クザーヌスにおける「弁論家」と「職人」 近藤 恒一

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中世思想研究34号
22)
De ment,e cap. II, [68J
23)
De mente, cap. V, [84J
24)
De saβ, 11, [32J [33J
25)
De sap., II, [33J
26)
Cass ire ,r E.,
意見
op . cit., S. 20.
クザーヌスにおける「弁論家」と「職人」
近藤
私は能力の限界ゆえに, ただ薗田氏の提題との関連において,
恒一
クザーヌス の三部作
Idiota篇における「弁論家」と「職人」について感じたことの若干を述べるにとどめ
tc.'v
、.
Idiota 篇(1550) の三人の対話人物のうち, í哲学者」は当時のアリストテレス派
のスコラ哲学者をさし, í弁論家J (雄弁家) はヒューマニストをさすだろうとされる
が, 同感である. ただしIdiota篇では, ヒューマニストの de vot io が切りすてられ,
ヒューマニスト像が一面化されているように忠われる. ヒューマニズムにはさまざま
な傾向がみられるが, たとえばペトラルカやエラスムスという代表的ヒューマニスト
宏とりあげてみても, かれらの基本的立場はキリスト教的ヒューマニズムとして特徴
づけられ, ベトラルカの立場はくl ite ra tade vot io>ということばに集約される(Sen.,
1. 5). 多少とも論争的性格をもっ著作は, どうしても論争相手を一面化し戯画化する
傾向におちいりやすいが, この傾向はヒューマニストのスコラ学者批判に はいっそう
顕著にみられるように思う. 研究者として用心して取り扱うべ き点の ひ とつで あ ろ
う.
「弁論家Jがイタリア ・ルネサンスに特徴的な人間タイプのひとつで あるとすれば,
Idiota とよばれる「さじっくり職人」もまたそうであろう.
一一
古代・中世において
は,く vita ac tiva>にたいしくvita c o nte m pla tiva>が圧倒的優位をあたえられていた
ので, 手仕事にたずさわる「職人」が哲学書のなかで主役になることはまずありえな
シンポジウム
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かったであろう. これが可能になるには, イタリア・ルネサンスという新しい文化的
風土の出現が必要だったのではあるまいか.
15世紀前半のイタリア で は, フルネッレスキ, ドナテッロ, マサッチョら 偉大 な
「職人J ( こん に ち い う芸術家)の活躍によって美術分野のルネサンス時代がはじま
る. かれらは「職人」としての制作活動によってのみならず理論面でも, r職人仕事」
つまり芸術を, 最高の「学」にまで高めようとする. すでにギベルティは彫刻や絵画
を「多くの学科やさまざまな技術的熟達によって飾ら れ た 学( s c ienz a)であり, ほ
かのあらゆる学芸にまさる最高の創造」と み なして い た(Commn
e tarioρrimo).
のちにレオナルドも絵画を, あらゆる人間活動の最高位に置く(11パリ手稿jJ A 99 r.).
「 画家の学」は神的で, 画家の精神は神の精神に似ており, 神の創造になる大自然の
さまざまな実相を自由に創り出していく ことができる と さ れる(Lu. 68). そして ク
ザーヌスと 同世代のアルベルティは, 偉大な「職人」かつヒューマニストで, r職人」
文化とヒューマニズム文化とを一身に統一していた. かれらはその芸術活動と理論活
動によって, 従前は軽蔑または軽祝されていたく ar tes
mech ani cae>を評価しなおし,
これをく ar tes lib er ales >ゃく ar tes s p ecul a itv ae >と 同列に, あるいはそれ以上に位
置づけようとしたのである. このような要求や運動は, のちのいわゆる科学革命を準
備し科学革命の重要な要因のひとつとなる.
Idiota篇における「職人」も, 以f二のような歴史的文脈のなかに置き戻してみると,
イタリア・ルネサンスに特徴的な人間タイプのひとつといえよう. もちろん, クザー
ヌスのIdi ot a を この面からのみ理解しようとするのは,あまりにも一面的にすぎるし,
Idi ota像の浅薄化にもなろう. しかし「職人」を哲学的対話篇 の主人公にしたてると
いう発想は, イタリア・ルネサンスという知的風土のなかではじめて可能になった こ
とではあるまいか.
最後に「 ことば」との関連でひと言. ルネサンス の偉大な「職人」たちが芸術を最
高の学とみなそうとするとき, この主張のねらいのひとつは, 哲学的探究の地平の拡
大である.一一哲学的探究は, ことばによる探究や ことばによる表現活動 (著述活動)
に限られるものではない. 生きた哲学的営みは, 大学や書物 の そと, r職人」の芸術
的制作活動をつうじても, あるいは「さじっくり職人」のつつましい手仕事をつうじ
てもなされうる.