( 平 27前 ) 国 語 問 題 訂 正 問題訂正 6ページ 〔 注 〕 2行目 (誤)一九八四年 (正)一九七四年 みなまた 次の文章を読んで、問一 1五に答えなさい。 ︵配点八O点 ︶ Jo それを伝えようとする様々の努力がなされていることや、問題はまったく解決していないことは知っていながら、私た 私たちの周囲に水俣に関する情報が少なくなった、 と感じるようになってから久しい。むろんそれはたんに情報の量の問題で ま 一 よ 、 l −− きく ちの大部分の生活の中にそれは入り込んでこない。このすさまじい消費社会は﹁水俣﹂の意味をも消費し呑みこんでしまうのだろ まさと うか、という危倶が頭をもたげる。と同時にこれは、水俣の人たち白身にとっても容易ならない事態ではないか。 ここに一本の映両が提出された。小池征人たちによる﹃水俣の甘夏﹄である。この映画は、水俣特産の甘夏を無農薬の有機農業 で栽培することをめざす、水俣病患者家庭果樹同志会の活動を広く伝えようとする音、図のもとにつくられた。ところが、その制 作過程でこの意図を挫くような事件が起きた。同士山会のなかの六戸の農家が、無農薬をめざす活動に逆行するような除草剤を使 用してしまったのである。映画はこの事件を見事に﹁記録﹂する。 それによって、この映画は傑作となった。 除草剤の使用は、 まさしく失敗であった。 それは一言葉の本来の意味において失敗であった。その事件をめぐる過程全体を通し あ て、さまざまの屈折と渋滞と逆流とを伴いながらも終始、それが失敗として曝けだされ、抱えこまれつづけたことが私たちの胸 I I l l i llllllll み をうつ。事件への対応に苦慮し、内面の葛藤を経たのちに或る農民がもらす﹁落ちこぼれじゃなかですもんね。失敗したから失 γlili lillit −− −−− −−−− 敗の会ちゅうわけです。人間だから失敗もあるじやろう﹂というそれ自体は変哲のない一言葉が、観る者に突きささってくるの は、私たちの生きる世界に﹁失敗﹂がいかに成り立ちにくくなっているかを、それが鮮明に浮き彫りにするからである。 0 安楽と効率を指向し、 そのための計画とプログラムによって覆いつくされた社会生活においては、 その フランの実現を阻み害 すると考えられる事態は栂力、遠ざけられ回避されなければならない。 そういう事態を招いてしまった者やその渦中で苦しむ者 は、プログラムに対する見通しの甘さと計算能力の不足を示すにすぎないのであって、まさに社会の﹁落ちこぼれ﹂として片づけ もくろ存 られざるをえない。ここでは、人間の生きる世界が本来、﹁思いがけない﹂出来事や﹁思いもよらない﹂物事を含み、 ﹁思いどおり にならない﹂存在を組みこむものであることが根抵的に否定されてしまう。したがってまた、自分の予測や目論見や統制の能力 > く Ml(213 2 ) 1 ふさわ を超えた、未知の物事によって控かれ、驚きとともにその事態を受けいれること、すなわち失敗が社会的に成立しえないのであ る 。 lス マ Jナ こういう社会では失敗は、機械化された世界に相応しく、 いわば事故や故障としてしか現れない。 つまり修理や部品交換や解 体処理を要請する、もっぱら有害な事態としてである。 そこでは、機械の故障と違って人間の失敗は負の一方向ではありえな いことや、また機械には消耗をひきおこすだけの時間の経過が人間には成熟をもたらしうることなど、考慮の外へと放逐され すうせいたいしょ る。こうして失敗は何よりも、社会の規格化された方式では処理できない現実、 そのかぎり苦痛で不快な現実に面と向かわせる 故に、怖れをもって排除されるのである。 除草剤事件をめぐる同志会の人達の苦悩や葛藤は、この社会の圧倒的な趨勢とは対眼的な関係を形づくっていく。除草剤使用 者すなわち失敗した者を、追放したり排除したりしない関係をいかにしてつくるかというかれらの苦慮と、 ついにそれを人間本 もちろん 来の生産的失敗として包摂するに至る経過と、さらにそれを自他に対して公開する勇気とは、失敗などは有害なだけのものとし て排斥することによって一身を保守しようとする、現在の実利的世界となんと違っていることか。勿論その苦渋にみちた過程 は、単線的ではありえない。炎天下に自分達が汗水流して草を刈っているときに、安易に除草剤を使った者たちへの反楼。生産 者個人として自らの生産物への責任をとるべきだという主張。再考を促す水俣病センター相思社のメンバー︵そして映画制作者 たち︶に対して、生活者の名のもとに表明される感情的なズレ、等々。 ﹁会の四十八人を同じ気持にさせきらん﹂という焦慮とと ほ111111 もに、 ともすれば失敗者に対する裁きと分裂へとケイシャしかねない心的条件に動かされながら、 しかも同志会に、最終的にそ れを乗り越えることを可能にしたのは、 ほかでもない、自分達は水俣病患者であるという認識の一点であった。映画は、この認 識がかれらにとっても決して自明のものではありえないことを示している。いいかえれば、ナレーション抜きではあるいは水俣 とは判らないかもしれないほど、水俣病の日常のなかの不可視の部分を映しだそうとしたこの映画が、まさしく水俣の映画たり えているのは、実はここにおいてである。 生産者であり生活者であると同時に、かれらは患者なのであった。少数の失敗者を裁きかけ排除しかけている自分たち自身 <)MJ(213 3 ) 2 ペCL山 戸 か が、実は少数者として社会の辺境に放置され排除されようとしている。ここで患者であるとは、そのことに気づかせる、いわば 認識衝動を生みだす母胎であった。無農薬をめざす作業自体が、被害者である自己が農薬を撒布する加害者へと転化すること を、何とか克服しようとすることから出発した筈であった。ここには、不断に相互転移や逆流を含む社会関係の連鎖の中に自分 あろ たちは身を置いている、 という認識が形成されようとする。社会の多数派が持ちがちな、地位と役割の固定性という虚偽の意識 が打破されようとする。したがって、相互の転移や反転に伴って露わになる人間の弱さを、率直に承認していく精神態度が生み だされようとする。 こうして、失敗を否定し放逐するという社会的趨勢の再生産から、かれらを最後のところで踏みとどまらせ、 ついにはそれを 人間に本来的なものとして包みこむ関係を組みなおしていく、 という感動的な逆転をもたらしたのは、水俣病患者としての経験 であった。すなわち、被害者だからこそ加害者性を克服しようとし、少数者だからこそ排除者となることを拒絶しようとする。 そして理不尽に負性を背負わされた者だからこそ、失敗者を切り捨てず包容しようとするのである。人間の生活とはこのように 相互的なものであり、 それぞれの錯誤や失敗が孤立したものとして切り離されず、生かし合う関係によって支えられているとす れば、社会の多数派は本当に﹁生活者﹂たりえているのだろうか、 という反省をそれは促す。 除草剤の使用という一つの失敗が、同志会の農民達の立脚地点を明るみに出し、社会的価値の逆転のドラマを生んだ。 それ は、除草剤事件が、真に一箇の事件として成立し展開したということでもあった。 ﹁事件﹂は当事者それぞれのかかえる事情と、 あさ かれらが関与する場の断面を鮮やかに切り開いてみせる。水俣の日常を捉えたこの映画の各ショットが、除草剤問題という事件 を通して集約され再組織されて、かれらの立っている﹁現実﹂の諸局面を顕らかにするのである。そこには何よりも、水俣病に よって海から陸へ追われた人達の、たえず海へ引き寄せられる激しい思いがある。さりげなく挿入された漁の光景がかれらの キヨウシユウを照らし出す。漁につよい愛着を抱く人達にとって、長期の心配りと手入れを不可欠とする農業は辛い仕事であ bBEEE− − EBElall− よみがえ り、﹁草取りなどは女の仕事﹂にすぎなくなってしまう。つまり農業の経験不足がもう一つの足伽となる。そして無農薬をめざす 有機農業が、樹木の生命力を蘇らせることによって作業量を増やす結果、かれらは病気の苦痛に加乗されながら、ささやかな > くMJ(213 4 ) 3 ﹁安楽と効率﹂の誘惑に直面することになる。 そこには同士山会の組織としての不充分や不徹底の部分も、明るみに出されることに なるだろう。 に111111 しれん 事件はこうして、当事者がかかえこんでいる前提条件と諸関係の網目模様を、いわば目に見えるものにした。そして、それに イ ー 応答することを通して、かれらは自らの立脚基盤のソセイ構造を変えることができたのであった。日常の中の試煉と可逆的な相 互関係と内面的葛藤とそして他者性の包摂とを含む、この緊張した過程はまさしく劇的であって、今日なお可能な劇的なるもの いんべい の表出とはこのようなものであるのか、と思わせるほどである。そしてまた、私たちの空活の周囲にも実は﹁事件﹂は起きている あたい 窓口なのであって、社会全体の機構とそれにもたれかかる私たちの生活様式とが、挙げて事件を不可視にし隠蔽し消去しているこ 上仇一 d とに思い至らせるのである。﹁不意打ち﹂を追放せず応答できる、このような関係こそが社会関係の名に価するとすれば、現在の ヂ﹂ 私たちの社会はそれに真向うから敵対するだろう。 除草剤事件が当事者それぞれの場を切開してみせたというとき、その当事者とは実は映画制作者を含むものであった。映画は たまたま ある 偶々その事件に遭遇したことによって、自らの性格を変容せざるをえなくなった。そうして、その遭遇による変質を見事になし とげることによって、偶発性を社会的に生かすことが出来た、といってよい。事件に際会したカメラ或いは事件をつきつけられ たカメラは、 それをどう撮るかが試されざるをえない。水俣の人達にとってと同じように、事件は映画制作者たちにとっても試 EEEE 一層そうであっ 煉であった。カメラの介入は、当事者に逃れがたく事件をつきつけるだけでなく、 それによって顕らかになっていく諸断面を映 内 ノ しとることを通して、事件そのものの性質を変えざるをえない。同志会が﹁公開﹂を原則としていこうとすれば、 た。それは同時に、自らの介在によって変容をとげた現実を撮ることになる、映画自体の変形でもあった。映すべき現実の動き とともに、この映画は身をよじる。カメラが、多五向で不確定の諸要素を含む事件の展開に内在的に関わりながら、現実の新た な次元を顕らかにしていくとき、 それはたんなる﹁参与観察者﹂にとどまるわけにはいかないだろう。ここでは事件を﹁記録﹂する ニシ﹂ル﹂、 それを変形すること或いは﹁創る﹂こととは別のものではない。 誤解をおそれずにいえば、ここでは、映画が記録することを通して﹁現実﹂を創っていったのである。その限りでこの映画は、 ()Ml( 2 1 3 5 ) -4- カメラを聞き放しにして映るものを捉えると称する類いの﹁記録﹂映画とは、 正反対の行き方を示している。映される現実と当事 JUBE −EEEEEBB − 者関係に立つことによって、この映画は現実を記録するということのいわば初発の地点を明らかにしているように思われる。 れは白らを内在させることで、表層を構成するイクエもの現実を映し出すのである。たとえば、 ﹁誰にも打つ手がなかった﹂とい うナレーションとともに現れる、事件発生後三か月間の空白が、画面に映らない人間関係のきしみを観る者にスリリングなまで ちょくせつ に想像させるのも、 そして、カメラワiタはむしろ静態的であるにもかかわらず、画面白身がきしむ印象をもたらすのも、おそ らくそこに起因する。したがって、この映画は映像が担うメッセージにもとづく直哉的な告発によってではなく、むしろ表現 形態それ自体において、観る者をたんなる観客に止まらせない力を帯びるに至っている。 こうして、除草剤事件を通じて、同志会と相思社とそして映画制作者たちとがコンテキストを作り合うところに、失敗をめぐ rill − − ょ る一連の過程、その新たな現実に対する発見の驚きと対面の苦痛とを伴う過程は普遍的な経験として結晶することになった。こ r れまでチクセキされてきた水俣病患者としての経験を、事件に対する最終的な判断の拠り所として集約させたとき、そこに、か −− ) く M1(213 6 ) 一 ; : i - れら自身を超えて、照らし出し動かす普遍的経験が成立したのである。 その故に、 それは映画を観る者につよく働きかけ、揺さ ぶり、 そして励ます。この映両は水俣の人達とともに、 それ以上に観る者を励ます力を担っている。 ﹁失敗の会﹂のシlルを貼つ て甘夏を出荷する場面に端的に見られるように、 ユーモアの余裕をもそれは含みこんでいるのである。と同時に、 それが事柄の 総体に関わる経験として提出されているかぎり、自分に都合のよい部分だけを切りとって処理するわけにはいかない。 つまり日 常私たちが営んでいる方式が通用しない、質的に異なる﹁現実﹂がここに聞き一不されている。 甘夏という具体的なものの成熟過程を描き出そうとすることを通して、この映画は、 それに桔抗しうる人間的成熟の可能性を 同 lili 映し出すことになった。すなわち、水俣病をめぐる受難と受苦の直接形においてではなく、生きた経験の結晶を用意し可能にし た基盤としての受苦に思い至らせるという形で、私たちに、 そして水俣の人達自身に、 ﹁水俣﹂を提示するのである。ここに水俣 病は﹁人体﹂の問題にとどまらず、まさに﹁人間﹂の問題として立ち現れることになる。 ︵市村弘正﹃標識としての記録﹄所収﹁失敗の意味﹂より︶ そ ︹ 注 ︺ 問 O ﹃水俣の甘夏﹄||一九八四年に製作された映画。 O水俣病センター相思社 lll水俣病の諸問題に対処するために一九八四年に設立された団体。 O同じ気持ちにさせきらん lli 同じ気持ちにさせることができない という意味の友言。 傍線部凶 1刷を漢字に改めなさい。はっきりと、くずさないで書くこと。 傍線部例﹁私たちの生きる世界に﹁失敗﹂がいかに成り立ちにくくなっているか﹂とあるが、これはなぜか。 八O字以内で説 て ハ O字以内で説明しなさい。 ) く Ml(213 7 ) 6 明しなさい。 傍線部川﹁今日なお可能な劇的なるものの表出﹂とあるが、これはどういうことか。 八O字以内で説明しなさい。 傍線部閉﹁映すべき現実の動きとともに、この映画は身をよじる﹂とあるが、これはどういうことか。 八O字以内で説明し はどういうことか。本文全体の論旨を踏まえたうえで、 傍線部恒﹁ここに水俣病は﹁人体﹂の問題にとどまらず、まさに﹁人間﹂の問題として立ち現れることになる﹂とあるが、これ なさい。 四 問 問 間 間 五 よしともときわ きよもり 次の文章は、平治の乱で敗れた源義朝の妻の常葉が、 三人の男児を伴って平清盛のもとに出頭した場面である。これを読ん で、問一 j五に答えなさい。 ︵配↑以内O点 ︶ 一人をも助けさせ給へと申さば 大弐清盛、常葉を召し出しければ、子供引き具し、清盛の宿所へ出でけり。六子・八子、左右の傍に居たり。二蔵の牛若は懐 さまのかみ にあり。常葉、泣く泣く申しけるは、 ﹁左馬頭、罪深き身にて、その子供、皆うしなはれんを、 そのことわりしらぬ身にでも候はめ。子供、かくもならざらんさきに、 まづこの身をうしなはせ給へと申さんを、などか alili− −Illit− − BIllit− B − illi− − 1 111111111li| l| 間こしめされでは候ふべき。高きも卑しきも、親の子を思ふ心のやみは、さのみこそ候へ。この子供にわかれて、片時もたへて あるべき身とも覚え候はず。わらはをうしなはせ給ひて後にこそ、子供をば御はからひ候はめ。このこころざしを申さんために こそ、左馬頭が草の陰に恥を見せて、 かかる憂き形勢を思ひも知らず、これまで参りて候へ。この世の御なさけ、後の世の御功 1A什A什叶叶寸 Nil−ill1111Illli− − − 徳、何事かこれに過ぎ候ふべき﹂と、泣く泣くくどき申せば、六子、母の顔をたのもしげに見あげてーゴ叫什寸 たべや﹂といひければ、ただ今までも、ょに心強、げにおはしける大弐殿も、 ﹁けなげなる子がこと、はかな﹂とて、傍にうち向き もののふ て、しきりに涙をながされけり。兵ども、あまた世み居たりけるに、一服にむせびてうつぶさまになり、面を上げたる者もなし。 bail− −BIlli− −B E B E E−l −i lia− −BIBli− −Billi− −iE 常葉が歳、 二十三なりき。中宮の官女にでものなれたるうへ、思ひ胸にあれば、ことば、口に出でて、たけき武士もあはれと 思ふばかりに中しつづけて、青きまゆずみ、 ふかき一仮に乱れ、嘆き日数を経て、その人ともなくやせおとろへたれども、なほ世 のつねに越えたり。見る入、これをあはれまずといふこよなし。 ﹁これほどの美女をば、目にも見ず、耳にも聞きおよばず﹂と申 ?一いれ引もザ LTJ しあひければ、ある人、中しけるは、 ﹁よきこそ、ことわりなれ。大宮坂大臣伊通公の中宮御所へ、見目よからん女を参らせん や3 さ ひ とて、 よしときこゆる程の女を、九重より千人召されて百人えらび、百人より十人えらび、十人がうちの一にて、この常葉を参 らせられたりしかば、わろかるべきやうなし。さればにや、見れども見れども、めづらかなるかほばせなり。唐の楊貴妃・漢の 李夫人が、二度笑めば百の楯ぴをなしけんも、これには過ぎじ﹂と、たはぶれ申す人もあり。 常葉、伊勢守が宿所に帰りぬ。そののち、あらき足音の聞こゆる時は、 ﹁今や、わが子供をうしなひに来たるらん﹂と、肝魂も (>Ml(213-8) 7 そ は ず 母 I C は 子 供 顔 を が E の と ま 可 t i−−BBEEE﹂ ﹁今いつまで﹂とまもりで泣く。子供は又、たのもしからぬ母をたのみで、手にとりっきて見あげ ﹁いかにかやうに、御心よわきことをば仰せられ候ふぞ。この幼き者ども三人が生ひ立ちなば、末の世、いかな ’ nDEEEEEEEEEEEBBBEBREEBEtliEEBEEEEEE なき者どもなりとて、死罪をなだめられけり。 O左馬頭 11i清盛の部下であった、伊藤景綱のこと。 11i源義朝のこと。 ︹ 注 ︺ O六子・八子 lll当時六歳であった乙若と、 八歳であった今若のこと。 O伊勢守 O天気||天皇の意向。 いまわか ば、死罪ゆるされ ︵﹃平治物語﹄より︶ 豆国へながさるべしと定まりてけり。まして常葉が子供は幼ければ、 ﹁助かりぞせんずらん﹂と申しあへりしが、子細なく、罪科 て、流罪にぞなりにける。 ﹁これ、ただことにあらず。八幡大菩薩の御はからひなり﹂と、信敬極まりなし。兵衛佐は、東国伊 はもまんだいぼさコしんきゃう よみ、子供には観音の御名を教へて唱へさせけり。兵衛佐が死罪のこと、池殿、ゃうやうに申され門川 U 常葉、﹁一日片時も、命のあるこそ不思議なれ。これさながら、清水の観音の御助けなり﹂とたのもしくて、わが身は観音経を し。いひてもいひても、頼朝が死生ビよるべし﹂とぞ、出口一ひ門 MU 。 しき兵衛佐を、池殿助けんと申さるるうへは、成人の頼朝をば助けて、幼き者をばきらんこと、そのいはれ、さかさまなるべ ひゃうゑのすけ る大事をか引き出し候はんずらん。御子孫のためこそ、いたはしけれ﹂と諌めければ、清盛、﹁たれもさこそは思へども、おとな 六波羅の人々 はからふべきにあらず。賞罰のことは、勅定にまかせて奉行するばかりなり。なほうかがひて、天気にこそよらめ﹂と宣へば、 て泣く。互ひにつきせぬ涙のいろ、袖にあまりてせきあへず。大弐清盛、宣ひ一川一は、﹁義朝が子供のこと、私に清盛が そ O兵衛佐||源頼朝のこと。 > くM1(213 9 ) 8 身 llh元服した人。 O池 殿 | | 池 禅 尼 の こ と 。 清 盛 の 継 母 に 当 た る 。 O成人 明月記 ③ 方丈記 ④ 神皇正統記 ﹃平治物語﹄と同じジャンルの古典文学作品を、次の中から選んで番号を書きなさい。 太平記 ② ⑤ 古事記 二重傍線部制について、清盛は最終的にどのような判断で常葉の子を助命したのか、 七O字以内で書きなさい。 二重傍線部 ωは、誰のどのような様子を表しているか、七O宇以内で答えなさい。 傍線部同 i削を、 それぞれ現代語訳しなさい。 空欄州 i川には、助動詞﹁けり﹂の活用形が入る。適切な形に直して答えなさい。 ① く ) M1(213 1 0 ) 9 問 間 問 間 間 四 五 ヲ ノシへいしゃうニ 技人坐二扉障中一 ロ ロ コ パ 。 シテヲみレバこれヲ 撤レ扉視レ之、 撫ふ 婦手拍レ児 ノノたたクヲ 扇 次の文章は、 ﹁口技﹂︵声帯模写︶の達人について書いたものである。これを読んで、問一 i四に答えなさい。 ︵一部変更、省略 リケスル 中 有 下 善 二 口 技一者れ 行ノ一,ノ ニひとシクス 時斉発。 テサト ノなキ 椅 百千児突、 百千犬吠。 ヲ あり。なお、設問の都合で返り点や送り仮名、振り仮名を省略した部分がある。︶︵配点三O点 ︶ ﹂口小 せうけい 衆 賓 囲 坐 、 少頃、 但 間 一 一 扉 障 中 撫 尺 カニケパしんかう一ノほユルヲチリテノキメテけんしんスルげい 卓 遥間二深巷中犬吠一便有二婦人驚覚欠伸一丈夫値目 ノミテヲなク 児含レ乳時声、 ノ叫シルくびパシ はつスルヲ 俄百千人大呼、 満 坐 賓 客 無 レ 不 三 頚 伸 、 微笑、ン、 以為ニ妙絶刊 人大呼、 ノムルヒヲ ことごとクユ > く Ml( 2 1 3 1 1 ) -10- 口 起 コ ヲ 局 勿ω レン 百 千 求 レ 救 声 、 楼レ水声、 凡 所 応 有 、 無 所 不 有 。 v 響畢絶。 I たちまチニシテ m . 1 中間火爆声、 チニシテ 鉦 火 色 ヲ 離 v 衆 日 天E ト 尺 扇 コ圭ゴ 忽撫尺 椅 タ ビ 下 1) 人 " βζ 下 リ レ レ 、 油ミ ビ 子 ル タ 於 三五}、 卓 i r : 戸 ( b ) 11 ついたて。 撫尺而巳。 。扉障 O棋尺||拍子木。講談などで語りを強調するとき鳴らすもの。 O少頃||ーしばらくして。 O深巷||入り組んだまち。 。欠伸||あくびとのび。 ︵林嗣環﹃秋声詩 白序﹄より︶ 一撫尺而巳﹂という句が二回繰り返されている。繰り返すことで何を強調しているのか、 <>Ml( 2 1 3 1 2 ) 1 1- O瞳語||寝一一百。 O拍児||子供をあやすように軽くたたくこと。 傍線部、閣﹁而日﹂、制﹁於是﹂をすべてひらがなで書き下しなさい︵現代仮名遣いでよい︶。 傍線部制﹁無不頚伸、微笑、以為妙絶﹂と傍線部⑪﹁無不変色離席﹂はどちらも﹁賓客﹂の反応である。なぜ客は制では﹁微笑﹂ し、制では﹁離席﹂したのか、 それぞれ理由を書きなさい。 p 一 一 回 、 一重傍線部﹁凡所応有、無所不有﹂をすべてひらがなで書き下し、現代語訳しなさい。 波線部﹁一卓 五 ︹ 注 ︶ 間四 字以内で書きなさい。 。 問 問 問
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