鹿児島県指宿市敷領遺跡 - GISA 地理情報システム学会

探査と発掘で描き出す 874 年の集落像-鹿児島県指宿市敷領遺跡- 阿児雄之,亀井宏行,鷹野光行,新田栄治,指宿市教育委員会 Mapping an ancient settlement planning in 874, using the archaeological
prospection and excavation.
- Sikiryo site, Ibusuki city, Kagoshima Prefecture, JAPAN Takayuki AKO, Hiroyuki KAMEI, Mitsuyuki TAKANO, Eiji NITTA
and Ibusuki City Board of Education
Abstract: Mt. Kaimondake in Kagoshima, Japan erupted on the 25 March in 874AD. At that time, one
village was buried by this eruption. This village was buried in the Sikiryo site in the Ibusuki City. The
authors have found many rice paddy fields, a dwelling and some archaeological features using
archaeological prospection and excavation. On the other hand, because these survey area is very small
and dispersed, it is difficult to visualize the ancient village. Even so, many results of survey are
integrated by each location information. This village image at the time is becoming clear.
Keywords: 遺跡(Archaeological site), 火山罹災(Volcanic disasters), 地中レーダ探査(GPR :
Ground Penetrating Radar),発掘調査(Excavation survey), 条里制(Jori system - system of land
subdivision in ancient Japan)
1. はじめに 敷領遺跡は,1990 年代後半,県営・市営弥次ヶ
私たちは,自然災害により日々の生活を幾度とな
湯団地の建設に伴う事前調査で発見された遺跡で
く分断されつつも,それを乗り越えてきた.記録に
ある.この発掘調査の際,地元で「紫コラ」と呼ば
残されている中で,日時を特定できる日本最古の火
れる火山灰層の直下から水田遺構が発見された.紫
山噴火災害が,西暦 874 年 3 月 25 日(貞観 16 年 3
コラとは,874 年の開聞岳噴火の際,現在の指宿市
月 4 日)に発生した鹿児島県開聞岳噴火である.こ
一帯に降下した火山灰が,凝結固化した火山灰層の
の噴火による火山噴出物は薩摩半島一帯に降り積
ことである.その亀の甲羅の様に硬くなった状態と,
もり,大きな被害を与えた.鹿児島県指宿市に所在
その層が紫色を呈していることから「紫コラ」と呼
しきりょう
する 敷 領 遺跡は,その噴火によって罹災した遺跡
ばれている.この火山灰層が当時の生活面をパック
のひとつである. し,現在まで良好な状態で保存し続けてきた. 阿児雄之 〒152-8552 東京都目黒区大岡山 2-12-1 東京工業大学 博物館 Phone: 03-5734-3340 E-mail: [email protected] 本稿では, 2005 年より継続的に実施されてきた,
地中レーダ探査と発掘調査との連携調査の成果を
中心に報告する.加えて,複数回にわたる調査成果
の蓄積をもとに,開聞岳噴火によって罹災した当時
は,水田一面分を対象とした発掘計画をたてること
の集落像について考察をおこなう. ができ,当時の水田構造把握や収穫量推定が可能で 表- 1 調査履歴
2. 調査の方法と結果 遺跡調査の最も代表的な手法は発掘調査である.
時期 種別・面積 成果概略 発掘調査は,地中に埋没した遺物や遺構など詳細な
1996 年 11 月
発掘 畠跡,小道跡,水田
情報を入手できる反面,やり直しのきかない遺跡破
97 年 3 月 壊を伴う調査手法である.また,実際に掘ってみる
1997 年 7 月 まで何が発見されるか想定することが困難である.
そこで,これら発掘調査の弱点を補うため,遺跡探
査が事前調査として導入されつつある.敷領遺跡の
遺跡探査では,主として地中レーダ探査法(GPR : Ground Penetrating Radar)を用いた. 地中レーダ探査法とは,送信アンテナから地中に
1998 年 8 月
99 年 3 月 1m間隔で測線を設定し,その測
図」を作成する.また,複数の断面図からある一定
40 ㎡ 具跡),柱穴群 2005 年 3 月 ことができる. 敷領遺跡調査に地中レーダ探査を導入したのは,
2005 年度の調査からである.発掘調査領域は,地
中レーダ探査におけるタイムスライス図の判読解
釈に基づき設定されてきた.調査履歴(表 1)で明
らかなように,地中レーダ探査結果を受けた発掘調
査では,発掘領域は小さいが遺跡を明らかにする重
要な発見を挙げてきたことがわかる. 2005 年度に
GPR 条里制にもとづく水
約 2,300 ㎡ 田遺構を推定 2005 年 8 月 発掘 220 ㎡ 2006 年 7 月 GPR 二つのトレンチで水
田 1 面全面ずつ 旧市営住宅区画を発
約 2,680 ㎡ 見 2006 年 8 月 発掘 溝状遺構(耕具跡) 2007 年 7 月 GPR 畠の畝遺構を推定 約 410 ㎡ 2007 年 8 月 発掘 畠の畝跡 84 ㎡ 2008 年 7 月 の遺物や遺構状態まで完全に推定することが不可
能であるが,発掘調査に有益な情報を多く獲得する
樹木痕跡 00 年 3 月 推定する.地中レーダ探査では,地下構造を誘電率
という物性値の違いでしか捉えていないため,実際
850 ㎡ 水田跡,畠跡,大畦,
水田跡,溝状遺構(耕
深度における信号を抽出し,二次元平面的にプロッ
トした「タイムスライス図」を作成し,地下構造を
発掘 発掘 線に沿って送受信アンテナを地表面にて走査する.
そして,走査した測線下における受信信号の「断面
水田跡発見 1999 年 7 月 子を推定する方法である.一般的な遺跡探査では,
調査領域に 0.5
発掘 跡,足跡など 50 ㎡ 電磁波を放射し,土壌の誘電率境界で反射した波を
受信アンテナで受信し,その受信信号から地下の様
1132 ㎡ GPR 約 220 ㎡ 2008 年 8 月 発掘 住居跡,道路跡を推
定 住居跡,道路跡 約 100 ㎡ 2009 年 7 月 GPR 方形遺構を推定 約 270 ㎡ 2009 年 8 月 発掘 鍛冶炉跡 約 30 ㎡ 2011 年 2 月 発掘 須恵器など 2011 年 8 月 発掘 成果整理中 あった(図-1,2).加えて,発掘成果で得られた
宅地であり,これまで継続的に調査を実施してきた
知見の探査結果判読へのフィードバックにより,地
が,未だに分散的な情報しかないのは一目瞭然であ
中レーダ探査において紫コラ層がどのような信号
る.しかし,断片的であるが複数の成果が集約され
として捉えられるのかが判明し,より精度の高い地
ることにより,敷領遺跡に存在した集落像が見えて
下構造推定を実施できるようになった.
きた. 3. 集落像の復元 調査の結果,集落を構成する要素である水田・
畠・住居・鍛冶炉・道路などの痕跡が発見され,当
時の集落規模・土地利用区分などを推定することが
できつつある.敷領遺跡の存在する土地は,西から
東へ向かい緩やかに傾斜している.その地形を利用
し,高地に畠,低地に水田を配している.水田構造
を見ると,西側に水口,東側に水尻を設けており地
形を有効的に利用している.一方,地形に依存した
集落形成をしている訳ではなく,水田は条理制に則
った領域区分がなされていることが畦の方位や間
隔から明らかになった(指宿市教育委員会,2006).
この事実は,874 年という年代値が判明している歴
図- 1 2005 年度 GPR 結果 タイムスライス図
史学の研究資料として,貴重な成果である. また,現在はひとつだけであるが住居跡と道路跡
を発見している.水田域・畠域・居住域といった利
用区分は推定できるものの,それら領域同士の有機
的な繋がりが未だ明らかになっていない.集落内に
おける道路網などの復元が今後の調査課題として
残っている. 4. おわりに 図- 2 2005 年度発掘結果 水田遺構,竹串の立ってい
る箇所が稲株跡(鷹野ほか 2006 より引用)
開聞岳噴火で罹災した平安時代の集落像は,遺跡
探査と発掘調査の連携調査を重ねることにより,鮮
やかになってきた.その背景には,位置情報を手が
これら相互の成果共有は,位置情報を手がかりと
かりとした成果交換と集成がある.共通の基盤で成
しておこなってきた.調査成果の内,主要な探査結
果を検討することにより,効果性の高い遺跡調査を
果(タイムスライス図)と発掘結果(遺構実測図)
実施できている.現在も調査は継続しており,一層
を地図上に配したものを図 3 に示す.敷領一帯は住
の成果蓄積がなされると期待される.
謝辞 学会研究会資料, LAV-11-017 IM-11-017,41-46. 本研究は,文部科学省科学研究費補助金『特定領
鷹野光行ほか(2010):「鹿児島県指宿市敷領遺跡
域研究』
「火山噴火罹災地域の文化・自然環境復元」
(中敷領地点)第2 次調査」, お茶の水女子大学・
(平成 16 年度
鹿児島大学. 21 年度実施)計画研究:代表 亀
井宏行「火山噴火罹災地域の地力回復過程の時空間
指宿市教育委員会(2006):「平成 17 年度市内遺
解析に関する研究」(課題番号:16089206)ならびに,
跡確認調査報告書 敷領遺跡・南迫田遺跡・新
代表 鷹野光行「わが国の火山噴火罹災地における
番所後遺跡」,指宿市教育委員会. 生活・文化環境の復元-九州を中心に-」(課題番号:
16089027)の一部として実施したものである. 鷹野光行ほか(2006):「鹿児島県指宿市敷領遺跡
の調査」, お茶の水女子大学・鹿児島大学. 東京大学ほか(2006)「火山噴火罹災地域の文化・
参考文献・URL 自然環境復元」プロジェクト. 阿児雄之・亀井宏行(2011):地中レーダ計測によ
<http://www.somma.l.u-tokyo.ac.jp/index.ht
る平安時代の村-指宿市敷領遺跡の解明-,電気
ml> 図- 3 敷領遺跡における調査成果(1996 年
2009 年調査)