サツマビーグルのルーツ 徳島県 久米 稔 ( 2004 年 ) 明治後半に当時政府要人が洋行の折りに持ち帰ったハウンドを、その後100年と言う長い歳月を掛け 鹿児島の辺境の地で系統固定された優秀な獣猟犬であるサツマビーグルのルーツを検証 1.はじめに (写真:昭和30年代の出水系=バセットハウンドの血が強く残っている) 小生は、2001年の夏に今日まで取り組んできた狩猟系アメリカンビーグルの系統保存を紹介した ホームページ『狩猟系ビーグルの館・四国プリンス犬舎』を開設した。当初、小生の廻の猟友達にホー ムページの開設を連絡したが、ホームページの意味さえ知らない人が多く、アクセス等は全く期待して いなかった。しかし、ビーグルをペットとして飼育されている方から、興味深く拝見して頂き、期待以上の 反響に驚いた。ビーグルは本当にウサギを追うのか、ウサギはどこにいるのか、我家のビーグルも山に 連れて行けばウサギを追うか等々、毎日10通近いメールが寄せられ、回答(返信)するのに夜遅くまで 時間を費やし嬉しさの反面、寝不足が続き本当に四苦八苦した。お陰でアメリカンビーグルのルーツか ら始まり系統、飼育、繁殖、訓練に至る一連の知識を整理することができた。また現在、狩猟を目的と せず、愛犬と共に山野に出かけ、ビーグリング(ビーグルがウサギを追跡するときに発する美しい連続 的な追鳴き)を夫婦で楽しむ方も出現しており、これも狩猟系ビーグルの継続的な発展から見れば大い に歓迎したい。 一方、今年に入ってから、ハンターもインターネットの有用性を口コミ等で知ったのだろうか、少しアク セス数が増えてきた。しかし、まだまだ一部の若い方のみで、現在の高齢化した諸先輩ハンターのアク セスは希である。若い人は本当にどん欲で何でも知ろうとする積極的で前向きな姿勢には心から敬意 を表する。この度のサツマビーグの件で小生の心を動かしたのも彼等である。高齢化しているハンター の平均年齢を下げてもらっている若いハンターにエールを贈るべく、サツマビーグルのルーツについて 全国の猟友、文献等から調査し、かつ自らの考えも等も取り入れ総括することにした。尚、今回の調査 で感じたことは、サツマビーグルを飼育されている方は全国に数多いが、ルーツ等については全く知ら ない人が多く、知っていても口伝えの伝説的な回答が多く、検証できる資料も数少ないことから、調査に 苦労した割には中味が乏しい内容となった。小生如き若輩者が、サツマビーグル100年の歴史を振り 返るには荷が重すぎた感がある。発表には躊躇したが、この記事を通じてサツマビーグルの論議が活 発化され、同犬が益々普及し、後世に伝わって行くことを是とした。尚、サツマビーグルに関して貴重な 資料並びに情報等を持っている方は是非とも同種の継続的な発展のため情報公開を切望する。 【サツマビーグル】 同犬は、優秀な獣猟犬(イノシシ、シカ、キツネ、タヌキ、ウサギ等の獣類を狩るための猟犬)として発 祥地の鹿児島県を初め全国各地のハンターに使用されている。 2.サツマビーグルの誕生史 (写真:昭和40年代の川内系=バセットハウンドの面影は大きな耳に残るが、前足の湾曲は消えてい る) サツマビーグル誕生の諸説は数多く語るのは本当に難しいが、数少ない文献等から推察すると、お およそ明治後半に先覚者によって持ち込まれ、約100年になると考えられる。文明開化により当時の 政府役人等が洋行した折り、猟好きな者が土産として、並びに諸外国から天皇家等への献上品として 持ち込まれたものが繁殖され、次いで政府要人や武官等がそれを譲り受け、それぞれの故郷に土産と して持ち帰ったものが、猟芸が優秀であったこと並びに珍しかったこと等も手伝って次々と繁殖され、更 に近郷の名士等にも分譲され拡散(普及)して行ったのではないかと推測されている。 サツマビーグルの原種は、当時開国の相手国がイギリスやアメリカであったことから、フォックスハウ ンド、ハーリア、バセットハウンド、英系ビーグル、初期の米系ビーグル(現在のように改良される以前の もの)等であったと考えられている。では何故ハウンドだけが好まれ、当時一緒に持ち込まれただろうポ インターやセッター等の鳥猟犬が普及しなかったのだろうか。その疑問の答えは次の通りと考える。文 献等から推察し、当時(明治中期)の狩猟は武家等の特権階級が社交として行っていた狩猟と、もう一 方は農林業の合間に猟師が副業(現金収入)としてイノシシ、キツネ、タヌキ等から良質の肉や毛皮を 獲るための狩猟が行われていたと考えられる。即ち、後者にとってハウンドとは、今までの地犬とは大 いに異なる良質の肉や毛皮を確実に提供してくれる猟犬として、部落から門外不出として大事にされて いたと考えられ、一方ポインターやセッター等は金にならない(肉も少なく、毛皮の価値もない)鳥類を捕 獲する猟犬であることから、恐らく目もくれず全く関心がなかったと推測される(生活に余裕が無いため 目先のことしか考えることが出来なかった)。 つまり小生が考えるサツマビーグル誕生説は、鹿児島の風土がもたらす辺境地故の道路事情の悪 さによる外界との孤立化並びに上述した山間部の厳しい生活苦での信念(生き残りを掛けた掟)こそが ポインター等の他犬種の入血(雑種化)を阻止し、ハウンドのみが今日まで残ったと考える。このハウン ド達が100年と言う長い歳月をかけ熱心な愛好家の手により優秀な獣猟犬(使い勝手がよく、病気に強 く粗食に耐え、多くの獲物を提供してくれる猟犬)として改良され、今日のサツマビーグルが誕生したと 考えている。 3.サツマビーグルの由来と系統 (写真:昭和50年代=中型のサツマビーグル。高40cm 前後で重心が低い、バセットハウンドの入血で 獲得した大きな耳、短毛の純白地に丸い黒斑が実に美しい) 明治後半、当時の政府要人や武官等は、暇をみてはしばしば帰郷し所有しているハウンドを連れ狩 猟を楽しんでいた様である。当時洋犬は非常に珍しく貴重なものであった為に帰郷の度に持参し持ち帰 っていたらしい。しかし、それも面倒となり犬の管理は使用人がすることになったことから、有名な川内 系サツマビーグルが誕生したと言うエピソードが残されている。それは明治後半、黒田内閣の衆議院議 長であった鹿児島県串木野市出身の長谷場氏と当時海軍大将だった樺山氏は親友でよく公職の合間 を見ては狩猟をされていたようで、この長谷場邸に樺山大将が逗留され、たびたび猟犬(ハーリアと考 えられているがフォックスハウンド説もある)を預けられていたようである。地元の猟師等は、使用人が 毎日決まった時刻に猟犬を屋敷から外に連れ出し運動をしている様子を見掛けており、洋犬で珍しい 体型をした美しい犬を大層気に入るが買うには大金が必要である。しかし、どうしても欲しいと夜も眠れ ぬ日が続いたそうな。そこで一計を案じた猟師は、犬の運動を任されている下男に小銭を握らせ、予め 隠しておいた発情中の地犬と洋犬を交配させ見事盗み種に成功した。産まれた子犬は、ハウンドと地 犬のF1であったが、非常に猟芸が優れていたため大層大事にされたらしい。この犬こそ、現在のサツ マビーグルの起源とされている「丸山系統」そのものである(丸山系統:盗み種を成功させた肉屋で猟師 の親父さんの名字から付けられた)。当時はこの様にして川内系・出水系・阿久根系・宮之城系、串木 野系(ここまでは飼育地が系統名として呼ばれていた)、樺山系・押川系・西郷系(所有者が系統名とし て呼ばれていた)等の多くの系統が存在していた。しかし、その後様々な理由(病気、雑種化、繁殖力の 低下=近親交配の弊害、猟芸低下等)により、多くの系統が消えて行く中、上記した丸山系に出水系 (出水地方の一部で飼われていたバセットハウンド類)を配し系統固定して誕生した川内系が残った。こ の川内系が残った理由として、同系をスタンダードとして保存会がいち早く発足し、品評会が開催され新 規の愛好者が増え、数多く飼育されるようになったことを最大の理由に上げる愛好者が多い。しかし、そ れは是としても何十年もの歳月を掛け、同系がどの様にして誰が系統固定したのだろうかと言う疑問が 残る。これが小生が考えるサツマビーグル誕生の一つ目の不思議である。当時(明治後半)猟師を初め 一般民は殆どが読み書きができない者が多かったと推測され、ましてや遺伝学に精通していた学者等 がこの辺境の地に在住していたとは考えにくい。では何故固定できたのだろうか。小生の推測では、当 地が辺境故に道路事情も悪く外界とは断絶状態であったため、人の交流しかり他犬との血液交流も無 く、親子、兄妹、祖父母等による近親交配が何十年も繰り返され、偶然による系統固定、即ち純粋化が 進み、そして近代化の時代と共に辺境の地にも道路が整備され、この珍しい洋犬が多くの鹿児島県人 に知られるところとなり、それが全国の知人、親戚等に譲渡され時間を掛けゆっくりと全国に普及して行 ったと考える。 しかし、同犬の今日までの道のりは平坦ではなかった。それは、第一次世界大戦に続く第二次世界 大戦の勃発により、当地の多くの猟師達も戦地に送り込まれることとなり、戦地で戦う兵士への食料補 給と言う大義名分から犬等のペットの飼育が御法度で数多くの犬が殺処分される運命となり、次第に数 が減って行くと共に管理の不味さから地犬との雑種化が進みサツマビーグル存亡の危機が訪れた。し かし、これら先人が残した犬の一部は、戦地に行った旦那の為にとばかり献身的な猟師の嫁さん等の 手によって自分の出里(生まれ育った山深い辺境の地)等に隠し持ち、大事に育てたため貴重な純粋 種が残された。終戦後は、これらの犬を基に熱心なサツマビーグル愛好家が系統保存に立ち上がり、 徐々に当時の状態まで純粋度を取り戻すまで改良した。しかし、不幸なことにスタンダードの規格を作 る際に意見が対立したらしく、各人、各地域等が思い思いの系統固定に走り、「我の犬こそサツマな り!」と血統書の作成も顧みず(一部では血統書らしきものは有ったらしい)改良を行って来たため、体 高は小さいもので30cm、大きいものでは50~60cmの大型犬も存在する。体型もバセット型、ビーグ ル型等と様々である。この様なことからサツマビーグルは長い間「日本在来種ビーグル」、「九州ビーグ ル」、「鹿児島ビーグル」等と呼ばれ、純粋種としての評価をされないまま一部の愛好者がその素晴らし い猟芸のみに着目し使用されるにすぎず、日陰に生きる運命を背負ってきた。しかし、今から30~40 年程前から徐々にではあるが、狩猟雑誌等を通じてこの犬が優秀な獣猟犬として全国のハンターに見 直され、犬種名も「サツマビーグル」と呼ばれるようになり、今では熱心なブリーダーにより純粋化が維 持されていることは心強いことである。しかし、その数は多くなく、ハンター同様にブリーダーの高齢化が 進行し後継者が少なく、この現状を放置しておくならば近い将来先覚者が残してくれたこの素晴らしい 犬種も滅びていく運命は避けられず、早急に何らかの対策が望まれる。この犬の第一回目の危機が第 二次戦争時であるならば、現在はそれに勝る大きな危機で有ることは言うまでもない。 4.サツマビーグルの保存と問題点 (写真:昭和50年代=体高50cm を越える堂々たる大型のサツマビーグル。原種から推察し、この大 型犬こそが本来のサツマと考えられ、本当は『サツマハウンド』と呼ぶのが妥当かもしれない) 当初、政府要人がイギリス等から持ち帰った多くのハウンドは、鹿児島を初め全国に分散して行った と考えられるが、何故鹿児島にこれだけ多くのハウンドが持ち込まれ、かつ生存して来たのだろうか。そ れは、サツマビーグルに纏わる第二の不思議と言える。それは恐らく、当時の明治政府には、政府樹立 の立役者である薩長連合等の有力志士(西郷、大久保、木戸等)の多くが閣僚となって居たからに相違 ない。では同盟を結んでいたはずの長州(山口県)や薩長同盟を成功させた坂本龍馬を産んだ土佐(高 知県)等には何故ハウンドが残っていないのだろうか(以前には君津系、天城系等のビーグルが存在し たが現在では殆ど見なくなった)。恐らく、当時の閣僚や武官の郷里には数多くのハウンドが土産として 持ち帰ったと思われるが、山口県や高知県等は文明開化の明治とは言え、辺境の片田舎ではまだまだ 厳しい封建的な階級制度が存続し、鹿児島の「丸山系統」の様な「盗み種」をしても寛容性のある風土 では無かったと推察され、他県では持ち帰った犬が死ぬとまた新しい犬を持ち帰ると言ったで方法で猟 犬を確保していたために残らなかったのではないかと推察する。当時の薩摩(鹿児島県)は外交貿易も 盛んに行われており、大陸文化の影響が浸透し、一種変わった文化と風土が構築されていたと考えら れる。通常、自然界では「丸山系統」の様に盗み種に成功しても100年の歳月を経て強かに生き残ると 言うことは、先ず無に等しいと言える。強いて言うなれば、薩摩(鹿児島県)は武の国、質実剛健で逞し く、郷土愛が強い土地柄であり、全て物の考え方が門外不出を是とする思想が今日の『サツマビーグ ル』の誕生に繋がったと考えるのが妥当かもしれない。 最初、薩摩にハウンドを持ち帰った先覚者達も その子孫が100年を経た今日まで生き残り、かつハンターと共に猟野を闊歩する姿は恐らく想像もして いなかったことであろう。 しかし今日では、これら先覚者が残してきた貴重な犬種も、ウサギ猟ではアメリカンビーグルに、イノ シシ猟ではプロットハウンド等に取って代わられる状態であり、これを是正するが如くサツマビーグルに 上記犬種を入血した交雑化も進んでおり、現状では純粋種が消え行く運命になりかねない。サツマビー グル愛好者は今こそ大同団結し、一日も早く『仮称:全日本サツマビーグル協会』を設立し、スタンダー ド規格の統一、血統書の発行、猟野競技会及び体高品評会の開催等を全国展開すべきである。しか し、これらを実行するには多くの人、物、金が必要となることから色々と難しい問題もあるだろうが、鹿児 島県が後援(財団法人の形で協会を運営)し、この貴重なサツマビーグルを後世に残してほしいと心か ら祈るばかりである。 5.おわりに 写真:平成10年代=本犬は、他のビーグル・ハウンドに見られないバセットハウンド並みの大きな耳、 風貌及び体形を要し、新犬種として十分評価できる現存するサツマビーグの中でも非常に純度の高い 優犬である) この度、サツマビーグルのルーツを企画し、数多くの猟友とお会いし、多くの貴重な話を聞くことがで き本当に良かったと思っている。サツマビーグルのルーツを紐解いている時、小生が最も尊敬している 明治維新の立役者となった西郷隆盛にも繋がっていることに大いに感動した。西郷は、弟の従道海軍 大将と共に狩猟がとても好きだったようで、しばしば地元鹿児島に戻り、郷里の同志や村人達と共に狩 猟を楽しんでいた様である。 西郷等も自分達が持ち帰ったハウンドが「サツマビーグル」と命名され、 今日まで生き延び、同郷は下より全国に普及し飼育されるとは想いもつかなかったであろう。西郷をイメ ージしてサツマビーグルの写真を見ると、なるほど武の国と言われ質実剛健で逞しく、愛国心の強い土 地柄の下で誕生した犬らしく、外国産のハウンドとは一味も二味も違う頼り甲斐のある野武士を彷彿さ せる素晴らしい顔をしている。この素晴らしい日本が世界に誇れるサツマビーグルを後世まで残して行 くことを関係者に切望し、今後サツマビーグルが益々普及し発展して行くことを心から念じている。 最後に、この度の調査にご協力を頂いた全国の先輩諸兄に心からお礼を申し上げる。
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