第六章 抗炎症作用と腸管免疫

「自然免疫がわかる本」
第六章
■1
人を含む哺乳類は、他の生物が持っていない健康上の2つの悩みを抱えています。
自己免疫疾患とアレルギー疾患です。自己免疫疾患とアレルギー疾患です。自己免
疫疾患は顎をもつ脊椎動物になってから、アレルギー疾患は哺乳類になってから苦
しめられることになりました。免疫系が複雑化なりすぎたためのトラブルです。ど
う猛な恐竜は、アレルギー性鼻炎には決してなりませんが、関節リュウマチになっ
た可能性はあります。しかし、恐竜は体が大きかったこともあって粗食で必要な量
しか食べられず運動も激しかったので、人間のように自己免疫疾患に陥入っている
余裕などなかったかもしれません。
自己免疫疾患に罹るヒトが急増しています。特に、関節リューマチと潰瘍性大腸
炎(クローン病を含む)は深刻です。関節リュウマチは高齢者に、潰瘍性大腸炎は若い
人達に広がっています。その他、患者数が多く増加しているものに、全身性エリト
マトーデスや強皮症や皮膚筋炎などの皮膚疾患があります。これらの自己免疫疾患
は、一九七五年にはほとんどありませんでしたが、一九九〇年二万人、二〇〇〇年
には六万人、二〇一〇年には十二万人に達すると予測されています。関節リウマチ
はさらに多く、患者数が現在七〇万人から一〇〇万人に達すると見られています。
関節痛を患っている人は、さらに多く六〇〇万人を越えようとしています。高齢社
会の進展とともにさらに患者数が増加すると思われます。
関節リュウマチが深刻なのは、悪化すると両足が象のように膨れ上がり熱を持ち、
さらに両腕に炎症が起こるとベッドから起き上がれなくなるということです。本人
ももちろん苦痛この上もない状態ですが、トイレにも容易に行けず誰かの介護が必
要になることが大きな問題です。誰も介護などされたくないので、患者さんにとっ
ても精神的な苦痛が大きいのです。また、医療費も増大するので経済的負担も大き
くなるという問題も付随します。
☆一方、アレルギー疾患も増えています。喘息、アトピー性皮膚炎、食物アレル
ギーが患者数の多いアレルギー疾患です。喘息は大気汚染の改善の関係で1996
年二三五万人であった患者数が二〇〇五年には一〇九万人に減少していますが、ア
トピー性皮膚炎や食物アレルギーはこの一〇年間二倍近く増加しています。特に、
アレルギー性鼻炎は、もはや国民的病気で軽いものを含めれば三人に一人は苦しん
でいると言われています。なお、アレルギー予備軍である免疫グロブリンEという
アレルギー抗体を持つ人が一九六〇年には一〇%以下であったものが、二〇〇九年
には八〇%を越える勢いです。
■2
最近この自己免疫疾患やアレルギー疾患をコントロールしているのが、腸管の特
殊な制御性Tリンパ球らしいということが明らかになってきました。しかも、腸が
重要な働きをしているらしいのです。
この制御性リンパ球を使用した潰瘍性大腸炎やクローン病を含む自己免疫疾患の
治療法の特許が米国企業によって出願され2009年に公開されています。米国の
1
企業は抜け目がないですね! さらに、自然免疫を活性化する非炎症性の物質が自己
免疫疾患と癌疾患を同時に改善する作用があるという事実が確かめられ複数の特許
出願がされています。また、免疫をコントロールして自己免疫疾患を治療するサイ
トカイン療法もまた研究が進められています。
第四章では、オートファジーの活性化によって、アルツハイマー・パーキンソン・
糖尿病などの難病が予防または治療できる可能性を秘めた最先端研究の世界を覗い
てきました。また、第五章では、アポトーシスを利用した癌の予防または治療の可
能性を秘めた最先端研究の世界も覗いてきました。そして、今、ステロイドも免疫
抑制剤も使わず、自分自身の生体の力を利用して自己免疫疾患を克服しようとする
最先端研究の世界をご案内しようと思います。
■3
ここで、ちょっとリンパ球の世界を覗いて見ましょう。自己免疫疾患もアレルギ
ー疾患もリンパ球が関係しているからなのです。
リンパ球系はかなり複雑な仕組みをもっています。なんでこんなに複雑にする必
要があったのかと思うほどです。
第二章でご案内しましたように、リンパ球には、自己非自己を判別するTリンパ
球と抗体を分泌するB細胞とがありました。
このリンパ球免疫が出現したのは、あの怖そうなサメとかエイのグループである
軟骨魚類と硬骨魚類のうなぎの仲間から突然現れたと言われています。サメとかエ
イにはT細胞・B細胞・胸線・脾臓などリンパ球免疫のすべてが揃っています。徐々
に発達したものではありません。
八つ目ウナギやメクラウナギのように原始的なうなぎにはリンパ球免疫がありま
せん。これまでは、自然免疫と発達した補体が体の防御をしていたと考えられてい
ました。
北海道にカワヤツメウナギという50センチメートルから60センチメートルに
なる原始的なウナギが済んでいます。日本には、この他にスナウナギという小型の
原始的なウナギが海辺に生息しています。原始的なうなぎは、顎と肋骨がなく丸い
口をしているので円口類と呼ばれています。カワヤツメウナギは顎がなく口が丸い
ので円口類に属します。普通のウナギは、立派な硬骨魚の仲間です。
二〇〇六年、そのカワヤツメウナギを研究していた東大のグループが免疫グロブ
リンを使わない新たな獲得免疫系を発見し、リンパ球免疫とはまったく異なった仕
組であることを明らかになりました。免疫グロブリンとは異なる抗体をもつこの新
しい免疫系は、カワヤツメウナギの遺伝子(DNA)全体から必要な部分をコピーして
新たに免疫の遺伝子のセットをつくり100兆個という非自己認識をするという仕
組みをもっているもので、リンパ球免疫とまったく遜色のない優れた能力を持つも
のであったのです。さらに優れている点が、リンパ球系の免疫と異なった構造なの
で自己免疫疾患やアレルギー疾患にならないことです。それに、癌にもほとんど掛
からないというメリットもあります。
余談ですが、実験用のヌードマウスというネズミがいます。突然変異で毛が産毛
みたいな毛しか生えないので「裸のネズミ」、つまりヌードマウスと呼ばれるように
なりました。このネズミにたまたま胸線がなくリンパ球免疫不全のネズミであるこ
2
とが発見されました。自然免疫力も弱くディフェンシンも作らないので感染しやす
く様々な実験に重宝されてきたネズミです。このヌードマウスが癌に罹りにくいと
いうことが分かっています。癌細胞を植え付けてもすぐに溶けて消失してしまいま
す。調べてみるとナチュラルキラー細胞が癌細胞をアポトーシスさせていたのてす。
したがって、リンパ球免疫がないカワヤツメウナギは癌に罹りにくいと考えられ
るのです。
今後、イカやタコなどの軟体動物にもカワヤツメウナギと同様なリンパ球免疫で
はない獲得免疫系が発見されるかもしれません。
しかし、生命体は進化の中で突然、カワヤツメウナギのもつ優れた獲得免疫系を
捨てて、全面的にリンパ球免疫を採用しました。なぜ、そうなったか大きな謎です。
無顎類の免疫系から軟骨魚類の免疫系への進化はまさに革命的なものであったの
です。
■4
サメやエイなどの軟骨魚になると、突然リンパ球免疫のすべて役者が揃いました。
グロブリンを柱とした免疫グロブリンMや免疫グロブリンWなどの抗体が作られま
した。まだ抗体の主役は自然抗体の免疫グロブリンMです。
硬骨魚類に進化した魚類は、血管を本格的に発達させて酸素や栄養を効率よく体
細胞に届けることが可能にしました。そのためより速く持続的に泳げるようになっ
たのです。速く泳げば、より酸素が必要になります。その酸素を運ぶ赤血球を効率
よく作るために脾臓を新たに創り、腸のあちこちで作っていた造血機能を脾臓に集
中させたのです。血管の発達とともに、造血担当の臓器の移動が始まりました。硬
骨魚類では免疫グロブリンMと免疫グロブリンDが抗体として働くようになりまし
た。
古生代、生物が陸上に進出し両生類が出現すると陸上生活に合わせて腸から腎臓
が分化していきました。 造血組織は脾臓から新しく作られた腎臓へ移動します。水
陸両用では腎臓から菌が感染し易かったかもしれません。抗体は、さらに進化し免
疫グロブリンM・免疫グロブリンX・免疫グロブリンYが作られます。免疫グロブ
リンYは、その後、爬虫類や恐竜そして鳥類の主役となる抗体です。哺乳類の免疫
グロブリンGとそっくりな兄弟です。ここまでは、自然免疫が優位な免疫として機
能していたようです。
中生代、爬虫類の出現とともに陸上生活に合わせて造血組織は骨髄に移り、恐竜
や鳥類へとその仕組みが受け継がれていきます。爬虫類や恐竜そして恐竜の子孫で
ある鳥類では免疫グロブリンY・免疫グロブリンA・免疫グロブリンMという抗体
が活躍しています。抗体の主役は、免疫グロブリンYで哺乳類の免疫グロブリンG
と同じような役割を果たします。さらに水から出て活動するようになったため、水
に代わって粘液が粘膜を覆うようになりました。そこで分泌型の免疫グロブリンA
をレクチンや補体や特殊な酵素などと共に粘液に浮遊させて外敵から身を守るよう
になったのです。
この時代、Tリンパ球はその役割を二つに分けて働いていたと考えられています。
その一つは、腸内細菌に常に晒されている腸管ではリンパ球免疫を抑える制御性
T細胞(Treg)が分化して、炎症が頻発しないように働きます。制御性といって
3
もリンパ球免疫のすべてを抑制するのではなくて、例えば分泌性の免疫グロブリン
Aの粘液への放流を活発にしたり(理研)、癌細胞をアポトーシスさせる働きをTr
egに持たせてHozoT(林原)というT細胞にしたりしています。そして、全体
を、自然抗体免疫グロブリンMを含む自然免疫に任せるという防御体制を取ってい
ます。
他の一つは、免疫グロブリンY抗体を分泌する体液性免疫を受け持つ体液性T細
胞(Th17)です。気管支や肺といった呼吸器などでは、侵入してくる菌はすべて
阻止しなければならないので、体液性T細胞(Th17)が常に監視し防御すること
になります。 体液性T細胞は、骨髄でつくられたBリンパ球に命じてオーダーメイ
ドの抗体を作らせるのです。
細胞性免疫は主にナチュラルキラー細胞やナチュラルキラーT細胞が任されてい
たと思われます。細胞性T細胞の増強装置がまだ創られていなかったからです。
このように、リンパ球免疫と自然免疫は調和のとれた仕組みとなっています。
■5
哺乳類になると、リンパ球免疫の仕組みがガラリと変わります。
リンパ球免疫に新たな炎症の仕組みが作られてきます。いわば炎症の拡大装置の
ようなものです。このいわば炎症の拡大装置は過剰な炎症を起こすことになり、病
原菌がいないのに炎症を起こすようになったのです。
この仕組みによって、アレルギー疾患に苦しめられるようになり、自己免疫疾患
になることも多くなっていきました。
なぜ哺乳類がアレルギー反応のような激しい炎症を必要としたのか? なぜ自分
の細胞を攻撃するほど暴走するリンパ球免疫を必要としたのかは、本当に大きな謎
です。免疫の専門家でさえ、この新しい仕組みの本当の意味はなにかについてよく
分からないのが現状です。
極端な酸素不足の時代を大隔膜と腹部の骨を減らして生き抜いた哺乳類。主役の
座を恐竜に明け渡して胎生にすることで種の保存を図った哺乳類。長い間ねずみの
姿で夜間行動し恐ろしい恐竜から身を守っていた哺乳類。その中にリンパ球免疫の
仕組みを大きく変える事情が潜んでいたのでしょうか?
通説では、哺乳類になると、その生活環境から腸内などに寄生する線虫類の害か
ら体を防御するため免疫グロブリンEという抗体が出現したと言われています。本
当でしょうか?
脊椎動物になって多分陸上生活をするようになって、T細胞は体液性T細胞(Th
17)と制御性T細胞(Treg)が分化してきたということは、すでにお話してきま
したが、これを仮に縦軸のイメージとします。上にTh17があり下にTregが
あって縦線で結ばれているイメージです。
哺乳類になって、新たに二つのT細胞が分化してきたのです。
それは、アレルギー反応を引き起こすT細胞(Th2)と細胞性免疫を強めるT
細胞(Th1)です。この二つが新たに生まれ、天秤のようにバランスを取ること
になりました。これを横軸でイメージすると、左にTh2があり右にTh1があり
それを横線で結んで天秤の役割をするイメージとなります。どちらに傾いても病気
を引き起こします。
4
Th1は、癌細胞やウィルス感染細胞をアポトーシスさせる細胞性免疫で、自己
免疫疾患と深い関わりがあります。
この天秤のバランスを取っているのが、後ほどご紹介しますナチュラルキラーT
細胞(NKT細胞)というナチュラルキラー細胞(NK細胞)の後輩です。この細胞は
まだ謎の多い細胞ですが、リンパ球免疫の暴走を食い止める調性役を果たしている
ことが次第に明らかにされつつあります。
Th2は、花粉症とか喘息とかアトピー性皮膚炎とかあるいは食物アレルギーの
ようなアレルギー疾患を引き起こす免疫グロブリンEを作り出すプロセスを活性化
します。免疫グロブリンEは、Th2から指令を受けたBリンパ球によって分泌さ
れるような仕組みになっています。
この免疫グロブリンEは、マスト細胞・好塩基球・好酸球と呼ばれる特別な細胞
に結合して、ヒスタミンやEPOなどのケミカルメディエータと呼ばれる刺激物質
を放出し、激しい炎症を起こさせるのです。また、この激しい炎症で寄生虫を撃退
するとは言われています。
アレルギーの原因となる物質が体内に入ろうとすると過剰な集中攻撃を加えるの
です。
このように哺乳類では、従来の抗体産生を指令する体液性T細胞(Th17)と制
御性T細胞(Treg)という縦軸に加え、横軸に自己免疫を起こすT細胞(Th1)
とアレルギー反応を起こすT細胞(Th2)をとると、Tリンパ球は、十文字状態に
4つの役割に分担されるようになったのです。
しかし、ここはもっとシンプルに考えましょう。哺乳類で生まれた自己免疫疾患
を起こすTh1とアレルギーを起こすTh2は、どちらにも傾かないことが重要で
す。そして、腸ではリンパ球免疫を抑制するTreg状態、肺では抗体産生を指令
するTh17状態でいることが、バランスのとれた健康な状態と考えていいでしょ
う。
実際、腸が制御性T細胞(Treg)ではなく体液性T細胞(Th17)に傾くと潰
瘍性大腸炎などの炎症性疾患が起こります。また、逆に肺で体液性T細胞(Th17)
ではなく制御性T細胞(Treg)状態が優位になると肺線維症が起こり易くなりま
す。肺線維症は怖い病気で線維化によって酸素の取り込みが悪くなり呼吸が苦しく
なり常時酸素吸入が必要になる病気です。
このように、哺乳類になってリンパ球免疫は複雑化しました。本当にマニアック
ですね。このマニアックさがリンパ球免疫に落とし穴をつくることになりました。
その一つが自己免疫疾患です。
■6
自己免疫疾患は、ちょっと複雑です。自己免疫疾患とは、名前の通りリンパ球免
疫が暴走して自分自身の細胞を攻撃してしまう病気です。自己抗体によって自分の
細胞を攻撃される場合と細胞障害性T細胞によって自分の細胞をアポトーシスさせ
られる攻撃を受ける場合とがあります。実際は、両方が混在しているのでしょう。
この新たに強化されたリンパ球免疫が暴走して必要以上の炎症を起こさないよう
に、大きく分けて二つの暴走阻止の仕組みが新たに構築されたのです。これを「末
梢の免疫寛容」といいます。この免疫寛容の仕組みが破綻すると自己免疫疾患に陥
5
ります。
その一つは、腸管での制御性T細胞(Treg)による腸管免疫寛容です。もう一
つは、ナチュラルキラーT細胞(NKT細胞)による炎症抑制の仕組みです。
制御性T細胞(Treg)がリンパ球免疫ほぼ全体を抑制しながら免疫寛容するの
に対し、NKT細胞は炎症を抑制しつつアレルギー疾患や自己免疫疾患の発症を抑
えると同時に、抗菌・抗ウィルス力の維持や癌免疫などを活性化するという離れ業
をやってのけます。NKT細胞がTh17・Th1・Th2という三つの分化した
T細胞(エフェクターT細胞)をコントロールする巧みな仕組みが働いています。
謎の多いナチュラルキラーT細胞(NKT)による炎症抑制の仕組みの解明につい
ては、後ほど詳しくご案内しますので、ここでは腸管の制御性T細胞(Treg)の
働きについて少し詳しくお話しすることにしましょう。
■7
多細胞の生命体にとって腸(消化器)が最も大切な器官です。その証拠に腸だけあ
って脳のない生物もいます。脳は死んでも腸は生きています。神経を切っても腸と
心臓は自律的に動くことができます。
そして、腸の中は、バクテリアでいっぱいです。草や木などの植物が、土の中に
棲んでいるバクテリア(土壌菌)なしでは生きられないように、動物は腸のなかに共生
している腸内細菌なしでは動物は生きていけないでしょう。
しかも、最近、植物の根が抗菌物質と御馳走を使って土壌菌をコントロールして
いることがわかってきました。動物の腸もまた分泌型の抗菌物質や抗体を使って腸
内細菌をコントロールしています。根や腸が良い菌を育て悪い菌を殺すのです。
では、なぜ腸の免疫をTreg状態にしてリンパ球免疫を抑制しなければならな
いのでしょうか?
その理由は、もちろん腸内にバクテリアがウジャウジャしているからです。腸内
のバクテリア群に過剰反応して、リンパ球免疫が暴走するのを防ぐためなのです。
ヒトの腸内特に大腸には、一〇〇種類から三〇〇種類一〇〇兆近くのバクテリアが
棲みついていると言われています。正確に言うと、小腸には腸内細菌の数は少なめ
で、大腸は腸内細菌の宝庫です。そして、十二指腸から大腸へと食物が消化されな
がら移動するに従い酸素濃度が減少しますが、酸素濃度の減少とともに腸内のバク
テリアの種類が好気性から嫌気性へ変化し、また数も増加していきます。さらに、
腸はその腸内のバクテリアの種類を免疫グロブリンAという分泌型の抗体を使って
コントロールしています。
もし、この腸のTreg状態が崩れるとリンパ球免疫の過剰反応が始まり腸は炎
症が起こりやすくなります。炎症が頻繁に起こると免疫グロブリンAのような分泌
型抗体や補体などの分泌が減少し、病原菌からの感染防御力が弱くなります。炎症
が頻発すると栄養も満足に摂れなくなります。それに腸内のバクテリアをコントロ
ールできません。
動物では腸が抑制的なTreg状態にあることで腸内細菌のコントロールが確保
されています。そして、腸がリンパ球免疫を抑制するTreg状態に保つことで健
康を維持することができるのです。
■8
6
実は、制御性Tリンパ球であるTregには隠された秘密があります。さらに、
その奥に生命体にとって重要な仕組みが隠されているのです。
その正体がTGF-β(ティージーエフ・ベータ)という物質です。
TGF-βは最近「気疲れ物質」として注目を集めている物質です。長時間のデス
クワークや精神的なストレスを受けた時に、脳内にどっと分泌されて疲れを感じさ
せて体を休ませるリスク管理の物質です。ちょっと脳のセロトニンと似ている役割
をしているようです。こんなとき、睡眠を取ることで脳内のTGF-βの濃度は通常
の状態に戻りますが、体が病気であるとそれが持続します。
もう一つのおもしろい現象は、TGF-βは「低酸素状態」になるとたくさん分泌
してきます。ヒマラヤ登山などで低酸素状態になるとTGF-βがどっと血中に出で
きて体の代謝機能を落として酸欠ストレスから生命を守ります。凄いやつですねT
GF-βは!
このTGF-βという蛋白質は、サイトカインの一つです。サイトカインというの
は、細胞同士が情報交換をする物質を指しています。
「サイト」は細胞の意味で、
「カ
イン」は作用するといった程度の意味です。深い意味はありません。サイトカイン
を使って、細胞同士はおしゃべりをしているのです。
TGF-βにはもっと重要な仕事があります。
炎症を抑えて組織修復をするという仕事です。免疫の司令官であるマクロファー
ジは生体防御で非常事態に直面した時に二つの仕事をします。炎症を起こして組織
破壊をする仕事と危険が去った後の組織修復をする仕事の二つです。炎症を起こし
ているプロセスを進行させているマクロファージをM1状態といい、組織修復のプ
ロセスを進行させているマクロファージをM2状態と呼んで区別しています。
TGF-βはM2の組織修復で大切な仕事をこなします。マクロファージが病原菌
やウィルスが炎症によって細かく分解された低分子物質を感知したり、癌細胞のア
ポトーシスによって生まれる低分子物質を感知したりすると、炎症誘引物質の放出
を止め、組織修復のためのTGF-βを活性化させます。TGF-βは、線維芽細胞
を増殖活性化させたり、組織修復の土台となる細胞外マトリックスの形成を促進し
たり、組織修復を促進する体内のステロイドホルモンの分泌を高めたり、組織再構
築のために大活躍です。
ところで、TGF-βはカエルや昆虫にも存在する歴史のあるサイトカインです。
リンパ球免疫ができるズーッと以前からマクロファージの親戚である繊維牙細胞や
上皮細胞によって不活性型のTGF-βとして分泌され、酵素によって必要に応じて
活性化されて使われます。組織修復で活躍するとともに、腸管ではTreg細胞と
同じように炎症を抑える役割を果たしてきたのです。
脊椎動物になってリンパ球免疫系が作られると、マクロファージが分泌する活性
型TGF-βがTリンパ球をTreg細胞に分化する役割も果たすようになります。
そして、分化したTreg細胞はさらに続けて活性化TGF-βを分泌し増やします。
Treg細胞は活性化TGF-βの増幅装置でもあったのです。その時、分化したT
reg細胞は炎症を鎮静化させるIL-10というサイトカインも同時に分泌され
るようになるので、炎症を鎮め炎症で破壊された組織を再構築する働きを遂行する
ことができるのです。
7
TGF-βは保険の役目もしています。マクロファージが組織修復を一生懸命して
いるM2という状態にあるときに、病原菌やウィルスが侵入したらどうなるのでし
ょうか? 安心してください。マクロファージはM1状態に変わって、抗体産生の指
令となるIL-6というサイトカインを放出します。 すると炎症を鎮めるTGF-β
がたくさんあるにも関わらず新たなTリンパ球が体液性免疫のTh17を分化させ
て、抗菌・抗ウィルスを撃退する抗体をつくるプロセスを活性化させます。驚いた
ことに、その際、抗体産生を指令するサイトカインのIL-6だけでは体液性免疫を
活性化するTh17を分化できないのです。TGF-βがいないと分化できないので
す。IL-6は信用されていませんね! 組織修復のTGF-βの存在を確認してIL
-6の働きを許す仕組みになっています。消防自動車と大工さんの存在を確認して戦
争を始めるようなものです。
もし、自然免疫力が弱く炎症の終焉ができないときは、マクロファージはM1か
らM2へ変わり、TGF-βを通して病原菌をコラーゲン線維などで囲い込み肉芽腫
を形成させます。自然免疫が弱いと肝臓や肺に繊維ができやすくなるので注意が必
要です。
このようにTGF-βは、自己免疫疾患やアレルギー疾患の原因となるリンパ球免
疫の暴走を封じ込める重要なファクターとなるのです。
■9
ちょっと話は変わりますが、私がなぜ「自然免疫」に興味をもったかというと、
不思議な発酵生成物に出会ったからです。
「隣のトトロ」というアニメの映画に出て
くるバス停が登場するのですが、そのバス停のモデルになった場所が九州の大分県
にあります。その周りは大自然の森が連なっていて、ゆったりと時間が過ぎてゆく
心地の良い空間が広がっています。
その豊かな森から酸素を好む土壌菌を採取してきて培養した人がいて、さらに特
別な発酵方法で菌体分解を行こない発酵生成物を得ました。その発酵生成物を頭に
毛の一本もないヤカン頭の人に塗り続けると産毛が一面に生えてきたことから、ち
ょっとした町の話題になったのです。場合によっては長い毛に成長するので驚きで
す。10年以上も前のことだったので、なぜそのようなことが起こるのかは当時理
解できるすべがありませんでした。それが自然免疫のセンサーを刺激する自然免疫
リガンド(自然免疫刺激物)であることを知ったのは、ずっと後のことです。
その後、すずめ蜂に頭を刺された人がその発酵生成物をたっぷり頭に付けると炎
症を起こさず腫れないで治るということがあり、また発酵生成物を飲む人が現れて
様々な病気に試すようになっていったのです。その結果、炎症性の疾患やウィルス
性疾患、そして何種類かの癌やオートファジー不全による疾患を含む様々な個別治
験が得られました。なかには、大きな肝癌で苦しむ犬に注射をしてみたら癌細胞が
急速に縮退していった例もあります。
実は、私の母も92歳でひどいリウマチで両足は像の脚のように膨れ、両手首も
ひどく腫れて寝たっきりの状態でした。それが軽い免疫抑制剤のプレデニンとこの
発酵生成物で今では郵便局や美容院、そして桜見物までするように回復しています。
ダブルブラインドによる臨床試験などの正式な治験テストを行ったわけではない
のでなんとも言えませんが、その後非ホジキンリンパ種がテスト中の分子標的薬と
8
の併用で劇的に消失したり、使用した抗原病の患者さんからとても感謝されたり、
パーキンソン病の震えがとまったと目を輝かせて喜ばれたり、ミトコンドリア病が
7日から10日間という短期間で仕事に復帰できるほどの回復ぶりをみせたとのお
話しさえもお聞きしました。
ところで、この発酵生成物の宣伝をしているのではないので誤解のないようにし
てください。言いたいのは、これからです。
このように、いずれもまったく説明のつかない事ばかり起きていました。
それを明らかにするために、マクロファージ活性やナチュラルキラー細胞活性を
調べることから始めました。自然免疫リガンドなので、もちろんマクロファージも
ナチュラルキラー細胞も活性化していたのですが、奇妙な現象が起きていました。
単独培養のマクロファージをこの発酵生成物で刺激した場合では細胞障害性のあ
る炎症物質であるTNFαは極めて高い値で分泌されるのですが、採血した血液か
らマクロファージやリンパ球などを含む免疫細胞群を取り出してこの発酵生成物で
刺激した場合にはこの強力な炎症物質でがまったく増加せず抑制されていました。
さらに、ナチュラルキラーT細胞(NKT細胞)が特異的に分泌するサイトカインが高
い値を示していたのです。
自然免疫に強く惹かれていた私は、NKT研究の第一人者である谷口克さんが書
かれた解説や論文に接し、謎に満ちたNKT細胞の世界をほんのちょっと垣間見る
ことになったのです。
そこで浮かび上がりつつあるTリンパ球の暴走を抑える巧妙な仕組みとは? ま
だ議論も多く謎が多い分野ですが、おおよそつぎのようなものと考えられます。
■10
免疫の司令官であるマクロファージは、直接病原菌が大規模に侵入した火事場に
出動し様々な情報収集をしながら炎症・炎症抑制の判断を下して適切な指令を必要
な細胞に次々と下しています。体中に張り巡らされた交番のような役目をする樹状
細胞もマクロファージを補佐します。病原菌が活発なときは、IL-6、IL-23、
IL-12というT細胞を制御するサイトカインや、またTNFαとIL-1βなど
の炎症を促進するサイトカインを分泌して炎症を促進します。逆に、病原菌が完全
に分解されて危険が去ったときにはマクロファージは炎症を終結し組織修復へ動き
だします。樹状細胞もまた炎症を抑制するように補佐をします。マクロファージや
樹状細胞は病原菌の分解物やヒアルロン酸などの分解物を調べて、その分解物が低
分子物質であるかどうかを感知して炎症促進するかまたは炎症を終結し組織修復へ
動きだすのかを決めているように見えます。炎症終結の場合放出されてくるのが酵
素によって活性化されたTGFβです。TGFβが放出され、炎症状態が治まり、
組織修復のために線維芽細胞が働き始めます。
専門家は、炎症を促進する状態のマクロファージをM1状態、炎症を抑制して組
織修復を図るマクロファージの状態をM2状態と呼んでいます。腸管の輪状筋と縦
走筋の間にびっしりと詰まっている莫大な量の腸管マクロファージは、腸管の平穏
を保つために常にM2状態にあるようです。M2状態にすることでTGFβを大量
に放出し、腸管をTreg状態に保つ大切な役割をしているようです。しかし、M
9
2状態にあるマクロファージですが、老廃物や侵入したバクテリアはバクバク食べ
る能力は抜群です。リンパ球免疫を抑制されているとは言え、分泌型の免疫グロブ
リンAは盛んに作られますし、癌細胞をアポトーシスする能力のあるHozoTと
呼ばれるTreg細胞も発見されているのです。生命体の強かさを垣間見る思いが
します。
ところで、NKT細胞は、
「Tリンパ球の管制塔」です。Th17・Th1・Th
2という三種類に分化されたTリンパ球(エフェクターT細胞)を巧みにコントロー
ルしています。Tリンパ球の管制塔は、例えて言えば、航路の選択と重要航路の増
便の仕事をしており、NKTとマクロファージや樹状細胞が連携してコントロール
に当たっています。
サイトカインという物質は、細胞同士の情報交換をするおしゃべり物質でした。
三種類のエフェクターT細胞は、それぞれインターフェロンガンマ(INFγ)、
インターロイキン4(IL-4)、インターロイキン21(IL-21)と特別な関係
にあり、それぞれの増幅器の役割をしています。
Th2はアレルギー疾患を引き起こすサイトカインのIL-4の増幅器であり、T
h1は、細胞障害性免疫を誘導するサイトカインのINFγの増幅器です。また、
Th17は抗体免疫を誘導するサイトカインのIL-21の増幅器になっていて、一
味違う重要な働きをしています。
NKT細胞は、この三つのサイトカインをすべて分泌できる特別な能力を持ち、
Tリンパ球のバランスを取っています。
■11
そして、NKTを巡って二つの驚くべき性格が浮かび上がってきました。
その一つが、遺伝子操作でNKT細胞のないマウスを作ってみると、ウィルス・
細菌・カビ・寄生虫などの病原体を排除する能力が失われるという性質です。 T細
胞の増殖・活性化がうまくいかず、ワクチン効果も期待できないと言われています。
そして驚いたことに、自己免疫疾患の発症抑制、移植免疫寛容の維持と同時に、ア
レルギー制御、そして癌発症抑制もできなくなるということが分かり、オールマイ
ティな性格も浮かび上がってきたのです。
NKTは、異常細胞やウィルス感染細胞を除去する単なる「殺し屋」と思われて
きました。それがこのNKTのないマウスを使った実験で、免疫の調整役としての
裏の顔が見えてくることになったのです。
他の一つは、NKT細胞がアレルギー疾患を起こす免疫グロブリンEを作り出す
Bεリンパ球をアポトーシスさせるという事実です。2006年に理化学研究所の
免疫制御のグループが、結核予防に使うBCGを使ってNKT細胞が活性化すると
IL-21が放出されBεリンパ球がアポトーシスを起こす結果、アレルギーが抑制
されると発表しています。この研究は自然免疫力を高めるとアレルギーが良くなる
ということも意味しています。
ということは、自己免疫抗体を作るB細胞もNKT細胞がIL-21を使ってアポ
トーシスしてくれるのではないか? と期待するのが人情です。IL-21について
も理化学研究所と米国のザイモジェネティック社がIL-21を利用して自己免疫
疾患を治す特許を出願していますが、IL-21については議論も多く結論が出せな
10
いのが現実です。私の持っているデータでは、非炎症性の自然免疫リガンド(刺激物)
でIL-21が増加と同時に炎症性サイトカインのIL-18とTNFαの低下が起
こり、関節リウマチなどの膠原病などの自己免疫疾患と潰瘍性大腸炎やアトピー性
皮膚炎などのアレルギー疾患にそれなりの改善がみられることから、IL-21がア
レルギー性のBリンパ球と自己免疫性のBリンパ球の双方をアポトーシスしてくれ
るのではないかと密かに期待しているところです。
■13
もう一つ重要な発見がありました。炎症が起こる仕組みに、細胞の中に現れて遺
伝子DNAにぴったりくっ付いて炎症のプロセスを進行させる NF-κB というロケ
ットの名前みたいな物質があるのですが、炎症を終焉させるときは、この NF-κB
が例の細胞内シュレッダーであるプロテアゾームによって分解されると炎症が終焉
します。このプロテアゾームでの NF-κB の分解が円滑でないとアレルギー疾患や
自己免疫疾患などの炎症性疾患が起こるというのです。
第四章でオートファジーの世界をご案内しましたが、そこではプロテアゾームの
機能不全による炎症性蛋白の細胞内蓄積はオートファジーが処理をします。オート
ファジーの機能不全を起こすと、役に立たないプロテアゾームも蓄積された炎症物
質も処理されずに炎症が持続してしまうのではないか? との考えも脹らんでいき
ます。オートファジーを活発にすることで炎症性疾患を治していく治療法が開発さ
れるかもしれません。特に、自然免疫リガンド(刺激物)によるオートファジーの活性
化も指摘されているのでその解明が望まれています。
■14
自己免疫疾患およびアレルギー疾患などの炎症性疾患の解決に期待が持たれてい
るのが、Treg細胞を利用した治療法です。特に、2010年にカエデマウスを
使用して皮膚炎症を起こした炎症部から普通の10倍も強力な抗炎症活性をもつT
reg細胞が炎症発信の巣となっているリンパ節に大量に移動して炎症の火消し役
を務めていることが解明され、多くの人が苦しむアトピー性皮膚炎の鍵になるので
はないかと特に注目を浴びるようになっています。また、スタチンなどの薬剤がコ
レステロール低下以外にTreg細胞を増やす作用が発見されるなど、Treg細
胞を強化する薬剤の開発も進行しています。
この分野では、Treg状態になると癌細胞を抑える細胞障害性の免疫が低下す
るという認識が広く浸透していることが一つの障害になっていますが、癌細胞をア
ポトーシスするTreg細胞のHozoTが発見され、自然免疫の刺激によってT
reg状態下でもNK細胞やNKT細胞が活性化することを示唆するデータも出て
いることから、リンパ球免疫の視点から自然免疫の視点へパラダイム転換をする必
要があるのではないかとも思われます。
TGFβを利用した治療法も自然免疫リガンドとの組み合わせで有効な手段にす
る可能性を秘めています。Treg細胞を活性させるバクテリアも発見されるなど
この分野には大きな流れが形成されつつあります。
さらに、有望な手段としてNKT細胞を活性化して自己免疫疾患やアレルギー疾
患などの炎症性疾患を解決する方法が研究されています。海綿から採取した糖脂質
であるαGalCerという物質がNKT細胞を活性化することは有名ですが、さ
11
らにこれを強化する物質が開発され期待されています。
また、様々なバクテリアの様々なレベルの分解物を利用して炎症を抑え自然免疫
力を高める試みが密かに進行しています。
このように、近い将来、癌疾患も自己免疫疾患もアレルギー疾患もアルツハイマ
ーやパーキンソン、そしてⅠ型とⅡ型の糖尿病など二十世紀には難病とされていた
現代病の発症メカニズムが解明され、根本的な治療法が確立されることを期待する
ものです。症状を抑える治療から生命力を増強する治療へのパラダイムシフトが医
療の世界で起きようとしているのです。
12