おぞましい「笑い」 法学部法律学科 松浦千春 「笑い」が、私にはとても

おぞましい「笑い」
法学部法律学科
松浦千春
「笑い」が、私にはとても恐ろしい。笑うことも、笑顔も、笑い話も。バラエティーや
お笑い番組となると、お互い笑わせ合い、視聴者までも笑わせようとする出演者を、踏み
つぶし、砕き、形を失うまで殴りつけ、切り裂いてガソリンをかけて火をつけたくなる。
私は笑いを畏怖して避ける。動物の中で笑うのは人間だけだそうだ。これ以上おぞまし
い習性はない。
食べるためでなく、自分の利益のため、快楽のため、憎しみのため人を殺し、他の動植
物まで巻き込む戦争や原発事故などの愚行を犯すのは、人間だけである。そんなおぞまし
い生物である人間の特性であるという時点で「笑う」なんてのは最悪だ。
私は極力笑わない。目が笑っていないと言われる。でも、ときどき今笑っていると自覚
する時がある。それは、他人にひどい言葉を投げかけられて心が傷ついた時や、後悔にま
みれて不安な時である。心のよどみをかき消そうと、顔は勝手に無様な薄ら笑いを浮かべ
る。それに気づくたび私は、笑顔を消すため必死で顔の筋肉の力を抜く。だから、笑顔の
たび、顔の力は抜けて間抜けになり、さらに醜くなっていくという悪循環に陥る。私の笑
顔はみっともなくて卑しいから。不細工な面をこれ以上醜くしないためにも、能面のよう
に無表情でいたい。
人はどんな時に笑うのか、今までの経験から推測してみた。まず、上記で述べたように、
心理状態が不安な時。何故なのかは分からないが、卑屈な笑顔を浮かべる。理由はきっと、
脳のメカニズムにあるのだろうから専門家ではない私は分からない。
第二に、自分が相手より圧倒的に有利な立場にいる時――つまり自分より不幸で弱くて
不利な立場にいる人間を目にした時だ。昔ながらのギャグ漫画やコントは、根底はこの流
れの延長線にある。私を殴ったり閉じ込めたり罵倒したり責めたり、理不尽な危害を加え
てきた連中は、みんな一様にニヤニヤニヤニヤヘラヘラヘラヘラして、それはそれは楽し
そうに笑っていた。完全に自分の支配下に置き、好きなように扱える存在――それはすな
わちおもちゃである。ましてやその対象が人間(動物を虐待して喜ぶ鬼畜もいるが)であ
る場合は、
反応がある分おもちゃよりもずっと相手にしがいがあるのだろう。
他者を虐げ、
自分より不幸な状態になったのが確認できた時、人は愚かで残酷な幸せをかみしめ笑うの
だ。
しかし、私もそんな愚かな人間の一員であった。少女時代、家庭の事情でボロボロにさ
れたクラスメイトがいた。親が不仲で弟だけが甘やかされ、親戚の家に家出しているとい
う噂だった。もともとしっかり者で、少しうっとうしいくらい快活な子だったのに、その
面影はなくなり、一日中保健室で毛布にくるまって、ほとんど何も言わず表情もなくして
じっとしていた。
私は、彼女を踏みにじった大人が心の底から許せなかった。もちろん、大人たちにもつ
らい事情はあっただろうし、よその家庭のことを私がとやかく言う権利はない。でも、だ
からと言って子供をぐちゃぐちゃに潰していいはずはない。私は、一日でも早く元気な彼
女に戻ってほしいと願っていた。
でも私は汚かった。卑怯な笑顔を浮かべた。卒業を間近に控えた寒い冬の日、彼女はい
つものように保健室でぼんやりしていた。私は、校則違反でのど飴を持って来ていた。私
は彼女に近づいて、
「風邪引かないようにね」と言ってのど飴をあげた。彼女はきっと、そ
の時残っていたであろうありったけの力を振り絞るかのように微笑んで受け取った。それ
を見て私も珍しく笑った。彼女が久しぶりに笑ってくれたこと、役立たずな自分でも誰か
の力になれたことが、本当にうれしかった。
でも、私は思う。私は純粋な思いだけで笑ったのではなかったのだ。私も追い詰められ
ていたのは同じだった。誰一人信じられず、体調も崩してばかりだった。当時は自分に発
達障害があるとまだ分かっていなかったから、親とも上手くいってなかった。でも、私に
はとりあえず帰る家はある。サボりや欠課も多かったけど、一応授業にも出られる。帰る
場所を失って、一日中毛布にくるまって震えている子に比べたらかわいそうじゃない。そ
んな思いは自覚さえしていなかったけど、
確実に私の中にあった。あの時私が笑ったのは、
「自分よりかわいそうな存在」を間近ではっきりと、確実に確認できたからだ。私は笑い
を忌み嫌いながら、この世で誰よりも醜い笑顔を持つ汚い人間だ。それ以来笑うのをやめ
た。泣くのも減った。驚くのも怒るのもバカらしくなった。感情を表す代わりに、カッタ
ーやたばこで自傷行為を行うようになった。そのほうが楽だし、血や膿を見ると穏やかな
気持ちになることを覚えたから。
それから私は誰と接するでもなく自分の内面世界で過ごしたり、動物とだけ仲良くする
日々を何年も送ってきた。しかし、二回だけ、心から笑い合った?時がある。
それは、オーストラリアにホームステイした時と、タイとカンボジアにスタディツアー
に行った時である。その時だけは、写真に写る私はちゃんと笑っている。楽しいと感じた
のも、日本ほど同調意識が強くなく、閉塞感が少なくて居心地がよかったのも事実だ。そ
れは、自分より不幸な人を見つけた時のような卑劣な笑いではなく、純粋に「自分が楽し
かったから」沸いた笑いだった。
でも、その二つの純粋な喜びの笑いには、大きな共通点がある。それは、それらの体験
が「一期一会で一過性」ということである。オーストラリアでもタイ・カンボジアでも、
出会う人々は(現地の人も同じツアーの人も)その場限りの付き合いである。それから先
出会うことはないから、私は相手を人というよりモノ、流れていく風景のように感じてい
た。以前、ある人から「あなたは人間関係を取引として見ている」と言われたことがある
がその通りだ。もしも、その後も長長と続く付き合いになっていたら、お互いの汚い面を
みる羽目になり、私はきっとげんなりとしてますます笑うことへの嫌悪感を募らせていた
と思う。それに「ホームステイ先の家族」や「旅先で出会った小さな子供たち」というと、
微笑ましい交流を想像しがちだが、彼らも同じ人間である。私のたどたどしい外国語を聞
いて、ニヤッと笑い合っていたのを見た。別に私はだからと言って彼らを憎んだり意地悪
な人間だと思っていないし、傷ついてもいない。彼らにしてみれば、赤ちゃんが言葉の言
い間違いをしているのと同じ感覚で、かわいいという感覚で笑ったのだろう。でも、それ
もやはり一種の見下しである。微笑ましいと見下すは同じ源から沸いている。日本語の下
手な外国人タレントがかわいがられているのがいい例だ。こんな分析しかできない自分が
嫌になるけれど。
話は変わって、
「笑い」について印象的だったのは、カンボジアのトゥールスレン博物館
を訪れた時のことだ。この博物館には、ポルポト政権による国民の大虐殺に関するものが
生々しく大量に展示されている。その中でも特に印象的だったのは、大きく引き伸ばされ
た殺される前の無数の罪なき囚人たちの顔写真だった。恐怖に目を見開き顔をこわばらせ
ている人、絶望して生気を失っている人がもちろん多いが、意外にもこれから拷問にかけ
られ殺されるというのに、笑っている人もたくさんいたということだ。ガイドさんに、
「彼
らは理不尽な仕打ちに反抗するため、あえて笑顔で写ったのです」という説明を聞いた時
は、とてもショックだった。もともと笑顔にいい気持ちは持っていなかったけれど、心の
どこかに残っていた「笑顔=幸せ」の定義は完全に崩れた。そして同時にものすごく疑問
に思ったこともある。笑ったりなんかしたら、もっとひどい拷問を受けるだけなのに、ど
うしてそんな危険を冒してまで自分を貫こうとするのか。彼らを駆り立てるものは何なの
かと。私はポルポト派に捕まっても自分の尊厳を命に代えても守ろうとした人々に、もの
すごく失礼な言いかたではあるが、手足をもがれても生きている虫を見た時のような、一
種の畏怖の念を抱いた。
そして私は、この想いと似た気持ちを抱いたことがあった。それは、私の故郷・広島の
被爆者の話を聞いた時のことだった。人々は原爆が落とされた時、全身に重傷を負いなが
らも、生きるため必死で歩いた。その時私はどうして?と思った。全身に大やけどを負っ
て、とてつもなく痛くて苦しいはずだし、助かったとしても後遺症に苦しまなくてはなら
ない。私だったらきっと、
「死んだほうが楽、マシ」と考えて、高いとこから飛び降りるか、
舌を噛んで自分から命を絶つだろう。それなのになぜ生きようとするの?絶望の底にいる
も同然なのに?と、私は「人間の生きようとする意志」が理解できなかった。ましてや、
被爆者の方々が一番つらいのは、多くの仲間が犠牲になったのに、彼らを助けられなかっ
た自分が申し訳ない、自分だけ幸せになるのがつらい、という思いだと知った時はとてつ
もなく悲しかった。地獄のような状況から生還できたことを喜んでいいはずなのに、ほか
の人を思う優しさがあるという事実に、私は言葉にならない感情を覚えた。
つまり私は、ポルポト政権にしろ被爆者の方々の話にしろ、
「死ぬこと」より「生きるこ
と」に進んだ人間の「生命力」が恐ろしかったのだ。ただ、死んだほうが苦しみから・す
べてから解放されるのに、なぜ人間は生きようとするのか……。そして「笑い」とは人間
にしかない性質、つまり人間の生命力に直結するものだと思う。だからこそ、いつもすぐ
に「死」を思う私にとっては「生」を象徴する「笑い」が怖いのでは、と自己分析するよ
うになった。
長々と書いてみて思ったけれど、
私が笑いを嫌うのは、
きっと自分に自信がないからだ。
何一つ取り柄がないから、人より優位に立てる時なんてないし、笑顔そのものも間抜けに
なるようで苦手だ。そして何より、私はいまだに「生きていること」が「死を選ぶ」ことよ
り良い選択だとは思えないから。「生きろ」と言うのはある意味、
「死ね」と同じくらい残
酷なことだと思う。現実はドラマじゃないから、頑張って生きていても幸せな未来が待っ
ているとは限らない。それに、最近のいじめのあまりのむごさ・陰湿さを見ていると、と
てもいじめられている子に「生きろ」とは言えない。正直、誰一人味方のいない無間地獄
から抜け出す方法がほかにないなら、
「もう死んで終わりにしてもいいよ、頑張らなくてい
いから」と思う。
だから私は、
「笑い」を肯定する文章を書けなかった。たくさんのスマイル君が大きくプ
リントされた明るいポスターを作ってくださった主催の方々本当にごめんなさい。私は「笑
い」が、いや笑いをつかさどる「人間」が怖い。たぶん私は、人間を知ろうと余計な負の
知識を詰め込みすぎたせいで、人間の悪い部分を見すぎたのだと思う。枯葉剤・原爆・ナ
チスの大量虐殺・チェルノブイリ原発事故・ポルポト政権の大量虐殺……知れば知るほど、
人間が嫌いになっていった。人間は良いこともしているはずなのに、不思議な事に悪い部
分だけがスポットライトを当てたようにくっきりと見える。
そのうちに私は、地球に本当の平和が訪れるためには、人間の滅亡しかないとさえ考え
るようになった時期もあった。人間は、貧弱な体に大きな頭をもってしまったがゆえに、
自然界の生態系を壊し、ほかの動植物や自然にひどいことばかりしている。そんな人類を
滅ぼす第一歩は、人間の醜い部分の表れで、寿命を延ばすことにも一役買っている「笑い」
(ガン細胞を抑制するといわれている)を世界から消すことだと思った。そうなったら、
人間からは活気が消えて、寿命も短くなるだろう。しかし、そんな世界も想像してみたら
さみしいと思う自分もいた。沈んだ気持ちがさらに深い沼に落ちていくようだ。
笑いたいとはまだ思えない。でも、笑いを受け入れたい、とは思う。それがほんの少し
でも。そのためには、
「笑い」に対する自分のマイナス意識を払拭しなくてはならない。例
えば、誰かの喜びを自分のことのように喜んで笑う……など、
「見下す」ではなく「見上げ
る」又は「対等な目線に立つ」などに人を傷つけることのない笑いを見つけていけたらい
いと思う。そして、人間はたくさんの過ちを犯してきたが、同時に行ってきた良いことを
探すよう努めていけるようになりたい。長年積み重なった人間不信は簡単に溶けそうには
ないけれど、今まで得た知識も、過去を嘆くためではなく先へ活かしていけるように考え
方を変えたい。自分自身が生きることへの恐怖から解放されて、心を楽にして生きる方法
を見出せるように。
人間は完ぺきではない。だから、自分が優位に立った時に出る「差別の笑い」を消し去
ることはできない。良いところと悪いところがあるから人間なのだ。だから、人間の良い
面を探す努力をしつつ、悪い面も直せるところは直し、本能的な部分はある程度までは受
け入れられるように自分自身成長したい――今回の「笑」というテーマを通じて、私はそ
んなことを考えた。