琥珀の眼の兎

琥珀の眼の兎
密かに受け継がれたもの
エドマンド・ドゥ・ヴァール
ブランカ・ヴァン・ハッセルト
『琥珀の眼の兎』は一人の人物の、で
はなく、ある一族の伝記です。この本は、
著者がその家に代々受け継がれてきた
264個の根付に興味を抱くところから始
まります。現在の所有者でもある作者、
エドマンド・ドゥ・ヴァールは、その根付コレ
クションを受け継いだのをきっかけに根付
について学び始めます。それらがどのよ
うな経緯をたどって彼の家にやってきた
のかを知りたいと思ったのです。そして、
以前の所有者をたどっていくことになりま
す。エドマンドは陶芸家です。芸術家と
して、彫り、素材、手触り、色合い…など
に鋭い感性を持っています。また、根付
のコレクションを始めた彼の先祖がどうい
う人物だったのかにも興味をひかれまし
た。
エフルッシ家は黒海に臨む町、オデッ
サに起源をなすロシア系ユダヤ人の家系
です。中央ロシアから西ヨーロッパへと穀
物を輸出する貿易で財をなし、それを資
本に金融業も手掛けるようになりました。
それによってますます成功を収め、シャ
ルル・ヨアヒム・エフルッシは事業拡大を
決定し、ウィーン、パリ、ロンドンに支店を
構えました。シャルルの息子たちがそれ
らの支店を任されました。エフルッシ家
は、ロスチャイルド家など、当時の名だた
る名家と肩を並べるほどでした。目もくら
むほどの資産家となったのです。
エフルッシ銀行パリ支店は、ルー・モン
ソー地区にありました。現在のパリ日本
大使館の近くです。根付は(1880年頃
の)パリでエフルッシ家に伝わりました。シ
ャルル・エフルッシはパリで、芸術の批評
家、コレクター、また、スポンサーとしての
顔を持っていました。オペラを愛し、彼の
愛犬はカルメンと名付けられました。19
世紀終わりのパリ、西欧諸国が日本とそ
の文化を知るようになった頃です。本書
では「ジャポニズム」の起源として記され
ています。ドガ、マネ、モネ、ルノワールら
パリ印象派の画家たち、そして、チェルヌ
スキやギメらのコレクターが活躍した時代
です。文芸批評ではゴン・クールがいまし
た。シャルル・エフルッシはスポンサーと
してルノワールの有名な作品、「舟遊び
の昼食」に描かれています。(スーツを着
て帽子をかぶった)シャルルは、お祭り気
分の画家たちとパリ郊外セーヌ川でボー
ト遊びに興じるその友人たちの背景にた
たずんでいます。シャルルはまた、プル
ーストの代表作「失われた時を求めて」
に登場する「シャルル・スワン」のモデル
だと言われています。自身が芸術家であ
る著者エドマンドは、スポンサーが芸術家
の発想の源に与えるであろう影響につい
て、また、時としてストレスのかかる両者
の関係について考察しています。
1899年、シャルルのいとこにあたるヴ
ィクトル・エフルッシは、ウィーンのエフル
ッシ銀行の責任者でしたが、エミリーとい
う女性と結婚することになりました。ヨーロ
ッパ全土にいたエフルッシ一族から、高
価な結婚祝いの品々が2人のもとへ贈ら
れました。そうして、根付のコレクションも
ウィーンへ渡ることになるのです。ヴィク
トルの父親、イニャス・エフルッシは聡明
な経営者でした。オデッサに生まれ、ウィ
ーンで事業を始めました。イニャスは新
しい故郷ウィーンに金融財閥を築きあげ
るという野望を抱いていました。社交界で
も華々しく活躍し、芸術や建築に興味の
あった彼は、リングストラッセに瀟洒なエ
フルッシ邸宅を建設します。パリのシャル
ルと同様、イニャスも、同時代にウィーン
で活躍する人々の中に足跡を残していま
す。ジョセフ・ロスの「ラデツキー行進」、
「スパイダーズ ウェブ」などの小説の中
にエフルッシ家が登場しています。
ヴィクトルと妻のエミーは、エフルッシ邸
宅に暮らしました。ヴィクトルは、貿易商、
経営者というよりもむしろ芸術家であり哲
学者でした。大変な読書家でもあり、ま
た妻とともにウィーンの有名なオペラに精
通していました。3人の子どもに恵まれ、
しばらく後にもう一人の息子をもうけまし
た。子どもたちは、大理石や金箔などを
用いた豪華な装飾を施されたエフルッシ
邸宅で育ちます。しかし、根付コレクショ
ンが収められたガラスの飾棚は、エミー
のドレスルームというプライベートな空間
にありました。エミーは子どもたちに物語
を聞かせるのが好きで、毎日そういう時
間を過ごすことにしていました。エミーが
パーティーに出かける前にドレスに着替
えていると、子どもたちが根付で遊ぼうと
エミーについて行きます。子どもたちには
それぞれお気
に入りの根付が
ありました。その
中の1人、エリ
ザベトは目立つ
存在でした。利
発で哲学にも関心を持っていました。20
世紀初め、彼女はウィーンの大学に籍を
置く最初の女性たちのうちの一人となりま
した。法律を学ぶ傍ら詩を書き、オースト
リアの抒情詩人リルケと何通もの書簡を
交わしています。しかし、1938年、ドイツ
ナチス軍によるオーストリア併合により運
命は大きく転換します。一族は離散、エ
リザベトの一家はイングランドに逃げのび
ます。彼女は父親のヴィクトルを引き取り
ました。(母親は亡くなっていました。)弟
のイニャスはアメリカに渡り連合国軍に参
加、ヨーロッパ戦線に加わります。1945
年12月、エリザベトは一家が所有してい
たものを確認するため戦後のウィーンに
戻ります。しかし、ヴィクトルの蔵書はゲシ
ュタポによって国立図書館に贈られ、絵
画の多くもウィーンの美術館に贈られて
しまっていました。(美術史美術館、ウィ
ーン自然史博物館)一族の手元に残っ
たものはほんの数点でした。そして、その
中に根付が含まれていたのです。エミー
の使用人だったアナがナチの占領下、ベ
ッドのマットレスの下に隠し持っていたの
です。そのコレクションを引き継いだイニ
ャスは、それを日本に戻そうと決心しま
す。1947年、戦後間もない日本、東京
ではブギウギやジャズが流行していまし
た。日本に渡り、そのままそこに留まった
のは根付だけではありませんでした。イニ
ャス自身も日本で残りの生涯を過ごすこ
とになるのです。彼はスイス銀行の日本
支店責任者となりました。
エドマンド・ドゥ・ヴァールはエリザベトの
孫にあたり、日本で陶芸について学ぶ
間、イニャスと何度も会っています。陶芸
家としてのエドマンドは最初、作品をガラ
スケースに展示することを好みませんで
した。しかし、根付を通して、ガラスは対
象物と見る人を隔てはするけれども、作
品にフレームをつけることで、異なった見
方を提示するのだということを学びます。
訳:小越 二美 (Fumi Kogoe)
August/ September 2012 i-News 18