オリー伯爵 - 日本ロッシーニ協会

《オリー伯爵》 作品解説
水谷 彰良
初出は『ロッシニアーナ』
(日本ロッシーニ協会紀要)第 8 号(1997 年発行)の拙稿「ロッシーニ全作品事典(2)
《オリー伯爵》」
。増補改訂した新版を HP に掲載します。
(2011 年 4 月改訂、2014 年 5 月再改訂)
I-38 オリー伯爵 Le Comte Ory
劇区分
2 幕のオペラ(opéra en deux actes)1
第 1 幕:全 9 景、第 2 幕:全 11 景、フランス語
ウジェーヌ・スクリーブ(Eugène Scribe,1791-1861)及びシャルル=ガスパール・ドレストル=ポワルソン
台本
(Charles-Gaspard Delestre-Poirson [本名オギュスト=シモン=ジャン=クリゾストム・ポワルソン Auguste-SimonJean-Chrysostome Poirson],1790-1859)。
原作
ピエール=アントワーヌ・ド・ラ・プラス(Pierre-Antoine de La Place,1707-93)が伝述したピカルディ地方
の古伝説(バラード形式、楽譜付。1785 年出版)に基いて、前記スクリーブとドレストル=ポワルソンが共作
した1幕のヴォードヴィル《オリー伯爵(Le Comte Ory)》
(1816 年 12 月 16 日パリのヴォードヴィル座初演。
このヴォードヴィル台本はオペラの第 2 幕に使用され、第 1 幕は二人の台本作者によって新たに書き下ろされる。解説
参照)。
作曲年
1828 年 6 月~7 月頃、パリ(筆者による推定。7 月には出版社に全曲の楽譜が渡されていた可能性がある。旧作
《ランスへの旅》(1825 年)からの転用については解説参照)
初演
1828 年 8 月 20 日(水曜日)、パリ、オペラ座(Opéra)
[王立音楽アカデミー劇場(Théâtre de l’Académie Royale
de Musique)/サル・ル・ペルティエ(Salle Le Peletier)
]
人物
①オリー伯爵 Le Comte Ory(テノール)……封建領主の息子でドン・フアン型の放蕩者
②教育係 Le Gouverneur(バス)……オリー伯爵の教師兼お目付役
③イゾリエ Isolier(メッゾソプラノ)……オリー伯爵の小姓
④ランボーRaimbaud(バリトン)……オリー伯爵の腹心の騎士
⑤フォルムティエの伯爵夫人[女伯爵]La Comtesse de Formoutiers[アデル伯爵夫人 La Comtesse Adèle](ソ
プラノ)……フォルムティエの女城主(註:パレスチナに十字軍遠征に行った兄弟の代わりに城を守っている女
伯爵。便宜上「Comtesse」の訳語を「伯爵夫人」とする。
)
⑥ラゴンド Ragonde[ラゴンド夫人 Dame Ragonde](メッゾソプラノ)……フォルムティエ城の侍女頭2
⑦アリス Alice(ソプラノ)……百姓娘
他に、オリー伯爵の仲間の騎士、従者、十字軍の騎士、農夫、伯爵夫人の侍女たち(合唱)
初演者
①アドルフ・ヌリ(Adolphe Nourrit,1802-39)
②ニコラ=プロスペル・ルヴァスール(Nicolas-Prosper Levasseur,1791-1871)
③コンスタンス・ジャヴュレク(Constance Jawureck,1803-58)
④アンリ=ベルナール・ダバディ(Henri-Bernard Dabadie,1797-1853)
⑤ロール・サンティ=ダモロー(Laure Cinti [Cinthie]-Damoreau,1801-63)
⑥モリ嬢(Mlle Mori,?-?)
⑦不詳
1 ピッコロ、2 フルート、2 オーボエ、2 クラリネット、2 ファゴット、4 ホルン、2 トランペット、3
管弦楽
トロンボーン、ティンパニ、大太鼓、シンバル、トライアングル、弦楽 5 部
演奏時間
第 1 幕:約 70 分、第 2 幕:約 65 分
自筆楽譜 (《ランスへの旅》からの転用が多く、全曲の纏まった自筆楽譜は存在しない)
オペラ座図書館、パリ(序奏部の自筆総譜とロッシーニ補筆の手写譜)
王立音楽院ミショット文庫、ブリュッセル(第 2 幕三重唱の下書き)
初版楽譜
初版楽譜
全集版
Troupenas,Paris,1828.(ピアノ伴奏譜及び総譜)
I-38(未成立。ダミアン・コラス校訂の新批判校訂版については本稿末尾の付記を参照されたい)
1
楽曲構成
楽曲構成(自筆楽譜消失のため確定しない。以下の区分は 2003 年ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル上演プログラムと
別記ピアノ伴奏譜初版を参照して筆者が独自に纏めた)3
第1幕
N.1 導入曲(Introduction)〈娘さん、早くいらっしゃい Jouvencelles, venez vite〉(アリス、ラゴンド夫人、ランボ
ー、オリー伯爵、合唱)
以下、次の部分が含まれる。
オリーのカヴァティーヌ〈恵まれし運命が Que les destins prospères〉
(オリー伯爵)
レシタティフと合唱〈あなた様のところへ参ります Je viens à vous!〉(ラゴンド夫人、オリー伯爵、合唱)
四重唱と合唱〈私がお願いします Moi je réclame〉(農民、オリー伯爵、アリス、ラゴンド夫人、ランボー、合唱)
─ 導入曲の後のレシタティフと合唱〈どうか、もう一言 De grâce, encore un mot〉
(ラゴンド夫人、オリー、合唱)
N.2 教育係のエール〈絶えず気を使って Veiller sans cesse〉(教育係、女声合唱)
─ エールの後のレシタティフ〈その隠者には、娘よ Cet ermite, ma belle
初版楽譜における楽曲区分
第1幕
enfant〉(教育係、アリス、イゾリエ、オリー)
N.3 イゾリエとオリー伯爵の二重唱〈一人の高貴な夫人が Une dame de haut
N.1
parage〉(イゾリエ、オリー伯爵)
導入曲
カヴァティーヌ
─ 二重唱の後の行進曲とレシタティフ〈こんな所にイゾリエが!Isolier dans
レシタティフと合唱
ces lieux!〉(伯爵夫人、イゾリエ、オリー)
四重唱と合唱
N.4 伯爵夫人のエール〈悲しみの餌食となり En proie à la tristesse〉(伯爵夫人、
レシタティフと合唱
N.2
エールと合唱
イゾリエ、オリー伯爵、合唱)
─ エールの後のレシタティフと合唱〈うまく行った。僕は満足です C’est bien,
je suis content〉(イゾリエ、オリー伯爵、伯爵夫人、隠者、ランボー、オリーの従
レシタティフ
N.3
二重唱
行進曲とレシタティ
者たち、合唱)
N.5 第 1 幕フィナーレ[フィナル]〈驚いた! ああ、恐ろしい! ああ、なんと悲
痛な!Ciel! ô terreur! ô peine extrême!〉
(伯爵夫人、イゾリエ、アリス、ラゴン
フ
N.4
エールと合唱
レシタティフと合唱
ド夫人、オリー伯爵、ランボー、教育係、合唱)
N.5
第2幕
N.6 導入曲〈この静かで穏やかな住まいで Dans ce séjour calme et tranquille〉
(伯爵夫人、ラゴンド夫人、オリー伯爵、ランボー、教育係、女声合唱)
フィナル
第2幕
N.6
導入曲
以下、次の部分が含まれる。
四重唱
四重唱〈高貴な女城主さま Noble châtelaine〉(舞台裏の声、伯爵夫人、侍女たち)
レシタティフ
─ 導入曲の後のレシタティフ〈いつ彼の上に神罰がくだるのか?Quand
tomberont sur lui les vengeances divines?〉(ラゴンド夫人、伯爵夫人)
N.7 伯爵夫人とオリー伯爵の二重唱〈ああ、どれほどの敬愛を Ah quel respect,
Madame〉(オリー伯爵、伯爵夫人)
─ 二重唱の後のレシタティフ〈信心深いお仲間たちですこと Voici vos compagnes fidèes〉(伯爵夫人、オリー伯爵)
N.8 合唱〈ああ! 何て素晴らしい遊びだ Ah la bonne folie!〉
(オリー伯爵、教育係、
N.7
二重唱
レシタティフ
N.8
合唱
レシタティフ
N.9
エールと合唱
N.10
合唱
レシタティフと合唱
従者たち)
─ 合唱の後のレシタティフ〈冒険は素敵だ L'aventure est jolie〉
(オリー伯爵、
N.11
三重唱
レシタティフ
教育係、ランボー、合唱)
N.9 ランボーのエール〈この人けのない場所には Dans ce lieu solitaire〉
(ランボ
N.12
フィナル
ー、オリー伯爵、合唱)
N.10 合唱〈飲もう、早く飲もう Buvons, buvons soudain〉(オリー伯爵、教育係、ランボー、従者たち、合唱)
─ 合唱の後のレシタティフと合唱〈彼女がまたやって来た、静かに!Elle revient,silence!〉(オリー伯爵、伯爵
夫人、ラゴンド夫人、イゾリエ、女たち)
N.11 三重唱〈この暗い夜の助けで A la faveur de cette nuit obscure》(オリー伯爵、イゾリエ、伯爵夫人)
─ 三重唱の後のレシタティフ〈ああ、この音は何だ?Oh ciel! quel est ce bruit?〉(オリー伯爵、イゾリエ、伯爵
夫人)
N.12 第 2 幕フィナーレ[フィナル]
〈この勝利の歌をお聞きなさい Ecoutez ces chants de victoire〉
(伯爵夫人、イ
ゾリエ、ラゴンド夫人、オリー伯爵、ランボー、教育係、合唱)
2
物語 (時と場所:中世のトゥレーヌ)4
【第 1 幕】
フォルムティエ城の城下(十字軍に参加した騎士たちが帰るまで、城内は男子禁制とされている)。マントで騎士の服
を隠したランボーが農民たちへ隠者の到来をふれ歩き、これを聞いたラゴンド夫人はアデル伯爵夫人ともども悩
みを聞いてもらいたいと願う。そこへ隠者に変装したオリー伯爵が現れ、悩める御婦人方は私のもとへおいでな
さい、と呼びかける。人々に立派な隠者であると印象づけたオリーは、伯爵夫人を相談によこすよう命じる(N.1
導入曲)。
主人を探す教育係と小姓イゾリエがやって来る。教育係は身勝手な主人に仕える不幸を嘆く(N.2 エール)が、
人々とのやりとりを通じて隠者が自分の主人ではないかと疑い始める。一方、伯爵夫人に恋するイゾリエは思い
のたけを隠者へ打ち明け、女巡礼に変装して城に忍び込む計画を漏らしてしまう。オリーはそのアイディアを頂
戴しようとほくそ笑む(N.3 イゾリエとオリーの二重唱)。
アデル伯爵夫人が登場、若いみそらで独身の誓いをたてた私はどうすれば安らぎを得られるのでしょう、と切々
と訴える(N.4 伯爵夫人のエール)。隠者から「恋をしなさい。恋の炎が貴女を蘇らせるのです」と言われ、彼女の
中にイゾリエへの愛がこみあげてくる。が、すぐに隠者はイゾリエがオリー伯爵の小姓で危険人物だと耳打ちす
る。詳しいことは城の中で、と誘い込もうとしたとき、教育係が隠者の正体を見破ってしまう。
「左様、私が伯爵
だ!」と名乗りをあげるオリー。一同驚きの声をあげ、恐れおののいているところへ、十字軍が勝利し二日後に
帰還するという知らせが届く。女たちが狂喜する一方、オリーは「まだ一日ある。その間に一計を案じて思いを
遂げてやる」と、再び闘志を燃やす(N.5 第 1 幕フィナーレ[フィナル])。
【第 2 幕】
舞台は城内のアデル伯爵夫人の部屋。伯爵夫人と侍女たちがオリーの悪巧みを思い出して腹をたてている。不
意に嵐が巻き起こり、雷鳴が響く。皆が不安にかられていると、一夜の宿をもとめる巡礼の合唱が聞こえてくる。
ラゴンド夫人は女巡礼たちが伯爵の迫害を逃れてきたと誤解して客間に通してしまう。しかし、それは変装した
オリーの一行 14 人なのだった(N.6 導入曲)。
女巡礼の代表が礼を言いたいというので、伯爵夫人は彼女(変装したオリー)と二人きりになる。遠回しに熱い
思いを語って口づけを求めるオリーに、伯爵夫人はとまどう(N.7 伯爵夫人とオリーの二重唱)。伯爵夫人が退場す
ると、食事に呼ばれた女巡礼の一団(教育係を含むオリーの従者)が浮かれ騒ぐ(N.8 合唱)。牛乳と果物だけの精進
食に「ワインがないぞ!」と騒ぎだしたとき、ランボーが酒瓶を手に現れる。彼は城内を一人で探索してワイン
庫を発見した経緯を自慢げに語り(N.9 ランボーのエール)、オリーたちは大喜びで酒盛りを始める(N.10 合唱)。
伯爵夫人がやって来て就寝の時間を告げるので、贋巡礼の一行はしずしずと引き下がる。入れ替わりに女たち
がイゾリエを伴ってやって来る。彼は十字軍が予定より早く真夜中に帰還すると報せに来たのである。だが保護
された女巡礼の話を聞くと、それがオリー伯爵と従者たちであると教える。夫の帰りを喜んでいた女たちは怯え
て立ち去ってしまう。イゾリエは「私が命をかけて貴女をお守りします」と言い、伯爵夫人のヴェールを使って
彼女になりすます。
夜の闇にまぎれてオリーが現れる。彼は自分の正体がばれているとは知らずにイゾリエを伯爵夫人と信じて迫
り、求愛する(N.11 三重唱)。と、そこにラッパの音が聞こえ、十字軍の到着を告げる。安心したイゾリエはヴェ
ールを脱ぎ去り、
「ご主人様、退却の時がきました」と勧告する。オリーは自分の敗北を悟り、小姓にしてやられ
たと怒るが、すべてはあとの祭り。行進曲の音楽で伯爵夫人の勝利と十字軍の帰還が祝われ、オペラの幕が下り
る(N.12 第 2 幕フィナーレ[フィナル])。
解説
【作品の成立】
パリへ移住したロッシーニは 1825 年から年1作のペースでオペラを発表し続けていた。旧作のフランス語改
作(《コリントの包囲》1826 年、《モイーズとファラオン》1827 年)が成功を収めると、パリの聴衆とオペラ座は書き
下ろしのフランス・オペラを求め、ロッシーニもこれに同意した。題材に選ばれたのはシラーの『ヴィルヘルム・
テル』で、これは後に《ギヨーム・テル》
(1829 年)として成立するが、ボローニャに残した母の死(1827 年 2 月
20 日)の悲しみから立ち直れずにいたロッシーニは、つなぎとして 3 年前に初演した《ランスへの旅》
(1825 年)
を再使用して別な作品を書くことを思い立った。
《ランスへの旅》は新王シャルル十世の戴冠を祝うカンタータと
して 4 回上演されただけで、お蔵入りとしていたのだった。
台本に選ばれたのは、ウジェーヌ・スクリーブ(Eugène Scribe,1791-1861)とシャルル=ガスパール・ドレスト
3
ル=ポワルソン(Charles-Gaspard Delestre-Poirson,1790-1859)の共作による1幕のヴォードヴィル(vaudeville[歌
芝居])
《オリー伯爵(Le Comte Ory)》である。この作品は 1816 年 12 月 16 日にパリのヴォードヴィル座で初演
され、成功を収めたが、音楽はモーツァルトやボワエルデューのものを用いていた。物語の基になっているのは
ピエール=アントワーヌ・ド・ラ・プラス(Pierre-Antoine de La Place,1707-93)が伝述し
たピカルディ地方の古伝説(バラード形式、楽譜付。1785 年出版)で、十字軍時代に実在し
たオリー伯爵が 14 人の騎士と共に修道士に変装してフォルムティエの尼僧院へ侵入し
て女たちを誘惑し、9 ヵ月後に尼僧全員が騎士の赤子を生むという哄笑譚である。スク
リーブはこれを舞台化するに際して設定を尼僧院から男子禁制の城に変え、結末も誘惑
の失敗に変更した。ロッシーニはヴォードヴィル台本を自分のオペラの第 2 幕に採用す
ることに決め、スクリーブに新たに第 1 幕を書き下ろすよう求めた。この部分には《ラ
ンスへの旅》の楽曲転用が決まっていたので、スクリーブはテキストを書くだけでなく
詩句を音楽に合致させるやっかいな仕事も託されたが、彼は再び協力者にドレストル=
ウジェーヌ・スクリーブ
ポワルソンを得てこれを行った。
スクリーブは生涯に 425 に及ぶ膨大な台本──音楽劇の内訳はヴォードヴィル 249、オペラ・コミーク 94、喜
劇 32、オペラ 30──5を書いた才人であるが、既存の音楽に新たな歌詞を書く作業に苦慮し、オペラ座筆頭テノ
ール歌手でオリー伯爵に予定されたアドルフ・ヌリの助けを借りてこれを行った。後にロッシーニと交友のある
伝記作者アゼヴェードは、これに関してヌリが大きな役割を果たしたとし、さらに「スクリーブとドレストルが
楽曲にフランス語の歌詞を与え、第 1 幕の台本執筆に 2 ヶ月かけている間に、ロッシーニは 15 日間で第 2 幕[の
作曲]を終えた」と記している6。
ロッシーニは父に宛てた 5 月 28 日付の手紙に、プティ=ブール(Petit-Bourg)に向けて旅立つと記している7。
そこには友人の銀行家アグアードの所有する城があり、この滞在中に《オリー伯爵》の一部を作曲したといわれ
るが、これを裏付ける資料は存在しない。この作品に関して最初に言及した資料は、1828 年 6 月 30 日付の王家
の芸術省(Maison du Roi. Département des Beaux Arts)の文書である8。そこには上演予定の作品として《ギヨーム・
テル》が挙げられ、進行中の《ギヨーム・テル》の企画に割り込む形で《オリー伯爵》が浮上したということが
判る9。7 月 14 日と 15 日付の同省文書では、新作オペラ《オリー伯爵》の舞台用に衣装と装置のデッサンを委員
会で検討する必要があると述べられている10。しかし、これ以後、8 月 20 日に初演を迎えるまでの経緯や作曲過
程を詳らかにするドキュメントは残されていない。
【特色】
《オリー伯爵》には独立した序曲が無く、ロッシーニは《ランスへの旅》から転用した導入曲の冒頭に短い序
奏(ニ長調、4/4 拍子、アレグロ~モデラート~アレグロ~モデラート)を追加したが、総奏の華やかな音楽の旋律は
原作のバラードから採られ、第 3 曲と第 8 曲にも断片的に現れる。ロッシーニが新曲として書き下ろしたのは導
入曲(N.1)に追加した序奏、イゾリエとオリー伯爵の二重唱(N.3)、第 2 幕の導入曲(N.6)、2 曲の合唱(N.8 と
N.10)、オリー伯爵、イゾリエ、伯爵夫人の三重唱(N.11)、第 2 幕フィナーレ(N.12 フィナル)で、楽曲を繋ぐレ
シタティフもロッシーニ自身の作曲と思われる。
《ランスへの旅》からの転用曲は、次のとおりであるが、ドラマ
や歌手に合わせた改変が施されている。
N.1 導入曲──追加した前奏曲以外は《ランスへの旅》N.1 導入曲
N.2 エール──中央部とカバレッタは《ランスへの旅》N.4 シドニー卿のアリア
N.4 エール──《ランスへの旅》N.2 伯爵夫人のアリア
N.5 フィナル[I]──《ランスへの旅》N.7 グラン・ペッツォ・コンチェルタート
N.7 二重唱──《ランスへの旅》N.5 コリンナとベルフィオーレの二重唱
N.9 エール──《ランスへの旅》N.6 ドン・プロフォンドのアリア
このように、
《オリー伯爵》は《ランスへの旅》の改作転用と第三者の協力を得て誕生したが、ロッシーニはあ
らかじめ全体の楽曲プランを立てて新曲部分を書き下ろしたため、転用曲が半分近くあるにもかかわらず音楽的
な統一は取れている。転用部分もドラマの内容やシーンの性格に即して変更されているため、
《オリー伯爵》はパ
スティッチョではなく、純然たる新作と位置づけられる。
パリ・オペラ座の卓越した歌手と管弦楽のために書かれた《オリー伯爵》は、フランスの伝統的なオペラ・コ
ミークの約束事をすべて無視している。台詞での対話を使わず、単純な形式のロマンスやクープレの代わりに技
巧的なアリアとアンサンブルを与え、
《ギヨーム・テル》
に匹敵する大規模で雄弁な管弦楽が劇全体を支えている。
4
要するに、グランド・スタイルでの最初のコミック・オペラがこの
《オリー伯爵》なのである。だが、従来の作品との根本的な違いは
作劇の理念と方法論にある。この作品には低級な笑いやくすぐりは
一切ない。ロッシーニが過去のブッファで起用した滑稽役(例えば
ドン・マニーフィコやムスタファ)に相当する人物も一人もいない。あ
るのはオペラ全体にみなぎるエスプリとラブレー的な生命の躍動、
エネルギーの持続である。筋を追いながら劇を対象化して見せるの
ではなく、音楽の根源的な力で観客を祝祭へ引きずり込み、声の饗
宴に酔い痴れさせること──これが《ランスへの旅》と《オリー伯
爵》の唯一の目的にして存在意義であり、オペラの天才ロッシーニ
《オリー伯爵》初演の舞台衣装
が辿り着いた究極の境地にほかならない。
それゆえドラマ的には単純きわまりない。というより、物語としてほとんど体をなさないと言ってよい。第 1
幕はオリー伯爵が隠者に扮して女伯爵アデルの誘惑を試みて失敗、第 2 幕は仲間と共に女巡礼に変装して城に忍
び込んだオリーが夜這いに失敗する──それだけである。快楽への希求と衝動だけが行動原理の主人公。女たち
も表向き誘惑を拒んでいるが、奥底では男を求めてフェロモンを出し続けている。台本作者が結末を変えたため
主人公の計画は頓挫するが、原作では伯爵と騎士たちが尼僧全員に子種を授けてしまう。ボッカッチョの『デカ
メロン』に出てきそうな、あっけらかんとした夜這い話なのである。オペラ史上、最も無内容で馬鹿げた筋書き
と言って良いだろう。
だが、音楽はどこをとっても超一級品である。導入曲〈娘さん、早くいらっしゃい(Jouvencelles, venez vite)〉
(第 1 曲)に含まれるオリー登場のカヴァティーヌ〈恵まれし運命が(Que les destins prospères)〉
、教育係のエー
(第 2 曲)、
伯爵夫人のエール〈悲しみの餌食となり(En proie à la tristesse)〉
ル〈絶えず気を使って(Veiller sans cesse)〉
(第 4 曲)、さらに第 1 幕フィナル〈驚いた! ああ、恐ろしい! ああ、なんと悲痛な!(Ciel! ô terreur! ô peine
extrême!)〉
(第 5 曲)と第 2 幕の伯爵夫人とオリー伯爵の二重唱〈ああ、どれほ
どの敬愛を(Ah quel respect, Madame)〉
(第 7 曲)は《ランスへの旅》からの歴
然たる転用とあって当然としても、他の書き下ろしの楽曲はこれを上回る魅力
と芸術性を備えている。第 2 幕導入曲〈この静かで穏やかな住まいで(Dans ce
séjour calme et tranquille)〉
(第 6 曲)は、美しい女声合唱と二重唱に激しい嵐の
音楽も交えてドラマの展開が目覚しく、
《ランスへの旅》ドン・プロフォンドの
アリアを改作したランボーのエール(第 9 曲)を挟んだ二つの合唱〈ああ、何て
素晴らしい遊びだ!(Ah la bonne folie!)〉
(第 8 曲)と
〈飲もう、早く飲もう(Buvons,
buvons soudain)〉
(第 10 曲)の陽気さも特筆に値する。白眉はオリー伯爵のソロ
で始まり伯爵夫人とイゾリエを交えた官能的な三重唱〈この暗い夜の助けで(A
(第 11 曲)で、その高い芸術性にベルリオーズも
la faveur de cette nuit obscure)〉
絶賛を惜しまなかった。ちなみに《ランスへの旅》の優れた楽曲を転用して構
成したことは同時代のフランスの音楽新聞で報じられ、イタリアでもその事実
の知られていたことがジョヴァンニ・リコルディの書簡で確かめられる(ジョ
《オリー伯爵》初版楽譜のタイトル頁
(パリ、1828 年。筆者所蔵)
ヴァンニ・モランディ宛、1828 年 12 月 10 日)11。
オペラの目的はドラマにあり音楽は手段にすぎないとの演劇理論は、この作品で完全に転倒させられてしまっ
た。ロッシーニはオペラをドラマの呪縛から解き放ち、音楽の絶対支配に委ねようとした。煽情的な音楽と声の
もたらす麻薬的恍惚で官能を解放し、生と性の喜びをうたいあげること──これが物語や結末とは関係なく、作
曲者が《オリー伯爵》で行ったすべてである。これもまた人間とオペラに対するロッシーニの洞察の帰結であり、
一種の革命といえよう。だが、後継者はいなかった。ドラマの復権を掲げるロマン派の芸術家たちは、実は最も
奥深いところで自分たちの精神と通底するはずの《オリー伯爵》の先見性を無視し、ロッシーニが歌唱の名人芸
と造花的音楽でオペラを堕落させたと非難したのである。
【上演史】
初演は 1828 年 8 月 20 日、パリの王立音楽アカデミー劇場(オペラ座。サル・ル・ペルティエ)で行われ、大成
功を収めた。歌手は全員パリ・オペラ座の第一線のメンバーで、イゾリエ役のジャヴュレクを除く 4 人(サンテ
ィ=ダモロー、ヌリ、ルヴァスール、ダバディ)は前作《モイーズとファラオン》の初演歌手で、サンティ=ダモロー
は《ランスへの旅》のフォルヴィル伯爵夫人、ルヴァスールはドン・アルヴァーロを創唱している。
5
フランス人は《オリー伯爵》をフランス語の完璧な音楽化と認め、自分たちの文化伝統を受け継ぐ作品と讃え
た(このオペラにラブレーの精神を認めたのは、パリの初演批評である)。後年エスキュディエは次のように称えている
──「《オリー伯爵》が上演された夕べは本当に素晴らしかった。観客の頭はワインの酩酊で燃えあがり、熱烈な
喝采を惜しまなかった。音楽には新しいスタイルと斬新な切り口があり、聴き手をシャンパンの泡のように沸き
立たせた。
(中略)ロッシーニは私たちの言語のエスプリを巧みに織り込んだだけでなく、言葉で表現しうる以上
のエスプリを音楽で表してみせた」
(エスキュディエ兄弟『ロッシーニ、生涯と作品』1854 年)12。この作品の版権は、
パリのトゥルプナ社によって前作《モイーズとファラオン》の 8 倍に当たる金額の 2 万フランで買い取られ13、
ピアノ伴奏譜と総譜が出版された。
初演翌年(1829 年)にはベルリーン(2 月 11 日、独語)、リエージュ(2 月 27 日、仏語)、ロンドン(2 月 28 日キン
グズ劇場、伊語)、グラーツ(3 月 30 日、独語)、アントワープ(3 月 17 日、仏語)
、ヴェネツィア(7 月 2 日サン・ベネ
デット劇場、伊語)
、ブダペスト(8 月 8 日、独語)、ブリュッセル(8 月 24 日、仏語)、プラハ(10 月 24 日、独語)、ヴ
ィーン(11 月 3 日、独語)、1830 年にはワルシャワ(3 月 27 日、ポーランド語)、ミラーノ(5 月 10 日、伊語)、バル
セロナ(7 月 1 日、伊語)、ローマ(10 月 11 日、伊語)、ニューオリンズ (12 月 16 日オルレアン劇場 [アメリカ初演])
──と、ものすごい勢いで欧米諸国に普及し、1831 年にはニューヨーク(8 月 22 日、仏語)、1833 年にはメキシ
コ(伊語)、1838 年にはロシアでも上演をみた。イタリアでは音楽がフランス的で、内容が下品すぎるとして不
評だったが、その分フランスでの人気は高く、オペラ座では初演から 3 年後の 1831 年 7 月 25 日に 100 回公演
を達成、1884 年 1 月 18 日の 434 回目(部分上演も含む)を最後にレパートリーから外された。
近代の復活には指揮者ヴィットーリオ・グイが深く係わり、1947 年ローマ(10 月 25 日 RAI ホール、伊語)に続
いて 1952 年フィレンツェ五月祭(5 月 10 日と 13 日ペルゴラ劇場、伊語)、
1954 年ヴェネツィア(2 月 25 日フェニーチェ劇場、伊語)で採り上げ、
さらにオリジナル・フランス語の復活上演(1954 年 8 月 22 日、エディ
ンバラのキングズ劇場)もグイが指揮している。ペーザロの ROF(ロッ
シーニ・オペラ・フェスティヴァル)における初上演は 1984 年 9 月 7 日
ロッシーニ劇場にて行われた(演出:ピエル・ルイージ・ピッツィ、指揮:
ドナート・レンツェッティ、オリー:ロックウェル・ブレイク、アデル:チェ
チーリア・ガスディア)。日本初演は東京オペラ・プロデュースが 1976
年 6 月に邦語で行い(東京郵便貯金ホール、尾高忠明指揮、佐藤信演出)、
原語初演も同団体が 1997 年 9 月 17 日に行った(北とぴあ・さくらホー
1984 年(左)、2003 年(右)
ル、エンリーケ・マッツォーラ指揮、松尾洋演出)。
ROF プログラム(筆者所蔵)
近年の重要上演にフローレスが主演した 2003 年 ROF(ルイス・パスクワル演出。下記 CD)、配役を変えての 2009
年 ROF 再演(下記 DVD)、フローレス主演のメトロポリタン歌劇場上演(下記 DVD)、バルトリがアデル役を演じ、
新批判校訂版を初使用して伴奏にピリオド楽器のオーケストラを用いた 2011 年チューリヒ歌劇場上演(下記 DVD。
《オリー伯爵》の真価は完全に認められたと言って
新批判校訂版については付記参照)がある。一連の上演により、
良いだろう。
◎付記:オペラ座初演上演譜に基づく批判校訂版について
付記:オペラ座初演上演譜に基づく批判校訂版について
2011 年チューリヒ歌劇場の上演に際して作られたのが、ダミアン・コラス(Damien Colas)校訂《オリー伯爵》
新批判校訂版である(上演初日は 1 月 23 日)。これは 1828 年パリ・オペラ座初演用の上演譜に基づく新たなエデ
ィションで、稽古中のカットや変更が復活させられている。とりわけ重要なのが第 1 幕フィナーレにおける 13
人のソリスト起用(従来版は 7 人)と第 2 幕フィナーレのカット復活であるが、他にもさまざまな違いがある。以
下、これに関するフィリップ・ゴセットの論考(ダミアン・コラスの校註に基づく)から要点を示す14。
【第 1 幕】
N.1 導入曲
1-170 小節はロッシーニの自筆楽譜に基づき構造上の変更は無い。このシーンではランボーも伯爵と同様に変
装しており、ロベール(Robert)と称される。
N.2
N.2 教育係のエール
ロッシーニはこのアリアの最初のセクションに《ランスへの旅》シドニー卿のアリアの最初のセクションの転
用を計画したが、結局教育係のための新曲を作曲した。すべてのエディションが改訂された最初のセクション
を持つが、
《ランスへの旅》からの抽出ヴァージョンでは最初のセクションの複数のパッセージが上演の初期段
6
階にカットされている。テンポ・ディ・メッゾの部分はロッシーニのオリジナルでは《ランスへの旅》からそ
のまま転用されていたが、ある段階でカットが施されている。テンポ・ディ・メッゾとカバレッタの幾つかの
部分はオペラ座の上演でカットされたが、後に再統合された。
N.3
N.3 二重唱の後のレシタティフ
ランボーのために追加されたオリーの短い応答を伴う 2-7 小節の歌詞と音楽がある。その一部はロッシーニ自
身により一次資料に取り入れられた。
N.4 女伯爵のエール
《ランスへの旅》フォルヴィル伯爵夫人のアリアのオリジナルが使われたが、41-67 小節と 73-123 小節の二箇
所にカットが施された。
N.5 フィナル
声楽パートに著しい変更がある。ロッシーニはここで《ランスへの旅》十四声のグラン・ペッツォ・コンチェ
ルタートから直接転用し、13 人の独唱を用い、二つの合唱(伯爵のための男声合唱、女伯爵のための混声合唱)を
加えている。トルプナ版がソリストを 7 人のソリストに縮小したのは、地方で演奏されるのを容易にするため
と思われる。
【第 2 幕】
N.6 導入曲
構成上の変更は無いが、
トルプナ版の二つ目のソロ・パートが一人の合唱メンバーによって歌われるのに対し、
オペラ座の上演譜ではラゴンドが歌い続ける。但し、扉を開けに行ったラゴンドが歌うことはできない、との
矛盾が生じている。
N.7 二重唱
《ランスへの旅》コリンナと騎士ベルフィオーレの二重唱の転用であるが、反復部の幾つかの箇所に短縮が施
されている。
N.8~N.11
N.11
この 3 曲はすべて《オリー伯爵》のための新曲。パリ上演の際にカットを指示された部分があり、合唱曲(N.8)
の原資料にはロッシーニの手による指示の書き込みもある。
N.12 フィナル
ロッシーニの最初のプランではトルプナ版より約 60 小節長いヴァージョンだったことが判明した。このオリ
ジナル・ヴァージョンはダミアン・コラスが発見したものである。
推薦ディスク
・2003 年 8 月ペーザロ、ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル上演ライヴ
ユニバーサルミュージッ
ク UCCG-1217/8(CD2 枚組、日本語対訳付き。廃盤)ヘスス・ロペス=コボス指揮ボローニャ市立
歌劇場管弦楽団、プラハ室内合唱団
オリー伯爵:フアン・ディエゴ・フローレス、アデル伯爵夫人:
ステファニア・ボンファデッリ、ランボー:ブルーノ・プラティコ、教育係:アラステア・マイルズ
ほか
・2009 年 8 月ペーザロ、ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル上演映像
Arthaus Musik101649
(DVD)
及び 108063(BD) [日本語字幕付き] ルイス・パスクワル演出、パオロ・カリニャーニ指揮ボロ
ーニャ市立劇場管弦楽団、プラハ室内合唱団
シー・イージェ(オリー)
、マリア・ホセ・モレノ(ア
デル)
、ラウラ・ポルヴェレッリ(イゾリエ)
、ロレンツォ・レガッツォ(教育係)ほか
・2011 年 4 月メトロポリタン歌劇場上演映像
Emi Virgin 0709599 (DVD-2 枚組。海外盤。日本語字
幕無し) バーレット・シャー演出、マウリツィオ・ベニーニ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団、同
合唱団 フアン・ディエゴ・フローレス(オリー)
、ディアナ・ダムラウ(アデル)、 ジョイス・ディ
ドナート(イゾリエ)
、ミケーレ・ペルトゥージ(教育係)ほか
・2011 年 12 月チューリヒ歌劇場上演映像
(BD)[海外盤。日本語字幕無し]
Decca 0743467(DVD)及び 0743468
モーシュ・ライザー&パトリス・コリエ
演出、ムハイ・タン指揮ラ・シンティッラ管弦楽団、チューリヒ歌劇場合唱団
ハビエル・カマレナ(オリー)
、チェチーリア・バルトリ(アデル)、レベカ・
オルベラ(イゾリエ)
、ウーゴ・グアリアルド(教育係)ほか
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1
喜歌劇のためオペラ・コミークとする文献も多いが、伝統的なオペラ・コミークとは様式が異なり、初版台本に従って「オ
ペラ」とのみ位置づけるべき
2 初版台本は修道院の回転式受付係の修道女を意味するトゥリエール(tourière)と称しているが、このオペラでは侍女頭に当
たる。
3 当該上演プログラムの楽曲区分は、ナンバー間の合唱やレシタティフを一切掲げないなど不完全な部分がある。
4 イタリア語版の印刷台本が舞台を 1200 年代、リコルディ版楽譜が「1200 年頃」としたためこれを踏襲した文献も少なくな
いが、オリジナルの台本に年代設定はなく、後にスクリーブ全集に収録されたヴォードヴィル版の台本も単に「中世」とす
る。
5 スクリーブの作品総数とジャンル別の数は次の文書に基づく。
http://hal.archives-ouvertes.fr/docs/00/91/42/79/PDF/Scribe_Avant-ScA_ne.pdf
6 Alexis-Jacob Azevedo,G. Rossini, sa vie e ses œuvres, Heugel et C.,Paris,1864.,pp.264-265.
7 Gioachino Rossini, Lettere e documenti,IIIa: Lettere ai genitori.18 febbraio 1812 - 22 giugno 1830, a cura di Bruno Cagli
e Sergio Ragni,Pesaro Fondazione Rossini,2004.,pp.437-438.[書簡 239]
8 Gioachino Rossini, Lettere e documenti.,III: 17 ottobre 1826 - 31 dicembre 1830, a cura di Bruno Cagli e Sergio Ragni.,
Fondazione Rossini,Pesaro.,2000.,pp.358-359. [書簡 837]
9 ロッシーニは 1828 年の春に題材を《ギヨーム・テル》に決定し、同年 5 月 24 日に《ギヨーム・テル》の舞台美術に関する
書簡が関係者の手で書かれている。《オリー伯爵》の企画はその直後に浮上したものと思われる。
10 Ibid.,pp.360-363.[書簡 838、839]
11 Paolo Fabbri, Rossini nelle raccolte Piancastelli di Forlì.,LIM,Lucca,2001.,p.40.[CR.407.113]
12 Les Frère Escudier, Rossini: sa vie et ses œuvre.,E.Dentu,Paris,1854.,pp.205-208.
13 社主ウジェーヌ・トルプナからアルタリア社への書簡、1828 年 10 月 27 日付。Rossini, Lettere e documenti.,III.,p.400.
14 次の論考から要点を抽出した。
http://www.takte-online.de/en/search-result/article/artikel/meisterwerk-franzoesischen-charmes-le-comte-ory-in-neueredition/comte%20ory/index.htm?tx_ttnews%5BbackPid%5D=588&cHash=a6cfff885664fb436da131ffd9d65f96
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