HAIKAI 其 角 研 究 詩あきんど 第 五 号 2013 年5月1日発行 【身に滲みることば・味わいたい句】 秋の空尾上の杉に離れたり 尾上は山頂の意味。天を指すやうにそそり立つ山巓の杉、その上 に高く広く秋の青空が澄み渡つてゐます。真直な杉の大木の次第 に細る梢の尖端から、蒼穹が豁然と開ける気持を、離れると表現 したのです。 其角の句集「五元集」には「杉を」となつてゐますが、「を」では 空が杉に取付いてゐたやうに聞えます。「に」と云つた所に空の渺 々たる趣が巧に出てゐます。この句は気韻高く壮快雄大で、其角 の正風の句として代表的なものです。 ( 橋 閒 石『 俳 句 史 講 話 』 一 九 四 六 年 関 書 院 よ り ) 2 映るのは何故なのであろうか。俳句でありながら俳句をほんの りはみ出した詩の世界を垣間見た。 探梅や丘は光を蒐めをり 鈴木 漠 ※目は対象を隔てるが、聴覚や皮膚感覚は対象を体内に取り込 置いた作句姿勢に惹かれる。 という具象がありながら、それ以上に詩としての韻文性を軸に 草の哀しみ熟れ行くさまが夕日に甘く醸されて切ない。 「靴」 立ち止まる靴に纏ひし冬夕焼 北山建穂 ※「立ち止まる靴」には詩人の瞳が感じられる。足元に咲く百 を離れて読者のものとなる。まさしく、上品上生なる贅沢な陶 モネの絵の水底深く日脚伸ぶ 中尾美琳 ※非凡な感受が平明な姿で読者の心に入り、いつの間にか作者 に遅れるという安寧も、ある意味では幸福かも知れない た。波郷の句に「泉への路おくれゆくやすけさよ」がある。人 気付けば秀才も美人の友も皆あの世へさっさと召されてしまっ が 思 い や ら れ る 」 と 言 わ れ な が ら 今 日 ま で 生 き て こ ら れ た 私。 【第四号より抄出 中根明美選評】 む。「丘は光を蒐めをり」という皮膚感覚に私は魅了されて、深 酔のひととき。 みなわれを追い抜いてゆく冬の坂 林 瑞泉 ※何をやらせても「のろまでその上頭の回転が鈍くて本当に先 く 頷 く。 対 象 を 一 度 体 内 に 潜 ら せ な け れ ば 本 物 の 俳 句 を 詠 む こ 梅一輸をととひ来いはなかりけり ニ上貴夫 ※ 庶 民 感 情 の 中 に あ る 豊 か な 匂 い を 宿 し た 詩 心 に 魅 惑 さ れ る。 った趣の深い一句。 まばたきの一拍に蝶生れにけり 中根明美 俳人協会会員・現代俳句協会会員・連句協会会員) 春隣烏がとんと横飛びす 々 (神奈川県厚木市在住・俳誌『青芝』閻浮同人 春愁を零すズボンの折返し 々 「梅一輪」に作者の稟とした矜持を見る。軽みと理性との結び合 とは出来ないと、この一句から知る事が出来よう。 寒晴れや土偶の乳のとがりたる 小田ゆう ※真冬の空には、清浄とした潔癖さがある。ことは寒晴れとも ならば一切の情を曳かぬ気がする。作者は「土偶の乳」にのみ 目を凝らし「とがりたる」と詠み放つ。まるで無言の埴輸の眼 差しを意識し、対話をしているように見受けられる一句。 見えたりし色は一片冬の雲 山村尚史 ※絵に画くとすれば、満目荒涼の冬景色のなかに「ただ一片の 冬の雲が重く動きもせずにある」 。そこにはむしろ具体的なイメ ージが消されているのだが、そのことが読者には心地良くさえ 3 【 其 角十講ー其 の 五 】 其角研究の第四講は、其角二十四歳から二十七歳までの貞享 年間を解説します。 貞享元年二月十五日「西行の死出路を旅のはじめ哉」と詠んで、 其角は江戸を出立、上京の旅に出た。奇しくも「ねがはくは花 の下にて春しなんそのきさらぎの望月のころ」と詠んだ西行の 死出の旅に自分は上京するという、其角にとっては記念碑のよ うな一句である。 吉野山ぶみして「明星や桜さだめぬ山かづら」を得る。 三月、京の有馬涼及、北村季吟の息子湖春と三吟。 六月五日、西鶴に大阪住吉での矢数俳諧の後見人をたのまれ、 「驥の歩み二万句の蠅あふぎけり」と詠む。 上京中、信徳、只丸、虚中、千春、友静、春澄、千之と歌仙五巻、 しみ 世吉一巻を捲き、七月『蠧集』を刊行。その他、向井去来を識り、 大顚和尚との縁で相識る京都談林派の浜川自悦を訪ね閑談する。 京出る日、三条大橋にて去り難い思いを「片腕は都にのこす 紅葉かな」と吐いて、九月には江戸に帰った。 翌貞享二年、熱田の芭蕉よりの四月五日付書簡にて、正月三日、 冬、旅の疲れか、病となる。 大巓和尚(幻圩)遷化を知る。 四月末、芭蕉、野ざらし紀行の旅を終え、江戸へ帰る。 五月三日、文鱗に誘われ箱根木賀温泉へ病後の療養を兼ねて 遊ぶ。帰路、 江ノ島 を 通り、 鎌倉「 円覚寺 」 に寄り、大巓 和尚 の尊牌を詣で、江戸に戻る。 貞享三年、其角二十七歳。初の歳旦帳を刊行、その発句「日 の春をさすがに鶴の歩み哉」を立句に、百韻「初懐紙」が巻か れる。芭蕉「初懐紙」の前半五十韻に評注を付ける。 三月末、芭蕉庵にあって「蛙飛び込む水の音」の上五案に「山 吹や」を述べたとのエピソードあり。 閏三月、芭蕉庵にて「蛙合」の衆議判が行われる。 『新山家』を刊行し、紀行文「木賀の記」を記す。 貞享四年四月八日、母五十七歳で死去。「身にとりて衣がへう き卯月哉」 、初七日「夢に来る母をかへすか郭公」 芭蕉 十月十一日、其角亭にて由之主催の「笈の小文」の旅に発つ 芭蕉餞別会が催され、 「世吉」を巻く。 旅人と我名よばれん初しぐれ 亦さざん花を宿々にして 由之 かやくき 鷦 鴒の心ほど世のたのしきに 其角 十一月『続虚栗』刊行。 4 貞享年間で重要だと思われる事項を、右のように書き出して みた。初の上京の旅、大巓和尚の死、母の死、風狂の旅に発つ 師芭蕉を送る思い、これらを観つめながら、何かを自覚し始め まこと 違いなく、となると、俳諧の徳(実)は速さや数といった才に は無いとの意味が浮き上がり、高等批判の句となる。 角に生じたフモール(真面目な洒落、矛盾を合わせ表現しよう 偃鼠河に飲むも、満腹に過ぎず」を引いて、其角は芭蕉の体を 芭蕉餞別会での、其角の第三「鷦鴒の心ほど世のたのしきに」 しょうりょう いっし は、 『 荘 子 』 逍 遥 遊 に「 鷦 鷯 深 林 に 巣 く う も、 一 枝 に 過 ぎ ず、 かやくき とする謎句仕立ての俳味、イロニーを含んだ高等批判)と云う 気づかい、婉曲に旅出を思い止まらせようとしているかの様だ。 ている其角に出会う。何かとは、天性としか言いようのない其 べきもので、幾つか示唆してみよう。なお、紙数の関係で此処 『新山家』に其角は大巓和尚追悼文を掲げたが、ここにどうし ても其角と大巓(幻吁)との比較批判といったテーマ(俳諧と禅、 えんそ に書き切れないので、ブログ「二上俳諧塾 http://kifuuza.blog. 」 へ、 「 詩 あ き ん ど 第 5 号・ 其 角 十 講 の 補 足 」 と し て fc2.com 掲載しますので併せてお読み下さい。 出世間と世間、形而上と形而下)が生じてくる。 ツ俳諧に自然の妙を伝え、予が手を牽て鼓うち舞しめたまふよ 吉野山では「明星や桜さだめぬ山かづら」を得る。 りぞ、萬たふとき御事を耳にふれ侍る・・しかれども生前一盃 つづみ この句については『句兄弟』に其角自身の解説があり、偶吟 であって「当座にはさのみ興感ぜざりし(貞享元年頃と推定さ の蕎麦湯にはしかじと愚集みなし栗に幻吁ととゞめたる御句を ひき れる李渓宛書簡) 」と、自身の体験の奇を判定し倦ねて、笈の小 したへば、 涙いくぞばくぞや」の記述から振り返って、『虚栗』 『続 資料は乏しいが『新山家』の「彼和尚のいまそかりける世を おもへば・・一箇無心の境に遊て、詩は盛晩の異風を圧し、且 文行脚中の芭蕉へ「如何ござあるべくや(元禄元年一月二十五 哉」 「心法其 ノ精 コト口耳粗 其角の「たが為ぞ朝起昼寐夕涼」 「年々の悔 子をもたばいくつ なるべきとしのくれ」などとの境地を比較味読せねばならない。 「終夜玉しゐつかれける比 ナリ 蠅を打てともに生死を軽くせん」 秋の夜はなく夢はかり寐覚哉」等と、 虚栗』にある幻吁の発句「雪夜 仏たく夜はさぞあらんそば湯 よろず 日付芭蕉宛書簡) 」と問うている。 西鶴の矢数俳諧に立ち会って「驥の歩み二万句の蠅あふぎけ り 」 と 詠 む。 「驥」は麒麟であり、一日に千里を走る駿馬の事だ しょう から西鶴を称賛している。しかし、 たぶん其角は、 論語の 「子曰ク、 き 驥ハ其ノ力ヲ稱セズ、其ノ德ヲ稱スルナリ」を云いたかったに 5 月」と「こんにゃく」という雅俗を対照させ、不調和の調和を 表現し得て、俳味に到達しています。 ■ つ ま り「 俳 」 と い う 会 意 文 字 を 解 釈 し て み る な ら「 非 」 は、 第五回 】 ■連句でも俳句でも、実作を続けていますと様々な疑問が沸い 羽が左右にそむいた姿をかたどった象形と考えられます。そし 【 俳 諧試論ー て来るものです。今回はテーマが大きすぎますが(これを避け めたメッセージは、鳥の如く身を踊らせて戯れている人、二人 て、鳥の翼の左右に背く姿から「非ず」の意味も生じたと思わ 掲句は俳諧炭俵集「むめがゝにのつと日の出る山路かな」の 発句ではじまる歌仙の裏八句目・月の定座です。 た か っ た の で は な い で し ょ う か。 尤 も、 真 面 目 な 人 に 比 べ て、 れます。 前句は「終宵尼の持病を押へける 野坡」で、前句と付句と を関連づけて一シーンにすると、或る尼寺での観月会、その寺 ふざけ戯れている人は人に非ずと取れないこともありませんが、 ては俳諧も何もありませんので、未熟な考察であっても) 、 俳味 の主人の尼に俄に持病が起きて苦しみ出した、それで、参加者 そう取っては人間洞察としては浅薄な感じが残ります。 をテーマに綴ってみます。 のひとりの男が暫く看病に当たって、元の宴席に戻ってみると、 し か し、 人 偏 に「 非 」 を 組 み 合 わ せ た「 俳 」 を「 人 に 非 ず 」 という意味で使用した用例は無いようで、おそらく「俳」に込 御馳走はもう食べられて仕舞い蒟蒻ばかりが残っていたという このような鳥の羽ばたく姿からイメージ出来る生業は、社会 の制度の中で自由の効かない官吏やサラリーマンのような職業 ■「こんにゃくばかりのこる名月 芭蕉」 場面になるでしょう。安東次男氏は「これはなかなか哀歓の深 と考えられます。俳諧師も江戸時代、身分制度の外に位置づけ ではなく、歌舞芸能に従事する俳優や道化師のような「俳」だ られて、貧しくとも「自由人」であったと思われます。 わざおぎ の人が左右にわかれて背き合いながらも戯けている姿、を言い い句作り」「芭蕉が言いたいことは、禍を転じて福となすだろう」 来た」「こんな名月の句は他に例を見ない」と『芭蕉連句評釈(上) 』 よもすがら 「癪押えを買って出たおかげで・・老尼と二人、本当の月見が出 に評していました。 「ーやまとうたは、人のこころをたねとして、よろずの言の葉 とぞなれりける。世の中にある人、 こと、 わざ、しげきものなれば、 ■「古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉」 蛙は、 『古今和歌集』「仮名序」に出て来ます。 言うまでもなくこの名句は、俳味の何たるかを教えています。 「名月」という雅な縦の題に「こんにゃく」という俗な横の題を 取り合わせて、俗語「こんにゃく」を詩にしているのです。 「名 6 猛き武士の心をもなぐさむるは、歌なり。 」と、紀貫之は書きま 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、 の、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、 花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生きるも 心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり。 ■ここに在る技法は、ひとつには「パロディ」です。或いは「オ めつ、俳諧の誠としたのです。 して芭蕉の描くうぐいすも蛙も鳴いていない、即ち、本意を歪 「水に住むかはづの声」のうつくしい、 和歌では「花に鳴く鶯」 のどかなる、あはれなる声を「本意」としています。これに対 心と俗な詞によってマコトのウタを詠むというわけです。 まこと マージュ」あるいは「本歌取り」 「本説取り」でしょう。 した。 芭蕉は、この「水に住むかはづの声」を俳化したわけで、そ れまでの鳴く蛙ではなく、池に飛び込んだ蛙の水の音に芭蕉な 芭 蕉 は、 北 村 季 吟( 一 六 二 四 〜 一 七 〇 五 ) よ り『 俳 諧 埋 木 』 という俳諧書を伝授されていました。そこには、俳諧の極意と 即俳諧の誠也。 」と記されています。 けたり。見るに有り、聞くに有り。作者感ずるや句と成る所は、 は な し て、 草 に あ れ た る 中 よ り 蛙 の は い る 響 き に 俳 諧 を き ゝ 付 「ー花に鳴く鶯も、餅に糞する縁の先、とまだ正月もおかしき この頃を見とめ、又、水に住む蛙も、古池に飛込む音、といひ う人の随聞録『三冊子』に、 まず五七五も七七も短い、定型の最短詩です。この制約は不 自由です。が、不自由の自由とも言えるものです。季語、切字 となると「俳味」の根拠はパロディ性に止まらない、五七五 の( 七 七 の ) 内 部 構 造 に 見 い だ さ れ な く て は な ら な い の で す。 俳人たちが、いつも歌人を意識して俳句を作るということも 殆どポピュラーではありません。 現代では和歌に対する俳諧という構図はもはやありません。 だけた寛いだ心性を原因として「俳味」が生じて来るのですが、 即ち『古今和歌集』にも「雑躰」の部立に「俳諧歌」がある ように、人間の心性には、ネクタイを締めてぴしっとしたい気 「俳味」とは、ここではまじめな和歌的な真に対して、くだけ まこと たおかしみを俳諧の実として表現したものになります。 して「道に非ずして道を教へ、正道に非ずして正道を勧む」と を用いるのも、短さが却って自由になる技法でありましょうが、 りの俳諧とは(俳味とは)についての答えを出したのです。 書かれてあったそうです。つまり、和歌も俳諧も、詩の心は同 ■芭蕉から親しく俳諧を習ったという伊賀上野の服部土芳とい じなのですが、和歌は正道という真心から出た真面目な心と雅 短さはつきつめれば「俳味」に至るのです(次号につづく) 持ちと背広を脱いで寛ぎたい思いがある訳です。この人間のく な詞によってマコトのウタを詠み、俳諧はくだけたおかしみの 7 詩あきんど・ 黄舌エチュード集 二上貴夫・選評 こうぜつ 舌集」として、 交遊録、習作集として留めておきたい連句を「黄 茲に掲載することにしました。連句は人と人との言葉を媒介と した一期一会の社交文芸です。 ◎(猿蓑に学ぶ習作)脇起り歌仙「鳶の羽」の巻 初折 鳶の羽も刷ぬはつしぐれ 去来 冬 一ふき風の木の葉しづまる 芭蕉 雑 停車場へ歩くをとこの肩越に 貴夫 雑 さざめいて行く自転車の列 千恵 月 電柱に紐たれてをり宵の月 明美 秋 夜なべ細工に解くみのむし 波流 ウ秋 肌寒く木炭で描く秋の山 千恵 雑 夫木和歌抄パソコンで読み 貴夫 雑 あらぬこと心の外はしづかなり 波流 雑 黒は待つ色黄はジェラシーよ 明美 雑 こがれては小犬のやうになりぬれど 貴夫 夏 ねむのはな咲く海沿いの道 千恵 雑 ヒフミヨイムナヤコトノハ声にして 明美 雑 ゆれて莫告藻流れ行く御名 波流 春 春を見る母の視線のうつろなり 千恵 月 仏画燃したる月の朧夜 貴夫 花 皿鉢もはつかに匂ふ花の舞 明美 雑 思い直して粗茶を一服 波流 二折 子どもにはわからぬ雲の果てを知り 貴夫 冬 雪女来る街の十字路 千恵 雑 マッチの炎ポポポポポポと哄ひ出す 波流 夏 ちと腥き納屋の干草 明美 液体の洗剤肌に強すぎて 千恵 雑 雑 鰥夫暮らしのなれぬ行く末 貴夫 中車猿翁歴年の夢 恋 鍵かけて何があらうとパラダイス 明美 波流 雑 雑 世を救う詩人はたまた数学者 貴夫 雑 記録媒体猫に潜ませ 千恵 月 弓張に流されてをり舫い船 波流 ドラム罐風呂ちちろ鳴かせて 明美 秋 ナウ 夜更けまで話続けて冬隣り 千恵 じんざいもち 神 在餅に地酒いただく 貴夫 冬 8 雑 何とまあ地下へ地下へと駅沈み 明美 雑 半ば泥みて半ば泥まず 半泥子 雑・書 結末はポーの黒猫在る如く 貴夫 雑・車 大きな薬缶助手席に積む 連句初体験の千田加代子 詩等)を行き来し、十二句のミクロコスモスを作り出しました。 満尾・平成二十五年三月二十三日/「日野宿交流館」 【註】伝統(雪月花・人麻呂等)と世相(渋谷駅・雪吊りの風物 ※挙句はみんなで食べた俳諧の御田でジ・エンド ※職人の放射状に三角錐に縄を張っていく景は現代の風物詩 冬・食 煮込み御田をみなでつっつく 加代子 冬・雪 雪吊の少しゆるむも技のうち 武 ※「東横線・渋谷駅」地下化されて地上二階から地下五階へ ※都市のスクランブル交差点からの眺め 雑・世 渋谷はただの通過点なる 久代 ※落書きは今もあるはず、あり得る話しだ 夏・雨 早暁のサマータイムの街に雨 貴夫 ※プラトニック・ラブのひとつ 雑・住 相合傘の残る学舎 武 雑・恋 遠くから見ているだけの恋だから 加代子 ※人麻呂「天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ」 秋・月 地球のうさぎ月の舟漕ぐ 久代 ※エドガー・アラン・ポー『黒猫』の名はプルートォ ※「ケトル」ではない、底が丸い「やかん」である ※夏も近づく八十八夜/野にも山にも若葉が茂る 花 花満つる宵の濡縁艶やかに 貴夫 春 桜鯛のる真木の真魚板 千恵 起首・平成二十五年二月二日/大山「松鈴庵」〜後半文音 【 註 1】 『芭蕉七部集』に学ぼうと、季の構成に従って試作して みました。季移りが面白く新鮮でした。 【註2】半ば泥みて半ば泥まず/この句は伊勢の陶芸家、初代川 喜田半泥子の名の由来だそうです。波流さんが、初代のお孫さ んである二代目半泥子さんにお会いした縁で、ここに入れさせ て頂きました。川喜田家は、江戸時代伊勢商人の豪商で川喜田 久太夫(号半泥子)は同家十六代当主。百五銀行頭取のほか数々 の企業の要職を務め財界人として活躍した一方、近代を代表す る陶芸家、数寄者としても知られ、東の北大路魯山人、西の川 喜田半泥子と並び称されている方です。 ◎習作十二調「花びらを」の巻 加朱貴夫 春・花 花びらを肩にとどめぬ二三片 連句初心者の宮島久代 ※蕪村「牡丹散りて打かさなりぬ二三片」へのオマージュ 春・海 港のみえる丘のうららか 捌きの二上貴夫 ※風致公園に横浜港を見渡せる「港の見える丘公園」がある 春・歌 茶摘唄野風に乗って少年に 連句初体験の丸本 武 9 詩あきんど 集 訥々としゃべる子と居る雛の間 耳遠き人との会話霾れり 肺雑音のなき日続けり蝌蚪生るる おめでたの知らせ大安八重桜 梅ふふむ古刹に残る能舞台 日野市 熊沢初江 小春日の然したる用もなき二人 日野市 小田ゆう く、人をみる確かな手応えから存問の詩にむかう。 んの会話。孤立や孤独に耐えかねてといった詩的テーマではな 二上貴夫・選評(到着順) 料峭や義賊の墓の削ぎ取られ 泣き虫が立派に見えて入学日 ※作者の日常の周辺にいる愛すべき人たちとの触れ合いとふだ 火渡りの火焔天突く春の月 しんかんと二ン月来たり有精卵 計量の大匙小さじ春の雲 梅いまだソロモン諸島より津波 横書きを縦書きにして寒卵 涅槃西風気づけば痛む膝がしら 中澤柚果 えて、ブラームス亭の「ふはと」には擬態語以上の、俳味へ至 奥の間へずんと日のさすひな祭り ◎ブラームス亭のオムレツふはと春 ※縦書きの便箋や有精卵や計量スプーンが詩になる面白さに加 青臭き芽吹きの風や太子みち 鴨の陣大将の引く水尾太し 庭園の潮入り池や卯波立つ 葺き替えし鴫立庵の昼灯し ◎狼がご神体なり山帰来 ※大磯の鴫立庵は三大俳諧道場の一つで、その昔、庵主が住ん でいたから「昼灯し」はその俤であろう。狼がご神体の神社が あり毒消しの実のサンキライがあるのは奥多摩の大岳山か。 伊勢原市 秋山玲子 る回路を含んでおもしろい。 素っ気ない素振りの構え猫の恋 口々に初恋のこと牡蠣料理 春寒の梢にしずく光りけり 秦野市 春風や幼ぶつかるごとく来る 10 ぶかぶかの学生服に春浅し 下萌の日だまりに待つ会釈かな 借景の畑も春ぞ農夫入る や爆竹による火事もあって仕事で電話しても出ない。借景は遠 進学で少年拳士ら稽古辞す ※テト連休とは、ベトナム暦の旧正月のこと。飲酒運転の事故 近法を取り入れた造園法をいうが、これは作者の見なれた景か。 ストックやきのふもけふも笑ひをり 地下鉄を三度乗り換へ春うらら うちそとと容姿かざるゝ花づかれ 秦野市 池原由佳利 鶯のこゑと歩きて瑞泉寺 封じふみ文箱の中や春惜しむ ※ストックは余分に確保しておく備蓄品ではなく、切花にも花 壇に植えるものにもなるアブラナ科のガーデンスストック。洋 だが、夜桜に雨が降ったり寒かったりで、帰宅して疲れが出る。 トで区割りがされて場所取りもゴミの片づけも秩序があるよう 梅見茶屋すわりぐせつくにぎり箸 ※花疲れは人疲れでもあろう。台東区の上野公園はブルーシー 日野市 竹間愛子 物だから歳時記には出ていないかも知れない。 押入れが終のすみかか雛あわれ 路線バス原風景の春を往く 美しき事知らづに咲きぬ野水仙 未完とは継続かもと雁送る ゆで卵薄皮をむき春ですよ 鼻歌の大きくなりて水温む 秦野市 立石佳月 啓蟄や小雨に眠りおこさるゝ 折鶴の黙を重ねて土筆の子 ヘアウィグ買つたとはづむ声に春 淡雪の無音で跡を消しにけり 春愁をランチパックに詰めて野に のどけしや亀一族の甲羅干し ※「あわれ」は「あはれ」 、 「知らづ」は「知らず」と表記して も良いでしょう。未完は完成しないことではなく、未完自体が だが、季寄せでは大根の花を花大根と言うので分からなくなる。 のこと。別名を紫花菜・諸葛菜というが、これは別種だと聞いた。 ◎花大根律義なものよ負けませぬ のどらかや各駅停車通過待ち ※花大根は大根の花ではない。花が大根に似ている油菜科の花 取手市 町野 斉 永久の形式かも知れないと雁の帰っていくのを見ながら思う。 テト連休電話応えず春寒し 11 伊勢原市 荻原浅風 ◎老境のきょうも娑婆っ気葱坊主 妙齢のつつましやかに春の昼 ら、これは京都タワーからの一望と思う。 のこと。京都タワーは十階のホテルの上に展望室五階があるか 春かすみ京都一望十五階 ※待ち人と浅春の取り合わせは味がある。妙齢はうら若い女性 トムと呼ぶ盲導犬や春の磯 三・一一忌列島挙げて悼みけり じいさんといふその爺の春愁 秦野市 穂坂良文 ◎雛飾るかそけき思い二児の母 古木なる白梅空におさまりき 擬人化された意味が生じてくる。盲人誘導犬のトムは何犬だろ 早春の音引きずって耕運機 躓いて転げて起きて昭和の日 ※葱坊主は、花葱・葱の花のことだが、こう言うとこっけいな うか。じいさんと自分で自分をこう呼ぶのだろう。 装束が艶やかとなり弥生尽 ※二児の母と作者との繋がりはと考えてみる。親戚や知人ある いは自分の娘、身内の姉妹・・が浮かぶが、かそけき思いとな 伊勢原市 清水麗風 武家屋敷軒に見事な垂氷あり 秦野市 近藤千恵 ると、かなり深い思い出を蔵している。兄妹か。 彼岸会や暦のしるし退院日 はーと形溢れてバレンタインの日 海苔巻きの子にも伝える母の味 恋猫の満身創痍哀れなり 残り鴨つかづはなれず群れのそと 春の空素知らぬふりして風のまま 跳ね橋を渡る女は春日笠 トンネルを抜けて会津は春吹雪 母の忌や墓所のあたりに桜舞う ※彼岸会は、春分を中日とし、その前後の三日を合わせた七日 間を言うのだが、暦の印は待ち遠しい。国境の長いトンネルを 気分だろう。しかし、この春の空には作者の感性がよく出ている。 のでオーソドックスな俳句というよりは、ライト・ヴァースな 金色の蝶とびさりし無限界 春浅し白き指先ティーカップ ※はーと形はこっけい。「素知らぬふり」という措辞は擬人法な 厚木市 林 瑞泉 抜けると雪国であったを思い出すが、景色が一変する。 ◎待ち人を待つようにして春浅し 12 種床に覚え無き苗育ちたり 開発の看板立ちぬ蓬畦 海苔竿や松川浦の入日陰 蕗みそやものなきころのゆめ想う 伊勢原市 細谷朋々 桃咲くや頑張ったねを子と親に 孫交えルーツを話す彼岸寺 花菜盛る漆黒の椀伝え継ぎ 筆談も交え団欒梅ふふむ 薄氷やコートどちらか決めかねて 日だまりの春の息吹に背を押さる 浅井碧子 いつの間に増えし野蒜や自然農 亡きひとと似た背のわらう彼岸かな 新海苔の五感楽しむ朝の卓 ※日常にあるちょっとした気配や出来事への視線。筆談も交え 伊勢原市 主なき庭に盛りの紅枝垂 ての団欒とは老者や親族のいる風景か。自分へのケアも気にな 春一番いのちの号令吹き抜ける ゴロゴロと膝に来る猫さくら冷え ※蕗味噌にも想い在り。日本百景のひとつに指定される松川浦 横浜市 嶌田小鞠 るが、息子娘夫婦へも孫へも、頑張ったねと気づかう。 あび鳥を餌付ける腕の痩せこけて 三・一一イベント見ては足止まる は、三・一一による津波で被災した福島県相馬市の潟湖。主なき 雲の糸春一番を駆け抜けて ◎あらせいとう子どもが何度もふりかえる 庭は原発被害により帰れない避難地域か。 流し雛晴レのち雨と知る遺稿 チューリップ義父と見つめる里帰り ※ い し 〜 や き 〜 い も 〜 の 声 は 耳 奥 に い つ ま で も 残 る。 あ ら せ い 福岡市 山村尚史 いしやきいも煙の如く声残る 春風やベルガモットに波をたて とうは和名で、ストックこと。その花言葉は変わらぬ美、豊か 秦野市 加藤風純 な愛だそうだ。子どもが何度もふりかえるとは面白い。 はミカン科の柑橘類で、香水や紅茶のアールグレイなど専ら香 朝もやや浅蜊売遠くねぎを切る 初桜見る人もなきつま先に オキーフの表紙にくるむや花蕨 ※あび鳥は広島の県鳥に指定されている渡り鳥。ベルガモット 料として使用される。ジョージア・オキーフは米国の女性画家。 13 新茶立てリトマス紙ごと新緑す 音沙汰の無き鰊たち空を翔ぶ 草むしりはこべ小声の挨拶し 菜の花に黙って染まるかまどの灰 灯りとり夜の間に沈澱す 父母遠し甘夏をむく四畳半 ※冬萌の古墳はどこだろう。日本か外国か、石器時代、縄文時代、 夢あせていつか来た道木瓜の花 苗木植え雨を待つ間に彼岸過ぐ 城跡にしだれて揺れる花の川 花吹雪熱海おどりのビラ受くる 小田原市 鈴木英之 弥生時代か。マラケシュは、有形の世界遺産と無形の世界 朧月消えそうであれめざし焼く 行き止まり手押し車とレモネード ※ 浅 蜊 売 に ね ぎ を 切 る、 菜 の 花 と か ま ど の 灰、 鰊 に 空 を 翔 ぶ、 伊勢原市 中尾美琳 新茶とリトマス紙、朧月にめざし焼く、手押し車とレモネード、 秦野市 竹村左京 海苔あぶり磯の香みちる厨かな この取り合わせには詩がある。 春一番空のすきまに音零す 鶏飛んで春の光をつかみけり 啓蟄の前略だけで目覚めけり ふりむかず白鳥帰る月の夜 ◎去りぎわに仏ながめる四温かな ◎春隣パスモパレルモ ピンヒール 支那そばの無国籍なる海苔かおる ※パスモは電子マネーのICカード。パレルモはイタリアのシ 子持鳥憩えや風の止める間に 桃色という色が好き母に似て 秦野市 和田波流 春うらら花びらゆれて象の背に ール。これらは皆春隣に掛かるが、中七後の一字空きが詩的。 チリア島にある観光都市。ピンヒールはかかとが細長いハイヒ 三月や路地のすみっこ貝回し 霾やすがたを隠す神の山 星雲の振動数に春はきぬ 一条の凍雲去りて透きとほる 啓蟄や地球の叫び蛇口より 玉葱を四角にきりて晋子の忌 ※去りぎわにの措辞はおもしろい。この上五によって四温の季 語に俳味が生じた。啓蟄の蛇口よりは大胆。玉葱は微塵に切る か回し切りにするが、晋子の忌だから四角が面白い。 14 花散るや穴窯一基土を待つ 土つくる竜合窯にふきのとう 旅半ば旅のさそいや春の風 夕東風にアリアドネの糸絡まりぬ ※ピカチュウとはアメリカ文化のシンボル的キャラクター・ミ ッキーマウスと世界一有名なネズミの地位を争っている日本が 世界に誇る黄色い悪魔。アリアドネはギリシア神話の女神。 スーパーに彩り在りし三月菜 熱海市 山ノ内リエ 喜田敦氏の窯。旅半ば旅のさそいやは味がある、旅愁とは違う 春耕や面打翁いとまなし ※竜合窯は津市安濃町にある。陶芸家である二代目半泥子・川 思いになるが、日常に帰る淋しさを思う。 熱海市 太田美知子 に心も体も入っているのに気づかされるのだ。 がらすっかり春になろうとしていく季節、既に思わぬバランス リラ冷えの柱の角に額打つ ※冬が終わり春になろうとしている季節、そして春寒を感じな 熱海市 藤 哲然 お囃子の稽古始まる春の宵 かぎりひの鳩よけながら駅急ぐ 春昼にまどろみたきや長椅子に ※春祭の太鼓が聞こえてくる。夏祭はお盆や七夕と関係しての 祭り、秋祭は収穫に感謝する祭り、春祭は一年を祈っての祭と 下萌えの芝ゆつたりと鳥歩く ※「 下 萌 」 は 早 春 の 季 語 で あ る。 た だ「 萌 」 と も 使 う が「 下 」 いのびやかな気持ちがつたわってきて佳句である。 花。いずれも作者の、いや作者ばかりか、この季節の屈託のな 菜の花や両手いっぱい笑み一杯 ※通学路に吹かれいくしだれ桜、両手いっぱい笑み一杯の菜の 伊勢原市 阿川弘子 吹かれいてしだれ桜や通学路 もう草の芽が生え出て、春の訪れの生命力を感じる本意になる。 という字を用いるのは「枯草の下」という、つまり枯草の下に いうことか。遠くから聞こえて来るお囃子の音は微睡みを誘う。 日光市 北山建穂 万愚節牛は涎を流しけり 亀鳴くや遠くにけぶる八雲山 行春や抗ってゐる歯磨粉 砂消しで削られてゆく春の虹 春燈や亡くした夢を数えけり ピカチュウは進化の過程電気の日 包丁を研ぐや春雨降り止まず 急行の止まらぬ駅や春灯 15 靴跡のうねりたるあり霜の土 初午や稲荷で降りる臨時バス ストックの白に集まる噂かな 腰低ふ白梅の空見えてをり 暮れかぬる橋閒石の俳味かな 秦野市 二上貴夫 或いは、句会があれば句会に間に合わせて五句なり句会が月 に二度あれば十句なり作る訳で、その出句した句を推敲して『詩 しておいて、いざ締め切り間際に推敲して投句する。 うと思います。日常、手帳に思いついた句の素描を幾つもメモ ■〆切の問題はこの文芸が存問の詩であることから、つきまと も構いません。十句投句ください。 ん。一字空き技法を用いた句でも、旧作を推敲されての投句で 五七五定型であれば旧カナでも新カナでも、無季でも構いませ に替わる語として用いていることに気づくべきなのです。 俳句の系譜に位置づけるべきで、雅語枕詞「たらちね」を季語 ではなく発句の格です。ですから「たらちねに」はむしろ無季 其角の「たらちねに」句は「なかりけり」と切字を用いて平句 連歌の平句が独立したのですから平句の文体を特徴としており、 無季俳句と川柳について記して置きます。掲句を捉えて、季 語が無いことから川柳だといった評があります。川柳は俳諧之 ■たらちねに借銭乞ひはなかりけり(其角『類柑子』より) 〆切さえ意識していれば上達すると只信じて精進しましょう。 ふっと涌いてくる思いをメモることからはじまるものですから、 っ て、 台 所 に い て も 散 歩 中 で も 電 車 の シ ー ト に 座 っ て い て も、 わないという問題があります。この文芸は平素にウエイトがあ えだと思うのですが、〆切を意識していないために句が間に合 あきんど』へ投句すればよいので、というのが〆切に対する考 往きもどりしたる足跡霜柱 霜の田に黒一点の烏かな をちこちにもぐらの土や梅匂ふ 崖崩れありたる小径鳥交る 裏山の人のゐぬ道鳥交る まき山へ燃し木拾ひの昔かな 三月の青の匂ひす右のほほ 二月果つ去りゆくものに水と人 あけしめの重たき引き戸春浅し 猫ふんで春の気色となりにけり はくれんの六方に散る荒地かな 鳥帰る第二つばくら荘錆びて あれこれの質疑の果ての蜆かな 春愁やワインレッドとしておかう 夏みかん虚空に置けばすべるなり ■第六号「詩あきんど集」への投句〆切は、五月三十一日です。 16 【 本 誌の題名】 本 誌 の 題 名 は、 芭 蕉 其 角 両 吟 歌 仙 の「 詩 あ き ん ど 年 を 貪 ル サカテ サカテ 酒債哉」「詩あきんど花を貪ル酒債哉」より戴きました。 表六句から裏にかけて、鑑賞してみましょう。 サカテ (初表) 詩あきんど年を貪ル酒債哉 其角 「詩あきんど」とは詩を売って暮らす詩人、即ち俳諧師のこ しゅさいじんじょういくところにあり と。杜甫の漢詩「曲江」の「 酒 債 尋 常 往 処 有 」よろしく、今年 「もなし」で留める。 なか (四句目雑) 三線・人の鬼を泣しむ 角 三線は三味線のことでサンセンと読む。夷でさえも悲しい三 線の音に泣くのだ。「古今集仮名序」の「目に見えぬ鬼神をも あはれと思はせ」を踏んでの付け。 「人の鬼」とは、だれの心 にも潜む執着心であろう。 (月秋) 月は袖かうろき睡る膝のうへに 同 「 月 は 袖 」 は「 袖 の 月 」 を 言 い 換 え て、 五 句 目 は 月 の 定 座。 三味線を弾く女の拭う、涙に濡れた袖が月に光って映る。その じんせいしちじゅうこらいまれなり も 年 の 締 め 括 り だ と い う の に「 人 生 七 十 古 来 稀 」 等 と 嘯 い て、 女の膝の上にコオロギが睡る。「蟋蟀」は三秋の季語だから月 も三秋の月。 また酒を呑んで人生を徒に貪っているという真面目な洒落(フ モール)である。 (秋) 鴫の羽しばる夜深き也 蕉 「鴫の羽しばる」とは、 羽をとじている様子。鴫は三秋の季語。 ノスル (脇冬) 冬湖日暮て駕 レ馬 ニ鯉 芭蕉 冬の湖畔に酔ってたたずむ詩人。辺りは日暮れて、馬に鯉を 載せているのは商いの仕度の民だろう。発句と脇で一服の絵と を文字通りにとって、鳥を縛って殺したと見なしての付け。 一 六 二 段 に あ る 遍 昭 寺 の 僧 の 話 し に ダ ブ ら せ「 鴫 の 羽 し ば る 」 表六句では、発句以外は序破急の序だから、神祇・釈教・恋・ 無常・名所を詠まない。この禁忌が裏に入り外れて『徒然草』 (裏秋) 恥しらぬ僧を笑ふか草薄 同 えびす した漢詩調の「トウコヒグレテ マニノスルコイ」 。 ホコ (第三雑) 干鈍き夷に関をゆるすらん 同 干は戈のこと。先の鈍い戈を持った夷どもが商いのために関 所を通っていく。歌仙の第三の下五は「て」 「に」 「にて」 「らん」 17 2013 版【みんな上達する俳句連句講座・三級】 ☆俳諧を現代に蘇らそう。☆俳句と連句をいっしょに学ぶメリットは計り知れません。 このたび「俳諧というジャンル」を普及するために、通信講座用に俳句と連句をいっしょに した画期的なプログラムを開発しました。なかなか皆さん一人一人と膝つき合わせて直接指導 できないもどかしさ、こちらの思い・考えを百分の一も伝えられない憾みを解決するために、 ネットに通信講座を設けました。まず講座を受講して主宰の考えをつかんでください。 毎週1回・21 回分がPDFで配信され、ちょうど4カ月で修了します。三級講座では実作 はありません、テキストを読んで三択の問題に答え次に進みます。初めての方もキャリアのあ る方も、三級講座で二上俳諧塾が考える「俳諧というジャンル」のアウトラインを理解して頂 いて、その知識を実作に活かしてください。 【第1章】 第1節 はじめに・全体の目次・俳句の形 第2節 はじめに・連句の形 第3節 サンプル作品を見る 第4節 歳時記を選ぶ 第5節 俳句らしさの四要素・定型について 第6節 俳句らしさの四要素・季語について 第7節 俳句らしさの四要素・切字について 【第2章】 第1節 俳句らしさの四要素・俳味について 第2節 連句の文体・発句について 第3節 連句の文体・脇について 第4節 連句の文体・第三について 第5節 連句の文体・雑の七七について 第6節 連句の文体・雑の五七五について 第7節 連句の文体・季の七七について 【第3章】 第1節 連句の文体・季の五七五について 第2節 連句の文体・七七について 第3節 連句の文体・恋句について 第4節 連句の文体・固有名詞について 第5節 連句の文体・雪月花について 第6節 連句の文体・挙句について 第7節 俳句と連句との融合について ネットで学べる!「ネット講座 」ナレッジサーブ 」 http://www.knowledge.ne.jp/lec1906.html 上記のホームページより、まずお試し受講(無料)をお申込みください。 18 会 員 案 内 購 読 会 員 入 塾 金 ナ シ。 年 会 費 三 千 円。隔 月 刊『 詩 あ き ん ど 』 を 郵 送 し ま す。 メ ー ル ア ド レ ス の あ る 方 は、 二 上 俳 諧 塾 メルマガに登録致しますのでご連絡下さい。 塾金 喜捨。 入 年 会 費 五 千 円。 俳 句 は 奇 数 月( 一、三、五、七、九、十 一 ) 末〆切で、十句(当季雑詠、無季可)をご投句ください。 「詩あきんど集」 連 句 は 折 々 の 不 定 期 な 座 の 外 に、 非 公 開 の S N S、 ス カイプのグループ会議を使って実作します。 実 作 会 員 郵便ハガキによる俳句通信講座とネットによる俳句連 句通信講座を開設しております。受講ください。 公 開 講 座 な が ぬ き 不定期で公開の研究会を開きます。参加費のみでどな たでも受講可。 「其角十講」や「連句俳句の実作会」 「俳 味についての研究会」を開きます。 ) [email protected] (連絡住所 〒 ) 257・0024 神奈川県秦野市名古木一一七の一 (電話FAX)0463・82・6315 (メール (ウェブ kifuu's 俳諧) http://kikaku.boo.jp/kifuu/ (ブログ 二上俳諧塾データ) http://kifuuza.blog.fc2.com/ (年会費納入)郵便振込口座/00240ー9ー 45292 ゆうちょ銀行/〇二九店(029)当座0045292 加入者名/ドームイグノラムス 二上俳諧塾公開講座のお知らせ ◎実作会員のための研究句会 日時/六月十二日(水)午前九時半〜午後一時 会場/厚木市ヤングコミュニティセンター(小田急線本 厚木駅東口下車徒歩一分)6階・研修室20(会費/千 円 要予約)*参加は『詩あきんど』の会員に限ります。 夏季(無季可)の俳句作品三句を予めお送り下さい。 ◎二上俳諧塾・熱海句会 日時/五月十七日・六月二一日(金)午後一〜午後四時 会 場 / 熱 海 市「 不 思 議 文 庫 」(「 起 雲 閣 」 よ り 徒 歩 2 分。 参加費五百円)※出句五句(兼題「烏賊」) ◎連句体験会 日時/五月十八日(土)午後一時半〜午後四時半 会場/日野市「日野宿交流館」2階(JR中央線日野駅 から徒歩十分。定員十五名。会費二百円。要予約) ※どなたでも参加可。数席にわかれて十二句連句の実作 を行います。 ◎二上俳諧塾・日野武蔵野連 日時/六月二十二日(土)午後一時半〜午後四時半 会場/日野市「日野宿交流館」2階。会費五百円。要予約。 ※ ど な た で も 参 加 可。『 芭 蕉 七 部 集 』 を 鑑 賞 し な が ら、 歌仙の式目や付け味を学びます。 詩あきんど 隔月刊 発行人 二上貴夫 第五号 発行日 二〇一三年五月一日 発行所 秦野市名古木一一七の一 電話FAX 〇四六三(八二)六三一五
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