ピアノ関連略年表

作成:渡邊順生 2007.06.09.
ピアノ関連略年表
ピアノの歴史
c1440
ズウォレのアンリ・アルノー、ブルゴーニュ公の下で、スクウェア型
の鍵盤付ダルシマーを製作(設計図が現存)。
16-17C 鍵盤付ダルシマーの開発に関わる様々な試みが行われる。
1690s
フィレンツェのメディチ家の楽器管理官であったバルトロメオ・クリ
ストフォリ Bartolomeo Cristofori がピアノを発明(クリストフォリ
のピアノは、 1700 年のメデチ家の楽器リストに初めて記載された
ため、 1700 年がピアノ発明の年とされている)。
1709
ヴェローナのシピオーネ・マッフェイ侯爵、フィレンツェにクリスト
フォリを訪問し、ピアノを検分。
1711
マッフェイによるクリストフォリ・ピアノの紹介「 Gravicembalo col
piano e forte (ピアノとフォルテを備えたチェンバロ)」(『イタリア
文学』誌上。 1719 年に再刊)
1717
クリストフ・ゴットリープ・シュレーター、この年にドレスデンでピア
ノを考案したと主張。[1738/47]
1725
ドレスデンの宮廷詩人ケーニヒによるマッフェイ論文のドイツ語訳
(マッテソン『音楽批評』に掲載)。
1728
シュタイン Johann Andreas Stein 誕生。
1731
クリストフォリ没
1732/33 ジルバーマン Gottfried Silbermann が2台のピアノを製作し、
内1台をザクセン選帝侯に献上。他の1台をJ・S・バッハが試奏。
バッハによるコメント「アクションが重く、高音域が弱い」。
楽器と音楽・その他・日本の事情
c1700
1702
1706
1707
1714
1716
1719
1720s
1728
1732
1733
1745
1746
1747
1748
1749
1751
1735
1740
ゲーラのフリーデリーツィ、ピラミッド・ピアノを製作。
フリードリヒ大王、ジルバーマンよりピアノを購入。
J・S・バッハがポツダムの市中宮殿にフリードリヒ大王を表敬訪問
し、ジルバーマンのピアノで即興演奏をする。内1曲が《音楽の
捧げ物》の『3声のリチェルカーレ』として出版される(このピアノ
は、第二次世界大戦中に宮殿と共に焼失。)
シュタインがジルバーマンの甥ヨハン・アンドレアス・ジルバーマ
ン(ストラスブール)に弟子入り。
シュタインがレーゲンスブルクのフランツ・ヤーコプ・シュペート
Franz Jacob Späth の下で修業する。
レーゲンスブルクのシュペート、タンゲンテンフリューゲルをボン
の選帝侯に献上。
シュタインがアウクスブルクに定住、オルガン工房を開く。
1766
ヨハネス・ツンペ Johannes Zumpe 、ロンドンにてスクウェア・ピ
アノの製作を開始。
1768
J・C・バッハ、ツンぺのスクウェア・ピアノを購入。
c1770
フリーデリーツィ、「フォールビアン」と呼ばれるスクウェア・ピアノ
を開発。ドイツにおけるスクウェア・ピアノ製作、活況に導く。
1770
エラール Sébastien Erard 、チェンバロとハープの製作者として
パリに工房を開き、 1777 よりスクウェア・ピアノの製作を開始。
1772
アメリクス・バッカース Americus Backers 、イギリスにおける最
初のグランドピアノを開発。
1775-6? ストダート Robert Stodart 、ブロードウッド John Broadwood よ
り独立してスクウェア・ピアノ製作を開始。
1777
1781
c1782
1783
1784
モーツァルトがマンハイム・パリ旅行の往途、アウクスブルクのシ
ュタイン工房を訪問。シュタインのピアノに魅了され、絶賛する
(父への書簡)。
この頃、ヴァルター Anton Walter がウィーンで工房を開き、ピ
アノ製作を開始する。
モ-ツァルト、ヴァルターのピアノを入手。
ブロードウッド、スクウェアピアノのアクション(ツンペ方式の改良
型)で特許を取得。
フェルディナント・ホフマン Ferdinand Hofmann がウィーンに
工房を開き、シュタイン方式のピアノの製作を開始。
1749
1750
1753
1756
1757
1762
1763
1770
1774
1775
1776
1779
1781
1782
1784
この頃、ザクセンのパンタレオン・ヘーベンシュトライトが大型の
ダルシマーを開発し、演奏活動を開始(後に、その楽器を「パ
ンタレオン」と称する)。
アレッサンドロ・スカルラッティ、息子のドメニコ(当時16歳)を伴
ってフィレンツェのトスカナ大公を訪問。
大石良雄ら旧赤穂藩士46名、吉良邸に討入り。
ヘンデル、トスカナ大公の招きでフィレンツェを訪問。
ヘンデルのローマ到着。その後(1709 頃?)、オットボーニ枢機
卿の宮殿でD・スカルラッティと音楽試合(マナリングの記述)。
J・S・バッハの次男カール・フィリップ・エマーヌエル誕生。
徳川吉宗、第八代将軍となる。
D・スカルラッティ、ポルトガル王の宮廷礼拝堂楽長となる。
J・S・バッハのクラヴィーア作品(《平均律クラヴィーア曲集第1
巻》 1722 、《インヴェンションとシンフォニア》 1723 、《6つのパ
ルティータ》 1725-30 )
D・スカルラッティ、スペインのマドリードに移る。
ジュスティー二 Lodovico Giustini が初のピアノ曲集を出版。
"Sonate da cimbalo di piano, e forte ... Opera prima,
Firenze" ポルトガル王子ドン・アントニオに献呈。
ハイドン誕生。
ライプツィヒ新聞の記事「明水曜6月17日、ツィンマーマンの庭
園において、午後4時からバッハのコレギウム・ムジクムが楽し
い演奏会の幕を開け、以降毎週一回の演奏活動を続けることと
なった。尚、当地では未だ演奏されたことのない新しいチェン
バロが披露されるので、愛好家はもとより専門家も大いに期待
して頂きたい。」
J・S・バッハの末子ヨハン・クリスティアン誕生。
プロイセンのフリードリヒ2世(大王)即位。ベルリンにオペラの開
設を命じる。
神聖ローマ皇帝カール6世没。マリア・テレジア、ハプスブルク
世襲領を相続。オーストリア継承戦争勃発(~1742)。
同年、ヘンデルがピアノを弾いたという記録がある。
J・S・バッハがジルバーマンのピアノの販売を仲介。
J・S・バッハ没。
C・P・E・バッハ『正しいクラヴィーア奏法』第1部出版。
ゴットフリート・ジルバーマン没。
W・A・モーツァルト誕生。
七年戦争、勃発(~1763)。
D・スカルラッティ、マドリードで没。
J・C・バッハ、ロンドンに登場。
C・P・E・バッハ『正しいクラヴィーア奏法』第2部出版。
レオポルト・モーツァルトが7歳の息子ヴォルフガングにシュタイ
ンのクラヴィコードを買い与える。
ベートーヴェン誕生。
杉田玄白、前野良沢ら『解体新書』を訳す。
モーツァルトがミュンヘンで、ベーケとピアノで音楽試合を行う。
同年、ザルツブルクのコロレド大司教の宮廷で、スクウェアピア
ノを購入(ツヴァイブリュッケンのクリスティアン・バウマン作)。
アメリカ独立戦争開始。
アメリカ独立宣言、採択・公布。
C・P・E・バッハ《識者と愛好家のための曲集》全6巻(~1787)。
モーツァルトがウィーンに定住。この年の冬、モーツァルトとクレ
メンティが皇帝の御前で音楽試合を行う。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス、創立。
J・C・バッハ、ロンドンにて没。
この頃、モーツァルトがピアノ協奏曲の傑作群を相継いで作曲。
この頃より、ベートーヴェンがシュタインのピアノに馴れ親しんで
いたと伝えられている。
ピアノの歴史
1785
1787
ブロードウッド、グランドピアノの製作に参入。
ハイドン、ヴェンツェル・シャンツ Wenzel Schanz のピアノ(スク
ウェア型?)購入。
楽器と音楽・その他・日本の事情
1787
1788
c1790
1791
1794
1795
1798
1802
1803
1806
1807
1808
1809
シートマイヤー Schiedmayer 一族、南ドイツにて相継いでピア
ノ製作を開始。 1809 よりシュトゥットガルトに本拠を置く。
ハイドン、ロンドンにてピアノを購入(ロングマン&ブロデリップ
Longman & Broderip 、イギリス式アクション、音域 FF-c4 )。
ナネッテ・シュタインが詩人でクラヴィーア奏者のヨハン・アンドレ
アス・シュトライヒャーと結婚し、弟マテウス・アンドレアス・シュタイ
ンと共に工房をウィーンに移す。
パリ音楽院、創設。
クレメンティ Muzio Clementi 、ロングマン&ブロデリップの経営
に参画し、後に単独の経営者となる。
マテウス・アンドレアス・シュタインが独立、ブランド名を André
Stein とする。彼はまた音楽サロンを開き、ウィーンの音楽生活の
一つ中心をなすに至った。
パリのエラール Erard 、ベートーヴェンにピアノを寄贈(イギリス
式アクション、音域 FF-c4 [5オクターヴ半])。
ウィーンのフリッツ Johann Fritz 、マレック Mallek から独立。
パリでプレイエル社 Ignace Pleyer & Cie 創業。
パリのエラール、アグラフで特許取得。
ベートーヴェン、ナネッテ・シュトライヒャーよりピアノを借りる(ウィ
ーン式アクション、音域 FF-f4 [6オクターヴ])。以後、彼女のピ
アノを愛用。
1789
1791
1792
1793
1795
1797
1799
c1800
1801
1825
1828
ナポレオン、帝位に就く。
トラファルガー沖海戦。アウステルリッツの三帝会戦。
1808
1809
1810
1811
ベートーヴェンの交響曲第5番と第6番、ウィーンで初演。
ハイドン没。メンデルソーン誕生。
ショパン、シューマン誕生。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番、ライプツィヒで初演。
リスト誕生。
ヴェーバーがウィーンのブロートマン Joseph Brodmann よりピ
アノを購入(ウィーン式アクション、音域 FF-f4 [6オクターヴ])。
ヴァーグナー、ヴェルディ誕生。
ライプツィヒの戦いでナポレオン敗北。
ベートーヴェン、ピアニストとして公開演奏会での最後の演奏。
ウィーン会議(~1815)
メンデルソーンがブロードウッドのピアノを購入(イギリス式アク
ション、音域 FF-f4 [6オクターヴ])。
ゲーテがシュトライヒャーのピアノ(音域 FF-f4 )を購入。
ヨハン・バプティスト・シュトライヒャーがロンドンのブロードウッド
の工房で研鑽を積む。
1813
1814
1820
1821
1822
1824
グラーフ Conrad Graf が難聴のベートーヴェンに特製のピアノ 1827
を貸与(ウィーン式アクション、音域 CC-f4 [6オクターヴ半])。
1828
1829
プレイエルが鋳鉄フレームを採用。
ベーゼンドルファー Ignaz Bösendorfer 、師ブロートマンの後継 1830
者として工房を経営。
1831
1831
ヨ ハ ン ・ バ プ テ ィ ス ト ・ シ ュ ト ラ イ ヒ ャ ー が 、 Anglo=Viennese
Action (ウィーン式とイギリス式を組み合わせた独特な方式)で
特許を取得。
1834
ヨハン・バプティスト・シュトライヒャーが鋳鉄支枠を採用。
1838
1839
モシェレス、ピアノ・リサイタル・シリーズをロンドンで開催。
ハンマーヘッドにフェルトが用いられ始める。
W ・ A ・モーツァルト没。
ベートーヴェンがウィーンに移住。
シュタイン没。
フランスでルイ16世、マリー・アントワネット処刑。
ベートーヴェン、ウィーンの楽壇にデビュー。以後、 1802 まで
に20曲のピアノ・ソナタを作曲。
シューベルト誕生。
ミルヒマイヤー『正しいフォルテピアノ奏法』出版。
ベートーヴェンがウィーンでヴェルフルと音楽試合を行う。
ベートーヴェンがヴァルター製ピアノを保有(チェルニー記)。
伊能忠敬、全国の測量を開始する。
1804
1805
1812
1815-7? パリのパプ Jean-Henri Pape 、プレイエルから独立。
1818
ベートーヴェンがブロードウッドのピアノを贈られる(イギリス式ア
クション、音域 CC-c4 [6オクターヴ])。
c1820
この頃、イギリスのピアノ製作者達が鋳鉄支枠を採用。
1821
パリのエラールがダブル・エスケープメント機構を考案。翌年特
許を取得。
1823
ナネッテ・シュトライヒャーが息子のヨハン・バプティスト Johann
Baptist を正式のパートナーとする。ヨハン・バプティスト・シュトラ
イヒャーの名で、ダウンストライキング・アクションとオクターヴ・カ
プラーの特許を取得。ボストンのチカリング Jonas Chickering 、
英国人のステュアートと共に工房を経営。
ベートーヴェンがウィーンからボンへの帰途、シュタインの工房
を訪ねる。その際に、シュタインの娘ナネッテ(後年のナネッテ・
シュトライヒャー Nannette Streicher )と初対面。
べートーヴェンがヴァルトシュタイン伯爵からシュタイン製のピア
ノを寄贈される(セイヤーの記述)。
C・P・E・バッハ没。
フランス大革命、勃発。人権宣言、採択。
テュルク、『クラヴィーア教本』を出版。
1832
1833
1834
1835
1839
ベートーヴェンの交響曲第9番、初演。
リスト、パリとロンドンでデビュー演奏会。
この頃、シーボルトが長崎郊外鳴滝に塾を開く。
ベートーヴェン没。リストがパリに定住。
シューベルト没。
メンデルソーンによるバッハ《マタイ受難曲》蘇演。
ショパン、ウィーンで演奏会を行い、成功を収める。
葛飾北斎『富岳三十六景』完結。
フランスで七月革命が起こり、ルイ=フィリップが王位に就く。
ベルギー独立。
ロシア、ポーランド反乱を鎮圧。
ショパン、パリに定住。
ゲーテ没。
ナネッテ・シュトライヒャーとヨハン・アンドレアス・シュトライヒャー
が相継いで没。
ブラームス誕生。
シューマンの編集による『音楽新報』、ライプツィヒで創刊。
メンデルソーン、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮
者に就任。
シューマン夫妻のピアノ(C・グラーフ製作、ウィーン式アクショ
ン、音域 CC-g4 [6オクターヴ半])。
ショパンのピアノ(プレイエル製作、イギリス式アクション、音域
CC-g4 [6オクターヴ半])。
音楽と楽器の歴史
政治・社会・その他(日本)
1840
グラーフが引退、木枠・箱組みを固守。
パリの楽譜出版社シュレジンガーのサロンにエラールのピアノが
置かれる(エラール式ダブル・エスケープメント・アクション、音域
CC-f4 [6オクターヴ半])。シュレジンガーのサロンには、毎週著
名な音楽家・文化人が集まった(ケルビーニ、リスト、ショパン、メ
ンデルソーン、マイヤベーア、ロッシーニ、パガニーニ、ヴァーグ
ナー等々)。
1842
ウィーン・フィルハーモニー、創立。
ニューヨーク・フィルハーモニック、創立。
1843
アントワーヌ=ジャン・ボール、カポ・タストを考案。
ライプツィヒ音楽院、創設(初代院長:メンデルソーン)。
1847
メンデルソーン没。
1848
リスト、ヴァイマール宮廷楽長に就任。
1849
ヴァーグナー、スイスに亡命。
ショパン没。
1853
アメリカへ渡ったドイツのシュタインヴェーク一族が、ニューヨーク
でスタインウェイ社 Steinway & Sons を設立。ブリュートナー
Julius Ferdinand Blüthner 、ライプツィヒにて創業。
1854-6? ベヒシュタイン Carl Friedrich Wilhelm Bechstein 、ベルリンに
て創業。
1855
ブルックナー、リンツ大聖堂のオルガニストに就任。
1856
シューマン没。
1858
フランク、サンテ・クロティルド教会のオルガニストに就任。
1859
ヴェルディ《仮面舞踏会》初演。
1848
1849
ヨーロッパ革命。
フランクフルト国民議会。
1853
ペリー、浦賀に来航。
1854
クリミア戦争(~1856)。
1859
横浜開港
イタリアでフランス・オーストリア両軍が激突。オーストリアはパル
マとロンバルディアをフランスに割譲、代わりにトスカーナ及び
モデナを回復、ヴェネツィアを維持。
イタリアでガリバルディの赤シャツ隊、パレルモを解放。シチリア
と南部イタリアで人民投票、サルデーニャ王国への帰属決定。
桜田門外の変。
イタリア王国成立(初代国王:ヴィットリオ・エマヌエーレ2世)。
アメリカで南北戦争勃発(~1865)。
リンカーンによる奴隷解放宣言。
ビスマルク、プロイセン宰相に就任。
デンマーク、プロイセン及びオーストリアを相手に戦争、敗北の
後、シュレスヴィヒ、ホルシュタイン及びラウエンベルクを譲渡。
ビスマルクとナポレオン3世が会見、ナポレオン3世、ドイツにお
けるプロイセンの主権及びイタリアの統一を承認。
オーストリア、イタリア及びプロイセンと戦争。その結果、ヴェネ
ツィアを失い、新ドイツ連盟から除名される(オーストリアのドイ
ツからの分離)。
オーストリア=ハンガリー二重帝国、成立。
明治維新
スエズ運河開通。
普仏戦争勃発(~1871)。
プロイセン国王ヴィルヘルム1世、ヴェルサイユでドイツ皇帝に
即位(ドイツ帝国の誕生)。
1860
1861
1862
1864
1865
1866
1868
ブラームス、J・B・シュトライヒャーのピアノを購入。
1872
1880
1881
1882
1883
1886
1887
1888
1891
1894
1897
1898
1899
1901
1905
1908
アントン・ルビンシテイン、ウィエニャフスキと共に、アメリカに演奏
旅行。
ハンス・フォン・ビューロー、ボストンでチャイコフスキー《ピアノ協
奏曲第1番》を初演。
ヴァーグナー、バイロイト祝祭劇場の柿落としに《ニーベルングの
指輪》全曲を初演。
ビューロー、マイニンゲン宮廷管弦楽団の指揮者に就任。
ボストン交響楽団、創立。
ベルリン・フィルハーモニー、創立。
ヴァーグナー、ヴェネツィアで没。
リスト、バイロイトで没。
ヴェルディの《オテロ》、ミラノで初演。
アムステルダム・コンセルトヘバウ管弦楽団、創立。
シカゴ交響楽団、創立。
ドビュッシー、《牧神の午後への前奏曲》作曲。
マーラー、ウィーン宮廷歌劇場監督に就任。
リヒャルト・シュトラウス、ベルリン歌劇場指揮者となる。
シェーンベルク《浄夜》作曲。
ラフマニノフ《ピアノ協奏曲第2番》作曲。
ドイツのヴェルテ社、リプロデューシング・ピアノを開発。
ベーゼンドルファー社、ウィーン式アクションの製作を停止。
1913
ストラヴィンスキー《春の祭典》、パリで初演。
1875
1876
1867
1868
1869
1870
1871
1877
イギリスのヴィクトリア女王、インド皇帝の位に就く。
1889
大日本帝国憲法、公布。
1894
日清戦争(~1895)。
フランスでドレフュス事件。
1900
1904
北京で義和団事件、勃発。
日露戦争(~1905)。
1912
1914
バルカン戦争。
第1次世界大戦、勃発(~1918)。