女の会話・男の会話 ~ジェンダーコミュニケーションの謎

男女共同参画
講演会
演
題
「女の会話・男の会話
~ジェンダーコミュニケーションの謎~」
講 師:伊
藤
明
美 先生
平成20年1月31日(木) 午後7時から
浦幌町教育文化センター 2階視聴覚室
―講師プロフィールー
藤女子大学教授。米国アリゾナ大学で言語学、同大学院で多文化間・多言語間教育を専攻し
教育学修士号取得。異文化コミュニケーション論、ジェンダー間コミュニケーションについて研究
されており、ジェンダー関連の論文を多数執筆発表。NHK 第一ラジオ「北海道を英語で話そう」、
JICA 海外研修員オリエンテーション講師ほか、道や自治体で男女共同参画関係の各種委員会
の委員および委員長を歴任。
異文化コミュニケーションとジェンダーについて
これまでの男女共同参画社会、男女平等に関する議論
は、性別役割分業意識、性別役割分業に基づいた男女
の社会のあり方を大きく取り上げて、どちらかというと社会
学的な論法が多かったんですね。代表格として東京大学
の上野千鶴子さんの著書などにあるように、いかに女性
が性別役割分業で差別されてきたか、皆さん目覚めまし
ょう!ということが日本、世界各国で大きく取り上げられ話
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されてきました。もちろんそれは非常に大切なことで、1960年代にアメリカで第2派のフェミニズムが
起こって以来、世界中に女性解放運動が広がっていく時のいわゆる原動力になりました。今日話す内
容はそれとはちょっとニュアンスが異なるということをご理解いただいた上で聞いて欲しいと思います。
そもそもジェンダーコミュニケーションとか異文化間コミュニケーションという立場から男女関係を見て
いくというのが今回のお話のポイントです。
異文化コミュニケーションは英語を学習するものではありません。学問の発祥は半世紀前にアメリカ
で始まりました。アメリカのケネディ大統領が就任した頃で、公民権運動、平和部隊(日本でいうJIC
A)を組織して、若いアメリカ人の大学生を中心に世界各国の発展途上国に派遣して、アメリカが出来
ることはないかと模索し始めた時代でしたが、多くの若者たちがコミュニケーションに挫折して戻ってく
るという事態が生じたんです。
最初は、現地の人達と英語を使い話をするんですが、同じ言語を使っていながらもコミュニケーショ
ンができないということにアメリカ人が気づき始めたんです。ケネディ大統領を中心に国家的なプロジ
ェクトとして、文化人類学者、言語学者などを集め、今後アメリカが世界と協調して歩んでいくためには
何ができるのか、自分達は何をするべきかを研究させ始めたことが、異文化コミュニケーションのもと
もとの学術的なプロジェクトになりました。同じ言語を話すアメリカ人なのに白人層と黒人層、アジア系
の人達が全然分かり合えていない、また女性と男性も同じ言語を話しているのに互いに理解し合えて
いない現状が、この学問領域が発生した背景にあります。
現代社会を振り返るとグローバル社会ですが、文化的な民族や各地域が持っている文化が失われ
たかというとそうではありません。私達は西洋文化を取り入れ、あたかも西洋人になったかの様な気持
ちすら持たされますが、私達は見た目だけでなく文化的に見ても、考え方、態度、人間関係においても
まったくアメリカ人とは違う。アメリカ人もカナダ人とは違う、カナダ人もドイツ人とは違う。固有の文化
は残っているということなんです。
文化とコミュニケーションの違いは何か?
これまである研究者が色々な論文を通じ調べたところ文化・コミュニケーションという言葉は130余り
あると言っています。
未だにこれだというものは見つからないと言えますが、一番文化を大きく捉え一般的、学術的な議論
でも使われているのがエドワイドタイラーです。200年も前に定義づけた文化は「ある集団のメンバー
によって幾世代にもわたって獲得された知識、経験、信念、価値観、態度、社会階層、宗教、役割、時
間/空間、世界観などの集大成」だと言っています。タイラーの言葉を借りれば「私達の生活全て」と考
えることができます。
文化の中には、高次レベル(国家、民族等)低次レベル(世代、社会階層、ジェンダー等の少数派集
団)の二つに分けることができます。森田ゆりさんは「文化は氷山のようなもの」と言っています。氷山
は水の上に出ているものと下に隠れているものとがあります。上にでている言語、芸術、食べ物、音楽
などはいわゆる教科書などで学べる文化です。水の下は、信念、世界観、清潔感、死生感、時間に対
する考え方、集団的なトラウマなどが隠れています。
水の上に出ている言語や歴史、経済などを学んでも、隠れているものの方が大きいために互いに近
づいても、隠れた部分に気づかない。これが1960年代にアメリカの若者が感じた異文化間コミュニケ
ーションのギャップ、言葉は通じていてもまったく理解できないということが起こってしまったんです。
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文化とは?
日本人の距離感(対人距離)60~120センチ、アメリカはこれ
より10~15センチ狭い、また男性と女性、地位などによっても
立ち位置が違うことが学術的研究からもわかっています。
アラブ諸国の一部おいては対人距離が相当狭く、30センチと
言われています。これは、口臭がコミュニケーションの手がか
りになるからなんです。
アメリカの文化人類学者のエドワードホールの学術論文
によると、対人距離が非常に狭いのは、口から出る匂いが
人物を判断するひとつの要素になっていると書かれています。病気など神経的なものまで口臭・体臭
からわかるそうです。
日本人の対人距離だと彼らにとっては、よそよそしく、冷たく感じる。匂いを感じることができなけれ
ば相手を理解できない場合もあるわけです。対人距離はひとつの隠された部分の文化と言えます。
文化は、線引きしてこれが日本文化、アメリカ文化と言えるものではなく、10人いたら5~7人が同じ
領域、行動、考え方だと捉えていくべきだろうと思いますが、一般化できる文化のコミュニケーションを
研究しています。
コトバ=コミュニケーション?!
コミュニケーションは、言葉だけではないということです。非言語コミュニケーションを非常に多く使っ
ていることを忘れてはいけないんですね。学者によっては、非言語コミュニケーションの領域の方が言
語コミュニケーションよりも人間のコミュニケーション行動を支配するといい、極端な学者は93%が非
言語だと言っています。うなづき、視線、立ち居振る舞い、歩き方などは相手に何らかのメッセージを
与えていく、異文化間コミュニケーションにおいては非言語の部分は非常に大事にされると言えます。
男女混合で始まった会をフリーにしておくと知らず知らす男女が別グループになってしまうことがあ
ると思うんですが、どうして起こるのか?というと似たような考え方、似たようなコミュニケーションのス
タイルで話し合えることの安心感から生まれるものだと思います。
女性の解放が語られるとき往々にして女と男とは同じであるという議論から入ります。差別や性別役
割分業を語る上で決定的に重要な部分なんですが、若干の生物学的な違いを除けば、人格・能力・知
力においてなんら違いはありませんが、異文化コミュニケーションの観点からは、女のグループ、男の
グループが歴史的な時間の類型の中で、男女の違いを文化的に形成してきたであろうというところに
注目しています。
男女の価値観、心情、コミュニケーションスタイルの違いを明らかにしていくことで、女性差別(男性
差別)をなくし、共同、ともに闘える社会にするためにコミュニケーションが大切になってきます。
男女の異なるコミュニケーションの方法論を学ぶこと。お互いに敵対しあっていてもしょうがないこと
じゃないかということです。
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ジェンダー・コミュニケーション
資料にあるテレビをつけっぱなしでソファーで寝る夫、テレビを消すと見ているのに何で消すのかと
文句をいう話。まさにうちの夫もそうなんです(笑)。
アメリカ時代にゲイのお友達がたくさんいました。彼らは男性という枠を超えているために非常に話
しやすいんです。そんな話を夫にすると、夫は女性的な部分を持っている男性はとても話しにくいと言
っていました。
心理学の調査で、高い建物を見たカップルの女性は「わー高い」と言うが男性は「150M位はある」と
言う。女性はイメージで、男性は細かく示すという、コミュニケーション、視点の違いが出ています。
女性と男性のコミュニケーションの違いは、特有のコミュニケーション文化を持っているからと言える
だろうと思っています。子ども遊びとコミュニケーションについてですが、女子は個人的な関係を築きや
すい少人数での遊びが好き、おままごとのような固定的なルールのない遊びが好きだと言えます。そ
の遊びの中から女の子は、協調性・他者を批判したり仲間はずれにしない・他者感情やニーズに配慮
する、3つのことを学ぶといわれています。女性は、よくうなづきますが他者の感情やニーズに配慮し
た非言語コミュニケーションのひとつの形態だと言えます。
男子は、女子と比較するとより大きな集団での遊び・野球やサッカーなど固定的ルールに基づいた
遊びが好き・スターの許容。構造的で個人的かつ大き目のグループで遊び、主張と結果重視(勝者願
望)の傾向にあります。こうゆう遊びを通じジェンダー(男らしさ、女らしさ)を内化していき男性のコミュ
ニケーションは目的達成型になっていきます。
男性はデジタル的なコミュニケーションの方法(直線的、部分と部分の積み上げ方式)に対し女性は
アナログ的(円的)な包括的で感覚的なコミュニケーションの方法です。
男女の社会的な立場は長年の間に異なり、主流文化集団にいて社会的権力をもっている男性は単
一的な社会認識をしがち。下位者であるもの(この場合女性)は、わりと多元的な社会認識を持ち得え
ます。なぜかというと、社会生活の中で生き残っていくためには上の人達(男性)が何を考えているの
かということを知らないと生き抜けないからなんです。
アメリカ国内の黒人問題の中でも同じことが見られます。黒人層は白人層が何をいわんとしている
のか自分達のコミュニケーション方式を確実にもっている中で白人層のコミュニケーションを理解し、そ
の中でサバイバルしているんですね。
女性は感がするどいと言われますが、男性の行動コミュニケーションの方式を見て分かっているから
なんです。しかし、男性は社会的権力を持っているため見る必要性がないから女性のことがよくわから
ないという風になるんですね。
ジェンダー形成と維持
ジェンダー・アイデンティティという言葉を聞いたことがありますか?
「私は女です(男です)」という認識。アイデンティティは自分自身ということ。自分自身の核となるもので、
年齢、日本人である、男であるとか女であるとか、そのあたりが核となっています。性同一性障害もあり
ますが、自分は男であるとか女であることを認識しています。
心理学の知見から子どもは、生まれて数ヶ月間は母親と自分を区別することがなく同一視している
そうです。つまり自分の領域を確立していないということ。子どもは自立していく中で母親(他者)を自分
の内面に取り込む能力も同時に発達させていきます。分離しながらかつ他者を内面に取り組む能力を
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発達させ、歩き始める頃には自分と母親との分離がいっそう進み、同時に他者との結合・同一化の
願望も強くなるそうです。
時々、歩き始めた子どもが勝ち誇ったように母親から離れていき、ハッと気がつくと一人ぼっちにな
って泣き出すというようなことがありますが、離れたい願望と一体感を持ちたい願望とが大きくなってい
きます。同一化が起こるのは誰に対して起こるのか?・・・母親なんです。なぜかというと今まで母親が
生まれた時から育ててきた、一番身近にいた人だからなんです。
ルービンが言った言葉で「子どもにとって最初の育児者(最初に深く関わる人)が母親であることが、
私達が女・男であるというジェンダーのアイデンティティをつくりあげるのにものすごく大きなインパクト
を与えているんじゃないか」という議論をしたんです。つまり子どもが自我領域を発達させる時に母と同
一化のできる女子は自分が女であるというアイデンティティを発達させることが簡単ですが、男の子に
とっては非常に難しい課題だと言っています。母親から離れる、母親と同一化もしたいと思った時に相
手が女の母親であることを理解し認めざるを得ないんです。それは今まで一年以上におよび、もしかし
て同一だった僕とお母さんが離れなければならないという、とても複雑な心の葛藤を導きだすと言われ
ています。母親に対する愛情や一体感はものすごく強いので、男というジェンダーアイデンティティを確
立するためには、ある意味では母親との絆を放棄しなくてはならないということなんだそうです。
男女の自我領域を確立させるプロセスは、簡単にいうと女の子にとっては「他者を自分と同一視す
るプロセス」、男の子は「他者を他者として認識するプロセス」です。男の子にとって内的世界の急激な
変化から生じてくる苦痛は、一方で誰かと一体感を持ちたいという強い願望や欲求を持ちつつも、自分
を守る防御の仕組みをつくり出すのではないかと言われています。
女の子は、このようなプロセスを経て自己確立をする必要がないため自我領域は男の子より確立さ
れていないし、他者に非常に共感的になれるんです。一般的にいつも他者は自分と結びついているも
のと実感していて、密接な繋がりを維持することが生活の基本的な課題になっているのではいかという
ことなんです。
アメリカ人の学者で、1,000人の男女を対象に自我領域について調査をしたところ、男子の方が明ら
かに自我領域が発達しているという議論展開をしています。
母親と強制的に同一化していた頃に生まれた能力、女の子は他者を内面に取り込みその感情をま
るごと自分のように感じる力を持ち、男の子は感情との関わりを非常に苦手とするようになっていきま
す。女の人が他者の苦しみとか喜びに簡単に涙したり女はより平和的だとか何となく言われますが、女
性の傾向もこのジェンダーアイデンティティの確立と関係しているのかも知れません。
大人になっていくと女性は他者との分離を維持するのが困難です。例えば、恋人同士であれば男性
は関係を深めるために具体的なプランを立て楽しもうとしますが、女性の場合は、何かを一緒にするの
もいいけれど、何もしなくてもよいからずっとそばにいて欲しいと思いますよね。女性は非常に一体感を
求めるんです。さらに女性が母親になると子どもとの緊密な関係はなかなか譲れません。女性が外に
出てキャリアを積む、だからといって子どもとの密接な関係を放棄しますかと言われたら、女性は男性
に比べ放棄しない人の方が多いです。
子どもとの一体感は自分にとって大事だけれど、一方で自分のキャリアを失う、失う可能性もある不
合理なことだとわかっていても心理学者によれば人間関係のシステムに埋め込まれている精神的な
安定と慰めを提供してくれるもの(二次的利得)がないとスムーズに生きていくことが難しいと言われて
います。男性にとって二次的利得は、長年積んできた社会的な権力です。家庭を放棄しても社会的権
力を得る、家庭を放棄することは良くないと思っていても、社会的な権力を手にする二次的利得が欲し
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いと思うということです。
おもしろい調査を紹介します。日本全国の夫婦にアンケート調査を実施し分析したところ、妻の夫に
対する愛情は結婚後6~14年の間に急速に冷めると書かれています。理由として上げられたのは、子
どもが小さい時にどのくらい夫が家事育児に参画したかがポイントだと言っています。また、子どもが1
0歳になってから家庭内の仕事をしてももう遅いとも言っています。
夫に対して愛情が持てなくなるのは、大変な幼児期に家事育児に参画しなかったことが女性が無意
識に求めている心理的な一体感を損なえた、大変な時に一緒にいてくれなかったということなんだろう
と思います。
家庭における役割分業体制は、意識的に変わったけれど日本社会の実態はまだ変わっていません
よね。家事育児の喜び、誇り、しんどさも、役割が違ってしまえば夫と共有できません。母親が中心で
育てれば、いくら夫に言っても表面的には分かっても事実上共有できない。そこで夫との信頼関係が
失われ急速に愛情が冷めていくということなんですね。
面白いのが一方で夫の愛情は冷めていないようです。夫は結婚しても妻に対し同じような愛情を持
っているようですが、妻は6~14年の間に後ろを向いてしまうことがわかっています。
一体感を持つことが男性にとってはそれほど重要ではないが、女性はそれがとても大事なことなの
で愛情が冷めてしまうのではないかなと思います。
メディアとジェンダー
メディアは、私達のジェンダー感を相当左右している社会的な要因のひとつで、司法、立法、行政に
続く第4の社会的権力だと言われるくらいマインドコントロールしています。
ジェンダー視点で見ると依然としてメディアは伝統的役割分業体制を維持していることが見られます。
CMでは、女性は若くて痩せていて美しい人が多く起用され、男性は若い人もいれば年齢の高い人も
いる。家電製品においては、女性と娘というパターン。女性は、若さ、かわいらしさ、セクシーのイメージ
を作り上げるという感じでしょか。例えば、長寿番組のサザエさんは何の問題もないように思いますが、
ジェンダー的な視点で見ると、ですます調が家庭内で男性にしか使われていないとか、フネさんは伝
統的なお母さん役で、家に主婦が二人いますよね。
少年漫画と少女漫画では役割分業が違います。少女漫画は、特に性役割の中で非常に保守的であ
ることが分かっています。保守的というのは、ヒーローになる男の子に兄的な役割を与えヒロインの女
の子がそれに甘えるパターンが多く、少年漫画は、女性に姉的で母親的な人格を求めている漫画が5
0%程あります。少女漫画は、男性に兄的役割を与えているのが8割を占め、8割以上の漫画が恋愛
ストーリになっています。恋愛ものは他者との一体感を求める女性にうけるストーリーなんだと思いま
す。男性漫画は成人も読みますので、それも影響してのことだと思いますがテーマはきわめて多様で
す。そうゆう漫画を盛んに読んで育った大人は、若い女性でいうと恋愛というのは、いつか白馬に乗っ
た王子様が迎えに来て私を優しく包んでくれると今でも信じていますよね(笑)。
女の子は男の子に甘えたい、男の子も女の子に甘えたいと思っているわけです。そうすると結婚し
て半年もしないうちに話が違うじゃないの?ということになるんですね。お互いに依存し、甘える関係が
いいのだろうけれど、若い時のメディアの情報により幻想を抱いているというのが今の男女の関係なの
かも知れません。
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相互理解のために
違うコミュニケーション文化を持っているということを前提に物事を考えると、相手の言ったことを額面
どおりに受け取らない、あれ?と思ったら判断を保留することが大事なんです。
異なるコミュニケーションの妥当性を認識すること。それぞれのコミュニケーション文化には論理や
妥当性があって、それぞれのグループにはそれぞれに異なるゴール、目的、優先順位があったり、コミ
ュニケーションの基準がある。同じ枠組みの中でものを言っているのではないということです。
例えば、アメリカ社会と日本社会では視線の使い方が全然違います。上司や親に叱られるとき日本
では目を伏せます。それが日本のルールです。アメリカで同じことをするとお前は黒だと言われます。
目を伏せたとたんにお前がやったから目を伏せたんだろうと言われます。同じことを同じ場面でしても
判断が違うんです。文化が違うというのはそうゆうことだと思います。
また、何かをしようとしたときに、男性にとってはうるさい細かいことをと思っても、女性にとっては視
点や観点、目的があってしているわけですからそのあたりを理解するとお互いにコミュニケーションが
スムーズにいくのかも知れませんね。
黙っていてもわからないので相手がわかるようにヒントを与えること。また逆にヒントを探る行為も必
要です。自分の枠組みの中で、自分の判断で話しを進めずヒントを探ることが大事です。
コミュニケーションスタイルの拡大。私は大学に勤めて15年になりますが、大学は男社会で女性は1
0%もいません。男性の中で、どうものを言えば理解してもらえるかということを徐々に学びました。私
が男性の中にいるときの話し方と女性の中にいるときの話し方は全然違います。同じように話しをする
と嫌われるというのが分かるので、自分の中で二つのパターンを使い分けるように心がけています。
「私もあなたも同じ」から始まると恐らくコミュニケーションはうまくできません。アメリカ人も日本人も同
じです。「英語を話している、同じ人間だから」で始まると表層的な理解はできても深いところにいくと絶
対に障害が起こってきます。お互いに違うんだというところからスタートして、お互いのコミュニケーショ
ンスタイルを学び、拡大することができれば建設的だと思います。
当然のことですが、支配的にならないことが大事。ジェンダー関係ではこれまでの社会的な男女の
権力差は大きかったわけですから、ちょっとしたことに気をつけながらコミュニケーションを図っていくこ
とが大事だと思います。
(この文章は講師の講演内容を主催者側でまとめたものです)
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質 疑
○町内でNPO法人の管理職をしています。女性は直線的な意見より話を聞いて欲しいということが多
いということですが、立場的に職員から話を聞いて欲しいと相談されることが多いのですが、私は個人
的に女性であるのに話を聞くより助言をしたがるタイプなんですが、立場柄なんでしょうか?話を聞く
のは苦手です(笑)。
→恐らく立場的なこと、持っていらっしゃる人格もそうなんだろうと思います。文化といってもはっきり線
引きできるものではなく、女はこうだということも言えませんので、個人的な差はあります。みんながみ
んな同じというわけではありませんね。もともとの性格、立場がまさにそこを強めたものと思われます。
この会場の中で一番共感的にニコニコしてうなづきながら聞いてくれ、とても勇気づけられました。こ
れはとても女性的な聞き方だなと思います。
○単純な疑問ですが、ジェンダー形成と維持の中で、最初の育児者が母親だったという場合でしたが、
父親だった場合はどうなるんですか?
→ルービン、その元になったチョドローの議論だと母親じゃなく父親が関わることによって、女性の自我
領域はもっと明確になるだろうし、男性の共感能力も恐らく高まっていくだろうと言われています。その
意味でも男女(父と母)が育児に関わることは大事だという結論になっています。男女が深く育児に関
わることによって包括的な人格形成になっていくだろうという議論になっています。
○私は共働きをしてきました。夫も自分も同じように役割分担をしてきたので、今更男女共同参画じゃ
なく30年前からそうしてきたわよという思いでいました。男も女も同じだと思い続けてきました。演題が
コミュニケーションの謎となっていたので、どんな謎があるんだろうと思いながらお話を聞いていました。
男女にはこんなに違がいがあるんだってことが分かり謎が解けて、大変楽しく興味深く聞きました。帰
ってから夫になんて話そうかなと思っております。
→男女平等とか男女共同参画社会ということを考えるときにはやっぱり同じように参画しましょうという
ことは当然あるし、差別的じゃない社会、より公平な公正なる社会をつくろうとなったときには、男女は
ともに同じくらいのエネルギーと時間を使ってということになるんですが、集団として見たときに抱えて
きた歴史があって、現代社会に生きる私達のコミュニケーションに依然反映されているんだろうと思い
ます。決定的に男女の亀裂を発生させることではないですが、時々、物事がこじれたりするとそのコミュ
ニケーションの違いを引っ張りあげて「だから女は駄目なんだ」「だから男って」というそんな形で泥沼化
していく状況は避けられるような気がします。
それとは別に実践していらしたことはとても素晴らしいことだと思います。
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