解答 解説

解答
問
問
問
問
問
問
一
二
三
四
五
六
彼はほとん(3点)
「スルメで釣ればいいのに……」(2点)
ウ(3点)
酔ったまま(3点)
黒(2点)
(1)太郎の心の閉ざされている部分を開く手がかり。(5点)
(2)フィンガー・ペイント、童話、ブランコ(2点×3) *順不同
問 七 ア(4点)
問 八 9は、鼻で感じるにおいのことで、12 は、それとなく感じられる様子(雰囲気)というこ
と。(4点)
問 九 A(2点)
問一〇 イ、エ(3点×2) *順不同
解説
出典は、開高健の『裸の王様』。
「ぼく」の画塾に入って来た大田太郎。太郎は無口で感情を外に出すこともしない。何とか太郎に心
を開かせようと試みるが、なかなかうまくいかない。ある日、他の画塾生が兄とした「かいぼり」の
話をしていると、太郎が「エビガニ」は「スルメ」で釣るのがよいとつぶやいた。「ぼくは」太郎の
内面を探る「きっかけ」を得たと考え、太郎に積極的に話しかける。持論を主張してくる太郎に、
「ぼ
く」は確かな手応えを感じつつ、太郎が「田舎にいたことがある」という新事実を発見する場面であ
る。
問 一
傍線部1「困らされた」の内容は、同じ文中にある「彼(太郎)の生活の細部をまったく
といっていいほど知らないことだった」ということ。それはなぜなのかといえば、傍線部1の4行後
にある「彼(太郎)はほとんど無口で感情を顔に出さず、ほかの子供のようにイメージを行動に短絡
することがないのである」から。ここの始めの5字を抜き出せばよい。
問 二
傍線部3「うっかりすると聞きもらしてしまいそうな、小さなつぶやき」とあるが、その
「つぶやき」を「耳にするまでは、ぼくはただその周辺をうろうろ歩きまわるばかりで、まったく手
のくだしようがなかった。」としている。つまり、太郎の心を読む「きかっけ」となった「つぶやき」
を探し出せばよいことがわかる。
その「つぶやき」は、その後、傍線部7「ぼくは小さな鍵を感じて」の前に、「かいぼり」で「エビ
ガニ」を釣る話を画塾生たちがしている時、太郎が「スルメで釣ればいいのに……」と、「ぼくのそ
ばをとおりながらなにげなく彼のつぶやくのが耳に入った。」とある。これをヒントとして、答えは
「スルメで釣ればいいのに……」。「釣れば…」の漢字間違えが散見した。
問 三
傍線部4「彼がぼくから紙をひったくると」とあるが、なぜ「ぼく」から「彼」が「紙を
ひったくる」ことになったのか。まず確認しておかなければならないことは、主語の「彼」とは「太
郎」のことではないということ。「彼」とは、兄と「かいぼり」を楽しんだという画塾生のことだ。
つまり、ア、イ、は主語が「太郎」なので、この時点で不可。
傍線部4の2行前に、兄と小川で「かいぼり」を楽しんだ画塾生が、「かいぼり」をした翌日に、①
「酔ったままぼくのところへ紙をもらいにきたのである」②「おむすび型をした彼の頭のなかでは
二十七匹のエビガニが足音をたててひしめいていた」とあり、①から「酔ったまま」ぼくのところに
きたとは、問四の解答にもなるが、「心を二十七匹のエビガニに奪われ、うっとりしている様子」を
表している。また②から「昨日捕まえた二十七匹のエビガニが足音をたててひしめいている」のは、
その画塾生の頭の中が「かいぼり」をして捕らえた「エビガニ」でいっぱいということ。つまり、そ
の「彼」は興奮状態なのである。傍線部4の1行後の「彼は一匹描きあげるたびにため息をついて筆
をおき、…」 とあることからも、その自分で描いた「エビガニ」にうっとりする姿が読み取れる。
よって答えは「ウ」。よって「エ」は、「彼」が「ぼく」ではなく、「仲間」に「エビガニ」の自慢話
を聞かせたいという気持ちから紙をひったくったのではないから不可。
問 四 4
である。
問
五
問3の解説より、「うっとりした」と同じ意味の表現は、その3行前の「酔ったまま」
語彙の問題。傍線部6「□山だかりに」とあるが、直後に「子供が集まり、騒ぎが大きく
なった。」とあるように、「人が大勢集まっているようすを表したもの」という意味。「色」を表す漢
字1字ともあるので、答えは「黒山」の「黒」が正解。「色」を表す漢字でという指示があるのに、
それに従っていない誤答が目立った。
問
六
傍線部7「ぼくは小さな鍵を感じて」とあるが、
(1)、問1の解答にもあるように「大田太郎」は、「ほとんど無口で感情を顔に出さず、ほかの子
供のようにイメージを行動に短絡することがない」ので、「ぼく」は「困らされた」のである。 次
の(2)の解答にもなるのだが、その状況を変えるために、「ぼく」は、あの手この手で、この「太
郎」にアプローチを試みていることが文中より読み取れる。 そんな「太郎」が、画塾生の「エビガ
ニ」の話しで、傍線部7の直前「スルメで釣ればいいのに……」となにげなくつぶやいたのである。
そこに「ぼく」は突破口を見出して、「太郎」の元へ行き、いっしょにあぐらをかき、盛んに話しか
けるのでる。という流れを押さえる必要がある。よって、「小さな鍵」なのだから、まだ完全に「太
郎」の心を開かせられる確信を得たのではなく、あくまでも「突破口」、「太郎」の身の上を知る「足
がかり」、「手がかり」、「糸口」、「きっかけ」等々の表現がふさわしい。また、どんな「突破口」、「足
がかり」なのかと言えば、太郎の「閉ざされていた心を開く」、「生活の細部や過去を知る」、「心の
秘密を知る」等々の表現が適切である。この2つのパーツをつなげて解答する。
(2)、(1)でも述べたように、「ぼく」が「太郎」の心を開かせるため、色々な手段でアプローチ
を試みている。その1つが、問1の解答となった「彼はほとんど無口で感情を顔に出さず、ほかの子
供のようにイメージを行動に短絡することがないのである」の直後にある「フィンガー・ペイントが
しりぞけられたので、…」の部分である。つまり、「太郎」の心を開かせるために「フィンガー・ペ
イントを太郎にさせてみたが、うまくいかなかった」ということである。なので、1つ目の答えは「フ
ィンガー・ペイント」。2つ目は、「ぼくはつぎに彼を仲間といっしょにぼくのまわりにすわらせて
童話を話して聞かせたが、…」の部分。これも失敗に終わるが、答えは「童話」。3つ目は、2つ目
の直後に「ブランコにのせることもやってみたが、…」とあるので、答えは「ブランコ」。以上の3
つである。
問 七
傍線部8「しまったとぼくは思った」とあるが、その直後に「この理屈はにがい潮だ。貝
は蓋を閉じてしまう」とある。つまり、ここでいう「理屈」とは、傍線部8の前に書いてあるように、
「イカ」は「海の魚」、「エビガニ」は「川の魚」なので、「海の魚」の「イカ」で、「川の魚」の「エ
ビガニ」が釣れるのか、ということである。そのもっともらしい「理屈」に、「貝」、つまり「太郎」
は口を再び閉ざしてしまうのでないかと「ぼく」は恐れたのである。
アは「せっかく太郎が話し始めたところに、太郎が嫌がるような理屈を言ってしまった」ということ
なので、これは上記の説明に合致しているので正解。
イ「売り言葉に買い言葉で屁理屈をぶつけてしまった」とあるが、「売り言葉に買い言葉」とは、「乱
暴なことばに対して乱暴なことばで言い返すこと。けんか言葉のやりとりのこと」である。これでは
ない。
ウは「自分(ぼく)の無知な質問から太郎をあきれさせてしまった」とあるが、「無知な質問」によ
って「(太郎を)あきれさせた」という事実・表現は読み取れない。よって不可。
エ「大人の視点でその意見を批判してしまった」とあるが、「ぼく」は「太郎の意見」を批判も否定
もしていないし、そのことを「しまった」と恐れているわけではない。よって不可。
問 八
傍線部9「スルメの匂い」、傍線部12「秘密の匂い」両者の、「匂い」の意味の違いを
説明するという問題。傍線部9の「匂い」は「スルメの」なので、「鼻で感じられる匂い」である。
それに対して、傍線部12の「匂い」は、「秘密」の「匂い」なのだから、「それとなく感じられる
雰囲気」の「匂い」である。その2つを並列させて書けばよい。
問 九
傍線部 10 の「ような」や、波線部A~Cの「ように」とは、助動詞「ようだ」が活用し
て形の変わったものである。助動詞「ようだ」には「推定」・「たとえ」・「例示」の3つの意味があ
「実際には聞こえていないものが聞こえた気がした」
る。傍線部 10「聞いたような」の「ような」は、
ということなのだから、「たとえ」の意味で使われている。波線部B・Cの「ように」は、「おびえ
たように」「安心したように」と、それぞれ「ある状態」を「推定」する意味を表している。波線部
A「蛙の腹のように」とは、実際「蛙の腹」ではないのだが、
「蛙の腹のようにつめたかった」と「蛙
の腹」に「たとえ」ている部分である。よって答えは「A」。
問 一〇
注にもある通り「荒蕪地」とは、「雑草などが生い茂ったままの土地。手つかず
の未開地。」という意味である。ぼくは、太郎の心を開かせるため「ブランコ」に乗せてみるのだが、
太郎は怖がるだけで、結局、何も引き出すことはできず、自分の不明と粗暴を恥じたとある。そこで、
傍線部2「彼の清潔な皮膚のしたに荒蕪地があることはありありとわかった」という部分に至る。つ
まり、それが何か具体的にはわからないが「表面には表れず、まだ誰も足を踏み入れたことのない、
太郎を作り上げている本質的な部分があることを感じ取った」という意味で「荒蕪地」を使用してい
ることを読み取る。よって「イ」を選択する。
また、傍線部 11「たしかに荒蕪地はアスファルトで固められているが、ずっと遠い暗がりには草と
水があったのだ」とあるが、「アスファルトで固められているが」は、「都会育ちだと思われている
が」ということ。そして、その「ずっと遠い暗がりには草や水があったのだ」は、「田舎で過ごした
記憶・経験というものが、太郎の心の奥でしっかりと生きている」ということ。よって「エ」を選択
する。