10月革命

ウクライナ問題の発展と混乱
学籍番号:110781152
氏名:松本翔
指導教員:稲葉千晴
第1章
ウクライナ国家の歩み
第1節
ウクライナ国家の概要
1:ウクライナ国家の概要
 A:現在のウクライナ
a:ヨーロッパの東部に位置
b:25の州と417の都市で形成
→人口は4543万人
c:民族体系→ウクライナ人、ロシア人
ユダヤ人
d:主な言語→ウクライナ語、ロシア語
e:温暖な太平洋気候
ウクライナ全図
第2節
東側と西側
1:東西格差
A:ウクライナの西側
a:親欧米派
b:資源が乏しい
c:主な言語はウクライナ語
B:ウクライナの東側
a:親ロ派
b:資源が豊富
c:主な言語はロシア語
第3節
18世紀までのウクライナの歴史
1:ウクライナ国家
a:紀元前6~5世紀:都市国家誕生
b:9世紀にキエフ・ルーシ(大公国)の誕生
→キエフを中心とした国家
c:13世紀初頭、モンゴルの侵入
→キエフが崩壊
d:14世紀後半、北部はリトアニア大公国、
南西部はポーランド、西部はハンガリーの
支配下に
e:1569年、ポーランドとリトアニアの合併
→ウクライナへの搾取を加速
f:18世紀後半、ポーランド分割
→ドニエプルがロシア領、ガリツィアはオー
ストリア領として支配
↓
約120年間の支配
2:クリミア戦争(1853~56年)
a:ロシアがトルコを攻撃
→英・仏がトルコ側に
↓
ロシア側の敗退
原因:経済の後進性と農奴制との認識
b:ウクライナの農奴制廃止の結果
→ウクライナは大穀倉地帯と変貌
第4節
第一次世界大戦とロシア革命(1914~
1917年)
1:第一次世界大戦
a:ロシア:英仏側、オーストリア:ドイツ側
b:ウクライナ人の動員
→ロシア側に350万人、オーストリア側に25万
人が動員
c:立憲君主制のオーストリアの勝利した場合
→ウクライナ民族の解放、独立への道
↓
義勇軍を募集、ロシアとの戦いを宣言
2:二月革命、十月革命
a:二月革命(1917年2月)
国内で労働者が食糧不足に抗議→デモや軍
隊への不服従→ロシアの帝政終了
b:十月革命(1917年10月)
ウラジーミル・レーニン、ソヴィエト政権樹立
→暴力でメンシェビキ(多数派)より権力剥奪
第5節
ウクライナ化とホロドモールの計画的飢饉
(1923~1933年)
1:ウクライナ化の浸透(1917~1933年)
a:民族派の統一政府中央ラーダがウクライナ化
を始動(厳しいロシア化政策の反動)
→ウクライナ化とは、ウクライナ語使用の拡大、
ウクライナ語での本の出版など
→ソヴィエト政権の公式路線に
2:ウクライナの食糧飢饉(1928~)
a:ロシアからの強制食糧徴発
原因:内戦や農業集団化での食糧不足
結果:飢饉により約100万人が死亡
b:スターリンの体制
社会主義体制で全ての農民を支配
→農業集団化と富農撲滅の政策を開始
ウクライナ化政策は放棄、ロシア化が推奨
→ウクライナの民族主義者は根こそぎ粛清
第6節
スターリンの粛清
1:粛清の対象
a:ウクライナ共産党員も粛清(1932年頃)
→ウクライナの抵抗の強さを懸念
b:ウクライナ化推進の有力な党員
自殺、流刑、あるいはいずことなく消滅
結果:ウクライナ共産党は10万人の党員が減少
→ウクライナの共産党は壊滅状態に
→フルシチョフ(後のソビエト連邦第四代最高指
指導者)がウクライナ第一書記として派遣
第2章
第二次世界大戦とウクライナ
第1節
独ソ戦争と第二次世界大戦
1:第二次世界大戦勃発(1939年)
a:第二次世界大戦発端
ドイツがポーランドに侵入、英仏両国対抗
→第二次世界大戦が勃発
b:独ソ戦争発端(1941年)
独ソ不可侵条約をドイツが破棄、ソ連を奇襲
→独ソ戦勃発
c:ウクライナの立ち位置
ⅰ:ドイツ軍のバルバロッサ作戦
→全ウクライナがドイツの占領下、ソ連は一
時的に混乱
ii :ソ連、クルスクの戦いで失地回復
→ウクライナは独占領から解放
第2節
大戦後のウクライナ
1:大戦後のウクライナ人
a:ウクライナ人口の約6分の1の530万人死亡
→ソ連軍のウクライナ人200万人、ドイツ軍のウ
クライナ人30万人プラス住民など
b:ウクライナの経済的な被害
焦土作戦→キエフの中心部の85%破壊
ハリコフは70%が破壊
c:大戦での獲得
大戦前、4か国の支配下がほとんど全てソ連の下
のウクライナ共和国に合併
d:フルシチョフ政権掌握(1953年)
スターリンが死亡、政権交代
→スターリンとは真逆、ウクライナに好意的な態度
1954年にはクリミアをウクライナ共和国に移管
e:フルシチョフの失脚と、民族主義抑圧
レオニード・ブレジネフが政権掌握(1964年)
→民族主義文化を危険視、抑圧
結果:1958~80年にはウクライナ語の新聞の割
合が46%から19%に減少、フルシチョフ・ブ
レジネフ時代で社会構造が劇的に変化
第3節
ウクライナの独立までの歩みとウクライナ化
の歩み
1:ミハイル・ゴルバチョフの就任(1985年)
a:グラスノスチとペレストロイカでの政策開始
情報公開と再建→民衆が社会主義に抵抗
ペレストロイカが進行不可能
b:チェルノブイリ原子力発電所の事故(1986年)
→ソ連政府は後に事故を公開→隠蔽体質
放射線生物学の専門家の発表と食い違い
結果:政府当局の発表に不信感
→国民自身が自発的に真相究明
第4節
ウクライナ独立達成
1:ソ連崩壊
a:レオニード・クラフチューク政権掌握
→1年後に独立ウクライナの初代大統領就任に
b:1990年、ロシア連邦はソ連からの独立傾向を強
め、主権宣言
→その後リトアニアも独立宣言
c:1991年ついにウクライナ最高会議はほぼ全会一
致で独立宣言を採択
→ソ連のゴルバチョフは大統領を辞任
d:ロシア議会はクリミアがロシアの一部と宣言
→ウクライナは反発
第5節
政治的視点(1991年~2010年)
1:ウクライナ政治の特徴
エリートの分裂→1991年~2014年までの6回の
大統領選では4回決選投票
a:1994年の大統領選挙
1回目クラフチュークが37.68%クチマが31.25%
2回目クラフチュークが45.26%クチマが52.15で
クチマが逆転
b:1999年の大統領選挙
2回目の選挙でクチマが勝利
c:2004年の選挙
1回目ユーシェンコ39.87%ヤヌコビッチ39.2%
2回目ユーシェンコ46.61%ヤヌコビッチ49.46%
→この結果に納得せず異例の第三回投票
3回目ユーシェンコ51.99%ヤヌコビッチ44.20%
d:2010年の選挙
1回目ヤヌコビッチが35.32%、ティモシェーンコが
25.05%、ユーシェンコが5.45%
2回目ヤヌコビッチが48.95%、ティモシェーンコが
45.47%でヤヌコビッチが政権を掌握
第3章ヤヌコビッチ政権と世界の対応
第1節
ヤヌコビッチ政権崩壊まで
1:ヤヌコビッチ政権崩壊の原因
a:財政改革無視
EU:連合協定に署名、国際通貨基金の条件
→最低260億ドルの借款と援助を提案
b:EUとの協定を拒否
→親EU派の新興財閥(オリガルヒ)と一般大衆
の怒りの爆発、抗議デモへ発展
2:治安部隊との衝突
a:反政権デモの強制排除(武力行使)
数千人のデモ参加者、激しく抵抗
→デモの規模が拡大、警官隊に発砲を許可
事態収拾不可、ヤヌコビッチ首都脱出
→2月23日、事実上政権崩壊、逮捕状
第2節
ロシアの対応
1:ヤヌコビッチ政権、ロシアの対応
a:政府のロシアへのすり寄り
150億ドルの金融支援と天然ガス価格の3割引
き下げを約束
→ヤヌコビッチ、債務危機回避の最終手段
結果:ロシアの影響下に
第3節
EUの対応
1:ヤヌコビッチ政権、EUの対応
a:EUからの財政援助
連合協定に署名、国際通貨基金の条件
→最低260億ドルの借款と援助を提案
b:ウクライナへの制裁
EU内の資産凍結、EUへの渡航禁止
→治安部隊を首都キエフから撤収要求
ヤヌコビッチは、拒否
第4章:今後の展望
第1節
クリミア半島の歴史
1:クリミア半島の概要
a:面積は約2万6千平方キロメートル
b:約200万の人口
→うち6割がロシア人
c:フルシチョフ時代にウクライナ共和国に編入
→1991年にウクライナが独立、そのままクリミア
半島はウクライナの土地に
d:ロシア:昔から守り続けていた土地
第2節
クリミア半島はどこのものに
1:ロシア軍がベリベク空港(クリミア半島)占拠
→2月28日、親ロ派の自衛部隊が占拠
クリミア中心都市シンフェロポリの空港にもロシ
ア系住民の自衛部隊が集合
2:EUのロシアへの対応(3段階のアプローチ)
a:EUへのビザ無し短期渡航交渉の停止、貿易投
資関係強化の交渉の停止
b:政府関係者のEUへの渡航禁止、政府関係者の
EUの資産凍結、EU・ロシア首脳会議の停止
c:幅広い経済分野で厳しい措置
3:ロシアの決断
a:ロシアのプーチン大統領
→ロシアへの編入が圧倒的に支持、表明
b:クリミア自治共和国代表らと編入の条約に調印
→クリミアはロシアの領土と宣言
日米欧は反発、ロシアに追加制裁
4:ロシア編入後のクリミア
a:ロシア・ルーブルが公式通貨に
b:クリミア半島の軍関連施設にロシア国旗を掲揚
5:ロシア編入後のウクライナの対応
a:ロシアの軍事介入の拡大防止
→大戦車壕などの防衛施設の建設
第3節
ウクライナ東部の紛争
1:ウクライナ大統領選
2014年5月25日、ペトロ・ポロシェンコが圧勝
→欧州連合(EU)との統合を宣言
2:ポロシェンコの政権運営
a:東部の親ロ派への対決姿勢
大統領選当選確定の2時間後、ウクライナ空軍
がロシア占拠のドネツク国際空港を奪還
b:オバマ大統領と会談
ロシアをけん制、米国との親交
c:軍に対し親ロシア派武装勢力との戦闘一時停止
を命令、親ロ派の武装解除を促進
→東部ドネツク州で21日も戦闘継続、停戦宣言
は形骸化
23日、親ロシア派武装勢力は27日まで停戦
の合意を発表、しかし25日には戦闘が勃発
→東部の緊張はさらに上昇
3:最高議会を解散を発表(8月25日)
ヤヌコビッチ前政権時代に選出の親ロシア派の
議員を一掃、狙い
第4節
ウクライナの将来
1:新興財閥のオリガルヒと親ロシア派のオリガルヒ
a:新興財閥のオリガルヒ
政治的影響力を保有
→EUとの関係維持を支持
理由:自分たちの資産が安泰、当局が恣意
的に資産を差し押さえる心配なし、ま
た国の安泰にも直結
b:親ロシア派のオリガルヒ
ロシアの影響下:既得権益を維持、拡大が可能
2:これからのウクライナ
a:欧米との関係維持
国内の社会・経済体制の抜本的な改革を推奨
→2020年のEU加盟申請を目標
b:ロシアとの関係を再構築
欧米諸国から制裁→ロシアとともに国際社会で
の孤立が発生