Title 「虎」に関することわざ類 : 虎をどう捉えてきたか Author(s) 馬場, 俊臣 Citation 札幌国語研究, 16: A19-A28 Issue Date 2011 URL http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2583 Rights Hokkaido University of Education 「虎」に関することわざ顆 一虎をどう捉えてきたか− 馬 場 俊 臣 1 はじめに 「ことわざ」は、古くから言い伝えられてきた、教訓・風刺・真理などを含んだ 短い言葉であり、様々な事物に対する人々の見方や凍え方が反映している。 馬場(2010)では、「牛」に関する日本のことわざを取り上げ、日本人は牛の何 に注目し、どのように捉えてきたかを見た。本稿では、「虎」に関する日本のこと わざを取り上げ、ことわざでは虎をどのように捉えてきたかを見ていく。 本稿で取り上げることわざは『故事・俗信 ことわざ大辞典」(尚学園書(編) (1982))に基づいている。ただし、各地の俗信・俗説は取り上げない。 同書の「結語彙索引」の「虎」の項には、約120句のことわざ(俗信・俗説、言 葉遊び・しゃれ、慣用句、故事を含む)が挙げられており、十二支の動物名を含む ことわざの中では中程度の多さである。 虎は、十二支の動物の中では、想像上の動物である龍(辰)を除けば日本に生息 していない唯一の動物ではあるが、早くは万葉集や日本書紀に虎に関する記述が見 られる。生きた虎が日本に初めて連れて来られたのは平安時代とされるが、庶民は 生きた虎を実際に見ることはなかったであろう。庶民が生きた虎を知り虎が珍しく なくなったのは、明治以降に東京上野動物岡などで虎が飼育されてからだとされる。 しかしながら、中国や朝鮮から、毛皮・絵画・彫刻や故事・格言・物語などによっ て、虎に関する知識が日本にもたらされてきた。 ことわざの中の虎も、実際の虎の生態の観察に基づいたものではなく、ほとんど は中国の故事成語や漢籍などでの虎の捉え方に影響を受けたものであり、また、中 国の故事成語に基づいたことわざも多い。本稿では、『故事・俗信 ことわざ大辞典』 に漢籍類の出典が示されていない表現を、仮に日本のことわざとして扱った。 以下、虎に関することわざにおいて注目された虎の特徴を分類し、ことわざを例 示していく。漢籍における故事成語の類も参考として示す。()内に示した解釈 は r故事・俗信 ことわざ大辞典j に基づいている。関連する情報も随時補う。 −19一 2 虎の特徴 (1)偉大さ・優秀さ (D 虎は飢えても死したる肉を食わず(潔癖な人はたとえどんなに因っても、不正 なものを受けないというたとえ。) トラの食性については、「トラをはじめとするネコ科の動物は、完全な肉 食です。しかも死肉や腐肉よりは、生きている動物が好きであることが分か ります。」(伊澤(監修)(1998) 48−49頁)、「トラは時にはカエルやバッタ のようなものも食べますが、普通はあまり小型の動物は襲いません。」(伊澤 (監修)(1998) 51頁)、「一般にはトラの餌は各種のシカ類やイノシシで、 ネズミ大の′」、型哺乳類や小鳥にまで及ぶ。見つけた動物の死体や、陸に打ち 上げられた魚の死骸でさえ、それがすでに腐敗している場合でも、食べるこ とがある。極度に飢えている場合には、大型の昆虫や、りこや魚類をも好ん で食べる。」(増井(礪)(1997)188頁)とのことである。 ② 虎は風に毛を振るう(虎は吹いてくる風に対してさえ毛を逆立て、猛然たる気 配を示す。勇者が事にあたって奮起する様子のたとえ。) 虎の敏感さについては、「トラは昔に大変敏感なため、ほんの少しの操作昔、 シャッター音にさえ反応します。」(伊澤(監修)(1998) 22−23頁)とのこ とである。 ③ 虎は千里続く国ならでは住まず(虎は一日の間に千里を往復することができる ので、自由に動き回れるような広大な国でなければ棲息しない。非常に大きな才 を有するものは、その才を生かせるような境遇の中にしか住めないことのたとえ。) ④ 虎は千里の薮に住む(すぐれたものは、広々として奥深いところにいる。) 虎は本当に「千里」走るのであろうか。以下のような記述を参考に挙げて おく。なお、現代では「里」は、日本では約4キロ、中国では500メートル であるが、これは時代により異なっている。 「トラの狩りは昼夜を問わず行われます。また、トラはなかなかタフで、 一夜に10∼30キロを歩き回ることができます。」(伊澤(監修)(1998) 49頁) 「トラは、一晩に二○キロから多いときには八○キロくらいは簡単に移動 できます。これは肉食動物の中でもかなり行動範囲が広い方に入ると思いま す。また、獲物が少なくなると、わずか数日のうちに四00キロ以上も移動 してしまうとも言われています。ところで中国では一里が七00メートル足 らずですから、千里と言いますとおよそ七00キロということになります。 先のデータは、トラたちの棲息地域が人間に圧迫されてからのものですから、 それよりずっと以前、まだ人跡未踏の大地が広大に広がっていた昔には、ト ラものびのびと生活していたはずですから、あるいはことわざに匹敵するく らいの広大な行動圏を持っていたかもしれません。そういった意味では、『千 里の薮に住む」という詰もあながち眉つばな数字とばかりは言えないものが −20− あります。」(佐草(1995)137頁) 「また、別のことわざに r虎は一日千里を走る』というのがありますが、 これはかなり誇張されすぎです。なにせ一日に七00キロを走るには、二四 時間ぶっ通しで時速三○キロのスピードで走り通さねばなりません。昔の人 達がトラの能力を神がかり的なものととらえ、必要以上に恐れていたのは理 解できますが、それを差し引いたとしても、さすがのトラでも一日でそこま で走るというのは、まず無理というものです。」(佐革(1995)137貫) 「普通、単独で生活し、食物の豊富な地方では約50平方キロメートル、少 ない地方では3000平方キロメートルの縄張りをもつ。」(『日本大百科全書 (ニッポニカ)」小学館発行(ジャパンナレッジ版) 「トラ」の項) 「ロシアの極東地域に棲息するアムールトラ(シベリアトラ)の行動圃(中 略)ここではエサとなる動物の数が少なく、しかも季節ごとに移動してしま いますから、トラが十分なエサを確保するには、広い行動圏が必要になりま す。メスでも100∼400平方キロメートル、オスになると800∼1000平方キロ メートルにも及びます。これに対して、(中略)インドやネパールに棲息す るベンガルトラの行動圏(中略)この辺りはエサとなる動物が豊富にいるた めに、それほど広い行動圏は必要とせず、一気に2桁の数値(引用者注 オ スで66∼78平方キロメートル、メスで16.9∼65平方キロメートル)になって しまいます。」(伊澤(監修)(1998) 32−33頁) ⑤ 猫は虎の心を知らず(猫のような小さい動物には、虎のような大きな動物の心 は理解できない。′ト人物には大人物の考えることは分からないことのたとえ。) 中国の故事成語類としては、次のようなものがある。 ○ 虎を描きて犬に類す/虎を措きて猫に類す(猛虎を桧にかいてみても、その真 の姿を表現することはできず、まるで犬か猫のような力のないものになってしま う。力量のないものがすぐれた人の真似をしてかえって軽薄になったり、あまり に高遠なものを求めたために不成功に終わったりすることのたとえ。) ○ 之を用いれば則ち虎となり、用いざれば別ち鼠となる(人は重要な地位を与え られれば、虎のような勢いを得て活躍するが、任用されないと鼠のようにこそこ そと逃げ隠れてしまう。) ○ 雲は竜に従い風は虎に従う(物事はそれぞれふさわしいものを伴うことによっ てうまくいく。立派な君主のもとにはすぐれた臣下が現れるというたとえ。) ○ 虎囁(うそぶ)けば風騒ぐ/虎囁けば風生ず(虎が吠えると風が吹き起こる。 英雄がひとたび立てば天下に風雲を巻き起こすことのたとえ。) (2)名誉(毛・皮) ① 千里を急ぐ虎は毛を惜しむ(「死して皮を残す」といわれる虎は一日に千里を 走る間も毛皮に傷がつくことを惜しむ。命よりも名誉を重んじることのたとえ。) (参 虎は死して皮を残し人は死して名を残す/人は名を惜しみ虎は毛を惜しむ(獣 −21− の王者である猛虎は死後も皮となって珍禿され、人は死後に残した名誉や功績に よってその名が語り伝えられる。自分の名誉を大切にすることを生前から心がけ なければならない。)(「日本でもじった諺」(増井(編)(1997) 79頁)) (勤 唐土の虎は毛を惜しみ日本の武士は名を惜しむ/もろこしの虎は毛を惜しむ (中国の虎がその毛をかけがえのないものとして大切にするように、日本の武士 は名誉をこのうえなく重んじる。) 「毛皮」などの貴車さについては、以下のような記述を参考に挙げておく。 「虎の爪・牙・骨肉そのすべてが病魔を除く効験があり、ことに虎の皮は 魔除けとして珍表されている。」(増井(鰐)(1997)12頁)(なお、「虎皮(こ ひ)」(虎の皮)は昔は貴人の敷物であった。) 「虎骨(ここつ、中国語でフーグー)漢方古典(中略)虎は骨に限らず、 薬用となる部分は虎肉、眼晴(目)、虎牙、虎筋(聴)、虎爪、虎腎、虎胆、 胃、脂肪から作った油などです。」(「ドクター康仁(こうじん)のうんちく 漢方熟」 http://kojindou.no−blogjp/happykanpo/cat7092201/index.html) 「古来から(ママ)虎が魔を除くという由来がありますが、虎骨が薬用と なり、その虎骨は頭風を治すという俗説に基づき、中国では皇子降誕の時に 虎頭をまつり邪気を退ける慣例がありました。」(「趣味の張子の虎の研究」 http://ww3.tiki.ne,jp/ ̄hotkazuo/shumi.htm) (3)勢い・威勢 〔D 主(しゅ)の威を借る虎(自分自身が実力がないのに、主人の威勢を頼みにし て帽をきかせる者。) これについては、(㌻戦国策』の寓話の説明の後に)「実はこれは後世に影 響力の強い中国式イソップで、以後、なんと近代のはじめまで、トラは自分 の姿をおそれて逃げた動物たちを、キツネを見て逃げたものと信じてしまう くらい、おろかなけものだということになってしまったほどである。明治末 の日本の小説にすら、「虎は比較的愚かな動物で……」という描写が見える。 “ヒョウに負ける■’説も、もとはこのへんに根をもっているらしい。」(賓書 (1988)180頁)とのことである。 (参 鼠も虎の如し(勝ちに乗じて進むときは、弱小な者にも勢いがある。また、鼠 も命がけで飛び出す時の勢いは虎のようにすさまじい。) ① 虎は一日に千里行く/虎は千里入って千里帰る(虎は一日に千里行って、また、 その千里を戻ってくることができる。勢いの盛んな様子。) ④ 虎は千里の薮を越す(勢いの盛んな様子。) ⑤ 虎に角(もともと威力のあるものが、さらに威力を加えること。) ⑥ 死せる虎は生ける鼠に及ばず(いくら強くても死んでしまった虎は生きた鼠に 及ばない。) トラの狩りについては、「表6に「ネコ科の動物の狩りの成功率」が示さ r22− れています。ピューマがシカを狙うときの82%、チーターがウサギを狙うと きの86%、同じくトムソンガゼルを狙うときの70%が目立つくらいで、全体 的に意外と低いという印象を受けます。トラにいたっては、わずかに8%で す。(中略)ただし、1頭の獲物が大きく、しかも単独で狩りをして、捕え た獲物を独占できるわけですから、一度狩りに成功すれば、得られるものは 大きいことになります。」(伊澤(監修)(1998) 50−51頁)、「インドでの観 察例では、1頭のメスは8∼9日に1回、獲物を捕っていました。」(伊澤(監 修)(1998) 50頁)とのことである。 (虎の子) ⑦ 虎生まれて三日にして人食らうの気あり/虎生まれて三日にして牛食らうの気 あり/虎の子は地に落つれば牛を食う気あり(虎の子は生れてすぐに、牛を食う ほどの気性を持っている。すぐれているものは、幼少時より非凡である。) 子トラについては、「出生時のトラの体蒐は780∼1600グラムで、母トラの およそ100分のlしかなく、大変未熟な状態です。(中略)子の頭の先から尾 の先までの長さは、およそ50センチです。」(伊澤(監修)(1998) 61頁) とのことである。 中国の故事成語類としては、次のようなものがある。 ○ 虎の威を借る狐(他の権勢に頼って威張る小人物のたとえ。) ○ 虎に翼/虎に羽(もともと威力のあるものが、さらに威力を加えること。) ○ 虎豹(こひょう)の駒(く)は食牛(しょくぎゅう)の気あり(虎や豹の子は、 幼いうちから午を食うほどの意気込みを持っている。大人物は幼少の時から常人 とは違ったところがあることのたとえ。) (4)貴重(虎の子) (D 虎の子(大切にして手放さないもの。秘蔵する金品。) 虎の子の貴重さについては、「昔の中国ではトラの子はとても高額で取引 されました。為政者が権威の象徴として飼うのに、成獣の(ママ)生け捕り にすることは至難の技なので、子供を捕まえて育てようとしたわけです。当 時でもトラの子は貴重だったということは、子トラの捕獲も相当難しかった …・という状況だったでしょう。」(佐革(1995)142頁)とのことである。 ② 虎は子を思うて千里を帰る(虎が子を愛することの切なる様子。) 出産■子育てについては、「妊娠期間は105∼113日、1産2∼4子で7子 の記録もある。」「幼獣の死亡率は高く、普通は1旗の2頭以上が3∼4歳の 成熟まで生き残ることはない。」(『日本犬百科全書(ニッポニカ)』小学館発 行(ジャパンナレッジ版) 「トラ」の項)とのことである。 また、「メスは出産準備に取り掛かります。まず山奥の最も安全な岩穴な どの巣穴を確保して、そこで一度に二頭から四頭の赤ちゃんを産みます。生 まれたばかりの赤ちゃんは、体重が一キロ前後しかなく目も開いておらず、 −23− 大変弱々しい感じがします。赤ちゃんは大体二週間で目が見えるようになり、 八週間ほどでヨチヨチ歩きを始めます。この間、メスは食事や用足しの時以 外は片時も経れずに、つきっきりで赤ちゃんを育てます。(中略)生後四か 月もすると母親は狩りに子供たちを連れ出すようになります。(中略)子供 たちは、母親の狩りのようすを草陰からじっくりと観察し、狩りの仕方を勉 強するのです。母親が獲物を倒すと、今度は肉の食いちぎり方を身をもって 実習していきます。やがて八か月もすると、子供たちは自分の力で少しずつ ですが小型の獲物なら倒せるようになってきます。」(佐草(1995)140− 141頁)とのことである。 中国の故事成語類としては、次のようなものがある。 ○ 虎穴に入らずんば虎子を得ず(大変な危険を冒さなければ、功名を得ることは できない。) (5)危険・凶暴 (虎自体) ① 虎を千里の野に放つ/虎を放ちて山へ還す/虎を赦して竹林に放す(猛虎を野 に放って自由にする。猛威を振るうものをその力を存分に発揮できる状態におく こと。後に災いを残すような危険なものを野放しにしておくこと。) (夢 虎に追われた者は虎の絵に怖じる(一度ひどい日にあうと、似ているものをす べてこわがるようになることのたとえ。) ③ 市(いち)に虎を放つ如し(非常に危険であることのたとえ。) (む 虎の放し飼い(自分に危害を加える恐れのあるものを放っておく。はなはだ危 険なこと。) ⑤ 虎も我が子を食わぬ(恐ろしい猛獣でさえ子をかわいがる。) なお、「特に父親ドラが、侵入して来た別のオスに負けてそのテリトリー を明け渡すような事態が起こると大変です。テリトリーの新しい主となった オスは、前のオスの赤ちゃん運を片っ端から食い殺してしまうからです。子 供がいなくなるとメスはすぐに発情を迎えます。だから子供を殺して、テリ トリー内のメスが、早く自分の遺伝子を持つ子供を産むように…と仕向ける わけです。」(佐草(1995)141頁)とのことである。 (参 猫にもなれば虎にもなる(猫のようにおとなしくもなれば、虎のように凶暴に もなる。時と場合によって、やさしくもなれば猛々しくもなる。) ⑦ 無常の虎が身を責むる(人の命を奪うこの世の無常を恐ろしい虎にたとえてい う。) (沙 口の虎は身を破る/口の虎は身を食む(うかつなことを言うと、身を滅ぼす危 険が生じることがある。言葉は慎むべきである。) (9 ロは虎、舌は剣(つるぎ)(言葉しだいで、人を傷つけたり自身を滅ぼしたり することになること。) −24− ⑲ 虎(とら)狼(おおかみ)より人の口恐ろし(凶暴な虎や狼などから逃げる方 法もあるが、悪口や蔑言などから身を守る方法がない。) ⑪ 虎(とら)狼(おおかみ)より漏るが恐ろし(虎や狼よりも古屋の雨漏りのほ うが恐ろしい。自分の秘密が世に広まるほうが恐ろしい。) なお、これは「古屋(ふるや)の漏り」に基づくものであり、「古屋の漏り」 とは「動物昔話の一種。一軒家で、爺さんと婆さんが雨の夜に唐土の虎より も古屋の雨漏りが恐ろしいと話しているのを虎が聞いて、逃げていったとい う話。東洋、日本で広く分布している。」(尚学園書(桶)(1982)1023頁) とのことである。 (虎の口) ⑩ 虎の口(極めて危険な場所や事柄のたとえ。)(「虎口(ここう)」の訓読み) ⑬ 虎の口へ手を入れる(きわめて危険なことのたとえ。) ⑭ 虎口の難(大変危険な難儀。非常に危険なこと。) ⑮ 虎口の譲吉(窮地に陥れられるような告げ口や、そしりごと。) ⑯ 虎の口より人の口恐ろし(人の噂や中傷が何よりも恐ろしいものである。) (虎の架) ⑳ 虎の考を粘(ひね)る/虎の顛を数える(きわめて危険なことのたとえ。) (虎の子) ⑩ 千里の野辺に虎の子を放つがごとし(将来必ず手におえないほど勇猛に成長す るはずの虎の子を、自由にふるまえる広大な原野に放つ。害を及ぼす恐れのある 危険な者を放置しておいて、後の災いを残すことのたとえ。) ⑩ 虎の子を野に放し、竜に水を与える(災いをもたらすものに利を与えるの意で、 そのため、後になって危険な目にあうかもしれないというたとえ。) ⑳ 虎の子を飼う/虎の子を養いて患いを忘れる(虎の子を殺さずに育てていたた めに、いつの間にか凶暴な猛虎になって、我が身の心配をしなければならないよ うなことになる。情愛にひかれて災いの種を断たなかったため、後日の禍根とな ることのたとえ。) 虎の恐ろしさについては、以下のような記述を参考に挙げておく。 「中国でも人食虎の話は多く、『虎帳』という短篇では、唐のころ費州県 で虎善が甚大で、人はみな高い楼台にすんで、その害をよけることになって いたと伝える。『虎道士j という話では、三峡の入口に猛虎が出没するので、 水行する人は、やむなく船から一人ずつトラに与えて、他の者が食われるの をまぬがれたとある。いずれもその地方に神出鬼没する異常体の食入癖のつ いたトラがあったことを示している。 トラはこわいもので、この上なく強いものだという思想は、この人食虎の 影響で生じている。ふつうトラは人など襲うものではなく、中国人がトラの 生息地(ハビタート)を侵略したり、戦乱があって死体がごろごろしていた りすることから、食人癖がついたのだが、それによって、トラの強猛は大袈 −25一 裟に伝えられた。」(賓吉(1988)193頁) 「現在では、トラの獲物の草食獣が減少し、開発などですみかを追われ、 ほとんどの亜種が絶滅の危機にさらされている。しかし、一方では人食いト ラがまれに存在し、バングラデシュで30人以上を襲った例が知られる。老齢 やけががもとで獲物をとれなくなったトラは人食いトラになりやすいといわ れるが、開発によって獲物が減り、トラと人間のすみかが接近したことにも、 人食いトラが出現する原因があるといえよう。」(『日本大百科全書(ニッポ ニカ)』小学館発行(ジャパンナレッジ版) 「トラ」の項) 中国の故事成語類としては、次のようなものがある。 ○ 前門の虎後門の狼/前門に虎を防ぎ後門に狼を進む(表門から侵入しようとす る虎を防いだが、裏門からすでに狼が侵入してきた。一つの災いを逃れても、さ らにまた他の災いにあうことのたとえ。) ○ 苛政は虎よりも猛し(厳しく残酷な政治は、猛獣よりも人民を苦しめる。) ○ 虎を養いて患いを遺す(虎の子を殺さずに育てたために、いつの間にか凶暴な 猛虎になって、我が身の心配をしなければならないようなことになる。情愛にひ かれて災いの種を断たなかったため、後日の禍根となることのたとえ。) ○ 虎にして冠する者(衣冠を着けて人間のような外観をしている虎。心の暴悪で ある者。) ○ 虎口を逃れる/虎口を脱する(危険な場所、状態から逃れる。) ○ 虎の尾を踏む(凶暴な虎の尾を踏む。きわめて危険なことのたとえ。) 3 そのほかの特徴 (ア)「竹」との取り合わせ ○ 竹に虎(図柄として、また、一対として格好なもののたとえ。) 虎と竹の取り合わせについては、「法隆寺の玉虫厨子に措かれている、大 乗仏教の『金光明経』の「捨身品」の物語は、配景の竹林と虎の図の最古の ものであるという。インドでは虎が竹林に生息する事実と、経典の有名な物 語とが、この一対の組み合わせを確たるものにしてきたようだ」(増井(鰐) (1997) 91頁)とのことである。「捨身品」の物語とは、飢えた虎の母子 に自らの肉体を布施するという物語である。 (イ)未開 ○ いさな寄る浦(ほ)、虎伏す野辺(郁から遠く離れた未開の土地。) (ウ)野生 ○ 虎の子は山へ放せ(物事は、それぞれの本来の姿にもどしてやるのがよい。) (工)武骨 ○ 猪首(いくび)馬足(うまあし)虎背中(とらせなか)(醜い容貌や武骨なか らだつきのたとえ。) −26− (オ)存在 中国の故事成語類として、次のようなものがある。 ○ 市(いち)に虎あり/三人、虎を成す((虎はいなくても、三人までが虎がい ると言うとそれが信じられるようになるという故事から)事実でなくても大勢の 人が言うと信じられてしまう。存在しないことや偽りなどがまことしやかにいわ れることのたとえ。) (力)獲物 ○ 酒に酔うて虎の首(酒に酔って、虎の首を取ったような大きなことをいう。酔っ 払いの大言壮語。) 中国の故事成語類として、次のようなものがある。 ○ 虎と見て射る失の石に立つ/虎を見て石に立つ矢の例あり(一心をこめて事を 行えば、不可能なことはないというたとえ。「石に立つ矢」。) 4 終わりに 虎は日本人にとっては身近な動物ではなかったが、中国の故事成語や物語などか ら虎に関する知識を得て、想像を蓮しくし虎の特徴をことわざの中に生かしてきた。 『世界14言語動物ことわざワールド 捕らぬ狸は皮算用?』(亜細亜大学ことわ ざ比較研究プロジェクト(礪)(2003))や『世界ことわざ大事典』(柴田・谷川・ 矢川(漏)(1995))によると、他言語(虎の生息地域はアジアに限られる)におい ても、虎の様々な特徴に注目したことわざが見られる。 「偉大さ・優秀さ」に関しては「虎の子は虎(勇者の子は勇者)」(インド)、「虎 は飢えても自らの肉を食らわず 自獅子は寒くとも雪山を離れない(ほこり高き人 はいかなる状況に陥っても、気高さを失わない)」(チベット)などがあり、「名誉」 に関しては「虎は死んで縞皮(しまがわ)を残し、象は死んで象牙を残す(立派な 功績を残す)」(インドネシア)などがあり、「勢い・威勢」に関しては「虎の皮を かぶる(本当は′トL、なのにあえて勇敢なふりをする)」(インド)などがあり、「貴重」 に関しては「虎は死んでも爪は不滅 狐は死んでも毛皮は不滅(その人のもっとも 優れたところはいつまでも残る)」(チベット)などがあり、「危険・凶暴」に関し ては「虎の口に手を入れる(危険を冒す)」(インド)、「こっちに虎、あっちに大河 (絶体絶命のピンチ)」(インド)、「低湿地に鰐、高乾地に虎(絶体絶命のピンチ)」 (バングラデシュ)、「虎から逃げて鰐に遭う(一難去ってまた一難)」(タイ)、「象 から逃れて虎に出会い、虎から逃れて鰐に出会う(一難去ってまた一難)」(ラオス) などがある。 一方、「盗みはキュウリから、虎は山羊から(盗みは最初はキュウリのような取 るに足らないものから始まり虎も山羊を食べているうちに人喰い虎になる、ささい な罪を犯しているうちにいつかとんでもない悪人になってしまう、「嘘つきは泥棒 の始まり」)」(インド)、「虎の縞模様は表にあり 人の姿は内にある(外見からは −27− 人の其の姿は判断できない)」(チベット)、「虎は爪を隠す(本当に実力のある人は 自分の能力をひけらかさない、「能ある鷹は爪を隠す」)」(インドネシア)などもあ る。 ことわざを通して、どの言語文化にも共通する動物の捉え方と同時に、言語文化 ごとの独自の捉え方を知ることができる。 注 本稿は、平成22年度北海道教育大学札幌校公開講座「文学に見られる身近な動 物たち(Ⅵ)−トラー 第2固 日本語とトラ」(平成22年8月14日)の講 演資料の一部に修正を加えたものである。 参考文献 亜細亜大学ことわざ比較研究プロジェクト(編)(2003)『世界14言語動物ことわざ ワールド 捕らぬ狸は皮算用?』白帯社 伊澤雅子(監修)(1998)Fトラ 絶滅の危樅に顧している種 第2巻 トラの生態』 エッソ石油 (エッソ石油)(1999)『トラ 絶滅の危機に瀕している種 第3巻 虎の神話と伝 鋭』エッソ石油 佐草一優(1995)『ウソ・ホント? 動物ことわざ事典』ビジネス社 字書達郎(1988)「動物故事物語 上』河出書房新社 柴田武・谷川俊太郎■矢川澄子(編)(1995)「世界ことわざ大事典』大修館書店 尚学図書(編)(1982)r故事・俗信 ことわざ大辞典」/ト学館 増井光子(騙)(1997)『とらの巻』博晶社 増田隆一・伊澤雅子(監修)(1997)『トラ 絶滅の危機に瀕している種 第1巻 トラの進化と分類』エッソ石油 参考We bページ等 「趣味の張子の虎の研究」 http://ww3.tiki.ne.jprhot−kazuo/shumi.htm 「ドクター康仁(こうじん)のうんちく漢方塾」http://kojindou.no−blogjp/happy kanpO/cat7092201/index.html 毎日j p「トラが地球上から消える」 http://mainichijp/ r日本大百科全車(ニッポニカ)』小学館発行(ジャパンナレッジ版) 28一
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