11:55~12:20
22名
案内:小西潤子
6)日本ピアノ調律師協会阪奈和地区
2011年5月30日(月)10:00~12:00
8名
案内:塩津洋子
7)岡崎市立額田中学校(班別訪問学習)
2011年6月3日(金)10:30~11:30
3名
案内:松浦伸吾
8)大阪府高齢者大学校
2011年6月3日(金)14:30~16:00
30名
案内:松田淳一 松浦伸吾 増成春奈(演奏補助)
9)豊中市身体障害者福祉会肢体部会
2011年6月6日(月)13:30~14:30
20名
案内:松浦伸吾 松田淳一
10)キャンフリエ
2011年6月9日(木)14:00~
16名
案内:松浦伸吾
11)静岡県立浜松江之島高等学校
2011年6月11日(土)9:30~12:00
11名
指導:小林江美(ガムラン実技実習)
12)洗足学園音楽大学
2011年6月13日(月)14:00~
4名
案内:塩津洋子
13)関西学院大学文学部網干ゼミ
2011年6月18日(土)10:00~12:00
12名
案内:無し
47名
案内:松浦伸吾 松田淳一
14)大阪府高齢者大学校
2011年6月21日(火)14:00~15:30
15)マザーベル
2011年6月22日(水)10:30~12:00
8名
案内:塩津洋子
16)愛知県丹羽郡扶桑町立扶桑北中学校(修学旅行の自由行動)
2011年6月24日(金)11:45~14:00
2名
案内:松浦伸吾
17)愛知県豊田市立松平中学校(修学旅行の班別行動)
2011年6月29日(水)10:00~11:00
5名
案内:小西潤子
18)大阪府立堺西高等学校
2011年7月8日(金)11:25~12:05
40名
案内:松浦伸吾 増成春奈(演奏補助)
10名
案内:松浦伸吾
7名
案内:塩津洋子
19)ピアノ教室 西村奈美
2011年7月9日(土)13:30~14:30
20)(有)レッグニットテック
2011年7月11日(月)10:15~12:15
21)池田北高等学校
59
2011年7月12日(火)11:15~12:45
26名
案内:塩津洋子
17名
案内:松浦伸吾
13名
案内:松浦伸吾 松田淳一
22)多機能事務所みらい
2011年7月14日(木)13:30~14:30
23)スパイシーマム花音
2011年7月23日(土)10:00~12:00
24)大阪中学生サマーセミナー
2011年8月1日(月)10:25~11:05
38名
案内:博物館スタッフによるスタンプラリー実施
25)吉野ピアノ教室
2011年8月4日(木)10:30~11:30
17名
案内:松浦伸吾
28名
案内: 藤田隆
松浦伸吾
28名
案内: 藤田隆
松浦伸吾 松田淳一
26)教員免許状更新講習参加者
2011年8月5日(金)15:30~17:00
27)教員免許状更新講習参加者
2011年8月6日(土)13:30~17:00
28)大阪国際空港周辺地域活性化連絡会「空港周辺親子見学ツアー」
2011年8月17(水)10:50~
35名
案内:松浦伸吾 松田淳一
29)大阪国際空港周辺地域活性化連絡会「空港周辺親子見学ツアー」
2011年8月17(水)14:50~
40名
案内:松浦伸吾 松田淳一
30)大阪国際空港周辺地域活性化連絡会「空港周辺親子見学ツアー」
2011年8月19(金)10:50~
39名
案内:松浦伸吾
31)大阪国際空港周辺地域活性化連絡会「空港周辺親子見学ツアー」
2011年8月19(金)14:50~
41名
案内:松浦伸吾
32)大阪国際空港周辺地域活性化連絡会「空港周辺親子見学ツアー」
2011年8月22(月)10:50~
37名
案内:松浦伸吾 松田淳一
33)大阪国際空港周辺地域活性化連絡会「空港周辺親子見学ツアー」
2011年8月22(月)14:50~
41名
案内:松浦伸吾 松田淳一
34)大阪国際空港周辺地域活性化連絡会「空港周辺親子見学ツアー」
2011年8月23(火)10:50~
39名
案内:松浦伸吾 松田淳一
35)大阪国際空港周辺地域活性化連絡会「空港周辺親子見学ツアー」
2011年8月23(火)14:50~
39名
案内:松浦伸吾 松田淳一
60
36)いちょう大学音楽コース
2011年10月6日(木)10:00~12:00
29名
案内:松浦伸吾
32名
案内:松浦伸吾
37)兵庫県立香寺高等学校
2011年10月7日(金)10:00~10:50
38)NPO法人シニア自然大学シニアCITYカレッジ4期1班
2011年10月7日(金)14:30~16:00
13名
案内:松田淳一
39)社団法人日本セカンドライフ協会
2011年10月18日(火)13:10~15:10
61名
案内:松浦伸吾 松田淳一
25名
案内:松田淳一 大江梨江子(演奏補助)
16名
案内:塩津洋子
40)豊中市立庄内公民館
2011年10月21日(金)14:00~15:30
41)兵庫県立伊丹北高等学校
2011年10月25日(火)10:50~11:50
42)神戸女学院
2011年10月27日(木)15:00~16:00
8名
案内:塩津洋子
43)ワークセンターくすの木
2011年10月28日(金)13:30~14:30
18名
案内:松浦伸吾 松田淳一 大江梨江子(演奏補助)
44)高槻市立生涯学習センター「音楽の宝石箱」
2011年11月4日(金)14:30~16:00
33名
案内:松浦伸吾 松田淳一
45)西日本私立小学校連合会音楽会
2011年11月7日(月)14:30~16:30
50名
案内:松浦伸吾 演奏補助:大江梨江子 小西潤子 土橋祐貴子 野口朊恵 米澤琴子
61
46)大阪府高齢者大学校受講生
2011年11月11日(金)14:00~16:00
28名
案内:本岡浩子
39名
案内:松田淳一
15名
案内:塩津洋子
47)大阪府立門真なみはや高等学校
2011年11月15日(火)14:10~15:50
48)中国杭州音楽院
2011年11月16日(水)15:00~17:00
49)彦根ピアノ研究会
2011年11月17日(木)10:45~12:40
案内:塩津洋子
6名
50)豊中市立みのり園1組
2011年11月18日(金)10:45~12:00
18名
案内:松浦伸吾 大江梨江子(演奏補助)
51)学校法人きのくに子どもの村学園きのくに国際高等専修学校
2011年11月26日(土)10:00~11:30
案内:松浦伸吾
松田淳一
15名
辻村ゆず(演奏補助)
52)豊中市立みのり園3組
2011年12月2日(金)10:30~12:00
案内:松浦伸吾
松田淳一
22名
増成春奈(演奏補助)
53)大阪府高等学校図書館研究会
2011年12月7日(水)14:00~16:00
11名
案内:塩津洋子
20名
案内:松浦伸吾 大江梨江子(演奏補助)
54)大阪府立大手前高等学校
2011年12月9日(金)10:00~12:00
55)能楽資料館
2011年12月19日(月)15:00~16:00
7名
案内:小西潤子
56)はらのむらファミリー
2012年1月23日(月)13:00~14:00
3名
案内:小西潤子
57)大阪府立八尾支援学校
2012年1月31日(火)10:30~12:00
73名
案内:松浦伸吾
58)アマービレリコーダーアンサンブル
2012年2月13日(月)11:00~13:00
30名
案内:塩津洋子 藤田隆
16名
案内:藤本葉子
59)吹豊歩こう会
2012年2月21日(火)12:40~13:40
60)神戸市立高等学校教育委員会芸術部会
2012年2月29日(水)15:00~16:30
10名
案内:塩津洋子
61)きのくにこどもの村学園
2012年3月1日(木)12:00~13:00
17名
案内:松浦伸吾
62)モンゴル国立舞踏学院
2012年3月6日(火)14:00~15:00
3名
案内:塩津洋子
63)豊中市伝統芸能館提携講座
2012年3月24日(土)14:00~15:30
44名
案内:松浦伸吾 松田淳一 辻村ゆず(演奏補助)
64)65)66)
62
高校生・保護者・指導者を対象としたウィークエンド・キャンパスツアーの一部として
本館見学及びガイドツアーが実施された。
案内:松浦伸吾
実施日
時間
参加人数
2011年5月21日(土)
10:50~11:30
13名
2011年12月3日(土)
11:20~12:00
7名
2012年1月21日(土)
11:20~12:00
16名
(3)館内授業
以下23件の授業が本館を使用して行なわれた。そのうち15件の授業は本館スタッフが担当
した。
授業日
1)2011年4月21日(木)1限
講義名
大音コミュニケーション入門
担当教員
(高橋徹)
参加
本館担当
人数
スタッフ
40名
(藤井快哉)
松田淳一
松浦伸吾
小林江美
Sunari Santi
2)2011年4月21日(木)2限
教養基礎セミナーA
(浅井康子)
60名
(永田正信)
松田淳一
松浦伸吾
小林江美
Sunari Santi
3)2011年4月22日(金)3限
楽器学
長江浩子
20名
63
4)2011年5月19日(木)1限
大音コミュニケーション入門
(駒井肇)
35名
(福榮宏之)
松田淳一
松浦伸吾
小林江美
Sunari Santi
5)2011年5月19日(木)2限
教養基礎セミナーA
(高橋徹)
53名
(西村理)
松田淳一
松浦伸吾
小林江美
Sunari Santi
6)2011年5月26日(木)1限
大音コミュニケーション入門
(竹田和子)
34名
(米山信)
松田淳一
松浦伸吾
小林江美
Sunari Santi
7)2011年5月26日(木)2限
教養基礎セミナーA
(住谷秀夫)
60名
(油井美加子)
松田淳一
松浦伸吾
小林江美
Sunari Santi
8)2011年5月31日(火)1限
音楽学演習ⅠA
井口淳子
2名
9)2011年6月7日(火)3限
民族音楽学
井口淳子
7名
10)2011年6月10日(金)1限
ピアノ音楽研究Ⅰ
藤井快哉
40名
11)2011年6月10日(金)3限
楽器学
長江浩子
18名
12)2011年6月14日(火)1限
スコアリーディング基礎
(中澤道子)
13名
塩津洋子
13)2011年6月16日(木)1限
ピアノ音楽研究Ⅲ
(浅井康子)
9名
塩津洋子
14)2011年6月23日(木)1限
ピアノ音楽研究Ⅲ
(鳥居知行)
12名
塩津洋子
15)2011年6月23日(木)3限
合奏A
(長山慶子)
18名
藤田隆
16)2011年6月23日(木)3限
スコアリーディング
(中澤道子)
5名
塩津洋子
17)2011年10月14日(金)1限
ピアノ音楽研究Ⅱ
(藤井快哉)
36名
松浦伸吾
18)2011年10月14日(金)3限
楽器学
長江浩子
16名
19)2011年10月17日(月)2限
音楽探検
井口淳子
2名
20)2011年11月4日(金)1限
ピアノ音楽研究Ⅱ
(藤井快哉)
32名
松浦伸吾
21)2011年11月8日(火)1限
スコアリーディング基礎
(中澤道子)
9名
塩津洋子
22)2011年11月10日(木)3限
スコアリーディング
(中澤道子)
5名
塩津洋子
23)2011年11月14日(月)1限
音楽史
井口淳子
26名
64
(4)学外提携事業
1)キッズプラザ大阪イベント「音楽博物館がやってくる」
②14:00~14:40
2011年5月28日(土)①11:30~12:10
会場:キッズプラザ大阪5階多文化ひろば
为催:キッズプラザ大阪 共催:大阪音楽大学音楽博物館
演奏:松浦伸吾 松田淳一 辻村ゆず
2)国際カリヨンの日 東日本大震災復興支援カリヨンコンサート
2011年6月19日(日)13:30~14:30
会場:JR伊丹駅前アイホール前広場
为催:公益法人フランダースセンター 後援:伊丹市
大阪音楽大学音楽博物館
演奏:松江万里子 則定まり
3)豊中市立伝統芸能館・大阪音楽大学音楽博物館 連携講座
「世界の楽器と音楽」第6回「これぞ、究極のフォークダンス」
2011年6月25日(土)14:00~15:30
50名来場
会場:豊中市立伝統芸能館
为催:豊中市立伝統芸能館・大阪音楽大学音楽博物館
講師:西岡信雄(本学名誉教授)
4)音楽世界旅VOL.6インド編
レクチャーコンサート古典舞踊と古典音楽「北インド芸術の精髄」
2011年9月24日(土)14:00~16:00
会場:岸和田市立自泉会館ホール
为催:岸和田市・岸和田文化事業協会 企画:大阪音楽大学音楽博物館
お話:西岡信雄(本学名誉教授)
舞踊:柳田紀美子 ナリニ・トシュニワル
65
演奏:田中峰彦 HIROS 田中りこ
5)フランドルの鐘21周年記念カリヨン演奏
2011年11月9日(水)13:30~14:15
会場:JR伊丹駅前アイホール前広場
为催:公益法人フランダースセンター 後援:伊丹市
大阪音楽大学音楽博物館
演奏:則定まり ライアン・チャンココ
6)豊中市立伝統芸能館・大阪音楽大学音楽博物館 連携講座
「世界の楽器と音楽」第7回「三味線が奏でる日本の“情”」
2011年11月26日(土)14:00~15:30
会場:豊中市立伝統芸能館
为催:豊中市立伝統芸能館・大阪音楽大学音楽博物館
講師:長江浩子(本学非常勤講師)
7)豊中市立伝統芸能館・大阪音楽大学音楽博物館 連携講座
「世界の楽器と音楽」第8回「もっと知りたい世界の楽器」
2012年3月24日(土)14:00~15:30
44名来館
会場:大阪音楽大学音楽博物館
为催:豊中市立伝統芸能館・大阪音楽大学音楽博物館
講師:松浦伸吾 松田淳一 辻村ゆず(演奏補助)
(5)
研究活動
・関西のピアノ受容に関する研究(担当:塩津洋子)
2008年度に結成した研究プロジェクト「本邦洋琴変遷史
ピアニスト小倉末子とその時
代」(2010年度科学研究費採択)の一員として、为に関西でのピアノ受容について研究を進
めている。これまで、大正期大阪でピアノを中心とした活動を展開した女性団体「ピアノ
同好会」についての論文「『ピアノ同好会』の活動」を2010年(本誌第25巻)に、小倉末子
が幼尐から成年に至るまでを過ごした明治期神戸におけるピアノ事情についての調査の
成果として、研究資料「明治期神戸のピアノ演奏記録」を2011年(本誌第26巻)に公表して
いる。今年度は、前述研究資料を分析・考察した「明治期神戸のピアノ演奏」を本誌に掲
載した。これにより演奏曲や演奏者の具体的な状況が明らかになった。今後は、大阪、京
都等における同様の調査・分析を実施し、地域ごとの特徴や差異を導き出していきたい。
・弦楽器の指板に関する研究(担当:松田淳一)
弦楽器に見られる指板は、弦楽器の長い歴史から見ると、比較的最近の発明である。この
指板については多くの演奏家が誤った認識を持っていると思われるため、本研究では指板
の本来の役割を探り、演奏技術の進歩と音楽の発展にいかに寄与したかを究明していく。
2011年には、その成果として論文「指板の真の役割と誤解について
―弦楽器起源からの
考察―」を公表した(本誌第26巻)。今年度は、前稿で述べた指板に対する認識と奏法上で
の役割について、裏付けるデータを作成し、最善の奏法を科学的に分析・証明する試みを
行った。これは「指板の真の役割と誤解についてⅡ
―弦楽器起源からの考察―」として
次年度本誌に掲載の予定である。
66
・能勢の人形浄瑠璃における“コミュニケーション活動”に関する研究(担当:松浦伸吾)
本研究の成果として、2009年に「能勢の人形浄瑠璃における創造性①」を公表している(本
誌第24巻)。これは、能勢の人形浄瑠璃の活動にはコミュニケーションの創造と興行の成立
という2つの目的があるとの推論に基づくものである。次いで2011年に公表した「『地域
に根ざしたコミュニケーションの活性化』についての私見」は、“都会と地方”“対人コ
ミュニケーション”“遊芸”の3つのキーワードを軸に考察したものであり、次稿の概要
と位置づけられるものである(本誌第26巻)。それを受けて今年度は前述のキーワードを中
心に、能勢の人形浄瑠璃の活動における“地域に根ざしたコミュニケーションの活性化”
について、阿波(徳島)、淡路(兵庫県淡路島)の人形浄瑠璃や上方の素人義太夫節におけるコ
ミュニケーション活動の事例と比較しつつ考察する作業を行った。それは「能勢の人形浄
瑠璃における創造性②
―文楽、淡路・阿波の人形浄瑠璃との比較を中心に―」として本
誌に掲載した。
(6)学外団体への協力・所蔵資料特別利用・情報提供等
1)大阪フィルハーモニー交響楽団
演奏のため楽譜貸出し
2011年4月19日(火)
貸出資料:「ドンブラコ」楽譜 計1点
2)「母と子のコンサート【いろいろな楽器で】」の演奏用として楽器貸出し
2011年5月23日(月)
会場:中かがや幼稚園ホール 演奏:松田淳一
貸出資料:チャランゴ ケーナ ステッキ・ヴァイオリン ストロー・ヴァイオリン
擬音笛 ミュージカル・ソウ
計6点
3)伊丹アイフォニックホール「東北の人形と楽器」の展示用として資料貸出し
貸出期間:2011年4月11日(月)~2011年6月10日(金)
会場:伊丹アイフォニックホールロビー
貸出資料:西岡コレクション
人形9点
楽器23点
計32点
4)「東日本大震災チャリティーコンサートin jisen みんな元気になろう!」の演奏用と
して楽器貸出し
2011年5月5日(木) 会場:岸和田市立自泉会館ホール
貸出資料:カッコウ笛13点 ミュージカル・ソウ
演奏:松田淳一
計14点
5)関西ハーモニカ連盟機関紙掲載のため楽器写真撮影
2011年5月28日(土)
6)大阪東ロータリークラブ例会での演奏用として楽器貸出し
2011年6月16日(木)
会場:帝国ホテル
演奏:松田淳一
貸出期間:2011年6月15日(水)~2011年6月16日(木)
貸出資料:馬頭琴
ハーディ・ガーディ
キット ストロー・ヴァイオリン
ステッキ・ヴァイオリン ハーディングフェーレ レバーブ
計7点
7)浜松市楽器博物館特別展「人形たちのシンフォニー」の展示用として資料貸出し
会期:2011年7月28日(木)~2011年8月31日(水)
会場:浜松市楽器博物館
貸出期間:2011年6月17日(金)~2011年9月16日(金)
貸出資料: 西岡コレクション(人形)一式、音楽博物館所蔵人形
67
8)学校法人ザビエル学園カトリック天使幼稚園「七夕コンサート」の演奏用として楽器
貸出し
2011年7月7日(木) 会場:学校法人ザビエル学園カトリック天使幼稚園
貸出資料:アルプホルン サクソフォンスタンド 計2点
演奏:松浦伸吾 松田淳一
9)日本テレマン協会「第200回定期演奏会」の演奏用として楽器貸出し
2011年7月4日(月)19:00
会場:いずみホール
貸出資料:バス・トロンボーン
为催:日本テレマン協会
マウスピース
計2点
10)学校法人済美学園済美高等学校「実演と映像による移動音楽博物館」の演奏用として
楽器貸出し
貸出期間:2011年7月15日(金)~2011年7月19日(火)
会場:学校法人済美学園済美高等学校
演奏:松浦伸吾 松田淳一
貸出資料:木魚
石笛
おりん 座布団 鈴
ナチュラルホルン
ケーナ
スワニー・サックス
オヘ・ハノ・イフ
ハーディ・ガーディ
チャルメラ
キット
アルプホルン
ステッキ・フルート
ティン・ホイッスル
馬頭琴
法螺貝
リバーブ
カシシ
カヴァル
クロンボイ
ハーディングフェーレ
ステッキ・ヴァイオリン ストロー・ヴァイオリン ケーン ビリンバウ
ディスク モーコック ミュージカル・ソウ バチ4点
弓2点 計35点
11)FM千里番組「寺谷一紀の千里の道も一歩一歩」出演協力
2011年7月22日(金)13:30~13:50
藤田隆(本館館長)
12)日本キリスト教団茨木教会附属めぐみ幼稚園「夕涼みコンサート」の演奏用として楽
器貸出し
貸出期間:2011年8月4日(木)~2011年8月9日(火)
会場:日本キリスト教団茨木教会附属めぐみ幼稚園
演奏:小西潤子
貸出資料:チェンチェン 計1点
13)舞踊公演の演奏用として楽器貸出し
貸出期間:2011年8月12日(火)~2011年9月3日(土) 会場:兵庫県立美術館
演奏:多田桃子
貸出資料:卓上ピアノ ベルクラスター 計2点
14)「うたはかたりかける3」の演奏用、設営用として楽器等貸出し
貸出期間:2011年8月23日(火)~2011年8月29日(月)
会場:大阪市中央公会堂
演奏:松浦伸吾
貸出資料:小スタンド3点 小テーブル1点
ドラムリール1点
簡易カート2点
スポンジ1点
ピアノアクション・グロッケンシュピール
計9点
15)豊中市市政75周年記念式典時の参考資料として資料貸出し
貸出期間:2011年9月12日(月)~2011年9月30日(金)
資料:校史資料1954-0-0-05272より5点
1954-0-0 04211
1955-0-0 04340
計7点
16)「高齢者大学校」での演奏用として楽器貸出し
貸出期間:2011年9月16日(金)~2011年9月20(火) 会場:高槻サンシティーホール
演奏:松田淳一
貸出資料:ミュージカル・ソウ 計1点
17)「豊中市第2回文化祭」の演奏用として楽器貸出し
2011年9月26日(月)
会場:豊中市役所ロビー 演奏:松浦伸吾 松田淳一
68
貸出資料:アルプホルン
オヘ・ハノ・イフ
ステッキ・ヴァイオリン ケーナ
チャランゴ ステッキ・フルート ストロー・ヴァイオリン キット
計8点
18)「第22回isuc大津大会」の演奏用として楽器貸出し
2011年10月19日(水)~10月21日(金)
会場:大津プリンスホテル
演奏:松浦伸吾
貸出資料:ティン・ホイッスル 計1点
19)アートセッション第19回「弦楽器の花形 ヴァイオリンの進化」の呈示用として楽器
貸出し
2011年10月29日(土) 会場:生駒図書館大会議室
为催:特定非営利活動法人奈良ユニバーサロン
貸出資料:ストロー・ヴァイオリン 計1点
20) 静岡音楽館へ静岡市美術館1周年記念展Ⅱ「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」展
関連事業、静岡音楽館AOI×静岡科学館る・く・る×静岡美術館共同事業「レオナルド
・ダ・ヴィンチと音楽」における展示物作成用として楽器写真提供
会期:2011年11月3日(木)~2011年12月25日(日) 会場:静岡科学館る・く・る
提供資料:リラ・ダ・ブラッチョ写真データ(会場にてパネル展示)
21)朝日放送「ココイロ」番組収録協力
収録日:2011年11月4日(金)
本館展示室にて収録。博物館紹介、館員によるデモ演奏
及び、ガムランサークルSunari Santiによるガムラン演奏
放映日:2011年12月15日(木)
69
22)韓国放送公社(KBS)「歴史スペシャル」放送用に展示室内撮影協力
撮影日:2011年11月11日(金)
23)関西大学文学部博物館学課程 博物館実習 平成23年度 博物館実習展「華やかな三味
線文化~町人が奏でる音色~」における図録、展示パネル、広報物作成用として楽器
写真提供
会期:2011年11月13日(日)~2011年11月18日(金) 会場:関西大学博物館第2展示室
提供資料:三線、三弦、ゴッタン写真データ計3点(会場にてパネル展示)
24)デイサービスなごみ「チャリティー・コンサート」の演奏用として楽器貸出し
2011年11月20日(日)13:00~14:30
会場:デイサービスなごみ 演奏:小西潤子
貸出期間:2011年11月19日(土)~2011年11月21日(月)
貸出資料:木托
五鉐鈴 ジングル2点 ナッカーラ バチ2点
ダルブッカ
マラカス
計9点
25)日本音楽学会調査協力
平成23年度文化庁委託業務「文化関係資料のアーカイブの構築に関する調査研究」の
事業「『日本の音楽資料』のデータベース化のための調査研究」の対象となる当館所
蔵資料書誌情報再調査作業を行った。調査協力期間:2011年11~12月
26)「ファミサポ・コンサート」の演奏用として楽器貸出し
2011年12月3日(土)
会場:茨木市立男女共生センターWAMホール 演奏:小西潤子
貸出期間:2011年12月2日(金)~2011年12月5日(月)
貸出資料:チェンチェン 計1点
27)大阪木材組合東洋クラブ为催コンサートの演奏用として楽器貸出し
2011年12月10日(土) 演奏:松浦伸吾 松田淳一
貸出期間:2011年12月9日(金)~2011年12月13日(火)
貸出資料:ケーナ 計1点
28)雑誌「るるぶ日帰りおでかけ関西」取材協力
取材日:2011年12月10日(土) 本館展示室にて撮影、取材
発売日:2012年3月上旬
発売期間:1年間
29)京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター第32回公開講座「義太夫節 稀曲の復活」
チラシ作成用として資料提供
2011年12月19日(月) 会場:京都府立文化芸術会館
提供資料:二世清八浄瑠璃本コレクション朱入り稽古本写真データ
30)「楽しいコンサートVol.39」の演奏用として楽器貸出し
2011年12月21日(水) 会場:甲東ホール 演奏:小西潤子
70
貸出期間:2011年12月19日(月)~2011年12月22日(木)
貸出資料:ジングル 計1点
31)書籍「ビジュアル版 和楽器事典」掲載のため楽器写真資料提供
2012年1月16日(月)
提供資料:三弦琴写真資料 計1点
著者:森重行敏(洗足学園音楽大学現代邦楽研修所) 発行:汐文社
出版年:2012年
32)学会(IMS)発表参考資料として資料閲覧、複写
2012年2月14日(火)~2012年2月17日(金)
利用資料:「会館芸術」第1号~20号
利用者:白井史人(東京大学大学院)
33)伝習館テレビCM制作用に校史資料提供
2012年2月16日(木)
利用者:株式会社鳥取広告社 提供資料:校舎写真資料 計1点
34)移動博物館の演奏用として楽器貸出し
2012年3月9日(金) 会場:小林聖心女子学院
貸出資料:キット
演奏:藤田隆 松田淳一
ステッキ・ヴァイオリン ストロー・ヴァイオリン ハーディング
・フェーレ ハーディ・ガーディ リバーブ 馬頭琴
計7点
35)冊子「ビーゴグローバル」内「アドベンチャーブック」掲載用に楽器写真資料提供
2012年3月16日(金)
利用者:ベネッセコーポレーション 提供資料:楽器写真 計9点
36)友遊会「音楽博物館と私~音楽の愉しみ」の演奏用として楽器貸出し
2012年3月21日(水)
会場:(株)スプラウト
演奏:藤田隆
貸出期間:2012年3月21日(水)~2011年3月22日(木)
貸出資料:トンガリ チャランゴ 計2点
37)学校法人日前幼稚園「卒園式コンサート」の演奏用として楽器貸出し
2012年3月21日(水)
会場:学校法人日前幼稚園 演奏:小西潤子
貸出期間:2012年3月19日(月)~2011年3月21日(水)
貸出資料:チェンチェン 計1点
38)公益財団法人せたがや文化財団/世田谷文学館・世田谷美術館共同企画展「都市から
校外へ-1930年代の東京」における展示・撮影・図録掲載用として資料貸出し
会期:2012年2月11日(土)~2012年4月8日(日)
会場:世田谷文学館
貸出資料:SYMPHONY SPECIAL JAZZ PIECE「別れのブルース」楽譜 計1点
(7)学内協力・所蔵資料特別利用・情報提供等
1)サマーオペラ「魔笛」の演奏用として楽器貸出し
貸出期間:2011年4月11日(月)~5月16日(月)
貸出資料:トロンボーン4点 マウスピース8点
会場:ザ・カレッジ・オペラハウス
計12点
2)サマーオペラ「魔笛」の演奏用として楽器貸出し
貸出期間:2011年4月25日(月)~4月30日(土) 会場:ザ・カレッジ・オペラハウス
貸出資料:ストレート・トランペット 計4点
3)広報誌「Muse」連載記事『校史点描』掲載のため資料貸出し
貸出期間:2011年5月17日(火)~2011年5月19日(木)
貸出資料:校史資料07311 00744
08202
4)演奏事務部門コンサート・センター
07318(校舎写真) 計4点
卒業生依頼のため資料ダビング
貸出期間:2011年4月27日(水)~2011年5月6日(金)
貸出資料:2008年度本学短期大学部管弦打専攻公開卒業試験DVD
計1点
71
5)大阪音楽大学付属音楽院特別講義「楽器の中の性」の呈示用として楽器貸出し
貸出期間:2011年6月1日(水)~6月6日(月)
使用場所:大阪音楽大学内
貸出資料:ディルブ ガラムート・ドラム ささら 信号ラッパ
計4点
6)授業「楽器学」の呈示用として楽器貸出し
2011年6月24日(金)13:30~14:45
会場:本学K号館205教室
貸出資料:リュート 楽琵琶 ウード アーチシターン マンドリン 琵琶
計6点
7)「大阪中学生サマーセミナー」の会場として展示室利用
2011年8月1日(月)10:25~11:05
8)SPレコード研究のため音源ダビング
2011年9月8日
利用者:太田哲則(本学非常勤講師)
9)演奏事務部門コンサート・センター
利用資料:視聴覚資料
計17点
卒業生依頼のため資料ダビング及び複写
貸出期間:2011年6月24日(金)~2011年7月1日(金)
貸出資料:1995年11月15日(水)ジャズ&ポピュラークラスによるライヴコンサートビ
デオ、DAT、プログラム 計5点
10)授業「楽器学」の呈示用として楽器貸出し
2011年7月1日(金)13:30~15:00
会場:本学K号館205教室
貸出資料:三線 三弦 セタール 三味線 シタール 計5点
11)キャリア事務部門へ経済産業省実施「平成23年度クール・ジャパン戦略推進事業」の
邦楽演奏企画のため資料貸出し
貸出期間:2011年9月13日(火)~2011年9月20日(火)
貸出資料:邦楽演奏会 近年10年分のプログラムと音源資料
12)「研究紀要第50号」編集資料調査のため資料閲覧、複写
2011年10月5日(水)
利用者:山下豊(本学教授) 利用資料:永井幸次に関する資料
13)演奏事務部門コンサート・センター
卒業生依頼のため資料ダビング
貸出期間:2011年10月17日(月)~2011年10月24日(月)
貸出資料:2010年2月4日(木)本学管弦打専攻公開卒業試験DVD 計1点
14)授業「楽器学」の呈示用として楽器貸出し
2011年11月4日(金)11:30~12:30
会場:本学K号館205教室
貸出資料:ウード ハーディング・フェーレ ハーディ・ガーディ 計3点
15)出張授業の演奏練習用として楽器貸出し
貸出期間:2011年11月5日(土)~2011年11月14日(月) 演奏:松田淳一
貸出資料:馬頭琴 計1点
16)キャリア事務部門へ旧メディアを(株)JPLへ委託しデジタルデータ化するため校史録
音資料貸出し
貸出期間:2011年11月15日(火)~2011年11月30日(水)
貸出資料:校史録音資料(第2回~第11回邦楽演奏会)計20点
備考:貸出資料は全て44.1KHz16bitの音声データ化しCD等へ移すことを可能とする。
また「平成23年度クール・ジャパン戦略推進事業」のネットラジオ「Winba」
へ投稿・発信する。
17)授業「音楽基礎セミナー」で使用するスライド作成用に「楽のまなびや70年史」「楽
72
のまなびや80年史」掲載の写真データ複写
2011年11月17日(木) 利用者:本田耕一(本学教授) 利用資料:校史写真資料計90点
18)「24thTrombone Ensemble Concert」の演奏用として楽器貸出し
2011年11月22日(火)19:00
会場:ザ・カレッジ・オペラハウス
为催:大阪音楽大学トロンボーンアンサンブル
貸出期間:2011年10月3日(月)~2011年11月28日(月)
貸出資料:テナー・トロンボーン マウスピース6点
計7点
19)出張授業の演奏用として楽器貸出し
2011年11月24日(木) 大阪府立桜塚高等学校
演奏:松田淳一
貸出資料:馬頭琴 リバーブ ハーディ・ガーディ キット ステッキ・ヴァイオリン
ストロー・ヴァイオリン ミュージカル・ソウ ハーディンクフェ
ーレ 弓2点
バチ1点
ヴィオリーノ・ダモーレ ヴァイオリン
計12点
20)「第34回邦楽演奏会」の演奏用として楽器貸出し
2011年11月25日(金)18:00
会場:ミレニアムホール
貸出期間:2011年11月4日(金)~2011年11月26日(土)
貸出資料:平丸太鼓 大太鼓バチ竹長バチ オルゴール 拍子木
計4点
21)音楽の宝石箱「金管楽器の響き」の演奏用として楽器貸出し
2011年11月25日(金)14:00~15:30
会場:高槻市立生涯学習センター多目的ホール
演奏:伊勢敏之(本学非常勤講師) 滝村洋子(本学演奏員) 西村友香
室倫子(本学演奏員) 中村一廣(本学非常勤講師)
貸出期間:2011年11月21日(月)~2011年11月26日(土)
貸出資料:法螺貝
アルプホルン
計2点
22)図書館資料保存のため資料複写
2011年12月14日(水) 利用資料:オペラハウス年間スケジュール2000~2009年度資料
23)授業「音楽基礎セミナー」で使用するため校史資料貸出し
貸出期間:2011年12月21日(水)~2011年12月28日(水)
利用者:本田耕一(本学教授)
貸出資料:本学校歌CD 幸楽会コンサートDVD 計2点
24)連携・演奏事務部門へ学生よりダビング依頼のため資料貸出し
貸出期間:2012年1月12日(木)~2012年1月17日(火)
貸出資料:2008年12月5日本学第51回定期演奏会DVCAM
25)授業内で使用のため資料複写
2012年1月12日(木)~2012年1月19日(木)
利用者:北見真智子(本学非常勤講師)
利用資料:上野学園日本音楽資料室第8回特別展観 日本の楽譜展-天平琵琶譜から
幕末の鼓笛譜まで-
26)映像編集室へ「名言集」制作のため資料貸出し
2012年2月9日(木) 利用者:池森康祐 貸出資料:「心の糧」 計1点
27)FM宝塚「音の博物館」放送用の参考資料としてSPレコードダビング
2012年2月29日(水)
利用者:太田哲則(本学非常勤講師)
利用資料:SPレコード 計11点
73
28)「第43回吹奏楽演奏会」内でのトロフィー展示用として展示備品貸出し
2012年3月4日(日) 貸出備品:展示用緑布
(8)情報提供
学内外の研究者、本学学生よりのレファレンスには随時対応し、新聞、放送、情報誌など
のマスメディアに対しても情報提供を行った。取材・情報提供及び文献調査等の依頼は39
件あった。
(9)実習生の受入れ
1)学芸員実習生及びインターンシップ実習生を受け入れた。学生は館スタッフ指導の
もと博物館業務全般を体験した。
①実習生:関西学院大学学生1名
京都造形芸術大学学生1名 大阪教育大学学生1名
期間:2011年8月1日(月)~8月5日(金)9:00~17:00
②実習生:昭和音楽大学学生1名
関西学院大学学生1名
期間:2011年9月5日(月)~9月9日(金)9:00~17:00
①②実習内容:〔展示〕館内展示説明、展示ケース清掃、ガイドツアー補助、
立体資料取扱い及び展示方法、ケース内資料展示、調湿剤調整
〔楽器メンテナンス〕古典ピアノシェイクダウン、ガムラン鍵盤磨き
〔資料整理〕関西洋楽受容史関連現在資料分類、音楽関連新聞記事整
理、CALIS入力(書籍及び視聴覚資料書誌データベース作成)、立体
資料データファイル作成(楽器の研究)
〔演奏〕ガムラン実習
〔その他〕DM発送準備、催事チケット作成
③実習生:本学学生1名
期間:2012年3月12日(月)~3月16日(金)9:00~17:00
実習内容:〔展示〕展示ケース清掃、キャプション設置、調湿剤交換
〔楽器メンテナンス〕ガムランメンテナンス、古典ピアノシェイクダウン
〔資料整理他〕関西洋楽受容史関連現在資料分類、音楽関連新聞記事整
理、CALIS入力(書籍及び視聴覚資料書誌データベース作成)、楽器の
調査
〔演奏〕ガムラン実習
2)中学生の地域体験学習(職場体験)を受け入れた。生徒は館スタッフ指導のもと、博物
館業務を体験した。
①单ひばりが雀丘中学校「トライやるウィーク」
実習生:生徒2名
期間:2010年5月16日(月)・18日(水)9:00~15:00
実習内容:展示ケース清掃、ガムラン鍵盤磨き、ガムラン実習、洋楽史資料整理、
楽器スタンド製作、防虫剤交換、ガイドツアー見学
74
②尼崎市立園田東中学校「トライやるウィーク」
実習生:生徒2名
期間:2011年11月7日(月)・8日(火)9:00~15:00
実習内容:展示室見学、展示ケース清掃、展示の基礎学習と展示パネル作成、グル
ープ見学会場設営補助、校史資料整理、ガムラン実習、新聞資料整理
③豊中市立第六中学校「職場体験学習」
実習生:生徒2名
期間:2011年10月26日(水)9:00~15:30
実習内容:展示室見学、展示ケース清掃、ガムラン鍵盤磨き、ガムラン実習
④豊中市立第十中学校「職場体験学習」
実習生:生徒2名
期間:2011年11月16日(水)・17日(木)9:00~15:30
実習内容:展示室見学、展示ケース清掃、封筒押印作業、新聞資料整理、ガムラン
実習、展示ケース調湿剤交換、展示パネル作成、オルガン磨き
⑤八尾市立单高安中学校「職場体験学習」
実習生:生徒1名
期間:2011年11月17日(木)9:00~15:30
実習内容:展示室見学、展示ケース清掃、展示パネル作成、ガムラン実習、封筒押
印作業、オルガン磨き
Ⅱ資料収集・管理活動
文献資料・視聴覚資料
(1)資料の収集・整理
過年度に引き続き、音楽博物館の研究領域に対応した資料分類により、次の通り文献・
視聴覚資料の整理を行った。
1)新規受入資料整理
CALISデータ作成、レファレンス室及びK406~K409資料室に配架。2011年度受入
資料のうち登録資料数は下記の通りである。
購入:
図書
23点
寄贈:
図書
19点
75
視聴覚
1点
視聴覚
0点
2)満谷昭夫氏より音楽切手約8,000枚を受贈。整理後、展示・公開予定である。
3)西岡信雄コレクション(フィールドワークDVD)受贈。整理後レファレンスルーム
で一般公開する。
4)CALISデータ整理
CDデータの遡及入力を行う(作業継続中)。資料の書誌情報のみ入力されていたCDの
データに曲ごとの詳細情報を追加入力、より詳細な検索が可能になった。
5)ファイル資料整理
逐次刊行物連載記事・論文・冊子等、書籍以外の関係資料を収集、データ入力後ファイ
リングしてK409資料室に保存(作業継続中)。
6)外国語表記資料の邦訳作成
CALISデータとして一般公開する資料の外国語表記しか無いものに日本語訳を作成
し併記する。西岡信雄コレクション(フィールドワークDVD)ドキュメントの日本
語訳を作成した。
(2)館内催事資料作成・保存
ミュージアム・コンサート/セミナー等催事のチラシ、ポスター、入場券、プログラム及
び開館カレンダーを作成、学内外への広報を行う。作成資料は催事参加者集計とともに催
事資料として保存。
(3)館関係資料収集・保存
書籍・雑誌・メディア等に掲載された、館の紹介・収蔵品・催事案内などの記事を収集、館関
係資料として保存。
76
立体資料(楽器資料及び楽器以外の立体資料)
(1)資料の展示
1)展示資料の充実
資料を有効利用するために、可能な限り収蔵せずに展示する。過年度受贈の西岡信
雄コレクションと合わせて所蔵資料を再確認、展示替えを行う。立体資料に加え、
演奏写真、解説等のパネルも追加している(作業継続中)。
2)展示資料配置変更
展示ケース内の空気環境(湿度状態)問題を解消するため資料の配置変更を行った。
湿度の高い壁面固定ケースには比較的湿度の高低による影響を受けにくい気鳴・体鳴
楽器を配置、可動ケースには弦鳴・膜鳴楽器を配置した(作業継続中)。
3)K号館正面玄関展示ケース、音楽博物館エントランス展示ケースの展示替え
K号館正面玄関展示ケースにインドネシア・ジャワ島のワヤンゴレ人形とガムラン・
ミニチュア楽器を展示。音楽博物館エントランス展示ケースに世界のベルを展示。
4)西岡信雄コレクション(人形)展示
楽器を持つ人形を楽器に併せて展示(作業継続中)。
(2)収集・整理
1)西岡コレクションの整理・登録
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昨年に引き続き西岡信雄コレクションのうち、楽器に関して音楽博物館既存分との
重複を確認、登録・非登録の分別を行う。新しく寄贈を受けたフィールドワーク画像
データを地域ごとに整理。
2)登録番号の整理
立体資料の整理区分を変更、大学資産登録(立体資料本体)と非資産登録(付属品)とす
る。これに伴い資料への登録番号付け替え作業及びCALISデータの修正を行う。また、
複数登録番号を保有している資料について、楽器卖体ごとの登録番号への組替作業を
行う(作業継続中)。登録済み楽器ケースの除籍処理を行った。
3)CALISデータの修正
記載内容のゆれを修正、立体資料ファイルとの統合を図る。楽器写真をより見やすい
ものに変更、付属品・楽器外立体資料の写真撮影及びCALISへのデータアップロード
を行う(作業継続中)。
4)画像データの作成・整理
新規登録及び未撮影立体資料の撮影を行い、デジタル画像データを作成・保存。紙焼
き保管している立体資料写真をデータ化、レイアウト・修正を行う。データは、館の
保存資料として、広報、学外等への貸出しに使用。
(3)保存・保全
1)演奏に最適な状態を保つ為、館スタッフによる古典ピアノ11台とスピネットのシェイ
クダウン(≒弾きこなし)を実施し、状態を記録している。学外技術者(調律師)よりメ
ンテナンス及び保全についての助言を受けている。演奏及び研修会使用前には学外技
術者による調律を実施。
2)昨年度に引き続き、調湿剤(アクリル酸塩系高性能樹脂等)による展示ケース内湿度
調整を行う。尚、現状では照明付き縦型ケースは閉鎖状態にあるため、照明によりケ
ース内の温度上昇が見受けられるので、天板部に通気口を設置する必要がある。
3)メンテナンス
・可能な限り、館内スタッフで楽器メンテナンスを行う。修理箇所は以下のとおり。
ジェゴガン
乾燥により亀裂の入った共鳴部竹管を取り出し、水につけ針金
で締める。乾燥後、亀裂部にエポキシ樹脂を充填補強、装飾部
の塗装を行う。
ゴレ人形
首部为軸折れ修復、衣装部の洗濯、アイロンかけ、亀裂を縫製。
ミニチュア楽器
破損部修復、不足パーツ作成。
アンクルン
破損部パーツ作成、展示用木製スタンド作成。
リードオルガン
脚部不具合調整。
椅子
ダルシトーン
分解掃除、さわり音の除去。
ダマル
布装飾部縫製
リードオルガン
空気吸込口の布地張替え
メイオルタ
リード作成
78
4階エントランス
ケース内上部に金属製すのこの取付け
展示ケース
展示ケース
フェルト張替え
・外部技術者による修復
リードオルガン
ミュージアム・コンサートで使用のエスティー社製、日
本楽器製2台の分解調整を行う。リード調律、リード室
の緩み調整、スウェル調整
アイリッシュハープ
弦張り替え及び調弦
(4)調査研究
立体資料ファイルの整備、キャプションの整理
立体資料ファイルの内容を確認、不明点の多い楽器の追調査・関連文献の収集を行い情報
の充実を計った。この調査で詳細が判明した楽器のキャプション記載事項を整理変更し
た。
関西洋楽史資料・校史資料
(1)現在の洋楽活動資料の収集・整理
洋楽活動の記録資料として演奏会のチラシ、プログラム、チケット、各演奏会場や音楽
関係諸機関発行の逐次刊行物、新聞・雑誌記事などを以下の方法により恒常的に収集し、
保管している。
1)月1回、京阪神为要ホール、プレイガイド、音楽事務所及び楽器店など関係機関への
出張
2)関西2府4県の音楽関係諸機関による催物情報の提供(郵送・FAX・メール)
3)インターネット検索
4)音楽関係の雑誌・新聞購読
明治期以来、洋楽活動の重要な記録資料として为要日刊紙を継続して購読してきたが、
今や新聞のデジタル化も進み、インターネットでの記事検索も可能となった。この現状
を踏まえ、記事のチェック及び整理に多くの労力を要する日刊紙の購読を今年度より止
めることとなった。
今年度新規収蔵資料数は約9,000点。
(2)過去の洋楽活動資料の収集・整理
当該年度以前の過去の洋楽活動資料も継続して収集・整理を行っている。昨年度の受贈
資料約20,000点に加え、今年度新たにプログラム約500点、チラシ約10,000点の寄贈があ
り、その整理作業を引き続き行っている。
また昨年度着手した過去の新聞記事の整理は当初、卖に劣化を防ぐ保存目的のために複
写して出典名・発行日を記入するだけとしていたが、資料としてはやはり使いづらく、
活用性を考えて記事内容の活動日も記入した上でその日付順に保存することとした。若
79
干手間が加わった分、予定より作業が長引いており、次年度へ持ち越しとなった。
(3)校史資料の収集・整理
学内各部署に資料提供を依頼し、月2回のペースで収集に回っている。また学内LANネッ
トワークや本学ホームページなどを通じて各種会議資料をはじめ、さまざまな資料を収集
している。本学創立100周年に向けてのプロジェクトの一環として、懸案事項であったア
ナログメディアによる記録資料のデジタル化が検討され、専門業者による見積りが出され
たが、経費の面で現在保留となっている。
現在の校史資料総データ数は41,129点、今年度新規収蔵資料数は3,393点。
その他
(1)広報
1)ホームページに催事をはじめ、随時活動情報を掲載し、館やガムランサークル“スナ
リ・サンティ”のブログなども不定期に更新している。実際にブログを読んでの問い
合わせもあり、反響を実感している。
「Classic Note」には引き続きコラムを掲載している。その他ケーブルテレビ、各種逐
次刊行物等にも情報掲載を依頼するなど、外部への積極的な広報に努めている。
また当館からの広報のみならず、近年は来館された個人や団体によるインターネット
上への掲載記事も増えている。これに伴い、そのようなブログやホームページを見て
来館される方も増えてきているように見受けられる。ただ来館者の感想は場合によっ
てはマイナス宣伝になり得ることもあるので、スタッフの対応など常に注意が必要
だと思われる。
この他インターネットについては周辺自治体や博物館類似施設、様々な観光案内を
するようなサイトから情報提供の依頼もあり、それらのホームページに当館が紹介
されたり、リンクがはられるなどしている。
今年度掲載記事および放送番組等は以下の通りである。
「掲載紙・書・サイト名」
『放送番組名』
「The Japan Australia News」
April 2011
Go Forward Australia-Japan
Pty Ltd発行
「Classic Note」第706号
NPO法人関西芸術振興会発行
「キッズプラザ通信」4・5月号
キッズプラザ大阪発行
「広報とよなか」4月号
豊中市発行
「オーケストラ・吹奏楽が楽
しくわかる楽器図鑑① 弦楽
器ヴァイオリンのなかま」
株式会社小峰書店発行
「オーケストラ・吹奏楽が楽
発行・放送日
内容
2011年4月
チャランゴ
2011年4月1日
「音の博物館」エフエム宝塚”春の企画展『世界
の楽器』”(番組紹介)
キッズプラザ大阪・音楽博物館共催「こんな楽器
見たことない!?音楽博物館がやってくる」(催事
案内)
「ひとまち探訪」音楽があふれるまち(館紹介)
2011年4月
2011年4月1日
計1点(写真)
2011年4月5日
イングリッシュ・ギター、ギター、ピッコロ・ヴ
ァイオリン2点、リュート 計5点(写真)
2011年4月5日
ツィンバロン
計1点(写真)
80
しくわかる楽器図鑑④ 打楽
器鍵盤楽器 太鼓やピアノの
なかま」
株式会社小峰書店発行
「オーケストラ・吹奏楽が楽
しくわかる楽器図鑑⑤ オー
ケストラと吹奏楽 合奏と鑑
賞の楽しみ」
株式会社小峰書店発行
『太田哲則の音の博物館』
エフエム宝塚制作
『太田哲則の音の博物館』
エフエム宝塚制作
『太田哲則の音の博物館』
エフエム宝塚制作
「Classic Note」第707号
NPO法人関西芸術振興会発行
「CDでわかるギターの名器と
名曲」
株式会社ナツメ社発行
「ホールニュースとよなか」
6・7月号
豊中市発行
2011年4月5日
楽器博物館へ行ってみよう(館紹介)
2011年4月8日
春の企画展“世界の楽器”①
馬頭琴、チャランゴ他(楽器解説)
春の企画展“世界の楽器”②
ケーナ、アルプホルン他(楽器解説)
春の企画展“世界の楽器”③
ガムラン、サンザ他(楽器解説)
「試奏コーナー充実!」(館紹介)
2011年4月15日
2011年4月22日
2011年5月1日
2011年5月5日
ウード、シタール、シターン、三味線、チャラン
ゴ、バラライカ、バンジョー 計7点(写真)
2011年6月
大阪音楽大学音楽博物館・豊中市立伝統芸能館
連携講座「世界の楽器と音楽」第6回 ~ルーマニ
アとポルトガルから~これぞ、究極のフォークダ
ンス(催事案内)
ウクレレ、シャーナーイー、ツィンバロン、バー
ンスリー 計4点(写真)
大阪音楽大学音楽博物館・豊中市立伝統芸能館
連携講座「世界の楽器と音楽」第6回 ~ルーマニ
アとポルトガルから~これぞ、究極のフォークダ
ンス(催事案内)
「夏の特別企画」(催事紹介)
「音楽ワーク(6年生用)」
教育同人社発行
「広報とよなか」6月号
豊中市発行
2011年6月
「Classic Note」第708号
NPO法人関西芸術振興会発行
日本経済新聞(夕刊)
日本経済新聞社発行
CD「麗しきムードピアノの世
界」解説本
ユーキャン発行
「Classic Note」第709号
NPO法人関西芸術振興会発行
「ムジカノーヴァ」7月号
音楽之友社発行
「マチゴト豊中・池田」vol.26
毎日新聞社発行
『千里の道も一歩一歩』
FM千里制作
「nouvelle Fontaine」vol.32
岸和田文化事業協会発行
2011年6月1日
「大正琴資料図録」
大正琴協会発行
「関塾TIMES」8月号 vol.409
関塾発行
「Classic Note」第710号
NPO法人関西芸術振興会
「マチゴト豊中・池田」vol.28
毎日新聞社発行
「Dokka!おでかけ探検隊」
Dokkaエ ン タ ー プ ラ イ ズ 株 式
会社制作
「Classic Note」第711号
2011年8月
2011年6月1日
2011年7月
お出かけナビ 楽器や資料ずらり 音楽の歴史を
体感(館紹介)
リラ・ピアノ 計1点(写真)
2011年7月1日
「夏休み 手作り楽器」(催事案内)
2011年7月1日
人形
2011年7月21日
夏休み手作り楽器(催事案内)
2011年7月22日
夏の特別企画~夏休みガイドツアー・手作り楽器
教室(催事案内・館紹介)
岸和田市・岸和田文化事業協会・大阪音楽大学音
楽博物館連携事業「音楽世界旅」VOL.6 インド
編 古典舞踊と古典音楽“北インド芸術の神秘”
(催事案内)
大正琴 計1点(写真)
2011年6月11日
2011年7月25日
計4点(写真)
2011年8月1日
わくわく全国学び体験ガイド 第6回 音楽・楽器
編(館紹介)
「実演つき移動博物館」(館紹介)
2011年8月25日
ガムラン・ワークショップ2011(催事案内)
2011年9月
大阪音楽大学音楽博物館(館紹介)
2011年9月1日
「バラエティ豊かにお届けします」(催事案内)
2011年8月1日
81
NPO法人関西芸術振興会
「JASSネット」2011年 秋号
社団法人日本セカンドライフ
協会発行
「マチゴト豊中・池田」vol.29
毎日新聞社発行
2011年9月1日
大阪音楽大学音楽博物館見学(催事案内)
2011年9月8日
第32回ミュージアム・セミナー「宇宙に旅立った
バッハの音楽」「音楽の不思議・心の不思議」(催
事案内)
第31、32回ミュージアム・セミナー(催事案内)
「うたごえ新聞」
うたごえ新聞社発行
産経新聞(朝刊)
産経新聞大阪本社発行
「KANSAI大学博物館ガイド」
Pヴァイン・ブックス発行
「ホールニュースとよなか」
10・11月号
豊中市発行
「ポピーマガジンPIKARI!!」10
月号
株式会社新学社発行
大阪府立図書館H.P.
大阪府立図書館制作
NPO法人奈良ユニバーサロン
H.P.
NPO法人奈良ユニバーサロン
制作
「広報とよなか」10月号
豊中市発行
「Classic Note」第712号
NPO法人関西芸術振興会
「マチゴト豊中・池田」vol.31
毎日新聞社発行
「京都新聞(夕刊)」
京都新聞社発行
「うたごえ新聞」
うたごえ新聞社発行
「MOSTORY CLASSIC」12月
号
産経新聞出版発行
2011年9月26日
「日本セカンドライフ協会」
H.P.
日本セカンドライフ協会制作
「ピアニスト小倉末子と東京
音楽学校」
東京藝術大学出版会発行
「全国イベントガイド」H.P.
NPO法人全国イベントガイド
協会制作
2011年10月24日
「広報とよなか」11月号
豊中市発行
2011年11月1日
「Classic Note」第713号
NPO法人関西芸術振興会
展示「大阪ミュージアム北摂
フォトギャラリーin万博」
北摂地域プロモーション部
会、大阪府为催
「マチゴト豊中・池田」vol.32
毎日新聞社発行
2011年11月1日
「ピアノ同好会─大正期関西のユニークな活動
─」(コラム)/東京音楽学校管弦合唱団大演奏
会プログラム(写真)
第70回ミュージアム・コンサート「リードオルガ
ン─足で送り出す繊細な音色─」、第71回ミュー
ジアム・コンサート「ハープ この麗しき楽器た
ち」(催事案内)
大阪音楽大学音楽博物館・豊中市立伝統芸能館
連携講座「世界の楽器と音楽」第7回 三味線が奏
でる日本の“情”(催事案内)
「ハープの彩り」(催事案内)
2011年11月1日~30日
館内写真
2011年11月3日
第70回ミュージアム・コンサート「リードオルガ
ン─足で送り出す繊細な音色─」(催事案内)/
大阪音楽大学音楽博物館・豊中市立伝統芸能館
2011年9月29日
2011年9月30日
2011年10月
2011年10月
2011年10月
第31回ミュージアム・セミナー「三味線・造って
弾いて」(催事案内)
触れて楽しむ世界の楽器が魅力(館紹介)
大阪音楽大学音楽博物館・豊中市立伝統芸能館
連携講座「世界の楽器と音楽」第7回 三味線が奏
でる日本の“情”(催事案内)
クローン・エー、バリンビン、カリンバ、ストロ
ー・ヴァイオリン、セルパン、キハーダ、三弦、
馬頭琴、カホン 計9点(写真)
大阪近辺類縁機関案内(館紹介)
2011年10月
イベント報告「弦楽器バイオリンの進化」(催事
報告)
2011年10月1日
庄内公民館为催 大阪音楽大学音楽博物館見学会
(催事紹介)
「懐かしく、繊細な音色」(催事案内)
2011年10月1日
2011年10月6日
2011年10月14日
2011年10月17日
2011年10月20日
2011年10月30日
2011年11月
第69回ミュージアム・セミナ- バリ絵巻ワヤン
・ベベル「スタソーマ」(催事案内)
第69回ミュージアム・セミナ- バリ絵巻ワヤン
・ベベル「スタソーマ」(催事案内)
第69回ミュージアム・セミナ- バリ絵巻ワヤン
・ベベル「スタソーマ」(催事案内)
第70回ミュージアム・コンサート「リードオルガ
ン─足で送り出す繊細な音色─」、第71回ミュー
ジアム・コンサート「ハープ この麗しき楽器た
ち」(催事案内)
イベント報告「大阪音楽大学音楽博物館見学」
(催事報告)
計1点(館紹介)
82
「nouvelle Fontaine」vol.33
岸和田文化事業協会発行
2011年11月5日
関西大学博物館実習展「華や
かな三味線文化」展 チラシ・
図録
関西大学博物館実習 チーム
三味線発行
豊中市H.P.
豊中市制作
「豊中市立図書館」H.P.
豊中市立図書館制作
京都市立芸術大学 日本伝統
芸能音楽研究センター第32回
公開講座「義太夫節 稀曲の復
活」チラシ
京都市立芸術大学 日本伝統
芸能音楽研究センター発行
「Classic Note」第714号
NPO法人関西芸術振興会
「マチゴト豊中・池田」vol.33
毎日新聞社発行
『ココイロ』
朝日放送株式会社制作
「Classic Note」第715号
NPO法人関西芸術振興会
「Yomi+Plusよみぷら」Vol.39
坂井靖弘発行
2011年11月10日
「ホールニュースとよなか」
2・3月号
豊中市発行
「Classic Note」第716号
NPO法人関西芸術振興会
大阪国際空港H.P.
大阪国際空港ターミナル株式
会社制作
「まるごとくーぽん(豊中
版)」Vol.176
関電サービス株式会社発行
「広報とよなか」3月号
豊中市発行
2012年2月
「Classic Note」第717号
NPO法人関西芸術振興会
『伝習館 鳥取予備校』TVコマ
ーシャル
株式会社鳥取広告社制作
「スポーツ報知(朝刊)」
報知新聞社発行
『かたらいプラザ』
J:COM豊中・池田ケーブルネ
ット制作
「nouvelle Fontaine」vol.35
岸和田文化事業協会発行
『やっぱ地元っShow03ステー
2012年3月29日~4月4
2011年12月
2011年12月
2011年12月
連携講座「世界の楽器と音楽」第7回 三味線が奏
でる日本の“情”(催事案内)
岸和田市・岸和田文化事業協会・大阪音楽大学音
楽博物館連携事業「音楽世界旅」VOL.6 インド
編 古典舞踊と古典音楽“北インド芸術の神秘”
(催事報告)
ゴッタン、三弦 計2点(写真)
第7回「世界の楽器と音楽」を開催しました!(催
事報告)
「とよなかってこんな街!」豊中市内の博物館
(館紹介)
朱入り稽古本「播州皿屋舗 青山館」 計1点(画
像)
2011年12月1日
「音楽博物館へ行こう!」(館紹介)
2011年12月1日
2011年12月15日
第71回ミュージアム・コンサート「ハープ この
麗しき楽器たち」(催事案内)
大阪・豊中「大阪音楽大学」(館紹介)
2012年1月1日
「新しい図録が出来ました」(出版物紹介)
2012年2月
2012年2月1日
岸和田市・岸和田文化事業協会・大阪音楽大学音
楽博物館連携事業「音楽世界旅」VOL.7 フラン
ス編 愛と音楽“吟遊詩人の旅”(催事案内)/
豊中市大阪音楽大学音楽博物館(館紹介)
大阪音楽大学音楽博物館・豊中市立伝統芸能館
連携講座「世界の楽器と音楽」第8回 もっと知り
たい世界の楽器(催事案内)
「飛躍する音楽博物館」(館紹介)
2011年3月
大阪国際空港周辺ガイド(館紹介)
2012年3月1日
2012年3月1日
大阪音楽大学音楽博物館・豊中市立伝統芸能館
連携講座「世界の楽器と音楽」第8回 もっと知り
たい世界の楽器(催事案内)
大阪音楽大学音楽博物館・豊中市立伝統芸能館
連携講座「世界の楽器と音楽」第8回 もっと知り
たい世界の楽器(催事案内)
「生演奏をお気軽に!」(催事案内)
2012年3月6日~
味原時代大阪音楽学校校舎(写真)
2012年3月7日
こんなに楽器に触れられるところは珍しくて楽
しい!!(館紹介)
お出かけかたらいプラザ(館紹介)
2012年3月1日
2012年3月19日~25日
1日3回放送
2012年3月25日
岸和田市・岸和田文化事業協会・大阪音楽大学音
楽博物館連携事業「音楽世界旅」VOL.7 フラン
ス編 愛と音楽“吟遊詩人の旅”(催事報告)
大阪音楽大学音楽博物館・豊中市立伝統芸能館
83
ション』
J:COM制作
関西大学博物館彙報「阡陵」
No.64
関西大学博物館発行
日 各曜日数回放送
2012年3月31日
連携講座「世界の楽器と音楽」第8回 もっと知り
たい世界の楽器(催事報告)
最近の近畿圏大学博物館事情─平成23年度大学
博物館調査から─(館紹介)
2)阪急バスの豊中、千里営業所が管轄する路線バス各10台、計20台の窓に両面ステ
ッカーを掲出し広報を行った。期間は9月14日~12月13日、2012年1月15日~4月14
日で、内容はバスの外側に館名、開館日時、料金など、内側には催事情報や館の
基本情報に加えガイドツアーやグループ見学についての案内などを入れた。
3)催事案内DMを諸関係団体および個人、各報道機関、DM希望の来館者に対して送付し
た。
(2)ミニ・デモンストレーション
今年度より、所蔵楽器の生の音をさらに体感していただこうと、月2回の定例ガイドツア
ーの前に不定期で30分~1時間程度の楽器のミニ・デモンストレーションを始めた。コンサ
ートと違って出入り自由で、演奏者との距離も近いので気さくに言葉を交わしながら、気
軽な雰囲気でお楽しみいただけているようである。今年度はリード・オルガン、古典ピア
ノ、ヴァイオリンの演奏を行ったが、今後他の楽器も増やしていきたいと考えている。
〔2011年度実施内容〕
2011年5月7日(土)
リードオルガン(演奏:大森幹子)
2011年5月18日(水)
古典ピアノ(演奏:大江梨江子 増成春奈)
2011年7月20日(水)
リードオルガン(演奏:大森幹子)
2011年8月4日(木)
古典ピアノ(演奏:辻村ゆず)
2012年1月18日(水)
ヴァイオリンの名器(演奏:松田淳一 増成春奈)
2012年2月15日(水)
リードオルガン(演奏:大森幹子)
84
(3)ガイドツアー
月2回の定例ガイドツアーに加え、毎年夏休みに親子連れの来館者が多いことから、今年
度は夏休みの第1週に定例の土曜日を含め、6日間「毎日あるよガイドツアー!」を行っ
た。期間中、土曜日がやはり一番多かったが、それ以外の平日も合計60名を超す参加者
があった。ミニ・デモンストレーションによる集客もあってか、今年度の参加者は256名
で、昨年度より7割増であった。
実施日
参加人数
ガイド担当等
2011年4月2日(土)
20名 松浦伸吾
2011年5月7日(土)
15名 松浦伸吾
2011年5月18日(水)
10名 松田淳一
2011年6月4日(土)
24名 松田淳一
2011年6月15日(水)
1名 松田淳一
2011年7月2日(土)
7名 松浦伸吾
2011年7月20日(水)
6名 小西潤子
2011年8月1日(月)
6名 松田淳一
2011年8月2日(火)
9名 松田淳一
2011年8月3日(水)
10名 藤本葉子
2011年8月4日(木)
22名 松浦伸吾
2011年8月5日(金)
11名 松浦伸吾
2011年8月6日(土)
28名 松浦伸吾
2011年9月21日(水)
3名 藤本葉子
2011年10月8日(土)
8名 松田淳一
2011年10月19日(水)
1名 塩津洋子
2011年11月5日(土)
11名 松浦伸吾
2011年11月16日(水)
2名 小西潤子
2011年12月3日(土)
3名 松浦伸吾
2011年12月21日(水)
5名 藤本葉子
2012年1月7日(土)
2名 松浦伸吾
2012年1月18日(水)
9名 松田淳一
2012年2月4日(土)
14名 松浦伸吾
辻村ゆず(演奏補助)
辻村ゆず(演奏補助)
松田淳一
松田淳一
85
2012年2月15日(水)
9名 小西潤子
2012年3月3日(土)
13名 松浦伸吾
2012年3月21日(水)
7名 藤本葉子
(4)日本博物館協会「国際博物館の日」記念事業への参加
博物館の社会的な重要性についての普及啓発を行うことを目的とする事業に本年度より
参加した。
2011年5月18日(水) 13:00~14:00
ミニデモンストレーション
14:00~ガイドツアー
当日の来館者には記念品(楽器シール、ポストイット(博物館協会提供))を進呈した。
(5)移動音楽博物館
より多くの方々に当館の存在を知っていただき本学の広報にもつながればと、こちらから
86
出向いて様々な楽器を紹介する“移動音楽博物館”と名付けた活動を新たに開始した。当
館の所蔵楽器を持ち込んで実演付きで説明するとともに、参加者にも楽器に触れて楽しん
でいただこうというものである。今年度は本学の行う中学生・高校生対象の出張授業の一
環としてスタートした。今後当館独自の事業として展開していきたいと考えている。
(6)キッズプラザ大阪との共催事業開始
こどものための博物館・キッズプラザ大阪为催の「音のどうぐ 世界の楽器たち」という
催しに当館が協力し、会期中の一日、共催でイベントを行うことになった。普段子供た
ちが見慣れない珍しい楽器を、当館スタッフが演奏を交えて紹介し、子供たちにも音を
鳴らして演奏に加わってもらう参加型の催しで、企画も当館が担当。この他展示楽器の
貸出し、及び会場で放映するフィールドワーク映像の提供も行った。
(7)コレクション図録「人形たちのシンフォニー」作成
浜松市楽器博物館の特別展開催に伴い、両館の人形コレクションを一冊にまとめた図録
を共同製作し発行した。A5版82頁、全頁カラー。一冊800円で販売。
(8)夏休み特別企画
夏休みの特別企画として、6日間のガイドツアーに加え、小・中学生を対象に「館長と一
緒に!夏休み手作り楽器」という催しを行った。館長の指導の下、午前・午後の部に分
けてウグイス笛とカリンバを製作した。いずれも定員を超える申し込みがあった。小学
生は保護者同伴で、親子で一緒に楽器製作を楽しんでいただいた。
(9)中学生サマー・セミナー
大学コンソーシアム大阪が加盟大学に参画を募り実施している大阪中学生サマー・セミ
ナーが本学で行われ、その1コマを当館が担当した。これは大阪府下の中学生に呼びか
け、キャンパスで大学の授業を体験してもらうというもので、本学は昨年度から参画し
ている。当館も昨年は展示室を会場として提供したが、今年度は授業自体を担当した。
館内の様々な楽器に触れて音を出し、スタンプラリーをしながら楽しんで世界各地の楽
器について学んでもらえるよう工夫した。
87
(10)館員研修
音楽博物館展示室にて、館員研修として藤田隆館長による館内ガイドツアー及び手作り
楽器体験を行った。音を出すしくみ、倍音について等を学んだ。また手作り楽器体験で
は「トイレットペーパーの芯笛」作りを体験した。
実施日2012年2月29日(水) 10:00~13:00
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音楽博物館2011年度入館者数(2011年4月1日~2012年3月31日)
学内
学外
学生
教職員
授業参加者
139人
158人
23回 553人
個人
開館日:274日
学内・学外
合計
グループ見学
催事参加者
1379人 66件 1504人
11回 738人
4471人
音楽博物館2011年度スタッフ
館長:藤田隆(教授)
研究員:塩津洋子(准教授)
事務担当:米澤琴子
学芸担当:小西潤子(学芸員)
藤本葉子(学芸員)
パートタイム職員:大江梨江子
多田桃子
松浦伸吾(研究技術員)
辻村ゆず
野口朊恵 早田光子(9月15日より)
土橋祐貴子
松田淳一(研究技術員)
永田正彰(8月31日まで)
増成春奈
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本誌執筆者(五十音順)
塩津洋子(准教授:洋楽受容史)
松浦伸吾(研究技術員)
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大阪音楽大学音楽博物館年報 「音楽研究」第27巻【オンライン版】
発行:大阪音楽大学音楽博物館
2012年12月20日
〒561-0841 大阪府豊中市名神口1-4-1
TEL 06-6868-1509 / FAX 06-6865-1221
2011
Music Research
Vol.27
MUSEUM OF THE OSAKA COLLEGE OF MUSIC
Published by
MUSEUM OF THE OSAKA COLLEGE OF MUSIC
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