レールの上を歩く人生 - メディアシステム株式会社

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レールの上を歩く人生
[母が敷こうとしたレール]
「もう二度と勉強なんか、しない」。
中学1年生のときに、僕はそう固く誓いました。
いかにも子どもっぽい誓いですが、これが13歳の僕にできる、精一杯の母への抵抗でした。
僕は4歳で父を亡くしました。以来、ずっと母ひとり子ひとり。
父親がいないことで、なおさらだったのでしょう。
母はとにかく僕を厳しく育てようとしました。
旧大蔵省国税局の官僚だった父をいつも引き合いに出し、お父さんのように立派になれ。
そのためにも一生懸命に勉強しろと言います。
確かに父は優秀な人間で、あだ名が「コンピュータ」。
一度聞けば何でも完ぺきに覚える。
母にとっては自慢の夫だったのでしょう。
一方の僕はといえば、あだ名は「ゴテ」。
大阪弁の“ごてる(=ごねる)”をもじったもので、近所でも評判の悪ガキでした。
1週間で5台も三輪車をなくしたり、マンションの通路の手すりに登ったり……。
だからこそ、母は余計に僕を矯正しようとやっきでした。
悪さをすればふとん叩きで容赦なく殴る。
本物のお灸を据えてお仕置きする。
素っ裸でおもてに放り出されたこともありました。
母は働いていたので、日中は僕を監視することができません。
そこで彼女はお金で僕を操縦しようともしました。
テストで100点をとったら1万円、80点以上なら1000円のお小遣い。
今から30数年前、大卒初任給が5∼6万円の時代です。
参考書を買うといえば1000円。お釣りはぜんぶお小遣いです。
当然、ページを開いたこともない参考書が本棚にズラリと並ぶことになりました。
そんなふうに、母はあの手この手を使い、なんとか思い通りの方向に息子を歩かせようとしました。
文字通り、朝起きてから夜眠るまで、僕の生活には細かいルールがびっしりと決められ、
いくらイヤだと言っても彼女は絶対に耳を傾けてくれませんでした。
そして、中学生となった僕は誓いました。
もう二度と勉強はしない、と。
少し大人になった僕からの、母への復讐。
僕は彼女が最も悲しむことを選択したのです。
[レールを歩かされる自分が、最も不幸である]
勉強をしないと決めた後は、もうお定まりのコースです。
成績は転げ落ち、入った高校は地元でも札付き。
そこで仲間とつるんで悪さをして、警察に補導されたことも一度や二度ではありません。
高校は留年を2回、結局は中退をしました。
高校を退学した後は、家出をして探偵になろうと決めました。
当時、松田優作が主演した探偵物語が大人気。単純な動機です。
しかし、そうは言っても生活の手段がありません。
住み込みの探偵事務所などあるわけもなく、
とりあえず中華料理屋に住み込んでお金をためて、それから探偵になって──。
その程度が当時、僕の考えられる限界でした。
いよいよ明日家出だというとき、おじがひょっこり訪ねてきました。
一緒にメシを食おうと誘います。何でもご馳走する。
そう言われては、ついて行かないわけにはいきません。
しかし、連れて行かれた先は何と自衛隊の入隊試験会場。
あれよという間に学力テストと身体検査です。
探偵になるつもりだった僕は、当然ながら自衛隊などまっぴらご免。
しかしその夜、東京や鹿児島から続々と親戚が集まり、車座で僕を囲んでの説得が始まりました。
母には泣きながら懇願され、親戚からは脅され、なだめすかされ、
結局は除隊後にクルマでも何でも好きなモノを買ってもらうという条件でしぶしぶ承知させられました。
すぐに辞めてやろうと思って入った自衛隊でした。
しかし、そこで僕は人生観が大きく変わる体験をします。
所属した部隊には、その名を聞いたら誰もが震え上がるような班長がいました。
しかし、なぜか彼は僕をえこひいきしてほめるのです。
隊員が大勢いる前で、安田は優秀なんだぞ、できるやつなんだぞ、と声高に言います。
恥ずかしいのでやめてほしいのですが、そう言われた手前、頑張らないわけにはいきません。
訓練に精を出し、おかげで成績はトップ。
外国製のロケットランチャーが初めて自衛隊に導入されたときに、
隊員18万人から選ばれた12名に名を連ねたこともありました。
その班長が僕の何を買ってくれたのかわかりません。
しかし、ほめられながら、伸び伸び自由にやる。
そんな経験は、母に縛られ続けていた僕の人生にはなかったものでした。
そして、その喜びを味わったことで、自分を客観的に見る視点が持てたように思います。
自分にとって敷かれたレールの上を歩かされること。
それが、最も不幸な状態であることにはっきりと気づきました。
[社員が自由意思で、同じ方向へと歩む]
僕はある仮説を作ったことがあります。
それは、成功が確約されたプログラムです。
20年間、一定のルールのもとに暮らしていければ
20億円をもらうことができます。
しかし、そのルールは生活の細部に渡って決められています。
起床の時間、朝食の時間、朝食のメニュー、食べる順番、食べ終わる時間……
生活のひとつひとつが20年先まで細かく決められているのです。
果たして、やろうという人はいるでしょうか?
僕はこれまで多くの人に同じ質問をしていますが、やると言った人はまだひとりも現れていません。
20億円の成功が確約されているにも関わらず、です。
その理由を考えたとき、僕が出した答えは
「自分である理由がそこに見いだせないから」。
つまり、決められたプログラムがあり、そこに従うだけの人生なら自分である必要がないのです。
そうした状況に、人の精神は絶対に耐えられないのです。
そんな仮説は極端すぎるし、非現実的だ。
そう思われるかもしれません。
しかし、実は多くの企業でこれと似たようなことが行われているのではないでしょうか。
大企業であればあるほど、過去の積み重ねから事細かにルールが決められ、それを強要しています。
そうやって、まるでロボットのような社員を量産している。
経営には「利益をあげる」という絶対的な「正しさ」があります。
しかし、その正しさゆえに社員に決まったレールを歩かせようとする。
これが圧倒的な現実なのです。
かつて、母が僕に彼女なりの正しいレールを歩かせようとしたように──。
でも、やっぱり僕はそれには異を唱えたい。
自由意思のもとに生きる。
これが人としての最も幸せな状態であることに、誰も反論はしないはずです。
それを踏みにじる権利は経営者にだってありません。
そもそも社員の生き甲斐をなくしてまで存続させる会社に、
果たしてどれほどの意味があるのでしょうか。
世界一命令の少ない会社。
今、メディアシステムはそう公言しています。
すべて相談を前提とする。
どの社員にも権限を認める。
事実、こうすることで社員同士が尊敬し合える状況が生まれ、
さらには経営者である僕自身も大きく助けられています。
レールを敷かないことは、たくさんの人を幸せにすることだ。
そう実感しています。
メディアシステムを率いる立場として、僕が目指しているゴールはこんな姿です。
そこにレールはない。
けれど、まるでレールがあるかのごとく、
ひとりひとりの社員が自由意思にもとづいて、同じ方向へと歩む。
その状態の中で、社員の生き甲斐と会社の経営が、
高い次元で両立している──。
レールを敷かない会社。
メディアシステムがその新しい成功モデルとなるよう、
今その歩みを少しずつ進めているところです。
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