日本における少年の薬物乱用と規範意識向上による抑止教育

福山大学こころの健康相談室紀要
第3号
日本における少年の薬物乱用と規範意識向上による抑止教育
平 伸二1
福山大学人間文化学部心理学科
キーワード: 薬物乱用,規範意識,割れ窓理論,社会的絆
1.はじめに
犯罪や非行は,私たちの幸福な生活を脅かす問題である。それにもかかわらず,平成14年の刑法犯認知件数は
369万3,928件となり,戦後の最高水準を記録して国民の体感治安を悪化させている(犯罪白書,2003)
。平成16年
7月に発表された「安全・安心に関する特別世論調査」
(内閣府,2004)では,
「今の日本は安全・安心な国か」と
いう質問に対し,
「そう思わない」という回答が55.9%とついに半数を超えた。そして,安全・安心でない理由と
して「少年非行,ひきこもり,自殺など社会問題が多発している」(65.8%) が,第一位としてあがっている。
この調査では,
「一般的な人間関係」についても回答を求めているが,
「難しくなったと感じる」という回答が
63.9%にも達し,人間関係が難しくなった原因として以下の 5項目が上位にあがった。
・人々のモラルの低下
55.6%
・地域のつながりの希薄化
54.3%
・人間関係を作る力の低下
44.5%
・核家族化
41.8%
・ビデオ,テレビゲームなどの普及
38.8%
この調査結果は,犯罪の増加や低年齢化する犯罪に,現代日本の社会構造とその中におかれた個人の問題が潜
んでいることを明らかにしている。特に,
「人々のモラルの低下」
「地域のつながりの希薄化」
「人間関係を作る力
の低下」は,非行の抑止力を低下させる重要な問題である。昨今の薬物乱用の低年齢化,大学生による大麻取締
法違反の多発の背景にも,共通した問題があると考えられる。
また,平成17年1月の「少年非行等に関する世論調査」
(内閣府,2005)では,
「社会的にみて問題だと思う少年
非行」として,以下の4項目が上位にあがっている。
・刃物などを使った殺傷事件
56.0%
・ささいなことに腹を立てて暴力を振るう
46.1%
・出会い系サイトなどを使った援助交際などの性的な非行
43.7%
・覚せい剤や合成麻薬,シンナーなどの薬物の乱用
39.0%
少年非行に関する問題点として,薬物乱用も上位にランクされている。この上位4項目は互いに独立ではなく,
相互に影響を及ぼす可能性がある。たとえば,薬物を手に入れるために援助交際をする,薬物乱用の結果として
殺傷事件や暴力事件を引き起こすことが考えられる。
薬物乱用は,
私たちの幸福な生活を奪う深刻な問題である。
本論文では,
少年の薬物乱用の現状と問題点を明らかとし,
その予防策として薬物の知識を教えるだけでなく,
規範意識の向上を同時に進める必要性を指摘する。また,大学生が大麻取締法違反で逮捕,検挙される事件が社
1
本論文は,平成 17 年 12 月 11 日に行われた『
「ダメ。ゼッタイ。
」福山地区対話集会』(財団法人麻薬・覚せい
剤乱用防止センター,広島県覚せい剤等薬物乱用防止指導員福山地区協議会主催)の基調講演原稿を加筆・修正し
たものである。また,本論文は,平成 19~23 年度私立大学社会連携研究推進事業(文部科学省/私立大学学術研
究高度化推進事業)プロジェクト 3「こころづくり 地域の心の健康作りに関する実践的研究」の一部である「安
全・安心まち作りに関する実践的研究」の一環として行われた。
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会問題化しているように,規範意識の欠如を招く現代社会の構造を再考しながら抑止力について論述する。
2.少年非行と薬物乱用の現状
(1)少年非行の現状
少年による殺人事件がよく報道されているが,殺人事件については戦後のピーク(昭和26年と昭和36年の検挙
人員448名)と比較すると,この30年余りは4分の1以下で推移しており,平成18年は検挙人員が73名と減少してい
る(犯罪白書,2007)。それではどのような犯罪が多いのかを,少年非行の特集が組まれた平成17年版犯罪白書で
みると,窃盗(57.8%)と遺失物の横領(25.4%)で80%以上を占めている(犯罪白書,2005)
。中でも多いのは,万引
き,自転車盗,オートバイ盗といった,人の目を盗んで行う比較的軽微な犯罪である。これらは初発型非行と呼
ばれ,本格的な非行への入り口と考えられている。誰も見ていなければ,見つからなければ,少ない金額ならば
構わないといった,安易で規範意識の欠如した犯罪が非常に多いことがわかる。このような初発型非行を防止す
ることは,少年犯罪の凶悪化への移行,成人以降の犯罪を抑止する上で非常に重要だと考えられる。
(2)少年による薬物乱用の現状
平成の覚せい剤乱用少年の検挙人員の推移を見ると,平成9年の1,596人をピークに最近は減少傾向にあり,平
成16年中の検挙人員は388人となり,ピーク時の約4分の1となっている。一方,麻薬及び向精神薬取締法違反は,
平成14年までは20人に満たなかったものが,平成15年には38名,平成16年には80名と急増している(丸山,2005)
。
特に,そのうちの67人はMDMA等の錠剤型合成麻薬事犯である。MDMAは「3・4-メチレンジオキシメタンフェタ
ミン」が正式名称,別名「エクスタシー」とも呼ばれ,白色結晶性粉末を錠剤またはカプセルの形にして密売さ
れている。
多くはさまざまな着色がなされ,
見慣れた文字や絵の刻印が入った錠剤の形で密売されることが多く,
抵抗感なく安易な気持ちで使用を誘うように改悪してある。
主な少年の事件を挙げると,東京都内の高校一年生の男子生徒が,校内で高校二年生の女子生徒にMDMAを1
錠4,000円で売りつけて,麻薬及び向精神薬取締法違反で逮捕されている。また,埼玉県公立高校の男子生徒13名
が,大麻を所持,乱用したとして大麻取締法違反で逮捕されているが,彼らは大麻を買う金欲しさに金庫破りや
事務所荒らしなどを繰り返し,1,260万円相当の窃盗も犯していた。この他,東京都内の中学三年生の女子生徒が,
ホテルなどで暴力団組員から覚せい剤を注射されて逮捕されたり,インターネットで知り合った男性から中学二
年生の女子生徒が覚せい剤を注射されて逮捕されている(片山,2005)
。
このように,薬物乱用は他人事ではなく,中高校生の日常生活の中にまで入り込んでいる。しかも,従来の静
脈注射による覚せい剤の使用に対し,気化した蒸気を吸引するという方法やMDMAのような錠剤を嚥下する方法,
あるいは,覚せい剤を「スピード」
「エス」
「アイス」
「やせ薬」などのファッション感覚のある別称で呼び,陰湿
で暗いイメージから軽いイメージへ転換を図っている。これらの方法やネーミングは,学校での薬物乱用防止教
室で薬物乱用の恐ろしさの知識を持っている中高校生に対し,薬物への抵抗感,恐怖感,罪悪感を希薄化させる
狙いがある。しかし,方法やネーミングが軽くなっても,薬物乱用が与える薬理作用は同じであり,身体的,精
神的ダメージは何も変わらない。
万引きなどの初発型犯罪が規範意識の欠如から発生していることを述べたが,近年の薬物乱用の背景には同じ
ように少年や社会全体の規範意識の欠如が感じられる。この規範意識の欠如にはどのような原因があるのかを探
りながら,規範意識を高めることで薬物乱用を防ぐ方法を提案する。
3.規範意識の欠如を招く現代社会の構造
(1)子どもを取り巻く環境
動物として生まれてきた個人が,他者との相互作用を通して,その社会の価値態度や知識,技能,動機などの
集団的価値(文化)を習得し,その社会の成員にまで形成されていく過程を社会化(socialization)と呼ぶ。この社
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会化の過程には,家族集団,仲間集団,学校集団,職業集団などさまざまな集団が影響する。その中で仲間集団
は,児童期に最も強い影響を与える。この時期はギャング・エイジとも呼ばれ,子どもが同世代者との対人活動
に強い関心を持ち,他の子どもたちと徒党を組んで集団活動を展開する。ギャングというのは,元々は仲間とい
うような意味であり,子どもたちの結束の堅い集団を意味する。
ギャング・エイジ以前の子どもたちは,それぞれが異なる家族集団で社会化されて別々の個性を持つため,ギ
ャング集団内ではしばしばぶつかり合いが起こり葛藤が生じる。家庭の中ではわがままを通しても,ギャング集
団では上手く交渉しないと孤立するため,忍耐力が形成される。また,ギャング集団で,家庭集団の偏りに気づ
き,より社会的な方向への考え方を学習する。そして,助けることの気持ちよさ,助けられることの安心感を体
験して,友達がいることの喜びから連帯感を獲得していく。連帯感は情緒的安定と関連があり,連帯感が深まる
ことで情緒も安定し親密な仲間意識が形成される。さらに,遊びの中の協力・競争・妥協は,集団の中でのルー
ルを自ら作り出し,それに従うか否かでギャング集団の成員としての地位が安定化する。つまり,ギャング集団
は大人社会の縮図,大人社会に参加する前の練習期間であり,仲間との良好な関係の中で正しい規範意識を身に
付けさせる。ところが,現在ではこのギャング集団の形成が困難になっている現状が指摘できる。
(2)三間の喪失と外遊びの重要性
ギャング集団形成の減少には,時間,空間,仲間,いわゆる「三間(さんま)の喪失」が原因として考えられ
る。まず,現在の子どもは自由に遊べる時間を失っている。小学校では,塾,ピアノ,書道,そろばん,水泳な
どのさまざまな習い事の中から,ひとりの子どもが週2~3回の習い事に通っている。習い事がある日には,なか
なか外には出してもらえず,自由に遊べる時間が制限されることになる。また,高度経済成長に伴う工場や道路
の建設は,子どもが安全に遊べる空間を減少させた。ダムや堤防による河川の護岸工事は,自然災害の危険性を
減少させるのと同時に,自然破壊と遊び場の減少を招いた。無計画に進められたまちづくりは,見通しの利かな
い建物を増やし,誘拐や痴漢などの犯罪可能性を増加させている。このように,現在の子どもたちが,安心して
外遊びできる空間が少なくなっている現状がある。
時間と空間の制限は,ギャング集団という仲間集団の形成も減少させている。これら三間の喪失は,子どもた
ちの発達,とりわけ,規範意識の発達に悪影響を及ぼしていると考えられる。1998年に文部省が公表した,青少
年教育活動研究会による「子どもの体験活動等に関するアンケート調査の実施結果について」
(文部省,1998)は,
それを裏づける結果となっている。このアンケートでは全国公立小学校の2,4,6年生と中学校2年生を対象に,
合計368校に通う1万1,123名が回答を行っている。調査項目は自然体験,生活習慣,道徳観・正義感についてであ
る(表1)
。
表1 子どもの体験活動等に関するアンケート調査の実施結果について(文部省,1998)
調査項目
自然体験
生活習慣
道徳観・正義感
項 目 内 容
海や川で泳いだ,蝶やトンボを捕まえた,潮干狩りや魚釣りをし
た,野鳥を見たり声を聞いた,夜空の星をゆっくり見た
朝食をとる,顔を洗い歯を磨く,自分で起きる,布団の上げ下ろ
し
家で挨拶をする,近所・知り合いの人に挨拶する,友だちが悪い
ことをしたらやめさせる,バスや電車で席を譲る
その結果,家のお手伝いをする子どもほど,生活習慣がよく,道徳観・正義感が身に付いていること,自然体
験が豊富な子どもほど,生活習慣がよく,道徳観・正義感が身に付いていることが見いだされた。つまり,道徳
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観・正義感を身に付けている子どもは,
普段の生活習慣と身体で体験する自然体験が豊富であることがわかった。
表1からわかるように,自然体験とは海や川で泳いだり,蝶やトンボを捕まえたり,潮干狩りや魚釣りをしたりす
る外遊びに相当する。外遊びによる自然体験は,ギャング集団や異年齢集団との交流を活発にして,規範意識の
向上とともに非行を防ぐ効果をもたらすと考えられる。
4.異年齢集団活動の効用と実践例
(1)異年齢集団活動の効用
平成14年,文部科学省は,
「異年齢他者との関わりと規範意識」に関する調査を発表した。その調査から,①異
年齢他者との関わり合いが強い児童生徒は,規範意識が高く,あいさつに対する意識が高い,②年下他者との関
わりが多い児童生徒ほど,友だちの言うことや上の学年の言うことを大切に考えていることがわかった。また,
異年齢集団の特徴として,①上級生がリーダーシップをとり,下級生に助言し,下級生は上級生の言動を見習う
ため,成員の能力や経験の差を生かすことができること,②一般的に上級生は経験や能力等の面で下級生に対し
て優位な立場にあり,下級生に対しては思いやりの気持ちで接し,下級生は上級生に対して尊敬の念を持って見
守るため,集団内に支持的で暖かい雰囲気が存在することを挙げている。この他にも,異年齢交流は,①愛着と
信頼感を生む,②集団の中で「自分も役に立っている」という自己有用感を向上させる,③規範意識を形成する
上でのモデルから観察学習するという効用が知られている(広島県教育センター,2004)。
つまり,異年齢交流は,お互いの愛着と信頼感を形成して精神的安定をもたらし,規範意識を向上させる。そ
して,規範意識の向上は,万引きなどの初発型非行を抑制する効果が期待できるように(平,2005)
,薬物乱用防
止にも効果を発揮する可能性がある。
(2)異年齢集団活動の実践例
筆者は,中学生が小学生に万引き防止教室を実施する機会を設け,児童生徒の万引きに対する意識変化を調査
した。また,小学生が万引き防止教室を実施した中学生にどのような気持ちを持ったかも同時に調査した(平,
2005)
。
簡単に紹介すると,平成16年の5月31日,6月8日,6月22日の3日間,中学生15名が万引きに関する学習を行い,
7月8日に小学校の体育館において,小学校5・6年生児童に対して万引き防止を訴えた。事前学習では,
「万引きし
た人」
「保護者」
「お店の人」の気持ちになって討論するとともに,6月8日には学区内のスーパーなどを訪問して
店長へのインタビューも行った。その結果,万引き防止教室実施前後のアンケートから,小中学生ともにすべて
の項目で万引きに対する意識はよい方向へ変化した。特に,中学生では,
「万引きは勇気のある行為である」
「万
引きはたくさんの人に迷惑をかける」
「万引きはたくさんの人を悲しませる」
「万引きをしそうな友達がいたら注
意することができる」
「小学生で万引きをする人はいない」
「小学生の万引きは,将来の大きな犯罪につながりや
すい」の6項目の質問に対する回答結果が,望ましい方向へ変化し統計的にも有意であった。また,小学生では,
「万引きが起こるのは仕方がない」
「万引きはたくさんの人を悲しませる」
「小学生の万引きは,とても悪いとい
うわけではないので許してあげればよい」の3項目の質問に対する回答結果が,望ましい方向へ変化し統計的にも
有意であった。
つまり,万引きに対する意識は,中学生・小学生ともに望ましい方向に変化していた。特に,中学生で認めら
れた6項目の意識変化は,自らが学習し,当事者の話を聞き,小学生へ説明するというプロセスの中で得られた,
自己指導力の向上であると思われる。一方,小学生では,万引きが起こるのは仕方がないという意識が減少し,
小学生でもただ許すだけではいけないという考えが増えた。その原因として,万引きがたくさんの人に迷惑をか
け,たくさんの人を悲しませるという,情緒的側面の向上が考えられた。これは,中学生の発表を聞く態度も非
常によく(私語,よそ見,立ち歩きなどまったくなし)
,感想文からも「万引きは絶対にいけないことがわかった」
「万引きは,店の人にも親にも迷惑がかかるし,友だちも減っていくから,万引きをしない事は,自分のためで
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もある」
「中学生に教えてもらったことを低・中学年に教えたい」などの感想が多く,身近な先輩からの説明の効
果が十分に現れていることから推察される。さらに,
「やっぱり中学生はちがうなぁーと思いました」
「お店にま
で行ってインタビューすることは,私にはできないので中学生はすごいと思った」
「生徒会長の挨拶はすごく立派
で,いつか自分もそうなれるといいなと思いました」というように,尊敬と憧れと親近感を表す感想文が多く見
られた。子どもの規範意識の形成は,保護者,教師,地域の大人の指導に加え,子ども同士がお互いに学び,年
長者が年少者のモデルとなることも必要である。したがって,異年齢交流を促進することは,低年齢化する少年
犯罪や薬物乱用を抑止する1つの有効な教育方法と考えられる。
そして,特筆すべき点は,知識を提供されるだけではなく,自らが主たる活動者となり調査し,それを年少者
に教えることで中学生の規範意識が大きく向上したことである。また,年齢的に身近な存在である中学生が指導
してくれたことは,小学生に憧れを与えるとともに,自分たちももうすぐ中学生となり,同じように活動できる
のだという意識を芽生えさせ,自分たちも犯罪抑止への活動を起こしたいと考えるようになったことである。
現在,地域の教育力の向上が叫ばれているが,そこでは保護者や高齢者に期待している場合が多い。しかし,
子どもたちにとって,身近な地域の「意味ある他者」は,何も大人だけではなく,年齢の近い子ども同士でも可
能である(平,2007)
。小学生が「中学生に教えてもらったことを低・中学年に教えたい」と書いた感想文は,ま
さしく地域の教育力の向上である。薬物乱用防止教室も,大人が一方的に指導するのではなく,子ども同士で学
び合う教育環境を整えることが必要であると考えられる。
(3)社会的絆による少年非行の抑止力
Hirschi(1969 森田・清水監訳1995)は,非行を引き止めるものとして人と社会との絆の重要性を提起してい
る。Hirschiは,非行の原因を社会と個人とを結びつけている社会的絆(social bond)の強弱によって説明している。
つまり,個人と社会とのつながりの糸の束が細いか切れていれば,青少年は非行に走る可能性が高く,反対に太
ければ非行に走る可能性が低いと考えている。社会的絆を構成している要因としてHirschiは,愛着,コミットメ
ント,巻き込み(包み込み)
,規範観念の4つを挙げている。Hirschiが最も重要視する要因は愛着であり,家族や
友人あるいは学校という集団への情緒的なつながりの糸である。愛着は主に母親(愛着対象)を対象に形成され,
愛着対象との間で形成された良好な関係は,その後のさまざまな対人関係の基礎となる。安定した愛着行動は,
非行を抑止する大きな力となり,不安定な愛着行動は,非行の抑止力を弱め,非行へと結びつきやすくさせる。
Hirschiは,自分の周りの人を愛し,非行が発覚したときに失われるものが多いことを知り,より多くの活動に巻
き込まれ(クラブ,子ども会,地域の活動への参加)
,規範観念が高い場合に非行の抑止力が高まると指摘してい
る。
つまり,薬物乱用から少年を守るには,社会的絆を強くすることが必要である。他者を愛し,自分も他者から
愛されていると感じているとき,少年は薬物の力を借りる安易な道を選択せずに,自制心を働かせることができ
ると考えられる。
(4)割れ窓理論による犯罪抑止
最近,テレビや新聞で割れ窓理論(broken windows theory)という言葉が頻繁に登場している。これはビルや家屋
の窓ガラスが割られて,そのまま放置しておくと,外部からその建物は管理されていないと認識され,次々と窓
ガラスが割られ,建物全体が荒廃し,さらにはその地域全体が荒れてくるという考え方である。
「割れ窓」はただ
の比喩で,落書きやたばこのポイ捨てなどの軽微なことでも,見逃さずに対処していかなければ,荒廃が進むと
いうことを意味している(Kelling & Coles, 1996 小宮監訳,2004)
。
割れ窓理論は,1994年に就任したニューヨーク市のジュリアーニ前市長が導入し,8年間で犯罪発生率を半分以
下に減少させたことで有名になった。ジュリアーニ前市長は,警察官5,000人を採用し,徹底した徒歩パトロール
と軽微な犯罪(地下鉄の無賃乗車,落書き,歩行者の信号無視など)の取り締まりを実行した。その結果,ニュ
ーヨークの刑務所は一時的に収監者であふれたものの,結局は治安が回復して収監者も激減した。
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1972年にニューアークで行われた「警察官のパトロール強化」を調査したKellingは,警察官の徒歩パトロール
には,犯罪を減少する効果はないが,住民に安心感を与え,住民が警察活動へ親近感を示す効果があることを明
らかにした。つまり,ニューヨークにおける警察官の徒歩パトロールも,軽微な犯罪の徹底取り締まりから,こ
のまちでは些細なことでも悪いことは見逃さずに警察が取り締まってくれ,そうであれば自分たちも自らの手で
安心して住めるまちに変えようという意識を向上させたと考えられる。この防犯意識の向上が,ニューヨークの
犯罪を減少させた原因である。この割れ窓理論からわかるように,肝要なのは割れた窓を直すというハード面の
行動ではなく,そこで生活する地域の人々が自らの力で犯罪を無くそうと努力する,心の絆の回復であることが
指摘できる。割れ窓理論に基づく活動は,薬物乱用も含めた少年非行の抑止にも効果を発揮すると考えられる。
つまり,地域の住民みんなが,薬物が蔓延する環境を排除し,自分たちで地域の少年を守るという意識になれば,
環境浄化からの抑止力が期待できる。また,この地域を担う住民の中には,少年自身も含まれることを忘れては
ならない。子どもたちが,従ではなく主として活動することこそ肝要である。
5.薬物乱用を防ぐための心のコントロール
(1)正しい知識の獲得
薬物乱用を防ぐための心のコントロールには,まず薬物乱用に関する正しい知識が不可欠である。
薬物乱用とは,医薬品を本来の医療目的から逸脱した用法や用量あるいは目的のもとに使用すること,医療目
的にない薬物を不正に使用することである。もともと医療目的の薬物は,治療や検査のために使われる。それを
遊びや快感を求めるために使用した場合は,たとえ1回使用しただけでも乱用となる。
薬物乱用の弊害としては,強迫的使用(薬物をやめたいという気持ちがありながらも意のままにならず,薬物
を頻繁に使用すること)
,禁断症状(薬物を急激に中断したときに現れる心身の症状)
,薬物探索行動(薬物を切
らすまいとして,何とか手に入れようとして示す行動)
,身体の障害(薬物の直接的作用により引き起こされる体
の各臓器にみられる二次的障害)
,
精神の障害
(薬物の直接的作用によって引き起こされる脳の二次的障害であり,
中毒性精神病や痴呆などが現れる)がある。薬物乱用者は「個人の問題だから構わない」という理由をよく述べ
るが,実際には薬物乱用は社会的にも弊害をもたらしている。薬物乱用にともなう暴力,入手のための経済的破
綻は,家族を崩壊させている。さらに,薬物乱用は幻覚や妄想,フラッシュバック現象によって引き起こされる
殺人,放火,監禁,傷害などの凶悪な事件や,薬代欲しさの窃盗などを引き起こす。この他,乱用薬物が国際麻
薬犯罪組織や日本の暴力団の資金源になるといった社会問題など,薬物乱用による影響は広い範囲にわたり,さ
まざまな角度から市民生活を脅かすことも知る必要がある。
乱用される危険のある薬物は,
「心」に影響をあたえる作用をもっている。中枢神経を興奮させたり,抑制した
りして,幸福な気分や爽快感,お酒に酔ったような感じ,不安が消えていく感じ,知覚の変化,実際にはないも
のが見えたり聞こえたりする幻覚・幻聴などをもたらす。しかし,薬物によって得られる「心」の変化は,一過
性のものでしかなく,時間が経つと乱用者が望む効果は消えていく。自らが試行錯誤しながら得た幸福な気分や
爽快感は,比較的永続的に続き,私たちの「心」の成長を促す。しかしながら,薬物による「心」の変化は偽物
にすぎず,真の意味での「心」の成長をもたらすことは一切ないことを知る必要がある。
その上,薬物は「心」をどんどんとむしばんでいく。薬物乱用の最も恐ろしい特徴は,何度も繰り返して使い
たくなる「依存性」という性質を持っていることである。乱用を繰り返す人は,
「快感を得るため」ではなく,い
つまでも直らない疲労感やイライラ,不安から逃れるために薬物に頼らざるを得なくなる。そして,薬物なしで
はいられなくなる。しかも,覚せい剤などいくつかの乱用薬物には,使用を繰り返しているうち,それまでと同
じ量では効かなくなる「耐性」という性質が出てくる。1回だけと思って始めた人も,薬物の「依存性」と「耐性」
によって使用する量や回数がどんどん増えていき,自分の意志ではやめることができなくなり,どうしようもな
い悪循環となる(財団法人麻薬・覚せい剤乱用防止センター,2008)
。
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内閣府(2003)の薬物乱用対策推進本部が,平成15年に「薬物乱用防止新五か年戦略」を策定し,その大きな柱
として「中・高校生を中心に薬物乱用の危険性の啓発を継続するとともに,児童生徒以外の青少年に対する啓発
を一層充実し,青少年による薬物乱用の根絶を目指す」ことを掲げた。これにより,学校での薬物乱用防止教育
が積極的に行われてきたが,知識とともに規範意識を向上させることも必要である。
(2)知識とともに社会的絆による抑止力を育てる
薬物乱用を防ぐための心のコントロールに関して,まず薬物乱用について正しい知識を学ぶ必要性を述べた。
それでは,正しい知識を学ぶだけで十分な抑止力があると言えるであろうか。これについてはタバコの喫煙行動
がよい参考となる。
タバコは日常生活で遭遇する最強の発ガン性物質であり,有害性物質が約4,000種類,発ガン物質が約200種類
含まれている。タバコの有害性に関しては,中高校生の約9割は「有害性あり」と回答する。それにもかかわらず,
わが国の喫煙者は先進諸国と比較して高い率を維持している。このタバコの例でわかるように,知識は必ずしも
完全な抑止力にはならない。これは薬物乱用にも言えることで,片山(2005)は,薬物乱用防止の授業を6時間受け,
「薬物には絶対に手を出さないよ」と言った生徒が,1ヶ月後に覚せい剤使用で逮捕された例を挙げている。
薬物乱用防止教育では,事実に基づく客観的な情報を伝えるのみならず,さらに自主学習によって思考,問題
解決方法,意志決定を繰り返し訓練することが必要である。幸い,現在では,
「薬物乱用防止新五か年戦略」の下
で中高校生に対する教育が継続されるとともに,小学生から高校生までを対象とした「新・薬物乱用防止教育の
展開事例集」(小沼,2004)なども出版され,子どもたちが自主学習できる環境が整っている。
このような自主学習の際,本論文で紹介した異年齢集団活動による教育方法を取り入れることが望まれる。小
中連携による万引き防止教室は,知識を提供されるだけではなく,自らが主たる活動者となり調査し,それを年
少者に教えることで中学生の規範意識は大きく向上した。また,年齢的に身近な存在である中学生が指導してく
れたことは,小学生に憧れを与えるとともに,自分たちももうすぐ中学生となり,同じように活動できるのだと
いう意識を芽生えさせ,自分たちも犯罪抑止への活動を起こしたいと考えるようになった。つまり,異年齢交流
を通じて,社会的絆の基本である愛着が相互に芽生えていた。この他,平(2007),濱本・平(2008),三阪・濱本・
平(2009)は,小学生に犯罪回避能力を学習させる「地域安全マップ」の活動を,高校生と大学生という比較的年
齢の近い指導者で実施した結果,このような異年齢交流が,小学生のコミュニケーション能力,地域への愛着心,
非行防止能力を向上させることを見いだしている。
「自分が人を愛し,
人から愛されている」
といった社会的絆は,
実際に薬物を勧められたときに,薬物乱用を防ぐための心のコントロールにつながる。薬物乱用防止教育も,教
師の指導の下に自主学習するだけでなく,異年齢の子ども同士で学び合う環境を整えることも必要である。異年
齢の子ども同士の社会的絆は,将来の社会の安定を支える基盤にもなると考えられる。
また,中高校生にとって,毎日を健やかに過ごすための居場所は,学校と家庭が主である。その学校と家庭に
居場所を失った子どもたちは,自分を迎え入れてくれる居心地の良い居場所を求めて徘徊する。そして,たどり
着いた場所では,同じような仲間が薬物を勧めたり,売人が「疲れがとれる」
「不安がなくなる」
「やせてきれい
になれる」と甘い言葉で近づいてくる。このような環境の浄化については,些細なことでも放っておかずに,自
分たちの地域は自分たちで守っていくという,割れ窓理論の考え方が役に立つ。その地域住民全体が,子どもた
ちのために環境浄化に努めることは,
地域住民の結束力を高め,
そこに住む人たちの社会的絆を強固にしていく。
薬物乱用者の中には,
「人は裏切るが薬物は嘘をつかない」と言って,薬物に手を出す者がいる。つまり,社会
的絆の基礎である他者への愛着を,自ら否定する発言をする者である。これはとても悲しい事実である。薬物乱
用防止には,正しい知識とともに,社会的絆による抑止力が役立つと考えられる。
「自分が人を愛し,人から愛さ
れている」と感じられる人間関係づくりが,少年の薬物乱用防止を含め,少年非行抑止の原点であると考える。
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第3号
引用文献
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福山大学こころの健康相談室紀要
第3号
Juvenile Drug Abuse in Japan and Preventive Education through Normative Consciousness Development
Shinji Hira
In recent Japan, there has been a striking increase of drug abuse in junior high and high school students. Such abusers tended to
commit various major or minor crimes in connection with drugs abuse. In this paper, a proposal was made for drug control and
prevention. The most important point for achieving such aims is dissemination of accurate information on drugs and its abuse.
It is also necessary to develop normative consciousness in young people for drug prevention. The paper discussed a method of
preventive education from viewpoints of “the broken windows theory” and “the social bonds” that are important concepts of
criminal psychology.
key words: drug abuse, normative consciousness, broken windows theory, social bond