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考古学ミュージアム主催講演会記録
鹿児島フィールドミュージアムへのお誘い 大 木 公 彦 1)
1) 890-0065 鹿児島市郡元 1-21-30 鹿児島大学総合研究博物館
司 会
記 録
大 西 智 和 (鹿児島国際大学博物館実習施設長)
鐘ヶ江賢二 ( 鹿児島国際大学博物館実習施設学芸員 ) 山下 啓・新井あいか1)・厚地絵理奈2) 1)鹿児島国際大学大学院国際文化学研究科
2) 鹿児島国際大学国際文化学部 井上和枝(国際文化学部長)
然とのかかわりを,見る人それぞれで考えていただきたい
みなさんこんにちは.国際文化学部長の井上和枝と申し
というコンセプトで展示しています.
「自然」
,これはみな
ます.考古学ミュージアムは,国際文化学部の付属施設に
さんにとってありふれた存在ですが,これを実際にどのよ
なっております.この施設の開設は,2002 年の 4 月です.
うに活用をはかっていくのか,ということが問題になりま
そのときは,博物館実習室として開設しました.今日の講
す.今日はそれを語っていただくのに最適だと思われる方
師の大木先生の所属しておられる鹿児島大学総合研究博物
に講師をお引き受けいただきました.今日の講師である大
館は,2001 年の開設ですね.ですから,考古学ミュージ
木公彦先生は,鹿児島大学総合研究博物館の館長をされて
アムの開設はそのちょっと後ということになりますが,歴
おります.ご専門は地球科学で,海底の堆積物,とくに有
史的には,今日のお話のような雄大な時間を考えれば,ほ
孔虫などを調べて地球環境の変化を把握する研究をなされ
ぼ同じになるかと思います.2004 年の 3 月には,博物館
ています.水俣病で知られる水銀の海底の分布調査もされ
相当施設として認定を受けました.非常に小さな博物館で
て多くの成果を挙げておられます.なお,今回の企画展で
すが,それなりの活動をしています.いままでに調査研究
も鹿児島大学総合研究博物館からは多くのご協力をいただ
報告書は,7 冊刊行しています.それからこの部屋の隣で
いています.鹿児島大学総合研究博物館では,地域が持つ
は,「南島世界へのまなざし」という特別企画展が行われ
独自の自然や文化を資源とみなし,研究者と住民が連携し
ていますが,そのような特別企画展や,今日のような講演
て活用をはかる「フィールドミュージアム」という活動が
会なども開催しています.ですからこれからいろいろな催
行われています.今日の講演では,鹿児島大学のフィール
しが行われますので,ぜひお越しいただければありがたい
ドミュージアムの実践とその意義についてお話をいただき
と思います.私の専門は韓国史で,せいぜい長いスパン
ます.また講演会の後現地を巡検し,参加していただいた
でも扱う時間は 100 年くらいなのですが,今日のお話は
方々に鹿児島の自然のもつ魅力や文化的・教育的・観光的
8000 万年とか,膨大な時間でして,私のやっていること
資源としての可能性について体感していただきたいと思い
は意味もないのかなあ,と悲しくもなるのですが,一方で
ます.それでは,大木先生よろしくお願いいたします.
は地球の身近に接している鹿児島のロマンが展開されるの
大木
ではないかと期待しています.
みなさんこんにちは.今ご紹介いただきました,鹿児島
大西(博物館実習施設長)
大学総合研究博物館の大木と申します.今日はお招きいた
みなさんこんにちは.現在考古学ミュージアムでは特別
だきありがとうございました.私の専門分野は地質学で,
企画展として「南島世界へのまなざし」を開催していま
時間的にいうと過去 1 億年にわたる話を見て来たかのよう
す.徳之島と沖永良部島の自然と文化に着目した,人と自
にしゃべると思いますが,ご容赦下さい.年代は頭の中の
1
大木公彦
ジオパークは,
いま日本中で話題になって,
世界ジオパー
クに 3 か所指定されたとか,大騒ぎしていますが,その割
には,
「ジオ」とは何か,
「地質」とは何か,考えない方が
多いのです.地質を好きな方はまずいないですね.それを
「地学の危機」と私たちは呼んでいるのですが,地学の専
門の方の中も,地学は総合学問であるにもかかわらず,自
分の狭い専門は追究するのですが,それをトータルに考え
ようとしない方が多い.現場を見て,ものを考える方がず
いぶん減ってきています.ちなみに高校の地学はなくなっ
てきています.桜島の噴火,奄美大島などの水害,地震と
大木公彦氏(鹿児島大学総合研究博物館館長)
いった問題は,地球科学を専門とする我々のテリトリーな
のですが,そのことがなかなか理解していただけないので
片隅にでも置いていただければと思います.最後は考古学
す.それは,私たちの努力が足りないからです.博物館施
との共同研究も含めてお話させていただきたいと思ってお
設は,そのようなことを発信していかなくてはならない.
りますので,よろしくお願いします.
地層の露頭がどんどん消えてしまっています.地震やがけ
鹿児島大学の総合研究博物館では,フィールドミュージ
崩れなどの身近な問題に地学の研究者が注意を促すにもか
アムというプロジェクトを立ち上げて現在頑張っておりま
かわらず,なかなか市民権を得ていませんから,
「これは
すが,自然が身近なもの,価値があって素晴らしいものと
危ないんだって」という程度で,ほとんど知らぬが仏で住
いうことになかなか気付いていただけません.
自然を残し,
んでいる,という状況です.これを機会に,ぜひ地学に興
後世に伝えて活用していきたいというように考えて,この
味を持っていただきたいと考えています.
フィールドミュージアムを立ち上げました.しかし正直申
この写真は吉野台地の写真ですが,縄文草創期の貴重な
しまして,なかなか認知されません.多くの場合見慣れた
火山灰層です.火山灰層の下に少しだけ黒い部分が見えて
風景なので,そこに何を感じるのか,どのような価値があ
いますが,これは約 13,000 年前の旧石器,縄文草創期の
るのか,どこが素晴らしいのか,ということをなかなか考
人たちが歩いていた地表面です.その上に桜島の噴火で一
えていただけません.
気にこれだけの火山灰層が堆積し,立っていた木が倒され
今日は講演後にフィールドへ出かけます.講演よりこち
て真っ黒焦げになりました.この地層は,考古学の年代決
らの方が面白く,ここでお話するよりも,本物をみていた
定や,当時の気候や環境などを調べることに重要ですが,
だいた方が良く理解していただけると思います.ご都合の
団地の造成で消えてしまいました.この露頭で私が「新期
つく方はぜひご参加いただければと思います.
火山灰および軽石層」という地層名を付けました.桜島起
源の火山灰・軽石層と報告したのですが,火山灰を研究し
霧島がジオパークに認定されました.ジオパークはユネ
ている学者は「桜島・薩摩テフラ」と呼んでいます.今か
スコが認定します.霧島は日本ジオパークで,これから世
ら約 13,000 年前,縄文草創期のものです.
界ジオパークを目指すようですが,それは容易なことでは
この写真は鹿児島大学の医学部の埋蔵文化財の調査の時
ありません.そのためには,地元の人に,地域にはすばら
に出てきた露頭です.この真っ黒く見えている部分が,約
しい自然遺産があることを理解していただく必要がありま
13,000 年前の地表面ということになります.この露頭は建
す.住民が理解し,住民の中からふつふつとわいてこなけ
物が建ってしまいましたから,今では見ることができませ
れば,まずユネスコは認定してくれません.私は地質学が
ん.仕方なく,布をあててはぎとってきました.このよう
専門ですが,フィールドミュージアムには考古学であろう
にして,どこかで保存しなければ,大事なものがどんどん
が,レシピであろうが,みんな含まれます.私たちはそれ
消えてしまいます.これだけの中に 3 万年間の歴史が入っ
をノードと呼んでいます.
ノードとは結び目のことですが,
ています.約 3 万年まえの姶良カルデラの大噴火,
そして,
それらを結んでネットワークを作り,みなさんとそれらを
その上は氷河期の地層で,真っ黒なのは黒色土壌,腐葉土
共有したいと考えています.
だからです.この地層は間違いなく氷河期で,約 16,000
2
講演会記録「鹿児島フィールドミュージアムへのお誘い」
年前の頃は,ブナとかケヤキも鹿児島に生えていました.
学生が研究に使った,すばらしい研究資料や標本などが多
これらは落葉広葉樹で,今のような照葉樹林ではありませ
く保管されていました.合計すると 100 万点以上になりま
ん.その証拠がここに全部詰まっています.ここから鏃と
す.そのうちの 60 万点がようやく博物館へ移管されまし
か石器等がたくさん出てきています.これらは鹿児島大学
た.それをボランティアの方や退職された先生にお手伝い
博物館に展示していますので,興味のある方は是非見に来
をいただいて整理しています.2004 年 5 月には,常設展
ていただければと思います.
示室をオープンしました.これは鹿児島大学の一番古い建
この露頭は後ほど行きます.30 年ほど前に,女学生が
物で,昭和 3 年に建てられました.建築を専門とする人は,
卒論の調査で伊作峠付近の山中を歩き回り,断層を見つけ
この建物を見に来ます.
ました.谷山から伊作峠に至る国道沿いに見事な断層が
大学の博物館は何のためにあるのでしょうか.大学は,
あって北側が落ちています.破砕帯を伴う,かなり大きな
本来研究した貴重な資料を残さなくてはなりません.しか
断層です.このような断層の存在は防災上非常に重要な意
し日本の大学は貴重な資料を捨ててきた歴史を持っていま
味があるのですが,残念ながら今は見ることができません.
す.これは,たとえば最近イギリスの研究機関への書籍の
卒論に断層のスケッチを書いておりますので,これを博物
寄贈が問題となった考古学だけではありません.地質学を
館としてしっかり記録し後世に伝えていかなければなりま
はじめとして,ほとんどの学問でそれが起こっています.
せん.この断層は,宇宙から見てもはっきりと直線に見え
大学博物館は,貴重な研究資料を保管し,それを活用して
ます.これを伊作断層と名付けました.この断層は時々小
もらわなければならないのですが,そのような業務はなか
さな地震を起こします.断層に沿って温泉が湧き出してい
なか理解されない.大学博物館は,将来の教育・研究のた
ます.吹上にある伊作温泉です.午後の巡検は,その断層
めに学術標本や資料を保管しているわけです.大学博物館
のところからスタートして,この断層が作る谷の中を下っ
は教育研究にとって非常に重要な役割を果たしているとい
てみたいと思います.
うことをぜひ知っていただければと思います.
約 3 万年前に鹿児島湾の奥にあった大きな火山が大噴火
平成 15 年に文科省へ地域貢献特別支援事業「フィール
しました.その時に入戸火砕流が噴出し,
マグマ溜りが空っ
ドミュージアムの構築プロジェクト」を申請したら,運良
ぽになって,ストンと落ちた地形が姶良カルデラで,そこ
く採択されました.地方自治体,NPO,企業,市民の多く
に海水が入りました.入戸火砕流堆積物を,鹿児島の方言
人たちと連携して,鹿児島全体をフィールドミュージアム
ですが,私たちは「シラス」と呼んでいます.堆積したあ
として,みんなが勉強できるような体制を作りたいと考え
とに地震が起り,シラスが割れて開きました.12.5 万年前
ました.連携した自治体の人たちに博物館へ来ていただい
の最終間氷期のころ,鹿児島市の伊敷付近は海だったので
て会議を開き,また現地討論会を行いました.研究費は2
すが,その海に溜まった砂とか礫が地震で揺さぶられてそ
年間のみでしたが,これが大成功で,ぜひ続けてほしいと
の開いたところから急激に上昇しました.これは「クラス
いう声を受けて,今でも続いています.地質学だけではな
ティック・ダイク」と呼ばれる一種の液状化現象で,重要
くて,いろいろなものをネットワークで結びたいと考えて
な地震の証拠になります.これを私たちは地震の化石と呼
います.
んでいます.このような痕跡があることは,決して鹿児島
大学の先生は知的財産です.素晴らしい先生たちがいま
が安全ではないということを示しています.したがって防
すが,なかなか表に出てきません.そこでなんとか先生た
災を考えていただき,たとえば皆様方の本棚などは固定し
ちに手を挙げていただき,60 名近くの先生にアドバイザー
てほしいです.このような露頭は防災教育上とても重要な
になっていただきました.問い合わせがあった場合,私た
のですが,この露頭も無くなってしまいました.このよう
ちが窓口になって,
アドバイザーの先生を紹介しています.
な教材をなんとか残したいと考えています.
ぜひ鹿児島大学総合研究博物館のホームページをご覧い
ただきたいと思います.鹿児島の地質図をウェブ上で公開
鹿児島大学総合研究博物館は,2001 年の 4 月に省令に
しています.例えば,姶良市をクリックしていただくと,
基づいてできた総合博物館です.国立大学では第 7 番目に
姶良市だけがアップになって出てきます.そこに姶良市に
できたものです.文部科学省が,地方の国立大学では唯一
分布する地層や,
見どころなどが書いてあります.
今後もっ
認可した総合博物館です.これまでに鹿児島大学の先生や
とグレードアップさせようと思います.
3
大木公彦
講演会の後に行われた,フィールド見学会のようす
南種子町河内の化石層におけるフィールドミュージアム
(四万十累層群の上に堆積する阿多火砕流,谷山インター付近)
のようす
なんとか保存して教材にしたいとお話したら,幸いにして
この写真は,第一番目に訪れる巡検予定の露頭です.下
南種子町の天然記念物に指定され,化石公園として保存さ
が約 8,000 万年前の恐竜の時代の地層です.その上に約 10
れることになりました.これも,土木の方や市民の方がそ
万年前の阿多火砕流の凝結凝灰岩が重なっています.この
の素晴しさを理解し,アピールして下さったおかげです.
露頭は鹿児島県が残してくださいました.看板の説明文は
その後,各地の大学の先生や学生さんが訪れ,現地の人た
私の方で書かせていただきました.この露頭を教材として
ちと一緒に勉強会も行われています.
使っていただきたいと思います.
この写真の地層を通った地下水はペットボトルで売られ
この写真は,指宿市にある約 53,000 年前の火山灰層です.
ておりますけれども,スーパーとかでは買い求めることが
素晴らしですね.これは褶曲ではなく,火山灰が雪のよう
できません.非常に特殊な水です.露頭の下半部の地層は
に降り積もったものです.赤い色は,鉄分を多く含んでい
貝化石層です.北京原人のいた約 35 万年前のもので,こ
ることによるものです.火山灰を観察するには大変貴重な
の当時の吉田地域は海の中です.
吉田貝層という地層名で,
露頭で,指宿市の教育委員会が残してくれました.是非,
東北帝国大学教授であった矢部長克という先生が報告して
ご覧ください.指宿でも現在ジオパークを目指していて,
います.大変重要な地層で,琉球列島の島々に分布する石
それをサポートしていますが,巡検を通じて地元の素晴ら
灰岩(隆起サンゴ礁)がまだ海の中だったころの堆積物で
しさを認識していただきたいと思います.
あることから,琉球列島の生い立ちを知る手掛かりになり
この写真は南種子町の河内というところです.この道路
ます.この吉田貝層は県指定の天然記念物になりました.
を東へ行くとロケット発射基地があります.河内の道路工
これはガイアテックという会社のご厚意で残すことができ
事で,偶然 1,600 万年前に渚であったことを示す化石が出
ました.例えば,水族館の底砂や,畑にまく肥料などとし
てまいりました.写真は全部カキの化石です.ここを工
て使われます.この層から見つかった化石には大きなホタ
事していた土木の会社の方が説明板を作ってくれました.
テガイやウミガメ,ホオジロザメの歯などがあります.吉
干潟のいろいろな生痕や巣穴の化石も見つかっています.
田の,現在は山になっていますが,当時の海に 5 mくらい
シャコとかカイとかカニが潜った巣穴の化石も出てきまし
のホオジロザメが泳いでいたのですね.貝には,炭酸カル
た.これが重要なのは,琉球列島,種子島がかつて大陸の
シウムがたくさん入っています.これは精神安定剤にもな
一部であった証拠になるということです.琉球列島は,そ
ります.また炭酸カルシウムですから骨太になります.沖
のあとに離れたのですね.今は水深 1000 m以上の海(沖
縄の人たちは長生きしますが,炭酸カルシウムを含む硬水
縄舟状海盆)があります.300 万年前以降に琉球列島は離
を飲んでいるからです.炭酸カルシウムには 2 種類ありま
れたらしいということがいろいろな証拠からわかっており
す.その一つは方解石で,胃腸への吸収はあまり良くない
ます.300 万年前には地球上に人類が現れた.ここは有明
のですが,それでも長生きに効果があります.もう一つの
海のような内湾であった証拠に多量のカキの化石が産出し
あられ石は,ものすごく胃腸への吸収が良いのです.鹿児
ます.リクガメやスッポンも見つかりました.この場所を,
島水族館でなぜこれを入れるのかというと,炭酸カルシウ
4
講演会記録「鹿児島フィールドミュージアムへのお誘い」
ムを補うためです.あられ石を入れると海水の pH が安定
し,ウナギの養殖やカニの養殖,釣り餌になっているゴカ
イの養殖などで効果があり,利用されています.しかし,
これはかつての海の中に堆積した層ですから有限です.ど
んどん掘っていけば無くなってしまいます.そこでその一
部を天然記念物として残していただいたわけです.
ちなみに,その効果が唯一科学的に証明されたのは,こ
の吉田の貝化石層だけなのです.この電子顕微鏡写真は,
鹿児島大学名誉教授の富田先生が撮られたものです.1973
年に名古屋大学の先生が,日本のいろいろな炭酸カルシウ
鹿児島県指定文化財「吉田貝化石層」の露頭で調査をする
ムをニワトリに食べさせて,効果を比較しました.広島の
県文化財保護審議委員と(株)ガイアテックの職員
方が「広島カキを粉末にした.これは素晴らしいから調べ
てほしい」と言われて,比較するために吉田貝層の化石も
その地層が海溝 7,000m ほどの深いところから隆起してサ
調べられたのです.その結果,ダントツ一番だったのが吉
ンゴ礁と接しています.深海のメランジュ堆積物と浅海域
田貝層でした.吉田貝層の貝の粉末を食べたニワトリの卵
サンゴ礁が接して見られる場所は,日本ではここしかあり
の殻は厚く,硬いのです.私も試してみましたが,割れな
ません.そのため,県指定文化財天然記念物に指定された
い.卵殻の強度,卵重も一番です.割って落としても卵黄
のです.これは砂岩ですが,ちぎれており,丸く取りこま
が崩れません.実際に,血漿中のカルシウムの含有量がダ
れています.本当は層を成していたはずですが,ちぎれて
ントツ一位でした.
しまったのです.美しい景色ですよね.今からおよそ1億
化石層は地質学的に重要なのですが,この露頭の近くに
年前,恐竜の時代にできたと考えられていますが,恐竜の
江戸時代の間道があります.江戸中期の古文書に書かれて
時代には海溝の場所にあり,それが隆起したおかげで私た
います.その間道沿いに木が植えられております.その間
ちは見ることができるのです.
道を通った島津の殿様がこの水を飲んでいたので,殿様水
この地がもう一つ重要なのは,塩田であることです.こ
とも呼ばれています.そのような素晴らしい水があるとい
の隆起サンゴ礁を削って平らにし,海水を引き入れて,閉
うことを知っていただけたらと思います.だたし,貝化石
めて,蒸発させて塩を採っていたそうです.この地域は今
層は有限です.できたら貝化石層を取らないで,まず水を
も塩を作っています.是非,訪れてミネラルリッチな塩を
売ってほしい.最後にこの貝化石層を取ってもらえればと
食していただけたらと思います.今は残念ながら煮詰めて
思います.ガイアテックの方が中国大陸も調べたらしいの
火を焚いて塩を作っているそうです.これも徳之島の伊仙
ですが,今のところ見つかっていないようです.
町の露頭ですが,約 3 万年前の姶良カルデラの大噴火した
この海岸は,伊仙町の人たちの熱意で県指定の文化財天
火山灰がなぜか徳之島まで飛んで行った.しかもこんなに
然記念物になった場所です.広く分布している岩石は隆起
厚く残っています.私たちは,なんとかここを文化財に
サンゴ礁です.現在,海の中にサンゴ礁があります.それ
指定していただけるように努力していきたいと思っていま
が隆起してできたものです.その隆起サンゴ礁の中に小山
す.姶良カルデラの大噴火の証拠として非常に重要な地層
をつくっている岩石は,大昔の海溝の中に堆積した地層で
なので残したいのです.
す.プレートテクトニクスはご存知だと思いますが,太平
鹿児島市では子供が防空壕の中に入って亡くなってし
洋の海底が海溝に沈み込んでいく時,大陸棚や大陸斜面か
まったものですから,
防空壕を調査し埋め戻しております.
ら流れ下ってきた堆積物と太平洋の海底に堆積した堆積物
その調査の過程で鹿児島市伊敷町小野に大きな防空壕のあ
が混ざってしまいます.その混ざった堆積物をメランジュ
ることがわかりました.その防空壕内で見つかった液状化
と言います.女性の方は料理でメレンゲを良くご存知だと
の地震の化石です.これはぜひ残していだたきたい.この
思いますが,語源は同じです.かき混ぜたものという意味
地震の化石クラスティックダイクは非常に重要で,防災教
です.陸に近い浅海域から運搬されてきた堆積物と深海に
育にもつながりますし,戦争をしたという証拠にもなる,
堆積した堆積物が混ざってできた地層がメランジュです.
考古学的にも歴史学的にも非常に重要な遺産です.
5
大木公彦
この写真は桜島の噴火です.みなさんは噴火を嫌がりま
大山の老人ホームの裏にあります.
すが,
桜島は有史にわずか 5 回しか溶岩を出していません.
この島は江戸時代中期,桜島の安永噴火に伴って 100m
噴火以外の時期は恵みだけなのです.鑑真さんが来たころ
隆起してできた島です.噴火前は,この島の上面が海底で
の天平噴火,応仁の乱のころの文明噴火,それから江戸時
した.安永時代の海底を見ることができるのです.これは
代中期の安永噴火,1914 年の大正噴火,そして 1946 年の
世界的にみても類のないものです.
昭和噴火.昭和火口は今も噴火していますが,昭和の噴火
鑑真さんが来たころの天平噴火の火口を鍋山といいま
は小さい.大きいのは 4 つですね.今まで確認された火山
す.宇宙からみると綺麗な丸い火口になっています.
灰層は 17 枚ありますが,これに知られていない噴火を加
えて今の桜島が出来上がったと考えていただければと思い
これらの貴重な地質遺産をどのように活用するかが大事
ます.これは大正 3 年の噴火の貴重な写真です.県立博物
なのですが,私は最初に様々なノードを繋げたいとお話し
館に残されています.この溶岩が烏島を埋めてしまう.桜
ました.最後にその話をしたいと思います.
島はもともと島でしたから,大隅半島と桜島の間には大き
この写真は加世田にある奥山六堂会という古墳ですが,
な船が通る海峡がありました.溶岩が流れてきて海峡を埋
薩摩半島南部の中で唯一石棺をもっている古墳だそうで
め立てていますが,子どもたちが見物しているくらいです
す.総合研究博物館の考古学の橋本さんが,これは天草型
から危険ではありません.溶岩はゆっくり流れてきますの
だと言ったのです.そこで調べてみましたが,間違いなく
で逃げられます.溶岩が海の中に流れ込んでいますね.溶
天草にしかない石でした.天草から船で運んできたと考え
岩が海の中でどのように流れ込んでいくのか私たちは見る
られます.石棺の石は特殊な石英質アレナイトという砂岩
ことができません.ところが,かつて海だったところが,
なのですが,薩摩半島にも大隅半島にもありません.鹿児
さきほどお見せした吉野台地のように隆起しますと見るこ
島県でいうと長島,獅子島のあたりに分布しています.か
とができます.これは加治木の黒川岬というところですが,
つて天草付近から船を使って人がやって来た証拠です.
かつての海の海底です.海底の軟らかい泥の表面を溶岩が
鹿児島には素晴らしい前方後円墳が志布志湾沿岸地域に
覆いましたので,その境界はめちゃくちゃになってしまっ
あります.その前方後円墳の存在を知らない方がほとんど
た.泥がちぎれて溶岩に入ったり,逆に溶岩が下の泥の中
なのです.これらの古墳を橋本さんが中心となって調査を
に入ったりしています.このように現在起こっている桜島
行ったのです.古墳の一つから,なんと人物埴輪が出てし
の海面下の現象を,隆起した昔の地層を通じて私たちは見
まった.最初に見たときはふるえました.泥まみれだった
ることができる.だからこの貴重な露頭を残してほしいの
のですが,すごい迫力がありました.リアルです.武人埴
です.
輪で,兜をかぶっていて庇があります.
この写真は有名な加治木の蔵王岳で,溶岩で出来ていま
これは神領古墳の石棺です.橋本さんは,石棺の石を延
す.かつての海底はもっと上です.蔵王岳の周辺には海の
岡から持ってきた阿蘇の溶結凝灰岩と言うのです.
私は「こ
地層があったのですが,隆起して浸食され,無くなってし
れは鹿児島の溶結凝灰岩だ」と言ったのですが,彼は「違
まいました.マグマ(溶岩)が地下から上がってきて,海
う,これは阿蘇である.なぜならば石棺は延岡型であるか
底を突き破ったら噴火です.しかし,マグマは海底を突き
ら」と言って信じてもらえませんでした.その後,熊本大
破れなかった.力尽きてマグマが冷えて固まったので,こ
学の先生にこっそり石を持って行って見せたそうですが,
んな形になったのです.その証拠が,蔵王岳の近くにあり
即座に「これは阿蘇ではない」と言われたそうです.これ
ますが,残念ながら今では吹き付けられ見ることが出来ま
は志布志の安楽川沿いにある溶結凝灰岩です.約 3 万年前
せん.これは海の地層です.2 回マグマが入ってきていま
の入戸火砕流で,熱と圧密で固まった岩石です.というこ
す.1 回目がこれです.下から入ってきて,
ここまで上がっ
とは,石棺の石は現地調達で,延岡から石工を呼んで作ら
てきて力尽きたのです.このうえは海の地層です.海の地
せたのだと思います.また,これらは神領古墳から出土し
層が全部浸食され,無くなれば蔵王岳と同じ形になります.
た須恵器ですが,愛媛県の伊予の登窯で焼いたということ
もう一つは地層に沿って横に入っています.この溶岩の延
がわかりました.これも多分船で輸入している.橋本さん
長に何があるかというと,龍門滝です.龍門滝はこの溶岩
はさらにいろいろ調べました.兜や鏃,矢筒などがでてき
にかかっています.この地層の突っ立った露頭は姶良市の
てきました.別の場所から見つかったものですが,最近,
6
講演会記録「鹿児島フィールドミュージアムへのお誘い」
刀の柄に象嵌が施してあることがわかり,新聞にも載りま
相談に来ました.これが顕微鏡写真です.調べると均質な
した.間違いなく志布志地域には,すごい力のある人がい
火砕流堆積物(凝灰岩)です.白亜紀の火砕流堆積物で,
たのです.話がいろいろと脱線しましたが,石を調べてみ
寧波の恐竜時代の岩石です.X線を用いて非破壊で調べた
ると,このように面白いことがたくさんわかります.
ら,坊津の薩摩塔と梅園石の元素はほとんど変わりません
この写真は坊津の輝津館にある薩摩塔です.これは鹿児
でした.
これだけではわからないので,
X線回折装置を使っ
島で最初に見つかったので薩摩塔といいます.しかし,薩
て調べましたところ,長崎県の大村の薩摩塔と,坊津の薩
摩塔は鹿児島にある石で出来ておりません.
九州にもない.
摩塔,寧波の梅園石は 3 つともぴったりと一致しました.
屋根があって,仏さんがいて,伽藍があって,四天王がい
長石の分析でも,大村の薩摩塔,輝津館の薩摩塔,梅園石
ます.この形が薩摩塔です.鹿児島では 5 基見つかってい
は同じ曹長石から構成されていることがわかりました.薩
ます.日本では,鹿児島県,福岡県,佐賀県,長崎県の,
摩塔は,白亜紀,恐竜時代の寧波の梅園石を採石し,加工
九州だけに分布します.とくに平戸に多いのです.中国に
して,船で寧波から九州へ運ばれてきたことは間違いあり
はありません.しかし薩摩塔の石は九州のものではなく,
ません.
特殊な岩石です.
中国文学の高津先生が,薩摩塔の石は中国上海の南に位
たくさんお話をしましたが,これから現地に行って,ま
置する,鑑真らが船出した中国寧波の梅園石(ばいえんせ
た本物を見ていただけたらと思います.ありがとうござい
き)ではないかと言うのです.なんとか調べられないかと
ました.
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