浸水発生箇所の地形・地理的特性による内水氾濫危険地域の評価

浸水発生箇所の地形・地理的特性による内水氾濫危険地域の評価
―武蔵野台地東部を事例に―
社会科教育専修
佐藤
第Ⅰ章
2511016
李菜
はじめに
現在、日本で発生する水害は内水氾濫が中心となっている。さらに、近年は集中豪雨の
発生頻度が増加しており(気象庁,2011)、内水氾濫の発生がさらに増加することが懸念
されている。日本の典型的な都市域である東京都では、2009 年度における一般資産水害被
害額に占める内水の割合が、
約 99%と非常に高い(
「平成 21 年水害統計調査」
)。時間 50mm
の降雨に対応する下水道管や雨水調節池の整備等が行なわれているものの、特に下水道の
改修は容易でなく、近年においても小規模な浸水が発生し、繰り返し浸水する箇所も見受
けられる。このような浸水については、下水道管や雨水の浸透貯留対策に目を向けるだけ
でなく、地形や土地被覆といった特性を考慮して、内水氾濫が発生する可能性を検討する
必要がある。
武蔵野台地東部にある新宿区の東部や豊島区の東部、文京区の西部では、局所的な浸水
や繰り返し浸水が発生する箇所が多い。これらの地域は土地利用の都市化が顕著であり、
浸水に対してより脆弱な地階を有する建物も多いことから、本研究にふさわしい地域であ
ると言える。
以上より、本研究では武蔵野台地東部にある新宿区東部、豊島区東部および文京区西部
を対象とし、GIS を用いて過去に内水による浸水が発生した箇所の局所的な地形・地理的
特性を評価する。そのうえで、これらの特性が類似する地域、すなわち内水氾濫に対して
潜在的な危険性を抱える地域を抽出し、これに基づいた簡易的な防災マップを提案するこ
とを目的とする。
第Ⅱ章 対象地域概要
本研究の対象地域は、大きく分けて新宿区の台地の大部分を形成する淀橋台と主に豊島
区・文京区の台地を形成する豊島台、中央を流れる神田川が形成した谷底低地からなる。
台地部は小規模な谷に開析されている。対象地域内の標高は、おおよそ 5~35m で標高差
が大きい。
対象地域では、最近に至っても小規模な浸水がみられる。1980 年代前半までは、年間の
総浸水面積が 100ha あるいはそれを超えるような年もみられたが、水害対策の進行に伴っ
て浸水面積が減少し、近年においては 10ha に満たない年が続いている。この間に浸水の
発生原因も変化し、1980 年代前半までは河川からの溢水に加えて内水による浸水がみられ
たが、近年はほとんど内水のみによる浸水となっている。
第Ⅲ章 研究方法
本研究の解析には、ArcGIS10(ESRI 社製)を使用した。過去の浸水箇所については、
1989~2009 年に発生したものを対象とし、東京都建設局作成の浸水実績図から抽出した。
これらの浸水箇所において抽出された地形・地理的特性に関わる項目を変数とし、多変量
解析の一つである主成分分析を行ない、過去の浸水箇所における特性を評価した。地形・
地理的特性に関わる項目は、国土地理院により無償提供されている「基盤地図情報 5m メ
ッシュ(標高)
」
(レーザー測量によって作成:以下、5mDEM)、東京都・株式会社ミッド
マップ東京による「東京都縮尺 1/2,500 地形図 平成 23 年版」
(データは 2009 年作成)の
デジタルデータを使用して抽出した。浸水箇所と地形・地理的特性が類似する地域の抽出
については、主成分分析の結果から、各主成分における主成分得点を評価の対象とする範
囲全体について求め、浸水箇所の得点の範囲に適合する地域を抽出し、これを浸水箇所と
地形・地理的特性が類似する地域とした。
第Ⅳ章 対象地域における過去の浸水箇所と地形分類
対象地域における 1989~2009 年に発生した浸水箇所の総数は、107 箇所であった。浸
水面積としては小規模なものがほとんどだが、1990 年代に神田川沿いで発生した浸水箇所
には、比較的面積の大きいものがみられる。本研究では、これらの浸水箇所をその位置に
よって、
「現河道沿いの低地」
(以下、低地)、
「台地」、
「台地上の谷」
(以下、谷)の三つに
分類した。低地と台地の境界は国土地理院発行の「治水地形分類図」、
「土地条件図」を参
考に、5mDEM に合わせて決定した。谷については、この二つの地図から判断される谷と
5mDEM から認識される谷との違いが大きかったため、GIS にて 5mDEM から作成した
標高ラスタを基に接谷面を作成し、この接谷面から元の標高ラスタを引くことで抽出した。
以上のようにして決定した地形分類図によって、107 ある浸水箇所を低地・台地・谷に分
けた。浸水箇所が二つ以上の地形にまたがる場合は、含まれる面積がより多い方の地形に
分類した。
その結果、過去の浸水箇所は低地に 36 箇所、台地に 19 箇所、谷に 52 箇所あることが
確認された。村林ほか(2010)において、谷地形では内水氾濫が発生しやすいことが示唆
されていたが、本研究でも谷地形内にある浸水箇所が最も多かった。その一方で、数とし
ては少ないが、周囲からの集水量が多いとは考えにくい台地部でも浸水が発生しているこ
とが確認された。
第Ⅴ章 主成分分析による過去の浸水箇所の地形・地理的特性の把握
浸水箇所における地形・地理的特性に関わる項目として、凹地の深さ、凹地の容積、集
水域、集水域内の被覆されている土地の面積(以下、被覆地面積)、浸水箇所上流の平均勾
配(以下、上流側勾配)
、流域出口までの平均勾配(以下、下流側勾配)、上流側勾配と下
流側勾配の差(以下、勾配の差)
、集水域の最上流から浸水箇所までの距離(以下、上流側
流路長)
、浸水箇所から流域出口までの流路長(以下、下流側流路長)
、上流側流路長と下
流側流路長の差(以下、流路長の差)を抽出した。谷に含まれる浸水箇所のみ、谷の深さ
と谷幅も計測した。
浸水箇所を示すポリゴンデータにおけるこれらの項目の値を抽出し、低地、台地、谷ご
とに主成分分析を行なった。その結果、固有値が 1 を超える主成分が、低地で 2、台地で
3、谷で 4 抽出された。その累積寄与率は、低地で 76.6%、台地で 84.6%、谷で 88.3%と
なった。
各地形における第 1 主成分の主成分負荷量をみると、共通して集水域・被覆地面積・上
流側流路長・流路長の差が大きな正の値を示していることから、どの地形で発生した浸水
箇所についても、主成分得点が高くなるほど地表上の集水域が大きく、下流側流路長に比
べて上流側流路長が長いと考えられる。低地においては、凹地の深さ・容積の主成分負荷
量も大きな正の値を示しており、これらの項目と凹地の大きさが正の相関関係にあること
が分かった。台地・谷では、上流側勾配・勾配の差も大きな正の値を示しており、主成分
得点が大きいほど、上流側勾配が大きいために下流側勾配との差が大きくなっていると考
えられる。
低地の第 2 主成分・台地の第 3 主成分は、共通して上流側勾配・勾配の差が大きな正の
主成分負荷量を示す。低地ではこれに加え、下流側勾配が大きい正の値を、下流側流路長
が大きい負の値を示している。よって、これらの主成分得点が大きい浸水箇所ほど、下流
側勾配も大きいが、それにも増して上流側勾配が大きく、そのため両者の差も大きくなっ
ており、かつ下流側流路長は短いと考えられる。
台地の第 2 主成分、谷の第 2・3 主成分は、いずれも凹地の深さ・容積が大きい正の主
成分負荷量を示している。台地では、集水域・被覆地面積の主成分負荷量も大きいため、
主成分得点が高い浸水箇所は凹地だけでなく集水域も大きいと考えられる。谷の第 2 主成
分では、谷幅がやや大きい正の主成分負荷量を示しており、一方の第 3 主成分ではやや大
きい負の主成分負荷量を示している。このことから、対象地域内の谷においては、谷幅の
大きさにかかわらず、凹地での浸水がみられると解釈できる。
谷の第 4 主成分では、凹地の深さ・容積、下流側勾配、谷の深さがやや大きい正の主成
分負荷量を、下流側流路長がやや大きい負の主成分負荷量を示している。よって、主成分
得点が高いほど、凹地や下流側勾配が大きく谷が深いが、浸水箇所の下流側の距離が短い
浸水箇所であると言える。
第Ⅵ章 主成分分析の結果による内水氾濫危険地域の評価
本研究では、対象地域全体における主成分得点を計算し、前節で求めた浸水箇所におけ
る各主成分得点のとる最低値を超え、かつ各地形における主成分得点の合計の最低値も超
える地域を対象地域の浸水箇所と類似する地形・地理的特性をもつ地域として抽出した。
この条件によって抽出された危険地域には、対象地域の浸水箇所がすべて含まれていた
ことから、本手法によって浸水箇所と類似する地形・地理的特性をもつ地域を適切に評価
できていると言える。抽出された地域は、対象地域の浸水箇所と地形・地理的特性が類似
している、すなわちこれらの特性からみて、内水氾濫が発生する可能性がある地域である
と言える。
この地域は浸水箇所以外にも多くあるため、今まで浸水が発生していなくとも、
地形・地理的特性からみて、浸水の発生に注意を必要とする地域は多いと言えよう。
さらに、本研究の対象対域で得られた地形・地理的特性の評価手法が、他地域の浸水箇
所にも適用できるか検証を行なった。検証地域は、渋谷区を流れる渋谷川および目黒区を
流れる目黒川のあいだにある地域とした。対象地域と同様の方法で抽出した検証地域の危
険地域には、検証地域における過去の浸水箇所 29 箇所のうち、82.8%にあたる 24 箇所が
含まれていた。除外された 5 箇所は、主に下流側勾配・下流側流路長について対象地域の
浸水箇所との違いが大きかったため、対象地域と類似する特性をもつ地域に含まれなかっ
たと考えられる。除外された箇所についての検討は必要であるものの、本研究の対象地域
の浸水箇所から得た地形・地理的特性の評価手法は、他地域にも適用可能であり、過去の
浸水箇所から得られたこれらの特性によって、内水氾濫が発生する可能性がある地域を抽
出することができる可能性が示されたと言えよう。
これまでの分析結果をもとに、対象地域における内水氾濫に対する簡易的な防災マップ
を作成した。本研究では、各地形におけるすべての主成分の最低得点を超える地域を内水
氾濫危険地域として抽出した。このことをふまえ、各主成分得点のうち 1 主成分でもその
得点が上位 50%以上に含まれる場合は特性が「より強い」
、すべての主成分について得点
が上位 50%未満である場合は「強い」とし、抽出した危険地域を分類した。
「より強い」、
「強い」の二つに分類にした理由は、この防災マップを一般市民に使用してもらうことを
想定した場合、分類するクラスの数が多すぎるとマップが理解しづらくなると考えたため
である。
第Ⅶ章 まとめ
本研究では、新宿区東部、豊島区東部および文京区西部を対象地域として、主成分分析
を用いて過去に浸水が発生した箇所の地形・地理的特性を分析し、これらの特性が類似す
る地域を抽出することにより、地形・地理的特性からみて内水氾濫が発生する可能性があ
る地域を評価した。本研究で用いた方法は、内水氾濫、特に本研究で対象とした局所的な
内水氾濫に、現行のハザードマップが対応しきれないという欠点を補う方法であると言え
る。このような評価は、シミュレーションによるハザードマップほど確定的な評価とはな
らないことから、行政が政策を決定する際に使用することは難しい。現行の大規模な内水
氾濫を想定したマップとともに、相互補完的に使用されるべきでものある。
しかしながら、一般市民に対する防災教育の面からは、シミュレーションについて理解
するよりも、浸水実績と地形・地理的特性から危険性を評価する方がより分かりやすいと
考えられる。本研究で取りあげた地形・地理的特性の各項目は、目でみて確認することが
できるものがほとんどであり、実際に浸水があった箇所ないし自身の居住地におけるこれ
らの特性を把握することから防災教育を展開することは、有効であると考えられる。
参考文献・参考 URL
気象庁(2011)
:
「気候変動監視レポート 2010」気象庁,97p.
政府統計の総合窓口「平成 21 年水害統計調査」
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020101.do?_toGL08020101_&tstatCode=000
001042338&requestSender=search(参照:2012.2.9)
村林信鷹・豊田政史・大上俊之・鵜飼尚弘・吉澤孝和(2010):長野市街地における内水
氾濫データと降水特性および地形情報からみた内水氾濫危険区域の抽出.安全問題研究
論文集,第 5 巻,79-84.