(2014.5.7.発行) 腹痛,嘔気の4例 2013年度研修医 田辺命

腹痛,嘔気の 4 例
2013 年度研修医
恵寿通信第 24 号(2014.5.7.発行)掲載
田辺命
不思議なことに,同じ疾患の患者さんが連続して来ることがあります。今回は,腹痛・嘔気で受診した患
者さんを 4 人紹介します。いずれも同じ疾患で 3 ヶ月の研修期間のことでした。
<<症例 1>> 45 歳,女性
【既往歴】11 歳:急性虫垂炎(手術),高血圧症
【内服薬】バルサルタン 40mg 錠 1T/朝,アムロジピン 2.5mg 1T/朝(近医より処方されていた)
【嗜好歴】飲酒なし,喫煙なし
【分娩・月経歴】1 経妊 1 経産,最終月経:受診日の 2 日前から,周期:整,妊娠の可能性なし
【婦人科健診】毎年受けており異常なし(クスコ診のみで経腟超音波検査は施行されていなかった)
【現病歴】●年●月●日 夕食後に左下腹部痛・嘔気を認め,当院救急外来を受診した。バイタルは安定して
いた。腹痛は持続痛で主に鈍痛だが,時々差し込む痛みも認めた。診察上は,腹部の圧痛は明らかでなく腹
膜刺激徴候も認めなかった。血液検査では WBC 8200/μl,CRP は増加なし。腹部単純 CT 検査で所見なしとみ
なされて帰宅となり,翌日の放射線科医による読影にてある疾患の疑いと診断された。
<<症例 2>> 42 歳,女性
【既往歴】特記事項なし
【内服薬】なし
【嗜好歴】飲酒なし,喫煙なし
【分娩・月経歴】3 経妊 2 経産,受診 1 ヶ月前に出産し授乳中
【現病歴】●年▲月▲日 右下腹部,嘔気を認め,当院救急外来を受診した。バイタルは安定していた。受診
時には症状は軽快していたが,右下腹部に圧痛を認めた。腹膜刺激徴候は陰性だった。血液検査では WBC 7800/
μl,CRP は増加なし。腹部単純 CT 検査にてある疾患の疑いとなった。
<<症例 3>> 16 歳,女性
【既往歴】拡張型心筋症(近医へ通院中)
【内服薬】エナラプリル 2.5mg 1T/夕,カルベジロール 10mg 1T/夕,アルダクトン 25mg 1T/分 2,フロセミド
20mg 1T/分 2(近医より処方されていた)
【嗜好歴】飲酒なし,喫煙なし
【月 経】受診の約 3 週間前から,周期:整
【現病歴】●年■月■-2 日 右下腹部痛,1 回の嘔吐を認めた。■-1 日 当院消化器外科を受診した。腹
部所見・血液検査・尿検査で異常を認めず整腸剤を処方され帰宅した。帰宅後も 3 回の嘔吐,右下腹部痛の
増悪を認めたため,■日 当院救急外来を受診した。37.3℃と微熱を認めたが,他のバイタルは安定してい
た。右下腹部の圧痛を認めたが,腹膜刺激徴候は陰性だった。血液検査では WBC 9,300/μl,CRP は増加なし。
腹部エコーでも特記すべき所見は認めなかった。急性腹症と判断し,妊娠反応の陰性を確認した上で腹部造
影 CT 検査を施行したところある疾患の疑いとなった。
<<症例 4>> 8 歳,女性
【既往歴】特記事項なし
【内服薬】なし
【月 経】未発来
【現病歴】●年★月★日 朝食前に腹痛,嘔吐を認め近医を受診した。点滴加療にて腹痛,嘔気の改善を認め
帰宅となった。帰宅後も腹痛が持続するため当院小児科外来を受診した。体温 37.4℃と微熱を認めたが,他
のバイタルは安定していた。右下腹部に圧痛を認めたが,腹膜刺激徴候は陰性だった。その他,Rovsing 徴候
や踵落とし試験など急性虫垂炎を示唆する所見はいずれも陰性だった。WBC 13000/μl(同年齢女児の上限値
は約 10000),CRP は増加なし。腹部エコーでは虫垂の描出は不十分でその他に特記すべき所見は認めなかっ
た。急性虫垂炎の疑いとして腹部造影 CT 検査を施行したところ,急性虫垂炎を示唆する所見はなく,ある疾
患の疑いとなった。
いかがでしょうか。いずれの症例も女性で腹痛・嘔気(あるいは嘔吐)で受診しています。妊娠の可能性は
否定的でした。腹痛は左右いずれかの下腹部で,腹膜刺激徴候は陰性でした。血液検査でも特記すべき所見
は認めず,1 例で軽度の白血球増多を認めるのみでした。身体所見・血液検査・尿検査からは診断がつかず,
CT 検査で初めて診断がつきました。
引き続いて,CT 検査の画像を提示します。
症例 1
症例 2
症例 3
症例 4
いずれの画像でも5cm以上の腫瘤性病変を認め,部位から卵巣腫瘍が考えられました。症例1,2,4では一部
に低吸収域と石灰化と考えられる高吸収域の混在を認め,症例3では多房性の嚢胞性病変でした(嚢胞の右前
方にある高吸収域は卵管と考えられました)。これらの症例は卵巣腫瘍茎捻転の疑いとされ産婦人科へ紹介さ
れ手術適応と判断されました。いずれの症例も開腹手術にて診断され,病側附属器切除術が施行されました。
病理結果は症例1,2,4が成熟嚢胞性奇形腫,症例3が漿液性嚢胞でいずれも悪性所見を認めませんでした。4人
とも経過良好にて術後10日前後で退院となりました。
【卵巣腫瘍茎捻転について】
腹痛は外来診療で最も遭遇する機会の多い症候の一つで鑑別は多岐にわたります。その中でも,産婦人科
関連で腹痛をきたす疾患には,(1) 妊娠関連として正常妊娠,異所性妊娠,流産,早産,常位胎盤早期剥離
が,(2) 婦人科関連として卵巣嚢胞出血,骨盤内炎症性疾患<PID>,卵管膿瘍破裂,子宮腺筋症,子宮内膜症,
そして卵巣腫瘍茎捻転などが挙げられます。
この中でも異所性妊娠は大量出血,常位胎盤早期剥離は DIC 合併,卵巣嚢胞出血や PID,卵管膿瘍破裂は腹膜
炎の合併,卵巣腫瘍茎捻転は不妊の問題から緊急性の高い疾患と言えます。
卵巣腫瘍茎捻転は全年代の女性に起こりうる疾患であり1),発症年齢は平均 36 歳(4 ヶ月~78 歳)とする日
本の文献もあります2)。頻度は不明ですが,卵巣腫瘍手術件数の 7.4-13.7%を占めるとする報告があります
2)3)
。腫瘍径が増すほど茎捻転のリスクは増大しますが,あまりに巨大すぎるとかえって捻転しづらくなる
と考えられています。実際に,腫瘍の 80%以上が直径 5-15cm の範囲内とされています2)。したがって,直径
5cm 以上の卵巣腫瘍は茎捻転のリスクに挙げられています。また,妊娠も茎捻転のリスク要因となり,これは
増大した子宮が卵巣腫瘍を圧排するためと考えられています。直径 4cm 以上の卵巣腫瘍を有する妊婦では産
後も含めると 14%で茎捻転を発症しているとする報告もあり,多くは妊娠中に発症しますが,5%程度は産後
に発症するとされています4)。左右差については右の方が左の 2 倍起こりやすいとされ,その理由は右子宮
卵巣靭帯が左よりも長いことや左骨盤腔には S 状結腸が占拠していることと考えられています5)6)。
症状としては,腹痛,嘔気・嘔吐が主症状となります。腹痛は約 60%で突発性ですが,その他の場合も 1-3
日間の急性発症となります。痛みの性状は鋭敏,疝痛,締め付けられるような,と様々です。また,32%では
過去に同様の腹痛を認める2)ようです。嘔吐は 47-70%に認められ,腹痛と同時に出現する場合が多いです。
なお,37℃台の微熱や 10000/μl 以上の白血球増多が血流遮断による壊死を示唆する,とする意見もありま
す。身体所見は症例により様々で,3 分の 1 では腹部の圧痛を認めない7)とされています。なお,注意すべ
き点として,卵巣腫瘍の対側に腹痛を認めることがあります。これは腫瘍が捻転し位置が正常から逸脱する
ためです。
確定診断には手術での肉眼的な確認が必要です。CT 検査・MRI 検査といった画像検査は鑑別を進める上で
有用ですが,5cm 以上の卵巣腫瘍があるからといって必ずしも捻転している訳ではありません。婦人科領域
において,同様の症状をきたす鑑別疾患には子宮内膜症(チョコレート嚢胞の破裂)や卵管膿瘍が挙げられ,
これらの疾患を否定することが重要となります。
※参考までに末尾で,チョコレート嚢胞の造影 CT 画像を提示しました。
茎捻転の原因となる腫瘍は良性腫瘍が多く,中でも成熟嚢胞性奇形種が茎捻転全体のうち約 1/3 を占めて
いるとされています。悪性腫瘍は周囲との癒着を引き起こしやすいため,3%程度と比較的稀とされています
2)
。なお,疾患名は卵巣『腫瘍』茎捻転とされていますが,正常卵巣でも茎捻転が起こりうるとする意見があ
ります(少なくとも UpToDate では”may occur”と明記されています)。超音波または CT による画像評価にな
りますが,15 歳以下の女児における茎捻転では 22 人中 12 人(55%)では画像上,正常卵巣だったとする報告
が存在します8)。
治療方法は基本的に手術になり,特に時間が経過するほど組織壊死が進行することから,70%以上は緊急
手術の適応となります。術式は附属器切除術が80%以上を占めます。一部では腫瘍摘出術を施行する場合も
あるようです2)。
本疾患の特徴を今回の症例と比較した表を以下に記します。症例数は4例と限られてはいますが,教科書
の記載と比較しても概ね矛盾しない経過だと考えます。
卵巣腫瘍茎捻転は決して多い疾患ではありませんが,女性の腹痛(特に嘔気・嘔吐を伴う場合)では鑑別に
挙げる必要があります。今回の報告を期に鑑別疾患の一つに挙げるよう留意いただければ幸いです。
【参考文献】
1)McWilliams GD, et.al Gynecologic emergencies. Surg Clin North Am. 2008;88:265-283
2)金武正直 ほか,卵巣腫瘍茎捻転の臨床的検討. 産科と婦人科 1987;54:390-393
3)西田敬 ほか, 卵巣腫瘍の茎捻転に関する臨床的および組織学的検討, 産婦人科の実際, 1981;30:1463
4)Yen CF, et al, Fertil Steril. 2009;91:1895-1902
5)Beaunoyer M, et.al, J Pediatric Surg. 2004;39:746
6)Huchon C, et.al, Eur J Obstet Gynecol Reprod Biol. 2010;150:8-12
7)Tsafrir Z, et. al, Eur J Obstet Gynecol Reprod Biol. 2012;162:203-205
8)Anders JF, et al. Arch Pediatr Adolsc Med, 2005;159:532-535
【参考】
腹痛・嘔吐で救急外来を受診した 30 歳女性の腹
部造影 CT 画像。
左卵巣と接する多房性嚢胞病変を認め,内部に
明らかな充実性病変は認めなかった。
単純 CT では内部に高吸収域を部分的に認め,出
血または粘稠な成分と考えられた。
鑑別に卵管膿瘍,卵巣腫瘍(特に粘液性/漿液性嚢
胞性腫瘍)も挙がったが,手術所見によって,チョ
コレート嚢胞の破裂と確定診断がなされた。
術後経過は良好で,術後 10 日目に退院した。
臨床像も CT 検査所見も卵巣腫瘍茎捻転と区別
困難であった。
左卵巣
嚢胞性
病変