第57回 バッハによる「王様の耳はロバの耳」? ~絵画とともに聴く古楽

~絵画とともに聴く古楽
須田 純一 (銀座本店)
第57回 バッハによる「王様の耳はロバの耳」?
J.S.バッハ:音楽劇「急げ、渦巻く風ども
∼フェーブスとパンの争い」
レオナルド・ガルシア・アラルコン指揮
レザグレマン、
ナミュール室内合唱団
■CD:AMY 031(2CD+DVD) \3,600(税込)
〈AMBRONAY〉
(「バッハ・ドラマ~バッハ:世俗カンタータ集」に所収)
ヤーコプ・ヨルダーンス:「ミダスの審判」 ベルギー、ヘント美術館
ルーベンスの影響も受けています。宗教画、神話
です。バッハという作曲家を知る上で、エンター
画から世俗画など幅広いジャンルの作品を描
テイメント作曲家という側面も実はかなり重要な
き、
またことわざや格言を題材とした作品にもお
位置を占めているのです。
もしろいものがたくさんあります。ルーベンスの
さて作品に戻りましょう。登場人物はフェーブ
影響は人物像や構図などに顕著で、ルーベンス
ス(アポロン)、パン、審判役であるミダス王と山
かヨルダーンスで帰属が分かれる作品もあるほ
の神トモルス、歌合戦を取り仕切るメルクリウス
どなのです。
「ミダスの審判」
もルーベンス的な人 (商業の神マーキュリー)
、そして茶々を入れなが
物像が特徴的です。画面向かって左手には竪琴
ら成り行きを楽しむ、嘲笑の神モムスの6人。冒
を持つアポロンが美男に描かれています。その
頭と最終曲に合唱を配置し、あとはレチタティー
今回は、誰もが幼いころに絵本で読んだこの
後ろには三美神と思われる3人の女性が描かれ
ヴォとアリアで神話のストーリー通り音楽は進み
有名な「王様の耳はロバの耳」がテーマです。
ています。中央の人物(おそらくこの楽器演奏腕
ます。聴きどころはフェーブスとパンの歌の描き
まずは、なぜ、
この王様、
「ロバの耳」になってし
比べが行われた山の神)を挟んで右側に位置す
分け。
フェーブスの歌は、いかにも高尚な様式美
まったのか、そこから始めましょう。
この王様は、 る下半身が獣の姿で笛を吹くパンの方には、だ
を伴い、
メランコリックで高貴な雰囲気を持って
ギリシャ神話に出てくるミダス王。なんでも触れ
らしなく肥えた男とけだるい様子の女性、そして
います。一方、パンの歌は様式美よりも勢いを重
ると黄金にするという手を持ったのですが、触れ
既に耳がロバになってしまっているミダス王が
視していて、粗野なイメージを持っています。そ
るものすべてが黄金になってしまい、食べ物も飲
描かれています。中央の人物を挟んで、美しさと
のため一般的には、厳格な古い様式で磨き上げ
み物も飲めず、黄金を呪ったという逸話でも知ら
野蛮さの対比がなされているのです。左右で色
られた作品を作っていたバッハが、当世流行して
れています。
ミダス王がロバの耳になってしまっ
彩的な描き分けもなされていて、その対比を強
いる軽佻浮薄で表面的な音楽を揶揄したとされ
たのは、太陽神アポロンによる仕業なのです。そ
調しています。
ています。
しかし先に述べたとおり、バッハは民
れにはこんなストーリーがあります。
さて、
「ミダス王の審判」
と呼ばれるこの話、実
衆を楽しませるためのエンターテイメント作品を
はあのバッハが作品に仕上げているのです。そ
数多く作曲していますから、パンの歌 的な作品
ある時、楽器の演奏に自信満々の田園の神で
れが世俗カンタータ
「急げ、渦巻く風ども∼フェー
も書くことが出来たのです。それも教会音楽とは
ある半獣神パンは、恐れ多くも竪琴の名手とし
ブスとパンの争い」BWV201です。
フェーブスと
異なる雰囲気を持たせて描き分けることが出来
ても知られる太陽神アポロンに楽器の弾き比べ
はギリシャの神ポイボスのことで、
これはアポロ
たわけですから、バッハは、
どちらの様式でも書
合戦を挑みます。そこで審判に選ばれた一人が
ンの別名とされています。
また神話では、アポロ
きこなせる自らの作曲才能を知らしめ、なにより
ミダス王でした。パンのパイプ演奏は確かに見
ンとパンは楽器の演奏比べをしていますが、
ここ
事の優劣を決め付けたがる風潮こそを皮肉った
事なものでしたが、アポロンの竪琴にはとうて
では楽器から歌に変更されていますので、直訳
のではないかと思えて来ます。実際、パンの歌は
いかないません。審判はみなアポロンに軍配を
で「フェーブスとパンの争い」
となっていますが、 勢いと野趣に溢れるなかなか聴きごたえのある
上げますが、パンに心酔していたミダス王だけ 「フェーブスとパンの歌合戦」
と訳した方が内容
アリアになっていて、
フェーブスの優美な歌との
はパンの勝利を主張します。アポロンは大いに
にはふさわしいでしょう。
明らかな優劣はないように思えます。バッハは
怒り、
「そんな堕落した耳ならロバの耳になって
バッハはライプツィヒのツィマーマンのカフェ
もっと手を抜くことができたはずなのに、そうして
しまえ」
とミダスの耳をロバの耳に変えてしまっ
で様々な演奏会を行っていましたが、
この作品も
はいないのです。ロバの耳になるべきは誰なの
たのです。
そこでの上演のために書かれたものです。今では
か?バッハは人々にそう問いかけているのでは
世俗カンタータというジャンル分けがされていま
ないか、
と考えるのは穿った見方でしょうか。
なんだかずいぶん理不尽な話です。自分の意
すが、バッハは「音楽による劇」
( Dramma per
そうした思いをさせるほどの名演が、若き気鋭
見を通したミダスは災難だったとしか言えず、ア
musica)
としていたようです。
もちろん、劇場での
の指揮者アラルコンによる録音です。バロック時
ポロンのおとなげなさを感じますが、ギリシャ・
上演ではないですから、オペラのような大がかり
代の劇音楽にすばらしい才能を発揮しているア
ローマの神々は喜怒哀楽が激しく
(よく嫉妬もし
なセットはなかったとは思いますが、登場人物の
ラルコンですが、バッハの世俗カンタータでもそ
ますし)、
とても人間的ですから、
これも当然のこ
衣装や身振りによる演技などは伴った形での上
の才能を遺憾なく発揮しています。セリーヌ・
となのかもしれません。
演だったかもしれません。実際、音楽の形式とし
シェーンや櫻田亮といった現在大活躍中の実力
この話はその教訓めいた内容もあり、絵画の
てはドイツ語ではあるものの、
まさに当時イタリ
派ソリストを迎え、見事な演出力でバッハの音楽
題材ともなりました。中でも今回掲げたヨルダー
アで流行していた一幕物のオペラそのものであ
が持つエンターテイメント性を打ち出していま
ンスの作品「ミダスの審判」は、有名なもののひと
り、エンターテイメント作品と呼べるものなので
す。聴いていて実に楽しい演奏です。
ヨルダーン
つです。
す。バッハは「宗教音楽の作曲家」
として、
また
「対
スの絵画を見ながら聴けば、楽しさも膨らむこと
ヤーコプ・ヨルダーンスは、当時のフランドル、 位法の大家」
として知られますが、実はこうしたエ
でしょう。みなさんは、
フェーブスとパン、
どちらに
現在のベルギー、アントウェルペン(アントワー
ンターテイメント作品を数多く作曲しており、そ
軍配を上げますか?
プ)生まれで、
あのルーベンスの同門であり、その
れもバッハにとっては大事な収入源であったの
ある王様の散髪をした床屋が、王様が「ロバ
の耳」であるということを知ってしまい、
「秘密に
せねば命は無いぞ」
と脅されて帰されるものの、
その秘密をだまっていることがどうにもできず、
ある時、森の奥の井戸に向かって
「王様の耳はロ
バの耳」
と叫んでしまいました。すると、国中の井
戸から
「王様の耳はロバの耳」
と響くようになり、
王様の秘密は国中に知れ渡りました。
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