参考資料 作物の遺伝子を思い通りにピンポイントで改変することに世界で初めて成功 【背景】 これまでの植物の品種改良は、近縁種の掛合せによる「交雑育種」や、放射線や化学物 質によって突然変異を誘起し、その子孫の中から良い形質(形態と性質を合わせた言葉) を獲得したものを選抜する「突然変異育種」によって進められてきました。突然変異育種 は望むべき農業形質が交配可能な近縁種に見出せない場合に有効な手法ですが、一般に突 然変異はランダムに生じるため、期待する変異が生じた植物を得るには、多大な労力を必 要とします。また、意図しない突然変異も同時に起こるので、これらを取り除かねばなり ません(図 1a)。 一方、近年の分子遺伝学的手法の進展により、農業上有用な形質を支配する変異が DNA の塩基配列レベルで同定できるようになりました。また、タンパク質の構造解析の結果を 基に、改良型タンパク質(およびその遺伝子)を設計することも可能になってきました。 このような有用な知見を育種に役立たせるには、特定の遺伝子をピンポイントで改変する 技術が必要になります。相同組換えを利用したジーンターゲッティング(図 1b)は、ピン ポイントでの遺伝子改変を可能にする手法として、これまでも盛んに研究されてきました。 しかし、高等真核生物においては、特別の細胞系以外にこの手法を適用できず、ジーンタ ーゲッティングによる遺伝子改変の成功例も極限られたものでした。 最近、モデル植物であるシロイヌナズナにおけるジーンターゲッティングの成功例やイ ネのジーンターゲッティングによる遺伝子破壊が報告されました。しかし、作物の遺伝子 を、ジーンターゲッティングを介してピンポイントで改変した成功例はありませんでした。 【成果の内容】 アセト乳酸合成酵素(ALS)は、分岐鎖アミノ酸であるバリン、ロイシン、イソロイシンの 生合成に働く鍵酵素であり、スルホニルウレア(SU)系、イミダゾリノン(IM)系、ピリミジ ルカルボキシ(PC)系除草剤の標的タンパク質にもなっています。そこで、ALS の遺伝子に点 突然変異を導入し、変異型 ALS を発現させることで、分岐鎖アミノ酸の蓄積量を増やすこ とや、除草剤耐性を付与することが可能になると期待されます。 我々は、既に PC 系除草剤ビスピリバック Na 塩(BS)に耐性を示すイネ培養細胞を 2 年 間にわたる選抜により単離し、BS 耐性が ALS 遺伝子上の 2 点の変異に起因する事を明らか にしています(図 2a)。しかし、この細胞株は長期の培養により植物体に再生する能力が失 われていました。 本研究では、先ず BS 耐性型の ALS 遺伝子領域を BS 耐性細胞よりクローン化し、これを 加工し、通常の遺伝子導入では BS 耐性が付与されず、ジーンターゲッティングが起きたと きのみ BS 耐性が付与されるようなベクター(遺伝子の運び屋)を作成しました。これを我々 の開発した迅速かつ高効率の遺伝子導入法を用いてイネに導入し、BS に耐性を示すイネを 選抜しました(図 2b)。その結果得られた 66 個体の耐性イネを解析したところ、約 2/3 の 耐性イネでは、2 点の変異以外に外来遺伝子(ベクター由来の遺伝子)の導入が検出されず、 相同組換えにより、2 点の変異のみが導入されていることが明らかとなりました。次の世代 においては、BS 耐性の ALS 遺伝子のみを持つイネが、メンデルの法則に従って出現しまし た。極めて興味深いことに、このイネは BS による生育阻害を殆ど受けませんでした(図 3)。 この極めて強力な BS 耐性は、BS に感受性の内在性(野生型)ALS が排除されたことによっ て初めて獲得した形質だと考えられます。このように内在性の遺伝子を改良型の遺伝子に 完全に置き換える事は、従来型の形質転換技術(図 1c)ではできず、ジーンターゲッティン グ手法によって可能になります。 これまでにも、ALS を阻害する除草剤に対して耐性の作物が選抜され、実際に世界中で広 く栽培されていますが、その開発には大規模なスクリーンニングを必要としました。これ に対し、本研究で開発した手法を用いることにより、除草剤耐性 ALS 遺伝子を効率的・計 画的に導入することが可能となりました。 この研究は、農林水産省委託プロジェクト研究「有用遺伝子活用のための植物(イネ)・ 動物ゲノム研究」の「組換え体を用いた有用遺伝子の大規模機能解明と関連技術の開発」 で実施されたもので、成果の概要は The Plant Journal に掲載の予定で、これに先立ち 2007 年 8 月 9 日にオンライン版 で公表されました。 Masaki Endo, Keishi Osakabe, Kazuko Ono, Hirokazu Handa, Tsutomu Shimizu, Seiichi Toki Molecular breeding of a novel herbicide-tolerant rice via gene targeting The Plant Journal (Online Early Articles). doi:10.1111/j.1365-313X.2007.03230.x http://www.blackwell-synergy.com/doi/full/10.1111/j.1365-313X.2007.03230.x 【今後の展開】 一般に、特定の除草剤とそれに耐性の作物の組合せを長期間栽培し続けると、除草剤耐 性雑草の出現が問題になります。従って複数の除草剤に対する耐性作物ラインを用意し、 それらのローテーションを組んで栽培し、特定の除草剤を連用しない事が望ましいと考え られています。その意味においても、除草剤耐性作物をジーンターゲッティングの手法を 用いて計画的に育成すれば、望ましい雑草防除の体系を構築できると考えられます。 また、本研究では、除草剤耐性を指標に、ジーンターゲッティングが生じた植物体の選 抜を行いました。このように、ジーンターゲッティングの結果付与される形質の選抜が比 較的容易な場合(例えば、耐塩性、色素合成能力の付与等)は、本研究で行った手法を直 ちに適用することが可能です。しかし、付与される形質に対する直接的な選抜が困難な場 合も考えられます。そのような事例に対応する為に、ジーンターゲティングが起こってい る植物体を、ジーンターゲッティングによって付与される形質とは無関係に選抜する手法 の開発や、標的遺伝子におけるジーンターゲッティング効率の大幅な改善に取り組んでい ます。 高等植物のジーンターゲッティングは効率的・計画的な育種を可能にするだけでなく、 必要最小限の遺伝子改良であることから、一般消費者にも受け入れられやすい手法だと期 待されています。今後、植物の育種にとって不可欠な手法になると考えられます。 【用語説明】 相同組換えとジーンターゲッティング 相同性の高い DNA 鎖が組み換えられる現象を「相同組換え」といいます。相同組換えは 生体内において、大きく二つの役割を持ちます。先ず体細胞(植物では根・茎・葉を作る 細胞)では DNA 鎖上に生じた傷を修復する際、相同組換えが用いられます。このとき、傷 のある DNA 鎖の修復は無傷の DNA 鎖を鋳型(お手本)として利用して行われます。また、 相同組換えは子孫(種子)を作る際にも使われ、この場合は花粉由来の染色体と卵細胞由 来の染色体が相同組換えを起こすことにより、遺伝子の多様性を作り出しています。 「ジーンターゲッティング」とは、生物が DNA 鎖上の傷を修復する際、細胞外から導入さ れた DNA 鎖を鋳型として利用した結果、起こるのではないかと考えられています。 品種改良 遺伝的形質を利用して生物を改良し、新しい有益な品種を育成することを育種といいま す。育種には交雑育種(遺伝的に異なる品種を人為的に交配する)、突然変異育種(人為的に 誘発された突然変異を利用する)、倍数体育種等があり、放射線による品種改良は突然変異 育種に相当します。突然変異育種は放射線の他にも薬剤や、組織培養中の変異等を利用す ることがあります。突然変異育種法は、交雑育種と比較した時、既存の品種に存在しない 遺伝子や野生種にしか見出せない遺伝子を誘発することができる、原品種の遺伝子型を大 きく変えずに特定の形質を突然変異で改良できる、栄養繁殖をする作物の改良に役立つ等 の利点があります。 イネへの迅速かつ高効率の遺伝子導入法 イネへの遺伝子導入(形質転換)は、土壌細菌アグロバクテリウムを介した手法により 行われます。しかしながら、形質転換イネを作成するのに約3ヶ月の培養期間が必要でし た。これに対し我々は、イネ種子の胚盤付近から誘導した初代培養細胞にアグロバクテリ ウムを接種すると、高効率で形質転換が起こることを見出し、さらに培養条件を検討する ことにより、約1ヶ月で形質転換イネを作成する系を開発しました。 (a) 突然変異育種法 (b) ジーンターゲッティング法 (c) 従来の遺伝子導入法 ランダムな 遺伝子導入 相同組換え 放射線や化学物質に よる突然変異の誘起 目的外の変異 目的の変異 (病気に強い、乾燥に強いなど) 目的の変異 目的外の変異 目的外の変異も生じる。 図1. 目的の変異のみが、 目的の場所に入る。 目的の変異を持つ遺伝 子は導入できるが場所 は選べない。 突然変異育種法、ジーンターゲッティング法、従来の遺伝子導入法の比較 (a) ALS遺伝子 ベクターの構築 二年間培養したイネ細胞の中から除 草剤耐性となった細胞を選抜した。 遺伝子の配列を調べ、ALS遺伝子中の変異が 除草剤耐性の原因であることをつきとめた。 アグロバクテリウムを介して、ベクター を植物細胞の核へ導入する。 核 (b) 除草剤耐性イネへの再生 植物細胞 ビスピリバック耐性細胞の選抜 図2. ジーンターゲッティング法による除草剤耐性イネの作出 相同組換えにより、植物細胞のALS遺伝子 に除草剤耐性変異が入る。 ALS活性の阻害率 (%) 100 90 80 70 ビスピリバックNa塩 1 kg/ha 60 50 40 30 20 10 0 10-9 10-8 10-7 10-6 10-5 低 10-4 (M) 高 除草剤 (ビスピリバックNa塩)の濃度 元品種 ジーンターゲッティング法により作出したビスピリバックNa塩耐性植物体 従来の遺伝子導入法で作出したビスピリバックNa塩耐性植物体 元品種 元品種 ジーンターゲッティング 個体 ジーンターゲッティング 個体 図3. ジーンターゲッティングにより育成したイネは、高濃度の除草剤ビスピリバック にも耐性を示す
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