Vol.67

●男女平等社会をめざして●
Vol.
67
2010.7.30
連絡先
八王子市明神町 1-16-15
宝月気付
FAX 042-646-2910
TEL 090-6147-1257
第23回総会報告
会員一人ひとりが支える「まる手の会に!」
2010 年 6 月 19 日 八王子労政会館にて第
23 回の八王子手をつなぐ女性の会の総会
が開かれた。参加者は 22 名。総会だけは
欠かさないという方、会員になったので
初めて参加してみたという方。やはり 1
年に 1 度の総会は大切な出会いの場であ
る。土曜の午前中という条件もあるがも
う尐し多くの会員に参加して欲しい。議
長の秋山さんの進行で 09 年度の活動のま
とめと新しい年度の方針が各部から語ら
れ、承認された。
また今年度総会では会則の見直しが行
われた。会員構成を「八王子市在住、在
勤、在学の個人及び団体」から、
「会の目
的に賛同する個人及び団体」とすること
と、運営委員にDV被害者支援スタッフ
を入れることは全会一致で決まった。し
かし、会の目的の中で使われていた「男
女共生社会」を「男女平等社会」にとい
う提案は、
「共生」ということばをぜひ残
したいという意見が出され、結論は運営
委員会に一任された。20 年前には、
「性に
よる差別のない男女共生社会を作る」と
いう表現がきっとぴったりしていたのだ
ろう。しかし今では内閣府の「共生社会
政策」をはじめ、さまざまな場面で「共
生」ということばが使われ、意味があい
まいになってきている。やはり「男女平
等」をそのまま使おうというのが提案の
趣旨であった。総会後の運営委員会では
発言された方々の思いも尊重したいと
「性による差別のない男女が平等で、共
に生きる社会を実現することを目的とす
る」と決まった。やや回りまわった言い
方の感じもするが、大切なことは表現上
のことではなく(それも大切だが)、私た
ち自身が「男女平等」や「共生」の中身を
具体的に確かめ合い実現していくことだ
と思う。
1年間実質的な共同代表として会の活
動を支えてくださった宝月さんと米村さ
んに代わり、2010 年度は小野・秋山が代
表・副代表を務めることになった。運営
委員会に新しい方も加わり、誰でも代表
が引き受けられるような、みんなで支え
あう会にしようとあらためて確認しあっ
ての出発である。会員の皆さまもご一緒
に!よろしくお願いします。
(小野 慶子)
1
学習会「私の選択―夫婦別姓!」
を上回り、反対が賛成を上回ったのは 60
定期総会終了後、上記テーマにて学習
会を行った。報告者は斎藤義子さん、井
歳以上のみである。
上睦子さん、ポパル和子さん、露木の 4
このような状況で八王子市議会は 2010
年 3 月「選択的夫婦別姓制度導入の民法
名である。
まず斎藤さんから、公立小学校で旧姓
改正を求める意見書」を採択した。
の通称使用を続けてきた体験が語られた。
すでに社会的に認知され、国連からも
斎藤さんは当初夫の姓を選んで婚姻した
勧告を受けている別姓制度が、一部の国
が、自分の姓を取り戻すべくペーパー離
会議員の反対で実現しないのは極めて残
婚した。しかし、自宅購入にあたり、事
念なことである。
実婚では手続き上不便なため再婚するこ
次に私から法律的な説明をした。
とにし、それを機に旧姓を使用するよう
結婚改姓を定める民法 750 条は、氏名
になった。当然学校はなかなか受け容れ
権とプライバシー権を保障する憲法 13 条、
ようとしなかったが、斎藤さんは粘り強
法の下の平等を定める憲法 14 条、表現の
く交渉し続け、尐しずつ使用範囲を広げ
自由を保障する憲法 21 条、結婚の自由を
ていった。
定める憲法 24 条に違反する。また、結婚
今でこそ旧姓通称は珍しくなくなった
の自由と平等を定める女子差別撤廃条約
が、それは、このような一人ひとりの地
にも違反する。このような人権侵害によ
道な闘いがもたらしたものであることを
り、自己喪失感等にさいなまれるだけで
実感した。
なく、改姓によりキャリアが断絶したり、
次に井上さんから市民活動や政治の動
煩雑な変更手続をしなければならない等、
きについての報告があった。
社会生活上の問題も大きい。それでは通
96 年、法制審議会は「民法改正要綱」
称使用が出来ればいいかというと、公的
の中に選択的夫婦別姓の導入を盛り込ん
には旧姓は認められず、憲法上の人権が
だが、自民党内でまとまらず政府案の提
保障されたことにはならない。また事実
出を断念した。その後 09 年まで何度も議
婚では配偶者としての法的利益が受けら
員立法が提出されたり、法案提出が検討
れない(相続等)。結局人権侵害をなくす
されたが、ことごとくつぶされてきた。
には、別姓が選択出来なければならない。
一方、夫婦別姓法制化を求める市民運
反対説は、家族の一体感が阻害される等
動は、政権交代を機に期待が高まって活
抽象的な理由を縷々述べているが、いず
発化している。国連女子差別撤廃委員会
れも人権制約の合理的理由とはなり得な
は夫婦別姓選択規定の改正を勧告してい
い。
る。世論調査をしても、別姓賛成が反対
なお、別姓制度の争点として、子らの
2
姓を統一するか等の議論があるが、95
国の一部・ニカラグア・ポルトガル・オ
年に当会では自己決定権尊重の趣旨から、
ーストラリア・ブルガリア・モザンピー
子らの姓も全て選択可とすべきとの意見
ク等多数にのぼり、日本のような同姓の
をまとめ、法務省に提出している。この
国は尐数に過ぎない。なお、ドイツでは、
ように当会はすでに別姓に関する意見を
93 年に別姓が明文化され、子の姓が決ま
まとめているが、再度内容を確認し、活
らない場合は裁判所が父か母を決定権者
動を再開する時期が来たのではないか。
とする制度になっている。
最後にポパルさんより、海外の状況に
以上の報告をふまえ、参加者からは、
ついての調査報告があった。それによる
別姓が身近な問題であることを実感でき
と、別姓を定めている国は、韓国・中国・
た、当会も法改正に向けて活動すべきで
シンガポール・フランス・ベルギー・ス
あるという積極的な意見が出た。今後の
ペイン・イラン・クウェート・サウジア
当会の課題のひとつとして取り組んでい
ラビア・カナダケベック州等であり、選
きたい。
(H.T)
択可の国は、北欧・ドイツ・ロシア・米
学習会に参加して
~石の上にも 14 年?あらためて夫婦別姓を考える~
国政の場で選択的夫婦別姓の議論が本
とには、溜息以外にいだく感想もなかっ
格化してから 14 年になる。石の上にも 3
た。
年、というが、どれだけ待ったところで
もっとも、今度の参議院選での保守政
音沙汰無しとくれば、そういえばそうい
党の巻き返しの如何によっては、どうや
う話もあったなと、待っているはずのわ
ら溜息ばかりついている場合でもない。
たしでさえ、半分忘れているかのような
わるくすると、次のチャンスまで、また
寝ぼけ眼になっていた。今回、学習会に
長いブランクを空けることにもなるとも
参加できたことで、形改めて、男女平等
いう。わたしも物ぐさに寝ぼけ眼をこす
の原則にそぐわない未解決の課題と向き
っている場合ではないようである。ここ
合う良い機会となった。
はどうしたって、リベンジに向けて、と
選択的夫婦別姓についてはすでに世間
もに活動を盛り立てていかなくてはなら
の耳目にも熟しており、意見もおおかた
ない。今更ながらにそう考え及ぶことが
出尽くし、また論点もしぼられて、実現
できたのは、今回の学習会に参加しての
の可能性だけでいえば、議会の勢力地図
幸運だった。
の如何によって決まるところにあると思
自分が社会のどこにどんな人間として
う。だからこそ、昨年の政権交代でにわ
生まれ変っても耐えられると、社会の成
かに機運の高まる絶好の機会を、国民新
員みんなが言える社会を、公正な社会と
党の根強い反対によってつかみ損ねたこ
呼ぶことにしよう。男女平等の視点で言
3
えば、民法や賃金格差の問題など、まだ
わる身の上話は、生き生きとして楽しく、
まだ日本は公正な社会と呼びにくい部分
一同ひとしおのにぎわいで、終わってみ
が多い。課題山積のなか、紙にぱっと花
れば、最初からディスカッション式でも
を咲かすようには社会を変えるのは難し
良かったようにさえ思えた。身近なとこ
くとも、それでも墨をするところくらい
ろからはじまって制度の不備をつく、存
からは始めねば、なにも変わらない。
外こういう行き方が具体的に社会を変え
その意味では、学習会の一通り終わっ
ていく力になるかもしれない。
た後、参加者の皆さんの夫婦別姓にまつ
(S.Y)
運営委員会報告
4 月 1 日 男女共同参画センター運営懇
6 月 19 日 総会・学習会
28 日 DV被害者支援スタッフ会議
談会
5 日 運営委員会
7 月 3 日 参院選アンケート発送
20 日 DV被害者支援スタッフ会議
12 日 運営委員会
22 日 男女共同参画施策推進委員会
13 日 男女共同参画センター運営懇
23 日 映画『外泊』とお話の会
談会
30 日 運営委員会
23 日 DV被害者支援スタッフ会議・
5 月 19 日 運営委員会
男女共同参画施策推進委員会
29 日 総会議案書発送
<学習会のお知らせ>
タイトル:「男女が共に生きるまち八王子プラン」はどこまで来たのか
-2008(平成 20 年)年度の「評価報告書」を読もう-
■日 時:9 月 1 日(水)
18:30~
■場 所:クリエイト第 4 学習室
■報告者:齋藤 義子さん
/ 中川 緑さん
4・23「映画とお話の会」
韓国ドキュメンタリー映画『外泊』にみる女性の自立と連帯
07 年 7 月1日からの「非正規職保護法」
した 510 日間闘争の記録映画である。
施行の直前、韓国ソウルの巨大スーパー
既婚女性の闘いは、会社だけではなく
マーケットの経営者が突然の大量解雇を
夫たちとの闘いでもあった。売り場に外
行った。それに対して怒った非正規の女
泊し続け家事を放棄せざるを得ない妻に
性労働者が、6 月 30 日から売り場を占拠
離婚を突き付ける夫、また支援労働団体
4
の委員長から「おばさん」呼ばわりされ
いたのではないかと確信した。闘いの展
たりと、女性労働運動には社会のあらゆ
開過程を追っていく中で韓国の民主化運
る差別や抑圧が幾重にもある。しかし、
動の歴史を思い出し、民衆の鼓動・・・、
彼女たちは超楽しく、超たくましく、超
その遺伝子が連綿と続いているのだと感
ねばる必死な闘いを通して働く権利を自
じる。
(C.H)
覚し連帯を実感していった。一人ひとり
の仲間が語る言葉は、連帯から産みださ
れ身体の芯を通って発するからしっかり
と心に届いた。映画は、期待以上に見応
えがあった。彼女たちの闘いに終始寄り
添ったキム・ミレ監督は、レンズを通し
て自身も一緒に闘う仲間としてあの場に
「女は黙ってろ!」だから黙々と続ける「黙らない」という生き方
上映会に続いては、ペイ・エクイティ・
屋嘉比さんのたたかいは、今に至っても
コンサルティング・オフィス (PECO)
なお続いている。
代表の屋嘉比ふみ子さんをゲストに招き、
お話の会が行われた。
87年に全国で初となる女性ユニオン
「おんな労働組合(関西)
」を結成、98
従業員の95%が男性というガス工事
年からは7年間におよぶ、京ガスを相手
会社「京ガス」で26年間働きつづけた
とした賃金差別訴訟を起こした屋嘉比さ
屋嘉比さんは、入社直後から組合活動を
んは現在、PECO 代表として、昨今の格
始めた。男性ばかりの組合のなかで、屋
差社会や貧困問題を、とりわけ女性の立
嘉比さんの孤立無援のたたかいが始まっ
場から取り上げる活動を行っている。
「ペ
たのは、まさにその瞬間からだった。入
イ・エクイティ」とは、同一価値労働同
社からわずか1週間、組合の春闘報告会
一賃金のことである。かつて自らの訴訟
の際、質問のために手を挙げた屋嘉比さ
を歴史的な勝訴判決に導いた職務評価の
んに対して、男性組合員からの声が浴び
手法は、活動の最大の武器になった。職
せられる。――「女は黙ってろ!」
。
務評価を通じて、他人との違いが具体的
屋嘉比さんを含む女性社員を対象に、
な数字によって浮かんでくれば、それだ
経営側の合理化が行われたのはその3年
け世の中の不公正に気付きやすくなる。
後のこと。職場の組合はもちろん、地域
「目標は、性に中立的で、雇用形態が異
の合同労組も助けてくれない。幼い子ど
なっても賃金格差が生まれない社会」―
もを抱えて、たった一人でチラシをまく
―そう話す屋嘉比さんの口調には、現実
毎日が続く。その後の交渉によって解雇
に負けない強さを感じられた。何重にも
はなんとか撤回させたが、一度始まった
巡らされた苦い経験を経ながら、それで
5
もしぶとさが太く、するどく、根を張っ
ているような人だった。
(S.O)
アンケートから
○不当なことに対し怒りを感じ、闘う姿に感動した。放水されても、警官からひっこぬ
かれてもがんばるエネルギーを、自分の活動にも生かしたいと思った。
○妻・母という役割の一つとして働きに出た女性たちが、この争議を通じて労働者(と
いうか社会人)であることを自覚していく過程が、どのような理屈よりも強く心に残
った。
○仕事面では正規社員より優れているのに、賃金や不当な解雇に対してスーパーのレジ
を占拠するという実力行使をしたことは、日本では考えられない。女性差別に対して
徹底して戦う(明るく戦う)姿と、常に家庭や家族の気づかう、けれども自分は生き
ているという自覚を持ったという場面が印象に残った。
○働く中で差別を感じ、いろいろと仲間たちと学ぶことで自分たちのしていることが当
然の権利として主張しているだけのこととして闘っていく力はすごい。仲間がいるか
ら続ける力になっていたのだと思った。
○ストライキの女性たちを女性の警察官が排除する場面はショック、警官の女性はどん
な気持ち?権力の立場の考えを持っているのか?女性という弱者の立場の考えに立
てるのか?
○非正規雇用問題も、他人事でなく興味があって参加。結果的には、報われることなく
一寸ムナシサが残った。処分された13名と、新しい職場に復帰したかった仲間の言
葉が全てを語っていたと思う。
○実践に基づいた話でとても説得力があった。映画についてのコメントもありよかった。
ペイ・エクイティについて理解が深まった。
○同一価値労働同一賃金をどうしたら実現できるのかにとても関心があるので、異なる
職務での同一価値労働というのに興味をもった。職務評価の内容はよくわからないの
でワークショップに参加してみたいと思う。
○「職務評価」という新しい形を興味深く聞きました。
2010 年は小学校の教科書採択の年です!
―伝統文化尊重のかけ声の下、教科書はどうなっているでしょうかー
教科書の展示が終わり、この夏各地の
もさることながら、圧倒的多数の子ども
教育委員会では、来年度から使う教科書
が学ぶ公立学校の教員は、自分たちで教
の採択が行われています。教科書の内容
科書を選ぶことができません。それどこ
6
ろか、展示された教科書は代表が見に行
して自衛隊の海外派遣をどの教科書も扱
くだけで、新年度になって担当学年の教
うようになりました。派遣場所は、イラ
科書が手元に届き、そこで初めて手にと
クが 2 社、アフガン、カンボジア、東テ
って見ることができるのです。ここにも
ィモールです。また、1 社を除いて働く女
考えることを奪われた、教育現場の実態
の人があまり出てきません。出てくる女
が見られます。今回の教科書はどのよう
の人が、写真やイラストも、ほとんど女
になっているか、教育センターで見てき
性らしさを強調する髪の長い人ばかりの
ました。その中から気がついたことをい
ところがあります。
くつか紹介します。
[音楽]
歌唱教材では共通教材が増え、選択の
幅が狭く自主教材が入れにくくなりまし
た。1年生の「ひのまる」の扱いで、盛
り上がりを感じて歌おうなどの注釈がつ
く会社があります。尊重を意識するあま
り、無理があります。「君が代」では、5
年生から-日本の末永い繁栄と平和を願
う気持ちが込められている-との説明が、
どの教科書でもつけられています。
[家庭科]
ジェンダーの視点から見ると、2 社で差
があります。一方の表紙は、男女ともに
パンツ姿で、男の子がお茶を入れ、女の
子が庭の水やりをするなど、意識的にス
テレオタイプな扱いを避けていました。
他社は、家庭では、お母さんが調理、お
ばあちゃんが洗濯、お父さんが買い物・
盛り付けなど補助的な仕事をしていまし
た。
(E.A)
[国語]
低学年で、昔話のほかに神話が登場し
ました。5 社のうち 4 社に「いなばの白ウ
サギ」が、2 社にヤマタノオロチの話が載
りました。その分以前は全学年にあった
平和教材が減ってきています。各社1~
3の物語を 6 年間で扱い、その他付録と
して載ってはいますが、意識的に扱おう
としないと、触れないで終わってしまい
ます。男女の比率は、やはり圧倒的に男
の子の主人公が多く、作者も男性が多い
です。メディアリテラシー学習が登場し
てきたことは評価できます。まだ 1 社で
すが増えることを期待したいものです。
[社会]
自由民権運動では、五日市憲法を扱っ
ているのが、5 社中 2 社ありました。その
うちの 1 社は、女性の運動家を扱ってい
ました。南京事件は 6 社中 3 社に載って
います。憲法の扱いの中で、国際貢献と
教育委員会を傍聴しましょう!
8月11日(水)午前9時より八王子教育センターで小学校教科書の採択が行われます。
7
「高木」にこだわり続けてー夫婦別姓を考える―
その2
隠れたカリキュラム
「そういえば、高木さんはいつも朝礼台の上
でなにかしゃべっていたね」
定年を過ぎた団塊世代の私たちは生活に
ゆとりができたこともあり、このごろ同級
会が流行っている。先日の中学校時代の仲
間との席上であった。思い出話や近況が話
題になったときの会話である。
中学生の私は、生徒会などの集会がある
と、何かと出番が回ってきて、よく発表し
ていた。進んでしていたのか、教師から勧
められたのかは、はっきりと覚えていない
が、人前で話す機会が多かったことは覚え
ている。学校代表で市や県の集会のような
ものに参加して、意見発表をしたり司会を
受け持ったりもした。けれど、なにか居心
地の悪さをうすうすと感じ取っていた。
私の役割はいつでも副会長や副議長ある
いは書記であったのに、まるで~長のよう
な顔をしていると気がついたことである。
それなのに、役割を踏まえずに「でしゃば
り」すぎていることであった。~長という
立場には男子がなるものだ。私はそう思っ
ていたし、まわりのみんなもそう思ってい
た。だから、「自己主張」と「控えめ」の狭間
で揺らいでいたのだと思う。
「男だったらも
っと自由にやれるのに」と自分が女である
ことが、とても残念でならなかったのだ。
高校時代は、私たちの年から時間割の編
成上男女別のクラス分けが実施された。女
子のみに家庭科が必修となったからと聞い
ていた。女子校でも男子校でもないのに、
3年間女子だけのクラスですごした。男女
別の名簿どころか、男女別のクラスである。
なぜ女子だけが家庭科を学ばなければなら
ないのか疑問に感じたが、深く考えるとこ
ろまではいかなかった。
私が初めて~長なる役割をもらったのは、
就職した八王子養護学校での組合の分会長
であった。しかし、男中心の教職員組合の
分会長会議、そこでも居心地の悪さを感じ
ることとなった。
「女・子どもの言うことだ」
8
高木 千恵子
というような空気を敏感に感じとっていた
し、肩肘を張っていたこともあり、常に緊
張していたので、会議が終わるとどっと疲
れを感じた。
「紅一点」は、席取りや発言の
タイミングにも気を遣う。
「隠れたカリキュラム」という言葉を初
めて聞いた時、眼からウロコ・青天のヘキ
レキ。私の頭の中にあったもやもやしたも
のが、晴れていく思いがした。そうか、私
が受けてきた教育は、男女差別を日々の慣
習の中で無意識のうちに刷り込む教育だっ
たのだ。誰が考えたのか、
「隠れたカリキュ
ラム」とはよく言ったものだ。
「でしゃばっ
てはいけない。いつも最良の補佐役を演じ
なければ」この呪文から、私が尐しずつ尐
しずつながら解き放たれてきたのは、いつ
ごろからだろうか。
1985 年「女性はもっと社会や政治の場へ、
そして男性は家庭へ」と提唱した国連婦人
の 10 年が終わり、さらに「2000 年に向け
ての将来戦略」がナイロビ会議で採択され
た。
その頃の私は、養護学校から地域の小学
校へ転勤した。ここで世界や日本の男女平
等への流れを、学校教育の場に取り入れよ
うとする女性教職員たちと出会い、大いに
共鳴した。
私の勤務した弐分方小学校で運動会の応
援団長に女子がなり、大声を張りあげるそ
の女子の指示にみんなが従っていく姿をみ
て、感動したことも鮮明に覚えている。そ
れ以後、児童会の会長やクラブ長に女子が
なっていることがめずらしくなくなった。
今私は、これまで違和感を覚え、居心地
の悪さや閉塞感のなかで、もやもやとして
きたものを、
「隠れたカリキュラム」とか「ジ
ェンダーバイアス」とか「セクハラ」とか
「DV」とかの言葉で定義され、なるほど
そうなのかと納得させられている。夫婦別
姓もこの頃までは、考えたことも出会った
こともなかった考えである。