シロウサギとオオクニヌシの性格

シロウサギとオオクニヌシの性格
指導教員 門田眞知子
学生 庵逧美香 石橋牧子
小林由加里
上山梓
金山愉生 河村大樹
西本有平 林千菜美
森岡まりな
vi.カレワラの伝わる国フィンランドについて
はじめに
vii.ジョルジュ・デュメジル
viii.三機能体系とオオクニヌシ
私たち神話班による、鳥取県に伝わる「因幡の素兎
まとめ
神話」に関する調査は、今年で5年目を迎えることと
なりました。
鳥取には白兎海岸沿いと八頭町に白兎を祀る白兎神
シロウサギの性格について
(担当:西本 有平)
社があります。日本各地には兎を安産の神や神の使い
として祀る神社がありますが、それらの神社と鳥取の
●
1.日本における兎のイメージ
まず、日本における兎の持つイメージについて、赤
白兎神社が持つ性質には違いが見受けられるようです。
鳥取の白兎神社は、因幡の地に古くからある兎神信仰
田光男氏の『ウサギの日本文化史』から、古来のウサ
の影響と、古事記の「因幡の素兎神話」との関連で今
ギ像を紹介したいと思います。
日本の古代において、兎(野ウサギ)は聖獣とされて
日のような形で祀られていると言えるでしょう。今回
の発表では、その「因幡のシロウサギ」の特徴を探り、
きました。
それには兎の生態や外見的特徴が関係していると考
地域性に彩られた存在であると同時に、世界の民話・
伝承の中で活躍するウサギの「トリックスター」性を
えられます。
調査し、さらにはシロウサギを救ったオオクニヌシと
・短い尻尾、発達した後肢、長い耳などの異形性
いう神を、類似する世界の神話の中の神格と比較対照
・素早く走る俊敏性
し、それによって鳥取ゆかりの因幡のシロウサギとオ
・群れを成さず、一匹で行動する孤独性
オクニヌシの特質をより普遍的な形で明らかにしよう
・穴には住まず、藪影などに住む漂泊性
と努めました。
・長い耳を持ち、跳躍する、獣と鳥との中間的存在
・野ウサギは西日本では一年中黄褐色のため、白兎が
以下にその報告をいたします。
現れた場合は目出度い事件となる
以上のような特徴を持っていたため、兎は古来、日
目次
本でも神聖な動物であるとされ信仰の対象となってき
○シロウサギの性格について
1.日本における兎のイメージ
たという事実があります。
2.トリックスターについて
3.日本文化の形成と因幡のシロウサギの関係
4.因幡の素兎神話と日本国内の類話
5.因幡のシロウサギと世界の類話に登場するウサ
ギの性格の比較
○オオクニヌシの性格について
i.オオクニヌシとシロウサギに関わる神社
ii.多くの名前を持つオオクニヌシ神
iii.
『記紀』と『出雲国風土記』に見る、オオクニヌ
シ像の違い
iv.オオクニヌシと関係の深い神~スクナビコナと
は?
v.フィンランドの神話「カレワラ」について
(2011 年 2 月 21 日
門田研究室を訪問された韓国蔚
山大学の神話研究者、魯成煥教授を駅に迎えて)
− 35 −
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2010 年度 地域文化調査成果報告書
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−
− 37
2010
年度 地域文化調査成果報告書
2010 年度 地域文化調査成果報告書
(担当:庵逧
●
美香)
ょう。
5.因幡のシロウサギと世界の類話に登場するウ
サギの性格の比較
また、地図の(c)~(h)の地域の類話は、どれもウサギ
の尾が何故短いのかについての内容が語られていて、
次に世界各国の類話に登場するウサギとはどのよう
以下の点が因幡のシロウサギの性格と似ています。
な性格を共有しているのかについても調査しました。
以下は特に中国、韓国、アフリカに焦点を当てて調
・兎は河を渡りたい。
査した結果です。
・兎は亀(地域によってスッポン・蟹・鰐になる)に
自分の家族の方が多いと言って、反発した亀に、で
○中国の類話に登場するウサギ
は数えさせてくれといって騙す。
まず、中国の類話と比較します。
・渡り終わった時に兎は騙したことを言ってしまい、
図1は、鳥取大学地域貢献支援事業『シロウサギの
尾に噛みつかれる。
世界―白兎はどこからきたの―』(2010.11.7)のパネラ
斧原孝守氏によると、(c)~(g)の地域は漢族の兎物語
ー、斧原孝守氏の『中国の「因幡のシロウサギ」』のシ
ンポジウム報告書から引用させて頂きました。
で、(h)はヤオ族の兎物語であることから、中国大陸で
これは、中国で因幡のシロウサギの性格と類似して
は日本や後に紹介する韓国の話と同じ兎物語が展開し
いるウサギが登場する類話がどのくらいあるのかを表
ています。さらに、兎の相手は(f)の蟹を除いて漢族
わしています。
(c)(d)(e)(g)では亀、ヤオ族(h)では鰐であることから、
漢族では兎・亀の組み合わせが基本的であると指摘し
ておられます。
そして、これらのことから中国の類話に登場するウ
サギは、因幡のシロウサギの「いたずらもの」
・「知恵
者」と同じ性格を共有しているのではないかというこ
とが分かりました。
○韓国の類話に登場するウサギ
韓国の類話では、
『因幡の白兎神話の謎』の依田千百
子氏の『韓国の兎と亀の葛藤譚』から、韓国南部の多
島海沖にある全羅南道麗水(ヨウス)市梧桐島(オドン
ド)に伝わる「すすきの穂と兎」という話があることが
分かりました。
以下は類似点です。
・兎は海を越えたい。
・兎は亀を騙す。←白兎神話では鰐(鮫)
・騙したために皮をはがれる。
・兄弟神が通りかかり、弟神が意地悪で兄神が助言←
白兎神話では八十神(兄神)が意地悪でオオクニヌシ(弟
図1
稲羽の素兎 分布
神)が助言
(斧原孝守『中国の「因幡のシロウサギ」
』より)
<日本と韓国では兄神と弟神が逆転している。>
・すすきの穂で元に戻る。←白兎神話では蒲の穂
例えば、17 番と示されたカムチャッカ半島の付け根
の地域では、少数民族のコリヤーク人の類話が残って
おり、
「クイキニャークという人が盗みを働いた幼いウ
このように「すすきの穂と兎」の話の兎は因幡のシ
ロウサギと似ているといえます。
サギの毛皮を剥ぎ、その後その毛皮をウサギに着せ直
す」という話があります。この話は、因幡のシロウサ
ギの「死と再生」の性格と類似しているといえるでし
− -384 −
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シロウサギとオオクニヌシの性格
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− 39
2010
年度 地域文化調査成果報告書
2010 年度 地域文化調査成果報告書
オオクニヌシの性格について
して民間信仰禁止政策では、土着の信仰を低俗・迷信
(担当:上山 梓)
●
i. オオクニヌシとシロウサギに関わる神社
として否定し、祭神を変えることとなりました。これ
らの政策によって数多くの土地神が消え、神話の神に
まず、神社のなりたちと歴史を簡単に説明します。
置き換えられました。
ひもろぎ
現在の神社というのは、明治時代の影響を非常に強
神社新報社『お宮に行こう』
(1994 年)によると、神籬
いわくら
磐座の祭祀の時代、日本の神々は自然であり、人々が
く受けています。そこで、明治期以前の神社を調べる
「聖なる場」と信ずるところに常磐木を立てて神座と
ことで或る程度源流に近いものが見えるのではないか
ひもろぎ
した神籬に、神を招いてまつりを行っていました。こ
と考え、江戸後期の国学者伴信友による、延喜式神名
のころは、社殿としての神社がまだできていませんで
帳にある神社を様々な文献から考察しまとめた『神名
したが、時代を経るに従って祭祀の場所に社殿が建て
帳考証』を読み解き神社を調べることにしました。こ
られ現在の神社の形に移って行ったと考えられていま
の文献の重要性は、小島瓔禮先生より御教示頂きまし
す。社殿が建てられるようになった一因として、仏教
た。
の伝来によって全国に寺院が建ち始めたころ、神社も
○シロウサギにまつわる神社
江戸時代初期の小泉友賢により著された『因幡民談
常に神を祭る施設を欲するようになったのではないか
記』によると、現在の白兎海岸沿いにある白兎神社の
と述べています。
また薗田稔『神道』
(1988 年、弘文堂)によると、
場所には当時「兎宮」があり、古くからシロウサギ信
古墳時代後期では社会単位となった氏族ごとの神を信
仰があったと記載されています。延喜式に名前がない
仰するようになり、統一国家の出現とともに皇族や有
のは当時神社としては見られていなかったか、先ほど
力氏族の氏神は国家全体の守り神となっていきました。
も述べたように延喜式は朝廷寄りの神社を載せている
奈良時代には国家仏教が栄え、神仏習合が始まりまし
ため、選ばれなかった神社の一つであったのではない
た。
かと考えられます。同書には、中世になるとこの宮は
第一期(8 世紀中葉)には、神道の神々は仏法を守
衰滅していくが、鹿野城主亀井玆矩が夢に現れた兎の
ってくれる存在とされ寺院に鎮守の神が祀られました。
ために再興したと書かれています。また、江戸時代後
第二期(第一期と年代的にほぼ重なる)には神々を
期の阿部恭庵による『因幡誌』では、白兎神社となり
超自然的ではあるが解脱に至っていない天(ディーヴ
当時白兎大明神と称されていたことがわかります。
なお、
八頭町福本にも白兎神社があります。
『因幡誌』
ァ)としました。
第三期(8世紀末・平安初期)には仏は神の本体(本
の福本の項では、白兎大明神を祀る神社があり、高草
地)であり、神は仏の仮の姿(垂迹)とする本地垂迹
の内海の白兎の神、つまり白兎海岸の白兎神社と同じ
説が唱えられるようになりました。
神を祀っていると述べられています。
江戸時代前期には、儒家神道が栄えました。仏教に
『神名帳考証』には伊勢国の稲葉神社二座に「社家
対して批判的だった儒学者たちは、神道について朱子
今井縫殿新家清政云昔番良洲社ノ森繁茂シテ白兎住リ
学・陽明学などの立場から理解と融合を試みました。
今木枯テ其事ナシ云々此比度會彦敬云古事記所謂稲葉
これは後に復古神道へとつながっていきます。
素兎八上姫ノ據アルカ」とあります。この神社は大カ
明治維新になると、政府は神社から仏教的要素を除
ラス宮と小カラス宮があり、近年大カラス宮は大水に
去する神仏分離を行っていきます。明治政府のこの政
流されたとも述べられていました。番良洲はおそらく
策は混乱を極め、民間では廃仏毀釈の動きが各地で頻
香良洲ではないかと思われます。社家(神社の神職)
発しました。
今井縫殿の新家(分家)清政が言うには、昔香良洲社
こうして神道は時代とともに変化してきたのですが、
の森が生い茂っている時白兎が住んでいたが、今は枯
わたらい
神社の側からみると、平安中期には全国の神社を記し
れてその様子は残っていない。このごろ度會彦敬が言
た『延喜式神名帳』が作成されました。しかし、これ
うには、古事記の因幡の白兎と八上姫の話は、この森
には当時のすべての神社ではなく、朝廷が選んだもの
に住んでいた白兎の話をとったのではないか、と読め
が記されました。鳥取では宇部神社が一宮として記載
ます。度会(度會)とは、伊勢豊受大神宮(伊勢神宮
されています。
外宮)の神職を世襲してきた一族の姓です。さらに因
い
そ
の さ しの
また、明治期には国家神道政策が行われました。神
幡国八上郡の伊蘇乃佐只神社には「郷名散伎言稲羽素
社合祀令により、複数の神社を合併し数を減らすこと
兎乎」
「【舊事記】謂稲羽素兎神是也」とあります。舊
で神社の威厳を高め、経費の削減を目指しました。そ
事記(旧事紀)は平安初期に造られた史書で、江戸時
− -406 −
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シロウサギとオオクニヌシの性格
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2010 年度 地域文化調査成果報告書
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− 44
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シロウサギとオオクニヌシの性格
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−
− 45
2010
年度 地域文化調査成果報告書
2010 年度 地域文化調査成果報告書
(担当者:金山
●
vii.
愉生)
ジョルジュ・デュメジル
ジョルジュ・デュメジル(1898~1986)はフランス
の言語学者であり比較神話学者です。彼は印欧語族の
古い文化から共通性を発見しました。つまり印欧語族
の古神話には、
共通した構造が見られ、
主要な神々は、
祭司、戦士、生産者という三機能概念で構成されてい
るということを明らかにしたのでした。この三機能体
系から、デュメジルのお弟子さんであった比較神話学
者の吉田敦彦氏は、日本神話の構造をさらに詳細に分
析されたのでした(吉田敦彦
●
viii.
『日本神話の源流』
)。
三機能体系とオオクニヌシ
まとめ
三機能体系はしたがって、日本神話にも当てはまり
以上、因幡のシロウサギとオオクニヌシについて、
ます。これは、前述しましたように、イラン系遊牧民
鳥取での事情を鑑みながら、世界の神話との比較によ
の古神話がアルタイ系民族によって媒介されたことで、
って
「トリックスター」としてのシロウサギの役割や、
西へはギリシャ、東へは朝鮮半島を経由して日本へと
生産的な豊饒神としてのオオクニヌシらの共通の構造
辿り着いたからと考えられます。このことは、伝播経
となる特徴を調査し分析してきました。
卯年の 2011 年、鳥取の 2 つの白兎神社は白兎神を
路に当たる神話に古代朝鮮の伝承も含めその痕跡が見
られることから分かります。
祀る神社というだけではなく、古事記の神話との関連
日本神話での三機能神は、祭司にアマテラス、戦士
付けにより地域性と神話性としての立場から、オオク
にスサノヲ、生産者にオオクニヌシとなりこれらが主
ニヌシや、今回採りあげませんでしたが、八上(現在
要な三神と考えられます。
の八頭町や河原町)の八上姫など神話の登場人物をま
オオクニヌシが生産者となる理由は、吉田敦彦氏に
ちおこしの具体的な事業につなげています。
よれば、オオクニヌシは「土地の神、農業の神、医療
そのような鳥取という特質ある地域に根付く古事記
の神、多淫多産な愛欲的神、美男の神など多彩な性格
の神話を、内外から調査し、因幡の素兎神話と神話の
を持ち、デュメジルによる印欧語族の第三機能神とし
中のシロウサギの役割、そしてオオクニヌシという神
ての主要な属性のほとんどを有している。」
(『同書』
)
の働きを少しでも明快に普遍化でき、それを伝えるこ
からと考えられています。
とができたのであれば、今年の神話班は満足です。
また、オオクニヌシは国造りという生産的な仕事を
まだまだ調査不足の部分を残す報告書となりました
行う際、祭司の役割を持つ御諸の山の上にます神、戦
が、神話班の中には今後も鳥取ゆかりのこの神話を学
士の役割を持つスサノヲ、生産者の役割を持つスクナ
び、調査を深め、地域との連携を持ちたいと望む者も
ビコナという三柱の神の援助を受けます。これは、オ
います。今後のわたしたちの調査の発展を見守ってい
オクニヌシの生産者としての機能に三機能を対応させ
ただき、ご指導いただければ大変嬉しく思います。
ることで、彼の生産、豊穣の機能を強めていると考え
られます。
★
★
★
★
★
★
最後に
発表当日に会場から熱心な質問をいくつかいただ
きました。私たちの発表にご関心頂いたことに感謝い
謝辞
たします。それらに対して私たちにわかる範囲の答え
を考えましたので、最後に記させていただきます。
石田敏紀氏、香西洋樹先生、黒田一正氏、小島瓔禮先
生、谷岡浩氏、西田良平先生、魯成煥先生
①
「因幡の素兎」は「稲羽の素兎」ではないか?
イナバの国(現在の鳥取県東部)の表記は、古くは
以上の方々には、調査の過程でご協力いただき有り
難うございました。心よりお礼申し上げます。
「稲羽」の字を用いていたとされますが、7 世紀ごろ
この稲羽の国を基に因幡国造が設けられ、
「因幡」の表
記が一般的になったようです。このような表記の変化
12−
−- 46
シロウサギとオオクニヌシの性格
シロウサギとオオクニヌシの性格
は日本各地にみられ、縁起の良い漢字が用いられてい
・関敬吾『日本昔話大成 1 動物昔話』角川書店,1979
ます。
「因幡」の字は、風土記を作るよう朝廷から命が
・門田眞知子編『比較神話から読み解く 因幡の白兎神
出た際に、各地に縁起の良い漢字を当てるようにとの
話の謎』今井出版,2008 所収、依田千百子「韓国の兎
指示によって決められたもので、
「幡」は祭事の場で用
と亀の葛藤譚」
いられる旗を意味していたと思われます。地域文化調
・ジェフリー・パリンダー著,松田幸雄訳『アフリカ
査発表会とこの報告書では、分りやすくするため「因
神話』青土社,1991
幡」の表記で統一させていただきました。
・山口昌男『山口昌男著作集
4
アフリカ』筑摩書
房,2003
②
因幡のシロウサギはワニを騙して海を渡ろうと
・オコト・ビテック著,北村美都穂訳『のうさぎとさい
したが、最後には失敗して皮を剥がれてしまう。
ちょう
シロウサギは馬鹿なのではないか?
・坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋『日本書紀・
ワニを騙して並ばせた点、そしてオオクニヌシとヤ
ウガンダ、アチョリ人の民話』新評論,1998
上』[校注]岩波書店,1965-1967
ガミヒメの結婚を予言した点などから、因幡のシロウ
・松前健『日本神話の形成』塙書房,1970
サギは<トリックスター>の知恵者としての性格を持
・佐藤四信『出雲国風土記の神話』笠間書院,1974
っているといえます。一方で、トリックスターとは騙
・大林太良・吉田敦彦『日本神話事典』
[監修]大和書
される役割を持つ場合もあります。つまり、トリック
房,1997
スターは騙すものと騙されるものという両極端な性格
・上田正昭『新修 日本の神話を考える』小学館,2003
を持つ存在といえます。
「因幡の素兎神話」は世界の神
・神話と古代史
話から影響を受けていると言えますので、トリックス
〈 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/h
ターとして登場するシロウサギは、知恵者でありなが
utatunokuniyuzuri.html〉(2011,1,21)
らいたずらに失敗する動物といえるのではないでしょ
・次田真幸『古事記(上)』講談社学術文庫,1977
うか。
・武光誠『古事記と日本書紀』ナツメ社,2008
・上田正昭『出雲の神々』筑摩書房,1987
③
・瀧音能之『古代出雲を知る事典』東京堂出版,2010
「なぜ兎は一羽、二羽と数えるのか」
兎をこのように数える理由として、様々な俗説が存
・沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編著『出雲国風土記』山
在します。二本足で空中を飛ぶ姿が鳥のイメージと重
川出版社,2005
なる上に、兎の肉は淡白な鶏肉と似ているからとする
・神社新報社『お宮に行こう』1994
説、西日本では鳥の網漁と同じ方法で兎を捕るために
・薗田稔『神道』弘文堂,1988
一羽、二羽と数えたとする説。また、人々が四足の獣
・小島瓔禮『風土記』[校注]角川文庫,1970
を食べることによる穢れを嫌った際に、兎という名前
・鳥取縣神職会『鳥取縣神社誌』1934
には「烏」と「鷺」という 2 種類の鳥の名前が含まれ
・市島謙吉編『伴信友全集
ているため、ウ(鵜)とサギ(鷺)で、鳥であるから
・E・リョンロート編,小泉保訳『フィンランド叙事
食べても良いとしたとする説など諸説ありますが、古
詩「カレワラ」上・下』岩波文庫,1976
くからの社会的習慣が、この「羽」という数え方に影
・カイ・ライティネン,小泉保訳『図説 フィンラン
響をもたらしたものと考えられます。
ドの文学~叙事詩カレワラから現代文学まで~』大修
第一巻』1907
館書店,1993
・大林太良『日本神話の比較研究』
法政大学出版局,1974
参考文献
・小泉友賢
・EMBASSY OF FINLAND,Tokyo
『因幡民談記』
(17 世紀後半)
・安部恭庵『因幡誌』世界聖典刊行協会,1978
〈 http://www.finland.or.jp/public/default.aspx?conte
・赤田光男『ウサギの日本文化史』世界思想社,1997
ntlan=2&culture=en-US (2011,1,21)
・篠田知和基『世界動物神話』八坂書房,2008
・フィンランド叙事詩
・ポール・ラディンほか『トリックスター』晶文社,1974
〈 http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/k
・門田眞知子編『白兎はどこからきたの--シロウサギ
arewara/index.htm 〉(2011,1,21)
の世界シンポジウム報告書』2011 所収、斧原孝守「中
吉川弘文館,2006
国の<因幡のシロウサギ>」
・石破洋『イナバノシロウサギの総合研究』牧野出
・吉田敦彦『日本神話の源流』講談社,2007
版,2000
13−
− -47
カレワラ