第1回近畿大学医学部海外研修プログラムに参加して

近畿大医誌(MedJKi
nkiUni
v)第40巻3,4号
1
01
∼1
0
6 20
15
1
0
1
第1回近畿大学医学部海外研修プログラムに参加して
磯 矢 嵩 亮
近畿大学医学部医学科4学年
私は2015年8月2日∼8月29日の4週間,近畿大
で,非常に快適な生活を送れることができました.
学医学部の派遣でアメリカのアイオワ 州 に あ る
このゲストハウスからアイオワ大へは I
owa Ci
t
y
Uni
ver
s
i
t
yofI
owa(以下,アイオワ大)における
海外研修プログラムに参加させていただきました.
内にある大学の関連施設を繫いでくれる無料のバス
に乗って,通っておりました.このバスは学生バイ
トが運転しているもので,運行状況やルートの検索
.アイオワについて
などについては Busont
hego(Bongo)というサ
私がいた I
時間あ
owaCi
t
yは,日本との時差が14
るアイオワ州の東側にあり,アイオワ大学を中心と
イトで確認することができます.
.ラボについて
した大学街で,4時間ほど東へ車で走ればシカゴへ
ことで,非常に閑静な場所であり,治安もかなり良
私がお邪魔したラボは Pappaj
ohn Bi
ome
di
cal
4
年に完成した緑を
Di
s
c
ove
r
y Bui
l
di
ngという201
く,アットホームな街ではありましたが,大阪の米
基調とした綺麗な
領事館においてビザを申請する際に領事から「アイ
血管系への影響を中心に研究されておられる Dr
.E
オワはトウモロコシよね
少し出れば一面のトウモロコシ畑に囲まれており,
Dal
eAbelのラボです.ここのラボには色々な国か
ら来た研究者たちがたくさんおり,私は日本人のポ
他州のようなメジャーや派手な観光地はありませ
スドクの都島
ん.ただ,クリント・イーストウッド主演の“マデ
島先生はインスリン受容体以下の細胞内伝達で出て
ィソン郡の橋”やケビンコスナー主演の“Fi
e
l
d of
くる Aktを中心に研究をされておられ,マウスを用
”という映画の舞台があり,そこが観光スポ
dr
eams
ットとなっているそうです.
いて心不全になぜなるのか,特にミトコンドリアの
行けるような立地です.この街自体が大学街という
」と言われるほど,街を
また気候に関しては,今年は例年よりも涼しかっ
たそうで日中でも30℃を超えるか否かの状態でかな
り過ごしやすいものの,朝は14℃しかないという寒
い日も何日か続いておりました.さらに湿度はさほ
物の4階にある2型糖尿病の心
介先生の指導を受けてきました.都
影響によるもののメカニズムを解明しようと研究を
されておられます.
.実 習 内 容
ラボにおいての実験ですが,1,2週目は後述す
ど高くなく,日本の夏より圧倒的に過ごしやすい気
るマウスの心筋細胞の
候でした.冬には雪は多くないものの,気温が下が
ュレーションの練習を中心にして,先生の実験のお
って路面が凍ってしまうために,アイオワ大の
は全て地下や色々なルートで繫がっており,ちょっ
手伝いとして電気泳動やウエスタンブロット,PCR
などの基本的な手技のお手伝いをしておりました.
とした迷路のようになっておりました.
特にウエスタンブロットはこの4週間を通して,電
物
さて,我々が4週間住んでいた生活をしていた場
離の為に必要な心臓のカニ
気泳動からメンブレンへのブロッティング,ブロッ
所はアイオワ大の所有するゲストハウスの Bos
t
i
ck
キング,抗体との反応までと一連の作業ができるよ
Gues
tHous
eという所で,I
owaCi
t
y中心部の Ol
d
Capi
t
alより歩いて5 ほどの静かな場所にありま
うに仕込んでいただきました.
した.このゲストハウスはアイオワ州の歴
造
準備など下準備に関しては,都島先生の下にいた
物で,部屋は
一人で50m ほどと非常に広く,毎週土曜日にルー
unde
r
gr
aduat
eの Aus
t
i
n Torさ ん が 教 え て く れ
て,二人で将来のことやお互い国のことなどを話し
ムキーピングをしに来てくれるというサービス付き
ながら,楽しく作業ができました.また,高
物に指定されているような趣のある
的
このウエスタンブロットの電気泳動の為のゲルの
を卒
1
02
磯
矢
嵩
亮
業してから,すぐに医学部に入れる日本とは異なる
長径数センチほどの心臓から大動脈や他の血管以外
アメリカの医学部志望者のモチベーションの高さは
の付属物を可能な限り除去して,直径2ミリほどの
良い刺激になりました.
大動脈からカニュレーションを行うという作業で
さて,私のメインの実験についてです.私の実験
の概要は大人のマウスの心筋細胞を
す.これらを1
0 以内で完了する必要があります.
離すると共に
そしてカニュレーションを行った心臓にコラゲナ
Seahor
s
e社の細胞の代謝を計測できる XF 24とい
う機械を用いて, 離したマウスの心筋細胞のエネ
ーゼを灌流させ,心室のみを切り出してバラバラに
ルギー源がアミノ酸や脂質の時にどうなるか実験す
ルシウムのバッファーでタイトレーションし,生き
る為の予備実験を行ってきました.
残った心筋細胞の代謝を測定します.私は2週間か
この心筋細胞の
離をする前に心臓のカニュレー
ションが必要になります.これは心筋細胞を
します.そして,そのばらしたものを濾過して,カ
けて,
このカニュレーションの技術を得た事により,
離す
残りの期間でマウスの心筋細胞をどのような条件で
離した細胞の生存
離し,培地を選択すればいいデータが取れるかに
率が極端に下がるので,図1のように大動脈からバ
関する予備実験を朝7時から夕方1
7
時頃までで行っ
ッファーを流して,心臓に残存する血液を洗い流し
ておりました.
る際に血液が心室に残存すると
ます.私はこの技術を取得する為に最初の2週間,
けれども,大人のマウスの心筋細胞はダメージを
朝は8時から夕方の1
8時辺りまで都島先生の熱く,
受けやすく,技術的にミスがないと思える手技を行
丁寧な指導を受けておりました.具体的な手技とし
えたとしても,得られた細胞が代謝の計測に用いる
ましては,イソフルランで麻酔をかけたマウスの腹
事が出来ないほど死んでしまっていたり,そもそも
腔を開いて,腹部大動脈から失血死させて,胸腔を
心筋細胞の
開いて心臓を胸腺・食道・気管もろとも取り出し,
りと,2週間で3回代謝の計測を行う機会があった
離は難しい技術なので手技に失敗した
ものの,残念ながら実際に成功したのは1回だけで
した.
しかし,その1回であっても先生のこれからの研
究に対する萌芽を得られた事は大きな一歩であった
と思います.おそらく,もう1,2週間ほどの時間
があれば,小さな論文を書けるような結果が得られ
たと思い,ここが本研修での名残り惜しい点です.
.アイオワでの生活
私のアイオワでの日常ですが,朝は8時にラボへ
到着して実験の準備を始め,夕方5時や6時頃に終
了するというような平日を送っておりました.ラボ
図
ライフや心臓のカニュレーションに慣れるまでは平
心臓のカニュレーション
日はラボに缶詰状態ではありましたが,アイオワで
の生活にも慣れてきた3週目からはお昼や夕方に開
催されているセミナーを聴講しに行きました.セミ
ナーには私のいたラボが主催する糖尿病に関する研
究についてのものや,病院の内科部門が毎週木曜日
の正午に開催する Gr
and Roundがありました.糖
尿病に関するセミナーは専門用語が多く,内容も研
究者向けのものでしたので,お昼の軽食を頂きなが
ら
囲気を味わう程度でした.Gr
andRoundでは今
春に近大で I
nf
e
c
t
i
on Cont
r
olについて講演をされ
た後藤道彦先生の耐性菌を作らないための抗菌薬に
関する疫学についての講演があり,日本人の先生が
堂々と流暢な英語でレクチャーをされている姿を拝
図
1ケ月間みっちり鍛えてくださった都島
先生(右)と
介
見して,
自
の英語力の
弱さをどうにか改善して,
あんな風に格好良くプレゼンテーションができるよ
第1回近畿大学医学部海外研修プログラムに参加して
10
3
うになりたいという気持ちが生まれてきました.加
てはサンドイッチやブリトー,サラダバー,ハンバ
えて,医学部が主催するヒトメタニューモウイルス
ーガー,グリル料理,丼,よく
が細胞性免疫から逃れる
からない寿司など
子機構についての講演を
が,ありました.食事の量はアメリカと聞いて想像
聴くことができ,夏休みに入る前の小児科の講義内
するような膨大な量ではなく,一般的な量でした.
容の理解が少し深まった気
さらに値段も一食8ドルくらいで少し割高な感じは
でした.
さて,こういったレクチャーは定期的に開催され
あります.大学がまだ夏休み中ということで病院の
たり,突発的に開催されたりしますので,情報を集
カフェテリアに行きましたが,大学内の学生向けの
める方法さえ知っておけば,アイオワでの生活がラ
方が安く・量があると思います.
ボライフだけになるということはなくなります.さ
また,食生活が少し単調でしたので,丼物や寿司
らに日本では参加することへのハードルを感じてい
の味比べを行ってみました.丼物は基本的に鶏肉を
たセミナーも,アメリカにいて英語で聴いていると
いう
囲気の相乗効果も相まって,積極的に参加し
たくなっておりました.
専門的なものもありますが,
基本的に初学者お断りではなく,
かりやすい導入
があるので話に引き込まれてしまいました.
ったもので,韓国の焼肉で
われるような感じの
辛さのスパイシーチキンボール,柑橘系の味付けを
してあるオレンジチキンボール,そして見た目は大
夫そうなのに味がお世辞にも美味しいとは言い難
いテリヤキチキンボールなどがありました.もし物
しかし,プレゼンターが話している途中でも質問
好きな方がいらっしゃいましたら,アイオワ大へお
を投げかける人がいて,大人しく静聴している日本
越しの際にこのテリヤキチキンボールを試してみて
のオーディエンスと
ください.寿司は醬油とわさびらしきもので何とか
囲気が違うなと感じました.
色々な場でアメリカでは質問するのが当たり前だと
食べられる感じのものが多いです.
伺っておりましたが,今回は残念ながら躊躇してし
残る夕食ですが,美味しい日本食を食べようと思
まったので,また機会があればリベンジしたいと思
うと,値が張るお店に入るか日本の食材を取り扱っ
います.
ているお店で食材を購入して,調理する必要があり
さて,アイオワでの生活について他に記述すべき
ことは食事についてです.
朝食はゲストハウス近くにグロッサリーがありま
したので,そこで大きなパンとヨーグルトを購入し
ます.今回滞在したゲストハウスには簡易キッチン
しかなかったために,調理することもままならなか
ったので,外食や電子レンジで調理できるようなご
飯が多かったです.
て,トースターでパンを焼いたり,コーヒーを淹れ
.休日の過ごし方
たりして嗜んでおりました.また,ラボが入ってい
る 物の1階に J
avaHous
eというカフェが入って
いるので,そのカフェで朝ごはんを購入している方
食を食べる以外に他のことをする気が起きないほど
がラボにはおられました.
全力でラボライフを過ごしておりましたので,週末
平日は,ラボからゲストハウスに帰宅すると,夕
昼食は病院1階にあるカフェテリアで頂いており
は気
ました.ここではアイオワ大の I
Dカードを提示す
た.
ればディスカウントを受けられます.メニューとし
①2週目
転換がてら3年の山口さんと出掛けてみまし
1週目はまだ時差ぼけの影響やアイオワでの生活
にも慣れていなかったので,
十
な睡眠を取ったり,
周囲を散歩したりと休養をとることで精一杯でし
た.
2週目はレンタカーを借りて,3
0 ほど走ったと
ころにある,
ドイツ人が移住して作った Ami
s
hの村
のカロナとアマナコロニーへ行きました.
アマナコロニーでは1
9
2
0
年代のフォード車が展示
されたり走行しているのを見たり,ワイナリーでピ
ーチやクランベリーなどのフルーツワインや,手作
りのジャムやチーズなどを購入したりしました.そ
して,その夜にはゲストハウスのポーチのベンチで
購入したフルーツワインを飲みながら,山口さんと
図
メールで送られてくる内科のラウンド案内
ゆっくり話をしながらアメリカらしい夜を楽しむこ
1
04
磯
矢
嵩
亮
とができました.
し得ませんでした.例えば,都島先生はラボで丁寧
②3週目
な指導とともに研究する醍醐味を味わわせてくださ
この週は高速バスを利用して,シカゴまで足を伸
り,後藤先生は後述するように私のキャリア形成に
ばしてみました.シカゴではオヘア空港周辺のホテ
影響を与えてくださいました.また,山住先生はそ
ルに宿泊して,1日目はローズモントのアウトレッ
んな後藤先生との接点を作ってくださったとともに
トでの買い物を中心に楽しみ,2日目はシカゴ
響
アイオワ大留学の先輩としてアドバイスをください
楽団のホールやミレニアムパークを訪れたり,都島
ました.そして,星先生はこの海外研修プログラム
先生に教えていただいた Car
s
onsというリブロー
が初年度ゆえに発生した事務的な手続きの問題に対
スのお店でご飯を食べたりしました.楽しい時間を
して,迅速かつ丁寧に対応していただき,我々を強
過ごせたシカゴではありましたが,安全なアイオワ
力にバックアップしてくださいました.最後に,山
と比べると行ってはいけない危険な場所が多くある
口さんはともに休日をエンジョイしてくれたり,セ
ので,向こうの人たちに事前に聞いておく必要があ
ミナーに誘ったら参加してくれたりとアクティブな
ります.
彼女が留学の同行者だったからこそ,ラボでの楽し
.学んだこと
私が今回の海外研修プログラムによって,学べた
さだけではない楽しみが得られました.
こういった方々のおかげで大変だったけれども,
充実した4週間になりました.またこの期間を振り
ことは大きく以下の3つに挙げられます.
返れば,非常に恵まれた環境で勉強ができたのだと
①研究は楽しい
しみじみ思います.
心筋細胞を採取するためにマウスの心臓をカニュ
③自
のキャリアについて
レーションするのは,実験を始めた私にとって難し
私事ではありますが,私は他学部を卒業してから
い手技でした.しかし,都島先生が上手く盛り上げ
家業に携わる為に近大へ入学しましたので,卒業後
ながら指導をしてくださったり,手技の質が練習を
は可能な限り早く一人前の臨床医になりたいと
するほどに向上したりしていき,もっと上手くなっ
え,その為に大学の講義や近くで開かれている勉強
て究めたいという強い気持ちが生まれました.それ
会などに励んできました.
だけではなく,一旦携わったこの研究の結果やこれ
しかし同時に,昨今の日本の経済状況や社会状況
から得られるものはどういったものになるのだろう
を
かということが気になり,研究を続けていないと少
なった時に,より良い医療を提供する努力をしてい
し落ち着かないような状況となっております.
るだけで病院として生き残っていけるのだろうかと
確かにこういった状態でいられるのは,特に結果
を出す必要がないお気楽な状態で留学ができたから
ということもあるでしょうが,
「なぜこうなっている
のか?」という単純な疑問に対して答えを得られる
えると,私が臨床医として働けるような状態に
漠然とした不安もありました.そんな中で,アイオ
ワ 大 に お い て 感 染 症 内 科 や H ospital
epi
de
mi
ol
ogi
s
tとして働いておられる後藤道彦先生
手段としての研究に必要以上に敷居を感じなくなっ
とお話をする機会があり,Publ
i
cHe
al
t
hSchoolで
医療経済や医療政策を学ぶのはどうかというご意見
たことが一番の収穫だと
をいただくことができました.そこで,またアイオ
えられます.
余談ではありますが,帰国してからお世話になっ
ているある科の先生にご相談させていただいたとこ
ワへ行き,今度は Publ
i
cHeal
t
h Schoolで勉強し
て,Mas
を取得したいという
t
e
rofPubl
i
cHeal
t
h
ろ,そこの教室で実験をさせていただけることにな
目標が生まれました.
りましたので,残る在学期間中に何らかの形で研究
これも前項の人の大事さにつながる話ではあるの
をしたという証を残して,卒業をできればいいなと
ですが,研究をしに行くことがメインと思っていた
えています.
②人の大事さ
私を指導してくださった都島先生や抗菌薬のレク
チャーをされた後藤先生,後藤先生とお会いするき
っかけをくださった育和会記念病院の山住俊晃先
生,現地で緊急時の窓口となり色々と相談をさせて
いただいた星久和先生,そして今回同行した3年の
山口実賀さん.
この方々がいなければ,今回の充実した留学は成
本研修において,アイオワで出会った人のおかげで
私の今後のキャリア形成において新たな選択肢が広
がり,このことは本研修の思わぬ嬉しいお土産とな
りました.
.本研修への改善案
非常に充実した研修を送れることができて満足し
ているのですが,翌年以降もさらなる良い学びを得
られるために必要であろうということを3つ提案さ
第1回近畿大学医学部海外研修プログラムに参加して
10
5
せていただきたいと思います.
経験は医学生にとっては,かなり知的好奇心をくす
①期間について
ぐられるものだと思いますので,よりプログラムへ
先述のように私は大人のマウスから心筋細胞の
の満足度を上げると
離を行い,その代謝を計測する実験を行っておりま
した.しかし,そもそも心筋細胞の
えられます.
.ま と め
離の練習だけ
で2週間を要し,この手技も容易なものではなく,
1年生時に医学
論という講義の一環で私は実験
代謝を測定する前提で行っても,前例がないことな
を行っていました.その時の印象で,自
ので,3回のトライの内成功したのは1回だけでし
は向かないだろうという思いがあり,今回の留学は
た.
大
には研究
夫だろうかという不安な状態でアイオワに向か
そこで,もう1・2週間は少なくとも必要だと強
いました.しかし,都島先生の熱心な指導と,濃密
く感じました.この期間の根拠は私の実体験だけで
な時間をラボで過ごし実験を行う事が当たり前とい
はなくて,都島先生と期間についての話をしている
う状況下で,簡単には習得できないような手技をマ
時に,6週間あれば手技にも慣れて,結果がちゃん
スターしたことによって,より良い結果を得られる
と出せるようになり,簡単なレポートをまとめるく
為にどういう工夫をしたらよいのか? 何が問題だ
らいになるだろうという結論に至ったからです.確
ろうか? などと常々
かに近大のカリキュラムの関係で,6週間という日
からこの実験を継続したいと思うようになりまし
程を設けることは難しいとは思いますが,もし実現
た.
されれば実験をやってきたという
えるようになり,帰国して
かりやすい形と
私の夏休みは,ほとんどをラボで過ごすような生
して持って帰れるものがあると思います.また,ア
活ではありましたが,研究についての新たな発見だ
メリカのラボは“来たからには何か絶対に持って帰
けではなく,アメリカで働いておられる日本人の先
ってもらう”という意識が強いように感じられまし
輩たちの生き方やお話の内容によって,単に大学を
たので,強力にバックアップしてくれるにちがいあ
卒業して研修を行って,臨床医をやるということは
りません.
もったいないかもしれないと
②情報その1
た.こういった
本研修の期間が
長できないという前提でより多
くの学びを得られるためにはどうすればよいか
え
えるようになりまし
えを持てるようになったのも,ア
イオワという海外から日本を見る事が出来たからだ
と思います.
てみました.
是非とも後輩の皆さんはチャンスがあって,少し
短い留学期間を最大限に有効活用する為に必要な
でも迷う余地がある場合は思い切って,その一歩目
ものは情報です.時間が短いと感じられたのも,4
を踏み出してみてください.自
週間の最初の2週間は仕込みの期間として必要だっ
経験や気づきがきっと得られると思いますし,アイ
たからです.もし,留学生が希望するラボでどのよ
オワという土地が好きになると思います.
うな研究がなされており,どんな機械が
われ,ど
.謝
んな手技が必要とされているかの情報を,事前に手
に入れることができれば,日本でその仕込みをある
程度行うことができて,アメリカにおけるその期間
を短くできると思います.
③情報その2
私は平日のほとんどをラボで過ごしておりました
が,先述のように時々開かれるセミナーに時間が許
せば参加しておりました.しかし,こういったセミ
ナーに参加したくても,4週間という限られた期間
にとっての思わぬ
辞
末筆となりましたが,この留学をコーディネートしてくだ
さった形成外科学教授の磯貝典孝先生,基礎医学講座医学部
講師の武知薫子先生,安全衛生管理センターの池田行宏先生,
形成外科学教室の方々,医学部学務課の方々,アイオワ大学医
学 部 Deanの Debr
a Schwi
nn先 生,Exe
cut
i
ve Deanの
Donna Hammond先生,私を迎えてくれたラボの E.Dal
e
Abel先生,4週間の間多岐に渡り懇切丁寧に指導をしてくだ
さった都島 介先生,緊急時の窓口となって面倒を見てくだ
さったアイオワ大学腫瘍外科学の星久和先生,私に MPH 取
得という新たな道を示してくださったアイオワ大学感染症内
で何とか結果を出せるようにしようとしてくれてい
科の後藤道彦先生,アイオワでの生活についてアドバイスを
るラボの人に「どんなセミナーがありますか?」と
くださった育和会記念病院の山住俊晃先生,そして今回の留
は聞きにくく感じられました.そこで,こういった
学で同行してくれた3年生の山口実賀さん.この方たちのお
セミナーやレクチャーなどの情報を確認できる方法
かげで,「この留学が満足なものとして終える事ができた」と
を知っていれば,ラボでの実験だけでなく,軽食を
食べながら英語で話される臨床についての話を必死
で聞くという経験をしやすくなると思います.この
言うには言葉が足りないくらいに,私のこれからのキャリア
や
え方に大きな影響を与えてくれる留学となりました.心
より感謝を申し上げます.
1
06
磯
参
矢
文献
1.Wi
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近畿大医誌(MedJKi
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v)第40巻3,4号
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1 20
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0
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第1回近畿大学医学部海外研修プログラムに参加して
山 口 実 賀
近畿大学医学部3年
.このプログラムに関して
2
015年8月2日∼8月29日の4週間,アメリカ合
衆国,アイオワ州アイオワシティにある The Uni
ver
s
i
t
yofI
owa(アイオワ大学)の研究室にて研修
をさせていただきました.このプログラムは,学生
“hi
ghr
i
s
k,hi
ghr
e
war
d”とされるバイオメディカ
ル系の研究を行う研究室が入っています.
.研修内容に関して
平日は朝は8時や9時頃から夕方6時,遅い日は
8時半頃まで,毎日研究漬けでした.
の間から海外の医学研究・医学教育に触れることに
1ケ月を通して,網膜の光受容細胞に存在する
より,将来医師として国際感覚豊かな,そして幅広
い視野を持つ人材を育成することを目的に,近畿大
(カルシウムチャネル)のあるドメインの配
Cav1
.
4
列とエクソンの特定領域の塩基配列に焦点を り,
学とアイオワ大学間で今年度から始められたもので
その関係性を調べる実験をさせていただきました.
この1つのプロジェクトを通して,マウスから網
す.
.アイオワ大学と配属研究室に関して
膜細胞や内耳の有毛細胞を取り出す技術から,ベク
ターやインサートなど大腸菌を用いた PCRやウエ
アイオワ大学はコーンの生産が有名で,映画『マ
スタンブロットなど一般的な遺伝子のクローニング
ディソン郡の橋』の舞台ともなっているアイオワ州
レベルの実験まで,多くを経験しました.遺伝子ク
にある,1847年
野,医学研
ローニングの実験では,環状 DNA で独立した遺伝
子複製機構を持つプラスミドを遺伝子組み換え操作
野,そして学生教育においても顕著な成果をあ
のベクターとして用います.まず,プラスミドを大
部・
究
立の
合大学です.多種多様な学
野をもち医学系にも強く,臨床
げています.大学ではアメリカンフットボールが大
腸菌から回収し制限酵素で特定の塩基配列部
変人気で,アイオワ大学病院のすぐ前にそのスタジ
アムがありました.残念ながらシーズン開幕前に帰
断し,インサート
(増幅させたい DNA で,私の場合
はドメインの配列です.
)も同じ制限酵素で切断(ダ
国したため,シーズン中の様子を見ることはできま
イジェスチョン)
してから,DNA リガーゼでこれら
せんでしたが,
「シーズン中にはアイオワとは思えな
ベクターとインサートを結合(ライゲーション)さ
い盛り上がりを見せる」と現地の方々は仰っていま
せます.このプラスミドを大腸菌に導入
(形質転換,
した.
配属研究室は,渡米前に受け入れ可能な研究室と
その研究テーマの一覧をいただき,希望を出しまし
た.私は,bl
(盲目)や de
(難聴)に
i
ndne
s
s
af
ne
s
s
おける電位依存性 Ca チャネルに関連する疾患,
またそれを標的とした新薬に関する研究を行う Dr
.
Le
eという女性教授の研究室にて4週間学ばせてい
ただくこととなりました.Dr
01
4
.
Le
eの研究室は2
年に完成したばかりの“JohnandMar
yPappaj
ohn
(通称 PBDB)と
Bi
ome
di
calDi
s
cove
r
yBui
l
di
ng”
呼ばれる 物の中にありました.PBDBはその名称
ともなっている Pappaj
ohn夫妻の寄付によって
てられ,糖尿病や,難聴,脳科学など,学際的で,
研究室のある
物,PBDB
を切
1
08
山
口
実
賀
トランスフォーメーション)し大腸菌の培養を行う
ドの群でも,正しいプラスミドコロニーなのか,切
ことにより,目的の DNA を増幅させ,シークエンス
れていないベクターのコロニーなのかが
解析でその塩基配列を確認します.その後,そのド
なってしまったのです.そこで,⑴今できているコ
メイン部
とエクソンタンパクそれぞれに,印とな
ロニーがベクターとインサートが付いた正しいプラ
るビーズをつけ精製し,電気泳動,ウエスタンブロ
スミドなのかどうかを確かめるために,任意のコロ
ットと行うことによって,配列の関係性を見る,と
ニーを数個選んできて,それが取り出したいプラス
いうのが大まかな流れでした.
ミドであったなら引き続き元の手順を行う,⑵ベク
関わらせていただいた実験の内容とその過程を週
からなく
ターのダイジェスションからもう一度やり直す,の
ごとにまとめてご紹介させていただきます.
2通りの打開策を行うこととしました.
結果的には,
・1週目(8月4日∼8月7日)
⑴で正しい大きさの DNA が確認できなかったの
実験のサンプルは,生齢5週の小さなマウスの網
膜細胞でした.マウスから細胞を取り出す際には,
該当部
で,⑵の方で進めることとなりました.
2週目ですでに方向修正が必要となったことは想
の細胞を的確に,そして異物に触れる時間
定外のハプニングでしたが,何が問題であるのか,
が少ないように,と細かい作業,正確な技術が必要
より良い結果のための改善点は何か,ということを
とされました.網膜細胞は,目をギュッと押し出し
え,
からないことは研究室のメンバーにも相談
レンズを切り離した後に,ピンクがかった小さな膜
しながら進める必要があることを実感すると共に,
状のものとして取り出されました.内耳の有毛細胞
気が付けば自然とそうしていました.また,1週目
の取り出しも,他のプロジェクトで行われていたの
に行った PCRや Rungel
,ダイジェスチョンなどの
で観察したのですが,心臓を剖出し,循環を止めて
過程を,もう一度すぐに自
から首を切り離し,頭蓋や人間と同じようにマウス
たので,慣れない環境での実験にも少しばかりの余
も持つ耳小骨(ツチ骨,キヌタ骨,アブミ骨)など
裕が生まれ,実験の空き時間に研究室の方に教えて
色々な骨を除いて蝸牛を取り出し,内耳の部
いただいた論文を読むことや実験を楽しむこともで
から
有毛細胞を取り出す,という非常に細かい作業でし
の手で行うことができ
きたように思います.
た.
まず,調べるドメインと領域を決めたところで,
コンピュータ上のバーチャルで Cav1.
4の目的ドメ
インの配列を確認し,PCRでの増幅に必要な適切な
プライマーを設計し,外部の会社に発注しました.
発注したプライマーが届き次の過程に進むまでの2
日間に,日本語でも曖昧な理解だった必要な知識を
英語で深く理解するために,生命科学や細菌学の用
語や実験手順を英語で調べ,まとめることが出来ま
した.この2日間にしっかりと知識や手順を整理で
きたことは,そこからの実験を進めていくにあたっ
て大きな助けとなりました.
プライマーが届いてからは,遺伝子クローニング
の実験で,PCRやアガロースゲルでの電気泳動によ
るサイズの確認,そしてダイジェスチョン,ライゲ
ーション,トランスフォーメーションと順々に進め
研究室にて
・3週目(8月1
5
日∼8月21
日)
打開策⑵の結果が出たのですが,やはり求めてい
ていきました.
る結果が出ず,その問題点を洗い出すこととなりま
・2週目(8月1
0日∼8月14日)
した.もう一度初心に戻るという意味でもバーチャ
順調に進んでいると思っていた実験も,2週目に
ルで配列を見ていると,
用していた二つの制限酵
して,トランスフォーメーションのコントロール群
素のうちの片方の制限酵素認識配列中の DNA がメ
でもコロニーができてしまうという事態が発生しま
チル化された塩基を含んでいるために,ベクターが
した.コントロール群のコロニーはダイジェスチョ
正しく切断されてなかった可能性があることが
ンの過程で完全に切れなかったベクターによるもの
りました.そこで異なる制限酵素を用いてもう一度
と
2週目の過程を繰り返して行ってみることにしまし
えられるのですが,1週目の実験でベクターの
PCRと Runge
lを行わなかったので,真のプラスミ
た.
か
第1回近畿大学医学部海外研修プログラムに参加して
10
9
最終段階でドメインと Hi
sタンパクを用いてタ
ンパクを精製するために,Hi
sタンパクの準備も同
時進行で行いました.ここでは M9メディアを 用
することになったのですが,研究室では今までに作
成し
用したことのない新しいプロトコールだった
ために,初めに作成したものは濁ってしまうなど,
ここでも何が問題であるのか
え,調べながら進め
ることが必要とされました.結果的にはプロトコー
ルに書かれている順番を変
することによって Hi
s
タンパクを培養することができました.
実験でなかなか求めている結果が出ず,研究の厳
研究室のメンバーとの昼食会
しさ,難しさも少しずつ見えてきた頃でしたが,進
展の報告の際にラボマネージャーの方からは「実験
で正しい方に向かっているのにすぐにうまくいかな
は終始良い
いことはよくあることだから」といつも笑顔で声を
議論が
かけていただき,励まされました.
談をしている様子がたびたび見られ,ポジションを
・4週目(8月2
4日∼8月28日)
問わずいつでも互いに相談のできる環境であること
最終段階で,ドメインと Hi
sタンパクを用いてタ
ンパクを精製する過程は,3日掛かりで行われまし
を感じました.
た.この週は特に,時間勝負の手順も多く,周りか
嵩亮さんの配属研究室である Dr
.Abelの研究室に
らも急かされながらの実験となりました.元々のプ
もお邪魔させていただき,研究内容を見学させてい
ロジェクトの予定通り,ウエスタンブロットまで進
ただきました.研究室によって行われていることは
め,結果を見ることができました.しかし最終まで
当たり前ながら大きく異なり新鮮であり,見せてい
思っていたような結果は出ず,プライマーの設計か
ただき関わらせていただいた双方の研究室におい
らやり直すことが理想的であるという結論となりま
て,最先端の設備や技術,そこで働く方々の姿を実
した.
際に目の前で見ることができたことは大変貴重な経
結果的に研究で結果を出すには至らず,研究の楽
囲気でした.ミーティングでは活発に
わされ,休み時間にもそれぞれの研究の相
最終週には共に研修に参加していた4年生の磯矢
験となりました.
しさや難しさを少しずつ感じられる1ケ月間でした
よりクリニカルな活動としては,滞在4週間の間
が,このプロジェクトを通して多くを学び,研究へ
に,医師や学生向けに開かれているレクチャーや内
の関心が増し,私にとってはこの上なく充実したラ
科の Gr
and Roundにも参加させていただきまし
ボ生活であり,この期間の経験は私が研究に関わっ
た.より学生向きのレクチャーでは,ヒトメタニュ
ていくことの大きな初めの一歩となったと感じてい
ーモウイルス(HNPV)が細胞性免疫から逃れる
子機構について学びました.ペンシルベニア州,
ます.
全体を通して,専門的な実験テクニックが必要と
され,英語で専門用語を含む難しい研究の内容が話
Chi
l
dr
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alofPi
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s
bur
ghから来られてい
た Dr
.Wi
l
l
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amsが,呼吸器疾患が小児の死因の第1
される環境に置かれることは私にとって容易ではあ
位であることや,HNPV も特定種の癌細胞と同じ
りませんでした.しかし研究室の方々は,大学生の
ように CD8T 細胞に発現する PD-1に対するリガ
メンバーも含めて,学生や後輩のトレーニングに慣
ンド(PD)を持ち,PD-1と PD-L1が結合する
L1
れておられ,
てくださり,私に可能な過程に関しては一任してい
ことによって,
CD8T 細胞による免疫機構を逃れる
ことなどをご講演くださり,基礎医学の免疫の 野
ただきました.そういった意味で私もこの研究室の
で習っていた知識が深められる興味深い内容でし
ゲストであると同時に一員として尊重されているこ
とを感じ,身が引き締まる思いで精一杯実験に取り
た.内科の Gr
and Roundでは感染症の最先端のお
話をアイオワ大学の後藤道彦先生がご講演され,ア
組むことができました.
メリカで働かれる日本人の先生のご講演に刺激を受
からないことは尋ねると手厚く教え
研究室のメンバーは,出身国がアメリカ,中国,
ける時間でした.抗菌薬の開発と研究費についてや
韓国,ブラジル,インドと多国籍でした.しばしば
抗菌薬の
ランチをご一緒したり
生日のお祝いをしたりとメ
話を聞くことができました.毎週決まった曜日の昼
ンバー同士のコミュニケーションも盛んで,研究室
1時間に行われるようですが,聴衆は医師や学生な
用による耐性菌の出現に関する実際のお
1
10
山
口
実
賀
どで満席で,立ち見の方や階段に腰掛けて聞いてお
を眺め,また日本ではあまり見ない西洋らしい
られる方もいらっしゃり,ご講演やその会場を通し
や,芝生や木々の豊かな緑に囲まれたカラフルで広
て,少しばかり実際の海外の医療現場を感じること
大な街並みを楽しみながら,研究室に通っていまし
もできたように思います.
た.自然の豊かさを表すように,街を歩いていると
.アイオワでの生活に関して
物
リスやウサギもよく見かけました.徒歩圏内でなく
ても,アイオワ大学病院や寮を含む大学内とその周
アイオワ大学周辺は非常に治安が良く,アメリカ
辺の移動は,誰でも自由に無料で利用することがで
では珍しいかもしれませんが,夜1
0
時を過ぎても女
性がひとりで外を歩く姿が見られるような街だった
きるバス,CAMBUSで事足ります.
大学の図書館も利用しました.中でも最も広いメ
ため,安全面では安心して生活することができまし
インライブラリーはコンピュータや自習スペースが
た.
大変充実していました.食べ物を購入できるカフェ
アイオワシティの8月の気候は,日本に比べて湿
も内部にあり,コンピュータの前でドーナツを手に
気が少なく気温も3
0
℃ほどで過ごしやすかったです
しながら課題を進める学生の姿はあまり日本では見
が,雷など悪天候の日もあり,8月下旬に差し掛か
られないものだと感じましたが,セメスターが始ま
ると1
2℃まで下がる日もありました.
ると2
4
時間で開いている日も多く,たくさんの学生
現地でのハウジングは,Thenat
i
onalr
e
gi
s
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e
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hi
s
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or
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cpl
ac
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sにも認定されている Bos
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c
kHous
e
を借りていただき,研究室のある PBDBまで徒歩で
が勉学に励んでおられました.図書館や大学構内で
は自
のスマートフォンやコンピュータを,アメリ
1
0 ほどの距離でした.近くには以前アイオワシテ
カの大手の通信会社である AT & T が提供する
Wi
Fiに無料で繫げることができ,ネット環境にも
ィが州都であった名残でもあるオールドキャピタル
困ることはなかったです.
やその美術館,また幾つかの教会が立ち並び,Bos
t
i
c
k Hous
eからすぐ近くのダウンタウンには様々
が,アイオワで食べたポークやコーンブレッド,果
な食事処やカフェ,バーがあり,大変綺麗な街並み
物などはとても美味しく,帰国した今では少し懐か
で
しく思っています.病院内には,働いている方や患
利な立地でした.オールドキャピタルの東側に
食生活はやはり母国の味が一番だと実感しました
,西側に PBDBや Uni
Bos
t
i
c
k Hous
e
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者のためのカフェテリアがあり,ポスドクの方たち
,UI
I
owaHos
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ni
cs
HC(アイオワ大学
病院)などがあったので,毎日オールドキャピタル
と一緒に昼食を食べに行くこともありました.カフ
ェテリアでは奇抜な s
us
hiや丼系も並んでいました
が,無難にメキシカンやハンバーガーなどの方が私
の口には合っていました.真冬の極寒(気温はマイ
ナス2
0
℃にまで下がると聞きました.
)
の対策でもあ
ると聞きましたが,医学部の
物や研究棟,病院や
その駐車場まではずっと屋内で繫がっていて,慣れ
ると PBDBからカフェテリアを含む病院内への移
動もスムーズでした.
このプログラムは今年度からの試みで,J-1ビザ
での保険や I
Dに関してなど事務的な問題もいくつ
かありましたが,現地では Sc
hwi
nn学部長や Hammond副学部長,また先生方の秘書の方にすぐにご
相談できる環境で,とても心強かったです.アイオ
ワ大学病院で医師をされている日本人の先生方や研
究室でポスドクとして働かれている日本人の先生に
も全面的にサポートしていただき,お食事もご一緒
させていただきました.このように,このプログラ
ムを通して素晴らしい先生方と出会い,自
の視野
を広げることに繫がるお話を聞かせていただいたこ
とも,私の一生の財産となることと思います.今こ
オールドキャピタルとアイオワ大学のマスコット
He
r
kyt
heHawk
うして思い返してみると,
アメリカで働かれている,
また働かれた経験をお持ちの先生方には,新しい経
第1回近畿大学医学部海外研修プログラムに参加して
験を積むことやそれを通して広い世界を知って異な
る環境で自
たように思います.
このプログラムで学んだことは最先端の研究や実
験テクニックだけでなく,人との出会いを通して教
平日は毎日実験に没頭していましたが,土日には
自
.最 後 に
を試すこと,また人との出会いの大切
さに関して一貫して私たちに多くを語っていただい
11
1
のプロジェクトの手順さえ都合がつけば研究室
えていただいたことや,世界の広さ,多様性を身を
以て感じられたことなど,多くが挙げられます.
のメンバーも皆それぞれの休日を過ごしており,月
日本の医学生の基礎研究離れが問題になっている
曜日には“How wasyourwe
”に対するそ
e
ke
nd?
と聞いたことがあります.事実,私自身も基礎の学
れぞれの週末の報告が飛び
習は低学年で終え,それ以降は臨床医となるための
います.私も土日にシ
ョートトリップに出かけることが良い気
転換とな
よりクリニカルな学習が中心になると感じており,
り,平日の間は集中して実験ができたように思いま
研究は触れることもないまま自然と,難しいもので
す.アーミッシュの村やシカゴに出かけることがで
あると
きたことは夏の良い思い出です.中でも,アーミッ
では,臨床医が何かしらの形で基礎となる研究に携
シュの村では,長年訪ねてみたいと思っていたので
わる経験を持っておくことは必要であると
え,卒
すが,今でも電気などの文明を
業までにも研究に関わる機会をもちたいと
えてい
わずに自給自足の
生活を送っている様子を実際に見ることができ,感
激しました.移動には車でなく馬車を用い,生活様
え,身構えてしまっていました.しかし今
ます.
最後となりましたが,今回海外研修という貴重な
式は農耕や牧畜を中心としておられました.シカゴ
経験の機会を与えてくださった近畿大学塩崎
でもミレニアムパークやシカゴ
響楽団の本拠地の
長,医学部伊木雅之医学部長,同磯貝典孝教授,同
コンサートホールを始めとした有名な観光地を巡
武知薫子先生,同池田行宏先生,育和会理事長山住
り,美味しいご飯を食べ,買い物をし,アイオワシ
俊晃先生,サポートいただいたアイオワ大学の先生
ティとは異なり高層ビルが立ち並ぶ大都会を肌で感
方,また周囲の人々の支えに,この場をお借りして
じることができました.
心より厚く御礼を申し上げます.
共に研修に参加し,
学
また私たちの滞在の最終週には大学のセメスター
1ケ月間様々な点でお気遣いいただき助けて下さっ
が始まったので,新入生のオリエンテーションも行
た尊敬できる先輩,磯矢さんにも心から感謝してい
われ,夏休み中とは打って変わって大学が賑わう様
ます.ありがとうございました.
子を見ることができました.